2016年2月21日日曜日

20160221「仏教」をキーワードに、思いつくまま綴る(10)―― エピジェネティクスに関する本 ――


 横浜市立図書館でエピジェネティクスのことが書かれている科学関係雑誌を読み漁り、仲野徹著『エピジェネティクス』と太田邦史著『エピゲノムと生命』の2冊の本を借りて帰った。エピゲノムのことは今のところマスコミには難しい話と受け止められているらしい。しかしこれは医療の面のみならず社会や民族の面でもこれに焦点を当てて研究されるべきことであるように私は直感している。

 今日は天気が良かったので運動も兼ねて野見山公園近くの横浜市立図書館に行くことにした。途中おにぎり専門の店「権米衛」で一番安いがボリュームがあって栄養価も高そうなものを三個選んで買った。一つは生姜味噌を付けたもの、一つは玄米入りでゴマをまぶしたもの、もう一つは鰹節を中に入れたものである。飲料は自宅から冷ました湯を持参した。交通機関は敬老パスを利用するのでその都度切符を買う必要はない。昼食は野見山公園のベンチに座って取る。最も安がありで最も健康的で最も知的である。

 公園のベンチに座っておにぎりを食べる様子をスマートフォンで撮ってLINEで家内に伝える。スマートフォンでの撮影は‘自撮り’モードである。このような時間を過ごすことができるのはとても幸せである。80に近い年寄りとは言え、現役の人たちに支えて貰っていることを思い、私は「有難し」とつぶやく。

 しかし、このような幸せを感じることができない心の貧しい人たちは大勢いる。町を歩くときすれ違う高齢者は皆が皆穏やかな顔をしているわけではない。私は阿弥陀仏に完全に帰依し、阿弥陀仏にすべてを任せ切っている感じでいるので、今のところ穏やかな気分である。しかし、何時私に不幸が降りかかるか分からない。そのとき私は穏やかな気持ちでいることができるだろうか?私はそのような時でも穏やかな気持ちでありたいと願っている。

 エピゲノムは日常の精神活動の持続によって現れる。ストレスがたまり続け、それを消化できない状態が何年も続けば、ある遺伝子が発現してエピゲノムとなる。それはその人の精神を不安定にし、病気の原因を作り、その人がそのような状態で持った子供にエピゲノムとして‘遺伝’するのだろう。その逆の場合もあるであろう。


 社会は人の集合である。民族の精神文化的な面はその民族の精神的な集合である。社会や民族にエピジェネティクスが作用していることは間違いないと思う。私はそう思いながら上記2冊の本を徹底的に読み、何か哲学的な思索のきっかけをつかみたいと思っている。

2016年2月18日木曜日

20160218「仏教」をキーワードに、思いつくまま綴る(9)―― エピジェネティクスの面から考える子供の養育 ――


 エピジェネティクスの面から見た‘遺伝’は因果応報・輪廻転生を説いている仏教と何か関係がありそうであり、また社会・国家の在り方にも影響がありそうである。私は、前者は仏教の指導者が考えるべきことであり、後者は政治家や社会学者などが考えるべきことであると思っている。

私は、女性の晩婚化は社会や国家の大問題であると思っている。私は女性が適齢期に結婚し、子供を産むことが出来ない社会は決して良い社会ではないし、そういう国は決して良い国ではないと思っている。このことに着目し、活動してくれる優れた政治家や学者や活動家が現れることが期待される。

近年、離婚や貧困や男女関係の乱れなどにより、幼児や赤ちゃんが児童養護施設や病院で保護されていて、その児童や赤ちゃんの実の親でない夫婦に引き取られ、養育される状況がある。かつて旧満州に残された児童が中国人の夫婦に養育され、成長後日本に帰国した中国残留孤児がいた。

このように血縁関係がない子供はエピジェネティクスの面から見た場合にどのような‘遺伝’をその育ての親から受けるのであろうか?下記括弧(“”)で括るように、エピジェネティクスは麻薬により精神疾患が生じた場合について研究されている。しかし、私は、エピジェネティクスは社会や国家の在り方や仏教の布教活動の在り方を考える場合についても研究されるべきテーマではないかと考えている。

環境要因がどのようなメカニズムで精神疾患につながるのかという疑問が浮かび上がってくる。簡単にいってしまえば答えは明白で、「生まれ」と「育ち」の両方が脳の精神細胞に作用するということだ・・・(中略)・・・経験を通じて染色体上に化学標識が付いたり取れたりすることが精神疾患症の一因となっているようだ。こうした「エピジェネティック」な標識は、遺伝子の配列ではなく遺伝子の活性を変える・・・(中略)・・・DNAは細胞核にでたらめに詰め込まれているのではなく、糸巻きに巻かれた糸のように、「ヒストン」と呼ばれるタンパク質複合体の周りに巻き付いている。このヒストンとDNAの複合体を「クロマチン」といい、そのクロマチンが折りたたまれて染色体を構成している・・・(中略)・・・クロマチンが折りたたまれていると、遺伝子を活性化する装置が近づけず、遺伝子は不活性のままだ。・・・(中略)・・・個々の遺伝子が活性化するかしないかは、クロマチンの化学修飾によってきまるのだ。このようなエピジェネティックな変化は、化学標識を付けたり取り除いたりする様々な酵素によって生じる・・・エピジェネティックな修飾がほかの多くの遺伝子にも生じており、それが養育のような行動における反応プログラムに関与し、ゆえに行動様式の親から子への‘遺伝’をもたらしていることが、今後明らかになっていくだろう。こうした状況においては、ある世代のある遺伝子に生じたエピジェネティックな変化が、生殖細胞を介さずに事実上次の世代に伝わっていくような現象が起きる”(『日経サイエンス誌20123月号』より引用、本稿においてアンダーライン・赤字表示により強調)。

 脳細胞の中のエピジェネティックな変化の状況は精神疾患のみならず、そのほかのことについても起きるのではないだろうか?海外に移住した日本人たちの子孫は容貌や形質が日本人であっても思考や性格や行動はその土地の人たちと同じ様になっているようである。それは正しく「DNA塩基配列の変化を伴わない細胞分裂後も継承される遺伝子発現あるいは細胞表現型の変化」(『ウイキペディア』より引用)である。

 ここに私は次の通りエピジェネティクスの三つの側面に着目して思索を進めたいと思う。その一つは、女性が適齢期に子供を産める社会の実現の方策、その二つは子供を授かったが離婚した女性のその子供の養育が最も良く行われる社会の実現、その三つはエピジェネティクスの面から見た国家の特性と進化、である。


 私が最も関心があるので上記の三つ目のことについて一言触れる。国家は国民一人一人の集合体である。国民の意識は国家の意識となって顕れる。その国の伝統や文化はその国家の品格となって顕れる。個々の国民の資質や能力はその国家の資質や能力となって顕れる。為政者が対外的にどのように取り繕うと、その国の本質を覆い隠すことは出来ない。その国の有り様は、その国の民の個々のエピジェネティクスによる変化の集合である。己の欠点に気付かず、気づこうとせず、他を見下す国家は、その内包する矛盾のため進化が遅れ、崩壊の危機に見舞われる。謙虚で賢い国民が大多数を占める国家はますます進化してゆくことになるだろう。日本国は永遠にそういう国家であって欲しい!

2016年2月15日月曜日

20160215「仏教」をキーワードに、思いつくまま綴る(8)――エピジェネティクス――


 “エピジェネティクス(英語: epigenetics)とは、一般的には「DNA塩基配列の変化を伴わない細胞分裂後も継承される遺伝子発現あるいは細胞表現型の変化を研究する学問領域」である”(『ウイキペディア』より引用)。

“遺伝子と環境の間。氏と育ちの隙間。そこにエピジェネティックスが作用する。そして環境からの情報を取り込むことで生じた一部のエピジェネティクスは、なんと次世代へと遺伝することが明らかになってきた”(『WIRED』より引用)らしい。

 私という個人は、私の先祖の遺伝子の一部を受け継ぎ、私の父母からそれぞれ半分ずつ、遺伝子を受け継ぎ、私の子孫には私と私の妻の遺伝子の一部がそれぞれ受け継がれてゆく。一方で私や妻の先祖のそれぞれの家庭環境やそれぞれの育てられ方も、エピジェネティックに私たちの子供たちに遺伝している。

 私や私の妻のDNA塩基配列やエピジェネティックな遺伝要素は私たちの子供たちの子孫にも一部が確実に伝えられるに違いない。そのとき私も私の妻も私たちが生きている間に見ることがないその子孫に生まれかわることになるかもしれない。

 仏教では「天上・人間・修羅・畜生・餓鬼・地獄」という六つの道への「転生」を説いている。それは仏教で説いている「因縁」という概念につながるものであろう。この世において悪い行いをした者は、あの世においてその報いに応じて生まれかわるに違いない。

 誰でも煩悩の身であれば数々の過ちをしてしまうことがあるだろう。その過ちの中には法律に触れることであったり、道義上許されないことであったりするものがある。それが公に明らかになったとき、公人や有名人であれば、そのことがマスコミの話題になる。


 やがて草木が枯れて朽ちて土に還ってゆくように、私もこの世を去ることになる。後世に生きる私の子孫のために、私は自分が経験し学んできたこと、身に着けてきた善いことが、確実に伝わるようにしなければならない。それが私の余生の大事な仕事である。