2016年8月25日木曜日

20160825「中華民族の偉大な復興」の本質に対処する方策(続き)


 日中韓三ヵ国外相会議で、日本の岸田外相は中国公船による日本の領海への侵入を抗議した。中国の王外相は「尖閣諸島は中国の領土である」との従来からの主張を述べた一方で、「情勢の悪化を防ぎ、不測の事態を回避することが重要」と言及した。そして日本と中国は「海空連絡メカニズムの運用開始が重要」との認識で一致した。

一方で日中首脳会談について、王外相は「中国側も検討しているが、良好なムード、環境が必要だ。客は主人の言う通りにすべきだ」と「上から目線」でものを言った。中国は尖閣諸島が明王朝の時代から中国(シナ)の領土であったと主張し、尖閣諸島は中国が弱かった時に近代化した日本から「かすめ取られた」と主張している。「中華民族の偉大な復興」のためには、中国はどうしても尖閣諸島を奪い返さなければならないのだ、と思っている。

国際法的には尖閣諸島は日本が正当に領有している島々である。中国は沖縄諸島・奄美諸島・八重山諸島も江戸時代に薩摩藩による支配の下、琉球王朝が中国の王朝に朝貢していたという事実をもって、元々中国領であったと主張し、これらの諸島を武力で占領した場合の臨時憲法まで用意している。(関連:≪関連:中国が用意している「沖縄占領憲法」(20120402) http://hibikorejitaku.blogspot.jp/2012/04/20120402-will5-httpwww.html

 肉食の猛獣が獲物を狙うように、中国は日本を「小日本」と蔑視している。中国は先ずは尖閣諸島、次にその他の諸島を手に入れるため虎視眈々として狙いつけ、もし日本側に隙があれば猛獣は直ちにこれらの諸島に襲いかかり、それを領有するため軍事力の増強を続けている。その表向きの理由は「自国防衛のため」であり、「他国攻撃のため」ではないのである。これは明らかに欺瞞である。

 野獣には人間の理性は通用しない。野獣の世界は「食うか食われるか」の非理性的な世界である。国家は「生物種」のような側面をもつ有機体である。善良でお人好しの日本人は、自分たちが2000年以上万世一系の男系皇統の天皇を戴き、和を大切に思う文化を育んできた「言霊の行き交う国」「日出る国」の民であると思っているので、日本国家が野生の動物と同じ側面をもっていることに抵抗感を持つだろう。しかし、現実の世界の国々は皆利己的である。皆それぞれ良識や理性を持っているが、野生動物たちのようにそれぞれ自存のため何らかの力、それも相手を倒す力(arm)を重要視している。自国一国では大きなarmを持てない場合、他国と団結して敵に自分たちのarmを大きく見せようとしている。

 日本の自衛隊は「Self Defense Force」である。「Armed Forces」、つまり軍隊ではない。このことを日本国民は認識すべきである。「Armed Forces」は、時に人間同士が殺し合う力になる。日本人は先の大戦で徹底的に痛めつけられた。そのトラウマから未だ抜け出せないでいる。解散したSEALDsはそういう心理状態が産んだ市民運動であった。理想主義者が集まっている旧民主党(現在の民進党)の政治家たちも同様である。

 日本人がそういうトラウマから抜け出し、日本国の自主独立のための軍隊、Armed Forcesを保有するならば日本はアメリカと対等の立場でアメリカと同盟し、隙あれば日本の領土をかすめ取ろうとする国を力ずく(Arm腕力)で牽制することができるであろう。

 日本人の目覚めと適正なレベルの軍事力の保有こそが、「中華民族の偉大な復興」の本質に対処する最善の方策である。自衛隊は実質的に軍隊であると思われているが、国際的には未だ軍隊の体を為していない。自衛隊が国防軍となり、陸上自衛隊が陸軍(Army)、海上自衛隊が海軍(Navy)、航空自衛隊が(Air Force)となり、水陸機動部隊が海兵隊(Marine)となれば、自衛隊(Self Defense Force)は国際的にも軍隊(Armed Forces)と認められことになり、敬意を表せられることになるのである。一方で、恐れられ、警戒される、という側面も同時に持つことになるが・・。しかしそれは友好国に対しては外交力で補うことが出来る。

 これを聞いて左派の人たちも民進党・日本共産党らの政治家たちも嫌悪され、「あいつは極右だ」と思われるだろう。しかし冷静に考えれば、これは真正保守派の主張である。日本が野獣性を持つ国家から侵略されたとき、初めて目覚めるようではもう遅いのである。



2016年8月24日水曜日

20160824「中華民族の偉大な復興」の本質に対処する方策


村井友秀・東京国際大学教授は産経新聞で、中国公船が尖閣諸島の領海に繰り返し侵入している状況について、中国は“国内問題を国内で解決できなければ、国内問題を国外に転嫁する道が残っている。国内改革は利益を得る者と失う者を生み国内を分裂させるが、外敵の脅威は政府が不人気であっても国内を団結させる。そのために中国は東シナ海と南シナ海に出てきたのである。これが「中華民族の偉大な復興」の本質である”と言っている。

 この見解は大方の識者が共有しているものであろう。しかし、そこが中国の付け目かもしれない。中国は尖閣諸島に領土問題がある、と世界中に認識させるためにあのような行動をとっているのではないのか。多分、政府もそのように見ているに違いない。政府はその上で中国の手に乗らないための方策をとり、実行している、と一市井の老人は思いたい。

 急進派は現状に歯ぎしりし中国に一発噛ませてやりたい、とストレスを高めている。今、いろいろな派に分れている志士たちは、日本の領土・領海・領空・シーレーンなどにおいて、日本がある危険な状況に追い込まれたとき、初めて大きなグループにまとまるだろうか?ここで言う「志士」は前回投稿した記事の「志士」である。

 政党に対する支持について、私は基本的に自由民主党支持者である。しかし、市井の無名の一老人は、どの政党も利権に結びつきやすい脆さを持っていると思っているので、下記の項目を理念の要素としてもち政策に反映させる政党であればその政党を支持し、草の根の広がりを持たせるような動きをするだろう。空気はそのようにして広がってゆく。そのような空気を読めない石仏のような政党指導者や政治家は必ず失敗するに違いない。

 かつて安全保障法案に対する反対派は、国会前集会で「安倍は人間じゃない。たたき斬ってやる」と叫んだ某大学教授がいた。安全保障関連法案に反対する市民団体が主催した8月30日の国会周辺の集会には、民主党の岡田克也代表ら野党幹部のほか、法政大の山口二郎教授や音楽家の坂本龍一氏、学生団体「SEALDs(シールズ)」のメンバーらが参加し、安倍晋三首相を「安倍」と呼び捨てにしながら、「戦争法案反対」「安倍政権打倒」などと訴えた(産経ニュースから引用)。そのSEALDsは解散してしまった。彼ら「志士」たちは、次はどこに自分たちの自己実現のエネルギーを向けるのだろうか?

 <一市井の無名の老人の政治観>
  「自由」
  「民主主義」

  「義務と責任」
  「自由と規律」
  「最大多数の最大幸福」
  「社会的弱者への慈愛と救済と自立への支援」
  「自助と共助と公助のバランス」
  「待機児童解消」
  「職業婦人であっても安心して子供を産むことができ、育てることが出来るような社会の実現」
  「‘手に職’を持たせる職業訓練に対する公的援助の充実(生きる力を持たせる)」
  「‘丈夫な身体’と‘強固な意志’を育てる公的援助の充実(生きる力を持たせる)」
  「高等教育まで無償化の実現」
  「再生可能エネルギーへの転換促進」
  「特に利権に絡むような情報の公開」
  「高度通信情報化と社会的秩序の維持」
  「歴史と伝統の尊重」
  「自主憲法制定」
  「国防陸海空軍及び国防海兵隊の創設」
  「潜在的攻撃能力を含む先制攻撃力を有する自主防衛能力の保持」
  「カルデラ噴火を含む想定外巨大災害への備え」
  「民間の能力も活用する徹底的治安の維持」
  「男系皇統の維持」
  「夫婦別称を公文書上認めるが家族制度上は同一姓維持」
                             等々


2016年8月22日月曜日

20160822「志(こころざし)」を持つ「士(ひと)」


 昔、表題の「志士」は、天下国家の事について特定の思想をもっていて自分の命を懸けて行動する人のことである、と一般的に思われていたと思う。「士」について辞書を引くと、古訓では「ヲトコ・ヲノコ」などと出ており、名のりでは「ひと・まもる」などが出ている。現代的に考えれば、「志士」は正にある志を持って行動する人々のことであろう。

 従い「志士」のグループを色分けすれば、右派も左派も真正保守派も是々非々中道派も、また一匹オオカミ派も居ることになる。こういう色分けの中で自分自身はどうかというと、私は真正保守派ということになる。また、そうあるべく時々気に食わぬ記事が出ていたり、他の新聞が報道していることを敢えて報道しなかったりしている朝日新聞を今月から購読している一方で、インターネットを通じて産経新聞の記事を読んだり、右派と思われる執筆者の記事を読んだりしている。

 そういう中で「天皇制は嫌いだが天皇は好きである」という内容の記事に出会った。戦前兵隊の士気を高めるため「海行かば」のメロディーが流れていた。この歌詞は『古事記』に出ている内容とは全く違った意味で使われていた。それを推進した「意思の集まり」はその「天皇制」と言われる彼らの言う「制度」のもとに動いた、上述「志士」たちによるものであったであろう。「制度」は「組織の力」の「発揮」の根源であるから、その言葉を安易に用いてはならないのである。

 世の中を動かすのは「志士」たちである。しかしそれは最も正しい民主制度の中で普遍的に了解されるべきことである。その原則をしっかり踏まえた上で「志士」たちの行動が一般に受け容れられるのが正しい在り方である。その為には徹底した「自由と民主主義」思想のもとに、徹底した「情報の公開」が「当たり前」の文化が醸成されている必要がある。

 しかし、如何にそのような文化が熟した社会であっても、「志士」の言動に対しては必ず何処からか「反発」が出て来る。そのような「反発」が全く出ないような言動は全く無いに違いない。「志士」はそのような「反発」を恐れていては自分の「志」は達成されない。

その場合、「大義」は社会の中の大勢の意識的・無意識的な動向にある。そのような動向は常に移ろうものであるから、「気」を読むことにおいて頗る敏感であることが重要である。社会の中の大勢の意識的・無意識的な動向が我に利ある場合、「志士」はその「志」を社会に訴え、己の「志」の正しさを社会に認めて貰うようにあらゆる努力をしなければならない。

私は「日本会議」という組織のホームページを見ている。左派に属している人たちはこの「日本会議」という組織を警戒している。しかし私は「日本会議」のホームページに書かれている次のこと(以下“”で引用)は全く正しいと思っている。

“私達「日本会議」は、美しい日本を守り伝えるため、「誇りある国づくりを」を合言葉に、提言し行動します。”

“綱領
 一、我々は、悠久の歴史に育まれた伝統と文化を継承し、健全なる国民精神の興隆を期す。
 二、我々は、国の栄光と自主独立を保持し、国民各自がその所を得る豊かで秩序ある社会の建設をめざす。
 三、我々は、人と自然の調和をはかり、相互の文化を尊重する共生共栄の世界の実現に寄与する。”

 ペンの力で社会を変えようと考える「志士」たちも、自分自身の生活の糧を得るため敢えて大衆を扇動するような文言を書いている人が居るに違いない。我々はそういう人たちの「大きな声」に騙されてはならない。今後「日本会議」を潰そうとして、新聞・テレビなどメディアや著作や大学・高校等における左派の教師の活動を通じて、結果的に某国による反日本的思想戦の展開を援けるような動きが起きることがないかどうか、市民目線レベルでの警戒が必要である。

 一方で、あたかも「日本会議」派の者であるように振る舞いつつも私利私欲に走り、有力者顔をして自分に盾突く者を威嚇し、そのようなことができる手段を手に入れるためいろいろな尤もらしい理由をつけて情報公開を妨害するような人物が必ず存在する。そのような人物に対しても市民目線レベルでの警戒が必要である。

 心が正しい政治家は、社会の中の大勢の意識的・無意識的な動向にある「大義」を味方に、あらゆる情報手段を用いて私利私欲のため行動するような人物を排除するように行動するだろう。東京都知事に選ばれた小池百合子氏はそのように行動する政治家であるかどうか、日本中の非常に多くの人たちが注視しているに違いない。

 情報通信技術が高度に発達しつつある日本の社会では、政治は常に正しい方向に向かうと考えられる。マスメディアを使って如何に巧妙に自分への支持を広めようとしても、天皇を戴く日本の社会では「大義」に背く言動を行う「志士」は自然に淘汰される運命にある。「中庸」が一番である。安岡正篤『易学講座』(致知出版社)にはそのことが説かれている。



2016年8月1日月曜日

20160801都知事選の結果について思う


 昨日は家内と新宿御苑に行った。午後にはパラパラと雨が降ったが、公園の中には樹齢100年以上の木々が茂っており、その下でしばしの雨宿りが出来た。中国や韓国や欧米からの観光客がこの公園に沢山訪れているが、彼らも同じようにしばしの雨宿りをしていた。

 昨日は都知事選があった。小宮氏百合子は立候補に当たって与党の自由民主党の推薦を受けることができなかったが、小宮氏が他の候補を百万票以上引き離して当選した。有権者は既成政党に「ノー」を叩きつけた。与党のみならず野党の支持者からも大量の票が小宮氏に投じられた。この現象は国政選挙でも起きることだろう。政党は国民が政治に望んでいることをキャッチし、その政策を実現させるため具体的な方策をもっていなければならない。政治家は国民が何を望んでいるのか、その空気を正確に察知し、己の志を立てなければならない。重要なのは個人の願いであって、団体のイデオロギーではない。

 この度の選挙では、SNSにより一般庶民の発言が活発であった。支持政党を基盤とする増田寛也氏・鳥越俊太郎氏はそれぞれの支持政党の支持者らがSNS発信のキーパーソンになったようであるが、小宮氏の場合は支持政党を持っていないからSNSで発信された情報は民意を多く反映したものであったと思う。

 増田氏を応援した自由民主党の幹部は、民進党や日本共産党が応援する鳥越氏を抑えるため頑張ったのであるが、敗北の責任をとって辞任すると言っている。これは武士が切腹をすることと同じである。安倍総理は小宮氏に密かに「おめでとう」と言うことだろう。是非そうするべきである。こうして小宮氏は自由民主党との関係を修復することだろう。

 マスメディアもこれからは一般大衆がSNSによる情報発信を行うことに気を使わざるを得ないだろう。従前のようにジャーナリストやTVのディレクターが、もし「上から目線」で一般の大衆を導いてやろうなどと考えるならば、必ずしっぺ返しを喰らうだろう。

 一方で、社会のありかたに関し、誰でも自分の意見や考え方を公表することができるような文化が発達することが望まれる。例えばどの町でも村でも公共の演説広場が一つや二つあって、其処で時間や方法など一定のルールに従って、定例的に誰かが演説することができ、その状況が広く知れ渡るような仕組みがあれば、政治家は何を志すべきか、政党はどういう政策を立てて有権者に訴えるべきかなど、よりはっきりしてくるだろう。

 このようにして日本における民主主義は高度に成熟し、日本はますます素晴らしい国になることだろう。女系天皇の実現を企んで蠢く勢力は抑えられるだろう。日本は男系の天皇が維持されることによって、安定した民主主義国家であり続けることができるのである。

 初の女性知事として東京都知事になった小宮氏が為さなければならない喫緊の課題は、保育所・幼稚園への待機児童を無くすことであある。また、女性が安心して子供を産むことができるような環境を創り上げることである。そのためには資産家から高額・大量の寄付を集め、それをそのような行政のために使うことができるようなシステムを構築することである。

 日本共産党などは弱者を救済するというスローガンを掲げて、党勢の拡大につなげよと試みている。彼らは資産家や大企業を憎み、これらに高い税を掛けることを主張している。同じ目的でも資産家や大企業が受け入れやすい方法で、児童福祉・高齢者福祉・障害者福祉の増進のための資金を確保することができる筈である。

 小宮氏には自由民主党が大企業や資産家との間のしがらみのためできないことを、知恵を絞って、全く別のやり方で大企業や資産家に協力させることを実現して貰いたいと思う。小宮氏に期待したいわゆる無党派層の人たちや、民進党・日本共産党支持者たちは、小宮氏がそのようなことを実現して貰いたいと思っているのではないだろうか?