2019年6月14日金曜日

20190614晩年の記(その九)


 その男は今、大変安らかな気持ちである。K大学病院のソーシャルワーカーAさんがその男とその妻誰某のため非常に親身になって働いてくれて、その男が退院後の医療体制を完璧なまでに構築してくれたからである。

 その男は明日退院する。退院して帰宅当日の午後、TKクリニックから訪問診療の医師と訪問看護師がその男の家を訪れる。次の週、その男がそう遠くない日に、自宅での緩和ケアが出来なくなった時に入院することになるかも知れない緩和ケア病院との面談の仮予約も完了している。
 
 その陰にはその男が以前法人化と経営に関わったNPO法人「A」のケアマネージャーTさんの親身な支援もある。K大学病院のソーシャルワーカーAさんとケアマネージャーTさんの間では緊密な連絡が行われていた。

 その病院(H病院)もKTクリニックもその男が居住している同じ地域内にあり、アクセスは非常に容易である。これまでその男の妻誰某はドア・ツー・ドアで毎日1時間半もかけて入院中のその男を世話してくれていた。彼女は毎日その男の頭から足首までを丁寧に清拭し、下着・パジャマを新しいものに着替えさせてくれていた。時には、特にこの一週間は、その男は病院食・誰某はコンビニで買ってきた食事、あるときは彼女がわざわざ作って持ってきたすき焼きやハンバーガーや天ぷらなどを一緒に食べたりして、それがもう何ヵ月も続いて来た。

 今日夕方、主治医A先生はその男と誰某及び二人の息子たちに、その男の病状と余命の見通しについて画像を見せながら詳しく説明してくれた。最後にその男の妻誰某は「私は最期まで夫に寄り添って看取りたい」と言った。

 その男は妻の気持ちに出来るだけ寄り添いたいと思っているが、その限界については自分が決定しなければならぬと思っている。その時が長年連れ添った妻との最後の別れになるかも知れないし、もし運が良ければ緩和ケアH病院の一室で永年愛し合って来た妻に看取られながら、永遠の別れをすることが出来るかも知れない。

 その男と誰某はその男が葬られる墓のことについて話し合った。その墓はその男の父親が生前用意していた墓である。誰某はその男が入る墓に自分も入る、と言った。その男は誰某のその予期せぬ発言をとても嬉しく思い、二人の息子たちにそのことを話した。 

 その男の死後その男の長男がその墓を守る。その長男には息子が居ないので、その長男の後は二男、その後はその二男の息子が墓を守り先祖の祭祀を行う。このことはもう何年も前にその男と二人の息子たちの間で話し合われていたことであった。この度それが現実的なことになったのである。

 その男は長男にその男の葬式の準備について話した。斎場・葬儀についてはその男の妻誰某が準備して掛け金を積んでいたものがとっくの昔に満期を終えている「セレモ某」という葬祭業者に全てまかせれば良い。

 その男は今心から安らかな気持ちでいる。緊急入院した身でありながら、関係する周囲の方々の親身なお力添えにより、心置き無く自分の終末を迎えることが出来る。このことは実に実に有り難い事である。

2019年6月9日日曜日

20190609晩年の記(その八)



 その男は一昨日の通院日に受けてたCT検査の結果、がんが右肺に転移していて水が貯まっていることがわかり即緊急入院した。一緒について来たその男の妻誰某とともに入院手続きなどのため病院内をあわただしく動き回った。

 その男の指先にはその男の体内の酸素の状態や呼吸状態が分かるセンサーが取り付けられナースステーションでモニターされている。その状況はその男の手元でも分かるようになっている。

 肺に水が貯まっているため酸素量が下がり、その男の鼻には酸素吸入装置が取り付けられた。

 14日にそれぞれ長崎と大阪に住んでいる二人の息子たちが急きょ帰ってくる。その男はその時まで自分の命を繋げたいと思っている。

 その男と誰某は残された時間をできるだけ濃密に過ごしたいと思っている。一日当り4万3千円の個室とラインと言う通信連絡手段と自宅・病院間片道1時間ほどの距離がそれを可能にしている。