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2012年3月8日木曜日


自省(20120308)

つらつら思うに、自分はこれまでずっと生かされてきたし、未だ生かされているということを実感している。自分の生かされ方にはすでにこの世にはいない両親を初め、祖父母・妻の祖父母が関わっている。そして現世においては妻、恩師、友人らが関わっていることを実感している。

何故自分はこのように生かされているのか、その理由を自分は分かっている。この世において自分が果たすべき役割をまだ完全には果たし終えていないことも自覚している。

統計的な平均寿命まで自分が生きるとして、自分の余命は幾らであろうか。そう何十年もあるわけではない。いいところ10年前後というところであろう。

そう考えると、私は自分が果たすべき役割を第一優先にして日々の時間を費やすべきである。

自分の場合、それは遠い先祖からの期待に全てこたえることであることは明確に分かっている。既にその期待の大部分は、無明・無意識のうちにこたえることができている。残っているのは自分の家系のことを書き記す幾つかの書き物を完成させることである。そしてそれをわが「家」の文化として継承されるようにしておくことである。

自分の部屋に飾ってある自分の生母の写真や自分を中心に左右3人づつ並んだ従兄弟たちの写真を見ながら、今、その思いを改めて強くしているところである。

2010年12月11日土曜日

先端医療保険(20101211)


  保険会社Aflacから先端医療の保険について案内が送られてきた。昔、老妻がある会社に勤めていたころ会社の総務の方に勧められて入っていた新がん保険はまだ継続中であるが、それに加えて医療保険ではカバーしない先端医療の保険に加入することを勧めてきたのである。先端医療は固形がんに対する重粒子線治療、固形がんに係る悪性腫瘍に対する陽子線治療などである。これらは現在のところ医療保険の対象外である。

  保険というものは安心のため加入するものである。そのため一定の費用がかかる。家計も国の予算と一緒で、何に重点的に予算を振り向けるかということが重要である。あれもしたい、これもしたい、あれも要る、これも要るでは予算は幾らあっても足りない。老人はこの先端医療保険に加入するため一部のある交通傷害保険を解約することにした。それくらいではまだ足りない。その他いろいろ仕分けをし、支出を切り詰める必要がある。

  保険というものは本人が生きておれば自分がどんな保険に入っているかということは分かる。しかし本人が死んだら遺された者は予め手元に情報を持っていない限り分からない。例えば老人と老妻は年末年始田舎で介護を兼ねて過ごすが、その旅行のため利用する新幹線のチケットは国内の旅行で事故死した場合支払われるよう、チケットの代金はその保障があるカードで決済した。しかしそのことを子たちにはまだ知らせていないので、万一のとき彼らは余計な労力を払わせることになる。そこで老人は自分と老妻が入っている保険の内容を一覧表にまとめた。それを子たちに送っておくことにした。

   しかしそれだけでは不十分である。老人はある葬祭業の会社と契約していて一切の費用は払い込み済みである。そこへ連絡すれば映画『おくりびと』ではないが、全てうまくやってくれるようにしてある。二人の戒名も既にもらってある。それぞれ相当立派な戒名である。しかし何処かの寺に葬儀に来て貰うようにするとその戒名では出来ないと断られる可能性はある。そこで折角契約し、払い込み済みであるその葬祭業者と生前に打ち合わせておかなければならない。遺影の写真の準備や連絡先など、生前きちんとやっておくべきことは沢山ある。普通、それらのことは遺族が大変苦労して行っているのが実際である。

  「立つ鳥跡を濁さず」である。人は早かれ遅かれ必ず「あの世」に行く。そのことを他人事のようにして日々を送るのも人生、わが事のようにして日々を送るのも人生である。一日を一生のように思い、その日にできなかったことを次の日に行い、やり残しをできるだけ減らしてゆくように日々を送る方がしあわせである。

  そのように思い、今日一日を送ったとしても、明日白骨となるかもしれない。「そんなのは嫌じゃ」と快楽に耽り、一時の悦楽で忘我しても、時が経てば空しさだけが残るだろう。確か『地図が読めない女、説明しない男』という名前の本だったと思うが、以前、老人は本屋でそれを立ち読みしたことがあった。自分の人生が見えないのは「地図を読めない」のと同じである。つまり男であっても女々しい男である。

  ではどうしたら自分の人生を見とおすことが出来るだろうか?答えは、誰も自分の人生を見とおすことができないのだ。ただ、「誰でも早かれ遅かれ死ぬ」ということだけは誰でも理解できる。「地図を読めない」男女はお寺で坊さんの話を聞いた方が良い。

2010年11月1日月曜日

老朽化と死に支度(20101101)


  人間の体も一種の精巧な機械である。機械は長時間作動させ続けると徐々に老朽化してゆく。人間の身体の細胞は定期的に入れ替わり、怪我などで死んだ細胞が新しい細胞と入れ替わる。機械の場合は部品を取り換える。しかし人間も機械も寿命がある。

  機械は大事に使えば長持ちする。人間という機械も同様である。無理をすれば寿命が短くなる。かつて鉄道で使われていた蒸気機関車は退役後あちこちで展示されているが、鉄でできているため錆が進行し、いずれぼろぼろに壊れてしまう運命にある。人間も物質でできている以上、朽ちて姿・形が無くなって行く。人間は土から生まれ、土に還るというが、そのとおりである。

  一般に人間は73歳までは元気だという。73歳を過ぎると病気になりやすいのだという。老人は今73歳である。来年の誕生日以降老人の身体に何が起きるかわからない。気をつけなければならない。免疫力が低下すると途端に体調を崩しやすくなるだろう。「年寄りの冷や水」という諺があるが、年寄りは見かけが元気そうでも無理は禁物である。

  森重久弥は天寿を全うして他界したと言う。天寿を全うするということは、何も長生きしたというだけのことではない。人生において為すべき役割を果たしたということである。他界する年齢には全く関係がない。老人も今自分の役割を果たそうと日々心がけている。

  時間は誰にも共通である。人によって一日が例えば22時間であったり26時間であったりすることはない。誰にも共通の24時間である。この時間をどのように割り振って一日を過ごすかということが重要である。現役世代では、働くことに多くの時間を割かなければならない。例え自分が為したいことが別にあったとしても、働くためにその為したい願望を胸に秘めながら一生懸命働かばければならない。働くことがその時期の役割である。

  田舎のわが家の玄関の上り口の直ぐ見える所に、亡父が徳川家康公の遺訓を書いた札を掲げてある。老人は今、改めてその遺訓をかみしめている。遺訓は「人の一生は、重荷を負うて遠き道を行くが如し、急ぐべからず。不自由を常と思えば不足なし、心に望み起らば困窮したるときを思い出すべし。堪忍は無事長久の基、怒りは敵と思え、勝つことばかり知りて、負けることを知らざれば、害その身に至る。己を責めて人を責めるな、及ばざるは過ぎたるより勝れり。 」というものである。

  73年間動いてきた自分の体という機械は徐々に性能が低下し、機能が衰えてゆく。性能や機能の低下に対処して、道具や器具をうまく使ってゆこうと考えているが、そのうちにその気持ちも思考力も衰えて行く。つまり、体力も気力も知力も衰えてくるのである。遂には他人の助力を受けることなしには生きて行けなくなってくる。その日はいつか?

  老人は日々あの世に行くための支度をしてゆこうと思い日々を過ごしているのであるが、出来栄えは7割で十分だと思っている。7割できれば合格である。ある意味では‘いい加減’である。‘いい加減’でも死に支度をしないよりはずっと増しである。今のうちに為しておかねばと思う死に支度は沢山ある。しかしそのうち7割ができれば十分である。そのようにして今日も一日、宇宙の時間軸に沿って24時間が過ぎて行く。

2010年8月11日水曜日

幸せは‘物’でなく‘心’(20100811)


男はかつて過去には目を向けず、未来ばかり見ていた時期があった。過去を振り返ることは好ましい生き方ではないと思っていた。ところが今は過去を振り返ることが多く、未来を見ることは無くなった。唯一自分の人生のゴールをどう飾ろうかということばかり考えるようになっている。夢や希望はない。―と言っても男の心は明るく、日々楽しい。

もし自分が不幸せな暮らしをしていたならば、そのような心境にはならないだろう。男は恵まれすぎているのだ。かといって、金銭的に豊かでもない。しかし貧乏でもない。セレブが住む地域に住んでいるわけでもない。立派な家に住んでいるわけでもない。家の中に自慢できるような豪華な家具などがあるわけでもない。女房が高価な宝石をもっているわけでもない。家の中は簡素に綺麗に整えられているが、至極質素なものである。それでいて十分満ち足りているのである。よい家族、親戚、友人に恵まれて何一つ悲しいこと、さびしいこと、嫌なことがないのである。

男は物質では決して満たされることは無いと確信している。愛、思いやり、心の温かさ、平和、‘物’ではなく‘心’が幸せの根源であることを確信している。

テレビで‘孤独死’した人の遺留品の後始末やその人が住んでいた家の清掃を行う会社の仕事が紹介されていた。人は‘孤独死’と一言で片づけるが、決して孤独ではなくある日突然独りで死んだ人もいるだろう。ただ一般に家族と離れて独りで暮らす人にはそれなりの事情がある。人は明るい家庭で周囲の愛に恵まれて暮らしておれば‘孤独死’などしない。100歳前後の長命な人は必ずそのような明るい、愛に満ちた家庭で暮らしている。

では、何故世の中には暗い、さびしい、愛に飢えた家庭があるのだろうか。ある日突然襲ってきた不幸に見舞われる家庭があるのだろうか。それは偶然のことなのだろうか。

男も今後生きている間に不幸身見舞われないとも限らない。だから不幸になりそうな原因はすべて取り除くようにしている。とっくの昔車も手放した。「君子危うきに近寄らず」で、齢とって身体的・生理的能力が若い時に比べて相当落ちているので、車の運転はやめたのである。しかし、観光バスに乗っていて事故に遭わないとも限らない。

観光バスツアーも格安の値段だからといって飛びつくと、運転手が何日間もたった一人で長距離運転しているから安いことに気づく。それも毎朝の出発が早く、疲れがとれないだろう。危険である。だから男はもうそのようなツアーには参加しない。

格安の航空会社も老齢の飛行機の機体の金属疲労が心配である。パイロットの技量が心配である。会社の安全管理体制が心配である。安ければ良いというものではない。

そのようにして最新の注意を払っていても、ある日突然不幸に見舞われないとも限らない。それは‘運命’という一言で片づけられる。果して‘運命’なのだろうか?

では神仏への信心が良ければ‘運命’は良くなるのだろうか?とあれこれ思いめぐらすと、世の中には幸せな人と不幸な人が、なにか人智を超えたもので操られて分けられているのではないだろうか、と思う。釈尊は我々に何かを教えておられるように思う。

2010年7月26日月曜日

ブッダ『感興のことば』を学ぶ(128) (20100726)

これからいろいろやっておかなければならぬことがある。

ひとつはわが家の遠い先祖に関することをA4用紙3枚程度にまとめ、印刷し。従兄弟・従姉妹たちに配ること。特に子供のときしか会っていない従弟でわが家と名字が違う者には傍系であるがわが家のY遺伝子が伝わっているので、彼には良く話しておかなければならない。来月お盆の時期に一部の従兄弟・従姉妹が顔を合わせる機会があるので、そのときがわが思いを実行するスタートの機会となる。

もう一つは男及び女房個別に、幼い時からの写真とともに生涯の主な写真と説明文を作り、コンピュータに保存しておくこと。これは男及び女房がいずれかの日あの世に逝ったとき、子たちが男及び女房の人生を見ることができるようにするためである。

女房は、自分の葬式はごく限られた身内だけで行うのがよいと希望している。男も同感である。その日が何年後か何十年後かわからないが、葬式に一切の見栄は望まない。その時、子や孫たちが、男が遺したコンピュータ内の資料を開いてどのように見るかということはどうでもよい。自分の一生の締めくくりをきちんとしておくことが男の作業の目的である。

このように目標を定めて、余生は天寿を全うするように大事に生きる。生きている間をできるだけ幸せで楽しい美しいものにするよう努力する。「一所懸命に生き、一所懸命に死ぬ」これが素晴らしい生き方であると男は思っている。

昨日(25日)は大分駅前から高速バスで約1時間で大分空港に着いた。途中美しい風景を眺めた。車中、女房はまだ若いころ帰郷時親代わりのようにしてくれた叔父叔母がいつも車で空港まで送ってくれて、いろいろ沢山の土産物を買ってくれて、飛行機の出発まで時間があるときは途中杵築の町に立ち寄ってくれて城などの観光見物をさせてくれたことを男に話してくれた。昨日その叔父叔母の孫が結婚式を挙げ、夕刻よりその披露宴が行われたのである。男と女房が自分たちの孫の結婚式まで生きているどうかはわからない。多分生きているだろう。しかし今3歳の孫のときはどうであろうか。

ブッダ「感興のことば」はそろそろ終章に近づく。今年1月23日から始めた『ブッダ「真理のことば」をまなぶ』に続き「感興のことば」も学んできた。この「ことば」は約2500年前釈尊が語られたことを記録したもので、その後仏教の教学が確立する大本になったものである。「真理のことば・感興のことば」の中でその仏教の教学に直接かかわることばについては、やや難しいのでこのブログではあまり取り上げなかった。この『「感興のことば」を学ぶ』を終えた後、教学に関する部分を学びながらブログを書き続けようと思う。

「まとめの句」:

(1)無常と(2)愛欲と(3)愛執と(4)はげみと(5)愛するものと・・・途中省略・・・(30)楽しみと(31)心と(32)修行僧と(33)バラモンと、―――これらの33であると伝えられている。正しく覚った人の説かれたこれらの章とまとめの句が終わった。

2010年7月11日日曜日

ブッダ『感興のことば』を学ぶ(113) (20100711)


午前中また川の周りを散策した。高啓の「胡隠君を尋ぬ」さながらに、川沿いの路を歩き、橋を渡り、また橋を渡り、路沿いに咲く花を見、また別の花を見、楽しみながら歩いた。途中、川原の広場で高校の野球部の生徒たちが教員の合図で一斉に、声を出して足腰や体の動きを練る運動をしている様子を見た。土手の下に小さなテント一つ張ってあり、大人が2、3人いる。女性が一人いる。彼女は飲料などのサービスをするのであろう。生徒たちは運動して一休みするとき、そこで飲料など貰うのであろう。若い時にそのように集団で訓練を受けることは非常によいことであると思う。

川沿いの風景はとても良い。川幅50メートル位の流れもゆっくりした川であるが、雨天のときは増水する。昔はこの川は氾濫していたらしく、増水時に犠牲者も出ていたらしい。川沿いに無縁仏の祠があり、誰かがときどき花などを上げている。現在は防災工事もしっかりしていて、急な増水があったときのため、地下に直径9メートルほどのバイパス水路も完成している。また災害時人員物資を運ぶことができるように、川岸の一部に舟が接岸できるようなポートも出来ている。

この川沿いに建つマンション群の一つに24年前完成した世帯数28戸、7階建ての小さなマンションがある。男は24年前、転職を機にこのマンションの東角7階の1室を購入して移り住んだ。北、東、南の3面が窓であり、前に遮るものが何もないので風通しがとてもよい。初め4人家族で住んでいたが息子たちはそれぞれ早々と独立したので、今は女房と二人だけで住んでいる。時々遠隔地に住む息子やその家族が来て泊ってゆく。

初めこのマンションが出来たとき、辺り一帯は綺麗ではなかった。その後次々マンションが建ち、家々も逐次建て直され、あるいは新たに建てられて、川辺の風景はとても綺麗になった。24年前川沿いの土手に植えられていた櫻並木も大きくなり、キンモクセイの一種であろうが花の香りがしない樹木の並木も大きくなり、春ともなれば一帯は家族や職場の仲間で野外パーティを楽しむ人たちを見かけるようになった。

男の部屋と隣りの女房の部屋は角部屋で、窓を開けると眼下にその川が見える。2面に窓があり風通しがよく明るい部屋である。このような住環境は田舎では得られない。男は時々田舎で暮らしたいと思うことがあるが、いざ田舎に住むとなると失うものが多いと思う。第一女房の幸せを奪うことになる。田舎は田舎でまた良いところが多いのであるが・・。

男は、自分がいよいよ「あの世」に近づく頃には、良寛さんのように自分だけの庵に閉じこもり、良寛さんの庵には無かったと思うが自分の庵には大きな仏壇を置き、毎日経を上げて修行僧の真似をしながら過ごしたいと思う。その時までは、世俗の垢にまみれながら、しかし自制しながらできるだけ仏に近い生き方をしようと思う。しかし、男は自分の最期の時まで遂に完全なニルヴァーナを得るには至らないと思う。輪廻は繰り返すだろう。

41 心が永久に静まり、実体についての固執を絶ち切った修行僧にとっては、生れを繰り返す輪廻が滅びている。今や迷いの生存を再び繰り返すことはない。

2010年7月3日土曜日

ブッダ『感興のことば』を学ぶ(105) (20100703)


分子生物学関連の最新知識を得るため、インターネットでいろいろ調べる。入手する資料の中で色刷りものはキャノンのプリンターで印刷しようしたが、プリンターの調子が悪い。うまく印刷できるときもあるが、しばしば「電源を入れ直せ」と指示が出てエラーになる。それでも騙し騙しなんとか動かして必要な資料は得た。モノクロで良いものはブラザーのレーザープリンターで資料を得た。

入手した資料の内容は、ミトコンドリアDNA、遺伝子刷り込み、DNAのメチル化、ES細胞、ips細胞、恐怖記憶を思い出すときの脳内アクチビン活性などのである。結構分厚い資料となった。これらを丹念に読み、男の哲学のテーマ「現代の自然観と仏教」に関する思索を深めて行こうと思う。

それにしてもカラープリンターの作動が良くないのはこの蒸し暑さのせいだろうか。以前からときどき調子が悪いことがあったが、それが頻繁になった。これはやはりメーカーの修理部門に問い合わせ、要すれば修理に出さざるを得なくなるかもしれない。

コンピュータやその周辺機器は知的作業の道具である。その道具の調子が悪いため無駄な時間を浪費するのは馬鹿げている。そう思いながらもドライバーソフトウエアをアンインストールして新たにダウンロードして使ってみたり、ケーブルを取り換えてみたりしていろいろやってみた。それはそれで勉強にはなる。

毎日適度な運動はしなくてはならぬ。そう思い一端きりをつけウォーキングに出る。川の周りを5000歩ほど歩く。土手に生え茂っている背丈の長い雑草が風に揺れている様を見、道のわきのフェンス越しに顔をのぞかせる赤い花を見、川面の水の揺らぎを見ると、曇天で北寄りの風が吹いているためか秋を感じる。子供の頃の風景を思い出す。

宇宙の時間の流れと共に万物は生成消滅を繰り返しながら生命を繋いできていて、吾もまたその過程の途上にある。別に感傷的になっているのではなく、自然の有り様を素直に受け止め、若竹の時は遠く去り、炎熱の盛りもとっくに過ぎ、今「あの世」に向かって歩んでいる。その「あの世」が分子生物学で解明できないかと男は思って、まあ、科学者たちは「馬鹿なこと」と笑うであろうことを、大真面目で考えている。

女房はCDでヴォーカリスト徳永英明の歌を聴きながら夕餉の支度をしている。「ご飯ですよ!」との声、男はキーボードを叩くのを一端切りをつけて、食卓に向かう。

ブッダ「感興のことば」第32章「修行僧」

3 一切の業をすて去り、以前に造った塵を振い落し、「わがもの」という観念がなく、つねに自己が安住している修行僧には、人にむかってしゃべる必要がない。


20 仏の教えを喜び、慈しみに従する修行僧は、見るも快い、静けさの境地に到達するであろう。

男は、当面の最善の生き方として、自ら在家の仏弟子になったつもりになり、できるだけ隠居・遁世しようと思う。多少我儘・身勝手、義理を欠くことを敢えてしてまでも・・・。

2010年5月3日月曜日

ブッダ『感興のことば』を学ぶ(44) (20100503)

人はその一生において予め定められた役割というものがあると思う。それは運命のようなものである。それは天地神明に誓って誤りのない正しい役割である。もしその役割を当の本人が気づいていれば、彼または彼女はその役割を果たすため最善の努力をするだろう。NHK大河ドラマで『篤姫』というものがあった。篤姫はその典型である。
歴史に名を残すことのない無名の庶民であっても、例えばある人が父親となり母親となり、自分の子供を立派に育て上げ、社会に送り出すことは、自分たちに課せられた役割であると自覚しておれば、彼らはその役割を果たすために真剣に努力するであろう。
自分に課せられた役割が何であるかということを、まだ幼いころから親に言い聞かされていれば、その子は成長するに従っておのずとその役割を果たすべく努力するようになるであろう。此の親にして此の子ありである。
かつて女性は嫁として他家に入り、親子三代の家族が同じ屋根の下で暮らしていた頃は、家風というものが子供に自分の役割を自覚させることができたと思う。勿論、どの家庭でも皆同じようであったというわけではない。しかし、子供の特性をよく見抜き、その特性を伸ばすように家族の皆が考えるような家風があるところでは、きっとその子供は立派に育ち、成人して期待どおりに役割を果たす人物になるに違いない。
息子の特性を無抜き、息子の将来を考慮して「お前、あれと一緒になれ。」と言った父親の言葉に従い一緒になった。その女性は夫によく尽くし、家庭をよく守り、息子たちを立派に育て上げた。自ら気づくことなく滅亡しかけた名門旧家を立て直すため貢献した。その父親は無意識のうちに家系の立て直しを息子とその女性に託したのであるが、その無意識はこの世にいない遠い先祖の願望であった。
現代人は目に見えない世界のことを信じない。頭脳の深奥にある動物的な欲望に支配されて、他者を押しのけ、陥れ、法を犯してまでも自分の欲望を満たそうとする。しかし目に見えない世界からの声を聞き、正直に、まじめに努力する者には、「偶然の幸運」も決して偶然ではない。それはそのとおりになるべくして起きた幸運であると信じ、その幸運を与えてくれた目には見えないものに対して素朴な感謝の気持ちを捧げる。
ついでながら、よく世間に「似た者夫婦」という言葉がある。結婚相手に「親に似た人を連れてくる」という言葉がある。仲の良い夫婦は年輪を重ねるにつれてどことなく雰囲気が似てくるものである。動物がお互い気に入った相手としかつがいにならないのは遺伝子の仕組みがそうさせるのだろう。人間でも同じである。芸能界で良くみられるように、極端に違うカップルは長続きしない。情報通信・交通の発展につれ結婚する相手の範囲が広がっても、遺伝子的に折り合わない者同士の結婚は結果的に少ないと思う。
ブッダの言葉を聞き、修行を心がける者は、誰でも幸せな人生を送ることができると思う。
7 「一切の形成されたものは空である」と明らかな智慧をもって観るときに、ひとは苦しみから遠ざかり離れる。

2010年4月29日木曜日

ブッダ『感興のことば』を学ぶ(40) (20100429)

このブログで自分の写真とともに若干の個人的情報を含むプロフィールを公開していることについて考えてみる。
初めのうちは極めてひかえめであったが今のようにしたのには理由がある。一つは70歳を超えてあの世に向かって突き進んでいる今となっては何も恥じることも隠すこともないと思ったことである。これまで生きてきたが天皇陛下や内閣総理大臣からは到底あり得ないにせよ、せめて自治体の首長からでも何か表彰を受けるような社会的貢献をしてきたのではないし、若い時に何処かの大学生活をして卒業して社会に出てサラリーマン生活を送ってきたわけでもないし、なにか著作があるわけでもない。社会に向かって何か自分を飾って見せる必要は全くないのだ。
あの世に向かってもう少し勉強しよう、そして私がやがてある日この世を去ったあとでもこの世を生き続ける子や孫たちに私が生きた証を遺し、多少の教訓を垂れておきたい、そう考えて、毎日が日曜日のような暇にまかせて「随筆」というのもおこがましいがこの『日々是支度』を毎日書き続け、毎月予め決めてある吟題の詩吟をブログ『吟詠』で公開し、週1回陶芸をやり、その作品で気に入ったものなどが出来たとき英語の勉強も兼ねて『Ceramic Art』で発表している。
この4月から放送大学に再入学し、「分子生物学」と「生物界の変遷」の2科目をとって勉強している。その目的は私が多少学んでいる仏教の哲理がこの最新の科学と融合するところはないか探ってみたいからである。その目的のためにBiglobeで「現代の自然観と仏教」というタイトルのブログを出している。
私の仏教への思い、「仏教は人々の悩みを救う」という思いを、私なりのやり方で少しでも多くの人に知ってもらって、何かを得てもらえれば、私も多少なりとも世の中の役に立つと考えた。しかし、実際に役に立っているかどうかについて知りたいとは全く思わない。勝手に自分の思いを公に出して、自己満足しているだけである。
だが、物騒な世の中、あまり自己をさらけ出すのは考えものである。プロフィールについては修正を加え、写真も削除し、公開も限定することにした。
ブッダ「感興のことば」第9章は途中飛ばして第10章「信仰」に移る。
1    信ずる心あり、恥を知り、戒めをたもち、また財をわかち与える。これらの徳行は、尊い人々のほめたたえることがらである。「この道は崇高なものである」とかれらは説く。これによって、この人は天の神々の世界におもむく。
2    物惜しみする人々は、天の神々の世界におもむかない。その愚かな人々は、分かちあうことをたたえない。しかしこの信(まこと)ある人は、分かちあうことを喜んでいるので、このようにして来世には幸せとなる。
*「信(まこと)ある人」は、教義を信仰する人という意味ではなく、「心のすなおな人」の意である。

2010年4月7日水曜日

ブッダ『感興のことば』を学ぶ(18) (20100407)

人は袖触れ合うごく僅かの限られた人だけにしか愛を示すことはできない。そのほかの不特定多数の人に対しては、自分の意識を拡大して喜怒哀楽の感情を共有するだけである。例えばハイチ大地震の被害者に対して、同情の気持ちを持つことができ、幾ばくかの義捐金の寄付を申し出ることはできるが、自分自身が現場に居ない限り、現地の被災者を直接愛することはできない。つまり感情が直接伝わらない。
そのことに限れば、それは普遍的宗教の開祖となった釈尊でもイエスキリストでも同じである。釈尊の場合もイエスキリストの場合も弟子たちが師の教えを聞き、師の実践を直接観てそのことを記録し、弟子たちが集って師の教えを整理し、記録し、教えを広めたからそれぞれの普遍的宗教になったのである。誰でも人は直接触れ合う人たちしにか、直接愛の行為を示すことができないのである。
自分にとって一番身近な人は家族である。夫であり妻であり、親であり、子供であり、兄弟姉妹である。その一番身近な人を失ったとき、人は悲しみ、悔やみ、嘆く。しかし、そのときまで一番身近な人に、自分でできることをしてその人を喜ばせてきたならば、その悲しみや悔やみや嘆きは少ないであろう。妻として、母親として、ある程度は身を削る思いをしながらも、まあせいぜい8割ぐらいの出来であれば、夫や子供に対する自責の念を抱く必要はないと思う。誰でも完璧にはできないと思うからである。
今まで何をして来たのだろう、これまで自分がしてきたことは何だったのだろう、と自らを責める必要はない。悩み、苦しみながらその対象の人に尽くしてきたならば、それで十分である。その人が逝ってしまってこれからどう生きて行こうかと考えるとき、これまで関わってきたものをすべて捨て去って再出発しようなどと思わない方が利口である。そのようにして捨て去ろうとした対象の人は「何故?自分は何か不都合なことをしただろうか?」と戸惑うだろう。戸惑わせることはまた自分自身の苦悩の種になるだけである。
ものごとに執着せず、無の精神になって、宇宙と一体となって動く、そのような状態になれば、人は誰でも幸せになることができるのではないだろうか?己にぶつかってくる‘気’のような目に見えない力を感じ取り、それに逆らわず、己のすべて、手足や関節にいたるすべてが丸く、丸く、円を描くように自然の動きに合わせて回り、曲がる。そのように気をあわせて無理なく自然に回り、曲がることができれば、ものごとは上手く運ぶであろう。さりとて一応は、己の‘気’の力を示しておかなければ相手は己を侮るに違いない。
後は、「去るものを追わず、来る者を拒まず。」日々悠々と己の最期まで生きるのみである。
ブッダ「感興のことば」第3章に移る。
1 あれこれ考えて心が乱され、愛欲が激しいのに、愛欲を浄らかだと見なす人には、愛執がますます増大する。この人は実に束縛の絆(きずな)を堅固ならしめる。
2 人の快楽ははびこるもので、また愛執で潤(うるお)される。実に人々は歓楽にふけり、楽しみをもとめて、生れと老衰を受ける。

2010年3月21日日曜日

ブッダ『感興のことば』を学ぶ(1)(20100321)

ブッダ「真理のことば」の詩は全部で423あった。長い日数をかけてゆっくり読んでいったが、私なりに得るところは非常に多かった。今から約2500年前のお釈迦様の語録であるパーリ語の原典『ダンマパダ』が中国の三国時代(220280年)の呉の国で漢語に翻訳されたものが『法句経』である。中村元や友松円諦ら現代の学者はその『法句経』を参考にパーリ語やサンスクリット語の原典から再翻訳したものが『真理のことば』である。これまで「真理のことば」と書いてきたが、釈尊の語録として『』で囲むべきであった。
今から約700年前夢窓疎石という人は「一日の学問千載の宝、一書の恩徳万玉に勝る」と足利氏ら当時の指導者に説いている。今に生きるわれわれ日本人はこのような先達に恵まれていることを大変有り難く思わなければならないと思う。(関連記事:2009102日金曜日、「夢窓国師の作詞『修学』(20091002)」、関連吟詠:http://takaban.seesaa.net/2月の吟題『修学』(夢窓疎石)」)
情報過多で巡るましく変わる現代社会にあって、われわれはとかく自己を見失いがちである。かくいう私自身もそうであった。今毎日が日曜日のように日々を過ごすことができる身分になって、初めて先達の有り難さが身にしみて分かるようになった。
今から約800年前、西行は「一日を一生として興究(きょうきわま)りなし、老楽はただ至善を行うにあり」と詠った。古の賢人たちは「幸せな生き方」の根本がブッダの教えにあるとよく分かっていた。(関連記事:20091210日木曜日、「老楽は唯至善を行うにあり(20091210)」、関連吟詠:http://takaban.seesaa.net/1月の吟題『至善』(西行)」)
そういう人たちは若い時から先輩の教えに導かれ、勉学にいそしみ、自らに厳しく修行し、その結果会得し、そして会得したとおりに無為自然のうちにできるように体得し、最も幸せな生き方が何であるかということを書き物により後世に遺した。そのような本当の宝が今を生きるわれわれの手の届くところに散らばっている。それを求めようと思えばすぐ手に入る。こんな有り難いことはないのだ。日本は有り難い国なのだ。
私はその宝を大事に頂きながら、現代人の精神の混迷を無くす道が何であるか探ってゆきたいと思う。まるで視力を失った人が象をなでてそれが何物であるか分かろうとするようなものである。私にとってとてつもなく大きな課題である。

ブッダ『感興のことば』第1章の題は「無常」である。
冒頭に「円満な完成!」と書かれている。
1      この世で、心が暗くふさぎ込んで眠くなるのを取り除いて、心を喜ばせ、勝利者(=仏)の説かれたこの感興のことばをわれは説くであろう。さあ聞け。

訳注によれば、『感興のことば』はブッダが感興を催した結果、問われないのに自ずから表明された言葉であるとされている、とある。

2010年3月20日土曜日

ブッダ「真理のことば」を学ぶ(57(20100320)

ある合唱団の代表からその合唱団の20周年記念公演の案内状が来た。その合唱団の名前はフランス語で、日本語では「三人の友人とそれ以上」という意味である。その合唱団は私の中学校時代の友人(女性)が立ち上げ、自ら指揮している。このたび5年ぶりに演奏会を行うとある。彼女には年賀状以外連絡はないが、久しぶりハガキに一筆書いて出そう。
懐かしくもあり、今回は是非在京の同級生たちに声をかけて一緒に応援に行こうと思う。ただ、別府で行われる同級会に参加して帰ってきた翌日のことなので、少しきついところがある。でもこれが5年ぶりの、しかも合唱団創立20周年記念公演でもあるので、是非行かなければならぬと思う。お互い72歳、彼女がそのように活動していることは喜ばしい。
私と彼女は中学校時代の音楽の先生を通じた共通の思い出がある。その音楽の先生は美人であったが若くして他界してしまった。私はその先生が担任であった組に所属していた。教室の後ろ壁の上のほうにシューマン、シューベルト、モーツアルト、ベートーベン、バッハなどの音楽家たちの肖像画が掲げられていた。私はその先生の影響もあってのことだと自分では思うが、『新クラシックの快楽』とか『名曲観賞辞典』とか『音楽用語の知識』などを買ってたいして読みもせず書棚に飾ったままにしてあるが、この際それらを取り出してページをめくってみた。
彼女が指揮する演奏種目の作曲家についてそれらの書物に出ていない人がいる。荻久保和明とかW.アンドリーゼンとかF.プーランクなどである。そこでインターネットで調べた。作曲家の名前など調べて暇なんだなと思われそうであるが、調べてみると「ああそうなんだ」と分かる。分かって何に役立つか、いずれ忘れてしまうかもしれない。しかし、何も知らずに演奏会を聴きに行くよりは善いだろう。調べるのにたいして時間がかかるわけでもないのだから。それに久しぶり会う友人に対する敬意、礼儀でもある。
前にも書いたことがあるが、今ここに生きている‘私’という一個人は、可視出来る姿、物質としての‘私’だけではなく、可視出来ない私の心のありよう、意識、思考、精神としての‘私’もいる。さらに、その非可視の部分には、遠い過去から遠い未来までの大きなものがあり、その大きなものの中心に、それらの‘私’、つまり物質としての‘私’と精神としての‘私’がある。そしてそれらの‘私’を包み込む大きな非可視のもの、つまり遠い過去から遠い未来までのものは、宇宙の時間軸にそって動いている。‘私’を包み込む大きな非可視のものを一つの球体とイメージすれば、その球体が動いている。
この物質としての私、肉体としての私は朽ちて行くが、それは精神としての私とともに過去から受け継がれたものである。そして子孫を通じて未来につないでゆく。伴侶によって得られた私の子孫に伝わってゆく。それが生と死の有りようである。
ブッダ「真理のことば」は次の一つで終わる。次は「感興のことば」である。
425 前世の生涯を知り、また天上と地獄を見、生存を滅ぼしつくすに至って、直感智を完成した聖者、完成すべきことを完成した人、かれをわれは〈バラモン〉と呼ぶ。

2010年2月7日日曜日

ブッダ「真理のことば」を学ぶ(16(20100207)

第十章 暴力
131 生きとし生ける者は幸せを求めている。もしも暴力によって生きるものを害するならば、その人は自分の幸せをもとめていても、死後には幸せが得られない。
132 生きとし生ける者は幸せを求めている。もしも暴力によって生きるものを害しないならば、その人は自分の幸せをもとめているが、死後には幸せが得られる。

釈尊は過去世が有るとか無いとか来世が有るとか無いとか形而上学的な論議をすることを戒められて「無記」とされた。そういうことを議論するのは実践上全く役立たないからである。しかし、上記のように死後の世界のことを述べられている。昨日書いた「126 或る人々は[人の]胎内に宿り、悪をなした者どもは地獄に堕(お)ち、行いの良い人々は天におもむき、汚(けが)れの無い人々は全き安らぎに入る。」ということばの中にも死後の世界のことが語られている。男は釈尊は深い瞑想により時空を超越して過去から未来まで見ることが出来たのだと思う。そしてそのことを男は堅く信じている。
しかし男は、いわゆる何かの宗教を‘信仰’するということではない。釈尊をはじめ釈尊のお弟子さんたち、そして仏教を学び修行し、ある高いレベルの状態に達した高僧たち、例えば鎌倉から南北朝の時代、北条家、足利家、後醍醐天皇から深く帰依され、世に七朝の帝師と仰がれた夢窓国師が語られていることを少しも疑わず、信じているだけである。男が何度も読む『夢窓国師 夢中問答集』(講談社学術文庫)という本の中で良く出てくる言葉は「今生」とか「前世」とか「来世」とかいう言葉である。夢窓国師はこの問答集の中で「人界(にんがい)に生(しょう)を受くる人、貴賎異なりと云ふとも皆これ前世(ぜんせ)の五戒十善の薫力なり。」と述べておられる。
男は、仏(ブッダ、釈尊)と法(ブッダによって説かれた教法。Dharma、ダルマという。)と僧(ブッダに代わって民衆に仏教の理論や実践を伝え、民衆を指導教化する出家者の団体。sangha、サンガという。)(以上『仏教要語の基礎知識』(水野弘元著、春秋社)より引用。)、つまり‘仏法僧’を心から敬うことの幸せを感じている。
ところで、5日、衆議院予算委員会で自民党の石破氏と伊吹氏の発言とその発言を真摯に受け止めていた鳩山氏始め各閣僚、そして多少の不規則発言はあったが、伊吹氏の時には殆どそのような発言は聞こえず民主党の若い議員たちもよく耳を傾けていた状況を見て、男は日頃不安に感じていた気持ちがかなり和らいだ。民主党には党の綱領もなく、同好会や運動部のようにリーダーの指示に従い、この国を何処に持って行こうとしているのか判らない不気味さが漂っているが、それが特に長老伊吹氏の発言で幾分晴れてきそうな感じに思えた。伊吹氏は‘若い’宰相鳩山氏を‘爺’のように諌め、導いているようであった。石破氏は政権を取ったばかりで経験の浅い民主党議員、鳩山氏始め閣僚たちに、‘教師’が生徒たちを指導しているような感があった。男は今夜は心地よく眠れそうである。

2010年2月4日木曜日

ブッダ「真理のことば」を学ぶ(13(20100204)

 第七章の題は「真人」である。訳注によれば、「真人」とは、「arahant.サンスクリットでは、arhat.尊敬さるべき人、拝まれるべき人、尊敬供養を受けるべき人の意。修行を完成した人。漢訳では「阿羅漢」「羅漢」などと音写する。「応供」、「応真」とも訳し、意訳して「真人」ともいう。」とある。

 とかく仏教の用語は難しい。われわれ凡人が仏教に親しもうとしても、なかなか取り付きにくい。でも、男は「阿羅漢」の意味がパーリ語のarahantの音写であること、その意味が「尊敬さるべき人、拝まれるべき人、尊敬供養を受けるべき人、修行を完成した人。」であることを知った。修行を完成しないと阿羅漢にはなれないのだ。

 となると、男のように煩悩を断ちきれない者はちょっとやそっとでは阿羅漢に列せられることはできない。しかし、人生の旅路の終わりごろになれば、煩悩も断ち切れるかもしれない。人は、必ず訪れる人生の最期に向けて、すこしでも涅槃の心境に近づくように努力すべきものなのだ。それは、政治家でも学者でも宗教家でも皆同じなのだ。

90 すでに(人生の)旅路を終え、憂いをはなれ、あらゆることがらにくつろいで、あらゆる束縛の絆(きずな)をのがれた人には、悩みはそんざいしない。
96 正しい智慧によって解脱して、やすらいに帰した人、そのような人の心は静かである。ことばも静かである。
97 なにものかを信ずることなく、作られざるもの(=ニルヴァーナ)を知り、生死の絆(きずな)を断ち、(善悪をなすに)よしなく、欲求を捨て去った人、かれこそ実に最上の人である。

 「智慧」という用語について『仏教要語の基礎知識』(水野弘元著、春秋社)によれば、智慧には世俗的なものから仏の最高の智慧までいろいろなものがあるということである。その段階の一つに、「初歩の悟りの智慧」があり、その上の智慧は「阿羅漢の智慧」である。仏教の最後の目的は悟りの智慧を得ることにある。最澄や空海の時代には智慧について学ぶにもよい書物やよい師はなかなかいなかったであろう。今の時代には男のような凡人にも理解できる仏教関係の書物が沢山ある。これは大変幸せなことである。
訳注には、「解脱」とは「束縛を離れた自主の境地である。」とある。束縛を離れ

 るにはどうしたらよいか、ブッダはその体系について教えて下さっている。『仏教要語の基礎知識』や『仏教の基礎知識』(いずれも水野弘元著、春秋社)にはその体系のことが説明されている。仏教について学ぼうという気持さえあれば、まして人生経験を積んだ老人であるならば、それを学ぼうとしない人よりも早く、ある程度の「智慧」を身につけることはできる。

男 は女房とともに、ついこの間100歳になられたある在家の僧侶の方から戒名を頂いた。その戒名に恥じないように「智慧」の習得・会得に努めなければならないと思う。

2010年1月9日土曜日

「至善」に生きる(20100109)

街を歩いていると「○○経営事務所」とか「△△経営研究所」とかの看板を掲げている家を見かけることがある。男はこの人たちは何の経営について事務を行ったり、研究したりしているのだろかと疑問に思う。おそらく株の取引をしたり、一定の金を払って手に入れた名簿をもとに株や金などの取引について話を持ちかけたりしているのだろう。ある日、その看板を掲げている家から70近くの一人の男が出て来た。見ると青白い顔をしている。家の中にばかり閉じこもってばかりいて陽にやけていないためだろうと思う。
男もこのところ田舎に帰っていて外歩きをしていなかった。田舎に帰る前ごろから鼻風邪に罹っていて、多少健康を害していた。その中女房も風邪を引いた。大晦日に男は「小青龍湯」という漢方薬を飲んで鼻水を抑えていた。元日には雪が降り、日中気温は零下6度にも下がっていた。あまり太陽に当たらずにいた。鏡をみると青白い顔に見える。女房も元気がない。体温は微熱であるからインフルエンザではない。
太陽に当たり、晴耕雨読の日々をおくるならば健康的であるだろうが、老老介護のように70前後の夫婦が90代の婆さんの世話をするため盆・正月に田舎に帰るのは健康的ではない。女房は昨年の盆に帰省以後体調が芳しくない。男もアップロードした自分の吟声を聞いてみると昨年の盆ごろからの声には、気のせいか張りがないように感じる。
これではいかんと、今日もお天気が良いので体調回復の自主トレを始めた。昨日も家の近くの川の土手を一周したが今日も同じことをした。今日はさらに川べりの葦の茂みの中を分け入り、後ろの道をウオーキングする人から見えないように奥の川面の傍に出て、そこで発声練習をし、西行の『至善』などの吟詠をしてみた。
初めの頃は高音域になると声量が低下し声音が響かない。しかし徐々に良くなった。何日も大きな声を出さずにいると発声に必要ないろいろな筋肉が衰えてくることはこれまで経験的に判っていた。しかし、この2週間以上、田舎に帰っていたこともあり声を出すことを憚っていた。しかし今日は川に向かって大きな声を出した。葦の茂みに遮られている道を歩く人達には男の声は良く聞こえている筈であるが、男の姿は見えない。誰が声を出しているのかとわざわざ覗きに来る人も居なかった。川の向こう岸ではアオサギが1羽じっと川の面を見つめている。野良猫が1匹、そばで小魚でも捕ろうとしているのか体を低くして川面を睨んでいる。それを見つめながら男は吟声を出して詠った。
新聞には小沢氏が4億円の出所について検察から事情を聴取されることになりそうであると書かれている。前にもこのブログに書いたが検察がきちんと公正に調べれば、小沢氏は失脚することになるだろう。(関連記事:「鳩山首相の緊急記者会見(20091226)」)
男は政局に関心を持ちながらも加齢とともに日々余計な時間を費やしたくない。ひたすら自らを拠り所として仏の教えを学んでゆきたいと思う。そう思って書棚から筑摩書房刊、中村元編『原始仏典』など仏教関係の蔵書を毎日少しずつ読んでゆこうと思う。釈尊は「自らを洲(しま)とし、自らを拠り所として、他を拠り所とせず、法を拠り所として、他のものを拠り所としない」(『大パリニッパーナ経』二・二六)(NHK市民大学『釈迦とその弟子』1988年より)という。今年からは、男は西行の『至善』のように「一日を一生として」生きることの素晴らしさをじっくり味わってゆきたいと思う。(関連記事:「詠って元気になる「至善」(20091225)」)

2009年12月19日土曜日

過去をふり返る(20091219)

  多分10数年前ごろまで男は過去を振り返ることよりも常に未来に目を向けていたと思う。その見方は現世における過去であり未来であった。ところが今の男は現世の過去だけではなく過去世の過去も振り返り、現世の未来だけではなく来世の未来まで目を向けるようになっている。振り返る目も眼、目を向ける目も眼である。

  眼と目との違いについて、‘眼’の右側の字は『学研漢和大辞典』によれば「小刀で彫ったような穴にはまっている目。一定の座にはまって動かない意を含む。」とあり、‘目’は「瞼に覆われている目」のことである。また『広辞苑』によれば‘眼’には「ものを見分ける力、目のつけどころ」という意味があり、‘目’には「ものを見る働きをするところ」という意味がある。‘心’と‘眼’を組み合わせた語である‘心眼’は「物事の善悪、是非を見分ける心の働き。物事の本質を考える心の働き。」とある。

  今日(18日)の読売新聞朝刊に死生観について識者へのインタビューの記事が出ていた。男は花園大学教授佐々木閑氏の「皆同じ道を歩んでいる」という記事に興味を持った。

  仏教は心の在り方や心の持ち方について説いている。2500年前釈尊が説かれた人間の生き方に関する教え、仏教はその後弟子たちによりまとめられ諸法則をまとめた一つの大きな体系として現在に至っている。仏教の経典には人間の生き方の智慧が詰まっている。

  男は電子通信工学を学びその道で月給生活を送ってきて60歳の定年を迎えた後10数年生きてきたのであるが、仏教が説く「輪廻」とか「業」とか「転生」を固く信じ込んでいる。それでも一時期、精神は物質により生じるものであると唯物論的な考え方をしていたことがあった。分子科学のレベルで見ると精神は物質により生じるのだと考えていた。しかし、そのような考え方では人生は味気なくつまらないものになってしまうと気付いた。
釈尊はそのような考え方を「無記」とされた。釈尊は、時間を超えて永遠に存在する本体といわれるものは時間・空間の中に生滅変化して存在する現象世界とは別個の存在であるから、その本体が「ある」とも「ない」とも認識・判断することができないので問題にすることを禁じ「無記」とされたという。(『仏教の基礎知識』水野弘元著、春秋社刊より。)

  佐々木氏は「‘輪廻’や‘業’を含めた釈迦の世界観をすべて受け入れることは難しくても、‘法則に従って世界をみる’という視点は現代科学の姿勢と極めて共通するものがある」と言っている。さらに「死に向かう一人ひとりの歩みは孤独であるが、大事なのは‘みな同じ道を歩んでいる’こと。今後はいかに生き、死ぬかという問題を語りあう‘組織’が必要になるだろう。」と言っている。

  男は佐々木氏が提唱する「いかに生き、死ぬかという問題を語りあう‘組織’」について、昔はお寺がそのような役割をしていたと思う。男が子供の頃、祖父母たちはお坊さんの話を聞くためお寺に集まっていた。隣近所声を掛け合ってお寺に行っていた。今はそのような文化は山村の田舎でも廃れてしまったのではないかと思う。

  同じ新聞のページで松岡正剛氏は『見直したい日本の風土』と題して「私たち日本人はこの半世紀、多くの大切なものを失ってきた。最たるものは‘死生観’である。」と言う。そして「地域社会が崩壊し、祭事が形骸化、死の儀式自体も人任せで空虚になってしまった。」と言う。全くそのとおりだと思う。

  愛する日本が壊れてしまわないように、男は自分なりに出来ることをしなければと思う。

2009年11月24日火曜日

100歳のお方からの贈り物(20091124)

 男の家に毎年この時期になると大箱に何段も詰めたリンゴが送られてくる。信州リンゴである。送り主はもうすぐ101歳になられるお方で、東洋医学の権威である。ご自分の孫のようなご婦人などの体の不調を診てやっている。そのお方は奥様も診てあげていて、奥様もご高齢であるがお元気である。

 ある日男と男は女房と二人でそのお方のご自宅を訪れたことがある。都内の清閑な住宅街の一角にそのお方は住んでおられる。訪問の目的は、そのお方に男と女房の戒名を授けて頂こうと手紙を書いたら、一度奥さんと一緒に遊びに来るようにと言われたからである。そのお方は僧侶でもあるので、求める人に戒名を授けることができるのである。

 そのお方からの年賀状には男の名前と「ご令室様」と達者な筆字で宛名が併記されている。勿論男もそのお方に精一杯丁寧な字で書いた年賀状を差し上げているし、盆・暮れの贈り物もしている。そのお方は静岡に本拠があるお方であるので、男の家にも毎年新茶を届けて下さっている。男は72歳になっているとはいえ、そのお方から見ればまだまだ青二才である。しかし、男はそのお方と親しいお付き合いをさせて頂いている。

 そのお方は男の父親と生まれ年が同じである。男はそのお方に、男の父親が男が42歳のとき白血病で死んだことを話したことがあった。男の長男はもう45歳になっていて、彼の祖父、つまり男の父親が死んだときの男の齢を超えている。男はそのお方のように長生きはしないだろうと思っている。しかしすでに男の父親が死んだ齢を超えている。

 男がそのお方と同じ齢になるにはあと29年生きなければならない。そのお方は東洋医学の権威であるので100歳を超えてもまだ矍鑠として病む人の治療にあたっておられる。かつ僧侶としてもご活躍しておられる。男にはそのような才能もないので人々の幸せのため何かしたいとは思っているが、何もできずにいる。また何か人のためボランティア活動でもして社会的諸関係を新たに作ろうという気持ちもない。何故なら社会的諸関係を作れば、そのために自分の自由な時間が制限されることになるからである。

 しかし希望はある。夢窓疎石ではないが、「一日の学問 千載の宝」である。古の、また今の仏教徒が仏教の学問をしているように、仏教について学ぶことは楽しみである。それも気が向く時に、あるいは何かのきっかけで関係の書物を手にしたり、得た知識を文にまとめたりする楽しみである。自己満足である。しかしそれで満ち足りる。今さら仏門に入ることはできないし、入る気もない。いつも長年連れ添った女房に感謝し、女房を愛し、日々の暮らしで女房に幸せを感じて貰えるように努力し、何かあったとしても菊池寛の『恩讐の彼方に』ではないが「償いの奉仕行」のつもりで行うことに心がけている。そのようなことが実際にできていることを先祖の霊に感謝している。

 そのお方にも天寿を全うされる時期は訪れる。そのとき男はまだ生きているかどうかわからない。女房は「私は何も思い残すことはないからいつ死んでもよい」という。男は「お前は俺より先に逝ってはならない」と言っている。しかし仏は男と女房に方便をもって何か教えることがあるかもしれない。例えば入院しなければならない病気になるとか、何が‘方便’として起きるか判らない。生きている限り四苦八苦はつきまとう。それが人生なのだ。女房はNHKテレビスペシャル番組『立花隆がんの謎に挑む』を観ている。今はともかく何事もない平穏無事な時が流れている。合掌。

2009年10月13日火曜日

世の中のために何ができるか(20091013)

男はこのごろ時々考える。「自分は世の中のために何ができるか」と。今朝日曜日の番組で東京都墨田区界隈の散策で職人たちの仕事ぶりを紹介していた。箸造りの職人はお客さんから頼まれた箸の修理をしていた。男は「あんな折れた箸を修理して短くなってしまったものでも愛着があるんだね」と言ったら女房は「人それぞれよ」という。男は「俺なんか箸はプラスチック製でもいいんだ。実用的でありさえればね。」と言った。

男は勿論伝統的な美しいものにも関心がある。結構ものごとにこだわる方である。しかし粗野と言えば粗野、例えば立派な和風邸宅で立派な庭園、立派な客室、伝統芸術の香り高い置物や飾り物などなど、そういったものを所有していて、他人に誇りたいとは思わない。もともとそのようなところに育ってきたわけでもないせいかもしれないが、男は実用的で品質が良くて質素なものが好きである。余計な飾りは不要と思っている。伝統的な美しいものは、展覧会などで見るだけで十分だと思っている。

昔男が現役のころ、ある役員で男と年が殆ど変わらない人のお宅にコントラクトブリッジを楽しむため訪れたことがある。コントラクトブリッジは四人でお互い向かい側の人とペアになって楽しむカードのゲームである。その方が「これは江戸時代の古い湯のみです」と一個の湯の茶碗を見せてくれたことがある。男はそのとき「へえ、Sさんはそんなものに興味があるんだ」と思ったが、自分がそんなものを集めたいとも、まして来訪者に見せて自慢したいとも思わなかった。それこそ人それぞれである。

朝見たテレビ番組で90歳をこえる老婦人が金細工を業として働いている様子が映し出されていた。その婦人は「人はさびしい、さびしいとよく言うが私はちっともさびしくない」という。その仕事は亡き夫とともにしていた家業であった。その婦人は今でも現役で働いて世のために役立っている。男にはそのような業はない。毎日が休日のようなものである。なにかボランティア活動をすることもできるが、そのため煩わしいことに関わるのはご免である。せいぜいユニセフやUNHCR(国連難民支援活動)に貧者の一灯を捧げるとか、街頭で赤い羽根募金活動をしている子供たちを見帰ると僅かばかりの寄付をする程度である。

男はかつて地域で災害ボランティア組織を立ち上げることに中心になって関わったことがある。そのとき実際にある災害訓練会場で台上にたち指揮・案内をしたこともある。またその関連で、ある駅前で仲間とともに地震災害の街頭募金活動をしたこともある。70の声を聞くようになって、論語の、70にして己の欲するところに従い、則を超えないようにするため、地位も名誉も金も要らない、と宣言して社会的諸関係を断つようにした。

なにか組織に入れば必ず煩わしさが伴う。自分の時間も制限される。世の中にはそれでも一生懸命活動し、金も使い、○○会長とか名誉職に就き、○○賞を受賞してその額縁を仏間に飾り、大金を寄付して記念碑にその名前を刻み、或いは自分の銅像を建てて自慢する人がいる。男はそういう人もこの世の中には必要であると思う。そういう人たちがいないと世のなかは良くならない。そう人たちには社会的な栄誉が与えられて然るべきである。

男は年からしてもはや遁世の境遇である。それが男の定めである。その代わり男と女房の子たちは、男が為し得なかったことを次々為している。人の世は一代限りではなく、ずっとずっと続くものである。男はその子、その子の子供たち、その子供の子供たちに遺してゆくべきことを遺そうとしている。それが今の男の役割であると自覚している。

2009年10月1日木曜日

前世、今生、来世(20091001)

 陶芸をしにゆく電車の中で男は『夢窓国師 夢中問答集』(講談社学術文庫)を読んだ。この本の中で良く出てくる言葉は「今生」とか「前世」とか「来世」とかいう言葉である。この本の裏表紙に夢窓国師について「鎌倉から南北朝の時代、北条家、足利家、後醍醐天皇から深く帰依され、世に七朝の帝師と仰がれた夢窓国師はまた、禅を基調とする日本文化の創始者であった。足利尊氏の弟直義の問いに答えて、信心の基本から要諦を語り、自然観、庭園観を語り、その無自在の禅者の声が『夢中問答』から聞こえて来る」と書かれている。この直義の夢窓国師に対する質問と夢窓国師の直義に対する回答は、速記的に記録されたようである。昔の指導者は若い時代に土地の学僧から仏教を学び、長じて夢窓国師のような賢者から教えを受けていたのだ。これは幕末のころまでそういう文化があったようである。つまり明治のころまでの指導者は高い教養を身につけていたのだ。

 男は人間は意識を伸長させようとすれば遠い過去から遠未来まで意識を伸ばして世界を観ることができると考える。そこには空想が働くが、空想と言ってもただの無意味な空想ではなく、仏教について学んできたことに基づく空想である。それは信心である。学僧は初め何も分からずひたすら仏教を学ぶのだろう。その内仏教のことがいろいろ分かってくると仏教への帰依が快いと感じるようになるのだろう。男は座禅をしたことがないが、多分仏教のことが少し分かり、座禅をすれば、さらに分かるようになり、至福感が得られるようになるのだと思う。男はまだそのような至福感を知らない。

 男はまだまだ初心者であるから、ただ直感的に自分の「前世」と「来世」を観るのである。男は女房とは「前世」からの「縁」があったと観る。それは男の子供の時の写真や女房の子供の時の写真を拡大して、意識を過去に遡らせると空想の中に観えてくのである。この空想は、「今生」の過去に意識を遡らせ、子供のころや若いころ大人たちからいろいろ聞かされていたことなどさまざまな情報、記憶の深層に蓄積されている情報、それは言葉ではよく表現することができない情報を元にした空想である。

 男もかつてそうであったが、現役時代はこのような悠長なことをしてはいられない。日々あくせく暮らすだけであった。男の息子たちも同様であろう。現代人は知識の入手や吸収は簡単である。しかし、教養を身につけることはなかなか難しい状況に置かれている。

 男がこのブログを書き続けるのは、そのような状況に置かれている息子たちに、少しでも親父の言っていることに耳を貸して貰うためである。男は息子たちにたまにある日書いた特別な内容のブログに目を通すよう要求している。この要求を息子たちは決して無視していない。たまにレスポンスがある。それで良いのだ。

 夢窓国師はこの問答集の中で「人界(にんがい)に生(しょう)を受くる人、貴賎異なりと云ふとも皆これ前世(ぜんせ)の五戒十善の薫力なり」と、「あまりに善根に心を傾けたる故に、政道の害になりて、世も治まりやらぬよしを申す人あり。その謂(いは)れありや。」という問いの答えの中で述べている。

 知識ばかり豊富に身につけるのは良いが、その知識の誤った見解のため、「前世」や「来世」を全く信じない人は、決して幸せにはならないと男は固く信じている。日本には夢窓国師のようなお方が居た。中国で弾圧され、失ってしまったものは、中国の高僧が日本に渡来してきて日本で広まった。明治の頃まではその文化の影響が濃かったのだ。

2009年8月31日月曜日

至善(20090831)

予想通り今回の選挙で自民党は大敗した。男の周りの人たちも「今回は自民党にお灸をすえる」と言っていた。それでも男も女房も自民党を応援した。理由は、民主党の政策実現に疑問を抱いているからであり、安全保障政策や外交に不安があるからである。民主党は大勝したので4年間は続くだろう。その間、政官業の癒着構造を改めてくれるだろう。民主党内には労組、日教組につながりをもっている党員も多いと思うが、今回の国民の選択には「自民党にお灸」という意味もあるので、それらにつながりをもっている議員の影響は抑えられるであろう。男はそのことに期待している。

さて、選挙は終わった。男はサークルなどで詩吟を教えているので来年教える詩吟のテキストを作成している。その中で、1月に西行の『至善』を教える。その詩文は簡単なようで、なかなか奥が深いものであると思う。詩文は「晴れに非ず 雨に非ず 睡蓮の天 山に非ず 林に非ず 在家の仙 一日を一生として興究まり無し 老楽は唯 至善を行うに在り」である。男は、昔詩吟を習った時、「在家」の「ざいか」と教えられていた。しかしこれは「ざいけ」と読むべきであると思う。なぜなら男は、この詩文は仏教の悟りへの道を教えているように思うからである。「ざいか」は単に「田舎の家」のことであり、「ざいけ」は「出家していない人、世俗の人」のことである。男は「至善」は「他人に迷惑をかけないように、あるがままに暮らす」と教えられていた。これも間違っていると思う。何故なら人は他人に迷惑をかけずに生きることは決してできない。しかし、最も善いと考えることを行うようにすることはできるからである。

男は、この詩には禅問答があると思っている。起句と承句の意味は「池の睡蓮は、天候に関係なく時期がくれば咲いている。自分は在家の身でありながら、山中林野に住み不老不死の術を心得ているよう仙人のようである。」と理解する。転句の「一日を一生として興究まり無し」の部分は、仏教の教えるとおり、「明日白骨になるかもしれないわが身は、生老病死の四苦から絶対に逃れることはできず、怨みや憎みに会う苦、愛する人と別離する苦、求めることが得られない苦、要するに生きている間中苦から逃れることはできず、逃れようとして求める一時的快楽も結局は苦を作る身である。そのように達観すれば、今この時生きている自分の日々は面白おかしいことばかりである。」という意味に解釈できると考える。結句は、「老人の楽しみは、唯一つ、自分が最も善いと信じることを、行うことであり、自分はその楽しみの中にある。」と言う意味であると解釈する。

ちなみに、西行は平安時代末期から鎌倉時代初期にかけて生きた武士であり、僧侶であり、歌人であった。西行は『続古今和歌集』に「ねかはくは はなのもとにて 春しなん そのきさらきの 望月の比(ころ)」という歌を遺し、その歌のとおり、陰暦の216日、新暦48日ごろ、桜の花の時期に73歳で没したと言う。

男は仏教の勉強をしている。自分の最期に向けて毎日「死に支度」をしている。わが肉体は朽ちるが精神は不老不死のつもりである。もとより男は資産家ではなく、かといって日々食うに困るわけでもない。贅沢なものは好まず、持たず、名誉や社会的地位も欲せず、この年になってまで金や名誉や地位を求めて苦労を背負いたいとも思わず、またそのような人物的能力も持っていない。そういう意味では男は「在家の仙人」かもしれない。男は自分がそうしていられるのは、観音菩薩のような女房のお蔭であると思って感謝している。