2016年3月26日土曜日

20160326「仏教」をキーワードに、思いつくまま綴る(14)―― 『田中角栄100の言葉』 ――


 石原慎太郎氏著『天才』には、ロッキード事件で罪に落とされた田中角栄は、自分が信頼する秘書の元妻による偽証によるものであると書かれている。その事件の背後に、アメリカの陰謀があったとされている。当時アメリカは、日本が中国と国交を回復することを非常に不愉快に思っていたようである。

 アメリカの次期大統領候補の一人として有名になっているトランプ氏は、「アメリカは昔と違って貧しい国となっている。アメリカは日本を守るが日本はアメリカを守らない。日本に駐留しているアメリカ軍の経費は、日本が全額負担するべきである」というような趣旨のことを主張している。

 国家とはそもそも何か? ISのようなテロリスト組織体はそもそも何か? 国家を「地球上のあらゆる生物の頂点にある」と己惚れている人間中心の視点で把握することは間違っていないか? そもそも人間は生まれつき「善人」なのか?

国家を‘ヒトの集合的超個体’としての‘超生物’のようなものであるとし、そのような‘超生物’は大小様々な‘ヒトの集合的超個体’が幾つかのグループごとに群を成しているとして把握するならば、そのような‘超生物’や‘超生物’群たちが、それぞれ生存競争に勝ち抜くため、どのような戦略のもとに、どのような戦術を用いているのか観察することができるであろう。

現状において、日本国という‘超生物’は、アメリカ合衆国という‘超生物’と共生関係を維持しなければ生存競争に勝てないだろう。しかしそのような状況が未来永劫続くとは限らない。日本国という‘超生物’は、遠い未来まで生き残ってゆくためにどうあるべきか?

田中角栄は“世の中は白と黒ばかりではない。敵と味方ばかりではない。その間にある中間地帯、グレーゾーンが一番広い。真理は常に「中間」にある”(宝島社『田中角栄100の言葉』より引用)と言った。その中間地帯には、「集合知」、すなわち「ものごとを理解し、是非・善悪を弁別する心の作用の集合」がある。


本を書いたり、テレビに出て話をしたり、新聞記事を書いて主張したりしないが、日常の暮らしの中で、天皇や日本の伝統・文化・仏事・神事・古典などを大切に思う大多数の一般庶民の心の赴く方向に真理がある。“必要なのは学歴ではなく学問だよ。学歴は過去の栄光。学問は現在に生きている”、と上記『田中角栄100の言葉』にはある。

2016年3月19日土曜日

20160319「仏教」をキーワードに、思いつくまま綴る(13)―― 「昨日の敵は今日の友」「今日の友は明日の敵」 ――


 今、NHKドラマ『真田丸』が好評を博しているようである。
 このドラマは日本の戦国時代の歴史に題材を求めて作成されたリアリスティックな演劇である。このドラマは時代考証もよく為されていて、観客をしてその当時の情景の中に引き込ませ、今を生きる者が当時の状況を目の当たりに見ているような気持にさせている。

 歴史ドラマは何でもそうであるが、劇作家の意図によって、断片的な史実を基にいろいろな肉付けが行われ、一言で表現するとすれば“「作られた歴史」の舞台を展開する”ものである。

 観客は、その舞台が「歴史的に真実の場面である」と錯覚する。国民を何とか惹きつけておきたい為政者と為政者に与する人々の集団は、意図的にそのような舞台を創り上げる。件のドラマの中で、共通の敵を欺くため、かつて離反した者同士が共通の敵に立ち向かうため大芝居を演じた。かつて離反した者同士は敵味方に分かれて戦闘の場面を作り、一方(A)が勝ち、一方(B)が負ける芝居を演じる。それを観たAとBの共通の敵(C)は、Aが自分たちに立ち向かって来ると思いこみ、Bを責めていた戦場から去る。これによってAも、「次は自分たちが攻め込まれるに違いない」という危機的状況から逃れることができた。

 真田丸が生きた時代にあった「昨日の敵は今日の友」「今日の友は明日の敵」という状況は、この日本の狭い国の中で行われていた。現代では日本を取り巻く地政学的環境の中で、それに似たような状況が起きている。かつては狭い国の中で、今は世界の中で、互いに‘自存・自衛’のため起きている。植物の世界では光合成が行われる環境をできるだけ多く獲得できた群集優勢種として生き残る。似たような状況は、世界の中で生き残って行くための資源を、できるだけ多く確保できる国・国家群優勢‘種’となる。

 日本国憲法前文に、「(前略)・・日本国民は・・(中略)・・平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した。(後略)・・」とある。現代の世界の情勢では、そのような理想を掲げ、国家として崇高な理想と目的を達成することを誓っていても、決してそのようにはならないだろう。その理由は、人間は煩悩を断ち切って生きることは絶対できないし、人間の集合である国家も同様であるからである。この地球が地球外の生物などによって、人類が絶滅させられそうにならない限り、戦争は決して無くならないであろう。

 しかし、理性と武力の調和によって、「昨日の敵は今日の友」「今日の友は明日の敵」という状況の中で、ある国・国家群が優勢‘種’であり続けることができるに違いない。日本は国家の中心、それは2000年以上男系の皇統が続いてきた天皇を守り抜くことによって、国家として益々進化を続けることができ、過去・現在・未来に亘って、平和で安全であり続け、繁栄し続けることができるのである。私は、志ある政治家・官僚・学者・一般市井の人たちはこのことをしっかり自分の心の中心に置き、物事を進めて欲しい、と切に願っている

 仏教は、煩悩の中にある人々が、欲望を抑え、他者を殺さず、他者を傷つけず、騙さず、盗みをせず、阿弥陀仏の慈悲にすがり、心正しく生きるならば、「この世」において浄土に住むことができ、「あの世」においても浄土に住むことができ、必ず幸せになれると説いている。

しかし上述の志を達成する過程で、やむなく争い、敵となる国の人を殺し、傷つけることが起きる。志を達成するために殺されるということも起きる。兵士は国家という組織体の中の、ヒエラルキーの最下位・最少の単位、即ち細胞のような存在であるから、そういうことは避けられない。

 しかし、理性と武力の調和によって、そのような悲劇が起きることを最小限に抑えることができるであろう。「戦争反対!」「平和!平和!」と叫ぶが、武力を忌み嫌う人々は偽善者である。そのような人々は、結局自分たちの祖国を危機に陥れ、自分たち自身が不幸に陥るのである。人間でも国家でも‘自己(self)’を自覚できない場合は、はなはだ不安定である。‘自己(self)’は心に深層にあるのであって、積極的にその存在に気付こうとしない限り、自ら気付くことは絶対できないものである。まして、特定の思想的グループの中にいる者は、他人の話をよく聞こうとする耳を持っていない。

「耳を洗う」ことをしない限り、自分の心は開かれない。「欲無ければ一切足り、求むる有れば万事窮す」(良寛『意に可なり』)のとおり、欲のために万事窮する状況になっている人は世の中に多い。地獄極楽は現世にもあり、来世にもある。我欲を満たすためのみに行いを為す人たちの子孫は決して幸せになれないだろう。何故ならエピジェネティックな変異が世代を超えて伝わるからである。

国家も同様である。この日本国家に仏教を定着させる礎を築かれた聖徳太子と、現代の総合大学に匹敵するほどの教育機関でもあった東大寺と、各地にその地方の教育機関でもあった国分寺を建設された聖武天皇のご事績により、今日、日本国民はそのご恩をこうむっている。志ある政治家・官僚・学者・一般市井の人たちには日本の歴史を良く学び、このことをしっかり自覚して、未だその恩徳に気付いていない人たちを啓発してもらいたい、と一市井の老人は切に願っているのである。


2016年3月12日土曜日

20160312「仏教」をキーワードに、思いつくまま綴る(12)―― 虐待児ら一時保護2万2000件 ――


 仲野徹著『エピジェネティクス』と太田邦史著『エピゲノムと生命』の2冊の本を読み終えた。Newtonムック『現代科学も決してつくれない“超精密機械”細胞のすべて』など図解でわかり易く書かれている雑誌を読んだ人や、高校・大学等で生命科学関係の予備知識を得ている人なら、上記の本に書かれていることは大変理解しやすいと思われる。

 親から虐待を受けた子どもらが施設で一時保護されるケースが増えていて、都市部の保護施設は飽和状態であることが讀賣新聞で報道された。相談・通報を受けて一時保護所が保護した件数は、一昨年度(2014年度)に過去最多の22005件になったそうである。最近、子育てを満足にできず、自分たちの子供を虐待し、故意的に死なせてしまう親が多い。このことは大変憂慮すべき社会的現象である。

一方で託児所があまりにも足りないため、働くこともできず、結婚することも、子供を産むこともためらう若い女性たちがあまりにも多すぎる。女性が適齢期に結婚し、子供を産むことが難しい社会は決して良い社会ではない。官僚も政治家も学者もこのことについて強い問題意識を持つべきである。若い女性たちが子供を産みやすい環境を、国家として是非整えるべきである。その環境としての一つの案は、「子育ての半分は国家・社会が全面的に負う仕組み造り」である。その仕組みの中で、女性は出産適齢期に結婚し、23人子供を産み、その子供を保育園に預けたら、女性は本格的に働き始め、その職場に接近した場所に必ず安心できる託児所があることである。その職場と自宅の間を子供連れで往復する交通手段も、快適なものを国家が提供することである。そういうことが国家としてできているならば、男と女は権利が同じである、と初めて言える。現状は決して男女同権ではない。

上記の本に書かれている学術的な部分は省略するが、上述の問題にかかわる部分を上記の本から一部をランダムに「である調」で下記のとおり引用する。マスコミ関係者には、「生命科学・分子生物学・進化生物学・遺伝学などは専門外である」と敬遠せず、是非、上述の問題の解決のためエピジェネティクスと社会の関係について、積極的に、かつ継続的に取り組んでもらいたいものである。

    最近になって環境によって獲得された形質の一部が、エピゲノムの記憶を介して次世代に引き継がれることが少しずつわかってきた。つまり「環境」と「遺伝」は相互作用する。
    親世代のストレスが、子の人生にも影響を及ぼしている可能性がある。このような状況が、昨今の育児放棄の増加や、児童虐待の連鎖に結びついているとしたら、大変憂慮すべき状況であると考えられる。加えて、社会的遺伝という生物学的現象が、社会の階層化や格差の固定化や拡大に、人知れず貢献している可能性も捨てきれない。
   エピゲノム修飾の大半が生殖細胞で消去されるものの、一部は世代を超えて伝わるという問題点が生まれた。これにより、育児放棄の連鎖、社会階層の固定化などの、負の側面が生じる可能性も出てきたことになる。
    生まれたての赤ちゃんがどう扱われるかによって、この視床下部―下垂体―副腎系の機能が影響を受けるということが、50年以上も前に行われたラットの実験から判っていた。同じ系統のラットであっても、毛繕いをしたり、体をなめたりして子供をよく可愛がる親と、そうでない親がいる。どちらの親に育てられるか。乳児期における育児の仕方が違うだけで、成体になってからのストレスに対する反応が異なる。
    胎児期における環境因子が成人後の疾患発症と関係するという報告は数多くなされており、事実としては確実である。長い年月にわたり、何らかの形で、体の中のどこかの細胞に記憶が残っているはずであるから、そのような現象にエピジェネティクスが関係している可能性はきわめて高い。
   生命科学は進歩すればするほど複雑化して、専門外の人にはわかりにくくなっていく。


仏教は、因縁・因果応報・輪廻転生を説いている。現代は、そのことを科学的に説明できるようになりつつあるのではないだろうか?

2016年3月9日水曜日

20160309「仏教」をキーワードに、思いつくまま綴る(11)―― 志ある政治家・官僚・学者・一般市井の人たちよ、目覚めよ! ――


 今朝の讀賣新聞一面中央に、「皇室典範見直し当初要求 国連女子差別委 政府が反論、記述削除」という見出しで重要な記事があった。その要旨は、日本国政府が当初案にあった「皇室典範が女性天皇を認めていないことに懸念を表明し、見直すように」ということに反論し、削除を求めた、というものであった。関連記事には、「国連女子差別撤廃委員会の報告書のまとめ役は中国人」であるとある。

 いわゆる従軍慰安婦問題について、従来彼女らが「性奴隷」として表現されていたが、それは「従軍慰安婦」という言葉に改められた。このことについて、韓国の連合ニュースが「日本政府は慰安婦問題の合意後も責任回避と否定を続けている」と批判的に論評した、と報道されている。

 朝日新聞・毎日新聞など他のメディアはどういう報道をしているであろうか?新聞の購読者の殆ど多くは、それぞれ個人の思想信条は別として、新聞店とのつながり等により継続的に購読しているはずである。だから新聞の報道姿勢によりそれぞれ個人の主義や主張は左右されやすいだろう。新聞が特定の思想信条のもとに報道すると、多くの国民は「そうだったのか」と納得し、政府に対して批判的になる。勿論、批判精神は絶対必要である。特に権力に対する批判精神を失ったら民主主義は滅びる。しかし特定の思想信条を持つ者たちによって、「ペンの力」(マスコミ)によって、決して扇動されてはならないのである。

 日本と中国・韓国・北朝鮮の関係は千年前と同じような緊張関係にある。この状態は今後千年経っても変わることは無いだろう。日本人はそのことを「何故なのか」と考えてみる必要がある。勿論、日本はそれらの国々に軍隊を派遣して大変迷惑をかけたことは事実である。しかし、その背景には16世紀以降西欧人による侵略という脅威があったのである。ただ、そのことだけが日本と中国・韓国・北朝鮮の間の緊張関係の根本原因ではない。

その根本には、5000年も前から7世紀ごろ、さらに戦後現在に至るまでの間の日本民族の生い立ちにある。日本民族は、縄文人を基層集団として長江中流域から稲作・漁労文明をもった渡来系弥生人たちとの混血、その後大陸の政情不安により朝鮮半島から渡って来た漢族・朝鮮族の技能集団との混血、戦後は在日韓国・北朝鮮人との混血、さらには欧米系・アフリカ系などとの混血により成り立っている。日本の歴史書『日本書記』には、7世紀ごろまでに日本にわたって来て帰化した人たちのことが数多く書かれている。

因みに縄文人の遺伝子は大陸・朝鮮半島に殆ど残っていない。しかもY染色体遺伝子・ミトコンドリア遺伝子のあるタイプのものは世界中に例が見つかっておらず、日本人独自のものである。朝鮮半島に僅かに残っている日本人特有の遺伝子は、古代に倭人が朝鮮半島に進出していた名残であろう。また豊臣秀吉軍の兵士の一部は朝鮮半島に残り、その子孫たちが居る。逆に豊臣秀吉軍の引き揚げとともに、日本に渡って来た朝鮮半島の陶工たちの子孫もいる。その中には外務大臣になった人も居る。江戸末期の漢学者・歴史家であった頼山陽は『日本楽府』で白村江(はくすきのえ)の戦いのことを書いている。その終わりの部分に「忠義の孫子海を踏みて来たり。長く王臣と為りて王室を護る」と書いている。

天皇陛下はそういう日本人・日本民族の統合の象徴として、皇后陛下とともに世界の平和と人々の幸せを常に祈って下さっているのである。

 豊臣秀吉が政権を執っていた時代には当時のスペイン・ポルトガルによる侵略や日本人が奴隷にとして海外に連れて行かれたという事実があった。日本が近代化された後、ロシアや西欧列強による侵略という脅威があった。日本は大東亜戦争に敗れたが、東南アジア諸国やインド・ミャンマー・ヴェトナムなどは独立することができた。

 中国・韓国・北朝鮮の国民の深層心理は、千年前と同じように日本を中華の下に置かれるべき国であるというものであろう。その心理は今後千年経っても変わることはないだろう。ただ、日本はそういう状況にあってもそれらの国々とできるだけ仲良くし、共に富を生み、共に分かち合うことが重要である。欲望があれば摩擦を生む。人間でも人間の集合である国家でも、煩悩を断つことはできないが、理性と武力的力関係で調和を作り出すことは出来る。

 戦後、アメリカの政策によって日本人の魂は抜かれ、日本人は平和を愛好するが武力は忌み嫌うようになった。そのように日本を導いたのは、アメリカ大統領の側近であったソ連のスパイであった。戦後、日本は共産化される危険があった。東条英機元首相は遺言に「現在の日本の事実上の統治者である米国人に対して一言するが、どうか日本の米人に対する心持ちを離れしめざるように願いたい。また、日本人が赤化しないように頼む」と書いている。

 日本人は海外からどのような圧力があろうとも、2千年以上も続いた男系の皇統を絶対に守り抜かなければならない。女性の天皇について「女系」と「女性」の二通りがある。女性天皇はこれまで何度もあった。それは男系の皇統を繋ぐための一時的なものであった。遺伝学的にみれば、ピンチヒッターとしての女性天皇の次の天皇は必ずY染色体遺伝子を受け継ぐ男性であった。

 女系である場合は、その女性の子孫である女性だけがルーツの女性のミトコンドリア遺伝子を受け継ぐ。しかもY染色体遺伝子を受け継ぐ男性は居なくなる。つまり皇統はそこで途絶えるのである。日本がもしそのような状態になったら、世界に類例のない2千年以上も続いてきた皇統が途絶えてしまうことになる。

 唐王朝時代の中国にあった薫り高い文化は日本に伝わり、現在に生きている。儒教・道教が重んじられた一方で仏教が弾圧を受けて廃れ、マルクス思想の中国共産党が支配している現在の中国にはどういう文化が根付いているのだろうか?

日本では奈良・平安の天皇親政の時代以降、政治は武家が行ってきたが、その武家は天皇に位階を授けてもらっていた。明治憲法下では天皇は日本国の統治者と定められていたが、国政への関与は殆ど形式的なものであった。現憲法下では天皇は日本国の象徴であり、日本国民の統合の象徴であると定められている。

日本では二千年以上皇統が続いており、そのお蔭で薫り高い文化が持続してきたのである。武家が政治を行っていた時代でも武家は古来の文化を大事にしていた。日本は本当に素晴らしい国である。深層心理において日本を何とか見下げたい国々の為政者にとって、日本に男系皇統の天皇が居なくなり、夫婦別称が行われるようにうなることが望ましいに違いない。日本人は、断固、男系の皇統がある国体を守り抜かなければならないのである。


志ある政治家・官僚・学者・一般市井の人たちよ、目覚めよ!