2018年8月30日木曜日

20180830「武士道」の極意「己を知る」 ―― 『古事記』を読む ――



 日本人が自らのアイデンティティを明確に自覚するように成れば、日本人は「生残り」に不安は全く無くなるだろう。人種の特殊性・優秀性や民族の誇りなど、他を差別する意識は国家として進む道を誤る。日本人はただ「生き残る」ことだけに集中すればよい。どの国の人々でも、自分の国が国家として生き残るために必死である。日本人も同じ様にすれば良いのである。もし日本人が他の国の人々に対して、もし少しでも優越心を持つならばそこに「心の隙」が生じ、日本人は時間軸の未来において必ず憂き目に遭う事こと必定である。

 生き残るために何が必要か?それは己を知り敵を知ることである。「己を知る」とはどういうことか?それは、先ず自分が何処から来たのかを知ることである。自分が何処から来たのかを知るためには、「生き物」である自分のルーツについて遺伝学・生物学・考古学・人類学等について正しい知識を得るとともに、自分の国の歴史について知ることである。

「敵を知る」ことよりもまず「自分を知る」ことが最も重要である。某国では国民に誇りを持たせるため、「敵」とする国の歴史について嘘を教え、その嘘が自己増殖してしまっている。「敵を知る」ことの中で重要なことは、敵が己についてどういう知識を持っているかということである。そのことを知っておれば、敵が己について信じ込んでいる嘘を正当化するための行為を止めさせることができる。敵のあらゆる謀略も宣伝も所詮白日の下に明らかになるものである。しかし自分が自分自身を良く知っていないとそれは明らかにならない。

『古事記』は日本人が己を知る上で非常に良いものである。私は竹田恒泰著『古事記完全講義』は全日本人必読の本であると思っている。この本を岩波文庫版『古事記』と照らし合わせながら読むと、『古事記』について理解が一層深まるだろう。

その『古事記完全講義』に“桃の木に「現世の人が苦しんでいたら助けてあげて」と・・・『古事記』で地上世界の人について言及されるのは、これが最初であります。『古事記』には、人の起源についての記述がないんですよ。・・・聖書のように「神は自らの姿に似せて人をつくった」というようなことは書いてないんですね”とある。

さて、私は以下のとおり岩波文庫『古事記』を読む。
①イザナミノミコトに会いに来たイザナギノミコトに、イザナミノミコトは黄泉神(よもつかみ)と語り合ってくる(相論(あげつらはむ))から、それまで私を見ないで待っててね!」と言った。
②それなのに待ちきれなかったイザナギノミコトはイザナミノミコトが居る所に「一つ火」を灯して入って行って、変わり果てたイザナミノミコトの姿を見てしまった。
③イザナギノミコトはその姿を見て恐ろしくなってその場から逃げ出した。そのとき十拳剣(とつかつるぎ)を抜いて後ろ手に持って、それをぶるぶる振って追手の邪霊を呪った。
④イザナギノミコトは「あの世」と「この世」の境界の所まで逃げて来た時、其処にあった桃の実三個を追手に投げつけたら、追手は皆逃げ去った。
⑤この時イザナギノミコトはその桃の実に、「お前が私を助けてくれたように、現世で苦しんでいる人が居たら助けてやれ」と言った。
⑥「あの世(黄泉の国)」に居るイザナミノミコトと「この世(現世)」に居るイザナギノミコトの夫婦喧嘩は、イザナミノミコトが「あの世」と「この世」の境界に「千引(ちびき)の石(いわ)」を置いたことにより決定的となった。
⑦イザナミノミコトはイザナギノミコトに、「愛しいあなたがそのようなことをするなら、私はあなたの国(現世)の人々を一日に千人縛り首にして殺してしまうわよ」と言った。
⑧これに対してイザナギノミコトは「愛しいお前よ。お前がそのようなことをするならば、わしは一日に千五百の子が生まれるようにするぞ。一日に1000人死ねば、一日に1500人生まれるのだ」と言った。
⑨「あの世(黄泉の国)」と「この世(現世)」の境界は、今、出雲の國の伊賦夜坂(いふやさか)であると言う。(所在不明。出雲風土記にその伝説がある。)

                                   (続く)


2018年8月25日土曜日

20180825日本の神々 ―― 『古事記』を読む ――



 最近のDNAによる調査結果では、アイヌの人々も琉球の人々も縄文人もルーツは同じであることが判っている。つまり皆日本人である。それを今更、国連で日本の少数民族独立を主張するのは可笑しい。そう言う主張をする者は、某国による日本民族分断作戦に乗せられている。個々の人々は善良であっても国家は一つの生き物の如くあり、「生残り」のため、「自存」のため、悪行を厭わないものである。日本に対して某国が悪行を働かないように、日本も「強い生き物」の如く在って某国に手出しさせないようにしつつ、某国と仲良くする必要がある。因みに「アイヌ」とは「人間」という意味である。

国連人権委員会は国連人権理事会の設立により既に廃止されていて、国連の正式な機関でない。しかし国連の名のもとに国連に報告する資料を集めて審査している「国連人種差別撤廃委員会」という「委員会」があるようである。そこはどうも「反日」的な活動の拠点になっているらしい。その「委員」会の委員はどういう立場なのか?どういう出身なのか?

それはともかく、アイヌの人々も天地自然の神々(カムイ)に祈りを捧げている。16000年前から3000年前までの13000年間、この日本列島で平和に豊かに暮らしていた日本人の先祖・縄文人たちもそうであった。

日本人の血には渡来人の血が混じっている。渡来人たちには出身地大陸で戦争の経験があった。日本人には縄文人による、言わば水平方向の精神と、渡来人による、言わば垂直方向の精神が合成した精神がある。日本の神代の時代にその精神は既に完成していた。神代の時代に刀剣を製造する技術があったことが『古事記』に記述から分かる。

『古事記』には男神イザナギノミコト・女神イザナミノミコトが天地自然や生活に大事な物を「神」として産んだことが書かれている。
①イザナギ・イザナミの二神が産んだ神々の中から二つのカップルがそれぞれ分担して、水面が波立つ現象・霧・山地・渓谷・分水嶺などを司る神々を生んだ。
②イザナミノミコトは物が焼ける臭いがする神・ヒノカグツチノカミ(火之迦具土神)を生んだとき、陰部が焼けただれて病に伏してしまった。
③病床のイザナミノミコトの嘔吐物・糞(ウンチ)や・尿(オシッコ)から高山や灌漑用の水や生産や食物などを司る神々が生まれた。
④イザナミノミコトはヒノカグツチノカミを生んだことが原因で亡くなってしまいまった(神避(かむさ)りましき)。
⑤イザナギノミコトは「愛しいわが妻の命を子供一人にかえたことである」と哭(な)き涙を流した。その涙はナキサワノメノカミ(泣澤女神)に成った。
⑥イザナギノミコトは神避った(かむさった)イザナミノミコトを出雲國(現在の島根県松江市・安来市・雲南市・出雲市の大部分・大田市の一部・仁多郡の大部分・飯石郡の大部分)伯伎國(現在の鳥取県米子市・倉吉市・境港市・東伯郡・西伯郡・日野郡)の境の比婆の山に葬った。広島県比婆郡にその伝説がある。
⑦イザナギノミコトは腰に帯びた十拳剣(とつかつるぎ)を抜いて、妻イザナミノミコトが死んだ原因となったわが子ヒノカグツチノカミの首を刎ねた。
⑧その剣の先の血が多数の岩石群に飛び散って、岩石を砕くほど力がある神などの神々になった。
⑨その剣の本に付いた血も多数の岩石群に飛び散って太陽を称える神や剣の威力を称える神や渓谷の水を司る神などになった。
                                    (続く) 

2018年8月17日金曜日

20180817対馬 ―― 『古事記』を読む ――



1979(昭和54)123日に、奈良県立橿原考古学研究所により、奈良県奈良市此瀬町の茶畑から『古事記』編纂者・太安万侶の墓が見つかっている。

『古事記』を読んでいて面白いところだけを文章にして以下に記す。『古事記』には対馬がイザナギノミコトとイザナミノミコトの結婚によって生まれたことが書かれている。

①天地が初めて開かれたあと、合計五柱の独り神(天つ神)が成っては身を隠した。
②次に初めに一柱ずつ各一代計二代の単独の神が成り、身を隠した。この二柱に続き、二柱ペアになった十柱の神による五代、前の独り神二代と合わせ計七代の神代があった。
③この七代の神代の最後の代は男神イザナギノミコトと女神イザナミノミコトのペアであった。
天つ神はイザナギノミコトとイザナミノミコトに、「脂のようにぷよぷよふわふとしていて、クラゲのように漂っているこの国を修理し、固めて形に成せ」と命じ、玉で飾った矛(天の沼矛‘あめのぬぼこ’)を与えた。
⑤イザナギノミコトとイザナミノミコトは、神が下界に降りるとき使う「天の浮き橋」に立って、天つ神から与えられた矛(天の沼矛)を指し降ろして海水をかき混ぜた。その時、その矛の先から滴り落ちた塩が積もって島が出来た。
⑥イザナギノミコトとイザナミノミコトはその島に天降りし、其処に立派な柱(天の御柱)立て、新婚のハウス(八尋殿)を立てた。
⑦そのハウスで男神イザナギノミコトに女神イザナミノミコトに「そなたの身体はどのように成っておるのか」と問うた。
⑧女神イザナミノミコトは「私の身体は完全に出来上がっていますが、一か所だけ凹んでいるところがありますのよ」と答えた。
⑨男神イザナギノミコトは「そうか。わしの身体も完全に出来上がっているが、一か所余分なところがある。これをお前の凹んでいるところに差し込んでその穴をふさぎ、国土を生成させようと思う。そなたは国土を生むことをどう思うか?」と問うた。
⑩女神イザナミノミコトは「ええ、いいわ」と答えた。
⑪男神イザナギノミコトは「では,この天の御柱の周りをお前は右回りで、わしは左回りで回って出会った時、寝所でセックスをしよう‘みとのまぐはい爲()む’」と言った。
⑫女神イザナミノミコトは回りながら「あれまあ、貴方はいい男よ」と言い、その後男神イザナギノミコトが「おお、そなたはいい女だ」と言った。
⑬その後男神イザナギノミコトは「女が先に言うのは良くない」と言った。しかしセックス(くみど‘御所で性交’)して生まれた子どもは骨が無い奇形児だった。その子は葦船に入れて流した。
⑭続いて淡島が生まれたが子の数には入れなかった。
⑮男神イザナギノミコトと女神イザナミノミコトは天つ神のところに行って、「どうしたらよいでしょうか?」と相談した。
⑯天つ神は鹿の肩の骨を焼いて作った占い器で占ったところ、「女が先に男に‘あらいい男だわ’なんて言うのは良くない。戻って改めて言い直せ」と言った。
男神イザナギノミコトと女神イザナミノミコトは島に戻って「そなたはいい女だ」「貴方はいい男よ」の掛け合いをやりなおしてセックス(御合)して、ようやく淡路島・四国・九州・壱岐・対馬などを生んだ。
(続く)



2018年8月16日木曜日

20180816「何でも有り」しかし「群れに従順」 ―― 日本人の特質 ――



 八百万の神々が居る日本。日本人は山、海に、火に、水に、自然のあちこちに、さらに稲を育てる田や家の台所などに「神」が宿ると信じていて合掌する。『古事記』の序には太安万侶が「乾坤初めて別れて参神造化の首(はじめ)となり・・」と述べ、本文では稗田阿礼が暗記しているものを誦するところを記述させている。その最初の部分は「天地(あめつち)初めて發(ひら)けし時、高天(たかま)の原に成れる神の名は、・・」と神々の名前を挙げている。日本の神々は無数に在り、『古事記』に書かれている神話の神々ほか、民俗・民間信仰の神、人神・現人神、新宗教の神などが在る。歴史上の有名人は殆ど神として祀られている。靖国神社には大東亜戦争(戦後、「太平洋戦争」と変更させられた)で戦死した軍人・軍属の他、南樺太での真岡郵便電信局事件で自決した女性電話交換手や学徒動員中に軍需工場で爆死した学徒なども神として祀られている。

 「神」についてこのような観念を持っている民族は世界中で日本だけである。その一方で日本には一神教のキリスト教信者やイスラム教信者も居る。韓国で創設されたキリスト教系の新宗教団体「世界平和統一家庭連合」の信者も居る。

 日本人は自らがクリスチャンでなくてもキリスト教の儀式により結婚式を挙げ、子供が生まれたら神道の儀式による七五三の祝いをし、身内の者が亡くなったら仏教の儀式による葬儀を行っている。日本人はハロウイーンやクリスマスやバレンタインデーなどキリスト教の文化圏で行われる行事を楽しんでいる。日本人は宗教にこだわらず「何でも有り」なのである。一神教の人たちから見ると日本人は「無宗教者」のように見えるだろう。

 著名なある人は「日本人は‘日本教’の教徒である」と言う趣旨のことを言った。日本には悠久の歴史があり、万世一系の天皇が居て、日本人は伝統と文化を大切に守っているし、何かを為そうとするときいろいろな意見が出るが、最終的には大勢の意見に従順に従っている。日本には「何でも有り」であるが、日本人は大勢の向く方向に従順に従う。ある文化人類学者は「日本人はいろいろな考え方をし、ばらばらに行動することが許されるが、一端方向が決まれば日本人は‘群れ’に従順になる」と言ったことがあった。

 日本人がこのようにあるのは、日本人には縄文人の血と渡来系弥生人の血が混じり合っているからである。座標軸の水平線xを「縄文人の文化」とし、垂直軸yを「渡来系弥生人の文化」とする場合、そのベクトル的合成線が「日本人の文化」である。そして日本には世界に類例が全く無い「万世一系の天皇」がいるから、「日本の文化」はぶれることなく安定している。これが日本の姿である。

 日本を貶めたい国の人々は天皇を「日王」と呼んで蔑み、天皇が居なくなることを願望して様々な工作を試みている。日本人の中にもそれに呼応して蠢いている人たちが居る。皇子が独りしか居ず、皇統の継続が危機に直面している状況を歓び、「女性宮家」だ「女系天皇」だと騒いでいる人たちが居る。しかし彼らにことさら目くじらを立てる必要は無い。

 日本人は世界一と言えるほど雑種の度合いが大きい人種であるから、多様性に満ちている。日本人の中にはいろいろな考え方をして行動する人たちがいる。幕末に急速な近代化が出来たのも、藩校で秩序を優先する朱子学を教え、同じ教授が私塾で実用主義的な陽明学を教えていたという「何でも有り」の状況の中で、大勢が「開国」を目指すようになると、今度は皆一様に「群れに従順」になって実用主義者になり、天皇のもと一致団結して近代化を推し進めたからである。つまり日本が急速に近代化したのは、日本人には「何でも有り」、しかし日本人は「群れに従順」であるからである。

勿論、江戸時代の学問(数学・天文学・地理学・医学・人体解剖学・土木工学等)や物づくり・芸能等や、政治の制度が、当時の西欧のレベルに匹敵するものであったからでもある。



2018年8月15日水曜日

20180815戦争を知らない世代への願い ―― 「武士道」精神が日本を護る ――



 あくまで私の直感であるが、近い将来北朝鮮と韓国は統一された国家になるだろう。初めは連邦国家の形で出発するだろう。その理由は、「血のつながり」である。生物界を観ていると、同じ種は群れを成す。魚群や野鳥の群れが一斉に方向転換するメカニズムは何だろうか?蛍の群れが一斉に点滅するのは何故だろうか?そこには未だ科学では解明できていない量子レベルの働きがあるに違いない。

人間も同様である。同じ人種は団結する。異なる人種同士は対立し易い。複数の人種から成る一つの民族の場合、その民族内の社会性の度合いによって他の民族と対立する場合がある。しかし人種間であろうと民族間であろうと相互に利益がある場合は、その対立は抑制されている。人類が「生き物」の仲間である以上、「種」の間の緊張関係は無くならない。

 南北朝鮮が統一国家になるだろうと予測するもう一つの理由は、統一によって特に日本に対抗する強い力を持ちたい、と南北朝鮮の人たちは願望している、と思われるからである。「生き物」たちは生存のため群れを成す。「生き物」である人間も同様である。DNAハプログループの違いが「生き物」である人種の違いとなり、人種間の対立の原因となる。

 DNAは人間の行動・態度を特徴づける。日本人の祖先である縄文人は完全な単一人種ではない。Y染色体ハプログループD系統の中のD1bは縄文人特有である。約35,000年前に樺太・南西諸島・朝鮮半島の三方面から日本列島に辿りついたY染色体ハプログループD系統人々は、それぞれ混血しつつ日本に辿りついて以降、ハプログループD1bに進化したと考えられる。このD1bは東日本や沖縄で高い頻度を示している。アイヌの人々では87.5%、沖縄では55.6%である。(WikipediaY染色体ハプログループD1b」)
 
 縄文人たちは弥生時代に大陸のO系統などの人々と混血して今の日本人になった。日本人という「生き物」はそういう特殊な「生き物」である。言わばかなり雑種の「生き物」である。だから日本人と言う雑種の人種は他の人種に対する包容性が大きい。

 朝鮮半島に巨大国家が誕生した場合、日本との間で「生き物」同士として緊張が高まるに違いない。その大きな理由の一つは朝鮮半島の人々の心の深層にある「反日」の感情である。これはどうにもならないものである。これに対して古来日本との関わりが非常に深い中国では人種的には漢族が中心で混血が多く、今でも混血が進行しているようである。国同士としては武力・覇権を競い合っているが、日本人と中国人はお互い相手を尊敬し合っている。

 そういう情勢の中で日本は生き残って行かなければならない。日本人の先祖たちは現在に至る35,000年の間、日本列島で生き残ってゆくため必要な資質・ノウハウ・社会性などを持続的に高めて来た。この結果、かつて互いに激しく殺し合ったアメリカ人と日本人は今世界で最も仲が良い友人同士になっている。

 日本人はこれまで度々危機に瀕したが、天皇のもと「武士」たちが命を懸けてその危機をかわしてきた。刀伊の入冦の時も、蒙古来襲の時も、「武士」たちの働きにより被害を最小にすることができた。日本がアメリカとの戦争に負けた後、インドネシアやベトナムで武装解除後の日本兵が独立戦争に加担した。朝鮮戦争のときはアメリカ軍に協力するよう密命を受けた元海軍の兵士たちが機雷除去に従事した。また元海軍兵士たちが4隻の米軍輸送船LSTで撤退する韓国軍兵士たちを救出した。現在でも自衛隊員たちや海上保安官たちは国防の最前線で働いている。彼らは現代の「武士」である。

「武士」は天皇がいる日本の特別の用語である。アメリカとの戦争に負けて虚脱感とともに捨て去った「武士道」精神を、すべての日本人は自らのアイデンティティとして取り戻さなければならない。さもないと命を捨てて今日の平和と繁栄の礎となった先人たちに申し訳が立たない。「武士道」精神があれば、日本はあらゆる危機を乗り越え「生き物」として生き残って行ける。付言するが「武士道」には仁愛の精神がある。「武士」は「虐殺」など絶対しない。「武士」は「怨み」の感情を持たない。これは日本人の根本精神である。

 日本人の雑種性ゆえに自らご誤解の種をまいた「いわゆる従軍慰安婦問題」は、「20万人の強制連行により性奴隷にさせられた」というとんでもない問題になってしまっているが、国際連合で認証を得た「歴史の真実を求める世界連合(GAHT)」は、その誤解を解くために、そして全ての日本人の名誉のために戦っている。彼らも「武士」たちである。戦争を知らない世代の人たちにお願いしたい。「武士道」精神こそ悠久の歴史をもつ日本を護り続ける精神であることを会得し、さらに体得して頂きたい、と。



2018年8月6日月曜日

20180806暴力と武力 ―― 憲法改正の障壁になっているものは何か ――



 人が野獣のように暴れ、その行為により「他人」に迷惑をかけ、或いは「他人」に危害を加え、場合によってはその人を死に至らしめ、或いは「他人」の財産を破壊する行為を「暴力」と言う。ここで「他人」とは自分の伴侶・子供・親・兄弟姉妹・親族を含む自分以外のすべての人をいう。

以下の14項目は「暴力」行為である。「暴力」を行う団体は「暴力団」である。
①他人を危険に晒すこと
②他人を威圧すること
③他人に不利益を被らせること
④他人に危害を加えること
⑤他人を殺すこと
⑥身体障害者・精神障害者・知的障害者の「法」的権利を奪うこと
LGBTを排除すること
⑧いじめ行為をすること
⑨外国人を排斥すること
⑩少数民族を排斥すること
⑪他国の人を拉致すること
⑫他人を奴隷にすること
⑬人身売買行為
⑭その他「暴力」と認められるすべての行為

 秩序の維持のため「法」を執行する行為は「暴力」ではない。「法」の支配の下そういう行為が行われる状況を「武」と言う。「武」が特定の外国に対して顕れる状況を「武力」という。「武」の行為に従事する者を「武士」という。「武器」の携行・使用に関係なく公務に従事する者は全て今の時代の「武士」である。

 この場合の「法」とは倫理・道徳以外の一般社会・国内社会・国際社会における普遍的規範で、成文法のほか人類共通の普遍的慣習を含む。

「武力」が顕示される条件は、下記7項目である。
 
①他国の領海・領空・領土・排他的経済水域・権利を侵犯すること
②他国を威圧すること
③他国に武力攻撃を加えること
④他国を武力制圧すること
⑤他国の領土の一部を占拠すること
 ⑥「法」のもと友好国と連携して武力行動をとること
 ⑦その他「武力」と認められるすべての行動

 煩悩に苛まれながらも「武」の道に精進する人のことを「武士」と言い、その道のことを「武士道」という。公務員は「武士道」を実践する立場にある。ここにおいてその人の生身の人間としての有り様をそのまま認める。人が「武士道」を次第に会得し、その次第に「武士道」を実践し、その人が最終的に「武士道」を体得することをもって「武の本義」という。

 上述の定義は公に認められているものでは無い。しかし、私は上述の定義がこの日本国内で公に議論され、文言上必要な修正が成され、公に認められることを密かに願っている。

 というのは、戦後平和ボケしてしまっている日本人がただひたすら平和を愛好し、憲法の改正を嫌い、日本国が軍隊を正式に保有することを忌避している状況を、私は遺憾に思っているからである。

国家は野獣の側面を内に秘めている存在である。戦争をする能力が高い国は他国から攻め込まれることはない。故に平時から戦争能力と防御能力の向上に努めなければならない。一見平和に逆行するように見えるが軍事強国であることが平和維持に大変有効である。

 

2018年8月3日金曜日

20180806生贄 ―― この風習の起源と日本精神の起源 ――



 『古事記』(岩波文庫)・『古事記完全講義』(竹田恒泰著)を読んでいて暗い気持ちになった個所がある。それは崇神天皇の次の垂仁天皇の御世の殉死である。『古事記』の崇神天皇の条に「次倭日子命。此王之時、始而於陵立人垣」とある。倭日子命は崇神天皇の三番目の妃・御眞津賣命(みまつひめのみこと)との間に生まれた6人の御子の中の一番末の御子である。

『日本書紀(二)』(岩波文庫)の垂仁記二十八年十月の条に、倭日子命(『日本書紀』では倭彦命)が薨(かむさ)ったとき、その近習者が倭彦命(『古事記』では倭日子命)を葬った陵のまわりに埋まり立ったことが書かれている。近習者が殉死したのである。実際は「殉死」ではなく「殉死させられた」のである。倭彦命は垂仁天皇の末弟である。

 『日本書紀』のその条には「日数が経っても死なず、昼も夜も泣き呻いた。遂に死んで腐敗し、犬や烏が来て死体を食べた。垂仁天皇は泣き呻く声を聞いて心を痛め詔(みことのり)され、「古来の風習とは言え近習者を殉死させるのは甚だ心傷むことである」と殉死を禁止させた。当時そのような「生贄」により何かご利益があると考えられていたのだろう。

 古代の殉死は「生贄」である。『魏志倭人傳』には「卑彌呼以死、大作家、徑百余歩、徇葬者奴婢百餘人。(ヒミコが死んだ。一辺百歩余りの大きな墓が作られた。殉死させた者は賤民百余名。)」とある。

 このような風習は縄文時代には無かったと考えられる。紀元前1000年頃から日本に徐々にわたって来た大陸の人たちが日本に階級制度を持ち込んだと考えられる。縄文人たちは採集と狩猟の暮らしをしていた。ドングリなど木の実や魚介類は豊富にあった。縄文人たちはドングリを沢山採取するためドングリの植栽をしていた。縄文人たちは稲の栽培などをしなくても食べて行けた。ところが紀元前1000年頃から数世紀以上に日本に徐々に渡って来た大陸の人たち、即ち渡来系弥生人たちが持ち込んだ水稲の栽培により、人々の間で貧富の差が次第に大きくなって行った。

最初の渡来系弥生人であると考えられる長江中流域の人々には生贄の風習があったようである(参考:安田喜憲著『古代日本人のルーツ 長江文明の謎 』。彼らは漁労に長けていて造船・航海の技術を持ち、ジャポニカ種の水稲耕作の技術も持っていた。渡来系弥生人の中には中国の春秋・戦国時代(紀元前770年から紀元前232年)に戦乱から逃れて日本にやって来た人々も含まれると考えられている。渡来系弥生人たちは十世紀以上にわたりごく少人数ずつ日本列島にやってきたと考えられる。縄文人たちと渡来系弥生人たちとの混血の人々は沖縄を含む日本列島各地に広がって行ったと考えられる。

こうして原日本人の社会は、例えていえば水平軸の縄文社会と縦軸の渡来系弥生人社会がベクトル合成したような社会となり、現在に至っていると考えられる。日本人の「和を以って貴しと為す」精神は、その合成ベクトルの方向を示すものである。日本人は前の戦争で非常に大きな被害を受けたアメリカ軍による東京大空襲も広島・長崎の原爆も各地の大都市への空襲も、ソ連抑留も、自分の身に降りかかった災害のように受け止めている。戦前の日本人は他の民族に対して大量虐殺のようなことは決してしなかった。しかし武の本義は武士道精神として身につけていた。しかし戦後の日本人はそれを忘れてしまっている。

韓国は日本の固有の領土である竹島を不法に占拠し続け、昨日は公船による竹島周辺の領海侵入も行った。日本人は真の日本精神を自覚し、領海侵犯に対しては敢然と対処すべきである。平和ボケした日本人よ、覚醒せよ!