2014年1月9日木曜日

20140107意識と仏教(終章)――意識の源と意識がつくるもの――

Consciousness and Buddhist last chapter
    ――What the source of consciousness and consciousness build――

 今年私は77歳になる。私はもうこれ以上日本の国の行く末のことを憂えることは止めた。私は李白の『山中問答』の詩文に共感している。下のURLはその『山中問答』を私自身が吟じているものである。私は「信風」という号で平成11年(2009年)3月以降毎月一題又は二題ずつ私の吟詠を投稿してきた。『山中問答』平成23年(2012年)11月に投稿したものである。私はときどきこれをダウンロードして聴いている。自分の吟詠であるがそれを聴くと何となくいい気分になる。

   山中問答(Shān zhōng wèn dá)   李白(Lĭ bái)
  問余何意棲碧山    Wèn  yú    hé   yì    qī    bì    shān 
笑而不答心自閑    Xiào  ér    bù   dá   xīn   zì    xián 
  桃花流水杳然去   Táo  huā   liú   shuĭ  yăo   rán   qù
別有天地非人間    Bié  yŏu   tiān   dì    fēi   rén   jiān

  余(よ)に問(と)う 何(なん)の意(い)あってか 碧山(へきざん)に 棲(す)むと
  笑(わら)って 答(こた)えず 心(こころ)(おのず)ずから 閑(かん)なり
  桃花(とうか)流水(りゅうすい)杳然(ようぜん)として去(さ)
  別(べつ)に 天地(てんち)の人間(じんかん)に 非(あら)ざる有(あ)


李白は阿部朝臣仲満(阿部仲麻呂)(中国名:朝衡又は晁衡)と交友関係があった。その仲麻呂は故国日本への望郷の思いが募っていたとき唐(当時の中国の王朝)の高級官吏として君主に忠義を尽くす立場であるが自分の両親への孝行ができないことは子として申し訳ないという詩を作った。仲麻呂は54歳の時君主(玄宗皇帝)から許されて帰国の船に乗ったがその船が嵐にあって難破しベトナムの海岸に漂着した。仲麻呂は都長安(今の西安)に戻り70歳で没した。仲麻呂が遭難したことを知った李白は仲麻呂が死んでしまったと思って仲麻呂を追悼する詩「晁卿衡を哭す」と題する詩を作っている。仲麻呂は唐の高級官吏だったので「晁衡」の間に「卿」の字を挟んでいる。

その仲麻呂の望郷の思いを詠った詩を私は下記URLで吟じている。


意識とは何か?意識はどのようにして生じるのか? 科学者たちは今後100年経っても意識を完全に解明することはできないかもしれないと言っている。意識は人間だけに存在しているものである。意識は人間の脳の活動に関係がある。言語・記憶・想像などは意識と深い関係がある。

人間の遺伝子は人間の性格や知能や感情に関与している。遺伝子は神経系の情報伝達に関与していることが少しずつ判ってきている。私は意識というものは人間の脳に碇を降ろしていて人間の身体全体を包んでいるものであると考えている。意識には自分自身で把握しているものと自分以外の第三者の力を借りないと把握できない無意識がある。仏教では無意識の深度に応じて末那識・阿頼耶識・阿摩羅識の三つを説いている。無意識には自分自身が内省して把握できるものから内省しても全く把握できないものまであるのである。人間の行動の大部分はそのような無意識によるものである。
意識の源は体内遺伝子であるDNAである。意識が作るものは体外遺伝子である伝統・文化・慣習などである。個々の人の意識と無意識は集団の集合的な意識と無意識をつくる。私は意識というものは霊魂と同じものであると考えている。仏教では霊魂は天上・人間・修羅・地獄・餓鬼・畜生の六道に永遠に輪廻転生するものであると説いている。私はある人の意識はその人が死んだ後、その人の生前の行いの善悪によってその六道の何れかに移るものであると考えている。これは「思っている」「考えている」というより「信じている」と言った方が私自身の意識に合っている。

地獄・極楽は自分の来世にあるのみならず、現に生きている現世にもあるものである。私はそのことをある事件に関するテレビや新聞の報道で確信している。意識(=霊魂)は時空を超越し、自由自在、融通無碍、広大無辺である。自分自身の霊魂は過去に生きた人たちの霊魂と響き合い、共鳴し、共振することもできる。神社・仏閣・仏壇・慰霊碑・歴史書・歴史小説などはその交霊の門になる。このことも私は自分の中で自己体験的に肯定している。

私は自分自身に起きることは「必然」であると思う方が良いと思っている。自分にたまたま起きる偶然な出来事も「必然」だと受け止める方がよい。私自身はそのように受け止めて「確かにそのとおりだ」と了解している。仏教の経典には「御仏はいろいろな方便を用いて人々を教え導く」と書かれている。私は仏教の経典に書かれている「神通力」も上記「必然」ということを信じるならば体験的に実感できるものであると思っている。(終り)

Consciousness and Buddhist last chapter
    ――What the source of consciousness and consciousness build――

This year I will be 77-year-old. I stopped worry about the future of the country of Japan, so far so. I sympathize with the poetry of “Questions and answers in the mountain”, “Shān zhōng wèn dá” in Chinese which Lĭ bái made. The URL below is my blog in which I am chanting the poem. With my name of SHIMPUE, with my blog, I have posted and opened to the public the contents of my chant and description about the poem one or two every month since March 2009. The “Questions and answers in the mountain” was posted in Nov. 2012. I am sometimes downloading and hearing this. Although it is my chant, I become a somehow good feeling to hear it.

   山中問答(Shān zhōng wèn dá)   李白(Lĭ bái)
  問余何意棲碧山    Wèn  yú    hé   yì    qī    bì    shān 
笑而不答心自閑    Xiào  ér    bù   dá   xīn   zì    xián 
  桃花流水杳然去   Táo  huā   liú   shuĭ  yăo   rán   qù
別有天地非人間    Bié  yŏu   tiān   dì    fēi   rén   jiān

People asked me with what kind of intention you live in this deep green mountain.
Although I merely laughed and not being answered, my heart was filled enough calmly.
With the flow of water, the petal of a peach disappears distantly and goes.
Here is the another world which is separated from world.


Lĭ bái and Nakamaro Abe (China name: Zāo hén ) were friends. The Nakamaro was the position of rendering his loyalty to his sovereign as higher officials of Táng (dynasty of China of those days). When his mind of homesickness had increased to his home country Japan, his mind of filial piety and conscience cannot be performed, he made a poetry saying he was sorry as he is a child of his parent. Although Nakamaro was allowed by the sovereign (Xuán zōng emperor) at the age of 54 and took the ship of the homecoming, the ship is in a storm, and he was wrecked, and was washed up on the seashore in Vietnam. Nakamaro returned to capital Zhăng ān (present Xīan), and it hid him at the age of 70.
Lĭ bái who got to know that Nakamaro met with an accident thought that Nakamaro had died. And the poetry entitled the poetry " It cries in a loud voice about Zāo qīng hén" which mourns for Nakamaro is made. Since Nakamaro was higher officials of Táng, he has inserted the character of "(qīng )" between "晁衡(Zāo hén)."

I am chanting a poetry for the thought of the Nakamaro homesickness by the following URL.


 What is consciousness? How does consciousness arise? Scientists have said that they may be unable to solve consciousness completely even if 100 year will pass from now on. Consciousness is related to activity of human's brain. A language, memory, imagination, etc. have a close relation to consciousness.

 Human's gene is participating in human's character, intelligence, and feeling. The gene is participating in the communication of information of a nervous system. That was being understood little by little. I think that consciousness is what has taken down the anchor to human's brain and has wrapped human's whole body in it. There are what is grasped by itself, and a thing which is not grasped by itself in consciousness. What cannot be grasped by itself is unconsciousness. Unconsciousness is grasped with the help of third parties other than itself. In Buddhism, three of unconsciousness which is 末那識(Manashiki), 阿頼耶識(Arayashiki), and 阿摩羅識(Amarashiki) are explained at last according to unconscious depth. There is an unconscious range to what cannot be grasped at all even if it introspects from what he can introspect and grasp. The great portion of human's action is depended on such unconsciousness.

 The source of consciousness is DNA which is a gene in the body. What consciousness makes is the tradition, culture, custom, etc. which are external genes. Consciousness and unconsciousness of each person build collective consciousness and unconsciousness of people's group. I think that consciousness is the same as the soul. In Buddhism, it is being explained that the soul is what carries out Samsara transmigration to six ways of a heavens top, a human being, the favorable realms of bellicose spirits, hell, a demon of starvation, and a beast forever. I think that it moves from a certain person's consciousness to one of the six ways after the person dies. I think that it will be decided by the person's deed good and evil while in life. The direction suits my own consciousness, saying "I believe" rather than "I consider".

 It hell and paradise are not only located in their next world, but is in the oneself world. I am sure of that by the report of the television about a certain incident, or a newspaper. Consciousness (= soul) transcends space-time. It is free, versatile and immeasurable. It can echo its own soul for each other with the soul of people living in the past. It can also resonate. I have also affirmed this on the self-experience target in.

 I consider that it is better to think it "necessary" to happen to oneself. It is better to also think the accidental occurrence which happens to itself by chance to be "necessary." I myself caught such and understand ", to be sure, it is just like that." "The Buddha teaches and leads people using various expedients" is written to the Buddhist scripture. I think that I will be an experientially realizable thing if the "supernatural power" currently written to the Buddhist scripture is believed as the above "necessary." (End)


2014年1月6日月曜日

20140106意識と仏教(17)――吾ら日本人は何処から来て何処に行くのか?――

竹田恒泰著『古事記完全講義』(株式会社 学研パブリッシング)に大東亜戦争終結後戦勝国側が取った態度についてこう書かれている。(<>内)

<連合国は本当はね、日本精神をブチッてその場で根絶やしにしたかったんですよ。でもそれはできない。いきなり破壊しようとすると反動があるから。・・(中略)・・少しづつ熱くなるから。で、「あれ? あれ? 熱くなってきたぞ。 なんかやばいぞ! やばいぞ! ああっ!」ってなったときには、もう体は動かない。そして茹で上がる。これ「茹でガエル症候群!」(笑)。 要するに、“百年殺しの刑”をかけられたんですよ、日本は。>

西暦660年、百済(古代、朝鮮半島南部の西側にあった国)は唐(当時の中国の王朝)に滅ぼされた。好太王碑(広開土王碑)の碑文にあるように日本人は朝鮮半島に進出していた。日本は百済の遺民とともに百済を復興させるため西暦663年に42000人の軍を白村江(現在の韓国の錦江近辺)に送り込んだ。其処に海上から唐の軍、陸上から新羅(古代、朝鮮半島南部の東側にあった国)の軍が襲ってきた。日本軍は大敗しそれまで約400年間続いた朝鮮半島における権益をすべて失ってしまった。

それ以来日本人はこの日本列島の中で比較的安全に暮らしてきた。しかし今日この日本列島は日本人にとって必ずしも安全な場所ではなくなってきている。今振り返れば大東亜戦争は、日本が欧米の侵食を受けていたアジア諸国を解放するための戦争であったと同時に、日本列島の安全を確保するため日本人が死にもの狂いで戦った戦争でもあったのである。戦争の相手がアメリカ・イギリスなどであったから戦争に敗けたが結果的には良かった。もし仮にこの戦争が日本と中国・韓国との間で行われ、日本が敗けたとすれば日本はどんな状況になっていたことだろうか?アメリカは日本人の強さの根源が何処にあるかを知り、日本との戦争に勝利したが日本の国体を破壊することはしなかった。

天皇・神社・仏閣・伝統・文化・慣習など日本人の「体外遺伝子」は非常に強固である。アメリカは日本との戦争に勝ったあと日本人の精神構造を変えるための方策を実行した。その方策は結果的に日本人の「体外遺伝子」を弱体化させることに成功した。東京裁判により日本の指導者を処刑すること、教育勅語を廃止させること、そして教育制度を変えることにより数世代を経るような非常に長い時間をかけて戦前の日本人とは別の精神構造をもつ日本人を増やすことなどがその方策であったと思われる。日本人は自虐史観に陥った。

 日本は天照大神を先祖とし2600年以上男子の一系で途切れることなく続いてきた血統の天皇家が日本中の各家々の宗家のように敬われている国である。日本には各地の至る所に神社があり、お地蔵さんがあり、道祖神を祀る祠がある。人々は八百万の神々を敬い合掌して願いごとが叶うようにと祈る。仏教の行事が庶民の暮らしの中に深く根付いている。キリスト教やイスラム教も日本の社会の中に融和している。そういう国は世界の中で日本だけである。

 そのような日本を中国と韓国は敵視している。日本は中国や韓国と良好な関係を築こうとして寛容と忍耐と礼節の精神でこれらの国々に接してきた。しかし戦後68年経ても日本とこれらの国々との関係は改善されていない。この状況は今後何世紀経っても変わらないであろう。古来日本と中国・韓国との関係は良くなかった。日本人の先祖は中国大陸での生存競争に敗れたが日本列島で生きのびてきた。中国人・韓国人の無意識の中には日本人をこの日本列島からも駆逐してしまいたいという願望が潜んでいるのかもしれない。

アメリカはそのような状況をどう見ているのだろうか? アメリカは自国の利益を得るため日本と中国・韓国の間の緊張関係を利用しているのではないだろうか? アメリカは約160年前日本と出合った。そのとき以来アメリカは日本を自国の富と利益を増進させるため徹底的に利用することを考えたかのように見える。アメリカは日本を自国の支配下に置くため、日本と中国・韓国の間の対立を利用することを思いついたかのように見える。

2010年に民主党が政権をとった。民主党は女系天皇への道を開くための女性宮家創設・夫婦別称制、外国人参政権・人権擁護という美名のもと個人が特定の政党の活動者を批判できないようにするための法制度などを推進しようとした。民主党は綱領に沖縄の独立を視野に入れた文言を並べた。これらの状況は戦後アメリカの日本に対してとってきた政策の結果起きたことである。先般安倍首相が靖国神社に参拝したことについてアメリカ政府は「失望した」と発表した。その一方で日米同盟に揺るぎはないことも強調した。中国と韓国はこれを好機ととらえ安倍首相の靖国神社参拝について激しく攻撃している。中国と韓国は日本固有の領土である島を自分たちの領土であると勝手に宣言し、その囲い込みのための線引きをして世界に向けて宣伝している。

アメリカは日本に対して盛んに「日本は中国や韓国との関係をよくするように」と要求しているが、日本も中国や韓国と良好な関係を築きたいと心から願っている。しかし日本は日本人が依って立つところの源となる日本人の精神をねじ曲げてまでして中国や韓国に対して媚を送るようなことは決してしない。天皇・神社・鳥居は日本人の心の深奥にある「日本人の自己」そのものである。靖国神社には天皇陛下の軍(皇軍)として日本の国体を護り、父母・妻子・弟妹達を護るため戦地に赴き、戦友に「靖国神社で会おう」と笑顔で言って戦火に散華していった兵士たちが祀られているのである。安倍首相が靖国神社を参拝したことについてアメリカ人には日本人の心の深奥にあるものについて是非理解をして頂きたいものである。

 中国も韓国も日本に対して「歴史認識」を強要することは止めて貰いたい。いかなる国であろうと国と国同士はお互い自らの歴史を顧み、相手の立場を尊重するようにしなければ決して平和は達成されないであろう。日本人は我慢に我慢を重ね、耐えがたきを耐え、忍びがたきを忍んでいる。そのようにしていても日本人はこの日本列島に生き残れないという絶望的な状況になった時には、日本人は自分たちの先祖の霊魂と語り合って最後には死ぬ覚悟で立ち上がるだろう。それがこの日本列島に生き残ってきた縄文人と渡来系弥生人の混血の子らである我々日本人が心の深奥に抱いている大和魂なのである。

   一片の詩「我ら日本人は何処から来て何処に行くのか?」

われわれの祖先縄文人は大陸で生き残れなかった。
しかしこの日本列島にやってきた縄文人は生き残ることができた。
この日本列島には縄文人を脅かす人々はいなかった。
縄文人は木の実も種子も魚も貝も豊富に手に入れることができた。
縄文人はこの日本列島で平和に暮らしていた。
縄文人はこの地で世界最古の石器文明・世界最古の土器文明を築いた。
縄文人は畑で稲を作る技術をもっていたが稲米を主食にはしなかった。
縄文人の主食は簡単に手に入る木の実・種子・魚・貝などであった。
これらの食物は四囲海に囲まれた日本列島の山野・海岸で容易に手に入った。

揚子江(長江)中流域に黄河文明より1000年も古い文明が開かれていた。
長江中流域の人々は世界最古の水耕稲作と漁労に長け航海術も身につけていた。
4000年から3000年前にかけて気候の寒冷化・乾燥化が起きた。
長江中流域に北方から畑作・狩猟文明をもつ人々の集団がやってきた。
稲作・漁労と畑作・狩猟の二つの文明は長江中流域で対立しつつも融合した。
しかし稲作・漁労の一部の人々は圧迫から逃れ遠い山間部に移住した。
他の一部の人々は圧迫から逃れ長江河口から日本列島に渡って来た。
舟で直接九州南部に渡って来た人々、沿岸・半島伝いで渡って来た人々がいた。
日本列島に辿り着いた人々は沿岸伝い・島伝いで日本各地に広がって行った。

長江河口から日本列島に渡って来た人々は先住の人々と出合った。
先住の縄文人と渡来の弥生人とは互いに争わず仲良く暮らした。
縄文人と渡来系弥生人とは共生し混血し今の日本人の先祖になった。
その先祖は古墳時代人と呼ばれる人々である。

古墳時代人は朝鮮半島に進出し朝鮮半島に稲作・漁労文明をもたらした。
朝鮮半島南部は渡来系弥生人が日本列島に渡る前に通った土地である。
古墳時代人たちはその地で生き残ることはできなかった。
日本列島だけは古墳時代人の子らが安心して暮らすことが出来る場所であった。

しかしこの日本列島も日本人が安心して暮らせる場所ではなくなって来つつある。

2014年1月1日水曜日

20140101「意識」と「仏教」(平成26年元旦)――元旦の朝にあたり所感――

昨年末は老妻とともにかつてなかったほどの充実し満足した大晦日の一日であった。
今朝は5時前に起床し、これを書いている。これはフェイスブックに投稿した同じ内容のものを編集しているものである。

 日本と中国、日本と韓国の間に横たわる亀裂はますます拡大してきている。太陽活動の異変とこれに影響を受けるこの地球上の異変がそうさせているのだろうか?安倍晋三首相が靖国神社に参拝したことに対してアメリカは公式に「失望した」と発表した。この発表に対して失望し、怒りを感じた日本人は少なくない。日本人の心の問題に対してアメリカ政府が公式にとやかくいうことは大いに間違っている。

 しかし、日本人はアメリカ人に日本人の心について理解して貰わなければならない。先ず先の大戦の結果をどう受け止めるかということについて考える。アメリカは単純に「帝国主義の日本を叩きのめした、その結果日本は民主主義国家になった、広島と長崎に原子爆弾を落とし、東京他の大都市の木造可燃住宅地に焼夷弾の雨を降らせ大量の日本人を殺害したのは正義のためであった」と考えているだろう。しかし日本人は「日本はアメリカの力に屈した、日本はアメリカに敗れたのではなくて、アメリカの力に降参した」と思っている。だからそれまでのむき出しの反米感情を一変させてアメリカから何でも学び取ろうとした。日本人はアメリカ人を恨んではいない。最も親しい友人であると思っている。

世界の状況が変わりアメリカは日本を再軍備させようとした。日本は「自存」のためアメリカが日本に押し付けた憲法を無理矢理に解釈して「戦力なき軍隊」としての自衛隊を創設した。現在は日米安全保障条約のもと自衛隊はアメリカ軍とともに東アジアの安定に役立っているのみならず世界中で平和と安定の維持の為活動している。世界はアメリカ軍について「世界の警察」というイメージを抱いているが、その「警察力」をNATO・自衛隊・韓国軍などが補完している。但し自衛隊の行動は憲法が認める範囲内のものである。

日本は「自存」のため大東亜戦争に突入した。アメリカは自国の利益を確保する為当時日本が正当に権益を得ていた満洲から日本を追い出そうとし、蒋介石軍を支援した。日本はその戦争に敗れた。しかし私は日本はアメリカとの戦争に敗けて良かったと思っている。もし日本が中国と戦争し、日本人が漢民族の支配下に置かれてしまったら、今の日本は存在していないだろう。つまり縄文人と渡来系弥生人の混血の子孫である日本人はこの日本列島で現在のように平和に暮らすことはできないであろう。

「自存力」は無生物と言われるウイルスを初めとして全ての生物、生物の集団、人間、人間の団体、組織、社会、国家に至るすべての有機的存在物に備わっている力であるが、その「自存力」のゆえに人間同士は団結し、争いをし、殺し合いもします。国家も同様で自国の自存のため他国に対立し、競争し、戦争もする。

意識は人間のみに備わっているものであるが、国家にも意識は備わっている。意識が何によって生じ、そもそも意識・無意識とは何であるのかについて現代科学では未だ解明されていない。科学者たちは100年先でもその解明は困難であると言っている。しかし意識は人間や社会・国家の自存力に深く関わっている。その意識の源になるものは何処にあるかというと、それはDNAにあり、また国家や社会の伝統・文化・慣習にあるのである。

意識は知能や性格や言語などと関係がある。知能や性格などに関する遺伝子は既に発見されるので、私は意識は脳に碇を降ろして人間全体を包み込んでいるようなものであると思っている。意識はすなわち霊魂と言えるものである。意識は時空を超越し、融通無碍・広大無辺である。私たちは靖国神社参拝すれば国の為命を捧げた兵士たちと交流することができる。私たちは慰霊碑の前で戦火に散った無辜の人々の魂の叫びを聞くことがでる。

日本人の祖先は何処から来たのかということは発掘された人骨から採集されたDNAで分かっている。明らかなのは日本人の祖先は大陸で駆逐された人たちであるということである。1500年以内に日本は何度も大陸からの侵攻に脅かされたことがあったが、それ以前、日本列島は最も安全な土地でしあった。しかし21世紀の今、日本列島は安全な土地ではなくなっている。縄文人と渡来系弥生人の混血の子らである日本人はこのことを自覚すべきである。ぬくぬくと平和の夢を貪り続けていてはいけないのである。

そういうとき我々日本人が先人たちの御霊に祈り、先人たちの御霊と交流し、共鳴・共振し、「我々はこの日本列島で如何に生きて行くべきか」と自問自答する。2600年以上前から万世一系の天皇がいて神社や鳥居がある国は日本国だけある。この日本国に移住・帰化した大陸の人たちの遺伝子は500年以内に全日本人の形質のなかに完全に分散されてしまっている。戦後日本に帰化した人たちの子孫も今後数世紀も経ぬうちに皆同じ同胞になる。天皇は日本人の心の深奥の中心に無意識の中に位置しておられる。


この日本列島に住むすべての人々は対立や争いの源がそれぞれ固有に持っている自存力にあるということを知るべきである。そして私たちの子孫が未来にわたってこの日本列島で安全に平和に豊かに暮らせるように願うべきである。現に日本人はそのようにしている。そういう日本人の心についてアメリカ人に是非理解して頂く必要がある。