2019年1月19日土曜日

20190119晩年の記(その一)




 高齢になると人はある日突然病魔に襲われることが多い。半年前や数か月前まで行楽地を歩き回っていた人が、突然歩くことに困難を感じるようになる。加齢とともに筋力の低下があるだけでなく、下肢関節にかなり以前から発生していた小さな骨腫瘍が数か月の間に肥大していることがある。日ごろ心掛けが出来ていない人は突然の体調の変化に戸惑い、現状を受け入れることが出来ず、不安になってしまうことだろう。

 日頃自分の最期を見つめて準備している人はそういう事態になっても驚かない。従容として事態を受け入れ、今後とるべき最良の選択をする。自分の最期を見つめる日ごろの準備の最も重要な一つには自分がこの世を去ったあとに残される家族へのメッセージがある。しかしその時になって急に思いつき書き遺すようでは決して良いメッセージにはならないだろう。

 日頃から後世に残すメッセージを書き続けていると、未だ不十分な部分が見えてくる。「誰某のことを書き遺しておけば全て満了」という満足感が湧いてくるだろう。日ごろその「誰某」のことを書き遺そうと思っていないと、必要な資料の準備ができない。日ごろから自分のコンピューターにコツコツ資料を書き込み、整理していると、いざこれから「誰某」のことを書き遺そうと思った時非常に助かるに違いない。

 JAL(日本航空)の飛行機が乗客乗員を乗せたまま墜落したとき、機内で手元にある紙切れなどに家族に遺すメッセージを書いた人が多かった。もし自分がそのような事態に遭遇したとしたら、同じようなことをすることだろう。昔の武士は一歩家を出るとき、それが今生の別れになるかもしれないと日ごろから覚悟していたという。男は常にそのような心がけでいるべきである。男は常に「一期一会」の心がけを持っているべきである。万一の時家族にメッセージを伝えられるようしておくべきである。今の世は携帯電話・携帯コンピューター等があり、メッセージを簡単に伝えることが出来る仕組みがあるので、日ごろの心がけ次第でそれが出来る。

 和室をサンルームにしたその部屋で日向ぼっこしながら友人がYouTubeで発表している富士山の風景を撮った動画を見た。とても素晴らしい動画であるのでその動画をこのブログで共有させて頂いた。その動画は富士山の日の出の一瞬の様子を精進湖側から撮ったものを再編集したものである。正に「一期一会」の風景である。この世は常に移り行く。同じ情景は二度とない。人生も然りである。人生においてその一瞬を大切にする心がけが大変重要である。