ラベル 老々介護 の投稿を表示しています。 すべての投稿を表示
ラベル 老々介護 の投稿を表示しています。 すべての投稿を表示

2012年8月16日木曜日


お盆(20120816)

 東京では7月にお盆の行事を行うようであるが、田舎では813日がお盆の日である。男と女房は婆さんを老人施設から婆さんを家に連れ帰った。先ずは婆さんが檀家になっているお寺に連れてゆきタクシーを待たせて墓参りをした。家に着くなり婆さんの第一声は「やっぱり‘我が家はよい’」であった。庭木の手入れや雑草の除去は予め専門の業者に依頼してあったので、その部分は綺麗になっていた。花壇や畑の部分には雑草が生い茂っていたので、男は午前中その雑草を取り除き、婆さんが庭木や花壇などを見て安心するようにしてあった。婆さんは何十年間という独り暮らしの間よく家を守っていたが、老人施設に入居後は男と女房がちょくちょく帰った度に家屋敷の手入れを行っている。

 男は婆さんの介助をしながら婆さんに家の周囲を見せてやった。ある庭木の傍に一本の大葉が茂っているのを見つけ「あれは大葉だ、木と違うよ」という。男はその大葉を抜き取ると婆さんは一枚の葉をちぎって手にとり、「匂いがいい、天ぷらにするとおいしいよ」と言う。男はその大葉が植木の間に残っていることには気付かなかった。多分それは業者があえて取り除かずに残しておいたものであろう。

 婆さんは居間で、婆さんが一人暮らしの間座っていた座椅子に座り、お茶を飲み菓子を食べながら女房とあれこれ楽しそうに昔話や世間話をしている。それでも柱の時計を見上げながら「(老人施設に)帰らなくては」という。女房が「今夜8時まで帰ると伝えてあるから大丈夫だよ」というと「ああ、そうかえ」と言って安心する。しかし暫くするとまた同じことを言う。女房が買い物に出かけている間、男は婆さんを昼寝させた。婆さんが長年使っていた部屋は、婆さんを施設から連れて帰ったとき休めるようにしてある。

 女房は婆さんが大好物のうなぎのかば焼きを買ってきてあった。鹿児島県産で2000円もしたという。婆さんの夕食のおかずはそのうなぎのかば焼きであった。婆さんは大喜びでそれを平らげた。婆さんが入居している老人施設では5時半から夕食の時間となる。ほぼ同じ時間に夕食をとり、7時過ぎには婆さんを施設に連れ戻した。施設のベテラン女性スタッフが婆さんの頬をなでながら「うなぎを食べて顔がつるつるだわ、明後日は焼き肉を食べてまたつるつるになるわね」と冗談を言って笑わせる。その様子を見ている他の入居者たちは頬笑んでいる。

施設ではお盆であっても家族が迎えに来ない人も何人かいるようである。婆さんも正月の時期にショートステイで他の施設に泊まっていたとき、正月をその施設で迎えたことがあった。男も女房も自分たちがこうして婆さんを家に連れて帰ることが、そのように家族が迎えに来ない入居者たちに対して気の毒だと思ったが、それは取り越し苦労である。

2012年8月11日土曜日


お盆の帰省(20120811)

 今年もお盆の時期になった。男と女房は田舎に帰る準備に忙しい。新幹線の切符は既に取ってある。二人とももう齢なので道中の荷はなるべく軽くしておきたいと着替えの衣類や土産物など宅急便で送ることにした。田舎なので翌々日の配達となる。今日夕刻7時まで宅急便の会社の出先事業所まで荷物を持ち込めば本日の扱いとなる。その事業所は男の家の近くにあり、自転車に積んで運べばよい。もし雨天ならば追加料金を払えば事業者が自宅まで受け取りにきてくれる。

 田舎には1週間滞在する予定である。お盆3日間は今老人施設に入居中の婆さんを日帰りで連れて帰って一緒に夕食のテーブルを囲むことにしている。婆さんは長年独り暮らししていた家に帰ることを楽しみにしている。連れて帰れば必ず「ああ、やっぱり我が家は良い」という。しかしアルツハイマーを患っているので夜は施設の自分の部屋で休ませることにしている。本人もその方を望んでいる。

 婆さんが自分で希望して施設に入居してくれたので、男も女房も気が楽でざる。以前は田舎に帰るたびいろいろ気苦労が多かった。婆さんは長年世話になっていた医師から「103歳まで生きる」と言われていたが老人施設に入居して一層元気になり、毎日「ご飯が美味しい、皆といろいろ話をしていて8時半になったから自分の部屋に帰ろうと言って今帰って来たところ。毎日楽しい、いつもすみません、有難うございます」と、こちらから毎晩のように電話を入れるのだがそのたび口癖のようにそう言ってくれる。施設のスタッフの話によると婆さんと同年の友達は毎日同じような話を語り合っているらしい。

 男が婆さんに「K先生が104歳まで大丈夫だと言っていたよ」と言うと、笑いながら「子供に先に死なれたら困る」と言う。独り暮らしのときは「誰も来ない、電話も来ない」と言っていたが、今では話し相手がいて電話をしても自分の部屋にいないことが多い。婆さんの部屋の備え付けのロッカーに女房がこれまで毎年「老人の日」と「誕生日」に服や下着など婆さんが気に入りそうなものを探し回って買い求め送ってやっていたものが下げられている。ところが婆さんはそのロッカーに自分のものが入っていることを認識できず「前この部屋に入っていた人が置いて行ったみたい」と慰問に訪ねてきた婆さんの妹に言ったという。その施設はこの4月完成したばかりの新築で、婆さんが第一号入居者である。

その妹は「何を馬鹿なことを言うのかえ、これはまM子(女房)が贈ってきたものじゃがえ」と叱ったそうである。ところがそのことを忘れていて、先日も妹のK子が帰ったときも同じことを言ったという。女房は「今度帰ったときロッカーの扉に〇〇〇(婆さんの名前)を大きな字で書いた紙を貼って、衣類にも名前を付けておこう」と言っている。

2012年4月26日木曜日


また左上腕が痛くなった(20120426)

 今日も午後婆さんのところに行った。婆さんは今日は自分の部屋で寝ていた。昼食後いつもならUさんと同じ話しを繰り返しているのであるが、今日は疲れたのであろう。男と女房が婆さんの部屋で婆さんと話していると施設の若い男性職員がお盆に湯のみを三つ載せて持って来た。梅茶が入っている。その職員は「お茶を入れてきます」と言っていたが女房は「いえ、結構です、お茶を持ってきていますから」と礼を言って丁重に断っていた。田舎の施設に働いている人達は皆心が温かい。

 今日で婆さんとはお別れである。3時のおやつの時間なので婆さんをダイニングルームに連れ出す。「明日、横浜に帰るからね。また来るからね」と女房は婆さんにお別れの言葉を言う。男は婆さんの肩を抱いて「また来るからね」と言う。婆さんは泣き声で「長生きしてごめんね、あんたたちに迷惑をかけてごめんね」と言う。ダイニングルームで婆さんの話し友達のUさんがにこにこしながらこちらを見ている。さっきまで涙声だった婆さんはもう男と女房のことは忘れてしまっている。「年寄りは子供」というが痴呆になると子供と同じである。初め男は「婆さんは淋しがるだろうなあ」と言っていたが女房の言うとおり年寄りは子供である。男は気が楽になった。

 今日のブログはパソコンを膝の上に置いて、右の中指だけで書いている。左の上腕が痛むためである。痛む原因は、今日婆さんの所に行った時を除いて庭の手入れなど野外作業で痛む腕に負担をかけたからである。松の木の枝先に白いカビがいっぱいできていてそれを粗方はがす作業をしたり、魚粉入り油粕を買ってきて根元に巻いたりした。これまで婆さんが一人で庭の手入れをしてきたが、婆さんが施設に入居したあと男は父親が残したこの家屋敷をよく守らなければならぬと思い、その作業に精を出すようになった。男は父親の命日である6月下旬、一人で帰ってくることにしている。
 
ところで昨日「ミトコンドリア遺伝子3代」と題して書いたが、良く良く考えて見ると決して3代という短さではないことに思い至った。女房の祖母には当然母親がいた。その母親にも当然母親がいた。そのようにして20万年前の一人の母親に辿り着く。一方、男の実妹でもある女房の妹の母親は今施設に入っている婆さんである。その妹には娘がいる。その娘も結婚して娘の母親になるかもしれない。
 
原始の時代、ミトコンドリアとY染色体は別個の生物だったものが何かのきっかけで同じ細胞の中に一緒に入り、子孫を残すことになった。ミトコンドリアにとってY染色体は子孫を残すためにひつようであったのだ。いろいろ考えると女性は生き残るため欲張りでずるく振る舞うように元々できているのだ。女性にとって家系などどうでもよいのだ。ところが男性は真剣努力しなければ生き残ってゆくことは出来ない。男が家のことを真剣に考えるのはそのせいである。

2012年4月23日月曜日

金婚式の旅行計画は延期(20120423)

 男は婆さんを施設に入居させたら長崎・佐世保・平戸旅行をして横浜に帰る計画であった。これは男と女房が大分のある料亭で祝言を挙げてもらってから50年経った金婚式の旅行計画であり、子供たちからそのお祝い金を頂いていた。しかし、その考えは甘かった。男と女房は毎日婆さんが入居している施設に通っている。婆さんが其処を完全に終の住処として満足に暮らせるようにするためと、婆さんがこれまで独り暮らししながら守ってきた家屋敷の手入れなどで男と女房は日々忙しく働いている。

今朝男は町役場に行き婆さんの住所変更手続きを行った。健康保険証・介護保険証などの住所表示を変えてもらった。郵便局本局に行き、婆さんがこれまでショートステイしていた場所に郵便物が届くようにしてあったものを変更する手続きを行った。婆さんの部屋のロッカーの脇で婆さんがベッドから出て立ちあがったと、すぐ衣服の取り換えができるような場所にハンガーを掛けられるように市販のハンガーかけ建具を加工して取り付け、その後婆さんの入居に関する契約手続きを行った。お天気が良いので女房は婆さんを車いすで散歩に連れ出した。婆さんはその施設備え付けの車いすを初おろしするという‘光栄’に浴した。行き先は婆さんがまだ分かった頃訪れたことがある近くの公園である。旧城下町・風光明媚で鶯その他の野鳥がさえずる山郷にある公園である。男は女房の後を追い、車いすの乗っている婆さんとその車いすを押している女房の写真を静かなレトロっぽい街並みを背景に何枚か撮った。これは印刷して明日婆さんのところに持って行く。

男は家の周りの小さな雑草をむしり取りながら思う。この家は親父が建て、婆さんが60歳頃夫である親父と死に別れて以降、独り暮らしを続けながら守ってきた家である、親父と婆さんの思いがこもった家屋敷である。山水を模した小さな庭もそれなりに立派である。親父は長男であったが家督のことは末弟に後を託し、この地で生涯を終えた。男から見れば祖父以前の先祖代々住んだ土地とこの地の両方にまたがる先祖の繋がりを、男の子孫に伝えなければならない責任がある。そういう意味で地区40年ほどのこの家は大切に守って行かなければならない。この家のことで行っておかなければならぬことが沢山ある。竹馬の友らと会おうと思っていたが、その時間的余裕がない。その友は友で体調を崩している。竹馬の友数人で会うことにしても、誰かが体調を悪くしているという年頃である。

金婚式を兼ねた旅行は先延ばしとなったが、男と女房はあと数日この家で暮らす。連休前に一旦横浜に帰る予定であるが、まだ利用する飛行機か新幹線の切符は取っていない。状況によっては連休に帰ることになるかもしれない。連休に入ると切符は取れない可能性がある。男は取りあえず女房だけ先に帰すことも考えている。一人分なら切符はどうにかなるだろう。この考えは甘いかもしれぬ。男はスマートフォンを無線ルーターにしてパソコンを繋ぎインターネットで調べてみた。今のところ27日の航空券・新幹線とも二人分の切符は取れそうである。

2012年4月22日日曜日


見舞い(20120422)

 何処からかカジカガエルの鳴き声が聞こえてくる。今朝はまだ霧雨が降っていたが午後からは空が晴れて明るい陽射しがあり、穏やかな温暖な気象になった。

 男と女房は徒歩で10分ほどの所にあるK記念病院に入院中のKちゃんの見舞いに行った。K病院には消化器外科がある。Kちゃんは極度の便秘から腸炎を誘発し、ついに手術により腸を切断し、其処から直接外に便を排出させるという大手術を受けた。経過良好で、まだ点滴による栄養補給を受けているが顔色もよく、後十日ほどで普通どおり経口で食物を摂ることができるようになるという。Kちゃんは今年輪番で独り暮らしだった婆さんが所属する組の組長をしていて、組の方から23人、婆さんが新設の特養に入居するまでの間ショーステイで入所していた時婆さんの見舞いにきてくれていて、その数日後にK記念病院に入院してしまっていた。そのことを男と女房は懇意にしている近所の人から聞いていたので、婆さんの特養入居が一段落したのでお見舞いに行ったのである。

病気見舞いと言えば、隣のAさんのご主人も婆さんが特養入居のO病院に検査入院してしまったという。Aさんご夫婦は婆さんが特養入居の日の朝、わざわざお別れに来てくれた。男は玄関先で婆さん・Aさんご夫婦・女房4人の姿をスマートフォンカメラで撮ったが、念のため3枚撮った写真のいずれも良く撮れている。Aさんの見舞いにはその写真を印刷して持って行こうと思う。

 この小さな町には人口の割には医療機関が多く、町内を循環バスが運行されており、人々の安心が確保されている。Aコープのスーパーがあるすぐ近くに農家の人々が持ち込み販売する「良心市」があり、広々とした駐車場の脇に清潔な公衆トイレが設置されている。その店内を回っていると一人の老いた農夫が「天然のたらの芽じゃ」と台の上に10束ばかり並べていた。この店の中には販売担当の女性が一人いるだけだった。女房はその「良心市」でゆで餅とおかきを買った。いずれも農家の人たちの手作りである。

この町には朝7時から利用できるコインランドリーも何か所かあり、男の家から徒歩5分ぐらいのところにもそれがある。この町の中央に川が流れており、川岸に菜の花など花々が咲き乱れている。まだ水が入っていない水田には蓮華草が咲き乱れている。

人々は皆穏やかで善意に満ちている。K記念病院に行く途中、道路わきの小さなビニールハウスの前を通るとき声をかけられ立ち寄ったら、ハウスの中に招き入れられその場で新鮮な幾種類かの野菜を切り取ってプレゼントされた。女房がせめて200円でもと差し出すと「要らん、お金を貰うぐらいなら野菜は上げん、わしが呼び止めたんじゃから」と断られてしまった。

 Kちゃんの見舞いをしたので今日は婆さんの所へは行かないことにし婆さんに何度も電話を入れるが婆さんは出て来ない。多分隣のUさんとダイニングルームかUさんの部屋で痴呆同士が同じ話を繰り返して話しているのであろう。これでは婆さんの弟妹たちが婆さんに電話してもなかなかつかまらないだろう。

 以上の描写は男と女房が生きているときの風景の幾コマである。女房はいっぺんに疲れが出て、居間で昼寝している。

2012年4月20日金曜日


この痛みはストレスからきいているのだと思う(20120420)

男の左上腕上部の痛みは依然として続いている。男と女房は昨夜往復タクシーを利用して洗い場が5人分ある天然かけ流しの共同浴場に行った。初めのうちは男湯も女湯も入浴者は男と女房以外に誰も居ず、それぞれ広々とした専用湯であった。そのうち夫婦が2、3組とやってきて入浴者同士の会話が始った。誰でも脱衣して浴室に入るとき、先客がいれば「今晩は」などの挨拶をし、また先に浴室から出るとき「お先に」と挨拶をして出る。こういう挨拶は初対面同士であっても会話のきっかけとなる。女房は、会話の相手の女性は婆さんがショートステイで世話になっていた施設で働いているという話を聞いた。この町では学童たちがすれ違う大人に挨拶をしている。小さい時からのこういう習慣が大人になっても続くのである。女湯の方から「お父さん上がった?」と女房の声がある。「うん、今上がったところだ」と答える。

男は昨夜左上腕の痛みでよく眠ることはできなかった。整体院でマッサージを受けた後はしばらくは痛みをあまり感じないのだが、1時間もしないうちに痛みが再発する。入浴した後は血液の循環がよくなるのか、痛みは和らいでいるが時間が経つと痛みが再発する。就床後3時間近く眠って目が覚め、小用を達して再び就床した後痛みでなかなか寝付かれない。痛む側の左腕を上にして横になってじっと動かずに痛みを堪えていると痛みが徐々に和らいだ感じになり、いつの間にか眠っている。しかし早朝痛みで目がさめた。

婆さんの終の住処をよりよくする仕事は未完成である。婆さんが居なくなった家のこともしなければならない。昨日は隣の独り暮らしのTさんが紹介してくれた庭の木々の手入れをしてくれる人が来訪、男と女房は初対面だが「この人はぼくとつだが非常に誠実な人だと判断、不在間の庭の手入れを依頼した。支払いは8月、盆に返った時で良いという。今日は婆さんの終の住処の壁に時計を取り付けたり、タンスを動かして後ろの壁コンセントにテレビの電気コードを横から差しこむことが出来るように専用のコンセントを取り付けたり、洗面所にタオル掛けを取りつけたりしなければならない。昨日床に一坪広さのカーペットを敷いたり、小さな人形を飾ったりしたら暖かい雰囲気になった。壁に女房が撮った花の写真のパネルも飾りたい。男と女房は近くのホームセンターで必要なものを買って、一日の4便しかない町内循環バスに乗って婆さんの終の住処に行く。

男はその前に近くの小さな共同浴場に行って、左上腕の痛みを緩和しておこうと考えた。その浴場は10時から利用できる。自転車に乗ってその浴場に行った。男より年長に見える老人が湯船につかっていた。男は挨拶をして中に入る。狭い湯船の中でその老人に「五十肩なんです」と会話のきっかけの話を出す。老人はそのような問題を抱えていないように見える。一言二言会話があっただけだった。五十肩なら腕は上に伸ばせない筈であるが男の腕は何とか上に伸ばせる。五十肩ではないのかもしれない。

「お父さん(パソコンに向かって)もう一時間にもなるわよ」と女房は男の左上腕上部の痛みを気遣っている。男は整体院での治療には限界があるように思い始めた。婆さんが世話になったK病院には整形外科医が常勤していず、明日その先生が来るという。男は明日その整形外科で受診するつもりである。今夜も痛みで安眠できないかもしれない。それを少しでも良い状態にしようと男は薬局でパスタイムFX7という湿布薬を買ってきた。「痛み止めの薬はありますか」と問うたら薬剤師は「あります」と言って服用薬を出してきた。その薬は痛み止め成分と葉酸が入っているという。男は「そうなんだ、こういう薬があるんですね」と言って買うことは控えた。明日、整形外科の先生が何な処方してくれるだろう。家には婆さんがいず、女房と二人だけなのでリラックスはできる。男は家の風呂につかって体を温め、女房にその湿布薬を貼ってもらおうと思っている。男の左上腕・肩の痛みはパソコンのやり過ぎだけではない。男は時間に追われるようにして婆さんのことや家のことをあれこれしなければならない。このことが一つの原因となって男の左上腕・肩の痛みを誘発している。

その婆さん、奇遇にも30数年前別れた隣の家のUさんと化粧室を挟んで隣り合わせの部屋になり、しかもその施設で働く従業員も隣の家のKさんの親せきだという。Uさんの家もKさんの家も今は駐車場やお総菜などを販売する店になっている。婆さんは終の住処に移ってから親しい友達に会え、生き生きとしている。その施設の従業員も婆さんとUさんにはあまり手がかからないだろう。二人ともアルツハイマーに罹っていて適当にぼけていて、いつも同じ話を繰り返して話しているが・・・。

2012年4月18日水曜日


長年の束縛感からの解放(20120418)

 婆さんが終の住処に入居した。婆さんの部屋は日当たりがよく、前の景色も良く、すぐ隣に化粧室がある。その化粧室を挟んで一室ありその隣がダイニングルームとなっている。今朝は婆さんの部屋にこれまで婆さんが居間で使っていた37型液晶テレビや家具などが運びこまれた。真新しい部屋にそのテレビや家具などが配置され婆さんの終の住処が整えられつつある。明日は床上に小さなカーペットを敷かれ、電話が引かれる。婆さんは椅子に腰かける生活より床面に座って炬燵に足を入れてテレビを見るようなスタイルが落ち着く。カーペットはそのために敷かれる。これまで使っていたテレビは綺麗に清掃され、整理ダンスに長年収められていた衣類は取り出され、不要なものは廃棄され、空になったタンスは綺麗に清掃された。これらの準備や運搬・設置の手配や清掃は全て婆さんの義理の長男である75歳の男によって行われている。

 婆さんがその施設に入居したら男も女房もいっぺんに疲れが出てしまった。男の左上腕の痛みは一層酷くなった。男はかかりつけの整骨院で痛む部分を丁寧にマッサージしてもらった。その後症状が改善されたように感じられた。しかし、男の左肩・左上腕の痛みは共同浴場の温泉に浸かって温めても良くならない。これは休養しないと完全には良くなるものではないと思われる。整骨院の先生は「もうパソコンをやっても大丈夫です」と言うが、男は今痛くない右腕だけを動かし、中指だけでぽつんぽつんとキーボードをたたいている。

 それにしても婆さんが施設に入居して、男も女房も長年の束縛感から一挙に解放されたという感じである。男も女房もこのような気持ちは実際に年寄りの面倒を見ている者にしか理解できないものであると思っている。

 

2012年4月17日火曜日


左上腕筋肉痛(20120417)
 
 スポーツ選手は30歳ぐらい以上になると体力の限界があるようである。ましてスポーツ選手のように普段身体を鍛えていない人でしかも男のように75歳にもなろうとする者は、ちょっと体を動かすだけで筋肉疲労が起きる。そもそも75歳にもなろうとする者を‘男’と第三人称扱いで呼ぶのはちょっとおかしいのではないかと男は思う。

 世に「老々介護」という言葉がある。75歳にもなろうとする男は、93歳の婆さん(継母)を看ているのであるから、正しく‘老々介護’である。その婆さん実も娘である男の女房も今日71歳になった年寄りである。いまどき70歳代はまだ鼻たれ小僧だというが、人間の生理的年齢は、いくら若く見えても年は年である。年は争えない。

 男は昨日に引き続き今日も整体院で治療を受けた。昨夜就寝中左右とも上腕に筋肉疲労があり、熟睡できなかった。それでも婆さんが明日特養に入るのでその準備のため、いろいろしなければならないことがあった。右上腕に特に疲労が溜まっている感じなので、その部分を特に念入りに揉んでもらった。

 ところが夜になって今度は左上腕に疲労がありい痛みを感じる。パソコンも右片手だけでぽつんぽつんとキーボードを叩かないと状況が一層悪く感じる。
 睡眠が大事だ。昨夜は深夜2時過ぎまで起きていたが、無理は状況を一層悪化させる。休養が必要である。

2012年4月16日月曜日


寝ずの番(20120416)

 婆さんをショートステイから連れて帰った。婆さんにとって4か月ぶりの‘わが家’である。男と女房は昨日庭や小畑の草むしりを粗方しておいた。今日もお天気がよい。花壇にはチューリップの花などが美しく咲いている。婆さんは庭に出て辺りを眺め、芝生の中の雑草を抜き始めた。男も一緒に手伝った。長年独り暮らしの婆さんのため、女房は花壇を作り時期時期にいろいろな花が咲くように心配りをしていた。しかし明後日から婆さんは新築の特別養護老人ホームに入居する。男も女房もこれまでのように頻繁に帰ってくる必要はなくなった。盆正月に帰る程度で良くなった。

 男はその新築の老人ホームに行ってみた。婆さんが入る予定の部屋を見せて貰った。この施設は非常に良くできている。ケアの体制も万全である。この施設を経営するT病院は10名ばかりの第三者委員を嘱託している。この施設に隣接するA医院が入所者の医療面を担当することになっている。ケアマネージャーは婆さんがこの施設に入ることが出来るのは非常に運であると言う。男は婆さんが8年前がんを患ったあと主治医のK先生のアドバイスで町内の幾つかの特養や老健施設入所の申し込みをしてあった。そのことが今回婆さんの認知症発症で功を奏した。

 婆さんの大好物はうなぎである。婆さんの夕食はうなぎと決めた。男と女房は刺身にした。体が生魚を要求している。その夕食の材料を買うため、女房は婆さんを運動を兼ねて押し車を押させて連れだした。ショートステイの食事は特別良い物でもなく、また悪いものでもない。婆さんは「これは美味しい」と目を白黒させて何度も口にした。余程好物のなぎが美味しかったらしい。女房は「うなぎは高かったのよ」という。

 男はその施設見学の帰りにマッサージの整体院に立ち寄った。左の上腕が痛むからである。その整体院の若い先生、「これは凝っていますね。皆さんは自分の肩や背中などが凝っていることを自覚しないのです」と言う。治療して貰ってすこし楽になった。明日また其処に行くことにした。

 今夜はばあさんがまた深夜徘徊をしないように男は寝ずの番をすることにしている。一晩中起きているというわけではないが、ばあさんがトイレに起きる時間頃まで婆さんの部屋に近い廊下の突き当たりの部屋でフェイスブックやツイッターなどを見て、パソコンのキーボードを叩いていようと思っている。婆さんには‘前科’があるので玄関には車いすや姿見などを置いて婆さんがそう安々とは外に出られないようにした。その他の出口も婆さんがそう簡単には動かせないような障害物を置いた。睡眠不足は明日昼寝をして解消するつもりである。

普段は誰もその家にはいない九州の田舎の家に帰る(20120415)

 毎度のことながら空港での保安検査を出た後は気忙しい。今回の帰郷では男のノートパソコンと女房のiPadを携行したため、保安検査場ではそれをバッグから取り出し、その他たとえば男のベルトとか携帯傘とか金属類は取り出して別個に検査して貰う。X線検査装置から出て来たものは、後の人が待っているので手早く元に戻さなければならない。

 1130分羽田発ANA251便は搭乗口66番、検査場からり離れた場所にある。時間がないので大急ぎでパソコンなどをバッグに押し込んだ。その時うっかりマイレージカードと一緒にバッグに押し込んだらしい。いざ搭乗口に入ろうとするときそのカードがないことに気付いた。男は係りのスタッフに事情を説明した。女房と一緒だったので係員は男の名前を確認し「何か身分を証明するものを見せて下さい」という。男は住民基本カードを見せた。搭乗時間締切間近であったが係員はその場で臨時の搭乗券を発行してくれた。航空券は早々とインターネットで購入済みであった。その時座席指定もしてあった。所定の座席に座り、検査場で外したベルト等押し込んだ手提げバッグの中を調べたが男のマイレージカードは見つからなかった。女房は「パソコンを入れたバッグの中にあると思うよ」という。そのバッグは荷物棚に入れてある。福岡に着いてそのバッグを調べたら、パソコンを入れたケースの傍にそのカードはあった。

 男が搭乗口でマイレージカードを探す騒ぎは以前にもあった。女房はあきれ顔である。男が一人で九州に帰るときは飛行機利用の方が良いが、女房と一緒に帰るときは新幹線利用の方が気分が落ち着く。一人で帰るときはビジネスマンの感覚だが、女房と一緒のときは旅行している感覚である。

 福岡空港に着いて湯布院行き高速バスに乗るまでの間小一時間あったので空港で昼食をとることにした。144分発の高速バスはいつも10分以上遅れてくるのだが今日は定刻に近く到着した。担当の係員は「最近はこのバスには韓国の方の利用が多いです」という。湯布院や別府に観光する韓国人が多いようである。男は多くの韓国人が観光で日本にやってきて日本文化・風習に親しむことは良いことだと思う。近年、竹島や従軍慰安婦や日本海の呼称のことで一部の韓国人らによる反日プロパガンダがあまりにも酷すぎる。日本人がそのことについて強く反発しないと、彼らはますますつけあがる。そういう連中と日本に観光のためやってくる連中とは別扱いにしなければならない。お互い感情的になることは決してよいことではない。

 男の家があるこの町には天然かけ流しの温泉の共同浴場があちこちにある。その浴場の近くに天ぷらやうどんのレストランがある。男と女房は家の近くの温泉共同浴場にいった。風呂に入る前にその近くで夕食をとった。男は天ぷら定食、女房は金毘羅定食を取った。この店の天ぷらはいつも新鮮な油で天ぷらを揚げていて、とても美味しい。うどんも四国の讃岐うどんのようにこしがあって、汁も薄味でとても美味しい。満足して風呂に入る。男湯・女湯板壁一枚で仕切られていて、隣の話し声が良く聞こえる。湯船は家族風呂程度の広さで洗い場は一人分しかない。入浴料は一人300円。自動券売機で入浴券を買い、その下にある入浴券投入箱に入れる。入浴券を買わずに入るようなさもしい心を持っている人は一人もいないようである。

 男がその風呂に入った時、若い男性が一人洗い場で体を洗っていた。「今晩は」と挨拶する。ここでは見知らぬ人同士でも挨拶を交わす。狭い風呂の中で世間話もする。そういうところは都会では見かけない光景である。女房は女房で会話している。聞いていると相手の女性は母がショートステイしていて世話になっている施設で働いていて母の世話をしてくれている人のようである。

 明日、母を連れて帰るが田舎の家でいま男と女房だけの静かな夜が更けてゆく。女房は送られてきた二人の息子や嫁たちからのメールに返事を書いている。メールはスマートフォンを無線ルーターとして送受している。子供たちは老いた親である男と女房のことを思い、それぞれのやり方で幸せを届けてくれている。昔親子4人で住んでいた向こう三軒両隣の路地の風景の写真や、高校進学した孫娘のセーラー服姿の写真や嫁に抱かれ甘えている孫息子の写真などが女房のiPadに送られてきた。

2012年4月6日金曜日


往年の若さを取り戻すことはできないが・・・ (20120406)

 昨日はよい一日だった。自宅で夕食後、「かたくりの里」で男も女房もそれぞれのデジカメで撮って来た写真をテレビに映し出して鑑賞した。良くない写真は削除し、良いものだけを残した。「かたくりの里」は、おそらくその町の資産家が所有している丘陵地を利用してできたものらしく、中央あたりにその資産家のものらしい墓所がある。折角撮った写真の中にその墓所が写っているものは気持ちが悪いので全部削除した。女房はSDカードの写真を自分のiPadに移し、iPad画面でその写真を鑑賞できるようにした。女房はiPadの操作について男が教えなくても殆ど自分でできるようになっている。

 男が撮った写真にもカメラのアングルが良くて写真パネルにしたら良さそうなものも数枚ある。何十枚中の数枚である。女房が撮った写真にも良いものがある。女房はその中の写真を一枚はがきの用紙にプリントして、施設に入っている母に手紙を書いて送った。母への手紙は1週間から10日おきに殆ど毎回女房が書き、たまに男が書いていて送っている。多少アルツハイマー病になっている母は男の継母であり、女房の生みの親ではあるが育ての親ではない。しかしその母は男の家系に大きな貢献をしてくれた。つまりその母の娘である男の女房は二人の立派な息子たちを生み、育て上げ、社会に送り出してくれた。どの家でも母親が立派であればその子供たちも立派になれる。母親が駄目であればその家系に良い子孫は残らない。

2月に男が帰郷し施設にショートステイで入所している母に会ったとき、母は女房が送った手紙を何度も何度も読み返していると涙ながらに話してくれた。その母は来月同じ経営者が新たに建設した老人ホームに終の棲家として入所することになっている。その手続等のため男と女房は来週早々帰郷する予定である。その施設の母の部屋に電話を引いたりテレビや使い慣れた家具などを持ち込むことになっている。

 男は昨日撮った写真の中から良い写真を2枚をA4用紙に、3枚を2L用紙にプリントした。女房は早速それらを額に入れ居間や廊下や自分の部屋などに飾った。男の家の中の飾りは四季折々の花の写真パネルと山野草の花瓶が主である。購入した高価な絵など一枚もない。二男が芸大生のとき作成した石膏の裸婦の立体的ボードや高校生のとき描いた日光の杉並木の油絵のほか、写真サービス業で成功した男の竹馬の友がプレゼントしてくれた秋山正太郎の大きな写真パネルが目を引くだけである。ついでながら男の家の食器棚の中には高価な食器は殆どない。多くは男の手作りの陶芸作品である。しかしその方が温かみがある。男も女房も質素・清潔・温かみ、それが一番の幸せの素であると思っている。高価なものを買って身に付け、或いは家に飾り人に自慢するのは、その人にとって誇れるものはそれしかないからである。

 午後、法務局に「登記事項証明書」なるものを取りに行った。収入印紙代は700円取られた。この書類は男が住む家の火災保険・地震保険手続き上必要なものである。この建物が建築基準が変わった昭和56年以降に建てられたことを証明すると掛け金が多少安くなるからである。こういう家事雑務で外出すると多少運動にもなる。

オリンピック選選考水泳大会が行われている。注目の北島選手・立石選手が平泳ぎ100m、200mでオリンピック出場が決まった。水泳選手らは皆逞しい。昔でいえば相当な使い手の侍たちである。男は女房と一緒にテレビに映る彼らの姿を見て、年老いたとはいえ彼らの精進ぶりに負けないように頑張らなければと思っている。

ここ半年近く悩まされてきた男の左大腿部の異常は殆ど解消されてきた。今朝は6時に起床したが、起床前足腰の骨・間接・特に鼠蹊部の屈伸などよく行った。痛みがなくなってくると気持ちが晴れ、体中に気力がみなぎってくるようである。股開き・足ねじり・屈伸など呼吸法を行いながら行い、最後に腹筋背筋の運動を行い、腕立て伏せ運動を行う。これをこのところ毎日行っている。この運動は自分で考案した運動で、普段使わない筋肉をよく動かすようにしている。

水泳選手らのような若い時代ははるか遠くに過ぎ去った。しかし余生は最後の最期まで凛とし、生き抜かなければならない。夕刻毎度利用している近所の床屋に行き、延びた髪をカットして貰った。鏡に写る自分の面構えを見て、「俺の顔つきは以前と比べて生気があふれるようになったな」と思った。このところ以前のようにフェイスブックで夜更かしなどせず、生活習慣を改めたとは言え、一日、二日で体調がそう簡単に良くなるわけではないのだが、人の体は心の持ちようでどうにでも変わるものだと思う。女房が男の健康維持についていつも真剣に思って食事内容や運動などいろいろ気遣ってくれていることは有り難く幸せなことである。明日は女房と千鳥ヶ淵や靖国神社の桜を観にゆくことにしている。

2011年6月5日日曜日

NHKテレビ番組・若年アルツハイマー型認知症(20110605)

 男は母にアルツハイマー型認知症という病気について説明していた。表現はぼかして、「誰でも齢をとってくると物忘れがひどくなる。アルツハイマー型認知症と言う病気になったらそれが一層ひどくなり、泥棒にやられていなくても‘泥棒に盗られた’と言ったり、お母さんを世話している人に向かってひどいことを言ったりするようになる、そのようなことにならないようにするため昨日お医者さんから薬をもらったでしょう、その薬をきちんと飲んでおけばその病気の進行を抑えることができる、薬は毎朝忘れずにのむように」と言っていた。本当はその薬を飲んでいても病気が治るわけでなない。そう言ってしまえば希望をなくすと思うので、そのことについてははっきり言っていなかった。

 たまたま女房が新聞に出ているNHKのテレビ番組で、午後2時から若年認知症のことについて放送されることを知った。午後3人でその番組を観ることにした。これは偶然と言えば偶然である。朝、母にアルツハイマー型認知症のことについて話したばかりなのに、午後そのことにつてテレビを観ることになった。

男はこのような偶然をこれまで何度も経験している。それは偶然と言えば偶然である。しかし見方を変えれば、それはブッダによる‘必然’である。お釈迦様は、「仏はあらゆる方便をもって衆生を導く」と教えて下さっている。従い、アルツハイマーの母と母を介護する男と女房の3人でこのテレビ番組を観るということは、正にブッダのお導きである。

テレビ番組を観終えて母はアルツハイマー型認知症がどういう病気であるということを理解した。失禁をしてしまったり、歯をみがこうとペーストを付けた歯ブラシをまた元の場所に差しこんでしまい、どうしても歯を磨くことができなかったりと、介護する側が患者の心理を察していろいろ配慮してやっても、患者自身は自分がしたいと思うことが自分の思いどおりに出来なくなる。結局それが欲求不満になって介護する者に対して怒りの感情を爆発させる。それは生身の人間の本能的な表現である。男も女房もこれまで得ている知識以上の知識をこの番組で得ることができた。

男は母に自分たちが明朝横浜に帰ることを伝えた。母は男に「あんたたちに迷惑をかける、ごめんね」と泣きながら言う。男は母の肩に手をやり、「安心しな、わしらがよく看るから心配は要らん、明日一旦横浜に帰るがまたすぐ戻ってくる、自分の部屋でテレビを観ながらちょっと昼寝をしな」と言ってひとまず安心させた。

後ろ髪を引かれる思いはあるが、母がヘルパーなどの支援を得ながら独り暮らしを出来る間は、なんとか頑張ってもらわねばならぬ。女房を一旦この現場からを離れさせてリフレッシュさせないと先が続かない。昨日男は一つの部屋を男専用の部屋にするため書棚の中にあって何十年も埃をかぶっているものを撤去し分類して箱詰めにし、別の場所に移し、書棚の中をクリーニングして、老々介護‘単身赴任’時、自分が必要な本などを入れられるようにした。母の介護体制を徐々に準備しておかなければならない。次は女房の居場所を作ることである。男は寅さんの「男はつらいよ」の気持ちが分かる。

2011年6月4日土曜日

アルツハイマー型認知症の薬 (20110604)

 母はこれまでアリセプトDという薬、一錠3㎎のものを処方されて2週間毎朝一錠づつ服用した。母をタクシーでH市のU病院まで連れてゆき、診察を受けさせた。今度は5㎎のものを4週間分処方してもらった。

 この薬は学習障害意を改善するとともに認知症症状の進行を抑え、脳の活動を活発にする作用があるとされている。副作用としては食欲不振、吐き気や便が柔らかくなること、活発になりすぎることなどがあるとされている。しかし母の場合、この2週間そのような副作用は全く無かった。

 この薬は、「もの忘れ」「一度言ったことを何度も繰り返す」「意欲の低下」などの症状に効果があるとされている。この薬は老化によるもの忘れの進行と並行する形でアルツハイマー型認知症の症状の進行を抑えると考えられている。そして、もし途中でこの薬の服用を止めた場合、その症状が急に進行してしまうとされている。

 母の場合、自分の症状が進行することを恐れているので、今のところ毎朝忘れずにこの薬を飲んでくれている。母には薬の副作用のことは話さないことにしている。その理由は、もし話してしまえば母は自分の食欲が無くなったりしたとき薬のせいだとして薬を飲まなくなってしまうおそれがあるからである。しかし女房の考え方は違っている。女房は「母は食欲がなくなったとか便が柔らかくなりすぎたとしても薬の服用は絶対止めないだろう、だからまだ頭がしっかりしているうちに薬の副作用のことを話しておいた方が良い、その方が親切である」という。そうかもしれない。判断が分かれる。そこでこのことについては暫く様子をみることにした。

 男も女房も一旦横浜に戻り、母を以前のように独り暮らしさせるつもりでいるが、ご近所の方々には迷惑をかけないようにいろいろ対策を講じている。一昨年台所はIHにした。母はこれを使うことに慣れている。仏壇ではローソクの代りにローソク状のライトにした。線香は使わないようにした。ご近所にはそのことを話して安心してもらった。

 昨日いつも気にかけてくれているお巡りさんが訪れてくれたので、母のことなどについていろいろ情報を伝えておいた。そのお巡りさんはアルツハイマー型認知症の母親を抱えて苦労したという。そのお巡りさんは職業柄、母を施設に入れることをしきりに勧める。男は、母を施設にいれる時期は母の症状の進行度を判断して決めるしかないと思っている。

 薬を服用していても症状は確実に進行して行くだろう。状況の変化を把握するため、母との頻繁な電話連絡、在宅介護サービスを提供してくれている組織との密度の濃い連絡、これまで以上に頻繁な介護帰省をしなければならないと思う。

 H病院に『アリセプト手帳』が置いてあったので数冊貰って帰った。これには症状を毎日細かく観察しチェックするシートが綴じられている。エンジニアが機械のパフォーマンスチェックをするように、毎日アルツハイマー型認知症の患者である母をチェックするのが一番よいが、その体制に入るのはもうちょっと先でよいだろうと男は思っている。

2011年6月2日木曜日

行方不明になったある老女の話(20110602)

 ある町である独り暮らしの老女が散歩にでたまま行方不明になってしまってもう10日も経つという。その老女が山に向かう道を独りで歩いている姿を見かけた人がいるという。人の噂話には尾ひれがついていて、実はその老女は息子との折り合いが悪く、老女は世をはかなんで死を選び、自ら山林に入り込んでしまったのだという。

そういうこともあったかもしれない。息子は都会暮らしをし、その息子が連れ添った妻と息子の母親とは馬が合わなかったかもしれない。姑と嫁は年齢はもとより家庭環境も文化も違う。その上女同士で反発しあう。昔は姑が強く嫁は泣きながら姑に仕え、夫は勤めに出て家のことは嫁にまかせっきりで良かった時代であった。そのような時代なら息子は妻から泣かれたとしても突き上げられるようなことは無かったかもしれない。

しかし時代は変わって‘女’へんの‘家’と書く嫁はいなくなった。そもそも女は他家の者になるのではなく、夫と新たな所帯をもち、夫と力を合わせて一つの家庭を作り上げてゆくものである。そういう時代であるから息子はいくら自分の生母の老後を良く看たくても妻が同調しない状況が必然的に起きる。ところがその息子の親の世代、おおむね80歳以上の年代の女は一般的に古い考え方をする。その上自分の老い先は誰にも頼らず自分で処するという能力ももっている人は少ない。今は過渡期であろう。

 男は独り暮らしの92歳の継母がその話の老女と同じようなことにならないように、いろいろ対策を講じている。認知症の症状が進んでくると散歩に出たまま何処かとんでもないところに行ってしまうかもしれない。そのとき「ああしておけば良かった。こうしておけばよかった。」と後悔しても遅い。何でもそうであるが最悪のことを想定した事故予防対策を講じるための費用と時間を惜しんではならない。一旦事故が起きればその処理のためにその倍以上の費用と時間がかかるものである。‘想定外’は不誠実な言い訳に過ぎない。

 男は母が外出するとき押して行く車にaumimamori2というGPSで居場所がわかる携帯電話を取りつけた。これは母がこの押し車を押して外出するときは、男が横浜に居ても母の動きがわかるようになっている装置である。問題はこの電話機のバッテリーがあがってしまわないように、時々充電をする必要があることである。男はその充電を時々ヘルパーさんにお願いしようかと考えている。ヘルパーの作業指示書の中にそのようなことを書いてもらうことはできないかどうか、ケアマネージャーに相談してみようと思う。もっとも、この携帯電話機は不使用のときは電力消費を極力抑えるようになっている。電源オフという機能があって見た目には電源が切れているように見えるが位置は確認できる。

 そのうち男は74にもなって単身赴任のサラリーマンのようにこの家にちょっと長く滞在したり、女房がやってきて男と交代したり、この家で母と男と女房との3人暮らしをちょっとだけ長くしたりするような生活をしなければならなくなるだろう。その間にショートステイなど公的介護サービスをうまく利用しながら、時には男と女房の二人だけの暮らしを確保する。そのような期間はそう長くはないと思うが決してゼロにはならないだろう。

2011年5月30日月曜日

老々介護の行動計画(20110530)

 男は母の介護について女房とよく語り合った。昔から常にそうであっただろうと思うが、例えば戦国時代の武将は、当時のある意味では企業経営が競争相手によって領地の存続が危機にさらされたとき、その危機の対処について子まで設けた妻との間でいろいろな苦悩があっただろうと思う。そのとき戦国武将たちは何かの決断をし、その結果起きたことについて自ら責任を負ったと思う。また妻たちもそれぞれ決断をして自らの身を処したと思う。それが語り継がれ、後世の作家たちによってドラマが作られ、人々はそれを読みまたは映画を見て何かを感じ何かを得て、それぞれその人生の糧としているのである。

 男は軍隊がある状況に直面したとき状況を判断し、状況に対処するため行動計画を策定し、状況に対処するように、自分や女房に関わる問題の解決をしようと思う。それは軍隊に比べれば針の先ほどちっぽけな状況であるが、ものの考え方は基本的に同じである。

男は母の介護計画の策定にとりかかった。状況の判断において男はフィードバックを重視した。どんなシステムでもよいアウトプットを得るためには負帰還(ネガティヴフィードバック)が重要である。女房ととことん語りあうことはその一つの方法である。

こうして男は先ず二つの方針を立てた。その一つは「人の道から外れないこと」である。母の介護のため田舎に例え一時的にせよ居を移すことが必要になる。そのため男も女房もそれぞれの何かを犠牲にしなければならない。そして何年か何年先かわからないが母がこの世を去った後、少なくとも母の弟妹たちが元気な間は、この田舎の家を守り法事などを執り行い親類づきあいをきちんと行わなければならない。自分たちが世を去った後も先祖の祭祀が継続されるようにしておかなければならない。それが人の道を踏むことである。

もう一つは夫婦が力を合わせてこれまで築きあげたものを大事にすることである。これは第一の方針と同様の重要度をもつ。二律背反にならぬように知恵を絞る必要がある。時間の経過とともに状況は変わる。常に状況を判断しながらこの二つの方針を貫く。そしてその下で行動の実施要領を決定し、それを常に見直しながら実行してゆく。

 一旦行動計画の概要が固まれば、後は実行あるのみである。二つの方針をしっかり守り、フィードバックを得ながら常に状況を判断し、実行してゆく。馬鹿な考え休むに似たり、ただ前に進むのみである。但し柔軟な思考をしながら行動あるのみである。

 男はこのようにして今後痴呆度が徐々に進んでゆく母の介護を行って行くことにした。明日、母は退院する。数日後母をH市の病院に連れて行き、その後数日間様子を見る。その間男と女房は先日母の為買ったaumimamori2によるネットワークと地域の介護システムの関係者と携帯電話によるネットワークを維持しながら、帰宅までの所要時間が数時間の範囲内のところで旅行などをし、45日間母を以前のように独り暮らしさせてみる。そして帰宅し様子を見てその後1カ月間以上独り暮らしが問題なく出来るかどうか判断し、大丈夫と判断されれば次回は8月のお盆休みまで帰って来ないようにしようと思う。

 しかし寒冷期に入る今年の晩秋時期以降は、独り暮らしは無理だろうと思っている。

2011年5月26日木曜日

脳梗塞(20110526)

 母が緊急入院した。緊急といっても母は自分の頭がふらふらして痛かったので、不安になって自分でかかりつけのK病院に行って診察を受けたら即入院ということになったものである。

 地域で要介護の年寄りたちの面倒をみてくれている社会福祉士Aさんが、独り暮らしの母を見守ってくれていて毎日立ち寄って様子を見てくれている。昨日夕方も立ち寄ったら不在であったので心配して病院に問い合わせたら入院したということであった。

母は着の身着のままで病院に来たので戸締りもしていなかったということを看護師さんに話したら看護師の方からAさんに連絡してくれた。Aさんは同僚の女性と二人でわが家に来てくれて戸締りをしてくれて、服用中の高血圧やアルツハイマーの治療薬など必要なものを病院に持って行ってくれた。

横浜の家に帰って来たばかりの翌日である昨日の夜Aさんから男の方に母が入院したという連絡が入り、男は急きょインターネットでJRの切符を購入し、今朝早く新横浜を発ってドアツードアで7時間半かけてこのK町のわが家に帰りついた。男と女房は中一日置いただけでトンボ帰りのようにしてこの町に舞い戻って来たのである。都会に住んでいながら田舎で独り暮らしをしている90歳を過ぎた年寄りの面倒を看るということは、このようなことが度々起きるであろうことを覚悟しなければならないということである。

お互い顔見知りが多い小さな地域社会ではこのようにして独り暮らしのお年寄りを支えてくれている。大変有り難いことである。しかし男のように要介護者の家族が1000キロ以上も離れたところに住んでいるという事例は他にないらしい。

 男と女房は母のかかりつけの医師K先生に会って母の病状について説明を受けた。K先生によれば、母の診察のときスポットライトを母の目に当てて動かしてみたが母の眼球の動きがにぶかったという。脳のCTスキャンをしたら過去に起きたと思われる脳梗塞の痕が幾つか見つかった。白い小さな斑点のようなものが何枚かの写真に写っていた。今後の治療のため、数日後母の脳の状況について精密検査を行うことになった。

 老々介護は悪いことばかりではない。介護帰省のための鉄道や航空機の利用は気分転換となってこれまた楽しいことである。今日の新幹線の旅、そして博多での乗り継ぎ時間が5分しかなかったが博多でローカル線の特急に乗り替え山間部を走る列車の旅は楽しかった。

さらに母が入院中であるので男と女房は安心して羽を伸ばせる。明日は別府のSホテルに泊まって温泉にたっぷりつかり、美味しい食事を味わうことにした。別府へは高速バスで行く。天気予報ではあいにく雨であるのでちょっと残念であるが、こういう時しか羽を伸ばせない。明日、男と女房は高原の高速道路を走るバスにのって別府に向かう。先日もこの路線をバスで行ったがバスの車窓から眺める風景は雨にけぶっていても美しいと思う。Sホテルで一泊するが天候次第では水族館見学や地獄めぐりなど市内観光をしようと思う。明日は久しぶり楽しい小旅行となることだろう。

2011年5月25日水曜日

見守り機能付き携帯電話を持たせたが・・ (20110525)

 mimamri2という子供用の携帯電話にはメール機能が付いている。90歳を超えた年寄りにはこの機能は要らない。また留守電話機能も要らない。画面表示ももっとシンプルがよい。男は母にこの携帯電話を使い慣れさせようといろいろ苦心している。そばに付いていて細々教えればそのとおりできるが、痴呆になりかけている母にこの携帯電話を使い慣れさせるのは一苦労である。

 母は男だけが帰っているときはそうでもないが、女房が一緒に帰っているときは自分でやれることでも何でも女房にやってもらえるので、女房に頼り切ってしまう。それでは、折角なんとか自立して暮らしていることが出来なくなってしまう。

女房自身もある意味では嫁の立場と全く同じようなものであるが、生来の優しさで母の面倒をよくみている。普段ヘルパーとかお互い年老いてしまったためたまにしか顔を見せない近所の人ぐらいしか会話の相手がいなくなってしまっている母は、女房がいるときは何度も聞いている話をくり返してしている。女房もそのような母が可哀そうになって、毎度同じ繰り返しの話を良く聞いてやっている。それは女房の心労を一層深めることになる。

女房は母がいずれは介護を受けることになると思って、50代のころホームヘルパーの資格をとってずっと年老いた人たちの世話をしてきた。その間放送大学で福祉関係の知識を身に付け、介護福祉士の資格もとった。その思いの心底は本人には分からない。第三者でないと深層の心理はわからない。3歳の時自分の父親を病気で失い、4歳の時今世話している母と別れて暮らしてきた女房の心の奥のことを、男は理解しているつもりである。しかしそのことは誰にも理解できないことだろうと男は思っている。

赤の他人の嫁の立場なら、女房は良い思い出の無い土地で母の面倒を看ようなどと思わないだろう。そのような原因になることが何度も女房は経験している。それでも母を一生懸命看ようと思うのは、女房が口癖のように言っている「自分が後悔しないため」である。それに80歳を過ぎた女房の実の叔父叔母から自分の姉である母のことを託されていることもある。男はこの家の長男であるという立場もある。

男は在宅介護の事業所の担当者と話して其処に一通のFAXを送った。その内容は母には何度も教えたのであるが、母がmimamri2という携帯電話を良く取り扱えないので訪問してくれた時には挨拶代わりに、「散歩や買い物で外に出るこの携帯電話を必ず首に下げて行くように」とか「この携帯電話のベルが鳴ったときは耳元にこの携帯電話を近づけるように」とかいったことを挨拶代わりに一言話して欲しいというというものである。

母が住む町でつい最近80代の女性が家をでたまま数日を過ぎても行方不明になっていて、町内防災放送などで何度もそのことが放送れていた。そのようなことに母がならないように母が出歩く時には必ずこの携帯電話を持って行って貰わねば、折角の機能が何の役にも立たないことになってしまう。横浜に戻って来た男は自分の携帯電話機で母の所在、つまりmimamri2の所在を確かめた。それがいつも同じ場所になっている。困ったものである。

2011年5月23日月曜日

au携帯電話安心見守り機能(20110523)

 男は母のためにmimamori2というauの携帯電話機を購入して母に使ってもらうようにした。購入といっても充電機用アダプターだけの価格で本体は0円であった。この電話機は非常にシンプルで防水・防塵の堅牢な作りである。後で知ったのであるが、この電話機のメーカーは男の携帯電話機と同じ京セラである。直感的に行動し飛び込んだ店にあったものがこの電話機であった。それまでこの電話機のことは知らなかった。運がよいと言えばそれまでであるが、男は出会いの不思議さを常に感じている。人によっては偶然は必ずしも偶然にあらず、それは見えざる力に左右された必然であると男は思っている。

 この携帯電話機は3か所まで登録した通話相手先にしかつながらず、登録先の番号のワンタッチキーと、通話呼出しなどのためのセンターキーと、終話きーの三つのキーの操作だけで登録先と通話ができる。その他の機能としてメールとGPSがあるだけである。ゲームとかカメラとかサイト検索などの機能は省かれている。

 男は早速それを母に使わせてみた。100円ショップで買ってきたストラップを取りつけてそれを首に掛けさせ、何度か操作法を練習させた。母は初めちょっと戸惑っていたがすぐ慣れた。今後は男や女房との通話は携帯電話だけにして、母にはアルツハイマー性認知症という厄介な病気がまだ軽いうちに、この携帯電話機の使用法を体で完全に覚えこませておこうと男は思っている。何事も初期のうちに手を打って置くことに越したことはない。

この携帯電話機を使うことによる費用はどうかというと、男、女房、母三者トータルで4000円ほど固定費が増えるだけである。費用対効果を考えると決して無駄ではない。三者が皆同じau電話機を使っているので、通話料金は一切かからない。その上遠隔地にいても、母の居場所や移動経路が分かる。もし何かあって母がブザーのひもを引っ張ったときは、1回につき1万円ほどの料金でセコムから現場に急行してくれる。このような優れものの携帯電話機は他にないと男は思う。

 男は母の弟妹にあたる叔父叔母に、この携帯電話を母に持たせたことを報告しておいた。皆年老いた叔父叔母たちは、独り暮らしの姉のことを心配している。「通話料は一切かからない。」と説明したら、皆非常に驚いていた。皆は男が母の面倒を良く見ていることに感謝してくれている。

 女房は母の楽しみのためゴーヤの苗を買ってきた。男は庭の片隅にそれを植えるため、三角屋根の形をしている棚を作った。ゴーヤは毎年植えている。ゴーヤ棚の材料は、以前ホームセンターで買ったものを毎年使って作っている。去年も沢山ゴーヤの実が成った。母はぶつぶつ独りごとを言いながらその実をもいで、簡単な料理をして食べていた。今年も同じことだろう。ただ、今年からは男と女房が帰ってくる頻度が大幅に増えるだろう。

 女房は今年沖縄の特別な苗を買ってきた。そのことを携帯電話のこととともに叔父叔母に話しておいた。お互い距離は離れていてもこの携帯電話により頻繁に会話をし、母の認知症の症状の進行をできるだけ遅らせたいと男も女房も思っている。

2011年5月22日日曜日

アルツハイマー性認知症(20110522)

 女房と一緒にタクシーでH市にあるU病院に母を連れて行った。其処はK先生が紹介状を書いてくれた病院である。其処はこの家からタクシーで片道40分ぐらいかかるところにある。その病院には痴呆老人病棟もある。

 病院長U先生の診察結果、母は単なる老人性の物忘れではなくアルツハイマー性認知症であるということであった。男も女房も「ああ、やっぱりそうだったのだ」と母のここ半年近くの状況からそう納得した。まだ初期の段階であるので対応は楽である。しかしこの病気は月日の経過とともに徐々に進行する。母は非常におおらかな性格であるので、問題行動は起こさないだろう。母には幸せな晩年を送ってもらうようにしたいと思っている。

母は高血圧薬など6種類の薬をのんでいる。薬は朝、昼、晩と種類や数が違う。独り暮らしで認知症が出ているため、薬ののみ違いが起きている。今度、認知症を遅らせる薬が追加された。女房は母が薬を正しくのむように、小袋が沢山並んで配置されている壁掛け式の大きなシートを買ってきた。それは朝・昼・夜の区分と曜日が分かるようになっていて、シート1枚が1週間分である。

女房は母の脳活動を活発にさせるため、母に自分の薬をその小袋に分けて入れる作業をさせ、その様子を観察した。母はその作業を完璧にはできない。女房は別室でこのブログを書いている男のところに来て、「幼稚園児よりも悪いのよ」とため息をついて嘆いた。

それでも母はなんとか自分で自分がのむ薬の区分けができた。女房は「お母さんはこのシートをここに掛けてもらうのがいいと言っているので、ここに吊り下げるようにして」と男にその取り付けを頼んだ。男は「明日、金具を買って来て取りつけてあげよう」と答えた。この町にはやや大きいホームセンターがあって、必要なものは何でも手に入る。

母は早速その薬のシートから薬を取るのに勘違いが生じた。薬の袋に書き込む日付の関係で今日の分だけそのシートの区分けしたものは使わず、従来通りのやり方にするように予めよく説明してあったが、母は直近のことは忘れてしまっていて、曜日が今日と同じであるが日付の違うところから薬を取って既にのんでしまった。

女房はそのシートを2週間分の2枚用意してあった。薬には日付を書いてあっても母の勘違いは必ず起きるだろう。そこで1週間分の1枚だけ掛けておき、来週の分はヘルパーに頼んで出して貰うことにした。今後はヘルパーとの連絡を一層密にしなければならない。

アルツハイマー性認知症はその進行を遅らせることはできても改善することはできない。来年の今頃は母の病状はもっと悪くなっていることだろう。女房は母の脳の活動をできるだけ活発にさせて母にはこれまで通りなるべく自立した生活を続けさせようと、母と会話を多く交わしている。その様子は、女房が自分に早かれ遅かれ降りかかってくるであろう介護の苦労を、できるだけ先延ばししようともがいているかのように見える。

男は女房の負担ができるだけ少なくなるようにしようと思っている。2週間後、母をまたU病院に連れてゆかなければならない。今度は男一人で帰ってくることにした。