2010年6月30日水曜日

ブッダ『感興のことば』を学ぶ(102) (20100630)

 今日(28日)、わが家も夕刻にはエアコンの電源を入れた。日中はいろいろ作業をしていたので、タオルを首に掛け流れ落ちる汗を拭いながら耐えていた。夕立あり一時気温が下がったが、夕刻になりリラックスする時間帯になってまた気温・湿度ともに上った。ついに女房が「冷房を入れましょう」と言う。全室の窓を閉め、エアコンを入れるとこれまでの蒸し暑さが一挙に解消し、快適になる。しかし、CO2の排出は増える。

 昔、子供のころ農家で暮らしていたが、戦後のことでもあり、エアコンなど洒落たものは何もなかった。今日のように気温31度、湿度75%のような蒸し暑い日々が続いていたと思うが、今のようにそれを著しく不快には感じていなかった。

 屋根は藁ぶきであった。夏の夜、全ての窓は開けたままで、蚊帳を吊ってその中に布団の上にござを敷いて休んでいた。ドロボーなどの心配は全なかった。朝早く起き、夜は早く休んだ。昼は午後の暑い盛りの時間帯、皆昼寝をした。子供頃の男は東の縁側で昼寝をしたが、東風(‘こちのかぜ’と呼んでいた)が吹き抜け涼しかった。おやつは井戸につり下げて冷やしたスイカやまくわを食べた。

 現在のように除草剤もない時代であったので、子供でも田の草取りの作業に出ていた。稲のうねの間を手で押して水中の土を耕す器具を転がしたり、四つん這いになって草をむしり土中に埋めたりしていた。今思えばかなりの重労働であったが当時の農村の子どもたちは当たり前のように、そのような農作業に従事していた。

 田植えや稲刈りなどのとき一家総出で作業をしたが、そのようなとき祖母が手作りのおやつとお茶を持って来てくれて、皆で休憩の時間を楽しんだ。おやつで男が記憶している物は、サツマイモ(唐いもがなまってそう聞こえたのかもしれないが‘トイモ’と言っていた)をスライスして乾燥させ、粉にしたものを練って薄伸べしたものと、小麦粉を練って薄伸べしたものを交互に重ね、丸めて茹でると、白と黒の渦状になるが、それを適宜切ったものが美味しかった。敢えて名付ければ‘田舎風カステラ’である。

 女房の母親は男の家に後入りで来たため、女房は子供時代母親と別居し、同じ農家である母親の実家の大家族の中で過ごした。女房はよく話してくれるが、昼寝の時間にそっと抜け出し、‘子供同士で近くの田んぼの脇の水路でフナなどの魚を獲ったり、農業用水路で水浴びをなどしたりして遊んでいたそうである。そのそっと抜け出す様子、子供の頃の女房の姿を想像すると一層愛しく思う。今の老いた男が、昔の、その家では女房の母親の弟妹たちの一番下の‘妹’のように可愛がられていた子供の頃の女房の格好を想像している。

 近くで子供たちがバレーボールを投げたりして遊んでいる。すぐ近くに川が流れているが子供たちが水浴びできるような川ではない。都会地ということもあり、子供たちはそれが当たり前の世界ではあるが、のびのび遊ぶ環境がない今の子供たちを可愛そうに思う。

48 他人を悩ます人々のあいだにあって、われらは人を悩ますことなく、いとも楽しく生きて行こう。他人を悩ます人々のあいだにあって、われらは人を悩まさないで暮らそう。

2010年6月29日火曜日

ブッダ『感興のことば』を学ぶ(101) (20100629)

 この記事が公開されるとき、サッカーワールドカップ日本対パラグアイ戦が行われる。今朝(25日)未明、日本はデンマークを3対1で下し、決勝トーナメントに進出することができた。日本中の若者たちが日本の戦いに熱狂し、興奮し、「にっぽん!にっぽん!」と大合唱し続けた。皆「勇気をもらった」「元気をもらった」と喜んだ。男も日本の若者たちが心を一つにして愛国の情に燃えたことを非常にうれしく思った。

 女房は埼玉の入間から最近千葉に引越した友人と会うため出かけた。男は‘適度な’運動のため、やや暑い日差しのなか5000歩ほど散歩した。その途中書店に立ち寄り「精神・宗教」コーナーの書棚に並んでいる本がどんな本か調べた。

 幸福党を立ち上げた大川隆法の『太陽の法』など各種著作が最下段に沢山並べられている。その上あたりに韓国のある学者が書いた日本の古代史に関する本で『倭の正体』とか『卑弥呼の正体』という、人の目を引くタイトルの本が並べられている。そのほか「あの世」とか「この世」とかの文字がある本が並べられている。男は、どれもこれも人の注意を引き、売りつけて稼ごうという魂胆が見え見えの本ばかりであると思った。心に迷いがある人々は何か自分の精神活動を安定させようと思い、これらの‘怪しい’本を買うのだろうと思った。「表現の自由」は保障されているから仕方ないと思うが、割り切れない。
 
 男が気に入らないのは、『倭の正体』『卑弥呼の正体』という本である。これらはわれわれ日本人の精神を改造しようとする意図があると思えてならない。男はそれらの本のページをぺらぺらっとめくってごく大雑把に内容を把握したにすぎないが、著者は、古代の倭はこの日本にあったのではなく、中国南東部にあった、朝鮮半島に進出していた倭人は日本人ではない、古事記や日本書紀の記述が嘘であると言っているようである。

 男は今度の参議院選挙で神奈川区では「たちあがれ日本」の候補者を推すことにした。候補者の松田 学氏の面構えと主張に惚れた。全国区では35歳の元航空自衛官宇都隆史氏に投票する。彼は鹿児島生れ、防衛大学校卒業、航空自衛隊でスクランブル機の誘導管制を行う仕事などを経て退官、3年間松下政経塾で学んだ後今回参議院に立候補した男である。いずれも日本再生のため必要な人材である。

 女房の代わりに金魚と熱帯魚に餌をやる。玄関に置いてある金魚の水槽で、体長20センチもある金魚が2匹、口をあけてぱくぱくさせ餌をねだっている。カワイイ。居間に置いてある熱帯魚の水槽ではネオンテトラやグッピーなどが水草に隠れて静かにしている。小さじにちょっぴりの餌を撒いたら匂いを感じて皆寄ってきた。これもまたカワイイ。

 天気が良いのでいつものように女房が干した寝具を取り入れ、女房の部屋と隣りの自分の部屋のベッドメイキングをし昼食をとる。おかずは昨日の昼の天麩羅の残り物などである。

46 他人を傷つける人々のあいだにあって、われらは人を傷つけることなく、いとも楽しく生きて行こう。他人を傷つける人々のあいだにあって、われらはひとを傷つけることなく暮らそう。

2010年6月28日月曜日

ブッダ『感興のことば』を学ぶ(100) (20100628)

 今朝またヨネヤマプランテイションに行った。結局同じエーハイムのろ過装置2232型を買った。買う前ベテランらしい男性店員にエーハイムと国産の上部ろ過装置の比較について意見を聞いた。エーハイムの方が消費電力も低く国産の上部ろ過装置のものは10Wであるのに対しエーハイムは8Wである。音も大変静かである。国産のものはわざわざ注意書きがあって、使用開始後1年半位で交換するように書いてある。

 男が「昨夜フィルターを交換しようとしたらこの(エーハイム展示品のその個所を示し)部分の内部のプラスチックが破損した」と言ったら、その店員は「それは部品交換でなおります」と言う。部品の値段を聞くと600円だと言い「私はエーハイムを10年以上連続して使っています」と言う。男が「壊れたので今朝ゴミに出してしまった」と言うと、「今度壊れたときはこちらに持ってきてください、なおして上げますよ」と言う。

 男は自分が何でも早合点し猪突猛進する性格であるため、みすみす何千円も損をしてしまったと悔やんだ。齢を取れば知力も落ちる。「おいては子に従え」と昔の人は言っているが、なまじっか自分が何でも直せると変な自信をもっていて、「これは直しようがない」と勝手にきめてかかり、修理について店に問い合わせることまで気が回らなかった。これからは自分独りで勝手に判断せず、若い人に聞いてみると言う姿勢でなければならぬと反省する。

 お昼前家に帰り着くと女房が「お昼は天麩羅をします」という。今朝近くのスーパーに行ってみたら新鮮で美味しそうなトマトなど野菜があったし、魚の鯵もとっても新鮮でおいしそうだったから買ってきたのだという。

 男の家では、天麩羅は食卓の上に電気式の天麩羅器を置いて天麩羅を揚げながら揚げたてのあつあつを食べることが多い。使う油はコレステロールを増やさない特定保健用食品の油を使う。油も野菜も魚も新鮮なものであるからとても美味しい。天麩羅は抹茶に塩を混ぜたものや、ソースや醤油で頂く。玉ねぎ、おくら、ブロッコリー、なす、「どんこ」という小さく丸々としたしいたけなど女房が竹串に刺して揚げてくれたものを次から次と食べる。最後にほかほかのご飯の上に揚げたての鯵フライを載せ、薄塩醤油をかけて食べる。さらにその上に熱湯をかけて食べる。最後に抹茶に塩を混ぜたものを加えて食べる。

 男が「どんこ」と言ったら女房は「あら、‘どんこ’を知っていたのね、わたしおとうさんは‘どんこ’を知らないかたと思ってたわ」という。男は「いくら何にも知らないと言っても‘どんこ’ぐらいは知っているさ、小さい丸っこい椎茸のことだろ?」と応じる。

 昼食を終え一息ついてエーハイムろ過装置を組み立て、水槽に取り付けた。ついでに水槽の水も一部取り換えた。その間女房は水草などに着いるこけを取り除く作業をした。女房は「悪いわね、私の趣味のためお父さんに時間をつぶさせて」と言う。男は「お前の喜ぶ様子が俺の喜びだからね」と言って、女房をいつものように習慣的にHUGしてやる。

45 悩める人々のあいだにあって、われらは悩み無く、いとも楽しく生きて行こう。悩める人々のあいだにあって、われらは悩み無く暮らそう。

2010年6月27日日曜日

ブッダ『感興のことば』を学ぶ(99) (20100627)

 最近、このブログは公開日よりも数日以上前に書いている。今日(23日)の金魚の水槽の水替えなど行ったのであるが、夕方近くになって新羽町のヨネヤマプランテイションまで行って熱帯魚の水槽で使っているEHEIM(エーハイム)のフィルターパッドを買いに行った。ついでに女房が喜ぶと思って尾ひれが美しいオスのグッピーを5匹買った。

 夕食後早速エーハイムのフィルターを交換しようとして作業を始めたのであるが、肝心のエーハイムが壊れてしまった。これはもう3年以上も使っているので蓋を開け閉めするとき負担がかかる部分のプラスチック製の部品が破損してしまったのである。

 やむなく水槽には2個のモーターで応急的に2か所にエアーを送り込むようにした。明日またヨネヤマプランテイションに行って代わりのものを買わなければならなくなった。

 以前は水槽の上部にフィルターを置く方式のものを使っていた。エーハイムに変えてからはその性能に満足していた。さすがドイツ製だと思っていた。しかしこれは取扱いになれない者にとってメンテナンスが難しい。メンテナンスは女房にも難なくできるものがよい。九州の田舎に女房と一緒に帰り1週間ぐらい家に不在になるとき、もし大地震が発生したとき上部方式とエーハイムのどちらが安全か考える。いろいろ思案し、また以前の上部フィルター方式に変更しようかと思う。

 このような物をもたなければあれこれ悩むこともない。女房は他人ではないが、自然や花や植物や動物やいろいろ観賞用の生き物が好きな女房を喜ばせてやろうとわざわざグッピーを買ったことは、下記42番のブッダのことばのとおり自分の悩みになっている。しかしこの悩みは喜びでもある。何故なら「自分が思うがままになし得る主」であるからである。

41 何物をももっていない人々は楽しんでいる。何物をももっていない人々は知慧の徳をもっているからである。見よ!人々は人々に対してかたちが縛られ、何物かをもっているために(かえって)悩んでいる。


42 他人に従属することはすべて苦しみである。自分が思うがままになし得る主であることはすべて楽しみである。他人と共通のものがあれば、悩まされる。束縛は超え難いものだからである。

2010年6月26日土曜日

ブッダ『感興のことば』を学ぶ(98) (20100626)

 金魚の水槽の水替えと清掃をする。フィルターの交換も行い、結構時間も費やす。男は本来、家の中に生き物を飼う趣味はない。が、家の中に金魚や熱帯魚の水槽があることは嫌いではない。家の中に観葉植物や花などが飾られている。全部、女房の趣味である。男は植物の世話について女房に手伝うことは殆どないが、金魚や熱帯魚の水槽の清掃については男の仕事のようになっている。以前、長男の嫁から1週間ばかり飼い犬を預かったときもその散歩は殆ど男の仕事になっていた。

 家の中に生き物が全くいないのは確かに殺風景である。女房は言う。「私がいなくなれば家の中は殺風景になるでしょうね」と。ついでにこう言う。「お父さんは誰からもがちゃがちゃ言われずパソコンばかりしていると思うよ」と。

 男はよく家事を手伝っている。女房は昔よく聞いたことのある「炊事、洗濯、お掃除大好き」のタイプである。家の中には捨てても良いような物は既に処分してあり、タンスなど余計な家具はない。二人でいつも‘死支度’をしているので家の中はかなりすっきりしている。しかし男は女房に良く言う。「家事はなるべく減らすことができるようにしようよ」と。つまり、男は家事に自分の時間をあまり取られたくないのである。

 世の一般の老人に比べて男は詩吟や陶芸という良い趣味を持ち、こうしてブログも出しているのでかなり素晴らしい日々を送っていることは確かである。昨日はようやく陶芸で芸術作品を創る意欲が湧いてきた。要は何に時間と言う資源を配分し、何を創り出すかということである。齢をとって‘創造’に歓びが湧いてきたとき、そのようなマネジメントも能率よく行えるようになることに気付いた。

 晴耕雨読の暮らしへの願望から遠ざかった。それは現状からの逃避であることに気付いた。今後1、2年のうちに九州の田舎には帰る回数は必然的に増えてゆくであろうし、向こうに滞在する期間も増えることになるだろう。そのとき屋敷の敷地の一角で今やっているように、独り暮らしの母のためキュウリ一株とかナス一株とか植えて楽しめば良い。そのうちもち長く滞在するようなことになれば、前の空き地を借りて若干の農耕を楽しめば良い。そのうち老母があの世に逝き、家屋敷の処分をしなければならなくなったとき先祖の祭祀のことを決めればよい。今からあれこれ‘休みに似た’馬鹿な考えをする必要はない。

 こうして元気が出たら詩吟の声に張りが出てきた。現金なものである。来月の結婚式で披露する吟や来月の吟題の吟を録音しては自分で聴き、そう感じる。

39 この世で教えをよく説き、多く学んで、何物をももたない人は、楽しい。見よ!人々は人々に対してかたちが縛られ、何物かをもっているために(かえって)悩んでいるのを。


40 何物をももっていない人々は楽しんでいる。何物をももっていない人々は知慧の徳をもっているからである。見よ!人々は人々に対して心が縛られ、何物かをもっているために(かえって)悩んでいるのを。

2010年6月25日金曜日

日本決勝進出

今朝(25日)未明、日本はデンマークを3対1で下し、決勝トーナメントに進出することができた。日本中の若者たちが日本の戦いに熱狂し、興奮し、「にっぽん!にっぽん!」と大合唱し続けた。皆「勇気をもらった」「元気をもらった」と喜んだ。男も日本の若者たちが心を一つにして愛国の情に燃えたことを非常にうれしく思った。

闘莉王が「へたくそはへたくそなりに戦えばよい」「日本人になれてうれしい」と言った。日本チームは試合前互いに肩を組み合い、かあっと眼を見開いたまま真っ直ぐ前を見つめ、君が代を斉唱していた。大和魂ここにあり、侍日本ここにあり!である。

このとこころ政治の貧困により覇気を失いつつあった日本人は、全国各地でこの試合を観戦し、応援し、明日へのファイトを得た。

菅総理が声を枯らして消費税を上げなければならないことを訴えている一方で、小沢氏はそれに批判的な発言をした。初めからそうであったが党内の権力争いが続いている。このような政党に国政を任せることはできない。

人物本位だ。男は神奈川県はたちあがれ日本の松田氏、比例選全国区は自民党で、人物は宇都氏を推す。政界再編で保守大連合を期待する。ただし、私利私欲の輩、国の未来の邪魔になる輩はいずれ政界から去ってもらいたいと思う。
ブッダ『感興のことば』を学ぶ(97) (20100625)

 今日(22日)の新聞に、菅首相が消費税の値上げは「早くて2,3年後。議論は公約」と出ていた。早速、大衆紙には「早くもブレ」と非難の声がでている。やはり労組・日教組をバックにする議員を抱える党内事情を反映して菅首相も信念を曲げざるを得ないのであろうか。小泉元首相のように自分の信念を「自民党をぶち壊す、国民に聞いてみたい」と堂々と言えないのであろう。男は菅氏の所信表明演説を聞いて喜んだが、がっかりしている。

 陶芸に行った。このところ陶芸にやる気をなくしつつあったが、今日先生や仲間から色々アドバイスを得て、たたらで作った楕円形の舟形のやや深い多目的の皿2枚について削りと白化粧の作業をし、ちょっと良いものができそうな気がして、創作の意欲が湧いてきた。

 陶芸センターの傍の長い銀杏並木の歩行用道路は銀杏の木々の緑、道の両側の花や草などの雰囲気がとてもよく、道具も貸してくれて安い料金で陶芸を楽しむことができる。この価値は手放したくない。創作の意欲が湧き、来週またここに来ることが楽しみになった。

 帰路道の脇の家の垣根にあった黄色い花を見て、絵筆も走らせたいと思った。男は、自分は老いても死ぬまで創造的な活動をすることができる状況にある。そのことに今改めて気が付いた。人は創造性を発揮できないと欲求不満に陥るものである。特に男のように毎日日曜日のような生活をし、働かず、従って労働の収入もないことが苦痛で、つい今朝まで九州の田舎に帰り晴耕雨読の生活をしたいと女房にぶっけていたことが嘘のようである。長らく放置していた陶芸のブログにも英文の記事を出そうと思う。

 ブッダ「感興のことば」第30章「たのしみ」;

 昨日、一昨日、そのことばの番号が前後したが、今日、途中飛ばして38番に移る。男は教えを説くことはできないが、多くを学び、不必要な物、他人に見せびらかすような高価な物を持っていない。女房も自分で「安上がりな奥さんでいいでしょう」言っている。これは有難いことであり、幸せなことであり、気楽なことである。

38 この世で教えをよく説き、多く学んで、何ももたない人は、楽しい。見よ! 人々は人々に対して心が縛られ、何物かをもっているために(かえって)悩んでいるのを。

2010年6月24日木曜日

参院選、各党首発言


夕食後NHKのテレビを見ていたら、各党首がNHKの2名の男性アナウンサーの質問に答える番組があった。

菅総理にアナウンサーが「消費税10%という数字の根拠は何ですか?」と質問したら、菅総理はそれには答えず、くどくどと別のことを答えていた。男も女房もその態度に怒りを覚え、女房は「アナウンサーはそんなことを聞いていないのよ」と言い、男は「‘私が直感的に決めた’と言えばよいのだ、菅さんの限界だな」とテレビに向かって言った。

自民党の谷垣総裁は「民主党はまずマニフェストが間違っていたと先ず謝るべきだ」と言い、消費税が人気取りのばらまきのため使われることを警戒した。共産党の志位氏は「企業減税のよる税収の落ち込みと消費税の税収アップの差し引きは2兆円しかない、われわれは5兆円という防衛費などに手をつけ消費税は上げない」と言った。男は、共産党の欺瞞を見抜いている。そういうことには絶対ならないだろうが、彼らがもし仮に政権を取ったら先ず自衛隊と警察と海上保安庁を掌握し、民衆を抑える道具に使うことだろう。

たちあがれ日本の平沼氏は「民主党は私が4月に経団連で講演した‘強い日本’‘強い経済’などというキャッチフレーズを横取りされた」と怒った。経験が浅く、平成維新と意気込み、官僚を抑えつけ、日本をめちゃめちゃにし、参院選でなんとか過半数を確保したいとて、自民党やたちあがれ日本などの主張するところを党内で十分議論もせず、合意も得ぬまま、つけ刃で選挙公約に掲げた。

枝野民主党幹事長は、「‘もういちど民主党にまかせてみよう’と、国民に思ってもらいたい」と危機感を表明した。大多数の国民は、民主党のドタバタぶりを見抜いている。「数は力」「目的達成のため手段は選ばぬ」とばかり、小沢元幹事長は突っ走り、政治素人の連中は右も左もわからぬまま、彼のにらみを恐れ、彼にくっ付いて行っている。

古代に中大兄皇子、後の天智天皇により誅殺された蘇我宗家の再来のような、時代を先取りしようとする開明性はあるが、同様に私利私欲ありと嫌われる小沢元幹事長が、菅総理の目標議席数に文句をつけ「過半数とすべき」と言ったという。

男は、歴史と伝統のあるこの祖国日本のため、私心なく、労組や日教組のバックなしの、真に日本人の魂がある衆参民主党員たちが「自由民主党」や「たちあがれ日本」などの政党と連合し、あらたな政治連合を構築してくれればどんなに気が晴れることだろうかと思う。おそらく非常に多くの有権者たちも、同様の気持ちではないかと思う。

それにしても、各党の候補者たちのかなり多くの人たちについてはその資質にクエスチョンである。国を思う若い志士たちがどんどん国の政治の場に躍り出ることがえきるよう、国費を使い、国会が認定する各党に現状の国会議員の数に比例した金額の、「若き志士応援金」といでも言うものを、それもかなりの金額で使途を限定し、不正使用を防ぐ抜け穴のない厳格なチェック機能を持つ機構も併せ創り、日本の未来を託したらどうであろうか?

現状では公募以外に、国会議員2世とか、労組、日教組、宗教団体なぢの組織をバックにした人たち、あるいは資産家しか国会議員になれない。これでは日本の未来は暗い。
ブッダ『感興のことば』を学ぶ(96) (20100624)

今回のサッカーワールドカップに中国は参加していないが、北京などでは大型スクリーンで多くの市民たちが観戦しているという。日本の戦いぶりに対する中国人の反応は冷静に見なければならないが、20日付の北京青年報では日本の戦術を「あと一歩で成功したが、運が悪かった」と評している。

先日の日本対オランダ戦では、北京の繁華街に設けられたスクリーン前に500人以上が集まって観戦、22歳の北京大学院生・李甜さんは「みな技術がとても高く、見ているだけで面白い」と語った。その一方でネット上では「オランダはよくやった」と喜ぶ声もあった。日本対カメルーン戦では「日本は買収したに違いない」という書き込みがあり、韓国がギリシャを下したときは「アジアの勝利」と喜んだという。

先日、上海万博日本海上で高校生たちによる踊りが披露され、見ていた中国人は「日本は自国の文化をもっと紹介すべきである」と語っている。日本と中国の間の経済交流は益々盛んになり、日本への観光客の誘致、留学生や研修生の受け入れ等で日中双方の相互理解は今後一層深まってゆくことであろう。

日中双方の大衆レベルでの文化交流が深まれば相互理解も深まり、「正義」という観念について一方に偏ることがない状況が次第に生れてくるだろう。そうすれば黄海の油田開発や尖閣諸島領有や中国の軍事費増強の問題などで生じている日中間の緊張も次第にほぐれてゆくことだろう。日本は中国への警戒を継続しつつ、一方で一般大衆レベルでの相互理解を増進するという政治外交の大原則をもたなければならない。

菅総理が理想として掲げる自信に満ちた強い日本になるため、男は国家戦略局や危機管理室や防衛省などの政府機関の間で、対中国政治外交政策について意思疎通を図り、政権が代わっても変わらない国家戦略を共有する制度があってよいのではないかと考える。実際には既にそのようなことは行われているのかもしれないが・・。

男は、人間個体でも生物学的遺伝情報だけではなく、‘体外’遺伝情報ともいうべきものがあると考える。人間は‘体内’遺伝情報と‘体外’遺伝情報の両方があって存続し続けるのだと思う。そのような考え方は地方自治体レベルでも国のレベルでも同じように持たなければならないと考える。

男がわが家の家伝書作成に情熱を注ぐのはそのような考え方に基づいている。国家のレベルでも、憲法とか伝統文化とか記述され記録保存された可視的な‘遺伝情報’がある。しかし対外的な政治外交政策についてはどうであろうか?勿論、機密・極秘扱いの部分はあるだろう。しかし、その中に政権が代わっても変わることのなく伝わる情報はあるのだろうか? つまり男が言う国レベルでの‘体外’遺伝情報はあるのだろうか?

26 愚人とともに歩む人は長い道のりにわたって憂いがある。愚人と共に住むのは、つらいことである。まるで仇敵とともに住むように。心ある人々と共に住むのは楽しい。親族と共に住むように。

2010年6月23日水曜日

ブッダ『感興のことば』を学ぶ(95) (20100623)

 このところ色々雑用が多く、哲学の思索や男の家の家伝書の著述から遠ざかっている。貴重な時間をなるべくその方に振り当てるため時間の管理が必要である。陶芸とか、詩吟にかなりの時間を割いている。田舎に帰ることも多い。来月末結婚式のため夫婦で帰り、8月には新盆のためまた夫婦で帰らなければならない。こうして家にいると家事も結構多い。削るべきところは削り、哲学と家伝書のため時間をとらなければならない。

 今日(20日)、長男の嫁から長男と嫁の名前で父の日のプレゼントにphiten DESCENTEのサンダルを贈ってきた。昨日は二男の嫁から二男と嫁の名前でAIGLEのTシャツを贈ってきた。その前日女房からもLACOSTEのTシャツのプレゼントがあった。そのことをここに書いておく。

 プレゼントには3歳の孫(男子)の写真が添えてあった。ちびっこひとり馬上にあり、馬上豊かな美孫男児である。男はこの孫に久しく会っていない。会っていないがこの孫は確かに男の血を引いている。男のY染色体遺伝子を受け継いでいる。Y染色体遺伝子は1000年前の先祖以来男に代々受け継がれてきたが、この後幾代まで受け継がれるだろうか?

 ときどき思う、そろそろ田舎に帰りそこで暮らすようにしなければと。田舎に男の実の母ではないが継母、大正8年(1919年)7月生まれ、91歳になる母が独り暮らしをしている。今(16時過ぎ)電話したが大変元気の様子である。先先月庭先に植えたトマトやキュウリなどが大きくなってきているという。

 男は長男として先祖の祭祀を行う義務がある。男は田舎に帰ってそこで晴耕雨読の暮らしをしたいと思っている。介護保険では家族が同居していると家事援助を受けることはできない。もし男が田舎に帰ればその間はヘルパーは来てくれない。ただ月6回のデイサービスは受けられる。デイサービスは郡の医師会が経営している老人健康保険施設で行われていて、そこではきちんとしたカリキュラムに従って運動や休憩も行われている。食事にも細かい配慮がなされている。母はそこに通って体が丈夫になった。この辺の都会地の老人健康保険施設ではそのような厳格な運営は行われていないようである。

 徐々にここと田舎の往復の回数が増え、田舎で過ごす時間が増え、そのうち夫婦共々田舎に移住することになるだろう。男も女房も大分県内で終の棲家となるところを探そうと考えている。大阪に住む子供たちにはその前にいろいろ話しておかなければならないと思う。

 男は長男として本来先祖の地で家督を継ぐ立場にあった亡父が、事情により今の田舎の地に新たな居を構え、その地でわが家の祖になったことを重く考えている。本当は、男は今この田舎の屋敷をわが家の先祖を祀る場所としたいと思っている。今時そのような考え方をする者は極めて少ないと思うが、男はそのような考え方を大事にしたいと思っている。

27 尊い生まれの人(=ブッダ)は得がたい。かれはどこにでも生まれるのではない。この英雄(=ブッダ)の生まれる家は、幸福に栄える。

2010年6月22日火曜日

ブッダ『感興のことば』を学ぶ(94) (20100622)


新聞の広告欄に次の本の広告が出ている。①『死後の真実』(E・キュープラー・ロス著、伊藤ちぐさ訳、阿部秀雄解説、日本教文社刊)、②『なぜ、脳は神を創ったか』(脳機能学者・カーネギーメロン大学博士苫米地英人著、フォレスト出版㈱刊)、③『宇宙人との対話』(大川隆法著、幸福の科学刊)

男は①の本について、以前書店でザーッと目を通したことがあったと思う。これは多分、「前世」や「来世」について催眠術などの方法で被験者に語らせるという‘科学的’な方法の‘研究’成果なのであろう。②の本は‘まゆつば’ものであろう。なんとなくうさんくさい。しかし興味がある。③の本について、男は「人を馬鹿にするな!」と怒っている。

今度の参議院選挙でも「幸福党」として候補者を出すようである。すでにその前哨戦が始まっている。巷の声に「幸福の科学」と「創価学会」とを混同したものがある。男は「創価学会」にもある種の嫌悪感があるが、「幸福の科学」に対しては「何が宗教だ!」と言いたい。そもそも宇宙人なんているはずがない。なんで‘信者’から金を巻き上げて得た大金をかけて、あのような大々的な広告を出すのだろうか?

昔も今も、人々は何かにすがり、何かを頼りにし、何かを拠りどころにしていたいと思うものである。そういう心理を‘宗教’は利用しようとする。②の本の著者・苫米地英人氏はベストセラー連発者で、オウム真理教の脱洗脳者でも有名であるという。男は彼がどういう論拠で「脳は神を創った」と言おうとしているのか、彼は伝統仏教をどう捉えているのであろうか知りたいと思っている。

男のブログで引用しているブッダの言葉にはしばしば「この世」とか「あの世」という言葉が出てくる。「因果応報」は「この世」のみなならず「あの世」にも及ぶとブッダは説いておられる。一般常識では「あの世」があることは哲学的に結論づけられるもので、科学的には結論づけることは不可能であるとされている。しかし男は生涯をかけて何とか科学的に「あの世」が存在することを証明したいと思っている。それは男が実感的に「あの世」が存在していることを固く信じているからである。

創価学会は伝統仏教の教義に則って、ブッダの教えを広めようとしている。しかし、「幸福の科学」の大川隆法氏は仏教徒ではない。仏門をくぐって仏教の修行をしたわけでもない。新聞に大見出しで出された広告には『「宇宙の法」入門』とか『エクソシスト入門』とか『太陽の法』が、不安で‘無知’な人々を惹きつけるようにアレンジされている。

最近東京都でポルノ漫画を巡って条例案が民主党の「反対のための反対」のため否決された。表向き「表現の自由」の権利の保障が否決の理由になっている。男は「何が表現の自由だ!」と怒りを覚える。「表現の自由」のため日本人の精神が蝕まれている。男は憲法を改正して社会不安をあおる‘説法’や‘表現’は規制されなければならないと思う。

7 道理を実践する人を、つねに道理が守る。道理をよく実践すると、幸せを受ける。道理をよく実践すると、このすぐれた利益がある。悪いところ(=地獄)におもむかない。

2010年6月21日月曜日

ブッダ『感興のことば』を学ぶ(93) (20100621)


対オランダ戦で日本は0対1で惜しくも敗れた。DFラインの闘莉王、中沢、阿部がオランダの攻撃に必死に対応している間に、後半53分、マークしていたスナイダーにミドルシュートを決められた。日本は、その本数ではオランダ以上の数のシュートを打ちこんでいたが得点には結びつかなかった。大変残念である。しかし、日本はこれで一層力をつけたはずである。次の対デンマーク戦では今回の経験を活かして猛反撃するであろう。「大和魂だ、頑張れ!」と男は叫ぶ。どんな相手でも勝機はある。それが武の道である。皆が心を一つにし、努力に努力を重ねればきっと勝つ。

先日、小惑星探査機「はやぶさ」は地球からの距離およそ3億kmのところにある「イトカワ」までの往復7年の旅を終え、地球への帰還時はやぶさ本体は地球の空気層との摩擦熱で燃え尽き、中に抱いていたカプセルのみを無事地上に送り届けた。非常に感動的であった。この探査機は人間が造ったものであるがまるで人間らしい生き物のようであった。

このことについてインターネット(www.geocities.jp)で次の記事が掲載されていた。「何時も思うことですが、日本のメディアは自国の実態をよく知らないまま外国に目をやりすぎるように思います。教科書問題、歴史問題では逆に他国(中国、韓国)の実態を知らないまま日本の実態に目をやりすぎるように思います。

その傾向は宇宙開発のジャンルでも見られ、中国の有人ロケットを過大評価する反面、日本でのH2ロケットに関する失敗を過大評価して、いかにも中国の方が宇宙開発の分野で日本より進んでいるような印象を視聴者に与えているような気がしてなりません。今回の「はやぶさ」による「イトカワ」への軟着陸、そして岩石の試料採取は世界に冠たる高度の技術によるものであるのに、日本のメディアはそのことには触れるものの、やや疑問符を含めて論調しているように思えます。」と。

男は日本人の誤った近現代歴史観による自虐的思想に憤慨してきたが、この記事を読んで、また一層その感を強くした。今、男の手元に男が以前買った『文芸春秋2008年6月号』がある。この雑誌の表紙に「零戦と戦艦大和 世界最高平気の栄光と悲惨」と赤字で大きく見出しが書かれている。実はこの見出しに注目して男はこの雑誌を買ったのである。

今改めてそれを読み直している。半藤一利氏ら6人の有識者が議論している。これを読んで男は改めて日本の科学技術の素晴らしさに感動した。戦艦大和も零戦も当時の技術の良いところをすべて結集して造られているという。「はやぶさ」も同じであった。官民一体となってチームメンバー全ての人が知識・技術・経験の限りを尽くして「はやぶさ」の製作に持てる力の全てを注ぎ込んだ。このような‘すりあわせ’で「はやぶさ」は世界の頂点に立つことができたのだ。日本のサッカーも持てる力の‘すりあわせ’で、いつか必ず世界の頂点に立つことだろう。 第30章「楽しみ」;

3 よい果報を生ずるものとして善い行いを実行せよ。報いを生ずるものとして悪い行いをするな。ことわりに従って行う人は、この世でも、あの世でも、安楽に臥す。

2010年6月20日日曜日

ブッダ『感興のことば』を学ぶ(92) (20100620)


今日(19日)はサッカーワールドカップ日本対オランダ戦。女房はテレビで観戦しながら声を出して応援している。男は中継の音声を聞きながらこれを書いている。

これまでこのコンピュータVAIO typeNは動作が遅かった。そこでこれを改善しようと思い、家電量販店でメモリを買ってきて自分で装着した。今までメモリは512MBでVISTAに対応するには小さすぎた。しかしこのコンピュータを買ったとき既にVISTAになっていた。想像するにそのころ丁度XPからVISTAに変わった時期だったので、メーカーは当初の計画を変更してメモリはそのままVISTAをインストールして、通常価格より安く販売したのだと思う。コンピュータの専門家ではない男はこれを喜んで買ったのだった。

メモリを一挙に4倍にしたら動作が速くなった。コンピュータ関係の雑誌を立ち読みしたらバックアップをとるのにUSBでは寿命が短く5年ぐらいだと言う。男はこのコンピュータに外付けのハードディスクを接続してバックアップをとり、さらにUSBメモリでもバックアップしていた。しかしこれからは外付けハードディスクとDVD-Rの両方でバックアップをとることにした。DVD-Rは4.7GBである。ハードディスクは149GBである。このブログの記事は更にMOでもバックアップをとっている。

実は男は初めこのコンピュータのメモリを増やすことは頭になく、動作が速いMOでバックアップをとろうかと考え量販店に行った。店員が男の様子を見て「これからはMOは製造されなくなりますよ、DVD-Rがメモリも大きく安心です」とアドバイスしてくれた。男は「DVDは動作が遅い」と言うと店員は「メモリが小さいのではないですか?VISTAはメモリが少ないと動作が遅いです」と言う。

男は初めMOのディスクを買うつもりでいたが、店員のアドバイスを得てコンピュータのメモリを増やすことにした。昔はメモリの値段が高かったが現在は2GBでも7000円もしない。自分でメモリを交換することができればそのコストでコンピュータの性能をアップさせることができる。コンピュータを店に持ち込んで店にその交換作業を頼めば3000円別料金がとられるので馬鹿らしい。今の時期空気が湿っているので道具を使って慎重に作業をすれば大丈夫である。メモリを交換して電源スイッチを入れる。うまく立ち上がった。これでほっと一息つく。動作が速い。嬉しくなった。

外付けハードディスクに記憶させていたものをコピーして全部DVD-Rにも保存した。これでダブルバックアップできたので安心である。コンピュータは道具である。使い勝手が良くなるように改善が必要である。今日は良い仕事、と言ってもお金にはならないが、よい仕事が出来て満足である。さあ、サッカーを観戦しよう!

ブッダ「感興のことば」第27章「観察」最終番

41 (無明に)覆われて凡夫は、諸のつくり出されたものを苦しみであると見ないのであるが、その(無明が)あるが故に、すがたをさらに吟味して見るということが起こるのである。

2010年6月19日土曜日

ブッダ『感興のことば』を学ぶ(91) (20100619)

   男は最近自分の体の老化をかなり意識しはじめている。肢体、特に足の疲労がなかなか抜けきれない。何処か山村の宿の温泉にでもゆっくりつかり、数日間過ごせば元気になるのかもしれないと思う。気管支か喉の不具合が完全に治っていないせいか、たまに咳や咳ばらいなどをして気道になにか引っかかっているかもしれない極小の物質を除去したつもりであると、暫くの間は良い状態が続く。気道の形が変わるせいか睡眠中は全く問題ない。

  3週間ほど前に夜中に咳き込んで医者にかかって以来、アレルギーの元になる原因物質、衣類の防虫剤などを自分の周りから一切除去したり、早寝早起きをし良く睡眠をとるようにするなどして環境改善と養生に努めた結果段々によくなって来ているが、まだ完全に治ってはいない。あと1、2週間様子をみて要すれば呼吸器官系の診察を受けるつもりでいる。

  齢をとれば精密機械のような体のあちこちにガタがくる。見た目若く健康そうに見えても中身は確実に衰えている。男は「あの世」に逝く支度を急がねばと思う。

  昨日Nさんは、NさんとNさんの奥様の縁のことを話して下さった。お二人とも終戦まで満州で育ち、住んでいた場所が異なっていたのでお互い知らない間柄であった。ところが、多分Nさんのお父様のお仕事の関係であったのであろうか、奥様はNさんのお父様を知っていた。戦後引き揚げてきて、どういう因縁かは聞いていなかったがNさんは今の奥様と結婚した。Nさんの奥様も男よりは年長である。終戦時Nさんは12歳、奥様も同じ年ぐらいだったのであろう。Nさんは大陸での経験を語り合える伴侶を得たことが最大の幸せだと言う。男はそのことを十分理解できる。

  Nさんはお父様と満州で生き別れ、お父様がソ連に抑留され病院で亡くなったことを後で知ったという。Nさんは12歳で一家の柱、母や幼い弟や乳飲み子の妹などと奉天で流浪の旅をしているとき一家が所持していた時計など身の回りの品々を路上で売って生活費を稼いだという。その時通貨がソ連、国民党、八路軍と巡るましく変わり苦労したという。

 Nさんはまだお父様の消息がはっきりしない30代のときある機械の輸入ビジネスで財をなし鎌倉に7.5坪の墓地を確保していた。後にお父様の遺骨が保存されていることを知り、その遺骨を決して焼却しないよう当時の厚生省に掛け合い、60歳のときついにその遺骨が手元に届いたという。奥様は家の内装をリフォームし、正装してその遺骨を迎えたという。

  Nさんのお父様方のご先祖は秋田県、お母様方のご先祖は新潟県であり、何代か前に北海道に移住し、その地の行政で共同墓地の移設話があった折、鎌倉に墓地を確保した。そこに41歳でシベリヤに抑留され苦労して病死したお父様の遺骨を納め、供養したという。
少女時代お父様を知っていたNさんの奥様とのご縁といい、神奈川県に移住してそこにNさんの先祖を祀る墓地を確保することができたことといい、男はそこに人智を超えた因縁を知る。「前世」「現世」「来世」はつながっているのだ。

36 見る人は、(他の)見る人々を見、また(他の)見ない人々をも見る。(しかし)見ない人は、(他の)見る人々をも、また見ない人々をも見ない。

2010年6月18日金曜日

ブッダ『感興のことば』を学ぶ(90) (20100618)

 男はH丘団地に住むNさんから招待され今日(17日)Nさん宅を訪問した。バスと地下鉄を乗り継いで、日吉・中山経由でわが家からNさん宅までおよそ1時間半かかる。公団集会所前に着くとそこでNさんが出迎えてくれていた。Nさん宅はそのバス停留所の近くにある。Nさんはその団地に初めから住んでいる。

 男は若いころ狭山の公団住宅に住んでいたことがあり、ある種の懐かしさを感じた。狭山の方は土地が広かったせいもあると思うが緑地部分が十分広かった。そこはここより数年後に出来たところで、作りはここより若干モダンであった。

 Nさんの奥様は料理が得意で、ご自宅で料理教室を開いていて団地に住む方を中心に10名ほどの生徒さんがいるそうである。初めに出された料理はイタリア料理風のかますのムニエルとそら豆のソースである。ワインはNさんの故郷小樽から以前贈ってきていたもので今日のためにとっておいたものである。その料理のディッシュにはプチトマト、そら豆、アスパラガス、バルサミユソースがあり、とても美味しかった。

 その後、春まき、シューマイ(ほたて貝入り)、レモンのきゅーり漬け、生うにのほたて貝あえ、茶わん蒸し、アスパラガスとえび煮、寿司(本まぐろ、鯛、金目だい、赤えび、みょうが)、わかめの味噌汁など頂いた。Nさんと奥様の心ずくしのおもてなしを受け、嬉しく思う。しかし男はそのようなおもてなしを自宅でするなんてことは到底できない。

 Nさんは男より3歳年長である。ずっと昔、仕事の関係で知り合い、以後今日までお付き合いさせて頂いているKさんも男よりはそのくらい以上に年長である。Kさんもそのころ横浜の左近山団地に住んでおられ、一度Kさん宅に招待され大変ごちそうになったことがあった。Kさんは食材にはこだわり、男はKさん宅で最も新鮮な魚の料理を頂いた。

 Nさんも同じように食材にこだわり、男のために最も新鮮な魚介類や野菜を買い求め、男が到着する時間に合わせて最も美味しく食べられるように料理して下さっていた。そのような心配りは男にはできないところがある。女房の方はそのような男の欠点を十分カバーして今日男がNさん宅を訪問するに当たってはいろいろ気遣い、心配りをしてくれた。

 女房は子供のころからよい躾を受け、また茶道も多少たしなんでいるため男には出来ないことが女房には出来る。3歳以上も年上のNさんやKさんには、ひとをもてなすということはどういうことかという、昭和一けた世代の教養がある。男は10代の大事な時期に母親がいなかったせいもあって、そのような教養には欠ける部分がある。


 Nさんは12歳のとき中国の当時奉天で、お父様は民間人であったのに軍人並みに扱われ、ソ連に抑留され、病死したという。民間人のソ連抑留は、関東軍参謀であったS氏がソ連と取引した結果だという。ソ連に抑留された人々への補償がついこの間の国会で決まったが、これまで抑留された人々が無視され続けてきた裏には何があったのか?!。

21 みよ、あのように宝石や腕輪で粉飾された形体を! それは愚人を迷わすには足りるが、彼岸を求める人々を迷わすことはできない。

2010年6月17日木曜日

ブッダ『感興のことば』を学ぶ(89) (20100617)

力士たちの野球賭博のことが問題になっている。相撲協会の自浄作用が問題視されている。賭博は昔から裏社会に生きる人たちの収入源になっていた。力士たちが野球賭博をし、相撲賭博に必要な力士たちの状態に関する情報を得ることが暴力団の目的であると言われている。警察は暴力団の資金源を断つため琴光喜が野球賭博をし、暴力団関係者から脅されて口止め料を払ったことを告白したことを契機に行動を開始した。

男は暴力団のリーダーになるような人たちは知能や行動力は優れていると思うので、裏社会で生きなくても表社会で堂々と実力を発揮できる素質を持っていると思う。しかし裏社会の方が収入が多く、面白味があるからそこから抜け出せないのだと思う。アメリカではかつてマフィアが勢力をふるっていたが、国家権力は彼らの資金源を断つ作戦でマフィア撲滅に成功した。撲滅といっても地下で依然として生き残っていると思うが・・。

アメリカでも韓国でもカジノなど娯楽のビジネスが盛んである。そこではかつて裏社会で生きていた人たちが表社会に躍り出てちゃんとした市民生活を送っているに違いない。男はこの世から悪は絶対に無くならないと思う。やたら正義感だけで悪を撲滅しようなんて考え方はあまりにも幼稚だと思う。日本も合法的な賭博も出来る娯楽ビジネスを盛んにすればよい。‘合法的’と言うのは賭ける金額について法的な制限を加えることである。

わが国には清水次郎長など任侠の世界で生きる人たちがもてはやされていて芝居や映画にもなっている。勿論アメリカにもマフィアを扱った映画が人気を呼んだ。しかしアメリカと日本の大きな違いは人殺しの無慈悲さの違いである。アメリカ映画では銃を使うせいもあってか無慈悲に人を殺す。そこでは人間は‘人’ではなく‘物’である。

日本では切腹という公然とした儀式による‘自害’がある。勿論、平安時代の昔から儀式抜きの‘斬首’という処刑はあった。公衆の前で手足を十字の柱に縛り付け、槍で突き殺すという処刑もあった。箱根ではお玉と言う若い女性が嫁ぎ先から関所を経ずに裏道で在所に帰ろうとして捉えられ、そのような惨い処刑をされた。以来代官はそのことを実行せざるを得なかったことで心を痛め、以後は「道を間違えた」という取り計らいで見逃したという。キリシタン弾圧でも自ら死を望む者以外を救おうとした。

世界で最も大きな無慈悲な行為の一つは広島や長崎への原爆投下である。東京大空襲である。東京だけではなく多くの大都市でも眼下で人々が逃げ惑う様子を想像しながら無慈悲に爆弾の雨を降らせた。日本軍が行ってきた戦争行為とはまるで質が違う。彼らは「少数の犠牲で大多数を救う」という論理のもと無慈悲を無慈悲と思わず地球上でもっとも野蛮な行為をし、勝てば官軍とばかりに日本の戦争指導者の言い分に耳を貸さず、‘日本人の魂の改造’の目的を達成するとう‘戦略的目標’を掲げて行動した。多くの日本人たちはマッカーサーを救国主のごとく崇拝した。「日本人よ大和魂を失うな」と男は叫びたい。

20 見よ、粉飾された形体を!(それは)傷だらけの身体という名のものであって、病に悩み、虚妄の意欲ばかりで、堅固に安住することがない。

2010年6月16日水曜日

ブッダ『感興のことば』を学ぶ(88) (20100616)


昨日(14日)女房も一緒に市内のK歯科に行った。男は2週間前「歯ぐきと歯の間がなんとなく気持ちが悪い」という理由でその歯科医に7年ぶり診察を受け、レントゲン写真を撮ってもらった。女房の方は入れ歯を止めている個所や虫歯治療後埋めたあとなどの不具合で治療を受けている。

その歯科医は男の歯の7年前のレントゲン写真と今回の写真を見比べながら「7年前の写真がまるで昨日撮った写真のようです、ただあまりにも素晴らしいので感心するばかりです」と言う。虫歯の治療を受け金属をかぶせたりしているが抜けた歯は一本もない。男は「母親に感謝しなければなりませんね」と言うと、医師は「そうですよ」と言う。その母親は男が10歳のとき他界したが、子供の頃その母親は男に卵の殻を粉にしたものをよく飲ませてくれていた。そのお陰もあり、また男の歯は遺伝的にもともと丈夫であったのだ。

それに引き換え女房の歯はぼろぼろである。91歳になる女房の母親も総入れ歯であるから女房は「私の歯が悪いのは生まれつきだわ」と言う。しかし男は女房が子供を産んで乳を飲ませるとき女房に十分な栄養、良質のカルシウムを含んでいる牛乳などを飲むように勧めていなかったことを悔やんでいる。子供たちには女房が牛乳をよく飲ませていた。女房はあの頃「疲れた、歯が痛い」とよく言っていた。そのことを思い出すたびに心が痛む。

女房は男に良く仕え、夫である男と子供たちに良く尽くしてきた。女房の口癖は「暖かい家庭を築きたい、子どもたちを立派に育て上げたいと常に思っていた」である。そのとおり実現し、女房は「人生に満足している」と言う。それに引き換え、男は女房にしてもらったことは余りにも多いが男が女房にしてあげたことは少なく、女房を悲しませたことは余りにも多いと思う。もし男がそれでも何か社会的に大きな仕事をしてきて褒章を受けたのであれば幾分か救われるが、それは全くない。

ただ、男は女房とともに子どもたちは立派に育て上げ社会に送り出した。社会で立派に活躍し、それぞれよい家庭を築き、幸せに暮らしていることは、女房にとって大きな勲章であるが、男にとっても喜びであり、満足である。人はその人生において自分の努力次第でできることと出来ないこととがある。男は自分に出来ることをしてきて、今も出来ることをし続けている。来世においてはまた別の人生があるであろう。そう思うと慰められる。

南アフリカで行われているサッカーのワールドカップで、日本は初戦の相手の強豪カメルーンに1対0で勝った。チームワークで本田がゴールに球を押し込んだ。中津江村の元村長はカメルーン応援のためやってきているが、彼にとっては残念であり、また嬉しいことでもあったであろう。ワールドカップは世界のお祭りである。

国会では菅総理の所信表明演説に対する各党の代表の質問が衆参両院で行われた。そして民主党は野党時代とは打って変わって現実的な理念・政策を掲げ参院選に突入する。

16 身体は泡沫(うたたか)のごとしと見よ。身体はかげろうのごとしと見よ。身体をこのように感ずる人は、死王も彼を見ることはない。

2010年6月15日火曜日

ブッダ『感興のことば』を学ぶ(87) (20100615)


昨日、横須賀からの帰り、京急横須賀中央駅で列車を待つ間にホームの売店で『文芸春秋一学究の「日本国民に告ぐ」藤原正彦』が目にとまった。男は躊躇せずその雑誌を買った。支払いはPASMOで行った。横浜までの列車の中でその部分をむさぼるように読み、横浜に着くまでの間に読み終えた。その間、向かい合った席の前に座っている女房には目もくれなかった。投稿者・藤原正彦氏は男が日頃胸につかえていたことを全部書いてくれた。男は藤原正彦氏のこの投稿記事を国会議員たちに是非読んでもらいたいと思う。

日本人は戦後アメリカの政策によって魂を抜かれてしまったのだ。男はブログ『日々是支度』で叫び続けた。勿論、無名の老人のブログに関心を寄せる人はいないことは分かっている。分かっているが「日本人よ、目を覚ませ!」と叫びたかったのだ。ラベル「憂国」などで憂国の情を吐露し、時に官邸や自由民主党本部や民主党本部、その他の団体にメールを送り、ブログのURLをメールの中に書き、男の叫びを伝えた。その都度官邸や政党本部から返事は来ていた。しかし彼らに男の叫びが届いたと思ってはいない。自己満足と言えばそれまでである。ただ、後世、男の孫たちには読み返してもらいたいと願っている。

その文芸春秋の記事に藤原正彦氏はお茶の水女子大学で1年生対象の読書ゼミを年に一コマ二コマ担当していたとき、新入生に「日本はどういう国と思いますか」と問うたら、彼女たちは表現の差こそあれ「恥ずかしい国」「胸を張って語れない歴史をもつ国」などと否定的なものが多かったそうである。藤原正彦氏は彼女たちがかくもひどい国に生まれた不幸に同情した後「それでは尋ねますが、西暦500年から1500年までの十世紀間に、日本一国で生まれた文学作品がその間に全ヨーロッパで生まれた文学作品を、質および量で圧倒しているように私には思えますがいかがですか」と問うと、学生たちは沈黙したという。

理科系の学生がいれば「世界中の理系の大学1年生が習う行列式は、ドイツの大天才ライプニッツの発見ということになっていますが、実はその十年前、元禄年間に関孝和が鎖国の中で発見し、ジャンジャン使っていたものですよ」と言うと、学生たちは完全に沈黙したという。学生たちは日本の歴史の大事な部分を何一つ習っていないのだ。今でも同じだ。

男はこのブログのラベル「長崎への原爆投下」でWASP(アングロサクソン系白人プロテスタント教徒)のことを書いている。戦後アメリカによる日本人洗脳のことは確かにあり、つい近年ブッシュ前大統領も日本はアメリカとの戦争に敗れて民主主義の国になったというようなことを発言している。日本は江戸時代の昔から民主的な国、貧富の差が欧米ほど極端ではない国、教育が行き届いていた国だったのだ。その発端は当時の大学である東大寺や全国各地の国分寺を建設した聖武天皇(724- 749年)による教育政策にあるのだ。

はやぶさが7年の宇宙の旅、満身創痍の旅を続けて無事地球に帰還し、自らは燃え尽きていとかわの土が入っているかもしれないカプセルを地球に届けてくれた。大変感動した。

9 この世の中の人々は慢心をもっていて、つねに慢心にへばりつかれている。悪い見解にとりつかれていては、努力しても生死流転を超えることはできない。

2010年6月14日月曜日

ブッダ『感興のことば』を学ぶ(86) (20100614)


 男は女房と一緒に‘適度な運動’を兼ねて「横須賀しょうぶ園」に行った。横浜から京急線快速特急に乗ると途中上大岡、金沢文庫、金沢八景の三か所に停車するだけで横須賀中央に着く。京急線は広軌なので速い。横須賀中央で逆に上りの普通列車に乗り換え隣りの汐入で下車する。其処から直通バスが出ている。

 今日(13日)は曇天で暑くもなく涼風あり、花しょうぶを観るには絶好の日和であった。横須賀中央駅セブンエレブンでおにぎりなど買って下り列車に乗った。そのコンビニではタイの女性らしい人がたどたどしい日本語で応対してくれた。

 しょうぶ園では花がちょうど見ごろであった。男と女房は毎年ここに花を観に来る。今年はあじさいも見事であった。男も女房もそれぞれデジカメを持ってそれぞれ好き勝手に花の写真を撮る。最近のデジカメは性能が良く、素人考えであるがA4サイズの写真を作るにはこれで十分であると思う。勿論お互い‘生前の写真’となるような写真も撮っておく。撮った写真はテレビの画面に映し出してお互いあれこれ批評しながら、比較的に良く撮れているものだけを整理して保存している。

 しょうぶ園は横須賀市営である。園内で十分楽しんだあと横須賀に向かった。直通バスが途中の渋滞のため予定時刻通り運行されない。そこでウオーキングを兼ねて途中まで歩くことにし、本通りまで歩いた。そこで汐入経由横須賀行きのバスに乗った。

 久しぶり‘海軍の街’横須賀で遊ぶ。米海軍の基地前を通り三笠公園にゆく。記念館三笠には以前訪れたことがあり、艦内も見学したことがある。そこで東郷平八郎の銅像の前で記念写真を撮ろうとしていたら学生たちがわいわいがやがややって来てお互いに集合写真を撮ろうとしている。そこで男は「撮ってあげようか」と声をかけたら「お願いします」と言うので男である‘おじさん’が陽気に何だかんだ言って笑わせなら渡されたデジカメ、携帯、流行りのiPadで写真を撮ってやった。次に男と女房の写真を撮ってもらう。学生たちも「ギヴアンドテイク、お返しです」「もう一枚!」とかなんとか言って男と女房を笑わせながら良い写真を撮ってくれた。

 猿島行きの船が泊っている。横須賀のアメリカ兵らしい若者が4人チケット売り場の前に座り込んで乗船を待っている。船は16時出発で猿島からの最終は17時だという。片道10分もかからないので猿島に行ってみることにし切符を買った。料金は大人1200円であった。

 猿島からの船が到着し、客が下船したあと乗船となる。アメリカの若者たちが「お先にどうぞ」と合図する。「ダンケ」と言って真っ先に乗る。猿島は小さな島である。ひと周りするに1時間もかからない。木々の間の道を歩いているとすぐ近くでホトトギスが鳴いているが姿は見えない。猿島で何枚か記念の写真を撮った。夕食に横須賀の「さいか屋」デパートのレストランンで「海軍カレー」を食べ帰途についた。海軍カレーには大満足である。

7 人々は自我観念にたより、また他人という観念にとらわれている。このことわりを或る人々は知らない。実にかれらはそれを(身に刺さった)矢であるとは見なさない。

2010年6月13日日曜日

ブッダ『感興のことば』を学ぶ(85) (20100613)

男は来月末の吉日に行われる親戚の結婚式に女房とともに招かれている。その親戚と言うのは女房が子供の頃から思春期のころまで実の子のように育てられた家である。女房は大家族の家で叔父さんや叔母さんたちの末っ子の妹のようにして子供時代を過ごした。男はその家の叔父さんのご長男の、そのまたご長男の結婚披露宴での祝辞と祝吟を依頼された。

そこで男はかつて所属していた詩吟の団体の宗家が吟譜をつけた桧垣賀陽の『結婚式』を吟じることにした。これには「君が晴着の御(み)姿に あやかり遊ぶ鶴と亀 尾上(おのえ)の松の深みどり 幾千代かけて 祝わなむ」という今様が付いている。男はこの今様を列席の皆さまに一緒に唱和してもらおうと思っている。祝辞は至極簡単に「苦しいときも楽しいときも夫婦あいたすけて末ながく幸せに」程度にし、吟に力を入れる。

男はプロではないがこの種の吟ならば自信をもって披露することができ、喜んでもらえると確信している。そこで毎日練習をしている。お腹から声を出し、頭蓋骨からつま先までの骨の全体を意識してこれを振動させるように心がけている。これがまた健康法につながる。実はこの骨を意識する発声法は先日テレビで狂言の野村萬斎氏が出演していて、彼が発声する音の質と拡がりが科学的に分析されているのを見てヒントを得たものである。

今自分が張りのある声を出しているかと言えば全くそうではないが、男はいくら齢をとっても最期まで張りのある声を出し続けるように努力したいと思っている。そのためあれやこれは発声法の工夫をしている。毎日10分程度でも吟の声を出し、録音してみて少しでも改善しようと努力している。

それが続いているのは男が別のブログで公開している毎月予め決めた吟題で詠うおかげである。自分の下手な吟詠を公開するのはいささか勇気が要る。しかし昨年の3月以来続けてきてある程度開き直ってやっている。

このブログでは毎日のアクセス状況が分かる。人気度は「サークル/部活/学校」の分類で4300余りのブログ中330位のところを上下している。嬉しいのは男が力を入れて詠った『百済を復す』や『青の洞門』にアクセスがあるということである。特に『百済を復す』は江戸時代の歴史学者・詩人の頼山陽が作った詩で、男が日本書紀などの歴史書を調べて自ら講釈したものである。これは戦後65年経って平和ボケしている日本人が自覚を新らたにするあめ是非多くの方々に読んでもらい、聴いてもらいたいと願っているものである。

男はこの講釈をするにあたって歴史書のほか渡部昇一の『古代史入門』(PHP研究所刊)を参考にした。古代、わが国は中国から多くのことを学んできた。その一方で日本は大陸の脅威に怯えてきた。地政学的に大陸側を中心に日本列島を見れば、大陸側の人々は日本をひと飲みできそうな感覚になるだろう。大陸の国々との平和友好関係を保ちながらも、日米同盟の深化、わが国自身の専守防衛力の維持・状況に応じた増強は是非必要である。

5 この世の中は暗黒である。ここではっきりと(ことわり)を見分ける人は稀である。網から脱れた鳥のように、天に至って楽しむ人は少ない。

2010年6月12日土曜日

ブッダ『感興のことば』を学ぶ(84) (20100612)

早寝早起きは健康に良い。こえまで10時に就寝したことは殆どなかったが昨夜は10時に就寝した。朝6時過ぎにきてベッドの中で爪揉みや腹式呼吸法を行って起床した。爪揉みや腹式呼吸法は毎朝起床前に行っている。

コレステロールのことについて調べてみた。コレステロールの基準範囲は、悪玉コレステロールLDLは140未満であり、善玉コレステロールHDLは40以上となっている。男も女房もHDLは基準値を上回っているがLDLの方は二人とも180 位ある。これは多すぎる。

LDLが多くなる原因はストレスや肥満などである。この原因を取り除けばLDLは下がる。一方HDLは適度な運動で増やすことができる。HDLはLDLを吸収する働きもある。

コレステロールについては男も女房も共通の問題である。この問題を共同で解決しなければならない。これまで男は女房が言い続けてきたことにあまり耳を貸していなかった。そのため食事も女房自身自分のコレステロールのことを気にしながら男の好みに合わせた食事を作っていた。食後の甘いものも、お茶の時の菓子も、食べ過ぎと思いながらつい口に入れてしまっていた。つまり、男自身が自分の健康維持について自覚に乏しかった。その結果男が初めに体調を崩し、続いて女房も体調を崩してしまった。今男の体調は殆ど回復したが女房の方はまだ十分ではない。これは男のせいでこうなったと反省する。

男が問題の原因を自覚したら後はこれを解決するための行動は速い。食材や食事については女房に全面的に一任した。もともと女房は健康に深い関心があり、放送大学等でも必要な勉強を重ねてきている。男は女房と自分の健康回復・維持のため努力を集中することにした。そう決めたら女房の顔も明るくなった。男と言うものは、ある問題が降りかかるとそれを払いのけるためエネルギーを集中するものである。

亀井静香氏が大臣を辞任した。参院選を控え郵政改革法案が今国会で審議されない見通しになったためである。連立は維持され代わりに自見氏が大臣職を継承した。今日(11日)菅新首相が国会で所信表明演説をした。内容はなかなか良い。国民に国の安全保障について自ら責任を負う自覚を求めたこと、総理大臣としてみずからビジョンを示して国民に問いかけて行くので、自分を信頼して総理大臣としてのリーダーシップを発揮させて欲しいと国民に呼びかけた。財政再建について超党派であたりたいと自民党などに呼びかけた。さすが長州人である。彼は自分の内閣を名付けて「奇兵隊内閣」とした。男は初め「外国人参政権」や「夫婦別称」を推し進めようとし、数の力で何でも押し通そうとする民主党に不安感を抱いていたが、小沢氏が静かになり一先ず安心した。しかし今後の動きを注視しながら、民主党に期待したいと思う。

ブッダ「感興のことば」第27章「観察」;

1 他人の過失は見やすいけれども、自分の過失は見がたい。ひとは他人の過失を籾殻のように吹き散らす。しかしこの人も自分の過失は隠してしまう。狡猾な賭博師が不利な骰子(さい)の目をかくしてしまうように。

2010年6月11日金曜日

ブッダ『感興のことば』を学ぶ(83) (20100611)

千葉に住む竹馬の友Sから送ってきた『愚の力』(大谷光真著、文春新書)を読んで、男はいつも思っている「あの世」のことや「前世」のことについて一層確信を深めた。「愚者になる」ということと「愚者である」ということとは大きな違いがある。「愚者になる」ということについて大谷氏は龍谷大学の石田慶和氏の言葉を引用して、「端的に言えば、絶対者=阿弥陀如来の願いに出遭えないと愚者の自覚に至らない、他者との比較において愚かであるとか賢いとかいう問題ではなく、自己一人の問題として存在自体が問われるあり方である」と説明しておられる。

男は現代人が科学的合理主義に毒されてなかなか愚者の自覚に至らない状況を見て、逆に科学の知見を深めることによって「あの世」「前世」の存在を証明することができないかと考え、放送大学に籍をおいて先ずは分子生物学などの学問を初め、Biglobeブログ『現代の自然観と仏教』を開設し、自分がそのテーマについて思索したことを公開しながら日々を送って行こうと考えた。男は純粋に「あの世」や「前世」の存在を信じている。男が日常経験する「不思議なこと」を、男は「それはたまたま偶然に起きたことではなく、起きるべくして起きた必然的な現象である」と信じている。

飛行機の中で『古代豪族の謎』(新人物文庫)を読んだ。蘇我氏のことについて松尾 光氏が執筆している。彼は、蘇我氏は武内宿禰を伝説的な祖とするがそれは正しくなく、蘇我氏の姓は「臣」であるので渡来系とはみなしがたい、蘇我氏は稲目のとき宣化天皇(535- 539年)、欽明天皇(539- 571年)2代にわたり政治的手腕を買われて大臣に任命された、その‘大臣’という呼称は役職名ではなく‘近臣’‘重臣’という意味である、と言っている。

蘇我氏宗家は大臣になった稲目の子・馬子も大臣となり、父にならって効率的で安定的な経済政策を進めた。そして政敵を倒して政治の実権を握り、さらに自ら擁立した崇峻天皇(587- 592年)と対立してその天皇を葬り去り、自分の姪欽明天皇の血を引く女子を推古天皇(592- 628年)に立てた。馬子の子・蝦夷も大臣になったが天皇を無視する行動をとり、蘇我氏傍系の石川氏からも敵視されるようになった。蝦夷の子・入鹿も大臣となり、父同様に時代を先取りする開明性はあったが私利私欲的な行動をとり、自分の従兄弟にあたる古人大兄皇子を擁立したいために罪もない山背大兄皇子を力づくで討ち滅ぼす一方で聖徳太子に温情を示すような行動・それも下心あっての行動をとった。

蘇我氏宗家のそのような政治的行動は廷臣たちの反感を買い、ついに中大兄皇子・のちの天智天皇から誅殺されて宗家は滅びた。しかし男はその蘇我氏宗家の思いは何10世代の後も途絶えることはなくその時々の「この世」に現れては消え、現れては消えたのではないかと思う。今の「この世」は誰かの「前世」の「あの世」の姿である。男は小沢一郎氏の行動を見るときつい古代に政治的実権を握り、天皇を軽視した蘇我氏とダブらせてしまう。

30 (自分に)ひとしい、あるいはひとしくない生れ、生存をつくり出す諸の形成力を聖者は捨て去った。

2010年6月10日木曜日

ブッダ『感興のことば』を学ぶ(82) (20100610)


 たまに帰省するとやることが多い。今日(9日)は12時半に発たなければならないが折角の良いお天気なのでハッスルして独り暮らしの老母(男の継母・女房の実母)のためにいろいろして上げた。部屋を掃除し、布団を干し、マットも干し、シーツを夏用のものに取り換え、ベッドメーキングし、洗濯をし、ホームセンターで松葉ボタンなどこれから良く咲くいろいろな花を買ってきて母にも運動がてら手伝ってもらって花畑の空き地に植えたりした。

 時計を見ながら作業をし、老母と一緒に昼食をすませ、シャワーを浴びて服を着替え、タクシーを待つ。タクシーで高速道路を走る路線バスの停留所にゆく。座席は予め取ってあったが前の座席が空いていたのでそこに手荷物を置き、前の空いている席に座る。1時間半ほどで福岡空港に着く。

 空港では出発時刻まで1時間ほどある。Keyコーヒーの看板が出ている店に入って一休みすることにする。ちょっと彫りの深い顔立ちの二十歳ぐらいの女性がウエイトレスをしている。客は男以外誰もいない。カウンター席の横を通り奥の方の席に座る。カウンターの向こうに入口があり、人々が歩いているのが見える。

 メニューにこの店で出すコーヒーは有機栽培のコーヒーであると書いてある。シュガーも有機栽培のものであると書いてある。ホットコーヒーとチーズケーキを注文する。「お砂糖とミルクは要りますか?」と言うので「お願いします」と答える。

 コーヒーにはそのシュガーを多めに入れる。ミルクを入れてスプーンでゆっくりかき回す。その渦の模様をしばらく見つめる。それからゆっくりと味わう。美味い!ケーキも美味い!

 カウンターの中でそのウエイトレスの女性が何かを見ている。横顔がなかなか良い。福岡空港に来るたびに感じることであるが、九州の女性は横浜あたりで見る女性とちょっと違う。何が違うかと言えばどことなくきりっとしていて、しかも暗いイメージは全くない。男は自分が九州の人間であるからそのようにひいき目にみるのかもしれない。

 店内の客は暫く男一人だけであったがそのうちビジネスマンらしい3人連れが入ってきた。この店は軽食も出す。彼らは何か食べるものを注文している。男は暫く至福の時間を味わっていたが、飛行機の出発の時間も30分前となったので店を出て出発ロビーに向かう。

 ゲートで旅行かばんからパソコンを出し、金物が大きいベルトと金属バンドの腕時計を外し、ショルダーバッグを外し、ANAマイレージカードをタッチし、探知機をくぐる。ベルトと時計はすぐ出てきたが旅行かばんとショルダーバッグは出てくるのに時間がかかっている。X線検査で丹念に調べているようである。検査員たちは民間人であるが出口で警官が目を光らせている。

 機内サービスでは初め有料の案内があるがそれはパスして無料のアップルジュースを注文する。エアータービュランスがあって飛行機は揺れが大きい。無料サービスのジュースのコップはテーブルの穴に固定しているが万一エアポケットに入って急激に高度を落としたら液体が飛び出してしまうかもしれないと思い急いで飲んでしまう。

20 何ものかに依ることが無ければ、動揺することが無い。そこには心身の軽やかな柔軟性がある。行くこともなく、没することもない。それが苦しみの終焉であると説かれる。

2010年6月9日水曜日

ブッダ『感興のことば』を学ぶ(81) (20100609)


 今日は9時半から1時間半、ヘルパーさんが来る。その間、男は出かけていようと考えた。本来ならば家族が帰っているときは訪問介護を断らなければならないことになっている。家にいてはまずい。

 そこで昨夜友人に電話を入れてどこかで会うことにした。田舎のこと交通の便は甚だ悪い。都会では交通機関が人に合わせてくれるが、田舎では人が交通機関に合わせなければならない。JR九州のサービスメニューで、ここから特急利用の2枚切符のため3600円払えばその2枚切符を往復で使うことができる。ヘルパーさんが来る前に家を出て9時半すぎの特急に乗れば11時前に大分に着く。家から駅までは歩いて20分もかからない。

 ここは盆地である。周囲が山で中央に川が流れている。太古の昔この地は火山噴火の後湖になっていたがその岸辺の一部が決壊し水が流れ出した。水はどっと流れ出たところに向かい川ができた。その川は岩と石ころだらけの川原に山から下ってくる水が流れるだけとなった。その名残が周囲の山々と川の美しい景観を造っている。

 大分駅で竹馬の友SとTが男を待ってくれていた。Sが運転するおんぼろの軽自動車に乗って‘こつこつ庵’という店に行く。Mが待っていて手を振っている。その店は大分県庁の近くにある。なぜ‘こつこつ’なのか店の名前の由来は聞き忘れた。4人はみな同じMという音楽が担当の女性の先生が担任であった。M先生は若くしてこの世を去っている。4人の話題はM先生のこと、同級生の女性のこと、男が10数年前受けた前立腺がんの手術のことなどであった。Tは最近前立腺がんの腫瘍マーカーの値のことが気になっている。

 昼食に皆大分名物の団子汁を食べて別れ、男は1時半の特急列車で家に帰った。いつも思うがこの久大線沿線の風景は美しい。男の父親は師範学校を卒業してこの線路を走る汽車で任地に向かった。その当時の風景と今の風景は余り変わっていないと思う。多少人家や田圃が増えただけでそういう人家や田圃がないところは昔と全く変わらないと思う。列車は汽車からジーゼルカーに変わっただけである。

 朝家を出るとき母がいつもやっているようにダスキンのモップを持って家の中の掃除をしていた。男は母に「よく家を守ってくれているね」と言ったら、母は「お父さんは早く死んだがお父さんのお陰でなにもせず楽な暮らしをさせて貰っている」と涙ぐむ。男はこの家の‘当主’として「お母さんは大変苦労が多かったがよくわが家に尽くしてくれた」と感謝の気持ちを伝えた。

 内閣は新しい顔ぶれで再出発した。男はこの内閣に期待したいと思う。自民党には若さ、新鮮さ、活気がない。物事には二面性あり、普天間の問題はいずれ解決の方向に向かうだろう。

 人それぞれ役割を持ってこの世に生まれてきている。その役割を自ら自覚し、周囲もその人の役割を認めて評価する。かくして人ぞれぞれ自分の人生を生きる意味を知る。

ブッダ「感興のことば」第26章「安らぎ(ニルヴァーナ)」続き;

18 (1)苦しみと(2)苦しみの原因と(3)苦しみの止滅と(4)それに至る道とをさとった人は、一切の悪から離脱する。それが苦しみの集滅であると説かれる。

2010年6月8日火曜日

ブッダ『感興のことば』を学ぶ(80) (20100608)

 やはり田舎の空気は良い。起床して庭を見る。親父が生きていたころは水をたたえ錦鯉が数匹泳いでいた小さな池はもう何十年も水を抜いたままになっているが、岩場のように見えてそれなりに良い。猫の額のような小さな庭であるが池と池の周りの岩と松やもみじや百日紅や梅や数株のつつじやなどの樹木や周囲の芝生などからなる全体の構成はなかなか良い。先日庭師が来て手入れをしてくれたという。その庭師はもう何10年もわが家の庭樹の手入れをしてくれている。

 今年はつつじが見事なピンク色の花をつけていて母は「あんたが肥料をやってくれたので今年はまあ見事だ」と喜ぶ。百日紅の木は横に伸びて何10年も前から柱で支えられている。それは枯れかかっているように見えていて元気が無さそうだった。去年その根元にたっぷり肥料をまいておいたのが功を奏して新しい枝が空に向かって伸びている。今年も美しい花をつけてくれるだろう。去年松くい虫にやられていた松も害虫駆除と肥料散布で元気がよい。薔薇の隣にある花ミズキは少し大きくなったが元気がなさそうである。薔薇は肥料と水と太陽の光でよく育つというが、花ミズキはその隣にあるためかもしれない。つまり栄養分を薔薇にとられてしまうのかもしれない。これは素人考えである。薔薇は赤い大きな花を三つつけている。ときどき母の様子見かたがた来てくれている近所の主婦のSさんが自分の家で差し木して育てたいというので母は彼女に薔薇の枝先を切りとらせて持って帰らせたという。母は毎日よく庭に出て家の周りをまわり雑草をむしったりしてよく手入れしている。家を守るということが彼女の生きる励みにもなっている。

 今日(7日)の昼食は母(男の継母・女房の実母)が買い置きしていたインスタントラーメンにした。母は文字通りインスタントで、これを食べる時野菜などなにも入れていないようだ。今日は冷蔵庫にあるキャベツや人参やなどいく種類かを予め電子レンジで温め、ハムを刻んで一緒に煮込んだ。ラーメン用のお椀に入れて出したら「おいしい」と喜んで食べた。朝は別々のメニューである。男はいつも朝はパン食である。自分の朝食は自分で作る。母には自立のためいつもしているとおりにさせた。しかし母が作ったみそ汁だけは頂いた。薄味すぎてまずい。

 夕食は昨日約束していた焼き肉にした。近くのスーパーで豊後牛の焼き肉用ロース150gを2パックと地元大分の臼杵の醤油製造工場で作った焼き肉用たれを買い求め、その他の野菜は冷蔵庫にあるものを使う。座卓の上に焼き肉用の電熱プレートを置き、さし向いで焼き肉を食べる。母は「おいしいおいしい」と連発しながら70gぐらい食べた。男もいつも母の様子を心配してくれている隣のTさんから頂いた地元の清酒を飲みながらおいしく食べた。肉は半分残したので明日の夕食もまた焼き肉である。コレステロールが気になる。

 昨日に続きブッダ「感興のことば」第26章「安らぎ(ニルヴァーナ)」を続ける。

9 ひとびとは因縁があって善い領域(=天)におもむくのである。ひとびとは因縁があって悪い領域(=地獄など)におもむくのである。ひとびとは因縁があって完き安らぎ(ニルヴァーナ)に入るのである。このように、このことは因縁にもとづいているのでる。

2010年6月7日月曜日

ブッダ『感興のことば』を学ぶ(79) (20100607)

 羽田空港から11時30分発福岡行きのANA251便B747-200型機に乗る。機内は乗客がまばらで男が座った27B席の両隣りは空である。もし女房が病気でなければ隣の27A席に女房がいるはずである。

 羽田を飛び立ってすぐひと眠りしている間に無料の機内サービスがあったらしく、男が目を覚ましたときは有料のサービスが行われていた。Starbucksのコーヒー200円を注文した。

 座席の前に差されている雑誌に目を通す。鹿児島に一人住まいしている老母(男の継母・女房の実母)のもとに介護のため愛知から毎月一回帰っているある女性の記事が出ている。鹿児島空港で出発のとき空港のスタッフが一列に並んで乗客に「ありがとうございました」と真心こもった挨拶をしてくれたときじーん胸に来たとある。

 男は何年か前、女房と二人で鹿児島旅行をしたことがあった。老母の介護の後、3泊4日の自由な旅をした。九州新幹線を利用し出水で下車し、飛来していた鶴を観察し、その後ローカル線で串木野に行き、そこの長崎鼻の国民宿舎で一泊し、翌日またローカル線で鹿児島まで行き市内や桜島など観光し、JRが経営するホテルに一泊し、翌日またローカル列車で指宿まで行き、ホテル直営の砂蒸し温泉も楽しみ、翌日観光バスで開聞岳や知覧など周り、その後高速バスで一直線に鹿児島空港まで行き、遅い飛行機で羽田まで戻ってきた。鹿児島空港は鹿児島市内から随分遠く離れたところに建設されているという印象であった。

 市内から遠く離れたところにある空港と言えば熊本空港もそうである。現役のころ仕事で熊本に出張したことがあった。熊本空港は熊本市内から遠く離れた丘陵地にあったと記憶している。男の郷里大分空港も同様である。空港から大分市内までバスで1時間半ほどもかかる。最近地方空港の経営難のことがニュースで伝えられているが、一般に地方空港というものは市街地から遠く離れたところに建設されているようである。

 飛行機は羽田から1時間45分ほどで福岡空港に着いた。そこから高速バスに乗るのであるが、バスの出発時間まで小1時間ある。そこで空港内のレストランで昼食をとることにした。ヘビーな食事は気が進まない。あれこれ物色しているうちに野菜カレーが目にとまった。定価720円である。色とりどりの温野菜が沢山入っており見た目豪華である。味も結構良い。男は今度横浜の家に戻ったら女房にこの野菜カレーを作ってやろうと思った。

 老母は大変元気の様子である。週2回の訪問介護と週1回の老健でのデイサービスと隔週1回のデイサービスを受けている。最近もの忘れは進んでいるが問題なく自立した生活を送っている。老母がヘルパーに「息子が帰ってくる」と言ったら「息子さんの分も」と多少多めにおかずを作ってくれていた。そのヘルパーさんは農家兼業で自宅では1町8反の農地を耕していて丁度田植えの時期で忙しいと言っていたという。この地域の農家の主婦にとってホームヘルパーの資格を取って働くことは楽しいらしい。第26章「安らぎ」;


6 健康は最高の利得であり、満足は最上の宝であり、信頼は最高の友であり、安らぎ(ニルヴァーナ)は最上の楽しみである。

2010年6月6日日曜日

ブッダ『感興のことば』を学ぶ(78) (20100606)

 福岡往復の航空券をインターネットで購入済みであったが女房の体調が良くないので今回は男だけが独りで帰省することにし、女房の分はキャンセルした。さらに男の分も1週間の予定のところ早く切り上げて向こうに3日居て戻ってくることにした。スーパー旅割の格安料金であったので多額のキャンセル料をとられてしまった。2月に女房が帯状疱疹を患いそのときも葬式や法事で帰省するため航空券や宿を取っていたがそれもキャンセルした。今年は多額のキャンセル料を払うはめになってしまった。老母も今年の冬を越すにあたって大丈夫かと言う気にはなっている。ちょくちょく九州に帰るという従来のやり方ではそろそろ立ち行かなくなってきたように思う。

 男はもともと父祖の地大分に帰ってそこに住み続けるということを考え続けてきた。そろそろそのことを真剣に考えなければならない時期に来たと思う。男は「人生至るところに青山あり」の考え方をしており、どこに住んでもよいのであるが、やはり地縁血縁の深い郷里が一番住み心地がよいと感じている。何も喧噪の、空気が汚れている都会地で人生の晩期を過ごしたいとは思わない。

 ところがどこでも女性はそうらしいが、女房も母のことで一時的短期間に田舎で暮らすことはやむを得ないと考えているが、終生そこに住む気はない。その理由はいろいろな不便と医療への不安と、心通わせている友との距離的別離への淋しさなどがあるからである。

 男のある友人は千葉に住んでいたが定年後妻子と別れ、福岡に移住し、新たな伴侶を得て日々晴耕雨読の暮らしをしている。彼は男の影響を受けて何年か前から詩吟にも親しんでいるということである。九州帰省の折には是非立ち寄れといつも書き送ってきてくれている。是非一度のその暮らしぶりを覗かせてもらおうと考えている。

 女房はそのような隠居・遁世の暮らしかたを望んでいない。男と女とでは考え方が全く違う。どちらかがどちらかに折れて、まあ半々のところで折り合って落ち着くしかない。お互い共通していることは老後は煩わしいことから離れて自由気ままに暮らすことであるということである。しかし身内に要介護者がいて、しかも老老介護を余儀なくされる状況に至るとその願望は願望だけにとどまってしまう。

 それでも老母が独居している田舎の山間の町では僅かの土地を借り受けて耕作することは不可能ではない。老老介護のかたわらそのような晴耕雨読の暮らしができないことはない。都会好きの女房と離れて暮らし、ときどき女房が田舎に帰って来、ときどき男が都会に戻って来る、そのような結構な生活を1、2年間続け、そのうち母の状態次第で女房も一時的に田舎に暮らし、母を看とる。そのようなことも考えられる。

 今年は多額のキャンセル料を取られて馬鹿をみているが、それは状況の変化に対応する仕方の勉強のコストであると考えて、損失を利得に転換しなければならないと思う。

25 よく気をつけていて、明らかな知慧あり、徳行をたもち、学ぶところ多く、しっかりしていて、敏捷な人に親しめよ。諸の星が月にしたがうように。

2010年6月5日土曜日

ブッダ『感興のことば』を学ぶ(77) (20100605)


新首相は菅直人氏が指名された。民主党代表候補として最大グループの小沢氏が田中真紀子や海江田万里氏や突然現れたニューフェース・樽床伸二氏をグループとして独自に推薦しようと試みたが、何れもその工作に失敗した。田中氏によれば小沢氏から直接働きかけがあったが「自分はその器ではない」と断ったとメディアの前で語った。樽床氏は菅氏と160票ほどの差で敗れたがそれでも130票ほど獲得した。その票には小沢グループも含め、各グループ横断的に若手の票が集まったようである。

男が問題にしたいのは、一国の指導者を選ぶのに議員内閣制とはいえ、特定のボスの意向が反映される可能性が大きい仕組みがあるということである。小沢氏は自分が書いた本には格好の良いことを書いているが、国の命運を正義よりも数の論理で推し進めようとしているように見える。小沢氏はその論理を実現させるためあらゆる手段で金を集め、金とポスト配分を一手に握ることにより権力を握り、「自分の名誉欲と金銭欲を満足させるためには長いものに巻かれるほうが得である」と考える者の心理を巧みに利用している。政治家になってみなければ理解できないことかもしれないが、「政治とはそういうことである」と分かったようなことを言う輩を男は大嫌いである。男は自分が昔から正義感の強い、潔癖症であることは自覚しているが・・。

しかし、議員内閣制は報道の自由が完全に保障されているわが国のような国では、国民にとって最も安全な、安心できる制度かもしれない。今回の民主党の代表選の様子はメディアを通じて逐一国民に知らされていた。昔のように首相が密室で決められていた時代では必ずしも国民の総意にそった人が首相になったわけではなかった。それでも官僚がしっかりしていたから問題はなかった。

民主党が政権をとってからは平成維新と称して極端に走り、官僚を排除する政治を行ってきたため普天間基地問題では迷走に迷走を重ねてしまった。鳩山元首相も首相になって半年も過ぎて自らの間違いに気付き、「勉強した結果抑止力のことがわかった」と言って沖縄県民の反発を押し切って日米政府間の合意を決定し、身動きできなくなってしまって首相の座を降りた。多くの民主党員たちも自分たちの過ちに気付き、鳩山氏と小沢氏ツートップを下すことによって生きのこる道を選んだ。それが今回の代表選の結果である。

社会的な事象における矛盾というものは、時が経てば必ず解消されるものである。ロシアは70年間に及ぶ壮大な社会実験を経て共産主義と決別した。そのロシアは民族問題という新たな矛盾を抱えて苦しんでいる。中国も共産党一党支配の政治構造で今後半世紀続けることができるかどうか。国内に抱える民族問題や農民は簡単には都市の住民の戸籍を得ることが出来ないという戸籍問題は火種としてくすぶり続けるだろう。その火種を消すため国民の目を外に向けさせるのはどの国でもよくやる手である。警戒が必要である。

23 称讃してくれる愚者と、非難してくれる賢者とでは、愚者の発する称讃よりも、賢者の発する非難のほうがすぐれている。

2010年6月4日金曜日

ブッダ『感興のことば』を学ぶ(76) (20100604)


 男は政治家たちやテレビに登場し影響力のある報道関係者や論客や平均的日本人の間で、次の二つの言葉の定義について「よく分かった」という共通的理解がなされていないということに気付いた。それは一つは「抑止力」という言葉と、もう一つは「沖縄に抑止力を配置する意義」という言葉である。

 この大変重要な二つの言葉が定義されずに民主党政権が誕生するまで過ごしてくることが出来たのは何故であろうか?言葉の意味が定義され、広く普遍的に了解されないままだと必ず問題が起きる。そうでなくてもものごとに内在する‘矛盾’というものは時間の経過とともに必ず大きくなってゆくものなのである。

 なぜ上記のような重要な言葉がきちんと定義されないままに今日まで来たのであろうか?その根本原因は、われわれ日本人は昔から言葉よりも以心伝心というコミュニケーションの方法を大事にし、しかも古来そのやり方でうまくやってきたところにある。法廷以外の日常生活の中では言葉を使って論理的に話す者は「理屈っぽい」と非難される。「まあまあ」「なあなあ」で話をまるく収める。普天間の問題も自民党政権時代に「まあまあ」「なあなあ」と丸く収められていたが、民主党政権に変わって矛盾が一挙に噴き出したのだ。

 鳩山首相によって「抑止力」という言葉が一挙に表に出たが、一般国民はそれはアメリカが担っているものであると単純に思っているように見える。しかし抑止力は在日アメリカ軍と自衛隊の協同により効果を発揮できるものである。沖縄における抑止力ではアメリカ軍が非常に大きな部分を占めているが、それは海上自衛隊の対潜哨戒機や護衛艦による哨戒活動や航空自衛隊のレーダーサイトや戦闘機による警戒活動なしでは成り立たないものである。そのことを理解していない国民は非常に多いと思う。

 沖縄にそのような抑止力が存在するということは、日本の安全保障にとって必要である。軍というものは一朝有事に際し即応できなければ存在価値はない。北東アジアの情勢は緊迫している。東南アジア諸国が平和であるということはわが国の平和と繁栄のために必要である。抑止力は北東アジアと東南アジアににらみを利かせる意味おいて、然るべき場所に存在していなければならない。その然るべき場所が沖縄なのである。

 しかし男は、沖縄には日本の安全保障にとって必要以上のアメリカ軍部隊が展開していると思う。基地も多い。アメリカ軍機の墜落事故やアメリカ兵による犯罪も多い。沖縄の人たちはアメリカ軍の基地が存在することによる負の部分が大きいと感じている。その負の部分は国として何らかの補償をしつつ、将来的には沖縄にはわが国にとって必要最小限のアメリカ軍部隊の駐留としなければならない。

 男は、人々が単純に「沖縄にアメリカの基地は要らない」と言うのを情けなく思う。テレ朝の鳥越氏もその主張をしている。全ての問題は言葉の定義と国民的了解の欠如にある。

23 もしも愚者が「われわれは愚かである」と知れば、すなわち賢者である。愚者でありがら、しかも自分では賢者と思う者こそ、「愚者」と呼ばれる。

2010年6月3日木曜日

ブッダ『感興のことば』を学ぶ(75) (20100603)


 鳩山首相が辞任した。小沢幹事長も辞任した。普天間基地問題及び政治と金の問題で行き詰まったのである。両氏の辞任で民主党への支持率は少し上がるだろう。男は民主党政権発足後、国の安全を脅かすような動きに対して大きな憂いを感じていた。そのことはこのブログの「憂国」や「政治」のラベルの記事に書いてきた。(今後、‘男’が書く。)

 鳩山氏は寺島実郎氏の考え方に大きな影響を受けていたと言われている。鳩山氏は「在沖縄のアメリカ海兵隊が抑止力となっていることを総理になって初めて学んだ」と言ったが、鳩山氏は総理大臣になる以前から‘抑止力’というものについてしっかりとした考え方を持っていなかったのでなないかと思っている。抑止力はアメリカに全面的に依存しているわけではない。抑止力は日米双方の軍(日本は自衛隊)の協同作戦により効果を発揮するものである。日米お互い足りない部分を補完し合って、初めて抑止力となるものである。長年平和ボケした日本人は、「アメリカの核の傘」だけが抑止力と思っていて、鳩山氏もそう思い込んでいたのではないかと思う。

 男は、日本の国の指導者に志す者は次のことを予め勉強しておいてほしいと思っている。一つは日本の古代から中近代の歴史である。663年の百済の白村江で、天智天皇が派遣した総勢4万1千人、戦闘船1千艘のわが日本軍(当時‘倭軍’)は大敗した。その後唐・新羅連合軍の来襲に備えて天智天皇の弟・大海人皇子は對馬などに防衛隊を置いた。その時代のわが国の苦難の歴史、またその後1019年の刀伊の侵入、1274年と1281年の2度にわたる蒙古来襲のときのわが国の対処の歴史について学んで欲しいと思っている。

 もう一つは他国に不法に実効支配されている北方領土及び竹島に関する歴史、特に不法に実行支配されるに至った経緯である。次に尖閣諸島および沖ノ島の領土保全のことである。最後にわが国の領土・領空にちょっかいを出す中国やロシアの軍に対抗するわが国の自衛隊(男はこの用語が嫌いである。憲法を改正して‘日本国防軍’‘英語名:Japan Defense Forces’と呼称すべきである。)、警察及び海上保安庁(男はこの用語も嫌いである。憲法を改正せずとも‘日本沿岸警備隊’、巡視船の船腹に表示してあるとおり英語名は‘Japan Coast Guard’と呼称すべきである。)の存在意義及び現状の問題点についてである。

 現実の世界では武力なしには相手に軽んぜられる。馬鹿にされる。相手が強いと認識すればその相手に敬意を払い、相手が弱いと認識すれば、相手を見くびる。国を人間に例えれば、武力である手足は、脳の指令だけで完全にコントロールされているわけではない。国も同じである。政府が完全にコントロールしているわけではない。現に、ロシア軍機の行動に対処するため航空自衛隊は今でも緊急発進している。中国の軍艦の行動に対処するため海上自衛隊は今でも警戒監視行動を続けている。それが現実である。

20 愚者は、千の句をとなえても一の句さえも理解しない。聡明な人は、一つの句をとなえても百の句の意義を理解する。

2010年6月2日水曜日

ブッダ『感興のことば』を学ぶ(74) (20100602)


  先月郷里の中学校の昭和28年卒業組の同級会があったとき、大腸がんで入院中の96歳の叔母を見舞ったが、その叔母が死んだ。葬式に帰れば長年会っていない従姉妹・従兄弟に会うことができるが近日中に帰郷すべくスーパー旅割の安い航空券も購入済みである。それに女房が体調を崩して喉が痛くなり少し発熱もしている。さらに今日は先週作った陶芸の皿3枚の形を整える削りという作業もしなければならない。それは今日やっておかないと乾燥しすぎて折角つくったものが駄目になってしまう。

  あれやこれや考えて結局葬式には出ず、親戚に香典を立て替えて出してもらうことにした。そして丁寧な弔電を従兄あて送っておいた。そして近々帰郷の折、たまたま2月に女房が帯状疱疹になってしまって葬式に出なかったり法事に出なかったりした親戚も含め4か所の親戚を回り、挨拶をすることにした。そのうち機会を作って従兄弟・従姉妹たちが一堂に会することをしたいと思っている。その思いの中には自分が宗家の嫡男でるという自負がある。いろいろあって家は亡父の末弟が継いでいたがその叔父も他界してしまい、わが家の血統の中心は自分しかない。自分がいずれあの世に逝くことになる前に、為すべきことを為しておくことが先祖への供養であり、子孫への遺言となるものである。

  このような考え方は今更古臭いと思う人も多いことだろう。しかし決して古臭くはないのである。先祖を大事に思わない家は決して栄えない。わが家は亡父の代にその思いを強くし、当時は亡父にしてみればあまり頼りにならかった私に直接遺言することなく、系図など仏壇の奥に密かにしまったままにしていた。その私が自分の人生のしめくくりとして子孫に遺すべきものを遺そうとして日々そこに集中している。

  小学校・中学校を通じて同級で、子供のころ一緒によく遊んでいた友から『愚の力』という本を送ってきた。その友が親族と一緒に京都の西本願寺に詣で、そこでその本に出会い、私の住所を伝えて本願寺出版社から直接送ってきたものである。

  この本は浄土真宗本願寺派第24代門主・大谷光真氏が書いたものである。大谷氏は、今の日本はアメリカナイズされた‘すべてを人間中心で動かそうとする’時代の流れともいうべき大きな力に支配されていると言う。人間の精神性の崩壊があったから物質的繁栄がもたらされたと言う。私は全くそのとおりだと思う。

  物質的繁栄が追求される社会では、「みんなが買うから」「みんながするから」「みんなが言うから」と「みんなが」を理由に、みんなが何も考えずに同じ方向に進んでいく。戦争中もそうであったし戦後の高度成長期も今もかわらないと大谷氏は言う。

  全くそのとおりである。以前このブログでも書いたが「いやしき沈黙」もそのような精神構造から生じる。釈尊が口酸っぱくして説く「己を拠りどころとせよ。他を拠りどころとするな」という言葉をあらためてかみしめなければならない。

19 賢者の説いた、意義ある一つの句でも、目的を達成するものであるが、しかし愚者にとっては、仏の説かれたすべてのことでも、目的を達成するには至らないであろう。

2010年6月1日火曜日

ブッダ『感興のことば』を学ぶ(73) (20100601)

  男は今日(31日)は女房と一緒にかりつけの歯科医のところに行った。かかりつけと言っても女房の方は常連のようなものであるが、男の方は3年ぶりである。その歯科医は非常に良心的でどこかの悪徳歯科医のようにむやみに歯を抜いたり歯ぐきを先のとんがった器具でさっとひっかいてむやみに出血させたりはしない。

  女房は26年前この町に引っ越してきたばかりの時に、近所の人のアドバイスで訪れた歯医者で抜く必要もない歯を数本抜かれてしまった。今ではもう時期を失してしまっているが、もしあのとき男が女房の歯の治療のことでもう少し関心があり、歯の治療に関する知識があればその歯科医を告訴したであろう。女房の歯のことについては、男も若かたし、当時医学的知識もなかったので残念なことになってしまったのだ。そのことについては悔いている。後で分かったことであるが、女房の歯を何本も抜いてしまった悪徳医者は、評判の良かったおじいちゃん先生の息子だったということである。その程度の悪い歯医者はまだこの町で‘○○デンタルクリニク’の看板を出している。

  また男自身もそのころ別の歯医者で歯ぐきを出血させるような乱暴な治療を受けた。その歯医者は医学博士と看板に掲げている。言葉は丁寧で如何にも患者の私を尊敬しているふりを見せていながら、今思えばしなくてもよい治療をしていた。その歯科医には早々見切りをつけていたので女房のような被害は受けずに済んだ。

  最近歯科医が患者の減少で困っているという。しかし今日女房と訪れた歯科医は非常に良心的であり、患者の側に立ってよく説明し、治療を施してくえるので口コミで評判が広がり、繁盛している。齢の頃60歳ぐらいである。女房には「もし他の歯医者にかかったとき歯を抜くと言ったら必ず拒否して私のところに来てください」と言ったという。

  今日その歯科医に行ったのは、上の歯ぐきが何か歯周病にでもなりかけているのではないかと気になっていたからである。結果は上の2本の歯の付け根のところが少し虫歯になっているほかはどこも悪いところはなかった。自慢ではないが、男はまだ1本も抜けた歯はない。80歳まで20本以上の歯が残っていることが目標とされているらしいが、その歯科医の先生によれば、男の歯は80を過ぎても全部残っているだろうと言う。男の年では一般に歯の付け根がすり減って何か気もちが良くないことになるらしい。これで歯のことは安心したので男は今後は一層歯や歯ぐきや舌の上の掃除を食後毎回丁寧に行い、虫歯や歯周病などの口中の病気にならないように心がけようと思う。

  歯の治療が終わって、その足で横浜の高島屋デパートに行き、近々また九州の田舎に帰るので近所などに挨拶に回るとき持ってゆく手土産を買った。次回歯科医に行くのは田舎から帰ってきてからである。また女房と一緒に行くので、その日時を予約しておいた。

14 聡明な人は、瞬時(またたき)のあいだ賢者たちに仕えても、ただちに真理をはっきりと知る。舌が汁の味をはっきりと知るように。