2013年9月29日日曜日

「意識」と「仏教」(10)――アメリカは日本のため何を為すべきか――

ヒト(人間)の遺伝子が解明された結果、個々のヒトの性格やものの考え方や態度などは遺伝子に書かれている情報に基づいていることが明らかになってきた。衝動的な行動や攻撃的な行動をとる人はMAOA(モノアミン酸化酵素A)というタンパク質をつくる遺伝子に異常があるためこのMAOAという遺伝子を全くつくることができない。この結果衝動的・攻撃的な性格を持つ人が現れる。このような人、特に男性には男性ホルモンやアドレナリンが多く分泌されている(参考:『Newton別冊「知りたい!遺伝の仕組み」』。

一組の親から生まれた子供は父親と母親の遺伝子を半分ずつ受け継ぐ。仮に一組の父母から子供が二人生まれ、25年でその子供たちが別の父母の子供と結婚してそれぞれ二人の子供を産み、25年後にその子供たちがまたそれぞれ二人の子供を産むとすると、1000年後には最初の父母の子孫は1兆人となる。逆に今生きる人の先祖は1兆人いる計算になる。実際は先祖は重複し合うので、今生きる人は他人といえども皆先祖を遡れば同じ母親から生まれたはらから(同胞)ということになる。先祖の中にMAOAの異常がある人の割合が多い集団の属する人びとの中には衝撃的な行動や攻撃的な行動をとる人や短絡・激情的な行動にでる反社会的な人の割合が他の集団に属する人々に比べて多いということになる。

勿論性格に基づく行動はその人が受けてきた教育や社会全体の文化に左右されるだろう。たとえMAOAに異常がある遺伝子をもっている人がすべて衝動的・攻撃的な性格の持ち主であるというわけではないだろう。人の「性格」は生涯変わることはない。しかしその人の「行動」は周囲の「環境」や「刺激」に左右される。MAOAに異常がある遺伝子を持つ人が表面的には柔和で自制的であっても、その人がある特別な「環境」に置かれ、特別な「刺激」を受けた場合、その人は豹変し突然衝撃的になり攻撃的になるだろう。

仏教では人の霊魂は永遠に六道で輪廻転生すると説いている。他者をいじめ・苦しめ・故意に人を殺すという人は次の世において畜生に生まれることになる。畜生に生まれなくてもその上の餓鬼や更にその上の地獄の世界に生まれるだろう。生物化学兵器や大量破壊兵器を作った人やそれらを使った人は、その行為の状況や関与の仕方などの違いに応じて、次の世では地獄・餓鬼・畜生の各界の何れかに生まれて苦しみもがくことになる。

他者を見下し他者が自分と同じ考え方をすることが正義であると考え、他者が法のもとで冷静に問題の解決をしようと提案してもそれを拒否する人が多い集団に属する人々は次の世において修羅界に生まれる人が多いだろう。そのような人々が多く住んでいる国は代々遺伝子を受け継いでゆくため、国としての「性格」は変わることはない。

古来中華思想を堅持し続け、自らを「中華」の国と呼ぶシナ(中国)や中華思想のもと朝貢・冊封意識から脱することができない朝鮮(韓国・北朝鮮)は「上から目線」でしか日本を見ることができない。これらの国々の「性格」は古来少しも変わっていない。日本には聖徳太子の昔からそういういう国々に対峙してきた歴史がある。

大日本帝国軍人たちは仏教と武士道の精神を実践し、日本の自存自衛と大東亜の解放の大義のため、自らの命を捧げて戦った。東京裁判の結果、日本は侵略戦争を行ったとされ東條元首相以下七人は無実の罪をかぶって処刑された。「その裁判は誤りであった」と後に裁判の関係者が証言した。日本は欧米諸国が行ったような侵略を決してしていなかった。シナ(中国)や朝鮮(韓国・北朝鮮)は自分たちが「戦勝国」であると主張している。

日本に二発の原子爆弾を落とし瞬時に十数万人の命を奪い、木造住宅地に無差別に雨のように焼夷弾をばらまき何十万人という人々を焼死させたアメリカは日本を誤解していた。今、アメリカは日本に対して率直に過ちを認め、その代償として日本が東アジアで置かれている立場を改善するため最大の努力を惜しむべきではない。

これまで多くの日本国民は間違った教育を受けてきた。その理由の一つに日本の国旗と国歌を拒否する日本教職員組合(日教組)の活動があった。しかしその種を蒔いたのは他でもなく日本を誤解して日本の精神の徹底的破壊を試みたアメリカであった。

戦後の日本人の「意識」は一時的・表面的なものであった。その深層において日本人は万世一系の天皇を戴き悠久の文化に培われた日本人本来の「意識」があった。中世の足利義満のように国家観が乏しく私利私欲的な政治家たちが表舞台に現れて、日本はシナ(中国)・韓国を仲間に入れる「東アジア共同体」を目指したが彼らの夢は叶わなかった。日本は最早シナ(中国)や朝鮮(韓国・北朝鮮)と同じ屋根の下、EUのように政治統合を目指す経済共同体で暮らそうとは決して思わなくなった。そういうことを理想にしたかつての民主党の政治家たちや自民党の一部の政治家たちは最早表舞台に立つことはないだろう。

日本人はようやく覚醒したのである。今を生きる日本人の大多数の「意識」と靖国神社や全国の護国神社に祀られている英霊・幕末から明治にかけて日本の近代化を推進した先人たちの御霊との間では時空を超えた交流・響き合いが行われているのである。正に日本は瑞穂の国・言霊の国・合力の国なのである。


2013年9月17日火曜日

「意識」と「仏教」(9)――日本は何故大東亜戦争を戦ったか?――

 日本は古来高い文化を持つ国ある。日本人は平均的に高い資質を持っている。江戸時代の終わり頃日本人は欧米の新しい文明に触れたとき、あまり時間を費やさずにその文明を吸収し消化した。日本がそれを基礎にして欧米以上の文明を築き上げつつあった頃、イギリス・オランダ・ドイツ・フランス・ロシア各国はアジアを侵食し植民地化を進めていた。アメリカもハワイや太平洋諸島を支配下に置きつつあった。日本は自らの領土の保全とアジア諸国を欧米列強の侵食から解放することができる程の力を持つに至った。そして日本は欧米諸国と肩を並べようとしたが欧米諸国から差別を受け酷いいじめに遭った。

 日本は武士道の国である。武士が腰の刀を抜くときは自分が生きるか死ぬかの時である。日本は日本に対する欧米諸国による差別といじめに堪えながら礼をもって誠実に欧米諸国と向き合い、忍耐強く事態の打開に努めた。しかし日本は日清戦争の結果日本が清国から正当に譲り受けた遼東半島をロシア・ドイツ・フランス三国から「放棄せよ」と迫られた。日本はこの不当な干渉を跳ね返すことができるだけの力を持っていなかったから、天皇陛下のお言葉を受けてその三国の要求に従った。日本人はこの屈辱に耐え、国力の充実のため一丸となって頑張った。日本人は食べる物も食べないほどに我慢して一生懸命働いた。

 帝政ロシアが崩壊し共産主義のソ連が誕生した。共産党員たちはシナ(中国)人をそそのかし、シナ(中国)全土から日本人の追い出しにかかった。この結果非常に多くの日本人が虐殺に遭った。日本軍はシナ(中国)居留の邦人を護るため遂に立ち上がった。日本軍と蒋介石軍との戦いが始まった。アメリカは蒋介石軍を後方で支援し日本を苦しめた。

黙って相手の為すままに任せていたら日本の前途はない。戦へば死ぬかもしれない。日本は座して死を待つよりは戦って死に、未来に希望をつなぐ道を選んだ。こうして日本はアメリカ・イギリスを相手とする大東亜戦争に踏み切った。アメリカは日本が先に戦争を仕掛けてくるのを待っていた。そして敢えて自国の兵士を犠牲にし、アメリカが日本と戦うための正当な理由を作り上げることに成功した。「Remember Pearl Harbor!」である。

日本は最後の一兵が死ぬまで戦う覚悟で戦った。それは日本の明日に希望をつなぐ戦いであった。それは「Last Samurai」の戦いであった。それは商売のように妥協し居り合いを付けるというものではなかった。それは易経でいう本来あるべき状態をもたらす「折中」を得るためのものであった。その「折中」は自らの命を犠牲にすることも辞さない行為によってしか得ることができないものであった。今日本人はそのとおり「折中」を得ている。しかし私たちは先人たち・Samuraiたちの御霊に顔向けができるだろうか?

人は死後天上界・人間界・修羅界・地獄界・餓鬼界・畜生界に永遠に輪廻転生する。今を生きる日本人の多くは先人、すなわち過去世の日本人の来世を生きているだろう。しかし現世の日本人が日本の今の為自らの命を投げ出して戦陣に散華した人たちを悲しませ、残念に思わせているとするならば、日本人の子孫は修羅界・地獄界・餓鬼界・畜生界に生まれることになるだろう。何処かの国のような「修羅の国」に日本は決してならぬようにしなければならぬ。

今日本人は長い平和の眠りから覚醒しつつある。日本人の「意識」は先人たちの「意識=霊魂」と響き合いを始めた。日本は古来「言霊」の国・「合力」の国である。天皇は日本人大多数の精神の中心的存在であらせられる。





2013年9月4日水曜日

「意識」と「仏教」(8)――言霊の国・瑞穂の国・合力の国日本の再生――

日本には聖徳太子・最澄・空海・法然・親鸞・道元・日蓮・白隠という仏教の聖者あり、また仏教を日本国中に広められた聖武天皇がまします。私はこれらの方々の「意識=霊魂」は「御仏」として今日に至るまで天上界にある方々と共にあるのだと思う。私はその方々は日本だけではなく世界中の然るべきお方を含むと思っている。

一方先祖代々正しく人生を送り、その人が死去した後に遺される者や次の世に生まれる人々の幸せを願ってきた一般の善良な人々の「意識=霊魂」は人間界にあって今を生きる我々と共にある。我々はそれを自覚しようとしない限りその存在には気付かない。

私はこれらの集合的「意識=霊魂」は今の日本にいろいろな作用をしていると思っている。私は国を思う数多の人々の「意識=霊魂」がこれら過去に生きた方々の集合的「意識=霊魂」と共振し共鳴しそして響き合うとき日本は本来あるべき日本に生まれかわると確信している。この共振・共鳴・響き合いは時空を超越し広大無辺・融通無碍である。

私は靖国神社や護国神社を含む神社・寺・慰霊碑・仏壇・神棚・墓などはそれらの共振・共鳴・響き合いを起こす回路の入り口(gate)であると思っている。日本各地のお祭りや花火大会や盆踊りはその共振・共鳴・響き合い現象の一つである。これらの事物は日本独自の文化である。それは日本人の対外遺伝子を形成するものである。どうしようもないほど付き合い難い隣りの国々からいろいろな干渉を受けている日本が天皇を戴くその国体を維持し平和に安全に存続し繁栄し続けてゆくためには、日本国民は日本の伝統と文化を大切にしなければならぬ。日本国民は戦後失った精神的なものを取り戻さなければならぬ。

私の宗教は浄土真宗西本願寺派であるが日蓮宗の妙法華経に次の一節がある。「宿世(すくせ)の無量(むりょう)の御仏(みほとけ)は、さまざま方便(てだて)をめぐらして、ただ一乗(ひとつ)の法(のり)を説き、諸人(もろびと)を道(みち)に入(い)らしめぬ」と。


今を生きる日本人は降りかかる国難も災害も隣国からの干渉もすべて御仏の方便であると理解し、力を合わせてこれらに対処すれば、我々の先祖・先人たちがそうしてきたように、我々も後の世に良いものを遺すことができるに違いない。日本国民が一丸となって力を合わせること、すなわち合力の源泉は天皇である。万世一系の天皇である。日本国民は皆同じ母から生まれた同胞である。『古事記』や『日本書紀(日本紀)』や『続日本紀』などを読めばそのことがよく分かる。日本は欧米やシナ(中国)やロシアなどの多民族国家とは違う。日本人の形質は遺伝学的には多種多様であるが日本という国は天皇を家長あるいは宗家とする国であるのである。

2013年9月1日日曜日

「意識」と「仏教」(7)――『歎異抄』を読んで思いついた小説の草稿――

 防災の日、いつになく暑い。俺も妻も防災訓練に参加して古くなった消火器を取り換えて貰おうようと思ったが、こう暑くては出かけるのが億劫である。妻が言う「お父さん、日本人男性の平均寿命のことを知っている?」と。私は答えた「78歳だろう?」と。「そう男は78歳で女は86歳なんだそうよ。そして健康な年齢は72歳までだって」と妻は言う。「そうだろうな。俺たちはその平均よりずっと健康だと思うが、ま、せいぜいあと5年だろう。俺も最近自分の身体の衰えを自覚しているよ」と言いながら、「あと数年の命だ。やるべきことは大分片付いたが、死支度を急がねば」と俺は思った。

 この『「意識」と「仏教」』のシリーズは二人の息子たち・嫁たち、孫たちへの遺言のようなものである。人は老いると霊的になると言われるが、俺もその類である。俺は若い人たちに対してお仕着せがましいようなところがあると思う。妻は女性の特性だろうがこのような心境を理解できないだろう。そもそも人の「意識」というものは他人にはその中身がどのようなものか想像できても、決して理解できるものではないのである。

 『歎異抄』を読んで、ある小説の草稿の一部が思い浮かんだ。
「思えばつい最近までのことであったが、信夫はたまに癇癪玉を破裂させて妻の美千代に怒声を浴びせていた。その都度反省し「ごめんね」と謝っていた。美千代は生来きわめておおらかな性格であるが、そのときは信夫に彼の古傷を疼かせるようなことを言い、時には本当に悲しくなって涙を流しながら信夫の非を指摘していた。

信夫が変わったのは彼が自分の身体に宿る先祖の誰かの霊魂を意識し始めた時からであった。信夫の身体には幾世代も幾十世代も前の先祖、千年以上さかのぼれば藤原の鎌足や地方の豪族や古代の天皇家や新羅の王家にも至る諸先祖の御霊の一部が時空を超え時差・場所に無関係に複数・幾条にも信夫に関わっている。信夫がそれらの御霊を意識するときそれらの御霊と信夫の意識とが互いに共鳴し響き合う。そのことを自覚したとき信夫は自分が‘生きている’のではなく‘生かされている’ことを知った。

同様に時空を超越し広大無辺・融通無碍の先祖、それも遠くさかのぼれば信夫と共通の先祖の御霊が宿っている美代子が真に信夫のことを思い、真心を尽くしてくれていることを信夫は深く感謝するのである。


かくして日々是好日。共に老い先短い信夫と美代子は互いに慈しみ合い、お茶の時間・お昼の時間・買い物の時間・ウオーキングの時間等を共有しながら本当に幸せに日々を送っている。何れ訪れるそれぞれの最期の到来に備えてお互いに支度をしながら・・・。」