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2018年10月11日木曜日

20181011終章(「日本民族の未来」への私の最後の思い)―― 『古事記』を読む ――



先日、北海道大学がプレスリリーズした「群れをなすメリットがコハナバチの社会進化を導く」という研究報告は注目に値する。その要点は、“働きバチが子を産まず母の子を育てる「真社会性」の進化に、血縁利益はほぼ貢献しないことを解明。・・・親という血縁者を通してワーカー(働き蜂ハチ)内にある利他行動の遺伝子が次世代に伝わる・・・社会性の進化の理由として、群形成のメリットが大部分を占めていることが示された・・・他の真社会性生物でも同様の測定を行い、社会性の進化に対して、群効果と血縁効果の相対的重要性を評価することで、ヒトを含め、社会性(=協力)が進化する理由への一般的回答が得られることが期待される。”である。

 このことは出来るだけ多くの人種との間での混血が進んでいる社会は自然に「利他行動」が発現されるに違いない。日本人は多様性に富み、一人一人の日本人は様々な思想・信条を持っているが、「群れ」に忠実である。日本の場合、徳川幕府消滅前後以降および前の大戦に敗戦以降の著しい社会進化は、日本人の生来の「利他行動」によるものではないだろうか?日本人は多くの人種が混血している単一民族国家である。アメリカ・中国・ロシア・EUも多くの人種が混在し、その内部で混血が進んでいる。ブラジル等中南米諸国も同様である。これらの国々・地域内では「群れ」行動を通じて社会性が一層進化してゆくことであろう。

国立遺伝学研究所などの研究チームは10日、旧石器時代から江戸時代までの100人以上のゲノム(全遺伝情報)を解析するプロジェクトチームを始めると発表した。・・・プロジェクトは今年度から5年間で行う。・・・国立遺伝学研究所の斎藤成也教授(人類進化学)は「日本列島に住み始めた人々の起源や文化に一歩でも迫りたい」と意気込む (今年912日付読売新聞) 日本人は何処から来て何処に行くのか。一筋の光が見えて来ることだろう。

 ヒトを含む全ての生物は生存と自己保存を目指す。日本人の集団も例外ではない。むしろ日本人は意識的にそれを目指すべきである。さもないと日本人も何かの環境の変化により、ヒトという生物として生き残ることが困難になる。戦後の日本人は戦勝国アメリカの武力に依存しすぎていて「(日本人として)生き残る」という意欲に欠けていた。幕末、日本人は生き残るために何をしたか?日本が西欧列強と肩を並べるほど力を付けた後、日本人は国の為、アジアの解放のため戦ったではないか? 朝鮮を近代化したではないか?

 色々な経験を経て日本民族は急速に進化し続けている。その源は何だろうか?考えられることは;①利他行動、②国際法の順守、④礼節をわきまえること、③理性的行動(歴史的な事実を歪曲しない。感情に走らない。他国・他の国民に対して非礼な言動をしない。)、⑤創意・工夫の精神、⑥辛坊・忍耐の精神、⑦切磋・琢磨の精神、⑧天皇を大切に守って来た国民性、⑨日本人皆同胞の意識、などが挙げられる。
 
法律の改正により今後日本に永住する人が増えるであろう。一方、法律により永住権を得ている特別永住者の数は日本人との結婚等により徐々に減ってゆくことであろう。それらの永住者・特別永住者は数世代後には皆日本人になってゆくことだろう。混血は2のn乗(nは世代数)で広がって行くだろうから、将来皆血が混じり合い同じ日本人になる。日本国籍を取得した人は皆日本民族の一員となり、古来の日本の伝統・文化を大切に思うようになるだろう。必ずそうあるべきであり、私はそのように期待している。

 東アジアの情勢は安定の方向に向くのか?或は150年前に似た状況に戻るのか?「日出る国ニッポン」「東洋の光の国ニッポン」は前の大戦で言語に絶する悲惨な目に遭ったが、先人たちの意識(=量子のはたらき=魂)が我々を見守って下さったから見事に蘇ったのだ。全ての日本人よ、「祖霊」の存在を意識し、「祖霊」に感謝しよう!

 現代は余りにも情報の量が多すぎて、『古事記』・『万葉集』など大事な古典に対する関心が低いように思う。『古事記』と『万葉集』は、全ての日本人の魂の拠り所となる物である。少なくともこの2冊の古典だけは、学校で家庭で職場で事あるごとに話題にされるようになることを願う。これを以って“『古事記』読む”シリーズを締めくくることとする。(終り)


2018年10月4日木曜日

20181002日本人の特性 ―― 『古事記』を読む ――


 日本人の特性について考える。日本のある企業が外国である事業を請け負って完成させ、納入したとする。その後その納入物に大きな問題が起きたとする。この場合もし日本人なら起きてしまった問題の解決のため、その企業・日本政府と共に何かしようと考えるだろう。其処には日本人が共有している「恥の文化」と「同胞意識」がある。

 かつて日本は、アメリカと戦争をしているとき、軍部は「鬼畜米英」というプロパガンダ用語を用いて国民を鼓舞していた。その当時、国民はアメリカ空軍による無差別絨毯爆撃で家族や近所の人たちを失っていた。そのプロパガンダはそのような悲惨で異常な状況の中で国民の気持を外に反らすため用いられていたと考えられる。もし当時、SNSが発達していたらどうであっただろうか?日本人は反米感情をあらわにし、アメリカ人を獣や家畜扱いにしてののしっていただろうか?私は決してそうは思わない。

 私の見解では、日本人は自らを獣や家畜同然のレベルまで下げてものを言うようなことは決してしないだろう。古来、日本人には「恥の文化」が根付いている。日本人は自分が死んだあと、辱めを受けることを決して望まない。其処には、日本人には「前世・現世・来世」という「三世輪廻の宗教観」が根付いている。古代インドで生まれ、古代中国で継承されたたが衰退し、日本で発展した仏教思想が日本人の精神を形成している。更に日本では、古代の朝廷による政治を引き継いで、中世から近代にかけての武家による政治が行われた。その間一貫して古代中国の思想が学ばれていた。その中には陽明学と言う、ある意味「実用の学」も含まれていた。こういうことが日本人の特性を形成していると考えられる。

 津田左右吉著『古事記及び日本書紀の研究』(毎日ワンズ)に “いろいろの事情にも助けられて、皇室は皇室として長く続いてきたのであるが、これだけ長く続いてくると、その続いてきた事実が皇室の本質として見られ、・・・皇室を未来にも長く続けさせようという欲求が生ずる。・・・長く続くようにしなければならぬ、ということが道徳的義務として感ぜられるようになる。・・・神代の物語は皇室の由来を物語の形で説こうとするものであって、その中心観念は、皇室の御祖先を宗教的意義を有する太陽として日の神とし、皇位(天つ日嗣)をそれから伝えられたものとするところにあるが、それは政治的君主としての天皇の地位に宗教的性質があるという考えと、皇位の永久という観念とが、含まれている。とある。皇室は、全ての日本人の実家のようなものである。心の拠り所である。日本人が高い品性を保ち得るのは正にこの事実によるものである。

 その背景には、日本人の先祖が約16000年前から約3000年前までの13000年間も続いた縄文人であること、そして約3000年前以降、大陸からの渡って来た人々と縄文人が混血して原日本人になったことが十分考えられる。四囲海に囲まれ、深い森林のなかで狩猟・採集の平和な暮らしをしてきた縄文人の精神文化を水平軸の文化とすれば、闘争を経験した稲作・漁労の民である渡来人の精神文化は垂直軸の文化と考えることが出来る。原日本人の精神文化はその両軸のベクトルの合成であると考えることができる。其処には自ずと「恥の文化」を生む秩序と、広大な大自然の中で協力し合う「同胞意識」と、大自然と共に生きてきて培った「前世・現世・来世の三世輪廻の宗教観」を生む素地があったのである。

吉田敦彦著『日本神話の源流』(講談社現代新書)に“日本神話が世界の諸民族の神話と比較されるようになって・・・わが国の古典神話が、ポリネシヤやミクロネシア、インドネシアなど、南太平洋の海上に浮かぶ大小の島々の原住民の・・・神話と、きわめてよく似た話を数多く含むという事実であった”とある。日本人と東南アジア人の間の親近感の源は其処にある。アメリカ軍太平洋艦隊司令長官ニミッツ元帥が称賛したペリリュー島守備隊の日本軍人のこと、戦いが終わり帰島直後の島民が無数の日本軍人の屍を見て何を感じ、何をし、現在パラオ・ペリリューはどのようにあるかということを知るには、この神話の類似性のことを頭に入れるべきである。

『古事記』の「上つ巻」と『日本書紀』の巻第一神代上及び同下の神話は、スンダランドから日本に渡って来た「南回り縄文人」の先祖が語り継いだ話であるに違いない。その話は南太平洋の島々の原住民の先祖に語り継がれたものと同じ類に違いない。『古事記』は日本人向けに書かれ、『日本書紀』は中国人と日本人向け書かれた歴史書である(竹田恒泰著『古事記完全講義』)

その『古事記』に日本独自の神話が書かれている。それは皇室の氏神・日本国民の総氏神であられる天照大神が「天の岩屋戸」にお隠れに成られたときの話である。
①天兒屋命(あめのこやねのみこと)は祝福の祝詞を申し、腕力の強い神様・天手力男神(あめのたちからをのかみ)が岩屋戸の脇に隠れて立った。
②天宇受賣命(あめのうずめのみこと)は天の香山のサガリゴケを手次(たすき)に繋(か)けて、ツルマサキを髪飾りにして、天の香山の小竹葉(ささば)を手に持ち加減に結び束ねて、天の岩屋戸に空っぽの入れ物をうつ伏せにして蹈(ふ)み轟(とどろ)こし、神懸かりして、胸乳をかき出(いで)裳緒(もひも)を陰(ほと)に押し垂れた。
 (アメノウズメノミコトは天の岩屋戸の前でとんとんと足を踏み鳴らして恍惚状態になり、素っ裸になって、手にした一枚の布を自分の陰部に当て、ストリップショーをした。)
③高天の原が動(とよ)んだ。
④八百萬の神は皆大笑いした。
⑤天照大神は怪しいと思って、天の岩屋戸を少し開いてみた。(後略)    (続く)   
    

2018年9月25日火曜日

20180925日本人の進化の原動力 ―― 『古事記』を読む ――



 小笠原の南に南硫黄島という無人島がある。その広さは皇居の約1.5倍で、最高標高は916mである。先般この島に関する学術調査が行われ、コダマ(木霊)というカタツムリの一種について調査が行われた。カタツムリは世代交代が早いので進化の過程を調べる上で好都合な生物である。そのコダマは北海道に生息している生物であるが無人島の南硫黄島で発見された。これは恐らく野鳥の身体に付着していたものがその島で地面に落ちて進化したものであろうと考えられている。その島では亜熱帯の低地・雲霧の中高地・温帯の高地ごとにそれぞれ進化したコダマが発見され、DNAの調査のため採集された。この研究成果は地球上のすべての生物の進化の原動力となっている遺伝子の発見につながるかもしれないと期待されている。

 ヒトと呼ばれる人類も進化の過程にある。日本人は縄文人・渡来人・帰化人の血が長い年月の間に入り混じった人種であり、現在も日本人と世界各地の人々との間で混血が続いている。今後50世代も経れば、日本人の容貌・体躯・諸能力等は現在とかなり違ったものになっているだろう。アイヌの人々は縄文人の子孫であるが、縄文人の血を引く現在の日本人とは遺伝子の一部に大きな違いがあることが分かっている。そのアイヌの人々も50世代後にもなれば、多分純粋なアイヌの人々は居なくなっていると考えられる。

 混血と言う意味では、異なる人種の種類が多いアメリカや中国やロシアも同様であろう。多くの人種の混血が進行している国は、国家として一つにまとまっていて安定が続く限り益々強い国家に進化して行くに違いない。一般的に言えば、進化の過程で後発の生き物は、それ以前に分岐した生き物より自存力が強いと考えられる。縄文人を先祖にもつ日本人は縄文人より後に分岐した人々と混血しているので自存力が強いと言えるのではないか?

古代に縄文人と渡来人の混血していた日本人は、古来自国が「小国」であるという意識は無かったし、これからもその意識はないだろう。聖徳太子から古代中国の隋の皇帝に宛てた手紙には「日出る国の天子日没する国の天子に書を致す。恙なきや」と書かれていた。古代日本の朝廷は古代の中国朝廷に対して歴史書『日本書紀』を示して、日本の国名を「倭国」から「日本」に変更させた。寛仁3年(1019年)に刀伊(女真族の一派とみられる集団を主体にした海賊)が対馬・壱岐を襲い、さらに筑前(福岡)に侵攻した時も、文永11年(1274年)と弘安4(1281)の二度にわたり当時の中国の元王朝の大軍(大艦隊)が対馬・壱岐を含む北九州に侵攻してきた時も、また応永26年(1419年)に李氏朝鮮軍が倭寇討伐を名目として対馬に侵攻してきた時も、当時日本の武士たちがこれらに対処し、これらを撃退している。勿論台風・台風接近と言う天祐もあった。日本は近現代においても強大な国々と戦争をした。日本人は古代から自らの国を「小国」と思っていないのである。

日本人にとって大事なのは日本を取り巻く様々な状態である。日本人は自分自身を他の国の人々と比べることにあまり興味はない。明治天皇は、「四方の国、皆同胞と思う世に」と歌を作られた。笹川良一は「世界は一家、人類は皆兄弟」と言った。国際連盟を立ち上げる時、人種差別撤廃を主張したのは唯一日本であった。

日本人は無意識のうちにそういう心を表している。これが日本人の特質であり、日本人が進化を続ける原動力となっているものである。この原動力は日本による韓国併合後の朝鮮半島の近代化と経済振興策の実行・台湾の統治・東南アジア諸国の解放と統治・パラオなど南洋諸島の統治において発揮された。戦後の日本人はそのことを忘れていたが、台湾・東南アジア諸国・パラオなどの南洋諸国の人々から逆にそのことを思い出させられている。

日本人はなぜこのようにあるのか? 私は、それは『古事記』・『万葉集』にその答えがあると考えている。戦後の日本人は精神改造を強いられた。私が小学校2年生のとき、教科書は書かれていた内容の一部が黒塗りだった。しかし今の日本人は強制されずとも、或いは「遠ざけよ」と言われても、心の何処かで『古事記』・『万葉集』に何か親しみを感じている。何故ならそれらの書物は日本人の心を素直に映し出すものであるからである。

竹田恒泰著『古事記完全講義』の一節に“今、日韓共同で、歴史認識を統一させようと作業部会が開かれていますけれども、もう毎回大喧嘩。血を流すほどの喧嘩をして、全然歩み寄りが出来ないんです。日本人が口を開くと、韓国人が「ふざけんなぁ!」「侵略者ぁ!」となりますし、韓国人が何かを言うと、日本人は「そんなの認められるかぁ!」「史実と異なるだろう!」とか言って平行線なんですよ。・・・・ウソじゃ無かった出雲の無血国譲り・・・・世界的にも例がない‘話し合い’で生まれた統一国家・・・・「好きな神様を拝んでいいよ!」が無血統一のキモ”とある。縄文人と渡来人とが混血していた人々の王国・出雲は、同じく縄文人と渡来人とが混血していた人々による大和王権と話し合って、それぞれの精神文化を認めあうことで平和裏に大和王権の支配下に入った。この水平的な協調の精神は、約16000年前から役3000年前まで続いた縄文時代に培われたものであるに違いない。

出雲王国が大和王権の支配下に入る時、出雲王国側からの要求により、巨大な神殿が建設された。近年その遺構が発見された。その建築物の高さは48mであったことが推定されている。この巨大な神殿は大和王権側からの提供されたものである。『古事記』には大国主神が次のとおり大和王権側の使者に伝えたことが書かれている。
① この葦原の中の国は、天照大神の大御業を受け継ぎになるお方に献上します。
② ただ私の住処として壮大な宮殿を作って下さるならば、私は神々の先頭に立って、またしんがりとなって、神々を統率します。(続く)


2018年9月9日日曜日

20180909三つの型の「何でも有り」の国々 ―― 『古事記』を読む ――



日本は、“「何でも有り」”しかし「群れに従順」の国である。
アメリカは、“「何でも有り」しかし「○○を忘れるな」の言葉で団結”する国である。
 「○○を忘れるな」の「○○」は「メイン号」・「アラモ」・「真珠湾」である。
中国は、“「何でも有り」しかし「皇帝が必要」”な国である。

上記三つの「何でも有り」の中身はそれぞれ根本的に違っている。日本人の先祖は遠い昔多くの人種が混血したため今の日本人は非常に多様なDNAを持っているが、国家としては2678年前に神武天皇が即位して以来男系の皇統が続いている単一民族の国家である。アメリカは白人・黒人・ヒスパニック・ネイティヴアメリカンなど多くの人種から成り立っているが、国旗・国歌・大統領選挙・合衆国国立墓地などの象徴により“アメリカ人”としてまとまっている。大多数の漢族の他に55の少数民族が存在している中国は、中国共産党が一党支配している“中華民族”の国家である。中国では歴史的にモンゴル族や満州族の皇帝が存在していたが、現在は中国共産党の代表者が“皇帝”の役割を担っている。

『古事記』・『日本書紀』を深く学べば、日本人にとって天皇の存在が如何に重要であるかわかる。戦後、日本人は自らのアイデンティティを見失っていた。竹田恒泰著『古事記完全講義』に“「茹でガエル症候群」()。要するに‘百年殺しの刑’をかけられたんですよ、日本は。・・・中国人向けの『日本書紀』日本人向けの『古事記』”とある。

私は、『古事記』の「上つ巻」内容の大部分は神話の物語であるが、物語の一部には実際にあった事が象徴的に語られていると考えている。(下記⑬以降は、一部私の想像を含む。)
①火照命(ほでりのみこと)。火照命(ほでりのみこと)は隼人阿多君の祖である。
②火照命(ほでりのみこと)は海幸彦(うみさちひこ)として、鰭(はた)の廣物、鰭の狭物を取った。
 海幸彦とは海の獲物を得る男のことである。鰭とは海の大小の魚のことである。
③火遠理命(ほをりのみこと)山幸彦(やまさちひこ)として、毛(け)麤物(あらもの)、毛(け)の柔物(にこもの)を取った。山幸彦とは山の獲物を得る男のことである。「さち」は道具で、山幸は弓矢、海幸は釣り針を意味する。
④ホデリノミコト(海幸彦)は兄、ホオリノミコト(山幸彦)は弟である。
⑤海幸彦と山幸彦は兄弟喧嘩をした。
⑥海神・ワタツミノカミ(綿津見神)は山幸彦に「兄が高いところにある乾いた田を耕すときは、お前は低いところにある湿潤の田を耕せ。兄が低いところにある湿潤の田を耕すときは、お前は高いところにある乾いた田を耕せ。わしには水を扱う力があるから乾湿如何様にも出来るのだぞ。だからお前の兄は3年の間に必ず貧しくなるのだ。もしお前の兄がお前に何か悪いことをしたら、わしは潮の満ち干を加減してお前の兄が苦しむようにしてやる」と言った。
⑦兄・海幸彦は降参した、そして海幸彦の子孫である隼人族は弟の子孫に代々服従するようになった。(つまり隼人族は朝廷に代々仕える身分になった。)
⑧海神の娘・トヨタマヒメ(豊玉毘賣命)は、山幸彦に出会い、その神々しさに打たれ、父・ワタツミノカミにそのことを報告した。
⑨ワタツミノカミは山幸彦が天の神の御子であると確信し、自宅の客間をアシカの皮などを敷き詰め、飾りつけをして山幸彦を迎え入れ、丁重におもてなしをし、娘・トヨタマヒメを山幸彦と結婚させた。
3年後トヨタマヒメは天の神の御子ホオリノミコト(山幸彦)の子供を身ごもり、一人の御子(アマツヒコヒコナギサタケウガヤフキアエズノミコト)を生んだ。
⑪ホオリノミコトは高千穂に宮殿を建て、其処に住み亡くなった。その御陵(お墓)は高千穂の山の西にあり、宮内庁が管理している。
⑫アマツヒコヒコナギサタケウガヤフキアエズノミコトとトヨタマヒメの妹・タマヨリヒメ(玉依毘賣)の間に生まれた子供の二男が初代神武天皇となられたカムヤマトイワレヒコである。
⑬約6300年前に起きた鬼界カルデラ大噴火により、鹿児島県上野原縄文遺跡にみられる「黒潮の民」の文化は壊滅的な被害を受けたが、その中で生き残った人々の子孫は海幸彦として象徴されている。
⑭「黒潮の民」は遠い昔スンダランドから海を渡ってやって来た人々である。彼らは丸ノミ石斧製造・造船・航海・漁労の技術を持っていた。
⑮縄文人と渡来系弥生人が混血した人々の長が山幸彦として象徴されている。渡来系弥生人は約3000年前に日本に渡って来た長江中流域の稲作漁労民を先祖とする人々である。
⑯渡来系弥生人の先祖は北方から良い暮らしを求めて南下してきた畑作狩猟民から圧迫を受けたが、日本に渡って来た時既に青銅製の剣など北方の文化に染まっていた。
⑰渡来系弥生人が日本にやってくる前に、長江河口付近で漁労に従事する人たちが居た。彼らは舟で沖に出るとき食料として米を携行していた。彼らは時に嵐に遭い、沖縄や鹿児島に漂着して其処に住みつき「黒潮の民」の血を引く縄文人との間に子孫を残した。その子孫の長が海神・ワタツミノカミ(綿津見神)として象徴されている。
⑱「黒潮の民」は日本各地に散らばり、その土地の人々との間に子孫を残した。彼らは海神族としてワタツミノカミを祖霊神とした。
⑲海神族は応神天皇三年十一月に安曇野連の統率下に置かれた。安曇野連の先祖は上記⑰の「黒潮の民」の血を引く縄文人との間の子孫の有力者である。
                                   (続く)
 

2018年9月6日木曜日

20180906原日本人の形成 ―― 『古事記』を読む ――



 安田喜憲著『古代日本のルーツ 長江文明の謎』に畑作牧畜民が作り上げた文明は、森を破壊し、闘争的で、・・・森から生まれた稲作漁労文明は、自然の再生と循環を重んじ、・・・長江文明をつくりあげた稲作漁労民は、畑作牧畜民のように争いを好まなかった。・・・中国の長江文明と日本の縄文文明の間に交流はあったのか。・・・三内丸山遺跡や縄文時代前期の福井県鳥浜貝塚から発見された鹿角斧は、長江流域の河姆渡遺跡から見つかったものと驚くほど似ている。・・・江漢平原こそ長江文明の発祥地であり、雲南省や貴州省、江西省などの山間部にひっそりと暮らす苗族は、江漢平原で誕生した長江文明を受け継ぐ者たちだったのである。・・・馬に乗り青銅の武器を持った民たちにとって、長江の民の征服は容易だったであろう。・・・とくに約3000年前の寒冷乾燥化は厳しいもので、北方の民は大挙して長江流域に押し寄せた。・・・多くの人々は、北方からやって来た人と一緒に暮らしただろう。・・・長江流域の民が向かったのは、中国の山奥ばかりではない。すでに指摘したように、海を渡り、台湾にも行っている。さらには日本列島に渡り、日本の弥生文化の成立にも大きな影響を与えている。・・・苗族の伝説には、彼らの哀しみを伝えているものがある。彼らの祖先が黄帝の子孫と戦ったという話である。黄帝というのは、漢民族による中国の先祖とされる人物である。”とある。

 遠くスンダランドに発し、黒潮に乗って日本列島に辿りついた縄文人の祖先(黒潮の民)は丸ノミ石斧製作・造船・航海・漁労の技術を持っていた。樺太や・朝鮮半島経由で日本列島にやって来た縄文人の祖先と黒潮の民は混じり合い、黒潮の民の丸ノミ石斧の技術は磨製石斧製造に応用され、日本島全体に拡散した。これらの人々(縄文人)のルーツは皆同じで、4万年〜5万年前カザフスタン南部を出発し移動してきた人たちであり、寒冷地に適応して進化した漢民族などの祖先より約1万年前分岐した初期の人たちであった。

 約16000年前から約3000年前までの約13000年間続いた縄文時代に、長江河口から漁に出た稲作漁労民が嵐に遭って沖縄・九州南部に漂着したことが何度かあったと考えられている。事実、現在でも長江河口付近の漁民はそういうことを語っている。黒潮の民と彼ら漂流漁民とは、造船・航海・漁労と言う面で何か共通するものがあったに違いない。

海人族の祖先神は綿津見神(ワタツミノカミ)である。海人族は元々黒潮の民であった。長江河口からの漂流漁民の中から黒潮の民を統率する者が現れた。それが安曇氏の先祖である。新人物文庫『古代豪族の謎』では、『日本書紀』応神天皇三年十一月条を引用して、“安曇氏は応神系列以前から列島全体の海部を支配した存在ではなく、いずれかの時点で各地に分布していた海人集団を統括するようになった”としている。

3000年前、長江中流域の稲作漁労民が畑作牧畜民による圧迫を逃れて長江河口から日本に渡って来た。彼らは元々水稲稲作技術を持っていたが、その上畑作牧畜民の文明を身につけていたに違いない。青銅製の剣も所持していたに違いない。彼らは元々縄文人と同じで闘争を好まぬ温和な人たちであったので、縄文人たちと殺し合うことは無かったが、稲作技術を持っていて縄文人たちより良い暮らしをすることができたと考えられる。そしてお互い婚姻関係をもって混血し、「倭人」と呼ばれる原日本人が誕生したのである。

『古事記』に出ている大山津見神(おおやまつみのかみ)はその土地の原日本人の集落の長だったのであろう。その二女は縄文人の血を濃く引いて容貌は彫りが深く、眼はパッチリとし、二重瞼でえくぼが可愛い乙女であったと想像される。それに比べ長女の方は長江中流域からボートピープルになってやって来た人々の血を濃く引いていて、鼻は低くのっぺらぼうの顔立ちで、決して美人ではなかったと想像される。

①『古事記』には、ニニギノミコト(天津日高日子番能邇邇藝命 あまつひこひこほのににぎのみこと)が笠沙(かささ)の御前(みさき)で麗(うるわ)しき美人(おとめ)に遇(あ)って、「あなたは誰か」と問うたら、その美人は「大山津見神(おおやまつみのかみ)の女(むすめ)で、コノハナノサクヤヒメ(木花佐久夜毘賣)です」と答えた。
②ニニギノミコトは「わしはそなたと結婚したいと思うがどうじゃ」と仰った。
③コノハナサクヤヒメは「私独りじゃ決められないので父に相談しますね」と答えた。
④コノハナサクヤヒメの父・大山津神は大喜びで、姉の石長比賣を副えて、色々な贈物を持たせて姉妹をニニギノミコトのところに行かせた。
⑤ところがニニギノミコトは姉の方は美人でなかったので送り返し、妹のコノハナサクヤヒメとその夜セックス(一宿婚 ひとよまぐはひ)した。


                                   (続く)

2018年9月2日日曜日

20180902弥生時代の出来事を想像する ―― 『古事記』を読む ――


20180902弥生時代の出来事を想像する ―― 『古事記』を読む ――

 岩波文庫版『古事記』によれば、
①伊邪那岐命(イザナギノミコト)の妻・伊邪那美命(イザナミノミコト)が葬られた場所は、「出雲國と伯伎國との境の比婆の山」である。脚注には「広島県比婆郡に伝説地がある」とある。
②一方、イザナミノミコトがいる場所は「黄泉国」である。イザナミノミコトは「黄泉比良坂(よもつひらさか)」に「千引(ちびき)の石(いわ)」を置いて、自分に会いに来た夫・イザナギノミコトに別離を言い渡している。
③イザナギノミコトは、妻・イザナミノミコトの「この世」の姿を今一度見たくて、殯宮という遺体の安置場所に入ったら「蛆(うじ)たかれころろきて(宇士多加禮許呂呂岐弖)」、愛する妻の変わりように驚いて逃げた。
④宮崎県の高千穂の峰に天降ったニニギノミコトは鹿児島県の笠沙の岬に立って「此地(ここ)は韓国に向ひ、笠沙(かささ)の御前(みさき)を眞來(まき)(とほ)りて、朝日の直刺(たださ)す國、夕日の日照る國なり。故、此地は甚(いと)吉(よ)き地(ところ)」と仰った。
⑤日本各地にその存在の痕跡がある安曇族について、「綿津見(わたつみ)の神は、阿曇連等(あずみのむらじら)の租神(おやがみ)」と書かれている。

『隋書巻八一東夷傳・倭國(隋書倭國傳)』(岩波書店)に、「死者斂以棺槨、親賓就屍歌舞、妻子兄弟以白布製服。貴人三年殯於外(死者を斂(おさ)むるに棺槨(かんかく・そとばこ)を以ってし、親賓屍に就いて歌舞し、妻子兄弟は白布を以って服を製す。貴人は三年外に殯(もがり)し)」とある。竹田恒泰著『古事記を読む』には、“黄泉の国の物語は、殯宮での出来事だったのかもしれない”とある。

因みに、殯(もがり)とは、「日本の古代に行われていた葬儀儀礼で、死者を本葬するまでのかなり長い期間、棺に遺体を仮安置し、別れを惜しみ、死者の霊魂を畏れ、かつ慰め、死者の復活を願いつつも遺体の腐敗・白骨化などの物理的変化を確認することにより、死者の最終的な「死」を確認すること」(Wikipedia)である。

現代人は意識を理性的に捉えるが、古代人は意識を時空を超えた世界にまで感覚的に捉えていたのかもしれない。芸術家は事象を古代人のように捉え、作品に仕上げていると考えられる。だから人々はそういう芸術作品を鑑賞して、想像を膨らませて、その意識を時空を超えた世界にまで延伸して感動するのである。

古代人は何事も感覚的に認識していたに違いない。古代では死者が白骨化し、確実に生前の形が無くなったことを確認して、初めて「この世」の人が「あの世」に逝ったのだと認識したに違いない。

 『古事記』に書かれている阿曇連(あずみのむらじ)を祖とする人々の先祖は、弥生時代以前に長江中流域からやって来た人々であったのではないだろうか?私は次のように想像している。
(a) 彼らは縄文人と混血し、「倭人」と呼ばれていた人たちとなった。
(b) 彼らの先祖は先ず九州南部で勢力を広げ、豊後水道沿いに勢力を拡大し、九州北部を 拠点にして朝鮮半島にも進出していた。
(c) 九州南部で勢力を広げていた「倭人」たちの中からカムヤマトイワレヒコ(神武天皇)という英雄が現れた。
(d) ヒミコは安曇族が与した磐井氏に縁がある人であった。

 神武天皇から数えて15代目の応神天皇の五世の男系直系子孫が継体天皇である。応神天皇の母は神功皇后である。『古事記』にも『日本書紀』にもヒミコのことは出ていないが、天照大神と神功皇后のことは出ている。ヒミコを天照大神とする説があり、私もそう思ったことがあって、以前このブログにそのように書いたことがあった。しかしヒミコは中国人が中国の歴史書に書いた人物の名前であって、実は記紀の神功皇后その人ではなかろうか、と今私はそう思うようになった。

                                   (続く)

2018年8月30日木曜日

20180830「武士道」の極意「己を知る」 ―― 『古事記』を読む ――



 日本人が自らのアイデンティティを明確に自覚するように成れば、日本人は「生残り」に不安は全く無くなるだろう。人種の特殊性・優秀性や民族の誇りなど、他を差別する意識は国家として進む道を誤る。日本人はただ「生き残る」ことだけに集中すればよい。どの国の人々でも、自分の国が国家として生き残るために必死である。日本人も同じ様にすれば良いのである。もし日本人が他の国の人々に対して、もし少しでも優越心を持つならばそこに「心の隙」が生じ、日本人は時間軸の未来において必ず憂き目に遭う事こと必定である。

 生き残るために何が必要か?それは己を知り敵を知ることである。「己を知る」とはどういうことか?それは、先ず自分が何処から来たのかを知ることである。自分が何処から来たのかを知るためには、「生き物」である自分のルーツについて遺伝学・生物学・考古学・人類学等について正しい知識を得るとともに、自分の国の歴史について知ることである。

「敵を知る」ことよりもまず「自分を知る」ことが最も重要である。某国では国民に誇りを持たせるため、「敵」とする国の歴史について嘘を教え、その嘘が自己増殖してしまっている。「敵を知る」ことの中で重要なことは、敵が己についてどういう知識を持っているかということである。そのことを知っておれば、敵が己について信じ込んでいる嘘を正当化するための行為を止めさせることができる。敵のあらゆる謀略も宣伝も所詮白日の下に明らかになるものである。しかし自分が自分自身を良く知っていないとそれは明らかにならない。

『古事記』は日本人が己を知る上で非常に良いものである。私は竹田恒泰著『古事記完全講義』は全日本人必読の本であると思っている。この本を岩波文庫版『古事記』と照らし合わせながら読むと、『古事記』について理解が一層深まるだろう。

その『古事記完全講義』に“桃の木に「現世の人が苦しんでいたら助けてあげて」と・・・『古事記』で地上世界の人について言及されるのは、これが最初であります。『古事記』には、人の起源についての記述がないんですよ。・・・聖書のように「神は自らの姿に似せて人をつくった」というようなことは書いてないんですね”とある。

さて、私は以下のとおり岩波文庫『古事記』を読む。
①イザナミノミコトに会いに来たイザナギノミコトに、イザナミノミコトは黄泉神(よもつかみ)と語り合ってくる(相論(あげつらはむ))から、それまで私を見ないで待っててね!」と言った。
②それなのに待ちきれなかったイザナギノミコトはイザナミノミコトが居る所に「一つ火」を灯して入って行って、変わり果てたイザナミノミコトの姿を見てしまった。
③イザナギノミコトはその姿を見て恐ろしくなってその場から逃げ出した。そのとき十拳剣(とつかつるぎ)を抜いて後ろ手に持って、それをぶるぶる振って追手の邪霊を呪った。
④イザナギノミコトは「あの世」と「この世」の境界の所まで逃げて来た時、其処にあった桃の実三個を追手に投げつけたら、追手は皆逃げ去った。
⑤この時イザナギノミコトはその桃の実に、「お前が私を助けてくれたように、現世で苦しんでいる人が居たら助けてやれ」と言った。
⑥「あの世(黄泉の国)」に居るイザナミノミコトと「この世(現世)」に居るイザナギノミコトの夫婦喧嘩は、イザナミノミコトが「あの世」と「この世」の境界に「千引(ちびき)の石(いわ)」を置いたことにより決定的となった。
⑦イザナミノミコトはイザナギノミコトに、「愛しいあなたがそのようなことをするなら、私はあなたの国(現世)の人々を一日に千人縛り首にして殺してしまうわよ」と言った。
⑧これに対してイザナギノミコトは「愛しいお前よ。お前がそのようなことをするならば、わしは一日に千五百の子が生まれるようにするぞ。一日に1000人死ねば、一日に1500人生まれるのだ」と言った。
⑨「あの世(黄泉の国)」と「この世(現世)」の境界は、今、出雲の國の伊賦夜坂(いふやさか)であると言う。(所在不明。出雲風土記にその伝説がある。)

                                   (続く)