2013年5月4日土曜日


合氣道佐久道場「永遠の‘いのち’」(20130504

 男は朝8時半に私の家を出て11時半には長野県にある新幹線佐久平の駅に降り立っている。新幹線の中で「ご自由にお持ち帰りください」と書かれている雑誌『トランヴェール』に目が止まった。「特集 感性に響く縄文の旅」という記事が48ページある紙面の半分を占めている。縄文時代は今から約15千年前から2950年前まで続いた。縄文土器は世界最古の土器でありそれがこの日本列島で発展したという。そのころ生きた人々の暮らしの様子を考古学的に復元したものが新潟県歴史博物館に展示されている。

 男はその写真を見て想像した。今を生きる自分はその頃生きた人々の遺伝子を間違いなく受け継いでいる。もし縄文時代の人々が自分の家から佐久平まで旅するとしたらどのくらいの時間がかかるだろうか?今を生きる自分が私の子孫の為少しでもよいものを遺そうとしているように、何万年という遠い昔から人々はその一代を生きている間僅かでも文化・文明を発展させ、次の代に受け継がせたのである。男の遠い先祖たちは代々そのようにしてきたから今を生きる男は自分の家から僅か3時間半で佐久平に着くことができたのである。
 
 男が佐久平にやってきたのは合氣道佐久道場創設20周年記念行事に参加する為である。この記事は佐久市にある一萬里ホテルの部屋で書いている。今日は午後佐久市総合体育館に隣接している武道館で合氣道の記念演武会が行われた。合氣道佐久道場では毎年5月の連休期間中「国際合氣道研修会」が行われていて世界中から遠藤征四郎師範の弟子たちが沢山集まって来る。今年は20周年記念ということで外国人合氣道愛好者の数が特に多く、16か国120人を超える外国人合氣道愛好の男女が集まった。

 20年前男はこの道場の建設に深く関わった。その頃男も外国人合氣道愛好者たちと一緒に数日間その道場で寝泊まりし合氣道の稽古に汗を流していたものである。夜は道場内に作られている台所兼居間で外国人合氣道愛好者たちと車座になりお互い酒を酌み交わしながら歓談したものである。夜も更けて皆三々五々と去り広い道場内一杯に敷きつめられている布団の上に雑魚寝した。男の右隣はドイツ人で左隣はフィンランド人といった具合であった。佐久平の駅からタクシーで道場まで行く道すがらタクシーのドライバーと会話した。彼は「毎年この時期になると外国の方が非常に多いです。昨日はトルコから来た方を道場まで送りました」という。

 今日の記念演武会でも遠藤征四郎師範を慕う外国人指導者たちの演武があった。合氣道は文字どおり「気を合わせる」武道である。合氣道開祖植芝盛平翁は「合氣道は愛の道であり和の実現である」という理念を弟子たちに教え込まれた。遠藤征四郎師範はその開祖が80歳代のときの弟子である。合氣道は試合がない武道であるが力任せにやると必ず怪我をする。遠藤師範の演武をみているとその動きは全く自然で「宇宙と一体となった」ような融通無碍の動きである。ヨーロッパ系の大の男も遠藤師範の手にかかるとまるで魔法にかかったようにねじ伏せられたり投げ飛ばされたりする。どう逆らっても負けてしまう。それが合氣道である。

 この日本列島に住みついた縄文人は今から2950年前以前長江の河口から直接または北上して遼東半島と朝鮮半島南部を経由してこの日本列島に稲作文化をもって渡来して来た人々(渡来系弥生人)と混血した。それが古墳時代人である。その子孫、つまり日本人が「合氣道」という武道を開いた。そしてその弟子たちが合氣道を日本中は元より世界中に広める活動を続けている。聖徳太子の「和を以て尊しと為す」の精神が受け継がれている。

 一萬里ホテル4階大広間は「人類は皆兄弟」「世界は一家」のような雰囲気であった。120名余りの主としてヨーロッパ系の人々もローマ字で書かれた『花の合気道』という歌を声高らかに合掌した。最後の締めの三々十拍子「・・・ ・・・ ・・・ ・」も日本人と全く変わらないぴったり合った拍子の取り方で行われた。下記URL『COSMOS』で合気道佐久道場の活動の様子を知ることができる。


 20年前道場建設に関わったOld Boys が千曲川の「あゆ」の解禁の時期に再会することを約束した。男はそのOld Boysの最年長者である。日本人の平均寿命で見れば男はプラスマイナス5年ほどで「この世」と別れる。男がそう言うと彼の仲間たちは「まだまだ」と言う。誰も未来のことは分からない。人々は皆そのように思いながら日々を送っている。縄文人たちは土器や黒曜石の矢じりなどを今の世に伝えたが、今の我々は文字や写真や映像などで「合氣道佐久道場」の様子を記録し保存する媒体を後世に残すことができる。

 未来の世において「男」である自分は今の自分の子孫であるかもしれないし、今の自分の子孫ではないかもしれないが、その媒体により「合氣道佐久道場」という建物と運営組織があったことを知ることになるだろう。かくして「いのち」は連綿として永遠に続いている。「この世」だけが「いのち」ではないのである。「いのち」は縄文時代の昔から今なお「生き続けて」いるのである。