2016年9月19日月曜日

20160919最大多数の最大幸福を脅かすグローバリズム


 今日の三橋経済新聞(三橋貴明氏主宰)に『グローバリズムとの戦い』と題する記事が載っている。三橋氏は「英語を流ちょうに話し、国籍や国境を意識せず、金儲けが狙える国の企業に投資し、安全な日本国に居住し、日本国で居住することが危険になれば、より安全な国に逃避するような連中が一番恐れるのは民主主義である。彼らは国民を分断しようとしている」、というような趣旨のことを述べている。

私は彼の意見に賛成である。日本国内には上記のような国家観が欠如した利己主義の輩がごまんといるだろう。彼らの中には自由民主党の政治家もいることだろう。その政治家は表向き天皇を崇敬し愛国心に満ちたことを口にし、身体・精神・知的各種障害者への思いやりを口にし、母子家庭なで生活保護・奨学金などで細々と暮らしている経済的弱者への思いやりを口にしていることだろう。

 そのような偽善者を左翼の人たちは非難し、自分たちこそそういう弱者の味方である、と常にアッピールしている。日本では細かく幾つもの政党があるが、各政党はいろいろな考えの人たちの受け皿になっている。しかし最も危険な政治家は、表向き慈愛にみちていて実行力があるが、その裏で金儲けに励む連中である。そういう政治家たちが日本を危うくする。

 私はかつて仕えた陸軍士官学校54期出身の方から「日本軍がマレー半島からイギリス軍を追い出した後、商社の連中が進出し、良からぬことをした」というような話を聞いたことがある。そのように言われた商社も実は日本国家の財政を支えていたに違いない。

 物事には善い面も悪い面も一緒に存在している。それで物事が成り立っている。ただ、悪い面は善い面を暗くしない程度に抑制されなければならない。その抑制が効かなくなると必ず問題が起きる。例えば自由主義は衰退し、全体主義が台頭することになるだろう。

 世界一の情報通信技術を持っている日本は、その利活用を活発にする必要がある。スマートフォンやパーソナルコンピューターなどにより人々の間の意思疎通がより活発になれば、上述の危険な政治家も、金儲けに走る国家観のない利己主義の人たちも自ずと制御されるようになることだろう。

 ただ其処にも危険が潜んでいる。フェイスブックなどで自分の顔をはっきり見せず、自分のプロフィールもできるだけ隠すのはそういう危険から身を護る行動の顕れである。ツイッターなどで匿名で激しい言葉を使い、何かを攻撃し、自己満足している連中も、表に出て群れを成せば非常に危険な集団になることだろう。群れを成すのは全ての生物が自ら持っている力・自存力の顕れである。集団暴行・テロ行為・新興宗教団体や特定思想団体の集団的な行動・暴力団の行動などはすべて単独ではできないことを群れになって行っていることである。公安当局は彼等をしっかり把握し、暴発しないように制御している筈である。

 政府はそういう危険をできるだけ排除し、理想的な社会を創るため努力している。ここで重要なことは、マスメディアがもっと情報通信に関心をもち、中央政府・地方政府と国民との間のコミュニケーションがもっと活発になるような役割を担うことである。個人或は志を同じくする人々の集団だけでそのような役割を担おうとしても糠に釘のような結果しか得られないが、マスメディアが動けば情報通信に対する人々の関心が深まり、中央政府・地方政府と国民との間のコミュニケーションが活発になるに違いない。

 英語を流ちょうに話し、金儲けに走る連中が既に引き起こしつつあるのかもしれない貧富の拡大は、中央政府・地方政府と国民との間のコミュニケーションが活発になることによって防ぐことが出来る筈である。国民の大多数が一部の政治家・識者・ジャーナリストたちの発言に惑わされることなく物事の善悪を判断し、最大多数の最大幸福を目指して自ら行動するならば、貧富の差も適度に保たれ、人々の安全が保たれ、国家の平和と繁栄が保たれるに違いない。

 

2016年9月18日日曜日

20160918中近東などで国際マイクロウエーヴ回線の建設に関わったKさん


 男より9歳年上のKさんは今88Kさんは最愛の奥様を亡くして45年は経っているだろうか、福岡のある町に独り暮らしをしている。Kさんが奥様を亡くす前に長年住んでいた横浜のある町にはまだそのマンションの一戸が残っていて、Kさんは年に何度か福岡と横浜の間をフェリーを利用して往復している。

 そのKさんは旧電信電話公社(現NTT)の職員で、その技術を買われてN社に転職し、N社が国際協力機構JICAの依頼を受けて中近東・東パキスタン(現バングラディシュ)等に建設した国際マイクロウエーヴ回線の建設の現場責任者として携わった経歴の持主である。

 男はそのKさんと仕事を通じて知り合い、30年来の良い友人関係になっている。男はKさんが元気にしているかどうか確かめるため先ほど福岡のKさんに電話を入れた。その時二つのことが話題になり、長々と語り合った。話題の一つは戦艦大和を引き揚げ、欠けた部分は継ぎ足し、少なくとも往時の外観の形だけは復元して、横須賀かどこかに記念・追悼公園を作って、そこにモニュメントとして飾ったらどうか、ということである。

もう一つは、戦後日本が国際貢献の一環として、日本の高度な情報通信技術力を活かして世界の後進地域に情報通信網の基幹となる国際マイクロウエーヴ通信回線を建設した当時の建設現場の実話に関することある。男はKさんから当時の苦労話を聞き、それを何とか小説にして世に知らせる方法はないものかと思った。

何年か前、私男はKさんから百田尚樹の『永遠のゼロ』という本を突然贈られた。その後私はKさんを誘ってその映画を観に行ったことがあった。その時映画館の中で男の隣の席にいたKさんは、その映画の上映中声を押しころして泣いていた。映画の筋はその本に書かれているとおりであった。
(関連:『永遠のゼロ』
『天涯孤独になったある友人のことを思う』

男は「自分はKさんと共に生かされている。Kさんの年齢になるまで自分がこの世に在るかどうかは分らない。しかしお互い何か因縁がある二人とも、この世での役割を終えない限りあの世には行けないのだろう。その役割とは戦艦大和と国際マイクロウエーヴ回線のことを日本人の魂の永遠の遺産として、後世に伝える仕事の一端のほんの僅かでも担うことである」と思った。

国際マイクロウエーヴ回線のことについては戦艦大和のような知名度が無い。識者・言論者・小説家の間にもその認識が無いに等しい。日本の情報通信技術は世界一のレヴェルであるが情報通信技術の利活用の面においては日本がシンガポールや韓国の後塵を拝する状況にある。

東京都の豊洲市場の建設にあたり、設計変更がごく一部の者、多分それには東京都議会の一部の議員も含まれているであろうが、その一部の者だけが知っていてそれ以外の大多数の者、勿論東京都民も全く知らないことであった。それは当時豊洲市場の建設計画に関わった石原元都知事すら知らないことであった。

小池新都知事は当時のいきさつについて調査し公表すると宣言している。彼女は都民の目線で情報公開を積極的に進めるつもりである。こういう事態になったのは、情報通信技術の最高レヴェルのインフラが整備されていることであろう東京都において、その情報通信技術の利活用の面において全くお粗末であったことを証明している。

男はそういう見解により、人生の殆どを陽が当らない地道な仕事をしてきた情報通信技術者の古老の話を是非小説化できないものかと思ったのである。通信回線は生物体の神経系のようなものである。は中近東やインド・東パキスタン(現バングラディシュ)・フィリピンなどでマイクロウエーヴ通信回線や衛星通信回線の建設に携わった方である。

しかし男は小説を書く能力はない。しかしKさんの人となりやKさんが行った仕事について小説を書くための取材源は沢山ある。男は山崎豊子の『大地の子』のような小説は全く書けないが、後世に記録を遺すという意味でKさんのことを小説にすることに挑戦する価値はある。但しそれは男のコンピュータ上に遺し、書いた内容を密かにKさんに見せるだけという極めて閉鎖的な作業である。それで充分である。いずれ男がこの世を去った後、それが何かの役立つことがあるかもしれない。

男が関わっているあるメーリングリストの友だちの小学校時代の恩師はビルマ戦線で共に戦ったある元陸軍伍長の上官で、元陸軍中尉であった。その元中尉は部下であった元伍長が戦線で経験したことを書き留めていた手記を預かっていた。その手記をそのメーリングリストの仲間が活字化し、製本化した。これにより公式の戦争記録とは異なる生々しい体験が本の形で後世に遺り、一つの歴史資料となる。

上述の国際マイクウエーヴ回線網建設に従事した人の経験も同様に小説の形で後世に遺すことができれば、これも一つの歴史資料となるだろう。79歳である男はそういうものを後世に遺す作業をするため、男より9歳年長のKさんと共に生かされているのだと思っている。男もあと10年位は生きているかもしれない。その時Kさんはこの世を去っているかもしれない。男はKさんに会ってKさんのけいけんについてせめてメモを書き残す程度の取材しなければならなにと思った。



2016年9月13日火曜日

20160913「自由と民主主義」を守る情報通信技術とジャーナリズムのあるべき姿


 ジャーナリストの国際団体「国境なき記者団」というのがあるそうである。これは各国でどれだけ自由な報道が認められているか分析した報告書であるという。その「国境なき記者団」が昨年度について発表したところによれば、日本は61位であるということである。

 日本のその自由度は年々下がって来ているということで、特に福島第一原子力発電所の事故に関する報道で下がり、また前年制定された特定秘密保護法のことでさらに下がったと言うことである。左翼系ジャーナリストはそのランキングが安倍政権でさらに下がると予測している。これは彼等の期待であろう。

 この投稿でジャーナリストを仮に記者・言論者・社会派作家・映像制作責任者など、メディアを通じて社会に何らかの影響を与える立場にある人たちを総称して仮に括弧付の‘ジャーナリスト’とし、さらに政府や地方自治体の行政組織を総称して仮に括弧付の‘政府’として、以下にジャーナリズムのあるべき姿勢について考えてみる。

上記のランキングについて、私は‘ジャーナリスト’たちの国家観に問題があるのではないかと思っている。国家権力は統治のため国民の自由を抑える側に作用しやすい。従い私は‘ジャーナリスト’が批判精神をもって国家権力に対決することは必要であると思っている。しかし私は一方で、‘ジャーナリスト’たちは‘政府’と一般市民の間の意思疎通を活発にさせることについては殆ど無関心であると思っており、それが今の日本の大きな問題であると思っている。

勿論一般市民側も‘政府’がやっていることに関する情報の入手を‘ジャーナリスト’に任せているように見えることにも問題がある。さらに言えば、一般市民側は‘政府’がやっていることを自分たちが選挙で選んだ議員に任せて安心しているようにも見える。これも大きな問題である。

私は、国家は一つの‘生物種’であると考えている。蟻などの昆虫たちや鰯などの魚たちやライオンなどの猛獣たちやインパラなどの草食動物たちや鴨などの渡り鳥たちは生存のため群れをつくる。人間も生存のため群れをつくる。それらの群れが生存のため組織的な動きをして群れとして一つの‘生物種’、すなわち生物の超個体のようになる。

‘生物種’・超個体としての国家は、野生動物のようなところがある。生存のため他の国家の生存を脅かそうとする。日本国民は日本国憲法前文にある「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意」していても、日本の周辺諸国は隙あれば日本の領土をかすめ取ろうとしている。これが地政学上の現実である。

‘生物種’としての国家は、国際法や道徳や国際交流だけでは生存できない。国際社会では軍事力の後ろ盾がないと敬意を表されない。左翼系の‘ジャーナリスト’たちには過去の戦争のトラウマから抜け切れず、武力を忌み嫌っている人たちが多いのではないのか?

特に左翼系の‘ジャーナリスト’たちは反権力意識が過剰で、メディアを通じて一般市民に自分たちの主張を伝えることに腐心している。彼らは‘政府’と一般市民の間の意思疎通を活発にさせることに無関心であるように見える。上述国際ランキングは結果的に左翼系の‘ジャーナリスト’たちが作っているものではないのか?

ところで世界経済フォーラム(WEF)が毎年公表している情報通信技術(Information and Communication TechnologyICT)競争力ランキングでは、日本はシンガポール・台湾・韓国などよりずっと下位で2008年以降は20位付近を低迷している。

日本はICTの利活用の面で評価が低い。日本は光ファイバーサービルの契約割合や固定ブロードバンド料金の低さや安全性などで世界のトップである。日本のICTの基盤は世界のトップレベルにあるのに、ICTの利活用の面では非常に劣っている。これは何故なのか?‘ジャーナリスト’たちのもその責任はないのか?

小池百合子氏が東京知事になり、東京都の豊洲市場の土壌汚染の問題がクローズアップされた。従来その部分は一部の議員と一部の官僚しか知らない闇であった。情報公開を積極的に進めている小池都知事はその闇に誰がいつどのように関わっていたのか調査を始めた。

もし、日本においてICTの利活用がもっと積極的に行われれば、ICT を通じて‘政府’と一般市民の間の相互作用が活発になり、上記の問題は起きなかったかもしれない。もし‘ジャーナリスト’たちが、東京都と東京都民の間の意思疎通を活発にさせることに積極的であったなら、上記のような問題は起きなかったかもしれない。‘ジャーナリスト’たちは、‘政府’に対する批判ばかりしているが‘政府’と一般市民の間の意思疎通のことに積極的でなかった。‘ジャーナリスト’たちが自覚しないかぎり、似たような問題は今後も起きることだろう。


かつて民主党政権のとき、人権擁護と言う美名のもとに、ジャーナリストによる情報発信は歓迎するが右派や保守派の個人による情報発信は規制しようとする動きがあった。これは自由と民主主義に逆行する動きであった。ICTの利活用がもっと盛んになれば、今後そのような愚かな動きは起きなくなるに違いない。

2016年9月11日日曜日

20160911雑感 ―― 本来あるべき国の形を取り戻すために ――


 産経ニュースに“「築地市場(東京都中央区)の移転先となる豊洲市場(江東区)で、都が土壌汚染対策に実施したとしていた4.5メートルの盛り土が一部行われていなかった問題で、食品を扱う主要施設の地下空洞に地下水がしみ出している恐れがあることが10日、都幹部への取材で分かった”という記事が載っている。

 豊洲市場の土地造成・建物建設は、「責任ある関係者」の間でどのように意思決定され、実行されて来たのだろうか?其処に東京都民やその「責任ある関係者」以外の官僚たちが知らないブラックボックスのようなものが有ったのではないのか?そのブラックボックスは利権に蠢く人たちが寄り合っている「闇」のような非公式な組織では無かったのか?

 もしそういう「闇」のようなものが存在していたとすれば、その「闇」に関わっていた一部の政治家や官僚は、公式的な組織をただ「機械」として動かしていただけである。そして彼らは自己防衛のため外部との間の意思疎通をなるべく少なくし、情報公開を恐れ、巧妙な言葉・慇懃無礼・恫喝・脅しによって近づく者を遠ざけようとしていたことであろう。

 今の時代の「大義」「公儀」((94日付投稿『「真正保守派」が目指すべきもの』参照。
http://hibikorejitaku.blogspot.jp/2016/09/20160904.html)という看板を背中に背負っている小池都知事は「都民第一」「情報公開」をキーワードに、もし上述の「闇」があったとすればそれに切り込もうとしている。情報通信技術は高度に発達し、進化しつつある。その「闇」の中で蠢く人たちはその状況を実感することができないような「年配の世代」の人たちであったのだろう。

 201112月付で総務省がネット上に公開している『2020年頃の将来社会の基盤となるネットワークの実現』と題する資料に「B. 価値を創造するネットワーク」という一項がある。其処では「誰もが膨大な情報を発信でき、一方、状況に応じて創生した有益な情報を安心して入手できるネットワーク環境技術」を確立することが目標とされている。「誰でも膨大な情報を発信でき、有益な情報を入手できる」ネットワークがすでに実現しつある。

 小池百合子氏が政党の支援を受けた他の候補者を百万票以上引き離して、東京都知事に当選することができ、かつ東京都知事として非常に多くの東京都民の支持を得ているのは、正に情報通信技術が小池知事側と東京都民のみならずマスメディアとの間でも非常によく利用されているからである。その鍵は、小池知事側が情報通信技術をフルに利用して積極的に情報発信しているところにある。

 上述の「闇」があったとすれば、その「闇」の組織側の人たちは、どちらかと言えば情報発信力が劣っている人たちであると思われる。新しい時代ではそういう人たちは今の時代の大義・公儀を見失っていてもそれに気づかず、旧来のように自分たちが強い権力を持っていると思っていたであろう。結局その「闇」の組織は、今の時代の大義・公儀には敵わないのであるが、そう言う人たちはそれに気づかないのである。

 ただ、情報通信技術は「自由と民主主義」の理念の下でないと威力を発揮することができない。人々が誰でも自由に情報を発信することができないと、人々は上述の「闇」の組織を牛耳るごく一部の人たちの支配下に置かれてしまうことになる。

 ジャーナリストは「自由と民主主義」の維持・増強のために戦う立場にある。そして、「自分たちがペンの力・映像の力で人々を導くのだ」というような「上からの目線」でものを言い、書くのではなく、情報通信技術を活用して国家の組織と一般国民の間の相互作用を促進させるような役割を担う立場にある。

 左翼系のジャーナリズムは、先ず「戦前の日本は間違ったことした」と言う観念のもと、地政学的な現実の不安定さ軽視し、軍事力を忌み嫌うところから思考を始めているように見える。もし北朝鮮が核兵器を用いたり、もしシナ(中国)が尖閣諸島を占領したりした時、左翼系のジャーナリズムは鳴りを潜めるだろうか?その時はもう取り返しのつかないことになっているだろう。一般国民に対し「上から目線」のジャーナリズムは国を危うくする。

 情報通信技術は諸刃の剣のようなとことろがある。ジャーナリズムは左翼系に対しても右翼系に対しても、それぞれの情報通信技術を用いた発言や行動によって国内が不安定になることを警戒すべきであって、一方の系のみを警戒するようであってはならない。ジャーナリズムが左右のどちらかに肩入れすれば、他方は必ず反発し、国の中に混乱が起きる。

 組織を防衛省と日本会議に限って一市井の無名の老人の見解を伝えるならば、それは、“①防衛省も日本会議も上述のことが起きないように、組織と人々との間で情報通信技術を用いた相互作用を活発にして、国のあるべき形に関する人々の理解を深めるように努めて欲しい、②また日本会議も防衛省も、人々が諸状況を理解するために情報通信技術をフルに活用した相互作用、双方向意思疎通、interactionに努めて欲しい”、ということである


そうすることによって、自衛隊の位置づけを日本国憲法上明確にするための憲法の改正が早々に行われるようになるであろう。また男系皇統の維持の方策の一つとして旧皇族の皇族復帰や教育勅語の復活も行われるようになり、日本が「茹でガエル」状態(94日付投稿『「真正保守派」が目指すべきもの』参照)から復帰して、日本は本来あるべき国の形に戻ることであろう。先人たちの「意識」が今この老人の「意識」と響き合っている。

2016年9月9日金曜日

20160909「共に生きる」と「上から目線」と


 今朝の某新聞の朝刊に某コラムニストの記事がでていた。その中に「国民も理解力が必要」という小見出しがあった。彼は「Jリーグのファンが戦術を見るようになって日本のサッカーのレベルは上がってきたが、残念ながら政治に関しては退歩している気がする」と言う。彼が本当にそう思っているからであろうか、彼は、野党は“「集団的自衛権はいらないよ」と言うだけでもいい”、“この反対が実を結ぶんだ”、“『アベノミクス』という軽薄なキャッチフレーズを言う人が勝っている”と言っている。

 「国民も理解力が必要」という言葉は上から目線の言葉である。そのコラムニストも国民の一人である。日本のサッカーのレベルが上がったのはJリーグのファンが戦術を見るようになったからだけではないだろう。政治の事に関していえば、マスメディアで発信されていることを大多数の国民は理解し、何が正しいか判断している。その結果が国政・地方行政選挙の結果に表れるのである。

 NHKの朝のドラマ『とと姉ちゃん』で商品テストの結果の公表が及ぼす影響についてある雑誌のジャーナリストが疑問を抱き、大新聞を巻き込んでその商品テストを行い専門誌に公表する行為を公平でないと思い、その専門誌を追求している場面があった。

 その商品テストを行っている専門誌の側は、自分たちが行っていることは正義であると確信して後に引かない構えである。そのドラマの一視聴者から見れば、その専門誌側は商品テストをされている製造者側と対立し、「自分たちの味方は一般消費者である」との信念で行動しているという構図に見える。其処にはその専門誌側と製造者側が「共に生きる」という観念はない。もし共生の気持があれば、商品テストの結果の公表にあたって、製造者側に対する思いやりのメッセージを添えるだろう。やはり此処にも「自分たちは正しい」という思い込みから生じる「上から目線」の観念がある。

 情報通信技術が高度に発達しつつある日本では、行政府の長や議会の議員などを選挙で選ぶとき、政党や団体などの組織体の意思とは別に個々の人々の意思がブログやメーリングリストやメールマガジンやWEBページやfacebookLINEや電子メールをなど通じて拡散し、その「大きな意向」が反映される。この「大きな意向」とは現代における「大義」であり、「公儀」である。真正保守の理念は其処にある。

 一方で、団体や組織は自己防衛のため情報公開を恐れ、巧妙な言葉・慇懃無礼・恫喝・脅しによって近づく者を遠ざけようとしている。しかし、上述の意味での「大義」「公儀」には敵わない。「日本会議」を取材したあるジャーナリストは「日本会議」側に警戒され、十分な取材ができなかったようであるが、彼が書いた本には「日本会議」に対する批判の文言が沢山書かれている。「日本会議」側にも問題があるが、「日本会議」を恐れ、「日本会議」を疑う側にも問題がある。

日本の現状に関して、上述の意味での「大義」「公儀」はどちらの側により多くあるのであろうか?私は「日本会議」の側にあると思っている。しかし私は勿論左翼の者ではないが右翼の者でも中道・中間派の者でもない。ただ、「日本会議」側も情報公開の仕方を改善し、自分の体質について不安を持たれないようにした方が良い、と思っている。

情報公開はメディアを十分活用した「双方向の対話」により行われれば、その効果は非常に大きいと思う。野球やサッカーや相撲などではそういうことが行われているから、人々の関心が高いのだろう。

日本の領土・領海・領空の防衛に関しても、そのような「双方向の対話」による情報公開が活発になれば、日本国民は今何を、どのようにしなければならないか、明確な意思を表明するようになるだろう。防衛省は自衛隊の活動状況を動画で盛んに公開しているが、高度に進化・発達しつつある情報通信技術をフルに活用して、国民と間で「双方向の対話」を活発に行うようにするべきである。

情報通信技術が高度に発達・進化しつつあるわが国にいては、今やジャーナリストやTVディレクターや言論者たちが「上から目線」でものを言えば世の中が変わるような時代ではなくなって来ているのではないだろうか?「自由と民主主義」が保障され、情報通信技術が高度に発達・進化しつつあるわが国にいては、メディアは「上から目線」ではなく、「普段あまりものを言わぬ一般大衆」と「共に生きる」ようになって欲しい。

わが国の周辺は「一国主義・利己主義」に満ち、火の粉がわが国に降りかかってきている。わが領土・領海・領空を守り、わが国に対して現に行われているサイバー攻撃・思想的攻撃・心理戦的攻撃を防ぎ、わが国の安全・平和・繁栄を保つことは、「普段あまりものを言わぬ一般大衆」の心の奥からの願望である。

私は思う。“その「願望」に応えるとともに「自由と民主主義」を守り抜くことはメディアの非常に大きな、大変重要な役割である。これこそがメディアが「普段あまりものを言わぬ一般大衆」と「共に生きる」ことである。メディアは決して左翼や右翼の一方に加担してはならぬ。今や「普段あまりものを言わぬ一般大衆」は、以前のようにメディアの「上から目線」のメッセージには振り回されなくなってきている”と。


2016年9月4日日曜日

20160904「真正保守派」がめざすべきもの


 マスコミ上「真正保守派」という言葉は見当たらない。「極右」「中道右派」などの言葉はたまに見かける。悠久の歴史を持つわれわれ日本民族が目指すべきところは、我々の心の深奥に根付いている「われわれ日本人・日本民族」というものである。即ち、「われわれ日本人・日本民族のアイデンティティ」は何か、心理学でいうところの「セルフ(自己)」は何かということである。それは「反日本的」に見える左翼の言論者でも同じであろう。人は、自分が何ものであり、何を目指すべきか、ということをしっかり自分の心の深奥に見据えてないと不安定なものである。不安定であるから、特に右翼の人々のみならず左翼の人々も、声を大にして世間に自己主張しているのである。

 幕末の日本人には明確な目標があった。それは、日本はシナ(中国)や東南アジア諸国のようになってはならない、というものであった。黒船が日本人を目覚めさせたのである。しかし、戦争に敗れ、悲惨な戦後を送った日本人は長年そのような目標を持っていなかった。アメリカの対日政策により、言わば「アメリカ旦那にすがりつく妾日本」の構図に安んじていた。これは、竹田恒泰氏の『古事記完全講義』(学研)に書かれているように、日本人は「茹でガエル症候群」という病気に陥ってしまっているからである。アメリカは日本を氏の言うように「百年殺しの刑」にかけていたのである。今はアメリカも日本に一目置いているように見えるが、しかし、国連憲章には「敵国条項」という一項があり、日本は依然として敵国の扱いを受けたままである。

 こういう日本人・日本民族のアイデンティティに深く関わる国際法上の規定のことを知らず、或いは知っていても知らぬふりをしている人たちが左翼・左派的な言動をし、日本人・日本民族のアイデンティティを危うくしている。「天皇制」「女系天皇」「平和憲法」などのスローガン的文言に人々は惑わされている

 831日付の朝日新聞朝刊には『改正憲法212項(自民党案)は、現憲法の「言論の自由」を否定!』と大見出しの意見広告が載っている。これには「信教の自由」は触れていないが、21五条2項が「前項の規定にかかわらず、公益及び公の秩序を害することを目的とした活動を行い、並びにこれを目的として結社することは、認められない。」と規定していることに反発している。

 また同じ朝日新聞の読者の投稿欄には「国歌斉唱 思想の自由侵すな」という題では「私はクリスチャンであり、天皇を賛美する歌詞の君が代を歌えません」、とある牧師が投稿している。

 両方とも「自由」について、誤った観念を持っているとしか私には思えない。江戸時代にも「公儀」が重要視された。これは為政者のための「儀」ではない。大多数の利益のための「儀」である。「自由」は為政者のためのものではない。「最大多数の最大幸福」が図られるための「儀」、即ち「公」の「儀」である。江戸時代、海外から持ち込まれたキリスト教の文化は、当時の日本の社会の安定を脅かすものであった。それは「公儀」により手荒く排除された。キリスト教徒は自ら喜んで死んで逝ったというが、記録を読むとそれはとても悲惨なことであった。

 現代において「公儀」のため少数者が不当な扱いを受けてはならないことは当然である。少数者が不当な扱いを受けることがないような仕組みは当然必要である。憲法ではその仕組みについて記述されなければならない。それについては国内で徹底的に議論されなければならない。自分たちが選ぶ為政者に「公儀」のことを任せきりにするようなことが決してあってはならない。

 国歌『君が代』が「天皇を賛美」するものでは決してない。天皇は古来「おおきみ」であって「きみ」ではない。「きみ」は「あなた」という第三人称の名である。これは国民統合の象徴である天皇を含む日本国民すべてである。この認識が広く一般国民の間で共有されるような教育や啓発活動が必要である。

 近時日本共産党のように「革命」の意図を隠した文言を並べ立てた喧伝活動や、朝日新聞・毎日新聞のように事実の背後の事を極力隠した報道が見られるが、一方、SNSや月刊誌を通じてシナ(中国)や朝鮮(韓国・北朝鮮)の対日活動を取り上げる愛国心に満ちた情報も発信されている。それはそれぞれの「志」の表現・活動である。

こういうことが全く制限を受けず自由に行われることが最も重要である。そのような「志」を持って現代の「志士」たちが大いに活動するなかで、最大多数の人々が同意する「儀」が現代の「公儀」である。新聞には権力に対する批判精神が大いに必要であるが、この「公儀」のことにも目を向け、積極的に取材し、報道すべきである。そのようなことがすんなりと行われるような社会にするため「原則」のようなものを確立し、何か文言にして宣言され、全日本人・日本民族が共有するためにはどうすべきか?

成熟した日本の社会では、かつて行われたキリスト教徒弾圧のようなことが決して起きない文化が定着している。このような認識が日本国民の間で共有されるよう、日本国家の中に一システムとしてその仕組みが組み込まれ、教育・啓発活動が行われるようになることが望まれる。これこそが左派でも右派でも中道派でもない真正保守派の目指すべきところであるのではないのだろうか?


2016年9月3日土曜日

20160903慶長元年(1596年)の豊後国大地震とその後のキリスト教徒弾圧(続き)


 秀吉においては、キリスト教徒に対する弾圧は左程厳しいものでは無かった。ただ彼自身も当時のポルトガルが日本を侵略する意図をもっていたことを察知し、逆にポルトガルに対し「今や大明国を征せんと欲す。(中略)来春九州肥前に営すべく、時日を移さず、降幡(こうはん)を偃(ふ)せて伏(降伏)すべし。若し匍匐(ほふく)膝行(ぐずぐずして)遅延するに於いては、速やかに征伐を加ふべきや、必(ひつ)せり。悔ゆる勿れ・・・」という文言の降伏勧告状を突き付けて、ポルトガルが軍艦2隻を提供してくれれば自分はそれを使って自分が明に侵攻してやろう、と提案している。(関連:「秀吉の朝鮮出兵の真実」:

 その後の日本においてキリスト教の浸透は非常に根強いものがあった。大友宗麟、大村純忠、有馬晴信、結城忠正、高山友照および高山右近親子、小西行長、蒲生氏郷らキリシタン大名が増えた。過酷な徴税に反発して農民やキリシタン大名の家臣であった元武士たちが団結し、当時の地方行政府であった藩庁(島原城・富岡城)に対して武装ほう起した。幕府は島原藩主松倉勝家を処罰し、斬首の刑に処したが、反乱軍37千人は廃城となっていた原城に立て籠り、幕府軍と戦った。しかし、反乱軍は幕府軍に敗れ、内通者・脱出逃亡者・戦斗死者を除いた全員が処刑された。

 これを契機に幕府は鎖国政策をとるようになった。一方で、同じキリスト教徒でもプロテスタントの国・オランダ一国に対しては交易の門戸を開いていた。これが幕末まで続いた。鎖国政策の中、幕府は国内のバテレンというカトリックのキリスト教徒たちを絶滅させる政策を執った。その結果、特に今の大分県でバテレンの摘発が徹底的に行われ、官憲による拷問や踏み絵など様々な方法によりキリスト教への信仰を止めさせる試みが為された。しかしそれでもキリストへの信仰を棄てず、自ら殉教死を受け入れた老若男女が多かった。

大友宗麟(クリスチャン名:ドン・フランチェスコ)が統治していた豊後国(今の大分県)には非常に多くのカトリック系キリスト教徒がいた。特に葛木地区では領主・葛木孫三郎(又は葛木半笑)は徳が高く学問に優れていたので、その影響を受けてキリスト教徒になった者が多かった。大友家没落後孫三郎は失墜し、その妻と共に餓死の刑を受け、その後大分の海岸で焼き殺された。代々領主であった葛木氏は没落した。

 『大分県史』に次のことが記載されている。以下に二つの処断について、要点のみ簡潔に示す。なお、長崎送りの他、現地の葛木で処刑された者も多く、葛木には「獄門原」という地名とキリシタン公園がある。官憲による追及を逃れて、長崎などに逃亡した者もいたようで、その事実を伺わせる文言が『大分県史』に書かれている。

秀吉による小藩分立政策により葛木地区は岡藩領・臼杵藩領・幕府領に分割され、別保地区は肥後藩領・延岡藩領・臼杵藩領に分割された。私の先祖が居住していた門田村は延岡藩領にされていた。もともとこれらの地域は摂関家の荘園になっていたところである。

その臼杵藩領であった別保地区森町村の十三郎は真面目で正直一途の農民であったが、斬首の刑に処せられ、晒首にされた。十三郎の娘・おつるは見回りの役人の目を盗んで夜な夜な父・十三郎の首を近くの泉で洗い続けたという。そのおつるの孝心は語り継がれ、その泉は「おつるが泉」と名付けられた。その池はキリシタン公園の南にあった鴨園の堤の北側の岸にあったという。処刑した側の子孫も処刑された側の子孫も今生きていることだろう。

葛木村の甚右衛門と言う人について、「此者、切支丹宗門之由ニ而、万治三年子七月廿九日五拾七歳ニ而召捕長崎参、同年十二月十日及死罪候」とあり、父母病死、姉死罪。息子はキリスト教徒では無かったのでそのまま葛木に居住。娘四人のうち三人はそれぞれ夫がいたが、そのうち一人は幕府領日田の牢獄に投ぜられた後牢死。一人は日田在牢の後長崎に送られ病死、他の一人は長崎に送られ死罪となった。結婚していなかった一人は「長崎参」とある。姪五人のうち一人は日田在牢の後牢死、他二人はそれぞれ別の土地に嫁いでいたが在所で病死。孫十人のうち一人(女性、38歳)は「寛文四年辰六月廿日召捕」えられ長崎に送られたが「申分仕付御助被成、翌年巳二月罷帰在所葛木居住候」とある。

一方、門田村において鬼松と言う人は日田の牢獄につながれ2年後牢死。父・母・継母・弟・姉・妹・甥・姪・叔父・伯母・従兄・従弟・従姉・従妹の一族37名中死罪10名、牢死2名、在牢11名、放免4名という処分状況であった。死罪にされた者の中には上記葛木村の甚右衛門のケース同様、他家の嫁になっている女性が1名含まれている。今で言えば、自分の妻がキリスト教への信仰を棄てないため死罪にされるのを、その夫や子供は受け容れなければならないという状況であった。彼女たちがキリスト教への信仰を棄てさえすれば助命されるのに、彼女たちの信仰心は死をも恐れぬ極めて強いものであったのである。

今の感情でこれらの史実を見れば、耐えきれないほどとても残酷な、悲惨な状況であった。しかし「国家を一つの生物種」と見れば、キリスト教徒たちは当時の日本国という「生き物」の体に巣食う「がん」のようなものであったに違いない。キリストの教えでは、人は一切の偶像を拝んではいけないし、天にまします神以外のものを信じてはいけないことである。ヨーロッパからやってきたキリスト教の伝道師たちに教え導かれてキリスト教徒になった日本人たちは、その教えに従って日本古来の伝統や文化の象徴である神社や仏閣を否定した。このことが当時の日本国の為政者にとって非常に困る問題であったし、キリスト教を信じていない一部の人々にとって、キリスト教徒は自分たちのアイデンティティを破壊する者たちであると思われ、憎しみの対象になった。

前掲「ルイジ・フロア(フロイス)神父の報告」には、仏教の“僧侶たちは彼等(キリスト教徒たち)を迫害し・・・修道会が公然とより多くの危害と、特別な恥辱を受けた・・・”、大津波が“最高の神、そして正しい裁判官”による裁断であるとして“神は、先ず彼等を重分なさまざまな苦難で見舞ったのです。この町はブンゴ王国の首都であり、富裕な商人が住んでおり、偶像の多くの寺があり、この町で大きな権力を持っていた坊主たちが出入りしていましたが、数年のうちに戦争、疫病、飢、火災その他下図多くの惨害で衰えて行きました”と書かれている。

当時の大分市内でキリスト教徒と仏教の僧侶やキリスト教を信じない一般市民との間で激しい対立があったことがうかがわれる。しかし、一方でキリスト教徒たちは今の大分に大きな足跡を残している。一つの例は大分市には「アルメイダ病院」という名前の総合病院があることである。「アルメイダ」という名前は、戦国時代末期の日本を訪れたポルトガル人で医師の免許を持っていた商人のルイス・デ・アルメイダ(Luís de Almeida)が、1557年に大友宗麟から土地をもらい受けで建てた総合病院に因んでいる。当時のその病院は外科・内科・ハンセン氏病科を備えていたという。

世界に目を向けるとキリスト教やイスラム教の一神教の世界では、神の名や宗派の違いによる戦争が絶えない。しかし、ここ日本国内ではそのような争いは起きていない。仏の慈悲が行きわたり、八百万の神々がましますこの日本国は、西暦紀元前66011日(旧暦)に神日本磐余彦尊(かむやまといわれひこ)が神武天皇として即位以来、途中、何度か皇女が独身のまま天皇になって中継ぎとして皇統を繋ぎ、ずっと男系の皇統が続いてきた国である。天皇は正に日本国民統合の象徴である。

朝日新聞には「女系天皇」という字が躍っているが、「女系天皇とはとんでもないことである。女性のミトコンドリア遺伝子が天照大神につながることは決してありえないが、男性のY染色体遺伝子は天照大神に必ずつながるのである。世界に類例のない、日本人にとっては大変貴重な精神的支柱を無くするような議論や扇動は許しがたいことである。

 現在のように憲法で「信教の自由」が保障されていなかった時代には、為政者により神道と仏教以外の精神文化は弾圧されていた。神道に似たところがある天理教・大本教・金光教も例外ではなかった。しかし敗戦後は様々な新興宗教が興って自由に布教活動が行われ、その信仰は全く自由になっている。

但しオウム真理教のように、独善的な思想をもって社会に不安を起こさせる団体や組織は監視の対象になっている。科学的社会主義(マルクス主義)を理論として活動している日本共産党も監視の対象として今年322日に政府の答弁書が出されている(平成28322日受領、答弁第189号、内閣衆質一九〇第一八九号)。先の選挙で民進党はその日本共産党と連携した。民進党は国家を運営する理念もガバナンスも極めて貧弱な政党である。

 こういうことは左翼から見れば「極右的」に見えるかもしれない。右派でも左派でもなく、また中道・中間派でもなく、いわゆる「大義・公儀」に照らして最善・最良の選択をして行動する派が「真正保守派」である。この日本において、具体的に何が「真正保守派」的選択であるのか、市中に於いて大いに、喧々諤々と論争される文化が顕れることが望ましい。


2016年9月1日木曜日

20160901慶長元年(1596年)の豊後国大地震とその後のキリスト教徒弾圧


 今日は「防災の日」である。慶長元年(1596年)に豊後国府内(現在の大分市中心部)で起きた大地震について、イエス会のルイジ・フロア(フロイス)神父の報告が『大分縣史』に記載されている。これは、「イエス会のローマ人フランチェスコ・メルカーティ神父によってイタリア語に翻訳」と注記がある。以下括弧(“”)で引用する。

 “・・(前略)・・府内の近くに三哩離れたオキノファマ(沖ノ浜)と呼ばれる大きな村があります。多くの船の寄港地であり、揚陸地です。この立派な男は、この地名にちなんでオキノファマのビアジオと呼ばれ、豊後では良く知られていますが、それはこの男の家が各地から来る多くの人たちの収容所になっているからであります。

 この男の言うには、夜間突然あの場所に風を伴わず海から波が押しよせて来ました。非常に大きな音と騒音と、偉大な力で、その波は町の上に七ブラッチョ(一ブラッチョは〇、五九四米)以上も立ち上がりました。

 その後、高い古木の頂から見えたところによると、大変気狂いじみた激烈さで、海は一哩も一哩半も陸地に這入りこみ、波がひいたとき、オキノファアマの町の何物も残しませんでした。その町の外にいた人々は助かったが、あの地獄の巨人がつかまえた人々は、すべてのみこまれ、伴れ去られました。男、女、子供、老人、牡牛、牝牛、家その他無限の品物が持ち去られ、あらゆる物が、そこになかった如く、深い海に代えられました。・・(中略)・・同じ海岸のオキノファアマの近くの四つの村、即ちハマオクイ・エクロ・フィンゴ・カフチラナロ及びサンガノフェチクイの一部は同様に水中に没したと言われています。・・(中略)・・

 これら港の中でオキノファマには非常に多くの船隊が泊っていました。その大部分はタイコウ(太閤)のもので、これらの船は王国(現在彼の持っている)の徴税のため豊後に来ていました。これらの船の多くは既に積荷を終わって出帆の時を待っていましたし、他の船は積荷を始めていました。その外多くの商人の小舟がいましたが、これらの船についてピアジオは、確かに聞いたこととして次のように断定しています。即ちこれらの船は一隻さえも助からず、同一場所で砕け、全部が沈んでしまったと。・・(後略)・・”

 これは今から420年前、今の大分市中心部で四つの村が海底に没してしまった南海トラフ巨大地震が発生したときの史料である。巨大地震が近未来に起きる可能性は大である。九州で頻発している地震はその前兆ではないのか?阿蘇カルデラ噴火のような想像を絶する超巨大地震が起きないとも限らない。「想定外」は絶対禁句である。

 当時、豊後国はキリスト教徒であった大友宗麟によって統治されていた。キリスト教徒たちは仏教の僧侶や仏教を信じる人々から大きな恥辱を受けていた。後に江戸前期の幕府の政策よって豊後国内のキリスト教徒たちは非常に大きな迫害を受け、特に大分の葛木では召し捕られた者92名中27名が死罪、長崎の牢獄で死んだ者6名、同牢獄に留め置かれた者5名、日田の牢獄で死んだ者18名、同牢獄に留め置かれた者2名、江戸に送られた者2名、放免32名、内病死6名、という大変悲惨な事が起きていた。

そのことについては次回に書くが、今から350 年ほどから400年ほど前、大分で起きたことは、今日の大分県人の気質に何らかの影響を残しているに違いない。「意識と何であるか」ということは科学的には未解明である。しかし、私は「意識は時空を超えて広大無辺・融通無碍・自由自在な存在」であると考えているので、当時生きた人々の意識は何らかの形で今を生きている人々に必ず作用している、と考えている。

上記史料では“・・(前略)・・フランチェスコ(宗麟)王は若し彼等がキリスト教徒になったとしたら、彼にとり大変な喜びであり、また彼自身、彼等の代父になったであろうと述べました。そういうことで、一方僧侶たちは彼等を迫害し、他方同じ町の人々は・・(中略)・・道路にわれわれの仲間が姿を現す度毎に、突然大声でののしり始め、神父たちに恥辱を与えました。その後キリスト教徒になったフランチェスコ王から彼等のこんなにひどい、邪悪なやり方を激しく禁止されていたが、何れにしてもキリスト教徒及び協会に対して彼等が持っていた反感を取去ることは出来ませんでした。

時に、夕方われわれの家に火をつけたり、また家に矢を射たり、また教会や家に石を投げました。その上、協会に向かって死人や子供の手足を投げました。その際に坊主たちは公然と、われわれが人肉を食べるため人間を殺しているのだと宣伝し、われわれに反対するにせの証人を立てました。そのため、数年に亘ってわれわれの家の周囲を夜番する必要がありました。・・(中略)・・

ファカタ(高田)の地においては四千人以上のキリスト教徒がおり、善良な老人イオランが殉教したところですが、この地震のとき大河を通って、海が三哩も這入りこみました。・・(後略)・・”


当時豊後国(大分県)内にはかなりの数のキリスト教徒が居たことが推察される。為政者側から見れば、キリスト教徒は体内のがん細胞のようなものであったであろう。当時のキリスト教徒たちに対する非常に厳しい弾圧は現在の日本にどういう影を落としているのだろうか?