2016年6月28日火曜日

20160628ポピュリズムという悪夢


2016年(平成28年)628日(火曜日)讀賣新聞朝刊「想う2016」に、「ポピュリズムという悪夢」と題してフランスの歴史人口学者エマニエル・トッド氏(65歳)の投稿記事が載っていた。その記事から以下に括弧(“”)で括る部分を引用する。

“・・・ポピュリズムの台頭は新自由主義の帰結ではなかろうか。<新自由主義は市場原理を重視し、小さな政府を目指す。主要政策は規制緩和・民営化・金融改革など>

新自由主義は突き詰めれば「国はない。あるのは個人だけ」という考え方だ。超個人主義と言える。英米はそれに耐えられるからこそ、新自由主義を採用し、他国にも押しつけた、と私は考えていた。文化人類学的にもアングロサクソンは個人主義の傾向が見られる。

だが、英米では社会の分断・解体が進行し、低所得者層にしわ寄せが来て、中流層にも及び、社会は不安定になった。英米でさえ「あるのは個人だけ」という考えに耐えられなくなっている。・・(中略)・・「移動の自由」を柱とするグローバル化を妄信し、生活圏の安寧に配慮しない支配層の無責任が人々の不安を招いている。

ところが支配層には「国民のために尽くしている」との信仰に似た思い込みがある。その「善意」が人々を不安に陥れるとしても、現実を見ようとしない。ポピュリストがその代弁者を任じ、支配層を糾弾する。支配層は自分たちの「正しい主張」を聞き入れない大衆にいら立つ。文化の危機だ。・・(中略)・・

確かにドイツもサウジアラビアも米国に従わなくなった。日本も中国問題がなければ、米国に従わないのではないか。(後略)”

私は、今、世界はエマニエル・トッド氏の言うとおりであると思う。日本は古来ずっと東アジア大陸の諸国の問題に対峙してきた。幕末、その日本をアメリカは手助けしてくれた。しかし満州事変以降、アメリカは日本が自国の利益を害すると思い、日本を敵にした。アメリカは戦後、日本の国家の解体を試みた。しかし朝鮮戦争の勃発によりアメリカは再び日本を味方につけた。今、日本は再び東アジア大陸の諸国の問題に対峙している。日本はアメリカの武力を必要としている。日本とアメリカの間で、「生命体としての国家」同士、生物の「共生」のような関係が生まれている。

政治は「社会の分断・解体の進行」を止め、「低所得者層にしわ寄せ」を防ぐように機能しなければならない。一方で、政治は「支配者層の‘善意’が人々を不安にしているかもしれない」という空気を察知して行われなければならない。

この点に関し与野党のしっかりした政治家たちは共感し、政党の枠を超えて個人的に連帯することができるはずである。但し、「社会の分断・解体の進行」は、日本共産党が期待していることであると考えられる。日本共産党が理論的基礎としている科学的社会主義について、民進党などの政治家たちは理解していないから、「打倒安倍政権・憲法改正反対・安全保障関連法廃止」と言う目的の達成のために日本共産党と連帯を組んだのである。

ポピュリズムは人体のアレルギー反応のようなものである。与野党のしっかりした政治家たちが超党派で連携して、「生命体としての国家」にポピュリズムというアレルギー反応が起きにくくなるようなシステムを構築することが出来ないものだろうか?

2016年6月27日月曜日

20160627「新しい国家論」が必要である


 “共産党の藤野保史政策委員長が26日に出演したNHK番組で、防衛費について「人を殺すための予算」と発言したことについて、藤野氏は番組終了後、発言を「不適切」として取り消すコメントを出した。

 藤野氏は番組で、防衛費が初めて5兆円を超えた平成28年度予算を念頭に「人を殺すための予算でなく、人を支えて育てる予算を優先させていくべきだ」と述べた。

これに対し、自民党の稲田朋美政調会長は「言い過ぎだ。(防衛費は)日本を守るためだ」と反論し、公明党の石田祝稔政調会長らが発言を撤回するよう勧めたが、藤野氏が番組中に応じることはなかった。

藤野氏はコメントで、「発言は、安保法制=戦争法と一体に海外派兵用の武器・装備が拡大していることを念頭においたものでしたが、テレビでの発言そのものはそうした限定をつけずに述べており、不適切であり、取り消します」と釈明した。”(産経新聞より引用)

日本共産党は「安保法制=戦争法」と定義し、「戦争法と一体に海外派兵」と論を進め、「海外派兵用の武器・装備が拡大」と推論し、「人を殺すための予算でなく、人を支えて育てる予算を優先させていくべきだ」と結論づけた。

民進党は「安倍政権を打倒する」という目標を掲げ、日本共産党と連帯を組んだ。しかし安倍内閣に対する支持率は3ポイントも上り、自民党に対する支持率も1ポイント上った。一方で民進党・日本共産党に対する支持率は下がった。

日本共産党は“世の中に存在する「いろんな考え方」のなかでも、世間に流布されているものの多くは、支配階級の立場を代弁する思想(考え方)であり、今日の日本では財界・大企業の利益を弁護する立場の思想である”とし、科学的社会主義思想を党の理論的基礎としている。

 「世間に流布されているものの多くは、支配階級の立場を代弁する思想(考え方)である」という言葉は、「支配階級」に対する根強い反感から発せられるものであろう。しかし、もし仮に日本共産党が政権を取ったら、中国共産党のように、自分たちがその「支配階級」になることになることは必至である。

 古典的な「国家有機体説」や「社会契約論」とは別に「科学的社会主義」に基づく「国家論」がある。私は、生物学・社会情報学など現代の科学的知見に基づく、「新しい国家論」が打ち立てられなければならない、と考えている。

2016年6月25日土曜日

20160625イギリスのEU離脱


 イギリスのEU離脱を問う国民投票の結果、僅差で離脱が決まった。イギリスは今後2年以内にEUから離脱する。離脱に当りEUや他の国々との間で取り交わされていた千件余りの条約等諸手続きの変更が必要であるとのことである。EU離脱が良かったのか、悪かったのか、今後2〜3年のうちに明らかになるであろう。

 私はイギリス国民の選択は、「‘生き物’としての国家」のアレルギー症状が現れたものであると考える。イギリス国民は、自国に流入する外国人のため職場が奪われ、社会保障費の負担が大きくなったと感じている、と報道されている。人体は外部からの侵入物に過敏に反応する場合もあり、反応しない場合もある。それと似た現象が国家レベルで起きたのである。

 我が国では古代、縄文人たちの世界に、長江中流域を源とする稲作・漁労の民が渡来系弥生人として入ってきた。縄文人と渡来系弥生人との間で殺し合いは起きず、両者は混血して日本人の原型である古墳時代人になった。その後、主に朝鮮半島から技能・職能を持っている集団が渡来してきて、天皇のもとで日本の国づくりに貢献した。

日本列島という狭い国土の中で、平安時代までは朝廷による政治、それ以降は武家による政治が行われ、中央から地方へ、地方から地方へと人々が移動し、子孫を残し、血は拡散した。姓制度は廃れ、非常に沢山の名字(家名)が生まれた。その結果、非常に多くの日本人は自分の遠い先祖が何処に住んでいたか知らない。しかし、天皇家は日本人の各家々の宗家のようなものである。

終戦直後、210万人ほど日本にいた韓国・朝鮮人は、現在では日本人との結婚などで減少し50万人ほどになっている。逆に現在日本に住んでいる中国人は急増し、70万人を超えている。日本人と結婚している中国人は少なくない。そのほか東南アジア人が増え日本人と結婚している人も増えた。また欧米系の白人や、数は少ないがアフリカ系の黒人との混血も増えつつある。その中から優れたアスリートたちが頭角を現してきた。

もともと雑種であった日本人は、今後ますます雑種化が進み、「‘生き物’国家」としての日本は、ますますアレルギーに強い‘体質’になることだろう。海に囲まれた日本は、従来、資源が乏しい国とされてきた。しかし今やその海が資源の宝庫になりつつある。雑種である日本人はこの日本列島で生き残るため創意と工夫を凝らし、互いに切磋琢磨している。日本は、外から見ると時に秩序性に欠けるところがあっても、何か刺激があれば一挙に団結する。

その団結力は何処から来るのか? 絶対忘れてはならないことは、古来、日本人は天皇を戴き、伝統や文化を非常に大切にしてきたということである。‘振子’をイメージするならば、このことが日本という国家の中心である。時の情勢によって‘振子’は左右に触れるが、中心は変わらない。その中心こそ団結力の源である。其処が変わると日本は日本で無くなる。

科学的社会主義を信奉している政治家たちは天皇を否定している。彼らはポピュリズムを煽り、社会を混乱させ、その隙に‘暴力装置’を起動させて彼らが理想とする社会を創り上げようとしている。国家を「一つの‘生き物’」として捉えない政治家は、真の国家観を持っていない政治家である。彼らは理想を唱え、現実に目を向けているように見せかけて人々を惹き付けているが、実は現実に目を背けている。

 民進党の政治家たちは理想ばかりを唱え、参議院選挙で共産党と共闘している。彼らは結果的にはポピュリズムを煽っている。彼らにこの日本国を任せてはならない。ナチスもレーニンもポピュリズムを煽り、政権を獲得した。それに似たようなことが、この日本で起きないとは限らない。マスメディアがポピュリズムを煽る手助けをすれば、人々は正しい判断力を失い、国家間の乏しい政治家たちにこの日本を委ねてしまうことになるだろう。

2016年6月24日金曜日

20160624参議院選挙公約(自由民主党と民進党の経済政策)


 自由民主党の選挙公約のうち、「GDP600兆円の実現を目指す」具体策は以下を含む十一項目である。
  「第4次産業革命」の先導国として、人工知能(AI)など新たな成長市場の創出と生産性革命を目指す。
  イノベーションによる生産性向上と働き方改革により、潜在成長率を引き上げるとともに、国民の新たな需要を掘り起こし、また海外の需要を取り込み、デフレ脱却を確実なものとする。
  国家戦略特区の活用など規制改革や行政手続き簡素化などを断行し、わが国を「世界で一番企業が活動しやすい国」にする。

これに対して民進党の選挙公約に関する各メディアの記事は以下のとおりである。(Edgeで検索)

(宮崎日日新聞)
民進党が発表した参院選の公約は重要課題として二つを掲げた。一つ目は経済政策で、安倍政権のアベノミクスは「失敗」だと断じ、格差是正など分配政策を重視する「分配と成長の両立」を打ち出した。二つ目は憲法改正で「戦後日本が育んできた憲法の平和主義を守る」としている。

(2NN  2ちゃんねるニュース速報)
最大の争点と位置付ける憲法改正問題では、「平和主義を脅かす憲法9条改正に反対する」との立場を打ち出した。

〔日経QUICKニュース(NQN)
経済再生策として格差是正のための税制改革の必要性を主張し「金融所得課税の税率を5%引き上げ、高所得者の所得税率も引き上げる」と明記した。また、環太平洋経済連携協定(TPP)については農作物の「重要5項目」の聖域が確保されていないと主張。今回の合意には反対すると明記した。

(毎日新聞)
安倍政権の経済政策「アベノミクス」は失敗したと批判。分配と成長の両立によって日本の潜在能力を引き出すと訴えた。憲法の平和主義を守る姿勢も鮮明にし、改憲を目指す安倍政権との違いを強調した。
 経済政策では、▽義務教育の負担軽減など「人への投資」▽同一価値労働同一賃金など「働き方革命」▽人工知能の研究支援など「成長戦略」−−の3本柱を掲げ、岡田克也代表は記者会見で「分配政策をしっかりやることが持続的成長につながる」と述べた。

 自由民主党と民進党の選挙公約ではっきりしていることは、経済政策に関して民進党は自由民主党がアベノミクス達成のため以前から掲げている「GDP600兆円の実現を目指す」ための11項目の具体策の中から、「同一価値労働同一賃金」「人工知能の研究支援」などの自由民主党が掲げているものと似たような言葉を並べ、アッピールしていることである。

 情報社会の進化と経済成長とは非常に密接な関係があるということである。わが国は光ファイバーサービスの契約の割合や、単位速度当りのブロードバンド料金の低さにおいては世界一であるが、診療所における電子カルテの導入率・校内LANの整備率・電子政府発展指数など公共分野における情報通信技術の利活用の面では世界で、かなり大きな遅れをとっているということである。

経済成長を促す方策について、自由民主党は民進党に比べて相当突っ込んだ検討をしていることが「希望を生み出す強い経済」「科学技術の振興」「ICT社会」など10項目、総数67の具体策で示されている。(下記URLEdgeで検索。)

自民党参議院選挙公約
 https://jimin.ncss.nifty.com/pdf/manifest/2016sanin2016-06-22.pdf

私は放送大学で分子生物学・進化生物学など生命科学関係を大雑把に学んだあと、「進化する情報社会」という科目を学んでいる。私は、「国家はある種の‘生き物’である」と考えているので、ICT(情報通信技術)の一層の進化とこれの利活用が経済成長のカギを握っていて、それがGDPを押し上げる大きな要素であることは絶対間違いない、と確信している。

経済成長政策について具体的な方策を示さず、ただアベノミクスを批判するだけの民進党は、十分な民意を得ることはできないであろう。ポピュリズムを煽るような野党の言葉には中身がない。野党が政権を取っても、日本国民を決して幸せにはなれないであろう。

2016年6月23日木曜日

20160623安全保障関連法に対する各政党の主張の違い


 日本の国籍を持っている人ならば、多分99.999%以上の人は、その気持ちの濃淡があるにせよ日本に対する愛国心を持っているに違いない。ただ、その愛国心の表現の仕方が左翼と右翼とでは極端に違うだけである。国家観は愛国心の表現の仕方の相違で左右に極端な開きがある。

 東條英機元首相は遺言書の中で「国家から欲心を除くということは、不可能のことである。

されば世界より今後も戦争を除くということは不可能のことである。これでは結局は人類の自滅に陥るのであるかも判らぬが、事実はこの通りである。」と述べている。これは永遠の真理であろう。

 「国家観」を考えるとき最も重要な事は「国家はある種の‘生物’である」という観方である。すべての生物は種を残し、生き延び、生き残ろうとしている。国家も全く同様である。そのため、国家と国家の間で紛争が起きる。東條元首相は、それを「国家の欲心」によるものであると言った。

しかし、私は、それは単に「欲心」ではなく、全て生物に自ずと備わっている「自己保存力」によるものであると考える。「欲心」だけと見るならば、国が違っても其処に住む人間同士、お互い解りあうように努力すれば平和は確保できる、と考えるだろう。国が違っても人間同士解り合えるようにする方法を巡って、その極端なグループが右翼にもなり左翼にもなるのである。「国家を一つの生物である」と把握することによって、自国の周辺の国家とどう向き合うべきかという国家観を持つことができるに違いない。

中国による我が国への領空侵犯も領海侵犯も、韓国による竹島不法占拠も、それぞれの「‘生き物’国家」の自己保存行動である。それぞれの「‘生き物’国家」の脳の中枢がその行動をコントロールしつつも、脳の一部がその「‘生き物’国家」の手足を動かしている。わが国も「‘生き物’国家」としての脳の中枢で共存共栄のため自制しながらも、その手足は周辺の「‘生き物’国家」の手足の動きに敏感に反応して行動している。

参議院選挙で各政党はポピュリズムに動きやすい一般大衆を自分の味方に引き入れようと必死である。その中できちんと見極めるべきことは、安全保障関連法に関する各政党の見解である。この関連法を廃止しようとか、この関連法が「戦争法」であるとか、声を大きくして叫ぶ政党は、現実に目を向けないか、現実を無視して、自分たちの理想の国家を造ろうと考えている連中が屯している政党である。彼らも勿論旺盛な愛国心を持っているに違いないが、その表現の仕方において、根本的なところがすっかり抜け落ちているのである。

関連:

東條英機閣下のご遺言


占領憲法下の日本



2016年6月22日水曜日

20160622沖縄のアメリカ軍基地に関する記事


 msnニュースのdotに、下に括弧(【】)でくくる記事が載っていた。この記事の筆者は米海兵隊員へのオリエンテーションで使われているという資料を引用しているが、沖縄で何代にも亘って生まれ・住み続けてきた人々のルーツは、沖縄の人々やアイヌの人々を含め、皆、我々日本人が平均的に20%持っているとされる縄文人であることを知らないのだろう。

縄文人はこの日本列島にしか住んでいなかった特殊な人々であった(下記関連記事参照)。遺伝子のハプログループでは、北海道から沖縄まで日本人は皆同じ縄文人の要素を持っている。下の記事にある「琉球の住民は日本人ではなく、本土の日本人と同化したことがない。日本人は彼らを軽蔑している」という部分は、極めて突出している感がある。

米海兵隊員へのオリエンテーションで使われているという資料に、本当にそう書かれているのか?以下に引用する朱色部分を含め、確認が必要である。もし、本当にそう書かれているのなら、日本政府は在日アメリカ軍に是正を要求すべきである。

6カ月ごとのローテーションで沖縄に配属される米海兵隊員へのオリエンテーションで使う資料「沖縄の歴史と政治状況」。英国人ジャーナリスト、ジョン・ミッチェル氏が米情報公開制度で入手した。そこには、沖縄への米軍駐留をめぐる日本政府の「ウソ」がはっきりと書かれていた。

 中身を詳しく見ると、ほかにも沖縄への「蔑視」と受け取れる表現があちこちにある。いくつか抜き出してみよう。
「沖縄県や自治体は基地問題をテコに、中央政府から補助金や振興策を引き出している」
「沖縄の新聞は偏向している」
「沖縄の人は一般的に情報に疎く、彼らは限られた視界で物事を見ている」

●「単純でお人よし」
 こうした特性が、根強い住民の反対運動の裏側にある、とこの資料は分析する。これらの書き方は終戦直後、沖縄を軍事占領すべきだと主張したGHQ(連合国軍総司令部)のダグラス・マッカーサー最高司令官の物言いを思い出させる。
「琉球の住民は日本人ではなく、本土の日本人と同化したことがない。日本人は彼らを軽蔑している。彼らは単純でお人よしで、米国の基地開発でかなりの金額を得て比較的幸せな生活を送ることになる」
 情報公開で明らかになった資料は、スライドで全36枚。沖縄の歴史、文化も紹介している。米軍の沖縄駐留については、「沖縄と本土の関係」の中で触れられているところが注目点だ。
「沖縄県民は日本人である前に沖縄人であることを意識する」と独自性=異質性を指摘し、「1879年に強制的に日本帝国に引き入れられて以来、劣った民族として本土からの差別を経験してきた」と述べた上で、こう続ける。

「過去20年以上にわたり、(日本)政府と沖縄県は立場が異なり、多くの場合、対立しあっている。日本政府は部隊と基地が(沖縄に)とどまることを希望している(なぜなら、本土で代替地を探せないからだ)」

 翁長知事は「沖縄から米軍基地を無くす」という民意を受けて知事になったという立場で、政府と対立している。沖縄を自分の領土にしたい中国が喜ぶようなことを堂々と主張して、沖縄から米軍基地を無くそうと自ら先頭に立って活動している。

 本土の人たちも、沖縄の人たちの気持ちにもっと寄り添う心を持つべきである。米海兵隊の拠点が沖縄に置かれることは中国に対する圧力として必要であるが、海兵隊の部隊訓練の拠点の一つや二つは本土に在る方が良いのではないのか?沖縄だけに一方的に基地負担をさせている現状は是非改められるべきである。

 民進党などは安全保障関連法を廃止すると主張している。彼らは一般大衆が飛びつきやすいようなキャッチフレーズを掲げ参議院選挙を戦っている。ポピュリズムは日本の安全を脅かし、結局日本国民を不幸にする。政治家はしっかりとした国家観を持つべきである。

 マスメディアが偏向した姿勢で語らないのならば、政府はSNSを通じて広く世論を喚起するように動くべきではないのか?

関連:
中国が用意している「沖縄占領憲法」(続き)(20120403)
http://hibikorejitaku.blogspot.jp/2012/04/20120403-httphomepage2.html

沖縄・尖閣・八重山各列島の防衛(20120803)
http://hibikorejitaku.blogspot.jp/2012/08/blog-post_9400.html




2016年6月21日火曜日

20160620参議院選挙とポピュリズム


 私は自分のデスクトップ一体型パソコンのOSwindows8からwindows10upgradeしている。Upgradeした初めの頃は、windows10は使い難かったが、最近は十分満足できるほど使いやすくなった。ブラウザもEdgeを使うようにしている。
 
 そのEdgemsnニュースの「ダイヤモンド・オンライン」で“中国が西側の制度や価値観に寄り添うと考えるのは「幻想」”というタイトルの記事が目にとまった。これは、中国の王毅外交部長(外相)とカナダ人女性記者との間の質疑応答である。

 この記事の終わりに括弧(【】)で囲う次の一文がある。私はここに日本が今後中国と向き合う上で考慮すべきポイントがあると思った。

 【そんな中国と向き合い、つき合っていく上で、私たち外国人、特に西側の価値観の下で生きる人間に求められるのは、前述のカナダ人記者のように「中国の人権状況は……」という、頭ごなしで結論ありきの問題提起をするのではなく、「まずは中国共産党や中国人民が考える“人権”(human rights)の定義を教えてください。我が国を含めた多くの国家において、人権とはXXXであり、YYYのように解釈・実践されていますが、中国の人権はそれらとどう異なるのか、異なるとすればなぜなのか、どのような背景があり、これからどのように変遷していく見込みなのかをお聞かせください」という具合に、丁寧かつ段階的に問題を提起し、相手の認識や見解を引き出していく気配りと粘り強さであろう。】

 国家は一つの「生き物」である。「生き物」は自己保存のため必死で行動する存在である。かつて日本も自己保存をかけてアメリカと死に物狂いで戦い、お互いに深く傷ついたが、日本は立ち上がれないほどダメージを受けた。しかし、アメリカという「生き物」は、自己保存のため日本という「生き物」に手を差し延べ、遂にはお互いに生き残るため「生き物」としての国家同士の「共生関係」を構築した。

それは安倍総理のアメリカ議会における演説とオバマ大統領の広島原爆記念館訪問と演説により強固なものなり、アメリカ軍と自衛隊の共同訓練の積み重ねによりますます強固なものに進化しつつある。このことは日本の左翼の勢力にとって最も嫌なことであろう。

 中国という「生き物」も自己保存の為、中国独自の道を歩んでいるのである。漢族が大多数を占めている中国は、異民族の王朝も含む多数の王朝を繋いできた。今の中国の統治機構は中国共産党が支配している、ある意味で‘王朝’である。中国の今の‘王朝’は、広大な国土・他民族国家・世界最大の人口を抱える国を統治する上で最良である、と習近平主席は確信しているようである。今のところ、多分そうであるように見える。

 今、日本では参議院議員の半数を改選する選挙に入っている。11団体もある各政党はそれぞれスローガンを掲げて選挙戦を戦っている。政党が多いということは、日本人の多様性を示している。日本人は元々多人種の混血種であるから、各界・各層にわたり多数の願望を吸い上げるため、政党の数が多いということは決して悪い事ではない。

 ただ、「日本が日本である、日本人が日本人である」というアイデンティティをしっかり見据えた上で、各政党がそれぞれのアッピールをするのであれば全く問題はないが、一部の政党は一般大衆に迎合するようなスローガンを掲げている。共産党は科学的社会主義思想に基づく社会を実現させるため、先ずは自分たちの陣営の周囲に、自分たちに好意的な大衆を増やそうと意図しているように見える。自分たちに好意的な大衆が非常に大きな塊になれば、次は自衛隊改造・天皇廃止のため行動するだろう。その時血も流れるだろう。

 民進党は「安倍内閣打倒」を最大の目標にして、「自衛隊は違憲である」と明言している共産党と組んでいる。民進党は自分たちの主張の根拠となる具体的な数字を示さずに、ただ「アベノミクスは失敗した」と宣伝している。「安倍内閣の暴走を止めさせる」と声高に言うが、何をもって「暴走」というのか! 「具体的な数字・根拠を示せ」、と言いたい。

 今日の讀賣新聞朝刊に「想う2016 英の自殺行為 国際連盟解体時に似る」と題する仏経済学者ジャック・アタリの言葉が出ていた。“英国で賢明な人々は離脱を望んでいない。離脱の場合は、大衆を駆り立てるポピュリズム(扇動政治)の勝利と言える。賢明な人々がこうして大衆に敗れ、破局が来ることを歴史は示している”と彼は言っている。

 民進党も共産党も社会民主党も生活の党と山本太郎となかまたちも、皆ポピュリズムに走っている。ポピュリズムはマスメディアが公正・中立な姿勢で報道しない限り拡大して行くことだろう。

「護憲」「戦争法案反対」「アベノミクスは失敗した」「安倍内閣の暴走を止める」「安保法案廃止」「沖縄の米軍基地撤廃」などなど、大衆に迎合する情緒的なスローガンを掲げている政党に対して、SNSを通じて国民大多数が批判するようになって欲しいと思う。

小沢一郎党首は彼の持論である「国連中心主義」を掲げ、安保法制に反対しているが、これは国民に「正論だ」と思わせる。しかし現実の世界はそれぞれ自己保存を目指している「生き物」としての国家同士の、富の奪い合いである。「生き物」としての国家は、それぞれ強い「生き物」国家のところに身を寄せ、安泰と繁栄を目指そうとしている。そういう状況の中で、紛争解決にため国連軍を立ち上げようとしても、利害が対立すればその実現は困難である。国民に「正論だ」と思わせるのは、巧妙なポピュリズムである。

大多数の日本国民は、ピースボートは、“海賊対策での「ソマリア沖の海賊の海上自衛隊派遣反対」を掲げていたにも関わらず、2009年の第66回目の地球一周航海の際、ソマリア沖・アデン湾を航行中に、海上自衛隊の護衛艦による護衛を受けていた”(wikipediaから引用)事実を知らないだろう。同じことが、今年の53日と4日起きていた。海賊対処のためソマリア沖に展開中の上自衛隊の護衛艦「ゆうぎり」は、ピースボートの旅客船を護衛していた。自衛隊が二度も反自衛隊的なピースボートを助けていたのである。

大多数の国民が事実を知らないと、ポピュリズムにより国民が予期せぬ不幸に見舞われる恐れがある。そうなってからでは遅い。国家観の欠如した政党の幹部の発言に、大多数の国民が騙されないようにしなければならない。

関連:「生物種としての国家」
http://hibikorejitaku.blogspot.jp/search/label/%E7%94%9F%E7%89%A9%E7%A8%AE%E3%81%A8%E3%81%97%E3%81%A6%E3%81%AE%E5%9B%BD%E5%AE%B6

「古代記録に残っている渡来人の数」
http://hibikorejitaku.blogspot.jp/2012/07/20120701-m7a-d2-5000-2500-20120505-1000.html

20160413「仏教」をキーワードに、思いつくまま綴る(18)―― 何故日本人は他の国の人たちと違っているのか? ――」
http://hibikorejitaku.blogspot.jp/2016/04/blog-post.html


20160404「仏教」をキーワードに、思いつくまま綴る(16)―― 日本人のルーツ ――」
http://hibikorejitaku.blogspot.jp/2016/04/20160404.html





2016年6月19日日曜日

20160619何事も基本が大事である


 あと5年プラスアルファ―年又はマイナスベーター年にはこの世を去る年齢になって、今更「基本」ということはないだろう、と思う人もいるかもしれない。しかし、人生は死ぬまで「基本」を忘れてはいけない、と今改めて思うのである。

 私は小学校2年生の夏、今の韓国慶尚北道から母に連れられて弟妹たちとともに、日本に引き揚げてきた。そのころ、私はとても良い言葉遣いをしていたらしい。引き揚げて身を寄せた家は、祖父がまだ「家長」として威厳をきかしていた農家であった。今、NHKの朝のテレビドラマで「とと姉ちゃん」が人気を呼んでいるが、そのドラマの一家の風景は私の子供時代、といっても終戦直後の1年半ほどの間の記憶と重なっている。

 毎朝起きて、顔を洗って、神棚と仏壇にお参りしたあと、隣の居間に行くと、火鉢の周りに皆が座っている。私は畳の上に手をついて、一人一人に向かって、「おじいちゃんお早うございます」「おばあちゃんお早うございます」「○○叔父さんお早うございます」・・・というように朝の挨拶をしていた。

 食事のとき、家長である祖父のご飯のお櫃(ひつ)は別であった。そのような形はいつの間にか廃止されていた。引き揚げ後、学校で使っていた教科書も薄っぺらなものだったと思う。戦後、何もかも急に変わってしまったのであるが、私には二つだけ鮮烈な記憶として残っているものがある。

 昭和天皇の巡幸列車が通過するというので、私たちは先生に引率されて鶴崎駅に行った。駅の線路わきの空き地に整列していたとき、通過する列車の中から陛下が私たちをじっと見つめておられた。列車はゆっくりと進んだので、私は陛下のお顔をじっと見つめていた。

 ある日、私たち男の子ばかり7、8人は別保小学校の教室の中で一列に並ばされて、ある男の先生から一人ひとりスリッパの底で頬っぺたを殴られたことである。殴られた理由は全く覚えていない。私たちが何か悪いことをして連帯で責任をとらされたに違いない。今、小学校2年生ぐらいの子供たちにそういうことがあれば、「体罰」だと大騒ぎになることであろう。あの頃、水が入ったブリキのバケツを両手に持たされ、廊下に立たされていた悪童もいた。

 人としてあるべき「基本」は、先ず親から教え込まれるべきものである。武道でも茶道や華道でも、芸道でも、凡そ「道」とつけられる習い事は、先ず「形」から教え込まれるものである。お辞儀の仕方、言葉遣い、諸動作などは、先ず基本的なことは、小さい時から教え込まれなければ、決してその人の身には着かない。

 戦前、道徳の本質は「教育勅語」にすべて書き込まれていた。現在でも一部の私立学校では教育勅語を教えられている。左翼の人々は猛反対するであろうが、教育勅語は復活されるべきである。以下に、教育勅語の要点をウイキペディアから引用する。

    父母ニ孝ニ (親に孝養を尽くしましょう)
    兄弟ニ友ニ (兄弟・姉妹は仲良くしましょう)
    夫婦相和シ (夫婦は互いに分を守り仲睦まじくしましょう)
    朋友相信シ (友だちはお互いに信じ合いましょう)
    恭儉己レヲ持シ (自分の言動を慎みましょう)
    博愛衆ニ及ホシ (広く全ての人に慈愛の手を差し伸べましょう)
    學ヲ修メ業ヲ習ヒ (勉学に励み職業を身につけましょう)
    以テ智能ヲ啓發シ (知識を養い才能を伸ばしましょう)
    德器ヲ成就シ (人格の向上に努めましょう)
    進テ公益ヲ廣メ世務ヲ開キ (広く世の人々や社会のためになる仕事に励みましょう)
    常ニ國憲ヲ重シ國法ニ遵ヒ (法令を守り国の秩序に遵いましょう)
    一旦緩急アレハ義勇公ニ奉シ以テ天壤無窮ノ皇運ヲ扶翼スヘシ (国に危機が迫ったなら国のため力を尽くし、それにより永遠の皇国を支えましょう)

最後の一文「一旦緩急アレハ義勇公ニ奉シ以テ天壤無窮ノ皇運ヲ扶翼スヘシ」は、愛国の精神について述べたものである。

日本という国は、『日本書記』にも書かれているとおり、渡来人たちが日本の国づくりに貢献した国であり、また考古学・遺伝学が明らかにしているとおり日本人は多人種の混血種であるが、民族としては言語・文化・伝統を共有し、万世一系の天皇を戴く単一民族であるので、正しく「皇国」である。ただ、かつてのように「軍国主義」精神を広める目的のため、絶対に「皇国」という語が使用されることがないように、厳格な歯止めをかける必要がある。

個人でもそうであるが、国家でも「基本」を大事にすることが最も重要である。「基本」を最も重視する国を、子子孫孫に伝え遺して行かねばならない。そういう志がある政治家を議会に送り込むようにしなければならない。


2016年6月16日木曜日

20160617「仏教」をキーワードに、思いつくまま綴る(最終章)


 国の為、社会の為、わが身を捧げて活動しようと志す者は、自分が幼少の頃より徳の高い環境の中で成長してきたか、特に父親または母親からどのような影響を受けて育ったのか、自ら省みることが重要である。人々が自分たちの指導者を選ぶとき、その候補者にどういう背景があるのか良く知る必要がある。

 「武士道」は、政治家・官僚・軍人(自衛官)の他、警察官・海上保安官・消防官等国家や社会の中で治安維持・安全・監視・監督などの役割を担う「官」のつく職業の人や、そういう職業につく人の教育指導に当たる人が心得るべき道である。これらの人たちの中には、立派な心がけの方たちが沢山いるが、そういう心がけが乏しい方もいる。

 上述のことが多くの日本人の間で何か暗黙の了解となっているならば、それはわが国の文化の一側面として非常に素晴らしいことであるが、そういうことは全く無い。かつて在った「教育勅語」のような、当時それを暗唱することが求められていたほど日本人の心に浸透していた規範的なものも全く無い。かろうじて皇室や国旗や国歌が、「自分は日本人である」ということを気付かせる機能を果たしているに過ぎないが、日教組に所属する教師たちの中には、それさえも否定する行動を示す人たちがいる。

 新渡戸稲造『武士道』奈良本辰也訳・解説(三笠書房刊)には、“仏教は武士道に、運命に対する安らかな信頼の感覚、不可避なものへの静かな服従、危険や災難を目前にしたときの禁欲的な平静さ、生への侮蔑、死への親近感などをもたらした”と書かれている。大災害が起きたとき、多くの日本人は自然にそのような行動をとっている。

 青木照夫著『葉隠れの知恵』(三笠書房刊)“武士道といふは、死ぬ事と見附けたり”と「捨て身の章」冒頭に書かれている。政治家の中には、そのような心がけが無い人も見かける。

 仏教は「生まれかわり」を肯定している。『人間(ひと)は死んでもまた生き続ける』(本願寺法主 親鸞聖人直系の25世 大谷暢順著、幻冬舎刊)には“私はフランスで何度も「仏教はいいですね、輪廻転生という思想があるから」とうらやましがられました。キリスト教の場合は、人生は一度きりで、死者は最後の審判の日に復活して神の裁きを受け、神の国に迎え入れられるか、地獄に落ちるかのどちらかとされています。イスラム教もほぼ同じで、ユダヤ教の殆どの宗派は、死者は土にかえると考えられているそうです”と書かれている。

 自衛官の服務の宣誓は、「事に臨んでは危険を顧みず、身をもつて責務の完遂に務め、もつて国民の負託にこたえることを誓います」という言葉で締めくくられている。先の戦争では、兵士たちは来世に生きることを信じ、靖国神社で会うことを信じて死んでいった。

 さて今度参議院議員の半数が改選される。野党は共産党も一緒になって連帯を組み、与党に過半数の議席を与えないように行動している。

 そのスローガンの一つに「安全保障関連法の廃止」が掲げられている。その理由は、同法では、「日本は戦争に巻き込まれる」というものである。彼らには武士の魂は無いように見受けられる。彼らは「国の為、社会の為」というよりも、自分たちだけの為に行動しているように見える。

 共産党の中枢の幹部は、我が国で科学的社会主義を実行したいと考えているに違いない。科学的社会主義の思想と仏教の精神や武士道の精神に基づく思想とは、全く相反するものである。科学的社会主義では皇室も神社や仏閣や、「南無阿弥陀仏」と書かれた紙や、阿弥陀如来が描かれた紙や、仏像なども否定される。科学的社会主義の実現の過程で大衆蜂起や武力による暴力的な革命も起きる可能性はある。

 マスメディアは公正中立の立場で、テレビの視聴者や新聞の購読者に対して正しい情報を提供するような姿勢であるべきである。

近年SNSが発達しているので、一般大衆も各政党やマスメディアの動きについて情報を共有するような行動を起こすことが期待される。国の為、社会のための行動は、一部の人・組織・団体等に任せきりではなく、全国民個々もそれぞれの手段・方法で連帯して行うようになることだろう。そうなれば、それはマスメディアに対抗する組織的なものとなるだろう。


      (終わり)

2016年6月14日火曜日

20160614「仏教」をキーワードに、思いつくまま綴る(26)―― ASD(自閉症スペクトラム障害) ―


 ASD患者には、「他者の視点を想像することが難しい」「その場の雰囲気を理解することが難しい」「行間を読むことが難しい」などの症状が見られるということである。これは、言うなれば相手の「意識」を感受する能力が健常者に比べ劣っているということである。例えば職場で上司から「とりあえずこれをやっておいてくれ」と言われたとき、ASD患者はその「とりあえず」の意味を理解することができず、戸惑うそうである。

 ASD患者の脳の活動を磁気センサーで観察した結果では、左前脳と右後脳の活動が健常者に比べて弱いそうである。これは、両脳の間を繋いでいる神経細胞のシグナル伝達が健常者に比べて極めて乏しいということであろう。

 「他者の視点を想像することが難しい」ということは、他者の「意識」を感受する力が乏しいということである。私は、「意識」を未知の「波動」とするならば、それは電波や光のように光源あるいは電波発信源から発する波動を受け取る「装置」のような働きをするものが人間の脳に備わっていて、それによってその「意識」を受け取ることができると考えている。

 政治家で公私混同・私利私欲だと世間から批判を受けている人は、そのような「意識の波動」を感受する「装置」のフィルターが働いていて、自分自身ではそのような批判が何故自分に向けられているのか気付くことができないため、なかなか理解できないのだろう。

 現代の科学では「意識」は未だ解明されていず、今後100年経っても解明はできないだろうと言われている。その「意識の波動」は時間と空間を超越し、広大無辺・自由自在・融通無碍に伝搬している、と私は考える。

 釈尊(お釈迦さま)の尊い教えや、普遍仏教の開祖たちの教えや、昔の高僧の教えは文字によって伝えられている。「意識」を上述のように考えると、「意識の波動」を受信することを自ら「意識する」者は、釈尊や普遍仏教の開祖や、昔の高僧や、イエス・キリストや、マタイやルカやパウロの「意識」を感受することができるに違いない、と私は思っている。

 日本ではASD患者が100万人ぐらい居るそうである。人は何故ASD患者としてこの世に生まれ出るのだろうか?それは親から子へと核DNA遺伝子がコピーされるとき、元々の遺伝子に異常があったためなのか?或は遺伝子の突然変異によるものなのか?或は遺伝子の発現において何かエピジェネティックな修飾が行われたためなのか?

 私は、「この世」に生きている者は、誰か過去に生きた者の「あの世」を生きている、と思っている。また、私は、過去に生きた人の「意識」が「この世」に生きている者の「意識」に何らかの作用を及ぼしている、と思っている。しかしそのような発想や実感はその人限りのことであって、他人にいくら説明しても極めて理解され難いことである。

ここで重要なことは、常にプラス思考で、物事を多面的に捉え、かつ誠実・謙虚な気持ちで問題に対処すべきである、ということである。何故なら、傍から見てとても不憫・不幸な状況にあるような人でも、当の本人は心の持ち方次第で幸福でもあり、不幸でもあるからである。


そのような「当の本人」であることについても、「当の本人」を慈しみの眼差しで見つめている「意識の波動」が及んでいるに違いない、と私は思っている。その波動は過去に生きた人が発している波動であったり、今を生きている人が発している波動であったりするであろう。「当の本人」の幸・不幸は、そのような波動を感受する「当の本人」の意識次第である、と私は思っている。