2018年11月4日日曜日

20181105「往還回向由他力・不断煩悩得涅槃」




表題の二つの句は親鸞聖人が作られた七言絶句の詩『正信偈』の中にある。私は、この二つの句こそ、仏教の真髄であると思っている。

往還回向由他力(Ōgen Ēkō Yūtāriki )。この意味は;
「極楽浄土に生まれる原因も結果も、極楽浄土に往くことも其処から還ってくることも、全て阿弥陀如来のお力に由るものであるから、ただひたすらに阿弥陀如来への信心を勧めるものである。」(Both the cause and the result born in the paradise, as well as the return to the paradise and returning from the place are all due to Amitābha Buddha's power, so it is only to suggest faithfulness to the Amitābha Buddha.)

不断煩悩得涅槃(Fūdan Bonnō Toku Nēhan)。この意味は;
「阿弥陀如来への信心がひとたび起きれば、悩みを断たなくても涅槃を得て救われる。」(Once faith in Amitābha Buddha occurs, you can save nirvana and save you without having to stop worrying.)

『正信偈』には、次の句もある。私は「神通力」を実感することが度々ある。しかし、それは「これが神通力だ」と感じないかぎり、起きた現象はその人にとって何の意味もないものである。私は、宗教とはそのようなものであると思う。

「遊煩悩林現神通(Yū Bonnōrin Gen Jindū)。この意味は;
「生死の園に居ても神通力を現す。」(It is in the garden of life and death and reveals the tremendous power.)

 さて、私は20093月以来毎月投稿し、公開している詩吟の吟詠のブログに、福田蓼汀というお方の次の詩の吟詠を投稿した。作者福田蓼汀は明治38年(1905年)に生まれ昭和61年(1988年)に他界された山口県萩市出身の俳人で登山家である。この詩文中の「往還の去来」とは「往還回向由他力」の教えをそのまま表現されたものであろうと理解される。

『野の仏』福田蓼汀

追分や泉のほとりの一樹の下に
秋風を聴き時雨に濡れ雪に埋れて
春遠からじと合掌し落花を浴び
蝉しぐれを迎え傾くは傾くままに
欠けたるは欠けたるままの姿で
じっと静止している石の仏
年月も文字もなく風化するまま往還の去来
盛衰の人の世を見守っている
野の仏には虚飾なき人間の願望や
慈愛の情が込められている
社会の変転現象を越えた誠の象徴のように懐かしい


2018年10月11日木曜日

20181011終章(「日本民族の未来」への私の最後の思い)―― 『古事記』を読む ――



先日、北海道大学がプレスリリーズした「群れをなすメリットがコハナバチの社会進化を導く」という研究報告は注目に値する。その要点は、“働きバチが子を産まず母の子を育てる「真社会性」の進化に、血縁利益はほぼ貢献しないことを解明。・・・親という血縁者を通してワーカー(働き蜂ハチ)内にある利他行動の遺伝子が次世代に伝わる・・・社会性の進化の理由として、群形成のメリットが大部分を占めていることが示された・・・他の真社会性生物でも同様の測定を行い、社会性の進化に対して、群効果と血縁効果の相対的重要性を評価することで、ヒトを含め、社会性(=協力)が進化する理由への一般的回答が得られることが期待される。”である。

 このことは出来るだけ多くの人種との間での混血が進んでいる社会は自然に「利他行動」が発現されるに違いない。日本人は多様性に富み、一人一人の日本人は様々な思想・信条を持っているが、「群れ」に忠実である。日本の場合、徳川幕府消滅前後以降および前の大戦に敗戦以降の著しい社会進化は、日本人の生来の「利他行動」によるものではないだろうか?日本人は多くの人種が混血している単一民族国家である。アメリカ・中国・ロシア・EUも多くの人種が混在し、その内部で混血が進んでいる。ブラジル等中南米諸国も同様である。これらの国々・地域内では「群れ」行動を通じて社会性が一層進化してゆくことであろう。

国立遺伝学研究所などの研究チームは10日、旧石器時代から江戸時代までの100人以上のゲノム(全遺伝情報)を解析するプロジェクトチームを始めると発表した。・・・プロジェクトは今年度から5年間で行う。・・・国立遺伝学研究所の斎藤成也教授(人類進化学)は「日本列島に住み始めた人々の起源や文化に一歩でも迫りたい」と意気込む (今年912日付読売新聞) 日本人は何処から来て何処に行くのか。一筋の光が見えて来ることだろう。

 ヒトを含む全ての生物は生存と自己保存を目指す。日本人の集団も例外ではない。むしろ日本人は意識的にそれを目指すべきである。さもないと日本人も何かの環境の変化により、ヒトという生物として生き残ることが困難になる。戦後の日本人は戦勝国アメリカの武力に依存しすぎていて「(日本人として)生き残る」という意欲に欠けていた。幕末、日本人は生き残るために何をしたか?日本が西欧列強と肩を並べるほど力を付けた後、日本人は国の為、アジアの解放のため戦ったではないか? 朝鮮を近代化したではないか?

 色々な経験を経て日本民族は急速に進化し続けている。その源は何だろうか?考えられることは;①利他行動、②国際法の順守、④礼節をわきまえること、③理性的行動(歴史的な事実を歪曲しない。感情に走らない。他国・他の国民に対して非礼な言動をしない。)、⑤創意・工夫の精神、⑥辛坊・忍耐の精神、⑦切磋・琢磨の精神、⑧天皇を大切に守って来た国民性、⑨日本人皆同胞の意識、などが挙げられる。
 
法律の改正により今後日本に永住する人が増えるであろう。一方、法律により永住権を得ている特別永住者の数は日本人との結婚等により徐々に減ってゆくことであろう。それらの永住者・特別永住者は数世代後には皆日本人になってゆくことだろう。混血は2のn乗(nは世代数)で広がって行くだろうから、将来皆血が混じり合い同じ日本人になる。日本国籍を取得した人は皆日本民族の一員となり、古来の日本の伝統・文化を大切に思うようになるだろう。必ずそうあるべきであり、私はそのように期待している。

 東アジアの情勢は安定の方向に向くのか?或は150年前に似た状況に戻るのか?「日出る国ニッポン」「東洋の光の国ニッポン」は前の大戦で言語に絶する悲惨な目に遭ったが、先人たちの意識(=量子のはたらき=魂)が我々を見守って下さったから見事に蘇ったのだ。全ての日本人よ、「祖霊」の存在を意識し、「祖霊」に感謝しよう!

 現代は余りにも情報の量が多すぎて、『古事記』・『万葉集』など大事な古典に対する関心が低いように思う。『古事記』と『万葉集』は、全ての日本人の魂の拠り所となる物である。少なくともこの2冊の古典だけは、学校で家庭で職場で事あるごとに話題にされるようになることを願う。これを以って“『古事記』読む”シリーズを締めくくることとする。(終り)


2018年10月4日木曜日

20181002日本人の特性 ―― 『古事記』を読む ――


 日本人の特性について考える。日本のある企業が外国である事業を請け負って完成させ、納入したとする。その後その納入物に大きな問題が起きたとする。この場合もし日本人なら起きてしまった問題の解決のため、その企業・日本政府と共に何かしようと考えるだろう。其処には日本人が共有している「恥の文化」と「同胞意識」がある。

 かつて日本は、アメリカと戦争をしているとき、軍部は「鬼畜米英」というプロパガンダ用語を用いて国民を鼓舞していた。その当時、国民はアメリカ空軍による無差別絨毯爆撃で家族や近所の人たちを失っていた。そのプロパガンダはそのような悲惨で異常な状況の中で国民の気持を外に反らすため用いられていたと考えられる。もし当時、SNSが発達していたらどうであっただろうか?日本人は反米感情をあらわにし、アメリカ人を獣や家畜扱いにしてののしっていただろうか?私は決してそうは思わない。

 私の見解では、日本人は自らを獣や家畜同然のレベルまで下げてものを言うようなことは決してしないだろう。古来、日本人には「恥の文化」が根付いている。日本人は自分が死んだあと、辱めを受けることを決して望まない。其処には、日本人には「前世・現世・来世」という「三世輪廻の宗教観」が根付いている。古代インドで生まれ、古代中国で継承されたたが衰退し、日本で発展した仏教思想が日本人の精神を形成している。更に日本では、古代の朝廷による政治を引き継いで、中世から近代にかけての武家による政治が行われた。その間一貫して古代中国の思想が学ばれていた。その中には陽明学と言う、ある意味「実用の学」も含まれていた。こういうことが日本人の特性を形成していると考えられる。

 津田左右吉著『古事記及び日本書紀の研究』(毎日ワンズ)に “いろいろの事情にも助けられて、皇室は皇室として長く続いてきたのであるが、これだけ長く続いてくると、その続いてきた事実が皇室の本質として見られ、・・・皇室を未来にも長く続けさせようという欲求が生ずる。・・・長く続くようにしなければならぬ、ということが道徳的義務として感ぜられるようになる。・・・神代の物語は皇室の由来を物語の形で説こうとするものであって、その中心観念は、皇室の御祖先を宗教的意義を有する太陽として日の神とし、皇位(天つ日嗣)をそれから伝えられたものとするところにあるが、それは政治的君主としての天皇の地位に宗教的性質があるという考えと、皇位の永久という観念とが、含まれている。とある。皇室は、全ての日本人の実家のようなものである。心の拠り所である。日本人が高い品性を保ち得るのは正にこの事実によるものである。

 その背景には、日本人の先祖が約16000年前から約3000年前までの13000年間も続いた縄文人であること、そして約3000年前以降、大陸からの渡って来た人々と縄文人が混血して原日本人になったことが十分考えられる。四囲海に囲まれ、深い森林のなかで狩猟・採集の平和な暮らしをしてきた縄文人の精神文化を水平軸の文化とすれば、闘争を経験した稲作・漁労の民である渡来人の精神文化は垂直軸の文化と考えることが出来る。原日本人の精神文化はその両軸のベクトルの合成であると考えることができる。其処には自ずと「恥の文化」を生む秩序と、広大な大自然の中で協力し合う「同胞意識」と、大自然と共に生きてきて培った「前世・現世・来世の三世輪廻の宗教観」を生む素地があったのである。

吉田敦彦著『日本神話の源流』(講談社現代新書)に“日本神話が世界の諸民族の神話と比較されるようになって・・・わが国の古典神話が、ポリネシヤやミクロネシア、インドネシアなど、南太平洋の海上に浮かぶ大小の島々の原住民の・・・神話と、きわめてよく似た話を数多く含むという事実であった”とある。日本人と東南アジア人の間の親近感の源は其処にある。アメリカ軍太平洋艦隊司令長官ニミッツ元帥が称賛したペリリュー島守備隊の日本軍人のこと、戦いが終わり帰島直後の島民が無数の日本軍人の屍を見て何を感じ、何をし、現在パラオ・ペリリューはどのようにあるかということを知るには、この神話の類似性のことを頭に入れるべきである。

『古事記』の「上つ巻」と『日本書紀』の巻第一神代上及び同下の神話は、スンダランドから日本に渡って来た「南回り縄文人」の先祖が語り継いだ話であるに違いない。その話は南太平洋の島々の原住民の先祖に語り継がれたものと同じ類に違いない。『古事記』は日本人向けに書かれ、『日本書紀』は中国人と日本人向け書かれた歴史書である(竹田恒泰著『古事記完全講義』)

その『古事記』に日本独自の神話が書かれている。それは皇室の氏神・日本国民の総氏神であられる天照大神が「天の岩屋戸」にお隠れに成られたときの話である。
①天兒屋命(あめのこやねのみこと)は祝福の祝詞を申し、腕力の強い神様・天手力男神(あめのたちからをのかみ)が岩屋戸の脇に隠れて立った。
②天宇受賣命(あめのうずめのみこと)は天の香山のサガリゴケを手次(たすき)に繋(か)けて、ツルマサキを髪飾りにして、天の香山の小竹葉(ささば)を手に持ち加減に結び束ねて、天の岩屋戸に空っぽの入れ物をうつ伏せにして蹈(ふ)み轟(とどろ)こし、神懸かりして、胸乳をかき出(いで)裳緒(もひも)を陰(ほと)に押し垂れた。
 (アメノウズメノミコトは天の岩屋戸の前でとんとんと足を踏み鳴らして恍惚状態になり、素っ裸になって、手にした一枚の布を自分の陰部に当て、ストリップショーをした。)
③高天の原が動(とよ)んだ。
④八百萬の神は皆大笑いした。
⑤天照大神は怪しいと思って、天の岩屋戸を少し開いてみた。(後略)    (続く)   
    

2018年9月25日火曜日

20180925日本人の進化の原動力 ―― 『古事記』を読む ――



 小笠原の南に南硫黄島という無人島がある。その広さは皇居の約1.5倍で、最高標高は916mである。先般この島に関する学術調査が行われ、コダマ(木霊)というカタツムリの一種について調査が行われた。カタツムリは世代交代が早いので進化の過程を調べる上で好都合な生物である。そのコダマは北海道に生息している生物であるが無人島の南硫黄島で発見された。これは恐らく野鳥の身体に付着していたものがその島で地面に落ちて進化したものであろうと考えられている。その島では亜熱帯の低地・雲霧の中高地・温帯の高地ごとにそれぞれ進化したコダマが発見され、DNAの調査のため採集された。この研究成果は地球上のすべての生物の進化の原動力となっている遺伝子の発見につながるかもしれないと期待されている。

 ヒトと呼ばれる人類も進化の過程にある。日本人は縄文人・渡来人・帰化人の血が長い年月の間に入り混じった人種であり、現在も日本人と世界各地の人々との間で混血が続いている。今後50世代も経れば、日本人の容貌・体躯・諸能力等は現在とかなり違ったものになっているだろう。アイヌの人々は縄文人の子孫であるが、縄文人の血を引く現在の日本人とは遺伝子の一部に大きな違いがあることが分かっている。そのアイヌの人々も50世代後にもなれば、多分純粋なアイヌの人々は居なくなっていると考えられる。

 混血と言う意味では、異なる人種の種類が多いアメリカや中国やロシアも同様であろう。多くの人種の混血が進行している国は、国家として一つにまとまっていて安定が続く限り益々強い国家に進化して行くに違いない。一般的に言えば、進化の過程で後発の生き物は、それ以前に分岐した生き物より自存力が強いと考えられる。縄文人を先祖にもつ日本人は縄文人より後に分岐した人々と混血しているので自存力が強いと言えるのではないか?

古代に縄文人と渡来人の混血していた日本人は、古来自国が「小国」であるという意識は無かったし、これからもその意識はないだろう。聖徳太子から古代中国の隋の皇帝に宛てた手紙には「日出る国の天子日没する国の天子に書を致す。恙なきや」と書かれていた。古代日本の朝廷は古代の中国朝廷に対して歴史書『日本書紀』を示して、日本の国名を「倭国」から「日本」に変更させた。寛仁3年(1019年)に刀伊(女真族の一派とみられる集団を主体にした海賊)が対馬・壱岐を襲い、さらに筑前(福岡)に侵攻した時も、文永11年(1274年)と弘安4(1281)の二度にわたり当時の中国の元王朝の大軍(大艦隊)が対馬・壱岐を含む北九州に侵攻してきた時も、また応永26年(1419年)に李氏朝鮮軍が倭寇討伐を名目として対馬に侵攻してきた時も、当時日本の武士たちがこれらに対処し、これらを撃退している。勿論台風・台風接近と言う天祐もあった。日本は近現代においても強大な国々と戦争をした。日本人は古代から自らの国を「小国」と思っていないのである。

日本人にとって大事なのは日本を取り巻く様々な状態である。日本人は自分自身を他の国の人々と比べることにあまり興味はない。明治天皇は、「四方の国、皆同胞と思う世に」と歌を作られた。笹川良一は「世界は一家、人類は皆兄弟」と言った。国際連盟を立ち上げる時、人種差別撤廃を主張したのは唯一日本であった。

日本人は無意識のうちにそういう心を表している。これが日本人の特質であり、日本人が進化を続ける原動力となっているものである。この原動力は日本による韓国併合後の朝鮮半島の近代化と経済振興策の実行・台湾の統治・東南アジア諸国の解放と統治・パラオなど南洋諸島の統治において発揮された。戦後の日本人はそのことを忘れていたが、台湾・東南アジア諸国・パラオなどの南洋諸国の人々から逆にそのことを思い出させられている。

日本人はなぜこのようにあるのか? 私は、それは『古事記』・『万葉集』にその答えがあると考えている。戦後の日本人は精神改造を強いられた。私が小学校2年生のとき、教科書は書かれていた内容の一部が黒塗りだった。しかし今の日本人は強制されずとも、或いは「遠ざけよ」と言われても、心の何処かで『古事記』・『万葉集』に何か親しみを感じている。何故ならそれらの書物は日本人の心を素直に映し出すものであるからである。

竹田恒泰著『古事記完全講義』の一節に“今、日韓共同で、歴史認識を統一させようと作業部会が開かれていますけれども、もう毎回大喧嘩。血を流すほどの喧嘩をして、全然歩み寄りが出来ないんです。日本人が口を開くと、韓国人が「ふざけんなぁ!」「侵略者ぁ!」となりますし、韓国人が何かを言うと、日本人は「そんなの認められるかぁ!」「史実と異なるだろう!」とか言って平行線なんですよ。・・・・ウソじゃ無かった出雲の無血国譲り・・・・世界的にも例がない‘話し合い’で生まれた統一国家・・・・「好きな神様を拝んでいいよ!」が無血統一のキモ”とある。縄文人と渡来人とが混血していた人々の王国・出雲は、同じく縄文人と渡来人とが混血していた人々による大和王権と話し合って、それぞれの精神文化を認めあうことで平和裏に大和王権の支配下に入った。この水平的な協調の精神は、約16000年前から役3000年前まで続いた縄文時代に培われたものであるに違いない。

出雲王国が大和王権の支配下に入る時、出雲王国側からの要求により、巨大な神殿が建設された。近年その遺構が発見された。その建築物の高さは48mであったことが推定されている。この巨大な神殿は大和王権側からの提供されたものである。『古事記』には大国主神が次のとおり大和王権側の使者に伝えたことが書かれている。
① この葦原の中の国は、天照大神の大御業を受け継ぎになるお方に献上します。
② ただ私の住処として壮大な宮殿を作って下さるならば、私は神々の先頭に立って、またしんがりとなって、神々を統率します。(続く)


2018年9月9日日曜日

20180909三つの型の「何でも有り」の国々 ―― 『古事記』を読む ――



日本は、“「何でも有り」”しかし「群れに従順」の国である。
アメリカは、“「何でも有り」しかし「○○を忘れるな」の言葉で団結”する国である。
 「○○を忘れるな」の「○○」は「メイン号」・「アラモ」・「真珠湾」である。
中国は、“「何でも有り」しかし「皇帝が必要」”な国である。

上記三つの「何でも有り」の中身はそれぞれ根本的に違っている。日本人の先祖は遠い昔多くの人種が混血したため今の日本人は非常に多様なDNAを持っているが、国家としては2678年前に神武天皇が即位して以来男系の皇統が続いている単一民族の国家である。アメリカは白人・黒人・ヒスパニック・ネイティヴアメリカンなど多くの人種から成り立っているが、国旗・国歌・大統領選挙・合衆国国立墓地などの象徴により“アメリカ人”としてまとまっている。大多数の漢族の他に55の少数民族が存在している中国は、中国共産党が一党支配している“中華民族”の国家である。中国では歴史的にモンゴル族や満州族の皇帝が存在していたが、現在は中国共産党の代表者が“皇帝”の役割を担っている。

『古事記』・『日本書紀』を深く学べば、日本人にとって天皇の存在が如何に重要であるかわかる。戦後、日本人は自らのアイデンティティを見失っていた。竹田恒泰著『古事記完全講義』に“「茹でガエル症候群」()。要するに‘百年殺しの刑’をかけられたんですよ、日本は。・・・中国人向けの『日本書紀』日本人向けの『古事記』”とある。

私は、『古事記』の「上つ巻」内容の大部分は神話の物語であるが、物語の一部には実際にあった事が象徴的に語られていると考えている。(下記⑬以降は、一部私の想像を含む。)
①火照命(ほでりのみこと)。火照命(ほでりのみこと)は隼人阿多君の祖である。
②火照命(ほでりのみこと)は海幸彦(うみさちひこ)として、鰭(はた)の廣物、鰭の狭物を取った。
 海幸彦とは海の獲物を得る男のことである。鰭とは海の大小の魚のことである。
③火遠理命(ほをりのみこと)山幸彦(やまさちひこ)として、毛(け)麤物(あらもの)、毛(け)の柔物(にこもの)を取った。山幸彦とは山の獲物を得る男のことである。「さち」は道具で、山幸は弓矢、海幸は釣り針を意味する。
④ホデリノミコト(海幸彦)は兄、ホオリノミコト(山幸彦)は弟である。
⑤海幸彦と山幸彦は兄弟喧嘩をした。
⑥海神・ワタツミノカミ(綿津見神)は山幸彦に「兄が高いところにある乾いた田を耕すときは、お前は低いところにある湿潤の田を耕せ。兄が低いところにある湿潤の田を耕すときは、お前は高いところにある乾いた田を耕せ。わしには水を扱う力があるから乾湿如何様にも出来るのだぞ。だからお前の兄は3年の間に必ず貧しくなるのだ。もしお前の兄がお前に何か悪いことをしたら、わしは潮の満ち干を加減してお前の兄が苦しむようにしてやる」と言った。
⑦兄・海幸彦は降参した、そして海幸彦の子孫である隼人族は弟の子孫に代々服従するようになった。(つまり隼人族は朝廷に代々仕える身分になった。)
⑧海神の娘・トヨタマヒメ(豊玉毘賣命)は、山幸彦に出会い、その神々しさに打たれ、父・ワタツミノカミにそのことを報告した。
⑨ワタツミノカミは山幸彦が天の神の御子であると確信し、自宅の客間をアシカの皮などを敷き詰め、飾りつけをして山幸彦を迎え入れ、丁重におもてなしをし、娘・トヨタマヒメを山幸彦と結婚させた。
3年後トヨタマヒメは天の神の御子ホオリノミコト(山幸彦)の子供を身ごもり、一人の御子(アマツヒコヒコナギサタケウガヤフキアエズノミコト)を生んだ。
⑪ホオリノミコトは高千穂に宮殿を建て、其処に住み亡くなった。その御陵(お墓)は高千穂の山の西にあり、宮内庁が管理している。
⑫アマツヒコヒコナギサタケウガヤフキアエズノミコトとトヨタマヒメの妹・タマヨリヒメ(玉依毘賣)の間に生まれた子供の二男が初代神武天皇となられたカムヤマトイワレヒコである。
⑬約6300年前に起きた鬼界カルデラ大噴火により、鹿児島県上野原縄文遺跡にみられる「黒潮の民」の文化は壊滅的な被害を受けたが、その中で生き残った人々の子孫は海幸彦として象徴されている。
⑭「黒潮の民」は遠い昔スンダランドから海を渡ってやって来た人々である。彼らは丸ノミ石斧製造・造船・航海・漁労の技術を持っていた。
⑮縄文人と渡来系弥生人が混血した人々の長が山幸彦として象徴されている。渡来系弥生人は約3000年前に日本に渡って来た長江中流域の稲作漁労民を先祖とする人々である。
⑯渡来系弥生人の先祖は北方から良い暮らしを求めて南下してきた畑作狩猟民から圧迫を受けたが、日本に渡って来た時既に青銅製の剣など北方の文化に染まっていた。
⑰渡来系弥生人が日本にやってくる前に、長江河口付近で漁労に従事する人たちが居た。彼らは舟で沖に出るとき食料として米を携行していた。彼らは時に嵐に遭い、沖縄や鹿児島に漂着して其処に住みつき「黒潮の民」の血を引く縄文人との間に子孫を残した。その子孫の長が海神・ワタツミノカミ(綿津見神)として象徴されている。
⑱「黒潮の民」は日本各地に散らばり、その土地の人々との間に子孫を残した。彼らは海神族としてワタツミノカミを祖霊神とした。
⑲海神族は応神天皇三年十一月に安曇野連の統率下に置かれた。安曇野連の先祖は上記⑰の「黒潮の民」の血を引く縄文人との間の子孫の有力者である。
                                   (続く)
 

2018年9月6日木曜日

20180906原日本人の形成 ―― 『古事記』を読む ――



 安田喜憲著『古代日本のルーツ 長江文明の謎』に畑作牧畜民が作り上げた文明は、森を破壊し、闘争的で、・・・森から生まれた稲作漁労文明は、自然の再生と循環を重んじ、・・・長江文明をつくりあげた稲作漁労民は、畑作牧畜民のように争いを好まなかった。・・・中国の長江文明と日本の縄文文明の間に交流はあったのか。・・・三内丸山遺跡や縄文時代前期の福井県鳥浜貝塚から発見された鹿角斧は、長江流域の河姆渡遺跡から見つかったものと驚くほど似ている。・・・江漢平原こそ長江文明の発祥地であり、雲南省や貴州省、江西省などの山間部にひっそりと暮らす苗族は、江漢平原で誕生した長江文明を受け継ぐ者たちだったのである。・・・馬に乗り青銅の武器を持った民たちにとって、長江の民の征服は容易だったであろう。・・・とくに約3000年前の寒冷乾燥化は厳しいもので、北方の民は大挙して長江流域に押し寄せた。・・・多くの人々は、北方からやって来た人と一緒に暮らしただろう。・・・長江流域の民が向かったのは、中国の山奥ばかりではない。すでに指摘したように、海を渡り、台湾にも行っている。さらには日本列島に渡り、日本の弥生文化の成立にも大きな影響を与えている。・・・苗族の伝説には、彼らの哀しみを伝えているものがある。彼らの祖先が黄帝の子孫と戦ったという話である。黄帝というのは、漢民族による中国の先祖とされる人物である。”とある。

 遠くスンダランドに発し、黒潮に乗って日本列島に辿りついた縄文人の祖先(黒潮の民)は丸ノミ石斧製作・造船・航海・漁労の技術を持っていた。樺太や・朝鮮半島経由で日本列島にやって来た縄文人の祖先と黒潮の民は混じり合い、黒潮の民の丸ノミ石斧の技術は磨製石斧製造に応用され、日本島全体に拡散した。これらの人々(縄文人)のルーツは皆同じで、4万年〜5万年前カザフスタン南部を出発し移動してきた人たちであり、寒冷地に適応して進化した漢民族などの祖先より約1万年前分岐した初期の人たちであった。

 約16000年前から約3000年前までの約13000年間続いた縄文時代に、長江河口から漁に出た稲作漁労民が嵐に遭って沖縄・九州南部に漂着したことが何度かあったと考えられている。事実、現在でも長江河口付近の漁民はそういうことを語っている。黒潮の民と彼ら漂流漁民とは、造船・航海・漁労と言う面で何か共通するものがあったに違いない。

海人族の祖先神は綿津見神(ワタツミノカミ)である。海人族は元々黒潮の民であった。長江河口からの漂流漁民の中から黒潮の民を統率する者が現れた。それが安曇氏の先祖である。新人物文庫『古代豪族の謎』では、『日本書紀』応神天皇三年十一月条を引用して、“安曇氏は応神系列以前から列島全体の海部を支配した存在ではなく、いずれかの時点で各地に分布していた海人集団を統括するようになった”としている。

3000年前、長江中流域の稲作漁労民が畑作牧畜民による圧迫を逃れて長江河口から日本に渡って来た。彼らは元々水稲稲作技術を持っていたが、その上畑作牧畜民の文明を身につけていたに違いない。青銅製の剣も所持していたに違いない。彼らは元々縄文人と同じで闘争を好まぬ温和な人たちであったので、縄文人たちと殺し合うことは無かったが、稲作技術を持っていて縄文人たちより良い暮らしをすることができたと考えられる。そしてお互い婚姻関係をもって混血し、「倭人」と呼ばれる原日本人が誕生したのである。

『古事記』に出ている大山津見神(おおやまつみのかみ)はその土地の原日本人の集落の長だったのであろう。その二女は縄文人の血を濃く引いて容貌は彫りが深く、眼はパッチリとし、二重瞼でえくぼが可愛い乙女であったと想像される。それに比べ長女の方は長江中流域からボートピープルになってやって来た人々の血を濃く引いていて、鼻は低くのっぺらぼうの顔立ちで、決して美人ではなかったと想像される。

①『古事記』には、ニニギノミコト(天津日高日子番能邇邇藝命 あまつひこひこほのににぎのみこと)が笠沙(かささ)の御前(みさき)で麗(うるわ)しき美人(おとめ)に遇(あ)って、「あなたは誰か」と問うたら、その美人は「大山津見神(おおやまつみのかみ)の女(むすめ)で、コノハナノサクヤヒメ(木花佐久夜毘賣)です」と答えた。
②ニニギノミコトは「わしはそなたと結婚したいと思うがどうじゃ」と仰った。
③コノハナサクヤヒメは「私独りじゃ決められないので父に相談しますね」と答えた。
④コノハナサクヤヒメの父・大山津神は大喜びで、姉の石長比賣を副えて、色々な贈物を持たせて姉妹をニニギノミコトのところに行かせた。
⑤ところがニニギノミコトは姉の方は美人でなかったので送り返し、妹のコノハナサクヤヒメとその夜セックス(一宿婚 ひとよまぐはひ)した。


                                   (続く)

2018年9月5日水曜日

20180905『「プラズマ物理科学」レポート 平成28年(2016年)12月30日』


 以下は、私が一昨年12月に放送大学の面接授業受講後提出したレポートの原文である。
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  放送大学学歌歌詞の一文「われら何処から来て何処に行くのか」ということを念頭におき、生物が有する「自己保存機能」の観点からこのレポートをまとめた。

138億年前に我々の宇宙が誕生した時はプラズマ状態であった。我々の宇宙の99%はプラズマであると言われる。太陽はそれ自体プラズマであり、太陽フレアによる太陽風もプラズマである。プラズマとは原子や分子から電子が離れ、イオンと電子が混在した状態である。

プラズマという言葉の語源はラテン語のplasmaにあり、その意味は「形造られたもの」である。近代科学においてこの言葉が用いられ始めたのは19世紀の後半である。それは医学における血漿(blood plasma)、または生物学におけるまたは原形質(protoplasma)である。

我々が実際に見るプラズマ現象はオーロラや雷や蛍光灯などである。オーロラは太陽風と地球磁場の相互作用によって起きる放電現象である。稲妻は地上と上空の間の温度差が一定以上になると上昇または下降気流に乗って雲の中の氷の粒同士が激しく衝突し合うことにより静電気が生じ、地上との間の電位差が大きくなって起きるものである。

雷鳴は積乱雲と地表面の間の放電路にある大気の温度差により空気の流れが音速を超えた時に起きる衝撃音である。蛍光灯はその管の中にアルゴンや水銀蒸気が封入されていて、このガスに高電圧の電界を加えるによってガス分子が電離しイオンと電子になることにより蛍光灯管内はプラズマ状態になる。このイオンと電子が再結合して元の分子に戻るとき紫外線が出る。これが蛍光管内側に塗布された蛍光体に照射されて可視光として発光する。

太陽はその中心核で水素の核融合反応が起きている。この中心核で強大な重力とそれによる高温度により水素原子が衝突し合って、水素原子核4つからヘリウム原子核1つが合成されている。核融合は原子核同士が融合してより重い核種になることである。因みに核分裂は原子核が中性子を吸収して複数の軽い原子核に分裂し、連鎖的に核崩壊することをいう。いずれの場合も発生量は物理的に違うが E=MC2() の強大なエネルギーを発生する。

太陽の中心部は太陽核とも中心核とも呼ぶが、その中心部で起きる核融合により非常に高いエネルギーが生み出されている。この高エネルギーは光子のガンマ線やX線である。この光子が太陽の表面に届くまでには17万年かかると推定されている。対流層から光球の表面に至った後、光子は可視光として飛び出す。太陽光は我々にとって恵みであるが、太陽フレアは我々に様々な被害を与える。このフレアの観測・予報は宇宙天気として報じられる。

太陽の核融合が進むと徐々にヘリウムが中心核付近に溜まってゆく。約50億年後には中心核にある水素は枯渇して全部ヘリウムに変わり、太陽は赤色矮星になる。その前にこの地球上の生命は途絶えてしまうことになる。太陽の活動は我々の生存に大きく関わっている。

あらゆる生物はそれぞれ自己保存のため最適な方法を獲得するように進化してきて、今も進化を続けている。ヒト種の生物である人類はアフリカの地溝地帯でチンパンジーから分岐して誕生し、ユーラシア大陸に移動して火を使うようになった。それ以来人類は何時でも何処でも利用できるエネルギーを手に入れる技術を開発し発展させてきた。現在我々はこの地球上で核融合により安定的かつ効率的なエネルギーを得る方法を実用化しつつある。

ヒト種の生物である人類がほかの生物と異なるところは、人類が二足歩行し言語を用い想像力を持っていることである。このため人間は自分の意識を、時間と空間を超えて自由自在に融通無碍に広大無辺に延伸させることができる。

生物には「自己の種を残す」ため有している根本的な自己保存機能があるが、人間は自分の意識を時間・空間を超えて延伸させることによっても自己を保存することができる。例えば切腹した志士の名誉は後世に語り継がれる。人間のそのような自己保存機能が発現されている状態として、私は「真理」の探求・「善」への精進・「美」への感動の三つがあると考える。これは「ヒト」種の生物の人類である人間独自のものである。

「真理」の探求の結果として誕生したもの一つが「人工太陽」とも言われる核融合装置である。核融合装置においてはプラズマ状態にある炉内で重水素(deuterium)と三重水素(tritium)を衝突させてヘリウムと中性子を得る。この中性子は炉内でプラズマを包むように作られるブランケットに含まれるリチウムに衝突して核反応を起こして熱を発生させるとともに三重水素を生成する。この熱を発電に利用するとともに、生成された三重水素を再利用する。重水素は水に含まれている。三重水素は酸素と結びついたトリチウム水として水に混在している他、大気中にはトリチウム水蒸気・トリチウム水素・炭化トリチウムの形で、それぞれ水蒸気、水素、炭化水素として混在している。つまり核融合を起こさせるため必要な物資は我々の身近なところに存在している。

核融合発電装置では炉内にプラズマ状態を作るため非常に多くのエネルギー(加熱入力)を必要とする。核融合出力が加熱入力に比べ十分大きくないと採算がとれない。しかし日本の実験炉(JT-60 )は世界に誇る装置であり、これを運用して日本も参加している国際的な核融合エネルギーの実現性を研究するための実験施設(ITER)の活動に必要な技術的資料・管理的資料などを収集し、提供している。因みに日本はプラズマを発生させるための超電導コイルの分野で先進的な役割を担っている。

地上に届く太陽光には可視光線・赤外線と紫外線が含まれている。紫外線は生命の維持に有害であるが、上空のオゾン層によって遮られているため生命活動が維持できている。原始地球上で無生物的有機化合物が化学進化的に合成され、原始海洋にアミノ酸や核酸塩基などが自然に生成された。その後酸素を発生させるバクテリアや化学合成細菌が現れた。

その酸素が太陽から降り注いだ紫外線または高いエネルギーを持つ電子と酸素分子の衝突によりオゾンになる。質量の大きいオゾンは紫外線を直接受けやすい上空の対流圏外で地球を包むように存在して原始地球上に誕生した生命の維持に役立った。そして地球上に現在のような生物が存在するようになった。真核生物である我々人類(生物学上‘ヒト’)の細胞もパン酵母の細胞も全く同じ構造をしていて、細胞内に核を持ち、その核の中にDNAが収められている。人間は他の生物と違う、と思っているが他の生物と変わらぬ部分が多い。

人間は自然界から年間2400μSv(= 2.4 mSv)前後の放射線の被曝を受けていると言われている。国際線の乗組員や航空機で頻繁に海外出張している人たちは更に多くの放射線を受け被ばくしている。放射線は我々の体の細胞内でDNAを構成する分子の一部をイオン化してDNAに損傷を与える。一方、紫外線はDNAを構成する分子内の原子を励起することによってDNAに損傷を与える。この損傷によってDNAの複製時にエラーが発生する。

放射線や紫外線によりDNAが損傷を受けたとき、それを修復するプログラムはDNAに予め書き込まれている。エラーが生じているDNAによって新たな細胞が作られた場合、その細胞は自動的に破壊される。そのほか生物には生命を維持するため免疫力を供えているなど様々な機能が備わっている。これはこの地上のすべての生物に、それぞれ進化の過程で自ずと備わってきた自己保存機能である。

人間はフロンなど塩素を含む化学物質が大気中に放出し、オゾン層を破壊している。人間は燃焼、窒素肥料の使用、化学工業(硝酸などの製造)などにより大気中に亜酸化窒素を放出しているが、これも紫外線で分解されて一酸化窒素が生成され、その一酸化窒素がオゾン層を破壊している。国際的な協調でオゾン層を破壊する物質の排出を抑えようとしているが人間の自己保存活動が人間自身の自己保存を危うくしている。

我々はこの宇宙の中の数々の星々の中の一つであるこの地球上にあって、「我々は何処から来たのか。そして何処へ行くのか」と問い続けている。「プラズマ物理科学」はその問いの一つとして「真理」を探究する科学である。その科学の系譜は紀元前6世紀のタレス、前4世紀のアリストテレス、16世紀のコペルニクス、17世紀のガレリオ、1718世紀のニュートン、19世紀のマックスエル、1920世紀のアインシュタインと受け継がれ、そして20世紀から今世紀に日本の小柴昌俊によるニュートリノの観測成功やニュートリノに質量があることの確認、そしてアメリカのLIGOによる重力波の観測成功などにつながる。

人の一生は限られているが科学の知見は受け継がれ発展してゆく。人間は現在この地球上で太陽と同じような核融合で電力を得ようとしている。宇宙で太陽光発電を行いマイクロ波でその電力を地上に送るための実験を試みようとしている。探査衛星を飛行させる推進力としてプラズマを利用している。核分裂によるエネルギーで電力を得るよりもこれらの方法は安全である。何故ならこの地球内部ではマントルが動き何千年・何万年に一度の頻度で起きる超巨大地震・巨大カルデラ噴火・巨大隕石の落下・テロリストによる原子力発電施設の破壊などにより想像以上の放射能汚染が起きる可能性を否定できないからである。

科学はこの宇宙の中にあって我々がどういう存在なのかを次第に明らかにさせる。NASAの惑星探査機「ボイジャー」が土星の近くで観測した地球は青い色をした「生命の星」である。しかしその星の上では人間同士が争いあっている。ごくごく一部の人がその虚しさを知っているが、殆どの人々は自分たち人類がいずれ何十億もしないうちに滅びる運命にあるということを知らずにいる。そのごくごく一部の人たちは、いずれ人類が滅びる前に、人類の種を地球外で存続させるための研究や実験を行っている。これも「ヒト」種の生物である人類の自己保存行動である。人間は「ヒト」種の生物の人類である故に、生存のため悩む。

ところで科学の対岸にある宗教は、科学的に証明されていないことでも信じることを要求する。2600年前の仏陀の教えに忠実に従いながら、煩悩の人に心安らかに生きる方法を教えたのは親鸞である。真宗は妻帯肉食をし、人は煩悩の身であっても心から阿弥陀仏(Amitāyus Buddhaの音訳)を信仰し、善良に生きるならば、その人の現世が即ち浄土であり、来世でもその人は浄土に生まれる、と説いた。

このような教えは世界中どの宗教にも無い。「浄土」とは「五濁・悪道のない国・仏や菩薩が住む(光明と妙なる楽音と美の極致に満ちた極楽の)国」のことである。「真」なるものに触れ、「善」なる心を呼び起こし、「美」なるものに感動しつつ、阿弥陀仏に帰依している愛他・善行の人は、自らの「自己」を「保存」することができている人、と言えるだろう。

 「真」「善」「美」については人それぞれに生き方や思想信条の違いなどによる違いがある。人それぞれに自己保存の在り方にも違いがある。しかし自分が「何処から来て何処へ行くのか」「自分は何者なのか」を知る知恵について悟ることができる人は自分自身である。人類が未来においてどういう運命になるのか誰も予測できない。故に極端なことを言えば宇宙は即ち阿弥陀仏であると考え、安心立命の生き方をする方が幸せではなかろうか。(終)