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2012年9月23日日曜日


日韓関係の改善のために(34)「竹島- 国際司法裁で日本勝利へ(20120923)

 尖閣問題・竹島問題を解決する近道は、当の日本人自身がこれらの問題の歴史的事実についてよく知っていることである。戦後、日本人はひたすら繁栄に向かって走り、近代史に関する正しい歴史を学んでこなかった。

 一方、シナ(中国)も韓国も、近代史に関する事実を捻じ曲げ、それぞれ自国民に日本を貶めることにものすごいエネルギーを注ぎ、時代を担う世代に間違った歴史を教え込んで来た。この結果、シナ(中国)人も、韓国人もそれぞれ日本人を「小日本人」「倭人」と呼び、天皇を「日王」と言ってそれぞれ自らの自尊心を満たしている。それぞれの政府は、そういう方法でしか自国民を統御することができないのである。

 しかし、歴史が示すように「矛盾」はそれが解消されるようにものごとが進んでゆく。日本人はいずれ遠くない将来、本来あるべき日本人に戻るだろう。それが靖国神社に祀られている英霊たちの願いである。プラトンが言うように、目には見えない力が今を生きる日本人に本来あるべき日本人の姿を想起させるのである。

 昨日に引き続き、アメリカ国務省のDemocracy Video Challenge Finalist谷山雄二郎氏のYouTube動画を下に引用する。

2012年8月14日火曜日


竹島(韓国が勝手に「独島」と命名)の歴史的真実(20120814)

 韓国初代大統領李承晩は、国際法を無視して公海上に勝手に李承晩ラインを引きそのラインの内側(韓国側)に江戸時代以来日本固有の領土であった竹島(江戸時代は「松島」)を囲い込んだ。その後、下記の動画にあるように、日本の領土標識を撤去し、竹島周辺の海域に出漁した日本の漁船を拿捕し、日本の漁民を多数殺害し又は傷害を与えた。当時、朝鮮進駐軍という組織が日本国内で日本人に危害を加えるなどの事件が発生していていた。アメリカ軍はこの朝鮮進駐軍を取り締まり、日本国民を保護したことも起きていた。

 竹島は下記動画にもあるとおり、明らかに日本固有の領土である。それを韓国政府は自国民は元より国際社会に対して「独島は韓国領である」と宣伝し、そのことを歌詞にした歌を幼稚園児に合唱させるなどして愛国教育の重要な材料にしている。世界に向けて日本海を「東海」と呼ばせる大々的なキャンペーンを行ったが、それは成功しなかったようである。

従軍慰安婦については、千田 夏光(せんだ かこう)という日本のノンフィクション作家が小説『従軍慰安婦 正編』を書き、その中で事実でないことも事実であるかのように書いたことが問題の発端である。「従軍慰安婦」という言葉が一人歩きし、旧日本軍は朝鮮人女性を強制的に連行してもいないのに強制連行して前線の兵士にセックスを提供する「慰安婦」として徴用したという話が作られて韓国国内及び海外に広がってしまった。時の内閣総理大臣・村山富市や衆議院議長・河野洋平は、歴史的事実を十分に確かめもせず韓国に公式的に謝罪してしまったことがこの問題を一層複雑にしてしまった。韓国政府は日本大使館の前に従軍慰安婦像を建てた。韓国政府は在米韓国系アメリカ人の政治家などを動員し、アメリカの公立学校の教科書にもこの従軍慰安婦のことを記載させる働きかけを積極的に行っている。

韓国政府が国際社会に向かって事実でないことを事実のように発表し、大々的なキャンペーンを行っていることは決して韓国自身の利益にはならないであろう。日本政府は今回李明博韓国大統領が自分自身の保身・人気挽回のため竹島を訪問したことを強く非難し、国際司法裁判所に提訴すると言っている。韓国政府は従来の立場からそれを拒否している。それは韓国政府がこれまで嘘の上に嘘を上塗りし、日本国を貶め、日本国民を辱めてきた事実を世界に明らかにされたくないからである。しかし世界は韓国が国際ルールに明らかに違反していることを認識し始めている。一部の愛国的韓国人の感情的な言動は、却って韓国の評判を落としている。良識ある韓国人はこれまでの韓国政府の間違った愛国心教育を改めるように行動すべきである。日本人は韓国人が日本人のよき隣人になることを願望し、これまでのように辛抱強く、忍耐強く待つであろう。しかし、それにも限界がある。侍・日本人が堪忍袋の緒を切って腰の刀を抜くことになる前に、韓国人は変わって欲しい。そうなることを多くの日本人は切に願っている。

「韓国に竹島が強奪される決定的瞬間!」

「韓国に竹島を描いた古地図は存在するか: 日韓古地図の比較」

Do you know the reason why Dokdo is Not Korea Land?

2010年8月26日木曜日

竹島と尖閣諸島(20100826)


竹島を韓国は実効的に支配し、「独島」と呼んでいる。尖閣諸島については、中国はその領有権を主張している。日本国民はこれらの島の領有権の真実を知りたいと思っている。しかし、政府はこらら離島の領土問題について積極的に説明しようとはしない。何故なのか?隣国との外交的な問題として、隣国に配慮しているからだろうか?素朴な疑問である。

韓国は、韓国の古文書に添付された地図には、鬱陵島と「于山島」が別個の2つの島として記述されている。それを根拠に「于山島は日本のいう松島(現在の竹島)である」としている。さらに、對馬については「日本国対馬州なり。旧(もと)、我鶏林に隷属す。いつ倭人の拠る所と為りしかを知らず。」と書かれている。

しかし、于山島は実在せず、それは鬱陵島のことである。なお、韓国内には對馬も自国の領土であると主張する人たちがいて、実際、對馬の一部は韓国人によって買い占められている。その買い占められた部分は自衛隊(‘日本国防軍’)の基地まで迫っている。

外務省はホームページで竹島の認知について説明している。しかし、殆どの日本人はこのことを知らない。マスコミも積極的に取り上げようとはしない。何故なのか?

外務省による竹島の認知に関する説明の一部を「である」調文体で以下に掲げる。



【日本における竹島の認知】

① 現在の竹島は、我が国ではかつて「松島」と呼ばれ、逆に鬱陵島が「竹島」や「磯竹島」と呼ばれていた。竹島や鬱陵島の名称については、ヨーロッパの探検家等による鬱陵島の測位の誤りにより一時的な混乱があったものの、我が国が「竹島」と「松島」の存在を古くから承知していたことは各種の地図や文献からも確認できる。例えば、経緯線を投影した刊行日本図として最も代表的な長久保赤水(ながくぼせきすい)の「改正日本輿地路程(よちろてい)全図」(1779年初版)のほか、鬱陵島と竹島を朝鮮半島と隠岐諸島との間に的確に記載している地図は多数存在している。

② 1787年、フランスの航海家ラ・ペルーズが鬱陵島に至り、これを「ダジュレー(Dagelet)島」と命名した。続いて、1789年には、イギリスの探検家コルネットも鬱陵島を発見したが、彼はこの島を「アルゴノート(Argonaut)島」と名付けた。しかし、ラ・ペルーズとコルネットが測定した鬱陵島の経緯度にはズレがあったことから、その後にヨーロッパで作成された地図には、鬱陵島があたかも別の2島であるかのように記載されることになった。

③ 1840年、長崎出島の医師シーボルトは「日本図」を作成した。彼は、隠岐島と朝鮮半島の間には西から「竹島」(現在の鬱陵島)、「松島」(現在の竹島)という2つの島があることを日本の諸文献や地図により知っていた。その一方、ヨーロッパの地図には、西から「アルゴノート島」「ダジュレー島」という2つの名称が並んでいることも知っていた。このため、彼の地図では「アルゴノート島」が「タカシマ」、「ダジュレー島」が「マツシマ」と記載されることになった。これにより、それまで一貫して「竹島」又は「磯竹島」と呼ばれてきた鬱陵島が、「松島」とも呼ばれる混乱を招くこととなった。

④ このように、我が国内では、古来の「竹島」、「松島」に関する知識と、その後に欧米から伝えられた島名が混在していましたが、その最中に「松島」を望見したとする日本人が、同島の開拓を政府に願い出た。政府は、島名の関係を明らかにするため1880(明治13)年に現地調査を行い、同請願で「松島」と称されている島が鬱陵島であることを確認した。

⑤ 以上の経緯を踏まえ、鬱陵島は「松島」と称されることとなったため、現在の竹島の名称をいかにするかが問題となった。このため、政府は島根県の意見も聴取しつつ、1905(明治38)年、これまでの名称を入れ替える形で現在の竹島を正式に「竹島」と命名した。



【韓国における竹島の認知】

① 韓国が古くから竹島を認識していたという根拠はない。例えば、韓国側は、朝鮮の古文献『三国史記』(1145年)、『世宗(せそう)実録地理誌』(1454年)や『新増東国輿地勝覧(しんぞうとうごくよちしょうらん)』(1531年)、『東国(とうごく)文献備考』(1770年)、『萬機(ばんき)要覧』(1808年)、『増補(ぞうほ)文献備考』(1908年)などの記述をもとに、「鬱陵島」と「于山島」という二つの島を古くから認知していたのであり、その「于山島」こそ、現在の竹島であると主張している。

② しかし、『三国史記』には、于山国であった鬱陵島が512年に新羅に帰属したとの記述はあるが、「于山島」に関する記述はない。また、朝鮮の他の古文献中にある「于山島」の記述には、その島には多数の人々が住み、大きな竹を産する等、竹島の実状に見合わないものがあり、むしろ、鬱陵島を想起させるものとなっている。

③ また、韓国側は、『東国文献備考』、『増補文献備考』、『萬機要覧』に引用された『輿地志(よちし)』(1656年)を根拠に、「于山島は日本のいう松島(現在の竹島)である」と主張している。これに対し、『輿地志』の本来の記述は、于山島と鬱陵島は同一の島としており、『東国文献備考』等の記述は『輿地志』から直接、正しく引用されたものではないと批判する研究もある。その研究は、『東国文献備考』等の記述は安龍福の信憑性(しんぴょうせい)の低い供述を無批判に取り入れた別の文献(『彊界考(きょうかいこう)』(『彊界誌』)、1756年)を底本にしていると指摘している。

④ なお、『新増東国輿地勝覧』に添付された地図には、鬱陵島と「于山島」が別個の2つの島として記述されている。もし、韓国側が主張するように「于山島」が竹島を示すのであれば、この島は、鬱陵島の東方に、鬱陵島よりもはるかに小さな島として描かれるはずである。しかし、この地図における「于山島」は、鬱陵島とほぼ同じ大きさで描かれ、さらには朝鮮半島と鬱陵島の間(鬱陵島の西側)に位置している等、全く実在しない島であることがわかる。