2011年1月31日月曜日

武士道(続)(20110131)

 新渡戸稲造は言う。「(武士道の)道徳的な教義に関しては、孔子の教えが武士道のもっとも豊かな源泉となった。孔子が述べた五つの倫理的な関係、すなわち、君臣(治める者と、治められる者)、父子、夫婦、兄弟、朋友の関係は、彼の書物が中国からもたらされるはるか以前から、日本人の本能が認知していたことの確認に過ぎない。」と。

 この日本列島に住みついた人々が、農耕生活を送っている間に自然にわき出た「自然を崇拝したい、祖先を崇拝したい」という感情の行きつくところが、後に孔子が述べた上記の五つの倫理的関係と同じなのである。「天皇とは、単に夜警国家の長、あるいは文化国家のパトロン以上の存在」であり、「天皇は、その身に天の力と慈悲を帯びるとともに、地上における肉体をもった、天上の神の代理人」であると新渡戸稲造が言うとおり、天皇は孔子が述べた五つの倫理的な関係の中である。それは、われわれ日本人が無意識に認めていることなのである。

 毎年正月には天皇陛下初め皇族方が一般国民の参賀を受けられ、天皇陛下からお言葉を頂いて感激する。そのような儀式がある国は世界中どこを探しても無い。天皇は日本国民統合の象徴であり、聖なる存在であるのである。

 新渡戸稲造は、「孔子についで孟子が武士道に大きな権威を及ぼした。彼の力のこもった、ときにははなはだしく人民民主主義的な理論は、思いやりのある性質をもった人びとにはことのほか好まれた。」「この先達の言葉は武士の心の中に永遠のすみかを見出していた」と、武士は、孔子の教えだけでなく、孟子の教えも大切に思っていたと言う。

 武家の子弟が学んだ藩校などで教えられていた中国の四書五経の「四書」とは「大学」「中庸」「論語」「孟子」の総称である。孔子が「仁」(礼に基づく自己抑制と他者への思いやり)を理想の道徳とし、「孝悌」(父母に孝行を尽くし、よく兄に仕えて従順であること)と「忠恕」(忠実で同情心が深いこと)をその理想を達成する根拠としたのに対して、孟子は、人間の「性善説」を根拠に置き、「仁」「義」「礼」「智」の徳を発揮することを説いた。「義」とは、ものごとの道理、人間の行うべきすじみちのことである。

 今の日本では、「仁」「義」「礼」「智」「信」という五つの語は、見向きもされない。これらの五つの語は、日本人が古くから自然に実践していたことを、中国からこれらの言葉(漢語)を学んで日本の社会の中に体系づけていたものであるにもかかわらずである。日本人はこのことを忘れてしまっている。これは大変残念なことである。

戦前までは、日本人は『教育勅語』により、これら五つの語を具体的に実践してきた。それは決して間違っていたことではなかった。そのことをわれわれ日本人は、気づかねばならないと思う。

その上で、これら「仁義礼智信」のない国家に対しては、「武」をもって対処しなければならない。「戦争を防止する唯一・最良の手段は、戦争の準備を怠らないこと」である。

2011年1月30日日曜日

武士道(続)(20110130)

 新渡戸稲造は「仏教が武士道に与えなかったものは、神道が十分に提供した。他のいかなる信条によっても教わることのなかった主君に対する忠誠、先祖への崇敬、さらに孝心などが神道の教義によって教えられた。サムライの倣岸な性格に忍耐心が付け加えられたのである。」、「人間の魂の生来の善性と神にも似た清浄性を信じ、魂を神の意思が宿る至聖のところとして崇拝する。神社の霊廟には礼拝の対象物や器具が著しくとぼしく、本殿にかかげてある装飾のない、一枚の鏡が神具の主たるものである。」、「参拝のため社殿の前に立つとき、輝く鏡の面におのれ自身の姿を見るのである。」と言う。

 学問的に考えると物事は批判的にとらえなければならないのであろうが、私は学もないので新渡戸稲造の見解を素直に受け入れる。素直でないと物事の本質は見えないと信じている。だから、「サムライの忠誠心や忍耐心の根源が神道にある」という新渡戸稲造の見解を「そうであろう」とそのまま受け取る。

 神道には他の宗教にあるような「教典」はない。神道は「神典」と称する「古事記」「日本書紀」「続日本紀」「万葉集」「風土記」などが神道における信仰の対象や儀式や共有など根拠となっている。古来日本人の地縁血縁結縁の社会の秩序を守る手段として神道が重んじられてきたのである。それは戦争に負けても廃ることなく続き、未来も続くであろう。

神官や巫女、神殿における伝統的な儀式が、参拝者に俗世界と聖世界の別を自覚させる。日本人は武士に限らず一般庶民も、日本古来の伝統・儀式の中に「世俗」に汚れた「自己」を置くことによって、自己の魂を清浄にするという文化を大切に守ってきた。日本人は、神社に参拝することにより、一時的にせよ俗世界から離れ、聖なる世界にわが身を置いて、無意識的に「忍耐心」が必要であると自覚する習慣が自然にできているのである。自然とともに自然に生きる日本人には、キリスト教にあるような「原罪」などのロジックは必要ない。新渡戸稲造は自身熱心なクリスチャンでありながら、そのことを指摘している。

 他国には絶対存在しない「神道」の文化で育った父親に「恥になるようなことはするな、死ななければならないときは潔く死ね」と言われ、ヨーロッパ戦線で戦った日系二世たちは「ゴーフォーブローク!(Go for broke!)」と叫んで過酷な戦場の状況に耐え、「バンザイ」攻撃をかけ、死んでいった。硫黄島の日本軍兵士たちも同様であった。特攻隊員も同様であった。片道の燃料で沖縄に向かった戦艦大和の乗組員も同様であった。

 日本列島から台湾、フィリピンにいたる「列島線」の北に位置する日本は、自分たちの文化や歴史をきちんと自覚することによって、未来も「東方の光」で有り続けるだろう。

2011年1月29日土曜日

武士道(続)(20110129)

 新渡戸稲造は「第二章武士道の源をさぐる」でこう言っている。

 「まず仏教からはじめよう。仏教は武士道に、運命に対する安らかな信頼の感覚、不可避なものへの静かな服従、危険や災難を目前にしたときの禁欲的な平静さ、生への侮蔑、死への親近感などをもたらした。

 ある一流の剣術の師匠・柳生宗矩は、一人の弟子が自分の技の極意を習い覚えてしまったと見るや、‘私の指南はこれまで。あとは禅の教えに譲らねばならぬ’と言った。禅とはジャーナDhyānaを日本語に音訳したものである。

 禅は‘沈思黙考により、言語表現の範囲を超えた思考の領域へ到達しようとする人間の探究心を意味する’のだ。その方法は黙想であり、私が理解している限りにおいて、そのめざすところは森羅万象の背後に横たわっている原理であり、できうれば‘絶対’そのものを悟り、そしてこの‘絶対’と、己自身を調和させることである。」

 私は、人は大宇宙の原理について学問的な理解が深まれば、人はこの大宇宙を一つの生命体と考えるようになり、大宇宙の生命的活動に逆らうことなく、大宇宙と一個の人間である己とを合わせて一つに為し、己が前世から来世に至る一筋の光の中にあるような感覚になれるのではないかと思っている。

 分子生物学は、人やあらゆる動植物が同根であることを明らかにした。現代物理学は、この宇宙が「無」の一点から生じたことを明らかにした。人工衛星で打ち上げ、宇宙に置かれたハッブル望遠鏡は、その一点から生じて5億年経った132億年前の星雲を発見した。

 考古学や遺伝学は、現在の人類がアフリカの大地で誕生し、12万年前に現在の中東地域を経て比較的短い期間に地球全体の各地に拡散していったことを明らかにした。

 私は、人がこのような科学の成果を学び、大自然と自己が合一の観念を持つようになれば、そしてそれに加えて仏教の教学について知識を深めるならば、人は今、自分が生きているこの時を、どのように過ごすべきであるかということに思考が及ぶようになるに違いないと思っている。

2011年1月28日金曜日

武士道(続)(20110128)

この日本列島に初め縄文人と呼ばれる人々が、北方、西方、南方から渡ってきた。その後渡来系弥生人が朝鮮半島を通じて渡ってきて縄文人と共生し、混血し、今の我々日本人になった。西方の文化伝搬の終着点、シルクロードの終着点がこの日本である。日本列島はいろいろなルーツを持つ人々がやって来た終着地である。文化・文明の伝搬の終着地でもある。終着地であるゆえに、われわれ日本人は混血を重ね、遺伝学的に優れたものを受け継いで後世に伝えてきた。万世一系の天皇は日本人の中心である。

先の大戦で、アメリカ陸軍日系人部隊、第442連隊の兵士たちはヨーロッパ戦線において、武士道の精神で戦った。今日アメリカの日系人たちがアメリカ社会で名誉ある地位を勝ち得ているのは、その兵士たちの尊い犠牲のお陰である。遠くブラジルの大地に渡った人たちも武士道の精神で新天地を開拓し、成功し、ブラジルで今日の名誉ある地位を勝ち得ている。先のワールドカップで田中マルクス闘莉王選手は、仲間の選手たちに「大和魂で戦おう」と呼びかけた。大和魂は武士道の重要な精神の一つである。

 新渡戸稲造は、「武士道は‘騎士道の規律’である。字義どおりには武・士・道である。戦士たる高貴な人の、本来の職分のみならず、日常生活における規範をもそれは意味している。武士道は一言でいえば、‘武士階級の‘高い身分に伴う義務’である」と言っている。

 新渡戸稲造は、武士道が日本独特なものであることを、仏教と神道の面、および中国の孔子の教えの面から説明している。

仏教については、遣唐使たちが中国で学び日本に持ち帰った仏教、中国の僧が来日して日本で広めた仏教は、中国や朝鮮では衰退したが日本においては大きく発展した。日本で発展した仏教は、日本仏教伝道協会などの活動を通じて世界中に広められつつある。

 神道は日本古来のものである。天皇家の祖先が祀られている伊勢神宮がその中心である。

一方、中国古代の孔子の教え・論語は武士階級の子弟が学ぶ藩校などで教えられていた。その「四書五経」といわれる漢籍書物の読み下し、つまり漢文を訓読し、日本語の語順で読み下すこと、そしてその朗読という形で教えられていた。神道、仏教、中国の四書五経が武士の教養の根源であったことは間違いない。

 日本の青少年が、今改めて、昔の武家の子弟が学んだことを大雑把でも良いから学んでみる、それも神道の祝詞、仏教の経典、四書五経の漢籍書物の読み下しを朗読という形式で学ぶと、きっとよい効果が現れるのではないかとは思う。そうすれば、それを指導する側も、指導される側も、それぞれ各自の中に、なにかすがすがしい力が湧いてくるのではないだろうか。以下は、論語の最初の一節である。

 子日、學而時習之、不亦説乎。有朋自遠方來、不亦樂乎。
 子曰く學びて時に之を習う、亦説ばしからずや。朋遠方より來る有り、亦楽しからずや。
  (しのたまわくまなびてときにこれをならう、またよろこばしからずや。ともえんぽうよりきたるあり、またたのしからずや。)

2011年1月27日木曜日

武士道(続)(20110127)

 新渡戸稲造は、「第一章武士道とは何か」の中で、初めにこう述べている。「武士道は、日本の象徴である桜花にまさるとも劣らない、日本の土壌に固有の華である。」「武士道をはぐくみ、育てた、社会的条件が消え失せて久しい。かつては実在し、現在の瞬間に消失してしまっている。はるか彼方の星のように、武士道はなおわれわれの頭上に光を注ぎつづけている。」

 そう、その通りである!武士道はなおわれわれの頭上に光を注ぎつづけているのである。われわれ日本人がそのことに気づこうと気づくまいと、である。

 人は、「武士道は武士だけのものではないか、われわれ百姓・町人の子孫には関係ない」と言うだろう。だが待ってほしい。我々日本人の殆どすべての人々は、誰でも多かれ少なかれ武士の血が混じっている。勿論、遠い先祖を辿れば、天皇や豪族の血も混じっている。日本人は皆、「同胞(はらから)」である。つまり、血を分けた兄弟・姉妹なのである。そのことは後に説明する。

明治天皇は、日清戦争が起きようとするときこう詠まれた。この明治天皇御製の短歌を、昭和天皇は昭和16年(1941年)96日の御前会議の最後に詠まれ、重臣たちに戦争を回避するよう求められた。

よもの(四方)の海 みなはらから(同胞)と思ふ世に など(何故)波風の たちさわぐ(立ち騒ぐ)らむ

天皇陛下は、人類は皆兄弟姉妹であると考えておられたのである。戦前まで日本人の精神の支えとなった『教育勅語』の一節に「博愛衆ニ及ホシ」という語がある。

天皇陛下は皇居において定日定刻に、宮中三殿に並ぶ神嘉殿前庭の屋根だけの東屋風の簡素な建物の下で皇室の祖先神が祭られている伊勢神宮に遥拝し、国の安泰と国民の幸福、農作物の豊作などを祈り四方拝を行っておられる。祈りは年30回に及ぶという。天皇陛下は日本国の安泰と日本国民の幸福を祈って下さっているのである。

2011年1月26日水曜日

武士道(20110126)

 新渡戸稲造(文久288日(186291日)-昭和8年(1933年)1015日)の『武士道』(三笠書房「知的生き方文庫」、奈良本辰也訳・解説)を読む。私は4、5年前この本を買って書棚にしまい込んだままにしていた。本というものは買いたいとき買っておくと、後に読みたくなったとき読むと一層楽しく読めるものである。重要なことは、買った本を書架の中でカテゴリー別に分けて保管しておくことである。今後暫く、この本に書かれていることを引用しながら、このブログの記事を書くことにする。

 新渡戸稲造は、「第一版への序文」の中で「私が幼いころ学んだ人の倫(みち)たる教訓は学校で受けたものではなかった」「私に善悪の観念をつくりださせたさまざまな要素を分析してみると、そのような観念を吹き込んだものは武士道であった」と書いている。

 当時欧米では、今でも欧米ではそのような学校が多いと思うが、学校ではキリスト教の教えに関する教育が行われていた。宗教教育である。日本では宗教系の私立学校以外、そのような教育は行われていない。日本では武士道の精神が人の倫(みち)の基本にあった。しかし戦後の日本では武士道の精神は完全に失われてしまっている。

 日本には武士道というものがあった。武士道とは何か、なぜそれが失われてしまったのか、武士道の精神を取り戻さなければならないのではないか、などということについて、今後暫く私の考え方を書き続けてゆこうと思う。

2011年1月25日火曜日

エネルギーの向きを変える(20110125)

 124時間は誰にも同じである。太陽はそのエネルギーを受け取る側の態度・行動次第で、万物に分け隔てなく恵みを与え続けている。万物の一つであるこの老人の身体の様子も時間の経過とともに変わって行っている。

 老人は今、ある一つの役目、それも自分で勝手に決めた役目であるが、それが終わったと思っている。これからは、このブログの記事を書くエネルギーを別のところに向け変えようと思う。それは、「自分が知らないことを知る」ということに対してである。

 年老いて知力の衰えは自覚するが、それにしても将来大科学者になるかもしれない数学好きな高校生は、人類がまだ解き明かしていない未知の分野に挑んでゆくだろう。老人は彼らの足元にも及ばない幼稚さである。

 今さらそんなことに挑んで何になるのかということは考えないことにする。もう世間のことに関心を持つことを止めて、高校生以下の基礎のレベルから勉強を始め、生きている間にどこまで到達できるかわからないが、宇宙理論を理解できるようになろうと思う。

 先日買い求めたNewtonGraphic Science Magazine『宇宙はどうやって誕生したか』を読んでいると、これまで科学者たちが明らかにしたことについてもっとよく知りたいと思うようになった。それは今年74歳になる老人の新たな趣味である。もしかしたら、これは老人の潜在的欲求の現われかもしれない。

 老人は余生をなるべく世事から遠ざかって過ごしたいと願望している。そのため年賀状を出す枚数も極力減らすようにした。「筆まめ」というソフトのデータには来年から年賀状を出さない相手についてチェックマークを入れてある。これまでもそうしてきたが、これからはさらに的を絞って、年に幾つかの会合には顔を出すが、それ以外は地域社会のことも含めて一切かかわらないことにしようと思う。時間は限られているのだから、なるべく的を絞って、そこにエネルギーを集中させたいと思う。つまり老人はこれから一層孤高の変人になろうとしている。老人は宮本武蔵の生き方に共鳴するものがある。

 老人は放送大学から送られてきた平成23年度第1学期の「授業科目案内」のページをめくっている。自然系の科目の中に宇宙理論に関係する科目が幾つかあるので、その中から先ず基礎的な科目一つを選ぼうと思う。

 人はいつこの世から去るかわからない。老人の竹馬の友は、ある日突然愛する奥さんを亡くした。その喪失感は想像するに余りある。老人は老妻と二人暮らしで、二人でかなり密度の濃い日々を送っているが、それがいつ崩れるか予測はできない。人生はそんなものなので、愚かなこと、不必要なこと、無駄なことにエネルギーを費やすのは馬鹿げている。老人は坐禅をしない代わりに、基礎の基礎から宇宙理論を学ぼうと思っている。これにはお金も殆どかからない。時間だけがかかる。

 そういうわけで今後は世の中のことは成り行きに任せ、怒ったり、嘆いたり、憂えたりしないことにする。老人の『吟詠』ブログには毎日沢山の方の訪問があるが、そこに書いた「日本という国ついて」と題する記事で世事との関わりは終わりとする。今後は純粋に詩吟に関することだけにする。このブログ記事も一日一言の短文にしようと思う。

2011年1月24日月曜日

老楽 (20110124)

 西行の作詞に『至善』というのがある。その詩文は、前にもこのブログで書いたことがある。(記事:20091210日木曜日、老楽は唯至善を行うにあり(20091210)
  晴れに非ず 雨に非ず 睡蓮の天
  山に非ず 林に非ず 在家の仙
一日を一生として 興究(きょうきわま)りなし
老楽は唯至善を行うにあり

というものである。

 結句の「老楽は唯至善を行うにあり」という意味は、「老人の楽しみは、唯一つ、自分が最も善いと信じることを行うことであり、自分はその楽しみの中にあるのである」ということである。男は、この詩のように「一日を一生」として日々を送るように、なるべく心がけているつもりである。

 男の「老楽」の一つは、吟詠のブログである。昨日(22日)、男が主宰する詩吟のサークルで今年から正式に講師になって頂くことになったある女流吟詠家の吟詠をそのブログに載せることにした。そのためそのブログのコンテンツに若干の変更を加えた。

 男が主宰している詩吟のサークルは発足してもう10年になる。ある方のご協力を得てその会を発足させることができたのであるが、何事も継続しているうちに‘進化’がある。男は一昨年3月、吟詠のブログを立ち上げて以来、そのブログに毎月少なくとも1回、自分の吟詠を公開してきている。公開を始めてもう2年近くになる。

 自分の吟詠をインターネット上に公開するのであるから、初めのうちは気が引けた。しかし続けているうちに自分の吟詠の内容も段々良くなってきたように思う。そして吟詠のブログとこのブログをリンクさせるなどして、自分の世界が大きく広がった。

 何事もそうであろうと思うが、真の楽しみは‘創造’の中にある。この‘創造’がないものは結局楽しみにはならないものである。この齢になって若い人に負けないぐらい、いや、その辺の若い人が叶わぬぐらい、男はインターネットで自分の世界を‘創造的’に広げてきていると思う。教育者の子である男は、インターネットを通じて多少なりとも教育的なことをし、「至善」を行っているつもりである。これが男の最も大きな「老楽」である。ときどき「これは」と思う記事については、男はそれをプリントして孫たちに送って読んでもらっている。

 女房も明後日とその次の日、放送大学の単位認定試験を受ける。そのため一生懸命勉強している。男は女房が復習しているビデオを時々一緒に見ることがある。女房が勉強している『都市と防災』『都市災害とコミュニティ』などは一緒に見ていて楽しく、生活上ためになる内容である。男はキッチンボーイ(皿洗い)などして女房が勉強に集中できるようにいろいろ協力している。これも「至善」である。女房も「至善」を実行している。

 「老楽はただ至善を行うことにある」とは、正に至言である。そのような「老楽」ができることを有難く思う。大変幸せに思う。「老楽」のために金はたいしてかからない。金をかけても決して真の「老楽」が得られるものではないのである。

2011年1月23日日曜日

日本とはどういう国か(20110123)

 マスコミは中国の胡錦濤国家主席のアメリカ訪問を大きく報じている。胡錦濤国家主席はアメリカで国賓並みの扱いを受け、赤い絨毯の上を歩きバイデン副大統領から出迎えを受けた。赤い絨毯、国賓並みの待遇は中国側が強く要求したことであった。

しかし、そしてそれはアメリカからボーイング社の航空機200機など総額450億ドル(約37000億円)の買い物の見返りであった。中国はノーベル平和賞受賞者・民主活動家・劉暁波氏の釈放を認めないなど、人権問題は中国国内の統治上の考え方によるものとし、台湾やチベット問題は中国の「革新的利益」であるとし、いずれも一歩も譲らない姿勢を貫いた。そればかりではなく、13億人の巨大市場をカードに外国企業に技術開示の圧力をかけている。「他国に脅威を与えない」と言いながら実際は不透明な軍事拡張を加速している。平気で他国民を騙し、騙される方が悪いと考えている。中国に信義や正義はない。

中国は、国内向けには不都合なことは一切報道させていない。中国の歴代皇帝は前皇帝を倒して皇帝になっている。倒した以上、前皇帝の事績を否定しなければならない。共産党中国の歴代指導者は自分が退任したあと不利な扱いを受けないように実績作りが必要である。そういう意味で今回の胡錦濤国家主席の訪米は成功した。オバマ大統領も「背に腹は代えられず」自国民を食べさせるため巨大な中国市場にすり寄った。しかしクリントン国務長官は「(アメリカと中国の)G2はありえない」と断言した。

日本人はマスコミの報道に左右されてはならない。自分たちの祖国日本がどういう国なのか、今一度省みる必要がある。日本の歴史を良く学びなおす必要がある。
中国では唐、北宋、南宋、元、明、清と、皇帝はその都度代わり、元の皇帝はモンゴル人、清の皇帝は満州人であった。一方、日本では神武天皇以来万世一系である。

794年から1192年まで400年近くも続いた平安時代、その後武家が政治の主導権を握り、政治の主導権を巡って争った時代を除き、1603年から幕末の1867年まで250年あまり平和だった江戸時代、そして日本列島から台湾、フィリッピンに至る列島線がアメリカの縄張りである戦後の平和な今の時代、そのような平和な日本は世界に類例がない。

平安時代に摂政関白による政治形態がとられたこともあって、天皇は日本国統治の象徴となり、「君臨すれども統治せず」という存在になった。武家が政治の実権を握ってからは、天皇は武家諸侯に叙位叙勲を与え、国の平安と万民の幸せを祈るお立場となられた。

日本は何百年間も平和が続いた国、象徴的な天皇を頂く国、天皇家が日本中の各家の宗家のような存在である国、戦前まで一度も外国に征服されたことが無かった国、侵略されたり、植民地になったりした経験が全くない国、そのような国は世界中どこを探しても見当たらない。日本は「東方の光」の国、「日出る」の国、瑞穂の国、八百万の神々のまします国、仏教の教えをよく研究し、自分のものにして、仏教がよく根付いている国である。

日本国歌『君が代』の「君」は天皇のことではなく、国民一人一人のことである。天皇は古来「大君(おおきみ)」と呼ばれてきた。日章旗には他国にない古い歴史的背景がある。

江戸時代には行政単位でなくなったが、名目上の国司が置かれた66の国が日本と言う国の中にあった。歴史的に見た統治形態としては、日本は中国よりも欧米に近い国である。

2011年1月22日土曜日

‘凛’として在ること(20110122)

 昨日の記事の続きであるが、人はいくら齢をとって落葉の枯れ木のようになっても、‘凛’としてそこに在ることはできる。要は日ごろの心掛けと、鍛練次第である。たとえば道を歩くとき、背筋を伸ばし、顎を引き、しゃんとした姿勢で、ごく自然な形で、しかも行進曲に合わせて歩いているように歩くならば、その姿は‘凛’として見える。特に冬の寒い外気の中でもそのように歩くならば、その姿は‘凛’として見える。

 男の足腰はまだしっかりしていて、片足立ちで立っている方の膝を曲げることや、一方の足を前に差し出して伸ばしたまま、長く片足立ちができる。大腰筋が弱いとそのような運動はできない。出来てもすぐ崩れてしまうだろう。

 男の中学時代の同級生である女性は、最近転倒して胸椎を痛めてしまって、ご主人の介護のこともあって大変苦労したということである。若い時はつまずいても転ばず、姿勢を保つことができるが、大腰筋が弱ってくると先ず足が高く上がらず、ちょっとしたことで躓いて転んでしまうものである。

 従い‘凛’とするには常日ごろの心掛けと鍛錬が重要なのである。日ごろの心掛けとしてはただ単に自分の肉体的な要素についてのみ心がけるのではなく、特に精神的な要素について十分すぎるぐらい十分心がける必要がある。つまり自分の精神を高めるような修行が必要である。民放のテレビの娯楽番組ばかり見ているようでは駄目である。しかし、一般の人々はそのような修行には縁遠い。

 昔の武士は腰に刀を差し、常に学問をし、礼儀作法を心得、‘凛’としていた。皆が皆、武士はそうであったわけではないが、商人や百姓のように腰を曲げ、上にへつらうような態度は見せなかった。いつでも死ぬ覚悟があった。

 男の生母は33歳の時乳がんで他界した。今際の時、当時9歳であった男に自らの身をもって‘凛’として在る姿を示した。「お兄ちゃん起こしておくれ」「東に向けておくれ」「仏壇からお線香をとってきておくれ」「お父さんをよんできておくれ」といい、線香に火を付け、東方、多分宮城に向かって両手を合わせた。当時9歳であった男が急いで裏山に走り、松葉かきに行っていた父を呼んできたとき、母は既にこと切れていた。

 そのときのことを思い出しながら、歩いて15分ぐらいのところにある大型複合商業施設の書店に行った。買い求めたのは三省堂の『全訳漢字海』という辞書と、Newtonの『宇宙はどうやって誕生したか』というグラフィック科学雑誌である。『全訳漢字海』は日本語力が乏しいと自覚しているため、何か良いものはないか探していて目にとまったものである。科学雑誌の方は、「あの世」のことに関する哲学的思索の参考にするため買った。

 ちょっと寒気を感じながら‘凛’として歩き、昼前家に帰り着いた。するとすぐ田舎に住んでいる竹馬の友の一人から電話があった。「うちの奥さんが死んだ」という。男は一瞬「えっ」と絶句した。葬儀は家族だけで済ませたという。17日に竹馬の友同士で山登りをした。その時、もう一人の友が「奥さんも一緒にゆきませんか」と誘ったという。そのとき奥さんは元気な様子だったという。翌日自宅の廊下で倒れていたという。田舎の同級生たちも在京の同級生たちも皆驚いている。在京組は香典をまとめて送ることにした。

2011年1月21日金曜日

時に思う(20110121)

 今日(20日)もよいお天気である。男は女房と一緒にバスに乗って新横浜駅ビル内の高島屋まで買い物に行った。田舎の親戚の一周忌にご仏前とは別に菓子折りを一つ送るためと、男の田舎の友達にお返しの贈り物をするためである。友達には結局、銀座鈴屋の甘納豆にした。御歳暮に贈ったものと全く同じものである。

その御歳暮は結局独り暮らしの年老いた近所の方々が正月休みの間それぞれ子供の家に行ったため余ってしまい、包み紙が「御歳暮」になっているため「御年賀」に変えるわけにもゆかずこちらに持ち帰り、老妻と二人でお茶の友に食べてしまったが・・。

お昼になったので外食しようかとも考えたが、いなりずしなどそれぞれ注文して持ち帰ることにした。高島屋の八百屋には美味しそうな新鮮な野菜や果物が並べられている。有名な氷見の寒ブリも売っている。それらを買ってちょっと荷物が多かったがまたバスに乗り、家に帰った。そして老夫婦二人だけでゆっくり寛いでいなりずしや巻きずしを食べた。

家の近くのスーパーは安いものがたくさん売られている。安くても品物がよいものがある。「おいしい牛乳」とか「ブルガリアヨーグルト」「甘塩さけ切り身」などは安いが品物は良い。値段が安く、表示に「糖度13%」と書かれている愛媛みかんを一袋買ってみたが、甘さは砂糖のようで果実の甘さはなく、ちっとも美味しくないことが何度もあったので、そこではみかんは買わないことにした。家から歩いて15分ぐらいのところに大小幾つかのスーパーがあるので、それぞれ特徴がある安くても品物が良いものを買うようにしている。高島屋のものは少し値段が高いが、品物は文句なしに良い。

スーパーの近くで‘ヒューマン’である男が「ヒューマン・ウオッチング」をする。男たちは皆「オス」、女たちは皆「メス」に見える。齢の行った小汚い太めの「オス」たちは、マウンテンゴリラのオスのようなイメージを与える。齢の行った「メス」たちは、「オス」たちを恐れながらも群れの中で安心を得ているように見える。

それに比べ小綺麗な若い男女や子供たちは「オス」でも「メス」でもなく、そのような動物の範疇に遠い存在のように見える。なぜ齢の行った男女が「オス」や「メス」に見えるのか、男は自分のことを棚に上げて考えてみた。

実際に童貞であるか処女であるかは別として二十歳前後の男女や、思春期の少年少女や子供たちは、人生はまだこれから成長してゆくのであり、これから実社会で揉まれることになるのである。一方、結婚し、子供を持ち、社会で揉まれてゆくうちに徐々に新鮮味が薄れ、5060歳ともなれば徐々に清潔味が薄れてゆく。7080の爺さん、婆さんともなれば、老臭も増え、動きも鈍くなり、齢若い「動物」のような美しさも無くなってくる。

それでもお寺で仏教の修行に励んでいる人たちや、白衣を着ている医療関係者たちや、軍服姿のミリタリーマンたちなどは、よい表現の言葉が浮かばないが、年齢に関係なく「凛」としている。「凛」とは「きりりと身の引き締まるさま」のことである。彼らに共通的なイメージは「知性」「気品」「教養」などである。

してみると、男が「オス」とか「メス」に見える「ヒューマン」は、そういう特徴が薄い人たちなのであろう。男は自分の最期のときまで「凛」してありたいと思っている。

2011年1月20日木曜日

正法眼蔵(20110120)

 男は、岩波文庫の本であるが20年ほど前に『正法眼蔵』を購入していて、殆ど目を通さぬまま書棚に収めたままにしていた。それを今晩(19日)取り出して読み始めた。この齢になってようやくその本を本気で読んでみようという気になった。遅いと言えば遅い。しかし、世の中にはそのような本には目もくれぬ人々が非常に多いことであろう。だから、この齢になってやっとそのような本に目覚めたとしても、まあ許されよう。

 本の表紙に『正法眼蔵』は「道元(12001253年)の主著で、和文を主にし、時に漢文を交えて自己の宗教体験を述べ、坐禅によって到達する正法の悟りをあらゆる方面から説いた」とある。坐禅しなければ、決して悟りは得られないのだろう。男はまだまだ色気がたっぷりあり、坐禅などはしたくないと思っている。おそらく死ぬまで坐禅に浸りきることはないだろうと思う。

 しかし、夢窓疎石(国師)は『修学』と題する詩で「一日の学問 千載の宝 百年の富貴 一朝の塵 一書の恩徳 万玉に勝る 一言の教訓 重きこと千金」と詠っておられる。昨日、鎌倉の瑞泉寺を訪れたが、本堂の裏の庭は夢窓国師が造ったものであるという。それは昭和45年、遺跡の発掘により復元されている。

 瑞泉寺はウィキペディアによれば「鎌倉幕府の重臣であった二階堂道蘊が嘉暦2年(1327年)、夢窓疎石を開山として創建した寺で、当初は瑞泉院と号した。足利尊氏の四男で、初代鎌倉公方の足利基氏は夢窓疎石に帰依して当寺を中興し、寺号を瑞泉寺と改めた」とある。その夢窓疎石は一書である『正法眼蔵』を読んで、その時には既にこの世にはいない道元禅師に帰依したに違いない。

 男はもうこの齢になって仏教の修行をしようとは思わないが、せめて道元が著した本(一書)を読み、いずれ訪れる自分の最期の日まで読み続けようと思う。「道元→夢窓国師→自分」という思想的流れを感じたいと思う。自分がそのように感じながら何れの日かあの世にゆけるならば、本当に幸せなことであるに違いない。

 瑞泉寺の梅はその枝頭に十分春の気配が漲っていた。宋代の詩人・戴益(たいえき)が「尽日春を尋ねても春は見えないが、春は枝頭にあって既に十分である」と詠っているとおり、幸せは目の前に、最も身近なところにあるものである。古の人が行ったような学問をしなければ、真の幸せに気づくことはできないのである。
 
 その『正法眼蔵』で道元禅師は「辦道話(べんどうわ)」と題して「諸仏如来、ともに妙法を単伝して、阿耨菩提(あのくぼだい)を証するに、最上無為(むい)の妙術あり。これたゞ、ほとけ仏にさづけてよこしまなることなきは、すなわち自受用三昧(じじゅようざんまい)、その標準なり。この三昧を遊化(ゆけ)するに、端坐参禅を正門(しょうもん)とせり。」と、最初から坐禅以外に悟りの道はない、と説いておられる。

 男は今のところその気は全くないが、これからの余生のある時期に、なにかきっかけがあれば一定期間坐禅修行・修学の体験をしてみようとは思っている。

2011年1月19日水曜日

鎌倉に遊ぶ (20110119)

 今日(18日、日曜日)、一点雲もない快晴、風も全く感じられない好天気。女房が週間天気予報をチェックしていて「今日」と決めていたこの日、二人で鎌倉に遊んだ。鎌倉には我が家から1時間ほどで行ける。それぞれデジカメを携行して鎌倉八幡宮の「神苑ぼたん園」にぼたんを観に行くことが主目的である。一昨年も其処に行ったことがあった。

 鎌倉に着いて小町通りにちょっと入ったところで右側に路地がある。そこを通って八幡宮参道の通りに出る。平日ということもあって観光客はそう多くない。「若宮通り」という参道は両側に桜の並木が八幡宮の境内の入り口までずっと続いているので、3月の終わりごろになれば桜花のトンネルのようになる。そのころは観光客で非常に混雑する。

 今日は観光客で混雑してはいないが、それでも人通りは少なくはない。11時過ぎであるが混雑しないうちに早めに昼食ととっておこうと思い、参道の入り口の鳥居の近くでまた小町通りに向かう路地に入る。釜あげうどんとか、しらすごはんなどの定食のメニューがあちこちに表示されている。値段は定食で1000円ぐらいが多い。

路地に入ってすぐ右に折れる路地に入ったところに手ごろな店を見つけた。店の前でメニューを眺めていると、店の中から店主らしい女性が出てきて「どうぞお入り下さい」と言うので入った。小さな店であるが雰囲気は悪くはない。まだ客は少なく席は空いている。
   
二人は「○○御膳」というものを注文した。しらすご飯、温うどん、おもち二つと季節の野菜の天ぷら、惣菜、つけもの、デザートにわらびもちの7品で1000円である。美味しかった。温うどんや天ぷらのつゆに加える具には鎌倉特産の細ネギが使われている。これは甘みがあって美味しかったので、男は箸で摘みあげ一つも残さず全部食べた。

 腹ごしらえが終わって目的のぼたん園に行く。ぼたん園の入場料は一人500円。入場者はそう多くないが、皆美しいぼたんの花を愛で、写真を撮っている。男も女房もそれぞれ好き好きに沢山写真を撮った。撮った写真は家でテレビに映して鑑賞し、批評し合う。

  園内に「三笠宮殿下御手植え」のぼたんがあった。ぼたんは4、5月ごろ咲くものもあるが、殿下御手植えのぼたんはそのころ頃花を付けるものであろう。花の写真を撮り終わったころ、男は女房に「俺の写真を撮ってくれ」と言った。すると女房は「わたし、花の写真を撮りにきたのよ」と文句を言う。男は「俺の葬式用の写真だ」と言って、何枚か撮ってもらった。「今日、ここに来た記念だ」と言って説得し、男はぼたんの花をバックにした女房の写真を何枚か撮っておいた。

ぼたんを鑑賞したあと、八幡宮に詣で、孫娘の大学合格の祈願をして瑞泉寺に向かった。瑞泉寺への道の途中に有名な学校がある。親たちはわが子をその学校に通わせたいと願望し、おそらく列車やバスを利用させてまで通わせている親も多いに違いないと思う。男と女房は「‘孟母三遷の教え’というものがある。しかし124時間しかないのにわが子に往復3時間もかけさせて通わせるのは馬鹿げている。」「子供は良い親や良い大人たちが周りにいればよく育つ。有名校に通わせることが必ずしも良い結果を得るとは限らない。」などと語り合いながら、その学校のそばを通る。瑞泉寺に遊び、平家池の傍の店で一休みし、小町通りで遊び、公民館の脇の大功寺にちょっと立ち寄って、夕刻家路についた。

2011年1月18日火曜日

パクス・ヤポニカ (20110118)

 17日(月曜日)の読売新聞朝刊に上記タイトルの記事が出ている。『宗教と国家』と題して宗教思想家・山折哲雄氏が寄稿しているものである。

 山折氏は「日本は平安時代の350年間と江戸時代の250年間、政権の屋骨台はゆらぐことがなかった。このような平和な状態をヨーロッパや中国やインドの歴史では見られない。しかも、日本は1000年以上にもわたって異民族による征服や支配を全く経験していない。こんな国は世界中どこを探してもみつけることができない。日本には国家と宗教の調和がとれた関係があり神仏共存の多神教的システムがあり、象徴天皇制の独自の統治システムがある。象徴天皇の原型はすでに平安時代の摂関政治のなかで形作られている。」と言う。

 われわれ日本人はこのことを誇りに思わなければならないと思う。日本の天皇は神代の昔から万世一系であり、日本の各家の宗家のような存在である。天皇陛下は天下万民の幸せを祈って下さっている。そのようなことは世界中どこを探しても無い。

 一部の学者が日本の歴史を故意に歪め、本を書いて出版し、人心を惑わしている。女性天皇を認める動きをし、小泉元総理大臣の時、危うくその動きに沿った決定が為されそうになったことがある。日本人であるならば、そのような動きに決して騙されてはならない。

 北海道の北端から沖縄の南端にいたる長い日本列島から、フィリッピンの島々に至る長い列島線を、①欧米側の縄張りとして考えるのか、②中国・朝鮮・ロシア側の縄張りとして考えるのか、③或いは日本独自の完全中立的なものとして考えるのか、我々日本人はしっかりとした考え方を持っていなければならない。
 現在の諸状況で、③の日本独自の完全中立的なものは、最も望ましいのかもしれないが、現実的に実現不可能なことである。日本は古来、中国や朝鮮から、取捨選択しながらいろいろ学んできたが、この小さな国の中に、かつて66もの国があり、お互い切磋琢磨しあってきた日本は、諸国家集合体であった。その点かつての日本の中の国々は、ローマ帝国の中の諸国家、アメリカ合衆国の中の州と似ている。中世、ルネッサンス、産業革命という歴史も似ている。文化・言語が違っていても、日本は、中国・朝鮮・ロシア大陸よりも、感覚的に欧米諸国に親しみ易い。

 深層心理学でいう‘セルフ’を国家のレベルで考えれば、日本人の‘セルフ’は正に、代々男系で繋いできた万世一系の天皇制、白地に赤の日の丸の旗、「君が代」という国家である。ちなみに「君が代」の「君」は天皇のことではない。天皇は古来「大君(おおきみ)」とよばれてきた。「君が代」の「君」は我々一人ひとりの国民のことである。

 北海道や沖縄で日教組は反国家的な活動をしていると聞く。彼らは、上述学者・先生方に騙され、洗脳された連中である。

 日本もアメリカのような国家情報機関(CIA)を組織し、彼ら反国家的な連中の活動を監視しなければならない。さもないと、上述‘縄張り’は隙をつかれて荒らされるだろう。昨年9月、愚かな総理が現れて、日本はめちゃめちゃになりかけた。そのお陰で、日本国国民は目が覚め、今、ようやく本来あるべき姿に戻りつつある。今の大人たちは、我々の児孫に、しっかりとした日本を引き継ぐという、非常に重大な責任がある。

2011年1月17日月曜日

2次菅内閣始動()(20110117)

 今日(16日)のNHKの日曜討論を聞いて老人は安心した。各新大臣は、この国の危機的状況を救うため、きっとしっかりやってくれることだろう。菅直人首相の‘自動車教習所通い’、‘仮免許’の時代のことを人はとやかく言うが、誰でも人生の過程でいろいろ経験して、その言動は変化してゆくものである。人の性格は変わらないが、言動は変わる。経験や修行や学問を通じて変わる。以前のことを取り上げて折角真面目に、真剣に、誠実に国の為に尽くして行こうとしている人たちを批判し、その人たちの‘足を引っ張る’のは卑しい根性である。自民党の若手、石原幹事長も‘政局’のため‘大義’を見失っては、必ず後悔することになるだろう。

 変わらないのは旧守的一部の古い政治家たちである。彼らの物事の判断や言動は、私利私欲から発するとしか思えない。市井の人たちは老人のようにものを言わなくても、政治家たちの人となりを見抜いているのだ。侮ってはいけない。

 ある人は「‘清濁併せのむ’度量が必要である」と、老人のような、ある意味では潔癖すぎる、正義感を持ちすぎる人に忠告を与える。ご忠告は有難いがこの国難の時、商人のような根性では乗り切れない。商人にははっきり言えば国境など無用である。自分が儲かりさえすれば良いのである。

 マスコミは人々の注目を集めるため、‘有名な’識者をテレビに登場させ、意見を言わせ、何某かの報酬をその人に払う。一般の視聴者はその‘有名な’識者の‘ご意見’に踊らされる。マスコミもその‘有名な’識者も一般の視聴者を躍らせて儲けている。そこに正義などない。あるのは商人根性だけである。

 今日の討論会では外務大臣や防衛大臣らは出席していなかったから、外交・防衛・安全保障に関することは討論の対象外であった。外交・防衛・安全保障は国の最も大事なことである。これに携わる政治家や官僚たちは歴史をよく勉強し、これらの事に携わってきた有能な官僚たちの知識・経験を最大限に活かして、日本海へ、太平洋へと勢力圏の拡大を狙うロシアや中国の意思を抑制して行かなければならない。

 今朝の読売新聞で中国が北朝鮮の日本海側の都市・羅先に中国軍を駐留させたという記事が出ていた。名目は中国が投資した羅先の港湾施設の警備や中国人の保護が目的であるという。朝鮮半島の状況は明治初期の頃に似てきた。663年の白村江の状況に似てきた。

 確かに日本はアメリカから原爆を2個投下され、アメリカに屈した。現在の状況は幕末のころから一貫して変わりないアメリカの戦略に沿っている。アメリカにとって日本列島からフィリピン諸島にいたるラインは、アメリカ国家の‘縄張り’だろう。日本がアメリカの強力な同盟国である限り、アメリカは日本を自ら血を流してでも守ろうとするだろう。

 日本は歴史的に考えてみると政治の形は古来、欧米的である。言語や文化が異なっていても、日本は中国やロシアや朝鮮半島という大陸よりも、いろいろな面で欧米的である。日本が今後生き残って行く道は、欧米とより親密になる以外にはない。

 日本は欧米諸国の仲間として、上述‘縄張り’の最前線に位置し、大陸側と対峙しながらも友好関係を築き、‘東方の光’を照らし続けることが世界中から求められているのだ。

2011年1月16日日曜日

2次菅内閣始動(20110116)

 マスコミが何と評そうと、党内不満一派が何と言おうと、自民党はじめ野党が何と言おうと、菅総理は‘捨て身’でこの国難を乗りきろうという強い意志を示しているように、老人には見える。老人がブログ「外交と防衛(終り)(20110108)」に書いたとおり、菅総理は本免許を得て‘志’を明確にし、西郷南州のように‘自ら安きを謀らず’国の為に尽し、しかる後は天命に従おうと考えているように見える。衆議院の解散もあり得るだろう。

与謝野経済財政・社会保障・税制改革担当大臣は、老人の見るところ、国の為にわが身を捨てる覚悟であるように見える。世間にどんなに揶揄されようと藤井官房副長官は‘若殿’枝野官房長官を補佐する役目をしっかりと果たすことだろう。江田法務大臣は菅総理の‘叔父’として各‘武将’をまとめ、‘将軍’菅総理を側面から支えるだろう。中野国家公安委員長・公務員改革/拉致問題担当大臣は国家公安の要としてしっかりやるだろう。

読売新聞編集手帳では「異例ずくめの布陣は窮余の一策ならぬ、四策、五策と映る」と批判的であり、一部の論者も世間に迎合的な論評をしているが、老人はそうは見ていない。菅総理には『西郷南洲翁遺訓』にあるように、「命もいらず、名もいらず、官位も金も要らぬ人は、仕末に困るもの也。この仕末に困る人ならでは、艱難を共にし、国家の大事業は成し得られぬなり。」という気持ちで、是非頑張っていただきたいと思っている。腰の氷刀を抜かなければならないとき、対峙する相手の刃の下にこそ、己の生きる道があると思う。

 仙谷氏、馬渕氏の‘切腹’は当然である。国の為、自らの信念に基づき行動し、潔く‘切腹’した海上保安官・一色正春氏は、その行動の時点で仙谷氏が主導する国の方針に敢えて逆らっていたのである。仙谷氏もその当時の状況から最善の決定をしたのである。馬渕氏は自分の意思に反することであっても立場上最善の決定をしたのである。皆国の為を思い、それぞれ行動したのである。であるがゆえに、仙谷氏も馬渕氏も時期を待って‘切腹’しなければならない立場にあったのである。

 そのことについて老人はブログ「戦争回避の最善の方法(20101222)」、「ひ弱な国(20101224)」、「国の為内閣を改造せよ(20101225)」に書いている。岡崎氏は国家公安委員長という国の重要な職にありながら、テロ情報漏えいなど国の安全の根幹を揺るがす事件が起きたときの対処も不適切で、‘流罪’は当然である。

 政府は最近になって外務省顧問団を復活させるなど、過去の過ちの是正し、防衛体制の再編成、有事対処を念頭に置いた日米同盟強化、武器三原則の見直し、前原外務大臣、北沢防衛大臣らの積極的外交に舵を切った。老人がこれまで1年以上も憂え続けてきたことが霧消しつつある。真に喜ばしいことである。‘武士道’が蘇ったように見える。

 小沢氏は政界から去ってもらわなければならぬ。もう彼の時代ではない。石川議員は事情聴取の際、検察に嘘を言って密かに録音していた。4億円について、彼は検察に誘導されて答えたと彼は主張しはじめた。自ら墓穴を掘るようなものである。‘何処からか’得た金は、たとえ‘自分自身のために使わず政治家を志す者のために使った’としても、世間は‘それは自分のシンパを増やすためだっただろ?’としか見ない。つまり私利私欲のためではないかとしか見ない。世間は小沢氏の盟友・鳩山氏にも冷たい視線を送っている。

2011年1月15日土曜日

他人事と自分のこと(20110115)

 さるお方から以前『ジョンソン博士語録』(発行:パレード)という本を頂いていた。老人はその本を時々読んでいるが、昨日胃・大腸内視鏡検査に行くとき電車の中で読もうと思い、その本を持って行った。

 車中隣の席で50代ぐらいの男性が自分の服の胸のポケットから何やら取り出して広げて目を通している。男はちょっと気になって視線を左にやり、ちらっと盗み見した。彼が見ている紙の上に「資格者のIDとパスワード」と書いてあり、名前とそれらしい情報が一覧表になっている。男は、彼はどんな仕事をしているのだろうか、インターネットの時代、男もIDとパスワードの保全には十分注意して管理しているが、彼が見ている情報はインターネット上で盗んだものではないだろうか、などと気になった。しかし、気にはなったが無関心を装っていた。彼は長い時間その一覧表を見ていた。一覧表には黄色のマーキングをした部分が何箇所かあるようであった。そのうち彼はそのペーパーを自分の胸のポケットにしまい込んだ。男に関心を持たせるため、彼はわざと長い時間その一覧表を見つめていたのではないかと思ったりした。いずれにしても彼は怪しい男である。

 その本に次の一文がある。“ No, Sir, every man will dispute with great good humour upon a subject in which he is not interested. I will dispute very calmly upon the probability of another man’s son being hanged; but if a man zealously enforces the probability that my own son will be hanged, I shall certainly not be in a very good humour with him,  「・・・いや、君、誰でも関心のない問題については大いにユーモアをこめて議論するだろう。私は他人の息子が絞首刑にされる可能性については非常に冷静に論争するだろう。しかしもし私の息子が絞首刑にされる可能性を人が熱心に主張するならば私は間違いなくその人とユーモアを交えて議論はできない。」”

 死刑制度について検討されている。新たに「終身刑」を設けて、裁判員裁判でもし裁判員全会一致の死刑判決でない場合、その「終身刑」を適用するということが提案されているようである。

 中国では、麻薬密輸の罪で日本人が4人が死刑に処せられたことは記憶に新しい。つい最近、70歳の日本人と20歳の日本人がそれぞれ別の裁判所で、それぞれ2年間の執行猶予付きの死刑を言い渡されている。執行猶予期間中服役態度が良ければ、死刑から無期限懲役に軽減される道もあるという。

 ジョンソン博士は「他人事は大いにユーモアをもって議論するが、自分のこととなるとそうは行かない」ことを指摘している。

 日本人は大陸の北方、西方、南方、中央アジアを含む各地からこの列島にやってきたが、ミトコンドリアで辿ると、日本人は結局16人の母親に辿りつくという。つまり日本人は皆同胞である。同胞の中に悪い奴がいて同じ同胞を殺害し、金品を奪う。

悪い奴を絞首刑にするか終身監獄につないでおかないと、この社会の秩序は保たれない。麻薬組織でも、恫喝国家でもそれら集団組織を抑制しないと、全体の秩序は保たれない。

2011年1月14日金曜日

内視鏡検査(20110114)

  男は今日(13)2年ぶりに大腸と胃の内視鏡検査を受けた。横行結腸にまたポリープが見つかり切除してもらった。最初に横行結腸にポリープが見つかったのは2005年の4月である。それはその年の8月に安孫子にある東葛辻仲病院に1泊入院して切除してもらっていた。そのときのポリープの大きさは5mmで横行結腸の終わりに近い方に出来ていた。2年後の20078月、再びその病院で検査を受けたらまたポリープが見つかり、すぐ切除してもらった。ポリープの大きさは2mmで、今度は横行結腸の始まりに近い部位に出来ていた。2年後の200912月、またその病院で検査を受けたら、その時は横行結腸の終わりに近い部位に4mmのポリープが出来ていたのでまた切除してもらった。そして今回は同病院の系列の辻仲柏クリニックで検査を受けたら、今度は横行結構が始まる部位のすぐ近くに3mmのポリープが出来ていた。先生はポリープはがん化するおそれがあるので切除した方が良いと言うので、その場で切除してもらった。

胃の方は検査の都度、慢性胃炎があるということ所見であった。今回は大腸同様、食道、胃の方も内視鏡の映像を見せてもらいながらその状況を見せてもらうことができた。これまではモニターが一つしかなかったため、食道・胃の検査の様子は見せてもらうことができなかったが、今回はモニターが左右にあり、医師も患者も映像を見ることができた。

慢性胃炎は胃粘膜の収縮で判る。2009年の検査のとき、びらん性胃炎とういう所見で念のため胃壁の一部を摘み取って病理検査をしてもらったが異常はなかった。今回は収縮だけでびらんは無かったようである。

男はこれまでの内視鏡検査結果の説明書を頂いている。説明書には撮影した写真も挿入されている。患者は自分の大腸や胃の状態をその写真を見て知ることができる。胃カメラでは食道についても異常の有無を知ることができる。

高齢になると食道、胃、腸、大動脈などに異常が生じ易くなる。人間も生物として精巧な機械である。機械は定期的に検査をしてその状況を把握し、何か不具合が見つかれば適切に修理しなければならない。胃と大腸の内視鏡検査、超音波検査による大動脈瘤の発生の有無の確認、血液や尿による循環器系の検査など患者も若干の医学的知識をもっていて自分の身体の状況を定期的に把握することが重要である。男は先月定期健康診断時に血管の状態についても検査を受けた。結果は血管の詰まりは無かったが血管が堅くなっていて88歳の年齢相当であるという所見であった。これは生活習慣を改めればすぐ若返るはずである。2年前年齢相応だったものが急に88歳に老けてしまうということはないと思う。

男の横行結腸にはポリープが出来やすいようである。食事の内容や食事の仕方などに気をつけなければならないと思う。このところ腸内ガスが発生しやく、熟睡時間に持続に問題が起きるようになっている。これは腸内細菌の劣化によるものだろう。NHKの「ためしてがってん」という番組で静岡県の掛川茶がビフィズ菌を増やし免疫を高める効果があり、掛川茶と同じものは自宅でも簡単に作れることが紹介されていた。ポリープ切除の傷が治ったら、早速その茶を作ってよく飲むようにしようと思う。作り方は至極簡単で、茶をすりつぶし、熱湯を注ぐだけである。そうると掛川深蒸し茶のような美味い茶が出来る。