2012年2月29日水曜日



日本の排他的経済水域内における中国准海軍の行動に関連して(20120229)

中国人も自分の国・中国を「わが国」という。韓国人も自分の国・韓国を「わが国」という。北朝鮮人も自分の国・朝鮮民主主義人民共和国を「わが国」という。

 その「我が国」と、日本人が日本国を「わが国」という場合とでは大きな違いがある。中国・韓国・北朝鮮の人々がそれぞれ自分たちの国を指していう「わが国」とは、それぞれの国の支配者・指導者階層の人たちが統治している国家組織のことである。集合論的に言えば、それらの国々の一つの集合とすれば、それぞれの「国家」と「国民」はその部分集合であり、その両者、即ち「国家」という部分集合と、「国民」という部分集合が重なっている範囲は日本の場合に比べ非常に小さい。その中で韓国の場合は、それら部分集合の重なる部分は比較的大きいと見ることができる。

 それに比べ日本の場合は、国家の中心に万世一系天皇が存在し、国民の統合の象徴になっている。日本には、TPPの問題にせよ、消費税の問題にせよ、「万機公論」の中で決せられる仕組みがある。幕末の開国も、当時の情報通信のシステムは非常に貧弱であったが、当時の国・藩の垣根を越えて志ある人々の交流の輪が広がり、武士自ら特権的身分を捨て、日本列島に住むすべての人々が天皇のもとにまとまることで実現した。集合論的に言えば、日本の場合は、「国家」という部分集合と「国民」という部分集合とはほとんど重なり合っていると言える。そこが日本と、中国や韓国や北朝鮮とは大いに違っているところである。

 国という集合の部分集合である「国家」も、同様に「国民」も、それぞれの部分集合として自ら生き残ろうとする力(自存力)を持っている。北朝鮮は崩壊するだろうと言われているが、崩壊したあと残る北朝鮮の「国民」は、自ら生き残ろうと行動するだろう。

 多くの日本人は、日本国という集合における「日本国家」という部分集合と「日本国民」という部分集合が殆ど重なり合っているため、「中国国家」の自存力のことを理解できずにいる。「中国国家」は自存のため「中国国民」の愛国心を高め、「中国国民」を「中国国家」に統合させなければならない。その手段として最大限に利用するのがいわゆる「南京事件」とされるものである。奄美・沖縄・八重山までの大陸棚は中国領であると「中国国民」に言い、「中国国民」をその気にさせるのもそのためである。

また日本の排他的経済水域(EEZ 内における中国海洋局所属の船舶、その実態は中国海軍の軍艦による行動である。228日午後750分頃EEZから140キロの日本よりの海域で調査を行っていた海上保安庁の測量船「拓洋」に、0.8キロまで接近して調査の中止を要求した。勿論海上保安庁は拒否して調査を継続しているが、彼らがEEZから140キロ近くも日本よりに入って来てまで「調査を注視せよ」と「中国国家」の意思を伝えてきたことを、日本としては大きな問題として取り上げるべきである。

 竹島問題も同様である。これは「韓国国家」の意思による国際的に不法な行為である。「韓国国家」がありもしなかった従軍慰安婦問題を取り上げ、日本の大使館前に建設させ、幼稚園の児童にも「竹島は韓国領である」とか「従軍慰安婦のことで日本は謝罪せよ」とか反日的教育を行っている。

 中国や韓国や北朝鮮のそれぞれの「国家」にとって、それぞれの国の外に「敵」を作り、その「敵」を憎むように仕向けてそれぞれの「国民」を「国家」に統合しないと、それぞれの「国家」の自存ができないのである。このことを日本人はよく認識すべきである。

2012年2月28日火曜日


老夫婦二人暮らしの夕食(小説草稿)(20120228)

 「ただ今!」。信夫が陶芸から帰ってきた。「お帰り! 今日は遅かったこと」「いつものバスだよ」「丁度今出来上がったところなの。今夜は餃子」「いいねエ」。
 信夫は自分の部屋で着替え、化粧室で消毒液を指先から手首までまんべんなくこすりつけ、良く洗い、うがいを三回行ってから居間に行った。千代は信夫が陶芸で作った中皿2枚に手作りの餃子を並べてあった。「餃子の皮が2枚余ったのでチーズを包んで揚げてみたのよ。お父さんがお酒を飲むのにちょうど良いと思って」「千代の作る餃子は美味しいよ」と言いながら信夫は冷蔵庫の中から、飲みかけの紙パック入りの清酒白鶴を取り出し、食器棚からウイスキーのオンザロック用のガラスコップをとりだして食卓についた。

 ガラスコップなどは昨年秋まではサイドボードの中にしまっていた。老夫婦二人の死に支度の一環として、「これが最後になるね」と言いながら壁クロス張替えや建具塗装など内装を一新した。そのとき場所塞ぎになるからと木製の高級フランスベッドやサイドボードなど一部の家具類を廃棄処分した。サイドボードの中に入っていたガラス食器類も比較的良いガラス食器などだけを残して他は全て廃棄処分した。そのためオンザロック用のガラスコップも食器棚の中に収容してあった。

 信夫は3、4か月前から左大腿部の筋肉疲労が回復せず、階段を上がるとき左足を持ち上げると痛みを感じている。その状態は継続的ではなく、ストレッチをしたり、ちょっと駆け足で走ったりしたあとは痛みを感じないこともある。医者に診てもらったがMRIの診断結果でも脊椎に神経が当たっている様子もない。信夫はインターネットで調べた結果、自分のそのような症状は、「異常性大腿神経痛」に似ていると思った。入浴して温めると足を持ち上げても痛みは感じず楽になる。温めればいいのだと思って下着とサポーターの間に「貼るカイロ」を当てがっている。「年のせいだな」と自分で思う。そして「あの世も近い、早くいろいろとあの世行きの仕度をすませなければ」と思う。

 信夫はあの世に行くことについて特別な感情を持っていない。千代も「私、いつ死んでも思い残すことはないわ。長生きしたいとは思わない」という。信夫も同感である。しかし、その前に我が家の家系のことなど書き物をきちんと仕上げておかなければならないし、天皇家と同じような家族構成であるので、男系でつなぐために名字は違うが信夫と血がつながっている甥っ子を孫娘に引き合わせたら良いかななどと思ったりしている。

 あの世に行く前に準備しておかなければならない重要なことは、我が家の財産を全部千代の名義にしておくことである。これは贈与税など余計な金がかからぬように実行しなければならぬ。そうすればもし信夫が先に逝けば千代はその後のことで煩わしい手続きを省くことができる。もし千代が先に逝った場合、信夫は諸手続きに慣れているから心配ない。

 日本酒をちびりちびりやりながら老夫婦の会話が続く。「お父さん、セレモジャパンの書類、私に渡してちょうだい。もしお父さんが死んだとき葬儀のことなどで慌てずに済むようにしておきたいから」。二人ともあの世に行くことを楽しみにしているようである。

2012年2月27日月曜日


「自ら生き残る」こと(20120227)

 もうすぐ一年になるがあの3.11大災害発生後日本に自衛隊がいてよかったことは勿論であるが、フェイスブックを通じて、普段テレビや新聞では報道されない中国や韓国の反日的行動の実態を知るにつけ、日本に自衛隊がいて本当に良かったと思う。もし、日本に自衛隊がいなかったら、今頃日本は国体を維持できないような状況になっていたかもしれない。何十年間も日陰者扱いされてきた自衛隊は日本の背骨のようなものである。

 釜石では一人の建築家の熱い思いによって、画期的な新しい町づくり始まろうとしている。南三陸町では阪神淡路大震災で教訓を得たある商店主が南三陸町の商店街を復活させるため情熱を傾け、被災した地元南三陸町の商店主たちが立ち上がり、行政に頼らず仮設の商店街を復活させた。その陰には商店に必要な資材を無償で提供した篤志企業や個人がいた。行政側は商店街が「仮説」という二文字のため商店主たちへの資金援助ができずにいた。「仮説」商店街に公費を出せないというわけである。

 自衛隊にも南三陸町商店主たちにも共通しているのは、それぞれ「自存」のため自ら進んで努力を積み重ねて来たということである。誰かがやってくれるのを待とうという姿勢では自存はできない。自存は言葉を変えれば「自ら生き残る」ことである。

この言葉は非常に重要である。「自ら生き残る」努力を重ねた者が結局生き残る。悲しい事例では小学生のほとんどが津波で命を失った大川小学校の場合、個々の生徒たちの「自存」力の発揮を抑えたため悲劇が起きた。一方、釜石では小学校生徒たちは100%近い生存率であった。ここでは個々の生徒たちに「自ら生き残る」訓練を行っていた。生徒たちは自らの判断でそれぞれ大津波から生きのびることができた。

 戦後の日本人は、日本という国家として「自ら生き残る」ことに強い意欲をもってこなかった。その弊害が方々で現れ始めている。日本のように家長または日本中の家々の宗家のような天皇・天皇家がいるので国家と国民の間に一体感がある。

ところがお隣の中国や韓国ではそれはない。中国や韓国では「国家」が「国民」を統合する手段として、「国家」の外に「敵」を作り、「国民」の意識を外に向けさせる。そのため最大に活用しているのが、中国の場合、シンボルとしての「南京大虐殺記念館(中国名・侵華日軍南京大屠殺遇難同胞紀念館)」であり「尖閣列島は元々中国領である」と宣言することである。

韓国の場合、シンボルとして「従軍慰安婦像」であり、「竹島は元々韓国領である」と宣言することである。

中国も韓国も政府自ら国民をそういうシンボルや宣言でそれぞれ国民の愛国心を駆り立てている。中国人や韓国人は誤った対日観を刷り込まれている。日本人はそのことにこれまで気づいてこなかった。ここに至って日本人は危険を感じ、いろいろなところで自衛の行動をとり始めている。

2012年2月26日日曜日



「春を探る」に思う(20120226)

(さぐ)る   (たい)(えき)
尽日(じんじつ)(たず)ねて
杖藜(じょうれい)踏破(とうは)幾重(いくちょう)
帰来(きらい)(こころ)みに梅梢(ばいしょう)(と)って(み)れば
枝頭(しとう)に(あ)って(にすで)十分(じゅうぶん)

    探 春  
盡日尋春不見春 杖藜踏破幾重雲
  帰來試把梅梢看 春在枝頭已十分

 この詩の作者・戴益は、宋代の人であるということ以外一切不明である。この詩だけに名を残しているという人である。

 杖藜とは、あかぎ科の一年生草木の茎で作った老人用の杖のこと、帰来とは文字どおり「帰って来る」という意味である。

 この詩は、「幸せ」というものは、結局自分の傍にあるものであって、「幸せ」を求めてもがいても、ただ時間の浪費である。

「春は枝頭に在って已に十分」という意味は、こう解釈される。
それは、「幸せというものは、自分のすぐそばにある」ということである。幸せを求めてもがいても、決して幸せにはならないものである。幸せを求めてもがき苦しむことは人生の時間の無駄な浪費である。

男は思う。“どんな境遇にあっても「今が一番幸せですよ」ということができるような女性、必死の思いで子どもを育て、必死の思いで暖かい家庭を作ることに心がけ、おおらかで無私の愛を示し、たとえ連れあいの男に叩かれ傷つけられたとしてもその男を大きく包みこみ、終にはその男の言動を正しいものに変えてゆくことが出来るような女性は「春は枝頭にあって已に十分」ということができる女性である。観音様のような女性である。連れあいの男もそのことを悟るだろう。そういうような女性は正に生きた観音様である。こうして観音様のような女性と一緒にいる連れ合いの男も幸せな人生を送ることができる”―と。男はつくづく思う。正に自分自身がその「連れ合いの男」のようであるのだと。

もし自分自身がそういう女性ではなく、つれあいの男でもでないということを知るならば、その人は日々努めて「供養」に心がけ、他者のため役立つことを心がけて人生を送ることが必要である。そうすればその人は、来世にはきっと良い性質をもって生まれることができるに違いない。良いこともせず、修養もせず、いたずらに時を過ごすような人は、限りあるこの世を生きる上で大変惜しいことである。その人は来世も決して幸せにはなれないであろう。

2012年2月25日土曜日


スマートフォンのセキュリティ問題(20120225)

 Fujitsuの最新のスマートフォンにはAndroidというプラットフォームが使われている。これにはGoogleがいろいろなアプリケーションを提供している。Facebookも初めから組み込まれている。したがってFacebook用としてFacebookから新たにアプリケーションをダウンロードする必要はない。
 
 昨日、そのスマートフォンでFacebookを利用していたとき、僅か2行だったがハングル文字だけの投稿を見つけた。Facebookの友達は限定しているのでハングルを使うような友達はいない。多分、それは友達の「なりすまし」である可能性がある。
 
 スマートフォンをFacebookで認証する機器名として登録する方法が上手くできず。認証機器名が、ただ「Facebook Android」になってしまっている。スマートフォンでパスワードを入れた段階で傍受されてしまっていた可能性がある。セキュリティのことが心配になったので、パソコンのFacebookで認証する機器名はパソコンに付けた名前のみ1台にした。

 スマートフォンからFacdebookにアクセスするためにパソコンで設定したパスワードを入力すると「AndroidFAcebookにログインするには、普段お使いのパスワードではなく、このコード「【数字6ケタ)」を入力して下さい。」というメッセージがスマトフォンのメールに送られて来る。それを入力するとスマートフォンでFacebookを利用することができるようになっている。

そしてパソコン側では、アカウント→セキュリティ→認証済みの機器 のところに「Facebook Android」というような表示が出て、その表示の機器を使用しているときは、通知はき来ない。他の機器の場合は通知される。問題は、上記のセキュリティコードを入力したとき、多分、どのスマートフォンでも認証後のパソコン側での表示は「Facebook Android」というようになっていることである。パソコンのFacebookのように、自分が決めた機器の名前を入力する仕組みになっていないのである。

そこのところが釈然とせず、スマートフォンでFacebookを利用する場合に不安なところである。投稿記事も当たり障りのないものであれば気にしなくてもいいのかもしれないが、そうでない場合は自分の投稿記事に反発する特定の勢力にマークされるだろう。その場合はスマートフォンでのFacebook利用は止める方がよい。

2012年2月24日金曜日


「人生の役割」をテーマにした小説の草稿 (20120224)

 信夫はふと自分の人生に大きな影響を与えた人のことを考えてみた。それは自分の母親・ともゑと自分の妻・千代の二人だけであると思った。ともゑは信夫が10歳のとき33歳の若さで逝っている。信夫はもう一人挙げてみようと思ったが三人目は見つからず、結局信夫の人生に大きな影響を与えたのは母・ともゑと妻の千代しかいいない。いずれも女性である。男にとって女性の影響は非常に大きなものがある。

70歳で他界した信夫の父親はどうかというと、教育者であったその父親も確かに信夫に影響を与えはしたが信夫の母親ほどに強烈な印象を信夫に残してはいない。信夫の父親は長男である信夫に直接求めはしなかったが仏壇の中に家系図などを遺し、長男である信夫には何も言わなくても、長男というものは自ずと自分の家の先祖のことを考えるものだと思っていたのだろう。明治42年生まれだった信夫の父親にはそういうところがあったのだと信夫は思った。

 千代と二人だけの毎日が日曜日のような暮らしをしているある日、家事が一段落してお茶でも飲もうということになった。70歳を過ぎて近くの女性専門の運動施設に通っている千代は、その運動施設で新たな友人ができ、その友人から八女茶の新茶を頂いている。信夫は昨日近くのスーパーマーケットで賞味期限が10日後に切れるためか値札に赤いテープが貼ってある安売りの焼きプリン(pudding)を買って来てあったので、それとお茶でしばらく寛いだ。

 「渡川さんのご主人は何しているの?」と信夫が聞いた。「そこまでは聞いていないわ。ただお父さんみたいにパソコンの前にへばりついているほど忙しくはしていないようよ。」と千代は答えた。信夫は自分の人生に大きな影響を与えた二人のことを話した。「千代の場合は葛木のお爺さんだろう?」と肯定的に言った。千代は「そうよ、私は葛木のお爺ちゃんの影響をいちばん受けているわ」と即座に答が返ってきた。「お爺ちゃん一人だけ?」「そうね、お爺ちゃんしかいないわ」「そうだろうね、俺も母上とおまえしかいない。三人目はいない」。そんなやりとりをしながらしばらく寛いだ後、信夫は自分の部屋に戻った。

 信夫の部屋には一枚の写真が掲げてある。2Lサイズの写真には信夫が真ん中にいて、左右に三人づつ従兄弟たちがずらりと並んで立っている。皆黒のスーツを着、黒のネクタイを締めている。信夫の右隣に信夫の父親のすぐ下の妹の長男、左隣に二番目の妹の長男、以下右側に信夫の父親のすぐ下の弟の息子兄弟、左側に末弟の長男、その隣が末妹の長男という配列である。これれは信夫が信夫の父親のすぐ下の弟、つまり信夫の叔父の葬式のとき、信夫が従兄弟たちに「一緒に写真を撮ろう」と提案したら、誰が言うこともなくごく自然にそのような配列になっていた。信夫の従兄たち二人は信夫より5、6歳年長である。皆戦前の小学校(国民学校)で教育を受けている。従兄たち二人は、没落してしまったがある意味で宗家のような家の跡取りである信夫を中心にして、皆が自然にそういう並び方になるように気を配った。従兄たちには戦前の美徳が自然に身に付いていたのである。

2012年2月23日木曜日


現今の日本の病根・病巣を明らかにしてこれを断つ(20120223)

現今の日本の憂えるべき状況を「病状」とするならば、その「病根・病巣」を明らかにしてゆくことによって、その治療ができると言える。これまでのこのブログの投稿記事で、日本人の国家意識の根底にあるものを定理と公理と系という形式をとって明らかにしようとしているのはそのためである。その形式は今後も試みて行くつもりである。

日教組による反国家的な教育活動や、天皇を崇敬・敬愛せず、日本の国旗・国歌に敬意を表しない教師たちの言動、地方自治基本条例条文における反国家的表現、「外国人参政権」や「夫婦別称」の実現を目指した表現などは、現今の日本の「病気」の一現象である。

日本がこれらの「病気」を患っているから、中国や韓国・北朝鮮やロシアの「国家」はそれぞれ利欲心をたぎらせ、ことあるごとに日本人を不愉快にさせている。

大阪市が橋下市長の意を受けて職員に無断で電子メールのやりとりのチェックをした。市の職員が電子メールを使って、勤務時間中に労働組合活動をしていないかどうか抜き打ち検査した。そのようなことまでしなければならないような「病状」が、この日本国中に蔓延している。各地でフェイスブックの仲間である憂国の志士(=「病状」治療の「医師」)たちが、この「病状」と戦っている。

日本はアメリカとの戦争に負けて日本人の美徳まで失ってしまった。しかし3.11大震災でその美徳が蘇ってきつつある。

物事には2面性あり、日本が戦争に負けたことは必ずしも悪いことばかりではなかった。品質管理(QC)の手法はアメリカで生み出されたものであるが、日本はこの手法を学び、総合的なQC,すなわちトータルQC(TQC)にまで発展させた。このTQCの手法は逆に日本からアメリカに伝えられた。

日本のライフスタイルがアメリカナイズされたことは必ずしも悪いことばかりではなく、むしろ良い面も多々ある。日本では日本古来の文化・風習のみならず欧米の文化・風習も混在している。古いものと超モダンなものが同時に調和して混在している。日本は世界で珍しい国になっている。

そういう文化の中で生まれ育った世代の人々が、戦後日本人に植え込まれた自虐史観に疑問を感じる一方で、「自分たちは紀元26百年とか、古い精神文化に戻ってしまってもよいものだろうか」と思うようになってきている。

日本人の精神は振り子のように左に振れ右に振れ、その振れがだんだん小さくなって終には真ん中でピタッと止まる。今、日本はその過程にあると言える。

このピタッと振り子が止まる「真ん中」とは、天皇が家長、又は日本中の家々の宗家であるような「日本一家」の国・日本は、先の大東亜解放戦争で敗れ、アメリカに降参した結果アメリカから吸収すべきものを吸収して、年月を経て一段と立派になった国になるということである。
 
そのとき日本では、戦勝国アメリカの圧力によって衆参両院で廃止決議した「教育勅語」を再び衆参両院で議決して復活させており、旧宮家も復活させて皇統維持の危機は回避されるようになっており、核武装もしようと思えば直ちに核武装もできる強い国軍(国防軍)が構えている国になっている。

そのとき小中学校で教えられている日本の歴史は、ただ単に時系列に史実を書き並べたものではなく、神代から現代に至る「歴史観」も含めた歴史観的歴史になっている。

そのとき文化勲章などを貰った人たちや日本の国家・社会に著しい貢献があった人たちに新制度の「爵位」を天皇から付与され、参議院議員には新制度の「爵位」を得た人たちだけではなく、教養が高く良識のある一般の人たちからも一定の基準で選ばれた人たちが選出される仕組みになっている。

そして新しい参議院には最終決定権はないが、衆議院から送られてくる諸法案を審議し、法案に賛成の場合でも反対の場合でも意見を付して衆議院に送り返すとともに、法案審議の状況と法案に付した意見書を国民の前に公表するようになっている。

大阪の橋下市長が「船中八策」で「参議院の廃止も視野に」と一院制が議論されたが、日本は上述のように二院制がしっかり機能している国になっている。衆議院が国民大衆の選択を反映するならば、参議院は大局的見地から日本が選択すべき方向について判断するところになっている。衆愚政治はもはや日本からは消滅してしまっている。

そういう国・日本は、日教組が最も嫌がる国、中国や韓国・北朝鮮やロシアが最も畏れ、しかし敬う国、アメリカもEU諸国もアセアン諸国も慕う国になっている。

日本は、昭和20815日以降大きく左右に振れてきた振り子が、そのときピタッと真ん中に止まっている国になっているということである。

2012年2月22日水曜日


日教組先生の教育はどんなものなのか良く知らないが・・・(20120222)

小中学校教育において、フェアな競争はあってしかるべきである。
例えば運動会の徒競走において、速くゴールに入った者も、びりけつも皆同じ賞というのはおかしい。学期末試験で上位数十名の科目別の得点数を発表しないというのもおかしい。何か良いことをした子どもを褒めないのもおかしい。

国民性であろうが、日本ではボランティア活動団体を皆の前でほめたたえるようなイベントがないというのはちょっと淋しい気持ちがする。現状ではマスコミがスポット的に取り上げてテレビなどで報道しているだけで、マスコミに取り上げられなかったボランティア団体は「褒メラレモセズ苦ニモサレズニ」で終わりである。
横並びでものごとを考えるのは日本人の美徳でもあり、また欠点でもある。

勉強ができない子供でも何か一つぐらいは他の子供よりも優れているところがある。そこを皆の前で褒めて、その子供に自信をもたせるようにすればよい。
「皆同じ」で育ってきた教師に指導される子供たちは、将来どういうふうになるのだろうか? 

弱い立場にある者へは慈愛の手を差し延べればよい。生きて行く力を補助してあげればよい。「弱者救済」という聞こえの良い言葉に騙されてはならない。
何でも彼でも平等というのは、結局不平等であり、何でも彼でも公平というのは、結局不公平である。

男の子を持つ親は、自分の子供が、意志が強く体が丈夫でありさえすれば、大人になっても生きて行けると考え、無理やり「勉強せよ」など言わぬ方が良い。
親が出来ることは、子供に、「良い環境」と「良い刺激」を与えることであって、勉強したくない子供に無理やり勉強させようとするのは大変間違っている。
「芸は身を助ける」諺の通り、先ずは一人で生きて行ける能力を身に付けさせることが肝要だと思う。みそもくそも大学に行かせる必要は全くない。
「可愛い子供には旅をさせよ」という。子供が一人で旅に出る力を与えるのも親の仕事です。孟子の母は孟子のために三度学校を変えたという。

親は自分の子供に、一人で生きて行く力を身に付けさせることが第一の目標であるべきある。そのようにして子供が18歳になったとき、ぽんとボストンバッグ1個を投げ与え、家から出て行かせる。但し、最初に必要な最低限のことはしてやる。
例えば、テレビ・パソコン・冷蔵庫・洗濯機などの必要最小限の家具や権利金・敷金・初度経費を与えることなど。そのお金は子供がお年玉などで貰ったお金を貯めたものを主な原資とする。子供が貰ったお年玉はその場で子供に与えてはならない。貯めて後で「役に立つ」ように与えれば良い。

大学の入試や卒業式に親が付いて行くなど、とんでもないことである。近年そんな親が余りにも多すぎる。子供はいつまでたっても自立できない。
娘と母親が姉妹のような関係にあるのをときどき見かけるが、その娘は決して良い母親にはなれぬだろう。

高学歴でも自ら問題を見つけ出して、それを上司・同僚・部下・関連業者、要するに自分が真ん中に居て、自分がゆっくり回れば、皆一緒に回るようになって、その問題を解決することができるようにできないような者は、結局世の中の為にはならない。
若い時代に大きな問題を見つけ出して、それに取り組み、成果を出すことができないような者は、後になっても大きな問題に取り組むことができない。

今の日本の病根は、戦後生まれの親が、本当の親に成りきれていないことに根本原因がある。それはちょっとひどすぎる観方かもしれぬが・・。

2012年2月21日火曜日


中国のチベット人弾圧(20120221)

定義1 国家は、それ自体国民とは別の機能体である。
定義2 国家の運営の手法は、一人または集団、或いは指導的組織の理念や指導力によって決定される。
定義4 憲法には国民の意識が反映されている。

公理1 国家と国民個々とはそれぞれ別の機能体であるが、国家群の中には国家と国民個々の間で一体感がある国もあるが、一体感が希薄な国もある。
公理4 定義2における「集団的指導組織」は、その「集団的指導組織」を幾世紀にもわたり持続させるための方針や実施要領等を記述した綱領によって、国家戦略として継承される。
公理5 中国人は「中国4000年の歴史」という言葉を口にする。中国人の意識には抜け切れない中華思想がある。

4 定義4と公理5から、中国共産党指導部が「王朝」のようなものであるということができる。農民工は都市戸籍を得ることができない農民が、都会に出稼ぎにきている人たちのことである。

 先日、次期国家主席候補とされている習近平氏が、オバマ大統領に人権問題について言われたとき「中国は中国のやりかたでゆく」というような趣旨の反論をした。

 そのやり方の一つが下記URLで示される残酷な光景である。
 (このURLをコピーしてブラウザ上に貼りつけると、その写真を見ることができる。)


 この写真の説明は以下のとおりである。場所はチベットという説明がある。

Gelek Rangzen Jamyang
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Tibet story....young Tibetan people (specially young women) are rounded up in the night nd taken to the far northern mountain, forced to kneel down gripped by military, person enther side nd shot from behind....nd left like animal corpses...an endless suffering as the world leaders of democratic country countries to do nothing ...! U.N.O nd European union,America,England all r blind nd deaf ,they care for Chinese money more than human right of million .....!!!(一緒にいる人: Amdo Lhekshyさん、Amrita Ammyさん、Swt Angel Thapaさん、他12 場所: Tibet

2012年2月20日月曜日


国家の運営について考える(20120220)

 アメリカが中国に接近したことに関連して、沖縄駐留アメリカ軍による抑止力は極めて重要であるから、日本とアメリカの同盟関係を一層深化させなければならない、また沖縄にアメリカ軍の基地が集中しているので沖縄の負担の軽減に努めなければならないと発言する政治家が増えてきた。しかし、沖縄にアメリカ軍の基地があることの国家防衛上の意味を、特に沖縄県人以外の日本人はよく理解していないようである。

 日本国民の意識を形成している根本的なものを日本国民自身が自覚できないでいると、何時まで経っても日本の外交・防衛に関する世論が一つにまとまることは困難である。

 そこで、日本国民の意識を形成している根本的なものを考えるための道具を作ることを思いついた。当面は共通的認識の元になりそうな定義や公理や系を、倫理的な裏づけなしに列挙することから始める。
 
 この道具は、日本が中国や韓国・北朝鮮に対してどう向きあえばよいのか、以下の論理体系で見えてくるようにすることを意図して作成するものである。

 定義1 国家は、それ自体国民とは別の機能体である。
 定義2 国家の運営の手法は、一人または集団、或いは指導的組織の理念や指導力によって決定される。
 定義3 国家を指導する力は、指導者または指導集団、或いは指導的組織がもつ理念とこれらが宰領し利用する行政の制度によって制御される。

公理1 国家と国民個々とはそれぞれ別の機能体であるが、国家群の中には国家と国民個々の間で一体感がある国もあるが、一体感が希薄な国もある。
 公理2 国家と国民個々とを結びつける絆の強さは、国民個々の精神を共有する象徴的存在の有無により差異がる。
 公理3 国家と国民個々とを結びつける絆の強さは、国民個々の精神を共有する象徴的な存在に対する帰属意識を高める教育の有無及び教育の普及の程度により差異がある。
公理4 定義2における「集団的指導組織」は、その「集団的指導組織」を幾世紀にもわたり持続させるための方針や実施要領等を記述した綱領によって、国家戦略として継承される。

 系1 日本国は公理1における「国家と国民個々の間で一体感がある」国の一つである。
 系2 日本国には、国民個々の精神を共有する象徴的存在として、世界に類例を見ない天皇がいる。
 系3 日本国においては、公理2の「象徴」である天皇と国民個々を結びつける絆を強めるための教育は行われていないが、その結びつきは非常に強いものがある。

 TPPでも、国政でも、論理的にその是非を考えるべきである。人間の脳は「あれは悪い」と聞かされ続けると、本当に「あれは悪い」と思うようになるものである。其処に問題の本質を発見することができない「感情の関所」がある。

 「あれは悪い」とあれこれ資料を引用し、説得する側も、その資料だけに偏って、問題の本質を発見することができない「知識の関所」にとどめ置かれているかもしれない。

 問題を解くことよりも、問題を発見することが最も重要である。上記、定義・公理・系の別による思考法は、問題を発見するための手法として思索中のものである。  (続く)

2012年2月19日日曜日


年寄りは大人しくしていればいいのだと思うが(20120219)

 このところ全国各地で50歳代以下の若い人たちが国家観に目覚めてきたように思う。
「良い日本を作って下さい」と弟妹たちに言い残して死んでいった若き特攻隊員たちのことを決して忘れてはいけない。この国の再生のため、若い人たちに期待したいと思う。

地方主権・地方自治という美名のもと、左翼市民団体・左翼政党・左翼政治家たちが着々と「外国人参政権」「夫婦別称」「人権侵害救済」法案制定にむけて地ならしをしていないか? これらの法案は、いずれ遠い将来、日本から天皇をなくしてしまおうと考える中国や韓国・北朝鮮の「国家」の意思に実現に加担するような法案である。

 日本のように天皇が家長あるいは日本中の家々の宗家のような国、「日本一家」のような国は世界中どこにもない。日本では国家と国民とは、天皇がいるゆえに深い絆で結ばれている。そのため日本人は教えられない限り国家を意識しない。

 そこに大きな油断が生じている。中国や韓国・北朝鮮の反日的行動には、自国民を国家に結び付けようとするそれぞれの「国家」の意図があるのだ。日本人はそのことに気付かなければならない。

 以下は、ある地方自治体の「自治基本条例(案)」に反対し、これを是非成立させようとしている日教組など左翼勢力と闘っている一人のある若い政治家が知らせてくれたものである。それにはこう書いてある。(“”で引用)

“最近、全国各地の自治体では、「市民参加」や「市民自治」といった大義名分の下、「自治基本条例(=まちづくり基本条例)」や「市民参加条例」、未成年者や外国人にも住民投票の権利を与える「住民投票条例」などが相次いで制定されています。

こうした一連の条例は、じつは“特定の市民(過激派やカルト、反日団体等)”による政治介入への巧妙な道具とされ、間接民主主義を空洞化せしめる一方、国の主権や安全保障を弱体化させる危険があると指摘されています。

先日、〇△市においても、「(仮称)〇△市まちづくり基本条例に係る基本的な考え方(案)」が示されましたので、一部抜粋します。

  「(仮称)〇△市まちづくり基本条例(以下「基本条例」という。)とは、本市のまちづくりにおける基本的な理念や仕組みを総合的に定めるものです。

 まちづくり基本条例は、一般に「自治体の憲法」ともいわれており、他の自治体では、「自治基本条例」等と称しているところもありますが、名称のいかんを問わず、自治体における最高規範性を有する条例として位置付けられています。

 さて、上記の赤字部分をご覧ください。「名称のいかんを問わず、最高規範性を有する条例として位置付けられる」と表現されていますが、わが国では、日本国憲法が最高規範とされ、その下でその他の法律は平等であります。同じように、法律に基づいて制定される条例には最高規範はなく、まちづくり基本条例(=自治基本条例)が他の条例に優越することは法律上認められません。このように、条例策定前から「特定のイデオロギーに基づいた条例」と疑われるような考え方が示されております。”

 その政治家は、現在の各地方自治体における制定状況を知らせてくれた。それによれば以下のとおりである。それぞれの制定の中身を検証する必要がある。「良い日本を作って下さい」と言い残して死んでいった英霊たちに報いるためにも・・。
険があると指摘されています。(“”で引用)

“制定済み(平成2341日現在)
札幌市、川崎市、新潟市、静岡市、北九州市、函館市、宇都宮市、岐阜市、豊田市、高松市、熊本市、川口市、所沢市、越谷市、一宮市、四日市市、吹田市、豊中市、八戸市、太田市、熊谷市、春日部市、草加市、平塚市、茅ヶ崎市、厚木市、岸和田市、寝屋川市、明石市、帯広市、苫小牧市、富士見市、小田原市、白山市、甲府市、刈谷市、鳥取市、山口市、登別市、越前市、みよし市、京丹後市、都留市、朝来市、備前市、普通寺市、新宿区、文京区、中野区、杉並区、豊島区、練馬区、足立区

制定予定・検討中(平成2341日現在)
さいたま市、千葉市、相模原市、旭川市、青森市、高崎市、川越市、横須賀市、岡崎市、姫路市、大分市、つくば市、調布市、津市、茨木市、佐賀市、釧路市、鴻巣市、戸田市、成田市、小牧市、三田市、鹿沼市、銚子市、愛西市、板橋区

今後検討の予定(平成2341日現在)
大津市、東大阪市、尼崎市、倉敷市、松山市、長崎市、宮崎市、八王子市、福島市、足利市、豊川市、霧島市、本庄市、桶川市、鶴ヶ嶋市、裾野市、鳥栖市、大村市、仙北市、海津市、千代田区、品川区、世田谷区、北区”

 

2012年2月18日土曜日


Facebookへの送信が傍受されているらしい(20120218)

 今日の国会衆院予算委における自民党額賀氏・石破氏の質疑は非常に良かった。

額賀氏は民主党員たちに沖縄のことでよく反省をさせた。石破氏は野田首相以下閣僚たちのみならず民主党委員たちにも非常に良い教育をしてくれたと。石破氏に大拍手である。これから日本も変わるであろう。

 50代、40代の新進気鋭の愛国的政治家たちに期待する。谷垣氏ら60代以上の方々は後方に下がって貰った方が国の爲である。戦後生まれの年寄り世代はどうしても国家観・歴史観があるようで不十分である。政道より国境のない商道に重点を置きがちである。

わが国をここまで混乱させた民主党鳩山氏・菅氏、そして子飼いの議員たちに「国家に出るな」と暴言を吐いた小沢氏などには国会議員を辞めてもらいたいと思う。

さて、このフェイスブックのセキュリティ上の不安があって、新たにメールアドレスを追加(月額250円)してまでして、あらたなフェイスブク登録をし、携帯へフェイスブックからセキュリティコードの通知を受け、それを入力するなどしているうちに、問題は解消したようである。通信傍受の問題が起きていたのかどうか不明である。

設定上の問題だったかもしれぬ。しかし下記メッセージにある「複数のサイトで同じ証明書を返すようサーバーで設定」してはいない。しかるにメールアドレスやパスワードの入力画面は ja-jp.facebook.com になっていた。今はwww.facebook.com になっている。

問題というのは以下のようなメッセージが出ていて、そこは触らずブックマークからフェイスブックを開くと、www.facebook.comURLがあるページが開かれることである。使っているブラウザはGoogle  Chrome 。従来、ここにパスワードなど記憶させていたが、今後は面倒でもその都度入力することにする。

Googleで、Facebookの自分の名前で検索すると、余計なもの(中国名・女の顔写真・「いいね」ボタン)が出て来る。これは数か月後抹消されるのかどうかは分からない。

そういうわけで当分の間、フェイスブックの皆の投稿は読ませて頂くが、「コメント」はせず「ノート」には書かないことにした。「読んだ」という意味で「いいね」はする。また時々近況だけは書くことにする。


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証明書のアドレスと、実際にアクセスしようとしているウェブサイトのアドレスが一致していません。これには、悪意のあるユーザーによって通信が傍受されているか、または複数のサイトで同じ証明書を返すようサーバーで設定しているにも関わらず、証明書が有効になっていないサイトが含まれている可能性があります。Google Chrome で検出されたアクセスは www.facebook.com で、それが ja-jp.facebook.com と同じサイトであるかどうかは確認できません。
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