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2011年12月20日火曜日

幾つになっても恋(20111220)

 陶芸の仲間の忘年会があった。老人は74歳最年長である。次が3歳下、その次が4歳下、60歳代の男性、50歳代がなくて40歳代の女性、30歳代の女性、計14名の忘年会であった。40歳代の女性たちの中には皆が敬愛する東京芸大出の陶芸の先生がいる。彼女は主婦でまだ子育て中である。

 横浜は元町のある居酒屋は何処か鮮魚市場と関係があるらしい名前の店である。其処は予約が出来ないので幹事が早めに其処に行き、店の人と交渉して安い値段で普通並みの料理が出る仕組みになっている。この店は春の桜の時期に利用して以来今度で二度目である。

 夜6時過ぎには全員そろってわいわいがやがや皆忘年会を楽しんだ。その賑やかな中で老人は恋の話を持ち出した。恋には三種類あるというのが老人の主張である。皆74歳の年寄りが話すので興味を持った。三種類の恋とは、一つは不倫の恋、二つ目は遊びの恋、三つ目は意識の中の恋である。男も女も幾つになってもお互い異性が好きでなければならない。宇野千代を知っているだろう? 彼女は恋心を失わなかったから年齢よりも若く見えたのだというのが老人の主張である。そして「私は女性が大好きだよ。ここにいる女性の皆さんも皆魅力的で美人だ」と言ったら「Aさん(老人のこと)は絶対74歳には見えない。まだ65歳ぐらいだと思ってたわ」と上手を言ってくれた。

 確かに老人は10歳ぐらい若く見える。実際は体の各部で老化が進んでいて、年齢相応であるのだが、見た目には若く見える。考え方も若い。正直言って74歳になっても女が好きである。勿論皺くちゃのばあさんは別である。概ね50歳代以下20歳以上の女性が好きである。好きであるからといって女性たちからいやらしく思われるような、例えば女性を見る視線とかに気をつけている。それでも無意識に胸元に目が行ってしまうことがある。

 おそらく若さの秘訣は性欲にあると思う。性欲をなくしたら男でも女でもなくなってしまうだろう。所詮人間といえども所詮生物である。動物と違うのは脳が発達していて社会生活の中で一定の規範を身に付け、動物的行動に出ないだけである。しかし世間には善悪の判断もできず動物的行為に出て事件を起こし、新聞だねになっている人間も多い。

 不倫の恋は必ず何かの不幸を招く。自制出来ない男や女は不倫のため不幸になる。一時的に幸福感に満たされるかもしれないが、時間を経るにつれて初めの頃のときめきは薄れ、余計なあれこれを考え、思い患い、結局不幸になる。男または女の一方が理性的でないと石川さゆりの「天城越え」ではないが、とことん行くところまで行って結局満たされない状況になること必定である。

 遊びの恋は後腐れがない。ただ、それは伴侶にあからさまにして遊ぶならば伴侶も決していい顔をすることができない。遊びの恋は伴侶に見えないところで、なんとか言いわけしながら行うべきものである。伴侶は人生を生きる上でのベターハーフである。お互いなくてはならない存在であるべきものである。その一方で後腐れの無い遊びをできるというのはある意味で幸せなことである。ただしそれは男にとってである。女は娼婦・芸者以外にそのような後腐れがない遊びは出来ないものであろう。最後に意識の中の恋人は、たとえ一緒に住むと必ず不幸になる存在である。決して一線を超えてはならない存在である。

 「一線を超えてはならないのだ」と言ったら女性たちは「ああ、一線ね」と納得した風であった。こうして74歳、最年長の老人は忘年会を一層楽しくしたと自己満足である。2次会で台湾の女性が働いている店に行った。其処で幹事が持ち込んだ携帯カラオケ装置により一層盛り上がり、大変楽しい忘年会となった。帰り際、店の台湾人女性に「チャーミングだよ」と言ったら嬉しそうだった。実際チャーミングな女性であった。

この陶芸グループの会は老人がこれまで経験したことがない独特の雰囲気がある。一口で言えば知的なグループの会であると言える。老人はこのグループの中であと4、5年は続けられるだろう。多分、老人は見た目が実年齢どおりになるだろう。そうなると高齢ゆえに陶芸に通うのは億劫になっていくかもしれない。

2010年7月7日水曜日

ブッダ『感興のことば』を学ぶ(109) (20100707)


昨日(5日)嫁の一人から自分が作った湯呑のペアとわざわざ取り寄せて沖縄のシークワーサーを贈ってくれた。湯呑は先日の父の日に間に合わせようと造っていたが、間に合わずそのときはTシャツを贈ってくれた。今回ようやく自分が造っていたものが完成し、血圧が高い女房のためにとシークワーサーと一緒に贈ってきたものである。嬉しいことこの上ない。シークワーサーは沖縄で取れる柑橘類の果実の汁である。説明書を読まずにコップに少し注ぎそのまま飲んでしまったが説明書には1日にキャップ1杯5mgと書いてあった。女房も男も3日分以上を一度に飲んでしまった。多く飲んでも害はないと書いてある。

湯呑は本当に良くできている。土は地元で取れた土だと言う。釉は教室の先生からアドバイスを受けてロクロを回しながら白と灰色の模様がついていて茶わんの淵に褐色のちょっとした垂れ下がりがあり、なかなか良くできている。女房のための茶わんは高さが少し低く、口広の形をしており、女房も大変気に入って喜んでいる。

男はそう遠くない将来、嫁と一緒の工房で陶器を創るようになればさぞ素晴らしいことだろうと思い、その思いを嫁に伝えた。嫁もそう思っているようである。そのようにしてお互い切磋琢磨して陶器を造り、一緒にブログに載せ、まあ、これは夢であるが一緒に作品展を開くとどんなに素晴らしいかと思う。嫁に「死ぬまでに是非実現したい」と言ったら嫁は喜んでくれた。もともと陶芸のブログを開設したらどうかと提案してくれたのは嫁である。今回贈ってきた湯呑茶碗2個は早速ブログに載せようと思う。

今日、男が造った楕円形舟形の多目的皿が焼き上がっていた。出来の悪さにがっかりした。3枚のうち1枚にはひびが入っている。しかも素焼きの段階では左程歪んではいなかったのに、釉をかけて本焼きにしたら歪んでいる。気に入らない。

それでも今日また同じ形のものを3枚造った。今度は厚さを6㎜にした。形の歪みやナイフでカットした淵のでこぼこなど形の悪さを気にしないで自然のままの出来上がりで良しとすることにした。周囲のアドバイスも聞かないことにした。

一般に芸術品と言う物は非常に細やかな丁寧な作業の結果完成するものであるし、人はそのような非常に繊細な丁寧な仕上がりのものを美しいと感じる。男も例外ではない。しかしいざ自分が物を創ろうとすると性格の故か粗雑な粗っぽいやり方を好んでいる。

今度造った3枚の皿は男のそのような気質を逆に利用して、釉をかけるとき2種類以上の釉薬を使い粗っぽい模様を造り出そうと思う。粗っぽい中にある種の美を、焼き上がりの偶然の産物として期待しようと思う。初めから仕上がりを念頭に置いて根気よく集中して細やかな作業をすることは気短な男の性には合わない。物事は結果次第である。

男はもともと粗野である。今更上品なことはできない。自然のままにした方が精神状態もすこぶる良い。身の丈に合わぬ余計なことを考えたりしたりすることは馬鹿げている。

25 明らかな知慧の無い人には、禅定がない。禅定を修行しない人には、明らかな知慧が無い。禅定と知慧とがそなわっている人こそ、すでにニルヴァーナの近くにいる。

2010年5月26日水曜日

ブッダ『感興のことば』を学ぶ(67) (20100526)

先週は体調を崩していたので行かなかったが今日2週間ぶり陶芸に行った。2週間前釉がけして本焼きに出した多目的の皿が焼きあがっていた。赤2の土を使い、蚊帳の網をかけて白化粧し素焼きに出したものにMIX釉をかけて焼いたら結構美しく仕上がっており、妻に褒められた。ただ、これは素人が作ったものでプロが作る物には遠く及ばない。それでもこれをプレゼントしたい人がいるのでお歳暮を頂いたお返しも含めその人に差し上げたいと思う。手作りのお惣菜でも盛って食卓に出してもらえれば良いと思う。

もう一つ同様の皿の素焼きが完成していた。これには白化粧をしていなかった。どの釉薬をかけようかサンプルを見ながらいろいろ思案したが、結局MIX釉をかけ本焼きに出した。これまで使った土の残りを溜めていたのでそれを新しい土に混ぜて、今度は一挙に3枚、同様の皿を作ることにした。同じ赤2号の土を400グラム買い、溜めていた土と一緒にし、粗ねりと菊ねりを繰り返してよく混ぜ合わせて皿のサイズを同じになるようにしてローラーで伸ばし、一挙に3枚スライスして、ドライヤーで乾かし、舟形の皿の形にし、折角形にしたものが崩れないように枕を添えて同じ形の皿を3枚作った。来週は形を整えるように削り、更に乾燥させる。素焼きに出すのは再来週である。これまでの経験で1枚約600グラムになるので3枚素焼きに出せば3枚分1800円の料金がかかる。ちなみに土は黒泥など特殊な物を以外は100グラム100円である。トータルコストは3枚分で3000円以下というところである。良いものが出来上がれば売ることもできる。

貸室料1回500円を含め、陶芸で月々4000円~5000円使う。これには交通費やたまに菓子を買って持っていったり、飲食したりする交際費は含まれていない。もっとも交通費は敬老パスを使うので年間1万円以下である。趣味・道楽としてはあまり金がかからない。

私は皆がやるような芸術品を作ろうとは思はない。日常の暮らしで使うもので、細々とした手間をかけないものを作りたいと思っている。今のところ多目的の皿だけを作り続けようと思っている。釉がけにはこだわり、2種類以上の釉薬を使って模様を出すことを試みようと思っている。まあまあの出来だと思うものをいろいろ世話になっている人たちにプレゼントしようと思っている。

わが家には、同様の多目的皿で、人にはあげられないようなものがちょっと多くある。いつも殆ど妻と二人だけの食事であるが、楕円形の舟形の皿は使い勝手がはなはだ良い。人にあげても喜ばれるものである。ただなかなか人にあげてもよいようなものは出来ない。上げるときはこちらのまごころを受け取ってもらうしかない。

ブッダ「感興のことば」第23章「自己」

3 戦場において百万人の敵に勝つとも、唯だ一つの自己に克つ者こそ、実に不敗の勝者である。


10 たとい他人にとっていかに大事であろうとも、(自分ではない)他人の目的のために自分のつとめをすて去ってはならぬ。自分の最高の目的を知って、自分のつとめに専念せよ。

2009年12月23日水曜日

縄文人に学ぶ(20091223)

男は陶芸スクールに行くのが多少億劫になっていた。毎週決まった日に行くのを負担に思うようになっていた。先週焼きあがっていた楕円形の大きい惣菜入れと、中くらいのお惣菜入れを見たとたん出来上がりが良くないと思ったので、それらをスクールの自分の棚に置いたままにしてあった。スクールに行く足が重かったのは、以前のように満足できるものが出来ないので気が滅入っていたせいもある。
男はスクールに着いて先週持ち帰らなかった作品を貸室担当のI先生に見せ、「これをもう一度釉がけした方がいいですかね?」と聞いた。彼女は「これよく出来ていると思いますよ。」と言う。男は出来上がりが良くないと思っていた作品を褒められてそれまで滅入っていた気持ちがいっぺんに晴れた。次回もっと良い物を作ってやろうと意欲が湧いてきた。
男が利用している貸室は広くは無いが78人が一度に作業することができる。そこでは男より陶芸歴の古い人たちがそれぞれ立派な作品を作っている。男より年長の男性はユニークな形の花器を仕上げて本焼きに出したあと、手のひらに入るようなフットボールの形をしたものを作っている。聞くとそれは笛だという。テーブルの上に素焼きが終わったその形のものが二つ三つ置かれている。見るとこの中央に丸い小さな穴が開けられている。テーブルの上に4000年前ごろの縄文人の遺跡から出土したという精巧な繊細な形をしたイヤリングとか笛の写真が置いてあった。その人はそれを見ながら笛を作ったという。
男は自分の棚に余った粘土を保管していた。それは縄文人の笛を一つ作るには丁度よい分量である。男はそれを家に持って帰り、家で笛を作り、乾かして年明けてスクールに持って行き素焼きに出そうと思った。明日早速縄文人の笛を作ってみようと思う。吹いて音が出るものが出来たら来年3月満3歳になる孫にプレゼントしてやろうと思う。縄文笛なら形が小さいので粘土さえあれば家でいくらでも作ることができる。笛の形が出来上がれば縄文模様ならぬ現代模様を刻んで乾かし、乾いたものをスクールに持って行き素焼きに出し、素焼きが出来上がれば釉薬をかけて焼く。陶芸の楽しみがまた一つ増えた。
縄文人の頭骨の特徴は眉間が突出し、鼻のつけ根が深く凹み、鼻は高く隆起していて眼窩は四角張っていて、歯は小さく、上下の歯がぴったりと合わさる噛みあわせが特徴であるという。男の顔の特徴からすると、男の遺伝子には縄文人のものが多く含まれているかもしれない。ともかく縄文人に学びながら陶芸をやるのはまた楽しいことである。

2009年11月25日水曜日

陶芸の楽しみが増した(20091125)

男が陶芸を始めたのは一昨年の12月である。初め一日体験し、その時に申し込み、自由に陶芸作品を作るコースに入った。途中、手びねりの初級と中級のコースを出て、また自由コースに戻り、次に電動ロクロの初級と中級のコースを出てまた自由コースに戻った。自由コースには曜日ごとに担当の先生がついている。
男は先生が付いていなくてもある程度のことはできるようになったし、年に4、5回九州の田舎に帰らなければならないこともあって欠席することが多いので、この9月から貸室のコースに切り替えた。曜日は同じ毎週X曜日であるが、余席が無かったので午前のコースに入っていた。しかし、午前のコースは家を早く出なければならないので、老齢の男にとって苦痛であった。余席待ちしていたところたまたま午後のコースが空いた。そこで今日から男は午後のコースに入った。
自由コースに長年籍を置いているある男性が懇親会を企画していて男も誘われた。懇親会はある居酒屋で行われ男も参加した。参加者はX曜日の午前及び午後の自由コースの皆さんであるが、この種の懇親会は過去に無かったようである。今回その懇親会に参加したのは自由コースに籍を置いている人たち全員では無かったが大方気の合う男女の方々10名余りが参加した。男は自由コースのメンバーで無くなっているのでその懇親会のメンバーとしては特別会員のようなものである。皆男より陶芸歴が少なくとも2年以上古い。
男はこの懇親会でいいことを聞いた。それは陶芸センターで毎年作品の発表会である陶芸祭を行っているが、その時一般の人々も見に来るとのことである。今年は1000名近くの方々が見に来たということである。陶芸祭では皆が作った物を展示し、来た人に買ってもらうことができるとのことである。今年は全部売れたということで、今夜の懇親会に参加したある方は5000円ほどの収入があったということである。陶芸祭は来年も行われるので、男は今後良い作品を作って売りたいと思った。趣味と実益を兼ねるのである。実益といっても何千円という程度のものであるが、自分の作品を評価されるので嬉しいことである。
男は沢山一輪ざしを作って男が詩吟を教えている人たちなどにプレゼントした。男の家には男が作った一輪ざしが幾つかある。男が女房に「これ500円だと言えば買う人がいるだろうか?」と聞いたことがあったが、その時女房は「それはすぐ売れるわよ。これが500円だったら私も買うわ。」と言った。その一輪ざしは青竹の筒のイメージがある形や模様をしている。これは男がそれを意図して作った物ではないが、削り方や釉薬のかけ方で結果的にできたものである。男が見てもなかなか良い出来映えであると思うほどの物である。
今夜の懇親会は幹事役の方がチェアーマネージャーとして参加者の名前を書いた札を置き座席指定していた。男よりも年長の方が男の前の席であった。その方が備前焼の初級、中級コースの話をしてくれた。彼はその教室に入って初めて陶芸の楽しさが判ったと言っていた。男は今度またその備前焼の教室があれば是非参加したいと思っている。
自分が作った物を売る機会があるということとか、備前焼の教室とか、陶芸をする楽しみが増えた。今日、男は電動ロクロでお惣菜入れを三つ作った。それも予め重さを測って、一個づつ直接電動ロクロの上に載せて作った。三個目のときは時間もあまりかけずに良い物ができた。男はお惣菜入ればかり作り続けるつもりである。

2009年11月18日水曜日

陶芸道楽(20091118)

今日は気温が10℃ほどで午後は気温が低くなるという予報であった。男は、今日は陶芸をする日である。貸室1回500円は安い。しかも電動ロクロを専用で使うことができて陶芸用の道具も一式貸し出してくれる。今日は4週間前に作った大きめの長方形の平皿に蚊帳を置いて白化粧するつもりであったが乾きすぎていたのでそのまま素焼きに出した。先週削ったお惣菜入れは電動ロクロで作ったものであったが初め切り取るとき底が厚すぎたため、まだ底の部分を削る必要があった。しかし既に高台を作ってあったので今日は内側の底の部分を削ることにし、厚みを見ながら適当に削って軽くなるようにした。
男は元々きちんとした形のものは嫌いである。だから電動ロクロで作ってもわざわざ自分が好きな形に曲げる。男は貸室でお惣菜入ればかり作るつもりである。電動ロクロで作ることもまだよく出来ないが「習うより慣れろ」である。そのうち上手くなるだろう。
貸室の良いところは先生が付いていないので何もかも自分で考えながら作らなければならないが、良く作ろうとして良く考え、良く工夫することである。先生に頼らないので失敗もするが、独創的につくることが出来る。今日は先週削ったものでそのときすでに乾きすぎていたものを何とかしようと思ったが、思いきって破壊した。
貸室の電動ロクロの数などの関係で曜日毎午前午後の人数は制限がある。男はその関係でこれまでやむなくX曜日の午前のグループに入っていた。しかし午前の貸室は男にとってきつい。その陶芸貸室の場所まで男の家から1時間半以上かかるので家を早く出なければならない。70歳以上の老人は年間一定額のお金を払い込むと地下鉄もバスも自由に利用できるパスを貰える。男はその恩恵を最大限利用している。その代わり目的地に行くまでJRや私鉄を利用する場合よりも時間がかかる。1時間半かかるところもJRや私鉄を利用すれば1時間ですむ。男はたまにJRや私鉄を利用することがあるが別に急ぐ必要もないし、道中本を読むこともできるのでできるだけそのパスを利用することにしている。
幸い午後の貸室に空きが出たので、男は午後のグループに入ることにした。これだと朝早く家をでる必要はない。ゆっくり支度して11時半ごろ家を出れば良い。男は以前先生が付く自由に制作できるコースに入っていた。同じX曜日の午後のクラスである。しかし、キャンセルしてもしなくても毎月一定額の利用料を払わなければならない。しかも先生が付くので利用料は高くなる。男は九州の田舎に時々帰ることがあるので一定額を払い込んでいても休むことが度々あった。そこで貸室の利用に変更したのである。
先週その自由コースのメンバーから懇親会の誘いがあった。男は二の返事OKした。そのことは既に事務所の人にも自由コースの人たちにも伝わっていて、その人たちから男が懇親会に参加することを「楽しみにしています」と言われた。懇親会は、まだ早いが忘年会も兼ねるものである。男は貸室を利用していても、2年近くメンバーであった自由コースの人たちとは仲良くしていたいと思っている。彼らは陶芸のことでは男より何年以上も先輩である。しかし皆男が初め一輪ざしばかり作り、今はお惣菜入ればかり作っているということを面白がっていると思う。今日素焼きに出したお惣菜入れは素焼きが上がって釉薬をかけて本焼に出し、よく仕上がれば男が主宰している詩吟の会に時々きてくれるKさんにプレゼントしたいと思っている。 

2009年10月17日土曜日

陶芸(20091017)

男が陶芸を習い始めたのは一昨年の暮れのことである。初め体験教室に入ってマグカップを作り面白いと思ったのですぐ申し込んだ。男は以前から陶芸に興味があった。初めに自由作陶教室に入りそこに籍を置いたまま、昨年手びねりの初級教室に入り、続いて中級コースに入り、茶道で使う花器や楽茶碗や香合などを作った。今年は電動ろくろ初級教室、続いて中級教室に入り、電動ろくろで陶器を作る方法を学んだ。そしてまた自由作陶教室に戻り、専らお惣菜を盛る皿を作っていた。
しかし男は九州の田舎で独り暮らしの老母の面倒を見るため帰省することが多くなり、毎週火曜日の定例日に休むことが多くなったので、費用対効果の観点から1500円の貸室でお惣菜入れを作り続けることにした。今日(13日)はその初日である。これまで火曜日は午後のコースを取っていたが、貸室では余席の関係で午前のコースになった。
午前のコースは9時から12時半であるが、そこまで行くのに男の家から1時間半位かかるため家を早く出なければならない。男は今朝8時前に家を出て9時過ぎにそこに着いた。女房は朝食を早く準備せねばならないので今朝は早く起きた。女房にしてみれば男が現役の頃に戻ったような感覚である。男は週一回ぐらいこのような朝があってもよいと思った。
今日は貸室の初日、部屋には男女合わせて56人ほどが既に作業をしていた。男は早速赤2号という粘土を1kgづつ2個、合計2kg買って、それに自由教室で使っていた残りの赤2号を挟んで先ず荒練りをし、その後菊練りをして電動ろくろの上に置き、土殺しという作業をした後、お惣菜入れを2個作った。男は元来幾何学的円形は嫌いである。先ずその形を作り上げ、その後4か所故意に変形させ、いわゆる‘色気’‘味’を出す。
この作業を今回はろくろをゆっくり回しながら行ったので、手もあまり汚れず、ろくろの下の受け皿が泥で汚れることもなくスマートに仕上がった。周りの人たちは新参者の男の作業ぶりをそれとなく見ていたと思う。上手な人は背広を着たまま汚れずに作業が出来るという。男は苦手な電動ろくろが好きになった。
自由作陶教室の皆さんとは同じ火曜日で顔を合わす機会が多い。男は貸室に移動したとはいえ、自由教室の皆さんとは忘年会など一緒にしたいと思っている。自由教室では専門の先生がついていてあれこれ指導してくれるが、貸室ではそのような指導はなく自分で工夫しながら作らなければならない。男の性分としてはその方が合っている。当面お惣菜入ればかり作って、腕を上げたいと思っている。この暮れには男が主宰している詩吟の会の関係者に男が作ったお惣菜入れをプレゼントしたいと考えている。

2009年7月24日金曜日

陶芸(20090724)

男は一昨年暮れ、X陶芸スクールの自由制作教室に入り、昨年夏から秋にかけて同スクールの手びねり初級と中級コースを出て、今年4月から電動ロクロ初級と中級コースを出、再び自由陶作教室に戻った。男が電動ロクロのコースを出たというので、自由制作教室のメンバーは男が如何に上達したか興味津津であった。男は「電動ロクロは機械に自分がコントロールされているようで、どうしても馴染めなかった。」と本心を打ち明けた。それでも「菊煉りは上手くなったでしょう」とか「お手並み拝見」とかいろいろ言われるので、「いや、菊煉り3年と言うし、そう簡単には上手くならないですよ。」と答えておいた。
楽白を1kgずつ2個求め、早速荒煉りし、菊煉りしていたら、Kという30代の女性の先生が男の下手さを見かねて「手はこのように90度にし、押す時は左手も押すようにするのです」と実地にアドバイスしてくれた。男は一応電動ロクロの初級・中級を終えているので、ある程度のことはできる。土殺しをし、何度か失敗しては土を練り直して再利用し、K先生にちょっとアドバイスを貰ったりしながら、お惣菜を入れる深めの皿を大小2個作ってみた。残った土で小さな花瓶を創った。来週は土を3個、3kg求めて、同じサイズのお惣菜用深皿を2個創ろうと思っている。男がそのような皿を創るのは、創った作品を嫁たちや近所の懇意にしている人たちにプレゼントしたいためである。電動ロクロだと同じ程度のサイズのものを一度に何個もつくることができる。しかし形は均一に整うが手びねりのような味はない。男はいろいろ個性のある手びねりの方が好きである。
男は以前手びねりで創った皿や花瓶を二人の嫁たちにプレゼントしている。今度は電動ロクロで創るものをプレゼントするつもりである。それは、男が誕生日などに嫁たちからプレゼンを貰うので、そのお返しの意味もある。同じようなものを34個創ってあるので女房が「好きなものを持って行きなさい」と言いながら、なるべく良さそうなものを取って行かせる。従って家に残っているものは出来が悪いものばかりである。それでも男が創ったものが日常の食器としてよく使われている。
男は陶器を創る時は先ず形を重視して創っている。見た感じでなんとなく気に入るような形になるようにしている。次に削りが重要である。全体としてなんとなく味があり、素朴な美しさがあるように削る。抽象的な刻みを入れたりする。単純、素朴、飾りっ気なし、小細工や技巧なし、それでいて味がある、そのようなイメージの形にする。男は余分なものを一切そぎ落としたものが好きである。
芸術作品を創るには技術が必要である。また繊細さも根気も必要である。男は根気はあると自負するが、繊細さには欠けている。第一そのような神経をすり減らすような作業は嫌いである。従って、男の性格から見ると、男は芸術作品を創ることはできない。
男は以前、自分が創る陶芸作品をヨーロッパの展示会に出品したいと考えたこともあったが、今はその気は全くない。家庭で使う実用的なものを創り、人にプレゼントして喜んで貰えればそれで十分だと思っている。ごく稀に、たまたまヨーロッパなど外国での発表会に出品できるような素晴らしいものができることがあるかもしれない。しかしそれは初めから意図して創るものではないので、家に遺しておきたいと思う。
武蔵が晩年描いた一枚の絵、枝先に一羽の鳥がとまっている絵、その絵のように、男は自分があの世に逝った後、後世の者が評価してくれるようなものが出来ればよいのである。