地縁・血縁 (20100819)
男はこのたび自分が子供の頃過ごした土地に昔から住んでいる親戚の家々を尋ね、子供のころ可愛がってくれた3人の叔母たちの墓参りなどをした。初盆だった従兄の家も訪れ、その従兄の親族たちにも会った。実に半世紀近い歳月を経て、従兄弟たちの家々に上がり、仏壇に向かって合掌し、長年の不義理を詫び、一族の行く末を見守ってくれるよう祈った。男は一族の未来の幸せのため、また今生の幸せのため、自分が中心となって先祖の地に地縁・血縁関係を再構築しなければならないと改めて強くそう思った。
一人の従弟からは男の先祖が祀られている土地の地域の地図(タウンマップ)を貰った。その地図はその地域の企業群がスポンサーとなった昭和50年ごろ作成されたものである。その地図は男が子供の頃は見渡す限り一面田園風景であった地域が住宅地に変わった後の様子が良く分かる。その地図には個々の家とその持ち主の名字が書かれている。男が子供のころ住んだ屋敷は結構広かったことが分かる。そこには他界した叔父の一族が住んでいて、男の先祖の祭祀を行ってくれている。しかしその従弟二人には男子の子供がいない。
初盆であった従兄の家にはお参りしたあと大事にしていたパナマ帽子を忘れて宿に帰っていた。その晩、竹馬の友一人が男と是非一献酌み交わしたいということで、街中のちょっとした料亭で9時近くまでいろいろ語り合った。その友を家まで送るついでにタクシーを走らせ従兄の家を再訪した。
夜9時を過ぎていたが、従兄の家の仏間と座敷を連ねたところに従兄の親族が大勢集まっていてにぎやかに飲食していた。男は昼初盆にお参りしたあとその家を去る時、何か後ろ髪を引かれる思いがあったが、帽子を忘れたのはそのためかとも思う。他界した叔母が男の手を引きとめたのだと思う。
男は仏壇に手を合わせ、並みいる親族の皆さんに初対面の挨拶をし、少しだけ飲食しながら語り合った。昼会えなかった従妹が来ていた。従兄とともに三人一緒に写真に写った。男のデジカメのシャッターを押してくれたのは従兄の息子の一人である。その息子はビルマで戦死した父親の写真によく似ている。
その写真を小さくしたものが靖国神社を鳥瞰した大写しの写真の中にもはめ込まれている。軍帽をかぶり正装し、勲章を二つ胸につけた立派な姿である。従兄の父親は陸軍伍長だった。35歳で戦死している。従兄がまだ子供のときであった。叔母は何度も靖国神社に参っている。この3ヶ月前96歳で没し、今あの世で夫に会うことができ、ようやく夫との平和な暮らしを取り戻すことができていることだろう。
炎暑の最中、方々の親族の家を回り、非常に密度の濃い帰省旅行を終えてわが家に帰りつた翌日、子供のころ会った記憶がない従弟から初めて電話があった。その従弟は男のもう一人の叔父の息子である。男がわが家の由緒書を書きあげ手紙を添えてその従弟に送っていた。その従弟は自分の先祖を祀ろうと墓所を移し終え、仏壇の購入を準備していた13日にそれが届き、なにか不思議な縁を感じると、大変喜んでくれている。男も嬉しくなった。
2010年8月19日木曜日
2010年8月18日水曜日
仏教と科学の接点を考える(終) (20100818)
「同調性」が勝っている性格とそうでない性格、「うつ傾向」が勝っている性格とそうでない性格は、遺伝的に同じでも生後の独自の環境次第で違うと言うことである。
ここで「自尊感情」とは、自分の気持ちを大切に思う気持ちや自身の強さのことである。「権威主義的伝統主義」とは、権威に服従したり保守的であろうとする態度である。
一方「論理的推論能力」や「言語性知能」や「空間性知能」や「学業成績」は約70%が遺伝によるものである。しかし、「言語性知能」ではその55%が特に親や周囲の指導如何により影響を受けるものである。つまり、生まれつきその知能が高くても、親や周囲の指導如何によりその知能を発揮できないのである。また「権威主義的伝統主義」についても約15%が同様である。
これらは約30%が遺伝以外の要素、つまり本人独自の環境によるものである。
このことはこれらの要素は家庭環境の影響をあまり受けないということを意味する。例えば親が子供に過大な期待をし、本人が嫌がるのに無理やり塾通いをさせ、なんとかそこそこの大学入試に合格したとしても、よい結果は得られないとうことである。
このように、本人の性格や精神状態や能力は遺伝学的な影響と社会学的な影響によるものである。先祖や親や血縁的親族の「あの世」が、その本人の「この世」に現れるという遺伝学的影響だけではなく、血縁・非血縁的家族や親族や関係者の「この世」が本人をしてその家族や親族や関係者の「あの世」となって現われるという社会学的な影響があるのである。この場合、「この世」と「あの世」の時差は様々である。諺に言う「子は自分の鏡」「反面教師」などはその例である。
このように「この世」から「あの世」への時間や方向はいろいろである。因果応報の関係には現代科学ではまだ解明できていない‘ある何か’も作用しているかもしれない。その‘ある何か’はそう遠くない将来必ず解明されることを期待したい。
お釈迦様は「施し」について①お金や財物による施し、②人間の正しい生き方に関する仏教の教えを人々に説明する施し、③暖かい清い心で人々に優しくし、安心感を与える施しの三つがあることを説かれた。資産がなく、学問が無くても優しい心でただにこにこ笑顔でいるだけでも立派な施しであるということを説かれた。
お金がなく生活に困っている人がお金を借りに来たら、その人に返済を期待せずお金を貸してあげる行為は①の「お金や財物」による施しである。その上さらに 仏教の教えを話して聞かせ、「本当に困った時はまた相談に来なさい」と言ってやれば、それは最高の施しである。そのようにした家は信用・信頼の徳が積み重なり、ますます栄え、そのようにしなかった人の家は栄えない。過去。そのような事例は沢山ある。
このように「あの世」は確実に存在している。ただ、現代の科学ではまだそれが証明できないだけである。8月15日の終戦記念日、日本国政府として靖国神社に参拝しないのは間違っている。男の従兄や友人の父親はビルマで戦死している。その御霊は靖国神社にある。
「同調性」が勝っている性格とそうでない性格、「うつ傾向」が勝っている性格とそうでない性格は、遺伝的に同じでも生後の独自の環境次第で違うと言うことである。
ここで「自尊感情」とは、自分の気持ちを大切に思う気持ちや自身の強さのことである。「権威主義的伝統主義」とは、権威に服従したり保守的であろうとする態度である。
一方「論理的推論能力」や「言語性知能」や「空間性知能」や「学業成績」は約70%が遺伝によるものである。しかし、「言語性知能」ではその55%が特に親や周囲の指導如何により影響を受けるものである。つまり、生まれつきその知能が高くても、親や周囲の指導如何によりその知能を発揮できないのである。また「権威主義的伝統主義」についても約15%が同様である。
これらは約30%が遺伝以外の要素、つまり本人独自の環境によるものである。
このことはこれらの要素は家庭環境の影響をあまり受けないということを意味する。例えば親が子供に過大な期待をし、本人が嫌がるのに無理やり塾通いをさせ、なんとかそこそこの大学入試に合格したとしても、よい結果は得られないとうことである。
このように、本人の性格や精神状態や能力は遺伝学的な影響と社会学的な影響によるものである。先祖や親や血縁的親族の「あの世」が、その本人の「この世」に現れるという遺伝学的影響だけではなく、血縁・非血縁的家族や親族や関係者の「この世」が本人をしてその家族や親族や関係者の「あの世」となって現われるという社会学的な影響があるのである。この場合、「この世」と「あの世」の時差は様々である。諺に言う「子は自分の鏡」「反面教師」などはその例である。
このように「この世」から「あの世」への時間や方向はいろいろである。因果応報の関係には現代科学ではまだ解明できていない‘ある何か’も作用しているかもしれない。その‘ある何か’はそう遠くない将来必ず解明されることを期待したい。
お釈迦様は「施し」について①お金や財物による施し、②人間の正しい生き方に関する仏教の教えを人々に説明する施し、③暖かい清い心で人々に優しくし、安心感を与える施しの三つがあることを説かれた。資産がなく、学問が無くても優しい心でただにこにこ笑顔でいるだけでも立派な施しであるということを説かれた。
お金がなく生活に困っている人がお金を借りに来たら、その人に返済を期待せずお金を貸してあげる行為は①の「お金や財物」による施しである。その上さらに 仏教の教えを話して聞かせ、「本当に困った時はまた相談に来なさい」と言ってやれば、それは最高の施しである。そのようにした家は信用・信頼の徳が積み重なり、ますます栄え、そのようにしなかった人の家は栄えない。過去。そのような事例は沢山ある。
このように「あの世」は確実に存在している。ただ、現代の科学ではまだそれが証明できないだけである。8月15日の終戦記念日、日本国政府として靖国神社に参拝しないのは間違っている。男の従兄や友人の父親はビルマで戦死している。その御霊は靖国神社にある。
2010年8月17日火曜日
仏教と科学の接点を考える(続き) (20100817)
お釈迦様が今から約2500年前に説かれた「‘この世’の行いの良し悪しの結果が‘あの世’に現れる」という趣旨のことは、遺伝学的にも社会学的にも証明されると考える。しかし悪行を為したが子孫を遺さない者はどうか、という議論は当然あるであろう。
子孫を遺していない悪者でも彼の悪行の影響はその家族や親族や関係者に及ぶ。そのような影響を受けた家族や親族や関係者はその悪者のためこころ穏やかであることができない。このようにしてその悪者の「あの世」は遺伝学的な血縁関係の有無に拘わらず、彼の家族や親族や関係者の「この世」に現れるのである。
遺伝学的な血縁関係に無くても、社会的な関係がその悪者のとの間にあり、因果応報の関係を免れることはできない。この場合、その遺伝学的に血縁関係のない家族や親族や関係者は、自らが‘原因’を為して、その悪者の行為に大なり小なり加担している。この場合その遺伝学的に血縁関係のない家族や親族や関係者は、「この世」で彼の悪行に大なり小なり加担し、或いはその加担する原因となる要素をそれらの者の親や先祖の「この世」から遺伝情報として受け継いでいることが原因となって、その‘大なり小なりの加担’が生じ、それら家族や親族や関係者の「あの世」である今、こころの平安が奪われている。
このように「この世」と「あの世」は時系列的に「この世」から「あの世」に向かうが、それは遺伝学的なものや社会学的なものに関わっている。その関わりには全て「因縁」がある。凡夫はその因縁は予め避けようとしても自ら避けることはできないものである。故に日々修行し、執着を離れ、ニルヴァーナに近づくようにお釈迦様は説いておられるのである。仏教は、執着の原因が何であるか、その執着を離れるにはどうしたらよいかという真の理屈を教えるものである。
現代の科学は、遺伝について次のことを明らかにした。‘次のこと’と言っても学者でもない者がその全部を完璧にできるわけがない。故にこれはその中の針の先のようなごく限られた一部である。それについて以下のとおりである。(参考文献:『Newton別冊「知りたい!遺伝のしくみ」』)
例えば人の「自尊感情」とか「権威主義的伝統主義」という性格は遺伝によるものが約30%であり、残り70%はその本人の独自の環境の影響によるものである。その環境の中には勿論本人の家族や親族や関係者が大なり小なり影響を与える。
「開拓性」や「勤勉性」は50%が遺伝によるものである。「うつ傾向」は40%が遺伝によるものである。残りは本人の独自の環境によってその性格の現れ方が異なっている。このことは本人の家庭環境や社会環境が良ければその良い性格を大いに発揮できるようになるが、そうでない場合は折角その遺伝的要素が大きくても性格としては現れないことになることを意味する。われわれ日本人の開拓性に富む勤勉な国民気質は、生来のものである。
「同調性」については約35%、「うつ傾向」については約40%が遺伝による。しかしこれも本人の独自の環境次第でその性格の現れ方が異なってくる。
お釈迦様が今から約2500年前に説かれた「‘この世’の行いの良し悪しの結果が‘あの世’に現れる」という趣旨のことは、遺伝学的にも社会学的にも証明されると考える。しかし悪行を為したが子孫を遺さない者はどうか、という議論は当然あるであろう。
子孫を遺していない悪者でも彼の悪行の影響はその家族や親族や関係者に及ぶ。そのような影響を受けた家族や親族や関係者はその悪者のためこころ穏やかであることができない。このようにしてその悪者の「あの世」は遺伝学的な血縁関係の有無に拘わらず、彼の家族や親族や関係者の「この世」に現れるのである。
遺伝学的な血縁関係に無くても、社会的な関係がその悪者のとの間にあり、因果応報の関係を免れることはできない。この場合、その遺伝学的に血縁関係のない家族や親族や関係者は、自らが‘原因’を為して、その悪者の行為に大なり小なり加担している。この場合その遺伝学的に血縁関係のない家族や親族や関係者は、「この世」で彼の悪行に大なり小なり加担し、或いはその加担する原因となる要素をそれらの者の親や先祖の「この世」から遺伝情報として受け継いでいることが原因となって、その‘大なり小なりの加担’が生じ、それら家族や親族や関係者の「あの世」である今、こころの平安が奪われている。
このように「この世」と「あの世」は時系列的に「この世」から「あの世」に向かうが、それは遺伝学的なものや社会学的なものに関わっている。その関わりには全て「因縁」がある。凡夫はその因縁は予め避けようとしても自ら避けることはできないものである。故に日々修行し、執着を離れ、ニルヴァーナに近づくようにお釈迦様は説いておられるのである。仏教は、執着の原因が何であるか、その執着を離れるにはどうしたらよいかという真の理屈を教えるものである。
現代の科学は、遺伝について次のことを明らかにした。‘次のこと’と言っても学者でもない者がその全部を完璧にできるわけがない。故にこれはその中の針の先のようなごく限られた一部である。それについて以下のとおりである。(参考文献:『Newton別冊「知りたい!遺伝のしくみ」』)
例えば人の「自尊感情」とか「権威主義的伝統主義」という性格は遺伝によるものが約30%であり、残り70%はその本人の独自の環境の影響によるものである。その環境の中には勿論本人の家族や親族や関係者が大なり小なり影響を与える。
「開拓性」や「勤勉性」は50%が遺伝によるものである。「うつ傾向」は40%が遺伝によるものである。残りは本人の独自の環境によってその性格の現れ方が異なっている。このことは本人の家庭環境や社会環境が良ければその良い性格を大いに発揮できるようになるが、そうでない場合は折角その遺伝的要素が大きくても性格としては現れないことになることを意味する。われわれ日本人の開拓性に富む勤勉な国民気質は、生来のものである。
「同調性」については約35%、「うつ傾向」については約40%が遺伝による。しかしこれも本人の独自の環境次第でその性格の現れ方が異なってくる。
2010年8月16日月曜日
仏教と科学の接点を考える(続き) (20100816)
ハーバード大学の理論物理学者リサ・ランドール博士は、核分裂実験の過程で偶然、一部の素粒子が突然消失するのを発見した。博士は、素粒子が突然消失したのは素粒子が5次元空間に飛んで行ったためであるという仮説を立てた。
博士は弱い力である重力に注目して、重力が弱いのは我々を取り巻く4次元世界が5次元世界の中に取り込まれているためだという。
博士によると我々の4次元の世界は5次元の世界からみると薄い膜のようなものであるという。そして4次元と5次元の間には重力が行き来しており、4次元の世界は何もわれわれだけの世界ではなく、他にも薄い膜のような4次元世界が存在しているはずであるという。もしかして「この世」の薄い膜も、時系列上の無数の「あの世」の薄い膜も、畳み込まれていてホログラムのようになっているのかもしれない。
われわれは4次元しか認識することができないから、われわれの世界の外側に別の世界、それは重力が行き来する5次元世界があると言われても、それを認識することができない。しかし5次元世界にもし‘ある何か’が存在しているとすれば、その‘ある何か’は確実に我々を認識しているに違いない。それはなぜかと言うと、3次元のわれわれが地面に描く2次元の模様を認識できるように、次元の高い世界に存在している‘ある何か’は、次元の低い世界に存在しているものを認識できるからである。
5次元世界が存在しているか否かについては理論物理学的な実験により説明できるとして、博士はスイスにある欧州原子核研究機構(CERN)の素粒子衝突型加速器(LHC)による実験に期待を寄せている。しかし博士の理論が正しいとしてもこのLHCのエネルギーでは極小ブラックホールは生じず、余剰次元は検出されないだろうと言われている。
このLHCは大変危険であるとして訴訟が起こされているので、LHCのエネルギーをこれ上げるようにすることは非常に難しいだろう。
CERNのLHCは事故つづきであったが昨年11月20日に稼働を再開した。人類はそう遠くない将来、訴訟や事故の恐怖などあらゆる困難を克服して、きっと余剰次元を検出することができるようになるであろう。そのとき人類は初めて‘神’を見ることになるだろう。
もし、5次元世界が存在していて我々の4次元世界を包みこんでいるとすれば、我々が日常経験する不思議なことが何故起きるのか、説明がつくようになるであろう。「あの世」は我々の人生における行為や経験の蓄積の結果、5次元の世界に存在する‘ある何か’が遺伝子に作用して造られるものかもしれない。
もし知能や性格や気質などに関係する遺伝子が5次元に存在する‘ある何か’により作用を受けて、例えばDNAのメチル化などにより制御されて人の「あの世」を造るとすれば、仏教で説かれる因果応報は100%正しいことになる。
我々は余りにも真のことを知らなすぎる。「‘自分が知らない’ということ‘知る’」ということが最も大切である。科学的に証明されない事柄は、‘自分が知らない’事柄である。
ハーバード大学の理論物理学者リサ・ランドール博士は、核分裂実験の過程で偶然、一部の素粒子が突然消失するのを発見した。博士は、素粒子が突然消失したのは素粒子が5次元空間に飛んで行ったためであるという仮説を立てた。
博士は弱い力である重力に注目して、重力が弱いのは我々を取り巻く4次元世界が5次元世界の中に取り込まれているためだという。
博士によると我々の4次元の世界は5次元の世界からみると薄い膜のようなものであるという。そして4次元と5次元の間には重力が行き来しており、4次元の世界は何もわれわれだけの世界ではなく、他にも薄い膜のような4次元世界が存在しているはずであるという。もしかして「この世」の薄い膜も、時系列上の無数の「あの世」の薄い膜も、畳み込まれていてホログラムのようになっているのかもしれない。
われわれは4次元しか認識することができないから、われわれの世界の外側に別の世界、それは重力が行き来する5次元世界があると言われても、それを認識することができない。しかし5次元世界にもし‘ある何か’が存在しているとすれば、その‘ある何か’は確実に我々を認識しているに違いない。それはなぜかと言うと、3次元のわれわれが地面に描く2次元の模様を認識できるように、次元の高い世界に存在している‘ある何か’は、次元の低い世界に存在しているものを認識できるからである。
5次元世界が存在しているか否かについては理論物理学的な実験により説明できるとして、博士はスイスにある欧州原子核研究機構(CERN)の素粒子衝突型加速器(LHC)による実験に期待を寄せている。しかし博士の理論が正しいとしてもこのLHCのエネルギーでは極小ブラックホールは生じず、余剰次元は検出されないだろうと言われている。
このLHCは大変危険であるとして訴訟が起こされているので、LHCのエネルギーをこれ上げるようにすることは非常に難しいだろう。
CERNのLHCは事故つづきであったが昨年11月20日に稼働を再開した。人類はそう遠くない将来、訴訟や事故の恐怖などあらゆる困難を克服して、きっと余剰次元を検出することができるようになるであろう。そのとき人類は初めて‘神’を見ることになるだろう。
もし、5次元世界が存在していて我々の4次元世界を包みこんでいるとすれば、我々が日常経験する不思議なことが何故起きるのか、説明がつくようになるであろう。「あの世」は我々の人生における行為や経験の蓄積の結果、5次元の世界に存在する‘ある何か’が遺伝子に作用して造られるものかもしれない。
もし知能や性格や気質などに関係する遺伝子が5次元に存在する‘ある何か’により作用を受けて、例えばDNAのメチル化などにより制御されて人の「あの世」を造るとすれば、仏教で説かれる因果応報は100%正しいことになる。
我々は余りにも真のことを知らなすぎる。「‘自分が知らない’ということ‘知る’」ということが最も大切である。科学的に証明されない事柄は、‘自分が知らない’事柄である。
2010年8月15日日曜日
仏教と科学の接点を考える(続き) (20100815)
「人類は」というが、それは具体的にはスティーヴ・ベンナーやフロイド・ロームズバーグら科学者たちのことであるが、その「人類は」、既にDNA類似のものを創りだすことに成功している。しかもそのDNA類似のものは5世代まで複製を繰り返した。さらに人類はDNAがコードに使っている4種類の塩基・ATCG以外の化学塩基を使って通常の20種類のアミノ酸だけではなく、全く新しいアミノ酸を指定することができた。
僅か100分の1ミリの大きさの細胞の中の核の中には1個の総延長が数センチメートルのDNAの二重鎖が絡まないように滑車の形のようなヒストンというタンパク質に巻きついている。そのヒストン1個に巻きつくDNAの塩基対は146セット分である。DNAのひもは長いため1本のDNAには極めて大量のヒストンが使われている。DNAはヒストンによりすぐほどける形になって繊維状に連なっている。その繊維状のDNAが直径1000分の1ミリメートルの更に100分の1(10nm)ほどの核の中に46本収まっている。46本のDNAの長さを合計すると2メートルほどにもなる。そのようなDNAが収められている核の中の中央に核小体というものがあり、そこには主にタンパク質の合成装置であるリボソームの部品が集まっている。それには膜はない。
核は二重の膜に包まれていて、その膜には核内で組み立てられたRNAが核の外に出て行くための穴があちこちに開いている。核の中ではDNAの情報を読み取るRNAポリメラーゼという措置があって、二重らせんのDNA鎖を解きながらDNAの情報を読み取ってRNAにする。情報をDNA上のどこで読み取りを始めるのか、もし読み取りが間違った場合対策など細かい仕組みが核の中にはある。
核以外に細胞の中にはタンパク質を合成し、合成されたタンパク質を仕分けして細胞の外に送り届ける装置まで合成されたタンパク質を輸送する装置や、エネルギー装置などがある。そのような細胞が人体には60兆個もある。
この地球上に40億年もの昔、偶然に生まれた生命の素となるものが時を経て今日のような多種多様な生物群になった。その生物群の頂点にある人類は、遠い未来、地球上で生存できなくなる前に宇宙に脱出すべく、今盛んに宇宙開発が進められている。
その人類は、「過去世(前世)」や「未来世(来世)」の在ることを信じ、あるいは信じず、又はその「在る」ことを証明しようと試みている。
人類のDNAに書き込まれる情報はただ単に生物学的な遺伝だけであるのだろうか? 3次元の世界に住むわれわれには認識できない事柄によっても書き込まれるのだろうか?
科学者ではない耳学問の徒は、ふざけたことと思われるようなことを考えている。もし、科学は、「前世」とか「来世」というようなものは絶対に存在しないのだと証明できるとすれば、2500年前お釈迦さまが説かれた教えは、通用しなくなる。
その時は非常に多くの人々、お釈迦さまが教えるように「他を拠り所とせず、自分自身だけを拠り所として」人生を生きることが出来る人以外は、幸せは得られなくなるだろう。
「人類は」というが、それは具体的にはスティーヴ・ベンナーやフロイド・ロームズバーグら科学者たちのことであるが、その「人類は」、既にDNA類似のものを創りだすことに成功している。しかもそのDNA類似のものは5世代まで複製を繰り返した。さらに人類はDNAがコードに使っている4種類の塩基・ATCG以外の化学塩基を使って通常の20種類のアミノ酸だけではなく、全く新しいアミノ酸を指定することができた。
僅か100分の1ミリの大きさの細胞の中の核の中には1個の総延長が数センチメートルのDNAの二重鎖が絡まないように滑車の形のようなヒストンというタンパク質に巻きついている。そのヒストン1個に巻きつくDNAの塩基対は146セット分である。DNAのひもは長いため1本のDNAには極めて大量のヒストンが使われている。DNAはヒストンによりすぐほどける形になって繊維状に連なっている。その繊維状のDNAが直径1000分の1ミリメートルの更に100分の1(10nm)ほどの核の中に46本収まっている。46本のDNAの長さを合計すると2メートルほどにもなる。そのようなDNAが収められている核の中の中央に核小体というものがあり、そこには主にタンパク質の合成装置であるリボソームの部品が集まっている。それには膜はない。
核は二重の膜に包まれていて、その膜には核内で組み立てられたRNAが核の外に出て行くための穴があちこちに開いている。核の中ではDNAの情報を読み取るRNAポリメラーゼという措置があって、二重らせんのDNA鎖を解きながらDNAの情報を読み取ってRNAにする。情報をDNA上のどこで読み取りを始めるのか、もし読み取りが間違った場合対策など細かい仕組みが核の中にはある。
核以外に細胞の中にはタンパク質を合成し、合成されたタンパク質を仕分けして細胞の外に送り届ける装置まで合成されたタンパク質を輸送する装置や、エネルギー装置などがある。そのような細胞が人体には60兆個もある。
この地球上に40億年もの昔、偶然に生まれた生命の素となるものが時を経て今日のような多種多様な生物群になった。その生物群の頂点にある人類は、遠い未来、地球上で生存できなくなる前に宇宙に脱出すべく、今盛んに宇宙開発が進められている。
その人類は、「過去世(前世)」や「未来世(来世)」の在ることを信じ、あるいは信じず、又はその「在る」ことを証明しようと試みている。
人類のDNAに書き込まれる情報はただ単に生物学的な遺伝だけであるのだろうか? 3次元の世界に住むわれわれには認識できない事柄によっても書き込まれるのだろうか?
科学者ではない耳学問の徒は、ふざけたことと思われるようなことを考えている。もし、科学は、「前世」とか「来世」というようなものは絶対に存在しないのだと証明できるとすれば、2500年前お釈迦さまが説かれた教えは、通用しなくなる。
その時は非常に多くの人々、お釈迦さまが教えるように「他を拠り所とせず、自分自身だけを拠り所として」人生を生きることが出来る人以外は、幸せは得られなくなるだろう。
2010年8月14日土曜日
仏教と科学の接点を考える(続き) (20100814)
人は、どんなに幸せを求めて何かを行っても、結局は四苦八苦の「苦」から逃れることはできない。仮令、科学の力で愛する人の命を救ったとしても、その「苦」はつきまとう。ならば、どうすればよいのかということを釈尊は説いておられる。結局、究極の幸せは、釈尊の教えを学び、釈尊に一歩でも近づくように日々努力し、ものごとに、特に欲望からくるものごとにとらわれないように、「吾只足りることを知って」、執着を断ち、今を一生懸命に生き、死ぬ時は一生懸命に死ぬのが一番ではないか、と思う。
あの世でどうなるかを「信じる」こともせず、できず、この世で悪行を重ねる輩は、古の昔から減らない。もし、その悪行をその人にさせる根本原因が遺伝子にあるとすれば、この世の中では、善い行いも増えるだろうが、悪い行いも増えるのではなかろうか?何故なら現代社会では交通機関や情報通信が高度に発達し、人々の交流も増え、かつて婚姻関係は狭い地域内に集中していたであろうが、今ではその人の出自や親せきの状況など無関係に全国的に拡大してきている。そうすると良い遺伝子も悪い遺伝子も全国的に拡散する。そうするとごく普通の家庭で、家族の中に非常に優れた人も現れるが、非常に劣った人も現れる可能性がある。
人の性格や行動が遺伝子によるものであるかどうかは、学問的には、いまのところなんとなくそのようであるという程度のことであろうかと思う。しかし、哲学は、直感に基づき思索を深めるものである。楽しみながらあれこれ思索し、そのことを公に発表し、意見を頂く。そのようにして日々が過ぎ、わが肉体は何れの日にか土に還る。
ところで、人の言動はその人自身が決して気づかない奥底の心理、無意識によって左右される。ひとの集団の言動もそのような無意識の集合によるものである。
ユングの「集合的無意識」については、あくまで概念であり、実体として証明されているものではない。しかしそう遠くない将来、ヒトが生きてゆく社会環境やそのヒトの暮らし向きなどの影響により発動する原因となる遺伝子が次々見つかるようになれば、その概念は実体として証明されるようになるであろう。既に、MAOA(モノアミン酸化酵素A)というタンパク質を作る遺伝子の異常が、ヒトの攻撃的性格の原因となることがオランダの家系の調査で分かってきている。(引用:『Newton「知しりたい!遺伝のしくみ」』)
仏教では、ユングの心理学を先取りしたような説が、ユングよりも2千年以上も昔に仏教の哲理として確立し、今日まで伝えられてきている。
10日、日韓併合について首相談話が出された。その談話は日本人大多数の集合的無意識を代表するものではない。一方、菅総理があのような談話を出しても韓国民の日本人に対する集合的無意識がそう簡単に変わるものではない。
先般、日韓両国で双方の意識について世論考査が行われた。日本人の65%が韓国に好意を持っているのに対して、韓国人は27%の人しか日本に好意を持っていない。その状態は今後も変わらないだろう。韓国は竹島を占領し続けるだろう。DNAがそうさせるのである。
人は、どんなに幸せを求めて何かを行っても、結局は四苦八苦の「苦」から逃れることはできない。仮令、科学の力で愛する人の命を救ったとしても、その「苦」はつきまとう。ならば、どうすればよいのかということを釈尊は説いておられる。結局、究極の幸せは、釈尊の教えを学び、釈尊に一歩でも近づくように日々努力し、ものごとに、特に欲望からくるものごとにとらわれないように、「吾只足りることを知って」、執着を断ち、今を一生懸命に生き、死ぬ時は一生懸命に死ぬのが一番ではないか、と思う。
あの世でどうなるかを「信じる」こともせず、できず、この世で悪行を重ねる輩は、古の昔から減らない。もし、その悪行をその人にさせる根本原因が遺伝子にあるとすれば、この世の中では、善い行いも増えるだろうが、悪い行いも増えるのではなかろうか?何故なら現代社会では交通機関や情報通信が高度に発達し、人々の交流も増え、かつて婚姻関係は狭い地域内に集中していたであろうが、今ではその人の出自や親せきの状況など無関係に全国的に拡大してきている。そうすると良い遺伝子も悪い遺伝子も全国的に拡散する。そうするとごく普通の家庭で、家族の中に非常に優れた人も現れるが、非常に劣った人も現れる可能性がある。
人の性格や行動が遺伝子によるものであるかどうかは、学問的には、いまのところなんとなくそのようであるという程度のことであろうかと思う。しかし、哲学は、直感に基づき思索を深めるものである。楽しみながらあれこれ思索し、そのことを公に発表し、意見を頂く。そのようにして日々が過ぎ、わが肉体は何れの日にか土に還る。
ところで、人の言動はその人自身が決して気づかない奥底の心理、無意識によって左右される。ひとの集団の言動もそのような無意識の集合によるものである。
ユングの「集合的無意識」については、あくまで概念であり、実体として証明されているものではない。しかしそう遠くない将来、ヒトが生きてゆく社会環境やそのヒトの暮らし向きなどの影響により発動する原因となる遺伝子が次々見つかるようになれば、その概念は実体として証明されるようになるであろう。既に、MAOA(モノアミン酸化酵素A)というタンパク質を作る遺伝子の異常が、ヒトの攻撃的性格の原因となることがオランダの家系の調査で分かってきている。(引用:『Newton「知しりたい!遺伝のしくみ」』)
仏教では、ユングの心理学を先取りしたような説が、ユングよりも2千年以上も昔に仏教の哲理として確立し、今日まで伝えられてきている。
10日、日韓併合について首相談話が出された。その談話は日本人大多数の集合的無意識を代表するものではない。一方、菅総理があのような談話を出しても韓国民の日本人に対する集合的無意識がそう簡単に変わるものではない。
先般、日韓両国で双方の意識について世論考査が行われた。日本人の65%が韓国に好意を持っているのに対して、韓国人は27%の人しか日本に好意を持っていない。その状態は今後も変わらないだろう。韓国は竹島を占領し続けるだろう。DNAがそうさせるのである。
2010年8月13日金曜日
仏教と科学の接点を考える(続き) (20100813)
幹細胞を利用して、豚で人間の肝臓を造ることが試みられている。既に種の違うラットの体内でマウスの肝臓を造ることは成功している。近い将来、その手法は実際に人間に適用されるようになることは間違いない。クローン人間を造ることも、老化で衰えた皮膚を若い皮膚に造り変えることも可能である。細胞のアポトーシスを抑制する物質が発見され、動物実験で成功すれば、人間の寿命が延びることになる。
このようにして人造人間が簡単にできるようになる時代は、そう遠くない時期に到来するだろう。価値観が違う国々がある世界で、倫理上の問題を共通的に解決することは非常に困難であると思われる。
そのような近未来社会において、仏教はどのような役割を果たし得るだろうか?これは、非常に重いテーマである。しかし、そのような近未来社会においても、人々の生老病死の四苦、怨憎会苦、愛別離苦、求不得苦、五取蘊苦(四苦と怨憎会苦、愛別離苦、求不得苦の三つ、合計七つの苦を概括した苦のこと)の合計八苦、つまり四苦八苦は解消されない。医療技術が発達し、一時的な幸せを感じても、それが永久に続くものではない。
仏教の役割は依然として残る。すべての人々が「前世」とか「あの世」を肯定的に考えるようになれば、人々は幸せになり、この世は平和になる。そのためには、科学がそれらの存在を証明できるようになる必要がある。
前述‘人造人間’について男のブログの記事を読んだ人からご意見を頂いた。第一点は、総合体である丸ごとの人間はまさしく科学(分ける学)の成果の寄せ集めでは総合体にたどりつかない、ということである。第二点は、科学が「前世」とか「あの世」の存在を証明できるとは思えない、ということである。
男もそう思っている。遺伝子的には、約半数ほどのアメリカ人の性格がわれわれ日本人と異なっているようであり、アメリカ人は新しいことに挑戦するという好奇心が旺盛な人々が多く、わらわれ日本人は殆どが内気であるという。その遺伝子というのはDRD4遺伝子というのだそうで、その繰り返し回数の比較においてアメリカ人は約半数が7回、日本人は殆どが4回というのである。
そのアメリカ人ならば、ブッダ(釈尊)が繰り返し語っている「過去世」とか「未来世」について、科学的に究明しようと考えるかもしれない。多分、実際に究明しようとしている科学者もいるかもしれない。
ただし、釈尊ご自身は、そのようなものが「ある」とか「ない」とか議論することは、禁じておられる。禁じておられながらもご自身はそのことを語っておられる。例えば、『感興のことば』(中村元著『ブッダの真理のことば感興のことば』(岩波文庫)では、第1章の26に「この世においては、過去にいた者どもでも、未来にあらわれる者どもでも、一切の生き者は身体を捨てて逝くであろう。智ある人は、一切を捨て去ることを知って、真理に安住して、清らかな行いをなすべきである。」と語っておられる。
幹細胞を利用して、豚で人間の肝臓を造ることが試みられている。既に種の違うラットの体内でマウスの肝臓を造ることは成功している。近い将来、その手法は実際に人間に適用されるようになることは間違いない。クローン人間を造ることも、老化で衰えた皮膚を若い皮膚に造り変えることも可能である。細胞のアポトーシスを抑制する物質が発見され、動物実験で成功すれば、人間の寿命が延びることになる。
このようにして人造人間が簡単にできるようになる時代は、そう遠くない時期に到来するだろう。価値観が違う国々がある世界で、倫理上の問題を共通的に解決することは非常に困難であると思われる。
そのような近未来社会において、仏教はどのような役割を果たし得るだろうか?これは、非常に重いテーマである。しかし、そのような近未来社会においても、人々の生老病死の四苦、怨憎会苦、愛別離苦、求不得苦、五取蘊苦(四苦と怨憎会苦、愛別離苦、求不得苦の三つ、合計七つの苦を概括した苦のこと)の合計八苦、つまり四苦八苦は解消されない。医療技術が発達し、一時的な幸せを感じても、それが永久に続くものではない。
仏教の役割は依然として残る。すべての人々が「前世」とか「あの世」を肯定的に考えるようになれば、人々は幸せになり、この世は平和になる。そのためには、科学がそれらの存在を証明できるようになる必要がある。
前述‘人造人間’について男のブログの記事を読んだ人からご意見を頂いた。第一点は、総合体である丸ごとの人間はまさしく科学(分ける学)の成果の寄せ集めでは総合体にたどりつかない、ということである。第二点は、科学が「前世」とか「あの世」の存在を証明できるとは思えない、ということである。
男もそう思っている。遺伝子的には、約半数ほどのアメリカ人の性格がわれわれ日本人と異なっているようであり、アメリカ人は新しいことに挑戦するという好奇心が旺盛な人々が多く、わらわれ日本人は殆どが内気であるという。その遺伝子というのはDRD4遺伝子というのだそうで、その繰り返し回数の比較においてアメリカ人は約半数が7回、日本人は殆どが4回というのである。
そのアメリカ人ならば、ブッダ(釈尊)が繰り返し語っている「過去世」とか「未来世」について、科学的に究明しようと考えるかもしれない。多分、実際に究明しようとしている科学者もいるかもしれない。
ただし、釈尊ご自身は、そのようなものが「ある」とか「ない」とか議論することは、禁じておられる。禁じておられながらもご自身はそのことを語っておられる。例えば、『感興のことば』(中村元著『ブッダの真理のことば感興のことば』(岩波文庫)では、第1章の26に「この世においては、過去にいた者どもでも、未来にあらわれる者どもでも、一切の生き者は身体を捨てて逝くであろう。智ある人は、一切を捨て去ることを知って、真理に安住して、清らかな行いをなすべきである。」と語っておられる。
2010年8月12日木曜日
仏教と科学の接点を考える (20100812)
お盆という言葉の由来はサンスクリット語の「ウラバンナ」にある。ウラバンナとは逆さ吊りにされて苦しんでいるという意味だそうである。
これは釈尊の高弟の一人が神通力で既に死んでいる自分の母親が地獄で苦しんでいるのを知って、釈尊に相談したら、釈尊は「お前の母親は生前物惜しみをして人々に施さなかったから、今地獄で苦しんでいるのだ。代わりにお前が施しをしなさい。」と教えた。その高弟は釈尊の言われるとおりに施しをした。するとその母親は地獄から解放されて極楽に行った。お盆はその話に由来する行事である。
仏教で施には次の三つがあるということである。施しは布施ともいう。①財施(ざいせ)、②法施(ほうせ)、③無畏施(むいせ)。財施とは金銭・財物などの経済的な施しを与えることであり、法施とは精神的な教法の施しを与えることであり、無畏施とは安心を与えることである。(出典:『仏教の基礎知識』水野弘元著、春秋社)
何も施せなくても笑顔で相手に安心感を与えることができる。それを‘和顔施’というそうである。人は誰でも施しができるのである。金がないからとて、物がないからとて、法を教える学識がないからとて、人には心で施すことができる。ところが一般に金持ちほど金を出し渋る。貧者の一灯は、貧乏人が手持ちの僅かな金を出すことである。
釈尊は神通力で人の前世や来世を見通すことができた。件の高弟もその神通力で死んだ自分の母親が苦しんでいる様子を見た。精神の活動は無限である。意識は遠い過去から遠い未来まで延伸させることができる。修業を積んだ人はその精神活動によって神通力を身に付け、人の前世や来世を見通すことができるようになるのではないかと思う。
人の前世や来世があることを科学的に証明できないかということが男の思索のテーマである。お盆の期間、男は仏教と科学の接点を考えることにしたいと思う。
この記事を書いているとき、テレビで保険金殺人のことが報道されている。暴力団員が一人のホームレス男性を一人の認知庄女性と結婚させ、両方とも殺し保険金を騙し取った。保険金殺人事件はこれまでよく起きている。
男はそのような悪人が「あの世」で地獄の苦しみを受けることや、殺された人が前世に何かの因縁を持っていることを科学的に証明できないかと考えている。
本人の意思を確認できなくても家族が同意すれば臓器移植ができるようになった。一方、免疫の型が全く同じ子供を体外受精の手法で造ることは既に実現している。そのようにして生れた子供は‘救世主兄弟’と呼ばれ、その子供の骨髄で免疫の型が全く同じ兄弟(又は姉妹)の白血病を治療することができる。白血病だけではなく、もしその‘救世主兄弟’が死んだ時、その臓器を生まれながらにして免疫型が合致する兄弟(又は姉妹)の病気の治療に利用される。
「あの世」は今現に生きている人の「この世」であるとすれば、今や、人が人の「あの世」を左右する時代になっている。「仏教と科学の接点」を考える上で難しい問題がある。
お盆という言葉の由来はサンスクリット語の「ウラバンナ」にある。ウラバンナとは逆さ吊りにされて苦しんでいるという意味だそうである。
これは釈尊の高弟の一人が神通力で既に死んでいる自分の母親が地獄で苦しんでいるのを知って、釈尊に相談したら、釈尊は「お前の母親は生前物惜しみをして人々に施さなかったから、今地獄で苦しんでいるのだ。代わりにお前が施しをしなさい。」と教えた。その高弟は釈尊の言われるとおりに施しをした。するとその母親は地獄から解放されて極楽に行った。お盆はその話に由来する行事である。
仏教で施には次の三つがあるということである。施しは布施ともいう。①財施(ざいせ)、②法施(ほうせ)、③無畏施(むいせ)。財施とは金銭・財物などの経済的な施しを与えることであり、法施とは精神的な教法の施しを与えることであり、無畏施とは安心を与えることである。(出典:『仏教の基礎知識』水野弘元著、春秋社)
何も施せなくても笑顔で相手に安心感を与えることができる。それを‘和顔施’というそうである。人は誰でも施しができるのである。金がないからとて、物がないからとて、法を教える学識がないからとて、人には心で施すことができる。ところが一般に金持ちほど金を出し渋る。貧者の一灯は、貧乏人が手持ちの僅かな金を出すことである。
釈尊は神通力で人の前世や来世を見通すことができた。件の高弟もその神通力で死んだ自分の母親が苦しんでいる様子を見た。精神の活動は無限である。意識は遠い過去から遠い未来まで延伸させることができる。修業を積んだ人はその精神活動によって神通力を身に付け、人の前世や来世を見通すことができるようになるのではないかと思う。
人の前世や来世があることを科学的に証明できないかということが男の思索のテーマである。お盆の期間、男は仏教と科学の接点を考えることにしたいと思う。
この記事を書いているとき、テレビで保険金殺人のことが報道されている。暴力団員が一人のホームレス男性を一人の認知庄女性と結婚させ、両方とも殺し保険金を騙し取った。保険金殺人事件はこれまでよく起きている。
男はそのような悪人が「あの世」で地獄の苦しみを受けることや、殺された人が前世に何かの因縁を持っていることを科学的に証明できないかと考えている。
本人の意思を確認できなくても家族が同意すれば臓器移植ができるようになった。一方、免疫の型が全く同じ子供を体外受精の手法で造ることは既に実現している。そのようにして生れた子供は‘救世主兄弟’と呼ばれ、その子供の骨髄で免疫の型が全く同じ兄弟(又は姉妹)の白血病を治療することができる。白血病だけではなく、もしその‘救世主兄弟’が死んだ時、その臓器を生まれながらにして免疫型が合致する兄弟(又は姉妹)の病気の治療に利用される。
「あの世」は今現に生きている人の「この世」であるとすれば、今や、人が人の「あの世」を左右する時代になっている。「仏教と科学の接点」を考える上で難しい問題がある。
2010年7月16日金曜日
ブッダ『感興のことば』を学ぶ(118) (20100716)
男も女房もそのニュースには胸張り裂ける思いである。5歳のその女の子が可哀そうで可哀そうでならない。しかしそのニュースに接した非常に多くの人々は「またか」と思い、可哀そうには思うが関心度は低いに違いない。否、今の世の中がそのような情の薄い世の中になってしまっているのだと思う。
そのニュースとは、福岡県の久留米市で母子家庭の34歳の母親が5歳になる自分の子供・女の子を折檻し、遂には首を絞めて殺してしまった、しかもその折檻は電気洗濯機にその女の子を入れ、蓋を閉め、スイッチを入れて回したことが何度かあったほど残酷なものであった。世に鬼畜以下のような母親がいて度々ニュースになっているが、この母親も同じである。社会学上大きなテーマとすべき問題である。
イギリス、ロンドン大学のカスピ博士たちは、MAMO(モノアミノ酸という神経伝達物質を酸化して、機能させなくなる酵素)の遺伝子のはたらきが高い人と低い人で、虐待経験によって犯罪などの反社会的行動を引き起こすようになる程度が異なることを示した。
この遺伝子のはたらきの低い人では虐待経験が多い場合反社会的行動を起こしやすいが、そのはたらきの高い人にはそのような影響はほとんどない。遺伝的に環境に敏感な人が特に虐待の影響を受けて反社会的行動に走ってしまう傾向がある。つまり、遺伝的要素より本人の環境による影響が大きいと言うのである。(参考:『Newton別冊「知りたい!遺伝子のしくみ」』)
カスピ博士らの考え方に基づけば、件の母親は家庭を守ってくれる主人も居ず、自暴自棄になってしまうような環境にいたためそのような残虐な行動をしたということであろう。しかし、男は反論する。確かに環境の影響は大きいことは間違いないが、それが問題の原因のすべてではないのである。そのような環境に件の母親がいるという原因は、その母親の親、親族、その他の関係者との間の‘因縁’によることが大きいと男は思う。カスピ博士らは仏教の知識がない人たちであると思うから、‘因縁’ということを知らないと思う。
この‘因縁’は、件の母親が自らの問題を最善の方法で解決する能力を持っていなかったという根本原因である。その女の親から受けた遺伝子、親からうけた精神的なもの、周囲の者との関係など様々な要素が原因となって、‘因縁’となっているのである。
この‘因縁’を断ち切るためには自らのあらゆる執着を捨て去ることができるよう、ブッダにすがるしかない。ブッダに帰依しようとしている人々は自分の周囲にもしそのような女がいる場合はその女に声をかけ、その女の苦悩をすこしでも和らげてやる努力をしなければならない。そのようにすることはブッダに帰依しようとしている人々自身を救う道でもある。かく言う男も女房も例外ではない。もしもしそのような女がいれば、男も女房も必ずなにかの声をかけている。特に男はそういう‘おせっかい’をしたがる人間である。
27 すでにこの世において、自分の苦しみの滅びるのを明らかに知っていて、情欲を離れ、とらわれることの無い人、かれをわれは(バラモン)という。
男も女房もそのニュースには胸張り裂ける思いである。5歳のその女の子が可哀そうで可哀そうでならない。しかしそのニュースに接した非常に多くの人々は「またか」と思い、可哀そうには思うが関心度は低いに違いない。否、今の世の中がそのような情の薄い世の中になってしまっているのだと思う。
そのニュースとは、福岡県の久留米市で母子家庭の34歳の母親が5歳になる自分の子供・女の子を折檻し、遂には首を絞めて殺してしまった、しかもその折檻は電気洗濯機にその女の子を入れ、蓋を閉め、スイッチを入れて回したことが何度かあったほど残酷なものであった。世に鬼畜以下のような母親がいて度々ニュースになっているが、この母親も同じである。社会学上大きなテーマとすべき問題である。
イギリス、ロンドン大学のカスピ博士たちは、MAMO(モノアミノ酸という神経伝達物質を酸化して、機能させなくなる酵素)の遺伝子のはたらきが高い人と低い人で、虐待経験によって犯罪などの反社会的行動を引き起こすようになる程度が異なることを示した。
この遺伝子のはたらきの低い人では虐待経験が多い場合反社会的行動を起こしやすいが、そのはたらきの高い人にはそのような影響はほとんどない。遺伝的に環境に敏感な人が特に虐待の影響を受けて反社会的行動に走ってしまう傾向がある。つまり、遺伝的要素より本人の環境による影響が大きいと言うのである。(参考:『Newton別冊「知りたい!遺伝子のしくみ」』)
カスピ博士らの考え方に基づけば、件の母親は家庭を守ってくれる主人も居ず、自暴自棄になってしまうような環境にいたためそのような残虐な行動をしたということであろう。しかし、男は反論する。確かに環境の影響は大きいことは間違いないが、それが問題の原因のすべてではないのである。そのような環境に件の母親がいるという原因は、その母親の親、親族、その他の関係者との間の‘因縁’によることが大きいと男は思う。カスピ博士らは仏教の知識がない人たちであると思うから、‘因縁’ということを知らないと思う。
この‘因縁’は、件の母親が自らの問題を最善の方法で解決する能力を持っていなかったという根本原因である。その女の親から受けた遺伝子、親からうけた精神的なもの、周囲の者との関係など様々な要素が原因となって、‘因縁’となっているのである。
この‘因縁’を断ち切るためには自らのあらゆる執着を捨て去ることができるよう、ブッダにすがるしかない。ブッダに帰依しようとしている人々は自分の周囲にもしそのような女がいる場合はその女に声をかけ、その女の苦悩をすこしでも和らげてやる努力をしなければならない。そのようにすることはブッダに帰依しようとしている人々自身を救う道でもある。かく言う男も女房も例外ではない。もしもしそのような女がいれば、男も女房も必ずなにかの声をかけている。特に男はそういう‘おせっかい’をしたがる人間である。
27 すでにこの世において、自分の苦しみの滅びるのを明らかに知っていて、情欲を離れ、とらわれることの無い人、かれをわれは(バラモン)という。
2010年7月15日木曜日
ブッダ『感興のことば』を学ぶ(117) (20100715)
男は「この世」と「あの世」について以下のように考えた。
お釈迦様が今から約2500年前に説かれた「‘この世’の行いの良し悪しの結果が‘あの世’に現れる」という趣旨のことは、遺伝学的にも社会学的にも証明されると考える。しかし悪行を為したが子孫を遺さない者はどうか、という議論は当然あるであろう。
子孫を遺していない悪者でも彼の悪行の影響はその家族や親族や関係者に及ぶ。そのような影響を受けた家族や親族や関係者はその悪者のためこころ穏やかであることができない。このようにしてその悪者の「あの世」は遺伝学的な血縁関係の有無に拘わらず、彼の家族や親族や関係者の「この世」に現れるのである。
遺伝学的な血縁関係に無くても、社会的な関係がその悪者のとの間にあり、因果応報の関係を免れることはできない。この場合、その遺伝学的に血縁関係のない家族や親族や関係者は、自らが‘原因’を為して、その悪者の行為に大なり小なり加担している。この場合その遺伝学的に血縁関係のない家族や親族や関係者は、「この世」で彼の悪行に大なり小なり加担し、或いはその加担する原因となる要素をそれらの者の親や先祖の「この世」から遺伝情報として受け継いでいることが原因となって、その‘大なり小なりの加担’が生じ、それら家族や親族や関係者の「あの世」である今、こころの平安が奪われている。
このように「この世」と「あの世」は時系列的に「この世」から「あの世」に向かうが、それは遺伝学的なものや社会学的なものに関わっている。その関わりには全て「因縁」がある。凡夫はその因縁は予め避けようとしても自ら避けることはできないものである。故に日々修行し、執着を離れ、ニルヴァーナに近づくようにお釈迦様は説いておられるのである。仏教は、執着の原因が何であるか、その執着を離れるにはどうしたらよいかという真の理屈を教えるものである。
現代の科学は、遺伝について次のことを明らかにした。‘次のこと’と言っても学者でもない男がその全部を完璧にできるわけがない。故にこれはその中の針の先のようなごく限られた一部である。それについて以下のとおりである。
例えば人の「自尊感情」とか「権威主義的伝統主義」という性格は遺伝によるものが約30%であり、残り70%はその本人の独自の環境の影響によるものである。その環境の中には勿論本人の家族や親族や関係者が大なり小なり影響を与えるがそれは少ないものである。
一方「言語性知能」とか「学業成績」は約70%が遺伝によるものである。しかし、「言語性知能」ではその55%が特に親や周囲の指導如何により影響を受けるものである。つまり、生まれつきその知能が高くても、親や周囲の指導如何によりその知能を発揮できないのである。また「権威主義的伝統主義」についても約15%が同様である。
男はブログ「現代の自然観と仏教」に上記の思索について書こうと思う。
21 来るものを喜ばず、去るものを悲しまず、執着から脱している、戦場の勝利者、かれをわれは(バラモン)と呼ぶ。
男は「この世」と「あの世」について以下のように考えた。
お釈迦様が今から約2500年前に説かれた「‘この世’の行いの良し悪しの結果が‘あの世’に現れる」という趣旨のことは、遺伝学的にも社会学的にも証明されると考える。しかし悪行を為したが子孫を遺さない者はどうか、という議論は当然あるであろう。
子孫を遺していない悪者でも彼の悪行の影響はその家族や親族や関係者に及ぶ。そのような影響を受けた家族や親族や関係者はその悪者のためこころ穏やかであることができない。このようにしてその悪者の「あの世」は遺伝学的な血縁関係の有無に拘わらず、彼の家族や親族や関係者の「この世」に現れるのである。
遺伝学的な血縁関係に無くても、社会的な関係がその悪者のとの間にあり、因果応報の関係を免れることはできない。この場合、その遺伝学的に血縁関係のない家族や親族や関係者は、自らが‘原因’を為して、その悪者の行為に大なり小なり加担している。この場合その遺伝学的に血縁関係のない家族や親族や関係者は、「この世」で彼の悪行に大なり小なり加担し、或いはその加担する原因となる要素をそれらの者の親や先祖の「この世」から遺伝情報として受け継いでいることが原因となって、その‘大なり小なりの加担’が生じ、それら家族や親族や関係者の「あの世」である今、こころの平安が奪われている。
このように「この世」と「あの世」は時系列的に「この世」から「あの世」に向かうが、それは遺伝学的なものや社会学的なものに関わっている。その関わりには全て「因縁」がある。凡夫はその因縁は予め避けようとしても自ら避けることはできないものである。故に日々修行し、執着を離れ、ニルヴァーナに近づくようにお釈迦様は説いておられるのである。仏教は、執着の原因が何であるか、その執着を離れるにはどうしたらよいかという真の理屈を教えるものである。
現代の科学は、遺伝について次のことを明らかにした。‘次のこと’と言っても学者でもない男がその全部を完璧にできるわけがない。故にこれはその中の針の先のようなごく限られた一部である。それについて以下のとおりである。
例えば人の「自尊感情」とか「権威主義的伝統主義」という性格は遺伝によるものが約30%であり、残り70%はその本人の独自の環境の影響によるものである。その環境の中には勿論本人の家族や親族や関係者が大なり小なり影響を与えるがそれは少ないものである。
一方「言語性知能」とか「学業成績」は約70%が遺伝によるものである。しかし、「言語性知能」ではその55%が特に親や周囲の指導如何により影響を受けるものである。つまり、生まれつきその知能が高くても、親や周囲の指導如何によりその知能を発揮できないのである。また「権威主義的伝統主義」についても約15%が同様である。
男はブログ「現代の自然観と仏教」に上記の思索について書こうと思う。
21 来るものを喜ばず、去るものを悲しまず、執着から脱している、戦場の勝利者、かれをわれは(バラモン)と呼ぶ。
2010年7月10日土曜日
ブッダ『感興のことば』を学ぶ(112) (20100710)
昨日(7日)午後遅く近くの川の周囲を散歩した。快晴で日差しは強いが割に爽やかである。川辺の茅が風に揺れている。名前は知らないが色とりどりの色々な花が風に揺れている。太陽が傾き影が長く伸びている。下の草地の広場で犬を連れた女性らが語り合っている。川面にボラが飛び跳ねている。男のように散歩を楽しんでいる者あり、軽いジョギングをしている者あり、皆それぞれリラックスしている。夕刻に近い午後の川辺の風景である。
男はこの風景を楽しみながら「人相」と「性格」や「知能」について、遺伝的なものや後天的なものとの関係について考え、それが子孫にどう伝わるのかなどあれこれ考えていた。そのうちに次の漢詩を小声で吟じていた。
そのようにして川辺を小1時間ほど歩いた。本当は自分も何か一つ詩を作る才能があれば良いのであるが、次の詩のような本当に素晴らしい詩は到底作ることはできない。その詩は高啓という人が作ったものである。『胡隠君を尋ぬ』と題する詩である。
水を渡り 復(また)水を渡り
花を看(み)還(また)花を看(み)る
春風江上の路(みち)
覚えず君が家に到(いた)る
というものである。
作者・高啓は明の時代(1369-1633年)(日本では室町時代から江戸初期)の詩人である。41歳のとき謀反の疑いの連座、一説には明の太祖の好色を風刺して太祖の怒りにふれた罪で腰折の刑に処せられている。残酷な処刑であった。
この詩は、春の暖かなある日、川の風景を眺めながら胡某という隠者を尋ねたときの作ったと言われる。まさしく男が今川の周りの路を歩きながら感じた風景のようである。
男は別に誰かを尋ねて歩いたわけではないが、自らなるべく隠遁の暮らしをし、何事にも関わらず自分の意の趣くままに日々を送ろうと思っているので、作者の気持ちと相通じるものを感じる。おのずから自分の顔をも穏やかな表情になっている。
人相と遺伝との関係はどうなのか、生後の人生の歩みの中で人相も変わるが、それが自分の遺伝子の中にどのように影響を与えるのか、人は何故生まれつき好運な人生を歩むことが約束されているような人がいる一方で、不幸な人生を歩むことを強いられているような人がいるのであろうか?人相には性格や知能や気質が表れていることは間違いない。性格や知能や気質などはすべて遺伝子に組み込まれている。同じDNAでも人によって発現の仕方が異なっている。人相はその人の「過去世」、つまり親やその親、そのまた親に遡る遺伝子の影響があることは間違いない。それがまた、その人の子孫に伝わるのである。つまり、「来世」に伝わるのである。4次元にいる人は自分の「前世」も「来世」も見えない。
34 この世は(変化して)異なったのとなる。この世の人々は迷いの生存に執着し、迷いの生存を楽しみ、つねに迷いの生存を喜び、迷いの生存からすっかり解脱することがない。
昨日(7日)午後遅く近くの川の周囲を散歩した。快晴で日差しは強いが割に爽やかである。川辺の茅が風に揺れている。名前は知らないが色とりどりの色々な花が風に揺れている。太陽が傾き影が長く伸びている。下の草地の広場で犬を連れた女性らが語り合っている。川面にボラが飛び跳ねている。男のように散歩を楽しんでいる者あり、軽いジョギングをしている者あり、皆それぞれリラックスしている。夕刻に近い午後の川辺の風景である。
男はこの風景を楽しみながら「人相」と「性格」や「知能」について、遺伝的なものや後天的なものとの関係について考え、それが子孫にどう伝わるのかなどあれこれ考えていた。そのうちに次の漢詩を小声で吟じていた。
そのようにして川辺を小1時間ほど歩いた。本当は自分も何か一つ詩を作る才能があれば良いのであるが、次の詩のような本当に素晴らしい詩は到底作ることはできない。その詩は高啓という人が作ったものである。『胡隠君を尋ぬ』と題する詩である。
水を渡り 復(また)水を渡り
花を看(み)還(また)花を看(み)る
春風江上の路(みち)
覚えず君が家に到(いた)る
というものである。
作者・高啓は明の時代(1369-1633年)(日本では室町時代から江戸初期)の詩人である。41歳のとき謀反の疑いの連座、一説には明の太祖の好色を風刺して太祖の怒りにふれた罪で腰折の刑に処せられている。残酷な処刑であった。
この詩は、春の暖かなある日、川の風景を眺めながら胡某という隠者を尋ねたときの作ったと言われる。まさしく男が今川の周りの路を歩きながら感じた風景のようである。
男は別に誰かを尋ねて歩いたわけではないが、自らなるべく隠遁の暮らしをし、何事にも関わらず自分の意の趣くままに日々を送ろうと思っているので、作者の気持ちと相通じるものを感じる。おのずから自分の顔をも穏やかな表情になっている。
人相と遺伝との関係はどうなのか、生後の人生の歩みの中で人相も変わるが、それが自分の遺伝子の中にどのように影響を与えるのか、人は何故生まれつき好運な人生を歩むことが約束されているような人がいる一方で、不幸な人生を歩むことを強いられているような人がいるのであろうか?人相には性格や知能や気質が表れていることは間違いない。性格や知能や気質などはすべて遺伝子に組み込まれている。同じDNAでも人によって発現の仕方が異なっている。人相はその人の「過去世」、つまり親やその親、そのまた親に遡る遺伝子の影響があることは間違いない。それがまた、その人の子孫に伝わるのである。つまり、「来世」に伝わるのである。4次元にいる人は自分の「前世」も「来世」も見えない。
34 この世は(変化して)異なったのとなる。この世の人々は迷いの生存に執着し、迷いの生存を楽しみ、つねに迷いの生存を喜び、迷いの生存からすっかり解脱することがない。
2010年7月9日金曜日
ブッダ『感興のことば』を学ぶ(111) (20100709)
男は自ら勝手に、自分自身が‘仏弟子’であると思い、およそ2500年前ブッダが語られたことを現代人の頭で理解できる方法を見つけようとしている。
ブッダは、端的に言えば「‘この世’の行いの結果が‘あの世’で現れる。だから‘この世’では修行して‘ニルヴァーナ’に近づくようにしなければならない。」と説いておられる。
悪い行いをする人たちは「あの世」など信じていない。今生きているこの世界でできるだけいい思いをしたいと願い、他者を傷つけ、他者を殺してまでして「この世」での利益を追い求めている。古来修行し、高度な学問を身に付けた先哲が話し、書きのこしたことを学ぼうとはせず、ものごとを自分勝手に解釈し、自分の言動を様々な理由をつけて正当化し、こころの安寧を得ようとしてかえって蟻地獄の深みにはまり、もがき苦しんでいる。
男は自らを‘仏弟子’と勝手に思いながらも、修行僧のように仏壇・仏像の前でお経をあげるでもなく、座禅するでもなく、世俗の垢にまみれ切った日々を送っている。しかし、そのうちごく短い期間でも何処かのお寺にお世話になって雲水の経験をしてみたいと思う。しかし最期まで男は世俗の垢にまみれたまま生を終えるだろう。というよりはそう望んでいる。男は世俗と縁を切ることはどうしてもできない。
さて、ハーバード大学の理論物理学者リサ・ランドール博士は、核分裂実験の過程で偶然、一部の素粒子が突然消失するのを発見した。博士は、素粒子が突然消失したのは、素粒子が5次元空間に飛んで行ったためであるという仮説を立てた。
博士によると我々の4次元の世界は5次元の世界からみると薄い膜のようなものであるという。そして4次元と5次元の間には重力が行き来しており、4次元の世界は何もわれわれだけの世界ではなく、他にも薄い膜のような4次元世界が存在しているはずであるという。もしかして「この世」の薄い膜も時系列の「あの世」の薄い膜も、畳み込まれていてホログラムのようになっているのかもしれない。
博士は仮説を理論物理学的に実証しようとして、スイスにある欧州原子核研究機構(CERN)の素粒子衝突型加速器(LHC)おける実験に期待している。しかし、このLHCはトラブル続きで昨年11月20日に稼働を再開したが、実験が危険であるという理由で訴訟が起こされており、また理論が正しいとしてもこのLHCのエネルギー程度では極小ブラックホールは生じず、余剰次元、5次元は検出されないだろうと言われている。
男は、人類はいずれそう遠くない将来必ず5次元の存在を実証するだろうと確信している。この実験に参加している東大など日本の各大学の若き研究者たちに大いに期待したい。日本の各大学はCERNのLHCでATLAS (A Toroidal LHC ApparatuS)という実験に参加している。その様子は「LHCアトラス実験おフィッシャルブログで公開されている。男はそのブログのページを随時開くことができるようにコンピュータを設定している。
30 この世で自分にとって苦しみの滅びてなくなることを明らかに知り、善い知慧のある人を、(つねに戒めをたもち汚れの無い人)と呼ぶ。
男は自ら勝手に、自分自身が‘仏弟子’であると思い、およそ2500年前ブッダが語られたことを現代人の頭で理解できる方法を見つけようとしている。
ブッダは、端的に言えば「‘この世’の行いの結果が‘あの世’で現れる。だから‘この世’では修行して‘ニルヴァーナ’に近づくようにしなければならない。」と説いておられる。
悪い行いをする人たちは「あの世」など信じていない。今生きているこの世界でできるだけいい思いをしたいと願い、他者を傷つけ、他者を殺してまでして「この世」での利益を追い求めている。古来修行し、高度な学問を身に付けた先哲が話し、書きのこしたことを学ぼうとはせず、ものごとを自分勝手に解釈し、自分の言動を様々な理由をつけて正当化し、こころの安寧を得ようとしてかえって蟻地獄の深みにはまり、もがき苦しんでいる。
男は自らを‘仏弟子’と勝手に思いながらも、修行僧のように仏壇・仏像の前でお経をあげるでもなく、座禅するでもなく、世俗の垢にまみれ切った日々を送っている。しかし、そのうちごく短い期間でも何処かのお寺にお世話になって雲水の経験をしてみたいと思う。しかし最期まで男は世俗の垢にまみれたまま生を終えるだろう。というよりはそう望んでいる。男は世俗と縁を切ることはどうしてもできない。
さて、ハーバード大学の理論物理学者リサ・ランドール博士は、核分裂実験の過程で偶然、一部の素粒子が突然消失するのを発見した。博士は、素粒子が突然消失したのは、素粒子が5次元空間に飛んで行ったためであるという仮説を立てた。
博士によると我々の4次元の世界は5次元の世界からみると薄い膜のようなものであるという。そして4次元と5次元の間には重力が行き来しており、4次元の世界は何もわれわれだけの世界ではなく、他にも薄い膜のような4次元世界が存在しているはずであるという。もしかして「この世」の薄い膜も時系列の「あの世」の薄い膜も、畳み込まれていてホログラムのようになっているのかもしれない。
博士は仮説を理論物理学的に実証しようとして、スイスにある欧州原子核研究機構(CERN)の素粒子衝突型加速器(LHC)おける実験に期待している。しかし、このLHCはトラブル続きで昨年11月20日に稼働を再開したが、実験が危険であるという理由で訴訟が起こされており、また理論が正しいとしてもこのLHCのエネルギー程度では極小ブラックホールは生じず、余剰次元、5次元は検出されないだろうと言われている。
男は、人類はいずれそう遠くない将来必ず5次元の存在を実証するだろうと確信している。この実験に参加している東大など日本の各大学の若き研究者たちに大いに期待したい。日本の各大学はCERNのLHCでATLAS (A Toroidal LHC ApparatuS)という実験に参加している。その様子は「LHCアトラス実験おフィッシャルブログで公開されている。男はそのブログのページを随時開くことができるようにコンピュータを設定している。
30 この世で自分にとって苦しみの滅びてなくなることを明らかに知り、善い知慧のある人を、(つねに戒めをたもち汚れの無い人)と呼ぶ。
2010年6月22日火曜日
ブッダ『感興のことば』を学ぶ(94) (20100622)
新聞の広告欄に次の本の広告が出ている。①『死後の真実』(E・キュープラー・ロス著、伊藤ちぐさ訳、阿部秀雄解説、日本教文社刊)、②『なぜ、脳は神を創ったか』(脳機能学者・カーネギーメロン大学博士苫米地英人著、フォレスト出版㈱刊)、③『宇宙人との対話』(大川隆法著、幸福の科学刊)
男は①の本について、以前書店でザーッと目を通したことがあったと思う。これは多分、「前世」や「来世」について催眠術などの方法で被験者に語らせるという‘科学的’な方法の‘研究’成果なのであろう。②の本は‘まゆつば’ものであろう。なんとなくうさんくさい。しかし興味がある。③の本について、男は「人を馬鹿にするな!」と怒っている。
今度の参議院選挙でも「幸福党」として候補者を出すようである。すでにその前哨戦が始まっている。巷の声に「幸福の科学」と「創価学会」とを混同したものがある。男は「創価学会」にもある種の嫌悪感があるが、「幸福の科学」に対しては「何が宗教だ!」と言いたい。そもそも宇宙人なんているはずがない。なんで‘信者’から金を巻き上げて得た大金をかけて、あのような大々的な広告を出すのだろうか?
昔も今も、人々は何かにすがり、何かを頼りにし、何かを拠りどころにしていたいと思うものである。そういう心理を‘宗教’は利用しようとする。②の本の著者・苫米地英人氏はベストセラー連発者で、オウム真理教の脱洗脳者でも有名であるという。男は彼がどういう論拠で「脳は神を創った」と言おうとしているのか、彼は伝統仏教をどう捉えているのであろうか知りたいと思っている。
男のブログで引用しているブッダの言葉にはしばしば「この世」とか「あの世」という言葉が出てくる。「因果応報」は「この世」のみなならず「あの世」にも及ぶとブッダは説いておられる。一般常識では「あの世」があることは哲学的に結論づけられるもので、科学的には結論づけることは不可能であるとされている。しかし男は生涯をかけて何とか科学的に「あの世」が存在することを証明したいと思っている。それは男が実感的に「あの世」が存在していることを固く信じているからである。
創価学会は伝統仏教の教義に則って、ブッダの教えを広めようとしている。しかし、「幸福の科学」の大川隆法氏は仏教徒ではない。仏門をくぐって仏教の修行をしたわけでもない。新聞に大見出しで出された広告には『「宇宙の法」入門』とか『エクソシスト入門』とか『太陽の法』が、不安で‘無知’な人々を惹きつけるようにアレンジされている。
最近東京都でポルノ漫画を巡って条例案が民主党の「反対のための反対」のため否決された。表向き「表現の自由」の権利の保障が否決の理由になっている。男は「何が表現の自由だ!」と怒りを覚える。「表現の自由」のため日本人の精神が蝕まれている。男は憲法を改正して社会不安をあおる‘説法’や‘表現’は規制されなければならないと思う。
7 道理を実践する人を、つねに道理が守る。道理をよく実践すると、幸せを受ける。道理をよく実践すると、このすぐれた利益がある。悪いところ(=地獄)におもむかない。
新聞の広告欄に次の本の広告が出ている。①『死後の真実』(E・キュープラー・ロス著、伊藤ちぐさ訳、阿部秀雄解説、日本教文社刊)、②『なぜ、脳は神を創ったか』(脳機能学者・カーネギーメロン大学博士苫米地英人著、フォレスト出版㈱刊)、③『宇宙人との対話』(大川隆法著、幸福の科学刊)
男は①の本について、以前書店でザーッと目を通したことがあったと思う。これは多分、「前世」や「来世」について催眠術などの方法で被験者に語らせるという‘科学的’な方法の‘研究’成果なのであろう。②の本は‘まゆつば’ものであろう。なんとなくうさんくさい。しかし興味がある。③の本について、男は「人を馬鹿にするな!」と怒っている。
今度の参議院選挙でも「幸福党」として候補者を出すようである。すでにその前哨戦が始まっている。巷の声に「幸福の科学」と「創価学会」とを混同したものがある。男は「創価学会」にもある種の嫌悪感があるが、「幸福の科学」に対しては「何が宗教だ!」と言いたい。そもそも宇宙人なんているはずがない。なんで‘信者’から金を巻き上げて得た大金をかけて、あのような大々的な広告を出すのだろうか?
昔も今も、人々は何かにすがり、何かを頼りにし、何かを拠りどころにしていたいと思うものである。そういう心理を‘宗教’は利用しようとする。②の本の著者・苫米地英人氏はベストセラー連発者で、オウム真理教の脱洗脳者でも有名であるという。男は彼がどういう論拠で「脳は神を創った」と言おうとしているのか、彼は伝統仏教をどう捉えているのであろうか知りたいと思っている。
男のブログで引用しているブッダの言葉にはしばしば「この世」とか「あの世」という言葉が出てくる。「因果応報」は「この世」のみなならず「あの世」にも及ぶとブッダは説いておられる。一般常識では「あの世」があることは哲学的に結論づけられるもので、科学的には結論づけることは不可能であるとされている。しかし男は生涯をかけて何とか科学的に「あの世」が存在することを証明したいと思っている。それは男が実感的に「あの世」が存在していることを固く信じているからである。
創価学会は伝統仏教の教義に則って、ブッダの教えを広めようとしている。しかし、「幸福の科学」の大川隆法氏は仏教徒ではない。仏門をくぐって仏教の修行をしたわけでもない。新聞に大見出しで出された広告には『「宇宙の法」入門』とか『エクソシスト入門』とか『太陽の法』が、不安で‘無知’な人々を惹きつけるようにアレンジされている。
最近東京都でポルノ漫画を巡って条例案が民主党の「反対のための反対」のため否決された。表向き「表現の自由」の権利の保障が否決の理由になっている。男は「何が表現の自由だ!」と怒りを覚える。「表現の自由」のため日本人の精神が蝕まれている。男は憲法を改正して社会不安をあおる‘説法’や‘表現’は規制されなければならないと思う。
7 道理を実践する人を、つねに道理が守る。道理をよく実践すると、幸せを受ける。道理をよく実践すると、このすぐれた利益がある。悪いところ(=地獄)におもむかない。
2010年6月21日月曜日
ブッダ『感興のことば』を学ぶ(93) (20100621)
対オランダ戦で日本は0対1で惜しくも敗れた。DFラインの闘莉王、中沢、阿部がオランダの攻撃に必死に対応している間に、後半53分、マークしていたスナイダーにミドルシュートを決められた。日本は、その本数ではオランダ以上の数のシュートを打ちこんでいたが得点には結びつかなかった。大変残念である。しかし、日本はこれで一層力をつけたはずである。次の対デンマーク戦では今回の経験を活かして猛反撃するであろう。「大和魂だ、頑張れ!」と男は叫ぶ。どんな相手でも勝機はある。それが武の道である。皆が心を一つにし、努力に努力を重ねればきっと勝つ。
先日、小惑星探査機「はやぶさ」は地球からの距離およそ3億kmのところにある「イトカワ」までの往復7年の旅を終え、地球への帰還時はやぶさ本体は地球の空気層との摩擦熱で燃え尽き、中に抱いていたカプセルのみを無事地上に送り届けた。非常に感動的であった。この探査機は人間が造ったものであるがまるで人間らしい生き物のようであった。
このことについてインターネット(www.geocities.jp)で次の記事が掲載されていた。「何時も思うことですが、日本のメディアは自国の実態をよく知らないまま外国に目をやりすぎるように思います。教科書問題、歴史問題では逆に他国(中国、韓国)の実態を知らないまま日本の実態に目をやりすぎるように思います。
その傾向は宇宙開発のジャンルでも見られ、中国の有人ロケットを過大評価する反面、日本でのH2ロケットに関する失敗を過大評価して、いかにも中国の方が宇宙開発の分野で日本より進んでいるような印象を視聴者に与えているような気がしてなりません。今回の「はやぶさ」による「イトカワ」への軟着陸、そして岩石の試料採取は世界に冠たる高度の技術によるものであるのに、日本のメディアはそのことには触れるものの、やや疑問符を含めて論調しているように思えます。」と。
男は日本人の誤った近現代歴史観による自虐的思想に憤慨してきたが、この記事を読んで、また一層その感を強くした。今、男の手元に男が以前買った『文芸春秋2008年6月号』がある。この雑誌の表紙に「零戦と戦艦大和 世界最高平気の栄光と悲惨」と赤字で大きく見出しが書かれている。実はこの見出しに注目して男はこの雑誌を買ったのである。
今改めてそれを読み直している。半藤一利氏ら6人の有識者が議論している。これを読んで男は改めて日本の科学技術の素晴らしさに感動した。戦艦大和も零戦も当時の技術の良いところをすべて結集して造られているという。「はやぶさ」も同じであった。官民一体となってチームメンバー全ての人が知識・技術・経験の限りを尽くして「はやぶさ」の製作に持てる力の全てを注ぎ込んだ。このような‘すりあわせ’で「はやぶさ」は世界の頂点に立つことができたのだ。日本のサッカーも持てる力の‘すりあわせ’で、いつか必ず世界の頂点に立つことだろう。 第30章「楽しみ」;
3 よい果報を生ずるものとして善い行いを実行せよ。報いを生ずるものとして悪い行いをするな。ことわりに従って行う人は、この世でも、あの世でも、安楽に臥す。
対オランダ戦で日本は0対1で惜しくも敗れた。DFラインの闘莉王、中沢、阿部がオランダの攻撃に必死に対応している間に、後半53分、マークしていたスナイダーにミドルシュートを決められた。日本は、その本数ではオランダ以上の数のシュートを打ちこんでいたが得点には結びつかなかった。大変残念である。しかし、日本はこれで一層力をつけたはずである。次の対デンマーク戦では今回の経験を活かして猛反撃するであろう。「大和魂だ、頑張れ!」と男は叫ぶ。どんな相手でも勝機はある。それが武の道である。皆が心を一つにし、努力に努力を重ねればきっと勝つ。
先日、小惑星探査機「はやぶさ」は地球からの距離およそ3億kmのところにある「イトカワ」までの往復7年の旅を終え、地球への帰還時はやぶさ本体は地球の空気層との摩擦熱で燃え尽き、中に抱いていたカプセルのみを無事地上に送り届けた。非常に感動的であった。この探査機は人間が造ったものであるがまるで人間らしい生き物のようであった。
このことについてインターネット(www.geocities.jp)で次の記事が掲載されていた。「何時も思うことですが、日本のメディアは自国の実態をよく知らないまま外国に目をやりすぎるように思います。教科書問題、歴史問題では逆に他国(中国、韓国)の実態を知らないまま日本の実態に目をやりすぎるように思います。
その傾向は宇宙開発のジャンルでも見られ、中国の有人ロケットを過大評価する反面、日本でのH2ロケットに関する失敗を過大評価して、いかにも中国の方が宇宙開発の分野で日本より進んでいるような印象を視聴者に与えているような気がしてなりません。今回の「はやぶさ」による「イトカワ」への軟着陸、そして岩石の試料採取は世界に冠たる高度の技術によるものであるのに、日本のメディアはそのことには触れるものの、やや疑問符を含めて論調しているように思えます。」と。
男は日本人の誤った近現代歴史観による自虐的思想に憤慨してきたが、この記事を読んで、また一層その感を強くした。今、男の手元に男が以前買った『文芸春秋2008年6月号』がある。この雑誌の表紙に「零戦と戦艦大和 世界最高平気の栄光と悲惨」と赤字で大きく見出しが書かれている。実はこの見出しに注目して男はこの雑誌を買ったのである。
今改めてそれを読み直している。半藤一利氏ら6人の有識者が議論している。これを読んで男は改めて日本の科学技術の素晴らしさに感動した。戦艦大和も零戦も当時の技術の良いところをすべて結集して造られているという。「はやぶさ」も同じであった。官民一体となってチームメンバー全ての人が知識・技術・経験の限りを尽くして「はやぶさ」の製作に持てる力の全てを注ぎ込んだ。このような‘すりあわせ’で「はやぶさ」は世界の頂点に立つことができたのだ。日本のサッカーも持てる力の‘すりあわせ’で、いつか必ず世界の頂点に立つことだろう。 第30章「楽しみ」;
3 よい果報を生ずるものとして善い行いを実行せよ。報いを生ずるものとして悪い行いをするな。ことわりに従って行う人は、この世でも、あの世でも、安楽に臥す。
2010年6月11日金曜日
ブッダ『感興のことば』を学ぶ(83) (20100611)
千葉に住む竹馬の友Sから送ってきた『愚の力』(大谷光真著、文春新書)を読んで、男はいつも思っている「あの世」のことや「前世」のことについて一層確信を深めた。「愚者になる」ということと「愚者である」ということとは大きな違いがある。「愚者になる」ということについて大谷氏は龍谷大学の石田慶和氏の言葉を引用して、「端的に言えば、絶対者=阿弥陀如来の願いに出遭えないと愚者の自覚に至らない、他者との比較において愚かであるとか賢いとかいう問題ではなく、自己一人の問題として存在自体が問われるあり方である」と説明しておられる。
男は現代人が科学的合理主義に毒されてなかなか愚者の自覚に至らない状況を見て、逆に科学の知見を深めることによって「あの世」「前世」の存在を証明することができないかと考え、放送大学に籍をおいて先ずは分子生物学などの学問を初め、Biglobeブログ『現代の自然観と仏教』を開設し、自分がそのテーマについて思索したことを公開しながら日々を送って行こうと考えた。男は純粋に「あの世」や「前世」の存在を信じている。男が日常経験する「不思議なこと」を、男は「それはたまたま偶然に起きたことではなく、起きるべくして起きた必然的な現象である」と信じている。
飛行機の中で『古代豪族の謎』(新人物文庫)を読んだ。蘇我氏のことについて松尾 光氏が執筆している。彼は、蘇我氏は武内宿禰を伝説的な祖とするがそれは正しくなく、蘇我氏の姓は「臣」であるので渡来系とはみなしがたい、蘇我氏は稲目のとき宣化天皇(535- 539年)、欽明天皇(539- 571年)2代にわたり政治的手腕を買われて大臣に任命された、その‘大臣’という呼称は役職名ではなく‘近臣’‘重臣’という意味である、と言っている。
蘇我氏宗家は大臣になった稲目の子・馬子も大臣となり、父にならって効率的で安定的な経済政策を進めた。そして政敵を倒して政治の実権を握り、さらに自ら擁立した崇峻天皇(587- 592年)と対立してその天皇を葬り去り、自分の姪欽明天皇の血を引く女子を推古天皇(592- 628年)に立てた。馬子の子・蝦夷も大臣になったが天皇を無視する行動をとり、蘇我氏傍系の石川氏からも敵視されるようになった。蝦夷の子・入鹿も大臣となり、父同様に時代を先取りする開明性はあったが私利私欲的な行動をとり、自分の従兄弟にあたる古人大兄皇子を擁立したいために罪もない山背大兄皇子を力づくで討ち滅ぼす一方で聖徳太子に温情を示すような行動・それも下心あっての行動をとった。
蘇我氏宗家のそのような政治的行動は廷臣たちの反感を買い、ついに中大兄皇子・のちの天智天皇から誅殺されて宗家は滅びた。しかし男はその蘇我氏宗家の思いは何10世代の後も途絶えることはなくその時々の「この世」に現れては消え、現れては消えたのではないかと思う。今の「この世」は誰かの「前世」の「あの世」の姿である。男は小沢一郎氏の行動を見るときつい古代に政治的実権を握り、天皇を軽視した蘇我氏とダブらせてしまう。
30 (自分に)ひとしい、あるいはひとしくない生れ、生存をつくり出す諸の形成力を聖者は捨て去った。
千葉に住む竹馬の友Sから送ってきた『愚の力』(大谷光真著、文春新書)を読んで、男はいつも思っている「あの世」のことや「前世」のことについて一層確信を深めた。「愚者になる」ということと「愚者である」ということとは大きな違いがある。「愚者になる」ということについて大谷氏は龍谷大学の石田慶和氏の言葉を引用して、「端的に言えば、絶対者=阿弥陀如来の願いに出遭えないと愚者の自覚に至らない、他者との比較において愚かであるとか賢いとかいう問題ではなく、自己一人の問題として存在自体が問われるあり方である」と説明しておられる。
男は現代人が科学的合理主義に毒されてなかなか愚者の自覚に至らない状況を見て、逆に科学の知見を深めることによって「あの世」「前世」の存在を証明することができないかと考え、放送大学に籍をおいて先ずは分子生物学などの学問を初め、Biglobeブログ『現代の自然観と仏教』を開設し、自分がそのテーマについて思索したことを公開しながら日々を送って行こうと考えた。男は純粋に「あの世」や「前世」の存在を信じている。男が日常経験する「不思議なこと」を、男は「それはたまたま偶然に起きたことではなく、起きるべくして起きた必然的な現象である」と信じている。
飛行機の中で『古代豪族の謎』(新人物文庫)を読んだ。蘇我氏のことについて松尾 光氏が執筆している。彼は、蘇我氏は武内宿禰を伝説的な祖とするがそれは正しくなく、蘇我氏の姓は「臣」であるので渡来系とはみなしがたい、蘇我氏は稲目のとき宣化天皇(535- 539年)、欽明天皇(539- 571年)2代にわたり政治的手腕を買われて大臣に任命された、その‘大臣’という呼称は役職名ではなく‘近臣’‘重臣’という意味である、と言っている。
蘇我氏宗家は大臣になった稲目の子・馬子も大臣となり、父にならって効率的で安定的な経済政策を進めた。そして政敵を倒して政治の実権を握り、さらに自ら擁立した崇峻天皇(587- 592年)と対立してその天皇を葬り去り、自分の姪欽明天皇の血を引く女子を推古天皇(592- 628年)に立てた。馬子の子・蝦夷も大臣になったが天皇を無視する行動をとり、蘇我氏傍系の石川氏からも敵視されるようになった。蝦夷の子・入鹿も大臣となり、父同様に時代を先取りする開明性はあったが私利私欲的な行動をとり、自分の従兄弟にあたる古人大兄皇子を擁立したいために罪もない山背大兄皇子を力づくで討ち滅ぼす一方で聖徳太子に温情を示すような行動・それも下心あっての行動をとった。
蘇我氏宗家のそのような政治的行動は廷臣たちの反感を買い、ついに中大兄皇子・のちの天智天皇から誅殺されて宗家は滅びた。しかし男はその蘇我氏宗家の思いは何10世代の後も途絶えることはなくその時々の「この世」に現れては消え、現れては消えたのではないかと思う。今の「この世」は誰かの「前世」の「あの世」の姿である。男は小沢一郎氏の行動を見るときつい古代に政治的実権を握り、天皇を軽視した蘇我氏とダブらせてしまう。
30 (自分に)ひとしい、あるいはひとしくない生れ、生存をつくり出す諸の形成力を聖者は捨て去った。
2010年5月21日金曜日
ブッダ『感興のことば』を学ぶ(62) (20100521)
田舎から電話あり、孫の結婚式に出席の依頼があった。ただ主席するだけではなく、一言祝福の辞を述べ、一曲吟じて欲しいと言う。7月末、男も女房も放送大学の単位認定試験を受ける時期に重なり、私の月2回の詩吟の会にも重なる。しかし、おめでたい行事への出席の依頼は最優先で受けなければならぬ。
早速インターネットで航空券の手配をした。二人ともANAのマイレージ会員として登録している。行きのスーパー割引は何とか取れ、座席指定もできたが、帰りの飛行機はスーパー旅割より3600円も高い旅割運賃適用のもので、しかも希望する時間よりずっと早い出発時間の航空券しか取れなかった。それでも普通運賃よりはずっと安い。
スーパー旅割の座席は旅行会社がリスクを負って大量に押さえているかもしれない。JTBなどの旅行会社で買っても値段は同じであるのでそこで買えば二人分7200円浮く。そこで近くの旅行会社の店に行ってみた。しかしその店では搭乗の2か月前となる日、今月25日からでないと発売できないという。インターネットで空席待ちなら予約できるので、一応希望する出発時間の航空機を予約しておいた。これも支払い期限が決められている。
来月母の介護のために帰るがその次の7月にまた帰ることになった。7月に帰るときにまた母の介護を兼ねる。介護といってもいまのところ母(男の継母・女房の実母)の様子を見るほか母ができないことをするだけである。年寄りのことであるからいつ急に変化が起きるかわからない。そのときは田舎で長く暮らすことになるだろう。そのときの準備をしておかなければならぬ。
結婚式で祝い詩を吟じるのでその練習をしておかなければならぬ。折角吟じるので列席の方々にも吟の内容が分かるように歌詞を印刷した小さな冊子を作って皆に配ろうと思う。
ブログを整理し、カテゴリー別に区分けしてそれぞれにラベルをつけた。去年6月10日から始まったもの全部にラベルをつけ終えたわけではない。今後時間を見てはラベルがついていない記事に逐次ラベルを付けたりチェックして修正したりすることにする。
ブログの記事にラベルをつけて同じカテゴリーにした部分を読み返したりしてみると自分自身のことを客観的に観ずることができる。漢字創作コンクールで智慧の‘智’の下の字を‘自’にして‘チ’と読ませ、その創作文字の意味を「自分自身のことを知る」としていたものがあって、それは最優秀賞を獲得していたが、まさしくその創作文字のとおり、ラベルをつけることで自分自身のことを一層よく知ることができる。孫子の兵法に「敵を知り己を知らば百戦危うからず」という言葉がある。「己を知る」ことはなかなか難しい。誰でも自分の深層心理は自分自身では絶対知ることは出来ない。専門家に催眠術をかけてもらったりして調査してもらわなければ分からないものである。しかしこのことを知らない人が多いと思う。ブッダ「感興のことば」第22章「学問」(続き)
5 眼のある人は燈火によって種々の色(いろ)のかたちを見るように、ひとは教えを聞いて、善悪のことがらを識別する。
田舎から電話あり、孫の結婚式に出席の依頼があった。ただ主席するだけではなく、一言祝福の辞を述べ、一曲吟じて欲しいと言う。7月末、男も女房も放送大学の単位認定試験を受ける時期に重なり、私の月2回の詩吟の会にも重なる。しかし、おめでたい行事への出席の依頼は最優先で受けなければならぬ。
早速インターネットで航空券の手配をした。二人ともANAのマイレージ会員として登録している。行きのスーパー割引は何とか取れ、座席指定もできたが、帰りの飛行機はスーパー旅割より3600円も高い旅割運賃適用のもので、しかも希望する時間よりずっと早い出発時間の航空券しか取れなかった。それでも普通運賃よりはずっと安い。
スーパー旅割の座席は旅行会社がリスクを負って大量に押さえているかもしれない。JTBなどの旅行会社で買っても値段は同じであるのでそこで買えば二人分7200円浮く。そこで近くの旅行会社の店に行ってみた。しかしその店では搭乗の2か月前となる日、今月25日からでないと発売できないという。インターネットで空席待ちなら予約できるので、一応希望する出発時間の航空機を予約しておいた。これも支払い期限が決められている。
来月母の介護のために帰るがその次の7月にまた帰ることになった。7月に帰るときにまた母の介護を兼ねる。介護といってもいまのところ母(男の継母・女房の実母)の様子を見るほか母ができないことをするだけである。年寄りのことであるからいつ急に変化が起きるかわからない。そのときは田舎で長く暮らすことになるだろう。そのときの準備をしておかなければならぬ。
結婚式で祝い詩を吟じるのでその練習をしておかなければならぬ。折角吟じるので列席の方々にも吟の内容が分かるように歌詞を印刷した小さな冊子を作って皆に配ろうと思う。
ブログを整理し、カテゴリー別に区分けしてそれぞれにラベルをつけた。去年6月10日から始まったもの全部にラベルをつけ終えたわけではない。今後時間を見てはラベルがついていない記事に逐次ラベルを付けたりチェックして修正したりすることにする。
ブログの記事にラベルをつけて同じカテゴリーにした部分を読み返したりしてみると自分自身のことを客観的に観ずることができる。漢字創作コンクールで智慧の‘智’の下の字を‘自’にして‘チ’と読ませ、その創作文字の意味を「自分自身のことを知る」としていたものがあって、それは最優秀賞を獲得していたが、まさしくその創作文字のとおり、ラベルをつけることで自分自身のことを一層よく知ることができる。孫子の兵法に「敵を知り己を知らば百戦危うからず」という言葉がある。「己を知る」ことはなかなか難しい。誰でも自分の深層心理は自分自身では絶対知ることは出来ない。専門家に催眠術をかけてもらったりして調査してもらわなければ分からないものである。しかしこのことを知らない人が多いと思う。ブッダ「感興のことば」第22章「学問」(続き)
5 眼のある人は燈火によって種々の色(いろ)のかたちを見るように、ひとは教えを聞いて、善悪のことがらを識別する。
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