2017年11月16日木曜日

20171116日本と中国は「大人の付き合い」をしながら共に繁栄・発展できる。


 中国の統治体制はある意味「王朝」による統治のようなものである。奈良時代・平安時代の統治体制も「王朝」によるものである。両者の違いは概ね以下のとおりである。

① 中国
現在の中国で統治体制の中枢を担う人たちは、共産党員として頭角を現した人たちが中国共産党全国代表大会で選出される。それ以前は漢族皇帝による王朝・蒙古族皇帝による王朝・満州族皇帝による王朝があった。蒙古族による王朝・満州族による王朝の場合でも実務官僚組織は漢族により維持されていた。

 ② 日本
奈良・平安時代の統治体制の中枢を担う人たちは天皇により三位以上の位階を授与された貴族である。貴族は世襲制であった。この時代の実務官僚組織は貴族と血縁関係がある家柄に出自を持つ者や地方の豪族により維持されていた。

 「中華」とは「世界の中心」を意味する言葉である。中華人民共和国は漢族を中心とするは多民族国家である。漢族は長い歴史の中で周辺多種族との混血が進んでいる。中国人は多人種との混血が多い人種であるが漢族がその基底にある。

 一方「日本」の国号は既に奈良時代の文献に見られる。聖徳太子は当時の中国の隋王朝の皇帝に「日出る国の天子、日没する国の天子に書を致す」と国書を送達している。隋の正史にその記述がある。「日本」は「日出る国」の意味である。奈良時代以前から日本人は縄文人と渡来人が混血した人種であり、現在も世界中の人との間で混血が進んでいる。

日本人は多人種との混血が多い人種であるが縄文人がその基底にある。縄文人は16000年前から3000年前までの13000年の間、北海道から沖縄までの日本列島全体に縄文文化を華開かせていた。縄文人は人類史の中で最初にヨーロッパ人と枝分かれし、大陸を移動後最後に日本列島だけに生き残った特異な人種である。

 中国と日本とは似たところがある。日本への最初の渡来人は長江中流域に文明を開いていた当時の中国人であった。その後古代中国の内戦である戦国時代や後漢が滅亡した後に多くの中国人が日本に渡来してきた。後漢滅亡後や朝鮮の百済滅亡後には朝鮮半島から多くの人々が日本に渡ってきた。後漢滅亡後や朝鮮の百済滅亡後の渡来人のことについては日本の正史『日本書紀』にその記述がある。

 巷の書店には韓国や中国による「反日」活動に対する反感を募らせている記事が満載された書籍が並べられている。男は韓国と中国の「反日」を同一視しない。韓国による「反日」は韓国人の感情に基づくものであり、中国人による「反日」は中国人の理性に基づくものである。前者は韓国人が自らのアイデンティティを目指すものであり、後者は中国人が自らの存続のため自らの支配地域の拡張を目指すものである。

 古代から日本は中国と対等な関係にあった。そのため明治以降日本は中国と戦争をした。しかし韓国との戦争はなかった。日本は当時の中国である「清王朝国家」との戦争に勝利後、韓国との間で三度にわたる協約の締結を経て韓国を併合した。

 今、北朝鮮問題で緊張が高まっている。古代から日本と朝鮮半島の間の緊張関係は絶えることなく続いている。その緊張関係に中国とロシアは大きく関わっている。日清・日露戦争が始まる前、朝鮮半島にはアメリカも関わっていた。朝鮮半島には古代から中国が進出していた。その中国の朝鮮半島に対する影響力は古代も現在も変わらない。北朝鮮にはロシアの影響力も大きい。

 日本は実用主義的な陽明学のお蔭で当時の中国や朝鮮に先駆けて近代化し、当時の先進国欧米列強と肩を並べることができた。日本では朱子学は藩校で教えられていたが、陽明学は私塾で教えられていた。当時の中国や朝鮮では朱子学思想に染まり切っていた。その中国はその思想から脱し、今やアメリカと肩を並べる大国になった。韓国では未だに朱子学思想から脱することができず、事大主義に陥っている。北朝鮮も主体思想一辺倒である。朱子学も陽明学も中国で誕生した学である。

 日本と中国とは古来互いに反発し合ってきたが、古来相通じ合うものも多くある。日本と中国、日本とアメリカ、日本とロシアはお互いに「Win Win」の関係を築き上げつつ地域の平和と発展に寄与することができる大国同士である。