2018年9月25日火曜日

20180925日本人の進化の原動力 ―― 『古事記』を読む ――



 小笠原の南に南硫黄島という無人島がある。その広さは皇居の約1.5倍で、最高標高は916mである。先般この島に関する学術調査が行われ、コダマ(木霊)というカタツムリの一種について調査が行われた。カタツムリは世代交代が早いので進化の過程を調べる上で好都合な生物である。そのコダマは北海道に生息している生物であるが無人島の南硫黄島で発見された。これは恐らく野鳥の身体に付着していたものがその島で地面に落ちて進化したものであろうと考えられている。その島では亜熱帯の低地・雲霧の中高地・温帯の高地ごとにそれぞれ進化したコダマが発見され、DNAの調査のため採集された。この研究成果は地球上のすべての生物の進化の原動力となっている遺伝子の発見につながるかもしれないと期待されている。

 ヒトと呼ばれる人類も進化の過程にある。日本人は縄文人・渡来人・帰化人の血が長い年月の間に入り混じった人種であり、現在も日本人と世界各地の人々との間で混血が続いている。今後50世代も経れば、日本人の容貌・体躯・諸能力等は現在とかなり違ったものになっているだろう。アイヌの人々は縄文人の子孫であるが、縄文人の血を引く現在の日本人とは遺伝子の一部に大きな違いがあることが分かっている。そのアイヌの人々も50世代後にもなれば、多分純粋なアイヌの人々は居なくなっていると考えられる。

 混血と言う意味では、異なる人種の種類が多いアメリカや中国やロシアも同様であろう。多くの人種の混血が進行している国は、国家として一つにまとまっていて安定が続く限り益々強い国家に進化して行くに違いない。一般的に言えば、進化の過程で後発の生き物は、それ以前に分岐した生き物より自存力が強いと考えられる。縄文人を先祖にもつ日本人は縄文人より後に分岐した人々と混血しているので自存力が強いと言えるのではないか?

古代に縄文人と渡来人の混血していた日本人は、古来自国が「小国」であるという意識は無かったし、これからもその意識はないだろう。聖徳太子から古代中国の隋の皇帝に宛てた手紙には「日出る国の天子日没する国の天子に書を致す。恙なきや」と書かれていた。古代日本の朝廷は古代の中国朝廷に対して歴史書『日本書紀』を示して、日本の国名を「倭国」から「日本」に変更させた。寛仁3年(1019年)に刀伊(女真族の一派とみられる集団を主体にした海賊)が対馬・壱岐を襲い、さらに筑前(福岡)に侵攻した時も、文永11年(1274年)と弘安4(1281)の二度にわたり当時の中国の元王朝の大軍(大艦隊)が対馬・壱岐を含む北九州に侵攻してきた時も、また応永26年(1419年)に李氏朝鮮軍が倭寇討伐を名目として対馬に侵攻してきた時も、当時日本の武士たちがこれらに対処し、これらを撃退している。勿論台風・台風接近と言う天祐もあった。日本は近現代においても強大な国々と戦争をした。日本人は古代から自らの国を「小国」と思っていないのである。

日本人にとって大事なのは日本を取り巻く様々な状態である。日本人は自分自身を他の国の人々と比べることにあまり興味はない。明治天皇は、「四方の国、皆同胞と思う世に」と歌を作られた。笹川良一は「世界は一家、人類は皆兄弟」と言った。国際連盟を立ち上げる時、人種差別撤廃を主張したのは唯一日本であった。

日本人は無意識のうちにそういう心を表している。これが日本人の特質であり、日本人が進化を続ける原動力となっているものである。この原動力は日本による韓国併合後の朝鮮半島の近代化と経済振興策の実行・台湾の統治・東南アジア諸国の解放と統治・パラオなど南洋諸島の統治において発揮された。戦後の日本人はそのことを忘れていたが、台湾・東南アジア諸国・パラオなどの南洋諸国の人々から逆にそのことを思い出させられている。

日本人はなぜこのようにあるのか? 私は、それは『古事記』・『万葉集』にその答えがあると考えている。戦後の日本人は精神改造を強いられた。私が小学校2年生のとき、教科書は書かれていた内容の一部が黒塗りだった。しかし今の日本人は強制されずとも、或いは「遠ざけよ」と言われても、心の何処かで『古事記』・『万葉集』に何か親しみを感じている。何故ならそれらの書物は日本人の心を素直に映し出すものであるからである。

竹田恒泰著『古事記完全講義』の一節に“今、日韓共同で、歴史認識を統一させようと作業部会が開かれていますけれども、もう毎回大喧嘩。血を流すほどの喧嘩をして、全然歩み寄りが出来ないんです。日本人が口を開くと、韓国人が「ふざけんなぁ!」「侵略者ぁ!」となりますし、韓国人が何かを言うと、日本人は「そんなの認められるかぁ!」「史実と異なるだろう!」とか言って平行線なんですよ。・・・・ウソじゃ無かった出雲の無血国譲り・・・・世界的にも例がない‘話し合い’で生まれた統一国家・・・・「好きな神様を拝んでいいよ!」が無血統一のキモ”とある。縄文人と渡来人とが混血していた人々の王国・出雲は、同じく縄文人と渡来人とが混血していた人々による大和王権と話し合って、それぞれの精神文化を認めあうことで平和裏に大和王権の支配下に入った。この水平的な協調の精神は、約16000年前から役3000年前まで続いた縄文時代に培われたものであるに違いない。

出雲王国が大和王権の支配下に入る時、出雲王国側からの要求により、巨大な神殿が建設された。近年その遺構が発見された。その建築物の高さは48mであったことが推定されている。この巨大な神殿は大和王権側からの提供されたものである。『古事記』には大国主神が次のとおり大和王権側の使者に伝えたことが書かれている。
① この葦原の中の国は、天照大神の大御業を受け継ぎになるお方に献上します。
② ただ私の住処として壮大な宮殿を作って下さるならば、私は神々の先頭に立って、またしんがりとなって、神々を統率します。(続く)


2018年9月9日日曜日

20180909三つの型の「何でも有り」の国々 ―― 『古事記』を読む ――



日本は、“「何でも有り」”しかし「群れに従順」の国である。
アメリカは、“「何でも有り」しかし「○○を忘れるな」の言葉で団結”する国である。
 「○○を忘れるな」の「○○」は「メイン号」・「アラモ」・「真珠湾」である。
中国は、“「何でも有り」しかし「皇帝が必要」”な国である。

上記三つの「何でも有り」の中身はそれぞれ根本的に違っている。日本人の先祖は遠い昔多くの人種が混血したため今の日本人は非常に多様なDNAを持っているが、国家としては2678年前に神武天皇が即位して以来男系の皇統が続いている単一民族の国家である。アメリカは白人・黒人・ヒスパニック・ネイティヴアメリカンなど多くの人種から成り立っているが、国旗・国歌・大統領選挙・合衆国国立墓地などの象徴により“アメリカ人”としてまとまっている。大多数の漢族の他に55の少数民族が存在している中国は、中国共産党が一党支配している“中華民族”の国家である。中国では歴史的にモンゴル族や満州族の皇帝が存在していたが、現在は中国共産党の代表者が“皇帝”の役割を担っている。

『古事記』・『日本書紀』を深く学べば、日本人にとって天皇の存在が如何に重要であるかわかる。戦後、日本人は自らのアイデンティティを見失っていた。竹田恒泰著『古事記完全講義』に“「茹でガエル症候群」()。要するに‘百年殺しの刑’をかけられたんですよ、日本は。・・・中国人向けの『日本書紀』日本人向けの『古事記』”とある。

私は、『古事記』の「上つ巻」内容の大部分は神話の物語であるが、物語の一部には実際にあった事が象徴的に語られていると考えている。(下記⑬以降は、一部私の想像を含む。)
①火照命(ほでりのみこと)。火照命(ほでりのみこと)は隼人阿多君の祖である。
②火照命(ほでりのみこと)は海幸彦(うみさちひこ)として、鰭(はた)の廣物、鰭の狭物を取った。
 海幸彦とは海の獲物を得る男のことである。鰭とは海の大小の魚のことである。
③火遠理命(ほをりのみこと)山幸彦(やまさちひこ)として、毛(け)麤物(あらもの)、毛(け)の柔物(にこもの)を取った。山幸彦とは山の獲物を得る男のことである。「さち」は道具で、山幸は弓矢、海幸は釣り針を意味する。
④ホデリノミコト(海幸彦)は兄、ホオリノミコト(山幸彦)は弟である。
⑤海幸彦と山幸彦は兄弟喧嘩をした。
⑥海神・ワタツミノカミ(綿津見神)は山幸彦に「兄が高いところにある乾いた田を耕すときは、お前は低いところにある湿潤の田を耕せ。兄が低いところにある湿潤の田を耕すときは、お前は高いところにある乾いた田を耕せ。わしには水を扱う力があるから乾湿如何様にも出来るのだぞ。だからお前の兄は3年の間に必ず貧しくなるのだ。もしお前の兄がお前に何か悪いことをしたら、わしは潮の満ち干を加減してお前の兄が苦しむようにしてやる」と言った。
⑦兄・海幸彦は降参した、そして海幸彦の子孫である隼人族は弟の子孫に代々服従するようになった。(つまり隼人族は朝廷に代々仕える身分になった。)
⑧海神の娘・トヨタマヒメ(豊玉毘賣命)は、山幸彦に出会い、その神々しさに打たれ、父・ワタツミノカミにそのことを報告した。
⑨ワタツミノカミは山幸彦が天の神の御子であると確信し、自宅の客間をアシカの皮などを敷き詰め、飾りつけをして山幸彦を迎え入れ、丁重におもてなしをし、娘・トヨタマヒメを山幸彦と結婚させた。
3年後トヨタマヒメは天の神の御子ホオリノミコト(山幸彦)の子供を身ごもり、一人の御子(アマツヒコヒコナギサタケウガヤフキアエズノミコト)を生んだ。
⑪ホオリノミコトは高千穂に宮殿を建て、其処に住み亡くなった。その御陵(お墓)は高千穂の山の西にあり、宮内庁が管理している。
⑫アマツヒコヒコナギサタケウガヤフキアエズノミコトとトヨタマヒメの妹・タマヨリヒメ(玉依毘賣)の間に生まれた子供の二男が初代神武天皇となられたカムヤマトイワレヒコである。
⑬約6300年前に起きた鬼界カルデラ大噴火により、鹿児島県上野原縄文遺跡にみられる「黒潮の民」の文化は壊滅的な被害を受けたが、その中で生き残った人々の子孫は海幸彦として象徴されている。
⑭「黒潮の民」は遠い昔スンダランドから海を渡ってやって来た人々である。彼らは丸ノミ石斧製造・造船・航海・漁労の技術を持っていた。
⑮縄文人と渡来系弥生人が混血した人々の長が山幸彦として象徴されている。渡来系弥生人は約3000年前に日本に渡って来た長江中流域の稲作漁労民を先祖とする人々である。
⑯渡来系弥生人の先祖は北方から良い暮らしを求めて南下してきた畑作狩猟民から圧迫を受けたが、日本に渡って来た時既に青銅製の剣など北方の文化に染まっていた。
⑰渡来系弥生人が日本にやってくる前に、長江河口付近で漁労に従事する人たちが居た。彼らは舟で沖に出るとき食料として米を携行していた。彼らは時に嵐に遭い、沖縄や鹿児島に漂着して其処に住みつき「黒潮の民」の血を引く縄文人との間に子孫を残した。その子孫の長が海神・ワタツミノカミ(綿津見神)として象徴されている。
⑱「黒潮の民」は日本各地に散らばり、その土地の人々との間に子孫を残した。彼らは海神族としてワタツミノカミを祖霊神とした。
⑲海神族は応神天皇三年十一月に安曇野連の統率下に置かれた。安曇野連の先祖は上記⑰の「黒潮の民」の血を引く縄文人との間の子孫の有力者である。
                                   (続く)
 

2018年9月6日木曜日

20180906原日本人の形成 ―― 『古事記』を読む ――



 安田喜憲著『古代日本のルーツ 長江文明の謎』に畑作牧畜民が作り上げた文明は、森を破壊し、闘争的で、・・・森から生まれた稲作漁労文明は、自然の再生と循環を重んじ、・・・長江文明をつくりあげた稲作漁労民は、畑作牧畜民のように争いを好まなかった。・・・中国の長江文明と日本の縄文文明の間に交流はあったのか。・・・三内丸山遺跡や縄文時代前期の福井県鳥浜貝塚から発見された鹿角斧は、長江流域の河姆渡遺跡から見つかったものと驚くほど似ている。・・・江漢平原こそ長江文明の発祥地であり、雲南省や貴州省、江西省などの山間部にひっそりと暮らす苗族は、江漢平原で誕生した長江文明を受け継ぐ者たちだったのである。・・・馬に乗り青銅の武器を持った民たちにとって、長江の民の征服は容易だったであろう。・・・とくに約3000年前の寒冷乾燥化は厳しいもので、北方の民は大挙して長江流域に押し寄せた。・・・多くの人々は、北方からやって来た人と一緒に暮らしただろう。・・・長江流域の民が向かったのは、中国の山奥ばかりではない。すでに指摘したように、海を渡り、台湾にも行っている。さらには日本列島に渡り、日本の弥生文化の成立にも大きな影響を与えている。・・・苗族の伝説には、彼らの哀しみを伝えているものがある。彼らの祖先が黄帝の子孫と戦ったという話である。黄帝というのは、漢民族による中国の先祖とされる人物である。”とある。

 遠くスンダランドに発し、黒潮に乗って日本列島に辿りついた縄文人の祖先(黒潮の民)は丸ノミ石斧製作・造船・航海・漁労の技術を持っていた。樺太や・朝鮮半島経由で日本列島にやって来た縄文人の祖先と黒潮の民は混じり合い、黒潮の民の丸ノミ石斧の技術は磨製石斧製造に応用され、日本島全体に拡散した。これらの人々(縄文人)のルーツは皆同じで、4万年〜5万年前カザフスタン南部を出発し移動してきた人たちであり、寒冷地に適応して進化した漢民族などの祖先より約1万年前分岐した初期の人たちであった。

 約16000年前から約3000年前までの約13000年間続いた縄文時代に、長江河口から漁に出た稲作漁労民が嵐に遭って沖縄・九州南部に漂着したことが何度かあったと考えられている。事実、現在でも長江河口付近の漁民はそういうことを語っている。黒潮の民と彼ら漂流漁民とは、造船・航海・漁労と言う面で何か共通するものがあったに違いない。

海人族の祖先神は綿津見神(ワタツミノカミ)である。海人族は元々黒潮の民であった。長江河口からの漂流漁民の中から黒潮の民を統率する者が現れた。それが安曇氏の先祖である。新人物文庫『古代豪族の謎』では、『日本書紀』応神天皇三年十一月条を引用して、“安曇氏は応神系列以前から列島全体の海部を支配した存在ではなく、いずれかの時点で各地に分布していた海人集団を統括するようになった”としている。

3000年前、長江中流域の稲作漁労民が畑作牧畜民による圧迫を逃れて長江河口から日本に渡って来た。彼らは元々水稲稲作技術を持っていたが、その上畑作牧畜民の文明を身につけていたに違いない。青銅製の剣も所持していたに違いない。彼らは元々縄文人と同じで闘争を好まぬ温和な人たちであったので、縄文人たちと殺し合うことは無かったが、稲作技術を持っていて縄文人たちより良い暮らしをすることができたと考えられる。そしてお互い婚姻関係をもって混血し、「倭人」と呼ばれる原日本人が誕生したのである。

『古事記』に出ている大山津見神(おおやまつみのかみ)はその土地の原日本人の集落の長だったのであろう。その二女は縄文人の血を濃く引いて容貌は彫りが深く、眼はパッチリとし、二重瞼でえくぼが可愛い乙女であったと想像される。それに比べ長女の方は長江中流域からボートピープルになってやって来た人々の血を濃く引いていて、鼻は低くのっぺらぼうの顔立ちで、決して美人ではなかったと想像される。

①『古事記』には、ニニギノミコト(天津日高日子番能邇邇藝命 あまつひこひこほのににぎのみこと)が笠沙(かささ)の御前(みさき)で麗(うるわ)しき美人(おとめ)に遇(あ)って、「あなたは誰か」と問うたら、その美人は「大山津見神(おおやまつみのかみ)の女(むすめ)で、コノハナノサクヤヒメ(木花佐久夜毘賣)です」と答えた。
②ニニギノミコトは「わしはそなたと結婚したいと思うがどうじゃ」と仰った。
③コノハナサクヤヒメは「私独りじゃ決められないので父に相談しますね」と答えた。
④コノハナサクヤヒメの父・大山津神は大喜びで、姉の石長比賣を副えて、色々な贈物を持たせて姉妹をニニギノミコトのところに行かせた。
⑤ところがニニギノミコトは姉の方は美人でなかったので送り返し、妹のコノハナサクヤヒメとその夜セックス(一宿婚 ひとよまぐはひ)した。


                                   (続く)

2018年9月5日水曜日

20180905『「プラズマ物理科学」レポート 平成28年(2016年)12月30日』


 以下は、私が一昨年12月に放送大学の面接授業受講後提出したレポートの原文である。
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  放送大学学歌歌詞の一文「われら何処から来て何処に行くのか」ということを念頭におき、生物が有する「自己保存機能」の観点からこのレポートをまとめた。

138億年前に我々の宇宙が誕生した時はプラズマ状態であった。我々の宇宙の99%はプラズマであると言われる。太陽はそれ自体プラズマであり、太陽フレアによる太陽風もプラズマである。プラズマとは原子や分子から電子が離れ、イオンと電子が混在した状態である。

プラズマという言葉の語源はラテン語のplasmaにあり、その意味は「形造られたもの」である。近代科学においてこの言葉が用いられ始めたのは19世紀の後半である。それは医学における血漿(blood plasma)、または生物学におけるまたは原形質(protoplasma)である。

我々が実際に見るプラズマ現象はオーロラや雷や蛍光灯などである。オーロラは太陽風と地球磁場の相互作用によって起きる放電現象である。稲妻は地上と上空の間の温度差が一定以上になると上昇または下降気流に乗って雲の中の氷の粒同士が激しく衝突し合うことにより静電気が生じ、地上との間の電位差が大きくなって起きるものである。

雷鳴は積乱雲と地表面の間の放電路にある大気の温度差により空気の流れが音速を超えた時に起きる衝撃音である。蛍光灯はその管の中にアルゴンや水銀蒸気が封入されていて、このガスに高電圧の電界を加えるによってガス分子が電離しイオンと電子になることにより蛍光灯管内はプラズマ状態になる。このイオンと電子が再結合して元の分子に戻るとき紫外線が出る。これが蛍光管内側に塗布された蛍光体に照射されて可視光として発光する。

太陽はその中心核で水素の核融合反応が起きている。この中心核で強大な重力とそれによる高温度により水素原子が衝突し合って、水素原子核4つからヘリウム原子核1つが合成されている。核融合は原子核同士が融合してより重い核種になることである。因みに核分裂は原子核が中性子を吸収して複数の軽い原子核に分裂し、連鎖的に核崩壊することをいう。いずれの場合も発生量は物理的に違うが E=MC2() の強大なエネルギーを発生する。

太陽の中心部は太陽核とも中心核とも呼ぶが、その中心部で起きる核融合により非常に高いエネルギーが生み出されている。この高エネルギーは光子のガンマ線やX線である。この光子が太陽の表面に届くまでには17万年かかると推定されている。対流層から光球の表面に至った後、光子は可視光として飛び出す。太陽光は我々にとって恵みであるが、太陽フレアは我々に様々な被害を与える。このフレアの観測・予報は宇宙天気として報じられる。

太陽の核融合が進むと徐々にヘリウムが中心核付近に溜まってゆく。約50億年後には中心核にある水素は枯渇して全部ヘリウムに変わり、太陽は赤色矮星になる。その前にこの地球上の生命は途絶えてしまうことになる。太陽の活動は我々の生存に大きく関わっている。

あらゆる生物はそれぞれ自己保存のため最適な方法を獲得するように進化してきて、今も進化を続けている。ヒト種の生物である人類はアフリカの地溝地帯でチンパンジーから分岐して誕生し、ユーラシア大陸に移動して火を使うようになった。それ以来人類は何時でも何処でも利用できるエネルギーを手に入れる技術を開発し発展させてきた。現在我々はこの地球上で核融合により安定的かつ効率的なエネルギーを得る方法を実用化しつつある。

ヒト種の生物である人類がほかの生物と異なるところは、人類が二足歩行し言語を用い想像力を持っていることである。このため人間は自分の意識を、時間と空間を超えて自由自在に融通無碍に広大無辺に延伸させることができる。

生物には「自己の種を残す」ため有している根本的な自己保存機能があるが、人間は自分の意識を時間・空間を超えて延伸させることによっても自己を保存することができる。例えば切腹した志士の名誉は後世に語り継がれる。人間のそのような自己保存機能が発現されている状態として、私は「真理」の探求・「善」への精進・「美」への感動の三つがあると考える。これは「ヒト」種の生物の人類である人間独自のものである。

「真理」の探求の結果として誕生したもの一つが「人工太陽」とも言われる核融合装置である。核融合装置においてはプラズマ状態にある炉内で重水素(deuterium)と三重水素(tritium)を衝突させてヘリウムと中性子を得る。この中性子は炉内でプラズマを包むように作られるブランケットに含まれるリチウムに衝突して核反応を起こして熱を発生させるとともに三重水素を生成する。この熱を発電に利用するとともに、生成された三重水素を再利用する。重水素は水に含まれている。三重水素は酸素と結びついたトリチウム水として水に混在している他、大気中にはトリチウム水蒸気・トリチウム水素・炭化トリチウムの形で、それぞれ水蒸気、水素、炭化水素として混在している。つまり核融合を起こさせるため必要な物資は我々の身近なところに存在している。

核融合発電装置では炉内にプラズマ状態を作るため非常に多くのエネルギー(加熱入力)を必要とする。核融合出力が加熱入力に比べ十分大きくないと採算がとれない。しかし日本の実験炉(JT-60 )は世界に誇る装置であり、これを運用して日本も参加している国際的な核融合エネルギーの実現性を研究するための実験施設(ITER)の活動に必要な技術的資料・管理的資料などを収集し、提供している。因みに日本はプラズマを発生させるための超電導コイルの分野で先進的な役割を担っている。

地上に届く太陽光には可視光線・赤外線と紫外線が含まれている。紫外線は生命の維持に有害であるが、上空のオゾン層によって遮られているため生命活動が維持できている。原始地球上で無生物的有機化合物が化学進化的に合成され、原始海洋にアミノ酸や核酸塩基などが自然に生成された。その後酸素を発生させるバクテリアや化学合成細菌が現れた。

その酸素が太陽から降り注いだ紫外線または高いエネルギーを持つ電子と酸素分子の衝突によりオゾンになる。質量の大きいオゾンは紫外線を直接受けやすい上空の対流圏外で地球を包むように存在して原始地球上に誕生した生命の維持に役立った。そして地球上に現在のような生物が存在するようになった。真核生物である我々人類(生物学上‘ヒト’)の細胞もパン酵母の細胞も全く同じ構造をしていて、細胞内に核を持ち、その核の中にDNAが収められている。人間は他の生物と違う、と思っているが他の生物と変わらぬ部分が多い。

人間は自然界から年間2400μSv(= 2.4 mSv)前後の放射線の被曝を受けていると言われている。国際線の乗組員や航空機で頻繁に海外出張している人たちは更に多くの放射線を受け被ばくしている。放射線は我々の体の細胞内でDNAを構成する分子の一部をイオン化してDNAに損傷を与える。一方、紫外線はDNAを構成する分子内の原子を励起することによってDNAに損傷を与える。この損傷によってDNAの複製時にエラーが発生する。

放射線や紫外線によりDNAが損傷を受けたとき、それを修復するプログラムはDNAに予め書き込まれている。エラーが生じているDNAによって新たな細胞が作られた場合、その細胞は自動的に破壊される。そのほか生物には生命を維持するため免疫力を供えているなど様々な機能が備わっている。これはこの地上のすべての生物に、それぞれ進化の過程で自ずと備わってきた自己保存機能である。

人間はフロンなど塩素を含む化学物質が大気中に放出し、オゾン層を破壊している。人間は燃焼、窒素肥料の使用、化学工業(硝酸などの製造)などにより大気中に亜酸化窒素を放出しているが、これも紫外線で分解されて一酸化窒素が生成され、その一酸化窒素がオゾン層を破壊している。国際的な協調でオゾン層を破壊する物質の排出を抑えようとしているが人間の自己保存活動が人間自身の自己保存を危うくしている。

我々はこの宇宙の中の数々の星々の中の一つであるこの地球上にあって、「我々は何処から来たのか。そして何処へ行くのか」と問い続けている。「プラズマ物理科学」はその問いの一つとして「真理」を探究する科学である。その科学の系譜は紀元前6世紀のタレス、前4世紀のアリストテレス、16世紀のコペルニクス、17世紀のガレリオ、1718世紀のニュートン、19世紀のマックスエル、1920世紀のアインシュタインと受け継がれ、そして20世紀から今世紀に日本の小柴昌俊によるニュートリノの観測成功やニュートリノに質量があることの確認、そしてアメリカのLIGOによる重力波の観測成功などにつながる。

人の一生は限られているが科学の知見は受け継がれ発展してゆく。人間は現在この地球上で太陽と同じような核融合で電力を得ようとしている。宇宙で太陽光発電を行いマイクロ波でその電力を地上に送るための実験を試みようとしている。探査衛星を飛行させる推進力としてプラズマを利用している。核分裂によるエネルギーで電力を得るよりもこれらの方法は安全である。何故ならこの地球内部ではマントルが動き何千年・何万年に一度の頻度で起きる超巨大地震・巨大カルデラ噴火・巨大隕石の落下・テロリストによる原子力発電施設の破壊などにより想像以上の放射能汚染が起きる可能性を否定できないからである。

科学はこの宇宙の中にあって我々がどういう存在なのかを次第に明らかにさせる。NASAの惑星探査機「ボイジャー」が土星の近くで観測した地球は青い色をした「生命の星」である。しかしその星の上では人間同士が争いあっている。ごくごく一部の人がその虚しさを知っているが、殆どの人々は自分たち人類がいずれ何十億もしないうちに滅びる運命にあるということを知らずにいる。そのごくごく一部の人たちは、いずれ人類が滅びる前に、人類の種を地球外で存続させるための研究や実験を行っている。これも「ヒト」種の生物である人類の自己保存行動である。人間は「ヒト」種の生物の人類である故に、生存のため悩む。

ところで科学の対岸にある宗教は、科学的に証明されていないことでも信じることを要求する。2600年前の仏陀の教えに忠実に従いながら、煩悩の人に心安らかに生きる方法を教えたのは親鸞である。真宗は妻帯肉食をし、人は煩悩の身であっても心から阿弥陀仏(Amitāyus Buddhaの音訳)を信仰し、善良に生きるならば、その人の現世が即ち浄土であり、来世でもその人は浄土に生まれる、と説いた。

このような教えは世界中どの宗教にも無い。「浄土」とは「五濁・悪道のない国・仏や菩薩が住む(光明と妙なる楽音と美の極致に満ちた極楽の)国」のことである。「真」なるものに触れ、「善」なる心を呼び起こし、「美」なるものに感動しつつ、阿弥陀仏に帰依している愛他・善行の人は、自らの「自己」を「保存」することができている人、と言えるだろう。

 「真」「善」「美」については人それぞれに生き方や思想信条の違いなどによる違いがある。人それぞれに自己保存の在り方にも違いがある。しかし自分が「何処から来て何処へ行くのか」「自分は何者なのか」を知る知恵について悟ることができる人は自分自身である。人類が未来においてどういう運命になるのか誰も予測できない。故に極端なことを言えば宇宙は即ち阿弥陀仏であると考え、安心立命の生き方をする方が幸せではなかろうか。(終)
 
           

2018年9月2日日曜日

20180902弥生時代の出来事を想像する ―― 『古事記』を読む ――


20180902弥生時代の出来事を想像する ―― 『古事記』を読む ――

 岩波文庫版『古事記』によれば、
①伊邪那岐命(イザナギノミコト)の妻・伊邪那美命(イザナミノミコト)が葬られた場所は、「出雲國と伯伎國との境の比婆の山」である。脚注には「広島県比婆郡に伝説地がある」とある。
②一方、イザナミノミコトがいる場所は「黄泉国」である。イザナミノミコトは「黄泉比良坂(よもつひらさか)」に「千引(ちびき)の石(いわ)」を置いて、自分に会いに来た夫・イザナギノミコトに別離を言い渡している。
③イザナギノミコトは、妻・イザナミノミコトの「この世」の姿を今一度見たくて、殯宮という遺体の安置場所に入ったら「蛆(うじ)たかれころろきて(宇士多加禮許呂呂岐弖)」、愛する妻の変わりように驚いて逃げた。
④宮崎県の高千穂の峰に天降ったニニギノミコトは鹿児島県の笠沙の岬に立って「此地(ここ)は韓国に向ひ、笠沙(かささ)の御前(みさき)を眞來(まき)(とほ)りて、朝日の直刺(たださ)す國、夕日の日照る國なり。故、此地は甚(いと)吉(よ)き地(ところ)」と仰った。
⑤日本各地にその存在の痕跡がある安曇族について、「綿津見(わたつみ)の神は、阿曇連等(あずみのむらじら)の租神(おやがみ)」と書かれている。

『隋書巻八一東夷傳・倭國(隋書倭國傳)』(岩波書店)に、「死者斂以棺槨、親賓就屍歌舞、妻子兄弟以白布製服。貴人三年殯於外(死者を斂(おさ)むるに棺槨(かんかく・そとばこ)を以ってし、親賓屍に就いて歌舞し、妻子兄弟は白布を以って服を製す。貴人は三年外に殯(もがり)し)」とある。竹田恒泰著『古事記を読む』には、“黄泉の国の物語は、殯宮での出来事だったのかもしれない”とある。

因みに、殯(もがり)とは、「日本の古代に行われていた葬儀儀礼で、死者を本葬するまでのかなり長い期間、棺に遺体を仮安置し、別れを惜しみ、死者の霊魂を畏れ、かつ慰め、死者の復活を願いつつも遺体の腐敗・白骨化などの物理的変化を確認することにより、死者の最終的な「死」を確認すること」(Wikipedia)である。

現代人は意識を理性的に捉えるが、古代人は意識を時空を超えた世界にまで感覚的に捉えていたのかもしれない。芸術家は事象を古代人のように捉え、作品に仕上げていると考えられる。だから人々はそういう芸術作品を鑑賞して、想像を膨らませて、その意識を時空を超えた世界にまで延伸して感動するのである。

古代人は何事も感覚的に認識していたに違いない。古代では死者が白骨化し、確実に生前の形が無くなったことを確認して、初めて「この世」の人が「あの世」に逝ったのだと認識したに違いない。

 『古事記』に書かれている阿曇連(あずみのむらじ)を祖とする人々の先祖は、弥生時代以前に長江中流域からやって来た人々であったのではないだろうか?私は次のように想像している。
(a) 彼らは縄文人と混血し、「倭人」と呼ばれていた人たちとなった。
(b) 彼らの先祖は先ず九州南部で勢力を広げ、豊後水道沿いに勢力を拡大し、九州北部を 拠点にして朝鮮半島にも進出していた。
(c) 九州南部で勢力を広げていた「倭人」たちの中からカムヤマトイワレヒコ(神武天皇)という英雄が現れた。
(d) ヒミコは安曇族が与した磐井氏に縁がある人であった。

 神武天皇から数えて15代目の応神天皇の五世の男系直系子孫が継体天皇である。応神天皇の母は神功皇后である。『古事記』にも『日本書紀』にもヒミコのことは出ていないが、天照大神と神功皇后のことは出ている。ヒミコを天照大神とする説があり、私もそう思ったことがあって、以前このブログにそのように書いたことがあった。しかしヒミコは中国人が中国の歴史書に書いた人物の名前であって、実は記紀の神功皇后その人ではなかろうか、と今私はそう思うようになった。

                                   (続く)