2014年12月30日火曜日

20141230善男善女の「あの世」での有り様が分かってくるような気がする。


 自分は煩悩の身から抜け出すことは絶対にできない。自分は死ぬ時まで煩悩の身であり続け、煩悩の身から抜け出して高潔な身になりたいとも願わぬ。しかし自分は盗み・殺人・詐欺・暴力行為など人としての道に反するような行為は決してしないし、自分は好色だが浮気・不倫・性的犯罪などは絶対にしない。いうなれば自分は善男善女の類の男である。

 良寛の『意(こころ)に可(か)なり』という題の作詞に「欲無ければ一切足り、求むるあれあば万事窮す」という一節がある。京都のある寺の縁先の庭に「吾・只・足・知」の四つの文字を一つに組み合わせた彫った石が置かれている。「吾ただ足るを知る」と読む。きらびやかなものを身に着け「この時計は350万円したものだがその修理にン十万かかった」などと自慢したがる者は到底良寛の気持ちや京都の寺の庭石に彫られているような気持ちにはなれない。質素で無欲なことが身についている人は善男善女の中でも上等な人である。

 お釈迦様(ゴータマ・ブッダGotama Siddhattha)が布教を始めた初期に一般の人々に説いたと伝えられている『阿含経』(āgama)には輪廻転生のことが書かれている。それは王妃末利(マーリー)との問答である。ブッダは性格が悪く利欲に走り名声を求める人は後の世において醜く貧しい者として生まれると答えておられる。またブッダは弟子との問答で「この世は心に導かれ心に引きずられ、心の支配を受ける」と答えておられる。善男善女はあの世で人間界に生まれるがこの世での行い次第であの世での有り様が決まるのである。

 心は意識である。意識は感覚・感情・行動・記憶が統合されたものであり、人間だけが持っているものである。人の遺伝子はその人の形質・気質・性格・知能・運動能力などに影響を与えている。従って人の意識はその人の形質・気質・性格・知能・運動能力などに関係がある。故に人の意識はその人の遺伝子に深い関わりをもっているということができる。

人の意識に影響を及ぼす遺伝子の発現のメカニズムが何れ明らかになるに違いない。子は両親から遺伝子を半分ずつ受け継ぐ。その受け継ぐ遺伝情報は223乗という数の膨大な遺伝情報の中から選択される。その選択のメカニズムについてはその道の専門家でさえもまだ分かっていないことだろう。しかし親から子へ、子から孫へと代々遺伝してゆく過程において、意識は遺伝情報の選択に何かの作用を及ぼしているに違いない。


意識は時空を超越し、自由自在・広大無辺・融通無碍な概念である。意識について現代の科学では解明されていないし、永久に解明できないかもしれない。しかし意識の概念について深く思惟してゆくならば、ブッダが2500年ほど前に説かれた輪廻転生のことが次第に分ってくるような気がする。

2014年12月27日土曜日

20141227皇(すめらぎ)の降臨と崩御――日本民族の本質は何か?――


 古来天皇は祭祀を非常に大切にされ、祖先と神々への感謝と国民の幸せを願って祈りを捧げて来られた。皇太子が天皇に即位されると皇(すめらぎ)として降臨(天下り)する。そしてその生涯を終えられて崩御する(かむあがる)。皇族方も祭祀を大切にされている。

 今上天皇は81歳のお誕生日を迎えられた23日、皇居・宮殿で記者会見し、「300万人を超す人々の死を無にすることがないよう、常により良い日本をつくる努力を続けることが、残された私どもに課せられた義務であり、後に来る時代への責任であると思います」とのお気持ちを明らかにされた。

 われわれ日本国民は統合の象徴として天皇を戴いている。これは日本国民として大変幸せなことである。このような国は世界中どこを探しても見当たらない。しかし同じ日本国民であってもこのことに批判的な考え方をしている人も居る。そのような人たちに問いたい。「あなたは古事記を読みましたか?」「あなたは万葉集を読みましたか?」「あなたはご先祖を敬っていますか?」と。おそらく彼らは反権力意識が非常に強い人たちであろう。

 日本国民には非常に多様な価値観が混在している。日本国民は象徴として天皇を戴いているから外から見れば日本は単一民族国家のように見える。しかし日本人の遺伝子は非常に多様であるので、ある意味で日本人は多人種の集合である。遺伝子の多様性が多様な価値観を生んでいる。聖徳太子が作った十七条憲法の第一条に「以和爲貴、無忤爲宗。人皆有黨。亦少達者。(和をもって貴しと為し、さからうことなきを宗とせよ。人皆党あり、またさとれる者は少なし。)」とあり、1410年の昔も今も日本国民の間に非常に多様な価値観が存在している状況は変わっていない。

 日本国民の間に非常に多様な価値観が存在していても、日本の国家の存亡にかかわるような事態が起きたとき、日本国民は団結して国家を守ろうとする。これは日本国民の遺伝子が非常に多様であっても、その形質・気質・性格等において多くの共通点があるからである。 何故そうなのかと言うと殆どの日本国民は遺伝情報の拡散・発現により、天皇・皇族とある意味で皆親族であるからである。内廷は日本の各家の宗家のようなものである。


ヒトと呼ばれる生物種である人間の染色体は23個の同じものが2つある。親から子へは両親の遺伝子の半分ずつ子に伝えられる。その遺伝情報は2の23乗個の染色体の中から選択的に子に伝えられる。さらに一世代25年とし一組の親に2人の子供がいるとすると1000年後に一組の親の子孫は2の40乗人、つまり1兆人できることになる。こう考えると日本国民が万世一系の天皇を戴いているということは大変幸せなことなのである。

2014年12月26日金曜日

20141226「あの世」は「この世」の続きである


 テレビのスイッチを入れたら「ゴンチチ(GonTITI)」のトークショーが放映されていた。このギターバンドの二人の出会いは全く偶然のことであった。しかしそれは決して偶然の出会いではない。「この世」に生きている立場で観るからそれは偶然のように見えるが、意識を遠い過去から遠い未来まで拡げて考えるとその二人は「この世」で出会うべくして出会ったのである。つまりこの出会いは決して偶然ではなく必然であったのである。

 通りを行き交う人々は皆遠い過去から連綿として続いている中のある人生を「この世」で生きているのである。人々は「この世」に生まれ、成長し、子孫を残し、老い、やがて死ぬ。その一生の間、ある人々の意識は良い方向に高まってゆき、ある人々の意識は悪い方向に向かってゆく。そしてそれぞれ一生を終えた後それぞれの意識はまた別の新たな生命に宿る。そのとき意識はそれにふさわしい生命に宿る。良い意識は良い生命に宿り、悪い意識は悪い生命に宿る。

 たとえある良い意識が「この世」で良い生命に宿ったとしても、その人がそのことを自覚せず悪い方向に活動すれば良い結果を得ることはできない。一方悪い意識が宿った生命であってもその人の努力次第でその意識は良い方向に高められる。人々は「この世」で煩悩に振り舞わされながらも皆一生懸命生きているのである。

 人々にそのような意識を持たせるある永遠の存在がある。キリスト教やイスラム教などではそれを神といい、仏教ではそれをブッダという。神とブッダの違いは何か?神は生命の創造主であると観る永遠の存在であり、ブッダは生命と共にあると観る永遠の存在である。何れにせよ人々は神またはブッダに生かされている。人々は煩悩の身で生きており、一方である永遠の存在によって生かされている。


 人は自分の意識でこの永遠の存在を捉えることができる。しかしその捉えたものを他人に分かってもらうように説明することは非常に難しい。それはほとんど不可能である。「この世」で煩悩に振り回されながらも自分の意識を少しでも良い方向に高めるように努力しつつ、自分がある永遠の存在に生かされていることを自覚して「この世」でその永遠の存在に期待されていると考えていることを実行する人は、「あの世」できっと良い生命に宿って「この世」にいるよりは幸せな一生を送ることだろう。

2014年12月18日木曜日

子供たちの桜 (20110513)

 表題の「子供たちの桜」は、歌手の森 昌子が被災地で、またNHKのスタジオで歌った歌の題名である。森 昌子はこの度の大震災で被災された方々を、自分にできることで何とか慰問したい、しかしかえってその方々の迷惑にならないかと毎日悶々としていたという。そのような時、息子さんに「きっと喜んでもらえる」と肩を押され、勇気を出して3か所の避難場所をまわり、懐かしい歌の数々を歌った。その代表的な一つがその歌である。

 森 昌子によれば、その歌を聴いてくれている同年輩かそれ以上のお母さんたちが、そっとハンカチで目を押さえていたのを見て、逆に自分が励まされたという。映像には、彼女が抱きかかえている赤ちゃんと一緒に写っている写真や、彼女と遊んで笑顔を見せている子供たちの写真が紹介されていた。その映像を、男は女房と一緒に観ていた。

 その歌の歌詞の最後に「忘れないで 忘れないで 咲いていることを」「死にたいときも 忘れないで 忘れないで 生まれたことだけは」という下りがある。聴いていてとても良い歌である。森 昌子の、清らかで優しく語りかえるような歌声がとても良い。

今度の巨大津波により親を失った子供が沢山いる。子供を失った親も沢山いる。夫と子供を失った母親もかなりいる。妻子を失った父親もかなりいる。商店を経営していたある男性は、巨大地震の発生直後、妻と二男に「逃げろ」と言い残して消防団員として詰め所に駆け付けた。小学校にいた長男は無事避難していた。ところが「逃げろ」と言い残してきた妻と二男は逃げ切れず、津波に飲み込まれて死んでしまった。森 昌子の「子供たちの桜」という歌の歌詞は、生き残った人たちへのメッセージである。

 この世の諸々の現象は無常である。桜の木も人間も時々刻々変化していて同じ状態が続くということは絶対ない。それでも桜の木は生きている限り毎年春に花を咲かせる。人間も生きている限りその花を見、或いはその桜の木に何かを感じ取ることができる。

 この世の諸々の現象のことを「諸行」という。仏陀の弟子は、この諸行が千変万化してゆく様を、たった四語の「諸行無常」という言葉で言い表した。諸行無常の中に人は何かの意味を読み取り、何かを学ぶことができる。その「何か」や「意味」は、人びとを迷いから導く仏陀の方便としての「何か」であり、「意味」である。

 人びとに避難を呼びかけ続け、大津波に飲み込まれて死んだある一人の若い女性は、子供のとき「人の役に立つことがしたい」という記事を文集に遺している。彼女は日ごろの心掛け通りに行動し、殉職した。彼女は、彼女の呼びかけで避難した人びとの記憶の中だけでなく、彼女のことを知った世界中の人々の心の中に生きている。彼女の母親は、そのことを知り、慰められ、打ちひしがれた気持から抜けだすことができ、生きる勇気を得ることができた。殉職した彼女のことは記録に書かれ、後世に伝えられてゆくことだろう。

 これまで平穏無事に生きてきた男は、女房に「俺はまだ完成させなければならないことが残っている。お前は俺より先に死んではならない」と言った。女房は「お父さんが死んだらすぐ私も死ぬのが一番良い」と応じた。しかしそのとおりになるという保証はない。

2014年12月16日火曜日

20141216国家は一つの生物種である(16)―― 動物の性格・人間の性格・国家の性格 ――


  性格は遺伝子の発現によるものである。凶暴な性格もおとなしい性格も遺伝子の発現によるものである。遺伝子を変えなければ性格を変えることはできない。しかし人間は教育・訓練・自己修養によりその行動を変えることはできる。凶暴で人を殺した者でもあっても、ある時から他者を思いやり、自らを犠牲にして他者を救うため行動するようになることがある。

 あらゆる動物は他の生物を食べて生きている。信仰上の理由から特定の生物を食べない人たちでも自分以外の他の生物を食べてなければ生きて行けない。あらゆる生物は遺伝子の発現により、その誕生時から生殖・存続・自己保存の動きをする。生物の頂点に立つ人間も同様である。

 人間はその遺伝子の99%を他の生物と共有しているが、残り1%の中に「意識」に関わる要素が込められている。「意識」は「霊魂」である。「意識」は時空を超越し、広大無辺、自由自在、融通無碍である。人間の行動の本質はその「意識」により、自分自身にとって何か価値があると考える物事、但しその善悪は問わない物事の存続・保存を願うところにある。

 人間の集合体である国家・社会・又はある目的を持っている集団はその構成員の「意識」の集合である「性格」を持っている。国家・社会・集団はそれぞれ「性格」を持っている。それゆえ国家・社会・集団は「生き物」と同じようなものである。それらは生物の頂点に立っている人間が作っているものであるから、場合によってはライオン・虎・狼などの猛獣よりも恐ろしいものもある。彼らはその国家・集団の戦士として武器を脅迫・殺害のため使う。

 国家の「性格」はその構成員に大きな変更がない限り変わらない。しかしその「行動」は国際社会からの圧力・その国家自身の自己啓発などによって変わることはあり得る。しかしそれは非常に困難なことである。

 国家は「生き物」である。国家は存続・自己保存のため生物の共生関係のような異なる国家同士で連合・連帯・同盟することもある。しかし国家の「性格」が合わないもの同士での連合・連帯・同盟は必ず破たんするだろう。EUは「性格」が合うもの同士の共同体である。


国家の存続・自己保存のため重要な要素は富である。たとえ「性格」が合わない国家同士であっても富を分かち合うため契約することは有意義である。日本は「性格」が合わない国と有意義な経済関係を結んでもその国との間でEUのような共同体を志向すべきではない。

2014年11月23日日曜日

20141123国家は一つの生物種である(15)―― ヒトの遺伝子の99%は動・植物と共有 ――


 報道によれば、中国は南シナ海のスプラトリー(中国名・南沙)諸島にあるファイアリークロス(同・永暑)礁を埋立て3000メートルの滑走路を建設しているほか、その東側に大規模な軍港施設も建設中であるという。アメリカは中国がその地域で防空識別圏を設定するのではないかと警戒を強めている。

 同諸島はかつてフランスがベトナムを植民地にしていたときフランスが領有していたが、日本が大東亜戦争によりベトナムを植民地から解放し、同戦争終結まで日本が領有していた。その後中国(当時中華民国)が領有したがその4年後の1949年にフィリッピンが領有を宣言し、続いて1951年にベトナムが領有を宣言した。1973年に現在の中国(中華人民共和国)が同諸島の領有権主張を本格化させた。

 日本では尖閣諸島に対する中国の行動と南沙諸島に対する中国の行動を同一視する向きがあるがそれは間違っている。尖閣諸島は歴史的にも明確に日本固有の領土である。一方韓国は日本海を東海と名称変更すること及び竹島が韓国固有の領土であることを国際社会に認めさせようとする運動を展開しているが、日本は歴史的事実に照らし韓国の主張を絶対認めることはできない。ただ日本は韓国が日本の重要な隣国であるので事を荒立てないようにしているだけである。

 日本人は争いを好まず、温厚で礼節を重んじる人種である。しかし日本人は「国家は動物である」「自分の遺伝子の99%は動植物の遺伝子と共有している」「自分は動物の頂点に君臨しているヒトの一員である」という認識を強く抱く必要がある。人はそういう認識を持つならば自分が所属する国家・日本国は他の国家とどう向き合えばよいかという観念がその人に生まれてくるであろう。

 動物は他の動物や植物を食べなければ生きて行けない。動物は生まれた時からその動物の種として存続するように運命づけられており、成長後は自ら生き残るため他と闘争し、或は共存するように宿命づけられている。国家を動物として見るならば、人は諸国家・諸国民の行動を納得することができるであろう。


 戦後日本人は国際社会を構成する諸国の人々が日本人と同じような考え方をするものであるという幻想を抱かされてきた。日本国憲法前文には「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した」とある。しかし現実の国際社会は動物たちが生存・存続をかけて争い合うような社会である。日本人のようなお人よしの国民が大多数を占める国家や諸国民は現実には何処にも存在していないのである。

 (関連:「パワーゲーム」 http://hibikorejitaku.blogspot.jp/2010/11/20101127.html 
      「40年の歳月」  
    http://hibikorejitaku.blogspot.jp/2010/11/4020101126-40-4033-23-60-24.html )

2014年10月22日水曜日

20141022国家は一つの生物種である(14)―― 最期の迎え方 ――


 このブログの左欄「You Tube より」にリンクを貼ってあるが、「国旗の重み~六十年の時を経て届いた手紙~」という一つの動画がある。先の大東亜戦争(注:戦後GHQの意向により「太平洋戦争」と言い換えさせられた)において長田和美という海軍中尉が最期の二日前と前日に書きのこした日記の一節である。日記は60年後に95歳になっていた妻のもとに届けられた。
(関連: http://hibikorejitaku.blogspot.tw/2011/11/20111113-4-96-11-19-6-15-nhk-20111113-4.html )

 妻はその手紙を食い入るように読み、そして涙をこぼし、サイパンに送られる兵士たちを乗せた軍用列車の通過を駅のホームで見送り、デッキに立っていた夫のこぼれるような笑顔を見、双方互いに手を振りあって列車がまっすぐな一本線の先に小さく見えなくなるまで見送ったことを回想していた。95歳になっていた妻は60年たって改めて夫の愛に接し「思い出をいただいて、こんなに嬉しいことはありません」と、その手紙を届けたNHKS氏に語ったという。

 その手紙の一節を以下に示す。
「昭和十九年(1944年)(七月四日)命令に従い、私は艦隊司令部に出頭した。いまや司令部は前線と化し、空襲のまっ只中にある。生きて帰れるかわからなかったが、任務終了後無事に戻ることができた。とうとう最後の抵抗をする判断が下された。・・(中略)・・このように絶望的な状況下で戦えるのは日本人だけであろう。しかし敵の圧倒的な力を目のあたりにして、さすがの大和魂も歯が立たない。・・(中略)・・あと一日か二日で最期を迎える。

 何も思い残すことはない。できる限りのことは行った。私の心はおだやかで満ち足りている。・・(中略)・・どのように名誉ある最期を迎えられるかのみを考えている。これは私だけではなく、非戦闘員達にも日本人として名誉ある最期を迎えさせてやりたい。・・(中略)・・

 (七月五日)わが妻、シズエへ 何も言い残すことはない。君と結婚して十七年がたった。幸せな思い出に満ちた十七年だった。来世への思い出でこれ以上のものはないだろう。君になんとか恩返しをしたかった。感謝の気持ちでいっぱいだ。私のぶんも子どもたちを可愛がってほしい。私が至らぬために、子どもたちに迷惑をかけるかと危惧している。

 今後日本は本当に困難な時期を迎えるだろう。日本は、あらゆる勇気を奮い起こして困難を乗り越えなければならない。君は優しすぎる。父親を亡くした息子たちのよい相談相手になってやり、彼らを強く、廉直な日本人に育てておくれ。日本がある限り、暮らしに困ることはないだろう。万一の時が来たら、日本人として名誉ある最期を迎えてほしい。

 コン、マサ、ヤスへ。強い正直な日本人になっておくれ。将来の日本を担ってほしい。兄弟どうし、互いに協力しあい、全力を尽くしてお母さんを助けてあげてくれ。コンとマサ、君達は兄としてヤスの面倒をよく見てやってくれ。・・(後略)」

 日中間で大きな食い違いがある歴史認識の論議は別として満州事変の遠因となった柳条湖事件以降、日本の兵士たちや非戦闘員たちは大義のために戦い、それぞれ思いをこめて死んでいった。私は、故国日本の行く末のことを思い、故国に遺してきた妻子・親・兄弟・姉妹・恋人・友人らのことを思いつつ死んでいった幾百万人の方々の御霊は、現に今を生きている我々日本人の中に必ず転生しているものであり、我々は過去世に生きていた人々の現世を生きているのであり、そのように生命は永遠である、と確信している。

 私はその状況を国家という‘生物’の‘細胞’のような個々の国民の動きの中に俯瞰して見ている。個々の細胞は一個の生き物のようである。細胞の核内にあるゲノムには多細胞体が生き残るため必要なすべての情報が書き込まれている。細胞は想像をはるかに超えた一つの装置である。国家において‘細胞’のようなものである個々の国民も同様である。

 上記遺書の文言の中に「大和魂」「来世への思い出」「あらゆる勇気」「廉直な日本人」「名誉ある最期」「正直な日本人」「将来の日本を担って」という言葉がある。これらの言葉は日本人の資質を示すものである。もし左翼の大学教授や学校教師らによってそれらの資質を言葉巧みに否定するような教育が行われるとすると、日本人のゲノムは幾世代を経てゆくうちに徐々に変化し、それらの資質が低下し、日本という国家は退化してゆくことだろう。

 そうなると日本人は未来の幸せへの願望のため固定的観念で善と悪とを仕訳するようになり、次第に多様性が薄れて超自然力の存在を信じるようになり、それを利他でなく利己のために用いる儀式を行うようになり、己を他より高みに格付けすることを願うようになるかもしれない。それは有り得ないだろうが、それは日本という国家の退化である。


 個々の国民でも一つの国家でもみな根源的な自己保存欲求につき動かされている。国家は ‘ゲノム’を持っている一つの生物種であり、根源的な自己保存欲求に突き動かされている存在である。そのため人々は時に協同し、時に敵対する。国家同士も同様である。それを避けることはなかなか難しい。進化した国家はそれを巧みに避ける術を心得ている。

2014年10月9日木曜日

20141009国家は一つの生物種である(13)――国家の品格・能力・強靭性 ――


 産経新聞が出しているインターネット版『産経ニュース』に『脳は生涯にわたり発達し続ける』と題して筑波大学名誉教授・村上和雄氏の記事が出ていた。その冒頭の部分を以下のとおり“”で引用する。
 
“黄金期を迎えつつある脳研究によって、私たちが従来教えられてきた脳に関する常識は、次々と破られてきた。
 例えば、傷ついた脳が自然に治ることはないという通説は誤りで、脳神経細胞は環境に応じて再配線できる。
 さらに運動、精神的活動、社会的なつながりが、神経細胞の発展を促すといった事実が判明した。従って、脳の働きは決して固定的なものではなく、作り替えが可能である。以前なら思いもよらなかったような驚異の治癒力が脳に備わっていることが分かった。
 《脳の働きを制御するのは心》”

 800億個もある脳神経細胞には個々に総数1万本の棘突起(スパイン、spine)があって、それが他の細胞と結合して神経の活動に関わっている。神経細胞同士は軸索(axon)と呼ばれる突起状の構造物でつながっている。脊髄中に伸びる軸索(axon)は数十センチメートルもの長さがある。軸索(axon)にはオリゴデンドサイト(oligodendrocyte)と呼ばれる細胞が軸索(axon)を移動しながら脂肪でできた物質を巻き付けて髄鞘(myelinミエリン)と呼ばれる構造を持たせている。髄鞘(myelin)は神経細胞間の信号伝達速度を向上させる働きがある。人は学習や鍛錬によって自らの能力を向上させるための努力をすればするほどその人の神経細胞の軸索の髄鞘(myelin)化が進む。こうして神経細胞はその人の努力に必ず報いてくれるものである。

 ノーベル物理賞を受賞することになった青色発光ダイオード(LED)を開発した赤崎勇・名城大終身教授(85歳)は「流行を追うのではなく、たとえ良い結果が出なくても自分がやりたいと思う研究をやり続けることが重要だ」と言った。脳を働かせるのは心である。人は強い意志をもって学習や鍛錬に精出せばその人の神経回路は強化される。

 人の集合である国家も同様である。国民の集合的心が国家の‘心’である。国家の‘心’の有り様が良ければその国家の神経回路は強化されるだろう。そしてその国家は高い品格と能力と強靭性を備えた国家となり、更に進化し続けることだろう。


 日本という国家の‘心’は何であるのか?日本は2000年の昔から万世一系の皇統の天皇を戴いている。神社・仏閣・祭祀・祭礼・伝統・文化などの言葉で表現される事象は古来続いている。先の戦争で日本は徹底的に打ちのめされたが日本人の心は変わらなかった。

2014年10月3日金曜日

20141003輪廻転生について考える


 人間は60兆個・200種類の細胞で構成されている。その60兆個の細胞のうち800億個が脳の細胞である。脳の一個の細胞には1万本ものスパイン(spine)と呼ばれるとげ状の突起がある。人間の脳の細胞同士はとげ状の突起(spine)をつなぎ合わせてネットワークを構成している。実際につながってネットワークになるのはスパインの一部である。

このネットワークは6歳ごろまでの間に完成すると言われている。その後は学習や訓練によってネットワークの個々の線(軸索)の太さが増加する。そのネットワークの個々の軸索が太くなることによって信号の伝達速度が向上する。信号の伝達速度が向上すればするほど、その人の能力は高まる。脳内に完成した細胞ネットワークは学習や訓練によってそのネットワークの軸索が太くなってゆく。6歳ごろまでに完成された脳内ネットワークの良否だけではなく、その後の学習や訓練によってその人の能力が決定されるのである。

人間の脳にはそのネットワークの軸索を太くする働きをする細胞(オリゴデンドロイサイトoligodendrocyte)や必要なタンパク質を運搬する細胞(分子モーターmolecular motors)が存在している。オリゴデンドロサイトは繋ぎ合った細胞同士の軸索の上を移動しながら脂肪でできた腕をその軸索に巻き付けて軸索を太くしてゆく。分子モーターは役割ごとに90種類ある。これらの細胞の働きは遺伝子の発現によるものである。

意識は感覚・感情・行動・記憶の各要素が統合されたものである。以前私は意識は人間にしか存在していないものであると思っていた。しかし上記の概念では意識は動物にも存在しているし、感情をプログラムされたコンピューターにも意識を持たせることは不可能ではないかもしれない。

 人間には言語がある。人間はその言語を用いて自分が意識したもの・体験したこと・他人が意識したこと・他人が体験したなどを詳細に記録し、後世に伝えることができる。人間は想像力を働かせて自分の意識を遠い過去から遠い未来まで拡げることができる。人間の意識は時空を超越するものであり、広大無辺・融通無碍・自由自在なものである。

 人間の意識は800億個もの脳神経細胞の活動によって作り出されるものである。その細胞のスパインの突起部分が他の脳神経細胞のスパインの突起部分と結合することにより意識が生まれる。意識の量はその脳神経細胞の数と脳神経細胞同士の結合の度合いの濃淡によって決まるものである。

 脳神経細胞を作り出し、一つの脳神経細胞のスパインと他の脳神経細胞のスパインとの間で結合を生じさせるものは遺伝情報である。遺伝子の発現によって意識を生み出す仕組みができる。人間は死ぬと脳神経細胞も消滅する。しかし遺伝情報は子孫に伝わる。また本人の遺伝情報は本人の骨など体の組織が残っている間は残る。子孫に伝わった遺伝情報はその子孫の意識の元となる。

 人の才能・素質は遺伝によるものが50%ぐらいあることが分かってきている。親から遺伝的に受け継いだ才能・素質を十分発揮できるかどうかはその人の運命ではなく、その人が成長・学習・訓練等に関する正しい知識を持っているかどうかによるものである。人は欲得に心を曇らせることなく物事を素直に受け止め、正しい知識によって最大の努力をすれば自然に自分の未来が開かれるものである。例え自分が自分の死に直面せざるを得ないような状況におかれたとしても、自分の死がある役割を担っていることを自覚することができれば何も苦しむことはないのである。仏教や易経はそのような自覚の仕方を教えるものである。つまらぬ雑学に時間を費やすよりはそのような教えを学ぶことに時間を費やすほうが余程良い。他者より上に自分を格付けしようとしてもがくことは愚かである。

 私は「意識は霊魂である。意識は脳内に碇を下して体全体を包んでいる」と考えている。人は死んでもその霊魂は何かの形で永遠に残る。過去世・現世・来世の因縁は人間だけのものである。「あの世」の存在の有無を科学で証明することは不可能である。しかし極めて素直に「あの世」の存在を信じることができる人は幸せである。

 われわれヒトの遺伝子の99%以上は他の生物の遺伝子と共有している。ヒトの遺伝子の53%は植物の遺伝子と共有し、残りの46%を動物と共有している。ヒトの遺伝子の個人間の差は僅か0.1%である。ヒトのDNAは約30億塩基対から成っているので、その0.1%、つまり300万塩基対の違いが個人間・人種間の形質の差をもたらしている。

 人間は地上のあらゆる生物と同根である。人間だけが特別な存在であるのではない。仏教では「あの世」の存在を肯定し、人は死後六道に輪廻転生するとしている。善男善女は死後新たな人間として「人間界」に生を受けるが、悪人は生前犯した罪の程度に応じて「修羅界」「地獄界」「餓鬼界」「畜生界」のいずれかに生を受けて苦しむことになる。


動物界の最上位に君臨する人間はほとんど同根の他の動物を殺して食べている。つまり人間は「畜生界」に生きている同根の動物を殺して食べている。善男善女はそういう人間である。他の動物を殺さなければ人間は生きては行けないのである。他人を殺すことは最もいけないことである。人間は他の動物を殺すことは必要最小限にし、その動物を憐れみ、その動物を存在させている大自然に感謝の気持ちを表明するべきである。野菜など植物とて人間と同根である。人間は畑の作物を大切に思う気持ちがなければならないのである。

2014年10月2日木曜日

20141002国家は一つの生物種である(12)―― 国家の中枢 =‘脳’――


 人間は60兆個・200種類の細胞で構成されている。その60兆個の細胞のうち800億個が脳の細胞である。日本国は125545千人の日本人によって構成されている。そのうち国家公務員は約639千人であり、地方公務員は約2769千人である。国家公務員のうち特別職公務員(大臣・副大臣・政務官・補佐官・大使・公使・裁判官・人事官・検査官・自衛官等)は約299千人いる。この特別職公務員のうち自衛官は約248千人である。脳が52の「野」に分けられているように日本国の中枢は国家公務員が構成員となっている各種各様の組織・機関によって構成されている。

 人間の脳の細胞同士はとげ状の突起(spine)をつなぎ合わせてネットワークを構成している。このネットワークは6歳ごろまでの間に完成すると言われている。その後は学習や訓練によってネットワークの個々の線の太さが増加する。そのネットワークの個々の線が太くなることによって信号の伝達速度が向上する。学習や訓練によってそのネットワークの線が太くなってゆく。人間の脳にはそのネットワークの線を太くする働きをする細胞(oligodendrocyte)や必要な物資を運搬する細胞(分子モーターmolecular motors)が存在している。分子モーターは様々な役割を担うその役割ごとに90種類あると言われている。国家の中枢内では各組織・機関相互間の意思疎通を的確・迅速にする努力が必要である。国家中枢内のネットワークと中枢内組織・機能の有り様はその中枢の機能の良否を左右する。

 脳内の組織・機能が壊れると病気になる。同様に国家の中枢のネットワークと中枢内組織・機関・機能の有り様が破壊されるとその国の中は乱れ、流血の惨事が起きる。内部に大きな矛盾を含んでいる国家の中枢は国内が乱れぬように必死に努力せざるを得ない。そういう国家は内憂外患を抱えて非常に苦悩する。

子供の脳内のネットワークは未熟である。子供の成長のためには家庭や社会や国家による十分な保護が必要である。同様に国家の中枢のネットワークとその組織・機関・機能の有り様が未発達な状態の国家に対しては国際社会による十分な支援が必要である。今中東で起きている諸問題は国際社会が協同してその解決のため力を注がなければならないことである。さもなければその火の粉はわが国に及ぶだろう。


日本は非常に安定した国家である。かつて自由民主党もポピュリズムに陥り盛んに官僚たたきを行っていた。今日本では正しい国家観を持っている政治家たちと国家に身をささげるという高い志を持っている国家公務員たちが国家中枢のネットワークを高度化させ、中枢組織・機関の機能を改善する努力を傾注している。日本国民はテレビ公開討論会・電子メール・SNS等を通じて国政に関わる情報を広く共有することが出来ている。

2014年9月24日水曜日

20140924国家は一つの生物種である(11)―― 国家の意識・国際社会の意識 ――


 意識は感覚・感情・行動・記憶の各要素が統合されたものであると言われている。以前私は意識は人間にしか存在していないものであると言った。しかし上記の概念では意識は動物にも存在しているし、感情をプログラムされたコンピューターにも意識を持たせることは不可能ではないかもしれない。

 人間には言語がある。人間はその言語を用いて自分が意識したもの・体験したこと・他人が意識したこと・他人が体験したなどを詳細に記録し、後世に伝えることができる。人間は想像力を働かせて自分の意識を遠い過去から遠い未来まで拡げることができる。人間の意識は時空を超越するものであり、広大無辺・融通無碍・自由自在なものである。

 人間の意識は800億個もの脳神経細胞の活動によって作り出されるものである。一個の脳神経細胞には1万本ものスパイン(spine)と呼ばれるとげ状の突起がある。その突起部分が他の脳神経細胞のスパインの突起部分と結合することにより意識が生まれる。意識の量はその脳神経細胞の数と脳神経細胞同士の結合の度合いの濃淡によって決まる。

 脳神経細胞を作り出し、一つの脳神経細胞のスパインと他の脳神経細胞のスパインとの間で結合を生じさせるものは遺伝情報である。人間は死ぬと脳神経細胞も消滅する。しかし遺伝情報は子孫に伝わる。また本人の遺伝情報は本人の骨など体の組織が残っている間は残る。

 私は「意識は霊魂である。意識は脳内に碇を下して体全体を包んでいる。国家の意識もその国家の統合の中心に碇を下して国家全体を包んでいる」と考えている。人は死んでもその霊魂は何かの形で永遠に残る。過去世・現世・来世の因縁は人間だけのものである。

「あの世」の存在の有無を科学で証明することは不可能である。しかし極めて素直に「あの世」の存在を信じることができる人は幸せである。一方で「あの世」は必ず存在するとか天地創造の神は絶対に存在するとして、そのことを「信ぜよ」と他人に強要する人は普遍的社会にとって甚だ迷惑な存在である。


 国家は人間の集合体である。大多数の国民の共通的な意識が国家の集合的な意識となる。意識の根源には自存欲求がある。国際社会はそれぞれ自存欲求を持つ国々の集合的な社会である。国際社会で共通的に価値があるものは「国際法」である。価値観が共通な国家同士はグループとなる。利害が共通する国家同士は同盟を組む。自らの支配力を高めるため平気で人を殺す猛獣のような人々のグループは社会から結局排除されることになる。

2014年9月3日水曜日

20140903国家は一つの生物種である(10)―― アリは同じ種のアリを食べ殺す ――


 NHKBSの番組に「ワイルドライフ」という番組がある。その一つに『アリゾナ砂漠 ミツツボアリ 巨大帝国を築く』という番組が放送された。ミツツボアリは体長7㎜ほどの小さな蟻である。彼らの生態の幾つかをここに列挙する。
    ひとつがいの羽アリのオスとメスが交尾し、メスは女王アリとなる。
    女王アリは巣穴を掘り始める。
    そこに5、6匹の女王アリたちが寄ってくる。
    彼らは初めに巣穴を掘り始めた女王アリの巣穴掘りを手伝う。
    巣穴が完成し女王アリたちは産卵を始める。
    卵を舐めて清潔に保つ役割を担っているアリたちがいる。
    外で食糧を見つけ出し巣に運んでくる役割を担っているアリたちがいる。
    食糧と自分の唾液で作った蜜を作る役割を担っているアリたちがいる。
    その蜜を口移しで受けて自分の体内に貯蔵する役目を担う貯蔵アリたちがいる。
    巣の中は幾つもの小部屋に分かれている。
    その一つの部屋ではお腹を蜜で膨らませた貯蔵アリたちが集まっている。
    巣ができて6年目に巣内で異変が起きる。
    女王アリたちが生き残る順番を決める動きを見せ始める。
    フェロモンの強い女王アリ一匹だけが生き残る。
    生き残り競争に敗れた女王アリは巣内の他のアリたちに食べられてしまう。
    巣ができて8年目にミツツボアリの巣の中は巨大な帝国のようになっている
    ある日その巣に他のミツツボアリの集団が侵攻してくる。
    女王アリは巣内の秘密の小部屋に避難する。
    巣内のアリたちは必死に防戦する。彼らは兵隊役を担っているアリたちである。
    侵攻した集団は巣内の女王アリや卵や他のアリたちを皆殺しにして食べ尽くす。

 「20140823国家は一つの生物種である(8)――  日本人は完全混血人種である ――」に書いたように体長5㎜にも満たないうようなアリたちの生態を観察したことがあった。彼らは2匹単位で行動している。仲間が次々殺害されると何処かに身を隠して生き残っていたアリたちは群れをなして一か所に集まる。この状況「20140721国家は一つの生物種である(4)――国家=‘生物’/国民=‘細胞’――」に書いたように単細胞生物のキイロタマホコリカビが危機を感じてナメクジのような多細胞体になることと似ている。多細胞体のアリ同士は何かの方法で互いに信号を伝達し合っている。この状況は動物界のヒト種である我々人間も同じである。

 上述過酷な環境のアリゾナ砂漠で暮らすミツツボアリは生き残るため同じDNAの身内を食べる。歴史を顧みればわが日本でもヨーロッパでもヒトは生き残るためDNAが殆ど変らない他のヒトを殺している。ヒトは理性があり感情があるからそのような残虐なことはできるだけ避けようとするだけで、本質的に上記アリたちと変わらない。これが現実である。何千年も昔に起きたように気候が異常となり食糧難が起きそうである。ヒトは生き残るため互いに争う。テロ活動はその一形態と観ることもできる。争いに負けたヒトの集団は分解され、或いは消滅する。


 多人種混血の単一民族の国家である日本は、国家として生き残るためどうあるべきか?わが日本国憲法前文にある「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼」するだけでは日本は国家として生き残れないことだけは確かである。またもし天皇・国旗・国歌が軽んじられるようになれば日本国は衰退してしまうだろう。アメリカは大統領選挙・「星条旗よ永遠なれ」という国歌・そしてその国旗が多民族統合の要となっている。「生き残る」という共通の利益を軽んじる国民が多くなれば国家は衰退する。結果的にその国家で恩恵を受けている個々の国民が不利益を被ることになる。

2014年8月25日月曜日

20140825国家は一つの生物種である(9)――お互い笑顔で共存共栄ができるか? ――


 九州南部の宮崎を出発した一人の英雄が奈良盆地に王権を確立して以降、大和言葉が成立し次第に日本列島全域に広まって行った。その英雄の名前は神倭伊波禮毘古(カムヤマトイハレビコ)で初代天皇・神武天皇となられたお方である。

 『古事記』には初代神武天皇以降第十三代成務天皇までの間に大和朝廷が国家を統一してゆく状況が書かれている。その一つに倭建命(ヤマトタケルノミコト(『日本書紀』では「日本武尊」と書かれている)が父・景行天皇の命を受け九州の豪族の討伐や東方各地の豪族の討伐に活躍したことが書かれている。倭建命は第十二代景行天皇の第二皇子である。

 中国の歴史書にある『倭人傳』は当時の中国人の「日本見聞録」のようなものである。これまで日本人はその『倭人傳』がさも正確な史実のように扱ってきていた。しかしその『倭人傳』は当時の中国の皇帝に気に入られるように中国で編纂されたものであった可能性があると指摘されている。「邪馬台国(ヤマタイコク)」はヤマト「倭(ヤマト)」の国のことではなかろうか?大和朝廷が九州を平定するまでの間に九州に存在していた諸国の総支配者が「ヒミコ」と聞こえるような名前の女性であったから中国語で「卑弥呼」と当て字されたのであろう。当時日本には漢字を知っている人は一人二人居たかもしれないが、日本は漢字圏外であった。

日本には狭い国土の中に13千万の人々が住み、その人々は天皇を戴き、言語・文化・伝統が一つに纏まっている国家に所属している。日本は混血人種の単一民族国家である。天皇・国旗「日の丸」・国歌「君が代」は日本民族のアイデンティティである。神社・仏閣・慰霊碑は日本民族団結の拠りどころである。祭祀・祭礼・祭りは古から今日に至るまで連綿として続き未来へと繋ぐ日本民族の魂の交流の行事である。日本の歴史・文化・伝統などは日本民族の‘DNA’である。このように日本人は中国人・韓国人にない世界を共有している。日本に帰化して幾世代も経ていない人や今後日本に帰化する人の子孫は皆そのような世界を共有するようになるだろう。必ずそうでなければならぬ。こういうことを否定しようとうごめく輩は国賊である。

 中国には「中華民族の偉大な復興」という強い願望と夢がある。韓国には「日本に克つ」という強い願望がある。日本の強い願望は「法の支配に基づく平和の実現と持続」である。日本民族の‘DNA’は日本の歴史・文化・伝統などである。中国や韓国にもそれぞれの国の歴史・文化・伝統などの‘DNA’がある。中国は「中華民族の偉大な復興」・韓国は「日本に克つ」を目的としているように見える。中国も韓国も日本の歴史について自分たちの認識を正しいと主張し続けている。日本の強い願望の実現はなかなか困難な状況にあるが、日本は彼らの主張に決して譲歩してはならぬ。従来の日本のお人好しぶりは止めよ!

国家はヒトの集合体である。ヒトは動物界の一種である。動物は他の動植物を食べ、他の動物を攻撃し、また他の動物の攻撃から身を護るため運動性を備えている。ヒトの集合体である国家はヒトのように理性的であるが、その一方で動物的に行動する。日本・中国・韓国それぞれの国家の指導層の人々はそれぞれの国家の願望・それぞれの国家に所属する人々の集団的心情などが書かれている看板を背中に抱え、国家同士互いに友好と共存共栄を目指しつつも互いに対立・相克し合っている。


日本人は国家をそのように観ないと、日本は国家としての生存競争に負けるだろう。国民同士は互いに交流し相互理解が進んでも国家同士は対立・相克するものである。日本と中国・日本と韓国の間で歴史認識の共有は絶対無理である。歴史認識は永遠に平行線のままであろう。日本はそう開き直り、お互い共存・共栄の道を共有できるようにすればよい。その共有のためには軍事力が重要である。軍事力が共存・共栄の有り様を左右する。日本国民はこのことをしっかり自覚すべきである。