2012年8月31日金曜日


日韓関係の改善のために(11)(20120831)

 政府は東京都が申請していた尖閣列島買い取りの為の上陸を認めない方針である。その一方で、シナ(中国)では、四つの都市で反日デモが起きている。これは、シナ(中国)政府が、日本政府が東京都の申請を許可しないようにするための巧妙な工作を行った結果であると考えられる。シナ(中国)政府は反日デモが必要以上に拡大しないように、非常に上手に情報操作を行っているようである。

 今回の政府の判断は日本の現状では止むを得ないところであろう。通常兵器においては日本はシナ(中国)を上回るものがあると思うが、日本は核兵器を保有していない。北朝鮮のように貧弱な国でも核兵器を保有しているため日本は怯えている。同盟国アメリカは議会の承認なしには日本防衛のための核兵器使用を含む行動をしない。日米安保があるから大丈夫だと普通一般の人々は思っているだろうが、いざと言うときアメリカはすぐには行動できないのだ。そこのところを普通一般の人々は理解していない。

 結局のところ日本は通常兵器によるか、もしくは北朝鮮のように核武装して、尖閣列島周辺や日本の排他的経済水域内でのシナ(中国)の行動を抑え込むことしかないのである。日本は、尖閣列島周辺や日本の排他的経済水域内でシナ(中国)が軍事的行動をすることをあきらめざるを得ないような強い軍事力を保有する必要がある。韓国から「軍国主義の復活」と非難されようと、日本は東アジアで生き残ってゆくため最善の道を選ばなければならないのである。呉 善花 著『韓国併合への道 完全版』より、括弧(“”)で引用する。

 “李朝では後嗣がいないとき、王位継承者の指名権は王妃にあり、大妃(王の父の妃)が生存している場合には大妃に指名権があった。哲宗には安東金氏の一族から出た妃があったが、当時は豊壌趙氏一族出の趙大妃(第二四代王憲宗の父翼宗の妃)が生きていた。そこで趙大妃が王に指名したのが、傍系王族興宣君の第二子命福だった。これが第二六代朝鮮国王高宗である。

 高宗はこのときわずか十一歳だったので趙大妃が摂政となったが、趙氏一族は高宗の父の興宣君に国王を補佐させて政治の実権を行使させることにした。李朝では生存する国王の父を「大院君」と称したので、興宣は興宣大院君と呼ばれた。この興宣が政治的な采配をふるって歴史上に大きく名を残したため、以後の朝鮮では大院君と言えばそのまま興宣大院君を指すようになった。

 興宣は没落した傍系王族の出身であり、しかも実力ある外戚の後ろ盾にもなっていなかった。大妃を擁する趙氏一族としては、これまで勢道(せいどう)政治(王の外戚という権勢をもっての政治)をほしいままにしている安東金一族の勢力を抑え、自らの勢力を伸長させなければならなかった。そのため、なんらの勢力背景をもたない興宣と結び、その若年の子を王としたのである。(続く)”

2012年8月30日木曜日


日韓関係の改善のために(10)(20120830)

 NHKアーカイブス『世界自然遺産 屋久島』を観た。屋久島の杉が保護される以前、島民の生活のため既に全島の8割の森林が伐採されてしまっていた。島民であった兵頭という若者が立ち上がり、県を動かし国を動かし、‘天佑’あってようやく「学術保護林」という形で樹齢何千年という杉が幾つもある森林が守られることになった。‘天佑’というと立腹する人たちもいるかもしれない。というのは、台風による地盤の緩みで洪水と土石流が発生し、森林のあった麓の地区に住んでいて森林の伐採で生活の糧を得ていた人たちも大変な被害に遭い、「森林を守らなければならぬ」とようやく気付いたからである。

 人は自分自身に何か禍が起きて、初めてその災いの原因となる問題があったことに気付くものである。直感的な洞察力がある人は、普通一般の人よりも早く、その問題の存在に気付いていて警鐘を鳴らすが、普通一般の人々はそのことに無関心である。直感的な洞察力ある人は、人智では計り知れないものを、人智を超えた世界からの自分自身では意識できない形での啓示のようなものを受けるのだと思う。3.11大震災の場合も、福島原発事故の場合も、それが起きる以前からそのような‘啓示’を受けていた人がいた。彼らの声は人智のみを信じる世俗的な学者や政治家たちによってかき消されていた。仏典にはそのような普通一般の人々を教え導くために、仏・ブッダはいろいろな方便を用いているということが書かれている。前世に因縁がある因果応報は、この世において必ずあるものである。

 優れた為政者は、次の方法で良い政治を行うだろう。①普通一般の人々が気づくことがないことに気付き、警鐘を鳴らす人の言葉に耳を傾ける。②その警鐘を鳴らす人が言っていることを実現させるため、強い実行力があり揺らぐことがない忠節心がある人物を選び、必要な援助をして実行させる。③その人物の真心を信じ、もし万一その実行者の背後に自分がいるということが公に明らかになったときは、自らその罪をかぶり、自らの命を捨てる覚悟を持つ。そのような人たちは後世に尊い名を残している。「いのち」は永遠である。

 日本にはそういう為政者たちが居たから明治維新は成就した。その陰で、吉田松陰・橋本左内・武市半平太らの刑死があった。皆、「国の為」という信念を織り込んだ漢詩を作り辞世としている。一方李氏朝鮮時代の韓国は、シナ(中国)に自国の外交・防衛を頼ることによってしか生き残ることができない状態であったから、そのような為政者も、国の為一身を捧げるような志士も育たなかった。韓国併合以前の韓国はそういう状態だった。

日本は知らず知らずのうちにシナ(中国)の長期戦略に基づく様々な工作に屈して、遂には天皇が居ないような国になってしまうことは絶対あってはならぬ。日本共産党など左翼政党の理念や、左翼思想の学者らの言動に対しては、十分な注意と警戒が必要である。

2012年8月29日水曜日


日韓関係の改善のために(9)(20120829)

 竹島問題をめぐる国会決議で日本共産党はその決議に反対した。NHK日曜討論でその反対の理由として共産党は朝鮮半島に対する日本の侵略行為を挙げた。日本共産党は尖閣列島が日本固有の領土であることを明確に主張している。日本共産党綱領には「日本の歴史的領土である千島列島と歯舞諸島・色丹島の返還をめざす」書かれている。日本共産党は、その一方で竹島問題については批判的である。日本共産党が竹島問題について批判的である大きな理由の一つに、彼らは天皇を認めない立場であるということである。

彼らも日本の近現代史について十分学習している筈である。大日本帝国が大韓帝国を併合しなければならなかった状況について、理解しているはずである。彼らの真の狙いは、日本を日本でないようにすることであると思われる。日本共産党綱領を読むと、彼らは反アメリカ主義であり、東アジアからアメリカ軍がいなくなればよいと考えている。しかし科学的社会主義の政治権力を手に入れた暁には、社会主義・共産主義社会の建設のため、国民の合意で最終的には再軍備を進め、北朝鮮のように核兵器を保有するだろう。そして天皇がいない日本は、シナ(中国)に対しては北朝鮮のような立場に立とうと考えているのかもしれない。

 日本は「朝鮮半島を侵略したのではない」、ということを明らかにしなければならない。そしてそのことを多くの日本国民が知るようにしなければならない。大日本帝国が大韓帝国を併合後、日本は韓国を近代国家にするため如何に努力したかを説明する動画(URL:: http://www.youtube.com/watch?v=P6B2Uyes_Gw&feature=related)がある。この動画を出来るだけ多くの日本人が視聴することを期待したい。

呉 善花 著『韓国併合への道 完全版』より、括弧(“”)で引用する。李明博大統領も例外ではなく、歴代韓国大統領が自分の家族・親族の不祥事で糾弾されることをくり返している事実は、韓国が未だに李氏朝鮮時代の精神文化を引きずっていることを示している。
“李朝ほど強固で長く統一を保持し続けた王朝国家は例がないと言われるが、李朝の統一は、社会とか民族とか、大集団の利益の大局的な一致によって維持されたのではなかった。・・(中略)・・横のつながりを失った無数の極小集団(主として家族)が、それぞれ自己の利益を目指し、中心の権威という甘い蜜に向かって猛然と突き進む、という力学によって維持されたのである。・・(中略)・・李朝末期の政治は、支配者たちの紛争に明け暮れでまったく麻痺状態にあった。まともな軍事力はなく、国家財政も社会の経済も破綻し、慢性的な農民一揆が頻発していた。一八六〇年代の李朝の国力は、まさしく衰亡のきわみにまで至り、崩壊寸前だったのである。”
 “こうして李朝が建国以来最大の危機を迎えていた一八六三年、第二五代朝鮮国王哲宗が後継のないまま亡くなった。日本に明治維新が起きる五年まえのことである。(続く)”

2012年8月28日火曜日


日韓関係の改善のために(8)(20120828)

 25日付の読売新聞に「中国、韓国との共闘模索」という見出しで、“北京の外交筋は「日本の侵略を受けたという点で、中国は韓国と価値観を共有できる。尖閣諸島を巡って日中関係が険悪化する中、中国は韓国と共闘する可能性もある」と指摘した。実際、胡政権は20109月の中国漁船衝突事件直後、日本と北方領土問題を抱えるロシアと、「歴史を捏造する試みを非難する」などとした共同声明を採択し、対日圧力とした経緯がある”と報じている。

 李氏朝鮮以前の朝鮮半島諸国でも李氏朝鮮の時も、朝鮮半島の一部又は全部はシナ(中国)の支配下にあり、その諸国の王は皇帝の臣下になって国の防衛はシナ(中国)に委ねていた。そういう歴史に鑑みると、韓国がシナ(中国)に刷り寄り、南北朝鮮統一を果たし、シナ(中国)・朝鮮が一体となって日本に立ち向かう可能性は十分考えられる。日本はそういう状況も考慮に入れて生き残る道を進まなければならない。

 シナ(中国)はもとより、韓国・北朝鮮も天皇を目の上のたんこぶのように見ている。日本に万世一系の天皇がいることを嫌っている。もし、仮に日本がEUのように日中韓共同体になったら、いずれ将来、天皇がいない日本になってしまうだろう。シナ(中国)は口先で仲間に入れた国の言語・文化等を尊重し、一国二制度を認めると言っていても、シナ(中国)の歴史を見ればわかるとおり、少数民族に漢語を強制し、自治区に多数の漢族の人びとを送りこんで混血を推進し、すでに満洲族の満洲は無くなってしまったように、またチベット自治区・新疆ウイグル自治区・内蒙古自治区などを無くそうとしているように、非常に長い時間をかけてシナ(中国)化してしまうだろう。それがシナ(中国)のやり方である。

シナ(中国)には、「中国民間保釣連合会(URL: http://www.cfdd.org.cn/html/news.html
という公式サイトに「琉球復国運動基本綱領」があり、その綱領の中に「琉球臨時憲法九条(URL:http://www.cfdd.org.cn/bbs/thread-69800-1-1.html」)」がある。その琉球臨時憲法九条には、「第四條: 琉球共和國由三個主要的州:奄米州, 沖繩州, 八重山州組成」とし、「第七條: 琉球共和國的語言有琉球語、漢語、日語三大語群」と書かれている。沖縄について先ずは「一国2制度」でゆく方針で、最終的にはすべてシナ(中国)化する考えである。

鳩山元首相・小沢元代表らや自民党谷垣総裁や加藤紘一氏らは東アジア共同体への道を推進しようとした。鳩山元首相は今でもその考えを変えていない。彼らは既に古い世代の人たちである。次の時代を担う20代・30代・40代の人たちには、日本及び東アジア諸国の歴史をよく学んでもらい、日本が生き残って行く正しい道を歩んで貰いたいと思う。

2012年8月27日月曜日


日韓関係の改善のために(7)(20120827)

 出自は在日韓国・北朝鮮人だったといわれる李明博大統領でさえ、天皇を「日王」と言ったように李氏朝鮮時代のシナ(中国)皇帝の冊封を受けていたときの思想から脱し得ていない。韓国も北朝鮮もそう遠くない将来、再びシナ(中国)の支配下に入る可能性がある。日本は隣国のそういう国家としての「性格」をよく見ぬき、一定の距離を置いて付き合うようにしなければならない。勿論、遠い将来、民族間の自然的融合を目指して、日本は韓国・北朝鮮・シナ(中国)との間の経済的・文化的交流を活発に継続するべきである。

国会議員や中央官庁の官僚たちには、「国家と国民とは別の‘個的主体’である」という認識をしっかり持って貰わなければならない。たとえ自分の親や自分自身が元在日韓国・北朝鮮人等在日外国人であった国会議員や中央官庁の官僚であるとしても、今、日本人となっているのであるから、このことをしっかり弁えて言動を行って貰わなければならぬ。

 政治においては、「政道」と「商道」の違いをしっかりわきまえて事を進めてもらわねばならぬ。「政道」においては、きちんとした国家観のもとに事を進められるべきものである。民主党政権においてはその部分でしっかりしたものが無かった。そのため普天間の問題、竹島の問題、北方領土の問題、尖閣の問題などが次々と起こったのである。

 呉 善花 著『韓国併合への道 完全版』より、括弧(“”)で引用する。
 “戦後の韓国に外交官として駐在したことのあるアメリカの朝鮮史家ヘンダーソンは、李朝が近代と触れるようになる一八六〇年前後の政治と社会に触れて、次のように述べている。

 「李朝はもはや経済的破産と崩壊の寸前であった。すでに軍事力はほとんどなく、政権の分裂と内紛で行政は麻痺状態となり、慢性的百姓一揆の機運に脅かされていた」(グレゴリー・ヘンダーソン著/鈴木沙雄・大塚喬重訳『朝鮮の政治社会』サイマル出版会)・・(中略)・・

 李朝衰亡の根本は、ヘンダーソンもいうように、李朝の政治が何百年もの間、中国をまねながら、中国以上に「統一性の威厳」を強化し続けてきたことに求められる。つまり、広大な領土を治めるために行使された中国式の中央集権制を、狭小な朝鮮半島内で本家の中国以上に徹底させるために、世界に類例をみないほど硬直した官僚国家体制ができあがってしまったのである。・・(中略)・・李朝の政治は、徹底的に規格化された制度と画一的な手段を用いての政治だった。それをヘンダーソンは、「すべての非正統的活動」を執拗に排除しようとする「嫉妬深い中央集権主義」と形容している。・・(中略)・・

 柔軟性を欠いたシステムの定着は、時代に合わせて自己変革を遂げることをほとんど不可能にし、やがて疲弊と衰亡をもたらす。それはあらゆる集団の摂理である。”

2012年8月26日日曜日


日韓関係の改善のために(6)(20120826)

 韓国政府は李明博大統領宛野田首相親書を突き返してきた。日本の世論は韓国の常軌を逸した態度にあきれかえっている。外務省は親書を返却しに来た韓国大使館職員を外務省構内に入れさせず追い返した。韓国側は書留郵便で日本政府にその返却文書を郵送するという。外務省は使者(韓国大使館参事官)を一応外務省庁舎内に入れ、武士道精神を身につけているような外務省の相当職員に応対させ、韓国側の非礼を指摘し、その一部始終を映像で記録しておき、今後の外交カードに利用するようにすべきではなかったかと思う。

李明博大統領が天皇を「日王」と言い、「日王はひざまずいて謝れ」と言っていることを、多くの日本人は知っている。このような発言はたとえ大統領府からの公式発言が別のものであっても、しかしその公式発言すらも、日本人として黙って聞き流すわけにはゆかない。今日の国会では戦後の歴史教育、とくに近現代史に関する教育の不備についても議論された。これは戦後初めてのことである。李明博大統領の言動は、戦後日本人の精神を見失っていた日本人自身を反省させ、本来日本人としてあるべき姿を取り戻すきっかけを作ってくれたと思う。日本人は武士道精神を取り戻さなければならない。

呉 善花 著『韓国併合への道 完全版』より、括弧(“”)で引用する。将来、韓国も北朝鮮もシナ(中国)の勢力圏内に入る選択をするだろう。日本はどうするのか?日本としては聖徳太子以来の自主独立の精神をしっかり保ち続けることが重要である。国家としての「性格」が異なるシナ(中国)の勢力圏内には、決して入るようことがあってはならない。

 “古代の高句麗・新羅・百済の三国や統一新羅は、いずれも強力な軍事力をもって敵にあたり国の防備を固めた。高麗もまた軍事力に力を入れた。契丹の侵略をはねつけ、蒙古軍には敗れはしたものの果敢に戦い、元の力が弱まると次々に攻勢をかけて国内から追い出し、旧国境を回復している。
 ところが、李朝国家の軍事力は驚くほど脆弱なものだった。日本の侵略軍はたったの三週間で首都漢城を陥落させ、まるで無人の地を行くかのように進軍して全土を荒廃させた。また、満州族の清もわずか一ヵ月で半島を制圧して国土を蹂躙した。そして、日本の侵略軍に対しては明国軍の派遣を頼んだし、清には降伏したまま手も足も出ず、ゲリラ戦すら展開することができなかった。・・(中略)・・
 儒教的な文治主義の立場から、外国との間に生じる諸問題の解決は、可能な限り政治的な外交によって処理することがよしとされ、国土の防衛は宗主国である中国に頼る方向で考える傾向を強めた。

そのため軍人の間の不満は慢性化していたが、軍事クーデターに対しては徹底した予防措置がとられた。わずかでも不穏な動きがあれば、そのたび軍人を弾圧し、未然の鎮圧が周到に行われた。こうした極端な文官独裁の文治主義政治によって軍事が軽視され続けた結果、無残なばかりの軍部弱体化を招来させてしまったのである。”

2012年8月25日土曜日


日韓関係の改善のために(5)(20120825)

 呉 善花 著『韓国併合への道 完全版』より、括弧(“”)で引用する。豊臣秀吉軍の朝鮮出兵は、スペインによるシナ(明国)への侵略を未然に防止しようとしたものであった。これについてはこのブログで20101017日日曜日「秀吉の朝鮮出兵(20101017)」以降3日間、岩間 弘 著『改定版 大東亜解放戦争 上・下巻』より引用して掲載している。

秀吉軍の朝鮮出兵時連れてきた朝鮮の陶工たちは薩摩藩で上士・郷士などの待遇を与えられて薩摩藩の陶器製造に貢献したが、これは呉 善花 女史が言うとおり、当時の朝鮮の産業の一つに打撃を与えたかもしれない。しかし朝鮮の陶工たちは自分の意志で日本に渡って来たと伝えられている。

“古代、朝鮮半島の三つの王国、高句麗、新羅、百済はいずれも中国の冊封を受けて臣下の礼をとっていた。新羅は朝鮮半島を統一すると、援軍に来たまま駐留を続けようとする唐軍を追い出したが、すぐに唐に謝罪し、唐の冊封を受けて臣下になっている。この関係は唐が新羅末期の九〇七年に滅亡するまで続いた。

高麗は九九三年から一〇一九年までにたびたび北方の契丹の侵入を受けたが、屈することなく戦い続けて自立を守った。が、一二三一年から蒙古軍の侵入を受けるようになり、一二五九年にはついに蒙古軍に降伏して臣下となった。そして蒙古(元)の支配が一三五九年まで約一〇〇年間続いた。その後高麗の政府は、元を北方に追いやって中国を統一した明につくか元につくかで揺れ動いた。が、やがて元は衰亡から崩壊への道をたどり、新王朝の李氏朝鮮は明の裂く冊封を受けて臣下となった。

李朝国家は五〇〇余年の間に二回の大きな侵略を受けている。最初は一五九二年と一五九七年の二度にわたる日本軍(豊臣秀吉軍)の侵略であり、二回目は一六三六年の満州族が建てた王朝清の侵略である。李朝国家は明軍の来援を得て日本軍の支配は避けることができたものの、清には降伏してその臣下に入った。清は一六六二年に明を滅ぼして中国に統一王朝を築き、一八九五年に日清戦争で日本に敗れるまで、李朝に対する宗主国であり続けた。

日本は聖徳太子以来、中国に遣使を送りはしても冊封を受けて臣下になることはなかったし、外国の支配を受けることもなかった。また、朝鮮半島のように常に外国の侵略に脅かされ続ける状態にもなかった。

しかし朝鮮半島の諸国は古代以来二〇〇〇年間に、北方諸民族や倭寇による小規模な侵入を含めると、正史に記録されただけでもおよそ一〇〇〇回の侵略を受けている。とくに高麗時代の蒙古、李朝時代の日本、清による侵略は、それまでに築き上げた朝鮮半島の産業や文化を、繰り返し壊滅に近い状態にまで打ちのめしたといってよい。”

2012年8月24日金曜日


日韓関係の改善のために(4)(20120824)

 日本では江戸時代に士農工商・非人・穢多の階級があった。しかしこれは職業的な区分であり、非人は良民に戻ることができた。農民や商人から武士になることもできていたし、その逆もあった。但し穢多は肉処理・皮革製品製造等手工業に従事し、居住区域を限られていた。しかし『解体新書』の人体解剖に従事して杉田玄白に尊敬された人や中間・足軽の身分で司法・警察業務に従事した人たちもいた。その身分で資産家になった人もいた。

武士階級も上士と下士に別れていたが固定的ではなかった。薩摩藩では秀吉の朝鮮出兵時連れてきた朝鮮の陶工たちに武士の身分を与えていた。日本の身分制度は基本的にそれぞれの職業の中で切磋琢磨し、向上心をもって生産性を上げることが奨励されていたからある意味で合理的な制度であった。明治維新は武士階級の人たちが自らその身分制度を解体して成就したものである。日本には元々そういうことが可能な文化があった。

呉 善花 著『韓国併合への道 完全版』より、括弧(“”)で引用する。
 “官僚には文官(文班)と武官(武班)があり、合せて両班(リャンバン)と呼ばれた。しかし李朝は極端な文治主義をとっており、武官は文官に対してはるかに劣位な状態におかれていた。全軍の指揮権を司る責任機関の長にも、地域方面軍の指揮将官たちにも高級文官が就任し、その他の高位の武官職もことごとく高級文官によって兼任されていた。”

 “政府の最高機関は議政府とよばれ、最高官位の正一品の文官たちで構成されたが、その時々の王権の強弱によってその権限は左右され、王権が強化されるまと王の諮問機関のような形にもなった。その他にもいくつかの行政や司法を司る機関、学問・書籍・公式文書などに関する機関があったが、基本的には君主専制と官僚専横の相互を牽制してバランスを保ちながら国家を運営するシステムになっていた。

 こうした官僚体制を維持するために、李朝では中国式の官吏登用制度である科挙が実施された。・・(中略)・・
 文官優位であったことから、科挙といえば一般に文科を指し、・・(中略)・・文科の試験は中国の古典籍(四書・五経・史書)と詩文について行われたが、要するに儒学をいかに修めたかを判定するものであった。・・(中略)・・

 科挙ではこのように徹底した成績主義がとられる一方、受験資格には厳しい身分的な制約があり、とくに文科は両班階級の者しか受験できないようになっていた。

 なお李朝時代の身分には、一般に地主階級でもある両班を支配階級とし、その下に三つの階級があった。両班階級の下には、技術と行政の実務に従事する官僚を中心とする中人階級があり、その下には農・工・商に従事して国家に対する賦役全面的に負担する常民階級があり、最下層に国家機関や私的な個人に隷属する奴隷としての賤民階級があった。いずれも身分も世襲身分として固定されていた。”

2012年8月23日木曜日


日韓関係の改善のために(3)(20120823)

 李明博韓国大統領は、「日王(天皇陛下のこと)が韓国を訪問したいのならば、韓国人にひざまずいて謝らなければならない」と言ったという。その発言はソウル新聞に書かれているが、その後韓国大統領府から出された公式発言からはその部分は抜けている。一国の元首ともあろうお方が何と品のない物の言い様であろうか。テレビ朝日は李明博支持率が向上した理由に「竹島」を挙げているが、「天皇土下座謝罪」には全く触れなかった。

韓国大統領のこのような発言の背景には、以前、小沢元民主党代表がシナ(中国)からの帰国の途次、韓国のソウルの大学における講演で、東京大学の江上波夫らの騎馬民族説を論拠に「天皇の先祖は韓国人である」と言ったことを、韓国の人びとは何か誤解して理解しているようなところがあるのではないだろうか? 東京大学の歴史学者らは「仮説」をさも正当な学説であるかのように論述する術に長けているので、騙されないようにしなければならない。

そもそもいわゆる従軍慰安婦という言葉を使い始めたのは日本人の小説家である。いわゆる従軍慰安婦問題という問題の根源が旧日本軍による韓国人に対する行為にあったと、ろくに事実の確認もせず信じ込んで韓国に謝罪した村山元総理や河野衆議院議長にも責任がある。しかし、今さら誰が反国家的罪人かと追及しても全く意味がない。そういうことをするよりは、『朝鮮人特攻隊』の著者・裵淵弘(ベ・ヨンホン)氏が言っているように、歴史はあくまでも歴史に委ねる」べきである。

前回、「集団的阿頼耶識」という言葉を使った。日本人の「集団的阿頼耶識」と韓国人の「集団的阿頼耶識」の間には深い溝があるようである。これはそう簡単には埋まらないであろう。「阿頼耶識(あらやしき)」とは、普段意識されない潜在意識で第七識の「末那識(まなしき)」の下層の第八識のことである。仏教ではさらにその下に最下層の「阿摩羅識(あまらしき)」があると説いている。

呉 善花 著『韓国併合への道 完全版』より、括弧(“”)で引用する。
  “朝鮮半島には、日本やヨーロッパのように武人が支配する封建制国家の歴史がない。中国と同じように、古代以来の文人官僚が政治を行う王朝国家が、延々と近世に至るまで続いたのである。併合の主体となった日本は近代国家であったが、併合されたほうの国家の実質は、近代国家でも封建国家でもない王朝国家だったのである。


 李朝国家の政治システムは、中国歴代の制度に由来するもので、頂点に絶対権力者としての王をいただき、その下に文官・武官の両官僚群が合議で政務をとり行う、高麗朝の儒教的な官僚体制を踏襲したものだった。ただ、文治主義と中央集権制が極度に徹底されていた点に大きな特徴があった。”

2012年8月22日水曜日


日韓関係の改善のために(2)(20120822)

 呉 善花 著『韓国併合への道 完全版』より、括弧(“”)で引用しながら学んで行くことにする。このブログでは書物などから引用しながら学んできた「20120303韓国併合(一)一進会」以降「20120324第一次世界大戦(一)サラエボ事件(終り)」まで、及び「20100826竹島と尖閣諸島」以降「20100829竹島と尖閣諸島(終り)」までのシリーズがある。そのとき引用した図書は、岩間 著『改定版 大東亜解放戦争 上・下巻』(創栄出版)である。この岩間 氏の本にも、一部で呉 善花 女史の『韓国併合への道』が引用されている。

日韓関係の改善のためには長い年月がかかるであろう。われわれ日本人の子孫たちが、戦後の間違った教育のせいで自虐史観から脱し得ず、むしろ「自分の先祖たちは東アジア諸国の人々に対しては悪いことをした」と信じるようであれば、大東亜解放戦争で尊い命を国の為捧げられた「あの世」から激しい怒りが起き、日本に何か良くないことが起きるに違いない。仏教で教える因果応報は集団のレベルにおいても必ずあるに違いない。

仏教では深層心理学の研究対象である無意識を「阿頼耶識」という言葉で説いている。集団的無意識があるように集団的阿頼耶識も考えられる。仏教の経典には、「仏はいろいろな方法で人々を教え導く」と書かれている。先の3.11巨大津波・大震災・原発事故などは、今の日本人たちに対する仏のお導きの一つであると謙虚な気持ちで受け止める必要がある。そして日本人は縄文以来の日本人の祖霊たちの思いに背かないよう精進してゆかなければならない。日本人のそのような謙虚さと精進は、集団的阿頼耶識を通じて、あの大災害で犠牲になられた方々に対する供養にもなると思う。われわれ日本人は、大東亜解放戦争で国の為自ら命を捧げられた方々に対する供養をまだ終えてはいない。「靖国神社で会おう」と言って死んで逝った兵士たちの御霊に対し、深い感謝の気持ちを持ち、国家としてきちんとした祭祀を執り行うようにならなければ、先の大東亜解放戦争の戦後が終わったことにならない。我々日本人は、先ずそのことを深く反省すべきである。


“日本が一九一〇年(明治四三)に併合した「韓国」とは、一三九二年の建国以来五〇〇年間続いた王朝国家「朝鮮」の後身「大韓帝国」のことを言う。朝鮮は初代の李成桂以来、代々李氏によって王位が継承されてきたことから「李氏朝鮮」、あるいは李氏による王朝ということから「李朝」とも呼ばれてきた。

李朝は一八九五年(明治二八)に日清戦争の日本の勝利によって中国からの独立を獲得し、一八九七年に国名を「大韓帝国」と改めた。この「大韓帝国」を「大日本帝国」が併合したので「日韓併合」と言われる。

大韓帝国は部分的に近代的な国家の法やシステムを取り入れてはいたものの、本質的には王朝国家としての李朝をそのまま引き継いだものであった。”

2012年8月21日火曜日


日韓関係の改善のために(1)(20120821)

 北方領土・竹島・尖閣諸島は日本固有の領土である。いわゆる「領土問題」という言葉を使うべきではないが、この問題の解決のためには、先ず一方の当事国である日本人自身が幕末以降の日本の近代史について正しい知識を持つとともに、東アジア諸国の近代史についても正しい知識を持っていることが必要である。できるだけ多くの日本人がこの問題について正しい歴史を学んで知っているならば、相手国の友人たちに理性的に説明できるであろうし、欧米諸国の友人たちにも説明できるであろう。日本人自身がこの問題について正しい歴史を認識し、日本国家としても毅然とした態度をとることができるような軍事的・外交的パワーを保持して、相手国に対して高尚な精神をもって紳士的・理性的に向き合うならば、この問題は円満に解決されるはずである。

しかし、こういう問題は、政府任せにしているだけでは絶対に解決できないものである。相手国の出方次第では、そして他に解決方法がなく止むを得ない場合には、日本は最終的には武力による解決も辞さぬ、という姿勢を相手国に示さなければならない。侍・日本人は、自ら生き残るため、武士の魂である腰の剣を抜くことも辞さぬという態度をもって、相手国と対話をしなければならない。ここに今を生きる日本人自身の心構えの問題がある。

 日本と韓国の間には竹島問題といわゆる従軍慰安婦問題がある。そのほか韓国が日本海を東海と呼称させようとし、また剣道・華道・茶道などの日本固有の「道」文化の起源を韓国にあるように捏造している問題もある。韓国がなぜこのような問題を作っているのか、その根本の原因について先ず考えてみる必要がある。二者間に発生するいかなる問題でも、必ず相対的な要素があるものである。問題が一方的に発生するということはない。日本人が韓国人の心情について理解しなければ、韓国人も日本人の心情に理解を示さないだろう。

今、ここに『朝鮮人特攻隊』という本がある。著者は裵淵弘(ベ・ヨンホン)氏である。彼は東京生まれである。この本に書かれていることを読むうちに目に止まった言葉がある。それは「敗戦ですべてを失った日本と、終戦ですべてを取り戻した韓国とでは、歴史の見方が違ってくるのはやむを得ない。歴史観の対立は、今も深まる一方だが、歴史はあくまでも歴史に委ねるべきではなかろうか。戦争で死んだ人が売国奴の犬死と蔑まれ、生き残った人が英雄になるのだとしたら、いずれの歴史解釈も間違っていることになる。」という言葉である。

また、ここに『韓国併合への道 完全版』という本がある。著者は呉 善花(オ ソンファ)女史である。彼女は済州島生まれで日本に帰化している。これらの本や今後参考にする書物に書かれていることを括弧(“”)で引用しながら、先ずは日本と韓国の間にある問題について考えて行こうと思う。

2012年8月20日月曜日


いわゆる「従軍慰安婦」問題について「呉 善花(お そんふぁ)」氏の著書より(20120820)

 今日の読売新聞社説に「幅広い協力重ねて同盟深化を」と題して、リチャード・アーミテージ元国務副長官とジョセフ・ナイ元国防次官補の共同執筆による日米同盟に関する報告書のことが書かれている。その報告書は、いわゆる従軍慰安婦問題など日韓間の歴史問題を日本が直視する必要性も訴えた、と書かれている。

 呉 善花(お そんふぁ) 氏の著著『韓国併合への道 完全版』に、そのいわゆる従軍慰安婦問題についてこう書かれている。(“”でそのまま引用する。)
 “二〇〇五年には、韓昇助(ハンスンジョ)高麗大学名誉教授による、「共産主義・左派思想に根差す親日派断罪の愚―-日韓併合を再評価せよ」と題する論文を掲載した日本の月刊誌『正論』四月号が三月一日に発売され、韓国で韓昇助氏の糾弾騒動が持ち上がった。・・(中略)・・韓氏は同論文のなかで、日本の統治は韓国の経済や社会の近代化、民族文化のいっそうの成長、言語・文学など韓国学研究の基礎の確立などに大きな寄与を果たしたと述べている。また従軍慰安婦問題について、「戦争中の軍人が女性を性的慰安物として利用したのは日本だけのことではなく、日本では一時的で例外的な現象だった」「大きな被害ではなかったにもかかわらず、屈辱を受けたという老婆を前面に出して何度も補償金を要求する、これが高尚な民族の行動といえるか」という趣旨のことを述べている。
 韓氏糾弾の急先鋒に立ったのは、民族主義系市民団体とネチズン(インターネット・シチズン)である。・・(中略)・・

 二〇〇八年に発足した李明博政権は、「歴史認識・竹島・靖国神社」を「韓国国民の三大懸案」とすることでは従来の政権と何ら変わりはなかったが、賠償請求権問題を含めて当初から、ことさら強硬な対日姿勢を取ることのないまま、二年、三年と過ぎていた。しかし政権四年目の後半に入った二〇一一年八月末頃から突然、「(元)従軍慰安婦」の賠償請求権を日本に認めさせる政治的姿勢を強く示すようになった。
 この対日強硬姿勢への転換は、八月三〇日に韓国憲法裁判所が「韓国政府が賠償請求権の交渉努力をしないことは違憲」とする判断を示したことにはじまっている。”

 この問題で日韓両国民の間で感情的な対立をすることは、決して良い結果を産まないであろう。両国政府はそれぞれの国民に対して「お互いに冷静になろう」と呼びかけることが大事である。その上で、「①韓国が日本に対する賠償請求権は消滅している。②いわゆる従軍慰安婦という用語は造語である。③従軍慰安婦にさせる強制連行はなかった。④この仕事に従事した朝鮮人女性よりはるかに多い日本人女性に対するのと同様、性的暴力もなかった。⑤世界中の従軍慰安婦像は撤去する」という覚書を交わしたうえで、韓国の関係女性たちに対して、個別に「感謝金」を支払って問題の解決を図ったらどうであろうか?

2012年8月19日日曜日


日本人は、隠れている問題を見つけ出す能力を持つ必要がある。(20120819)

 博多駅で近所への土産に「博多明太子」を買った。店員に「原料は北海道だろう?」と言ったら「いいえ、国内産は高いですから、今はロシアやアメリカ産、ロシアが多いです」という返事が返ってきた。男は「ほう、ロシアねえ、(ロシアに)北方領土を返せと言わなくてはならぬ」と言ったら件の店員は笑っていた。

 北方の白熊が北方領土四島を鋭い爪がある手や足でがっちり押さえて、こちらを向いて牙をむいて唸り声を上げている。わが北方領土はロシアにとって食糧の源である。日本人はあまり関心がないようであるが、ロシア人たちは寒冷地で食糧を確保するのに苦労しているらしい。先々月だったかロシアメドベージェフ首相がわが北方領を訪れて得意気に、「あちら(日本)では漁獲量が少ないようだ、我々は我々の領土(日本の北方領土)近海で魚を獲ろう」というようなことを言った。北方の白熊は余程のことがない限り、手足でがっちりとわが領土の四島を押さえていて、なかなか手放さないだろう。

 これは東京に向かう「のぞみ」号の中書いている。備え付けの『WEDGE』の記事のタイトルに“持たざる国日本 エネルギー選択の「自由」はあるか”というものがある。ざっとページをめくってみると“①(日本の)化石燃料の自主開発率は思うように上がっていず25%程度である。②中国とインドの石炭需要は向こう5年で日本の数倍になることが予想される。③石油について日本が自主開発した原油の4割が集中するUAE(アラブ首長国連邦)における日本の権益のうち半分の期限が5年余りに迫っている。世界の石油メジャーや石油開発会社が虎視眈々と新規参入の機会を窺っている。④サウジでは国内での石油消費が増加してきており輸出への影響がでてきている。”などといった記事が目に止まった。

 近い将来、日本は海外からの化石燃料の確保が難しくなってくるだろう。そういう状況を「問題」であると認識し、さらに隠れている問題の発見を行い、その問題の解決のために動くべき国家組織の一つは「国家戦略室」であり、「文科省」であろう。しかし役人たちは組織規程に書かれていないことは決して行はないものである。中央官庁に勤めるエリートたちが、①問題を見つけ出す能力を持ち、②問題を解決するため障害になっているものを取り除く方策を案出し、③政治家を動かして問題を解決する能力を持つ、ということが必要である。

 男も他の多くの人たちと同じように、たまに利用する新幹線の中で手にする『WEDGE』のような雑誌を、わざわざ毎月購入して読むという気にはならない。見渡すとこの雑誌を手にしている乗客は居ないようである。これは識者たちの警告・提言が余り関心を持たれていないということである。これも日本の現状における一つの問題である。

2012年8月18日土曜日


老骨どもでも国の為何か役に立つことが出来るだろう(20120818)

県庁の近くのある居酒屋で小中学時代の竹馬の友男女10人ほどが集まって、昼食に郷土料理のだんご汁などを食べながら語り合った。小学校を出て62年、中学校を出て59年、みないい爺さん・婆さんである。小学校1、2年のころの思い出に、学校に兵隊さんが来ていて校庭の脇に空襲に備えて予備の鉄道線路を引く話があったとか、空襲を避けて神社で授業を受けたことがあったとか、校庭に食糧確保のため芋畑をつくったとかという話が出た。男の記憶には、戦後の食糧難のときサツマイモの茎を茹でたものや、小麦を粉にした後に出るかすを練って焼いたものや海藻で作られたうどんなど、今時考えられないような粗末なものを食べたことがあったというものがある。それは、事情があって引き揚げ先の家から一時期離れていたときのことであった。

 戦後の最も印象に残っている思い出の一つに、昭和天皇のご巡幸列車の通過を送迎したということがある。生徒たちは先生に引率されて駅に行き駅の脇の広場に整列した。やがて天皇が乗っておられる列車が到着し、生徒たちの前をゆっくり通過した。天皇は窓からこちらをじっと見ておられた。あの頃市内は空襲でやられ焼け野原の状態であった。街角には白衣の傷痍軍人が過ぎゆく人々に恵みを求めていた。戦前、男の祖母は荷車を引いて橋に差しかかろうとしたとき、米軍機の機銃掃射を受け、慌てて橋げたの下に隠れたことがあった。終戦前後のそういう状況を体験している年代の人びとは徐々に減ってきている。

 男は終戦直後の8月、母親に連れられて弟妹達と一緒に朝鮮から引き揚げてきた。男の父親は校長であったので業務引き継ぎのことなどあったのであろうか終戦の年の9月、帆船で引き揚げてきた。「朝鮮からの引揚げ」と言う言葉が使われるのは、古代、天智3年、663年、日本軍が唐・新羅連合軍に敗けて何千人という百済の人びとが日本に「引き揚げて」以来のことである。当時、百済は日本の支配下にあった。
 
 男はその居酒屋でスマートフォンを無線ルーターにして持参したノートパソコンに接続して、菅直人元首相が観閲台に立ち観閲している平成22年度自衛隊観閲式のYouTube動画を竹馬の友らに見てもらった。100年兵を養うのはただ一度の戦に勝つためという言葉があるが、15か月前の東日本大震災では10万人という自衛隊員が全国各地から緊急動員され、救助・救援活動を行ったたことは記憶にまだ生々しい。その時の総理は菅直人氏である。観閲式はその5か月前に行われた。ある友は「このような動画は広く一般国民に見せるべきである」と言った。男は「NHKも含めマスコミは偏向思想を持っているから、このような動画には見向きもしないよ」と言った。男は、この日本の再生のため老骨たちができるかもしれないあることを思いついた。それは自分がもう3年間も続けているブログの記事を抜粋した小冊子を作って先ずは竹馬の友らに配って、小冊子に書いてある話を広めることである。

2012年8月17日金曜日


人生(20120817)

 男と女房はこれまで独り暮らしの婆さんを看るため、年に4、5回帰っていた。婆さんが老人施設に入居するまでの間は、婆さんを看るため帰ったときは四六時中婆さんと顔を突き合わせていた。婆さんと我々とでは食べ物が違うし、食事のときは婆さんがいつも居る居間で畳の上に座って一緒に食べていた。男は別の部屋でインターネットに接続できるように線を引いてその部屋に居場所を持っていたが、女房にはそのような居場所はなかった。今、婆さんは老人施設に自分から申し出て入居してくれているので、この家に帰ったときは男も女房も誰にも気づかうことなく、のびのび過ごすことができている。

 婆さんがこの家で独り暮らしをしているときは気楽に旅行もできなかった。今では安心して旅行もできる。男と女房は以前婆さんを二度連れて行ったことがあるある温泉地に一泊した。その温泉地はこの家からタクシーで片道3000円ほどかかる山間部にある。今回泊まった宿は、以前泊まったことがある観光ホテルのすぐ近くにある。其処は「この宿の雰囲気はよさそうだ、一度泊まってみたい」と思っていたひなびた旅館で、全部和室である。夕食は会席料理が部屋に運ばれるが、朝食は畳敷きの広間で家族ごと座って食べる。

 その旅館には露天風呂に続く洞窟の風呂もあり、露天の家族風呂もある。洞窟の風呂は毎朝6時から9時までは女性が使用できるようになっている。夜間だと多分物騒に感じるから女性には早朝から利用できるようにしてあるのだろう。男と女房はその旅館に着いてすぐその家族風呂に入った。そこは予約制であり一回30分と決められているが、この時期に宿泊客が少なかったので女将から「ずーと入っていても良いですよ」と言われていた。湯船は二人が入るのに丁度よい大きさである。隙間がある違い板の囲いの内側にちょっとした木立とかつて田舎で使われていた粉を作る石臼などがあり、囲いの向こう側は山の斜面でその上に空が広がっている。蝉の鳴き声が聞こえてくる以外、外は全く静かである。

 男は何十年ぶりかで女房の背中を流してやった。女房も男の背中を流してくれた。夫婦になって来年は50年になる。二人の息子たちもそれぞれ立派な社会人として、良い家庭を築いている。男の血統を受け継ぐ孫息子もいる。男も女房も良い人生だったなと思う。今何一つとして不自由はない。身の回りに自分たちを飾るような「光る物」は何一つないが、それを欲しいとは全く思わない。男も女房も、日々の暮らしに最低限必要な機能的な道具・器具さえ有ればそれで十分であると思っている。

 野の草花、小鳥、風景など自然の世界には宝物が一杯ある。それに気づけば、日一日が楽しい限りである。かくして男も女房もその肉体は宇宙の時間の経過とともに徐々に朽ちてゆく。そしてやがて土に還る。男も女房も日々死支度をしながら生きている。

2012年8月16日木曜日


お盆(20120816)

 東京では7月にお盆の行事を行うようであるが、田舎では813日がお盆の日である。男と女房は婆さんを老人施設から婆さんを家に連れ帰った。先ずは婆さんが檀家になっているお寺に連れてゆきタクシーを待たせて墓参りをした。家に着くなり婆さんの第一声は「やっぱり‘我が家はよい’」であった。庭木の手入れや雑草の除去は予め専門の業者に依頼してあったので、その部分は綺麗になっていた。花壇や畑の部分には雑草が生い茂っていたので、男は午前中その雑草を取り除き、婆さんが庭木や花壇などを見て安心するようにしてあった。婆さんは何十年間という独り暮らしの間よく家を守っていたが、老人施設に入居後は男と女房がちょくちょく帰った度に家屋敷の手入れを行っている。

 男は婆さんの介助をしながら婆さんに家の周囲を見せてやった。ある庭木の傍に一本の大葉が茂っているのを見つけ「あれは大葉だ、木と違うよ」という。男はその大葉を抜き取ると婆さんは一枚の葉をちぎって手にとり、「匂いがいい、天ぷらにするとおいしいよ」と言う。男はその大葉が植木の間に残っていることには気付かなかった。多分それは業者があえて取り除かずに残しておいたものであろう。

 婆さんは居間で、婆さんが一人暮らしの間座っていた座椅子に座り、お茶を飲み菓子を食べながら女房とあれこれ楽しそうに昔話や世間話をしている。それでも柱の時計を見上げながら「(老人施設に)帰らなくては」という。女房が「今夜8時まで帰ると伝えてあるから大丈夫だよ」というと「ああ、そうかえ」と言って安心する。しかし暫くするとまた同じことを言う。女房が買い物に出かけている間、男は婆さんを昼寝させた。婆さんが長年使っていた部屋は、婆さんを施設から連れて帰ったとき休めるようにしてある。

 女房は婆さんが大好物のうなぎのかば焼きを買ってきてあった。鹿児島県産で2000円もしたという。婆さんの夕食のおかずはそのうなぎのかば焼きであった。婆さんは大喜びでそれを平らげた。婆さんが入居している老人施設では5時半から夕食の時間となる。ほぼ同じ時間に夕食をとり、7時過ぎには婆さんを施設に連れ戻した。施設のベテラン女性スタッフが婆さんの頬をなでながら「うなぎを食べて顔がつるつるだわ、明後日は焼き肉を食べてまたつるつるになるわね」と冗談を言って笑わせる。その様子を見ている他の入居者たちは頬笑んでいる。

施設ではお盆であっても家族が迎えに来ない人も何人かいるようである。婆さんも正月の時期にショートステイで他の施設に泊まっていたとき、正月をその施設で迎えたことがあった。男も女房も自分たちがこうして婆さんを家に連れて帰ることが、そのように家族が迎えに来ない入居者たちに対して気の毒だと思ったが、それは取り越し苦労である。

2012年8月15日水曜日


オスプレイは本当に危険な飛行機か?(20120815)

沖縄県知事初め沖縄のアメリカ軍基地をかかえる各市長たちはこぞってオスプレイの危険性を強調している。陰でほくそ笑んでいるのはわざわざ沖縄にやってきて反日的活動を行っている左翼活動家たちと沖縄の新聞各社及びシナ(中国)である。

左翼活動家たちと必死に戦っているジャーナリストの仲村 氏は、多くの沖縄県民はそういった左翼活動家たちとは一線を画した冷静な反応を示していると言っている。大手のマスコミはそういった冷静な分析をしようとせず、最近はロンドンオリンピック一点張りである。公共放送NHKまでもが、311の大地震と巨大津波による未曾有の大災害からの復興のことを一切触れずオリンピック一色の過熱報道ぶりである。

元航空幕僚長・田母神敏雄氏は自らの公式ブログでこう言っている。「空を飛んでいるものは、いつかは落ちる可能性がある。絶対に落ちない飛行機などこの世に存在しない。しかし結論から言ってこれまでのCH46などに比べれば、十分な安全確率は確保されているといってよいであろう。米軍においても安全については十分に検討され、オスプレイについても一定の事故確率以下の安全が達成できると見込まれるので使われることになったのである。米軍は危ない飛行機に兵士を無理やり搭乗させているわけではないのだ。

私たちが航空自衛隊で新しい戦闘機などを取得する場合、100機の体制を造るときには、墜落して失われる機体を計算し、あらかじめその機数を100機に上乗せして取得している。これを航空自衛隊では減耗予備機と呼んでいる。新機種が10万時間当たり2機墜落するという計算上の数値があって、その機種を40年間で合計100万時間飛ばすとすると、20機の機体が事故で失われるということになる。航空自衛隊では100機の飛行機に20機の減耗予備機を上乗せしてあらかじめ120機の戦闘機を取得するのである。

マスコミの報道を見ていると沖縄県民全員がオスプレイの配備に反対しているような印象を受けるが、現実にはそうではない。私の沖縄勤務6年の実感として反対している人は少数である。左翼とマスコミがこれを煽っているだけである」として、オスプレイの安全性を冷静に判断すべきであると主張している。

 氏はまた「沖縄には今、中国の脅威が迫っている。こんなときにオスプレイが危険だと騒ぐことは中国に利するだけである。我が国は今なおアメリカに国を守ってもらわなければ国の守りを果たせない。本来は自分の国は自分で守るべきであり、我が国も一歩ずつその方向に足を踏み出すべきであることは論を待たないが、残念ながら現状ではアメリカに守ってもらうしか手がないのだと言っている。

 日本国民は、マスコミの情緒的報道姿勢や左翼の宣伝に決して惑わされてはならない。