2009年9月30日水曜日

夫唱婦随と対等(20090930)

 妻は夫を慕いつつ、夫は妻をいたわりつつ、・・とは昭和の演歌の代表だと思う。「・・だと思う」と言うのは、男は子供の頃か若い頃かそのような歌をラジオか何かで聞いた記憶があるからである。「確かそのようなセリフだったと思うが」とおぼつかないのでインターネットでそのセリフを入れて検索してみたら即座にそれが出て来た。誰かのブログであるが、さっと目を通してみると護憲・軍縮・共生を掲げて活動している人のブログであった。

 男は日本国の形を背筋がピンと真っすぐな気骨と気品のある国に、他国から畏敬さる国に、若者が自分の国を誇りに思う国にするために、憲法の改正は絶対必要であると思っているから、そんなことはどうでもよい。しかしこの世の中はそのような活動を熱心に行う人がいなければバランスはとれないだろうから、そのような人の言うことにも耳を傾けよう。

 今日はそれがテーマではない。国際社会では、一つの国を一人の人格のようなものを持つ存在と仮定すると、ある二国間の関係において夫唱婦随のような関係があるということはあり得ない。温暖化対策の国際交渉の場では、どの国も国益をかけて、自国に最も有利なように行動する。だから、一つの国が人格のようなものを持つ存在としても、男性とか女性という性差があるのではなく、男性ばかりということでもなく、女性ばかりということでもなく、中性ということである。

 そういう中で、‘対等’という言葉を使う場合、考えられるあらゆる要素を出し合って、ギブアンドテイクがイクオールであるということである。例えば軍事力を保有していなくても、別の面で力を持っていて、双方にイクオールなギブアンドテイクが認識されれば、それはすなわち‘対等’な関係であると言える。

 夫婦の関係において、夫唱婦随であることが理想であるとする条件は、結婚生活の歴史において「これまで」「夫が妻に対してしてきたこと」「妻が夫に対してしてきたこと」を全て総ざらいにし、お互いにギブアンドテイクが満足であることである。その満足を得る道は夫婦の間の非常に緊密なコミュニケーションであり、多年にわたるいろいろな紆余曲折を経て辿りついた相互の理解である。

 日米同盟関係について考えると、お互い‘中性’的存在である者同士が、戦後これまで継続してきた関係を一層緊密にしてゆくことによって理解も深まってゆく筈である。そのためには、言葉の壁を完全になくして行かなければならない。国際紛争の処理において一方だけが血を流し、他方は血を流さずに恩恵を受けるという関係では、どのように頑張ってもギブアンドテイクということがイクオールにはならないと思う。従って、血を流さない限り‘対等’な関係はできないのだ。今日、テレビの報道でアフガニスタン駐留のアメリカ軍の一部隊の指揮官が「前任者は戦死した。まだ奥さんにはそのことを伝えていない。」というようなことを話していた。

 話は急に変わるが、男と女房の関係はまさしく夫唱婦随の関係であると思う。それも今日まで紆余曲折を経てここまで来たものである。他人から見れば最も理想的な関係に見えることだろう。女房は昨日ぽつりと言った。「お父さんが百まで生きるのなら私も百まで生きていなければならない。」と。男は「おまえは俺より先に死んではならぬ。」と言った。時期が到来してあの世に逝った場合でも男と女房はまた連れ添うことだろう。その時は今よりもずっとレベルの高い人生を送ることになるだろう。 

2009年9月29日火曜日

ウォーキング、男の関心、女の関心。(20090928)

 ウォーキングは毎日少なくとも5000歩以上を目標にしている。万歩計はシチズン製のTW700というものを使っている。これは同じ型の色違いのものを男と女房とそれぞれ持っていて、それぞれの歩幅に合わせて予めデータを入力してある。同じ距離を歩いても。男と女房とでは歩数が違い、女房の方が多い。この万歩計は感度が良く、どのような持ち方をしても歩数がカウントされるようになっている。この万歩計は男が以前ヨドバシカメラで仕事先の事務所で使うコンピュータを買ったとき、ポイントが付いていてその使用期限が切れるという通知を受けたのでそのポイントで入手したものである。この万歩計は小型薄型軽量のものであるが、消費カロリーなどのデータが蓄積されるようになっている。

 ウォーキングのコースは川の土手が多いが今日のコースは街中であった。街中の通りに面したあるベンチで、身なりはそう悪くはなく頭髪もさっぱりしていたホームレス風の中年の男を目にした。男は女房に「あの人はきっと職を無くした人だろう。派遣社員だった人かもしれない。」と言った。以前男は歩くとき目にしたゴミや犬の糞のことをよく話していたらしい。女房は「一緒にウォーキングするときお父さんの話はいつもゴミがどうのこうの、犬の糞がどうのこうのという話ばかりだったのに、最近はホームレスがよく目につくようになったみたいだわね。最近ゴミは少なくなったし、犬の糞もあまり見かけなくなったからかな。」という。男は苦笑した。女房の関心は道端の草花や家々の垣根の花などである。男の関心はどちらかと言えば社会的な現象である。

 道路のゴミは以前市の清掃車が深夜巡回して機械で掃き集めていたが、最近深夜帰宅で外を歩くこともなくなったので今でもそうやっているかどうか知らない。良く見かけるのは企業が社会貢献活動の一環としてだと思うが、午後の時間帯に企業のロゴマークが入ったジャンパーなどを着た社員がゴミを拾って歩いているのをよく見かける。犬を散歩させている人が多いが、大概の人は糞の始末をするビニール袋を持ち歩いている。

 性質の悪いのは男たちである。男もそうであるが、たとえビニール袋であってもそれを裏側に反して犬の糞を取るのは気持ちが悪い。ビニールのミクロな隙間を通して糞の成分が手にくっつくような気がする。そこで草むらなどに犬を導いてそこで糞をさせたりする。ところが犬は習慣的に糞をする場所を決めていて、酷いのは人の駐車場の入口に毎回糞を残してあったりする。男はそいつをとっちめてやろうと朝4時から監視したことがある。すると毎朝4時半ごろ大型犬を散歩させている奴がいた。女房に聞くとそいつは独り者でアパートを何軒か所有していて、午後2時ごろにも犬を連れてあるいている60歳ぐらいの人だと言う。男は犬を連れて歩いているそいつがいつもの場所に犬が入り糞をたれようとするのを引きとめているのを近くで見ていたら、そいつはきまり悪そうに男の顔をちらっと見て目をそらして去っていった。以来、その場所犬が糞を垂れることはなくなった。

 またある文房具屋をやっている60歳ぐらいの男は犬を散歩させて犬の行くままあるマンションの玄関に入ろうとしていた。男がちょっと離れたところで監視していたら気づいたらしく、丁度そのマンションからでてきた女性に「こいつが入って行くものだから」と弁解していた。以来そのような光景は見かけなくなった。男は以前そいつの店で何度か文房具を買って顔見知りで話も交わしたことがあったが、以来通りですれ違っても気づかぬふりである。男たちの犬の散歩について社会教育は必要かもしれない。

2009年9月28日月曜日

ブログに書くということ(20090928)

 男の「吟詠」ブログで時々夜中にアクセスがある。これはひょっとすると海外からのアクセスかもしれないと思う。男は「Ceramic Art」と題して陶芸のブログを英語で出している。これはここ数カ月何も書いていないが、そのブログで「吟詠」にリンクさせている。
そのブログは、男が自分自身の英語の練習のため英語で書いているものである。このとこと忙しかったので放ったらかしにしているが、気にはなっていた。陶芸は電動ロクロの初級と中級のコースを出ていまお惣菜皿だけを自由に創っているが、あまり気に入ったものが出来ない。それにブログで作品の写真を出すためには、背景の色などいろいろ工夫しなければならない。そのため結構時間を費やすのでつい億劫になっていた。

 しかし、英語は自分の勉強のためである。写真の背景を作ることも慣れてしまえば簡単である。このところ少し時間的な余裕もできてきたので、今日は横浜の東急ハンズに行って写真の背景を作るものを買い求めてこようと思う。そして、自分が創った陶器の写真を撮り、英語で説明文を書いて久しぶりブログに出そうと思う。

 男が通っている陶芸の自由創作の教室では30代の女性のインストラクターが必要に応じて指導してくれている。彼女はこれまで何度か国際コンペに出品していてこの度ポルトガルで行われたコンペで入賞し、10月にポルトガルのコンペ会場に行くそうである。男は彼女に、着物が似合うので着物姿で会場に行ったら受けると思う、と言った。

 コンペは年齢制限があり男が仮にどんなに良い作品を創ったとしても出場資格はない。それにコンペに出すには出品料こそかからないが、輸出手続きとかなんとかややこしい手間がかかる。出品のためその作品に込めた思いなど、その国の言葉で説明文を作らなければならない。また、良いものを出すので総額20万円ほど費やすらしいのでそのような出費はご免である。その代わり、英文のブログで自分の作品の写真を発表するのである。恐らくそのブログを見てくれる人は男の関係者などほんの数人もいればよい方だろう。

 男は彼女から説明文の英訳を頼まれたことがある。英訳はインターネットのEXCITEなど翻訳ソフトで翻訳し、翻訳がおかしなところは元の日本語から手直しして正し、なんとか英文らしいものに仕上げるだけである。ドイツ語にする時はその英文からソフトでドイツ語に変えればよい。それでも多少ドイツ語も知っていなければおかしな文章になるだろう。男は放送大学で多少ドイツ語も勉強したことがある。哲学を専攻したのでドイツ語の哲学の短い文を翻訳することも課せられた。幼稚園以下のレベルであるがほんの少しは分かる。

 男はこのブログについてある人から「‘男’と書いているのは日記の‘自分自身’をなるべく客観的にするためか」と聞かれたことがある。そのとおりである。彼は「小説を書くための準備だろう」と言うので、男はそのつもりであるとその時答えた。確かに‘私は’と書くより‘男は’と書く方が自分を客観視できる。書く内容に多少のフィクションもある。

 これまで政治や世相について男は憤りの心で批判的なことも非難的なことも書いた。しかしもうそれは止めることにした。その代わり、ブログに書くために自分が勉強したことを書くことにした。自分の身内や友人など、男のブログ読んで「ああそうなのだ」と納得してもらえるようなことや喜んでもらえるようなことを書こうと思う。

 人生は短い。こうして毎日何か書く行為を昔は紙に書いていたが今ではブログに書くことができる。男は、自分が本当に良い時代に生きていると実感している。

2009年9月27日日曜日

この齢になると自由気ままが第一である(20090927)

 秋の夜も深まって来て、男は独り自室でブログを書いている。女房は今日家事でよく働いてくたびれて睡魔が襲い、早々に寝てしまった。男の部屋のすぐ隣が女房の部屋である。男は詩吟の会から帰って来て、シャワーを浴びて一息つきこのブログを書いている。多少の人口雑音が耳に入って来るが静かな夜である。

 詩吟の会では今年も昇伝審査を行う。男が主宰する会はどの流派・会にも所属していない単独の会である。男は数年前ある大きな詩吟の会を退会したが、詩吟は好きで続けている。インターネットで毎月予め決めてある題で自分の吟詠を公開している。

 男が主宰する会のメンバーで自宅にパソコンを持っていてそれを使うことが出来る人は、男の吟詠をインターネットで聴いて詩吟を学んでくれている。男の吟詠のブログは毎日誰からかアクセスがある。その数も結構多い。人気度は中ぐらいである。男は自分の下手な吟詠でも聴いてくれると思うと、公開しようとする吟詠に一層磨きをかけなければと思う。

 男はかつて詩吟の会のメンバーで会った頃、人前で吟じたり、ステージの上に立って聴衆の前で吟じたりすることに緊張と喜びを感じていた。今インターネットを通じて似たような緊張と喜びを感じている。男は、メンバーの皆に、「どこかの詩吟の会に入会して徹底的に詩吟を学び、ステージの上に立って自分の吟詠を発表することは自分の吟詠を向上させる近道である」と常に言っている。しかし、皆その気は全くないようである。

 男がインターネットで公開する吟詠の吟題は男が主宰している詩吟の会で使うテキストのとおりにしている。テキストは男が毎年作っているものである。今、来年の詩吟テキストを作成中で、その内容は殆ど完成している。

 男は母の介護でもし田舎に長く住むことになれば、その間、田舎で希望者を集めて詩吟の会を開こうと思っている。今、住んでいるこの町で詩吟の会を持つように努力することも出来る。もし、この町で詩吟の会を立ち上げる場合は、自由が束縛されない程度にしようと思っている。何よりも自由気ままでありたいと思っている。

 男は指導の先生がつく‘自由コース’で毎週陶芸もやっているが、来月からは先生がつかず、独力で陶芸製作ができる‘貸室’のコースで自由気ままに陶芸をやろうと考えている。家庭で使う味のある陶器を自由気ままに作ることが一番良いと思っている。

 趣味は自由に楽しめることが一番良い。男が大きな詩吟の会を退会した理由の一つは、会の組織活動のため結構多くの時間を割かねばならない状況であったため、自由気ままさが阻害される状況であったことである。そのような経験があったから、男は自分が詩吟を教えているメンバーで他の趣味にもっと多くの時間を割きたいと思う人には、「自分の好きなことに多くの時間を割くことが一番である。気にせずどうぞそちらの方に力を入れて下さい」と逆に励ましやっている。

 男が主宰する会では、今年12月に第2回目の昇伝審査会を行う。この審査会には昨年同様外部から詩吟の高段者に来てもらって、審査をして頂く。そして審査を受けた人には「許証」ではなく、「認定証」を付与する。この仕組みは、詩吟の実力を伸ばしたと考える人にとって良い刺激となっている。「認定証」は男がパソコンで作っている。これは‘遊び’であり、審査を受ける人も‘遊び心’で気楽に自分の実力を向上させようと努力する。お互い‘遊び’として男が主宰する詩吟の会で、それぞれ楽しんでくれている。

2009年9月26日土曜日

高麗に遊ぶ(20090926)

 25日金曜日は快晴で、男は女房と一緒に35年ぶりに高麗の巾着田に行楽した。そこは子供たちを連れてよく遊びに行ったところである。田に水を引く井出がある用水路でドジョウやフナなどが泳いでおり、巾着田の向こうには小川が流れており、子供たちを遊ばせるには絶好の場所だった。芹摘みも楽しむことができたのどかな田園地帯であった。

 西武池袋駅に着くと運よく臨時の特急「武蔵」号がホームに入っていて、特急券自動販売機で特急券を購入し飛び乗った。それはちょうど高麗行きだった。高麗まで片道50分ほどかかった。飯能で逆方向に走り線路を変えて秩父に向かうので、なにか変な感じである。列車は空席が沢山あったが、高麗に着くと観光客で賑わっていた。駅前の広場でボランティアが案内のパンフレットを配っている。一枚もらって昔の記憶をたどりながら巾着田に向かう。途中地元の人たちが店を出していて、地元の産物を売っている。

 巾着田に着くとそこは一面のコスモスの野となっており、その向こうの小川沿いのところは一面の曼珠沙華の野である。昔の巾着田はコスモスの野と観光バスの駐車場になっており、舗装された道路ができている。それでも昔子供たちが遊んだ用水路は残っていて水が流れており、小魚が泳いでいる。男の当時の子供たちはそれぞれ45歳と42歳になり家族もいる。男は息子たちに今の巾着田の写真を送ってあげようと、何枚か写真を撮った。

 今これを書いている机の上に息子たちの家族が写っている写真が何枚かある。一枚の写真には男と二歳の孫(男子)と二男が写っている。男のY遺伝子は確実にこの孫に伝わっている。男はこの孫が20歳になるまで生きているかどうかと思う。それが人生である。

 さて、高麗には高麗神社があり、高麗(唐に攻められる以前は高句麗)の王族であった人が祀られている。『続日本紀』によれば、元正天皇の霊亀二年(716)の条に「五月十六日 駿河・甲斐・相模・上総・下総・常陸・下野の七カ国にいる高麗人千七百九十五人を武蔵国に移住させ、初めて高麗郡を置いた」とある。高麗神社は高麗郡の大領(平安時代中央官人である国司の下に置かれた在庁官人の郡司の地位)であった高麗若光を祀っている。

 高麗郡の高麗郷(現在の日高市高麗本郷付近)には旧高句麗からの遺民が、上総郷(現在の飯能市北東部)には上総国からの移民が配置されたもと考えられている。それは『続日本紀』文武天皇大宝三年(703)の条に「従五位下高麗若光に王の姓を賜う」と記されて.おり、高句麗は668年に唐と新羅によって滅ぼされてしまい、以後「高麗」と呼ばれるようになった.ことからそのように考えられるのである。

 高句麗の王族は、難民となって日本に帰化し、高麗王(こまのこきし)という姓と官位を与えられ、高句麗の遺民の統率者としての地位を与えられていたのである。ちなみに新座には新羅人が居住地として与えられていた。『続日本紀』には淳仁天皇の天平宝字二年(758)の条に「八月二十四日 帰化した新羅僧三十二人・尼二人・男十九人・女二十一人を、武蔵国未開発地に移住させた。ここに初めて新羅郡を設置した」とある。この新羅郡があったところが後に新座という地名になったのである。

 1300年、1400年前朝鮮半島の戦乱の影響で非常に多くの渡来人たちが日本に帰化し、姓を与えられ、朝鮮半島で王族・貴族であった者には相応の官位が与えられ、数世代を経て混血が進み、皆日本人になったのである。在日外国人に参政権を与えることについては、たとえ地方自治体といえども日本国籍を取得した後とすべきである。

2009年9月25日金曜日

一日24時間を倍にする方法(20090925)

誰でも一日は24時間である。太陽は誰にも同じように照らす。山川草木・花鳥獣虫全てに対しても同じである。罪を犯し法のもと自由を奪われている人や、不法に束縛されている人は別であるが、太陽の恵みはそれ以外の誰に対しても、平等に与えられる。この地球上の寒冷地は寒冷地なりに、熱帯砂漠地は熱帯砂漠地なりに、温暖多雨地は温暖多雨地なりに、それぞれの地域の中で自由な人に太陽の恵みの差別はない。
ところが人は頭を使い、工夫し、道具を使えば、物理的24時間を、実質的に倍にすることはできる。勉強し、知識を増やし、技術を身につければ、それは決して不可能ではない。一つの実例は、インターネットの利用である。例えば英語を勉強したいと思う人がここにいるとしよう。彼を仮に‘Aさん’と呼ぼう。Aさんは英語を学ぶために英語学校に通うとしよう。英語学校ではマンツーマンで生きた英語を身につけることができるだろう。そのため授業料を払い、交通費やその他の経費をかけているとしよう。
Aさんは、もっと能率的に英語を学びたいと思った。そこで英語学校に通うとともに、NHKのオンラインで無料で提供されている学習プログラムを利用してみることにした。Aさんは普段、民放が大好きでNHKはあまり視聴していなかった。たまたま見たNHKの放送で、Aさんは「ニュースで英会話」という学習プログラムがあることを知った。早速インターネットでそのコンテンツにアクセスしてみた。Aさんは、このプログラムがとても素晴らしいものであることを知った。第一、いつでも、どこでも、パソコンさえ携行し、ブロードバンドに接続しさえすれば、自分の好きな時間に、何度でもこの学習プログラムで繰り返し勉強が出来るのだ。アメリカで既に放送された一つのニュースを、実際のアナウンサーがしゃべっているのをそのまま聴くことができ、全く同じ内容のリスニング練習ため女性の声で少しゆっくり聴くことができ、一つのセンテンスを詳しく勉強でき、使われていた幾つかの単語の勉強ができ、自分の実力を確かめることもできる。Aさんの英語力はみるみるうちに上達した。英語学校での成績は驚くほど良くなった。
男はこの‘Aさん’ではない。英語学校に通っているわけではない。男はブロークンな英語ならなんとかしゃべって、相手となんとか意思を疎通させることぐらいはできる。しかし、男はアメリカ英語ではなく、本格的なイギリス英語を流暢にしゃべることができるようになりたいという願望は抱いている。その前提として、まずボキャブラリーを増やすこと、英語のニュースを殆ど完全に聞き取ることができるようにすることが必要であると思っている。NHKオンラインの「英語でニュース」は男にとって好都合な英語勉強の手段である。
エビングハウスの忘却曲線というものがあって、人は覚えたことを24時間以内の復習を繰り返して行えば、覚えこむ能率がよいことが分かっている。ちょっとした時間にインターネットにアクセスして、「英語でニュース」の同じ内容を繰り返して勉強すれば、覚えたものが忘れにくくなるのだ。単語も語源が分かる辞書で調べるようにすれば、聞き慣れない単語も意味づけられて忘れにくくなる。このような工夫と、パソコンという道具の利用によって、同じ1時間でも使われ方の密度が違ってくる。
ことごと左様で、「・・・ながら」行う、ということに慣れさえすれば、いわゆる「ちょこまか運動」で体の各所の筋肉を鍛えることもできる。例えばキッチンで作業中足首の上げ下げ運動などをちょっと行えば、そのために別の時間を費やす必要はないのだ。

2009年9月24日木曜日

日本は愛せない国なのか?日本国旗・国歌考(20090924)

 鳩山首相が訪米し、現地の日本人たちは首相を歓迎した。その中である若者が「日本が愛せる国になって欲しい」というようなことを言っていた。一方でスポーツ選手は「表彰台に日の丸の旗を揚げるため頑張る」と言う人が多い。

 男は日本の国旗の由来について調べてみた。『続日本紀』によれば、大宝元年(701)文武天皇が大極殿で官人の朝賀を受けられたとき、大極殿の左側に「日」を形どった旗を用いたと書かれている。これが「日の丸の旗」が用いられた最初である。

 日の丸の旗が日本国を表すことになったのは、19世紀ごろ世界の各国が国旗を持つようになった時期である。幕府は嘉永七年(1854)三月、日米和親条約に調印し、諸外国との交流が始まり、同年七月徳川幕府より諸藩に対して「日本惣船印令」が布告された。2年後の1859年、幕府はそれまでの幟から旗に代えて日章旗を「御国総標」とした。この時から日章旗が事実上日本の国旗となった。文久三年(1862)には、「御軍艦の儀、御国印、白地日の丸」という幕令がだされたので、日の丸が公式に「御国旗」となった。

 日章旗の寸法は明治三年(1870)太政官布告で明示された。その時の規格は現状と若干異なっていて縦横比は710、日の丸の直径は縦の5分の3、その中心は旗の面の中心より旗竿の方に100分の1程度寄っていた。これは、旗竿に翻る日の丸の旗の日の丸が旗の面の中央に見えるようにしたものである。

 平成11年に制定された国旗国歌法の本則における日章旗の規格は、縦横比を23、旗の中心(対角線の交点)を中心とし、縦の長さの5分の3を日の丸の直径としている。ちなみにこの法律案を審議するとき、衆議院内閣委員会において民主党の菅直人氏が修正案を提出したが否決されたという経緯がある。その修正案はどんなものであったか?

 国歌『君が代』について、「君」は天皇を指すのではない。『万葉集』では、天皇は「大君」と呼ばれる。国歌『君が代は』に良く似た歌は『古今和歌集』343番歌に「読み人知らず」として「わが君は 千世にやちよに さざれ石の 巌となりて 苔のむすまで」があり、『万葉集』では、228番歌に「千代」「こけ」の語がある。3400番歌には「小石(さざれし)」がある。988番歌と3047番歌に「巌」がある。なお3047番歌は「神さびて 巌に生ふる まつが根の 君の心は 忘れかねつも」と「君」という語がある。『万葉集』には他にも例えば3026番歌で「君は来ず ・・」や3032番歌で「君があたり ・・」と天皇を指す「大君」でない、自分が敬愛する人を指す言葉である。

 こういうことから国歌『君が代』は、日本人全ての人の万人の繁栄と長寿を願い、それが永遠に続くことを祈る歌であることは明らかである。男は共産党や日教組が国歌『君が代』を尊敬せず、国旗掲揚・国歌斉唱時に起立もせず、「思想信条の自由」を叫ぶのは、彼らが日本人の精神文化を根底から破壊し、彼らのイデオロギーを実現させようとする意図があるからであろうと思う。そのような連中が上述「国を愛せない」若者を育てるのだ。

 先般、新政権の閣僚の記者会見で、檀上の国旗に敬礼しなかった閣僚が多かった。福島氏も亀井氏もしなかった。そのことをテレビで見ていて不思議に思った外国人は多い。男のメールボックスにある友人から「テレビで大臣のインタビューを見て気になったのは日本国国旗にお辞儀をしなかった日本国大臣がいたのにはびっくりしました。国歌もちゃんと歌えるのか心配です(皮肉)」、とあった。(関連ブログ「永住外国人の参政権(20090823)」)

2009年9月23日水曜日

志ある政治家は少ない(20090923)

 自民党は次期総裁選挙に3人が立候補した。3人の候補者の主張は、谷垣氏が「高速道路建設の意義」をアピールし、西村氏は「必要な公共投資はやらなくてはいけない」と強調し、河野氏は「小泉構造改革路線継続」を訴えた。

 男は将来日本の首相になるかもしれない3人の志の低さに失望した。誰も国のことよりは地方のことだけに目を向け、自民党の再生のことだけに目を向けているかのようである。この度の選挙で初当選した小泉元首相のご二男・進次郎氏(27)の方が余程しっかりしているように男には思えた。彼は三つの安全保障を掲げ、その第一番目に国の安全保障を強調した。さもありなん、彼は昨年夏ごろから、米国ワシントンの戦略国際問題研究所(CSIS)で日米関係の研究活動を行っていたという。

 朝日新聞と読売新聞とでは政治的立場が違うが、昨日の読売新聞の「地球を読む」欄に、リチャード・アーミテージ元米国務副長官が寄稿している。彼はアメリカ海軍士官学校出である。彼は日米同盟の核心として。同盟は「日本の管轄下にある本土諸島と領土を、(アメリカは)自国と同じように防衛することを求めている。この神聖な義務は、米軍人の男女が、日本防衛のために血を流し、死ぬ用意があることを意味する」と書いている。

 彼はこの寄稿文の中に「(北朝鮮は)偽礼と違法麻薬を製造し、兵器拡散の機会をうかがい続けている。こうした脅威に、我々が一緒に立ち向かうことは有意義ではないだろうか」と言っている。渡米した鳩山首相はこの寄稿文を読んだだろうか? 岡田外相はどうであろうか? 多分事務方から出されるスクラップ記事集は多すぎて目を通す暇もないことであろう。結局、お二人とも政治家としての資質と教養が表に出てしまうだろう。アメリカ側に「日本の指導者たちは・・」と失望されなければよいが・・・。

 そのような時でも変わらぬ精神を保ちつづけ、日本の危機のとき力を発揮できるのは軍である。軍は国の背骨である。自衛隊は軍という名誉ある地位を与えられない日陰者であるが、自衛官たちは自らが軍人として、国家危急の時に備え、精神と力を鍛錬し続けて欲しい。「アメリカの核の傘は欲しい。でも一緒にその傘の柄を持つのはイヤ!」という妾の根性のような多くの日本人、それに色目を使う小粒の政治家たち、そういうわが国の現状にあっても、自衛隊は、自衛官たちは、耐えて、耐えて頑張って欲しい!(関連ブログ「地震災害への備え、核の圧力への備え(20090907)」)

 さて小泉元首相が北朝鮮との間で取り交わした「日朝平壌宣言」のことについて、新しい国家公安委員長で拉致問題担当の中井氏は、「北朝鮮はこの宣言により拉致問題は解決済みとの立場である」という。男は改めて「日朝平壌宣言」なるものを調べてみた。全文後に掲げるとおりである。これを読んでみると、外交上の取引があって当局は相当苦労したと思うが、中井氏の言うとおりであると思った。小泉元首相は不本意ながら外務省が作成した宣言草案に納得してああいう宣言となったのかもしれないが、北朝鮮に一本取られていた感じである。拉致問題はこの宣言文に一言も出ていない。

 朝鮮半島の北部は古来、日本との間で緊張関係にあった地域である。今の北朝鮮の指導者はその子孫であるかもしれない。戦後、歴史学者が「好太王碑(広開土王碑)」に書かれている「倭軍が攻め込んできたが撃退した」と言う趣旨の記述は、当時の参謀本部が国威高揚のための作り話で碑文そのものを改ざんしたということを主張したということであるが、史実は4世紀はじめ日本(当時の倭国)は朝鮮半島南部の一地域に勢力を置き、百済と連合して北部と対峙していたようである。(関連ブログ「古代筑紫(九州)の大王の話~戦後の歴史教育を憂える~(20090909)」)

 自民党総裁選立候補者の3人は、「国よりは地方」とか「自民党敗因の分析」とか「自民党再生」などに頭を使うよりは、たとえ総裁選に敗れても自分の政治家としても志を訴えて欲しかった。もっとも、そのような「国を憂える」大志は持ち合わせていないのかもしれないが・・・。小泉進次郎氏よ、一日も早く首相になって欲しい、と男は思う。


『日朝平壌宣言』全文

平成14917

小泉純一郎日本国総理大臣と金正日朝鮮民主主義人民共和国国防委員長は、2002917日、平壌で出会い会談を行った。
両首脳は、日朝間の不幸な過去を清算し、懸案事項を解決し、実りある政治、経済、文化的関係を樹立することが、双方の基本利益に合致するとともに、地域の平和と安定に大きく寄与するものとなるとの共通の認識を確認した。

1.双方は、この宣言に示された精神及び基本原則に従い、国交正常化を早期に実現させるため、あらゆる努力を傾注することとし、そのために200210月中に日朝国交正常化交渉を再開することとした。
双方は、相互の信頼関係に基づき、国交正常化の実現に至る過程においても、日朝間に存在する諸問題に誠意をもって取り組む強い決意を表明した。

2.日本側は、過去の植民地支配によって、朝鮮の人々に多大の損害と苦痛を与えたという歴史の事実を謙虚に受け止め、痛切な反省と心からのお詫びの気持ちを表明した。
双方は、日本側が朝鮮民主主義人民共和国側に対して、国交正常化の後、双方が適切と考える期間にわたり、無償資金協力、低金利の長期借款供与及び国際機関を通じた人道主義的支援等の経済協力を実施し、また、民間経済活動を支援する見地から国際協力銀行等による融資、信用供与等が実施されることが、この宣言の精神に合致するとの基本認識の下、国交正常化交渉において、経済協力の具体的な規模と内容を誠実に協議することとした。
双方は、国交正常化を実現するにあたっては、1945815日以前に生じた事由に基づく両国及びその国民のすべての財産及び請求権を相互に放棄するとの基本原則に従い、国交正常化交渉においてこれを具体的に協議することとした。
双方は、在日朝鮮人の地位に関する問題及び文化財の問題については、国交正常化交渉において誠実に協議することとした。

3.双方は、国際法を遵守し、互いの安全を脅かす行動をとらないことを確認した。また、日本国民の生命と安全にかかわる懸案問題については、朝鮮民主主義人民共和国側は、日朝が不正常な関係にある中で生じたこのような遺憾な問題が今後再び生じることがないよう適切な措置をとることを確認した。

4.双方は、北東アジア地域の平和と安定を維持、強化するため、互いに協力していくことを確認した。
双方は、この地域の関係各国の間に、相互の信頼に基づく協力関係が構築されることの重要性を確認するとともに、この地域の関係国間の関係が正常化されるにつれ、地域の信頼醸成を図るための枠組みを整備していくことが重要であるとの認識を一にした。
双方は、朝鮮半島の核問題の包括的な解決のため、関連するすべての国際的合意を遵守することを確認した。また、双方は、核問題及びミサイル問題を含む安全保障上の諸問題に関し、関係諸国間の対話を促進し、問題解決を図ることの必要性を確認した。
朝鮮民主主義人民共和国側は、この宣言の精神に従い、ミサイル発射のモラトリアムを2003年以降も更に延長していく意向を表明した。

双方は、安全保障にかかわる問題について協議を行っていくこととした。

(以下、省略)

2009年9月22日火曜日

超高齢社会に思う(20090922)

 日本人の65歳以上の人口は、男性が5人に一人、女性が4人に一人の割合だと言う。街を歩いていると、腰を曲げ、顎を突き出し、手を後ろにふりながらO脚で歩いている二人連れ三人連れの老いた女性たちを見かけることが多い。老いた男性は顎を突き出し、手だけは前に振って足の方は引きずられているようにせかせかと歩いている。老いた女性たちは語り合いながらゆっくり歩き、老いた男たちは気持ばかりが前にあり、体の方はついて行かず大概一人でむっつり不満げな顔つきをして歩いている。

 男もいずれその仲間入りをするようになるかも知れないが、歩くときは努めて意識して、顎を引き胸を張り、腰の方から前に出すように歩くようにしている。腿から歩くように腰をひねり、地面を蹴って足を突き出すように心掛ける。勿論歩く格好が変に見えないように、若い人で運動能力が普通以上の人のように歩くことを心がけている。そのため男は時々若い人が歩いている様子を観察する。歩くとき年寄りは一般的に足が上がっていない。

 幸い男は強健な体をしている。少々の重いものを持ったり背負ったりして長時間歩いても左程疲れない。重いものを持ってアンバランスな状態で、目をつぶったまま片足立ちを続けることもできる。長い階段を上がる時二段づつ登ることもできる。

 このような能力は男が子供の時から知らず知らずのうちに身につけて来たものである。男は子供のころ田舎に住んでいて、梃子の原理で足で踏むと前方の杵が上がり足を外すとその杵がドスンと落ちて臼の中のモミを搗いて白米にしていた。摩擦を良くするためモミに白い岩石を砕いたものを混ぜて搗いていた。田の草取りなど農作業を手伝っていた。男は丈夫な体は子供の時に出来ると確信している。だから男が子供を育てるときは「男の子は体が丈夫で意志が強ければ人生を生きて行ける」という信念で育てた。今、男の二人の息子たちは中年に差しかかり、それぞれ頑丈な体で働いてくれている。

 日本は急速に高齢化が進み、男の息子たち世代の人たちが年寄りたちの余生を支えてくれている。年寄りたちの多くは戦後の貧しい時代、食べるものも十分食べられず栄養不足のまま成長し、体を痛めつけて働いてきた人たちが多いと思う。そのため老人の医療費は若い人の何倍も多くかかっている。男も今どのように健康維持と体力の維持・増強に努めていても、あと10年もしないうちに病院生活や医者通いの状態になる可能性は十分ある。
女房は放送大学で健康や福祉や発達に関する講座をとって二つの専攻を卒業し、NHKなどの教養番組や新聞の教養欄で健康に関する知識を吸収している。お陰で男も毎食バランスがよく適度な栄養を摂取することができている。

 男はテレビの前に置いてある高さ20cmの踏み台を使って、歯を磨きながら10分以上その踏み台に上がったり降りたりする動作を続ける。踏み台の上の上に、足の形をしたものでそれを踏めば足の裏のツボを刺激するように突起があるものを置いて、それを踏む。その動作は一定のゆっくりしたテンポで、イチ、ニイ、サン、シ、ゴと音頭をとりながら台に昇ったり降りたりする。これはテレビを見ながらでも新聞を読みながらでもできる簡単な運動である。しかし10分間も続けると汗をかくほどの運動量がある。しかも足の裏は刺激されてポカポカ暖かく感じるようになる。この運動を一日三度行えば、30分間以上有酸素運動を行ったことになる。女房もこの運動をしている。これは皆に勧めたい運動である。
(関連:ブログ「食の安全(20090718) http://hibikorejitaku.blogspot.jp/2009/07/20090718-1.html
居間で行う非常に楽な運動(20090901) http://hibikorejitaku.blogspot.jp/2009/09/20090901-11-20cm-42cm-27cm-92cm-110cm-1.html

2009年9月21日月曜日

爽やかな午後(20090921)

 まだ北寄りの風が吹いているが快晴の爽やかな午後である。台風14号は八丈島に最も接近して東北東に去って行った。このような午後のひと時、the most relaxing feel とタイトルが書かれているCDの音楽を聴きながらキーボードをたたいている。ちょっと手を休めて前の壁面を見上げると、右側のカレンダーの写真には五能線を走っているSL列車が写っているのが目に入る。その右は男の部屋の出入り口で、後ろのベッドの脇の窓から風が吹き抜けて簾を揺らしている。真上の天井に近いところに男が古道具屋で買ってきた台湾製の文字盤が薄い茶色系統でその周囲がやや濃い茶色の木目調にデザインされた洒落た壁時計が掛っており、白い壁とよく調和がとれている。その左下方にF-1ファイター2機が雪景色の富士山をバックに飛行している写真パネルなどが掲げられている。

 今日は午後久しぶりに長男一家が訪れる。そのため男と女房は朝からその客を迎える準備をした。夕食は自宅で天麩羅を食べる。そのためちょっと遠方のスーパーまで材料を買いに行った。近くのスーパーでも売っているがエビや魚や刺身などは遠方のスーパーで良いものが手に入るからである。高校2年生の孫娘が喜ぶはずだといくらを少し多く買った、美味しそうなチーズケーキも買った。いろいろ沢山買いこんだが、総費用は皆で寿司を食べに行くよりはずっと安い。女房と二人でのこのような買い物は結構楽しい。

 天麩羅は天麩羅なべをテーブルの中央に置いて、各自がそれぞれ好きなように材料を串に差し、油がたぎっている鍋の中に入れて揚げながら食べる。鍋の油は電気で温められる。大人数がそれぞれ十分満腹になるように材料は数多く大目に準備する。そのため天麩羅の下準備には時間がかかる。その作業は女房が行い、男は部屋の中の掃除などを行った。

 男の家では来客があったとき昔からこの方式で天麩羅を食べる。これは大変好評で、他界した男の元上司で友人であったLも喜んだ。手巻きずしも好評であった。Lは自分で好みの刺身などを手巻きずしにして食べることを「オー・ジャパニーズ・タコス!」と言ってとても喜んで、奥さんのEが食べ過ぎに心配していたほど沢山食べた。そのLは子供のころナチスドイツの迫害を逃れてキエフからアメリカに渡ったらしい。戦争中は航空救難部隊に所属し進駐軍の一員として北九州の芦屋基地に駐留していたと言っていた。男の会社がアメリカの会社と合弁で出来た会社であったため、男はLと知り合ったのである。Lは奥さんのEと日本滞在中芦屋を訪れている。彼が若い兵隊の頃、基地の前にはバーが立ち並んでいてよく遊びまわったらしい。
(関連:「サンディエゴからの電話(20090615)」
http://hibikorejitaku.blogspot.jp/2009/06/19xx-20-3-1-2-7-2-10-10-10-10.html

 久しぶり大人数で食べる夕食は楽しかった。皆良く食べた。男は記念のセルフタイマーで記念の写真を撮った。楽しい思い出をできるだけ多く作っておくことは重要である。このようなファミリーだけの夕食では、男は無意識のうちにLから影響を受けた振る舞いをするようである。後になってそのことに気づく。来年修学旅行でイギリスやイタリアに行く孫娘に男は、「どこの国の言葉でも‘おはようございます’とか‘今日は’などの挨拶の言葉と‘有難う’‘すみません’‘どういたしまして’の三つの言葉だけは覚えて使えるようにしておくことだ。日本人この三つの言葉をなかなか言わない。おじいちゃんは‘Thanks’‘Sorry’‘You are welcome’と自然に英語で言ってしまうことがあるよ。」と話したら、孫娘は素直に男の話にうなずいていた。男は来年修学旅行で外国に行く孫娘に少し餞別をはりこまなければならないと考えている。

2009年9月20日日曜日

鎌倉で花の写真を撮る(20090920)

 今日は鎌倉に花の写真を撮り行った。こう言うと如何にも男が自ら進んで花の写真を撮りに行ったように聞こえる。実際は女房の計画に従って朝からカメラなど携行品をリュックサックに詰めて、男も意気込んで花の写真を撮りに行っただけのことである。女房は「お父さんは私が誘わないと何処にも独りでは行けないのだから」という。そういう面は無きにしも非ずであるが、その気になれば男も花や風景の写真を撮ったり、絵を描いたり本を書いたりするため独りで出かけることはすると思う。目下、その気がないだけである。

 男はCANONEOSを持ち、女房はFUJIFILMF200EXRを持って、リュックサックには左右にそれぞれ500mlのペットボトルにスポーツドリンクとお茶を詰めたものを差し、双眼鏡や折畳み傘まで入れて持って行った。F200EXRは昨日近くの量販店で格安の値段で、その上ポイント21%も付けてもらって買ったものである。これはカメラの心臓部が他の製品に比べ高性能で同じ画素数でも撮った写真の出来具合は抜群に良く、普通の主婦でも操作がし易いものである。女房は以前RICHOのデジカメを持っていたが、ストラップが切れてカメラを路面に落として壊してしまった。そこで女房は、CANONIXY5101Sを自分で稼いだ金で買ったのであるがちょっと使い勝手が悪かった。そこでF200EXRに買い替えたのである。被写体まで1cmの接写や動画を撮る時はIXY5101Sの方が良い。

 今日の散策のルートは先ずJR鎌倉駅前の大功寺に行った。これは鎌倉中央公民館の隣にある安産祈願のお寺である。そこにはいろいろな花が咲いていた。次に通称‘萩寺’と言われる寺に行った。入場料100円で境内に入ると白い萩が生い茂っていた。地面に白い小さな花弁が沢山散って落ちており丁度見頃であった。

 この寺は1335(建武2)年、後醍醐天皇が北条一族の霊を弔うため足利尊氏に命じて北条氏の屋敷跡に建立させた寺であるとか。続いて鶴岡八幡宮に行き、池のほとりで休憩した後小町通りを経て鎌倉駅に戻った。小町通りの店で漆だけで作る和ろうそくを売っていた。店の前で僧侶風の男が和ろうそくの製造を実演していた。女房はちょっと大きめの絵ろうそくを買った。これは女房が以前表千家のお茶をやっていて、その時買っていた燭台に差して飾るためである。男は和ろうそくというものを初めて見た。和ろうそくの灯はとても美しいらしい。普通見かけるろうそくは石油を原料として造るものである。

 JRで北鎌倉に行き、夏目漱石が修行したという東慶寺に行き、コスモスや彼岸花や紫式部など沢山の花の写真を撮り、景色を見ながら休憩出来るところがあったので、そこで芋菓子とお茶を頂きながら一休みし、最後に円覚寺に行った。

 円覚寺には北条時宗の廟がある。男は以前ここを訪れたとき、時宗の廟堂に上がってしまい、時宗公の御霊に直接お参りしたことがある。時宗は明治政府によって従一位に追贈されている。二度にわたる蒙古来襲時に、時宗は今の内閣総理大臣に相当する地位にあってわが国の防衛に尽くしたが、官位は正五位下の相模守でしかなかった。それを明治政府は従一位に追贈したのである。

 家に帰り着いて夕食後、テレビの画面に撮った写真を映し出してみた。写真は沢山撮っていたが、男が撮った写真には良いものが殆ど無かった。これに対して女房が撮った写真はいずれも色が鮮やかで、構図も良く、綺麗である。これはカメラのせいではなく、男の写真の腕前のせいである。男は今後EOSKiss2 を使いこなすようにしたいと思っている。

2009年9月19日土曜日

お得な旅行(20090919)

 男と女房は10月と11月、小旅行をする。10月の旅行は九州の母の介護、というよりは独り暮らしで出来ていないことをしてあげることのため帰るついでに宮崎を回ってもどってくる旅行である。11月は男が会員になっているある旅行会社が企画する旅行に参加する。いずれも格安で、それなりに内容は良い。

 一つの目玉は10月の旅行である。目玉と言うのは、ラウンドトリップのエアチケットが安いのである。なんと、二人合わせて5400円しかかからない。行きは羽田から福岡まで、帰りは宮崎から羽田までの二人の料金が、である。しかも座席もよいところを指定した。なぜこんなことが出来るかと言うと、航空会社で何カ月か前までにインタ-ネットでチケットを買うと安く買うことができ、旅先のホテルまでやすく確保できるからである。
男と女房は以前からANAのマイレージカードを持っている。インターネットでチケットを買うと若干割引になる。座席指定もできる。出発ゲートを通るときカードをかざすだけで通過でき、前もって航空券を買っておく必要はない。しかもマイレージがたまり、電子マネーとして使うことができる。

 こんなことは今時若いビジネスマンにとって当たり前のことである。しかしインターネットに慣れていない女性や中高年の人たちは、そのような恩恵に預かることができない。明らかに情報格差がある。そのような人たちは損をしている。

 男は今時の若いビジネスマンたちがしているように、この機能を限定した小さなハンディのノートパソコンを持って行く。宮崎で泊まるホテルでは、パソコンさえ持って行けばブロードバンドのインターネットにアクセスできるようになっている。男の田舎の家でも先日帰ったときADSLを引いた。(ブログ「ブロードバンド(20090814)
http://hibikorejitaku.blogspot.jp/2009/08/20090814-adsl1300-adsle.html 参照。

 男の女房は「特打」というソフトでキーボード操作の練習を積み、「ぱそともくん」というソフトでパソコン操作の練習もしている。男も詩吟の音声変換などでよく使うが、居間に女房用の高性能パソコンやスキャナー付きプリンターやレーザープリンターも置いてある。インターネット環境は整っている。男の部屋にも別のプリンターがある。
人間でも動物でも行動を起こす原理は「環境と刺激の関数」である。そういう意味ではIT環境は整っている。しかも男がインストラクターとして女房にパソコンの操作を教えている。後は本人のやる気次第である。

 男は友人たちにパソコンの練習を進めている。しかし70を超えてパソコンに親しむにはなかなか困難が伴う。それでも友人の奥さんはパソコンの操作ができるので、友人は奥さんに教わりながら株値の動きなどをパソコン画面で見ることが出来ている。

 そのような年寄りはまだ幸福である。そうでない年寄りが圧倒的に多い。長野かどこかのある山村では、町当局が号令をかけて村全体をITの先進地域にしているという。その村のお年寄りたちは、他の村の人たちに比べ大いに得をしているに違いない。

 この度入閣した亀井氏は、郵政民営化の見直しを行い、民営化前より良くなるようにすると宣言している。総務大臣原口氏には亀井氏と協力して、情報格差の酷い地方の山村までITの恩恵が行き渡るような方向で見直してもらいたいと思う。

 インターネットではいろいろな情報が行き交う。情報通信が高度化した社会ほど開かれた社会になる。日本はこの分野で世界をリードすべき国である。