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2011年8月29日月曜日

平和への道は「恐怖心」を無くすことから始まる(20110829)

 今日、15日終戦記念日。戦争は何処の国の人々でも避けたいものであると思う。しかし、避けようにも避け得ぬことがあるのも戦争である。集団のリーダー(またはリーダーのグループ)が戦争を決定し、或いは「戦争やむなし」と国民の気持ちを導き、戦争になる。些細な武力衝突が戦争のきっかけになることもある。

 何故、人は殺し合うのか? 私は、それは相手に対する「恐怖心」があるからだと思う。「恐怖心」は人をして「異常な行動」をとらせる。一対一の対決ならば、仲裁者が現れればお互い矛を収めるだろう。しかし、集団対集団、国対国ともなれば仲裁は容易ではない。

 中国は何故我が国の安全を脅かそうとするのだろうか? 一つの理由は、中国のリーダーグループ、つまり中国共産党政府が、統治している中国人民の政府に対する不満のはけ口を作るため、「日本との友好」を口にしながら、一方で「反日」を煽り、或いは容認し、抗日戦争の歴史的事実を捻じ曲げ、或いは事実を極端に誇大化し、中国人民に誤った日本観を植え付けていることがある。南京虐殺記念館はその一つの事例である。

 南京事件について、「虐殺は無かった」という主張から、「16千人ぐらい殺した」という見解や、「20万人、いや30万人虐殺された」「虐殺の事例はかくかくしかじかで日本兵は非常に残虐だった」まで種々ある。多くの中国人は、日本人(田邊 誠元社会党委員長)が総評から提供を受けた3千万円の資金を出し、日本人が設計した南京虐殺記念館(中国では「侵華日軍南京大屠殺遇難同胞紀念館」)に、展示されている事実に反する資料やパネルを見て、反日の気持ちと中国への愛国心を高めている。

 中国政府が中国人民に誤った日本観を植え付ければ、中国人民は日本に対して不必要な「恐怖心」を持つことになること必至である。中国が東シナ海で緊張を高めるような行動をすれば、日本も中国に対して必要な行動を取らざるを得ない。

 日本に対する誤った歴史観を植え付けられた中国人は、中国政府の官僚や中国軍の将校になり、日本人に強い警戒心と反発心を与えるような行動に出て得意になっている。菅直人氏に代表される市民活動に熱心な人々は、反戦・平和を唱える。菅氏は反日活動家を国家公安委員長に指名した。菅氏は国会で国歌を別のものに変えるべきだと言った。民主党政権は尖閣列島中国漁船衝突事件を適切に処理せず、事件の全貌が判る映像を日本国民に公開しようとはしなかった。菅氏や民主党政権の国家観は希薄である。

 集団の構成員が抱く「恐怖心」は、増幅されれば、その構成員に「異常な行動」を起こさせる。アメリカで起きた9.11事件で、アメリカ国籍を持っているアラブ系の人々、イスラム教徒たちは「人種プロファイル」に記録され明白な差別を受けた。戦時中日系アメリカ人たちも、白人たちの日本に対する「恐怖心」から不法に強制収容された。

 日中両国間で、国民の間に「恐怖心」がある限り、決して平和はやって来ない。「反戦・平和」を唱えているだけでは決して平和にはならない。現実では相手の脅しに屈しない「武力」が必要である。その上で「恐怖心」を解くようにお互い努力しなければならない。

2011年8月28日日曜日

日本人は何故大陸人を警戒するのか(20110828)

 日本人と中国・韓国・北朝鮮人とは、遺伝子が違う。日本が古来大陸側の民と交流しながらも大陸側の国に対して警戒心を持って来たのは何故か? 私は、それは動物の世界と同様、「種」の違いによるものであると思っている。

 日本は天智天皇の時代663年、今の韓国のソウルの近くの河口付近で海側からやって来た中国(当時の「唐」)の軍艦170隻、陸からは百済に攻め入った新羅の大軍に挟み撃ちに遭い、大敗を喫した。寛仁3年(1019年)には、ツングース系の女真族(満洲民族)と見られる海賊が壱岐・対馬を襲い、更に筑前に侵攻している。刀伊の入寇(来寇)である。

秀吉はポルトガル・スペインが日本の武士集団を誘って中国に入植を企んだことを知り、逆に朝鮮に出兵している。これは日本を守るためであった。(関連:このブログ「20101017日日曜日 秀吉の朝鮮出兵(20101017)~同(20101019)」)

インターネット上では日本人に特有の遺伝子について情報があふれている。その一つに「Y染色体の世界的分布と拡散経路」というページがある。そこに書かれていることに次の一節がある。日本人と大陸人の「種」の違いが明らかである。(“”でそのまま引用する。)

 “D2系統の移動ルートは、[北アフリカ→中東 →中央アジア→華北→朝鮮半島→西九州]と推定される。しかしベンガル湾東部のアンダマン諸島に別のD祖形が認められ、南ルートから東ユーラシアに広がった可能性もある、という。

 .日本列島にはD2系統の、チベットにはD1,D3系統の“特異的な集積”が見られるが、いまでもユーラシア東部に低頻度ながらD系統が広く分布していることは、かっては東ユーラシア全体に分布していたD系統が、その後進出してきたO系統によって圧迫され、チベットと日本列島以外では少数派になってしまったと、推測される。

 .DE系統の最近共通祖先年代が38,300年、D系統のそれが13,000年とすれば、D2系統が日本列島へ移動してきたのは、旧石器時代ではなく新石器時代(13,000年前)以降の可能性が高い。(筆者注:縄文時代草創期前後から以後に、この日本列島に大規模な集団の流入があったというような文化的な痕跡は残されていない。)

 .新石器時代には朝鮮半島と日本列島に共通の文化や漁労民の文化の存在があるが、この民はD2系統のヒト集団であった可能性が高い。

 西九州における縄文系(=D2系統ヒト集団)の高度集積は、弥生時代になってもこの地域で、縄文系の形質をもつ人々が見られたことにつながる。

 ウィルス疫学の日沼頼夫が指摘した、HTLV-Iウィルスキャリアが西九州で比較的多いことは、この地が、D2系統の移動ルートで、今でもここに高頻度に蓄積していることによって、整合性を持って説明できる。

 その後、朝鮮半島には大規模のO2b系統、O3系統のヒト集団が流入したため、D2系統は絶滅寸前まで追いやられた。その結果、朝鮮半島では、HTLV-Iウィルスキャリアもほとんど消滅した。”

2011年8月26日金曜日

自民党訪韓国会議員団に対する韓国の対応 (20110826)

自民党国会議員の新藤義孝・稲田朋美・佐藤正久各氏が1日から4日間、竹島の北西90キロの鬱陵島で竹島関連の資料を集めた「独島博物館」などを見学するため韓国を訪問した。しかし、この3人は金浦空港で足止めされ、帰国を余儀なくされた。

私は FacebookにリンクされたYouTubeで初めて知ったが、金浦空港での韓国人たちの振る舞いには全く驚いた。3人の日本国国会議員の鬱陵島訪問に反対する韓国人たちは、三人の棺桶を用意し、その三つの棺桶にそれぞれ3人の写真を貼ってあった。興奮した韓国人たちは、棺桶を抱えて空港の警備当局の制服姿の人々と激しく押し問答をしていた。しまいには、興奮した一人の男が床に座り込み、感情を激しく露わにしていた。

映像はサンケイのカメラマンが撮ったものである。サンケイ新聞の取材者たちは浦項港から鬱陵島に渡った。浦項港では日本からの観光客にも分かるように日本語による看板が掲げられており、そこには「対馬は本来韓国の領土である」旨書いてあった。資料館には、竹島が歴史的に韓国領であることを証明するような古文書が展示されていた。ところがその古文書は明らかに改ざんされたものであった。韓国人にも古地図の位置関係などから、日本の竹島が韓国の独島であるかのようにすることが不自然に思えるような「作られた」史料が展示されていた。韓国側は、そのような改ざんした史料が日本の国会議員団に見られることを恐れて、国会議員団の訪問に対して理由にもならないような理由をこじつけて、日本の国会議員団の入国を拒否したのである。

映像の解説者は、「隣国・韓国があのように民度の低い国であることが情けない、韓国の有識者は自分の国の国民があのように程度が低いことを嘆いていると思う」と言っていた。日本から多くの観光客が韓国を訪れ、日本には非常に多くの韓流ドラマが氾濫し、非常に多くの日本人は韓国社会にある種の親しみを懐いているに違いない。しかしそのような人々がこの動画を観たら、韓国に対する評価は変わるだろう。今、日本に非常に多くの韓流文化が流入しているが、それは韓国側の「克日」ための手段であるに違いないと思う。

パリで行われたジャパン・エキスポで韓国人は剣道や茶道を韓国で起こったものであると宣伝した。韓国が剣道を韓国発祥と宣伝していることについて、Facebookでアメリカ人がクレームをつけている。韓国人が何と言おうと剣道は柔道・合気道などとともに日本の固有の文化である。ただ日本人の多くが知らないうちにそのようなことが行われている。

韓国人のそういった行動は韓国人の「自存」行動である。しかも、日本人にとって真に腹の立つ行動である。韓国人にそのような行動を慎んで貰うにはどうしたらよいだろうか。最も簡単にできえることは、日本人自ら日本固有の資質・文化・歴史を自覚し、韓国人に日本人に対する畏敬の念を抱かせるようにすることである。日本の政府が、韓国のそのような理不尽な行動に対して、しっかりと、しかも非常に強い態度で抗議することである。韓国に対して「腫れ物を触る」ような態度で接していたのでは、この問題は永久に解決できないと私は確信している。

2011年8月25日木曜日

日本の平和・安全・繁栄の大本は何か (20110825)

 日本の国会議員には、日本に帰化した元韓国・北朝鮮籍の方々が90人いるという。私はこのことを特に大きな問題あるとは思っていない。今後、優秀な帰化人が日本の政財界等各界で頭角を現し活躍して、この日本の発展・繁栄のため貢献してくれると思っている。

古代の我が国には非常に多くの人々が朝鮮半島から渡ってきた。私は、彼らはもともと半島南部にいた倭人の可能性があると思う。半島から来た人々の中には半島に居た漢人も多く含まれており、朝廷に仕え、天皇から氏姓を賜っている。これらの事は日本書紀・続日本紀・公卿類別譜などに書かれている。因みに征夷大将軍坂上田村麻呂は後漢霊帝の後裔氏族であり、延暦5(786)年苅田麻呂の時、忌寸から宿禰に改姓した氏族である。

天智2年(663年)百済滅亡時、沢山の百済の人々が日本に渡って来て日本に貢献している。そのことを江戸時代の歴史家・頼山陽は『百済を復す』という題で詩に書いている。頼山陽は「百済を滅ぼした唐と日本とではどちらが得をしただろうか。忠義の孫子は海を渡ってやって来て、長く臣民となって皇室を護る」(原文を意訳)と詠っている。朝鮮半島から日本にやって来た人々は、天皇から氏姓を賜り、日本の発展・繁栄に貢献し、非常に多くの名字の家々に分化し、その子孫は皆今日の日本人になっている。

原日本人はこの日本列島とごく僅かに朝鮮半島南部とロシア沿海州にしか残っていなかった縄文人である。縄文人は北方シベリヤからやって来た人々(ミトコンドリア遺伝子タイプN9b)と、当時陸地であった中国南部から台湾を含む一帯からやって来た人々(タイプM7a)が日本の全地域に混じり合って住んでいた。その後、大陸ではシベリアの寒冷地に適応した人々(ミトコンドリア遺伝子タイプN)が広がった。長江流域で繁栄し人々のグループには男だけにあるY染色体の遺伝子タイプDの人々がいたと思う。このタイプDの人(男)は殆ど日本とチベットにしかいない。中国にはごく僅か居るだけである。彼らは渡来系弥生人の主流であると思う。この様に日本人の遺伝子は特殊である。

日本人が日本人であり続けることができる最大の要素は、結局精神文化と伝統である。これをおろそかにしてしまうと、日本は平和で安全で繁栄した国ではなくなってしまうだろう。先ず日本は安全な国でなくなるだろう。今、イギリスの各地で若者たちによる暴動が起きている。ついここの間はノルウエーで悲惨なテロ事件が起きた。犯人はノルウエーにイスラム系の外国人たちが多く移民してきている現状に不満をもつ34歳のノルウエー人であった。フランスでもイスラムの女性たちがフランスの伝統文化に反する服装をしていることに反発して騒ぎが起きた。もし日本が流入してくる外国人に対して日本に同化することを求めないならば、日本はイギリスやノルウエーやフランスのようになるだろう。日本に帰化する人々が日本への同化woしないと、日本は安全な国ではなくなってしまうだろう。

外国人参政権付与や夫婦別称容認などもっての他である。そんなことを許してしまったら、これまでのように日本の社会は安全でなくなってしまう。神道・仏教・武士道などの精神文化や伝統文化を大事にすることが、日本の「自存」のため非常に重要である。

2011年8月24日水曜日

日中・日韓在留人口に思う(20110824)

 今、日本には70万人近くの中国・台湾籍の人が住んでいる。これに対して広大で人口が13億人もいる中国に住んでいる日本人は僅か13万人弱である。一方、日本に住む韓国・北朝鮮人は特別永住者として約53万人、一般永住者として約25千人居る。これに対して、韓国に住む日本人は3万人弱である。なお、日本に帰化した韓国・北朝鮮人は約32万人である。そのうち国会議員になっている人は90人ほどいると云う事である。日本に帰化した方々の国会議員の数が日本の人口比に対して、この90人という数字は異常に多いと思う。この数字の中には、調べてみないと分からないが、戦前日本国籍であった人たちの子孫も多いのではないかと思う。それにしてもこの数字は何だ、と首を傾げざるを得ない。

 運輸交通・情報通信の著しい発達により世界が狭くなり、今後、この日本にはいろいろな人種の帰化人が増えて行くだろう。万が一のことであるが、もし北朝鮮が崩壊したり、今の中国の‘王朝’である‘中国共産党王朝’が滅亡した場合、この日本に何十万人、何百万人という人たちが押し寄せてくるかもしれない。その時は日本が日本でなくなる時である。日本人が日本のアイデンティティを大事にしないととんでもないことが起きるだろう。

 私はこれまで日本人の特殊なDNAと精神文化などについて、前者を「体内遺伝子」、後者を「体外遺伝子」として、子子孫孫の末代まで日本が「東方の光」であり続ける道を探ってきた。辿り着いた結論は、日本人は「体外遺伝子」を非常に大切に思わなければならないということである。

 日本に帰化した人々は、もしこの日本で「体外遺伝子」が強ければその影響を受けて、数代の後には「純日本人」になるだろう。古代に日本に帰化した人々はみなそうなった。桓武天皇のご生母も帰化人の子孫であった。

 菅首相は国会で「日本国旗は良いが、国歌は別のものに変えた方がよい」と断言した。私は、菅氏が「国歌・君が代」の「君」を天皇のことであると思い込んでいるのではないかと思う。古来、天皇は「大君(おおきみ)」と呼ばれてきた。「君」は「あなた」であり「私」である。「君が代」は、平安時代の『古今和歌集』に収められた「読人知らず」の和歌に始まるものである。「君」は決して「象徴天皇」ではない。

 私は、「体外遺伝子」を修復・補強するため、次のことを国として法制化すべきだと思う。

中学生・高校生に対し次の項目の学習を義務付ける。

ア 教育勅語

イ 終戦詔勅

ウ 日本の古代史・近現代史

如何なるイベントの場面でも「国旗掲揚」と「国歌斉唱」を義務付ける。

靖国神社を国の管轄下に置き、国家として国の為命を捧げた方々の御霊を祀る。

韓国・北朝鮮人は日本への帰化を「同化」と反発するらしい。「同化」は当然のことである。日本が日本であるためには、日本国内に軋轢が生じるような種を蒔いてはならぬ。

2011年8月12日金曜日

素人考えだが中国は国家体制を変えざるを得なくなるだろう (20110812)

 BSフジの報道で初めて知ったが、中国では今回の高速鉄道事故以外に、日本では信じられないような事故が幾つも起きている。そのような事実はほかのメディアでこれまで取り上げられてきただろうか?政府による情報統制が行われているとしか思えない。

 上海では超高層マンションがある日突然倒壊し、入居予定だった人たちが政府に抗議している。その倒壊したマンションの周囲には幾棟もの同じような超高層マンションが立ち並んでいる。場所まで注意して視聴していなかったので詳細不明であるが、建設中の鉄塔が途中で折れてしまっている。高速道路が陥没し下に落下したタクシーが一台ある。洋上一面に非常に長く美しい高速道路網が完成したが、その道路の柵の固定ボルトが何本も抜け落ちたり良く絞められていなかったりしている。人が住んでいるある高層マンションの一部が倒壊し、その事故を調査した上海当局は、「検査結果残っている部分は住むうえで問題はない。安全である」と宣言している。

 今回の高速鉄道事故で中国政府は事態を重く見、事故6日後温家宝首相自ら外国メディアの撮影も許可の上現地でアナウンスし、「事故原因を徹底的に調べ、関係者を厳重に処罰する」と言った。中国では今回の事故のことでツイッターに毎日65千件の投稿があり、中国政府もその投稿を制御できないでいる。

 中国政府は国の発展上インターネットを無くすことはできない。かといってネット上の発言すべてをチェックし削除することもできない。エントロピーの法則のとおり、時間の経過とともに複雑性は増加してゆくが、その増加を問題のない方向に導くように制御する手段は「蛇の道は蛇」「虎穴に入らずば虎児を得ず」の諺のとおり、その複雑性の中にしかない。共産党一党独裁のシステムではその手段を得ることは極めて困難だと思う。

 中国では共産党の思想に基づき表向き「階級社会」を無くすことができた。土地はすべて国有である。しかし、共産党員になり教育をしっかり受けたものでなければ社会の指導的地位に就くことはできない。社会の指導的地位に就くことができれば安定した収入、それもかつて明治の頃、日本で大学を出れば高い地位と収入が得られたように、高収入と安定した職業生活ができる。しかし中国には日本の「武士道」精神のようなものはない。

 そのような指導的階層の人たちと、そうでない特に農村部の人たちとの間で社会的・経済的大きな格差が生じているのが今の中国の現状である。農村部と都市部のそれぞれ人々は戸籍が別で、農村部から自由に都市部に移住することは出来ない。日本では信じられないことばかりであるが、これが「清王朝」の後の「共産党王朝」の現実である。

 中国では指導的階層の人たち、筋金入りの共産党員たちは、官僚として自分たちの利益を守ろうとしている。一方、少し豊かになり、いろいろな情報も手に入れるようになった農民など下の階層の人々は「富を我々にもよこせ」と声を上げるようになっている。このことはどちらの階層でもそれぞれの利益を獲得しようとする「自存」行動の現象である。

 そこに「矛盾」が拡大し、何時の日にか「共産党王朝」は滅びるに違いない。

2011年8月11日木曜日

相手の感情におもねって尊敬されるだろうか?(20110811)

 韓国は日本海のことを「東海」と言い、コリアンエアー機内の地図表示はそのように表示されている。韓国は国際社会に対して竹島を「独島」と、日本海を「東海」と認めさせようとしている。韓国がそのように願望する原因に歴史認識の相違がある。

 2009119日付読売新聞記事に日韓歴史共同研究の委員・神戸大木村幹教授の寄稿がある。これは、平行線のままに終わった「日韓歴史共同研究」についてインターネットで調べているうちに見つかった資料である。その中に次の一節がある。

“韓国の歴史においては、事実は優先されません。彼らの民族性優位や優越感、または政治的・外交的優位という概念を満たすために歴史観が作られ、その歴史観は全ての事実に優先されます。つまり、彼らにとって事実や真実などどうでもよいことなのです。もし、それに反対し真実の歴史を追い求めようとする人物が現れると、それが政治家であれ、大学教授であれ、芸能人であれ社会的に抹殺されます。それが韓国社会なのです。”

 日本は中国や韓国と親しい関係になれるだろうか?私は「否」であると思う。なぜなら日本と中国、また日本と韓国、それぞれの間にいくら努力しても埋めきれない「心の溝」の問題があるからである。中国人には「自分たちが世界の中心である」という「中華」の思想がある。韓国には「自分たちは日本に打ち克たねばならない」という強い思いがある。それに対して日本は中国に対して聖徳太子の昔から対等以上の意識を持っているし、韓国に対しては、韓国は日本の防波堤であるという意識をもっている。

豊臣秀吉が朝鮮に派兵したのは彼の野心もあったと思うが、当時シナに食指を伸ばしていたスペイン・ポルトガルに対する警戒から行ったことであった。(関連記事:「秀吉の朝鮮出兵(20101017)」~「同(20101019)」、「日露戦争前哨戦(続)(20110714)、同(20110715)」)

 しかしこの問題を小さくする方法はあると思う。今、韓流ブームで『イ・サン』など韓国の歴史ものが一部の日本人の娯楽になっている。おそらくそれらのドラマを楽しんでいる人たちは韓国が好きになるだろう。

そこで、同じように日本も日本の歴史に基づくドラマを、できるだけ面白く創って韓国人に楽しんで貰うようにすればよいと思う。その際ドラマの創り方について韓国人の演出家にも協力して貰えばよい。ただ、ここで注意することは、日本人自ら歴史をまげてまで韓国人に阿ることだけは決してしないことである。中国に対しても同様である。日本は「中華思想」の向こうを張って「東方の光・日本中心思想」を前面に押し出し、中国人が観て面白がるドラマを作ればよいと思う。この場合も、日本の歴史にあくまで忠実なドラマとすることが重要である。中国人に決して阿ってはならないと思う。

一方、ドラマを面白おかしく創る場合でも、中国人や韓国人の自尊心を重んじることは最も重要である。自尊心を重んじながら、ドラマを通じて“誰でも、どの国でも「自存」欲求があり、日本も中国も韓国も皆その「自存」のため○○○をしている”というメッセージを発信し続けるのである。日中・日韓友好関係深化のためこのアイデアはどうだろう?

2011年8月10日水曜日

数学に夢中になっている人たちが増えたようであるが・・(20110810)

 受験勉強時代に数学が嫌いになった人たちが今数学に夢中になっているようである。オイラーの公式、自然対数eのθ乗はマイナス1(-1)であることを、市販のテキストにより70日間かけて理解したサラリーマンがいる。

私も数学には興味がある。若いころテーラーの公式とかデデキント自然数論とかを勉強したことがあった。数学者たちが願い年月をかけて研究し辿り着いた定理や公理・公式を、現代の我々が今、そのような定理・公理・公式を得るまでの過程を、ある意味で「数学の遊び」として楽しんでいる。その過程はなかなか容易ではないので、市販のその種の本を指導コーチとして、ある意味で修行をするようなものであるという。そのような「数学の遊び」で結果を得るまでの過程で、「発想の転換」が無ければ結果が得られないという。

起きた問題を解決するための思考法について、様々な本が売られている。問題を解決する一つの方法は、「似たような事例」を参考にすることである。また、「押してダメなら引いてみよ」という諺どおり、「逆転の発想」も必要である。

私はこれまで中国が第一列島線、第2列島線という線を引き、その中に「核心的利益」を見ていることについて、日露戦争のことを取り上げ、「自己保存」というキーワードで我々日本人は中国の行動に対処する方法を考えてきた。「似たような事例」を参考にしたり、「逆転の発想」をすることにより、我々が日ごろ気づいていない、あるいは気づいているが深く考えていない「問題を発見」することもできる。

受験勉強は「問題を解く」力を身に付けることである。一方、必要なのは、「問題を発見」する力を身に付けることである。中国が海軍力を増強していることは、日本にとって重大な問題である。我々はその「問題を解決」する方法を見つけ出さなくてはならない。そのためには、「なぜその問題が起きたか」ということを知る必要がある。

私は「似たような事例」として、野生動物たちの行動を取り上げた。野生動物たちがなぜそのような行動をするのか考えた。辿り着いた結論は、野生動物たちがそれぞれ「生存を持続」させようとしているということである。スピノザはそれを「自己保存の努力」と指摘し、それは「ものの現実的な本質(rei actualis essential)」と言った。そしてスピノザはそのことを数学的な定理や公理の形で説明している。

一市井の無学な私のこのような視点を誰も注目しないだろう。私はそれはそれでよいと思っている。物事は時間の経過とともに矛盾をその中孕む。その矛盾は時間の経過とともにいずれは解決される。歴史はその繰り返しである。私の視点はその矛盾の中の小さな一つを捉えているに過ぎない。私はそのような視点にとどまって、ただ単に自己満足しているだけである。ただ、私がこうして書いて公開していることは、いずれの世にか私の子孫の目に留まるだろう。それが私の「自存」の仕方である。

いろいろしたいことは山ほどあるが、時間が足りない。かといってストレスを貯めてまであれもしよう、これもしようとは思わない。マイペース、半分もできればよいのである。

2011年8月9日火曜日

中国の軍事行動について思う(20110809)

 人は自分自身が常に「自存」行動をしているのに、他人の「自存」行動を非難したり、また逆に他人の「自存」行動に注目しなかったりする。特に、例えば「腫れ物」に触るように気を使う必要がある相手に対しては、人はその「腫れ物」のような相手の「自存」行動の奥底に潜むものについて、それは「ああであろう」「こうであろう」と勝手に想像し、勝手に決めてかかり、余程の心理カウンセリングの専門家でない限り、その人の心の奥に潜むものを正しく知ることはできないだろう。

 相手が人の場合、社会がその人を監視し、その人が何か問題行動を起こした場合、社会はそのことを放置したままにはしない。しかし、相手が外国である場合、国際社会は「当事国同士で問題を解決すること」を優先させる。特に領土問題はそうである。国際社会として無視できない人権蹂躙とか国家による虐殺などがある場合、その影響が国際社会全体及ぶほではないない限り、国際社会は静観したままである。たとえ、ある国が国際社会に訴えても、利害が絡む場合、拒否権持つ理事国によって問題解決が阻まれる。所詮、皆、「自存」行動をとるものである。

 それを「利益と利益のぶつかり合いである」と言い、その「ぶつかりあい」の奥に潜む「自存」への欲求にあまり目を向けない。そこが、その「自存」欲求の強い国の付け目である。ある国が隣国のある国との間で領土に関わる紛争を敢えて引き起こし、その上で交渉や調停で紛争の終息を図ろうとする。それは正しく、その紛争を領土問題から外交問題にしてしまうことである。中国は明らかにそれを狙っていると私は思う。

 726日の読売新聞に「進化する中国海軍」という見出しで編集委員・勝股秀通氏が寄稿している。一読して思ったことは、この記事は読者に中国の軍事力の伸張を説明し危機感をにじませているだけで、中国の「自存」欲求まで掘り下げた視点がないということである。日本人は「自存」というある意味で哲学的概念について注目すべきではなかろうか。

 私は「自存」という概念を最初に唱えたのは、17世紀オランダのユダ人哲学者スピノザであったと思っている。勿論、スピノザは「自存」をメインテーマにしたのではない。私はスピノザについてほんのちょっぴり聞きかじっただけであるので、彼の哲学の本質まで到底考えが及んでいないが、現在までの私の認識では、彼は「神」をどのように認識し、人々が幸せになるにはどうすべきかと考えたのだと思っている。ただ、彼は、神は自然そのものであると唱えたことだけは確かである。そのため彼はユダヤ社会から追い出された。

 その彼の哲学書の中に次の一節がある。それは、“Each thing, as far as it can by its own power, strives to persevere in its being.(どのようなものでも、それ自身の力で出来るかぎり、自己の存在を維持しようと努力する。)”と“The striving by which each thing strives to persevere in its being is nothing but the actual essence of the thing.(各々のものが自己の存在を維持しようと努める努力は、そのものの現実的な本質にほかならない。”である。

 中国は今正に「自力」で自国の存在を維持しようと必死に努力しているのである。

2011年8月8日月曜日

中国の軍事行動への対処について(20110808)

 人も動物も、地上のあらゆる生き物も、ウイルスも、会社も国家も、あらゆるものは、それ自体で存続しようとする。存続しようとするもの同士で競争し、衝突が起き、争いが起き、戦争が起きる。しかし、競争もなく、衝突もなく、争いもない世界は永遠に存在しないだろうし、戦争はこの地上が至る所満ち足り、楽園にならない限り決してなくならないだろう。然るに、平和主義者・市民活動家たちは声を大にして「平和・反戦・反核」を唱え、人々を自分たちの主張に同調させようとする。これもまた、そのような平和主義者・市民活動家たちの「自存」行動である。スピノザは「自存」力のことを説いている。

 私は放送大学でスピノザを少しばかり研究した。そのとき、いろいろな書物を買い集めた。また指導の教授からいくつかの書物を紹介され、それらも買い求めた。私が「スピノザに興味がある」と言ったら、アメリカに住むある知り合いの女性が向こうの書店で買った本を私にプレゼントしてくれた。その女性は横須賀のご出身である。今、日本に住んでいるかどうか分からないが、私はいつかその方に是非もう一度お会いしたいと思っている。

 私は、この齢になって再びスピノザの研究に取り掛かろうと思うようになった。と言うのは、この平和な日本の領土・領海・領空・排他的経済水域が、13億人の豊かになりつつある人民を満足させるため、なりふり構わぬ行動に出ている中国によって一部を奪い取られる可能性があることを警告したいからである。

 人は、中国の行動を覇権主義とか国威発揚願望とか言うだろう。しかし、それは、私は中国の「自存」を目指す必死の行動であると観ている。日本でも意識的にせよ無意識的にせよ、「自存」の行動をしている。日本の場合、欧米と価値観が似通っているので、日本の行動には国際的に理解される。しかし、中国は南シナ海における行動にもみられるように、意図的に「領土問題」が「外交問題」になるようにしている。中国共産党の綱領にもあるように、彼らの長期的目標は奄美大島から尖閣諸島・宮古列島・八重山列島にいたる諸島を中国の領土にすることである。そのために中国は奇襲攻撃で我が離島を襲い、日本との間で紛争を起こし、その紛争を外交問題にしてしまう意図をもっているに間違いない。

現に、先の尖閣漁船衝突事件で日本は「尖閣諸島に領土問題は存在しない」と言っても、中国は「外交問題である」と主張している。竹島や北方領土と同じである。先ず実効支配し、後で「外交問題である」と国際的に主張する。我が国が憲法前文で「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して」も我が領土・領海・領空・排他的経済水域の安全は決して保障されないのである。それが、「自存」を目指す組織体(ここでは中国と言う国)の至極当り前の行動である。

日本は、中国との間でいくら経済交流が進み、文化交流が進んでも、防衛交流は儀礼的な域を決して超えることはないだろう。「武力」は正に国の「自存」のための手段である。日本は「武士道」の精神をしっかり取り戻し、中国の「武力」に勝る力を持ち、更に価値観を共有するアメリカとの軍事同盟を深める必要がある。

2011年8月7日日曜日

敵と友 (20110807)

 私はお釈迦様が説いておられる「方便」とは、お釈迦様・古代インドのシャークヤ族の聖者・ゴータマブッダ(ゴータマという姓の悟った人)が説かれた教えにあったいろいろなたとえ話や実話をもとに、何世紀も後世の仏弟子たちが編み出した言葉ではないかと思っている。「方便」という言葉は法華経(妙法蓮華経)の中にあって、たとえば「あらゆる仏(ほとけ)は限りなき方便(てだて)をもって人々を仏の智慧にいれませば、法(のり)を聞く者みなすべて、仏とならぬものはなし。」と書かれている。

 私は、このたびの未曾有の東日本大震災も、中国の高速鉄道事故も、ノルウエーで起きた悲惨はテロもすべてお釈迦様の「方便」ではないかと思う。人は、謙虚になってお釈迦様の言葉に耳を傾け、自分の心の奢りや自分の過ちを反省した方がよいと思う。そういう意味で、私は菅首相に是非とも靖国神社に参拝して頂き、靖国神社に祀られている御霊に心から自分の過ちを懺悔してもらい、この国の行く末を護って下さるようにお願いして貰いたいと思っている。しかし彼はそのようなことは絶対しないだろう。

 724日付の読売新聞に編集委員近藤和行氏が、“西洋は旧約聖書「ノアの方舟」に象徴される競争社会で、選民思想の源流。一方、日本は「無常観」の国である。・・(中略)・・グローバル企業の経営は、競争原理と「無常観」がうまく組み合わさっているように思う。”と書いている。私はその「無常観」を、古代から仏教に親しんできた日本人ならば一歩踏み込んで、「無常」の本質を考えるべきではないかと思っている。

 私は「方便」についてお釈迦様が説かれたおおもとの言葉を探してみようと思い立ち、前から買って書棚にしまっておいた本・『原始仏典』(中村 編、筑摩書房)のページをめくってみた。それにはお釈迦様が語られたいろいろな話が収められている。

 目にとまったのは、お釈迦様が「過去」・「過去世」・「宿世」・「未来」・「来世」という言葉を使っておられることである。左脳思考に凝り固まっていると、そのような言葉は説教の「方便」であって、非科学的である考えるだろう。しかし、私は、日本人は「無常観」の中に、そのような言葉で表現される時空の連続性を素直に認めるべきであると思う。

 私は「武士道」の精神は、そのような意味での「無常観」のもとに成り立っていると思っている。天皇を崇敬し、幕末・明治以降続いている国旗・国歌を大切にし、国家として靖国神社を大事にすることが、この日本という国とこの国に住む民が未来にわたり幸せで、繁栄することに繋がると思っている。つまり時空の連続の中の「自存」である。

 この本の中に「友」と「敵」についての一節がある。“次の四種は敵であって、友に似たものに過ぎない、と知るべきである。すなわち(1)何でも取って行く人、(2)ことばだけの人、(3)甘言を語る人、(4)遊蕩の仲間・・(以下略)”

 この国に、このお釈迦様のお言葉にぴったりの政治家や政党はいないだろうか?お釈迦様はさらにこう続けておられる。“かれは、・・(中略)・・(3)ただ恐怖のために義務をなす、(4)[自分の]利益のみを追求する。”はて、誰の事だろう?

2011年8月6日土曜日

人間の幸せと国の「自存」(20110806)

ブッダとは悟った人のことである。人間に生まれブッダになられたのは、お釈迦様ただおひとりだけである。しかし、お釈迦様が予言されたように、何千年か後の世に、お釈迦様のようなお方が現れ、この地球上から人殺しの争いは無くなることだろう。

その時は、一神教の神、つまりユダヤ教の・キリスト教・イスラム教の信者たちが信じる共通の神ヤハウエが、実は17世紀の哲学者・スピノザが説いたように、大自然そのものであるということを、信者たちが理解したときであろう。

ヤハウエは天地を創造した神であり、人格を持っている神である。その神が予言者キリストによって「許しと祝福を与える神・ゴッド」となり、後に予言者マホメットによって「命令する神・アッラー」になっている。キリスト教とイスラム教のルーツであるユダヤ教の神は「人々に試練を強いる神・アドナイ」である。アドナイは日本語で「主」と訳されている。従いキリスト教でも神の事を「主」と呼んでいる。

 一神教各宗教を信じる人々の中から新たな「予言者」が現れて、17世紀のスピノザが説いたように「宇宙大自然イクオール神」(汎神論)と、人々に分かるように説き始めた時、この地球上で人間同士の殺し合いはなくなって行くだろう。その時はこれから何世紀後だろうか?何十世紀後だろうか?それまでは兵士たちは命を懸けて敵と戦わねばならぬ。

 仏教には、「天地創造者」はいない。あるのは、「縁」だけである。「縁」によって人はこの世に生きている。その「縁」は何十万年の太古にさかのぼる。辿り着く先は、地球の誕生、宇宙の誕生の瞬間である。

 人間には動物にない高い知能があり、「想像」する能力がある。その「想像」力のお蔭で人間は自分の先祖のことを「想像」し、今生きていることを先祖に感謝する気持ちが起き、自分が年老い、やがて朽ち果て土となったあとまで、自分の子孫の幸せを願う気持ちを持つことができる。特攻隊で散った方々は純粋にそういう気持ちであった。

 人間は、自分に起きた出来事がたまたま「偶然」なのか、起きるべくして起きた「必然」なのか、それぞれの考え方で判断する。謙虚な人は現代文明の非常に進んだ科学によっても解き明かされない不思議な現象を「必然」だと思い、傲慢な人は「偶然」だとあらゆる理屈を並べて主張する。

 人が幸せな人生を送るためには、謙虚な気持ちで神仏に感謝しながら生きた方が良い。ブッダが説いたように行った結果は、その行いの中身によって現れる。「因果応報」である。人を殺め、人を陥れ、人を不幸にするものに現象上の幸せは絶対にない。今起きた自分の不幸は、自分にはわからない宇宙の時の流れの中で、自分がこの世に生まれる前の因縁によるものであると受け止めれば、今、自分が「この世」と「あの世」で幸せであるため、何をしなければならないか分かる。分からなければ僧侶に教えを乞えばよい。古の賢人の言葉に耳を傾ければよい。「一日の学問は千載の宝、一書の恩徳は万玉に勝る」(夢窓疎石)」である。日本国の「自存・自衛」も、そういう観点で図って行かねばならないと思う。

2011年8月4日木曜日

空母バンカーヒルと二人の神風(ケネディ著​)より (20110804)

表題は、YouTubeに投稿されていたものである。こブログの左側コラムにYouTubeで公開されている特攻に関する二つの映像をリンクした。

特攻隊員志願が「強制的」であったという人もいる。私はそのようなことはあったかもしれないが、そのときの心情を我々が知ることはできないと思っている。かつてアメリカのブッシュ元大統領が、日本の「特攻」とイラクやアフガニスタンなどでの「自爆テロ」と同じよう言ったことがあった。それならば、「東京に対するB-29による絨毯爆撃」や「広島・長崎」への原爆投下と、「虐殺」とはどう違うのだろうか?

先の戦争中、アメリカは日系人を「人種差別」してアメリカ市民権を持つ者も強制収容所に収容した。それは明らかに人権無視であり、アメリカの憲法違反であった。そのアメリカは「正義」の名のもと、中国が少数民族のチベット族やウイグル族などを迫害していることを非難している。人間は「恐怖心」「自存欲求」のため「悪魔」に支配される。

 喧嘩は両成敗という。喧嘩は所詮、どちらも「自存」の行動である。どちらが正しいというものではない。結局勝った方が正しいのである。ならば、喧嘩に負けないようにせねばならぬ。日本人は「武士道」という精神的な支えがあって、喧嘩に勝っても負けても「名」を残すことによって片や「現在」または「現世」において勝ち、片や「未来」または「来世」において勝つのである。結局どちらも勝つのである。

 国と国との関係においても同様である。日本は中国の攻勢に対して、「未来」・「来世」ではなく、「現在」・「現世」で勝たなければならない。そのためには中国の「動物的」な力、つまり武力に対して、「武士道」精神に基づく力、つまり「腰に差した氷刀」で身を守らねばならない。そのためには、精神を鍛え、武術・兵法を鍛え、相手に打ち勝つ強い刀を身につけていなければならない。

 幕末・明治から戦前まで、日本は、「自存・自衛」のため、必死で戦ったのだ。特攻隊員たちはこの国を護り、愛する父母や妻子や兄弟姉妹や恋人を護るため、自らの命を捧げて下さった。その精神の根底には香り高く美しい「武士道精神」があった。

今、南シナ海や東シナ海で脅威を与えている中国も、広大な国土に住む13億人の国民の「自存」のため行動していると思うのであるが、その「自存」は日本のそれとはまったく違ったものであって、日本のような「武士道」精神はなく、言うならば「動物的」な「自存」欲望に根差すものである。中国は隣人である日本に対して礼儀もなく、新幹線もアニメも超高度の日本の技術を手にいれ、勝手に真似し、「純国産」と平気で主張している。

 今、普天間問題があり、「琉球王国」のことが映画に取り上げられている沖縄で、今から667年前、九州の鹿屋や知覧から飛び立った特攻機がアメリカの航空母艦その他の艦に体当たり攻撃を行っていた。そのことについて私は、このブログ「特攻(20101029)」に書き、また関連記事「靖国神社と菅首相(20110409)」も書き公開している。

今、日本人は、靖国神社に祀られている2610柱の御霊に心から感謝すべきである。

2011年7月25日月曜日

「再生可能エネルギー」について大義と公儀 (20110725)

 「大義」とは、広辞苑によれば「①重要な意義。大切な意味。②人のふみ行うべき重大な道義。特に主君や国に対して臣民のなすべき道。」とある。

「公儀」についてウイキペディアを引用する。

 “豊臣政権末期の政情不安定期に公権力を漠然と公儀と呼ぶ慣習が生まれ、江戸時代に入ると統一政権で諸領主権力間の唯一の利害調整機関となった江戸幕府を指して公儀と呼ぶようになった。ただし地方では藩を指して公儀と呼ぶ習慣も残り、幕府のことを「公儀の公儀」と認めて特に大公儀(おおこうぎ)とも呼ぶようになったのは寛永期以後と言われている。”

 再生可能エネルギーについて「大義」はどこにあるか?「主君」を「国民」に、「臣民」を「国会議員・政府官僚」に置き換えれば、答えは自ずと明らかである。経産官僚古賀氏が指摘するように、現在の発電・送電・配電を電力会社が独占している現状では競争の原理が働かず、企業がいくら安価な電力を生み出しても消費者にその恩恵がない。

 その一方で、電力会社には官僚が天下りし、政官業の癒着構造を作って、一般消費者には縁遠い一種の「村社会」を構成し、お互いに「甘い汁」を吸い合っている。

 それが「大義」」に反することは明らかである。一方、「甘い汁」を吸い合う「村社会」は、「公儀」の側として公権力を利かせている。計画停電は一体何だったのか?「節電」キャンペーンは一体何のためであるのか?

 国民は「公儀」の為すがままに従わざるを得ないような状況が起きている。しかし「公儀」により何らかの利益を得ているかもしれない一部のマスコミや労働組合は、表向き「国民」の側に立っているように見せかけながら、実は「公儀」の側についている。

 「長いものに巻かれる」という諺がある。人は社会の中で生き抜くため長いものに巻かれた方が「自存」できる。一般国民はどうすればその「長いもの」を手にすることができるだろうか?

 答えは「イワシの大群」である。イワシはどれかいち早く方向を変えれば、ほかのイワシは間一髪を入れず一斉にその方向に転換する。そして群れが恰も巨大な生き物のように見せかけ、イワシを狙う大きな魚の餌食となる数を局限している。

 同じことを一般国民もやればよい。「国民投票法」を作り、その法律によって国の大事を決めることについて国民の意思を問えばよい。

 ただし、この法律によってこの国が誤った方向に行かぬように、国民投票にかける前に「賢者」たちによる事前討論・討論の公開・予備調査など幾段かの手順を踏んで、「某国」や「某ジャーアナリズム」や「某学者・論者」などによるマインドコントロールを未然に防止する仕組みを作っておく必要がある。「民主主義とは少しの良識者による合意で進める仕組み」であることもまた、真実であると思う。

2011年7月23日土曜日

「あの世」の霊魂も「自存」を願望している (20110723)

 世の中に「怖いお墓の話」というものがある。先祖代々の墓所を他に移すと家族に死者が出るなどと言った話である。実際我が家では曾祖父の代に墓所を高い台地に移したが、曾祖母は40代の若さで急死している。似たような話を私は妻ががんで急逝した友人から聞いている。また家に仏壇を置くとその家から死者が出るという話も体験している。

 私は「あの世」の霊魂も「自存」を願望していると思っている。先祖は生きている間、子子孫孫の繁栄を願って頑張っている。その代々の積み重ねが今日の姿である。先祖の時代にくらべ、今日は大いに繁栄していることは間違いない。そのような先祖の思いを無視するような行為は、決して良くないと思う。

 靖国神社に祀られている方々も、例えば「このような思いは自分一人で十分だ」と思いながら死んでいっただろう。特攻隊員たちは自分が死ぬことによって愛する父母・兄弟・姉妹・妻子・恋人らを守ろうと思った。その思いが彼らの遺書に表れている。皆「あの世」でその思いが叶えられることを願望している。靖国神社に参拝しようとしないだけではなく、靖国神社や護国神社を否定する政治家たちは間違っている。「あの世」は今の世とは決して無関係ではないのだ。

 昔、名のある家では血統の持続のため必ずしも長子ではなく能力のある者に家督を継がせ、父系の男の子がいない時には、父系の兄弟の子供を養子にして男系の家を代々守ってきた。そのような過程で、父系の血縁関係の家との交流が途絶え、つまり親戚付き合いをやめ、父系の血縁者が実際にはいるにもかかわらず家系が途絶えてしまう家がある。

 私の場合もそうなりかけた家である。長子であった私の父親が跡を継がず、私の父親の末弟が跡を継いだ。しかしその二人の息子たちには息子が生まれず皆女の子ばかりである。女の子は嫁いで家を出てしまうか、男系の血縁のない家から婿養子をとって、血統はともかく家名だけは継ぐ。しかし、其処で先祖との間の血のつながりは途絶える。

 私の父の墓と先祖の墓は、列車で2時間以上離れた場所に別々にある。父によって遺された系図はおよそ千年前のものである。私はそれを手掛かりにいろいろ調べ、わが家の名字の由来も「これに違いない」というところまで突き止めた。その遠い先祖の血を引く私はその両方を祀る責任がある。私は私の息子たちに、折に触れ先祖を敬い、先祖の祭祀を行うことの大切さを話しているが、2か所に分かれている祭祀の対象をどういう形で末代まで祀ってもらうか、いずれある時期に息子たちと話し合って決めなければならないと思っている。そうすることが、私の子子孫孫末代までそれぞれ幸せに人生を送ることになると思っている。

「あの世」の霊魂は「自存」を願っている。日本人の先祖たちも同じである。日本人は個人として自らの先祖を敬い、先祖を祀るとともに、国民として祖霊を敬い、これを祀ることをおろそかにしてはならないと思う。天皇は日本人のそのような考え方の中心におられる。この国に天皇がいることは日本人にとって大変有り難いことである。