2017年6月27日火曜日

20170627プライマリーバランス


 男はインターネットで三橋貴明氏の経済講座を視聴している。男はいろいろやることがあって時間を大切にしているので、その経済講座だけを真剣に視聴しているわけではないが、肝心なところだけはメモをとって残している。

プライマリーバランス第一主義を信奉している官僚・学者・政治家たちは自分たちのその信念の根拠をある経済学の学説に置いている。官僚も学者も政治家たちも組織の中にいて、いわゆる「一匹狼」は一人も居ない。

人は誰でも自分が認められたいと願望しているので、その組織の中で頭角を現したいと欲求している。人は誰でも自分への認知を求めている。その学説に疑問を抱くこともなく、時に面従腹背をしてでもその組織の中で頭角を現し、自己実現を図りたいと願う者が出てくる。官僚も学者も政治家たちもこの視点において皆同じである。

人は誰でも他人を差別したいと意識的・無意識的に思っている。その意識が高じると精神のバランスが崩れ、それが言動に顕れ、甚だしい場合には精神病的様相を示す。頭脳明晰で華やかな経歴の持ち主は意識的・無意識的に自分より下位にある立場の者を威圧し、その上国家権力の下部組織の名を語って自分に反抗する者を脅迫する。

しかし今の時代、インターネットは彼らに彼らの思うようにはさせない力を持っている。メディアが健全であれば物事は正しい方向に進行する。逆にメディアが上述の組織に迎合すれば矛盾が増幅され、国民の間に不満が高まる。メディアの責任は重い。

プライマリーバランス黒字化目標に対して、自民党若手国会議員の間で「税収の不足分は国債を発行して積極的に財政投資を行い、その政策に呼応する企業の意欲を喚起し、労働者に対する賃金の底上げを誘導し、結果的に税収を増やすようにするべきである」という考え方に同意する人たちが増えてきたようである。男はその傾向を喜んでいる。

加計学園獣医学部新設問題について男は女房と語り合った。二人の間で一致したことは、「これは従前の規制のなかで既得権益を守りたい側と、そのような規制を緩和して企業の新規事業参加を促し、経済を活性化させ、国民の所得を増やしたいという側(政権)との戦いである」ということである。

この問題では既得権益を守りたい側の官僚の元トップが内部資料を公表し、メディアを味方につけて政府に対抗した。政権担当能力皆無に等しい野党の政治家たちは「政権打倒」の合言葉で団結し、「行政が歪められたのではないか」と大衆に迎合する言葉を大きく掲げ、本来国会で議論すべき事に議論を尽くさず、国家として貴重な時間と金を無駄にした。

「プライマリーバランス黒字化」を金科玉条のように主張する官僚・学者・政治家たちに批判の目を向ける国民は増えつつある。日本のように成熟した国の国民は民度が高い。ある学説を振りかざし、「上から目線」で国民を見下げている官僚・学者・政治家たちは考え方を改めるべきである。



2017年6月20日火曜日

20170620再び『男は』シリーズ


 随筆『男は』シリーズは20141218日を最後に止めていた。しかしこのところある思いあり、今後しばらくこのシリーズを続けることにする。「男は」で始まる散文は自分を客観視した日記のような文学作品でもある。齢70もなって今更「男」はないだろうと、一時主語を「老人」に変えたことがあったが後に再び「男」に戻した。齢80にもなって再び「男」の日記のような文学作品を創作するのはどうかと思われるが、自分の余命は10年前後であろうと思われるこの身、気にすることはあるまい。この文学作品の登場人物は「男」・「女房」であり、その他の人物は括弧無しのアルファベットとし、地名などはローマ字の頭文字を冠した地名とする。

 さて、男は先月満80歳になった。日本では数えの61歳を還暦、数えの70歳を古希、数えの77歳を喜寿、数えの81歳を傘寿、数えの88歳を米寿、数えの90歳を卒寿、数えの99歳を白寿と呼ぶ。従い男は傘寿を無事迎えたことになる。

 男は先月千葉に住む同じ歳の竹馬の友Sと久しぶりに会い、Y港の観光船ロイヤル・ウイングの船上で飲食しながら語り合っていたとき、病で倒れた竹馬の友Tのことが気になった。そこで男はSの隣でTの奥さんに電話を入れた。すると奥さんは「主人は先月24日に亡くなりました」と言う。Tの奥さんはTが男やSに会いたがっていると言いながらいろいろ事情があるらしく男やSを自宅に呼ぼうとはしなかった。Tが死んだ時Tの娘さんが「Aさんに知らせなくては」と言ったそうだが、Tの奥さんは「Aさんには友達の誰某から連絡が行く筈と思っていたから電話しなかった」と言う。Aさんとは男のことである。奥さんは「主人の納骨は〇月〇日です」と言う。男はTの納骨の儀式に出る気にはなれないので「ああそうですか」と言ってそれ以上の会話は打ち切った。

 男はTが入院中三度Tを見舞った。Tは倒産したY証券会社の部長をしていた。Tはかつてその会社で中国関係の仕事をしていたので中国語が得意であった。ある日男がTを見舞ったときTは中国の憲法を原文で読んでいた。Tはボールペンによる絵も描いておりその描画もなかなか上手であった。男はTに「この絵はとてもよく描けているぜ。お前はこんな素晴らしい絵を描けるのだからきちんとしたスケッチブックに描いて遺しておくべきだよ」と言ったことがあった。男はTのことを思い出しつつTの哀れな最期のことを思った。

 在京の竹馬の友は7、8名いたがそのうち4人他界した。その一人がTである。一昨年は同じ歳のFが他界した。FもTも男とSの親友であった。Fは悪性のがんを患っていた。男はSと一緒に入院中のFを見舞ったとき男もSもFの変わりように非常に驚いた。Fはすっかり老け込んでいてその顔にはほとんど生気がなかった。

Fを見舞った後、SはFの奥さんと話したくてその奥さんを近くの寿司屋に誘った。以前Sは自分の内縁の妻Kさん・男と女房・F夫婦を銀座のあるフランス料理店に誘って食事会をしたことがあった。男とSはFの奥さんに会ったのはその時以来のことである。Fはその後10日もしないうちにこの世を去った。Fの葬式はFの家族だけで行われたので男もSもFに最後に会ったのは入院中のFを見舞った時であった。

 男とSの郷里には竹馬の友が沢山住んでいる。皆、小学校・中学校の時の同級生たちである。男は一昨年他界した男の継母が独り暮らしで存命中、毎年頻繁に帰郷していた。そのとき男は竹馬の友だちにも良く会っていた。Sもたまに帰郷していた。男やSが帰郷するたび竹馬の友だちがいつも5、6人以上「こつこつ庵」という一風変わった名前の店に集まって昔の思い出や同級生たちの消息などいろいろ語り合っていた。

 その竹馬の友だちも殆ど皆何か健康上の問題を抱えている。腰が曲がった同級の美女もいる。認知症になってしまった男の幼馴染みのAちゃんもいる。皆一様に齢相応に老けている。Sも心筋梗塞などの病気で何度も入院した身であり歩行もスムーズでない。一見元気そうに見えるのは男だけになった。

先月末、息子たちが男の傘寿を祝ってくれた。53歳の長男と50歳の二男がそれぞれ家に妻子を残し、男と女房を二泊三日の青森旅行に連れて行ってくれた。これは昔の親子四人だけの旅行であった。実はこのような昔の親子四人だけの旅行は二度目である。今回は往復新幹線利用の旅であったが、前回の女房の還暦祝いのときは往復を長男が運転する三泊四日の青森旅行であった。宿泊した宿も前回と同じであった。男と二人の息子たちは宿の一室で酒を酌み交わしながらいろいろ語り合った。

男もいずれそう遠くない時期にこの世を去る身である。男も女房もよく語り合い考え方が一致していることがある。それは「とても幸せなよい人生だった。何時死んでも良い。思い残すようなことは何もない」ということである。「いつ死んでも悔いはない」と言う女房はある意味男の一族の太陽のような存在である。

男と女房・長男夫婦・二男夫婦の6組のとても良い人間関係の中心は正に女房である。男は女房のお蔭でこれまで良い人生を歩むことができたと思っている。男は過去に女房に大変苦労をかけ、女房を悲しませたりしたことも多々あったので、自分の余生の時間のできるだけ多くを女房と同じ空間の中で共有することに決めている。


2017年6月14日水曜日

20170614臨時投稿 「日本海海戦.」

 日本人の精神「利他」は「〇〇ファースト」「自国が中心」という「利己」主義の精神とは全く逆の精神である。「利他」の精神とは他者のため「自己犠牲を厭わない」精神のことである。

 「利他」は人間としてお互い対等な関係を基礎とする。お互い対等な関係とは一方が「上から目線」で他者を見下している関係ではない。長年「人民」が「王朝」に支配されてきた国、現代においてもなおその残滓がある国の「国民」は、無意識の中に近隣の他国を見下している。

 日本国民統合の象徴であられる天皇はこの「利他」の精神を、御身自ら身をもって具体的に体現しておられる。

 この精神の根幹には神武天皇以来綿々として継承されてきた男系の皇統がある。民進党などの国会議員たちの中には、この皇統を「女性宮家・女性天皇・女系天皇」という言葉で断ち切ろうとする勢力がある。日本国民は決してこの男系皇統を失ってはならない。

 日本国はいつの間にか世界第五位の「移民受け入れ大国」になっている(三橋貴明『「移民受け入れ大国」日本の末路』徳間書店)。アメリカ陸軍第442連隊の日系二世たちは、親たちは強制収容所に入れられていたにもかかわらず、祖国アメリカに忠誠を誓い、非常に多くの犠牲を払って偏見と闘い、勝利した。

 日系二世たちが星条旗とアメリカ国歌の下、祖国アメリカに忠誠を尽くしたように、もし日本に危機が迫った時、日本に住む移民たちが天皇を崇敬し、「日の丸」の日本国旗と「君が代」の日本国歌の下、日本に忠誠を尽くしてくれるだろうか?

 民進党の某国会議員は昭和42年(1967年)出版の著書に、皇室について「ああいう一族がいる近くで空気を吸いたくない。天皇とあの一族の気持の悪さ」などと書いている。19年前・17年前の著書でも憲法から天皇制の規定の削除を主張している。某は「あれは30年前の学生時代の頃の発言であった。今は反省している」と釈明している。性格・思想・主義・主張はそう簡単に変わるものではないだろうが、それが変わったのだと信じたい。

 日本国民は、今こそ先人たちの「意識」に共鳴し、日本民族存続のため自分は何を為すべきか考える必要がある。悠久の時間軸のなかで、お互い利益を共有するため「利他」の精神が必要である。

 その一方で、そのような「利益の共有」をしようとはせず、「利己」的に利益を追求しようとし、さらにそのため武力を行使しようとする国に対しては、強力な軍事力をもって対処する精神も必要である。内に大和魂・侍魂を秘めつつ外に向かって「利他」の行動をする。アメリカ日系二世たちも含め、日本の先人たちがそうやってきたお蔭を被って、今の日本があるのである。

 インド・ミャンマー・ベトナム・タイ・カンボジア・フィリッピン・インドネシア・マレーシア・台湾などの国々と日本との良好な関係は、当に先人たちの「利他」の犠牲のお蔭である。アメリカ・ヨーロッパ諸国・大洋州諸国との良好な関係も、人間としてお互い対等な関係を基礎とする「利他」という価値観を共有できているお蔭である。日本は今、ロシアとの間でも「利他」の価値観を共有しようとしている。

2017年6月10日土曜日

2017年6月8日木曜日

2017年6月1日木曜日

20170601『仏説阿弥陀経』について(20)「女性宮家について一言」


このブログのラベル「仏説阿弥陀経」は、私が自分の最期まで仏の道を行く覚悟で掲げるものである。しかし、五濁悪世の現状を観ると私はどうしても一言「それは間違っている」と世間に向かって訴えたくなる。

天皇陛下の譲位を可能にする法案の付帯決議に女性宮家の創設について触れられることになった。皇位継承者が将来居なくなる不安は日本国民大多数が抱いていることであろう。その空気を喜んでいる輩が居る。それは日本国民の団結の拠り所を無くしてしまいたいと考えている連中である。民進党など反権力的政党の政治家の中にそういう輩が居ないか?

政治家は生物学、とりわけ分子遺伝学や社会生物学についてある程度の知識を持つべきである。政治家は古代天皇の皇位継承についても深い知識を持っているべきである。政治家は少なくとも次のことを知った上で皇統について正しい判断を持つべきである。
① Y染色体DNAとミトコンドリアDNAの違い
 ② Y染色体DNAのハプロタイプD1亜型の分布(これは日本列島のみに存在)
 ③ 第26代天皇・継体天皇の皇位継承のいきさつ
 ④ 渡来系弥生人の故郷

『日本人ルーツの謎を解く 縄文人は日本人と韓国人の祖先だった』という本を書いた人がいる。「日本と韓国は隣国同士であり常識的に考えてDNAの違いはない」と主張する人がいる。小沢一郎氏はかつて韓国の首都ソウルの大学で「天皇の祖先は韓国人であった」と言う趣旨の講演を行ったことが報じられたことがあった。渡来系弥生人が朝鮮半島出身であると思っている人がかなり居ると思われるが、渡来系弥生人の故郷は長江中流域である。

日本では古代に世界でいち早く奴隷(奴婢)制度を廃止した国である。古代日本でも天皇や豪族は正妻以外に多数の女性を妻にして多くの子孫を残している。奴婢との間にできた子どもを良民にするという定めもあった。持統天皇4年(690年)に奴婢の売買が禁止された。いろいろな事情で自ら奴婢になった人も現れたが、平安時代中期の寛平の治から延喜の治の間に奴婢廃止令が出されている。

日本には非常に多くの帰化人がいたが奈良・平安時代に彼らは姓を与えられた。特に戦国時代以降彼らは主君から名字を与えられ、幾つもの家に分れて全国に散らばった。皆完全な日本人になって今日に至っている。

日本では労働人口の不足から外国人の労働移民を多く受け入れようとしているが、天皇を崇敬しない外国人を決して日本国民にしてはならない。日本国民の団結のためには、男系の皇統が是非必要である。継体天皇の例に倣って、これまで綿々として続いてきた男系皇統を決して絶やさない工夫を是非考えるべきある。

戦後、皇籍を離脱した元皇族の中から天皇のY染色体DNAを有する男性に宮家と養子縁組をして貰うなどして、何としてでも男系の皇統を維持しなければならない。