2010年12月31日金曜日

外交と防衛(20101231)

  老人は新幹線の中で『大東亜解放戦争』(岩間弘著、創英出版)を読んだ。この本は、現政権の首脳やスタッフ、外交・防衛関係の大臣やスタッフたちに是非読んでもらいたい本である。

と言うのは、外務大臣になることを希望していると噂される鳩山元首相やその取り巻きや、鳩山氏に影響を与えたとされる寺島実郎氏などは「冷戦時代の安保体制からの脱却」という切り口だけを金科玉条のように主張するが、それでは対ロシア、対北朝鮮、対中国外交戦略については、「軍事力は外交の非常に重要な手段である」という視点を持っていないように老人には思えるからである。

  新幹線の中に「ご自由にお持ち帰り下さい」と注記のある『WEDGE 2011 1』号が各座席に置かれている。それを読むと次のような記事が目にとまった。谷内正太郎氏・早稲田大学教授・元外務次官)が寄港した『TPP参加は「強い安保」「強い経済」への分水嶺』と題する記事である。

  「2020年頃には、中国軍の総合的能力は、米国を除けば、東アジア随一のものとなるであろう。これに対抗できる勢力は、米国の太平洋防衛網しかない。・・(中略)・・仮に、大きな紛争になれば、米国は、同盟国である欧州主要国にも援軍の要請が出来る。・・(中略)・・軍事的実態を見れば、東アジアが、北米や欧州と切り離されて、米欧に対抗する独自の国際政治の場を構成するという考えが、いかに幻想的かよくわかるであろう。また、東アジアにおいて、日本が、中国やロシアを押さえて、他のアジアの国々を従えてリーダーシップをとる、或いは、日本が、米国と中国やロシアの間を仲介するという議論が、どれだけ現実離れしているか分かるであろう。・・(中略)・・環太平洋自由貿易構想を、戦略的観点から眺めれば、日本が飛び終えるべきバスであることは自明であろう。・・(中略)・・閉塞感に鎖され、内向き、縮み志向に陥った日本はこの痛みを覚悟し、敢えて突破口を開いて局面を打開する強力なリーダーシップが必要である。菅直人総理は「歴史の分水嶺」という言葉をよく使う。分水嶺では、正しい方に滑っていかなければならない。(後略)」

  日本国憲法前文にあるような「公正と信義」は、中国にもロシアにも北朝鮮にも、また韓国さえにも「ない!」。「友愛の海」はない。日本は近現代の歴史に鑑み、冷徹な目でこれら「特殊な」国々と対峙しなければならない。ドイツがやったように、アメリカの「核のボタン」も、一朝有事の際には日米共同で押すということを日本は決意し、そのことを彼の国々の政府関係者に分からせなければならない。

  そういう意味で日本を過った方向に導くことになる鳩山氏や小沢氏は、考え方を改めるまで「黙って」いて貰わねばならぬ。マスコミもいつも同じ顔ぶれの論者だけではなく、谷内氏のように「正論」を唱える方々をテレビに出てもらうようにすべきである。

  冒頭に示した本には、「東京大学等出身の左翼、共産主義の学者や政治家が、文部科学省はじめ、多くの官庁に多数いて、日本を左へ、左へと向かわせ、最終目標を天皇制の廃止、打倒に向けている」と書かれている。この本で日本とロシアや中国や朝鮮との間の歴史を正しく紹介している。これについて今後このブログで書き留めておきたい。

2010年12月30日木曜日

新幹線の旅(20101230)


  今、新幹線の中でこれを書いている。9時9分新横浜発のぞみ19号は定刻通り新横浜を出発した。今日もお天気がとてもよい。列車の到着を待つ間、ホームで暖かい日差しに照らされる。気分は爽快である。女房に「帰るのが憂鬱?」と聞くと女房は「憂鬱」という。「俺は列車の旅が楽しい」と言うと「それは同じよ、でも帰れば仕事が一杯待っている、婆さまは私が帰ると何もしなくてすむし、ただじっと炬燵に座ってテレビを見ていれば、ご飯が出てくるし、楽だから私の帰るのを待っているのよ、ただそれだけよ」という。「婆さま」とは男の父親の後入りで女房にとっては実母である。しかし女房はその「婆さま」が男の家に後入りで来て以来、その「婆さま」とは一緒に暮らしていない。女房にとって「婆さま」の実家の叔父と叔母(叔父の嫁)が実質親代わりであった。

  昨日までばたばたして帰る準備をしたが、それは今朝、家を出る直前まで続いた。女房が好きなので、わが家では熱帯魚も金魚も飼われているし、シクラメンやデンマークカクタスや三色すみれなで沢山の花が育てられている。それらを一週間あまり不在の間、よい状態を保つため普段より余分の仕事が増えるのである。花は枯らさないように毛細管現象を利用した給水システムを使ったり、魚は飢え死にさせないように長期餌を与えたりする。二人暮らしとは言え綺麗好きなので洗濯物は多い。夕べ使った下着や寝巻なども洗濯して室内に干しておく。「発つ鳥跡を濁さず」の諺のとおり何もかもきちんと始末して家を出る。それは、もし万一事故か何かで死んだ後、他人に笑われないようにしておくためである。

  男の亡父が遺した家は風光明美な土地にある。田舎とは言え生活には便利である。男は其処が好きなのであるが、さりとて其処に定住することは難しい。都会の生活の良さを捨てることはできない。良いところ取りはできない。ただ、そう遠くない将来、男も女房も体が弱ってきたときどうするか考えなければならない。終の棲家は都会地よりも田舎にある老人ホーム、それも温泉地にある老人ホームの方が良いと考えている。

  今回年末のため新幹線の予約の変更は簡単ではなかった。初めの計画では博多からバスを利用しようと考え、博多からの列車の乗り継ぎのことは頭にはなかった。しかし大雪の恐れもあり山間部を通る博多からの高速バスの利用をやめ、特急列車に変更した。博多での列車の乗り継ぎのことがあり、新幹線の予約を変更しようと試みたが、いずれも満席で変更できなかった。博多でちょっと待ち時間があるが、一つ前の列車のグリーン車だけが利用できた。このため初めてであるがグリーン車にした。これは値段が高いがそれだけのことはある。飛行機を利用しても年末は新幹線のグリーン車で帰るのと比べ費用は大差ない。むしろ費用の割には時間的にも気分的にもゆっくりできる。繁忙期でなければ飛行機の方が断然安い。だから盆正月は飛行機を利用せず新幹線を利用している。ただ今回だけはそれもグリーン車になった。女房のストレスも幾分解消されるだろう。

  N700型ののぞみ号には列車内でインターネットができるようになっている。無線LANを利用するのであるが、そのためには予め無線LANの業者と契約しなければならない。男は列車内でわざわざインターネットをしなければならないような仕事をしているわけではない。列車内にAC100ボルトのコンセントがありさえすれば、内臓バッテリーのことを気にせず長時間パソコンに向き合うことができる。グリーン車では座席の肘のところにコンセントがあるので、そここら電源を取ってパソコンを動かしている。隣で女房は持参したプレーヤーで音楽を聴きながら本を読んでいる。列車は名古屋に着いた。

2010年12月29日水曜日

帰省(20101229)


  男は女房tと一緒に明日(29日)新幹線で九州に帰る。その準備でかなり前からいろいろ忙しかった。女房は帰れば「おさんどん」が待っている、と憂鬱気味である。何か楽しみがあって帰るのではなく介護が目的で帰るので、帰ってもなにもかも自分たちでやらなければならないことばかりである。男もいろいろ手伝うつもりであるが、介護と言うものはどうしても女の手がかかるものが多い。女房の実母である母(男の継母)は女房がいろいろ細々とよくやってくれるので、女房が時々帰ってくれることを期待している。女房も来年春には70歳になる。介護といっても「老老介護」である。無理をすると疲れが出る。

  しかし考えてみれば、世の中には遠くまで旅ができない人が非常に多い。介護を兼ねてとはいえ、遠い九州まで年に何度も帰ることができる人は、遠くまで旅ができない人から見れば羨ましいことである。ものは考え方次第である。あらゆる物事には表の面と裏の面とがあり、一方の面だけから物事を見、物事を考えるのは間違っている。

  ところで人の幸せは、その人が他者にどれだけ多くの喜びや幸福感や安心感などを与えたかによるものである。物事の原因が結果をもたらす。善い行いには良い報いがある。善い行いが多ければ良い報いも多い。逆に悪い行いには、決して良い報いはない。悪いことをして報酬を得ても、その人の前世から来世までの長い時間軸で見た場合、悪行は必ず罰せられる。現世にあっても「罰を被る」と言うように、罰を被る原因に気づくことになる。

  この「行い」というものは、形として目に見えるものばかりではない。因果を通じて目には見えない結果として顕れているものもある。「それが善い行いであった」と分かる人にしか分からぬものもある。わが家において男の継母である老母は遠い先祖から男の息子たちにつながるものを伝えてくれた。そのことは男にしか認識できないことである。男はそのこと故に老母をよく看る役目が与えられていると自覚している。

  ある行為を「役目」で行うと考える場合、自分の役目に気が付いていれば、どんな辛い役目でも粛々とこなして行くだろう。時にその役目が自分の死をかけたものであっても、生還を期しえないものであっても、平然としてその役目を果たすだろう。それが武士道である。幼い頃よりその心構えができている人とそうでない人とでは人生の生き方や志が違うだろう。今の時代、そんな大仰なことはないが、「役目」を自覚するとしないとでは、人々の評価も違ってくる。特に地縁血縁が濃い地域社会ではなおのことである。

  このたびお正月には孫たち一家も九州に帰ってくるというので女房の叔父・叔母たちが老母のところに沢山の餅や米や野菜などを届けてくれている。叔父・叔母たちも既に80を超えているが、姉である独り暮らしの老母のことを思っている。田舎の人たちは皆情が厚い。女房も親代わりだった叔父夫妻や姉のような叔母と厚い情を伝え合っている。

    皆、生得的に心根の優しい、思いやりがとても深い、心配りがよくできる人たちである。皆、90を超えた老母が、九州の片田舎で独り暮らしをしている様子を見て可哀そうに思っている。しかし老母は住み慣れた所で暮らす方が幸せだと思っている。

    今のところ老母は大変元気である。しかしその独り暮らしもそろそろ限界に近付きつつある。去年も入院騒ぎで老人は飛んで帰ったことがあった。

2010年12月28日火曜日

放送大学(20101228)

  昨日、放送大学から来年度の授業科目や面接授業時間割表など分厚い資料を送って来た。男は昨年、放送大学に20年ぶりに再入学して『分子生物学』などを選択して勉強したが卒業する意思はないので単位認定試験は受けなかった。放送大学ではテレビとFMラジオで遠隔授業が行われる。男の女房もこの大学で勉学を続けており、既に二つの専攻を卒業してそれぞれ「学士(教養)」という学位を授与されているのであるが、さらに別のコースを専攻して『バイオテクノロジー』など難しい科目の単位認定試験を受け、卒業する気でいるので一生懸命勉強していて、録画・録音した授業を何度も再生しては視聴している。

  送られてきた資料の中に『ONAIR』という機関誌がある。その1ページ目に2008年にノーベル物理学賞を受賞された小林誠・高エネルギー加速器研究機構特別栄誉教授を囲む対談の記事が載せられている。小林教授は素粒子という最もミクロな世界で、自然界にはクォークが3世代(6個)以上なくてはならないと提唱し、世界中の加速器の実験で、従来3個しか見つかっていなかったものを残りの3個見つけ、この宇宙誕生の謎の解明に大きく貢献された。日本人の科学者たちは理論物理や化学の分野で世界をリードしている。

  日本人のノーベル賞受賞者数は物理学賞で6名、生物学・医学賞で1名、化学賞で7名、文学賞で2名、平和賞で1名である。その他アメリカ国籍を取得した元日本人(南部陽一郎氏)、戦後台湾国籍となった元日本国籍の人(李遠哲氏)がそれぞれ化学賞を受賞した。李遠哲氏は旧日本帝国大学の一つであった台北帝国大学を卒業され方である。他に旧大韓帝国でノルウェー人の父と日本人の母の間に生れ「良夫」という日本名を持ち、戦後10歳の時から18歳の時まで横浜市で暮らし、後にアメリカに渡りアメリカ国籍を取得した人で、同じ化学賞を受賞したチャールズ・ペダーセン氏がいる。(以上、「Wikipedia」記事引用。)

  日本は従来非常に高い教育水準を維持してきた。日本は科学・技術で国を立て、貿易で繁栄し、世界有数の農業国、森林国、水産国としてその技術水準を高め、国防をしっかりとして中国やロシアや北朝鮮という国際ルールを無視するゴロツキのような国々の野心を打ち砕き、今世紀も来世紀も、美しい、平和な、安全な国で在り続けなければならない。日本は万世一系の天皇を奉じ、美しい日の丸の旗と、穏やかな旋律の日本国歌を大切にし、今後千年も万年も「東方の光」として世界に憧れを示し続けなければならない。

  男はかつて仕事の関係で放送大学の放送番組を作る現場や設備を見たことがある。諸外国でも放送大学のような遠隔授業を行っている。インターネットによる大学の授業も盛んに行われている。今の時代の人たちは、学ぶ気さえあればいつでもどこでもそこが大学のキャンパスとなる環境にいる。放送大学は世界に誇る非常に優れた教育システムである。

  『ON AIR』には、放送大学の教養学部を卒業した方のことや、大学院を卒業した方々のことや、さらに他の大学に進学し博士号を取得した方のことが紹介されている。もし男が20歳若ければ、そして今のように自由な時間があれば、男も放送大学の大学院を出て、さらにどこかの大学で学問をし、博士号も取得したかもしれない。今となってはそのような希望も気力も体力もない。人生のある時期、何に自分の時間を振り向けるかという考え方が重要であると思う。 時間は誰にでも同じ一日24時間しか無いのだから。

2010年12月27日月曜日

写真立て(20101227)


  このブログを書いている机の上に二つ写真立てがあり、目を左にやるとその写真立てが見える。写真立ての一個は男の友人(女性)がわが家に来て10日間滞在したときプレゼントされたものである。銀色の額縁の写真立ての周囲には修飾の字体でFriends is a gift of laughter and endless support 等の文字が描かれている。その中に来年春大学を受験する孫娘の写真が飾られている。その友人は自分一人とシェルター(捨て犬の檻)から貰ってきて育てている犬や猫と淋しいクリスマスイヴを過ごしたようである。カードにそう書いてあった。男と同じ年の彼女に電話してあげれば良かったと思うがそうしなかった。

    その隣に両開きの金色の額縁の写真立てがある。これは男があるパーティに参加したときプレゼントされたものである。その両開きの右側は、飾り模様の縁の中に楕円形の切り抜きがある。その中に来年高校に進学する孫娘の写真が飾られている。その左側には、チョコレート色と茶黄金色のツートーンの二重のラインで囲んだ方形の飾り縁の中に方形の切り抜きがある。その中に来春4歳になる孫息子の写真が飾られている。

    目を正面に向けると黒色のラックがある。そのラックの上の眼の高さの位置に2個の写真立てを置いてある。いずれも木製の簡単な構造の安物である。その一つは男と女房が40代の頃、南房総の花畑の中に二人並んで腰を落としてしゃがんだ格好で撮ってもらった写真である。後ろの方に老人が運転してきたホンダのシヴィックが写っている。

    その隣に女房が還暦のとき、かつての親子4人の水入らずで、青森まで3泊4日の旅行をしたとき撮った写真がある。その写真は八甲田のある温泉宿の近くで小高い丘とその上の紺碧の空をバックに老妻を中に両脇に二人の息子が写っている写真で、男が撮ったものである。そのとき二人の息子はそれぞれ既に結婚しており子供もいた。しかし二人の息子の母(女房)の還暦のお祝いということで、3泊4日の青森までのドライブ旅行を息子たちがプレゼントしてくれた。あのとき息子の嫁たちはよく協力してくれたものだと思う。

    あのとき車は長男の嫁の実父が4人ゆったり座れる高級なセダンを持っていて、それを貸してくれた。泊った三つの宿は二男が企画してくれたものである。有名な小牧温泉にも泊った。費用はすべて子供たちが負担してくれた。女房はその旅行の後、嫁たちに感謝の気持ちを伝え、お礼にと相応のことはしたが・・。

    子供たちが中学生と小学生のころ2年半ほど過ごした三沢も再訪し、そのころ官舎の近くにあった特徴ある赤い色の三角屋根の住宅が3棟残っていてまだ使われているのを見て皆懐かしがった。あの頃はスパイクタイヤを使っていて、冬の日の凍った夜でも車を運転することに全く不安は無かった。ある凍りつく冬の夜、女房は車を運転して、氷の轍に車輪をとられながらも坂道を登り、友人の家まで男を迎えにきてくれたこともあった。

    思えば男には小学校・中学校時代を過ごしたふるさとがあるが、子供たちにはそのようなものはない。親がよく転勤していたので、子供たちには子供時代の仲間との縁が薄い。老人のようにいわゆる竹馬の友はいない。それが親としては可哀そうに思うところである。

    歳月を経て、今度のお正月には男の田舎の家で孫たち家族を迎える。田舎の家では今雪が降り積もっているという。独り暮らしの老母にとって非常ににぎやかな大晦日となる。

2010年12月26日日曜日

己を知ること(20101226)


  人生の歳月を重ね高齢になれば、人は徐々に「霊的」になってゆくのだと思う。その証拠に高齢者同士顔を合わせ何か会話を交わすとき、例え相手が初対面の人であっても何故かある種の親しみを感じるものである。

  このところ男は自分自身のエネルギーが低下したと感じている。昨日、男と共に老いた女房に先日の定期健診結果が送られてきた。女房はオールA、血管年齢は75歳と少し実年齢より高いが健康そのものである。一方、老人の方はコレステロール、尿酸値、BMIとも正常値より高く、血管年齢も88歳である。エネルギーの低下はこのように数字として如実に表れている。生活習慣病になりかけている状態である。

  男はそういう状態で詩吟を詠じ、録音し、再生して自分の吟声を聴いてみる。このところ、その声に張りがないことを感じる。齢のせいだけではあるまい。健診結果の数値のとおり体調が良くないのだ。男は今後体調を良くするためいろいろ努力しようと思う。一方女房は近くのフィットネスクラブに通っていて、そこで毎月測定される体重やBMIや筋力などの数値をよくするため努力している。その成果が徐々に顕れつつある。

    女房は「お父さんもどこかスポーツクラブに通ったらどう?」と言うが、男には今のところその気はない。バスで行けば15分ぐらいのところに市のスポーツセンターがあり、そこにはいろいろなトレーニング用の器具や器械を置いてある。バスも年会費制の敬老パスがあるので交通費はかからない。その気さえあればそこで汗を流すことはできる。しかし時間をかけてそういうところで汗を流すよりも、早寝早起きし、ウオーキングをし、スロージョギングをし、発汗して無駄な脂肪を減らすことのほうが良いように思う。

    己を知ることについて、己の深層心理状態を知ることも重要である。以下は男がこれまで学んで体得した己を知るための一つの理論である。

    人の言動の9割以上は潜在的無意識に支配されている。長い人生の間、自ら意識して自らを変える努力を継続すれば、その結果が潜在意識の中に組み込まれ、人の言動に自ずと顕れる。何かと多忙な現代人は、自らを省みる余裕がない。「忙しい」という言葉の「忙」の字は「心を亡くす」と書く。歳を経て「心を亡くした」自分に気づかぬまま過ごすと、ある日取り返しのつかぬことをしてしまいかねない。

    元々生得的な無意識に加え、後天的な無意識がその人の言動を自動制御する。元々生得的な無意識は親から受け継いだものである。それはDNAに書きこまれている身体的な諸能力や諸機能、性格や知能などによるものである。後天的な無意識は生後の家庭環境、教育環境、訓練環境、社会環境などに影響を受けているものである。

    人の無意識は、自分自身では分からない。しかし自分の周囲の者からのフィードバックに注意すれば、自分の無意識がどのようなものであるか大方想像はつく。生得的な無意識は変わらないが、後天的な無意識は意識した反復練習を積み重ねるうちに獲得される。

    仏教では、生得的無意識を阿摩羅識(あまらしき、第九識、別名「無垢識」)と言い、後天的無意識を阿頼耶識(あらやしき、第八識)と言う。阿頼耶識は、「因果業報」の「業」の潜在力、習慣力としての無意識である。.第八識を良くすることが重要である。

2010年12月25日土曜日

国の為、内閣を改造せよ(20101225)


  ロシア大統領や副首相が日本の固有の領土である北方領土を公式訪問したことについて、駐ロシア大使が更迭されることになった。当然のことである。もう一つ、ロシアがそのような行動に出る前に鳩山前首相はロシアを訪問していた。彼はいったい何をしにロシアを訪問していたのか!

  インターネット番組で、小沢氏が先月横浜市で開かれていたAPEC(アジア太平洋経済協力会議で來日中であった中国の胡錦濤国家主席の招きに応じて胡主席と会ったということが明らかにされた。小沢氏は「(中国は)変わらないとだめになる」と中国政府の統治方法に限界があると伝えたという。日中関係がこれほど悪化した原因を作り、これからも作り続けることであろう中国側と小沢氏側の思惑が一致し、インターネットでアッピールしようと試みたのだろう。馬鹿げた情報である。

    鳩山氏と小沢氏は、この日本のために何か良いことをしただろうか?無私の真心で、この国の為に身を捧げてきたのだろうか?ただ、私利私欲のために政治を行ってきただけではないのか?それにくらべ、大平元首相は大変立派な方だった。彼はこの国の為に最後の最期まで働き、自分の後継者に最もふさわしい人物は権力闘争の相手であった福田氏(元首相)であると語り、選挙運動中に逝った。

    最近、菅首相も立派な首相になりつつある。最近の首相の言動には強い「志」が感じられる。己の身を国の為に捧げ、己の命を国の為に捧げる滅私奉公の気持ちで必死に政治を行えば、必ずその先に明かりが見えてくる筈である。

    尖閣ビデオ流出事件の一色正春元海上保安官は国の為「切腹」した。関係者の仙谷官房長官や馬淵国土交通大臣も「切腹」しなければならないだろう。警視庁のテロ情報流出事件について見識があまりにもお粗末だった岡崎国家公安委員長も、女性だから「流罪」である。彼女は熱心な「元反日活動家」という国家公安委員長に相応しからぬ過去がある。

  国家としての中国は日本にとって最も不愉快な相手である。中国首脳は口で「他国に脅威を与えない」と言いながら「尖閣(魚釣島)は中国の領土である」と言う。以下、『歴史通11月号20101』(ワック出版)に前衆議院議員西村眞梧氏が寄稿している記事を引用。)

① 中国共産党は2007年に『琉球復国運動基本綱領』というものをつくり、その中に「琉球人民は日本の琉球群島に対する植民地統治を認めない」などと書いている。

② さらに『琉球臨時憲法』というものまで掲げ、その第四条に「琉球共和国は、奄美州、沖縄州、八重山州の三つの主要な州からなる」とある。

    中国は他国に脅威を与えないと言いながら、

① 1973年にアメリカがベトナムから撤退すると、その翌年、中国は突然ベトナム軍を排除して西沙諸島、つまりベトナム沖の南シナ海の島を占領した。

② 中国では、これを「自衛反撃作戦」と呼んでいる。

③ 1992年、フィリッピンのスーピック海軍基地、クラーク空軍基地からアメリカ軍が撤退することになったら中国は「領海法」なるものを制定して、南沙(スプラトリー)諸島は中国の領土だと主張して、米軍が撤退して脆弱になった南シナ海に侵攻を始めた。

2010年12月24日金曜日

 ひ弱な国(20101224)


  海上保安官・一色正春氏(43歳)は、尖閣諸島での中国漁船衝突・拿捕事件のビデオをYouTubeに故意に流出させた責任をとり、「免職」に次ぐ重い処分である1年間の「停職」という処分を受け、上司の神戸海上保安部長に「もうしわけありませんでした」と詫びて辞表を出し、即日(22日)退官した。

    彼は警視庁の調べに対して彼は、始終一貫して「国民は海上の出来事を知らない。衝突事件の真相を多くの国民に知って欲しかった」と供述している。 彼はYouTubeにビデオを流出させた理由や、アカウント名(登録名)を「sengoku38」とした理由について「言いたくない」と言い、「職を失ったことについてどうこう言うつもりはない。間違ったことをしたつもりはない」と読売新聞の取材に答えた。

    彼は現代に生きる侍であった。彼は西郷南洲(隆盛)の作詞のように、「天意を識(し)り」、「自ら安きを謀らず」、志を貫き、国の為に見事「切腹」を果たしたのである。

  外交文書の公開で、アメリカ議会の外交委員会聴聞会での対応に関し、1971年11月に牛場駐米大使に宛てた日本外務省公電で、「尖閣諸島の領有権を主張する中国側への反論は望ましくない」と指示する記述が見つかった。中国側への反論は、尖閣諸島の領有権について日本と中国双方を平等の立場に置くことになるので、決して得策ではないという判断によるものであった。この時の日本側の判断が今日まで尾を引いている。中国福建省泉州市の漁港では漁民たちが「魚釣島(尖閣)は中国の領土である。自分たちの海で魚を獲って何が悪い」と息巻いているという。(23日付『読売新聞』引用)

    わが国は、ことここに至って、わが国土の例え1平方センチメートルといえども奴らに決してかすみ取られてはならない。海上保安庁や海上自衛隊(「日本国防海軍」)にはしっかり頑張ってもらいたいと思う。

  今日は天皇陛下のお誕生日である。77歳・喜寿を迎えられた。この日、快晴のよい天気で麓まで雪に覆われて輝く富士山が老人の家のバルコニーから良く見えた。男は女房と久しぶり「市民の森」公園に行った。横浜には幾つかの「市民の森」がある。土地の所有者が市に提供して森の中を散策することができるように整備されている。

  森の中を歩き、住宅街を抜けて国道に出る。直ぐそこに鑑賞魚などを売っている店がある。そこに立ち寄り、昨日清掃しフィルターを交換したばかりの金魚の水槽に入れる水草と、暮には田舎に帰り1週間ほど家を空けるので留守番用の餌を買う。その後通りを歩き、ちょっと洒落た構えの洋食レストランに入る。女房は「おすすめ」の和風スパゲッティのセット、男は和牛100%のハンバーグのセットを求める。セットにはスパゲッティの場合、サラダとスープとコーヒーが付く。ハンバーグの場合サラダとご飯とコーヒーが付く。其処はとても雰囲気の良い店で、料理の内容も申し分ない。値段も高くない。男と女房は其処でゆっくり寛ぐことが出来た。この店にはまた来ようと思う。

  エレベータで近所の80歳近い男性と一緒になる。「今日は天皇晴れでよい天気でしたね」と言うと、彼は「そうでしたね」と言い、「日本はひ弱な国だ」とぼやいた。「ひ弱」なのは政治家や官僚たちである。第一線の海上保安官や自衛官(「軍人」)は頑張っている。

2010年12月23日木曜日

旅人の宿りせむ野に (20101223)


  久しぶりテレビで『日めくり万葉集』という番組を観た。昨年録画しながら老妻と二人でずっと観ていた番組である。同じ内容のものが再放送されている。

  今日は昨年10月1日に放送されたものである。「旅人(たびびと)の 宿(やど)りせむ野(の)に 霜(しも)降(ふ)らば 我(わ)が子(こ)羽(は)ぐくめ 天(あめ)の鶴(たづ)群(むら)」(巻九・一七九一 遣唐使の母)

  この歌の作者は遣唐使の母が詠んだものである。遣唐使は舒明2年(西暦630年)8月に第一次が派遣され、寛平6年(西暦894年)8月に第18次派遣が中止されるまでずっと続けられた。ちなみに白雉4年(653年)の第二次遣唐使船は、入唐の途中、竹島付近で遭難している。4隻の船団の全部または一部が遭難したのは、第二次、第九次、第十次、第十四次、第十六次、第十七次遣唐使の時である。第十二次、第十三次は船が破壊、又は無風で中止となっている。遣唐使は大変苦労し、命を失うという危険を冒してまでして、当時先進国であった中国の良いところだけを吸収し、日本に持ち帰って来たのである。

  この放送番組でこの歌の撰者はジェニ・ワキサカという日系二世のブラジル人である。彼女は「吾子が手の届かない遠くに行ってしまうことに対する寂しさや憂慮、そこには子を思う母の気持ちが表れていて、私も共感を抱く歌です」と語っている。

  彼女は1971年、44歳の時サンパウロ大学に進学し、1987年に博士号を取得している。2008年にNARA万葉世界賞を受賞しており、著書に『万葉集―日本古典和歌への道』などある。なお、この歌はポルトガル語に翻訳されている。(NHK『日めくり万葉集vol.10』より引用。)

  この番組を一緒に観ていた老妻は、「私でも○○(長男の名前)がアメリカに留学したときも、○○(二男の名前)が海外に出かけたときも、成田で別れるとき‘これが最後になるかもしれない’と思ったわよ」とぽつんと言った。

  戦時中、日本の母親たちはわが子を戦地に送り出すとき、「これが最後だ」と思い、悲しかったことだろう。夫を送り出すときも同じ気持ちであったことだろう。送りだされた男たちは、同じ釜の飯を食う戦友との連帯感の中で「(家族に)恥をかかせないように」し、「名誉を大切に」し、「(過酷な状況にあることを)辛抱」し、「(終りの見えない苦しい状況にじっと)忍耐」し、「(少しでも状況を良くするように)努力」した。

  そして軍人約186万人、軍属約9万5千人の戦死者を出し、それを上回る戦傷者を出し、戦争に敗れた。日本は戦争には負けたが、戦争の目的は達成した。それは欧米の植民地を解放するという目的である。東京裁判で自虐史観を植え付けられてしまったが・・・。

  今の日本があるのは、彼ら英霊たちのお陰である。そのことを今を生きる日本人は決して忘れてはいけない。中国は黄海で韓国艦艇に自ら衝突して沈没した中国の漁船の補償を韓国に要求した。尖閣諸島での事件のときも中国はわが国に同じことを言った。中国は黄海や日本の奄美から南西諸島にいたる海域の太平洋側まで自国の領土・領海とすることを綱領や臨時憲法で明記している。人民のレベルでは中国人と日本人はとても良好な関係であるのに、国のレベルでは中国は日本にとって非常に不愉快な隣国である。

2010年12月22日水曜日

戦争回避の最善の方法(20101222)

  尖閣諸島で中国の漁船が日本のコースとガードの船に衝突してきた事件のビデオをYouTubeで世界中に流布させたという事件で、その行為をした海上保安官が検察には起訴されないが行政処分で「停職」となることになった。件の海上保安官は処分後退官する意向であるという。昔で言えば「切腹」である。彼は「切腹」して日本国民に対して国を守るということはどういうことかということを訴えようとしている。彼のことは将来何世紀にもわたり忘れられることはないであろう。彼の上司たちは彼を潔く退官させるがよい。

  日本と中国やロシアや北朝鮮は、人民のレベルでは本当に良い関係であるのに、国家というレベルでは敵対関係である。韓国も日本の領土を不法に占拠し実効支配しているという意味では敵対関係である。韓国はもし北朝鮮が戦争を仕掛けて来た場合や国として崩壊した場合、韓国に滞在している日本人の救出の為自衛隊(「日本国防軍」)の輸送機を向かわせることについて難色を示している。そればかりではなく、李承晩韓国初代大統領が戦前の日本を誤解して日本を敵視し、勝手に引いたラインの中に竹島を入れて以来、韓国は日本固有の領土である竹島を実効支配し続けている。

  国と国との関係は野生動物と野生動物の関係に似ている。仮に中国は虎、ロシアは熊、北朝鮮は狼、韓国は豹、日本は象、アメリカはライオンがそれぞれの生活圏としているところとするならば、それぞれはその生活圏を守りながら覇権を争い合っているようなものである。虎と熊と狼はお互い相手の様子を窺いながらも友好的である。象とライオンと豹は仲が良い。特に象とライオンは最も仲が良い。ライオンは豹をしっかり守っている。虎や熊や狼は自分たちの勢力圏を広げようとするが、今のところ象と豹の生活圏内には侵入出来ずにいる。それでも熊は象の領土の一部を確保し、手放そうとはしない。

  それぞれ動物の子供同士はまだ相手を知らないからお互いの生活圏に入り込んで遊んでいる。それぞれの動物の親たちは他の動物の子供を相手にはせず、むしろ可愛がっている。可愛がっておけば将来きっと役に立つとお互い考えている。

  中国漁船の衝突事件は、戦争になりかねない重大事件である。海上保安官たちは国境の最前線で日本の領土をまもるために命をかけて働いている。件の海上保安官の「切腹」は日本の自制と法治国家の秩序を中国政府と人民に示すものである。今後日本は南西諸島に自衛隊(「日本国防軍」)を配置し、防衛と打撃力を強化しようとしている。

  日本人は相手を尊重してものごとを婉曲に言い表わそうとする。例えば「防衛力の強化」というが、実際の中身は「軍事力の強化」である。中国の漁船によるあの事件が起きて以来、またロシア大統領やロシア副首相がわが国の北方領土を訪問して以来、もうそのような婉曲なものの言いかたは不要であると思う。

  一番分かりやすい言葉は、映画『442日系部隊―アメリカ史上最強の陸軍』でダニエル・イノウエ上院議員が語った言葉である。それは「戦争回避の最善の方法は、戦争の準備を万全にしておくこと」である。

2010年12月21日火曜日

雑感(『坂の上の雲』、戦争の抑止)(20101221)


  暮には九州の田舎に帰るので色々やっておかなければことがあり、気ぜわしい。今日(20日)は熱帯魚の水槽の手入れをした。水槽は60cmサイズのものであるが、これでもバケツ4杯以上水が入る。結構重い。マンション7階の室内に置いてあるので大地震のとき壊れて階下の方々に迷惑を与えてしまうことが怖い。水槽の台が壊れないように、水槽が倒れないようにと可能な対策は講じてあるが、阪神淡路大地震のような直下型の大地震が起きた場合、現状では駄目かもしれない。多分駄目だろう。

  そこで、何れはこの水槽を無くしたいのだが飼っている魚が生きている間は残しておかなければならぬ。魚も後何年生きるか分からないが、老齢で死んだ後は補充しないことにしている。それまでの間大地震が起きないことを願っている。

  手入れが終わって一服しているときテレビのスイッチを入れたら、「アメリカ魂のふるさと」という番組をやっていた。ナイアガラの滝の近くで結婚式を挙げたり、新婚旅行でこの観光地に訪れたり、結婚50年記念に其処を再訪したりしている様子が紹介されていた。

  50年ぶり訪れたというカップルの様子を見ながら老人は思った。「人生は長いようで短い」と。番組のナレーターも同じようなことを言っていた。その滝にはナポレオン皇帝の弟もやってきたそうである。人の歴史の時間よりはるかに長い時間、太古の昔からナイアガラの滝はある。人々はそこで神を感じ、人生の生き方を悟るようである。

  ナイアガラ瀑布が観光スポットなって間もなく其処への鉄道が敷かれた。鉄道は1840年に完成したという。日本では江戸時代天保11年のことである。明治維新は1868年、日本はその後急速に発展し、明治37年(1904年)日露開戦以前にわが国の海軍力は列強諸国と肩を並べようとするまでに成長していた。僅か半世紀の間に日本は欧米に追い付くまでになっていた。日露海戦では日本で開発した砲弾が威力を発揮しバルチック艦隊をうちやぶることができた。日本のそのような優秀性は何処からもたらされたのであろうか?NHK特別ドラマ『坂の上の雲』では次回その海戦が描かれるようである。

  司馬遼太郎は、日本人のルーツが7つほどあると言ったという。この日本列島には漢族と同じDNAを持つ人々や蒙古族と同じDNAを持つ人々やチベット族と同じDNAを持つ人々などが渡って来ている。生存競争に勝ち、生き延びた人々の子孫が笑われ日本人の祖先である。日本人の優秀性の大本は其処にあるのかもしれない。先日書いた「442部隊」の優秀さも見知らぬ土地に移住して生き延びた人々のDNAによるものであると思う。

  先日も書いたように、中国は綱領や臨時憲法など文書化してある「意思」により、隙あらば沖縄や八重山や奄美をわがものにしようと行動している。『坂の上の雲』に描かれているように、日本も「意思」をもって戦争に対する準備を万端整えておかなければ、いつ中国やロシアの餌食となるかわからない。日系二世のアメリカ上院議員ダニエル・イノウエ氏が言っているように「戦争を抑止する最良の手段は、戦争の準備を万全にしておくこと」である。そのことについて相手中国やロシアがなんと言おうと気兼ねすることは一切ない。
日本人は、戦争に負けて捨ててしまった古い価値観の中から良いものを取り戻す必要がある。武士道精神、万世一系の皇統を守ること、礼節、仁愛の精神、etc。

2010年12月20日月曜日

エレベーターのメンテナンス(20101220)


  男が住むマンションは築25年である。鉄筋コンクリート7階建て28戸の小さなマンションで、裏に12台分の駐車場がある。その外側は川の堤防があり、その堤防の上を歩く人たちはこのこじんまりとした小さなマンションの様子を観る見ることが出来る。

  以前防犯上の問題が何度かあった。そこでこのマンションでは防犯カメラを設置し、不正な侵入者を監視出来るようにした。その後そのような防犯上の問題は聞かなくなった。

  28戸と言ってもそのうちの2戸は近くにある自動車関連部品を作る会社の寮であり、3戸はオーナーが別のところに住んでいる賃貸入居者である。区分所有法により住宅管理組合があるが、オーナー入居者が少ないため1年交代の組合の役員はすぐ回ってくる。男も再来年には入居以来3度目の役員にならなければならない。

  小さいマンションなので住民のまとまりは非常に良い。7階までエレベータで上がることが出来、高齢者にとって楽である。管理組合では一階には車いすのための簡単なスロープや玄関入口には手すりも取り付けた。交通や買い物が非常に便利であり、建物の日当たりは非常に良い。しかも川のすぐそばにあるので、ウオーキングにも好都合である。

  このマンションでは今の時代としては古い形式になってしまったエレベータをメンテナンスしながら大事に使っている。ところが、最近このエレベーターのレベルを自動的に調整するシステムの不具合で、気温が下がった深夜から明け方にかけていびきのような洗濯機が回っているような音が発生し、コンクリートを通じて全戸に伝わるという問題が発生した。初めは水道の給排水システムのバルブか何かの振動音ではないかとか、家庭でパンを作る機械が自動的に動く時発生する音でないかとか、あるいはこの川に沿って設置された直系9メートルの防災用一時貯排水システムからの音ではないかなどといろいろ詮索された。しかし、深夜エレベータを停止してみて、原因はエレベータを油圧で上下レベルを調整するシステムの不具合であることが判った。

  機械室にそのシステムの心臓部がある。そこに油のタンクがあり、温度センサーが油の中に置かれている。気温が下がり油圧ポンプに送る油の量が減ると自動的にタンクから油が供給される仕組みである。問題は自動制御システムの心臓部のメンテナンスが不十分であったことである。マンションではエレベータの維持のため管理費を多く使っている。本来ならば管理会社は油圧装置の自動制御システムに関心があるべきである。住民はプロフェッショナルに期待して料金を払っている。問題の原因を住民から指摘されるまでもなく、問題が起きたらする対処できるようなノウハウを持っているべきである。

    男は多少工学的な知識や経験があったので、問題の原因を直感していた。結果直感のとおりであった。問題の原因を調べに来た管理会社や下請けのエレベータをメンテナンスする会社の担当者に要求して油圧システムの心臓部を見せて貰い、タンクの中も見て温度センサーの形やそれが置かれている状況を把握した。

    男は管理会社の上役らしい人物に「ノウハウは集めて整理し、業務引き継ぎのときに後任者によく説明されるようにすべきである。」とプロフェッショナルであるための仕事の仕方を教えてやった。今時の者はその苦言を真摯に受け止めたかどうか分からないが・・。

2010年12月19日日曜日

母の命日(20101219)

  昨日18日は男が9歳の時乳がんで他界した生母の命日である。母は33歳のであった。終戦の翌年であった。終戦の年の8月、子供3人を連れて朝鮮から引き揚げてきた年、乳房に異常が見つかったとき、がんは既にかなり進行していた。既に手遅れであったと思うが入院し、両方の乳房を切除する手術を受けた。まもなく母は病院から手遅れと見放され、父の実家で死の床に伏していた。相当痛みがあったと思うが、母は9歳だった男の前では決して苦痛の様子を見せることはなかった。そればかりではなく、死の間際、いつものように「起こしておくれ」と言い、「東に向けておくれ」と言い、「御仏壇から線香を持って来ておくれ」と言い、「お父さんを呼んで来ておくれ」と言った。そのときはいつものようにがんが転移している「背中をさすっておくれ」とは言わなかった。9歳だった男は、そのときの様子を鮮明に覚えている。死の間際まで、遺して逝く自分の息子に身を以って人生の生き方というものを教えてくれたのである。

  男は朝食のときそんな話を女房にした。すると女房は自分が3歳の時、糖尿病で亡くなった父が遺した言葉を今になって思い出して、「あのときお父さんは‘M子(女房の名前)、K(女房の生母の実家)’に帰るんだよ」と言ったという。そのKで女房の祖父は、「M子、御父さんは死ぬ時何と言っていたか?」、と3歳だった女房によく聞いていたという。

  その話を初めて聞いて男は言った。「父親というものは娘の行く末がとても心配になるものだよ」と。3歳の愛娘を遺して死んでゆくとき、その娘のことを心配しない父親は殆どいない。先の大戦で戦場で散った父親たちもそうであった。妻や娘に宛てた幾多の手紙がそのことを証明している。勿論、息子たちに対しても同じ気持ちであっただろう。ただ、違うのは、息子に対しては「立派に成長してお母さんを大事にせよ、そして国の為尽くせ」と言うだろう。事実、遺された手紙にはそのような趣旨の文面が多い。

  昨日書いた『442部隊』の話もそうである。収容所に居ながら戦地に送った息子たちに「恥」「名誉」「我慢」「辛抱」「努力」という言葉を贈った。息子たちは「家族の恥にならないように」とわが命をかけて過酷な状況の中で戦った。『歴史通11月号2010』に元442部隊将校、ハワイ州選出上院議員であるダニエル・イノウエ氏が寄稿しているが、その中で彼は父親から「いいか、何をしようとも、決して家族と、お前の祖国アメリカ合衆国に不名誉なことをもたらすことはしないように、この国は私たちによくしてくれた。だから、死ななければならないのなら、名誉ある死を遂げるように」と言ったという。

    軍史上特筆される戦死者、戦傷者を出しながらアメリカ国内で日系人への偏見とも戦った。そして日系人の地位と名誉を勝ち取った。アメリカ大統領は442部隊の表彰式で「君たちは祖国アメリカのためだけでなく、日系人に対する偏見とも戦った」と第442連隊の兵士たちを称賛した。戦死した日系兵士たちは美しい記念墓地に安らかに眠っている。

    翻ってわが日本ではどうであろうか?男の叔母の夫が眠る靖国神社に、日本国の首相は日本を東京裁判で「侵略国家」とすることに成功した中国などに配慮して参拝しようとはしない。その中国はわが国の新防衛大綱について文句をつけ、一昨日のブログに書いたように沖縄・奄美を自国の領土にしようとする方針に沿って軍事力の増強を進めている。

2010年12月18日土曜日

映画『442日系部隊―アメリカ史上最強の陸軍』(20101218)

  男は女房と伊勢佐木町にある小さな映画館に『442日系部隊―アメリカ史上最強の陸軍』という映画を観に行った。とても感動し、涙が出た。映画館で購入した小冊子の記事を引用しながら、これを書く。

  この映画は第2次大戦時に日系人で編成された442連隊の真実と生存者の現在を描いたドキュメンタリー作品である。父母の国・日本と自分が生れた国・アメリカが戦争をするという苦悩を抱えながら、アメリカ国籍を有しているにもかかわらずアメリカの中で人種差別と戦い、ヨーロッパ戦線ではファシズムと戦い、連隊規模でアメリカ史上最多の戦死者を出した日系人部隊の兵士たちの物語である。この442連隊はアメリカ軍史上最も多くの勲章を受けた部隊として歴史に燦然と輝いている。

    アメリカ西海岸に住む約12万人の日系アメリカ人と在米日本人は全米10か所の強制収容所に入れられた。当時ハワイでは在ハワイアメリカ軍の半数を占める日系人が従軍していたが、その処遇はアメリカ軍当局の頭痛の種だった。軍当局は日系人兵士全員を密かにアメリカ本土に移送し第100大隊を結成した。この部隊の優秀さを認めた軍当局は、強制収容所からも志願者を集め日系人だけの第442部隊を創設した。この連隊が本土で厳しい訓練を受けている間、第100大隊はイタリアに上陸しドイツ軍落下傘部隊と激しい戦闘を繰り広げた。そして訓練を終えた第442連隊と合流し、多くの死傷者を出しながら「ゴーフォーブローク(当たって砕けろ)」を合言葉に地獄のヨーロッパ戦線を乗り越えていった。

    第442連隊は1944年9月、4年間もドイツ軍に占領されていたフランスの町・ブリエラを解放し、休む間もなくドイツ軍に包囲されていたテキサス大隊の救出に向い、221名の兵士の救出に成功した。第442連隊が駆けつけるまで2度にわたる救出作戦は失敗していた。第442連隊はこの戦闘で救出したテキサス大隊の兵士の数を上回る死傷者を出している。

    この連隊に所属していた第552野砲大隊は配属の変更によりドイツへ進軍し、1945年4月末、ナチスのダッハウ収容所の解放を導いた。皮肉にもアメリカ本土の強制収容所から出征した兵士たちがユダヤ人収容所を解放したという歴史的な事実はあまり公表されていない。映画のこの部分の実録映像を見て男も女房も涙が出た。

   第442連隊はフランス南部に転戦しブリエラを解放後、1945年4月末に再びイタリア戦線に送られ、北イタリアにあるドイツ軍最後の生命線ゴシックラインに送られ、そこを非常に短い時間で制圧した。ゴシックラインにはそこで戦死した日系兵士の像が建っている。

    この映画の中で442連隊の兵士として戦い、負傷しながらも生き残った元日系アメリカ人兵士14名の今と当時の回想が描かれている。回想の中である元兵士は14、5歳のドイツ軍少年兵を殺さざるを得なかった苦悩、ドイツ軍兵士の命を狙わず足を射ち、その兵士が助けを求める声を聞きながら戦闘のためその現場を撤退した後ボンという爆発音を聞いた。状況が収まりその兵士のところに行ってみると手榴弾で自分の頭部を吹き飛ばして自殺していたとう話など、今90歳前後になって初めて語った元兵士たちの話が紹介されていた。

    日系二世たちは、父母から「恥」とか「辛抱」とか「努力」など日本的な教えを受け、自らの命を差し出して日系人の名誉を勝ち取ったのである。第442連隊はワシントンで大統領に迎えられ表彰を受けた史上唯一の部隊である。彼らはわれわれ日本人の誇りである。

2010年12月17日金曜日

鳩山「友愛の海」が元凶(20101217)


  上のタイトルは『歴史通11月号20101』(ワック出版)に前衆議院議員西村眞梧氏が寄港している記事の中のタイトルである。そこに次のことが書かれている。老人は西村氏の主張に全く同感である。大いに喝采したい。

  その記事の中に次の一文があるのでそのままここに書きとめておく。多くの日本国民は全く知らなかったことであるので、老人は出来るだけ多くの人に知ってもらいたいと思う。

  「中国は沖縄を「琉球」と呼んでいますが、今回の中国のデモで驚いたのは、日の丸を踏みつけているデモ隊の白いシャツに「琉球奪還」とプリントしてあったことです。しかも中国共産党は二〇〇七年に「琉球復国運動基本綱領」というものをつくり、そこに「琉球人民は日本の琉球群島に対する植民地統治を認めない」などと書いているのです。さらに、「琉球臨時憲法」というものまで掲げ、その第四条にはおどろくべきことに「琉球共和国は、奄美州、沖縄州、八重山州の三つの主要な州からなる」とある。中国の狙いは明らかに奄美を含む沖縄本島です。尖閣は橋頭保(作戦のための足場となる拠点)にすぎないと考えている。まず橋頭保を固めて台湾を落とし、沖縄本島を落とす。・・(途中略)・・一九七三年にアメリカがベトナムから撤退すると、その翌年、中国は突然ベトナム軍を排除して西沙諸島、つまりベトナム沖の南シナ海の島を占領した。中国では、これを「自衛反撃作戦」と呼んでいます。次には一九九二年、フィリッピンのスーピック海軍基地、クラーク空軍基地からアメリカ軍が撤退することになったら中国は「領海法」なるものを制定して、南沙(スプラトリー)諸島は中国の領土だと主張して、米軍が撤退して脆弱になった南シナ海に侵攻を始めた。」


  多くの日本人はこの事実を知らないだろう。首相を初め多くの閣僚や国会議員たちもこのようなことに深い関心を持っていないだろう。そこが中国やロシアの付け目である。ロシアも中国も韓国を朝鮮半島から追い出そうと内心企んでいるに違いない。ロシアは理屈をつけて日本固有の領土である北方四島を日本に返そうとはしない。最近ロシア副首相も択捉島を訪問したという。「ロシアよ馬鹿にするな!今に見ておれ」と叫びたい。

    日本は古来、シナや朝鮮の国々とは常に緊張関係にあった。勿論人民のレベルではいい人たちは沢山いる。日本に貢献してくれた教養の高い人たちは多い。しかし、国と国とのレベルでは、常に緊張関係があり、日本という国は彼らに脅かされてきた。老人が主張する「最大多数の最大幸福」は、国が「志」をもって断固彼らの侵攻を抑え込むということによってのみ実現させることができる。民主党が社民党など目線が低い政党と組むことはわが日本国家の為にはならない。勿論、これら小党の主張を利用することは必要であるが、国の大事なことに口を出させ、「最大多数の最大幸福」を犠牲にしてはならないのである。

  上に示した本には、「442部隊」という有名な日系人部隊のことを紹介している。老人は若い時その映画を観たことがあった。現在、横浜ニューテアトルなどですずき じゅんいち(本名、鈴木潤一)監督による映画『442日系部隊―アメリカ史上最強の陸軍』が上映されている。日系人は東條首相から「祖国アメリカに尽くせ」と励まされ、大和魂をもち、Go for broke(当たって砕けろ)を合言葉に戦った。彼らは米軍服を着た「皇軍」だった

2010年12月16日木曜日

昨日の敵は今日の友(20101216)


  フランス国内にドイツ軍の基地ができることになった。フランスとドイツ両国はEUの主力メンバーである。日本の自衛隊(「日本国防軍」と言いたい!)が朝鮮半島や中国大陸に基地を持ち、逆に中国軍が日本国内に基地を持つというようなことは決してないであろう。ローマ帝国がドイツを含むヨーロッパの大部分を支配していた歴史にくらべ、日本を取巻く地域は支配地域の変動はあるにせよそれぞれ単独の地域であり、わが国は中国などと漢字文化を共有しているとは言え、それぞれ独自にその文化を発展させてきたという歴史があるので、ヨーロッパのようには行かない。鳩山氏や小沢氏が秋波を送る中国は、古来日本とは非常に深い関係があるとは言え、国家というレベルでは常に敵対的であった。

  日本は天皇と言う万世一系の精神的主(あるじ)を持ち、四面海に囲まれた島国の中で世界に類例の無い独自の文化を築き上げてきた国である。この日本は古代のシルクロードの終着点でもあった。この日本列島には能力のある人たちが初め陸続きのころは陸伝いに、海面の水位が上がって大陸から切り離された後は海を渡って、北方、北西方、西方、南方からやってきて、日本人の本になった。生き残る力のあった人たちだけがこの日本に辿りつき、日本人の本となった。つまり、生存競争に勝った人たちが我々の先祖である。

  世界遺産となっている奈良や京都の寺や神社、仏像などを造った人たちの中には渡来人もいた。先祖が渡来人である人たちもいた。皆、今日純粋の日本人になっているのである。663年の白村江での敗戦以降、非常に多くの百済人が日本に渡り、皆日本人になっている。それよりずっと以前、中国の後漢滅亡後も沢山の漢族の人たちや朝鮮族の人たちが海を渡ってこの日本列島に住みつき、王族など優れた方々は朝廷に仕え、日本の文化発展に大いに貢献している。征夷大将軍坂上田村麻呂もその一人である。『日本書紀』や『続日本紀』にはその事実が書かれている。天皇家ですらそうである。桓武天皇の生母は朝鮮半島百済の武寧王を祖とする王族の末裔で、天皇から和氏(やまとうじ)という氏姓を賜った人の子孫である。天皇家の祖が大陸からやって来たという説があったが、それは虚説である。

    旧皇族・竹田恒泰氏が書いた『旧皇族が語る天皇の歴史』(PHP新書)には、「「倭族」と「日本人」は同一ではない。倭族と大陸系・半島系帰化人(渡来人)との混血が進んだ結果が、現在の日本人である。よって、倭族も帰化人も、日本人の先祖たる「日本人」なのである。とすれば、百済の滅亡によって日本に亡命してきた飛鳥時代の帰化人と、現在の日本で「在日」と呼ばれる人は、日本に来た時期が異なるだけであり、本質的には同じではあるまいか。今後混血が進むと、将来の日本人の先祖になるのであり、それは「日本人」にほかならない。」と書かれている。

    昨日の敵は今日の友、かつてアメリカは敵であった時期があったが今や最も親しい友である。中国も韓国も北朝鮮もロシアもそうなれば最も望ましいが、それは非常に困難であろう。何故かと言うとアメリカと日本はお互い尊敬しあい、価値観を共有できる部分があったし、アメリカに渡った日本人の子供たちはアメリカに忠誠を尽くし、ヨーロッパ戦線で非常に多くの血を流しもしたからである。東條英機首相がアメリカにいる日本人に、「日系人は祖国アメリカに尽くせ」という趣旨の手紙を送っていたという史実がある。

2010年12月15日水曜日

年賀状・クリスマスカード (20101215)

  男は年賀状を印刷し終えて、来年はこのように年賀状のために時間をかけられないと思った。出す相手によって通信文の内容も添付する写真も変える必要がある。女房とのツーショット写真を添付するものは誰にでも出すわけにはゆかない。年賀状を出す相手に今回限りで勘弁してもらおうと「来年からはなるべく世事に無縁の暮らしをし、年賀状も出す枚数を極力減らさせて頂こうと思います。しかし私どものことにつきましては下記ブログで情報を発信し続けます。」と一文添えた。

  クリスマスカードは毎年2通出している。以前は5、6通あ男は彼の足もとにも及ばないような存在であったが、非常にフレンドリーに付きあって下さっていた。奥様とご一緒に日本に何度か来られたことがあり、男は女房と息子たち二人を連れて一緒に食事にご招待したことがあった。何れも男が会社から派遣された研修のとき知り合った日系人の方々である。彼らが日本にやってきたとき、わが家に一泊してもらった方もいる。

  あのころは男も女房も若かった。我々がアメリカで研修を受けて帰国した後、今度はアメリカから技術者たちが日本にやって来た。日系人の技術者も来たがドイツ系など白人の技術者も沢山来た。男と女房は彼らのうちアメリカで親しくしていた方々をわが家に招待したり、富士五湖や鎌倉や明治神宮や隅田川の花火大会などに連れていったりした。

  2通のクリスマスカードの相手の一人は、その頃家族付き合いをしていた方の奥さんである。ご主人は男の直属上司だった。男が前立腺がんの手術を受ける1年前に同じ手術を受け、2年後に他界した。齢は男より1歳上であった。女房は男がアメリカに出張したとき自宅に招待してくれたり、本当に良くしてくれた。夫を亡くし、数年過ぎたとき、男と女房はサンディエゴで独り暮らししている彼女の家に4日間滞在した。翌年の春、彼女は追憶の旅にやって来てわが家に10日間滞在した。今、いろいろ思い出しながらこれを書いている。彼女は男と同じ年である。時々電話でコンタクトしあっている。

  もう一人は男が若かった頃、青森の三沢で知り合った元アメリカ海軍の少佐である。その頃佐官クラスの奥さん同士の会があって、男の上司が勧めてくれて若かった女房がその会のメンバーになっていた。彼は父祖がユーゴスラビアかどこかの出で、奥さんはスペイン系であった。男がアメリカに滞在していた頃、大学生だった下の息子がやってきて、西海岸のロスアンゼルスから東海岸のヴァージニアまで飛び、そのご夫妻の家に泊らせて頂いた。その時息子は部屋を開けたお子さんの一人の部屋に泊めて貰っている。

  その彼と奥さんは介護が必要な奥さんの高齢のお母さんと同居していて、サンディエゴからアリゾナの田舎町に移り住んでいる。昨年のSeason’s Greetingsにそのお母さんを介護しているので、何処にも行けない、まだ孫はいないと書いてあった。年に一度の連絡であるがお互い家族の写真を送り合い、消息を知らせ合っている。お互い会うこともなく、もう30年以上経つ。人生はそんなものである。

    男はこの記事を書きながら、これまで日本人も含め多くの方々と知り合った、その中で本当に心に残る方々、大事な方々は指折り数える範囲内である、と思った。

2010年12月14日火曜日

政治家から見た政治家(20101214)


  政治家は「民意」や「世論」を気にしながらも、自分が尊敬或いは支持する政治家に自分の政治生命の維持を託そうとする。自分が政界で「出世」するためには自分の「親分」の力、それも「政治家から見た政治家」の力であるが、それに頼る。その「力」の源泉は「金」である。政治家にとって政治活動のために「金」は喉から手が出るほど欲しいものである。金がなければ政治家としての自分の力が発揮できないと考えている。

  茨城市議会議員選挙では、小沢氏から金を貰い、指導を受け当選した谷亮子氏ら有名人の一年生議員が街頭で声を張り上げ、この国をめちゃめちゃにしてしまった鳩山前総理も駆けつけ懸命に努力したが、結果は惨敗であった。今のままでは民主党は統一地方選挙で勝つことは絶対に不可能であろう。

  市井の人々から見る最も望ましい政治家とは、 「最大多数の最大幸福」の実現に向けて、自ら志を持ち、自分の志を自分の言葉で語り、当選してもし自分の言葉通り事が運ばず、自分を応援してくれた人々の期待を裏切った場合、昔で言えば「切腹」し、自分の言葉に対して責任をとるような「誠実」な人である。今時の政治家でそのような高潔な人は非常に少ない。そのことが国民大衆の閉塞感につながっているのである。

  ここに西郷隆盛(号:南洲)の作詞を記す。彼は自分の言葉通り「安き」を謀らず志を全うし、鹿児島の城山の洞窟で自決した。介錯人は別府晋介(通称、本名は景長)である。銃弾で負傷した西郷が自決を覚悟すると晋介は、自分自身も足を負傷し籠に乗って移動していたが籠から降り、「御免なったもんし(お許しください)」と言って切腹した西郷の首を刎ねたという。晋介はその後銃弾の中、切腹し若干31歳の若さで自ら命を絶っている。

  何処から得た金か知らないが、一人5百万円以上の金を配り、多くの「志があるかどうかわからぬような新人」を当選させた小沢氏は「自分の姿勢と政治生活において、一点もやましいことはない」と言っている。何億円という大金の出所は明らかにしていないが、その金を(「自分の」政治に対する)姿勢と政治生活において一点のやましいことはなく、多くの議員を当選させた、だから金の出所を問われるのは心外であるということであろう。



  『 天意を識(し)る』 西郷南洲 作






 一貫す唯々の諾    従来鉄石の肝 


   貧居傑士を生じ    勲業多難に顕(あら)わる


   雪に耐えて梅花麗しく 霜を経て楓葉丹(あか)し   


   如(も)し能(よ)く天意を識らば     豈(あに)敢(あ)えて自ら安きを謀(はか)らんや



  「貫唯唯諾」という言葉は、『論語』の「里仁第四」にある「子曰、参乎、吾道一以貫之。曾子曰、唯、子出。門人問曰、何謂也。曾子曰、夫子之道、忠恕而己矣。」から引用している。老人は、今、この日本に、西郷隆盛のようなリーダーが必要であると切に思う。

2010年12月13日月曜日

美しい国・日本 (20101213)


  時間と言うものは容赦なく過ぎて行く。日曜日の今日一日何に多くの時間を割いたかと顧みると、老人は老妻と散歩がてらリサイクルの店に立ち寄り、ホームセンターに立ち寄り、大型複合商業施設「トレッサ横浜」まで足を伸ばし、家に戻るとBSフジで丁度奈良や京都の世界遺産のドキュメンタリー番組が始まったのでそれを見、夜NHK『坂の上の雲』を見るのに多くの時間を費やしている。その他、掛けている保険の整理をしたり、年賀状の宛先の整理をしたり、今こうしてブログを書くのにそれぞれ時間の塊を費やしている。

  奈良や京都の世界遺産を紹介している番組を見ながら、「来年は奈良に少しの日数滞在してゆっくり見て回りたいものだね」と語り合う。老人と老妻はこれまで何度か奈良や京都を訪れている。ただこれまでの旅は2泊程度の小旅行で、時間をかけてゆっくり見て回ったという満足感はない。今一度心行くまで奈良や京都を見て回りたいという願望はある。

  年の初めに豪華客船で横浜から四国まで旅をする人もいるし、年末年始の間海外に旅行する人もいる。しかし、老人と老妻はそのような旅をしたいとは全く思わない。この日本には美しいところ、価値あるところがあまりにも沢山ある。四季折々とても素晴らしい所が沢山ある。千年も千何百年もの間守り伝えられてきたものが沢山ある。

    日本と言う国には実に美しいもの、価値あるものが非常に沢山ある。それらは天皇を守り、天皇を支えてきた貴族たち、皇族や貴族の子孫で僧侶になった人たち、その人たちのリーダーシップのもとに寺や仏像や庭園や文芸やその他の物を造った人々、そしてそれらに人たちによって受け継がれてきたものが今日まで伝えられ、われわれの前に遺産として提供されているのである。

  人は何に多くの時間とお金をかけるかということは、その人の考え方による。お金持ちでなくても普段倹約し、必要なところに金を使う。見栄は張らず、ブランド品にも興味はない。自慢もしない。それが一番望ましい。しかしそのような考え方は、その人がこの世にもって生まれたもの(DNA)に加えて、この世に生れてから現在に至るまでの家庭環境、教育環境などによって生じるものである。

    一般に教養が低い人ほど、浪費をし、見栄をはり、ブランド志向をし、自慢をしたがる。そのようにして他者に対して自分を優位に示さないと自分自身が不安定で仕方がないのである。では老人自身にはそのような傾向が全く無いかと問い詰められるとすれば、老人も世間体を気にし、相手の者に何かを感じ取ることがあれば用心をし、先手をとろうとし、実際にそのようにしていることがある。

    人の世界も、動物の世界も、強い者が生き残る。これが自然の理である。「知は力」という言葉がある。「知」が劣る者は「知」が勝るものより弱い。「知」はただ単なる「知識」ではない。その人がこの世にもって生まれたもの(DNA)に加えて、この世に生れてから現在に至るまでの家庭環境、教育環境などによって生じる総合されたものである。この「知」の力は金の力にも勝る。「教養」が集約された概念が「知」である。

    この島国の日本には、そのような「知」が他国に比べ高密度で分散しているように思う。だから日本は非常に美しい国なのである。

2010年12月12日日曜日

各界のリーダーたちへ期待(20101212)


    老人はこのブログも含めて、プライバシーを公開することに若干の懸念がある。政治家や芸能人など半ば以上‘公人’である有名人を除いて全く一般の市井の一老人が自分の顔写真や経歴などを公開すると言うのは勇気の要ることである。しかし、老人の実弟など企業経営者は自分の顔写真を堂々と出している。見る方はその写真を見てその人がどういう人か納得する。問題はそのようにして少しでも‘公人’に近づくと、その発言には一定の注意が必要になってくる。いくら相手が‘公人’であっても、相手の地位・立場などを尊重しなければならない。しかし本屋に行ってみると、‘公人’を積極的に攻撃している記事を載せた本が並べられている。それを書いた本人も殆ど‘公人’同然の人たちである。

  言論の自由とは、そのような言論が自由にできることである。お隣の中国ではノーベル平和賞を授与された劉暁波氏が当局によって監獄につながれ、その奥様も半ば軟禁状態に置かれているという。世界中で中国は非難されている。

  その中国が北朝鮮と軍事的なつながりをもっているらしい。中国の高級軍人が北朝鮮を訪問し、北朝鮮も高官が中国を訪れている。中国は6カ国協議について北朝鮮に核開発を放棄させるように動くようアメリカ・日本・韓国から圧力をかけられている。ロシアは今のところ漁夫の利をねらっているのか沈黙している。しかし日米演習を‘妨害’した。

  アメリカは黄海で韓国軍と大規模な軍事演習を行い、引き続き日本の自衛隊(老人は‘国防軍’と言いたい!)と日本海及び南西諸島海域で大規模な‘軍事’演習を行って、煮え切らない中国に圧力をかけた。沖縄における米軍の存在は非常に重要であるとアメリカは何度も言っている。そのことを分かっているのは自衛隊(老人は‘日本国防軍’と言いたい!)と一部の政治家や一部の官僚や一部の識者だけである。

  菅総理は社民党と連携を組もうとしている。そのことを長島氏ら一部の民主党議員は心配しているとテレビの前で公言した。その「菅首相は10日夜、朝鮮半島有事が起きた場合、北朝鮮による拉致被害者の救出のため、自衛隊派遣の可能性を検討していることを明らかにした」という。これは11日の読売新聞記事である。それによれば、その発言は都内のホテルで開かれた拉致被害者との懇談で語られたものである。パフォーマンスの域を出ていない。首相に同席した東祥三内閣府副大臣は「(首相の発言内容の実現には)自衛隊法改正が必要だ。拉致被害者救出に向けて頑張るという決意の表れだ」と述べたと言う。

  もし菅首相に本気で日本の国土を守り抜くという‘志’があるならば、福島社民党などと連携を組もうなどと全く考えない筈である。‘志’があるならばアメリカの軍事力に依存している現状を不具合と認識し、自主防衛力の整備の必要性を国民によく説明し、あるべき日本の姿を描いて国民に訴え、広く国民の支持を求めるようにすべきである。そういう志が彼には全く見られず、人気取りのように見えるようなことしか言っていない。

  そういう中、渡辺恒雄・読売新聞グループ本社会長が民主党と自民党の大連立を働きかけているというニュースが飛び交った。社民党と組むと言うことは、「少数者の利益」のため大多数の利益が損なわれるということである。「最大多数の最大幸福」のため、各界のリーダーたちは今何を為すべきか、行動してもらいたいと一市井の老人は願っている。

2010年12月11日土曜日

先端医療保険(20101211)


  保険会社Aflacから先端医療の保険について案内が送られてきた。昔、老妻がある会社に勤めていたころ会社の総務の方に勧められて入っていた新がん保険はまだ継続中であるが、それに加えて医療保険ではカバーしない先端医療の保険に加入することを勧めてきたのである。先端医療は固形がんに対する重粒子線治療、固形がんに係る悪性腫瘍に対する陽子線治療などである。これらは現在のところ医療保険の対象外である。

  保険というものは安心のため加入するものである。そのため一定の費用がかかる。家計も国の予算と一緒で、何に重点的に予算を振り向けるかということが重要である。あれもしたい、これもしたい、あれも要る、これも要るでは予算は幾らあっても足りない。老人はこの先端医療保険に加入するため一部のある交通傷害保険を解約することにした。それくらいではまだ足りない。その他いろいろ仕分けをし、支出を切り詰める必要がある。

  保険というものは本人が生きておれば自分がどんな保険に入っているかということは分かる。しかし本人が死んだら遺された者は予め手元に情報を持っていない限り分からない。例えば老人と老妻は年末年始田舎で介護を兼ねて過ごすが、その旅行のため利用する新幹線のチケットは国内の旅行で事故死した場合支払われるよう、チケットの代金はその保障があるカードで決済した。しかしそのことを子たちにはまだ知らせていないので、万一のとき彼らは余計な労力を払わせることになる。そこで老人は自分と老妻が入っている保険の内容を一覧表にまとめた。それを子たちに送っておくことにした。

   しかしそれだけでは不十分である。老人はある葬祭業の会社と契約していて一切の費用は払い込み済みである。そこへ連絡すれば映画『おくりびと』ではないが、全てうまくやってくれるようにしてある。二人の戒名も既にもらってある。それぞれ相当立派な戒名である。しかし何処かの寺に葬儀に来て貰うようにするとその戒名では出来ないと断られる可能性はある。そこで折角契約し、払い込み済みであるその葬祭業者と生前に打ち合わせておかなければならない。遺影の写真の準備や連絡先など、生前きちんとやっておくべきことは沢山ある。普通、それらのことは遺族が大変苦労して行っているのが実際である。

  「立つ鳥跡を濁さず」である。人は早かれ遅かれ必ず「あの世」に行く。そのことを他人事のようにして日々を送るのも人生、わが事のようにして日々を送るのも人生である。一日を一生のように思い、その日にできなかったことを次の日に行い、やり残しをできるだけ減らしてゆくように日々を送る方がしあわせである。

  そのように思い、今日一日を送ったとしても、明日白骨となるかもしれない。「そんなのは嫌じゃ」と快楽に耽り、一時の悦楽で忘我しても、時が経てば空しさだけが残るだろう。確か『地図が読めない女、説明しない男』という名前の本だったと思うが、以前、老人は本屋でそれを立ち読みしたことがあった。自分の人生が見えないのは「地図を読めない」のと同じである。つまり男であっても女々しい男である。

  ではどうしたら自分の人生を見とおすことが出来るだろうか?答えは、誰も自分の人生を見とおすことができないのだ。ただ、「誰でも早かれ遅かれ死ぬ」ということだけは誰でも理解できる。「地図を読めない」男女はお寺で坊さんの話を聞いた方が良い。

2010年12月10日金曜日

憂国 (20101210)


 FaceBookで何ができるか、又FaceBookは老人にとってどういうメリットがあるのか、いろいろやってみた。ある程度見とおしはついた。老人はFaceBookを通じて、老人が発信しているブログへのアクセスを増やしたいと思っている。

 老人はこれまでこのブログで世の中の出来事について自分の意見を公開してきた。それは自分が会社勤めもせず、ボランティア活動もせず、町内会や同窓会などにも顔を出さず、年金暮らしで何ら生産活動もしていず、半ば隠居同然、遁世同然の日々を送っているので、自分が世の中に何か有用な役割を果たし、子や孫たちに何か価値あるものを遺す術としてブログに記事を載せることが自分にとって最も良いことであると思うからである。

 自分の顔、自分のバックグラウンド、関心事などをオープンにした上で、時にはもしかして記事に名前を出す人、それは政治家や一部の有識者やマスコミなどであるが、それらの方々に対して失礼かもしれないこと、或いは時には誹謗中傷・名誉棄損だと取られかねないこと、中国やロシア、時にはアメリカなどを批判する記事を書いて、ブログを読んでくれているある友人から老人の身を案じて電話がかかってきたこともあった。

 今日も良いお天気、老人は毎日軽いウォーキングをしている。先日あるリサイクルの店でひょっこり旧知の先輩にあった。‘先輩’と言うのは老人があるボランティア団体に所属していたとき知り合ったお方で、老人よりずっと年配の方である。そのお方は昨年大腸がんの手術を受け、この夏腸炎を患い体力が落ちたから、その回復のため毎日ウォーキングしていると言う。「80歳を超えるということは容易なことではないということが分かりましたよ」とその方はおっしゃった。老人はわが身のことを思い、心中「そうなんだろうなあ」と思ったものである。自分も後4、5年もしたら何か健康上の問題を持つかもしれぬ。

 ウォーキングを兼ねて行きつけの理髪店に行った。店主は老人の息子ぐらいの年代である。頭髪を刈ってもらいながらいろいろ巷の話を聞いた。巷では永田町の人間(政治家)とは違う感覚を持っていると思った。このところのロシアや中国や北朝鮮の動きに関連して「日本も核兵器を保有すべきであるという考え方も出てきていますね」と彼は言う。

 このところ領土問題で日本はやられっ放しである。菅政権は社民党に引きずられて鳩山前首相のように再びアメリカとの関係をぎくしゃくさせるようなことをしている。社民党に点数を稼がせてわが国を再び迷路に導いてしまうようなことをしている。老人は自分が書いたこのブログの「憂国」というラベルの記事を読み返してみた。自分が書いて公表したことを自分で言うのは気が引けるが、民主党政権になって以降‘憂国の情’激しく、憤りを感じながら記事を書いて公開している。自民党も頼りないということを書いた。

 鳩山氏は退任に際し「私のしたことは後世に評価されるだろう」という趣旨のことを言った。誰が評価するものか!彼はこの日本をめちゃめちゃにしただけである。ああいう男に国が将来叙勲で報いる必要は全くない!菅氏も所詮は市民活動出身者、器が小さい!彼があのような女性党首に振り回されるのは、彼にしっかりした志がないからである。

 政治家がだらしなくても自衛隊(老人は‘日本国防軍’と言う)は、国の背骨である。背骨がしっかりしている限り、何とかこの国は守られるだろう。

2010年12月9日木曜日

雑記 (20101209)

  毎朝起床前の日課として爪揉み、腹式呼吸、腹筋・背筋の鍛錬、ストレッチ、起床後は握力の鍛錬、各筋肉のストレッチをやっている。これで身体が温まる。コーヒーを沸かすなど朝食の準備を手伝い、朝食後歯を磨き、歯間ブラシや舌苔を取るブラシで丁寧に汚れを取り除き、髭を剃ったりシャワーを浴び背中や胸の皮脂を流し、整髪したりして一日の活動の前段階を終える。口腔衛生は特に就寝前丁寧に行う。

  ティータイムには紅茶に生姜の擂りおろしを加え、身体を温めるように心がける。体温を正常値の36.5度に維持することは体調維持に重要なことである。そのためには、食事と運動の内容を十分良くすることが必要である。睡眠は少なくとも6時間熟睡するよう心がける。それに加えて重要なことは喉や口の周りの筋肉を動かすことである。それにはお腹の底から力強い声を出すことである。詩吟の練習は最も効果的である。

  人間も機械、寿命と言うものは心がけ次第で長くもなり短くもなる。現役の頃は自分の健康について十分配慮する余裕もないのが現実である。若いから無理はきく。疲れも直ぐ取れる。しかし高齢となると無理は利かなくなる。無理をすると途端に病に倒れ、周りに迷惑をかけることになる。無理をしないこと、ストレスを貯めないことが肝要である。

  昨日も午前中はそうであったが、今日もデジカメに収められた写真の整理に時間を費やした。フォルダーを作って後で取りだしやすいように整理する。女房の友達にプレゼントする写真アルバムも作ってやる。これはA4のサイズ内に幾つもの写真の枠を挿入して其処にいい写真を貼りつける。芸術的なセンスが要求される。昨日、三溪園で撮った写真もそのようにして作った。非常に美しい出来栄えで、それを贈られた女房の友達は喜ぶだろう。

  そんなことをして時間を費やした後、コンピュータのメンテナンスを行った。セキュリティのためソフトウエアをノートン360バージョン4.0に更新した。3年間継続使用が出来るようにした。ブログをやっているのでセキュリティは特に重要である。

  ある人からFacebookのお誘いあり、それに乗ることにした。目的は男が日頃発信している我が国の防衛、政治、外交のことや人生の生き方、日本人のあるべき姿などの主張を出来るだけ多くの人に聞いてもらいたいと思うからである。友人・知人・親類・若い人など限られた範囲だけでなく、不特定多数の人、日本の政治家や男の上手くもない吟詠を公開しているブログからもリンクさせるなどしている。学歴もなく、知識人でもなく、テレビに出るような論客でもないごく普通の一年寄りが、国の為、若い人たちの幸せのため一生懸命ブログを書いている。それは年老いた男の自己満足、ドンキホーテのようなものだと言えばそれまでである。しかし全く無駄ではあるまい。男の一念はきっと何かに通じるだろうと思っている。いや通じなくても良いのだ。しかしある友だちなどから「(男の)ブログを読んでいる」と励まされ、嬉しく思っている。

    一日の経つのは早い。あれもしなければ、これもしなければ、と思いつつ一日が過ぎ去ってゆく。今日もお天気が良かった。しかし少し気温が下がってきた。男は運動を兼ねて近くの家電量販店にエコポイントの手続きをしに行った。12000ポイントある。

2010年12月8日水曜日

国指定名勝「三溪園」の紅葉(20101208)

  男は老母の介護のこともあって横浜陶芸センターでの陶作活動は休止中である。休止する前に釉がけしてあった多目的皿が一枚焼き上がっているのを年内に受け取りに行こうと思っていた。

  国指定名勝「三溪園」は、その横浜陶芸センターの直ぐ近くにある。この三溪園は生糸貿易で財をなした横浜の実業家・原三溪(実名・富太郎)の元邸宅である。彼はここに京都や鎌倉などから歴史的に価値のある建築物を移築し、明治39年(1906年)に「三溪園」として一般に公開したものである。175,000 ㎡(約53,000坪)の園内には10棟の重要文化財を含む17棟の古い建築物が四季折々の自然の景観の中に巧みに配置されている。(以上、財団法人三溪園保勝会発行小冊子より引用)

  男と女房はよくこの三溪園に行く。仲秋の名月の時には森の木立の上から昇ってくる満月が大池の水面に映え、小舟の陰影とともに何ともいえぬ風情がある。このとき臨春閣という紀州徳川家初代・頼宣が和歌山・紀ノ川沿いに建てた数寄屋風書院造りの別荘建築の座敷で、邦楽の演奏会が行われる。老人と老妻は今年もその日の夜、其処に遊んだ。

  男と女房は毎年その三溪園の紅葉を楽しんできた。今年はいろいろあって最良の時期に其処を訪れることができず、少し遅いが紅葉はどうだろうかと思いつつ、今日(7日)、焼き上がった作品を受け取った後、三溪園に行ってみることにした。

  三溪園には、男も女房も敬老パスで無料で入ることができる。男が陶芸作品を受け取り、其処で陶芸を教えている若い女性の先生たちや事務の女性、一緒に陶芸を楽しんでいた仲間の女性らと会話を交わしている間、女房は先に園内に入り、写真を撮っていた。

  三溪園の紅葉はとても綺麗であった。1週間ほど前であれば尚綺麗であったことだろう。携帯電話で「いつもの銀杏の木のところにいます」と女房が言う。其処へ行ったが女房は見当たらない。銀杏の木は園内の合掌造り旧矢箆原家住宅のあたりにあったけな、と思いつつもう一度電話してみる。「ここよ」と女房が遠くで手を振っている。大きな銀杏の木があるところは海岸門をくぐって春草盧という織田信長の弟・有楽斎の作であると伝えられている三畳台目の茶室に向かう途中にある。去年、其処には地面一杯に黄色い銀杏の落葉が積もっていた。今年は去年ほどではないが矢張り銀杏の落葉が美しかった。

    女房は今月初め友達と奈良に遊んできた。其処の紅葉も綺麗であるが、三溪園の紅葉は何処にも勝る風情があり、最高に美しいと思う。女房は「今年はだめかと諦めていたが、来てよかった」と感激して何度も同じことを言う。

    園内にはつわぶきの花が黄色い花をつけている。海側の南門から入ったところは日当たりが良いため、水仙が見事な花をつけている。初音茶屋を経て梅林に行く途中、道端に水仙が花を咲かせようとしている。梅林ももうじき花をつけることであろう。大池に向けて渓流のようになっているところに架かっている寒霞橋を渡り旧東慶寺仏殿を見、旧矢箆原家住宅を見、風情のある美しい紅葉の写真を摂りながら、待春軒という茶屋に立ち寄る。

    そこで女房は原三溪が考案したと言う三溪園そばを取り、男はたぬきうどんを取り、一服したのち二人は帰途についた。お陰さまで今日もとても良い日であった。

2010年12月7日火曜日

「民意」と「最大多数の最大幸福」(20101207)


  民主党政権成立時、考え方が違う社民党及び国民新党の2党と連立政権を組んだ。その結果、「最大多数の最大幸福」という考え方が何処かに押しやられたと老人は考える。国民新党は小泉改革が悪であったとして郵政民営化の見直しを迫った。社民党は先の日米合意を白紙に戻すことを迫り、結局政権から離脱した。今ねじれ国会と民主党政権への支持率大幅低下の状況下、菅政権は再び社民党との撚りを戻し、他の野党との連立も視野に入れ始めた。問題は菅政権が「最大多数の最大幸福」を目指そうとしているのか、少数の意見に同調してでも政権を維持しようとしているかと言うことである。

  政治家はよく「民意」を気にする。「民意」は世論調査に取り上げられて「世論」となるものである。その辺の巷の人々の意見だけでは「世論」にはならない。しかし「世論」は水面に浮かぶ水草のようなもので、風の吹きまわしで位置も形もかわってしまう。だから「世論」だけで政治をやってもらったのでは困る。結果的にこの国の民の「最大多数」の人々が「最大幸福」を実現することは難しい。この国の政治家はこの辺りの認識が甘い。

    この国の政治家たちは「民意」ばかりを気にし、国家として最も大事なこと、即ちこの国の領土・領海・領空・排他的経済水域をどう守り、他国からの侵略を絶対に防ぐということについて「輿論」(「世論)ではない!」を喚起しようとする志がない。

   それでも自民党時代にはこの国の「輿論」を作り上げようとする動きが少し見られた。しかしこれに真っ向から反対の姿勢を取り続けているのが社民党であり、共産党であり、公明党である。この国の最大多数の人々の最大の幸せは、我が国の領土・領海・領空・排他的経済水域がきちんと守られてこそ初めて実現するものである。しかしこれらの政党は、自分たちを支持する少数の人々が最も多く幸福を得ようすることを推進している。弱者への目線とか、市民の目線とか言って「浮草」のような大衆受けを狙っている。

   中国は我が国を標的にして「輿論」(「世論」ではない!)を作り上げて来ている。尖閣諸島での問題も、北朝鮮に対する煮え切らない姿勢も、また南沙諸島領有化の動きも、皆この「輿論」に基づいている。この「輿論」は中国共産党が発足以来、一貫して変わらぬ理念のもとに作り上げてきたものである。それに加担させられた馬鹿な日本人が多い。

   それをこの国のおめでたい識者や政治家やマスコミは、「(尖閣諸島問題は)中国の国内事情で起きた」と分かったようなことを言い、その方向で「世論」を誘導している。馬鹿ではなかろうか!先日NHKの日曜討論で、所謂在日米軍への「思いやり予算」のことで、評論家・内橋克人氏が司会者からたしなめられていた。「思いやり予算」などと言うから、この国の民は財政状況厳しき折そんなものは減らせと言うのである。所謂「思いやり予算」というのは「在日米軍駐留経費負担」のことである。我が国の防衛は在日米軍に頼っている。在日米軍の駐留経費について、我が国が応分の負担をするのは当然のことである。

   政治家がその所属する政党の足かせから離れて、この国の民の「最大多数」の人々の「最大幸福」を実現するため志を同じくする政治家同士連携し、中国に対峙して我が国の領土・領海・領空・排他的経済水域を防衛するため「輿論」を喚起するする行動に出るならば、この国の未来に希望はある。若い人たちよ、年寄りにこの国の未来を任せてはならぬ!

2010年12月6日月曜日

ウォーキング(20101206)

  今日、日曜日も温暖な天気である。空は晴れていて風も穏やか、ウォーキングには最適な日和である。男は昼前、近くの川に沿って川下の方に歩いて行った。8人乗りのボートが何艘も川を上ってきている。白い帽子に白いシャツ、オールを漕いでいる人たちは齢の頃50代、60代だろう。コックス兼トレーナーが声をかけて漕ぎ手を叱咤激励している。リズミカルにオールが水を打つ音が力強く、老人はオールを漕ぐ男たちを頼もしく思った。

 家では良いお父さん、又は夫であろう。家では今日うるさいおやじが居なくて、妻たちはそれぞれ家事や自分の好きなことをやっていると思うが、片や男たちはたまの日曜日、こうして集まり、ボートを漕ぐ訓練に参加している。この川の川下に市の漕艇場があり、男たちは市体育協会が主催するボート教室に応募して参加し、仲間を作り、プログラムに従って訓練を受けているのである。

    男はもし自分が彼らの年代であったなら、是非参加することだろうと思った。しかしそのような年代は過去のことである。そのころこのような施設はなく、川も汚く、風景も美しくは無かった。この川でこのようなボートの訓練が始まってから10年も経っていないと思う。近年ウォーターフロントの整備が進み、川岸の両岸の民家も色とりどりの新しいものに建て替えられ、景色が良くなってきている。この川のウォーターフロントは市民の憩いの場であるが、大規模災害時の防災活動の拠点ともなるように整備されている。

    男はかつて街づくりの区民会議に参加し、積極的に活動していたことがあった。今では自ら遁世隠居老人と称し、年寄りが余計な口出しをするようなことから努めて遠のいている。そのようにして浮いた時間を自らの人生の締めくくりのため使っている。事業家である弟から「兄貴、まだそう達観するのは早いよ。人間の自然の寿命は125歳というから、僕は125まで生きるつもりだ」と言われている。

    男も女房もこの世で思い残すようなことはあまりないと思っている。全てが満ち足りている。上を見れば切りがなく、下を見ても切りがない。「吾只足るを知れば」何一つ不足はない。その時々の状況に応じて事を為せばそれで良いと思っている。物欲が無いと言えばそれまで、金銭欲がないと言えばそれまでである。しかし夢のため今年も3000円出して園末ジャンボ宝くじを買った。毎年当たりもしないが、買わなければ当たることも無い。宝くじのため出したお金の一部が他者の幸せのために使われるなら無駄な支出でもない。

    男はこの世においてまだ完成していない部分は多少残っているが、あの世に行くまでには完成させることができるという見込みはある。しかし完成を急ごうとも思わない。時の流れに従って、物事はなるようにしかならぬものであると思っている。無病息災を願い、精進努力はするが、若し自分が病気になってももがくことなく、自然に任せることだろう。

    川の堤防の上を歩いているときジョギングしている白人の若い女性とすれ違う。昔は毛色の変わった人をみかけることは稀だったが、今は多くの外国人が日本で暮らしており、毛色の変わった人をみかけても特別視する人はほとんどいない。この川の川辺の空き地でインド人のグループがクリケットを楽しんでいる。その場所を彼らに先取りされたらしい少年野球の子供たちが、場所が空くのを待ちながらのんびり観戦している。

2010年12月5日日曜日

弟との会食(20101205)


  昨夜(3日)男は横浜のとある居酒屋で二つ違いの弟と久しぶり会い、楽しく語らった。我は73、彼は71、お互い結構長生きしてきたものである。いろいろなことを語り合ったが、男にとって人生の目的は、究極的に何であるかということがメインであった。

  人も所詮その本能の部分においては種の保存に対する欲望がある。人間であるから本能の部分を前頭葉で抑え込み、あからさまにしないように振る舞っているだけである。しかし人は何故宇宙開発を推進しているのか?結局はこの地球が人間の住む環境でなくなったときに備えて、人類の種の存続を宇宙のどこかで実現しようとしているのである。

  勿論そのときはこの地球上の全人類のうち非常に限られたごく少数の男女と、多分僅かの動植物しか存続させることはできず、この地球上の殆どの生物はこの地球上で死滅する運命になるだろう。それでもごく限られた数の種の保存という目的は達成されるだろう。

  この地球上において、今この時間において、男たちは他の動物同様、自分の子孫を残したいと願望している。動物である雄と違って、男たちが残したいものは名誉とか業績とか社会的な価値もある。女たちはその点においては男たちほどではないだろう。男勝りの女は別として・・。

  本能的な部分で見るならば、好運な男たちは自分の子孫を残すことが出来ている。しかし、子孫を残すことができていない男たち(雄)も沢山いる。これが人間を含めた生き物の世界の実態である。「子孫を残す」ということは、男たち(雄)にとって非常に大切なことである。

  この日本で、30代の独身女性たちも本能的に子供を持ちたいと思っていても、生活の面で自立できていないためその欲求を満たすことができない状況にある。生活の面での安定を求めて収入の良い男と結婚したがる女性を、そのような自立を求めながらも満たされていない女性が非難している。「そのような女が居るから、女は男たちから見下げられるのだ」と。しかし男性の皆が高収入であるわけではなく、定職も持てず自立できない若い男たちも多い。これが現実の世界である。

  このような状況を動物の世界に対比して見ると、動物の世界では力量のある雄だけが群れの雌たちを独占でき、子孫を残すことができる。他の雄たちはその機会を狙って争うが、多くの雄たちは雌を手に入れることができない状況にある。人間も似たようなものである。

  男は妻をもつ男たちが複数の女性を愛することにとについて、社会通念上の考え方を言えと言われれば次のように答えるだろう。先ず、社会通念上それは不倫というものであって、それは絶対許されることではない、と言う。しかし続いて以下のように言うだろう。

    関係者の全員が等しく了解する観念として、男性と女性の間に色恋の感情はあったとしても男性は子孫を残すという一点において、相手の女性はその男性によってしか自分が望む子供を持ち得ないとう限定された条件において、たとえ社会通念上の不倫であってもそれは「最大多数の最大幸福」の実現のための唯一の方法であるということを関係者全員が等しく了解している限りにおいて、それはいわゆる不倫ではなく、関係者全員共通の目的達成の手段となる。その「社会通念上‘不倫’」と言われるものが、関係者全員が共通して目的達成の手段であることを了解していることが最も重要である。しかしこの世の中において、そのようなことがもし現実にあるのであれば、それは極めて希有のことである。

2010年12月4日土曜日

独り暮らし体験(20101204)

  独り暮らしも態勢が整うまで結構多忙なものである。今日の午後は電気工事のため時間を費やした。夕食のため時間をなるべくかけないように出来たてのとんかつを買ってきて、冷蔵庫にあるキャベツを専用の道具で沢山スライスし、消毒のため買ってきたとんかつをちょっと電子レンジで加熱し、消毒したものを適当な大きさに切って大皿に盛り、数日分と大目に炊いておいたごはんのおかずにして食べた。本当は何か料理を試みようと思っていたがそんな時間的余裕はない。

  それでも今朝、男は一つだけおかずを作っていた。それは、この3日間の独り暮らしに備えて予め買っておいた大根葉を料理したものである。これは至極簡単にできる。先ず大根葉を洗い、適当な大きさに刻む。フライパンにゴマ油をたっぷり敷いて鉄なべのフライパンが焦げ付かないようにしておく。ハムとベーコンを適当な分量を取り、刻んでおく。削り干しやちりめんじゃこを多めに用意しておく。これらは塩分の供給にもなる。みりんや料理用の日本酒を用意しておく。すりごまや胡椒を用意しておく。

  ごま油で熱したフライパンの中に大根葉、ハム、ベーコン、ちりめんじゃこ、削り干しなどを投入する。箸で材料が焦げ付かないように混ぜながら熱する。大根葉が熱でしなびてきたところにみりんを沢山加え、胡椒をふりかける。味を見ながら料理用日本酒を少し入れ、みりんを加え、すりごまを加え、かき混ぜる。フライパンの中の水分が蒸発し、汁が無くなるまで熱する。それで出来上がりである。これは結構美味しい。出来たおかずは量が多いので2、3日分ある。今夜の夕食は大量のキャベツやこの大根葉のおかずで十分栄養が摂れたと思う。鉄製の鍋を使っているので適度に鉄分も摂れる。

  今朝はパンにした。5枚切りのホテルパンを1枚だけ取り出し、北海道バターを塗り、その上に刻んだ玉ねぎを置き、その上にチーズを載せてオーブンに入れる。熱を加えるとチーズが溶けて刻んだ玉ねぎが散らないようにパンにくっ付く。その上にハムを載せ、熱を加える。これで出来上がり。コーヒーと牛乳とこのパン1枚で朝食は終わる。

  独り暮らしが長くなる場合、男は汁ものが好きであるので、シチューなどを4、5日分作っておき、それを一食分づつ何日か食べる。そうすれば余り手間がかからない。手間をかけずに十分な栄養を摂る。それが一番である。ただ、この場合、同じメニューの食事が続くので、飽きがくる。そこで汁ものはシチューだけではなく、カレーでもおでんでも団子汁でもよい。ドイツ人は毎食ジャガイモとソーセージで済ませるらしいが、男も合理的な考え方をするタイプなので、そのようなやり方をするだろう。

  電気工事の業者が来ているときに女房が旅先から電話をくれた。女房は友だちと二人で自由気楽な短い旅をしている。大阪に泊って、奈良や京都のスポットに行っている。出発前お天気のことが気になっていたが、さすが天気女、雨にも降られず楽しんでいる。

    ここは今朝強い風と雨だった。川は一気に増水し、早いスピードで流れていた。男はベランダに出て、吊り下げられている花の籠が強風に煽られて激しく揺れていたので取り外し、床に置いたりした。老妻は花が好きで、花を大事に育てている。これで旅先の女房も安心だろう。電話がかかって来たとき、そのことを伝えておいた。勿論感謝された。

2010年12月3日金曜日

3日間の独り暮らし (20101203)

  今朝(2日)から3日間、女房は友達と気ままな京都旅行に出かけている。6時始発のバスに乗って行くため、5時前には男も目が覚めて女房の出発のためコーヒーを沸かしたり、リンゴの皮をむいたり、いろいろ手伝った。5時に鳴るように携帯電話の目覚ましをかけていたのであるが、その前に起きたので少し眠いが時間がたっぷりある。

  今日の午後、男は柏まで定期的な内視鏡検査を受けに行く。昨日は女房と一緒に横浜まで定期的な健康診断を受けに行った。通常の特定検診に加えて二人とも血管の老化度をチェックして貰った。女房の方はさらに乳がんなど二つの検査項目を追加した。この施設は環境も設備も従業員の仕事ぶりも非常に良い。検査データはコンピュータで管理されていて、健康状態の変化が良く分かるようになっている。

  高齢者の特定検診は血液と尿と身長・体重・体脂肪・胴回り検査などが主である。その他は自分の希望で追加できる。勿論費用はかかる。男は1~2年に一度、胃と大腸の内視鏡検査を受けている。人間の身体も機械と同じで、その機械の状態を外部からチェックすることにより、不具合を早期に発見し、早期に対処することができる。4、5年に一度、人間ドックに入れば健康管理は完璧であると思う。

  柏からの帰り横浜で久しぶりに弟と会うことになっている。駅ビルの居酒屋でビールを味わいながらよもやま話を語り合うことを非常に楽しみにしている。女房が居ない3日間、男は普段女房が行っている熱帯魚や金魚の世話(餌やり)や、シクラメンなどへの水やりを代行する。自分の食事は適当に作って摂る。外食は今夜以外しないつもりである。

  明日は台所への電気回路を増やす工事がある。過負荷でブレーカーが落ちることがあるので、その問題を解決するため分電盤取り換えと電気配線の追加工事を専門の業者に依頼した。もともとこのマンションの電気配線などの設計が良くなかった。壁コンセント用の分電ブレーカーの数が不足している。24年前入居時そのことに気付かなかった。分電盤のブレーカーが落ちるのは電気掃除機など電源投入時の過電流が原因である。電気掃除機は初め吸引力を半分以下に設定してスイッチを入れ、テレビなどのスイッチは予め切るようにしているが、時々それを忘れることがある。ちなみに、男の田舎の家では独り暮らしの老母(継母)のため台所ではガス器具を一切使わずIHに変えた。そのとき分電盤や電気回路などの改善工事を行っているので問題は全く生じていない。

  つかの間の独り暮らしとは言え結構忙しい。その間、女房は親友と二人の女旅を楽しむ。あいにく天気は下り坂のようである。しかし新幹線と宿だけがセットになっていて、後はこの企画の参加者が自由に行動するという旅は結構楽しかろう。親しい女性同士二人だけの旅行は良く見かけるが、男性同士二人だけの旅行は聞いたことがない。動物の世界でも雌同士は集団を作るが、雄同士はお互い争い合うことが多い。雄は本質的に一匹でいることを望む存在だろうと思う。自分より優れている相手を避けようとする。

  昨日、健康診断の最後のメニューに医師による診察があった。会話を交わし、胸に聴診器を当ててみるだけのものである。担当の医師は男と同年でしかも男より2カ月遅く生まれた人だった。彼は男の若さに驚きと妬みの感情を示しているように見えた。

2010年12月2日木曜日

権利と義務、職務と責任(20101202)


  老人は学校教育や社会的問題に対する新聞などの論調を少しおかしいなと思っている。先日は栃木県の小学校で12歳になる女の子がいじめを苦に自殺したことについて報じられていた。今日(1日)には、小中学校の給食費の未納に関することが報じられていた。いずれも事実関係に関する記事で、一切のコメントはない。コメントを出すと新聞報道の中立性が損なわれるとでも考えているためだろうか?

  この国の政治家も官僚も教育関係者も報道機関も一般の民も「権利と義務」「職務と責任」という基本的であり普遍的な道徳観についてきちんとした観念を持っていないのだと老人は思う。誰でも考えてみれば至極当たり前の観念であると老人は思うが、「権利と義務は物事の両面である。もし権利を主張するならば、その権利を得るため義務を果たさなければならない。逆に義務を果たせばそれに関連する権利を得ることができる。」「職務には相応の責任を伴う」というこの二つの観念について、皆どう捉えているのであろうか?

  いじめ自殺のことについて老人は10月27日に「小6女の子の自殺」と題してブログに書いている。その女の子が通っていた学校の校長はその女の子の自殺といじめとは関係がないと責任を回避していたが、最近になってようやく責任を認めるようになった。その女の子がいた学級は崩壊している状況であったようである。

    学級の崩壊、女の子に対する周りのネグレクト、そういった状況が生じていないかどうか、担任の学級運営がうまく行っているかどうか、そうことを把握し、問題を事前に発見し、適切に対処して問題を解決するということは、管理者たる校長の職務であり、校長はその校長という職務遂行の対価として俸給が与えられているのである。

    故に問題が起きたとき、校長は自分の管理にどこか落ち度があったのかもしれない、とまず発言すべきであった。それが校長としての責任の一つを果たすことになるのである。それをその校長はしなかった。その女の子の自殺の原因の究明や、再発防止に至る努力を行うことは、校長が次に果たすべき責任である。最後に自らの至らなさを恥じて、校長の職を辞することもその校長の最後の責任である。  

    職務には相応の責任が伴うという普遍的な原理に、何故誰も着目しようとしないのだろうか?そういう問題を発掘し、記事にするのはジャーナリズムの義務ではないのか。何故ならジャーナリズムは「言論の自由」という権利があるからである。

    給食費未納の問題も同じである。権利ばかり主張して「対価を払う」という義務を果たさないのはどう見てもおかしい。「子どもは社会全体で育てるべきである」などと主張して対価を払わないのは、払わないことを正当化しようとする屁理屈である。

    権利を主張するならば、義務も主張すべきである。そのことを何故誰も着目しようとしないのだろうか?

    日教組は国旗や国歌に対して敬意を払おうとしない。その一方で日本国民としての権利ばかりを主張している。政治家も官僚も報道機関も「権利と義務」「職務と責任」という対立的な言葉について、きちんとした観念を持っていないから、彼らに好き勝手な行動を許している。老人はそのことをおかしいと思う人々がこの国に増えることを願っている。

2010年12月1日水曜日

穏やかな日々 (20101201)

  一度行楽に出かけると、その後、写真の整理をしなければならない。「・・ねばならない」と何か公的な義務があるわけではない。しかし男は自分の性分として、行楽に出かけて撮って来た写真は、その都度きちんと整理しておかなければ気が済まないのである。

  男と女房がそれぞれ撮った写真は先ず大きなテレビの画面で観賞する。このとき面倒臭いのは、カメラが違うとカメラとテレビをつなぐケーブルが異なることである。テレビのビデオ入力端子は黄色である。ここにケーブルの一端を差しこむ。問題はケーブルの反対側、つまりカメラに接続する端子の構造がカメラによっては違うことがあることである。デジタルカメラのケーブルは一方がUSBと黄色のビデオ端子であるが、カメラにつなぐ方はカメラによっては型が違うのである。しかしCanonは共通仕様で問題ない。

  今年はいろいろあって花の写真は殆ど撮っていない。居間に飾ってある花の写真は去年撮ったものである。先日紅葉狩りに行ったとき何枚か良い写真が撮れていた。何れも女房が撮ったものばかりである。それをA4サイズや2Lサイズで印刷してやった。女房は自分が撮った風景の写真がA4サイズで印刷されたものを見て、「これは綺麗だねえ。11月に飾る写真が無かったの」と大いに喜ぶ。女房は早速写真をパネルに収めて居間や玄関や自分の部屋などに飾った。男は自分の部屋にはそのような写真を飾る気はない。

    女房が撮った写真の中には、ミレーの絵のような印象的な風景が納められている。パナマ帽のような帽子をかぶっている年老いた男性を、伴侶か娘らしい女性が支えながら歩いている後姿が風景の中に小さく写っている。遠方に何人かの人がいる。たまたま美しい紅葉をカメラに収めたいと欲して撮った写真がミレーの絵のような風景になっている。素晴らしい!男は何れの日にかこの写真をもとに、一枚の絵を描きたいと思った。

  折角撮って来た写真は保存のためコンピュータに取り込む。そして男や女房が写っている写真は別のフォルダーに移す。そして写真ソフト、男はPhoto Studioというものを使っているが、それを起動して写真を拡大して評価し、良い写真だけ残し、後はゴミ箱に捨てる。男や女房が写っている写真については上半身を切り取った写真を作り、名前をつけて別のフォルダーに移す。

  何故そのような面倒なことをしているかというと、フォルダーにきちんと名前を付けておけば、後に写真を例えばカレンダー作成のため使用する場合も見つけやすい。上半身の顔写真は、何にでも利用することができるからである。勿論それは男又は女房があの世に行くときの葬式にも使うことができる。実はそれが主目的であるが・・。

  男が写真の整理をし終わる頃、女房が「甘酒ができましたよ」と呼んでいる。男は作業を中断して居間のテーブルにつく。息子の嫁が創作した湯呑茶碗に甘酒が入っている。まだ熱い。別の器に生姜の擂りおろしが入っている。小さじですくい熱い甘酒の中に入れ、かき回して、少しずつ口に含みながら頂く。身体も心も温まるような気分になる。

  サイドボードの上に数鉢のシクラメンが咲き誇っている。CDコンポから老妻が好きな南こうせつの「今日は雨」やかぐや姫の「なごり雪」などの音楽が流れている。男と女房の穏やかな日々の一コマである。