2010年8月31日火曜日

驚いた!(20100831)


Googleで検索したら次の記事に男は非常に驚いた。この記事の内容が真実かどうかはまだ確認していない。

記事を書いた人は千葉大学名誉教授清水馨八郎というお方である。インターネット辞典Wikipediaによれば「東京文理科大学 (旧制)(現筑波大学)理学部地学科卒。海軍兵学校教官、千葉大学教育学部教授を経て、現在千葉大学名誉教授、イオンド大学教授。理学博士。勲三等旭日中綬章。」とある。

その記事の内容は非常に衝撃的であるので、それをこのご高齢の教授が直接書いたのか、誰かが代わってキーボードをたたいたのか、またはこの教授の名を語って誰かがそれらの政治家を中傷するような情報を発信したのか、男には判断がつかない。

しかし、そこに書かれている内容は、旧社会党、現社民党、そして民主党の有名政治家の実名をあげ、その出自を朝鮮半島の人の氏名で紹介し、また民主党の有名政治家については親が朝鮮半島出身者であることや、秘書が韓国人女性であり、その女性がその政治家の秘書になったことを紹介する韓国の通信社・聯合ニュース(れんごうニュース)の記事;【東京9日聯合】まで紹介している。
もし、事実ならば、そのことを全日本国民は知っていなければならないと思う。なぜならば、国会議員の行動はそのバックグラウンドに左右されるからである。その言動は日本の国益に直接影響を及ぼすからである。

戦前は、朝鮮半島の人たちも‘日本人’とされていた。男の父親も今の韓国の慶尚北道の小学校で教員をしていていたし、その地の青年男女の教育訓練にも従事していた。叔母は今のソウルの女子師範学校を出て同級生には今の韓国人も多い。1945年9月、父親は事務引き継ぎを終えて朝鮮から引き揚げてきが、父親は子供の頃の男に、「朝鮮人は非常に優秀だ」と言っていた。優秀な民族が隣国・中国の支配下、力を出せずにいたのだ。

古来、日本には朝鮮半島や中国大陸から非常に多数の人たちが渡来してきていて、皆日本人になっている。鹿児島県には朝鮮の陶工たちの子孫がいる。陶工たちは薩摩藩で上士の身分を与えられ、薩摩藩に貢献した。その子孫は未だにその先祖を誇りにしている。

戦後、現在までにも日本に帰化した朝鮮半島出身者の数は約30万人である。その一方、永住権を得ている在日の人たちの数は減少を続け、今や中国人が約70万人でトップとなった。2位は朝鮮半島出身者で約60万人、3位は約30万人である。

政治家の先祖の国籍を云々するのはナンセンスである。しかし、その政治家たちが天皇を軽視し、私利私欲に走り、国益を損じる言動をするならば、絶対許せぬことである。

2010年8月30日月曜日

愛は地球を救う(20100830)


日本テレビが1978年に始めた「愛は地球を救う」と題する24時間連続放送のチャリティ番組をちょっと見た。この「愛は地球を救う」という題や活動の実際について批判や非難もあるようである。しかしこの番組で障害者やその家族の皆さんが前向きに頑張っている様子や、戦争を全く知らない世代の人たちが平和への取り組みをしている様子が紹介され、視聴者に感動を与えている。

紹介されていることは、日本の1億2千7百万人の中の、非常に小さな一例である。日本の繁栄や防衛、国民の生活の向上や安全などのため日夜活動している大多数の人々に目を向けたものではない。しかし、そのような非常に小さな一例についてこのような24時間テレビ番組などで目を向けるということは十分意義があると思う。

そういう観点で短い時間ではあったが、男は今朝「愛は地球を救う」番組を見て、次の三つの事例に感動した。一つは不治の病である神経性筋委縮症の女の子とその兄の幼い二人の兄妹の様子、もう一つは全盲の若い女性のスイマーがトライアスロン競技に挑戦している様子、最後の一つは広島安芸郡府中町の小学校で、その小学校出身の歌手で映画俳優の吉川晃司との交流により完成した歌のことである。

吉川は子供たちに「戦争反対」とか「反戦平和」とかいった言葉を使わず、普段の日常の生活の中で聞いた言葉を集めて欲しいと言った。子供たちは原爆体験者から話を聞いて、言葉を集め、討論して一つの詩の形にした。吉川はこれを作詞家に協力を依頼して修正し、音符をつけて歌にした。子供たちは渡された楽譜をもとに1週間で合唱の練習し、テレビの前で披露した。いい歌だった。男は感動した。涙が出た。

同時にアメリカがたった1発の原子爆弾で14万人の広島市民を死なせた事実にある種の憤りを覚えた。当時日本の指導者たちはアメリカとの対立・戦争の間、戦争にならないための努力や、戦争をやめる努力はしたが、結局ノックアウトされてようやく戦争は終結した。

昨日、男は古本屋で渡部昇一の著書『東京裁判を裁判する』(致知出版社)を購入した。本の装丁は新品並みであったが定価は半額の700円だった。この本のページをめくってみると、日本人の精神がアメリカによって根本的に改造された状況が見えてくる。自虐的精神は、結果的に‘作られた’ものである。男も近現代の日本の歴史について、殆ど学んでいなかった。学校で教えられなかった。男は今後日本の近現代の歴史を学んでゆこうと思う。

現代の国際情勢の中で日本は自ら核武装し、強大な打撃力を持たない限り、アメリカとの同盟関係を強力に維持しなければ、日本の安全は確保されないこのとは明白である。昨日、テリー伊藤がテレビで日本は武力を持たなくてもよいようなことを言っていたが、軍事について男も含め一般国民は十分な理解と知識を持っていないことは確かである。

1億2千7百万人の中の非常に小さな一例だけに目を奪われるのではなく、古代から緊張関係にあった大陸諸国との平和共存のため武力の保持も、科学技術力や経済力や文化力などとともに大変重要であることにも、多くの国民は目を向けるべきであると思う。

2010年8月29日日曜日

北方領土(20100829)


 26日付の読売新聞に、福岡市内の旅行業者がロシアのビザで北方領土への観光旅行を企画し、日本人9人がロシアのビザを取得して北方4島を訪問したことが分かり、外務省がその業者に厳重抗議したこと報じられている。件の業者は「今後このようなことはしない」と言ったという。

 以下は北方領土に関する外務省の公式見解の一部を「である」調でここに書きとめるものである。戦後日本人は近現代史について十分な教育を受けていない。政府は未来を担う子供たちに対して日本緒近現代史についてしっかりした知識を教え込むようにすべきである。

① 日本はロシアより早く、北方四島(択捉島、国後島、色丹島及び歯舞群島)の存在を知り、多くの日本人がこの地域に渡航するとともに、徐々にこれらの島々の統治を確立した。

② それ以前も、ロシアの勢力がウルップ島より南にまで及んだことは一度もなかった。1855年、日本とロシアとの間で全く平和的、友好的な形で調印された日魯通好条約(下田条約)は、当時自然に成立していた択捉島とウルップ島の間の国境をそのまま確認するものであった。それ以降も、北方四島が外国の領土となったことはない。

③ しかし、第二次大戦末期の1945年8月9日、ソ連は、当時まだ有効であった日ソ中立条約に違反して対日参戦し、日本がポツダム宣言を受諾した後の同年8月28日から9月5日までの間に北方四島のすべてを占領した。当時四島にはソ連人は一人もおらず、日本人は四島全体で約1万7千人が住んでいたが、ソ連は1946年に四島を一方的に自国領に「編入」し、1949年までにすべての日本人を強制退去させた。それ以降、今日に至るまでソ連、ロシアによる不法占拠が続いている。

Wikipediaの記事が正しいかどうかは未確認であるが、そこには以下のような記事がある。

① 日本が「国際法上所属未定」と主張する中、日本以外の多くの国は、中・北千島や南樺太については、ロシアの領有権を事実上認めるようになっている。したがって、海外の地図は、中・北千島と南樺太をロシア領として処理している。

② 「北方領土」についても、ロシア領と地図上で表現する例がほとんどであり、根室海峡のみに国境線を引き、北方領土の部分には国境線を引かずに、地図上の「北方領土」部分に「ロシアが施政権を行使(ないしは占領)、日本が返還要求」という趣旨の記述を加えている地図出版社も見られる。

③ なお、中国の世界地図では、北方領土が日本領となっている。

 小沢氏は民主党代表選に立候補することを正式表明した。その小沢氏は26日付の読売新聞によれば、講演会で「米国人は単細胞」と言い、英国について「さんざん悪いことをして紳士面をしている」とこき下ろしている。その一方で両国を褒めている。 小沢氏は古代、日本はそうしなかったが中国の皇帝と名目的な君臣関係を結ぶ柵封を求めた当時の周辺国君主のように、反欧米的で中国をバックに政権を奪取したいと考えているように見える。

2010年8月28日土曜日

竹島と尖閣諸島(続き)(20100828)


公務員は‘公(おおやけ)’のため働き俸禄を得て暮らすものである。そのためには時に‘私’を犠牲にしなければならない。

昔から私利私欲にとりつかれた公務員はいた。しかし同じ公務員でも軍人には身を国の為捧げ、死んでいった人たちが非常に多かった。この人たちの魂は靖国神社に祀られている。

今、海外に出て危険な任務についている自衛官(‘軍人’)たちは、次のような宣誓をして国の為に勤めている人たちである。そのことを知らない政治家や国民は圧倒的に多い。



自衛官は、入隊時に以下のような文章の記された宣誓文を朗読、署名捺印をする事が義務付けられている。 いかなる理由でもこれを拒否した場合は、入隊することができない。

私は、我が国の平和と独立を守る自衛隊の使命を自覚し、日本国憲法及び法令を遵守し、一致団結、厳正な規律を保持し、常に徳操を養い、人格を尊重し、心身を鍛え、技能を磨き、政治的活動に関与せず、強い責任感をもつて専心職務の遂行に当たり、事に臨んでは危険を顧みず、身をもつて責務の完遂に務め、もつて国民の負託にこたえることを誓います。


12月に自衛隊は米軍と協同して「離島奪回訓練」を行う。大分の日出生台演習場を主会場として日米共同訓練を行い、離島周辺でも訓練を行う。

ハワイ沖でミサイルの発射訓練をおこなったイージス艦が千葉沖で漁船と衝突し、二人の前途ある‘海軍将校’たちが罪に問われている。彼らはマスコミの‘反軍’的なキャンペーン報道のため不利な立場に置かれている。漁船員の不幸な死を心から悼み、自ら道義的責任はあるとしながらも漁船側の行動の非を訴えている。彼らに自衛官(‘軍人’)免職という‘切腹’の覚悟はできている。その家族は路頭に迷うことになるだろう。

男を含め60代、70代の年代の自虐的史観のため、わが日本国はどれほど損害を被ってきていることか!靖国神社に祀られている英霊たしも浮かばれない。戦後の平和を享受している時代のものの見方考え方によって父祖たちの時代のことを推し量り、父祖たちの行動を非難することは絶対間違っている。

勿論、個々のケースで不条理・悲惨なことは多々あった。戦争だからと片づけてしまってよいものではない。しかし、その個々のケースを全体化しようとすることは正しくない。個々の不条理・悲惨なケースは何処の国でもあり得ることである。ベトナム戦争をしたアメリカも同様である。それだけに焦点を当てれば国を危うくしてしまう。

自虐的史観にとりつかれている世代を支えている世代の人たちの考え方はもっと現実的である。ある意味ではしっかりしている。

男は彼らに期待し、彼らに、彼らが60代、70代の人たちから教えられなかったことを教えたいと思って行動している。

2010年8月27日金曜日

竹島と尖閣諸島(続き)(20100827)


竹島に続き尖閣諸島について外務省の公式見解を以下に「である」調で掲げる。

中国は、大陸棚油田開発や漁業権、台湾との統一を視野に入れた国家戦略のこともあって、公式に堂々と「尖閣諸島は中国固有の領土である」と主張するようになったのである。



尖閣諸島の領有権についての基本見解

① 尖閣諸島は、1885年以降政府が沖縄県当局を通ずる等の方法により再三にわたり現地調査を行ない、単にこれが無人島であるのみならず、清国の支配が及んでいる痕跡がないことを慎重確認の上、1895年1月14日に現地に標杭を建設する旨の閣議決定を行なって正式にわが国の領土に編入することとしたものである。

② 同諸島は爾来歴史的に一貫してわが国の領土たる南西諸島の一部を構成しており、1895年5月発効の下関条約第2条に基づきわが国が清国より割譲を受けた台湾及び澎湖諸島には含まれていない。

③ 従って、サン・フランシスコ平和条約においても、尖閣諸島は、同条約第2条に基づきわが国が放棄した領土のうちには含まれず、第3条に基づき南西諸島の一部としてアメリカ合衆国の施政下に置かれ、1971年6月17日署名の琉球諸島及び大東諸島に関する日本国とアメリカ合衆国との間の協定(沖縄返還協定)によりわが国に施政権が返還された地域の中に含まれている。以上の事実は、わが国の領土としての尖閣諸島の地位を何よりも明瞭に示すものである。

④ なお、中国が尖閣諸島を台湾の一部と考えていなかったことは、サン・フランシスコ平和条約第3条に基づき米国の施政下に置かれた地域に同諸島が含まれている事実に対し従来何等異議を唱えなかったことからも明らかであり、中華人民共和国政府の場合も台湾当局の場合も1970年後半東シナ海大陸棚の石油開発の動きが表面化するに及びはじめて尖閣諸島の領有権を問題とするに至ったものである。

⑤ また、従来中華人民共和国政府及び台湾当局がいわゆる歴史的、地理的ないし地質的根拠等として挙げている諸点はいずれも尖閣諸島に対する中国の領有権の主張を裏付けるに足る国際法上有効な論拠とはいえない。



竹島も尖閣諸島もわが日本国固有の領土である。わが国の領土の保全のため自衛隊(‘日本国防軍’)が行動するのは当然のことである。平和ぼけしてしまった日本人は、世界中で‘軍’として認められている組織を敢えて‘自衛隊’と呼び続け、同様に‘歩兵連隊’と呼ばれている組織を‘普通科連隊’とし、‘駆逐艦’と呼ばれている船を‘護衛艦’とし、何よりも‘軍人’と呼ばれているものを‘自衛官’と言い換えている。

国を憂え、当選すれば公になることを恐れず敢えて論文を書いた‘日本国防空軍’の最高司令官を、論文が公になったことで栄誉礼もなくその首を切った。それで良いのか!

2010年8月26日木曜日

竹島と尖閣諸島(20100826)


竹島を韓国は実効的に支配し、「独島」と呼んでいる。尖閣諸島については、中国はその領有権を主張している。日本国民はこれらの島の領有権の真実を知りたいと思っている。しかし、政府はこらら離島の領土問題について積極的に説明しようとはしない。何故なのか?隣国との外交的な問題として、隣国に配慮しているからだろうか?素朴な疑問である。

韓国は、韓国の古文書に添付された地図には、鬱陵島と「于山島」が別個の2つの島として記述されている。それを根拠に「于山島は日本のいう松島(現在の竹島)である」としている。さらに、對馬については「日本国対馬州なり。旧(もと)、我鶏林に隷属す。いつ倭人の拠る所と為りしかを知らず。」と書かれている。

しかし、于山島は実在せず、それは鬱陵島のことである。なお、韓国内には對馬も自国の領土であると主張する人たちがいて、実際、對馬の一部は韓国人によって買い占められている。その買い占められた部分は自衛隊(‘日本国防軍’)の基地まで迫っている。

外務省はホームページで竹島の認知について説明している。しかし、殆どの日本人はこのことを知らない。マスコミも積極的に取り上げようとはしない。何故なのか?

外務省による竹島の認知に関する説明の一部を「である」調文体で以下に掲げる。



【日本における竹島の認知】

① 現在の竹島は、我が国ではかつて「松島」と呼ばれ、逆に鬱陵島が「竹島」や「磯竹島」と呼ばれていた。竹島や鬱陵島の名称については、ヨーロッパの探検家等による鬱陵島の測位の誤りにより一時的な混乱があったものの、我が国が「竹島」と「松島」の存在を古くから承知していたことは各種の地図や文献からも確認できる。例えば、経緯線を投影した刊行日本図として最も代表的な長久保赤水(ながくぼせきすい)の「改正日本輿地路程(よちろてい)全図」(1779年初版)のほか、鬱陵島と竹島を朝鮮半島と隠岐諸島との間に的確に記載している地図は多数存在している。

② 1787年、フランスの航海家ラ・ペルーズが鬱陵島に至り、これを「ダジュレー(Dagelet)島」と命名した。続いて、1789年には、イギリスの探検家コルネットも鬱陵島を発見したが、彼はこの島を「アルゴノート(Argonaut)島」と名付けた。しかし、ラ・ペルーズとコルネットが測定した鬱陵島の経緯度にはズレがあったことから、その後にヨーロッパで作成された地図には、鬱陵島があたかも別の2島であるかのように記載されることになった。

③ 1840年、長崎出島の医師シーボルトは「日本図」を作成した。彼は、隠岐島と朝鮮半島の間には西から「竹島」(現在の鬱陵島)、「松島」(現在の竹島)という2つの島があることを日本の諸文献や地図により知っていた。その一方、ヨーロッパの地図には、西から「アルゴノート島」「ダジュレー島」という2つの名称が並んでいることも知っていた。このため、彼の地図では「アルゴノート島」が「タカシマ」、「ダジュレー島」が「マツシマ」と記載されることになった。これにより、それまで一貫して「竹島」又は「磯竹島」と呼ばれてきた鬱陵島が、「松島」とも呼ばれる混乱を招くこととなった。

④ このように、我が国内では、古来の「竹島」、「松島」に関する知識と、その後に欧米から伝えられた島名が混在していましたが、その最中に「松島」を望見したとする日本人が、同島の開拓を政府に願い出た。政府は、島名の関係を明らかにするため1880(明治13)年に現地調査を行い、同請願で「松島」と称されている島が鬱陵島であることを確認した。

⑤ 以上の経緯を踏まえ、鬱陵島は「松島」と称されることとなったため、現在の竹島の名称をいかにするかが問題となった。このため、政府は島根県の意見も聴取しつつ、1905(明治38)年、これまでの名称を入れ替える形で現在の竹島を正式に「竹島」と命名した。



【韓国における竹島の認知】

① 韓国が古くから竹島を認識していたという根拠はない。例えば、韓国側は、朝鮮の古文献『三国史記』(1145年)、『世宗(せそう)実録地理誌』(1454年)や『新増東国輿地勝覧(しんぞうとうごくよちしょうらん)』(1531年)、『東国(とうごく)文献備考』(1770年)、『萬機(ばんき)要覧』(1808年)、『増補(ぞうほ)文献備考』(1908年)などの記述をもとに、「鬱陵島」と「于山島」という二つの島を古くから認知していたのであり、その「于山島」こそ、現在の竹島であると主張している。

② しかし、『三国史記』には、于山国であった鬱陵島が512年に新羅に帰属したとの記述はあるが、「于山島」に関する記述はない。また、朝鮮の他の古文献中にある「于山島」の記述には、その島には多数の人々が住み、大きな竹を産する等、竹島の実状に見合わないものがあり、むしろ、鬱陵島を想起させるものとなっている。

③ また、韓国側は、『東国文献備考』、『増補文献備考』、『萬機要覧』に引用された『輿地志(よちし)』(1656年)を根拠に、「于山島は日本のいう松島(現在の竹島)である」と主張している。これに対し、『輿地志』の本来の記述は、于山島と鬱陵島は同一の島としており、『東国文献備考』等の記述は『輿地志』から直接、正しく引用されたものではないと批判する研究もある。その研究は、『東国文献備考』等の記述は安龍福の信憑性(しんぴょうせい)の低い供述を無批判に取り入れた別の文献(『彊界考(きょうかいこう)』(『彊界誌』)、1756年)を底本にしていると指摘している。

④ なお、『新増東国輿地勝覧』に添付された地図には、鬱陵島と「于山島」が別個の2つの島として記述されている。もし、韓国側が主張するように「于山島」が竹島を示すのであれば、この島は、鬱陵島の東方に、鬱陵島よりもはるかに小さな島として描かれるはずである。しかし、この地図における「于山島」は、鬱陵島とほぼ同じ大きさで描かれ、さらには朝鮮半島と鬱陵島の間(鬱陵島の西側)に位置している等、全く実在しない島であることがわかる。

2010年8月25日水曜日

協調と競争(20100825)


人と人の間でも、国と国の間でも、協調と競争がある。自分に相手と競争することができるだけの力があると、相手は自分に敬意を表する。逆に自分が相手と競争するだけの力がないと、相手は自分を見下げる。国と国の関係でもこれは全く同じことである。

日本と中国は古来対等に協調と競争の関係にあった。聖徳太子は「日出づる国の天子、書を日没する国の天子に致す」と書いた国書を小野臣妹子に携えさせて隋(当時の中国)に派遣し、朝鮮半島北部の高句麗への侵略を狙う超大国・隋と堂々としてわたりあっていた。聖徳太子は第32代用明天皇(585-587年)の第2子であり、第33代推古天皇(592-628年)により皇太子として立てられたお方である。

女性天皇と女系天皇の違いが分からぬ一般庶民、特に女性や、万世一系の天皇を重んじない自虐・偏向思想の学者たちが、天皇になられる方の子供が女子であった場合、その女子がまた天皇になってもよいと考えている。しかし推古天皇は女性天皇であって女系天皇ではない。推古天皇の後はまた第30代敏達天皇の孫息子・第34代舒明天皇になっている。天皇家は男系で継いできた世界に例がない最長の歴史をもっている。日本人の誇りである。

中国は皇帝が漢族だけでも続かなかった。それも万世一系ではなかった。さらに皇帝は蒙古族であったり(元王朝)、満州から朝鮮半島北部を支配したツングース系の満州族であったり(清王朝)であったりしている。そこで中国は歴史の古さだけを誇らざるを得ない。

中国は漢族を中心として、チワン族、回族、ウイグル族、モンゴル族、満州族、朝鮮族など55種に及ぶ多民族国家である。朝鮮半島も支配していた清王朝のとき大陸はイギリスによって麻薬アヘンが持ち込まれ、フランス、ドイツ、ロシアなど列強の餌食になっていた。朝鮮半島も同様の状況になりかねなかった。日清戦争の後、清はそれまで1500年間にわたり続けられてきた官僚の登用制度である科挙制度を廃止し、多数の留学生を日本に送り込み、近代化をはかり、今世紀に入り中華人民共和国という統一された国になった。

現代の中国で使われている用語に、「帰納法」、「演繹法」、「哲学」、「真理」、「命題」、「心理」、「物理」、「消費」、「地質学」、「植物学」、「動物学」等々の漢字の新造語があるが、これは清王朝が明治時代日本に派遣した中国の留学生によって持ち帰られたものである。これらは西周 (にし あまね、文政12年(1829年)-明治30年(1897年)が西洋哲学の翻訳・指導を通じて創った新造漢語である。このことを知らない日本人が余りにも多い。

今、日本と中国は貿易・経済・文化の面で切っても切れない非常に密接な関係にある。21世紀に入り、日中両国間の密接な協調がますます必要になってきている。一方で、中国は核兵器を所持し、アメリカに対抗して軍拡を進めている。日本と中国の間には軍備の競争が生じている。軍備だけではなく、科学技術を含むあらゆる分野で競争が生じている。

我が国の国民が、自らの歴史を良く知り、自らの国の優れている点をよく知り、中国に畏敬される競争力を持つならば、中国は尖閣諸島の領有権や黄海での油田開発等で我が国を侮ることはない。腰に大刀を差し、剣術の心得がある者を侮らないことと同じである。

2010年8月24日火曜日

映画『雨に日にパリに死す』(20100824)

 さるお方から葡萄のピオーネとロザリオ・ビアンコを贈られた。毎年お盆とお歳暮の贈り物をしたり、頂いたりしている。送る時は多少の値段が高くても、できるだけ美味しいもの、珍しいものを贈るようにしている。頂き物も日頃値段が高くてちょっと手を出しかねているものである。このようにして贈り物をしたり頂いたりすることは楽しく、嬉しい。

 このところ数日間は日中よく風が吹き抜けるので日中エアコンを使うことはなかったが、今日(23日)は無風状態で屋外は相変わらず蒸し暑い。そこで今日は、昨夜来エアコンのスイッチは切らずにいる。夕方近くなって気温が下がって来たら出かけようと思っている。

 昨日は夕刻、多小気温が下がってからシャワーを浴び、女房と一緒に散歩に出かけた。横浜トレッサのフロアでDVDや本などを安売りしていた。男は『雨の日パリに死す』など古い映画のDVDを5本買い込んだ。女房も『想い出のフォーク&ポップス』を買った。

 昼前、二人で『雨の日パリに死す』を観た。エリザベステイラーが主演の映画である。もう56年も前に創られた映画である。第2次大戦が終わって間もないころのパリの風景が映し出されている。「ここに写っている人たちはもう死んでいるわね」と女房が言う。半世紀経とうと人々の心や暮らしぶりは変わらない。何千年経っても変わらない。ただ、人は老い、この世を去って行くだけである。何十年も後の世に、このブログの記事を読んだ人が、何十年も前の世に、一組の老夫婦が安売りのDVDを買ってきて50年以上も前のパリの風景を映し出した映画を観たということを知る。但し、「この記事を読む」という仮定付きである。何十年の後に読まれると言うことは、全く期待せず、ある夏の暑い日の午前のひとときのことを記す。記して自己満足している。DVDの画質は意外に良かった。

 このようにして自己満足できる人は大変幸せである。世の中には何か創造的なことをする能力もなく、何か他者を援けることをすることもせず、病院のベッドに横たわっている人も多い。家の中に閉じこもっていて人が訪れて来ることや電話がかかってくることを数少ない楽しみの一つにしている独居老人も多い。

 日本対がん協会会長の垣添忠生先生が書いた『がんの妻を看取る』という記事が出ている。人はがんには勝てない。勿論早期発見でがんを克服した人は多い。しかし早期発見でも克服できないがんがある。先生の奥様の場合「小細胞肺がん」であった。

 男は前立腺がんを摘出手術により克服しているが、もし「小細胞肺がん」のようながんに侵されたら発症して短期間に死に至るであろう。今如何に元気そうにしていてもある日突然治癒見込みの無いないがんに侵されるかわからない。命は無常である。

 そこで、日々「あの世」逝きの死に支度を行っておく必要がある。この支度のための作業は楽しくもあり、「急いで完成させなければ」という焦り感もある。『雨の日パリに死す』の登場人物たちのように、その時々を精一杯楽しみ、死を忘れるような生き方は羨ましくも思うが、いくら金が自由に使え、金に困らない暮らしであっても、何かさびしい気がする。常に自分の死を意識した生き方の方が淋しくないように思う。

2010年8月23日月曜日

ネットワーク・システム(20100823)


 神経細胞は「細胞体」と、他の細胞からの入力を受ける「樹状突起」と、他の細胞に出力する「軸索」がある。一つの神経細胞の「軸索」と他の細胞の「樹状突起」の間に電気信号が「流れ」がある。人間や組織つながりによる社会的なネットワークや電気通信のネットワークも、「節点」と「経路」を結ぶ「流れ」がある。この密度が高度で効率的であればあるほどシステムとしてのパワーが大きい。

 一人の人間がどんなに頭が良くてスーパーマンのようであっても行動の目的を共有する人と人とのネットワークのシステムには絶対かなわない。ピンクパンサーという国際的な盗賊のネットワーク・システムも、国際刑事警察機構という国際的な警察ネットワーク・システムにはかなわない。国際テロ集団にもネットワーク・システムで対処できる。

 スポーツも戦争もシステムとシステムの競争、或いは戦いである。システムの優位な方が勝利する。スポーツでは、選手一人だけの力では競争には絶対勝てない。

 システムということが良く分からない人たちが多い。普天間基地移転問題はこじれ、感情的な問題に発展してしまった。その根本原因は、政治家も官僚たちも軍事システムということについて理解や知識が足りなかったためである。

 人の身体を一つのシステムとして考えてみる。それを国というシステムと対比してみる。頭脳は政府である。軍事力は武器を手にしている状態である。全身の神経網は、国の通信網である。全身の血管は国の交通網である。

 武器を手にしている人間同士は、自分が強いかどうか常に意識し、相手に馬鹿にされないように武術の鍛錬をする。同様に国の軍隊同士は相手の軍隊の能力を意識し、時々演習などで相手に圧力をかけ、時々領空・領海すれすれに行動して相手の軍隊の出方を探ろうとする。ロシアの爆撃機がそのような行動をし、武装して待機していた航空自衛隊(‘日本国防空軍’)の戦闘機が緊急発進して次々にリレーしながら監視を続ける。中国の艦隊がそのような行動をして海上自衛隊(‘日本国防海軍’)の護衛艦(‘駆逐艦’)が一定の距離をおいて航行し監視を続ける。

 民主党が昨年行った公開の事業仕訳はパフォーマンスの面が見え見えだったが、国民にいろいろ情報が公開されたという面で非常に良かった。その時スーパーコンピューターについて「1位ではなくて、2位では駄目なのか」と質問されたとき、反論することができなかった。これは官僚にコンピューターシステムに関する見識が欠けていたためである。

 多数決だけによって国の政策が左右される状態は良くない。真の民主主義とは、「良識があり志を同じくする有能な、ごく限られた少数の人たちが連帯して決定したこと」を、その人たちが皆をまとめて「民意」に仕向け、それで多数決を得るようにすることであると男は思う。

 夫婦は最小のネットワーク・システムである。例えば夫婦と子供二人の家庭の意見は、一応子供たちの意見も聞くがあくまで参考にするものであって、子供たちによく話してきかせて納得させ最終的には夫婦の意見を一家の意見とする。同様に、この国も表面には出ない良識ある人脈のシステムでこの国を導いてもらいたいと思う。

2010年8月22日日曜日

フリ-メイソン(20100822)

 近くで花火が上がっている。ここから3キロメートルぐらい先の川下のほうで毎年この時期花火が上がる。男の家からそれが見える。女房が「きれい!きれい!」と感動している。其処まで散歩して見に行けば感動もさらに大きいことだろう。今夜は東風が吹いていて花火が見える東側の窓を全開していると涼しい。

 男は4時過ぎ川の周りを散歩した。全天雲一つなく、お日様がきらきら輝いて西に傾いていた。満水の川面がお日様の光を受けて煌めいている。川沿いの建物や樹木や雑草などが川とともに美しい風景を作っている。この街は男の一家が転職と共に引越してきた当時に比べ随分垢ぬけてきた。当時は汚い建物が多かったが、新しいものに建て替えられたり、新しい建物が建ったり、川の周辺も防災工事関連で整備され、川そのものも綺麗になった。25年ほどの間にこの街は交通の便もよく、買い物にも便利になり、住みよい街になった。

 散歩のついでに足を延ばして大型複合商業施設トレッサ横浜まで行った。本屋に立ち寄り題名ははっきり覚えていないが「生命は宇宙からやってきた」ということが書かれている単行本のページをめくってみた。本の内容は、この地球上の生命は地球上で独自に発生し、進化して来たのではなく、宇宙からやってきた生命が元であるという学説である。面白い。宇宙空間には想像以上の生命が漂っているというのである。

 フリーメイソンのことが書かれている単行本も目についた。戦後日本の政界・財界などにフレーメイソンのメンバーがいて、フリーメイソンが世界を動かしているというのである。フリーメイソンのメンバーにはランクがあって、誰それは第32位というようなことが書かれている。戦場で敵味方であってもフリーメイソンの合言葉があればお互い殺すことはないという。フリーメイソンには何か暗い影が付きまとっているように一般には受け止められているが、実際はそうではないらしい。但し当然のことながら、誰でもフリーメイソンのメンバーになれるわけではないようである。

 面白いのはフリーメイソンでも犯罪に関与した例があったということである。どうもフリーメイソンは世界的な組織で、政財界のそれなりの人がメンバーになっていて世界的ネットワークの中で練られた計画に基づき、世界を動かすような仕組みのようである。戦犯で処刑された東条英機元首相は、処刑される直前、フリーメイソンのメンバーの一人に妻に託すメッセージを書く紙と筆記具を求め、それを渡したら彼は何やら書いてメンバーに託したということである。そのメッセージは彼の親族に渡されたという。

 きちっとした理念に基づき構築されたネットワークシステムは力を発揮する。丁度頭脳の中の神経細胞のネットワークのようである。非常に優れた一人の頭脳・識見・行動力よりも、個々がそのような能力の集合システムのアウトプットが驚くほど大きな結果をもたらす。フリ-メイソンはそのような組織なのだろう。

脳神経細胞が樹状突起と軸索でシナプス結合し、能力を高めて行く仕組みを世界規模のメンバーシップの有機的結合まで拡大したのがフリーメイソンだと男は思う。

2010年8月21日土曜日

民主党、何が原点か!(20100821)

軽井沢で鳩山氏グループ、小沢氏グループが集った。鳩山氏は小沢氏に平身低頭の歓迎。脇に小沢氏信奉の女性議員ら。報道のカメラを意識した表情。

「原点に立ち戻る」というが、その原点がある座標そのものの空間的位置がわが国の現実と乖離していることに目をつぶっていないか?自分たちの私利私欲のため理性を失い、「原点、原点」と叫ぶ。ま、政治はパフォーマンスであろう。「挙党一致、挙党一致」と叫び、改選される新内閣でのポストを確保したいのが本音なのかもしれない。

ニホン猿の猿山の集団の個々の猿たちのように、目をきょろきょろして常に上下関係を確かめながら言動している。それが我々が選んだ政治家たちである。しかも悪いことに、自分の得票数に無関係に、国会議員として当選したら「日本全国民から支持された」と言う。国民の大多数は「あなた個人を支持しているわけではない」のに・・。

民主党の原点の間違いは以下のとおりである。

① 官僚たたき・・天下り官僚の「渡り」が悪いのであって、天下り後第二の人生をずっと定年までその法人で働くことは保障されなければならない。官僚の定年を延ばし、人件費を膨らませ、官僚組織に活気をなくすようなことが果して正しいやり方か?

② ばらまき・・防衛費よりも多くなる子供手当。給付された手当は多くは貯蓄に回り、経済効果は少ない。しかも保育園が極端に不足し、女性が働きたくても働きに出る環境が旧態依然である。子供手当は票取りのパフォーマンス、大衆迎合政治スローガンだ。

③ 外国人参政権・・これも票が目当てで国益完全無視の政策である。

④ 代表選への外国人参加・・これも国益無視、党利党略、自分のシンパの増勢策である。

⑤ 消費税増税必要の説明を批判・・これも上と同じである。

要するに、小沢氏及びそのシンパはこの国のことよりも自分自身の利益を最優先していることは明白である。そのような連中にこの国の未来を託すことは危険である。

不見識な政治家たちは「政治」とは「政治的に動くことである」と勘違いしている。国家良民のためよい政治を行うことが政治である筈であるのに、私利私欲のため「政治的に」動くことが政治であり、「政治的に」権力を握れる人物が「大物」であると思っている。

正に今も変わらず、自ら「檄文」で国民に訴え、古式に則り切腹し、介錯を受けて果てた 三島由紀夫が嘆いた状況が続いている。戦前の教育を受け、戦後アメリカ式民主主義を学び、価値観が定まらない連中、これを書いている男も含む、は猛省し、今一度、自分たちの父祖の価値観をもってこの国を改革する行動に出なければならない。

ゴラン高原に行く自衛官(男はこの言葉が嫌いである。‘軍人’、せめて‘国防軍兵士’と読み替えたい!)たちの出陣式の様子が一部のテレビで報道された。離島奪還の訓練を実施するということが一部の新聞に大々的に報道された。タンカーへのテロ攻撃のことが大きく報道された。民主党にはタンカーの護衛も海上保安庁の巡視船で行えばよいと思っている連中が多数いるだろう。靖国神社への参拝もせず、隣りの大国に色目を使っている。

2010年8月20日金曜日

靖国神社に想う(20100820)


靖国神社には国難に殉じた方々の御霊が祀られている。一方で、国難に殉じたとは言え、国の指導者として敗戦まで指導した責任があった方々も合祀されている。

日本が侵略国家ではなく、合法的に大陸や東南アジアに軍事力を展開したという考え方は自虐的史観に毒されている多くの日本人にはまともに受け入れられていない。東京裁判は戦勝国による一方的な判決を言い渡された裁判であるという考え方も同様である。

男は近現代の歴史の認識について無学なくせに何かを言おうとするものではない。ただ、自らの自虐的な史観に囚われている人たちに、もっと別の角度からあらためて近現代史を見つめ直したらどうだろうかと問いかけたい。

先日NHKの討論会で日韓両国間の歴史認識が取り上げられていた。その総括は、「日本人は近現代史についてもっと学ばなければならない。韓国人は日本に対し一方的に反感を持つことはやめなければならない。このような討論会は今後も行うべきである。」というものであった。全く同感である。

日本人の自虐的史観は近現代史の認識に欠ける一方的な史観である。そのことを先ず念頭において、客観的に冷静に日本と周辺諸国の近現代史を観、真剣に学ばなければならないと思う。我々は余りにも近現代史について学んでいない。そのため韓国人の心の痛みが理解できない。同じように、日本が先の大戦を必死で戦った理由も理解できない。

かつて田母神元航空幕僚長が論文に書いて大きな問題になったが、ここにその論文の中で男が注目した幾つかを紹介する。それが歴史的事実でなければ、その論文は嘘を主張したことになる。果して「嘘だ」と言えるだろうか?

① 盧溝橋事件について東京裁判の最中に、中国共産党の劉少奇が西側の記者との記者会見で「盧溝橋の仕掛け人は中国共産党で、現地指揮官はこの俺だった」と証言している。

② 日本が侵略国家であったというのならば。当時の列強と言われる国で侵略国家でなかった国はどこかと問いたい。

③ 我が国は満州も朝鮮半島も台湾も日本本土と同じように開発しようとした。当時列強と言われる国の中で植民地の内地化を図ろうとした国は日本のみである。

④ 朝鮮半島も日本統治下の35年間で1300万人の人口が2500万人と約2倍に増えている。

⑤ 我が国は満州や朝鮮半島や台湾に学校を多く造り現地人の教育に力を入れた。道路、発電所、水道など生活のインフラも数多く残している。

⑥ 日本政府は朝鮮人も中国人も陸軍士官学校への入校を認めた。戦後マニラの軍事裁判で死刑になった朝鮮出身の洪思翊(ホンサイウ)という陸軍中将がいる。陸軍士官学校26期生で朝鮮名のままで帝国陸軍の中将に栄進した人である。

⑦ その1期後輩には金錫源(キムソクウオン)大佐がいる。日本兵1千名を率いて元宋王国の中国軍を蹴散らした。創氏改名などしてない。

靖国神社には国難に殉じた人々が祀られているのである。その中に特攻隊少年兵士もいる。

2010年8月19日木曜日

地縁・血縁 (20100819)


男はこのたび自分が子供の頃過ごした土地に昔から住んでいる親戚の家々を尋ね、子供のころ可愛がってくれた3人の叔母たちの墓参りなどをした。初盆だった従兄の家も訪れ、その従兄の親族たちにも会った。実に半世紀近い歳月を経て、従兄弟たちの家々に上がり、仏壇に向かって合掌し、長年の不義理を詫び、一族の行く末を見守ってくれるよう祈った。男は一族の未来の幸せのため、また今生の幸せのため、自分が中心となって先祖の地に地縁・血縁関係を再構築しなければならないと改めて強くそう思った。

一人の従弟からは男の先祖が祀られている土地の地域の地図(タウンマップ)を貰った。その地図はその地域の企業群がスポンサーとなった昭和50年ごろ作成されたものである。その地図は男が子供の頃は見渡す限り一面田園風景であった地域が住宅地に変わった後の様子が良く分かる。その地図には個々の家とその持ち主の名字が書かれている。男が子供のころ住んだ屋敷は結構広かったことが分かる。そこには他界した叔父の一族が住んでいて、男の先祖の祭祀を行ってくれている。しかしその従弟二人には男子の子供がいない。

初盆であった従兄の家にはお参りしたあと大事にしていたパナマ帽子を忘れて宿に帰っていた。その晩、竹馬の友一人が男と是非一献酌み交わしたいということで、街中のちょっとした料亭で9時近くまでいろいろ語り合った。その友を家まで送るついでにタクシーを走らせ従兄の家を再訪した。

夜9時を過ぎていたが、従兄の家の仏間と座敷を連ねたところに従兄の親族が大勢集まっていてにぎやかに飲食していた。男は昼初盆にお参りしたあとその家を去る時、何か後ろ髪を引かれる思いがあったが、帽子を忘れたのはそのためかとも思う。他界した叔母が男の手を引きとめたのだと思う。

男は仏壇に手を合わせ、並みいる親族の皆さんに初対面の挨拶をし、少しだけ飲食しながら語り合った。昼会えなかった従妹が来ていた。従兄とともに三人一緒に写真に写った。男のデジカメのシャッターを押してくれたのは従兄の息子の一人である。その息子はビルマで戦死した父親の写真によく似ている。

その写真を小さくしたものが靖国神社を鳥瞰した大写しの写真の中にもはめ込まれている。軍帽をかぶり正装し、勲章を二つ胸につけた立派な姿である。従兄の父親は陸軍伍長だった。35歳で戦死している。従兄がまだ子供のときであった。叔母は何度も靖国神社に参っている。この3ヶ月前96歳で没し、今あの世で夫に会うことができ、ようやく夫との平和な暮らしを取り戻すことができていることだろう。

炎暑の最中、方々の親族の家を回り、非常に密度の濃い帰省旅行を終えてわが家に帰りつた翌日、子供のころ会った記憶がない従弟から初めて電話があった。その従弟は男のもう一人の叔父の息子である。男がわが家の由緒書を書きあげ手紙を添えてその従弟に送っていた。その従弟は自分の先祖を祀ろうと墓所を移し終え、仏壇の購入を準備していた13日にそれが届き、なにか不思議な縁を感じると、大変喜んでくれている。男も嬉しくなった。

2010年8月18日水曜日

仏教と科学の接点を考える(終) (20100818)


「同調性」が勝っている性格とそうでない性格、「うつ傾向」が勝っている性格とそうでない性格は、遺伝的に同じでも生後の独自の環境次第で違うと言うことである。

ここで「自尊感情」とは、自分の気持ちを大切に思う気持ちや自身の強さのことである。「権威主義的伝統主義」とは、権威に服従したり保守的であろうとする態度である。

一方「論理的推論能力」や「言語性知能」や「空間性知能」や「学業成績」は約70%が遺伝によるものである。しかし、「言語性知能」ではその55%が特に親や周囲の指導如何により影響を受けるものである。つまり、生まれつきその知能が高くても、親や周囲の指導如何によりその知能を発揮できないのである。また「権威主義的伝統主義」についても約15%が同様である。

これらは約30%が遺伝以外の要素、つまり本人独自の環境によるものである。

このことはこれらの要素は家庭環境の影響をあまり受けないということを意味する。例えば親が子供に過大な期待をし、本人が嫌がるのに無理やり塾通いをさせ、なんとかそこそこの大学入試に合格したとしても、よい結果は得られないとうことである。

このように、本人の性格や精神状態や能力は遺伝学的な影響と社会学的な影響によるものである。先祖や親や血縁的親族の「あの世」が、その本人の「この世」に現れるという遺伝学的影響だけではなく、血縁・非血縁的家族や親族や関係者の「この世」が本人をしてその家族や親族や関係者の「あの世」となって現われるという社会学的な影響があるのである。この場合、「この世」と「あの世」の時差は様々である。諺に言う「子は自分の鏡」「反面教師」などはその例である。

このように「この世」から「あの世」への時間や方向はいろいろである。因果応報の関係には現代科学ではまだ解明できていない‘ある何か’も作用しているかもしれない。その‘ある何か’はそう遠くない将来必ず解明されることを期待したい。

お釈迦様は「施し」について①お金や財物による施し、②人間の正しい生き方に関する仏教の教えを人々に説明する施し、③暖かい清い心で人々に優しくし、安心感を与える施しの三つがあることを説かれた。資産がなく、学問が無くても優しい心でただにこにこ笑顔でいるだけでも立派な施しであるということを説かれた。

お金がなく生活に困っている人がお金を借りに来たら、その人に返済を期待せずお金を貸してあげる行為は①の「お金や財物」による施しである。その上さらに 仏教の教えを話して聞かせ、「本当に困った時はまた相談に来なさい」と言ってやれば、それは最高の施しである。そのようにした家は信用・信頼の徳が積み重なり、ますます栄え、そのようにしなかった人の家は栄えない。過去。そのような事例は沢山ある。

このように「あの世」は確実に存在している。ただ、現代の科学ではまだそれが証明できないだけである。8月15日の終戦記念日、日本国政府として靖国神社に参拝しないのは間違っている。男の従兄や友人の父親はビルマで戦死している。その御霊は靖国神社にある。

2010年8月17日火曜日

仏教と科学の接点を考える(続き) (20100817)


お釈迦様が今から約2500年前に説かれた「‘この世’の行いの良し悪しの結果が‘あの世’に現れる」という趣旨のことは、遺伝学的にも社会学的にも証明されると考える。しかし悪行を為したが子孫を遺さない者はどうか、という議論は当然あるであろう。

子孫を遺していない悪者でも彼の悪行の影響はその家族や親族や関係者に及ぶ。そのような影響を受けた家族や親族や関係者はその悪者のためこころ穏やかであることができない。このようにしてその悪者の「あの世」は遺伝学的な血縁関係の有無に拘わらず、彼の家族や親族や関係者の「この世」に現れるのである。

遺伝学的な血縁関係に無くても、社会的な関係がその悪者のとの間にあり、因果応報の関係を免れることはできない。この場合、その遺伝学的に血縁関係のない家族や親族や関係者は、自らが‘原因’を為して、その悪者の行為に大なり小なり加担している。この場合その遺伝学的に血縁関係のない家族や親族や関係者は、「この世」で彼の悪行に大なり小なり加担し、或いはその加担する原因となる要素をそれらの者の親や先祖の「この世」から遺伝情報として受け継いでいることが原因となって、その‘大なり小なりの加担’が生じ、それら家族や親族や関係者の「あの世」である今、こころの平安が奪われている。

このように「この世」と「あの世」は時系列的に「この世」から「あの世」に向かうが、それは遺伝学的なものや社会学的なものに関わっている。その関わりには全て「因縁」がある。凡夫はその因縁は予め避けようとしても自ら避けることはできないものである。故に日々修行し、執着を離れ、ニルヴァーナに近づくようにお釈迦様は説いておられるのである。仏教は、執着の原因が何であるか、その執着を離れるにはどうしたらよいかという真の理屈を教えるものである。

現代の科学は、遺伝について次のことを明らかにした。‘次のこと’と言っても学者でもない者がその全部を完璧にできるわけがない。故にこれはその中の針の先のようなごく限られた一部である。それについて以下のとおりである。(参考文献:『Newton別冊「知りたい!遺伝のしくみ」』)

例えば人の「自尊感情」とか「権威主義的伝統主義」という性格は遺伝によるものが約30%であり、残り70%はその本人の独自の環境の影響によるものである。その環境の中には勿論本人の家族や親族や関係者が大なり小なり影響を与える。

「開拓性」や「勤勉性」は50%が遺伝によるものである。「うつ傾向」は40%が遺伝によるものである。残りは本人の独自の環境によってその性格の現れ方が異なっている。このことは本人の家庭環境や社会環境が良ければその良い性格を大いに発揮できるようになるが、そうでない場合は折角その遺伝的要素が大きくても性格としては現れないことになることを意味する。われわれ日本人の開拓性に富む勤勉な国民気質は、生来のものである。

「同調性」については約35%、「うつ傾向」については約40%が遺伝による。しかしこれも本人の独自の環境次第でその性格の現れ方が異なってくる。

2010年8月16日月曜日

仏教と科学の接点を考える(続き) (20100816)


ハーバード大学の理論物理学者リサ・ランドール博士は、核分裂実験の過程で偶然、一部の素粒子が突然消失するのを発見した。博士は、素粒子が突然消失したのは素粒子が5次元空間に飛んで行ったためであるという仮説を立てた。

博士は弱い力である重力に注目して、重力が弱いのは我々を取り巻く4次元世界が5次元世界の中に取り込まれているためだという。

博士によると我々の4次元の世界は5次元の世界からみると薄い膜のようなものであるという。そして4次元と5次元の間には重力が行き来しており、4次元の世界は何もわれわれだけの世界ではなく、他にも薄い膜のような4次元世界が存在しているはずであるという。もしかして「この世」の薄い膜も、時系列上の無数の「あの世」の薄い膜も、畳み込まれていてホログラムのようになっているのかもしれない。

われわれは4次元しか認識することができないから、われわれの世界の外側に別の世界、それは重力が行き来する5次元世界があると言われても、それを認識することができない。しかし5次元世界にもし‘ある何か’が存在しているとすれば、その‘ある何か’は確実に我々を認識しているに違いない。それはなぜかと言うと、3次元のわれわれが地面に描く2次元の模様を認識できるように、次元の高い世界に存在している‘ある何か’は、次元の低い世界に存在しているものを認識できるからである。

5次元世界が存在しているか否かについては理論物理学的な実験により説明できるとして、博士はスイスにある欧州原子核研究機構(CERN)の素粒子衝突型加速器(LHC)による実験に期待を寄せている。しかし博士の理論が正しいとしてもこのLHCのエネルギーでは極小ブラックホールは生じず、余剰次元は検出されないだろうと言われている。

このLHCは大変危険であるとして訴訟が起こされているので、LHCのエネルギーをこれ上げるようにすることは非常に難しいだろう。

CERNのLHCは事故つづきであったが昨年11月20日に稼働を再開した。人類はそう遠くない将来、訴訟や事故の恐怖などあらゆる困難を克服して、きっと余剰次元を検出することができるようになるであろう。そのとき人類は初めて‘神’を見ることになるだろう。

もし、5次元世界が存在していて我々の4次元世界を包みこんでいるとすれば、我々が日常経験する不思議なことが何故起きるのか、説明がつくようになるであろう。「あの世」は我々の人生における行為や経験の蓄積の結果、5次元の世界に存在する‘ある何か’が遺伝子に作用して造られるものかもしれない。

もし知能や性格や気質などに関係する遺伝子が5次元に存在する‘ある何か’により作用を受けて、例えばDNAのメチル化などにより制御されて人の「あの世」を造るとすれば、仏教で説かれる因果応報は100%正しいことになる。

我々は余りにも真のことを知らなすぎる。「‘自分が知らない’ということ‘知る’」ということが最も大切である。科学的に証明されない事柄は、‘自分が知らない’事柄である。

2010年8月15日日曜日

仏教と科学の接点を考える(続き) (20100815)


「人類は」というが、それは具体的にはスティーヴ・ベンナーやフロイド・ロームズバーグら科学者たちのことであるが、その「人類は」、既にDNA類似のものを創りだすことに成功している。しかもそのDNA類似のものは5世代まで複製を繰り返した。さらに人類はDNAがコードに使っている4種類の塩基・ATCG以外の化学塩基を使って通常の20種類のアミノ酸だけではなく、全く新しいアミノ酸を指定することができた。

僅か100分の1ミリの大きさの細胞の中の核の中には1個の総延長が数センチメートルのDNAの二重鎖が絡まないように滑車の形のようなヒストンというタンパク質に巻きついている。そのヒストン1個に巻きつくDNAの塩基対は146セット分である。DNAのひもは長いため1本のDNAには極めて大量のヒストンが使われている。DNAはヒストンによりすぐほどける形になって繊維状に連なっている。その繊維状のDNAが直径1000分の1ミリメートルの更に100分の1(10nm)ほどの核の中に46本収まっている。46本のDNAの長さを合計すると2メートルほどにもなる。そのようなDNAが収められている核の中の中央に核小体というものがあり、そこには主にタンパク質の合成装置であるリボソームの部品が集まっている。それには膜はない。

核は二重の膜に包まれていて、その膜には核内で組み立てられたRNAが核の外に出て行くための穴があちこちに開いている。核の中ではDNAの情報を読み取るRNAポリメラーゼという措置があって、二重らせんのDNA鎖を解きながらDNAの情報を読み取ってRNAにする。情報をDNA上のどこで読み取りを始めるのか、もし読み取りが間違った場合対策など細かい仕組みが核の中にはある。

核以外に細胞の中にはタンパク質を合成し、合成されたタンパク質を仕分けして細胞の外に送り届ける装置まで合成されたタンパク質を輸送する装置や、エネルギー装置などがある。そのような細胞が人体には60兆個もある。

この地球上に40億年もの昔、偶然に生まれた生命の素となるものが時を経て今日のような多種多様な生物群になった。その生物群の頂点にある人類は、遠い未来、地球上で生存できなくなる前に宇宙に脱出すべく、今盛んに宇宙開発が進められている。

その人類は、「過去世(前世)」や「未来世(来世)」の在ることを信じ、あるいは信じず、又はその「在る」ことを証明しようと試みている。

人類のDNAに書き込まれる情報はただ単に生物学的な遺伝だけであるのだろうか? 3次元の世界に住むわれわれには認識できない事柄によっても書き込まれるのだろうか?

科学者ではない耳学問の徒は、ふざけたことと思われるようなことを考えている。もし、科学は、「前世」とか「来世」というようなものは絶対に存在しないのだと証明できるとすれば、2500年前お釈迦さまが説かれた教えは、通用しなくなる。

その時は非常に多くの人々、お釈迦さまが教えるように「他を拠り所とせず、自分自身だけを拠り所として」人生を生きることが出来る人以外は、幸せは得られなくなるだろう。

2010年8月14日土曜日

仏教と科学の接点を考える(続き) (20100814)


人は、どんなに幸せを求めて何かを行っても、結局は四苦八苦の「苦」から逃れることはできない。仮令、科学の力で愛する人の命を救ったとしても、その「苦」はつきまとう。ならば、どうすればよいのかということを釈尊は説いておられる。結局、究極の幸せは、釈尊の教えを学び、釈尊に一歩でも近づくように日々努力し、ものごとに、特に欲望からくるものごとにとらわれないように、「吾只足りることを知って」、執着を断ち、今を一生懸命に生き、死ぬ時は一生懸命に死ぬのが一番ではないか、と思う。

あの世でどうなるかを「信じる」こともせず、できず、この世で悪行を重ねる輩は、古の昔から減らない。もし、その悪行をその人にさせる根本原因が遺伝子にあるとすれば、この世の中では、善い行いも増えるだろうが、悪い行いも増えるのではなかろうか?何故なら現代社会では交通機関や情報通信が高度に発達し、人々の交流も増え、かつて婚姻関係は狭い地域内に集中していたであろうが、今ではその人の出自や親せきの状況など無関係に全国的に拡大してきている。そうすると良い遺伝子も悪い遺伝子も全国的に拡散する。そうするとごく普通の家庭で、家族の中に非常に優れた人も現れるが、非常に劣った人も現れる可能性がある。

人の性格や行動が遺伝子によるものであるかどうかは、学問的には、いまのところなんとなくそのようであるという程度のことであろうかと思う。しかし、哲学は、直感に基づき思索を深めるものである。楽しみながらあれこれ思索し、そのことを公に発表し、意見を頂く。そのようにして日々が過ぎ、わが肉体は何れの日にか土に還る。

ところで、人の言動はその人自身が決して気づかない奥底の心理、無意識によって左右される。ひとの集団の言動もそのような無意識の集合によるものである。

ユングの「集合的無意識」については、あくまで概念であり、実体として証明されているものではない。しかしそう遠くない将来、ヒトが生きてゆく社会環境やそのヒトの暮らし向きなどの影響により発動する原因となる遺伝子が次々見つかるようになれば、その概念は実体として証明されるようになるであろう。既に、MAOA(モノアミン酸化酵素A)というタンパク質を作る遺伝子の異常が、ヒトの攻撃的性格の原因となることがオランダの家系の調査で分かってきている。(引用:『Newton「知しりたい!遺伝のしくみ」』)

仏教では、ユングの心理学を先取りしたような説が、ユングよりも2千年以上も昔に仏教の哲理として確立し、今日まで伝えられてきている。

10日、日韓併合について首相談話が出された。その談話は日本人大多数の集合的無意識を代表するものではない。一方、菅総理があのような談話を出しても韓国民の日本人に対する集合的無意識がそう簡単に変わるものではない。

先般、日韓両国で双方の意識について世論考査が行われた。日本人の65%が韓国に好意を持っているのに対して、韓国人は27%の人しか日本に好意を持っていない。その状態は今後も変わらないだろう。韓国は竹島を占領し続けるだろう。DNAがそうさせるのである。

2010年8月13日金曜日

仏教と科学の接点を考える(続き) (20100813)


幹細胞を利用して、豚で人間の肝臓を造ることが試みられている。既に種の違うラットの体内でマウスの肝臓を造ることは成功している。近い将来、その手法は実際に人間に適用されるようになることは間違いない。クローン人間を造ることも、老化で衰えた皮膚を若い皮膚に造り変えることも可能である。細胞のアポトーシスを抑制する物質が発見され、動物実験で成功すれば、人間の寿命が延びることになる。

このようにして人造人間が簡単にできるようになる時代は、そう遠くない時期に到来するだろう。価値観が違う国々がある世界で、倫理上の問題を共通的に解決することは非常に困難であると思われる。

そのような近未来社会において、仏教はどのような役割を果たし得るだろうか?これは、非常に重いテーマである。しかし、そのような近未来社会においても、人々の生老病死の四苦、怨憎会苦、愛別離苦、求不得苦、五取蘊苦(四苦と怨憎会苦、愛別離苦、求不得苦の三つ、合計七つの苦を概括した苦のこと)の合計八苦、つまり四苦八苦は解消されない。医療技術が発達し、一時的な幸せを感じても、それが永久に続くものではない。

仏教の役割は依然として残る。すべての人々が「前世」とか「あの世」を肯定的に考えるようになれば、人々は幸せになり、この世は平和になる。そのためには、科学がそれらの存在を証明できるようになる必要がある。

前述‘人造人間’について男のブログの記事を読んだ人からご意見を頂いた。第一点は、総合体である丸ごとの人間はまさしく科学(分ける学)の成果の寄せ集めでは総合体にたどりつかない、ということである。第二点は、科学が「前世」とか「あの世」の存在を証明できるとは思えない、ということである。

男もそう思っている。遺伝子的には、約半数ほどのアメリカ人の性格がわれわれ日本人と異なっているようであり、アメリカ人は新しいことに挑戦するという好奇心が旺盛な人々が多く、わらわれ日本人は殆どが内気であるという。その遺伝子というのはDRD4遺伝子というのだそうで、その繰り返し回数の比較においてアメリカ人は約半数が7回、日本人は殆どが4回というのである。

そのアメリカ人ならば、ブッダ(釈尊)が繰り返し語っている「過去世」とか「未来世」について、科学的に究明しようと考えるかもしれない。多分、実際に究明しようとしている科学者もいるかもしれない。

ただし、釈尊ご自身は、そのようなものが「ある」とか「ない」とか議論することは、禁じておられる。禁じておられながらもご自身はそのことを語っておられる。例えば、『感興のことば』(中村元著『ブッダの真理のことば感興のことば』(岩波文庫)では、第1章の26に「この世においては、過去にいた者どもでも、未来にあらわれる者どもでも、一切の生き者は身体を捨てて逝くであろう。智ある人は、一切を捨て去ることを知って、真理に安住して、清らかな行いをなすべきである。」と語っておられる。

2010年8月12日木曜日

仏教と科学の接点を考える (20100812)


お盆という言葉の由来はサンスクリット語の「ウラバンナ」にある。ウラバンナとは逆さ吊りにされて苦しんでいるという意味だそうである。

これは釈尊の高弟の一人が神通力で既に死んでいる自分の母親が地獄で苦しんでいるのを知って、釈尊に相談したら、釈尊は「お前の母親は生前物惜しみをして人々に施さなかったから、今地獄で苦しんでいるのだ。代わりにお前が施しをしなさい。」と教えた。その高弟は釈尊の言われるとおりに施しをした。するとその母親は地獄から解放されて極楽に行った。お盆はその話に由来する行事である。

仏教で施には次の三つがあるということである。施しは布施ともいう。①財施(ざいせ)、②法施(ほうせ)、③無畏施(むいせ)。財施とは金銭・財物などの経済的な施しを与えることであり、法施とは精神的な教法の施しを与えることであり、無畏施とは安心を与えることである。(出典:『仏教の基礎知識』水野弘元著、春秋社)

何も施せなくても笑顔で相手に安心感を与えることができる。それを‘和顔施’というそうである。人は誰でも施しができるのである。金がないからとて、物がないからとて、法を教える学識がないからとて、人には心で施すことができる。ところが一般に金持ちほど金を出し渋る。貧者の一灯は、貧乏人が手持ちの僅かな金を出すことである。

釈尊は神通力で人の前世や来世を見通すことができた。件の高弟もその神通力で死んだ自分の母親が苦しんでいる様子を見た。精神の活動は無限である。意識は遠い過去から遠い未来まで延伸させることができる。修業を積んだ人はその精神活動によって神通力を身に付け、人の前世や来世を見通すことができるようになるのではないかと思う。

人の前世や来世があることを科学的に証明できないかということが男の思索のテーマである。お盆の期間、男は仏教と科学の接点を考えることにしたいと思う。

この記事を書いているとき、テレビで保険金殺人のことが報道されている。暴力団員が一人のホームレス男性を一人の認知庄女性と結婚させ、両方とも殺し保険金を騙し取った。保険金殺人事件はこれまでよく起きている。

男はそのような悪人が「あの世」で地獄の苦しみを受けることや、殺された人が前世に何かの因縁を持っていることを科学的に証明できないかと考えている。

本人の意思を確認できなくても家族が同意すれば臓器移植ができるようになった。一方、免疫の型が全く同じ子供を体外受精の手法で造ることは既に実現している。そのようにして生れた子供は‘救世主兄弟’と呼ばれ、その子供の骨髄で免疫の型が全く同じ兄弟(又は姉妹)の白血病を治療することができる。白血病だけではなく、もしその‘救世主兄弟’が死んだ時、その臓器を生まれながらにして免疫型が合致する兄弟(又は姉妹)の病気の治療に利用される。

「あの世」は今現に生きている人の「この世」であるとすれば、今や、人が人の「あの世」を左右する時代になっている。「仏教と科学の接点」を考える上で難しい問題がある。

2010年8月11日水曜日

幸せは‘物’でなく‘心’(20100811)


男はかつて過去には目を向けず、未来ばかり見ていた時期があった。過去を振り返ることは好ましい生き方ではないと思っていた。ところが今は過去を振り返ることが多く、未来を見ることは無くなった。唯一自分の人生のゴールをどう飾ろうかということばかり考えるようになっている。夢や希望はない。―と言っても男の心は明るく、日々楽しい。

もし自分が不幸せな暮らしをしていたならば、そのような心境にはならないだろう。男は恵まれすぎているのだ。かといって、金銭的に豊かでもない。しかし貧乏でもない。セレブが住む地域に住んでいるわけでもない。立派な家に住んでいるわけでもない。家の中に自慢できるような豪華な家具などがあるわけでもない。女房が高価な宝石をもっているわけでもない。家の中は簡素に綺麗に整えられているが、至極質素なものである。それでいて十分満ち足りているのである。よい家族、親戚、友人に恵まれて何一つ悲しいこと、さびしいこと、嫌なことがないのである。

男は物質では決して満たされることは無いと確信している。愛、思いやり、心の温かさ、平和、‘物’ではなく‘心’が幸せの根源であることを確信している。

テレビで‘孤独死’した人の遺留品の後始末やその人が住んでいた家の清掃を行う会社の仕事が紹介されていた。人は‘孤独死’と一言で片づけるが、決して孤独ではなくある日突然独りで死んだ人もいるだろう。ただ一般に家族と離れて独りで暮らす人にはそれなりの事情がある。人は明るい家庭で周囲の愛に恵まれて暮らしておれば‘孤独死’などしない。100歳前後の長命な人は必ずそのような明るい、愛に満ちた家庭で暮らしている。

では、何故世の中には暗い、さびしい、愛に飢えた家庭があるのだろうか。ある日突然襲ってきた不幸に見舞われる家庭があるのだろうか。それは偶然のことなのだろうか。

男も今後生きている間に不幸身見舞われないとも限らない。だから不幸になりそうな原因はすべて取り除くようにしている。とっくの昔車も手放した。「君子危うきに近寄らず」で、齢とって身体的・生理的能力が若い時に比べて相当落ちているので、車の運転はやめたのである。しかし、観光バスに乗っていて事故に遭わないとも限らない。

観光バスツアーも格安の値段だからといって飛びつくと、運転手が何日間もたった一人で長距離運転しているから安いことに気づく。それも毎朝の出発が早く、疲れがとれないだろう。危険である。だから男はもうそのようなツアーには参加しない。

格安の航空会社も老齢の飛行機の機体の金属疲労が心配である。パイロットの技量が心配である。会社の安全管理体制が心配である。安ければ良いというものではない。

そのようにして最新の注意を払っていても、ある日突然不幸に見舞われないとも限らない。それは‘運命’という一言で片づけられる。果して‘運命’なのだろうか?

では神仏への信心が良ければ‘運命’は良くなるのだろうか?とあれこれ思いめぐらすと、世の中には幸せな人と不幸な人が、なにか人智を超えたもので操られて分けられているのではないだろうか、と思う。釈尊は我々に何かを教えておられるように思う。

2010年8月10日火曜日

光陰矢の如し(20100810)

 明後日(12日)新幹線で九州に発つ。そのため今日は朝から慌ただしく準備する。2か所の初盆に参るため喪服や靴やネクタイや数珠など女房の分も含め、いつもより余分な物を携行しなければならない。荷物をできるだけ少なくするため宅急便で送る。

 熱帯魚の水槽や金魚の水槽の水替えなどをする。僅か1週間ほどの帰省旅行であるが普段の生活を一旦止めて普段と違う生活をしなければならない。

 都会では交通機関が人に合わせてくれるが、田舎では人が交通機関に合わせなければならない。田舎は車がないとどうにもならないが、かといってタクシーを雇うと片道1万円以上はかかる。人が合わせる交通機関だと数千円で行けるところが3倍以上のコストである。交通機関に人が合わせるしかない。そうなるとお盆に参るといっても1日がかりである。以前は気安く泊っていた親戚の家でも、高齢化がすすみそこに泊めてもらうのは気の毒である。だから前の日に何処かで宿に泊って、翌日お盆に参ることになる。

 初の盆に参るにはご仏前も皆に合わせなければならない。親戚だと大体相場は1万から2万円である。さらに先ず挨拶に必ず御仏壇の前に座り、明かりを灯し、焼香し、鐘を鳴らし、手を合わせる。その時、お線香代替わりに千円札を1枚置くのが習わしである。初盆に参るのに交通費、宿泊費、ご仏前を合わせて夫婦で相当の出費となる。

 それでも親族一同集まり、にぎやかに、親しく会話することは楽しい。都会ではお坊さんが決めた日に、お坊さんが指定する場所に違う家族・親族が集まって共同でお盆の儀式をするところがあるらしい。埼玉県での話である。男は女房からその話を聞いて「生臭坊主!」と怒りの言葉を発した。そもそも僧侶は悩める人々を導くのが本来の勤めである筈である。しかるに、自分たちの稼ぎのためにそのような方式を打ち出している。それは、そのようなシステムを利用したいと思う人とが結構多いためである。

 以前テレビで其処かのお寺で住職はアーティストといわれる部類の仕事をしていた人が、お寺の行事に夫婦でエンターテインメントを行っているのを見たことがある。若い参加者が増えたらしく、お寺も経営状況が改善され、参加した若者もエンターテイナーの住職の話を有難がっていた。お寺もいろいろ考えなければ経営が成り立たないご時世である。

 今回往復新幹線のぞみ号を利用する。博多から先も特急利用である。たまに列車の旅も悪くない。ドアツードアの総時間は列車であろうと飛行機であろうと大差ない。それぞれ長所短所あり、選択条件は旅費である。繁忙期は飛行機代が高い。通常の2倍以上である。その時は列車の方が安い。飛行機だと飛行場までの交通機関の乗り換えや、持ち物検査が煩わしく、出発までのフライト待ちのロス時間を無駄に思う。

 そのような帰省旅行を年に何度か続けてもう何年もなる。そして酷暑と厳寒の繰り返しを何度も続けてきた。今年も夏はお盆で過ぎる。毎年齢を重ねて、男も女房も気づかぬまま年々衰えてきている。光陰矢の如し、である。

 男は今回また竹馬の友だちにまた会うのが楽しみである。お互い73歳にもなっている。

2010年8月9日月曜日

三島由紀夫の檄文(20100809)


男は三島由紀夫の檄文の趣旨には大いに同感である。以下その同感する部分の抜粋である。

「われわれは戦後の日本が、経済的繁栄にうつつを抜かし、国の大本を忘れ、国民精神を失い、本を正さずして末に走り、その場しのぎと偽善に陥り、自ら魂の空白状態へ落ち込んでゆくのを見た。政治は矛盾の糊塗、自己の保身、権力欲、偽善にのみ捧げられ、国家百年の大計は外国に委ね、敗戦の汚辱は払拭されずにただごまかされ、日本人自ら日本の歴史と伝統を涜してゆくのを、歯噛みをしながら見ていなければならなかった。」

「自衛隊は違憲であることは明白であり、国の根本問題である防衛が、御都合主義の法的解釈によってごまかされ、軍の名を用いない軍として、日本人の魂の腐敗、道義の頽廃の根本原因を、なしてきているのを見た。もっとも名誉を重んずべき軍が、もっとも悪質の欺瞞の下に放置されて来たのである。自衛隊は敗戦後の国家の不名誉な十字架を負いつづけて来た。自衛隊は国軍たりえず、建軍の本義を与えられず、警察の物理的に巨大なものとしての地位しか与えられず、その忠誠の対象も明確にされなかった。」

「憲法改正によって、自衛隊が建軍の本義に立ち、真の国軍となる日のために、国民として微力の限りを尽すこと以上に大いなる責務はない、と信じた。」



男は、三島由紀夫は自衛隊に決起を促したのだと思う。しかしそれは所詮無理なことであった。そのことは彼自身も十分わかっていたに違いない。彼は市ヶ谷の陸上自衛隊東部方面総監室で総監を人質にし、総監室の外のバルコニーに出て演説し、その後、総監の目前で武士の作法に従って切腹し、介錯を受けて果てた。そのことにより、彼は国を憂える気持ちを人々に訴え、日本人としての自覚を取り戻してもらうことを期待したのではないかと男は思う。当時彼の行動を非難した人々や自衛隊員も少なくなかったようであるが・・・。

インターネット「三島由紀夫Wikipedia」により三島由紀夫の生い立ち、出自、教育環境、経歴などを概観すると彼の行動の本質が見えてくるようである。

人は、誰でもバックグラウンドを持って発言し、行動する。そして自分の発言や行動の正当性を主張する。そして他者が自分の発言や行動に対して批判をすれば、そのことを非難し、周囲の同じような思想をもつものに同調を求める。これが人の常、世の常である。

しかし三島由紀夫は日本の国の形のあるべき姿を強く追い求めた。日本国民の自覚を促して平和ボケしている国民の目をさまさせようとした。そこで彼は国民に最もインパクトを与えるため陸上自衛隊東部方面総監室で武士の作法に従う手順で切腹し、介錯を受けた。彼は自分が生きている間に目的を達成しようとは思わなかった。彼こそは現代に生きる真の武士であった。彼の理念や精神は決して風化することなく永遠に伝えられるであろう。

三島由紀夫の檄文について部分的にせよ全体的にせよ同感する者は非常に多いであろう。男もそのうちの一人である。男は自分の余生の役割の一つとして、この愛する日本の国のため、老骨ながら自分にできることを憶することなくやって行こうと思っている。

2010年8月8日日曜日

炎熱の夏も(20100808)

 炎熱の夏も8月10日を過ぎる頃峠を越えたと感じるようになる。夕刻になると家の中は風が吹き抜け、エアコンは要らないようになる。

 昨夜は窓を全開にして就寝した。風が吹き抜け肌寒いほどであった。しかし風が通らないところではすぐ暑く感じる。風が吹き抜ければ体内の熱をその風が奪って行くので涼しく感じるのである。

 男はようやく自分の家の由緒書の重要な部分を書き上げた。これが完成するとA4判、1行40字1ページ36行で50ページ近くになる大作とある。男は遺されていた系図の一部をもとに、膨大な史料を調査し、想像を逞しくしていろいろな可能性を検討しながら、何度も何度も修正してようやく完成するところまでこぎつけた。ここまで来るのに5年かかった。

 来週、従兄の家の初盆にお参りする。そのとき男は久しぶりに従兄弟・従姉妹たちに会う。そのとき彼らにこのたび書き上げたわが家の由緒書の重要な部分を渡す。この書には男が子供のころのことを書いてある。今齢70を超えている従兄・従姉とは男が子供の頃の思い出がある。彼らの母親・男の叔母たちは既にこの世にはいない。叔母たちの兄であった男の父親はもうとっくにこの世にはいない。

 男はいはば宗家の跡取りのような立場である。故あって父親が家督を継ぐことを放棄したので、先祖の墓守は男系ではつながらない親類が行っている。男には直系の孫息子が一人いるほか、男系ではあるが養子に行ったため名字が違う親類の息子が一人いる。わが家の男系の遺伝子はその二人が最終である。その先のことは彼らに男の子が出来たときである。

 彼らが由緒書をどう扱うかということについては、男は全く執着しない。ただ、男は自分の先祖のことを伝えるのは自分の人生の大事な仕事であると思っているだけである。誰がどう思おうと男にとってはどうでも良いことなのである。後世、男の子孫がそれを読み、何かを感じて身を正し、人生を真剣に生きてくれさえすればそれで良いのである。

 三島由紀夫は日本国民に強烈なメッセージを遺した。インターネットには陸上自衛隊東部方面総監室で自決した現場の写真や三島由紀夫の生首などが公開されている。檄文の全文も公開されている。檄文を読むと今の日本の現状は三島由紀夫が憂えていたとおりである。その時と今と何も変わっていない。男は明日のブログにそのことを書くつもりである。理由は、そのことも子や孫に伝えたいし、このブログを読んでくれる人にも伝えたいからである。それが今、ど受け止められようと男にとってはどうでもよいことである。

 2日ばかり窓から川を眺めるだけで川の周りの散歩をしていない。夕方の5時頃になると気温も下がり、日照りもそうきつくはない。男はそろそろ出かける支度をして散歩かたがた女房の注文に応じてうなぎの蒲焼を買ってこようと思う。暑い夏はうなぎが一番である。奈良の昔も歌に、痩せた男にうなぎを食べることを勧めているものがある。大伴家持が作った歌である。

石 麻呂に 吾れもの申す夏痩せに よしといふものぞ 鰻とり食(め)せ

2010年8月7日土曜日

財政再建(20100807)


 毎朝よく観るテレビ番組は、NHKニュースや気象情報などのほか、テレビ朝日のスーパーモーニングである。夕方・夜はNHKのクローズアップ現代やNHKスペシャルなどである。これらの番組は男と女房が共通に関心をもっている番組で、いつも二人で観ていて、後であれこれ意見を交わしている。

 今朝広島で原爆記念式典が行われ、今回初めて我が国に2発もの原子爆弾を投下し、20数万人を一瞬のうちに死なせたアメリカを代表してルース駐日大使が出席した。オバマ大統領がアメリカ国内の保守派の気持ちを探ろうとして決定したことである。

 従来のアメリカの主張は原子爆弾の投下によって、それを実行しなければさらに多くの人命が失われたに違いないというものである。その本音は自国の兵士の犠牲者を局限したいというものであったに違いない。つまり敵国・日本の非戦闘員が何十万人犠牲になろうとそれはかまわなかったのである。

 男は、それは当り前の考え方であったと思う。もし、日本がアメリカに勝る力を持っていてアメリカと戦っていれば、日本も同様な考え方をしていたであろう。ただ、犠牲者名簿を納める場所に「あやまちは決して繰り返しません」と石に刻まれていることについては、疑問がある。誰があやまちをおこしたのか?当事国双方が反省すべきことではないのか?戦後の日本人の自虐的、卑下的観念がその言葉に端的に表れているように男は思う。

 記念式典に菅総理も出席した。原爆被害者の認定基準を見直す考え方を表明した。あの日投下された原爆のきのこ雲の高さや広がりは従来の認識とは相当かけ離れ、相当巨大なものであったことが残された資料をもとに検証した結果明らかになった。

 テレ朝のスーパーモーニングで消費税を上げるのがよいのか貯蓄税を新設するのがよいのか分かりやすく説明されていた。あれこれ議論をしていたずらに歳月を費やすよりも、先ずは試行してみる考え方が重要であると言うことも説明されていた。提案者はクレディ・スイス証券チーフエコノミストの白川浩道氏である。男も女房も彼の識見に大変感心した。

 財政再建の方策については政党の垣根を越えて、各界識者の意見を聞き、採るべき方策は何か、その方策の実行要領は何か、早急に決めてもらいたいと思う。今の危機的な状況はある意味では‘戦時下’のようなものである。各政党は決して党利党略を弄してはならない。‘戦時下’の今こそ、指揮官と幕僚の必死な努力が期待されるのである。

 自衛隊(‘軍隊’)の幹部(‘将校’)経験の全くない人たちが、今この国を動かしている。指揮官はどうあるべきか、幕僚はどうあるべきか、状況判断や幕僚の活動はどうあるべきかなど全く知らない人たちでも、自ら‘軍隊’という組織について学ぶ気があれば、この国は変わる。国を動かす人たちがたとえ無意識にでも自虐的精神をもっている限り、この国は変わらない。戦後65年間の状況を引きずったまま子や孫の時代に入り、この国は絶望的に小国に転落してしまうだろう。

 若者よ、奮起せよ! サムライになれ! 女たちよ、草食男子どもを鍛え直せ! 

2010年8月6日金曜日

原爆投下による殺りく(20100806)


また原爆記念日がやってくる。ヒロシマは8月6日、ナガサキは8月9日である。

アメリカ軍と頑強に戦っていた日本軍はようやく沈黙の状態に入った。一方サイパン島、テニアン島、硫黄島、沖縄などで日本軍は玉砕した。

日米両国の壮絶な殺し合いの結果、ヒロシマでは人口35万人(推定)中、約14万人が死亡、ナガサキでは人口24万人(推定)中、約7万4千人が死亡。(出典:『ウイキペディア』)生存者中非常に多数が原爆後遺症発症。

玉砕(ぎょくさい)は、太平洋戦争(大東亜戦争)において、外地で日本軍守備隊が全滅した場合、大本営発表でしばしば用いられた語である。

玉砕はアッツ島、ペリリュー島などでもあったが、沖縄では戦死者・行方不明者94,136名、民間人死者94,000名、アメリカ軍戦死者・行方不明者12,520名。硫黄島では日本軍戦死者20,29名、捕虜1,023名、アメリカ軍戦死者6,821名、戦傷者21,865名。サイパン島では日本軍戦死者25,000名、自決5,000名、捕虜921名、アメリカ軍戦死者3,500名、戦傷者13,160名。テニアン島では日本軍戦死者8,010名、捕虜313名、アメリカ軍戦死者328名、戦傷者1,571名。グアム島では日本軍戦死者18,000人、戦傷者485人、アメリカ軍戦死者3,000名、戦傷者7,122名であった。(出典:『ウイキペディア』)

特攻隊戦死者は合計6,271名、内士官475名、予備士官1,149名である。(出典:『ウイキペディア』)われわれ日本人の死者が圧倒的に多い。世界に類例がない。

これらの尊い命が失われたことを今の日本人は決して忘れてはならない。「大量殺りく」という言葉を使うならば、ヒロシマやナガサキに対する原爆投下はそれ以外の何物でもない。

ナガサキへの原爆投下でキリスト教徒が多い長崎への原爆投下は、当時の爆撃機搭乗者の証言によれば投下目標は市の中心から3km外した場所だったということであるが、天候不良によりその場所への投下ができず、市の中心部に落としてしまったということである。

戦後アメリカは原爆投下により2人のキリスト教神父、850人のキリスト教徒を殺し、聖母マリヤ像・天主堂などを破壊してしまったことを悔やみ、長崎から原爆投下の痕跡を消し去ることを欲し、当時の長崎市長らに働き掛けて浦上天主堂や聖母マリヤ像など原爆で破壊された一切の痕跡を消し去ることに成功した。

当時訪米した長崎市長はアメリカ各地で大歓迎を受け、長崎はアメリカのセントポール市との間で姉妹都市関係を結び、アメリカがキリスト教徒の多い長崎に原爆を投下したという事実は世界中に宣伝されることがなくなった。その一方で広島の名前は世界中の人たちに良く知られている。

戦勝国により‘精神’の面で弱体化させられてしまった日本は、アメリカの核の傘に頼り、韓国軍による竹島の占領に指をくわえて見ており、ロシアによる北方四島の占領・自国領土化政策促進に顔をしかめるだけである。そして自虐的史観にとりつかれている

日本が再び強くなる道は、憲法改正、国軍創設、科学技術力世界一化の三つにある!

2010年8月5日木曜日

勢いづいている怨霊たち(20100805)


明治以降大東亜戦争の敗戦までの日本の歴史を否定したい連中は、勝海舟が日清戦争に反対であったという話を持ち出して、なんとかして「近代の日本の進路は間違っていた」という自虐的な思想の維持を図ろうとする。

菅政権は韓国哨戒艦の事件があったので防衛白書の刷り直しをするためだとして、発表を遅らせた。刷り直しても毎年触れている「竹島はわが国固有の領土である」という記述は例年どおりとするのか、という自民党林議員の質問に対して、菅総理はまともに答えない。喜ぶのは誰か?民主党国会議員の中にはそれを喜ぶ連中が多数いるようである。

民主党代表選で小沢氏或いは親小沢氏グループの誰かが立候補するようである。その代表選の投票に在日韓国・朝鮮人の民主党員が参加することは民主党規約にある。

日清戦争の原因について、当時の世界情勢も考えず、日本が置かれている地政学的状況も考えず、日本が勝手に朝鮮半島に進出したという強く主張したい連中がいる。

当時の清国の状況はどうであったか?清国の軍人たちはどうであったか?日本と清国が手を組めばロシアの南下を防げたのか?それには目を向けず、好んで自虐的になっている。

古代、隋や唐(当時の中国)は朝鮮半島の統一国家を恐れた。高句麗を恐れ、新羅を恐れた。今の中国でも朝鮮半島が統一された国になることを恐れている筈である。日清戦争はロシアの南下によって對馬など半島に近接するわが国の領土が侵されることを防ぐためでもあったのだ。古来、大陸と我が国の緊張関係は続いている。

自尊感情という遺伝子が無くならない限り、その緊張関係は無くならないだろう。しかし文化、経済、軍事、愛国心教育等あらゆる面で相互の交流が深化させることにより、お互いの心の垣根をできるだけ低くすることはできる。お互い不幸な事態にならないように、政府のレベルであらゆる知恵を振り絞って、その心の垣根を低くするような努力を真剣に行わなければならない。今の政府にそのような積極的な意識はあるのか?

男は、この国にはいろいろな怨霊が活動しているように思う。時の権力により抹殺された人たちの怨霊、最下層の民として虐げられ続け、‘モノ’同様に扱われた民、それには古代に奴婢として王の死に際し殉死させられた民も含む、またキリシタン殉教者、先の大戦において戦死扱いされたが実は無謀な命令により死ぬしかなかった兵隊たち、夫や父や子を戦争で失った家族、かつて日本人として扱われ日本の敗戦でこの国に残った朝鮮半島の人たちの死者、などなどの怨霊たちが、今勢いを得て盛んに活動しているように思う。

白鵬に天皇陛下からお言葉があった。白鵬は陛下のお言葉に大変感激した。白鵬の奥さんは日本人である。しかし白鵬自身はモンゴル人である。その白鵬を感激させたのは、天皇陛下の万民を愛するお気持ちである。古来天皇は民の幸せを願い、祈り続けてこられた。今上陛下も東宮もテレビで時折紹介されるがその生活は大変質素である。諸外国の王家や富豪のように金きらきんの家に住み、金きらきんの家具を使ってはおられない。今の日本の怨霊たちを癒すことが出来るお方は天皇陛下しかいないと男は思う。

2010年8月4日水曜日

雑感 (20100804)


昨日に続き雑感を記す。

  テレビ朝日で水上温泉が今、外国人により観光開発されている様子が紹介されていた。高校生活を日本で送ったあるアメリカ人はそのまま日本に住みつき、水上の渓谷の素晴らしさに目をつけ、そこでキャニオンリングという沢下りのスポーツを編み出した。ロープに支えられて急流を下ったり、滝を落ちたり、緩やかとはいってもかなり早い流れの中を頭から突っ込んで滑ったりする遊びである。外国人が多く訪れているという。もう一つはそのような外国人観光客に目をつけてあるオーストラリア人は旅館を経営している。日本の老舗旅館も外国人の従業員を雇い入れ外国からの観光客を集めている。

 会社の団体旅行が減って水上温泉は近年さびれて来ていたが、外国人の発想で活気を取り戻しつつある。そのうち日本の若者たちも水上でキャニオニングを楽しむようになるだろう。費用は1万円位で1日楽しめる。

 男は前に知識を得た「新しもの好き」の遺伝子のことを思い出した。その遺伝子は日本人には10%以下であるが、アメリカ人には50%あるという。わざわざ千葉の田舎や四国の田舎に暮らすアメリカ人やオーストラリア人、アングロサクソン系の人たちは人里離れた辺鄙なところでも平気で暮らす。日本人、特に女性は、人が多いところ、便利なところに肩寄せ合って暮らすことを好む。集団の中にいることを好む。従い、言いたいことがあっても和を乱さないように心がけ、口に出すことはあまりしない。そのくせ蔭ではこそこそ噂話をすることを好む。表情に乏しく、話すときは口ごもるように話す。

 日本人、特に男性には口を尖がらせている人が多い。初対面のとき気軽に笑顔で「ハーイ」と手を上げながら接するようなことはしない。男はアメリカ西海岸で暮らしていた時よく経験したが、誰でも道をすれ違う時笑顔で「ハーイ」と言っていた。これはある意味で「あなたに敵意はないです」という意思表示でもあったと思う。

 日本人は皆家族のように、心の奥では無意識に思っているから、そのようなことをする必要はなかった。アングロサクソン系の人たちは、そのような日本人の中に飛び込んでみるととても気持ちが落ち着くのかもしれない。日本人は皆親切だから・・・。

 ところが、身内の間でいろいろな事件が起きている。生きていれば111歳の人が30年以上家族と同じ屋根の下に置かれていた。113歳の母は生死不明であるが、79歳になる子供は音信不通のままその母のため税金等を払い続けていた。23歳の母親は二人の子供の養育を放棄し、死なせてしまったが周囲にはその子供たちを可愛がっているように見せかけていた。その他子供への虐待死は連日のように報道されている。

 日本人の精神状態はどこかおかしくなってきている。何が原因か。天皇への敬意が薄れ、靖国神社に祀られている人たちへの感謝の思いが薄れ、武士道精神や教育勅語はとんでもないと考える風潮が出、仏教が人々の心を癒していない状況などが原因ではないのか?

 つまり、日本人は、日本人としての心の支えをなくしてしまったからではないのか?

2010年8月3日火曜日

雑感 (20100803)

 夕刻になると涼しくなる。昨日もそうだった。昨夜は横浜で花火大会があった。花火を観に行くには絶好の気象状況であったが、それが行われることにあまり関心が無かったため観に行くチャンスを失した。もう何年も前のことである。女房は男とけんかしたため一人で横浜の花火を観に行った。そごうデパートのレストランから良く見えたという。そんなことがあったので今度は必ず二人で観に行こうと思っていたが、家の由緒に関することを整理して記述しておこうとその作業に集中していて、花火のことはすっかり忘れていた。

 女房は別に花火を観に行きたいとは思っていなかったという。男は「俺が行きたかったんだ。もうこれからだと遅すぎるね。」と残念がった。今年は毎月のように九州の田舎に帰っていて、しかも例年になく猛暑で、花火を観ることに気持ちが集中していなかった。来年こそは必ず二人で花火を観に行こうと思う。

 昨日は由緒書の記述作業に集中していて散歩もしなかった。今日は女房が自分のウオーキングシューズを買いたいと言うので大型のスポーツ用品専門店に行った。女房が気に入った靴があり、それを買って帰ってきた。歩数4000歩ほどであった。

 女房の方は近くのフィットネスクラブで運動をしたついでにその店に行ったので8000歩であった。そのフィットネスクラブでは毎月筋肉量や体脂肪などを測定している。最近女房は生き生きしていて体も引き締まってきているように見える。測定結果はかなり良かったらしい。「スタッフのかたからびっくりしたように言われたわ」と喜んでいる。

 今女房は男が好物のハンバーグを作っている。女房の手作りのハンバーグは最高である。女房が作る手巻き寿司ご飯も美味いが、ハンバーグもとても美味い。新聞販売店から新ビール(発泡酒)を6本入りを3パックももらったのでそれを飲みながら女房が作ったハンバーグを食べる。男はアルコールで赤くなるので、程々にしないとがんを誘発しかねないと用心している。

 このところもう数カ月も牛乳の代わりに豆乳、牛乳ヨーグルトの代わりに特定健康保健食品の豆乳ヨーグルトを食べている。卵も一日に1個以下、野菜を豊富に、脂肪分は少なめに、揚げ物に使う油はコレステロールを下げるものを使用している。男は女房が作った食事を食べさえすれば健康管理は全く問題ないと思っている。二人とも睡眠は十分とっている。ストレスはためないようにしている。無理に、無茶に病気を作らないことである。

 かぜが吹き抜けて風鈴がちりんちりん鳴っている。この家は南北と東に窓がある。家の中を風が吹き抜けて涼しい。この家が涼しいのは北側の眼下に川があり、建物等があり見通せないが南側5kmぐらい先に海があり、周囲遮る構築物はないからである。

 夕食後BSで山本薩夫監督の『金環食』を観る。原作は石川達三の小説で九頭竜川ダム落札事件をモデルにしている。政官業の癒着問題を題材にしている。男はこの映像で世間の裏側がこんなものであろうと思う。「悪い奴ほどよく眠る」と言うが、金や名誉や物に執着するのは人の常である。しかし男はそのようなことには距離を置きたいと思っている。

2010年8月2日月曜日

日曜日 (20100802)


連日猛暑が続いている。岐阜、名古屋などは37度という。連日熱中症で倒れる人が多い。家の中にいても熱中症にやられている年寄りが多い。水分をこまめに取り、体温を上げ過ぎないようにしないといけない。

30年前に既にこと切れていたにもかかわらず生きていれば111歳になる老人の男性が家族が同居している一室で白骨化した状態で発見された。その老人は「生きたまま成仏するので絶対に部屋を開けるな」と厳命し、家族は逆らわずその命令に従い、30年間その部屋を開けなかったという。捜査員がその部屋に入ったときその部屋の中には埃が積もっていて、人が入った形跡はなかったという。

しかし30年間振り込まれ続けた年金(奥さんが教師をしていたらしく、その遺族年金)が相当額引き出されていたということで、家族は取り調べを受けている。

老人が息絶えた後、暫く死臭はしなかったのだろうか。世の中には奇妙な家族がいるものである。年金の不正受給者が結構多いらしい。その家族も意図的に年金の不正受給をしたのだろう。年金を引きだすことが出来るのは家族しかいないはずであるから・・。

中国やマレーシアなど6か国が領有権を主張する南沙諸島がある南シナ海で、中国はアメリカや東南アジア諸国連合(ASEAN)をけん制し、大規模な軍事演習を行った。平和ボケした日本人たちの気が付かないうちに、中国はあちこちで軍事力を誇示している。先般中国の艦隊は沖縄本島と宮古島の間を通過して日本の沖ノ鳥島近海で行動した。そればかりではなく警戒監視活動をしているわが駆逐艦(男は‘護衛艦’と言う呼称が気に入らない)にヘリコプターが急接近し上空からわが駆逐艦の写真を撮ったりしている。

その中国は北朝鮮にえらい気を使っている。7世紀初め頃唐が高句麗(今の北朝鮮から中国東北部の一帯)に気を使っていた状態と似ている。また7世紀の終り頃、大同江(今のピョンヤンの近くの川)以南の朝鮮半島を統一した新羅にも唐は気を使っていた状態とも似ている。唐は新羅と連合して百済を滅亡させ、さらに高句麗を滅ぼした。その時、倭(日本)は朝鮮半島における権益を守るためにも、また従来から親しい関係にある百済を援けるために出兵し、663年、白江村の戦いで大敗した。

唐は朝鮮半島を統一した新羅を攻めようとした。新羅は唐に対抗するため倭(日本)の協力を得ようとした。倭(日本)は東アジアの国際政治に介入することを避けた。唐は日本との交流(遣唐使派遣受け入れ)が白江村の戦後一時中断していたがその後復活させた。

平和ボケした日本人は、先の大戦で日本軍が中国や朝鮮半島に侵入したことが間違っていたと思いこまされ、自虐的になってしまっている。日本人がぼやっとしている間に、日本に不利な、危険な状況が作られつつある。この猛暑の日曜日(1日)に男は国を憂えている。

民主党は女性や高齢者や福祉サービスを受ける人たちや、半分以上は自己責任によりそのような状態に置かれている失業者たちの耳に快い言葉「国民の生活が第一」「元気な日本を復活させる」と宣伝するが、日本の安全保障や領土保全に無関心である。それでいいのか!

2010年8月1日日曜日

外国人に日本の首相を選ばせるのか!(20100801)

民主党の代表選挙では、民主党規約により「18歳以上の個人(在外邦人および在日の外国人を含む)」者による選挙が行われる。「在日の外国人を含む」とはとんでもないことだ!

この規約は2008年12月、当時の小沢一郎代表らが在日本大韓民国民団(韓国民団)幹部らと会い、国政選挙での支援を求めた際、韓国民団側の一人が「(民主党政権になれば)間接的に私が首相を選ぶ図式になる」と明言し、協力を約束したという。(読売新聞)

日本国民としてこのようなことは断じて許せない!小沢一郎氏は明らかに反国家的行動をしている。彼は選挙に勝ち、自分の勢力を拡大することだけが目的であって、日本と言う国の安全や平和のことについて全く考えていないとしか言いようがない。

今、在日の中国人はどんどん増え続けている。米韓軍事演習は北朝鮮に対し圧力をかけているように見える。しかしアメリカの本当の意図は北朝鮮の崩壊を狙っているものかもしれない。北朝鮮が崩壊する前、指揮権が米軍にある米韓は軍事行動を起こし、軍需産業で稼ぎ、崩壊後の北朝鮮で資源を確保し、日本だけが損をすることになるだろう。

もし北朝鮮が崩壊したらそれこそ何百万人という難民がわが国に押し寄せて来るだろう。民主党はその事態になれば党の規約を変更するとでもいうのか!

尖閣諸島や沖ノ鳥島の防衛、北方四島や竹島の奪還のためには‘友愛精神’だけでは駄目である。わが日本国も「自己保存」の力を強化しなければ事態は打開しないだろう。

一方、在日外国人に日本の国籍を取得して貰えばよい、と単純に考えると必ず問題が起きるだろう。日本の国籍を認めるには「宣誓式」を行って、日本国憲法の順守、天皇陛下への敬意、国歌・国旗の尊重、国歌斉唱の上国籍を付与するという手続きを踏む必要が絶対ある。アメリカでも韓国でも帰化のとき国歌斉唱を義務付けているという。

南アで行われたサッカーワールドカップで、田中 マルクス闘莉王は、自ら仲間の選手たちに呼びかけて日本国歌が演奏されたとき肩を組み合い、「君が代」を大声で歌っていたではないか!彼は日本に帰化し、日本人以上の日本人、サムライになったのだ。

恩師大鵬親方を乗り越え優勝したモンゴル人の白鵬は、相撲協会の野球とばく事件の影響で天皇賜杯を貰えなかったにもかかわらず、「君が代」を歌い、「日本の国技を守る」という言葉を口にしたではないか!大変立派である。

民主党員の中には愛国心が旺盛な人たちもいるであろう。しかし、日本人は「長いものにまかれる」性質がある。彼らの中には直接声を出さす、行動もしない人たちも多いだろう。そういう日本人の気質を見越して小沢一郎氏らは腹黒く立ち回っているように見える。

マスコミもノー天気である。朝日新聞やテレビ朝日などは民主党寄りの言動をし、国民に真実を知らせようとはしないだろう。男は昨日も言ったように、皆「自己保存」的言動をするものである。右翼団体も組織である以上「自己保存」の言動をする。こういう状況に警告を発し一般庶民の意識を目覚めさせるには、心ある人々が個々にネットワークという‘組織’の中で発言するしかないのだと思う。