2011年12月31日土曜日

『安岡正篤 易経講座』に学ぶ(4)(20111231)

“命とは自然の造化性、絶対性を表す。

  これは要するに人間の認識する相対的なものから言うならば、造化はそれ自体絶対的なものである。必然的なハタラキである。その自然の造化性絶対性を表すのが命(めい)である。

  人間の命も生命である。他の動物生命も同じである。しかし人間は他の生物と違って、非常に微妙な意識の世界、精神の世界というものが発現している。その意味では性命(せいめい)である・

 そしてそのハタラキはもちろん天命の一顕現(いちげんげん)であります。これは自分は何のために生れたのであるか、なぜ生れたのであるかという人間の種々の要求・疑惑より、もっともっと人間必然のハタラキである。

 そこで、命という文字思想は一度転化すると疑惑だとか違背(いはい)することの絶対許されない絶対性、必然性、命令性を持った力になる。そこで人間の中でも、自分の存在というものに絶対的意義を自得したような人のことを、文字を付して「命」(ミコト)という。

 日本では唯(ただ)の煩悩(ぼんのう)のままの人間ではなくて、自己の生活というものに絶対的意義を獲得した貴い人に、この命の一字を差し上げて「○○のミコト」といっている。

 したがって、以前にもお話し申し上げました命名というのは如何なる意味を持っているか、これで解るのであります。

 命名というのは単に名前を付することではない。偶然的に付けたのではそれは単なる付名である。そうでなくてこの名前はこの子どもにとっては、絶対的意義がある。必然価値があるとしてはじめて命名ということができる。

 造化のハタラキ、この宇宙の創造変化、絶対的作用その立場から言えば、すべては天命のハタラキである。人命はその一機能である。すべては命にあらざるはないのであります。

 だから人間がささやかな自己から出発して、学問の到達するところは、天を知り命を知って、その中から自己を発見し自得(じとく)することである。我々は先ず天命というものをよく身体で把握しなければ、易学にはならないのであります。(以上『安岡正篤 易経講座』より引用。)

 神武天皇は、『古事記』では神倭伊波礼琵古命(かむやまといわれひこのみこと)とされている。神武天皇は日本の国体の礎となられたお方である。日本神話では神武天皇は庚午年11日(紀元前711213?)から 神武天皇76[1]311日(紀元前58549?))までの間生きておられた方で、初代天皇として即位された日は辛酉の歳(神武天皇元年・紀元前660年)の正月(西暦紀元前660211日)とされている。

 歴史観を持たない人々、反日的思想の人々は、毎年211日の建国記念日になると騒ぐ。神武天皇以来代々の天皇は古神道を護持してこられ、今上天皇も宮中でその行法による宮中祭祀を執り行っておられるという。日本国民にとって大変有り難いことである。

日本は一日でも早く「教育勅語」を復活させ、広く一般に日本神話を大事にする正しい歴史観を広め、日本の精神を復興させなければならないと思う。       (続く)

2011年12月30日金曜日

『安岡正篤 易経講座』に学ぶ(3)(20111230)

  “今朝の新聞にも湯川博士がハイゼンベルグなどを取り上げて素粒子の説明をしておるが、・・(中略)・・この偉大な宇宙のエネルギーは極めて微妙な素粒子の中に含まれている。これを次第に追及していくと、この偉大なエネルギーの含まっている一番の極限、即ちウルマテリーといったものに到達するかもしれないと論じています。ハイゼンベルグは今からそう考えている。

 このウルマテリーを易で申せば文字通り太極(たいきょく)であります。・・(中略)・・

 これをマクロコスミックに見れば、近代の天文学は・・(中略)・・次第に太極というものに近づかんとしつつある。そうしてマクロコスミックの点から申しても、要するに宇宙、人生はもちろん、その一部分というものは実は偉大な創造であり変化である。・・(中略)・・

 宇宙を営む偉大な力が波動、活動しつつ、相互転換性を表しているのを天という。天というのはその様に、偉大な創造であり変化である。この宇宙人生が無限の創造であり変化であるということは日本民族、支那民族、インド民族総じて東洋民族に於いて非常に早くから体験的に追及され、非常な叡智をもって認識されつつあった。

この造化というものを、人間はこういうこの感覚を備えた体でありますから、これを出来るだけ感覚的に把握し、実現しようとする本能を持っておる。この偉大な営みを象徴するのは仰いでみる天に及ぶものはない。

そこでこの天という言葉は、人間が体験的に感覚的に把握し、象徴した造化の意味に外(ほか)ならない。偉大なる創造変化の意味、これを段々進めて次第に人格的に把握致しまして、やがてこれを宇宙の極限、太極、これを天帝、上帝というように把握する。

本来は天というものは必ずしも西洋の宗教的思想のように擬人的に把握しないで、非常に思索的体験的に造化性というものを把握している。これは西洋文化と東洋文化とを表す一つの特徴を為すものです。そういう点では西洋は擬人的に思っておる。

だから天とうものは第一に何かというと、偉大な包容力を表しておる。無限の包容力を表しておる。その次は無限の変化性を表しておる。これに反するものは地でありまして、有限であり固定である。天はこれに反して無限であり創造、包容であり限りなき変化である。”

“ハイゼンベルグ(Werner Karl Heisenberg)。ドイツ南部ヴェルツブルグ生れ(一九〇一~一九七六)。理論物理学者。マトリックス力学及び不確定性原理を発見し、量子力学の確立に貢献。一九三二年、三十一歳のときノーベル物理学賞を受賞。インドの詩聖タゴールに東洋哲学を学び、その内容と量子力学の類似性に気づき、驚嘆したという逸話がある。”
“ウルマテリー【独】言物質”
男は、人の命も、地上のあらゆる生物の命も宇宙の生命の一部であると思っている。宇宙は無限の一つの生命体であると思っている。この宇宙は137億年前、10のマイナス43乗秒の時間、10のマイナス33乗センチメートルの大きさの所、つまり「無」からから始まった。人間を含むあらゆる生物の命は有限であり、しかも同根であるが、宇宙の営みは無限である。有限の生物は無限の宇宙の一部である。人は限りある人生を悲しむ必要はない、宇宙の営みにまかせて安心して正しく生き、そして死ねばよいと男は思っている。(続く)

2011年12月29日木曜日

『安岡正篤 易経講座』に学ぶ(2)(20111229)
 “人生の悟道、解脱の問題ばかりでなく、学問上に於いても仏教であろうと儒教であろうと、東洋の教学をやろうと思えばどうしてもこの易学をやらざるを得ない。新しいいろいろな研究家たちはこれを東洋文化に共通する民族的思考律とみている。もちろん後には陰陽五行(いんようごぎょう)という思想も入って来ます。この陰陽五行思想と易とは非常に結びついているのですが、易そのものは剛柔という考え方であります。”
 “孔子は「我に数年を加え五十にして以って易を学べば大過なかるべし」(述而第七)といい、特に晩年には易を学んで「韋編三たび絶つ」というほどに易に没入。彼の天命観に大きな影響を与えた。東洋に発達した人間学、政治学、兵学、医学、薬学、農学等の諸学の根底には等しく易の思想が流れているのである。”
 “先ず第一に易を学ぶ上で必要な心構えでありますが、それは小なる自我というものにとらわれず、活眼(かつがん)を開いて、この宇宙人生を通ずる大生命と申しますか、造化(ぞうか)の消息と申しますか、そういうものを達観(たっかん)する。つまり眼を大きく開いてこの大宇宙、造化のハタラキに心を傾けるという心構えが必要であります。
 これを解り易い用語で申せば天であります。我々は先ずこの偉大な天とうものに眼を向けなければならない。自己の運命をはやく知りたいとか当てたいとかいうような、そんな小さいことを考えてはいけない。
 しからば天とは何ぞやということになりますが、お話すれば天論だけでいくらでもやれるわけで、したがって、そういうことも、話を追ってごく掻摘(かいつ)まんでやるほかありません。まあ要するに現代の学問もこれを古代からの伝統的学問の基本用語で申せば、今日も変わらず天を研究しているといえるわけであります。
 天はこれを基本用語でいえば、マクロコミックの世界からミクロコミックの世界に至るまで無辺であります。今日、問題の理論物理学、電子の世界、素粒子の世界といったような世界はミクロコミックの研究をしているのであります。”
 老人は別のブログで「仏教と現代の自然観との連関」と題して「あの世」と「この世」の関連を探究している。若いころ『コスモスとアンチコスモス』(井筒俊彦著、岩波書店)を購入して走り読みしただけで書棚に入れたままになっている。聖武天皇は華厳の世界に魅了され東大寺大仏を建立された。東大寺を訪れたとき売られていた本も幾冊か所持しているが走り読みしただけである。この齢になってようやくそれらの本も良く読でみたいと思うようになった。
 人生とは不思議なものである。10歳だった老人に、33歳の死の間際まで人生の生き方を身をもって教えてくれた生母の実妹から電話があり、お見舞いを贈ろうと女房と横浜に出て、贈り物の送達手続きをすませた後、病院での診察待ちの間読もうと思って本を探しに書店に入り買った本がこの本である。老人は左大腿に異常を感じているので病院に行っておこう思っていた。「あの世」から生母がこの本を示してくれたのだと思う。  (続く)

2011年12月28日水曜日

『安岡正篤 易経講座』に学ぶ(1)(20111228)

 昭和33年、安岡正篤氏60歳のとき、多くの熱望に応えて語った待望の「易経」講話録、『安岡正篤 易経講座』を括弧(“”)で引用しながら学んで行くことにする。この本は、致知出版社から平成20年の第一刷が発行されている。老人は平成21年に発行された第二刷を昨日横浜の有鱗堂で購入し所有している。

 “易は面白いことに、日本では現代一般知識階級には最早(もはや)とんでもない古典的非科学的学問のように考えられているのですが戦後西洋では真剣に採り入れられて、しかもそれは自然科学、精神科学の方面から研究され、やがてそれが次第に哲学方面からも注意されるようになり、日本よりも却(かえ)って真摯(しんし)に追及されるようになったということであります。・・(中略)・・

 前にも申し上げましたトインビー教授はその歴史研究に於(お)いて、易の陰陽の原理を採り入れて新機軸を出したことを自ら告白しております。

 教授は過去の幾つかの歴史の興亡の後を調べて、それまでは識者に人類文明の歴史は暗いものである。没落史である。要するに西洋文明は黄昏(たそがれ)の状態にあると言われているけれども、教授に至っては、多くの点でこれに同調しつつ必ずしも黄昏ではない。人類の叡智(えいち)によればこの危機に打ち克つことが出来るという一条の活路を見出した。これが教授の新機軸であります。

 そしてその希望の曙光(しょこう)をもたらした所以(ゆえん)は、東洋の易哲学に負うところが多いのであります。”

 “*トインビー教授(Arnold Joseph Toynbee)、イギリスの歴史家(一八八九~一九七五)。主著『歴史の研究』で西欧の没落という危機意識を通じて現代世界を展望する独自の文明史観を展開。ほかに『試練に立つ文明』『世界と西欧』などがある。易の思想と通ずる日本神道にも注目して来日、晩年『日本の活路』を著し、「日本人が古神道を護持する限り、常に世界の先頭に立つであろう」と警告を発している。”

 老人はトインビーのこの言葉にはたと膝を叩いた。古神道は正に日本人の「体外遺伝子」の構造を規定する重要因子である。一方「体内遺伝子」はDNAそのものである。それは親から受け継いだものである。これは言うなればハードウエアのようなものである。
これに対して「体外遺伝子」とは、精神文化、伝統、風習、伝承されるもの、紙やハードディスクやCDなどのメディアに記録されたものであり、言うなればソフトウエアのようなものである。日本人個々がそのような「体内遺伝子」と「体外遺伝子」を持っているが、日本人の集合体である日本国家においても、日本人の気質・性格・知能・体格などを規定する「体内遺伝子」と、上述の「体外遺伝子」を持っている。これが日本という国の「国として性格」を作っており、日本という国の「国としての行動」を取らせているのである。                                 (続く)

2011年12月27日火曜日

易とは無限の中(20111227)

 これは『安岡正篤 易経講座』という本に出ている見出しの言葉である。この本は男が女房と一緒に入院中の叔母に見舞いの品を贈るため横浜に出たとき購入したものである。その叔母は老人の生母の妹にあたる。女房はその叔母には会ったことがないが、男はものごころついてから五度ほど会っている。最後は男が40代のとき出張で岐阜に行った帰りに会っている。それからもう30年も会っていない。その叔母が先月の初め、家の中で転倒して大腿骨骨折という大けがをし、手術を終え転院してリハビリ中であるという。

昨日突然その叔母が入院先の病院から男に電話をしてきた。その叔母は85歳、夜10時ころ洗面所で頭部に急に耐えられないほどの激痛が走り、寝室に戻ろうとして転倒して大腿骨を骨折し、その後意識をなくして救急車で病院に運びこまれ、気がつたら病院のベッドの上だったということである。叔母の夫である叔父も90近い高齢者である。年寄りの二人暮らしであったからその叔父は大変驚き、夜も10時過ぎのことであったので救急車を呼んだり、入院させたりで相当難儀したことであろうと男は想像する。男も女房と二人暮らし、いつどんなことが起きるかわからないが、緊急時にはお互い助け合わねばならぬ。

さて、男は帰りの電車の中でその本に読みふけった。中国では官吏登用の試験・科挙には「易経」も試験科目の一つであった。「易経」は政治の道、男が名づける「政道」を正しく歩む上で重要であったと思う。これは今の時代でも変わらないと思う。

そこで男はこれから「『安岡正篤 易経講座』に学ぶ」と題して、自分のブログに投稿して行こうと思う。そしてこれをフェイスブックにも毎日リンクして投稿して行こうと思う。以前は渡部昇一の『決定版 日本史』を引用しながら日本の政治・外交・防衛に関し自分の考え方を添えてブログとフェイスブクに投稿していたが、今度は政治・外交・防衛は一切触れず、ただ人生について、人の生き方について自分の考え方を添えて投稿して行こうと思う。またこれまでかならい長期間放置していたブログ「仏教と現代の自然観との連関」にも投稿して行こうと思う。

男は政治・外交・防衛について無関心ではいられないが、ブログの上では人生哲学、フェイスブックなどでは他の人の投稿に対するコメントとして政治・外交・防衛問題に触れて行こうと思う。  

2011年12月26日月曜日

福島原発で働いているある技術者の肉声(20111226)

これは、福島原発で働いているある技術者の肉声である。でいるだけ多くの方々に福島原発事故発生以来、現場で人知れず奮闘している方々の苦悩を是非分かち合って欲しいと思うから、ご本人のご了解を得て、名前を伏せてここに載せさせて頂くものである。

 “彼処には毎日二千〜三千名の方々が作業をしています。私なんか数日間のその中の一人に過ぎません。長期間連続には居られないのです。”

 “敷地内で最も線量が低いと思われる、ヘパフィルター換気された免震棟内でも20μSv/h程度は有ると思います。1時間の値ですから9ヶ月で129600μSv/h130mSv/h

吉田)所長さんがそこだけに居たとは考えられませんので、その数倍以上の被ばくをされておられるかと思います。明らかに白血球減少等が現れる数値です。内部被ばくも考慮すればどの位の値か想像するしかないです。半減期45億年のウラン138などが飛び散ってる状況では簡単に処理できる訳が無く、工程表の30年が実現するかは不明です。そんな方々のエンドレスな努力が続いている事を知っていただきたいと思います。

“放射線で飯食って30年以上、あの日の夕方、メルトダウンは避けられないと確信しました。600km離れて住んでいますが、家族をどう逃がそうか真剣に考えた。核分裂現象を少し勉強した者なら、どんな方法でも冷やす以外に方法が無い事くらいは解ります。

海水注入を躊躇したのは再使用の欲が東電にも政府にもあったからです。来月に再度、福島第一へ支援に行きます。数百mSv/h超の世界。何十Bqで心配されてる方々には理解不能な場所です。多分生きてる限り何十年かは毎年何回か行く事になると思います。

日本にはそう沢山は放射線作業従事者は居ませんから我々で何とかするしかない。致命的な事故が起き収束には程遠い現状で責任逃れなどしている暇は無いです。日本を終わらせる訳にはいきませんから。

 “国民が被災地や被災されて喰うに困ってる状況を想像し続けてくれるだけでも大きな力になると思います。今日もようやく復興した石巻の逸品「白謙蒲鉾」で一杯飲んでとっても幸せです。インフラは回復しています。温泉へ行くも良し、美味い物食って来るも良し、物見遊山で結構。行けば支援になりますよ。

自衛隊はじめ自治体の努力でかなり瓦礫は片付けましたが、その目で被災地の状況を一目見に行く事が最重要だと思います。テレビで見てもけして本質は判らない。4月に行った時はご遺体の検死作業を支援しました。爺ちゃん、婆ちゃんと乳飲み子ばかり。自衛隊の皆さんが大事に助け出した後の処理。警察もボランティアの我々も誰かがやらなければならない事を淡々とやったのみです。これが日本人の凄さだと実感いたしました。日本人しか出来ないと思います。また日本人なら必ず出来るとも思いました。

 “あくまで私如きの宣伝ではありません。今も日本の明日を背負って、損得抜き、私事を捨て頑張っている皆さんを忘れずに応援していただきたいと願うばかりです。宜しくお願いいたします。私達の業界は年寄り総動員です。他の職種の方々も同じ思いです。

 上記原子力発電関係技術者の肉声を聞いて男は涙が出た。感動した。だからご本人に断ってここにその一部を掲載するものである。

2011年12月25日日曜日

死支度(20111225)

 月日のたつのは真に早いものである。この世にいる間にやっておかなければならないことがあるのに、それに手をつけられないままにいたずらに時間のみが経過して行くという感じである。それでも男は女房と全く同じ考えで「日々是(死に)支度」をしているので、少しづつではあるがしなければならないと思っていることが進捗している。

 今年はわが家では大仕事があった。若いときであれば何でもないことであるが、齢を取ってからでは「やるぞ!」と思いきらなければ手がつかないものである。昨年はこの実質26世帯の7階建て小さなマンションの二度目の大修繕があった。今年は給水管の管の中の掃除と結合部の切除・交換の工事があった。わが家では一昨年浴室をTOTOの新式のものに交換し昨年はトイレをINAXの新式のものに交換したが、今年は自分たちで和室の障子を貼り替えし、業者に各部屋の建具の塗装と壁紙の張り替えをしてもらった。

 この建具の塗装と壁紙の張り替え工事が大仕事であった。家具の移動の為あらゆる不要不急のものを捨てることにした。大量の書籍類、衣類、食器などを廃棄した。不要な家具も二つ三つ棄てた。その一つは男が使っていたセミダブルのベッドであった。大型粗大ごみは所定の料金を払って引き取りに来てもらうが、その場所まで運び出さねばならない。その作業を初め近所の親しい方に頼んで手伝って貰おうかと考えたが、結局男と女房が二人でおこなった。お陰で家の中が非常にすっきりした。後で「あれ、棄ててしまったのか、取っておけばよかったな」と思う物もあったが、棄てるときは気合を入れて一気に棄ててしまったので、後の祭りである。

 おかげで家の中は非常にすっきりした。それでも寄付しようとまとめてあるクリーニング済みの衣類の包みや、5円、10円の小銭の硬貨を入れた大きな袋が残っている。衣類は何処其処のNPOのショップに持って行こう、硬貨は数えるのが面倒なので袋ごと郵便局に持ってゆこうなどと考えているうちにもう年の暮になってしまった。週明けにでも処分のための行動をしようと考えている。毎日忙しくなかなか時間が取れないでいるが、期日を決めて時間を作り行動すれば片付くものである。

 人の命は明日も知れず、諸行無常である。いつ死んでもよいように常に心がけておくことが大切である。ちょっと遠くに外出するときは、万一事故に遭って死んでも恥ずかしくないように下着は新しいものに取り換えておく。家の中はきちんと整理しておく。これらのことは昔から男も女房も常々心がけてきていることである。玄関のカギはワンセットづつ二人の息子たちに予め渡してある。

 男が完了させておかなければならない重要なことは三つある。一つはわが家の遠い先祖のことから説き起こした家伝書を完成させること、二つは先祖の祭祀の仕方を自分の代で確立しておくこと、三つは女房の人生記をまとめることである。これらは5、6年先に女房と二人で別府辺りの有料老人ホームに入居したあとでも続けられる作業であるが、ここ数年、中断していたので何が何でも再開しなければならない。

 女房もそうであるが「死に支度」をするということは楽しいものである。それができる境遇にあるということは大変幸せなことである。世の中にはいろいろ問題を抱えそれどころではないという人たちが多いだろう。しかし、ものごとにこだわらなければ、また自分から進んで後で煩うようなことをしなければ、そして自分の周りから要らぬ物、急がぬ物を削いで削いで削ぎまくれば、大変気が楽になるものである。良寛さんは「欲なければ一切足り、求むるあれば万事窮す」と詠っている。まさにそのとおりだと思う。

2011年12月24日土曜日

福島原発事故の検証 (20111224)

 日本テレビで『1000年後に残したい映像2011 原発が吹っ飛んだ! 怒号と絶望の総理官邸「撤退はあり得ない」 誰も知らない決断の裏 総理が語る緊迫の真実 実録ドラマ再現』という長いタイトルの放送があった。

 先ず、この映像は何を狙っているか? 男は「これは官邸の機密費が使われたな、日本テレビのある誰か官邸の息のかかった者に仲介させてこのような映像が作られたのだな」と思った。タイトルから明らかなのは、福島原発の燃料棒メルトダウン後のことが語られているということである。これを見た国民の多くは、「菅さん以下閣僚は一生懸命に精一杯努力したのだな、大変だったな」と、当時の政府の対処について理解を示すに違いない。それがこの番組制作の意図だろうと男は思った。

 問題は爆発事故発生以前の菅首相以下政府の対応である。この映像では福島原発の水素爆発に至る直前から後のことが語られているが、それ以前までのことが最も重要ではないのか?つまり初動対処である。初動対処が上手く行けば事故は未然に防げたはずである。この映像を見た国民は、日本人の国民性にもよるのだろうが、「菅さんは大変だったね」という同情はするだろうが、事故を未然に防ぐための冷徹な分析には深い関心を示さない。そこがこの番組の狙いであったと男は思う。

 国会に原発事故調査委員会が設置され、調査が行われているようであるが、調査に携わる方々は、「初動はどうあるべきだったか」という視点で、当事者のみならず原子力関係者は勿論のこと、識見のある自衛官や自衛官OB、アメリカやヨーロッパの原子力専門家などにも意見を求めるべきである。特に軍関係者や欧米人は普通の日本人とは別の見方・考え方ができると思う。彼らの知恵を借りるべきである。「東京電力福島原子力発電所事故調査委員会法」という法律が去る107日に法律第112号として制定されているが、これには上記のような視点での調査について何も触れていない。

この法律には事故の防止について提言をさせると書かれている。男は思考パターンが違う人たちの意見も聞いて立派な提言をまとめて欲しいと思う。原子力発電を所掌する行政組織のあり方や万一事故発生後の被害局限についての提言は勿論重要であるが、この法律の文言に「初動対処」の言葉が見えないのは気になる。これも日本人の国民性によるものかもしれない。困ったものである、これも今の日本が軍隊というものを保有していないため軍関係者の考え方が政府の意識に反映されないからだろう、と男は嘆いている。


2011年12月23日金曜日

メーリングリスト(20111223)

 男は13年前、ある「オンライン学級」というメーリングリストに参加していた。オフミーティングなどもあって、丁度これからインターネット時代に入ろうとする時期にネチケットなどいろいろ学んだことがあった。そのとき交換したメール情報などをある世話役の方がメディアに収録して配ってくれたことがあった。

 男は定年退職後「健康生きがいづくりアドバイザー」の通信講習を受け、最後に富士吉田のある施設で行われた二泊三日の集中合宿講義を受けてそのアドバイザーの認定証を貰った。認定証を貰うまで講習費だけで確か8万円払い込んだと思う。さらに認定証を三年間有効とするため3万円払ったと思う。その資格で何かしたかというと、実は何もしなかった。集いに二度ほど参加したことがあったが、現役時代の雰囲気をそのまま持ち込んだような人もいて、不愉快になったのでその後は会費も払っていない。

ただ、そのとき知り合った方々の中に非常に印象に残った方々が何人かいらっしゃる。講習卒業生の会を立ち上げることになって今でもその会の名称は生きており、会長も幹事もいる。男が率先して誰それを会長に、誰それを幹事にと推薦して決まった。その幹事の方とは今でもツイッターなどで連絡を取り合っている。彼は福島の人で原発事故の被害に遭い、会津で避難生活を余儀なくされている。

前置きが長くなったが、男はこの健康生きがいづくりアドバイザーの会で立ち上げているメーリングリストでも、メーリングリストがどんなものであるか、何に気を付けなければならないかなど、経験している。

このたび男は縁あって、男がかつて航空自衛隊に勤務していたころの同じ釜の飯を食った仲間が立ち上げているメーリングリストに誘われてこれに参加した。そのメーリングリストには男が50年ほど前出会った懐かしい方々が参加している。男の意識の中では、その方々の往時の姿が浮かんできて現在の様子は「自分同様齢相応に老けこんでいることだろう」というぐらいしか分からない。が、往時のことがいろいろ思い出されて、あのときの自分はああだったが、未熟であった当時の自分のことを今あの方々はどう思っていることだろうか、などと多少気にはなっている。

幹部候補生学校の同期であった往時の同僚とは年に一度の賀状で連絡を取り合っているほか、10年ぐらい前彼の郷里の京都で会ったり、女房同士がたまに電話で連絡を取り合ったりしている。その彼から直ぐ(男のメーリングリストの参加を)「待っていた」とメールが来た。男は女房にそのことを話した。「そう?それは良かったわね」と喜んでくれた。

ともあれ、男はインターネットを大いに楽しんでいる。昨日は勝ったばかりのスマートフォンで自分の吟詠のブログにアクセスし、自分の吟声を確かめた。天草の人から送られてきた大漁焼き煎餅を茶菓子にして熱い知覧茶を飲みながら、男は「あと45年もしたら別府の田舎の有料老人ホームに入ろう。あそこはタクシーで直ぐ街に出られるし、ホームの風呂だけではなく気楽に銭湯にもゆける。空気は綺麗だし、風景も良い。iPadとスマートフォンさえあれば、何処だって電波の届くところでインターネットができる」と話したら、女房は賛意を示しながら「子どもたちには迷惑をかけたくないわね」と言った。

男のある年長の友人はお子さんが居ないが、今年の4月急に奥様を亡くし未だに立ち上がれないでいる。奥様の物や想い出のあるものなどの整理に取り掛かっているが、家の中が散らかるばかりだ、近所のかたもあれこれ心配してくれるが、それがかえって重荷になっている」と言っていた。ちなみにその方はある企業の電気通信技術者として、奥様とご一緒に中東の国などに長く滞在して仕事をしていた方である。

男は上司だった方のお宅を訪れ、その方と何年かぶりに会った。その時その元上司は「家の財産は全部女房の名義にしたよ、もし女房が先に死んだときは自分は何でもやれるが、自分が先に死んだら女房はただおろおろするばかりで何も出来ないろうから」と言っていた。男はこの先輩の話を聞いて、早速家の財産は全部女房の名義にするよう手続きにとりかかろうと思っている。

メーリングリストには男と同年輩の方々が多数加入している。元気だった誰それが急に入院したとか、がんの手術で入院したが一応緩解で5年間再発しなければOKだとか、そんな話を共有している。男と女房は早い時期から「死に支度」をすすめているが、まだまだ大丈夫と思ってる人は多かろう。男はメーリングリストの仲間に「死に支度」の話をしようかと思う。縁起でもないかな?

2011年12月22日木曜日

スマートフォン(20111222)

 男はヤマダ電機という大型家電量販店には、実は宛名ラベルの印刷用紙を買いに行ったのであるが、この店に来る度に立ち寄っていたスマートフォンのコーナーにまた立ち寄ってしまった。男のこころの片隅に今流行りのスマートフォンとやらを手にいれたいという願望があった。

 お昼前というのにここに来る前、おやつに女房が作ってくれた田舎から昨日送られてきた杵つき餅入りのお汁粉を頂いていたので、はらは空かない。女房は女房で自分が何年もかけて撮った花の写真のカレンダーをあちこち送ったり、田舎から送られて来た餅などを息子たちのおすそ分けして送ってやる準備をしたりで忙しくしている。かねがね女房は男に「お父さんもスマートフォンを買ったら」と勧めてくれていたこともあったので、「よし、買おうか」という気になって、展示してある沢山ある機種の中からauの機種を手にし、自分のブログやフェイスブックをパスワードを入力してページを開いてみた。詩吟の吟詠もちゃんと自分の吟詠の音声が聞こえてくる。男と女房はauを好んでいる。

 別の客に応対していた売り子の女性に「後でこちらに来て下さい」と言って、プライバシーを守るため手にしていた機種の開いたページの履歴を消すためあれこれタッチしたりしているうちに、件の売り子の女性が来た。シャープやソニーの機種を調べ、ソニー製のものに決めていた。しかしシャープの方が月間経費も安いのでそれに変えようと思い、展示棚に戻った。そこで目についたのが今日買ってしまった富士通のARROWS Z 1SW11Fという最新の機種である。女房はかねがねどうせ買うならばそのときの一番良いものを買うようにと老人に口酸っぱく言ってきて、これまでそうしてきて、コンピュータや携帯電話にはかなりの金をつぎ込んできた。

 この機種は女房が持っているiPadを外に持ち歩くとき非常に便利である。というのは、この機種だとBluetoothという無線機能がついていて、このスマートフォンさえあればiPad用の無線装置を持ち歩かなくても良いということである。「ことである」というのは、男はまだこの機種のことを良く知らず、売り子の言っていることをそのまま受けているだけであるからである。しかしこの機種は実に良さそうだ。

 男と女房は暮には田舎の家に帰り、10日間近く其処に滞在する。田舎の家は幹線道路からちょっと引っ込んだところにあり、幹線道路沿いに引かれているADSLの恩恵を受けていて、中継局も近いため100Mbpsという高速ブロードバンドのインターネットができるようにしている。パソコンも一台置いている。パソコンがないとiPadやこのBluetooth付きスマートフォンだけでは、吟詠の吹き込みができないなどあって不便である。贅沢だが吟詠も投稿しているし、ブログ記事も沢山書いているし、ときどきはサンディエゴの友と話すためSkypeも使っているので、どうしてもパソコンが必要である。女房はiPadをかなり自由自在に使いこなせるようになったし、今年の年末年始の期間は田舎に居ても都会にいるのとは変わらないほど情報にアクセスできる。それがまた楽しみである。

2011年12月21日水曜日

国家観における原則(2011221)

 昨日に打って変わって難しい題名をつけた。昨日は多少羽目を外したが今日は大まじめで天下国家のことを論じようと思う。

 論じると言っても別に論文を書こうというのではない。折しも北朝鮮の金正日総書記が死んでテレビや新聞で識者があれこれ意見を述べている。老人は天下国家を動かす立場にある人間は識者の言うことにいちいち振り合わされない方が良いと思っている。彼のアメリカ初代大統領エイブラハム・リンカーンは聖書しか読んでいなかったというではないか。天下国家を動かすには余計な情報は要らぬと老人は思っている。

 老人はこれまで何年間かにわたりいろいろ思索してきた結果、天下国家を動かすには次の幾つかの原則をしっかりとわきまえておればよいと思っている。但しこれから思いつくままに書きならべることは、絵画でいえばまだデッサンの段階のものである。今後これをより完全なものへと仕上げて行かなければならないものである。なお、天下国家といってもあくまで日本国のことだけについて考えるものである。

国家の遺伝子には二つの種類がある。一つは国民の大勢が持っているDNAの集合体、もう一つは歴史・伝統・文化など独特な要素である。前者は生物学的な要素の集合の概念、後者は社会学的な要素の集合の概念である。前者を「国体内遺伝子」、後者を「国体外遺伝子」と、とりあえず仮称しておく。人間もDNA以外に生後の環境で身につける情報をもち、後者を「体外遺伝子」と名付けている学者もいる。人間の集合である国家も同様に考えるのである。

国体内遺伝子は外国からの流入者が増えると、日本人が本来持っている特殊な遺伝子が混血により薄められる。古代、天皇や貴族が近親婚も含めて血を大事にしていたが、それは良い子孫を残すための手段であっと言える。もし日本に大量の外国人の血が入ると本来日本人が持っている良い血は薄められてしまうだろう。日本人にはシナ人や朝鮮人にはない特殊なDNAがかなり大きなパーセンテージを占めている。

国体外遺伝子は常に補強しないと壊れてしまう。皇国史観の教育とか、教育勅語の復活は戦後壊れてしまっている国体外遺伝子の再生に非常に有効である。

万世一系の男系天皇の血統の維持は日本にとって非常に価値が高く、非常に重要なことである。女系天皇はもってのほかである。けっしてこれを許してはならない。

天皇と国旗と国歌は日本人にとって「自分たち日本人とは何者であるか」という自問に明快に答える「セルフ(自己)」そのものである。このセルフを失えば日本人は最早日本人ではなくなり、何処かの国の属州にすむ流浪の民のようになってしまうだろう。

人に性格があるように、国家にも性格というものがある。人の性格は変わらないが人の行動は快感が得られる方向、利益が得られる方向に動く。同様に国家の性格も変わることはないが、その行動は国際的利害関係で一時的に変わる。

日本と中国や韓国・北朝鮮のそれぞれの「国としての性格」は違っている。その違いには国同士仲良くなれない致命的なものがある。東アジア共同体のような同じ屋根の下では決して上手く行かず、日本は大きな不利益を被ること必定である。

国を動かすに「政道」と「商道」がある。両者は車の両輪のようなものである。但し、車の進行方向を決めるのは「政道」の輪の回転と「商道」の輪の停止で決まる。

「政道」の上述のような特性は「武」を背景にしないと発揮できない。「武」とは「武力」と「武士道」を総合した概念である。

「武士道」の構成要素に神道と仏教と江戸時代発達した日本独自の漢学の精神がある。

「政道」は歴史がその行く先を照らす。特に近現代史は大き灯である。

「商道」は経済・文化交流、相互理解の道である。

武力は抑止力でなければならぬ。日米同盟強化と核武装或いは核ボタンの日米共同管理によりその抑止力を強化しなければならない。

その他古今言われ、諺にもなっている次の事項を行う。

ア 遠交近攻・・アメリカ、台湾、東南アジア諸国、インドなどと交わりを深める。

イ 攻撃は最大の防御・・一朝有事の際は先制攻撃、その打撃力を保持する。

2011年12月20日火曜日

幾つになっても恋(20111220)

 陶芸の仲間の忘年会があった。老人は74歳最年長である。次が3歳下、その次が4歳下、60歳代の男性、50歳代がなくて40歳代の女性、30歳代の女性、計14名の忘年会であった。40歳代の女性たちの中には皆が敬愛する東京芸大出の陶芸の先生がいる。彼女は主婦でまだ子育て中である。

 横浜は元町のある居酒屋は何処か鮮魚市場と関係があるらしい名前の店である。其処は予約が出来ないので幹事が早めに其処に行き、店の人と交渉して安い値段で普通並みの料理が出る仕組みになっている。この店は春の桜の時期に利用して以来今度で二度目である。

 夜6時過ぎには全員そろってわいわいがやがや皆忘年会を楽しんだ。その賑やかな中で老人は恋の話を持ち出した。恋には三種類あるというのが老人の主張である。皆74歳の年寄りが話すので興味を持った。三種類の恋とは、一つは不倫の恋、二つ目は遊びの恋、三つ目は意識の中の恋である。男も女も幾つになってもお互い異性が好きでなければならない。宇野千代を知っているだろう? 彼女は恋心を失わなかったから年齢よりも若く見えたのだというのが老人の主張である。そして「私は女性が大好きだよ。ここにいる女性の皆さんも皆魅力的で美人だ」と言ったら「Aさん(老人のこと)は絶対74歳には見えない。まだ65歳ぐらいだと思ってたわ」と上手を言ってくれた。

 確かに老人は10歳ぐらい若く見える。実際は体の各部で老化が進んでいて、年齢相応であるのだが、見た目には若く見える。考え方も若い。正直言って74歳になっても女が好きである。勿論皺くちゃのばあさんは別である。概ね50歳代以下20歳以上の女性が好きである。好きであるからといって女性たちからいやらしく思われるような、例えば女性を見る視線とかに気をつけている。それでも無意識に胸元に目が行ってしまうことがある。

 おそらく若さの秘訣は性欲にあると思う。性欲をなくしたら男でも女でもなくなってしまうだろう。所詮人間といえども所詮生物である。動物と違うのは脳が発達していて社会生活の中で一定の規範を身に付け、動物的行動に出ないだけである。しかし世間には善悪の判断もできず動物的行為に出て事件を起こし、新聞だねになっている人間も多い。

 不倫の恋は必ず何かの不幸を招く。自制出来ない男や女は不倫のため不幸になる。一時的に幸福感に満たされるかもしれないが、時間を経るにつれて初めの頃のときめきは薄れ、余計なあれこれを考え、思い患い、結局不幸になる。男または女の一方が理性的でないと石川さゆりの「天城越え」ではないが、とことん行くところまで行って結局満たされない状況になること必定である。

 遊びの恋は後腐れがない。ただ、それは伴侶にあからさまにして遊ぶならば伴侶も決していい顔をすることができない。遊びの恋は伴侶に見えないところで、なんとか言いわけしながら行うべきものである。伴侶は人生を生きる上でのベターハーフである。お互いなくてはならない存在であるべきものである。その一方で後腐れの無い遊びをできるというのはある意味で幸せなことである。ただしそれは男にとってである。女は娼婦・芸者以外にそのような後腐れがない遊びは出来ないものであろう。最後に意識の中の恋人は、たとえ一緒に住むと必ず不幸になる存在である。決して一線を超えてはならない存在である。

 「一線を超えてはならないのだ」と言ったら女性たちは「ああ、一線ね」と納得した風であった。こうして74歳、最年長の老人は忘年会を一層楽しくしたと自己満足である。2次会で台湾の女性が働いている店に行った。其処で幹事が持ち込んだ携帯カラオケ装置により一層盛り上がり、大変楽しい忘年会となった。帰り際、店の台湾人女性に「チャーミングだよ」と言ったら嬉しそうだった。実際チャーミングな女性であった。

この陶芸グループの会は老人がこれまで経験したことがない独特の雰囲気がある。一口で言えば知的なグループの会であると言える。老人はこのグループの中であと4、5年は続けられるだろう。多分、老人は見た目が実年齢どおりになるだろう。そうなると高齢ゆえに陶芸に通うのは億劫になっていくかもしれない。

2011年12月19日月曜日

詩吟のテキスト(20111219)

 詩吟サークルで使う来年の詩吟テキストを作っている。原稿はほぼ完成した。詩吟のサークルは10年ほど前からやっていてメンバーは男性1名、他は女性ばかりで常連は6、7名である。月2回、第2、第4土曜日の夜6時からが定例となっている。会場は東京の目黒区のある住区センターで、このサークルは目黒区の地域活動団体である。

 文字通り、詩吟の流派に無関係の「詩吟を楽しむ会」である。流派に無関係といても折角詩吟を勉強し、どの程度腕が上がったかを示す尺度とするため、23年前ある詩吟の流派の先生を招へいして吟詠の審査会を行い、認定証を発行したことがあった。詩吟の流派の会では「許証」と言って、一定のお金をとって免状を授与するが、この会ではそのような重々しい手続きはなしのしがらみがない会である。認定証もパソコンで手作りのものである。皆の吟詠のレベルが上がったので、審査会の開催と認定証発行をまた再開しようかと考えているところである。
 
 来年のテキストの内容は皆の希望で吟題を決定することにした。皆がそれぞれ自分が詠いたい吟題を報告してきた。皆がそれぞれ希望した吟題を含め、来年は以下の吟題で詩吟を楽しむことにした。これまでもそうであったが、月々の吟題の吟詠はブログに投稿して公開している。会員以外誰がその吟詠を聴いてくれているのか分からないが公開している吟詠に対するアクセスは毎日結構多い。アクセスが多いから余り下手な吟詠は出せない。
 
 さて、皆が希望している吟題を含め来年は次の吟題を勉強することにした。吟題の詩には短歌や今様も入るものもあり、詩文解釈のみならずその詩の作者や詩にまつわる歴史的なことなども合わせて勉強するので勉強する中身は結構濃い。詩吟を教えながら自分自身も勉強し、この齢になっても自分自身の成長の喜びがある。会員たちが毎回集うことを楽しみにしてくれているので一層張り切って準備し、教えている。

(新体詩)   春まだ浅く ・・・・・・・・・・・石川啄木
(新体詩)   雨ニモ負ケズ・ ・・・・・・・・・宮沢賢治
(七言絶句)  桜詩に遊ぶ(短歌入り)・・・・・・広瀬淡窓
(五言七言絶句)易水送別 ・・・・・・・・・・・・駱 賓王
(律詩)    静御前(短歌入り)・・・・・・・・頼 山陽
(新体詩)   野の仏 ・・・・・・・・・・・・・福田蓼汀
(和歌)    箱根路を ・・・・・・・・・・・・源 実朝
(俳句)    古池や ・・・・・・・・・・・・・芭 蕉
(七言絶句)  九月十日(短歌入り) ・・・・・・菅原道真
(短歌)    ゆく秋の ・・・・・・・・・・・・佐々木信綱
(新体詩)   旧都の月(短歌と今様入り) ・・・角光嘯堂
(短歌)    天の原 ・・・・・・・・・・・・・阿部仲麻呂
(七言絶句)  山 行 ・・・・・・・・・・・・・杜 牧
(七言絶句)  山中問答 ・・・・・・・・・・・・李 白
(七言絶句)  半 夜 ・・・・・・・・・・・・・良 寛

2011年12月18日日曜日

女房が作ったカレンダー(2011218)

 このレンダーは女房が10年ぐらい前から撮り続けた花や風景の写真を使った月めくりカレンダーである。花の写真の選択とか構成などは女房が行い、コピー用原稿の製作は私が行ったものである。A4サイズ横置きのワード入力画面に挿入した月々の花の写真の下は同じA4サイズのその月の暦が続く。月をめくると次の月の花、その下にその月の暦、という具合である。暦はインターネットから無料でダウンロードしたものである。

 花は桜やツツジなど木の花でなく草の花である。ただ2月だけは蝋梅である。1月は牡丹で写真の下に「1月 牡丹(2009年 鎌倉・八幡宮)」という風に名前を入れてある。表紙は女房が「○○(女房の名前)の花ごよみ」と名付けた。それはウインドウズに付属のアプリケーションであるワードアートを使った。下地の写真はだいだい色のあでやかな形をしたチューリップが一面に咲き乱れている畑の写真である。どの写真も非常によく撮れていてプロ級の写真のようである。

 表紙の裏にちょっとあでやかな模様の菖蒲の花を接写したもので花弁に露があり新鮮な感じの写真を配置してある。その下に同じA4サイズで女房が書いた挨拶文がある。これは女房の手書き原稿を元に私がワードで作成した。挨拶文は「私は今春おかげさまで、古希を迎えることができました」という書き出しで、二人の息子たち、嫁たち、また夫である私への感謝の言葉などが述べられている。そして「さて、二人の息子たちがそれぞれ大学を卒業し、それぞれ就職し、我が家から巣立って行ったとき、私の責任も大分終ったと思いました。そして、これからの自分の人生をどのように過ごすべきか、と考えました」という書き出しで、子育てがようやく終わった後の女房の生きざまが述べられている。

 裏表紙には、初め女房は反対していたが、「風景・自然」というタイトルで皇居東御苑の秋の風景を中心に私と女房ツーショットの小さな写真を配置した。一番古いのは13年前、沖縄九島巡りの旅で照国島のサンゴの砂浜に裸足で立っているものである。

 厚手A3サイズの用紙に裏表両面コピーして中とじのカレンダーをつくるため、原稿をこちらが用意してコピー専門の業者を訪ねてカレンダー製作を依頼した。女房と二人でその作業現場にいて、裏表の配置が間違わないようにコピーを確認しながら作業を行った。時間が遅かったので今日はとりあえずコピーのみ終え、製本作業は週明け行う。これは業者に任せた。10部作成を依頼したので数万円はかかるだろう。

 実は花のカレンダーを作りたいというのは女房の数年来の願望であった。良い写真が集まらなかったため、今年までその実現は延び延びになっていた。今年女房も古希を迎えたのがきっかけで立派な手作りカレンダーを作成することができた。カレンダーは息子たちや親戚・弟妹に配るほか、女房の友達に配られる。わが家には原稿をそのまま貼り合わせたものを残す。写真は原稿の方がコピーのものよりずっと綺麗である。

 私もこれまで長年連れ添ってきた女房への感謝の気持ちをこめて、一生懸命、できるだけ丁寧に原稿を仕上げた。私とそう年齢は離れていないように見えるそのコピー業者も、親切に真心をこめて仕事を進めてくれた。奇しくも18日は私の生母の命日である。