2018年2月26日月曜日

21080227人間性・平和主義・理想だけでは真の平和・安全は実現できない


いま世界中にいる現生人類(ホモ・サピエンス)は約20万年前にアフリカで誕生し、約6万年前から拡散しはじめ、その後、東南アジアやバイカル湖付近へ到達したそうである。

中央アジアのカザフスタンと奈良文化財研究所(奈良市)による合同研究チームは、カザフスタン南部で後期旧石器時代(4万~15000年)の遺跡15ヵ所を発見した。同チームはカザフスタンのカラタウ山地などで中期から後期旧石器時代(10万~15000年)の遺跡26ヵ所を発見し、そのうち現生人類のものとみられる遺跡として15か所を特定している。カザフスタンでこれだけ多くの旧石器遺跡が発見されたことは、そこが現生人類の主要な移動ルートになっていたことを示すものだと考えられている。

そこから日本列島への移動について、遺跡や化石、遺伝子などの研究から三つのルートがあったと考えられている。定説となってきたルートは三つ。①朝鮮半島から対馬経由で西日本に入る「対馬ルート」、②シベリアからサハリン経由で北海道へ南下した「北海道ルート」、そして③台湾付近から琉球列島への「沖縄ルート」である。

対馬ルートについては朝鮮半島にはその痕跡が見つかっていない。しかしミトコンドリア遺伝子のハプログループM7aは韓国人に3%弱確認されている。これは縄文時代に日本から移住した人がいたことを示していると考えられている。というのはこのM7aはウルム氷河期に陸地であったスンダランドと呼ばれる地域がその発祥であり、スンダランドが水位の上昇により海の底になったため、人々が黒潮に乗って北上し、日本列島に拡散したことが考えられているからである。因みにM7aは沖縄に23%・本州に7%・北海道アイヌに16%検出されているほか、縄文人の骨からも検出されている。スンダランドはマレー半島・スマトラ島・ボルネオ島に囲まれたところにあった。海底には3本の川筋が残っている。

33000年前以降三つのルートで日本列島に辿りついた縄文人たちはお互いに交流し、16000年前から3000年前までの13000年間、この日本列島で狩猟・採集・栽培の平和な暮らしをしていた。縄文人の骨の奥歯から検出されたY染色体遺伝子ハプログループD1bは日本列島固有である。北海道アイヌの人たちと沖縄の人たちにはその割合が非常に多い。同じDグループは日本人以外では、アンダマン諸島のオンゲ族・ジャラワ族やチベット人や中国の少数民族の一部だけに検出されていて、上記以外の場所では全く検出されていない。Dグループは中国・朝鮮半島に多い後発のO2に駆逐されたのである。

因みにO1グループから分岐したO1aは台湾先住民、O1b1は中国南部・東南アジア、O1b2は日本・朝鮮半島・満州などに多い。これらは長江中流域で北方から南下してきたO2の人々に圧迫されたと考えられている。日本人の先祖は日本列島で安住出来た。三内丸山遺跡などで発見された鹿角斧は長江下流域の河姆渡遺跡から見つかったものと驚くほど似ているそうである。日本人のDNAには世界の中で独特なものがあるのである。

北海道ルートの人たちは古事記の「山幸彦」であり、沖縄ルートの人たちは「海幸彦」ではないだろうか? 古事記にある笠沙(現在の南さつま市内)で邇邇芸命が「韓国」と言ったところには縄文人たちが進出していたのである。

西暦663年の白村江の戦いに敗れて倭人たちは何千人という百済人たちと共に日本に引き揚げた。その400年前、神功皇后は身重の身で三韓征伐を行っていた。白村江で唐・新羅連合軍と戦った42000人の倭軍は大敗し、倭国(=日本国)はそれまで400年間続いた朝鮮半島における権益を全て失ってしまった。『日本書紀』にその記述がある。

当時の倭軍(=日本軍)の人たちは純粋な縄文人たちではなく、3000年前に中国の長江中流域から渡って来たポートピープルや、中国の春秋・戦国期(770~前222)に戦乱を逃れて日本に渡って来た人々や、当時朝鮮半島を支配していた中国の後漢滅亡後、朝鮮半島から職能集団を率いて日本に渡って来た人々(『日本書紀』では漢人(=中国人)である霊帝の子孫・一族とされる)などと長年の間に混血した人々、即ち倭人(=日本人)である。『日本書紀』には、白村江敗戦後日本に渡って来た百済の王族・貴族たちやその一族が居住地・耕作地を与えられ、日本語を教えられたことや、彼らの中で学識の高い人たちは朝廷の要職に補任されたことなどが書かれている。

日本人のDNAは東アジアの中で特異である。日本人は先祖に渡来人が居ると言う意味では、日本人は中国人・韓国北朝鮮人とは親類である。しかし、血縁の濃淡で言えば、日本人は韓国北朝鮮人よりもDNAの面で中国(北部や南部呉越地方)人との血縁の方が濃い。文化的にも考古学的にも関係が深い。かつて文化勲章を授与された学者や、その影響を受けた政治家が天皇の先祖は朝鮮半島出身であると言っていたが、それは全くの誤りであった。

天皇が行う祭祀の源は、13000年間も続いた縄文時代にある。アイヌの人たちが行う神事は神道の神事に似たところがある。天皇は日本民族統合の象徴である。日本国歌『君が代』の「君」が天皇のことであるとか、いやそうでなく一般の人であるとか、「主君」であるとかいろいろ議論があるが、「君臨すれども統治しない」天皇は、平安時代の間に既にそのような存在になっていた。民族統合の象徴としての天皇であっても、統治している人たちとは別に、日本国民の深層的意識の上ではそれぞれの元号ごとに天皇の「治世」があるのである。

今回の平昌オリンピックでは、日本人選手の優勝時、メディアを通じて韓国国内に日本国歌「君が代」が流されることを好ましく思わない人たちが大勢いて、一部の韓国メディアは広告の放送により、その場面が韓国国内に放映されないようにしたと伝えられている。

東アジアの情勢は大変厳しい。南北統一は韓国北朝鮮人の悲願である。一方で北朝鮮には核兵器が存在している。日本にとっても同盟国アメリカにとっても核兵器の除去は絶対の要件である。さもないと日本は核武装せざるを得なくなる。

中国にとってもロシアにとっても朝鮮半島は革新的利益の場所である。朝鮮半島が統一された後、その半島の真の主人公は誰になるのか? 昔のように中国が朝鮮半島を支配するようになるのか? ロシアはかつて夢見たように鉄道を釜山まで延伸し、太平洋へと権益を伸ばそうと考えているのか? 縄文時代から守り続けられてきたこの日本列島の平和と安全が今脅かされようとしている。日本人は危機感と覚悟と知恵を持って、男系の皇統を断固維持し、縄文時代から脈々と受け継がれてきたこの大切な遺産を、子子孫孫に至るまで、千代に八千代に、さざれ石の苔むすまで、絶対守り抜かなければならないのである。

先の大戦で国の為自らの命を捧げられた数多の方々、靖国神社に祀られているA級戦犯を含むすべての方々は、正しく上述の愛国精神を昇華された方々である。「茹で蛙」状態にあった日本人が目覚め、日本国が文化・科学技術・経済・外交・軍事等のすべての面で世界抜きん出れば、東アジアの平和は必ず保たれることであろう。外交努力だけでは決して平和は実現されないのが、動物でもある人間の社会の宿命であり、現実である。 
 

2018年2月12日月曜日

20180212日本人・日本民族



人は自分が何処から来ていて何処へ進もうとしているのか自覚できずにいると、精神的に不安定である。日本人或いは日本民族という集合体でもそのことは全く同じである。

自分の精神を正しく支える存在は何か? それは仏陀か? それは神か? それは人か? それは家族か? それは自然か? それは金か? それは何か象徴的なものか?

同様に日本人或いは日本民族の精神を正しく支えるものは何か? それは伝統か? それは文化か? それは国富か? それは人間性か? それは憲法か? それは道徳か? それは法律か? それは日本国民の総意に基づく象徴的な存在である天皇か?

伝統や文化は世代を超えて営々と受け継がれてきたものである。それは支配者が代わっても、革命が起きて国体が激変しても決して消滅せず、多かれ少なかれ必ず存続するものである。

日本の伝統や文化の源流は16000年前から3000年前まで13000年間続いた縄文時代にある。その源流に、3000年前以降日本列島に東アジア地域から渡って来た人々がもたらした幾筋かの小さな支流が合流して、現在の日本の本流となった。

日本人の遺伝子は東アジア諸国の人々の遺伝子と大きくかけ離れている。しかし日本人の遺伝子は縄文人の遺伝子ともかけ離れている。日本人は人種的には特異な存在である。それは縄文人の遺伝子が日本人の遺伝子に大きな影響を与えていることを示している。(下図参照。NHK番組「サイエンスZERO」の画面の写真引用。)
 

ハプロタイプグループDは、日本列島・南西諸島やアンダマン諸島、チベット高原で高頻度に観察されるほかはアジアの極めて限られた地域でしか見つかっていない。ハプログループDは非常に孤立的な系統となっている。それは中国、朝鮮、東南アジアにおいて多数派的なハプログループO系統や、その他E系統以外のユーラシア系統(C,I,J,N,Rなど)とは分岐から7万年以上の隔たりがある。D系統は東アジアにおける最古層のタイプと想定できる。一つの説として東アジア及び東南アジアにO系統が広く流入した為、島国日本や山岳チベットにのみD系統が残ったと考えられている。(Wikipediaより概略引用)

アイヌにおいてはハプログループDに属する「D1b」が16人に14人の割合に当たる87.5%の高頻度で見られた。日本本土では地域差もあるが、おおよそ32%~39%のハプログループが「D1b」である。これは古代の縄文人の末裔である可能性が高い。沖縄県のサンプルでは45人中25(55.6%)D1bに属しており、日本全国の平均よりはやや濃い分布を示している。(Wikipediaより概略引用)

アイヌ/琉球(沖縄)の人々は日本人と遺伝子・縄文土器の面で全く同一である。一部の人たちの「アイヌ民族/琉球民族は先住民族である」という主張は全く意味がない。東北地方を代表する「亀ケ岡式土器」とみられる土器片が、沖縄県北谷町の米軍返還地にある平安山原B遺跡で出土された。(昨年124日付、日本経済新聞。)

日本人・日本国民の統合の象徴は天皇である。日本人の中には外国出身で日本国籍を得たばかりの人や、日本国籍を得て数世代も経っていない人もいる。彼らも数百年以内に混血し、その体の一部に縄文人の遺伝子による形質が含まれるようになるだろう。そして千年も経てば彼らは多分、天皇の先祖の子孫と混血しているだろう。

相撲は垂仁天皇7年(紀元前23年)77 (旧暦)に初めて行われた。相撲は、元々は日本固有の宗教である神道に基づいた神事である。日本国内各地で「祭り」として奉納相撲が行われている(Wikipediaより概略引用)。ちょん髷や着物・草履など江戸時代の風俗をし、神社で奉納の土俵入りの行事を行う相撲は日本の伝統文化の最大の象徴である。

天皇と相撲は正に日本の伝統と文化の象徴である。東アジアの中で日本人だけが他のアジア人と遺伝的にかけ離れている。日本だけに天皇がいて相撲がある。この二点が日本人或いは日本民族の精神を正しく支える中心的なものである。しかし日本人は縄文人を基層とする多重混血人種である。戦後、特に広く世界中の人々と結婚している日本人が増えている。笹川良一は「世界は一家・人類は皆兄弟」と言った。

明治天皇は「よもの海みなはらからと思ふ世になど波風のたちさわぐらむ」と詠われた。大東亜太平洋戦争が始まる前、昭和天皇もこの短歌を引用されて、戦争の回避を強く願望された。このことを日本人は深く自覚しなければならない。(明治天皇御製の英訳文は先月15日の読売新聞から引用)

Japanese / Japanese Ethnicities

People are mentally unstable when they are not aware of where they are coming from and where they are going to proceed. That is exactly the same for aggregates of Japanese or Japanese nationals.
What are the ones that support my spirit properly? Is it a Buddha? Is it God? Is it a person? Is it a family? Is it natural? Is it money? Is it something symbolic?
What also supports the spirit of the Japanese or Japanese nation as well? Is it a tradition? Is it culture? Is it national wealth? Is it human nature? Is that a constitution? Is it morality? Is that a law? Is it an emperor who is a symbolic existence based on the conscience of the Japanese people?
Tradition and culture have been handed down from generations to generations. Even if the ruler replaces, even if the revolution occurs and the national entity suddenly changes, it will never disappear and it will survive more or less surely.
The origin of Japanese tradition and culture is in Jomon period which lasted 13000 years from 16000 to 3000 years ago. At its source, some tiny tributaries brought by people who came from the East Asia region to the Japanese archipelago 3000 years ago joined together and became the current mainstream of Japan.
The genes of the Japanese are far apart from the genes of people in East Asian countries. However, Japanese genes are also far from Jomon people 's genes. The Japanese are racially unique. It shows that the genes of the Jomon people have a big influence on Japanese genes. (See the figure above. Photo citation of NHK program "Science ZERO" screen.)
Haplotype Group D has been found only in extremely limited areas in Asia except that it is frequently observed in the Japanese Archipelago, the Nansei Islands, the Andaman Islands, and the Tibetan Plateau. Haplo Group D is a very isolated lineage. It has a gap of more than 70,000 years from the branch from the majority Haprogroup O strain in China, Korea, Southeast Asia and the Eurasian strains (C, I, J, N, R, etc.) other than the other E strain. D line can be assumed to be the type of the oldest layer in East Asia. As one theory, O lines widely flowed into East Asia and Southeast Asia, it is believed that the D line remained only in the island country Japan and mountain Tibet. (Outline quotation from Wikipedia)
In Ainu, "D1b" belonging to Haprogroup D was seen at a high frequency of 87.5% corresponding to the ratio of 14 to 16 people. There are regional differences in the mainland Japan, but the Hapro group of approximately 32% to 39% is "D1b". This is likely to be the descendant of ancient Jomon people. In the sample in Okinawa Prefecture, 25 out of 45 people (55.6%) belong to D1b and show a slightly darker distribution than the average across Japan. (Outline quotation from Wikipedia)
People of Ainu / Ryukyu (Okinawa) are exactly the same with Japanese in terms of genetic and Jomon pottery. The claim that some people's "Ainu ryukyu / Ryukyu people are indigenous people" has no meaning at all. Earthenware fragments, which are seen as "Kamegakaoka type pottery" representative of the Tohoku region, were excavated at Hanzanbaru B ruins in the US Army's return area in Okinawa prefecture Chatan town. (Nikkei newspaper as of January 24 last year.)
The symbol of the integration of Japanese and Japanese citizens is the Emperor. Some Japanese are foreigners who have just acquired Japanese citizenship and others are not several generations after getting Japanese citizenship. They will also be mixed in hundreds of years, and some of their bodies will contain genetic traits of Jomon people. And after a thousand years they probably will be mixed with descendants of the emperor's ancestors.
Sumo went on for the first time on 7th July (lunar calendar) 7th year (23 BC) Emperor Suinin Tenno. Sumo is a Shinji based on Shinto, originally a religion inherent in Japan. Dedication Sumo has been held as "festival" in various parts of Japan (roughly cited from Wikipedia). Sumo in the Edo period such as Chonmage, Kimono and Zori(sandals), and performing dedication at the shrine is a great symbol of Japanese traditional culture.
Emperor(Tenno) and Sumo are exactly symbols of Japanese tradition and culture. In East Asia, only Japanese are genetically distinct from other Asians. There is Sumo with the Emperor in Japan alone. These two points are central to properly supporting the spirit of the Japanese or Japanese nation. However, the Japanese are multiple mixed races based on the Jomon people. After the war, the number of Japanese who are married to people all over the world especially widely is increasing. Ryoichi Sasagawa said that "the world is family and human beings are all brothers."
Emperor Meiji Tenno made a poem(Tanka) as follows, "It is our hope that all the world’s oceans be joined in peace, so why do the winds and waves now rise up in angry rage? " Before the Great East Asia Pacific War began, Emperor Showa Tenno was quoted from this Tanka and was strongly desirous of war avoidance. The Japanese must deeply be aware of this. ( The English translation of Emperor Meiji Tenno Made is quoted from Yomiuri Shimbun on 15th of last month)


2018年2月2日金曜日

20180202「正しいこと」と「分かりやすいこと」



 表題は、男が見ているYouTube「歴史の選択」で語られた言葉である。「正しいこと」は「分かりにくい」のである。

 理事選に敗れた貴乃花は吉田松陰のように「正しいこと」を行った。自らは理事選挙に落選することは初めから覚悟していた。彼の行動は、武士道において「正しいこと」のために武士が自らの命を顧みない行動と似ている。

 男は、ブログ「詩吟」で、冒頭の「過去のリンク集」の中に、吉田松陰の「辞世」( http://takaban.seesaa.net/article/399979435.html )を収めている。男はこの吟詠を聴いて自ら感動している。

 大東亜戦争終結後、拝金主義・似非「グローバリズム」に毒された日本人は、「自分たちは悪いことをした」、という自虐精神に陥っていた。戦後の日本人たちは、自分たちの父や叔父たちが悪いことをしたと思い込んでいた。

 その結果起きた最たる問題は、いわゆる従軍慰安婦問題である。これは朝日新聞が惹き起こした問題である。私の友人も、元自衛官億茂治氏も、この問題の解決のため戦っている。私自身もいわゆる従軍慰安婦問題に関する誤解を解くために活動しているある団体を通じて、アメリカ議会の議員たちに手紙を沢山書いたことがあった。

 「正しいこと」は「分かりにくい」。視聴者をより多く獲得するため、メディアは「正しいこと」よりも「分かりやすいこと」の方に多くのエネルギーを割いている。「正しいこと」は人々にとって「面白くない」。だから人々はメディアの報道に騙される。

 しかし「正しくないこと」は矛盾を拡大させる。世の中はその矛盾が解決される方向に向かう。人々に理解されなくても、世の中にはその矛盾を解決するために情熱を燃やす人々がいる。そういう人たちの努力と犠牲によって矛盾は解決される。矛盾が解決されるまでにかなり長い時間がかかる。

 貴乃花が取った行動は、相撲協会の体質を徐々に変えて行くことだろう。何時の世も、自らを犠牲にして自分が正しいとする信念を貫いた人が、後の世に評価される。「正しいこと」はその時ではなくて、その「正しいこと」を行って自分を犠牲にした人が出た後に、それが人々に「分かりやすいこと」として理解されるのである。