2009年6月30日火曜日

男の左脳、女の右脳(20090630

 男脳と女脳とは基本的に違うらしい。男性は一般的に左脳の働き、物事を論理的に処理しようとするが、女性は右脳がよく働くらしい。しかも右脳と左脳との間で情報が行き来しながら物事を処理するらしい。男性の関心事と女性の関心事は違う部分が多い。だから男と女の間ではしばしば衝突が起きるという。戦国大名伊達政宗は、本当にそう言ったかどうか知らないが、「家の中では客人のように振る舞えばうまく行く。」と言ったそうである。

 良く聞く話に、亭主はかみさんから「うちの人はうるさい」と思われているようである。亭主は瞬時に先々のことまで思考が及ぶので、かみさんがまだ理解できていないことを低い声でぼそぼそと言う。かみさんは亭主が言っていることをまだ理解できずにいると亭主は苛立つ。物事に対する男性の理解の仕方と女性の理解の仕方が違うので、女性は男性より劣っていると思われがちである。ところが物事について女性が理解しやすいように言ってやると、女性は男性よりも早く理解できるそうである。しかも物事を正しく理解できるそうである。そういう意味では女性は男性よりも頭が良いと思われる。

 男は10年前お年寄りの家事援助を行う女性だけの団体にかかわったことがある。頭の良い女性たちが男をその団体の代表にし、その団体を特定非営利活動法人(NPO法人)という長ったらしい名前の法人にするための作業を手伝わせた。その団体は看護師である女性がヘルパーの講習会を開いて人を集め設立した団体である。その女性、仮にAさんと言っておこう、彼女が子供時代から友達であったBさんにこう言った。「だって、Mさんを長にしないと彼は動いてくれないから・・・」。Bさんが「なぜMさんを長にするの?」と言ったことに対しての応答である。Mさんとは男のことである。

 男は人生の大半を大きな組織で働いてきて若い時から管理職をしていたので、組織を立ち上げること、人を動かすことについて自分の右に出る者はいないという自負があった。Aさんは男がこの団体に来る前から特定非営利活動法という法律ができることを知っていて、この団体を法人化するための知識や方法を十分熟知していた。Aさんは男を連れて法人化手続きのため役所周りをし、男を教育した。Aさんは理念を最も大切に考えるが男は理念よりも経営を重視する。Aさんは初めの段階で男の言動に眉をひそめた。

 男はともかく経験を生かしてその団体を法人化させ、理事長に座り、仕様書を作ってその使用に合うスタッフを採用し、企業的経営に執心した。NPO法人といえども公益法人として利益が出れば法人税を払わなければならない。利益はその法人で活動する人たち、自分も含め安い報酬で働いて経費を切り詰めた結果生ずるものであってはならず、適正な費用を計上したうえで生じるものでなければならない。NPO法人といっても営利を目的とせず、納税後残った資金は分配しないということだけであって、経営形態は営利企業のそれと大差ない。男は営利企業並みに人事・給与・福利厚生に至る10余りの規程を作った。「規定」と「規程」の違いも女性たちに口酸っぱく説明した。最初の段階から各種社会保険、労働保険、民間の保険に加入し、社会保険事務所でも驚かれたが企業年金や中小企業退職金積立機構にも加入した。

 その団体は確かに女の細腕で稼ぐ団体ではあるが、男は主婦感覚の甘えた考えを嫌った。女ばかりの団体の中でただ一人の男は時々苛立ち声を荒げてスタッフの女性を叱り飛ばすこともあった。男は7年後定時総会で理事長の座をBさんに渡し、そこを去った。

2009年6月29日月曜日


冤罪(20090629

  足利事件の菅家さんは冤罪で17年間も牢獄につながれていた。痴漢事件の冤罪は30件に及ぶそうである。取調官は調書を作って被疑者に読んで聞かせ、厳しい取り調べに被疑者は根気が尽きて、調書に署名押印してしまう。そのようにして無実の者が犯人になる。
おれおれ詐欺には絶対引っかからないと言っていた老婦人が言葉巧みな話術につい騙されてしまうように、余程精神がしっかりしていないとその場の雰囲気にのまれてしまうのだ。

 男は若いころ「戦い」というものについて何かの本で読み、納得したことがある。それは、「一般に戦いはシステムとシステムとの戦いであり、システムの優劣が勝敗を決める。」というものである。それはスポーツにおける戦いでも言えることである。一人よりはあらゆる専門家と組んだ組織の方が強いに決まっている。正直な菅家さんは単独で警察組織に立ち向かわなければならなかった。菅家さんが逮捕された時の映像が放映されたが、その時菅家さんはうつむいて何度か首を振っていた。「違う、違う」と言っているようであった。

 男は「冤罪を防ぐには、被疑者が単独で警察組織と相対するとき、取り調べの状況を映像に撮り、取調室からは見えない隣室で取り調べの様子を第三者が見ている仕組みを制度化するなどして、被疑者側のシステムを補強することが必要である。取調側も被疑者の脳波を測定したり嘘発見器を使うことなど制度化して、システムを補強することが必要である。」このように「システム対システム」という考え方をしたらどうかと思う。

 倭国が律令制の国・日本国となって朝廷、今でいう中央政府が国を統治していた平安時代中期も冤罪は多かったと思う。聖武天皇が皇族の血をひかない、今で言うところの「民間人」を后に迎えようとしたとき、そのことに反対していた長屋王は後年冤罪により自殺に追い込まれた。聖武天皇(在位724749年)は藤原不比等の娘・光明子を后に迎えたのである。光明子は皇族以外から皇后になった初めての女性である。『続日本紀』によれば、長屋王の事件の3年後、聖武天皇は天平4年(732年)「詳しく冤罪で獄にある者がいないか調べよ」と詔りしている。

 男は冤罪が問題となった平安時代と今とで、取り調べられる側と取り調べる側をシステム対システムとして考えた場合、大きな違いがあるのだろうかと思う。長屋王は下級官人の偽りの密告で罪を着せられ、厳しい尋問を受けて結局自殺させられたのである。長屋王は軍を動かすことができる立場にあった。そのため、その行動を起こさせないように天皇の命を受けた軍隊が都に入る道筋の三つの関所を閉め、宮廷に最も近い場所にあった長屋王の邸宅を包囲し、身動きができないようした。その上で尋問団が長屋王を取り囲み、長屋王の罪を追及して尋問したのである。結局長屋王は罪を着せられ、自殺させられ、妻や子たちも自殺させられたのである。このいきさつが『日本書紀』に詳しく書かれている。

 余談であるが、今で言うところの「民間」から出た皇后は宮中に住むことなく、長屋王一家が暮らしていた邸宅を皇后宮としてそこに住んだらしい。「民間出」は初めてのことなので、当時の事情として宮中で暮らすことができなかったのかもしれない。『平城京と木簡の世紀』(渡辺晃宏著、講談社学術文庫)によれば、長屋王邸宅付近から木簡の削りくずが大量に出土して、その歴史的事実が次第に明らかになったそうである。

2009年6月28日日曜日


経済財政改革の基本方針(20090628

男は首相官邸のメールマガジンを、このメールマガジンが発足した時から受信していた。そして何か政府に対してモノ申したいときにメールで男の意見を首相官邸宛発信していた。全国から送られる首相官邸宛意見は相当な数になっていると思うが、意見を発信する側は自分の意見がこのメールマガジンを担当する部署の役人に必ず読まれていて、彼らにとって有用な意見は必ず取り上げられると思っている。
かつて男は、若い人たちに義務として、警察や消防、自衛隊や海上保安庁などの学校に体験入校させる制度を作り、鍛えたらどうかというようなことを提案したことがある。体験入校はそのような国の機関の学校だけではなく、航空会社やスポーツ関係の団体の訓練学校などでもよいと思う。或いはボーイスカウトやガールスカウトなどへの体験入隊でもよいと思う。「多様性」をキーワードに若い人たち本人の志望で選択させ、国が定めた体験学習基準のもと費用は国が負担するのである。
男はここ数年首相官邸からのメールマガジンにはほとんど目を通さず、ゴミ箱に捨てていた。と言うのは、男が自分で希望していたせいもあるが、通販会社や大型電気店などからのメールマガジンなども同様に毎朝削除していて、首相官邸からのメールマガジンも同じ扱いをしていたからである。これらのメールマガジンの発信元に配信停止の処置をしたところ、首相官邸からのメールマガジンを久し振り見てみようという気になったのである。
男が久しぶりに見たメールマガジンに、「経済財政改革の基本方針」(「基本方針2009」)を閣議決定したこと、それは国の政策の大きな柱・方針を定めるものであること、が最初に述べられている。「安心・活力・責任」を同時に達成するために経済と社会の変革が必要である、と述べられている。
男は、その政府の方針はそれでよいと思っている。経済的豊かさがなければ、国を愛し、国に奉仕するという気持ちも起こらないであろうから、その意味で「経済」は「精神」に優先するものかもしれない。しかし男は、今の政府は「経済」のことばかりが念頭にあって「精神」を軽視しているように思えてならない。
人は精神がしっかりしていないと人生を強く正しく生き抜くことはできない。いくら氏素性が良くても、精神が弱ければ人生を誤まる。国も同様で、国の精神というものをしっかり見据え、保っていかないと、国の将来を誤まるであろう。「精神」は強さの源泉なのだ。閣議決定する諸案件には、「国の総合的力を高め、国の安全を保ち、世界の平和に貢献する」という意味の、もっと高尚な表現の文言が必ず入り、その「国の総合的力を高め」るため、「経済財政改革」を行うというのであれば、男も納得できる。「国の総合的力を高め、国の安全を保ち、世界の平和に貢献する」精神こそ国の総合行政の中心に据えるべきであり、ペコペコ頭を下げ、手を揉み合わせて相手に媚び、儲けようという商人の根性のようなもの、と言ってしまえば反感を買うと思うが、そのようなところに通じるものが少しでも感じられるようなことだけを前面に出しているとしか思えない国の方針に対し、男は不満である。

政策立案者には新渡戸稲造が書いた『武士道』を読み、たとえ斜め読みでもよいから『日本書紀』『続日本紀』を読んでほしいと男は思う。もっとも困難であった明治維新後の国の運営は、「男子」の「士魂」で乗り切ったのであるから。

2009年6月27日土曜日


中血圧(20090627

男の女房は毎朝毎晩自分の血圧を測り、その平均値を出してノートに記録し続けている。ある雨の朝、男も目が覚めて入るがなかなか眠気が抜けない状態であった。何とか起床して居間に行くといつものように女房が血圧を測っている。記録を見ると血圧が少し高い。「少し体を動かして、腕をゆっくり上げ下げして血液の流れをよくしてから測ってみたらどう?」とアドバイスする。男はいつものように女房の肩を両掌で軽く圧したり、揉んだりしてやった。両腕をゆっくり上げ下げしてから再び血圧を測ったら今度は正常になった。血圧は気象条件と密接に関係があるらしい。

男はインターネットで血圧と気象の関係について調べてみた。すると両者には密接な関係があることがわかった。気象と生体の変化を研究する「生気象学」と言う学問があるそうである。高気圧のときは交感神経が昂り、逆に低気圧のときは副交感神経が昂るらしい。男は毎朝気象の前に手の爪を揉むようにしている。薬指の爪を揉むと交感神経になにか影響があるらしく、薬指以外の指の爪を揉むと健康に良いらしい。

100歳を超えてなお元気な男の知人は男の亡父と同年であり、ある東洋医学の宗家である。このお方から「耳の後ろの骨のあたりを揉むと自律神経の働きがよくなる」と教えられた。人間の体は気象状態に大いに影響を受けるので、自律神経がよく働くとうまく環境の変化に対処できるのではないかと思う。

男自身の経験でも、若い時はそのような健康法を考えなくても日々生き生きと過ごすことができるのであるが、齢70を超えてくるとそのような健康法をあれこれ試みながら自分の健康を維持する必要を感じるものである。人間の体は齢75頃になると急に衰えが出てくるらしい。それでも東洋医学的な健康法を実行すればなんとか健康を維持することが出来て、男の知人のお方のように100歳を超えてもそれなりに矍鑠としていられるはずである。

男はコレステロール値が高い。しかし自分の血圧が正常なので高をくくり、これまでそのことをあまり気にして来なかった。年をとると血管の壁面に脂がこびりつくようになり、そうでなくても血管が老化して固くなっているのにその脂のために一層細くなり、収縮が軽快でなくなる。このため心臓から血液を送り出したときそれが一部跳ね返ってきて血圧を上げてしまうのだ。その限度が一定値を超えると何かのトラブルが起きることは間違いない。女房は診断で「あなたの血管は80歳くらいの状態です」と診察の医師に言われたと言う。男は自分の血圧を測っている女房を見て可哀そうになった。

ある日男は女房に勧められて某テレビの健康番組を見た。そのとき「中血圧」というものがあることを初めて知った。最近この中血圧というものが重要であるということが分かってきたらしい。医療機関にはこの中血圧を測る装置が徐々に普及してくるらしい。血圧が正常であってもこの中血圧に問題があれば病気の引き金になるということなので、さすがの男も怖くなった。日ごろ放送大学で健康医学関係の勉強をしている女房は「お父さんがやっと私の言うことを聞いてくれるようになった」と喜んでいる。

女房は塩分摂取量を1日6グラム以下になるように、コレステロール値を高める元凶の卵は2日に1個程度しか食べないようにするなどと、いろいろ注意して食事を作ってくれている。

2009年6月26日金曜日


観光立国(20090626

最近景気が少し上向いてきたとの観測である。アメリカがくしゃみすれば日本もくしゃみするような弱さから、わが国は脱却することができる国策を講じるべきであると男は思う。観光庁ができ、消費者庁ができれば、わが国は外国からの影響をあまり受けなくなるように出来るだろうか?
大井川SL鉄道列車に乗ってみた。C11型という古い機関車がエアコンのない古い客車を牽引している。車内で車掌がハーモニカを吹き童謡を演奏している。乗客はみな手拍子で唱和しながら、トンネルに入るたびに急いで窓を開け閉めしている。沿線の風景は大正・昭和の時代にほど遠く、この鉄道は電化されているので架線が見える。客車の外壁の鉄板はあちこち発錆の後をペンキで厚塗りして隠している。ただ古いだけであり、乗客はその古いものに感傷的になっているだけである。と、言ってしまえば、「人はそれぞれ考え方や感じ方が違うのだから、批判すべきではない」と非難されそうである。
しかし男は「いつまでも古い遺産に頼ってばかりいては、観光事業は発展しないだろう」と思う。外見は古くレトロ調で中身はモダンで、乗務員や売り子は明治・大正時代風なSL風の観光列車を開発して観光客を呼び込んだらどうだろうか。九州の博多~湯布院間で「湯布院の森」号という観光列車が走っていて大変人気を博している。博多や湯布院の駅のホームで「湯布院の森」号と一緒に写真に写る人たちが多い。格好がよい制服の女性の車掌さんが客の求めに応じてカメラのシャッターを押してやるなどサービスに努めている。この線路は電化されておらずジーゼル駆動の列車が走っている。沿線の景色も大変美しい。この列車のユニークなデザインが沿線の風景によく合っている。特に筑後平野、日田盆地、玖珠盆地から由布岳に至る風景が美しい。
もしこの線に「湯布院の森」号だけではなく、煙は吐くが水蒸気だけであり、汽笛や発生する音は全く蒸気機関車のそれであるが、駆動は大部分を自然エネルギー利用の電気モーターであり、石炭投入口の中は石炭が実際に燃えているように見えるが、実は家庭用電気暖炉のような仕掛けのものである機関車が、外見は古く見せかけているが車内はモダンで清潔な4、5両の客車を引っ張る観光列車が走るようになれば、大変な人気になるのではないかと男は空想している。大井川鉄道のようにただ古いだけでは遺産を食いつぶすだけである。これはいずれ姿を消すものだ。未来に向けた発展の希望がない。夢がない。
男は観光庁のホームページを見て、そのホームページは新鮮味が全くないと思った。この役所の理念は①わが国経済社会の活性化、②活力に満ちた地域社会の実現の促進、③国際相互理解の増進、などなど。これらに貢献すると書かれている。「貢献する」のであって、国としてなぜ「貢献しなければならないのか」ということが分からない。わが国はなぜ「観光立国」を実現しなければならないのかということが分からない。
わが国の観光資源の開発・利用は、わが国をたとえアメリカがくしゃみしても影響されない強い国にするためではないのか。わが国はあらゆる分野で強い国であるべきではないのか。かつて明治時代に「富国強兵」の理念があったが、今の日本にはそのような男らしい理念がない。平和ボケした国民の目を覚ますリーダーシップがないのだ。

2009年6月25日木曜日


縁(20090625

 人は自分の一生の間に自分の力を発揮すればなしうることと、自分の力ではどうにも為し得ないこととがある。前者といえども最善を尽くして天命を待つほど真剣にならないと、本人がいくら願望していてもその願望を達成できないであろう。

 問題は後者の方である。何が自分の力ではどうにも為し得ないのかについては、当人の状況判断によって決まるものである。状況判断は、何が当人にとって最も重要であるか、その重要な物事のためにどういう態度をとり、行動しているか、客観的に冷静に考えてみる必要がある。自分は他者に何をしてあげて、その他者から自分は何をしてもらったかについて、過去から現在に至る時間軸でよく考えてみる必要がある。

 男は、良寛の作詞『意(こころ)に可なり』をよく口ずさんでいる。その詩は「欲無ければ一切足り、求むる有れば万事窮す」で始まる。無欲であるということは、自分に最も身近な人に対する深い愛がなければ無欲にはなれないと男は思う。良寛の場合、世俗を離れ、独り庵に住み鹿などの動物たちを友にし、村の子供たちと戯れて遊び、常に古の賢い人たちの教えを学んでいた。何十歳も離れた良寛を何かと世話をする一人の若い女性がいた。一日5合の米を提供する支援者もいた。

 真に情けないことであるが、かつて政府の高官が金銭欲のため牢獄につながれた例がある。「求むる有って万事窮す」例は多い。元皇族が書いた本『旧皇族が語る天皇の日本史』の中で戦後GHQの指令で皇籍を離れる皇族に、当時の宮内庁長官が「いずれ将来また皇族に復帰することもあると思うので、お身をお慎み下さい」と言われたそうである。皇族と旧皇族は一つの会を通じて交流をしておられ、「身を慎む」ことができているのだろうが、件の高官は自らの家の先祖のこともおろそかにし、「身を慎む」文化がなかったのであろう。「身を慎む」ための文化をもっているかどうかで「自分の力、自分の人生ではどうにも為し得ない」事柄を悟る判断の仕方が異なると男は思う。

 一般に成り上がりの者にはそのような文化がないから、「○○は▽▽会社の社長をしている」とか「□□は県議会の議長だ」と称賛し、自らも「もっとエラクなりたい、もっと資産家になりたい」などと思って頑張る。その頑張ること自体は決して非難されるべきものではない。その欲望がなければこの世は発展しない。最も重要なことは、他者を大事にし、他者の成長を助け、他者に助けられていることを自覚しながら自らも向上を目指す志である。「衣食足りて礼節を知る」というが、たとえ「衣食足らなくても礼節を知る」ことが大事である。

 何が自分の力ではどうにも為し得ないのかについては、当人の状況の判断によって決まるものであるが、その「状況」とは、仏教で教える「縁」であると男は考える。「縁」は一期一会の気持ちがないとなかなか分からないものではないかと男は思う。お茶を学んだ者がすべてこの一期一会のことが分かっているとは到底思えない。その中で男の女房はこの一期一会の心掛けが良く出来ている一人である。その精神は女房が幼少のころから思春期のころまで過ごした女房の祖父の家の文化の中で培われたものである。

 男は、人の精神の良し悪しはその人が育った環境による、武士の家には武士の気風がある、誰にも同じ時間がどのように使われたかにより、その気風は違ったものになるのであると思う。

2009年6月24日水曜日


旧皇族が書いた本(20090624

男は運動を兼ねて15分くらい歩いたところにある書店をよく訪れる。書店は情報の宝庫である。男は歴史関係の書物に興味があって書棚をずっと一覧していたら、『旧皇族が語る天皇の歴史』という本が目に留まった。それをしばらく立ち読みしていたが、値段も800円そこそこで手頃なので買い求めることにした。この本はとても読みやすく、書かれている内容は非常に理解しやすいと思った。
男はこの本を読んでいて目に留まったところが幾つかあった。その中の一つに、古代の日本人は倭人・倭族であって日本人ではなかったが、大陸系・朝鮮半島系からの渡来人と血が混じりあって日本人になった。飛鳥時代に日本に渡ってきた朝鮮半島からの帰化人と現在の在日の人たちとは時代が違うだけで本質的には同じであり、現在の在日の人たちも時代が経つにつれて日本人と混血が進み、初来の日本人の先祖になる、という個所がある。
もう一つ、日本人は記紀(古事記のもと)に書かれているとおり天皇は宇宙の創造にかかわった神々の意志によるものであり、記紀に書かれている世界観によれば天皇と現在の日本人とは祖を同じくする一族であり、天皇家は日本人の宗家であり、天皇はその家長のようなものであるという部分である。

男は「天皇は日本の民の家長として国を取り巻く世界の平和と民の幸福を祈り願う存在であり、天皇が英語でエンペラーと訳されるが天皇は諸外国の皇帝のように人民を支配する存在ではない」と思う。人民に必要とされてきたから神武天皇以来2000年皇統が続いてきたのである。著者はそこまでは語っていないが、男は「もし天皇家がなくなれば日本人の深層心理のセルフ・自分自身というものがなくなり、日本人全体に必ず精神不安定が生じ、日本国は衰退してゆくであろう」と思っている。
最も面白かったのは、幾百万人の犠牲を出した昭和の戦争前後の皇室と軍部の動きである。男は「1350年前の内大臣・中臣鎌子(藤原鎌足)のように木戸幸一内大臣は的確な判断でよく天皇を補佐し皇室を守った」と思う。その本には、皇族による南進論者東条英機首相暗殺の動きがあったことや、米英と組んでソ連をたたく北進論者関東軍主任参謀・石原莞爾が軍を指揮していたらおそらく今の世界地図は全く変わったものになっていただろうと著者が確信していることなどが書かれている。
この本にはひげの殿下・寛仁親王との対談が収められている。そこでは皇統の継続について語られている。殿下が有識者会議の結論について語っておられたことを男はテレビか何かで見たことがある。男はその会議のメンバーの学者に対する反発感を消し得ない。
男はこの本はできるだけ多くの日本人に読まれるべき本であると思った。そのことをまず男の一族や友人に伝えようと思った。そこで男は朝から手紙を書いたり、電子メールを送ったりした。女房は「朝からパソコンに向かっていてよく疲れないわねえ」という。
戦前の教育の反動のせいか、教師の中には卒業式などの行事の際国歌斉唱もせず、国旗に敬意を表さない者が若干いて「思想信条の自由」を主張している。男はそういう輩に向って「おまえら日本人か」と怒りをぶっつけたくなる。今の日本人には日本の古代史と、正しい近現代史の教育が足りない。戦前の教育の良かった部分は復活させ、日本人としての正しい精神を培うようにすべきであると男はつくづく思う。

2009年6月23日火曜日


頚性神経筋症候群(20090623

鬱病を治療する薬が11種類もあって、どの薬が病人に聞くかはいちいち試してみなければ分からず、しかもその見極めに少なくとも3カ月はかかるという。もし最後の一つが効いたとすれば、33ヵ月以上たって初めて効く薬がわかったことになる。つまり発病後3年くらいたって初めて治療の効果出たことになる。
ややこしいのは、雅子妃殿下が罹ったとされるご病名は「頚性神経筋症候群」というものだそうで、これは頚部後筋群の異常から起こる頭痛やめまい、自律神経失調症、うつ状態、慢性疲労などを総称していう病気だそうである。ある日急にやる気がなくなり会社に出勤したくないとか、何をするにも億劫であるとか、肩こりや頭痛があるようになったとか、さしたる原因も考えられないのにめまいがしたり嘔吐したりとか、鬱状態になったとかの症状がでたとき頚性神経筋症候群というものを疑ってみた方がいいらしい。
男の女房は以前心臓のあたりがちょっとおかしなり、深呼吸をすると落ち着いたり手の指にしびれる感じがあったりしたことがあった。近くの内科クリニックに行って診てもらったが心電図に異常なく、血圧が高いだけでその他に特に問題はなかった。そのとき内科の先生から気休めに心臓のあたりに貼る薬と血圧を下げる薬を1週間分だけ処方してもらっていた。その後いわゆる「五十肩」と思われる痛みを肩に感じて市内でも有名な整形外科に行きみてもらったら、レントゲン写真を見ながら先生は「これは通常の老化で特に異常はありません」と言って痛み止めや筋肉の緊張をやわらげる薬を処方されていた。
その後後頭部の下の耳に近いところあたりに何か血がたまっているような感じで、両肩のすぐ下の首に近いところのツボと思われるところを男がちょっと押してみるだけで痛みを感じていた。女房はそのことをその内科クリニックの先生に話したら、「一度整形外科に行って診てもらい、その後はどこか接骨院で診てもらえばよくなると思います」というアドバイスをもらっていた。
女房は二度ほど整形外科病院に通い、その後近くの接骨院に通うようになった。男は女房が接骨院に通うようになる前、毎日結構時間をかけて女房の肩の押せば痛むような個所を指圧してやっていた。しかし強く押しすぎるとかえって痛みを増やしてしまうようである。内科クリニックの先生の言うとおり整形外科に行ったのちすぐ接骨院に行けばよかったが、女房も男も初めから「接骨院なんて」と思っていたのが間違いであった。接骨はホネツギである。ところが接骨院は確かにホネツギも行うが、「柔道整復士」という国家資格がなければそのような治療を行うことができない。これに対して「整骨院」はそのような資格を必要としないようである。男は「接骨院」よりも「整骨院」の方がよいと思っていた。
ともかく、女房は接骨院に通うようになって晴れ晴れした顔になってきた。女房の病気は頚性神経筋症候群になる前兆であったのかもしれない。これまで全く気にかけていなかったが、女房は「首の後ろ辺りに何か黒い血がたまっているのではないと思う」と何年も前からよく訴えていた。男はそれが頸椎の経年老化による現象であるとは思いもしなかった。接骨院が流行るわけである。女は男に比べ一般に長生きするが、筋肉や特に骨は弱い。腰が曲がった老女は多い。頭を下げ背中を丸めて歩く男も多いが・・・。

2009年6月22日月曜日


日本人は皆同胞(20090622

 男のところに郷里の親友からかつて男が子供の頃よく遊びに行っていたお寺「専想寺」の歴史に関する資料を送ってきた。その親友は男の竹馬の友達で男の父親とその親友の父親同士も親友であった。その親友は「史談会」という会のメンバーである。彼はその史談会が作業して作成した郷里のよもやま話も送ってきた。その資料名は『別保の歴史 四方山話』という題名である。

 男は昔「豊後高田庄」と呼ばれていたところの出である。そこは藤原摂関家の荘園があったところで、後藤、江藤、佐藤など藤原氏族が沢山住んでいるところである。平安時代、京の都から多くの藤原氏族の者が下ってきてその地に住み着いたらしい。だからその土地に昔から住んできた人たちの家々の人は、たとえ親族ではない他人であっても遺伝学的には皆どこかでつながっている筈である。

 というのは、一世代を仮に25年間とすると、240乗だから、1000年も経てばひと組のカップルから1兆人の子孫ができている勘定になるからである。しかも限られた狭い地域である。昔婚姻関係は家柄を重視して見合いで決まっていたし、近所の評判も嫁の嫁ぎ先を決める大変重要な要素であったから、何十年、何百年前血のつながった同士が婚姻関係を結んでいた筈である。実際、男の郷里の昔10軒ほどの集落には男と同じ名字で家紋も同じ家が3軒ある。そのうちの1軒は男が子供のころ新宅と呼んで親しい付き合いをしていたが、もう1軒とは他人同士の間柄であった。男が父親とともに別の土地に籍を置くようになって何十年も過ぎた今ではその3軒とも他人同士の間柄になってしまっている。

 以前、テレビで鳥取かどこかに日本人と結婚して住んでいるモンゴルの女性のことが紹介されていた。彼女はジンギスカン(チンギス・ハン)の直系の子孫だという。テレビで彼女の実家の系図が紹介されていた。ジンギスカンと言えばあの文永の役、弘安の役で日本に来襲した当時の中国の皇帝フビライ・ハンの祖父である。余談であるが中国の支配者は古代からずっと漢人(漢民族)で一系であったわけではなく、元の時代はモンゴル人、日清戦争のころの皇帝は現在の中国東北地方から興ったツングース系の満州族であった。

 日本の場合、天皇は古代日本の統治者であったが武士の時代になってからは武士の家の宗家が天皇に代わって日本を統治するようになった。天皇は神代の時代国の神々をまつる祭祀を行う存在であり、英語でエンペラーと訳されていてもいわゆる皇帝ではない。

 さて彼女によれば、現在モンゴルにはジンギスカンの子孫と称する家が3000軒あるそうである。その家々からジンギスカンの血をひかない家に嫁いだ女性はもっとおいであろう。そうするとジンギスカンの遺伝子のうちY染色体という男系にしか伝わらない遺伝子以外の遺伝子を有する人々はさらに多い筈である。男の郷里のことを考えてみると、その地域に暮らす人々の多くは藤原鎌足の遺伝子を持っているだけではなく、藤原氏は天皇家との間に恋姻戚関係があったので、天皇家の遺伝子も持っている筈である。

 明治天皇がお作りになった歌「よもの海みなはらからと思ふ世になど波風のたちさわぐらむ」の中の「みなはらからと思ふ世」の「はらから」は同胞ということで『広辞苑』によれば「同じ母親から生まれた血縁」ということである。日本人は皆同胞なのだ。

2009年6月21日日曜日


道具と器具(20090621

 人は道具を使う動物である。道具という言葉には広い意味で器具も含まれるのだろうが、道具と器具は人に力を与えるものである。おおざっぱに道具と器具の違いを分けるならば、道具は人の能力を拡大し、器具は人の能力を補うものである。

 例えば、車やコンピュータは人間の能力を拡大するから道具である。一方、メガネや時計などは人間の能力を補うものだから器具である。老齢期になると必要になって来る人が多い入れ歯や補聴器なども器具のたぐいである。

 車はポピュラーな道具で、この道具を使えば人は短い時間で遠くまで出かけることができる。コンピュータも同様で、この道具を使えば人は世界中に情報を発信することができるし、世界中からいろいろな情報を得ることができる。小型飛行機やヨットを持っている人は空を飛び海に出ることができる。ハングライダーを操ることができる人は鳥のように空を舞うことができる。潜水服を付けて酸素ボンベをしょって水に潜れる人は、魚のように水中を泳ぐことができる。道具は人間の能力を拡大する物である。

 一方、年を取って耳が遠くなった人は補聴器を使うと聞こえるようになる。将来は年を取って足腰が衰えた歩けなった人でも、ある種のズボンをはけば歩けるようになるだろう。杖や押し車や電動車いすなどを使えば、足腰の不自由を補うことができる。

 道具や器具をうまく使えるように自らも努力し、また教育と訓練を受ければ生活の質は大幅に向上する。男は道具や器具を使うことが好きである。男は矯正視力(眼鏡をかけた状態での視力)が両眼とも0.5ぐらいのとき、近くの眼科クリニックで白内障の手術を受けた。そのとき眼科医の先生は「長距離ドライバーなどで矯正視力が0.5あっても手術を受ける人がいますよ」と言ったので手術を受けることにした。先生が左右の視力をそれぞれ遠方と近いところ別々に調整してくれたので、男はメガネなしでも新聞を読めるようになり、遠方を見るにも不自由していない。それでもパソコンの画面に向かっている時などにはメガネをかけている。先生は「手術をしたからといって決して若い時のようにはなりませんよ」と言っていたが、男は現状に十分満足している。手術してもう5年ぐらい経っているが…。

 男は定年退職後再就職はせずボランティア団体で男の女房が言う「ただ働き」をしていたことがある。その時ハローワークでそのボランティア団体がある場所に近いところにある補聴器の店が人を募集していること知り、何年かそこでアルバイトをしたことがある。男はそこでコンピュータで調整する最新の補聴器の調整や、人それぞれで異なる耳の穴の形をとる職人技をすぐ身に付けた。そのとき「年をとればやれ補聴器、やれ入れ歯と金がかかるものだな」と思ったものである。なにしろ電子式の最新の補聴器は片耳だけで334万円もしているからである。両耳揃えれば軽自動車1台を買えるほどである。あまりにも小さいので紛失して新たに買った人が何人かいた。

 年を取ってくれば人間の諸能力や機能は衰えてくる。そしてそれを補おうとすれば沢山の費用がかかるようになる。男は車の方は必要なくなったし、タクシーなどを利用する方が楽なので廃止してしまったが、コンピュータには金をかけている。そのうち補聴器なども買わなければならなくだろう。道具と器具は年をとればとるほど必要になって来るものだ。

2009年6月20日土曜日


三世両重の因果(20090620

 年老いた親はけちけち生活し、お金を貯めている。その老いた親が死んだら、子供はその貯められたお金を遺産として受け取る。老いた親は働き蜂のようなものである。そのようなことをこの間テレビか何かで聞いたことがある。働き蜂とはよく言ったものである。

 男も男の女房もそのような働き蜂ではない。西郷南洲が「児孫のため美田を遺さず」と言ったが、そのとおり二人の息子たちに財産を遺すつもりは全くない。第一息子たちに遺すほど財産はない。いずれ近い将来、自分たちの終の棲家とする介護付き有料老人ホームに入居するため、残っている少しばかりの財産を使わなければならない。

 息子たちはすでに自らの人生を力強く生き抜く力を親から与えられている。それが財産である。親子関係で投資という用語を使うならば、親は借金をしてまで子供に投資した。その投資が利益を生み、今の親子関係がある。そのような財産がなくあの世に行く日も遠い先ではない親たちはけちけちしてお金をため、子供に金の力を示して権力をふるい、子供が自分たちを看るのは当たり前であると思っている。そして老いた親といずれ親を看ることになる子供の間で無駄な緊張関係を作っている。馬鹿げたことである。

 今年の正月、男と女房は息子の一人からお年玉をもらった。文字通り「はい、お年玉」と言って渡された。年寄りは子供である。そのお年玉で男と女房は二人で京都に旅行した。この春にはもう一人の息子が自分で運転する車で、その家族とともに二人を伊勢・志摩・鳥羽方面の旅行に連れて行った。親は孫たちの誕生日やクリスマスのプレゼントや、お年玉入学・進学祝いなどに多少のお金をかけている。息子たちは親に旅行などの楽しみをプレゼントしている。

 男が還暦のときには息子たちがそれぞれ家族を連れて軽井沢に集まり、皆で祝ってくれた。古希のときには飛鳥・奈良の旅行をプレゼントしてくれた。男の女房が還暦のときには息子たちはそれぞれ家族を残して、実の親子4人だけの水入らずの青森方面3泊4日の長距離ドライブ旅行に連れて行ってくれた。息子たちはそのとき4日間も家を空けたのである。男はそれぞれの嫁たちもよく出来ていると感心したものである。

 そのような親子関係、嫁姑関係は、男の女房の資質によって作られ保たれている。男はそのような女房に深く感謝している。また男にそのような女房や息子たちにはそのような嫁たちを娶せた目には見えない力、縁というものに男は感謝し、合掌している。

 男は若いころ読んだ仏教関係の書物に書いてある「縁」とか「三世」という語が大変大事であると思っている。その書物には「三世両重の因果」というちょっと難しそうな言葉が出てくる。しかしよく読むと、それは難しいことではないことがわかる。

 人はそれぞれ両親の「縁」と「行」でこの世に生れるが、生まれる前母親の胎内や生まれ出た後成長する過程でいろいろ「識」り、五感や諸能力を働かせて成長し、成長し生きている間に喜怒哀楽し、行為し、経験し、子孫を残して死んでゆく存在であるから、人は過去・現在・未来の三世に生きている存在である。そのように男は理解している。

 今この時を一生懸命に生き、やがて寿命が尽きれば一所懸命死ねばよい。男も女房もそう思いながら今、日々刻々を送っている。

2009年6月19日金曜日


熱帯魚(20090619

 国際宇宙ステーションの日本の施設「きぼう」に取り付けられる船外実験施設を運ぶ予定のスペースシャトルの打ち上げが燃料漏れのため延期された。
 
 国際宇宙ステーションには宮城県仙台市にあるKOYO生化学研究所というところで開発されたバイウオーターという液体の中に、その液体で生息できる飼育された熱帯魚を入れて宇宙環境での飼育状況をテストしたらしい。

 男はその結果がどうであったか聞いていないが、同研究所がJAXAから依頼を受けて実験に参加すると宣伝されている時期に、その飼育セットを購入した。K市内の大規模モールの書籍売り場で展示されていたのを男は興味をもって、一番小さい25cmサイズのものを購入した。今その水槽は男の部屋の机のそばの台上に置かれている。

 バイオウオーターは水替えが不要である。だから宇宙実験の材料になったのであろう。水替えが不要であるといっても、長期間放っておくと苔が水槽の壁面や水底の砂利などに増殖してくる。男はどうも魚の様子が変なので水槽をよく見たら、壁面が薄い苔で覆われているのに気づき、指定された手順通り水槽と砂利の洗浄を行った。バイオウオーターは少し補充しただけで何カ月以上も替えてはいない。

 今、魚は透明なバイオウオーターの中にじっとしている。 男が初めに‘ピータン’と命名したその魚は元気を取り戻してくれるかどうか、男はパソコンの画面に向かいながら時々水槽の様子に眼をやっている。餌は週に一度、バイオドロップという液体を週に2度与えるだけでよく、男が女房と一緒に時々旅行するときは、1週間くらい餌もバイオドロップも与えなくてもよい。男は元気がないピータンにバイオドロップを与えて様子を見ている。

 この水槽には初め2匹のピータンがいたのであるが、餌やりの時喧嘩したりして、多分栄養不十分で1匹は死んでしまった。魚は無料で送ってくるので飼う気であればその研究所に申し込めばよい。しかし、男はもしこのピータンが死んでしまったら、もう飼うのは止めようかと思っている。

 ところが「おい!ピータン、大丈夫か?元気になれよ。」と声をかけたら、急に元気になって水面に上がってきた。餌を待っているようである。男が耳かきスプーンにほんの少しばかり与えてみたが食い付きが良くない。そこでKOYO生化学研究所に電話を入れて聞いてみた。研究所では「気にしなくてもいいですよ。微生物を食べていますから大丈夫ですから」という。魚は元気そうなので、水面に2、3片の餌を残し、放っておくことにした。

 男はこの水槽のそばに大窓オブツーサというサボテンの仲間をひと株育てている。このような生物を傍において時々様子を見、こまめに世話をすると穏やかな気分になれる。

 男は現役時代このようなゆとりはなかった。人生の終わりの時期、人によってその長さは10年前後から数十年の間を男のように過ごすことができる人は幸せである。男は女房からよくそのように言われていて、全くそのとおりであると納得している。しかし自分も弟のように会社を経営し、生き生きと過ごしたいと思う時が全くなかったわけではない。女房は「○○さんは死ぬまで働き続けなければならないのよ」という。しかし時間は誰にも平等に与えられているので、それをどう使うかはその人の勝手であると男は思っている。

2009年6月18日木曜日


社会教育(20090618

健康を維持して子供に迷惑をかけないようにしたい、と老齢期にある親は思う。しかし、子供に迷惑がかからないことは絶対にあり得ないだろうと男は思う。春に萌え出でた草木も時の移ろいとともに枯れて土に帰るように、1、2歳のころ可愛かった人もまた老いれば皺だらけになり、話す言葉にも覇気がなくなり、立ち振る舞いにも人の手を借りるようになり、やがて命が尽きてあの世に旅立ってゆく。
自分の子供に対して負い目のある親は、その子供にすり寄り、あれこれ尽くしてその負い目を少しでも補償しようとする。一方、己を犠牲にし、必死の思いで子供を育ててきた親、特に母親にはそのような負い目はない。今日そのような母親は少ないのではないか、と男は思う。母親になった娘の親で今自分の過去を反省し、償いをしている親たちは娘が可愛いという理由だけではないのではないかと思う。
夫や子供の犠牲にはなりたくない、楽しめるときは今しかないのだから今のうちに十分楽しんでおきたいと考え、やれテニスだの、やれフィットネスクラブだのと同じ類の仲間との触れ合いを求め、自己中心の行動にもっともらしい理由を見つけ、同じたぐいの仲間内で互いに納得し合っている。馬鹿げたことである。
人生良いところどりはできないのである。人生の大事業は結婚して子供を持ち、その子供を立派に育て上げて世に送り出すことである。動物たちはみな交尾の相手を求めて、どういう法則によるのかは分からないが子孫を残すものがその相手との間に子孫(赤ちゃん)を作り、その赤ちゃんを育て、巣立ちを促し、やがて親と子は別れて子は新たに子孫を残してゆく。人間はそのような動物に学ぶ必要がある。
男は女房に「お前は子育てに悩む若い母親に行政として何かアドバイスするアドバイザーのような制度があれば、応募して経験を生かしたらどうかね」と言った。ヘルパーをしている女房は「Aさんは目が悪く、80幾つにもなっていて体が不自由で可哀そうだよ、手助けするなら私はAさんのボランティアをした方がいいわ」という。その理由はかつて若い母親がヘルパーの講習を受けたとき子供の面倒をみてやったことがあったが、その講習が終わりその母親が戻ってくるなり、「○○ちゃん、お家に帰ろう」と言っただけで女房に「有難う」の一言もなかった。だからそのような母親の手助けなどしたくないというのである。
男は女房に「そのような母親に‘ありがとうは?’と言ってやればよかったのに」と言ったら女房は「そんな事を云ったものなら意地悪と思われるだけよ。」という。男は重ねて「それでも相手の教育になるのではないか」と言ったら、「だめよ、言っても今の若い母親には反感を持たれるだけだわ」という。
男はこの小さなマンションで顔を合わせる子供に対しても自ら「おはよ」とか「こんにちは」などの言葉をかけている。まず挨拶すること、そして「有難う」と言うこと、これが人間関係の基本で、それはまず家庭の中で夫婦、親子の間でも自然に行われるようにすることが、明るい社会を作る基本だと考えている。
子供の面倒をみてやった女房に「有難うございました」の一言も言えなかった若い母親などに対する社会教育は、まずそこから始めたらよいと男は思う。

2009年6月17日水曜日


日めくり万葉集(20090617

男は今年初めから女房と一緒にNHKの『日めくり万葉集』を観ている。「日めくり」なので月曜日から金曜日まで毎日5分間だけの番組である。日立の液晶テレビは内蔵のハードディスクのほか、外付けのハードディスクも利用でき、録画は簡単であるので、この『日めくり万葉集』は一度に数日分をまとめて観ている。テキストも毎月購読している。

選者が違うと有名な歌は二度同じものが紹介されている。詩吟でもよく詠われる持統天皇の「春過ぎて 夏来るらし 白たへの 衣干したり 天の香具山」とか、小野老の「あをによし 奈良の都は 咲く花の にほふがごとく 今盛りなり」とか、山辺赤人の「田子の浦ゆ うち出でてみれば ま白にそ 富士の高嶺に 雪は降りける」などは、それぞれ別の選者が取り上げている。

男は昔、『もう一つの万葉集』に興味を持ってその本を購入して持っている。その本の著者は万葉集に収められている最初の歌、雄略天皇の「籠もよ み籠持ち ふくしもよ みぶくし持ち この岡に 菜摘ます児 家告らせ 名告らさね そらみつ大和の国は 押しなべて我こそ居れ しきなべて我こそ居れ 我こそば告らめ 家をも名をも」などは古代朝鮮語で書かれていると主張している。万葉集に収められている歌の作者は当時の日本語の音の一音一音をその音や言葉の意味に最も近い漢字を振り当てて書いている。雄略天皇の歌の「籠もよ み籠持ち・・・」は「籠毛与 美籠母乳 ・・・」である。この著者は、その部分の音を朝鮮語の音に当てはめて、雄略天皇は当時の日本に渡ってきていた朝鮮系の人たちに「コマよ」と呼びかけているのだという。しかも雄略天皇は朝鮮系であると主張している。男はこの主張に不快感を覚える。

ちなみに『日めくり万葉集』では、別の選者によりそれぞれ一回づつ二度、この雄略天皇の歌が取り上げられている。解説は解りやすい。

男は山上憶良など朝鮮半島から渡来してきた人々やその子孫が当時の日本の朝廷で果たした役割を否定しない。著者も万葉集の全部が韓国語でないと理解できないとは言っていないし、巻一の九にある額田王の歌の注には「定訓を得ず」と確かに書かれているので、男は著者の主張の一部に対してはよく研究してみたいと思っている。

仏教や漢字は朝鮮半島を通じて伝えられていることは誰でも知っている。男は古代日本の形成において朝鮮半島から多くの影響があったことも、また古代の大陸の諸情勢の中、朝鮮半島の本来の住人である韓人や朝鮮半島にいた漢人(中国人)らが、後漢滅亡時などの政変時などとき多数日本に渡ってきて、日本の社会に溶け込み日本人として同化してゆく過程の中で日本の文化形成にいろいろ大きな貢献があったことも、そのとおりだと思っている。

しかし男は古代の日本が朝鮮半島から渡来してきた人たちによって形成されたとし、万世一系の系譜も否定する主張に対しては反発する。また自分の母国日本の古代史を塗り替えようとし、日本の近代史を自虐的に観、天皇は女系になってもよいなどと主張する一部の政治家や学者たちにも怒りを覚える。日本は中心に天皇がいる大家族の国のようなものである。その天皇は英語でエンペラー(皇帝)と訳されているが民を支配する皇帝ではない。天皇は古代から民の中心として国の祖神を祀ってこられたのだ。