2013年6月11日火曜日


社会的諸関係を極力絶つ(20130611)


 ブログを毎日書かなくなり、フェイスブックのページも開かず、国のことを憂えることもない日が続いている。76歳になったので社会的諸関係はできるだけ断ち切るようにしている。例えば「創立何十周年○○会」とか「○○会」とかいったお付き合いも自分本位に考え、寸志を送るだけで義理を欠いている。そうすると「ああしなければならない・こうしなければならない」といった何かに追われているような気持ちもなく、かといって「これから何をしようか・どのようにして時間をつぶそうか」というようなこともない。それでいて結構忙しく充実した日々を送っている。李白の『山中問答』のような境地である。


人はこの様子を見て「悠々自適な暮らしぶりですね」という。ある60歳代の近所の女性は私に「何歳ですか?」と尋ねる。「76になりました」と答えると「へーッ、本当ですか?随分若く見えますね」と驚き、「元気なのだから働いて貰わなくっちゃ」と言う。その人のご主人は何処かに勤めていてその人自身もパートで働いている。

郵便受け中に近くの地区センターで人材募集のちらしが入っていた。パソコンができてコミュニティ関係の仕事ができてパートタイムで働くことができる人を求めている。条件はそれだけで年齢の制限はない。もし自分が上述のように毎日何も為すことなくぶらぶらしている人ならばパソコンも若い人以上にこなせるし適任であるので早速申し込んでみるところであるが、そのようにしてまで貴重な自分の時間を費やそうとは全く思わない。


もし自分がこのような新興都会地の住民ではなく地縁・血縁が入り組む古い地域社会の住民であったらそんなことは言っておれないだろう。自分の齢にもなると何かと役を押し付けられ、それなりの金も出させられ、義理人情のお付き合いもさせられるだろう。幸いこの地域は昔からこの地域に暮らしてきた人たちが、ある意味で閉鎖的なコミュニティを形成していて集合住宅に住む新参者をそれとなく排斥する雰囲気がある。こちらは町内会費をきちんと払い、町内会の会合には委任状を出しておけば何も文句は言われない。この小さな集合住宅の管理組合は組合員が実質24名で、毎年3人づつ交替で役員を務めている。

管理組合は法律に基づく組織であるが実質自治会も兼ね役員交代時には町内会の役員宅に挨拶にゆき、市や県の広報などの配布先を変更して貰うだけである。市や県から広報配布の費用の一部が町内会には分配されているがこちらは入居者全戸分の広報誌をまとめて受け、輪番で理事長になった役員がそれを分け、各戸の郵便受けに投入するだけである。


毎年行われる社会福祉大会では地域社会で活動した団体や個人が表彰されている。せめてそういった表彰でもない限り、地域社会で何か役を引き受けた人は報われない。もっとも自ら好んでそのような役を引き受ける人がいるから地域社会は成り立つのである。この集合住宅に26年間住んで来たgが幸いそういう役を引き受けるような機会はなかった。あるNPOの理事長をしていた時は社会福祉協議会の評議員になったことがあった。それは自動的にそういう役目になっていた。これは社会福祉協議会という組織活動を維持するため必要なことであった。社会的諸関係に関わらない限り表彰も叙勲もない。それで十分。