2019年2月16日土曜日

20190216晩年の記(その三)・・・“時空を超える意識はある”・・・



 誰某の夫であるその男は都内のある有名大学病院のPET検査待合室である不思議な老人に出会った。その老人はその男に話しかけて来た。その老人(彼)はその男が自分より若いと思い、その男を励ましてやろうと思ったのかもしれない。その男が自分よりかなり年上だと知った彼はその男のことを「兄さん」と呼んで自分の身上や現状のことを語り始めた。彼は過去に離婚していて、今自分に付き添って来ている女性が二番目の妻であると言う。

 彼は自分の首の所にできたがんが元で肋骨や骨盤などに骨肉腫が出来、手術と抗がん剤で元気を取り戻したと言う。彼の両膝は彼が子供の頃の強いられていた労働の苦労で傷めたことが原因で、彼の両足の膝関節は人工関節に置き換えられている。彼は歩行には支障が無いが、階段を降りるときは恐怖感があるという。肋骨も一本切除されていて、呼吸するとき胸から膨らみが出るので、公衆浴場に行くと浴室に居る他の利用客から不思議がられるそうである。

彼は主治医の指示により半年に一回PET検査を受けていて、腫瘍の状態を診てもらっているそうである。彼はその大学病院をべた褒めしていた。彼は子供時代に大変な苦労があったからだと思われるが、彼はがんに負けず生きたいと強く願望して来たそうある。別れる時彼はその男の両手を握りしめ「お兄さん頑張って下さい」と励まし、傍にいた誰某の手も握って「頑張って下さい」と励ましてその待合室から去って行った。これは「不思議な偶然」なのか、「人智を越えた必然」なのか?

その男のPET検査結果、その男の骨盤右側・右大腿骨基部・右膝・左右両足首などに多発性の骨転移があることが判った。その状況は先ほどの老人と同じである。ただその老人の場合は多発性骨転移の元になる腫瘍の場所が特定されているが、その男の場合はその場所が骨自身なのか他の臓器なのか全く判っていない。それを特定するためにはCTMRIなどによる更なる検査が必要である。

その男は81歳と言う高齢なので主治医は「抗がん剤治療は負担が大きすぎる」と言う。その男は「そのようであれば抗がん剤治療はせず、緩和ケアを自宅でもできるようにしたい」と主治医に申し出て、初期段階の緩和ケア用の頓服薬を処方してもらった。その一方でその男は専門医によるPET画像の解析と先日採った膝関節大腿骨頂部などに出来た骨腫瘍の組織の検査結果などを待って、遺伝子操作による治療を含む治療方針を決めてもらうつもりである。

ただその男は全額私費負担が必要な高度治療まで受けるつもりは全く無い。その老人がべた褒めしたその大学病院だけでなく、主治医に相談して多発性骨肉腫について知見・経験が豊富な他の医療機関への転院も視野に入れている。まだ悪性腫瘍であるという結論は出ていないがあくまで悪性腫瘍と戦うつもりである。その男は家の中では誰某の支えを得て車椅子と松葉杖による起居をしているが、病床が空き次第その大学病院に入院できるので、誰某の労苦も大幅に軽減されることだろう。その男はこれまで自分に連れ添って来た誰某が「きっと遠い先祖の意識によりその男に生涯献身的に尽くすように運命づけられている女性」であるとの確信を一層深めている。


2019年2月4日月曜日

20190204晩年の記(その二)



 その「誰某」とは遠くない未来に他界する男の女房のことである。「誰某」はその男と結婚以来、その男との間で必ずしも平穏な状態だけでは無かったが、常に真心をもってその男に尽くし続けて来た。それはあたかも前世からそういう約束になっているかのようであった。その男は折に触れ「誰某」に「其方は、例えれば純白・無垢の和紙のようだ。私はその上に点々と薄墨を散らしたようなものだ」と語っている。

 その男の遠い先祖は奥州にあった藤原氏の荘園を管理する役目を与えられて奥州黒河に赴任した。その働きが良かったに違いなく、その息子は朝廷の実務官僚として出世し、民部大輔の位まで昇りつめ、その子孫も職名は代々変わっているがそれぞれ高位の実務官僚を務めていた。

 平安時代の末期、その男の先祖は何かの事情で九州に下向し、豊後高田庄に居住し、其処で病死した。その子供が「誰某」の先祖の地の葛木村某の家に世話になった。「葛木村」がキーワードである。

「誰某」は3歳のとき、大阪で父親と死別し、母親に連れられて実家である葛木村の某家に戻り、其処で父親の名字のまま、大家族であったその家の末娘のように可愛がられて幼児期・少女期を過ごした。その大家族の家は「葛木村」の神社の近くにある。「誰某」は子供の頃その神社で毎年夏行われる盆踊り大会のとき、踊りの列の中で大人に混じって踊っていた。当時子供であったその男は神社の境内で踊っている「誰某」を無意識に見初めていたのかもしれない。

 「誰某」が小学生のとき終戦直後のことで同級生たちの中には制服を持たない者が多かった。そのクラスメイトが写っている一枚の集合写真がある。「誰某」は制服を着て白いネクタイをし、同級生たちの最前列の中央で写真に写っている。その部分を切り抜いて拡大してみると、「誰某」はその時から既に、その男に生涯を捧げて尽くすことが決まっているかのような顔つきをしている。

 人生には人智を越えた不思議なことが起きる。それを「不思議」と単純に思うことも、「不思議ではない」と思うこともできる。その人の受け取り方次第である。歴史学者ユヴァル・ノア・ハラリ(Yuval Noah Harari)は「フィクション」だと言うが、仏教の教理を一概に「フィクション」だと決めつけられないところがある。仏教で説く「因縁」は真に不思議である。

 その男は「因縁」で病を得、「因縁」でその病を克服する機会を得ている。その男は「誰某」に約束した。「病気は必ず治る。これが平癒したら、私は其方のこれまでの私に対する献身に報いるため、200倍・300倍にしてお返しする」と。「誰某」もそのことを確信し、期待している。入院すれば「誰某」も暫く息抜きができるだろう。毎日のように遠くからその男の見舞いに訪れて来ても。