ブッダ『感興のことば』を学ぶ(95) (20100623)
このところ色々雑用が多く、哲学の思索や男の家の家伝書の著述から遠ざかっている。貴重な時間をなるべくその方に振り当てるため時間の管理が必要である。陶芸とか、詩吟にかなりの時間を割いている。田舎に帰ることも多い。来月末結婚式のため夫婦で帰り、8月には新盆のためまた夫婦で帰らなければならない。こうして家にいると家事も結構多い。削るべきところは削り、哲学と家伝書のため時間をとらなければならない。
今日(20日)、長男の嫁から長男と嫁の名前で父の日のプレゼントにphiten DESCENTEのサンダルを贈ってきた。昨日は二男の嫁から二男と嫁の名前でAIGLEのTシャツを贈ってきた。その前日女房からもLACOSTEのTシャツのプレゼントがあった。そのことをここに書いておく。
プレゼントには3歳の孫(男子)の写真が添えてあった。ちびっこひとり馬上にあり、馬上豊かな美孫男児である。男はこの孫に久しく会っていない。会っていないがこの孫は確かに男の血を引いている。男のY染色体遺伝子を受け継いでいる。Y染色体遺伝子は1000年前の先祖以来男に代々受け継がれてきたが、この後幾代まで受け継がれるだろうか?
ときどき思う、そろそろ田舎に帰りそこで暮らすようにしなければと。田舎に男の実の母ではないが継母、大正8年(1919年)7月生まれ、91歳になる母が独り暮らしをしている。今(16時過ぎ)電話したが大変元気の様子である。先先月庭先に植えたトマトやキュウリなどが大きくなってきているという。
男は長男として先祖の祭祀を行う義務がある。男は田舎に帰ってそこで晴耕雨読の暮らしをしたいと思っている。介護保険では家族が同居していると家事援助を受けることはできない。もし男が田舎に帰ればその間はヘルパーは来てくれない。ただ月6回のデイサービスは受けられる。デイサービスは郡の医師会が経営している老人健康保険施設で行われていて、そこではきちんとしたカリキュラムに従って運動や休憩も行われている。食事にも細かい配慮がなされている。母はそこに通って体が丈夫になった。この辺の都会地の老人健康保険施設ではそのような厳格な運営は行われていないようである。
徐々にここと田舎の往復の回数が増え、田舎で過ごす時間が増え、そのうち夫婦共々田舎に移住することになるだろう。男も女房も大分県内で終の棲家となるところを探そうと考えている。大阪に住む子供たちにはその前にいろいろ話しておかなければならないと思う。
男は長男として本来先祖の地で家督を継ぐ立場にあった亡父が、事情により今の田舎の地に新たな居を構え、その地でわが家の祖になったことを重く考えている。本当は、男は今この田舎の屋敷をわが家の先祖を祀る場所としたいと思っている。今時そのような考え方をする者は極めて少ないと思うが、男はそのような考え方を大事にしたいと思っている。
27 尊い生まれの人(=ブッダ)は得がたい。かれはどこにでも生まれるのではない。この英雄(=ブッダ)の生まれる家は、幸福に栄える。
2010年6月9日水曜日
ブッダ『感興のことば』を学ぶ(81) (20100609)
今日は9時半から1時間半、ヘルパーさんが来る。その間、男は出かけていようと考えた。本来ならば家族が帰っているときは訪問介護を断らなければならないことになっている。家にいてはまずい。
そこで昨夜友人に電話を入れてどこかで会うことにした。田舎のこと交通の便は甚だ悪い。都会では交通機関が人に合わせてくれるが、田舎では人が交通機関に合わせなければならない。JR九州のサービスメニューで、ここから特急利用の2枚切符のため3600円払えばその2枚切符を往復で使うことができる。ヘルパーさんが来る前に家を出て9時半すぎの特急に乗れば11時前に大分に着く。家から駅までは歩いて20分もかからない。
ここは盆地である。周囲が山で中央に川が流れている。太古の昔この地は火山噴火の後湖になっていたがその岸辺の一部が決壊し水が流れ出した。水はどっと流れ出たところに向かい川ができた。その川は岩と石ころだらけの川原に山から下ってくる水が流れるだけとなった。その名残が周囲の山々と川の美しい景観を造っている。
大分駅で竹馬の友SとTが男を待ってくれていた。Sが運転するおんぼろの軽自動車に乗って‘こつこつ庵’という店に行く。Mが待っていて手を振っている。その店は大分県庁の近くにある。なぜ‘こつこつ’なのか店の名前の由来は聞き忘れた。4人はみな同じMという音楽が担当の女性の先生が担任であった。M先生は若くしてこの世を去っている。4人の話題はM先生のこと、同級生の女性のこと、男が10数年前受けた前立腺がんの手術のことなどであった。Tは最近前立腺がんの腫瘍マーカーの値のことが気になっている。
昼食に皆大分名物の団子汁を食べて別れ、男は1時半の特急列車で家に帰った。いつも思うがこの久大線沿線の風景は美しい。男の父親は師範学校を卒業してこの線路を走る汽車で任地に向かった。その当時の風景と今の風景は余り変わっていないと思う。多少人家や田圃が増えただけでそういう人家や田圃がないところは昔と全く変わらないと思う。列車は汽車からジーゼルカーに変わっただけである。
朝家を出るとき母がいつもやっているようにダスキンのモップを持って家の中の掃除をしていた。男は母に「よく家を守ってくれているね」と言ったら、母は「お父さんは早く死んだがお父さんのお陰でなにもせず楽な暮らしをさせて貰っている」と涙ぐむ。男はこの家の‘当主’として「お母さんは大変苦労が多かったがよくわが家に尽くしてくれた」と感謝の気持ちを伝えた。
内閣は新しい顔ぶれで再出発した。男はこの内閣に期待したいと思う。自民党には若さ、新鮮さ、活気がない。物事には二面性あり、普天間の問題はいずれ解決の方向に向かうだろう。
人それぞれ役割を持ってこの世に生まれてきている。その役割を自ら自覚し、周囲もその人の役割を認めて評価する。かくして人ぞれぞれ自分の人生を生きる意味を知る。
ブッダ「感興のことば」第26章「安らぎ(ニルヴァーナ)」続き;
18 (1)苦しみと(2)苦しみの原因と(3)苦しみの止滅と(4)それに至る道とをさとった人は、一切の悪から離脱する。それが苦しみの集滅であると説かれる。
今日は9時半から1時間半、ヘルパーさんが来る。その間、男は出かけていようと考えた。本来ならば家族が帰っているときは訪問介護を断らなければならないことになっている。家にいてはまずい。
そこで昨夜友人に電話を入れてどこかで会うことにした。田舎のこと交通の便は甚だ悪い。都会では交通機関が人に合わせてくれるが、田舎では人が交通機関に合わせなければならない。JR九州のサービスメニューで、ここから特急利用の2枚切符のため3600円払えばその2枚切符を往復で使うことができる。ヘルパーさんが来る前に家を出て9時半すぎの特急に乗れば11時前に大分に着く。家から駅までは歩いて20分もかからない。
ここは盆地である。周囲が山で中央に川が流れている。太古の昔この地は火山噴火の後湖になっていたがその岸辺の一部が決壊し水が流れ出した。水はどっと流れ出たところに向かい川ができた。その川は岩と石ころだらけの川原に山から下ってくる水が流れるだけとなった。その名残が周囲の山々と川の美しい景観を造っている。
大分駅で竹馬の友SとTが男を待ってくれていた。Sが運転するおんぼろの軽自動車に乗って‘こつこつ庵’という店に行く。Mが待っていて手を振っている。その店は大分県庁の近くにある。なぜ‘こつこつ’なのか店の名前の由来は聞き忘れた。4人はみな同じMという音楽が担当の女性の先生が担任であった。M先生は若くしてこの世を去っている。4人の話題はM先生のこと、同級生の女性のこと、男が10数年前受けた前立腺がんの手術のことなどであった。Tは最近前立腺がんの腫瘍マーカーの値のことが気になっている。
昼食に皆大分名物の団子汁を食べて別れ、男は1時半の特急列車で家に帰った。いつも思うがこの久大線沿線の風景は美しい。男の父親は師範学校を卒業してこの線路を走る汽車で任地に向かった。その当時の風景と今の風景は余り変わっていないと思う。多少人家や田圃が増えただけでそういう人家や田圃がないところは昔と全く変わらないと思う。列車は汽車からジーゼルカーに変わっただけである。
朝家を出るとき母がいつもやっているようにダスキンのモップを持って家の中の掃除をしていた。男は母に「よく家を守ってくれているね」と言ったら、母は「お父さんは早く死んだがお父さんのお陰でなにもせず楽な暮らしをさせて貰っている」と涙ぐむ。男はこの家の‘当主’として「お母さんは大変苦労が多かったがよくわが家に尽くしてくれた」と感謝の気持ちを伝えた。
内閣は新しい顔ぶれで再出発した。男はこの内閣に期待したいと思う。自民党には若さ、新鮮さ、活気がない。物事には二面性あり、普天間の問題はいずれ解決の方向に向かうだろう。
人それぞれ役割を持ってこの世に生まれてきている。その役割を自ら自覚し、周囲もその人の役割を認めて評価する。かくして人ぞれぞれ自分の人生を生きる意味を知る。
ブッダ「感興のことば」第26章「安らぎ(ニルヴァーナ)」続き;
18 (1)苦しみと(2)苦しみの原因と(3)苦しみの止滅と(4)それに至る道とをさとった人は、一切の悪から離脱する。それが苦しみの集滅であると説かれる。
2010年6月2日水曜日
ブッダ『感興のことば』を学ぶ(74) (20100602)
先月郷里の中学校の昭和28年卒業組の同級会があったとき、大腸がんで入院中の96歳の叔母を見舞ったが、その叔母が死んだ。葬式に帰れば長年会っていない従姉妹・従兄弟に会うことができるが近日中に帰郷すべくスーパー旅割の安い航空券も購入済みである。それに女房が体調を崩して喉が痛くなり少し発熱もしている。さらに今日は先週作った陶芸の皿3枚の形を整える削りという作業もしなければならない。それは今日やっておかないと乾燥しすぎて折角つくったものが駄目になってしまう。
あれやこれや考えて結局葬式には出ず、親戚に香典を立て替えて出してもらうことにした。そして丁寧な弔電を従兄あて送っておいた。そして近々帰郷の折、たまたま2月に女房が帯状疱疹になってしまって葬式に出なかったり法事に出なかったりした親戚も含め4か所の親戚を回り、挨拶をすることにした。そのうち機会を作って従兄弟・従姉妹たちが一堂に会することをしたいと思っている。その思いの中には自分が宗家の嫡男でるという自負がある。いろいろあって家は亡父の末弟が継いでいたがその叔父も他界してしまい、わが家の血統の中心は自分しかない。自分がいずれあの世に逝くことになる前に、為すべきことを為しておくことが先祖への供養であり、子孫への遺言となるものである。
このような考え方は今更古臭いと思う人も多いことだろう。しかし決して古臭くはないのである。先祖を大事に思わない家は決して栄えない。わが家は亡父の代にその思いを強くし、当時は亡父にしてみればあまり頼りにならかった私に直接遺言することなく、系図など仏壇の奥に密かにしまったままにしていた。その私が自分の人生のしめくくりとして子孫に遺すべきものを遺そうとして日々そこに集中している。
小学校・中学校を通じて同級で、子供のころ一緒によく遊んでいた友から『愚の力』という本を送ってきた。その友が親族と一緒に京都の西本願寺に詣で、そこでその本に出会い、私の住所を伝えて本願寺出版社から直接送ってきたものである。
この本は浄土真宗本願寺派第24代門主・大谷光真氏が書いたものである。大谷氏は、今の日本はアメリカナイズされた‘すべてを人間中心で動かそうとする’時代の流れともいうべき大きな力に支配されていると言う。人間の精神性の崩壊があったから物質的繁栄がもたらされたと言う。私は全くそのとおりだと思う。
物質的繁栄が追求される社会では、「みんなが買うから」「みんながするから」「みんなが言うから」と「みんなが」を理由に、みんなが何も考えずに同じ方向に進んでいく。戦争中もそうであったし戦後の高度成長期も今もかわらないと大谷氏は言う。
全くそのとおりである。以前このブログでも書いたが「いやしき沈黙」もそのような精神構造から生じる。釈尊が口酸っぱくして説く「己を拠りどころとせよ。他を拠りどころとするな」という言葉をあらためてかみしめなければならない。
19 賢者の説いた、意義ある一つの句でも、目的を達成するものであるが、しかし愚者にとっては、仏の説かれたすべてのことでも、目的を達成するには至らないであろう。
先月郷里の中学校の昭和28年卒業組の同級会があったとき、大腸がんで入院中の96歳の叔母を見舞ったが、その叔母が死んだ。葬式に帰れば長年会っていない従姉妹・従兄弟に会うことができるが近日中に帰郷すべくスーパー旅割の安い航空券も購入済みである。それに女房が体調を崩して喉が痛くなり少し発熱もしている。さらに今日は先週作った陶芸の皿3枚の形を整える削りという作業もしなければならない。それは今日やっておかないと乾燥しすぎて折角つくったものが駄目になってしまう。
あれやこれや考えて結局葬式には出ず、親戚に香典を立て替えて出してもらうことにした。そして丁寧な弔電を従兄あて送っておいた。そして近々帰郷の折、たまたま2月に女房が帯状疱疹になってしまって葬式に出なかったり法事に出なかったりした親戚も含め4か所の親戚を回り、挨拶をすることにした。そのうち機会を作って従兄弟・従姉妹たちが一堂に会することをしたいと思っている。その思いの中には自分が宗家の嫡男でるという自負がある。いろいろあって家は亡父の末弟が継いでいたがその叔父も他界してしまい、わが家の血統の中心は自分しかない。自分がいずれあの世に逝くことになる前に、為すべきことを為しておくことが先祖への供養であり、子孫への遺言となるものである。
このような考え方は今更古臭いと思う人も多いことだろう。しかし決して古臭くはないのである。先祖を大事に思わない家は決して栄えない。わが家は亡父の代にその思いを強くし、当時は亡父にしてみればあまり頼りにならかった私に直接遺言することなく、系図など仏壇の奥に密かにしまったままにしていた。その私が自分の人生のしめくくりとして子孫に遺すべきものを遺そうとして日々そこに集中している。
小学校・中学校を通じて同級で、子供のころ一緒によく遊んでいた友から『愚の力』という本を送ってきた。その友が親族と一緒に京都の西本願寺に詣で、そこでその本に出会い、私の住所を伝えて本願寺出版社から直接送ってきたものである。
この本は浄土真宗本願寺派第24代門主・大谷光真氏が書いたものである。大谷氏は、今の日本はアメリカナイズされた‘すべてを人間中心で動かそうとする’時代の流れともいうべき大きな力に支配されていると言う。人間の精神性の崩壊があったから物質的繁栄がもたらされたと言う。私は全くそのとおりだと思う。
物質的繁栄が追求される社会では、「みんなが買うから」「みんながするから」「みんなが言うから」と「みんなが」を理由に、みんなが何も考えずに同じ方向に進んでいく。戦争中もそうであったし戦後の高度成長期も今もかわらないと大谷氏は言う。
全くそのとおりである。以前このブログでも書いたが「いやしき沈黙」もそのような精神構造から生じる。釈尊が口酸っぱくして説く「己を拠りどころとせよ。他を拠りどころとするな」という言葉をあらためてかみしめなければならない。
19 賢者の説いた、意義ある一つの句でも、目的を達成するものであるが、しかし愚者にとっては、仏の説かれたすべてのことでも、目的を達成するには至らないであろう。
2010年2月11日木曜日
ブッダ「真理のことば」を学ぶ(20)(20100211)
男は昨日図書館に行き、『姓氏家系大辭典』で我が家のルーツについて調べてみた。この書物にはいろいろ詳しく書かれていて、自分のルーツが判り多少興奮した。
とは言ってもその時代から860年も経っているし、それ以前からのことを合わせると千年も経っているので、自分と血が繋がっている人は無数にいる。特に男の郷里ではその地域に住む人々は昔を辿れば皆血縁がある人々であることは間違いない。皆同胞である。
男はときどき思うことがある。今世間を騒がせている人たちは、そのルーツが歴史上のある特定の人物につながる人たちで、そこに集う人たちもそのルーツがその歴史上の特定の人物に関わりがあった人たちではないかと。
古来、この国では自分の勢力圏を拡大させるため、血で血を洗う抗争を繰り返しながら、今日まで来ている。人々が尊敬する歴史上の武将も、見方を変えれば殺人者である。そこに集う人々も殺人に手を貸した人々である。
今日、殺人は犯罪である。殺人の代わりにその相手の暮らしてゆく道を断つことを為す。それまで甲の暮らしをしてきたが、その道を断ち乙の暮らしを余儀なくさせる。支配欲の強い人はそのようにして世の中でのし上がってゆく。それを生存競争だといい、その競争に勝たなければ自己実現ができないと考える。それは自然なこと(自己保存)である。
勝つためには独りでは勝てない。必然的に仲間を作る。それには金が要る。勝つと言う目的の為に金を集める。そして強い軍団を作り、相手の軍団と対抗する。今、まさに小沢氏が目論んでいることはそれである。勝つと言う目的の為、危ない橋を渡りながらも精力的にその目的に集中する。鳩山首相以下閣僚は朝廷の‘公家’のようなものである。
古来、システムの優劣が戦いの勝敗を決している。強固なシステムを構築できた側が敵対する相手に勝つことができる。軍事も同様である。わが日本国はアメリカとの同盟により敵対する側より優位に立つことができている。しかし、相手の方もこれに対抗して強固なシステムを構築しようと努力を惜しまない。これが自然の姿(自己保存)である。
自己保存力(自存力)はすべての物に存在する。これは自然の理である。
男はこういう現実の中、日本国の真の安全のため、小沢氏に対抗する優れた‘武将’の出現を願っている。選挙に勝つことだけのために国の安全を軽視する小沢氏を男は認めない。
ブッダ「真理のことば」第十四章「ブッダ」
179 ブッダの勝利は敗れることがない。この世においては何人(なんびと)も、かれの勝利に達し得ない。ブッダの境地はひろくて涯(はて)しがない。足跡をもたないかれを、いかなる道によって誘(いざな)い得るであろうか。
180 誘(いざな)うために網のようにからみつき執着をなす妄執は、かれにはどこにも存在しない。ブッダの境地は、ひろくて涯(はて)しがない。跡をもたないかれを、いかなる道によって誘(いざな)い得るであろうか。
2009年11月1日日曜日
亡父の思いを思う(20091101)
男は亡父が生れ育った土地を離れて新たな家を興すべく本拠を置いたこの山間の盆地内の小さな町をこよなく愛している。人口僅か1万8千人の町である。町の中央に幅が100mほどある石ころだらけの河川敷の中ほどに細い流れがある川があり、何箇所か石積みの堰があるところでは白波を立てて流れている。川の両側にのどかな稲作農地が広がっており、遠くの山々の麓に集落が点在している。川に沿って鉄道が走っており、鉄道に沿って旧道と交差しながら曲がりが少なく幅の広い新道が走っている。
この盆地の平野部からは見えないが遠くの山々を縫うように高速自動車道が走っており、この新道にアクセスできるように無人のインターチェンジがある。そのインターチェンジに高速バスが立ち寄るので、この町から九州各地へ高速バスを乗り継いで比較的短い時間で行くことができる。勿論バス以外の一般車両も高速道路を利用して目的地の間を簡単に往来することができる。
この町には人口の割に医療機関が多い。病院、外科・内科・産婦人科・小児科などの専門医院など全部で10余り、その他眼科、歯科などがある。高度な医療を施す必要がある患者は県内外の大学病院や総合病院に紹介される。この町からそれらの病院に行く場合、交通アクセスが非常に良いので便利である。
この町の高齢者の人口比はすぐ30%を超えるほど高い。このため介護福祉関係の事業所も多い。新道に沿って大型の小売店や園芸専門店や電気店などもある。1回300円、家族風呂は1500円程度で利用できるかけ流しの温泉浴場もあちこちにある。
ある地区では住民たちが共同で温泉を掘りそれぞれ自宅にお湯を引いている。温泉浴場を利用するときはお互い顔見知りでなくても後から入ってくる人は「今日は」などと挨拶をする。挨拶と言えば、これはよい習慣になっていると思うが、通りを歩いているときすれ違う子供たちは大人に「今日は」とよく挨拶をしている。
この町は田舎の町とはいえ暮らしやすい町である。ただこの町には工場がないため、若い人たちにとって働く所が少ないのが難点である。そのため若い人達は県内の都市部や県外に移住する人が多い。その一方でUターン組も結構いるようである。ある大型の小売店でレジ係をしている女性は「千葉に住んでいましたが戻ってきました」と言っていた。看護師やホームヘルパーなどはこの町の女性たちにとって魅力ある仕事である。
男は亡父がこの町に家の本拠を置き、南無阿弥陀仏先祖霊と書いてある和紙に包んだ系図を仏壇に収めていた気持ちを思い、今継母が独り住んでいる家はいずれ継母が他界した後は先祖祭祀の施設として必要な補修を行いながら残したいと考えている。ただ普段は無人状態になってしまうので維持管理のことを考えておかなければならない。男には家屋敷の処分や先祖の祭祀のことについて弟妹や息子たちとよく話し合って決めなければならない責任がある。
男のこのような責任感について、女房はよく理解できないかもしれない。他家に嫁いだ妹は自分が生まれ育った所についてある種の深い思いはあると思うが、男が思っているほど遠い先祖や自分が死んだ後のことまで考えないと思う。息子たちはこの田舎の家に生まれ育ったわけでもないのだが、一般に男性としての共感を持ってくれるだろう。男は亡父の思いを後世まで遺してゆきたいと思っている。
2009年10月31日土曜日
亡父を懐かしむ(20091031)
亡父は男の年齢より2歳若い70歳で他界した。男が40代のときであった。亡父は白血病で死んだのであるが死ぬ数日前、男の弟に「N(男のこと)は(育てるのに)失敗した」と言っていたそうである。亡父は男を末は陸軍大将に、弟は海軍大将にと夢をもっていたが日本が戦争に敗れたためその夢は実現しなかった。もっともその夢は日本が戦争に負けていなかったとしても実現は怪しかったと男は思う。
男の青春時代、男が学生運動か何か社会的な運動で自分の人生を無駄にしてしまうことを亡父は恐れていたという。「Nは放っておくと何をしでかすかわからない」と口癖のように言っていたことを、当時男の家の養女になって後に男と結婚した女房は聞いていた。亡父が当時養女であった女房を男と一緒にさせたのは亡父が男の制御について女房に期待したからであると女房は思っている。亡父は女房にそういうことを言ったらしい。
その男と女房は、九州の熊本、大分、福岡の県境に近いある田舎の町で独り暮らしをしている91歳の老母、男の亡父の後妻、女房の生母、男にとっては継母を看るため年に4、5回その町に帰省している。二人はお盆の時期に一度帰り、10月に帰り、何末にまた帰る。今回10月に帰るのは庭の片隅を猫の額ほどの野菜畑や花壇にしているため、今時蒔いても発芽する法連草や金盞花などの種を蒔いておいたり、あれこれ老母の独り暮らしを助けるためである。来月には関西に住む妹たちが帰ってくれる。その妹は男の亡父と今の母の間に生まれた子である。女房はその母と5歳の時以降一緒に暮らしていない。
男は亡父が昭和31年から33年にかけて、郡内のある小学校の校長をしていた時の写真を見つけた。その中から4、5枚抜き出して男のファイルに加えることにした。何れも教職員や卒業する子供たちと一緒に写っている写真である。男はコンピュータでこの集合写真の中から亡父の写真だけ切り取って拡大し、今その頃の亡父の齢に近づきつつある男の長男に見せようと思っている。男の長男は容貌が亡父にそっくりである。色黒で精悍で働き者でタバコ好きであることも同じである。男はその長男が幼少の頃のことを思い出している。
亡父は嫡子であり長男であったから本来家督を継ぐ立場にあった。嫡子・長男である男も当然家督を継いで先祖が代々住んでいた土地に本拠を置く立場になるはずだった。しかし亡父はその父、男の祖父との確執があって家督は末弟に譲り、自らは師範学校を出て以来縁の深い土地に新しい本拠を置いた。その後亡父のその末弟が事業に失敗したため先祖が営々築いてきた土地を手放し、竹藪やちょっとした畑や花壇もあって広かった屋敷と立派な大きな仏壇だけ残った。その屋敷も竹藪が無くなり、その末弟の妻の両親や、その末弟の子供の家、孫の家などが建てられた。男が子供時代過ごした風景は無くなってしまった。
御霊は音と光と香りを喜ぶと聞く。男は仏壇の前に置かれている台上にろうそくを灯し、線香を炊き、チーンと鐘を叩き、仏壇を見上げて合掌し、亡父に「懐かしく思う」と語りかけた。男は自分もあの世に逝けばその懐かしい父や、また男が10歳の時他界した母や、母を失った男を実の母のように慈しんでくれた祖母、そして祖父や、23歳の若さで子宮外妊娠で他界した妹ら、そのた懐かしい叔父、叔母らに会えると信じている。
男は長男に男の家に生まれた嫡子として先祖の祭祀を行うことを書面で委ねている。その長男には男子が居ないので、男の家の血筋は二男の子が受け継ぐことになる。そのことについて男はこだわっていない。男は長男を大事にしない家は滅びると思っている。
2009年7月27日月曜日
便利な都会暮らしと先祖の祭祀(20090727)
男が住んでいるマンションは7階建て28戸、駐車場13台分の小さなマンションである。T川に面していて川の堤防の上を歩く人からこのマンションの駐輪・駐車場を覗き込むことができる。男と女房はこのマンションの7階の東側に面した4LDKに住んでいる。3方に窓があって、朝から夕方まで陽が入り込む。窓を開けておくと涼しい風が吹き込み、風鈴を鳴らしている。エレベーターは各階どまりなので、年寄りが住むには良い。近くに大型スーパーなどあり、道路もあるので多少騒音があるがあまり気にはならない。
このマンションに4基の防犯カメラが取り付けられた。その理由はこの20数年の間にバイクが盗まれたり、壊されたり、自転車の輪だけを外して持って行かれたり、下着ドロボーが2階に家族と一緒に住んでいる女性の下着を盗もうとしたり、何カ月も不法に400㏄のバイクを置いておかれたり、夜ごみ置き場の中にホームレスの若い男が寝ていたり、屋上に不審者が登ったり、女性が不審な男にエレベータの中まで付いて来られたり、駐車場への入口に早朝犬の散歩者が犬の糞の後始末をしないまま放置したりしたからである。防犯カメラの設置費用は30万円ほどかかったが、維持費は住民1戸あたり800円ほどである。このマンションの住民の高齢化が進む中、安心のため皆同意して設置されたのである。
防犯カメラは最新式のもので、夜間でも昼間のようによく映る高感度カメラが使われている。コンピュータは2年に一度無料で交換される。プライバシーにも配慮して装置の操作は規則を決めて誰でも勝手に録画されたものを見ることができないようになっている。エレベーター・電気・給水の異常などは、ある警備会社との契約で自働警備されている。
男は田舎に自分の家があるが、当分の間、田舎には時々帰るのが良いと思っている。男の家がある田舎は人口僅か1万8千人の小さな町ではあるが、大変住みやすい町である。男も女房もまだ元気でどこへでも出かけて行けるが、そのうち必ず弱って来る。その時何処に住むかが男と女房の気になっているところである。
上を見ればきりがないが、男と女房にとって、このマンションでの暮らしは大変快適である。バスも始発、タクシーもコンピュータに男の名前が登録されていて呼べばすぐ来てくれるし、早朝の予約も確実で信頼感がある。空港や新幹線の駅へのアクセスも非常に便利である。住民お互いよく知りあっていて、男が「貧乏長屋」と冗談を言うほど和やかである。このマンションには光ケーブルが入っていて、100bpsの高速通信ができる。
このマンションが水辺に建っているということは、とても良い。男と女房は毎晩川の堤防の上を一回りするスロージョギングをして健康維持に努めているが、ジョギング中夜景を楽しんだり、川面にボラの跳ねるのを見たり、雨上がりの時などは水たまりでカエルの鳴き声を聞いたりする。こんな良い環境はなかなかないと思う。
女房は「私かお父さんかどちらかが先に死んだら、残った方は老人ホームにゆくことにしよう」という。男はその考え方に賛成である。田舎には男の親父や母親の墓がある。墓を守るためどうするか、860年前男の先祖が平安京から下ってきて住んだ土地に先祖を祀る何かある形を造らなければならないと男は思う。この点に関して女房はどうでもよいと思っている。女は先祖のことには昔から関心がない存在である。
男の息子たちは大阪に住んでおり、連絡し合っている。男は先祖を祀ることに関して一度息子たちと話し合わなければならないと思っている。
2009年7月7日火曜日
古代奥州黒川への道(20090707)
男は古代官道(駅路)についていろいろ調べている。東山道は平安京を起点に近江(滋賀県)、美濃(岐阜県)、信濃(長野県)、上野(群馬県)、下野(栃木)、陸奥(福島県、宮城県、岩手県)に伸びる道路である。『古代の道』(吉川弘文館、木下良監修・竹部健一著)によれば、古代官道は現在の高速道路にほぼ沿っていて、ほぼ16kmごとに駅が置かれていて、それは現在の高速道路のインターチェンジの位置とよく一致している例が各所に見られるということである。当時の道路総延長は約6500kmで、これは現在の高速道路計画の北海道を除く総延長距離6500kmと一致しているそうである。
駅には駅長が置かれ、各駅には道路の規模によって馬が5匹から20匹置かれていて、官用には馬を使って良いと規定されていた。官用でない場合は馬や人足を雇って所要の費用を払っていたのであろう。この古代の道路は律令国家によって7世紀後半から8世紀にかけて建設された。道幅は12mあり道路の両脇に側溝もあったようである。
男が関心があるのは東山道である。それは男の亡父が遺してくれた系図によると、男の遠い先祖某が弾正という肩書で、何かの役目、例えば摂関家の荘園を管理する荘官のような役目で奥州黒川の繋穴というところに住み、会津の小田というところ、それは繋穴と江戸に向かう武蔵路との分岐点の両方からそこまでの里程が江戸時代の換算によるものと考えられる数字で示され場所に、その先祖の知行所があったとされるからである。距離計算ソフトにより計算してみるとその場所は系図に書かれている里程とおおむね合致している。
平安京から奥州の黒川まで49か所の駅があったようである。駅の間の平均距離は15.4kmだそうなので、その距離は一日の旅の距離だとすると平安京から黒川まで49日かかったことになる。今の時代なら高速道路で、途中宿泊を取らず走れば1日で行ける距離である。
男が自分の遠いご先祖であるとする弾正某という人物は1000年前に生きていたとされる人物であるから、仮に1世代25年とし、1世代に二人づつ子供を残してきたとすれば、弾正某の子孫は2の40乗、つまり1兆人ということになる。住んだ地域が狭い範囲内だとその辺に古くから住んでいる人たちは皆親類縁者ということになる。しかも、自分が誰それの末裔であるといっても、その誰それが偉い人であったのであって、自分が偉いわけではない。従ってルーツ探しなどおよそナンセンスであることは男も重々承知している。
しかし、男は親父が何も言わずに遺してくれたものをそのままにしておき、いずれ衰えてあの世に逝くにはなにかやり残しがあるようで、男が常々考える「一生懸命生き、一所懸命死ぬ」ことにはならないと思った。今生きてここに在るのは先祖の縁であり、男の息子たちが今在るのもその縁を引きずっているのである。心の奥底にその縁に関わる何かしっかりしたものがあれば、それは人生を正しく生き抜く力となると考えられる。そのような縁を息子たちに繋ぐのは今を生きる父の為すべきことであると男は考える。その為すべきこと為すことが男の生きがいでもある。
人の命は限りがあるが、人の意識は無限に延伸できる。それゆえ古来、人は死をも恐れず行動することができるのである。人は無限に延伸する意識の先に光を見出して、そこに今とる行動の価値を見出す。このような考え方は一般にロマンティストである男がする考え方であり、現実主義者である女はあまり関心がないことである。
2009年6月22日月曜日
日本人は皆同胞(20090622)
男のところに郷里の親友からかつて男が子供の頃よく遊びに行っていたお寺「専想寺」の歴史に関する資料を送ってきた。その親友は男の竹馬の友達で男の父親とその親友の父親同士も親友であった。その親友は「史談会」という会のメンバーである。彼はその史談会が作業して作成した郷里のよもやま話も送ってきた。その資料名は『別保の歴史 四方山話』という題名である。
男は昔「豊後高田庄」と呼ばれていたところの出である。そこは藤原摂関家の荘園があったところで、後藤、江藤、佐藤など藤原氏族が沢山住んでいるところである。平安時代、京の都から多くの藤原氏族の者が下ってきてその地に住み着いたらしい。だからその土地に昔から住んできた人たちの家々の人は、たとえ親族ではない他人であっても遺伝学的には皆どこかでつながっている筈である。
というのは、一世代を仮に25年間とすると、2の40乗だから、1000年も経てばひと組のカップルから1兆人の子孫ができている勘定になるからである。しかも限られた狭い地域である。昔婚姻関係は家柄を重視して見合いで決まっていたし、近所の評判も嫁の嫁ぎ先を決める大変重要な要素であったから、何十年、何百年前血のつながった同士が婚姻関係を結んでいた筈である。実際、男の郷里の昔10軒ほどの集落には男と同じ名字で家紋も同じ家が3軒ある。そのうちの1軒は男が子供のころ新宅と呼んで親しい付き合いをしていたが、もう1軒とは他人同士の間柄であった。男が父親とともに別の土地に籍を置くようになって何十年も過ぎた今ではその3軒とも他人同士の間柄になってしまっている。
以前、テレビで鳥取かどこかに日本人と結婚して住んでいるモンゴルの女性のことが紹介されていた。彼女はジンギスカン(チンギス・ハン)の直系の子孫だという。テレビで彼女の実家の系図が紹介されていた。ジンギスカンと言えばあの文永の役、弘安の役で日本に来襲した当時の中国の皇帝フビライ・ハンの祖父である。余談であるが中国の支配者は古代からずっと漢人(漢民族)で一系であったわけではなく、元の時代はモンゴル人、日清戦争のころの皇帝は現在の中国東北地方から興ったツングース系の満州族であった。
日本の場合、天皇は古代日本の統治者であったが武士の時代になってからは武士の家の宗家が天皇に代わって日本を統治するようになった。天皇は神代の時代国の神々をまつる祭祀を行う存在であり、英語でエンペラーと訳されていてもいわゆる皇帝ではない。
日本の場合、天皇は古代日本の統治者であったが武士の時代になってからは武士の家の宗家が天皇に代わって日本を統治するようになった。天皇は神代の時代国の神々をまつる祭祀を行う存在であり、英語でエンペラーと訳されていてもいわゆる皇帝ではない。
さて彼女によれば、現在モンゴルにはジンギスカンの子孫と称する家が3000軒あるそうである。その家々からジンギスカンの血をひかない家に嫁いだ女性はもっとおいであろう。そうするとジンギスカンの遺伝子のうちY染色体という男系にしか伝わらない遺伝子以外の遺伝子を有する人々はさらに多い筈である。男の郷里のことを考えてみると、その地域に暮らす人々の多くは藤原鎌足の遺伝子を持っているだけではなく、藤原氏は天皇家との間に恋姻戚関係があったので、天皇家の遺伝子も持っている筈である。
明治天皇がお作りになった歌「よもの海みなはらからと思ふ世になど波風のたちさわぐらむ」の中の「みなはらからと思ふ世」の「はらから」は同胞ということで『広辞苑』によれば「同じ母親から生まれた血縁」ということである。日本人は皆同胞なのだ。
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