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2010年7月14日水曜日

ブッダ『感興のことば』を学ぶ(116) (20100714)

選挙は自民党が大勝し、民主党は大敗し、昨年自民党から離党した渡辺氏が立ち上げた「みんなの党」が大躍進した。衆参ねじれ状態が起こり、少数与党となりこの9月までの間に政界の再編が起きる可能性がある。衆議院解散もあり得る。庶民宰相菅氏は精一杯頑張ったが所詮庶民の出、幼少から大政治家になるための訓練を受けていなかったから仕方ない。明治維新も下士・郷士階級の者たちが成し遂げたが、そのバックには優れた藩主たちや、上士がいた。藩主たちや上士たちには何世代にもわたり培われたある種の素質があった。今後の日本の為、そのような‘体外遺伝的’な要素を大事にして育成された人材が必要である。庶民は所詮庶民でしかないのだ。

さて、昨日に続き発見したノートに書かれていた詩を今日(13日)もここに書く。日付は2/5/90とあるから90年2月5日に作ったものである。

題『夕刻の風景』

1 

パートタイムの 会社から

仕事を終えて 帰るとき

スーパーマーケットに 立ち寄って

夕餉の品を 買い求め

疲れた足を 引きづって

狭い道路に 車避け

ものの思いに ふけりつつ

とぼとぼ遠い 家路ゆく



ひたいに苦労の しわの数

子供は 中2校1か

夫は 通勤会社員

早朝深夜の 働き蜂

妻も苦労に 耐えている

夢は子供の 先のこと

夢で今の 苦労耐え

両手に重い 荷物下げ

とぼとぼ遠い 家路ゆく



夫は知るまい その苦労

子らも知るまい その苦労

時には夫に いじめられ

子らにも良くは 思われず

泣いてわが身を 慰める



夫よ時には あの妻を

子らよ時には あの母を

やさしくいたわり なぐさめよ

いたわりこそは 何よりも

大きな力と なることを

夫よ子らよ 知るべきだ

互いに労り いたわって

いたわり合いさえ するならば

家庭は平和 笑顔満ち

未来に 幸せ一杯が

あふれてくるに 違いない





寒風が吹く 夕刻に

首を伸ばして バスを待つ

妻の姿が そこにある

母の姿が そこにある

バスが早く 来ないかな

帰れば夕餉の 支度する

主婦の仕事が 待っている

妻は休む 暇もなし

母は休む 暇もなし

夫よ時には 思えよや

働かねばならぬ 妻のこと

子らよ時には 思えよや

働かねばならぬ 母のこと

いたわり労り いたわって

その苦労を 慰めよ



ブッダ「感興のことば」第33章は「バラモン」である。バラモンは古代インドで最上級の階層の人たちであった。

19 怒ることなく、つつしみあり、戒律を奉じ、博学であって、身をととのえ、最後の身体に達した人、かれをわれは(バラモン)とよぶ。

2010年7月13日火曜日

ブッダ『感興のことば』を学ぶ(115) (20100713)

 書棚に1冊のノートがあった。その中に次の詩が書かれていた。作詞の日付は12/9/89とある。男が現役のころ書いた詩である。決して出来の良いものではなく、公開も大変恥ずかしいものである。しかし、一人の、ごく普通の人間が 57歳のとき作ったものである。

 反古にすればきっと後悔すると思うので、ここに遺しておく。子にとって母は偉大である。わが子に対して真実・無私の愛情を注ぎ込むその本性に、すべての男は頭が下がる。

 昨今、そのような本性を失った母が散見される。そのような母に生まれた子は可哀そうである。橋の欄干から川に投げ込まれた女の子、10日間以上もトイレに缶詰めにされろくに食べ物も与えられずにいた男の子、義父や実の母に父が違う妹と差別され虐待され、学校に相談したがろくに話も聞いてもらえず絶望的になって罪を犯した少女、などなど可哀そうな子供たちが毎日のように報道されている。今の世の中は何処かおかしい。

 この詩は男のそういう思いを少しでも多くの人々に伝えたくて公開する。



   題『母(妻)への讃歌』



まだ 胎児であった お前の肉体が

母の 子宮に あった時

母は お前の鼓動を感じて

限りない 幸福感に 満たされていた



お前の「精神」の 宿主である お前の「肉体」は

母の「肉体」を 痛めつけて この世に 生れ出た

その時 母の「精神」は 

歯を食いしばって その苦痛に耐え

お前を この世に産み出した



母の「精神」は

お前の この世における 第一声を聞いて和み

そして 暫くの間 休息をとった

それから お前を 育て上げるための 苦闘が始まった



まだ言葉を話せない お前との間の 意思疎通 それは

お前の表情 お前の泣き声 お前の仕草

その 一つ一つから 

母は お前の 希望を 読み取った



その 愛に満ちた この母の 顔を 見よ

それは 母にしか 出来ない ことだ



母は お前を 育て上げるため

全てを 打ち込んだ

あらゆる 仕打ち

あらゆる 苦難に 耐えながら



そして ようやく お前は 成人した

母の 人生の 一区切りがついた

母は 独りで 納得した

「全てが 終わった

これで 私の役目は 終わった

これでよいのだ」――と

誰からも 慰められることもなく

誰からも 称賛されることもなく



全ての 子等よ

全ての 夫等よ



独りぼっちの母を

子育ての終わった妻を

いたわれ



その気持ちが 

母への 妻への 最大の 贈り物だ



母は 妻は やがて年老いて

この世を 去ってゆく



ブッダ「感興のことば」第32章「修行僧」最終番

82  戒めをたもっている人は修行僧であり、空を体現している人は瞑想者であり、専念している人はヨーガ行者であり、ときほごされてやすらぎに帰しているところに安楽がある。


83 修行僧はこのように楽しむことと楽しまないこととに堪え、情欲の煩悩の潜勢力を取り出して除きつつ・・・・・。

2010年3月25日木曜日

ブッダ『感興のことば』を学ぶ(5) (20100325)

今の政治を見ていてふと思った。執着心の強いある人が、その執着心のためにある政党を創建し、その党勢を拡大させるが、やがて人々の信頼を失い、国を危険にさらす。国の為という大義を掲げ、実は自分のために行動をしている。人々は象徴天皇を敬愛しつつ、真に国のことを考えてくれる政党の出現を願っている。次の選挙でその意思を示すだろう。
朝起きて、そのようなことを考えながら次の詩を作った。題して『誠』

何か問題が起きたときは、原点に立ち戻り
考え直せばよい。
原点に立ち戻るには、執着を断てばよい。

執着を断つには、自分自身が無の気持ちになればよい。
無の気持ちになるには、誰を頼るのでもなく、
自分自身だけを頼りにすればよい。

自らを危険に近づけるのは、君子の道ではない。
自ら危険に近づくのは、それに執着があるためである。

自らに危険が迫れば、まずそれを避ければよい。
避けようとしないのは、執着があるからである。

どうしても危険を避けることが出来なければ、
死を覚悟で戦えばよい。
戦い仮令死すとも、その名は残る。

昨日、書店でNewtonの『知りたい! 遺伝のしくみ』と『細胞のすべて』という2冊の図書を買ってきた。結構値段がするものである。しかし、放送大学で「分子生物学」などを勉強するため参考にしたいと思ったので買った。
これを読んでいて遺伝の怖さが分かった。人の外見はもとより能力、性格、病気などは遺伝の影響がある。人の個性は遺伝子だけでは決まるのではなく、環境が密接に影響しているというが、それは、ある意味で‘安心’をしたいためであると思う。

24 悪い行いをした人々は地獄におもむき、善い行いをした人々は善いところ(=)に生まれるであろう。しかし他の人々はこの世で道を修して、汚れを去り、安らぎに入るであろう。