2012年7月31日火曜日


発声に艶・響きがなくなった(20120731)

 男は3年前の3月以来、インターネットに自分の吟詠を投稿して公開している。初めは自分の下手な吟詠を公開することを躊躇したが、回を重ねるうちに図々しくなって、気にならなくなった。誰が聞いてくれているか個人名は全く分からないがアクセス解析で訪問者の数やページヴューの件数などが判る仕組みになっている。吟詠については何処の国からのアクセスがあるのかは判らないが、詩吟は基本的に音楽の範疇であるので、多分外国からのアクセスも結構多いのではないかと思う。

 男はこのところ自分の吟詠の発声について悩み始めた。自分の声を聴いてみて声に艶や響きが感じられなくなってきていることに気付いた。加齢のせいもあるかと思うが、努力が足りないとも思う。艶のある響きのある若々しい声が加齢とともに徐々に低下することはやむを得ない。しかし、年寄りの枯れた声なりに、味がある詠い方ができるはずである。諦めてしまうのはまだ早い。

 男は毎朝起床前、自分の体の各部分、普段あまり使われていなさそうな部分のストレッチを行っている。背筋・腹筋も鍛えている。週に2、3回はスポーツセンターに通い、腕や脚の筋肉のトレーニングも行っている。スポーツセンターには自転車に乗っている感覚でペダルを踏んで20分間の有酸素運動も行うことができる装置がある。男はそういう運動だけではなく、必要な栄養も摂取し、持久力も高めている。スポーツ選手が試合に向けて調整するように、いろいろ工夫している。

 自分で自分自身に何か課題を課し、毎日・毎月継続するということは重要であると実感する。正に継続は力なりである。自分の発声に艶や響きが感じられなくなったということは、自分の工夫・努力が足りない為である。発声法について工夫の余地は十分ある。これまであまり気に懸けていなかったが、科学的な発声法について研究しなければならぬ。

 何事も同じであるが、自分が行っていることを自分で第三者的に観る方法について、ひと工夫が必要である。頭は使わなければならぬ。不摂生は慎まなければならぬ。かくしても時間の経過とともに、自分の身体の各部の機能は徐々に劣化してゆく。自分に残されている時間は限りがある。やるべき物事に優先順位をつけ、今日一日でおこなうべきことをきちんと行う。それでもやり残しが必ず生じて、人はこの世を去るものである。

 男は、インターネットを利用し、自分自身を観察しつつ社会に関わりを持っていることができていることに喜びを感じている。自分の声に艶や響きがなくなってきたことを自覚できたは、インターネットを利用するその仕方に独特なものがあるからである。

2012年7月30日月曜日


シナ(中国)は何故日本に敵対するのか(20120730)

孔子75代目直系の子孫だという孔 という人が書いた本『中国人と中国系人』という本に次のことが書かれている。雲南省という項から“”で引用する。
“多民族の辺境稲作民 「少数民族の宝庫」といわれ、二十四以上の民族が住む。古代から近世にかけて、古タイ族の天地であった。この東アジアの稲作の祖ともいうべき人びとは、日本人に顔が似ているところから、日本人の先祖の一派ではないかという仮説もある。・・(中略)・・漢民族が人口の六十八・三パーセントを占め、残り三十一・七パーセントは少数民族。イ族、ペー族、タイ族、ハニ族などである。

雲南省が中国の版図にはいるのは、はるか後世の元の時代になってからで、漢民族の武力ではどうにもならなかったが、匈奴の末裔であるモンゴル帝国の手によって中国領になった。・・(中略)・・「漢倭奴国王」という金印が、日本の九州志賀島で発見されたが、蛇蛛をもつ金印で滇(てん)(雲南の古称)と倭は結ばれたことになる。

少数民族の天地雲南は、いまでこそ辺境秘境の地とされるが、往時は興亡をくり返した中国歴代の王朝にとって豊かな穀倉地帯であったとともに、通商における重要な拠点でもあった。”

(てん)王国と古代日本とは考古学遺跡の出土品から関係があったことが分ってきている。そのことは安田喜憲著『古代日本のルーツ 長江文明の謎』(青春出版社)に書かれている。(てん)王国は紀元前400年から紀元後100年くらいまで栄えていたが、漢民族の圧迫を受け、おそらく混血が進み、その王国の独自性がなくなったのであろう。今、雲南省で圧倒的多数を占める漢民族は古代の漢民族と混血した民族であろう。『中国人と中国系人』という本には、雲南省人の性格・身体的特徴・タイ族ペー族など少数民族の民族性のことなどが書かれている。

2800年から3000年前、気候の寒冷化の影響で、華北から狩猟・畑作の民であった漢族が南下してきて、長江流域で水稲農耕を行っていたY染色体O3亜型の集団が住む地域に侵略してきた。漢族の圧迫を受けたY染色体O亜型の集団はシナ(中国)南部やその南の山岳地帯、今の雲南省や台湾などに追いやられた。

その中でY染色体O2bの集団の一部は、山東半島を経由して朝鮮半島南部から九州に、或いは長江流域から直接九州に家族単位で移動し、先住の縄文人と混血していった 弥生時代、九州や西日本に水稲農耕技術を伝えたのは、このO2b型集団であった。彼らが渡来系弥生人であり、先住の圧倒的多数の縄文人と混血した人々が、いわゆる「倭人」である。倭人は九州・西日本に住んでいたが、朝鮮南部にも住んでいた。しかし朝鮮半島の人びとの遺伝子には殆どないミトコンドリア遺伝子M7aと、朝鮮半島の人びとには殆どないY染色体遺伝子D2及びC1が日本人にはある。

 日本人の祖先は縄文人と渡来系弥生人の混血である。長江流域から渡ってきた人々の中には当時の漢民族から圧迫を受けて雲南省の山間部に逃れた苗族を先祖の一派とする人々も混じっていた可能性がある。人種的に日本人は混血種であり、東アジアで特殊である。

 一口に「中国人」といっても古代のシナ(中国)人と、現代のシナ(中国)人とは同じではない。現代のシナ(中国)人は日本人同様、混血したことによりに多様な性格・身体的形質・能力などを持っている「隣人」である。ただ両国の間で根本的に違うのは、一方は興亡をくり返してきた王朝、現在でも「中国共産党王朝」とでも言うべき王朝の国であるのに対し、他方、日本には万世一系の天皇がいて、その天皇は古代を除いて実際の政治には関わらず政治は別の主体が行う国であるということである。

現在でも進行中であるが、シナ(中国)の歴代王朝は周辺の多民族の国々を初めは「自治領」にし、その領内に年数をかけて漢民族の人びとを入植させ、その「自治領」を次第に漢民族化してゆくという「文化」、それも「体外遺伝子」ともいうべき「文化」をもって行動している。その部分を日本は十分警戒しなければならない。「日出る国の天子、日没する国の天子に書を致す、恙なきや?」という国書を当時のシナ(中国)王朝に届けた日本は、聖徳太子の昔からシナ(中国)の王朝には決して屈しなかった国である。

2012年7月29日日曜日


回想「魂は永遠である」(20120729)

 死人の夢を見るのは良くないというようなことを聞いているが、男は明け方既に鬼籍に入っている二人の元帝国軍人の夢をみた。二人とも男の元上官だった。A部長は陸軍士官学校出身で元戦闘機乗りだった。男がまだ若かった頃、「お前は俺の上官に似ている。その上官は俺が出撃しようとしていたとき、“お前は残れ”と命じて出撃していって帰ってこなかった」と話してくれたことがあった。

 もう一人の元上官はB司令であった。B司令は海軍兵学校出身で帝国海軍潜水艦の艦長をしていた方であった。B司令はインド洋まで出撃していったことがあったという。寡黙な方であったが俳句の趣味をもっておられた。B司令の俳句の先生は旧軍で言えば曹長の階級に相当する方で、同じ基地の別の部隊に所属していた。その司令は俳句に興味のある部下たちを階級の如何を問わずメンバーに誘い、一緒に吟行会にも行ったことがあった。B司令の俳句で深く印象に残っている一句は「行く春や独来独去の一人旅」というものである。その俳句の会で男が作り、B司令が手直ししてくれた俳句に「風除けに雀の夫婦寄り添いて」というものがある。

 首(こうべ)を回(めぐら)せば既に八十に手が届かんとするこの齢になって、かつて恩顧を受けた元帝国陸海軍の軍人であった上官たちのことが思い出される。C部長は、毎日昼休みになると「おい〇○、稽古だ」と庁舎の裏庭に男を誘い、剣道の稽古をつけてくれていた。防具はつけず、竹刀だけで打ちあっていた。

 男が北方の部隊に勤務していた頃D司令と知り合った。その方は厚木飛行場で重戦闘機紫電改に乗っていた帝国海軍生き残りの一人である。その方は戦前、来襲するB-29を迎撃する任務についていた。

ここにある宴会の席で、男は酒に酔った勢いでつるつる禿げのE司令の頭を撫でている写真がある。傍にちょっと色気があった女性も写っていて三人一緒の笑顔である。いくら宴会の席であったからとはいえ、それは度が過ぎている。E司令は大変温厚な方であった。それでも男はある書類の決裁を得るためそのE司令室に入るときは大変緊張していたものである。

男はもう鬼籍に入っておられる数多くの旧軍人たちに期待されていたが、その恩に十分報いることなくこの齢までのうのうと生きてきた。夢の直接の原因は、徳富蘇峰の作詞である『京都東山』という漢詩の詩文にある。その詩は蘇峰が明治17年、22歳のとき、京都東山にある土佐藩士坂本龍馬や中岡慎太郎らの墓に参拝したときの感慨を詠った詩である。土砂降りの雨の中、破れ笠をかぶり丈の粗末な布で作った短い着物を着た人が、龍馬らの墓前で涙を流してぬかずいている様子を詩にしている。

生前国の為命を捧げた方たちは、その思いが決して消えることはない。生き残りの帝国陸海軍の軍人たちを通じ、男に何かを訴えたのである。男の生母も33歳で死ぬとき、10歳だった男にがんの苦痛の姿を一切見せることなく、男にいつものように抱き起すように命じ、その時は東に向けるように命じ、仏壇から線香を持ってくるように命じ、そして夫である男の父親を呼びに行かせた。男が裏山で燃料にするための松の枯れ落ち葉をかき集めていた父親と一緒に戻ってきたとき、母親はこと切れて何時もの布団の上に寝かされていた。何故東を向けさせたのか。それは皇居の方角であると男は後に確信した。

生命は永遠である。今を生きる日本人が天皇を崇敬せず、幕末以降日本のため命を捧げて奮闘し、死んでいった方々の御霊を粗末にすれば、必ず禍が起きることは間違いない。この現象は現代の科学では絶対解明できないであろう。また、宗教で信じるようなことでもない。科学以前・宗教以前の現象である。現実に起きている現象をどう受け止めるかということは、個人個人の素直な純粋な心次第である。日本は悠久の歴史がある国、言霊の幸わう国であるということを、すべての日本人は自覚すべきである。

2012年7月28日土曜日


日本が日本でなくなる日が来ないように願う(20120728)

 日韓・日中の間に見られる対立は、それぞれ両国民の良識ある人たちの相互理解で解消できないものかと考えた。しかしそれはなかなか困難なことである。良識ある人たちでも良識を持たない人々の無知な大合唱に対抗することはできない。良識ある人たちが国民の絶対多数を占めているのであればそれは困難なことではないであろうが。

個々の国民同士はお互い心を通わせ合い、お互い良い人たちだと認識し合うのであるが、話が領土問題に及ぶとお互い激しくぶっつかり合う。何故だろうか? 一つの答えは「自存の力」である。自ら生き残ろうとする力である。個々の人間同士は、個々の人間としてそれぞれ自ら生き残ろうとしている。その自存が可能である限り、お互い笑顔で付き合うことができる。ところが、その個々の人間が一員として参加している集団同志となると、その集団としての「自存の力」が相手の集団との間で対立状態を生み出す。国家の「自存の力」は、国民個々の「自存の力」とは別ものである。

 国家を指導する人たちの中で実力のある一部に人が、対立する国家の領土を奪い取ろうと発言すれば、個人個人では理解し合える国民でもその発言に同調する。シナ(中国)という国家が、尖閣列島は歴史的にもシナ(中国)の領土であると主張すれば、シナ(中国国民は「そのとおりだ」と納得し、「軍事力を行使すべきだ」と声を上げる。韓国が竹島を歴史的に韓国の領土だと主張すれば韓国民はそれを支持し、不法占拠しているのではないと確信する。

 個々の人間同士の争いは、利害が一致すれば止む。疑心暗鬼は不信感を増大させるが、情報通信と交通が高密度になればお互いの理解が進み、疑心暗鬼は減少あるいは解消する。国同士文化や経済の活発な交流があり、両国間の人びとの交流で混血が進めば、国民同士お互い親しくなることができる。シナ(中国)は4000年の歴史の中でそれを進めてきた。漢詩に李白の『王昭君』というのがある。

その詩文は
昭君(しょうくん)玉鞍(ぎょくあん)を払(はら)い 
(うま)に上(のぼ)って紅頬(こうきょう)()く 
今日(こんにち)漢宮(かんきゅう)の人(ひと)        
明日(みょうにち)胡地(こち)の妾(しょう)
というものである。

前漢時代(BC205 AD9)の終わりに近いころのBC33年に王昭君は北方遊牧民である匈奴(現在の内モンゴル自治区を中心とした辺りを支配していた遊牧民)の国の君主の妻となった。この詩文の意味は「王昭君は美しい鞍をおいた馬に乗ったが、紅色にお化粧をした頬には一すじの涙が垂れている。今日まで漢王朝の後宮の女官として華やかな日々を送ってきていたのに、明日からは遠い匈奴の国の君主の妻となってしまうのだ。」である。

シナ(中国)は、自分たちが中華の国であって、周辺諸国は動物の名前を付けて呼んでいた。その見下げている国の人びとと混血を進め、自らの中華の圏内に引き入れることによって、中華の国家としての「自存の力」を高めてきた。シナ(中国)国家の次の目標はかつて東夷と見下げていた日本を中華の圏内に引き入れることである。尖閣列島の領有はその戦略の第一手である。聖徳太子の時代から決して朝貢しようとしなかった国、自分たちの国以外に「天子」がいる国・日本を、今後たとえ数百年かかっても是非中華の圏内に収めたいのである。彼らは未だに日本を「倭」と呼び、「小日本」と呼んでいる。

それは、古来、シナ(中国)人の根強い「自存」の心理の現れである。日本も負けずに「自存」力を高め、聖徳太子以来の「日出る国の天子」を守り、「東方の光」を遠方まで強く届くように輝かせればよい。日本人は自ら気づいていなかったが、シナ(中国)人同様混血種であり、しかもシナ(中国)と違って「天子(=天皇)」が日本中の家々の宗家のような、また一家の「家長」のような国である。4000年間旧態依然として「朝廷」と「人民」との間に壁があるようなシナ(中国)とは違う。今のシナ(中国)は「中国共産党王朝」の国家である。いずれまた滅び、別の「王朝」国家に変わるだろう。しかし、それはシナ(中国)の「自存」の力がそういう道を選ぶのである。日本が皇統を守らず、女系天皇への道を開き、夫婦別称を許せば、日本は聖徳太子以来の日本ではなくなる。そのときは、日本はシナ(中国)の中華の圏内に取り込まれたときである。

2012年7月27日金曜日


オスプレイ(20120727)

 日本がかつてシナ(中国)人を軽蔑して支那と言っていたことがあった。シナ(中国)から「中国」と呼ぶよう申し入れがあり、シナ(中国)が自らを「中国」と呼んでいるので、同じ漢字圏のなかで礼儀を尊ぶ建前から日本もシナ(中国)のことを「中国」と呼ぶようになったのだという。それは1930年のことだという。

当時シナ(中国)のことをカタカナで「シナ」呼ぶことにしようという発想はなかったらしい。奈良時代、わが国の朝廷は種子島など辺境の地に対して、朝廷の支配が及ぶ範囲を当時のシナである唐に真似て、「中国」と呼んでいた。そういういきさつもあってか中華民国の「中華」に深い意味も感じずにいたのかもしれない。ところが今シナ(中国)では愛国心が高まり、シナ(中国)は世界の中心であり周辺国を支配するのは当たり前であるという思想が持ち上がっている。日本はその態度に反発し、その侵略を警戒している。

シナ(中国)は漢族中心の国ではなく、4000年という非常に古い歴史と文化を持つ古来の漢族と、その古来の漢族と混血して漢族の一員になり、漢族となった人々の国であるというのが正しいらしい。つまり一口に漢族といっても純血ではないのである。それはユダヤ人と一口に言っても、ヨーロッパ系・アフリカ系・中東系と各人種が混じっているのに似ている。

日本も一口に大和民族と言っても圧倒的多数の縄文人と、長江流域に住んでいた人びとが漢族に追われて直接東シナ海を渡り、或いは遼東半島から朝鮮半島南部を経由して日本列島にやって来た渡来系弥生人とが混血した古墳時代の人びと基層となっている。

古墳時代以降、主に朝鮮半島からやって来た人々がその古墳時代人と混血し、飛鳥・奈良・平安時代の古代人となった。そして特に日本が敗けた大東亜解放戦争後、かつて日本国籍を有していた朝鮮半島などの人びとが非常に多数日本に残ったが、その数は日本人との結婚により次第に減り現在に至っている。戦後の混血の特徴は朝鮮半島出身者との混血が最も多いが、シナ(中国)人・欧米人・アフリカ人等との混血も進み多国籍的である。

ある架空の高等生物を想像する。その生き物は環境に応じて生き残るためその純粋種と交わってその種を残すのみならず、その純粋種に魅力を感じる他の生き物とも交わり子孫を遺す。その純粋種も時を経るに従い純粋種ではなくなる。しかしそれは依然としてある架空の高等生物であり続ける。かくしてその種は生き残る、つまり自存する。

万物は自存行動を取る。ウイルスさえも自存の行動をとる。日本人という高等な混血の生き物の集合体も、シナ(中国)人という高等な混血の生き物の集合体も、皆自存のため行動する。シナ(中国)が尖閣列島を侵略しようとしているのは自存の行動の現れである。日本はぼやっとしていれば、シナ(中国)はいつの間にか尖閣列島に侵略してくるだろう。それは漢族、といっても既に自存行動の結果純粋種でなくなっている漢族が4000年の間自然に身につけて来た極めて自然な行動である。

日本は白人国家の支配からアジア人を解放するため310万人の犠牲を出してまでして戦った。ところがシナ(中国)は、4000年の間身につけて来た中華思想をあたかも生物学的遺伝子のようにして世界中に膨張し拡散しつつも互いに密接な連携を保ち、周辺の国々を隙があれば、或いは隙を作って、力づくでそれを自らの中華思想の圏内に取り込んできた。

何かの本に書かれていたがあるシナ(中国)人が言った。「騙される方が悪い」と。日本人は1930年にぼやっとしていてシナのことを「中国」と認めた。シナ(中国)人が、自国のことを「中華人民共和国」と言ってもそれは勝手である。日本も憲法を改正して「大日本帝国」という呼び方に戻せば良い。そしてシナ(中国)のことを正式に「シナ」とカタカナで呼ぶようにすればよい。

日本はそういう見識をもった態度を取らなければ、シナ(中国)が意図しているように、何世紀も経たないうちに彼らの長期戦略どおり、尖閣列島を手始めに、奄美・沖縄・八重山列島もシナ(中国)の領土になってしまうだろう。政府が地元の人々に反感を持たれるようになった時、地元の人々は自存のためシナ(中国)にすり寄ることになるだろう。

かつて沖縄県知事選の立候補者は、次のようなことを新聞に発表したことがあった。
    日米安保条約は時代錯誤であり、日本は同盟深化より日米平和友好条約を締結すべきである。
    尖閣諸島近海の平和的漁業の実現のため中国と平和的友好関係を作りたい。
    沖縄は明治時代日本に併合されるまで、中国との朝貢関係にあった。中国はとても身近に感じる。
    先島諸島への自衛隊配備には反対である。
    米軍基地撤去を武器にして中国と対話を進めるべきである。

これは本人が意識していようと、していまいと、シナ(中国)による沖縄侵略の戦略に沿った発言であろう。沖縄には地元マスコミが意図的に反国家キャンペーンを行い、それに呼応して本土から左翼活動家らが沖縄に入り込んでいる。彼らはたとえ本心でなくても、オスプレイを契機に沖縄をシナ(中国)に渡すような行動をしている。オスプレイの意義について、政府は地元に対し真剣な説明を行ってもらいたい。

2012年7月26日木曜日


日本と中国の歴史の真実(20120726)

 表題は拳骨拓史という著者が書いた本の名前である。この本は呉 善花という人が書いた『韓国併合への道』という本とともに買ってきたものである。男の専らの関心事は、日本の領土の保全と、日本と韓国の関係の改善である。一市井の浅学菲才の年寄りが「自分の最期の時まで書き続ける」と目標を決め、そのとおり実行してすでに3年を過ぎた。これは自分のために書いている。男は今年の猛暑が過ぎて、秋の夜長になったら二人の息子たちを個別に、何処か落ち着ける料亭に誘い、一献傾けながら語り合いたいと思っている。その時の話題にするものは、このブログのこと、我が家の先祖のこと、我が子孫へ伝えておきたいことなどである。
 
 沖縄ではあるジャーナリストが沖縄をシナ(中国)の侵略から守るために必死に戦っている。彼はシナ(中国)による沖縄侵略の意図について、当のシナ(中国)から出されている文書を日本語に翻訳し、月刊誌『WiLL』などに投稿しているほか、シナ(中国)軍の高官が実際に話している動画をインターネットで紹介している。最近、一部の大手の新聞にシナ(中国)人たちが「軍事行動をもって尖閣列島を奪いとれ」と騒ぎ始めていることが報道されている。いよいよシナ(中国)の本音が露わになり始めた。

 ところが日本国政府はこの事実を国民の前になるべく伏せておこうとしている。尤も、政府が公式に発言すれば、其処はシナ(中国)の思うつぼで、尖閣海域で「自国の領土を守る正当な行動である」と称して領海侵犯を繰り返すなど(中国)の断片的・挑発的行動に対しては、日本国政府は公式的には「警告はするが取りあわない」という構えである。

 男はシナ(中国)人について知るため、ある古本屋で僅か100円で『中国人と中国系人』という本を買った。この本は孔子75代目直系子孫であるという孔 という人が書いた本である。まだ殆ど読んでいないが、一概に「中国人」と言っても、「中国人」の大多数を占める漢族である中国人だけではなく、その漢族に同化された少数民族の人たちも同じ「中国人」なのであろう。男はそういう見方でこのつんと埃っぽい臭いが鼻に着くような古本を読んでみようと思っている。

 シナ(中国)人は、自分たちが「中華の人民の国の人」であるという、いうなれば日本を含む周辺国は自分たちより劣等であるという自意識から抜け切れない人たちである。シナ(中国)はもともと初めての皇帝の国「秦」を当時のインドで「シーナスタン」と呼んでいて、それが日本には「震旦(しんたん)」として伝わった。その「シーナスタン」をシナ(中国)人が自ら漢訳した語が「支那」であった。それが戦前、蔑称になったため、戦後は「支那」という語を使わないようなったという。「シナ」と書けばよかったのである。

2012年7月25日水曜日


シナ(中国)という国(20120725)

 古来、日本は島国であり、シナ(中国)と国境を接していないのでシナ(中国)から攻め込まれて領土を奪われるというようなことはなかった。元寇のことは日本国内では良く知られているが、シナ(中国)国内では学校で教えられることはないそうである。しかし元寇のときは、北九州がシナ(中国)に危うく占領されるところであった。

 シナ(中国)にはチベット自治区、新疆ウイグル自治区及び内モンゴル自治区があるが、現在それらの自治区は武力弾圧と人口構成を漢族主流とする方針により、徐々に様変わりしつつあり、そう遠くない将来、それら自治区は旧満州のようになってしまうだろう。

 旧満州は女真族が皇帝だった清王朝時代、女真族の満州を守るため其処はシナ(中国)の地方を区分しているような省は置かず将軍が置かれ、満洲に漢族を流入させないようにしていた。満洲は日本統治下では日本による庇護のもと満洲国として独立し、清朝最後の皇帝・愛新覚羅溥儀が満洲国皇帝として建てられた国であった。しかし日本が大東亜解放戦争に敗けた後、一時ソ連(ロシア)の領土になり、後に漢族主体の共産党のシナ(中国)に返還され、多数の漢族がその地に流入し、現在はシナ(中国)の東北地方ということになっている。かくして満州族(女真族)の国家もシナ(中国)の領土の一部となってしまっている。

 シナ(中国)は、南沙諸島を自国の領土とすべく、その諸島の首相を指名した。恐らくすでにその諸島の憲法なるものを定めている筈である。シナ(中国)は尖閣諸島を1968年以降自国領土であると明確に主張しているが、その元となる臨時憲法を定めており、それには第一列島線内の奄美・沖縄・八重山について、占領後は奄美州・沖縄州・八重山州とし、言語・文化はそのまま尊重すると書いてある。但し、中国語は公式言語であるとしている。シナ(中国)は手始めにまずは尖閣諸島を占領し、次に沖縄・八重山を手に入れ、奄美を狙う算段であろう。

日本には既に朝鮮半島出身者以上の人数のシナ(中国)人が居住している。その数は1996年に10万人以下であったものが現在70万人近くまで膨張している。日本固有の領土が、いつのまにか満洲帝国がシナ(中国)の東北地方となったようなことにならないように、内モンゴル自治区のようになっていつの間にか漢族中心の土地になってしまわないようにしっかりと防衛しなければならないが、日本国民の意識がシナ(中国)に対してあまりにも警戒心乏しく、長期戦略もない。米軍が沖縄にオスプレイを配備する意義について目を背け、そのくせ憲法を改正し、国防軍を創建し、その軍備を強化しようとすることに対しては積極的ではない。これは国家観が乏しい政治家・官僚・マスコミのせいである。

2012年7月24日火曜日


いじめ問題を考える(20120724)

 大津の中学校いじめ自殺の問題が起きているとき、草加で中学2年生の飛び降り強要といういじめ事件が明らかになった。この事件は418日に発生していたのであるが、学校側は表沙汰にしなかった。表沙汰になれば学校側は校長以下学校の管理能力・教育能力が問われることになる。彼らはそのことを恐れたのである。大津の事件と共通の隠蔽体質がそこにある。子供たちの教育者が自己保身に走ると決して良い教育は行われないだろう。

 草加の事件では、件の中2生とは小学校5年の時からいじめに遭い、飛び降り強要の前日、肩にパンチされるといういじめをうけていた。飛び降りなければ金を持ってこいと脅されていた。飛び降りを強要され、泣く泣く飛び降り大けがをし、その後登校していない。飛び降りを強要した生徒たちは、飛び降りて怪我をした件の生徒を見下ろして笑っていたという。なんという冷酷さか!

 先生たちは肩パンチが数回あったと認識していた。数回あったと聞けば、それは氷山の一角であって、もっと頻繁に肩パンチが行われていたと思わなかったのか?! 教育者として熱心さに欠けていると言わざるを得ない。教師は件の生徒が学期末まで登校していなかったことを少しもおかしいと感じなかったというのは異常である。この問題は、大津の事件が告訴され事件となって捜査が進んできた段階で先週金曜日公表初めて、学校側は公表した。類が自分たちに及ぶと恐れたのであろうが、件の飛び降りて大けがをした生徒の保護者は告訴した。草加のこの中学校にも警察の捜査が及ぶことになるだろう。
 
 他人の不幸を見て笑う。その上、他人が身体的に痛みを受けていることを見て笑う。このような心理は何処から生じるのだろうか? 

 昨年、韓国で日本のチームが出場したサッカーの試合が行われた。その時、観客のスタンドから横断幕が広げられた。それには東日本大震災の被害、福島原発事故の被害を笑う言葉が書かれていた。確か「おめでとう」と書かれていた。日本側が抗議してその横断幕は取り払われた。良識ある韓国人は自国民のそのような行為に眉をひそめた。

 他人の不幸を見て笑う心理は、家庭教育、或いは学校教育、或いは社会教育が悪いから生じるものなのだろうか? 或いは他に生物学なものないのだろうか? 

 性格や知能は遺伝する。そのことが遺伝子の研究でわかってきている。ただ、それだけでは人間の全てがきまるわけではなく、その後の教育が大きく関わっていることは確かである。「坊主憎ければ袈裟まで憎い」、という諺があるように、人間は社会的な現象に左右される。いじめが警察沙汰になり、政府が真剣にこの問題と取り組むようになると、いじめは無くなるかもしれない。しかし、個人的、社会的あるいは国際的とを問わず、「いじめ」について遺伝学を含む生物学な原因がないのかどうか学問的研究を行うことも必要ではないのだろうか? 人間の根本的な本能に起因するものがあり、それをコントロールする遺伝的な仕組みがあるはずである。そのような研究を深めることによって人間はさらに進歩することができるのではないだろうか?

2012年7月23日月曜日


人の一生は宇宙から見れば一瞬にも満たない(日韓問題を考える手がかり)(20120723)

 わが太陽系は天の川銀河の端っこの方にある。その太陽系の中のわが地球から約3万光年の彼方にちりやガスに覆われた最大級の巨大星団が発見されたという。その質量は太陽の10万倍以上でブラックホールの母体の可能性があるという。天の川銀河の年齢は約129億年であるという。この我々の天の川銀河の近傍にアンドロメダ銀河があり、この銀河は秒速約122kmの速さでわれわれの天の川銀河に接近して、約約40億年後には衝突するという。衝突してもこの地球がアンドロメダ星雲中の星とぶっつかる可能性は低いらしい。しかし我々の地球は太陽の膨張によりあと数10 億年ほどで生物が住めなくなると言われているから天の川銀河とアンドロメダ銀河が衝突する前に人類は宇宙の何処かに移住しているだろう。


人の一生はそのような宇宙から見れば一瞬にも満たない。我々現生人類(ホモ・サピエンス)が誕生したのは約20万年前のことであり、誕生した場所はアフリカの大地溝帯である。人類の祖先は一人の母親又は一組の夫婦であり、そのホモサピエンスの親又はその親、または数代以前がまたホモサピエンスであったかもしれない。しかし最初の一人又は一組の夫婦の親はホモサピエンスでなかった。

ホモ・サピエンスは14万年前アフリカの大地溝帯を出ては瞬く間に地球上の各地に拡散した。世界中のホモ・サピエンスの共通の母は35人であると言われる。この日本列島にも北から西から南からやってきて、それが混血し日本の縄文人になった。日本人の祖先の母親は9人いたと言われる。

母親が9人もいた縄文人の遺伝子は非常に多様であった。ミトコンドリア遺伝子のタイプでM7aは日本列島のほか、朝鮮那部と沿海州に少し分布している。一方Y染色体遺伝子のD2型は朝鮮半島南部に散見されているほかは日本列島にしか存在していない。このD型はシナ(中国)大陸や朝鮮半島には存在せず、D1型・D3型がチベットやビルマに分布しているだけである。また、C1型は日本列島だけにしか存在していない。

2800年前から3000年前に、長江流域から海を渡り、あるいは黄海南部から朝鮮南半島南部を経由して九州にやってきた渡来系弥生人は、圧倒的多数の縄文人と混血し古墳時代の日本人となった。長江流域からやって来た人々は水稲・漁労の技術をもっていた。当時長江流域に黄河文明よりも1000年古い文明が花開いており、人々の形質の特徴は、面長・長身・のっぺり顔であった。(関連:201255日土曜日『発掘された人骨から復元した原日本人の顔立ち(20120505)』)

彼らはY染色体O亜型の集団であると言われている。この人々は約9000年前、華中・長江流域では水稲農耕を行っていた。2800年から3000年前、気候の寒冷化の影響で、華北から狩猟・畑作の民であった漢族が南下してきて、長江流域で水稲農耕を行っていたY染色体O3亜型の集団が住む地域に侵略してきた。漢族の圧迫を受けたY染色体O亜型の集団はシナ(中国)南部やその南の山岳地帯、今の雲南省や台湾などに追いやられた。

その中でY染色体O2bの集団の一部は、山東半島を経由して朝鮮半島南部から九州に、或いは長江流域から直接九州に家族単位で移動し、先住の縄文人と混血していった 弥生時代、九州や西日本に水稲農耕技術を伝えたのは、このO2b型集団であった。彼らが渡来系弥生人であり、先住の圧倒的多数の縄文人と混血した人々が、いわゆる「倭人」である。倭人は九州・西日本に住んでいたが、朝鮮南部にも住んでいた。

長江流域に北方から漢族がやってきて長江流域のO亜型集団の人びとを圧迫した。長江流域のO亜型集団の人びとは山岳地や雲南省などに逃れ、また渡来系弥生人のように直接海を渡り、或いは北上して山東半島から黄海をわたり朝鮮半島南部を経由して北九州までやってきた。朝鮮半島南部にやって来たY染色体遺伝子O2bの集団の一部は朝鮮半島南部に残った。そういう意味では朝鮮半島に住んでいる人々は、遺伝子の面で日本人と共通の部分がある。しかし朝鮮半島の人びとの遺伝子には殆どないミトコンドリア遺伝子M7aと、朝鮮半島の人びとには殆どないY染色体遺伝子D2及びC1が日本人にはある。

今、日本と韓国の間にはわだかまりが多い。勿論、シナ(中国)やロシアを意識した協調の気持ちもある。一部の「歴史が好きな」大物政治家などのように、或いは東大の歴史学者たちのように日韓同祖論を展開したい人々がいる一方で、従軍慰安婦像や日本海呼称や日本固有文化乗っ取りのことで気分を悪くしている人々も多い。天皇家の祖先は我々と同様、圧倒的多数の、しかし遺伝子が多様な縄文人と渡来系弥生人が混血して元々日本に住んでいた人びとであって、決して韓国人ではない。日韓同祖などあり得ない。日韓両国の将来のためにはならない不毛な話は、遺伝子の調査結果に基づく新たな知見をもとに無くしてしまわなければならぬ。

人類の営みの歴史が何万年とか何千年とか言っても、宇宙からみればほんの一瞬にも満たない時間の長さである。まして人の一生はさらに短い。ちっぽけな話でいがみ合うのは馬鹿らしいことである。

 

2012年7月22日日曜日


国名が「中国」なのか「チャイナ(China)」なのか(20120722)

 日本人の殆ど多くは国際的呼称である「チャイナ(China)」を「中国」と呼び、シナ(中国)人自身は、自らを「中華」の国、「中国」と誇り高く呼んでいる。そしてことあるごとにシナ(中国)人は、日本の上にわざわざ「小」をつけて「小日本」とか「小日本人」とか言って、自ら溜飲を下げている。それほど日本を意識し、先の大東亜解放戦争で自国に日本軍が足を踏み入れたことを癪の種にしている。もとはと言えばそれほど誇り高い民族の国土が近代において欧米露白人国家に侵略され、それを解放するため日本が立ち上がり、結果的に日本の力で自主独立を勝ち得たことを、彼らは自らの力のみで自主独立を勝ち得たとしたいためである。さもないと古来「中華」思想で凝り固まっている民族性ゆえ我慢がならないからである。

 古来、「中華の国」と自ら呼ぶシナの各王朝は、日本を「東夷」と呼びながらも、日本に朝貢させることはできなかった。朝鮮半島の国々はシナの王朝に朝貢した。シナの王朝に朝貢していた琉球(沖縄)は、元々九州以北の日本本土から渡来してきた人々が住みついていた島々である。薩摩が琉球に軍を進めて以降、琉球はシナ(中国)の王朝に朝貢しつつも、実質的に薩摩の支配下にあった。薩摩は琉球に侵攻したのではなく、もともと日本人が住んでいる島々を、薩摩がシナ(中国)との関係を断ち切らせ、薩摩の支配下に取り戻しただけのことである。

日本が正統な手続きで領有している尖閣列島について、シナ(中国)及び台湾が領有権を主張し始めたのは昭和43年(1968年)以降のことである。尖閣諸島付近の海底調査の結果、大量の石油や天然ガスなどが埋蔵されている可能性が確認されて以降、彼らは急にその領有権を主張し始めたのである。

 台湾とて、太平洋解放戦争終結以前は、日本が正統に領有していた島である。何が何でも日本の力を削ぎたかったアメリカが主導する東京裁判において、日本が「侵略国」扱いされてしまった結果、中華の国の人々、つまり華人の国であるとされてしまったのである。その台湾では大東亜解放戦争後シナ(中国)大陸から移り住んだ人々によって、元々台湾に住んでいた人びとが数多く虐殺されている。

 シナ(中国)は、周辺諸国を朝貢させ権益を確保したいと考えている。彼らが勝手に引いた第一列島線上に奄美・沖縄・八重山各列島がある。これらの列島をふくむその内側に、彼らは「核心的利益」があるとしている。その利益確保のため彼らは共産党綱領でそれらの占領を意図し、占領後の臨時憲法まで定めている。そういうシナ(中国)を、彼らの望むように「中国」と言っていることに、殆ど多くの日本人は違和感を覚えていない。

2012年7月21日土曜日


大津中学校いじめ自殺を契機に社会的問題について考える (20120721)

 いじめを受けて自殺する子供たちが増えている。遺された親たちは悲嘆にくれている。加害者は罪の意識を持っていない場合が多い。喧嘩なのか、悪ふざけなのか、ゲームなのか、いじめなのか、区別がつかないようである。大津市の中学校では女子中学生が担任に「トイレで〇〇君がいじめられている」と二度も通報したが、担任は単なる喧嘩だとして取り上げなかったという。

 担任の教師は「喧嘩なら人のいる前で堂々とやれ」と何故言わなかったのか?昔は取っ組み合いの喧嘩でも殴り合いの喧嘩でも皆の前でやったものである。衆目を気にして陰で陰湿にやるのは喧嘩でなくて、いじめである。今時の教師は何故そのような簡単なことが理解できないのか! そういう喧嘩ならば、大けがをするような大事に至らぬ前に誰かが止めに入り、双方の言い分を聞いて喧嘩両成敗となるものである。

 子供の喧嘩は警察の事案ではない。第一そのようなことのため警察官に働いてもらうのは国費の無駄である。勿論、喧嘩により死傷事件が発生した場合は別である。恐喝などは喧嘩ではなく正にいじめである。いじめは決して正々堂々とは行われない。人の目の届かないところでやるのがいじめである。ゆえにいじめは犯罪である。悪ふざけも人目のつかないところでやるならば明らかにいじめである。人目につくところで行われた悪ふざけでも、一方的に悪ふざけされている場合はいじめである。一方的であるものはすべていじめである。

 近ごろ男らしい教師が少なくなったからいじめが起きるのではないか? 大津の中学校の新任校長は、いじめ問題が表面化してその対応に神経をすりへらしてしまったためか、山中で首つり自殺をしてしまった。男はストレスが起きた時、そのストレスの原因となる問題を解決するため必死で行動するものである。その時内向的になれば負けである。外に向かい闘争的に行動すれば勝ちである。件の校長は戦う気力を失い、負けてしまったのではないか? うるさいマスコミや、保護者達と「それではあなたたちがやってみろ!わしは最善と確信していることを渾身の力を込めてやっているのだ。何か文句があるかッ!」と声を荒げ戦えば良かった。可哀そうである。戦後生まれで受けた教育が悪かったから、男子としての威厳をもつことができないような社会の中で苦しんだに違いない。

信教の自由と称して国旗や国歌に敬意を表しない教師がいるからいじめが起きるのではないか? 国家のことよりもいわゆる「市民」のことに自分の生きがいを見出そうとする教師は、男らしい男子生徒、女らしい女子生徒を育てることができるような根本的な資質に欠けているのである。彼らは男子生徒を「さむらい」に、女子生徒を「やまとなでしこ」に育てようなどという気持ちは毛頭ないであろう。彼らは中性の陰湿な人間を育てる連中である。日教組の中核となって連中も戦後生まれで、おかしな平等・公平主義と権威主義の思想を持つ連中である。彼らも戦後教育の影響を受けていて、ある種の社会的な被害者かもしれないが、いじめ環境を作り、或いはいじめ環境に注意を払わない加害者でもある。

誰も真正面から直視しようとしない「道徳的な性の抑圧」は、本当は最も重大な潜在的な社会問題ではないだろうか? 実はそこにいじめ問題の根本原因が潜んでいるのではないだろうか? 剣道日本一で男らしいと思われていた警察官が、こともあろうに何故未成年の女子の裸の写真をメールで送らせたりしたのだろうか? 大津の中学校のいじめ自殺者はオナニーも強要されたという。性に関する男と女の思考や生理の違いや、そのことにより生じている社会的問題について、決してタブー視することなく国を上げて研究し、議論し、最も合理的な問題の解決方法を見つけ出すべきではないだろうか? 売春禁止法は性に関する社会的問題を解決できただろうか? 

 戦後、日本は男らしい国ではなくなってしまった。「アメリカ旦那の妾日本」のような国になってしまった。TPPの問題だって、そういう状態だから「アメリカ旦那」のお情けにすがることしかないような状況である。もし、日本がフランスのように自ら開発した戦闘機を保有し、核武装もしているならば、もし、日本がドイツのように軍隊を持ち、国際平和のため戦闘機部隊を派遣することもしているならば、日本はアメリカの最も友好的な国であると同時に、アメリカの言いなりには決してならないだろう。尖閣の問題でシナ(中国)にいいようにさせないだろう。

 多数の外国人力士を入れながら、相撲は日本の国技としてその伝統を守り続けている。天皇皇后両陛下・皇太子殿下妃殿下・秋篠宮殿下・妃殿下は日本の古式・伝統の中心として国事を行って下さっている。今に見ろ! 今いろいろな社会的問題・安全保障的問題等が起きているが、日本は今隠忍自重して力を蓄えている最中である。今に必ず日本は立ち上がる。先の大東亜解放戦争で戦死された方々の御霊は、今の20代、30代の日本人に期待している。魂は永遠である。「東方の光」の陽はまた昇る! そう期待したい。

2012年7月20日金曜日


反国家的な動きをする公務員や教職員の祖先は?(20120720)

 首都圏直下型地震災害を想定した陸上自衛隊の訓練が行われた。東京都が被災した場合の自衛隊と自治体の共同訓練の様子がテレビ報道されたが、自衛隊員が徒歩で区役所まで移動し、中に入ろうとするのを区役所職員ら多数が遮って、「帰れ」の怒号を飛ばしていた。阪神・淡路大震災で現民主党議員で某氏は被災者に「自衛隊の援護は受けないように」と言ったそうである。こういった公務員や国会議員らは、国家観が全く欠如した輩である。こういう輩は、尖閣諸島は日本のものではない、とシナ(中国)が言えば、「そのとおり」とうなずく輩である。

 こういう輩がいることについて、一つの大きな原因は大東亜解放戦争後の教育で、国民は国家観について全く教えられなかったのみならず、「戦前日本は侵略戦争をした」「日本は悪いことをした」と教え込まれたことにある。そういいことを積極的に教えこんだ輩は、なぜそうまでして自分たちの祖国日本を蔑むのだろうか?

 もしかして、彼らの先祖に日本国に恨みをもつ人がいたのではないだろうか?彼らの体内に流れる血がそうさせるのではないだろうか? 彼らが親から受け継いだ遺伝子の中にそういった反国家的要素が含まれているのではないだろうか? 人の性格や知能は遺伝することが判っている。人の性格は生まれつき変わることはないが、その行動は教育によって変わってくる。しかし教育によって変わってきた行動でも、なにかの環境や刺激により、日ごろ抑え込んでいたものが無意識のうちに現れる。

 反国家的な活動を行う公務員や教職員たちは、個人に帰れば皆柔和で良い人たちばかりであろう。ところが彼らは労働組合とか教職員組合に入っている。そうするとそこでいろいろ洗脳を受ける。日ごろ「これは正しいことではない」と考えていても、何かの環境と刺激によって日ごろ抑え込んでいた行動を起こす。自衛隊員たちを阻止した東京都職員の中にはそういう人たちもいたであろう。

 先祖にいろいろな出自を持つ人たちも、日本国籍を有する日本人である以上、その国民的団結の中心にあらせられる天皇の存在を有り難く思うべきである。日本と言う世界に類をみない国体がなくなれば、そういった人たちやその子孫は決して幸せになれないであろう。因果応報である。それにしても現状では首都圏大災害が起きて自分たちも被害を被ったり、尖閣がシナ(中国)に占領されたりしたとき、多くの日本人は自分たちの国家観が希薄であったことに初めて気付くことになるのであろうか? その時ではもう遅い。戦後GHQの圧力を受けて衆参両院議決で廃止された教育勅語を復活させるべく、衆参両院で再議決を行い、一日でも早くそれを復活させるべきである

2012年7月19日木曜日


原発公聴会は「市民」を標榜する反国家的組織に好都合である(20120719)

将来の原発の比率などをどうするか国民に意見を聞く聴取会が行われている。この公聴会において発言を希望する者は一般応募者のなかから無作為抽出で発言者を選ばれることになっている。ところが仙台や名古屋など行われた公聴会で東北電力の幹部や中部電力の社員が意見を述べたことから、「やらせではないか」といった批判の声が上がっている。

将来原発への依存度として、国が示した「0%」「15%」「2025%」の3つの案に対し、各三人づつ9人の代表が抽選で選ばれて、それぞれ意見を述べる仕組みであるが、依存度が高い方に賛成するグループに電力会社の社員が入っていて、しかも仙台では東北電力の幹部社員が電力会社の立場から発言したため公聴会場は一時騒然となった。

大江健三郎氏をリーダーとする原発反対運動の組織が、連日のようにデモ活動を行っている。そういう組織からも公聴会で「0%」に賛成する意見を表明する人を出していることは十分想像できる。一方で電力会社が「2025%」に賛成する意見を表明する人を出していることも明らかになった事実である。

今回公聴会では予め国が識者・専門家たちの意見を集約して、国民に対して上記三つの案を示した。そしてそれぞれの案に対して国民から広く意見を求めることにして公聴会が各地で行われている。そういう中で、「0%」に賛成する側が一般大衆で、「2025%」に賛成する側が電力会社であるという構図になってしまっている。これはちょっとおかしい。その一般大衆側の代表が大江健三郎氏をリーダーとする原発反対運動の組織の息がかかった人物であるかどうかはなかなか判断できないが、職業が電力会社社員など原子力に関わっている人物であるかどうかは容易に判断できる。

実はここに「市民」を標榜する組織が一般大衆に対して自分たちの考え方を広めようとする道具が提供されている一方で、原発の是非について一般大衆にはなかなか理解できないような考え方は伝わりにくいという問題が潜んでいる。この公聴会はツイッターなどを利用する「市民」組織にとって好都合である一方で、原発を残す必要性について一般大衆の理解を得るには非常に不十分な場である。

一般に「市民」を標榜する組織は国家観が乏しい。この組織は一般大衆受けする身近な暮らしのみに目を向けている。原発はモンスターのようなもので、その扱い方が難しいが、核兵器を持たない日本にとって「核兵器を持とうとすればいつでもできる」という実力を周辺国に見せつける道具でもある。もし、日本がドイツのように将来原発を完全廃止するというならば、日本はドイツのように先ずは憲法を改正し、軍隊を持たなければならない。

2012年7月18日水曜日


地獄極楽は、ほとんどこの世に有り(20120718)

 諾楽(なら)(奈良)の右京の薬師寺の沙門(しゃもん)景戒(きょうかい)が録(しる)した『日本国現報善悪霊異記』(通称『日本霊異記』)には、因果応報のいろいろな話が書かれている。僧景戒は奈良時代後期から平安時代初期にかけて生きていた人である。景戒は紀伊地方の豪族の郡司階層の出で、家柄は大伴氏であるという説や、渡来系の氏族の後裔ではないかという説などがある。彼は仏教僧であり、妻子がいた。その子孫は今いるだろうか?

 この本、新潮日本古典集成『日本霊異記』(小泉 校注)に“景戒は、人間の善・悪の行為について、これは即(そく)現世の身の上に善・悪の結果をもたらすものだという、<現報善悪>の因果の理の実在を確信している。そこで、それを例証する話として、唐土の『冥報記(みょうほうき)』『般若験記(はんにゃげんき)(金剛般若経集験記)』からではなく、「自土」すなわち<日本国>の「奇事」を集録した。それを人々に示して、これを規範にして善行を勧(すす)め、共に極楽往生しようと繰り返し呼びかけている。そうした「奇紀」すなわち<霊異の記>を内容とする、唱導教化のための実例集である”とある。

 どうしても子供が欲しい夫婦がいて、夫の精子を他の女性の子宮内に注入して受精させ、その女性が生んだ子を自分たちの嫡子にしたことが、その夫婦の生涯を通じて観た場合、必ずしも良い結果をもたらさないという実際の例がある。また最近ではどうしても女の子が欲しい母親が、男女産み分けができるタイ国にまででかけて生命の操作を受けているが、これも彼女たちの生涯を通じて、或いはその女の子の人生において、或いはその女の子が将来母親になって生んだ子供の人生において、果たして良い結果をもたらものだろうか?

また、理想主義者たちが、悠久の歴史があるこの日本国の国体を危うくするような動きをしているが、日本国民が彼ら理想主義者たちの本性に目を向けず、彼らの主張に軽々しく同感し、国政選挙において彼らに投票した場合、この日本国の行く末がどうなるものか?因果応報は個々の人びとだけではなく、その人びとの集合体でも必ず顕われるだろう。先祖の墓を粗末に扱った家では不幸が起きているように、国の為命を捧げ、「靖国で会おう」と誓い合って最期を迎えた日本帝国陸海軍の兵士たちが眠る靖国神社を国家として大切に扱わないならば、日本国は必ずその報いを受けるであろう。

 因果応報はこの世において起こるだけではなく、来世においても必ず起きるものである。仏教は人間が人生をどう生きるべきかという「人間の学」であるだけではなく、前世・現世・来世の三世を通じた因果応報を説く「宗教」である。『日本霊異記』は古代の人びとに物事の真実を実例を示して教え・導くための本であるが、もし現代日本霊異記なるものが出版されるとしたら、その資料とする実例に事欠かないであろう。