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2011年6月21日火曜日

台湾の方々から贈られた短歌・俳句(20110621)

 読売新聞に『耐える被災者へ贈る120首』と題して台湾・高雄市の義守大学応用日本語学科が年1回出している短歌・俳句の雑誌が、東日本大震災の被災者らを励ます短歌の特集を組んだ。500部を発行し、宮城、岩手県などに200部送るという記事が出ていた。以下、その記事を引用する。

“台湾には、日本統治時代に日本語教育を受けた人や日本語を学ぶ学生を中心に、短歌・俳句の愛好者は多い。特集には「台湾歌壇」のメンバーら62人の120首が掲載され、同歌壇の蔡焜燦代表は「国難の地震と津波に襲はるる祖国護れと若人励ます」を寄せた。”

その他以下の歌が記事として出ている。かっこ(“”)を外して読みやすいようにし、以下にそのまま引用する。

未曾有なる 大震災に  見舞はれど  秩序乱れぬ    大和の民ぞ
天災に   負けず   わが愛友よ  涙も見せず    鬼神をば泣かす
原子炉の  修理に赴く 男の子らの  「後を頼む」に  涙止まらず
福島の   身を顧みず 原発に    去りし技師には  妻もあるらん
 大正生まれ 昭和育ちの 我ならば   日本大災難に   こころのしずむ

 上の「大正生まれ・・」と詠う歌は、日本語世代の方が作られたものである。義守大の担当者は「頑張れという気持ちがこもったものばかり。心の支えになれば」と話しているという。今に生きる日本人の一人として大変嬉しいことである。

 台湾ということで男は友人・秋山代治郎氏のことを思い出した。氏は現在90歳であるが大変お元気である。氏は放送大学の卒業研究論文を『歴史記述における‘虚構と真実’―知られざる仁川沖海戦と日露戦争への道程―』という本にして出版した。氏は同大学大学院における修士論文をもとに、学術書『近代日本と日露戦争』という本も書いている。

その秋山氏は1921年仁川府(現在の韓国仁川広域市中区)に生まれ、後に台北帝国大学を卒業し、学徒出陣し、日本の敗戦により1945年から3年間ソ連邦エラプカに抑留されていたという経歴がある。秋山氏は仁川の生まれ、台北帝大卒業、ソ連抑留の体験をもとに仁川と日露戦争の関連を研究し、2冊の本も書いて出版されたのである。

男も小学校2年生の1学期まで朝鮮慶尚北道で過ごした。戦後生まれの世代は日本の惨めな敗戦とアメリカ軍の駐留と復興と国連加盟を経て今日に至る平和・繁栄のことしか知らない。アメリカの政策により日本人の精神構造を根底から変える試みがなされた。東京裁判はその絶好の手段だった。その結果、戦前の日本人は悪いことをしたと教え込まれた。

そのような世代が日本の指導者になり、好機とばかり尖閣沖の中国漁船衝突事件、北方領土へのロシア首相らの訪問、韓国による竹島固定化の動きなどが起きた。中国は弾道ミサイルによる嘉手納・普天間を対象とした先制攻撃戦略を立てた。中国は13億人の自国民を養うためなりふり構わぬ行動をとろうとして、南シナ海でも活発な行動をしている。

 この国が今在る意味を、上記台湾から贈られた短歌を機に改めて思い直す必要がある。

2011年6月20日月曜日

思い出の写真の保存について(20110620)

 ITへの関わり方について、男は同年代の男性諸君を見ると、「俺はそう遅れてはいないが正規分布曲線の中央の山を越したところよりは少しばかり先を行っているのかな」と思う。男は自分の手の大きさに比してちょっと小さくてキーボードタッチで誤字をたたきやすいという問題はあるが、Windows7のノートパソコンを常用し、九州に帰るときもそれを携行している。九州の家ではADSLを引き、バックアップのため別のXPのノートパソコンを使うようにしている。こちらではこのたび女房専用にした最大サイズのVistaのノートパソコンをバックアップ兼用にしている。それにはこれまで男が使っていたハードディスクも接続し、今後は写真専用にした。男自身は自宅にいる時も旅行するときもデータのバックアップ用にポケットサイズのハードディスクを使用している。

 データのバックアップは重要であり、男は、量的制約はあるがノートン360でもバックアップを自動的にとれるようにしている。そのほか、ブログの記事はハードディスクとMOにも保存している。写真は一部をPicasa3でウエブ上に保存しているほか、ハードディスクとCDに保存している。ノートン360はダウンロードで購入し、パソコン3台まで同じ注文番号で使用できるので丁度3台にインストールして使っている。

 男は女房のパソコンのデスクトップ上に、これまで行楽や旅行や散策など撮ってきた花の写真やちょっと思い出のあるスナップ写真を保存している。それは年代別のフォルダーに入れてあるので画面がアイコンで埋まってしまうことはない。写真の中にはデジカメが出始めたころ、子供たちから還暦の祝いに贈ってくれたソニーの箱型の、写真の保存はフロッピーディスク上に行うカメラで撮った沖縄・南西諸島旅行時の写真も入れてある。

 女房は花が大好きである。何年も前、自分のカメラで撮った花の写真をパソコン画面上に開いて鑑賞し、「とても綺麗だ」と喜んでいる。花を観、花の写真を撮り、パソコン上に保存したものを自分で開いてみて鑑賞し、心を癒している。男はパソコン初心者の女房に、女房が少なくとも自分が見に行きたい花がある場所までのアクセス情報や、自分が撮った花の写真を後で見て余韻を楽しむことが自分の能力で出来るようにしてやった。パソコンが性能優先で動作するように設定も行っておいた。

 楽しい思い出は沢山残し、後でそれを振り返ることが出来るようにしておくのが良い。もし将来病床に臥すようなことがあるときでも、今の時代、手元で自動的に画面が変わる写真を見ることができる。男が女房のパソコン上に年代別に名前を付けて保存した非常に沢山の写真集も、病の床で見ることができる。いちいち簿冊になったアルバムを開く必要はない。データや写真がコンピュータやウエブ上保存されていれば、何時でも何処にいてもそのデータや写真を取り出して見ることができる。

 この度の大震災で思い出の記録を流され、失ってしまった人が非常に多い。想像するだけでもとても悲しいことである。もしコンピュータやウエブ上に思い出の記録が保存されているならば、その深い悲しみは多少慰められることだろう。

2011年6月19日日曜日

女房のパソコン (20110619)

 人は他者を愛するとき、家族など自分に身近な者しかよく愛することはできない。キリスト教や仏教の聖者でも自分を慕ってくる者にしか愛を与えることはできなかった。ただ、聖者は普遍的な最も正しい愛について語り、迷える人々を導いたから、その教えは普遍的な宗教になった。ゴータマ・ブッダと後に称されるようになった王子は、妃や子を捨てて出家し、後にその妃や王子はブッダの弟子になったが、その時ブッダは既にブッダであった。イエス・キリストは聖母マリヤの処女懐胎により人の子となったから、もともと神の子であった。マリヤは初めからイエスに教えを受ける立場であった。

 先日自民党総裁谷垣氏の奥様が他界された。谷垣氏を見舞った民主党の岡田幹事長に対して、谷垣氏は「奥さんを大事にして下さい」と言ったという。一般に公的な男は公的な仕事に熱情を傾ける一方で、愛妻と共に過ごす時間が無いことを悩み、愛妻に十分な愛を与えることができていない状況に悩み、愛妻が自分に尽くしてくれていることに十分報いることができていないことを悩むと思う。

 男はもともと心正しくない人間であったから、つい最近の年齢なるまで女房に悪いことをしてきた。悔やむことありそのことを女房に言い、「お前はよい子供を産み、よく育てた。そればかりではなくこの俺まで変えてくれた。よく尽くしてくれた、ありがとう」と言っている。男が自分の罪を思うほどには女房はちっとも罪とは思っていないようであるが、男は女房に対して罪の償いをせねばならぬと思い、実際にそのとおりにしている。

 かくして男も自分の人生を完成させるように日々生き、女房も自然とそのようになっている。ゴータマ・ブッダやイエス・キリストのような聖者ではない普通の人間は、自分の人生の完成は自分一人ではできないものである。長年連れ添う夫婦がお互いに影響し合いお互いに自分の人生を完成するようにしなければ、到底「よい人生だった」と最期のとき頬笑むことはできないだろうと思う。人生とは自分の霊的な完成の道であると男は思う。

 そういう思いがあって、男は女房のために非常な熱情を傾けて、女房のIT環境を整備してやった。もともと女房は目の前に100万円積まれても、自分がその気にならなければ難しいことには決して取り組まない性分である。たまたま千葉に住む女房の親友が最近息子に教えられてパソコン学級に通いITおたくのようになったことに刺激され、女房はやっとパソコンを本気で学ぶ気持ちになった。

 女房は何年か前、男がインストールした「特打」というソフトでキーボード・タッチの練習などはしていた。男は女房のために手ごろなパソコンを用意してやっていた。しかし女房はこれまで本気でパソコンを学びたいという気にはなれずにいた。ところが自分の親友がパソコンを自由に使えるようになりそうだと知って、自分も本気になった。

 男は一日がかりで女房が最も簡単に素早くグーグルのページを開くことが出来るようにし、「お気に入り」にグーの路線検索のアイコンを一つだけ入れ、女房が花を見る行楽先の情報を簡単に得られるようにしてやった。これも男は自分の罪の償いのつもりでいる。

2011年6月18日土曜日

鎌倉に遊ぶ (20110618)

 10時過ぎ家を出て鎌倉に向かった。男も女房も横浜市の敬老パス愛用者である。このパスは予め市のほうから通知文書があり、その通知内容に従い郵便局に出向いて行って市が決めた一定のお金を払えば貰える仕組みになっている。通知文書には市がこの敬老パスのためかなり負担していると書いてある。勿論このパスは男でも女でも所得が一定額以上の人は貰えない。敬老パスを貰ってもそれを使うような機会がない人や少ない人は、わざわざお金を払ってまでそのパスを貰うのは馬鹿らしい。この敬老パスが最も有り難い人は、男や女房のように元気で、自宅からバスや鉄道などの交通機関にアクセスが容易で、よく外出する人である。

 このパスには他の利点もある。横浜市内の有料の施設を利用するとき、その施設が老人の入場料を割り引きしているところや無料にしているところには、水戸黄門の助さんや格さんが悪徳役人らに「このご紋が見えないか」と印籠の紋見せるように、この敬老パスを見せれば割引や無料のサービスを受けることができる。

 要は、年寄りたちが元気である方が医療福祉の予算を節約できるし、元気で外出すれば外出先でお金を使うので多少なりとも経済的効果があるので、行政としても年寄りたちに様々なサービスを提供して、なるべく元気で過ごして貰いたいのである。従い、この折角の制度を積極的に利用し、外出し、金を落とすことに精出すこと善いことである。

 女房は口癖のように「花はその時にしか見ることができない。毎年同じ花を見ることはできない。体調を壊したり、介護で田舎に帰ったりしたときは見たい花も見ることができない」と言っている。女房はその時々撮った花の写真をアルバムにファイルして保管している。その写真をプリントするのはいつも男の仕事になっている。

 鎌倉へはできるだけ敬老パスを使って往復することにした。市営地下鉄で新横浜から戸塚までゆき、そこでJRに乗り換える。鎌倉まで片道の運賃は210円である。鎌倉で江ノ電に乗り長谷・極楽寺まで行く。片道210円である。それ以外は電車も地下鉄も敬老パスを利用する。敬老パスのため期初めに一定額を支払うが、それを別におけば往復840円の旅費でこの紫陽花の時期に紫陽花の景色を楽しむことができる。所要時間は地下鉄を利用しない場合に比べてそう開きはない。地下鉄で約40分の間、バッグからノートとペンを取り出して短歌を作る。五七五七七の韻の中に頭で浮かんできた語をはめ込む。出来上がった歌を女房の耳元で小さな声で言う。女房はその歌が川柳のようであり、詩情もないので可笑しがって笑う。しかしそんな遊びをしているうちにあっという間に戸塚に着いた。

 鎌倉について先ず昼食にした。小町通りに居酒屋風の店があり、まぐろ・しらすどんぶりのセットで1500円ほどの値段を表示している。これまでちょくちょく鎌倉に来ているが、そのような店に入ったのは初めてである。居酒屋なので昼からビールを取り、5品ほどの昼食を楽しんだ。その後紫陽花鑑賞の定番コース、長谷寺・御霊神社・成就院・極楽寺を回り、極楽寺である陶芸家の作品を展示販売している所に立ち寄って帰路についた。

2011年6月17日金曜日

特上の天ぷら(20110617)

 男は京浜東北線T駅近くのJという店をときどき利用する。そこは1階が寿司のバーがあり、2階には天ぷらのバーがある。バーの後ろには囲われたテーブルと椅子の空間があり、横には襖で閉じられた個室がある。男はそこの天ぷらバーのマスターKさんと旧知の仲で女房はKさんの奥さんと旧知の仲である。

 男がかつて現役のころ、直属上司だったアメリカ人一家とよく家族付き合いをしていてお互いの家を行き来していた。その上司Rは男より一つ二つ年長でその奥さんEとは同じ年である。男はRと喧嘩もしたがよく気が合った。Eはスエーデンから自分の姉を呼び寄せ、Rは前妻との間にできた自分そっくりの息子Dを呼び寄せ、一緒にコンパクトな我が家を訪れたことがあった。そのとき我が家では女房が手巻き寿司を用意した。大人数なので女房は沢山用意していたが、Rは手巻き寿司のことを「ジャパニーズ・タコス」と言って大変喜び、驚くほど沢山たべてくれた。男はアメリカでタコスをよく食べたものである。

R夫妻がアメリカに帰ることになった時、夫妻は男と女房をアメリカ大使館内のレストランに招待してくれたことがあった。最後の別れの日、Rは着物姿の女房をじっと抱きしめて別れを惜しんでくれた。そのRは男が前立腺がんで手術を受ける1年前に同じ病気で手術を受け、男はこの齢まで元気でぴんぴんしているが、R10数年前死んでしまった。

そんなR夫妻を男はある日その店に連れて行ったことがあった。一般にアメリカ人は天ぷらが大好きであるが、Rはその店がとても気に入った。Rはその後Eやスエーデンから来日したEの姉や前妻との間にできたRそっくりの息子Dを連れて行ったり、自分の上司や同僚や来日した彼の会社の人たちを連れて行ったりして、マスターのKさんは喜んだ。アメリカ人たちが何故その店をことのほか気に入ったかというと、マスターのKさんが天ぷらを揚げながら片言の英語でジョークを飛ばしたりして、場の雰囲気を盛り上げるのが大変上手だからである。

 男はその店には遠方から息子たちが家族を伴って帰ってきたときなどに、彼らを連れて行きいい顔を見せている。3月には孫娘の一人が大学に進学することになったので、それを祝って女房とともに一家をその店に連れて行った。そのときそのマスターKさんから今月末まで有効のその店のクーポン券を3000円分貰った。しかし母の介護で田舎に帰ったり、あれこれあって3か月の有効期限が切れそうである。しかし男は女房と二人だけで、そのクーポン券を使うためそのわざわざその店に行くことには気が引けている。

 先日男は女房と二人で、自宅で天ぷらを揚げながら少しばかりビールを飲んで大変幸せな気分を味わった。食卓の上に年季物の卓上電気式天ぷら揚げ器を置き、コレステロールを下げるという真新しい油を入れて、女房が準備した七つばかりの新鮮な食材を揚げながら食べた。Kさんのような腕選り天ぷら職人が揚げる天ぷらには遠く及ばないが、自宅で老夫婦二人だけで、新鮮な油と新鮮な食材をたっぷり使い、揚げながら食べる天ぷらはまた違った意味で特上の美味しさがある。男は天ぷらが大好物である。

2011年6月15日水曜日

今度はトイレの水騒ぎ(20110615)

介護帰省の蓄積疲労あり、梅雨のすっきりしない気候あり、74歳の男も70歳の女房も今一つ元気が出ない。ある店に所用あり二人でその店まで川沿いの堤防の上を歩いて行ったのであるが、いつもなら女房の方がさっさと先に進み男の方は大股でついて行くような形であるのに、今回女房は遅れ気味である。「お父さん、早いわね」と言う。男は女房が追いついて来るのを待って、女房の早さに合わせてゆっくり歩いた。女房はこの早さでも息を上げている。男はこれは尋常ではないと思った。女房にはストレスがたまっている。

女房は今朝絶食して近くのかかりつけの内科クリニックで血液検査をしてもらった。女房はコレステロール値が少し高いことを気にして、そのクリニックでコレステロールを下げる薬を処方して貰っており、時々血液検査を受けている。今日の検査結果は1週間後でないと出て来ないが、その結果が出れば女房の体調不良について何か判るかもしれない。

女房は介護帰省する前までは近くのカーブスという女性専用の運動施設に通っていた。そこでは一カ月ごとに体重や筋肉量など計測され、運動の成果がわかるようになっている。女房は田舎に帰る前までは非常に体調が良かった。一週間前九州から帰って来て2、3日通わなかったが最近また通い初めた。途中トンボ帰りがあったが僅か半月余りの介護帰省でこれほど疲れがたまると言うのはやはり齢のせいであると思う。

母がアルツハイマー型認知症を発症していることが分かって以来、男は毎日母に電話を入れて状況を確認している。毎朝アリセプトD錠5mg一錠は必ず飲んで貰わねばならぬ。電話の第一目的は、遠く離れていてもしょっちゅう電話で繋がっているという安心感を母に与えることである。そのため女房も電話したり、母から電話がかかってきたりでこのところ日に何度も電話で話している。

今夜は夜8時過ぎに母から電話があり、女房が電話に出た。「トイレの水が流れない」と言う。女房は母が何か勘違いしていると直感した。男は隣家のTさんに電話を入れた。Tさんは15年ぐらい前奥さんをがんで亡くし、独り暮らしのお年寄りである。しかしまだ大変達者で独り暮らしを楽しんでおられる。「Tさん、Aです。夜分真に申し訳ありません。実は母が、トイレの水が流れないと言うんです」と言ったらTさんは二の返事で直ぐ母のところに駆け付けてくれた。母には女房から夜間人が来ても驚かないようにTさんが来てくれることを伝えた。隣り近所の方はいつも母が居る居間の縁側の方から来てくれる。

すぐTさんから電話があった。「トイレの水は流れます。お母さんは水が溜まっていることを勘違いし、レバーを引いても水が残っているので流れないと思ったようです」と笑いながら言う。傍で母が何か言いわけしている声が聞こえる。男はTさんに大変申し訳なく、何度もお礼の言葉を述べた。過去に母の電話がずっと話中だったとき、Tさんに頼んで電話機の様子を調べてもらったことがある。今回はこのトイレの水騒ぎである。

独り暮らしの母のため、女房も男も隣り近所の方々とは常日頃から緊密な関係を保ち続けている。そのお陰で今回もまた助けられた。これからも何か起きることだろう。

2011年6月13日月曜日

正しい認識の妨げとなる三つの壁 (20110613)

 『正法眼藏』(岩波文庫、道元著、水野弥穂子校注)に次のことが書かれている。

“おほよそ諸仏の境界は不可思議なり。心識のおよぶべきにあらず。いはむや不信劣智のしることをえむや。たゞ正信の大機のみ、よくいることをうるなり。不信の人は、たとひをしふともうくべきことかたし。霊山になほ退亦佳矣のたぐひあり。おほよそ心に正信おこらば修行して産学すべし。しかあらずは、しばらくやむべし。むかしより法のうるほいなきことをうらみよ。”

ここで、この本に訳注あり、「諸仏」とは「自己の正体の内容」、「心識」とは「心と、そのはたらき。意識作用。」、「正信の大機」とは「諸仏の境界は不可思議であると、まっすぐに信じる人が大機である。機は教えを聞いて悟る人。」、「霊山」とは「釈尊が霊山で法華経を説こうとした時、五千人の増上慢が、教えを聞くには及ばないと言って席を退いた。釈尊は、退くもまた佳と言って退くに任せた(法華経、方便品)。」とある。

なお、「正信」は「しょうしん」、「大機」は「だいき」、「霊山」は「りょうぜん」、「退亦佳矣」は「たいやくけい」とふりがながついている。

今からおよそ800年前、鎌倉時代初期の禅僧で、日本の曹洞宗の開祖である道元禅師は「自分自身の本質は言葉では表現できないものであり、考えても奥底を知り得ぬものである。それは意識作用が及ぶようなものではい」と説いておられる。『正法眼藏』は道元禅師が30歳ごろから53歳で没するまで生涯をかけて著した87巻(=75巻+12巻)に及ぶ大著である。74歳にもなる男は、この書物をまだちょっとかじり読みしているだけである。

道元禅師は座禅の重要性を説いておられる。しかし男は座禅などなどしたことがない。ただヨーロッパ人が「動く禅」と言っているという合気道には親しんでいた。今はそれも遠のいている。しかし合気の精神は持ち続けている。

男は座禅のことは全くわかっていない。座禅すれば自分の本質に少し近づけるのではないか思う。その自分では分からない自分の本質に何か係わりがあるのかどうかさえもわからないのであるが、男は偶然の不思議を感じることが度々ある。男はそれを自分が認識できない世界から示された、ある意味では‘必然’だと信じている。人はそれを馬鹿げたことだと一笑するかもしれない。それを「たまたま偶然の一致だ」と決めてかかるかもしれない。しかし男は素直に、疑いもせずそれを有難いと思う。男は自分の本質につながる世界に意識を及ぼさないならば、本来見えるものも見えないのではないかと思っている。

大震災からの復興は遅々として進んでいない状況下、菅総理は自主的辞任を迫られている。男は、菅総理は自分の政治の現状を正しく認識することが求められていると思う。

男は、現状の認識は己の心を無にしなければ不可能であると思っている。何故なら誰にも正しい認識を妨げる壁があるからである。それは①感情の壁、②文化の壁、③知識の壁という三つの壁である。静かに瞑目し、自分の心の深奥を覗き込むようにしても、第三者の声を聞く素直な気持ちが無ければ、それらの壁の上部の影すら見えてこないだろう。

2011年6月12日日曜日

自分は何をして貰い、何をしたか、すべきか?(20110612)

 男は運動を兼ねてちょっと遠方の大型店Tまで行った。その帰り道、みちゆく主婦ら人々に目をやりながら考えた。男はこれまでの人生で女房や女房の実母である母に何をして貰い、何をし、何をすべきか、ということに思いを致した。

 昨日竹馬の友I君から贈られて来た『O市今昔写真帖』に女房の小学生の頃の姿が写っている。その頃女房の母親は男の父親の後妻に入り、その父親の赴任先である僻地で貧乏暮しに耐えていた。男の父親はその時自分の母校・O師範学校の後輩よりも低い地位で、助教諭であった。母は陰でその父親を支えていた。

男の父親はかつて、今の韓国慶尚北道で小学校の校長や兼務で青年特別錬成所長をしていたが日本の敗戦と共に状況は一変した。日本への引き揚げ後は教職に就けず農業を営む祖父を手伝いながら先のことを模索していた。そういう状況にあるときO師範学校の同級生らの奔走により教員普通免許を得、教職に復帰することができた。しかし最初は助教諭という資格であった。ようやく正教諭に復帰できたのは数年後のことであった。

母は再婚後それまで経験したことがないような貧乏暮しを経験した。母が女房の実父である夫と死別したのは終戦1年前の昭和19年のことであった。母は会社員の夫とともに大阪で暮らしていた。夫の実家は裕福な家で戦時下大阪に米などの食料を送ってきていて大阪での暮らしは楽だった。その夫が糖尿病で亡くなり、母は幼い女房を連れて空襲の合間を縫って母の実家に戻った。そして戦後間もなくある人の世話で男の父親と再婚した。

男の母親は引き揚げの翌年昭和2112月に乳がんで他界していた。33年の短い人生だった。それは男が10歳の時であった。母親は遺してゆく子供たちに、とくに長男である男に身をもって武士道の精神を教えた。男の母親は背中全体が転移したがんのこぶだらけになっていて相当苦痛があったに違いないが、死ぬその瞬間まで自分の苦痛を見せず、死ぬ時は当時10歳の少年であった男に仏壇から線香を持ってこさせ、裏山に落ち松葉を集める作業に行っていた父を呼びやった。その言葉はしっかりしていた。

今の母は戦後生活が苦しかった時代、男の父親を陰で支え続けた。そのお陰で男の父親は幾つかの小学校の校長として歴任することができ、名声を上げることができた。その父親も70歳のとき白血病で他界し、母は再び寡婦となった。

その母と幼少時以降成長するまで一緒に暮らすことが無かった母の娘が男の女房となり、立派な子供をもうけて世に送り出し、この齢になるまで男を支え続けてくれている。母娘二代にわたって、母と女房は男の家系に貢献してくれている。

これはすべて前世からの約束事のように感じられる。母と女房は傾きかけた男の家系の建て直しのため前世から送られてきたと男は思う。母娘だけではなく、その親族までも何かと直接的・間接的に男を支えてくれている。静かにそのことに思いを致すと、これは全てそれぞれ先祖の御霊の導きであることを自覚するに至る。

人は、合理的思考をする一方で、非合理的なことにも謙虚な気持ちであるべきである。

2011年6月11日土曜日

竹馬の友から贈られた今昔写真帖(20110611)

 小学校時代からの竹馬の友I君から『O市今昔写真帖』という分厚い本が筆者に贈られてきた。I君は郷土の歴史研究会のメンバーであることもあって、その写真帖の編集のため自分が撮った写真を提供したという。しかし実際にはI君の写真は採用されなかった。提供した写真も返却されなかった。その本はそのお詫びとしてI君に2冊贈られたものの一つである。I君は自分のものは1万何某かのお金を払って買い、お詫びとして贈られた2冊を男とTちゃんというもう一人の竹馬の友に贈ったのである。

男が介護で帰省したときは機会を作ってI君とTちゃんに会っている。Tちゃんは同級生の女の子、といっても皆74の婆さんであるが、その子に声を掛け、男のために一緒に食事をする楽しみを作ってくれている。幾つになっても竹馬の友は良いものである。

 その写真帖をめくってみると子供時代のいろいろなことが思い出された。I君の採用されなかった写真の一つに、子供時代の見渡す限りの広い田園風景とそれが市街地に変貌してしまった現在の風景を対比させたものがある。I君はそれを手紙とともに写真に挟んで送ってきた。その写真を見ると、男の子供の頃の原風景が蘇ってくる。男は子供の頃、家で飼っていた牛に犂を引かせて手綱と鞭を上手く使って田圃を耕し、水を引き、掻きならして水田にし、稲の苗を植えて育て、田の草取りや水やり、ばったなどの虫払いをし、収穫をし、精米したその全ての工程に関わっていた。そのような風景は今では里山でしか見ることはできない。男の継母が独り暮らししているK町には、その風景が残っている。

ちなみにばったは手で捕って一升瓶に詰め、家に持ち帰って金属製の網に入れて火に炙り、赤く焼けたものをおやつにして食べていた。これはカルシウムとタンパク質が詰まっている栄養食であった。田圃に農薬を散布するようになって、ばったは居なくなった。それまでは無農薬でばったなどの害虫にとってツバメなど野鳥が外敵であった。夏には虫送りと称して大人が作った火をつけた松明を子供たちが手に持って田圃の周りを巡り、火に虫を飛びこませて虫を駆除していた。それは子供たちにとって楽しい行事であった。

 写真には男の女房が小学校時代の頃の制服姿も写っている。あの頃女房の同級生の多くは制服を着ていなかった。皆貧しくて親が買い与えなかったのだと思う。女房は比較的裕福な大家族の家で末娘のように可愛がられていたし、通っていた小学校でも常に優等生であったし、祖母が婦人会の会長をしてこともあって先生からも特別に可愛がられていた。

その親の世代の人たちが子供の頃や大人になった戦後の頃の姿もその写真帖に収められている。時の流れとともに人は老い、やがて死んでゆく。その写真に収められている写真の人の多くは既に故人となっていると思う。男も齢既に74、あの頃から60年経った。I君ら竹馬の友だち皆いい爺さんになった。Tちゃんは自分が物忘れになったのではないかと心配し、わざわざ精神病院に行って相談したという。後で分かったのであるが最初の挨拶の時から会話を通じてチェックされ、診断結果は「異状なし」であったという。

人は皆老いる。寿命前に病気で死ぬ人も多い。人生とはそういうものである。

2011年6月10日金曜日

巨大津波の被災者のことに思う(20110610)

 巨大津波で両親を失った60歳代のある男性は、毎日のように遺骨安置所や遺留品保管場所を巡り、また流されて跡形もなくなっている自分たちが住んでいた場所を訪ねながら、何としてでもその両親の形見を探し出そうとしている。

保管されている遺骨の壺にはただ番号がふってあるだけである。多分その壺の中には番号とともに発見された場所などより詳しい情報が書き込まれたものが、簡単には取り出せないようにして保管されているのだろうと思う。もしそうでないと、何かの事情により保管されている遺骨と、書きこまれた情報とがばらばらになってしまったときその遺骨と遺族の関係を特定することが一層困難になってしまうだろう。

その男性は自分のDNA情報を警察に提供済みである。遺骨のDNA情報と遺族の関係を特定するまで3カ月ぐらいかかるそうである。DNAの鑑定作業は全国の警察に分散して行っているが、それでもそれくらい日数がかかるそうである。その男性は「父母はとても仲がよかった、早く父母の骨を探し出して一緒の墓に入れてやりたい、最後の望みはDNAだけです」と涙ぐみながら語っていた。かつて同じ屋根の下で家族そろって楽しく暮らしていた日々が巨大津波により一瞬のうちに失われてしまった。その男性は心が折れてしまいそうな毎日を送りながら、DNAの鑑定結果に一縷の望みを託している。

被災地にはその男性のような人々、男性に限らず女性や子供や親が沢山いる。悲しみが一杯ある。テレビカメラの前では笑顔を見せていても何かの拍子に一瞬顔を雲らせる。皆心に深い傷を負いながらじっと耐えて日々を送っているのである。

何故そのような苦しみや悲しみを持つ人々がいるのだろうか?仏典には「仏はいろいろな方便で人々を教え導く」というような趣旨のことが書かれている。その仏典とは妙法蓮華経というお経や、勝鬘師子吼一乗大方便方広経というお経である。(参考、『新訳仏教聖典』大法輪閣版)

仏典によれば、そのような苦しみや悲しみの渦中にある人々にも仏の救いがある。その教えに気付き、その教えを学ぼうと志す人々は救われる。事実、被災された非常に多くの方々は、意識的にせよ無意識的にせよ既にその教えに気付いておられると思う。だからテレビカメラの前で笑顔を見せるのだと思う。

仏典にはそのような苦しみや悲しみがその人の前世の行いによるが、そのように一方的に決めてはならないし、かといってそれを否定してはならない、というような趣旨のことが書かれている。一方、後の世における現象は、前世において出家者に供養することを好み他者を妬まずという行いをしたかどうかによるというような趣旨のことも書かれている。

仏典によれば、あらゆる苦も楽も不苦も不楽も全て因縁によって生ずるのである。その因縁とは何かというと、無明と愛によって老死があり、憂い、悲しみ、苦しみ、悩み、悶えが生ずるというものである。それは増一阿含経というお経に書かれている。(参考、同上)

 仏教は人々が幸せになる道を教えている。男はこの道について今後考え続けたいと思う。

2010年3月1日月曜日

ブッダ「真理のことば」を学ぶ(38(20100301)

 ブッダ「真理のことば」第二十章は「道」という題である。これを通読すると、われわれ世俗の、もうあの世に近くなっているまで座禅すらしたこともないような凡人にとって、仏道の修行はとてつもなく難しいことのように思える。例えば、下の273番目に釈尊は「情欲を離れることが最も優れている。」と言っておられるし、後で示す284番目には「たとい僅かであろうとも、男の女に対する欲望が断たれないあいだは、その男の心は束縛されている。」と言っておられる。

 釈尊のように若い時に王宮での幸せな生活を断ち、妻子と別れ、修行に励んだお方が悟りを開いてそのようにおっしゃっておられる。しかしわれわれ凡夫にはとてもそのようなことはできない。齢をとっても男は女に対する情欲を断つことはできず、女もまた然りであろう。「然りであろう」というのは、自分は老女でないので分からないのだ。しかし宇野千代というお方だったか、彼女は老女になっても恋をしたという。この世に生を享けて暮らしている間は、普通の人なら法律に触れるような罪は絶対に犯さないことはできるだろうが、自制している内なる心の中に巣食う情欲・情念の火まで消しさることはできないと思う。もしできる人が居れば、その人は‘聖人’に近いと思う。

 人生を長く生きて来た凡夫は、自制している内なる心の中に巣食う情欲・情念の火を無理に消しさることせずに、あるがままに一生懸命に生き、死ぬ時は一生懸命に死ぬように心がけ、藤原道長のように阿弥陀如来の来迎を信じて安らかに生涯を閉じればよいと思う。

 一番大事なことは、自分が棺桶に片足を突っ込むとき、「良い人生だった」と笑顔を見せるような生き方をすることだと思う。自分の人生の目標を見いだせないでもがき苦しんでいる若い人たちが多いが、国として、社会として、この自分自身としても、彼らになにか手助けがでいないものかと思う。スポーツの振興、武道の奨励、子どもたちの遊び場の増設、10代の一時期、自衛隊、警察、消防、海上保安庁などの訓練施設での宿泊訓練、ボーイスカウト、ガールスカウト活動の奨励など国家予算をかけて行うと良いと思う。

 昔は皆貧しく、情報量も少なく、自力で生きて行くことが当たり前のような部分はあったと思うが、今の時代、豊か過ぎて、特に都会では華やかで皆幸せそうに見えて、自分一人だけが取り残されているように思うのかもしれない。しかし、その内実、皆淋しくて誰かに寄り添わないと不安で仕様がないのかもしれない。いくら釈尊が「自分を洲とし、自分を拠りどころとし、他を拠りどころとするな」とおっしゃっても、そのようにできないのが普通一般の人々の状況なのである。

273 もろもろの道のうちでは<八つの部分よりなる正しい道>が最もすぐれている。もろもろの真理のうちでは<四つの句>(=四諦(たい))が最もすぐれている。もろもろの徳のうちでは<情欲を離れること>が最もすぐれている。人々のうちでは<眼(まなこ)>ある人>(=ブッダ)が最もすぐれている。

2010年2月23日火曜日

ブッダ「真理のことば」を学ぶ(32(20100223)

242 不品行は婦女の汚(けが)れである。もの惜しみは、恵みを与える人の汚れである。悪事は、この世においてもかの世においても(つねに)汚れである。
243 この汚(けが)れよりもさらに甚だしい汚れがある。無明(むみょう)こそ最大の汚れである。修業僧らよ、この汚れを捨てて、汚れなき者となれ。

昨日に引き続き第十八章「汚れ」である。上の243番目の詩に「無明」という言葉がある。これは、『仏教要語の基礎知識』(水野弘元著、春秋社)によると、「無知であって、四諦や縁起の道理を知らないこと。仏教の根本思想としての世界観や人生観に通じないこと。」であり、この反対は「正見」である。(「正見」について関連記事:「2010213日土曜日、ブッダ「真理のことば」を学ぶ(22(20100213)」)
四諦とは「①苦諦・・自覚なき苦脳の現実世界、②集諦・・現実世界の原因・理由、③滅諦・・自覚ある理想世界、④道諦・・理想世界の原因・理由」のことである。『般若心経』にある「無苦集滅道」はこの四諦も無いということである。
この「苦集滅道」を『仏教要語の基礎知識』には「人びとの精神的病気である苦脳をいやすことを例にとり、「・・凡夫の現実の状態・・病状」「・・現実の苦の原因・・病因」「・・自覚ある理想状態・・健康態」「・・理想への手段方法・・治病健康法」と説明している。これは一番わかりやすいと思う。
縁起とは「種々の条件によって現象が起こる起こり方の原理」とある。「現象は無常であり、常に生滅変化するものであるが、その変化は無軌道的なものでなく、一定の条件のもとでは一定の動きかたをするものであるとして、その動きの法則を縁起という。」とある。
日本語における「縁起」は仏教本来の意味の縁起が転訛したものであって、「縁起」という仏教本来の意味を理解していないと仏教という「人間の学」の入口がわからないと思う。
声を出して一心不乱に『般若心経』を唱えれば、自ずから自然に自分自身が宇宙の一部であるような気持ちになる。そういう中で自分自身は日常の暮らしや起居動作の中に何かの原因を作っている。しかも日常の言語動作を自分自身はいちいち細かく意識しながら行っているわけではなく、無意識のうちに言語動作していることのほうが圧倒的に多い。人はそれを習慣で行ったり、生まれつきの性格に起因するものであると言ったりするだろう。つまり、私は自分自身のことを判っているようで、実は判っていないのだ。判っている部分はごく限られた小さなもので、殆ど判っていないのだ。自分が無知であることを知る。
長崎県知事も町田市長も民主党が応援する候補が大差で敗れた。それでも小沢氏は「国民は(自分のことを)理解してくれる。」と言っている。「国民の目線」と言いながら実際の行動の結果は「国民の(自分自身気がつかない心のうち)の願いに外れるもの」になる。
政治家は「独善的」になり、「自分の理想」を、何が何でも実現させることに「生き甲斐」を感じる者であるのかもしれない。しかし「うちに孕んだ矛盾」はいずれはじける。

2010年2月16日火曜日

ブッダ「真理のことば」を学ぶ(25(20100216)

 ブッダ「真理のことば」第十六章は「愛するもの」という題である。男はこれを読んで、正直のところ世俗の人間にとって「一番難しいこと」だと思った。「愛する人をつくるな」と言われても、一時的な喜びかもしれないが、人は誰かを愛し、子供を授かり、家族を持ち、家族を愛し、愛されることで喜びがあるのだから・・・。
でも男は、これらのブッダのことばは、「他を拠りどころとせず、自分を拠りどころとする」生き方の覚悟について教えているのだと思う。「苦しみ」の根源について教えているのだと思う。「人は苦しみから決して抜けられず、一時的な楽しみも結局は苦しみの原因になるのだ」ということを教えているのだと思う。

210 愛する人に会うな。愛しない人とも会うな。愛する人に会わないのは苦しい。また愛しない人に会うのも苦しい。
211 それ故に愛する人をつくるな。愛する人を失うのはわざわいである。愛する人も憎む人もいない人々には、わざわいの絆(きずな)は存在しない。
212 愛するものから憂いが生じ、愛するものから恐れが生ずる。愛するものを離れたならば、憂いは存在しない。どうして恐れることがあろうか?

 キリスト教の聖書には、「敵を愛し、自分を迫害する者のために祈りなさい。それは、あなたたちの天の父の子供となるためである。」と書かれている。

 ブッダのことばとの根本的な違いは、約2500年前のブッダは「自分を拠りどころとし他を拠りどころとするな。」と教えるが、約2000年前のキリストは「天の父の子供」となることを教えることにある。つまり、キリストは、人は「天の神様にすがりなさい。」と教えるが、ブッダは、人は「自分自身を拠りどころにしなさい。他者に頼るな。」と教えている。

 自分自身が拠りどころである仏教の世界では、宗派間、宗教間で殺し合うような争いは起こらない。仏教はまさしく「人間の学」である。人個々それぞれの多様性の中、個々それぞれの「生き方の学」である。

 ブッダはこの世での生き方次第であの世でどうなるか説いておられる。故に男は、人は自分の「あの世」のことを常に念頭におきながら「この世」で生きることも、老いることも、病の床に臥すことも、死ぬこともすべて苦しみであり、怨みや憎しみに会う苦しみや、愛する人と別離する苦しみや、自分が求めていることが得られない苦しみや、苦しみから逃れようとして一時的な快楽を得ても結局は苦しむことになるということ、要するに人は苦しみの中にあるということを知って、それをありのままに受け入れ、真面目に、徳を高めるように努力することが重要であると思っている。

2010年2月15日月曜日

ブッダ「真理のことば」を学ぶ(24(20100215)

205 孤独(ひとり)の味、心の安らいの味をあじわったならば、恐れも無く、罪過(つみとが)も無くなる。真理の味をあじわいながら。
206 もろもろの聖者に会うのは善いことである。かれらと共に住むのはつねに楽しい。愚かなる者どもに会わないならば、心はつねに楽しいであろう。
207 愚人とともに歩む人は長い道のりにわたって憂いがある。愚人と共に住むのは、つねにつらいことである。仇敵とともに住むように。
心ある人と共に住むのは楽しい。親族に出会うように。
208 よく気をつけていて、明らかな智慧あり、学ぶところ多く、忍耐づよく、戒めをまもる、そのような立派な聖者・善き人、智慧ある人に親しめよ。月がもろもろの星の進む道にしたがうように。

ブッダ「真理のことば」6番目の詩に「われわれは、ここにあって死ぬはずのものである。」と覚悟をしよう。このことわりを他の人々は知っていない。しかし、このことわりを知る人々があれば、争いはしずまる。」がある。(関連記事:「2010125日月曜日、ブッダ「真理のことば」を学ぶ(3)(20100125)」)
「一日を一生」とし(西行の作詩『至善』)、関連記事:「20091210日木曜日、老楽は唯至善を行うにあり(20091210)」)、「ここにあって死ぬはずのものである。」という覚悟があれば、人は日常のすべての所作にその意味を感じることができる、と男は思う。
譬えて言えば、人の生体を構成する細胞のように、宇宙の中の星々は宇宙の細胞である。人間は細胞を構成する最小単位の物である。その一つの存在が人間である。これらは時間の経過とともに生成消滅を繰り返している。人間は大宇宙と言うある意味で‘生命体’のようなものの中の微小な構成単位のような存在である。人の一生は、大宇宙の活動に組み込まれたものである。そのように考えると、「孤独」は安らいの味の一つである。そう思えば、淋しいことでもなんでもなく、楽しいことである。理屈っぽいと言われそうであるが男はそう考える。ブッダが説いておられる内容はもともと理屈っぽいものを、「真理のことば」として平易に語られているのだ。男はそう理解している。
そのような理解は、ブッダの深遠な智慧に遠く及ばないものである。一生勉強し、ブッダの最高レベルの智慧を学ぶことができるように努力しなければならない。それを僧のもとで学ぶことが最も楽しいことに違いないが、煩悩多い男は人に理屈っぽいと思われようと、なんと言われようと、このブログに書いているような方法で智慧を学んでゆこうと思う。
ところで、「幸福の科学」という宗教団体が「幸福党」という政党を立て、国会議員を出そうと頑張っている。大川隆法氏は宗教家でも何でもない。勿論206番目の詩の「もろもろの聖者」のカテゴリーには入らない。言うなれば男同様の俗人である。男は、彼が俗人として政党の総帥になると言うのであれば理解できるが、人々はどう見ているであろうか?

2010年1月30日土曜日

ブッダ「真理のことば」を学ぶ(8)(20100130)

男はこれまで「真理のことば」の第一章を学んできた。この第一章は、そのタイトルが「ひと組づつ」と書かれている。これは対になっている二つの詩が合わせられて一つのことがらを説いている形式になっている。第一章の最後の二つの詩は次のとおりである。男はこの二つの詩を読んで、「自分は到底修行者にはなれない。」と思った。執着から決して離れられないし、情欲も怒りも捨てきれない!しかし、いよいよあの世の入口にさしかかったときには、他者には自分が多少修行者らしく「見える」ようになるかもしれない。しかし、判らない!それでも後で述べる阿羅漢には多少近づけるのかもしれない。

19 たとえためになることを数多く語るにしても、それを実行しないならば、その人は怠っているのである。牛飼いが他人の牛を数えているように。彼は修行者の部類には入らない。
20 たとえためになることを少ししか語らないにしても、理法にしたがって実践し、情欲と怒りと迷妄とを捨てて、正しく気をつけていて、心が解脱して、執着することの無い人は、修行者の部類に入る。

第二章は「はげみ」という題である。この章の訳注に「島」または「洲(しま)」について解説がある。それは「自分のよりどころである真人の境地」を大海の中の「島」又は大きな川の中の「洲」に譬えている。ここで「真人」とは「阿羅漢」と漢訳されている元の語はarahantで「羅漢」とも音写されている。これは、尊敬されるべき人、拝まるべき人、尊敬供養を受けるべき人のことだそうである。埼玉の川越の喜多院に五百余りの羅漢像が鎮座している一角がある。見ると一体一体皆違う表情をしている。笑っているお顔も怒ったお顔もある。男はごく普通の人たちでも向上を目指して教えを受け、学び、努力すれば「自分のよりどころである真人の境地」に至り、「羅漢」に列せられるのだと思う。

この第二章の最初に次の二つの詩がある。
21 つとめ励むものは不死の境地である。怠りなまけるのは死の境涯である。つとめ励む人々は死ぬことが無い。怠りなまける人々は死者のごとくである。
22 このことをはっきりと知って、つとめはげみを能(よ)く知る人々は、つとめはげみを喜び、聖者たちの境地を楽しむ。

「不死の境地」は、amatapadamをそのように訳したとある。漢訳『法句経』では、「甘露道」と訳している。amataは「甘露」と訳されている。「甘茶」はそこから来たのだろうか?
訳注には、「「つとめ励む」と因果の連鎖によって影響は無限にひろがり、死ぬことはない。」とある。男は、「因果の連鎖」は親から子へ、子から孫へと続くものだと思う。

2010年1月25日月曜日

ブッダ「真理のことば」を学ぶ(3)(20100125)

昨日のブッダ「真理のことば」(2)の3番目と4番目の言葉は、キリスト教の聖書にあるイエス・キリストが「悪人には手向かってはならない。もし、だれかがあなたの右の頬を殴るなら、左の頬をも向けなさい。」という言葉と似たところがある。しかし根本的な違いは、釈尊は自己修養の道を説いたが、イエス・キリストは弟子がとるべき積極的な行為を説いたという点である。
ブッダ「真理のことば」の5番目に、



5 実にこの世においては、怨みに報いるに怨みを以ってしたならば、ついに怨みの息(や)むことがない。怨みを捨ててこそ息む。これは永遠の真理である。

とある。右の頬を殴られて抵抗せず左の頬を出したからとて、全く無抵抗に相手の為すがままに、「これがブッダによる‘方便’としての、‘化身’(関連記事:「法身・報身・応身または化身(20100116)」)としての教え」であると達観しない限り、それは単なる行為に終わってしまうだろう。
ブッダ「真理のことば」の6番目は、



6 「われわれは、ここにあって死ぬはずのものである。」と覚悟をしよう。このことわりを他の人々は知っていない。しかし、このことわりを知る人々があれば、争いはしずまる。

仏教における「○○宗」の‘宗’はもともと「根本のことわり」と言う意味だそうである。この6番目の言葉の中に出る「他の人々」とは「賢者」以外の一般の人々、つまり「愚者」のことだそうである。男は「愚者」であるから、あの世に近づくにつれて少しでも一歩でも「賢者」に近づきたい、また近づくように努力すべきであると思っている。
釈尊は生と死の境界のない状態になるように、自分だけを頼りにして修養しなさい、と教えておられる。男は自分が仏教を良く勉強し、座禅し、修養し、そのような生と死の境界がない状態まで自分の精神を高めることができれば、あらゆる煩悩が消滅し、本当の幸せを実感できるのではないかと思っている。しかし、これは容易なことではないと思う。
男は女房とともに日々実に幸せな暮らしをしていると思っているので、本当の幸せが何である実感できていない。そのような目の前に感じる幸せにおぼれ、その幸せが壊れることを恐れながら日々を送るということは、すなわちそのことを拠りどころとしているということであって、自分自身を拠りどころにしていることではないと思う。
ブッダは、自分を洲(しま)とし、自分を拠りどころとし、他を拠りどことはせず、修養しなさい、と教えておられる。

2009年12月27日日曜日

お陰さまで(20091227)

 よく日常の挨拶で「お陰をもちまして」とか「お陰さまで」と言う。普通この言葉の深い意味は考えずにこの言葉は使われている。例えば「陰で支えてくれた人への感謝」とか「お互い様」という意味の程度で使われていることが殆どのようである。「お陰さま」についてインターネットで調べてみたらある僧侶が「法話」を載せているのを見つけた。

 「人生には自分の思いにかなうこともかなわぬことも起こって来る。人生で起きて来るすべてのこと謙虚に受け止める言葉として‘お陰さまで’という言葉がある。目に見える現実世界を陽とすれば目に見えぬ世界は陰である。人生で起きるすべてのことを目に見えない世界からの導きとして受け止められるようになったとき‘お陰さまで’という言葉が出て来る。‘お陰さま’は‘仏様’である。」という趣旨のことをこの僧侶は図を示しながら説いている。

 その図というのは五感・意識の世界が現実世界であり、その世界の下に深層心理の世界を示している。以下男は自分が若い頃に買い求めていた書物『仏教の基礎知識』『仏教要語の基礎知識』(いずれも水野弘元著、春秋社刊)に書かれていることを基に要点を記す。

 五感・意識とは仏教の唯識説で眼識、耳識、鼻識、舌識、身識の五識と意識のことである。これら六つの識、すなわち六識は現実世界の識であり、唯識説ではその下に末那識(マナ識)、さらにその下に阿頼耶識(アラヤ識)の二つの識があると説く。マナ識とアラヤ識は深層心理学上の識と同じである。2500年前釈尊は深い瞑想の結果、現代の心理学で明らかにされた深層心理まで到達されたのである。釈尊は常人では到底到達できないところまで到達され、常人では認識できない世界を認識され、弟子たちに説かれたのだと男は思う。

 お陰さまの世界は現実世界の六識と第七識であるマナ識と第八識であるアラヤ識を総合した世界の中にあるのである。深層心理学の書物には「集合的無意識」について書かれている。人の行動は無意識の行動の部分が大きい。人は自分の無意識を自分で認識することは難しい。第八識ともなれば第三者から催眠をかけられて導かれないと自分では判らない。多分、長い時間をかけた習慣により無意識化されたものには気付くことができるだろうが、その下にある、多分生れる前から持っている心には、自分で気付くことはできないのだ。まして、これは信仰しかないと男は確信するが、仏を信じる者には本心から「有り難い」「お陰さまである」という気持ちが湧くものだと思う。

 仏教の経典には「仏は方便をもって人々を教化し導く」というようなことが書かれている。仏の方便は日々の暮らしで常に感じ取ることができる。素直に意識すれば「ああ、これも仏の方便だったのだ。有り難い。」と感じ取ることが出来るようになる。そのように感じ取ることができれば、日々の暮らしで起きることは皆有り難く、有り難いと思うと、物事は思うとおりになっているような‘不思議’を感じることができるようになる。「たまたま偶然」は、実は仏の導きによる「必然」であったのだと感謝することができる。すると日々のすべてのことは仏による「必然」のことで、これが‘不思議’なことであるのである。

 仏は釈尊にしか到達できなかった世界である。仏を信じ、仏に帰依し、仏への道を教える僧を敬い、仏への道を教える経典を重んじ、仏への信心をもって日々謙虚に、感謝の気持ちで過ごすことができれば、それ以上幸せな人生はないのである。
(関連記事:「現在、過去、未来の三世の因縁(20090720)
http://hibikorejitaku.blogspot.jp/2009/07/20090720-2500-2000.html 」
「仏教の勉強(20090723)
http://hibikorejitaku.blogspot.jp/2009/07/20090723-720-2500.html 」、
「神通力(20090915)
http://hibikorejitaku.blogspot.jp/2009/09/20090915-800-2-1275-77-23-25.html 」、
「夢窓国師の作詞『修学』(20091002)
http://hibikorejitaku.blogspot.jp/2009/10/20091002-200909831-20090915.html 」)

2009年7月23日木曜日

仏教の勉強(20090723)

 男はよく思うことがある。それは、一事が万事、男や女房の望み、願っていた通りに事が運ぶのを実感することについてである。それは、仏教の経典に書かれている神通力であるのではないかとよく思う。一事が万事、望み、願っていた通りに事が運ぶのは、たまたまそうなったという偶然のことかもしれない。しかし、男はそれは自分たちが見えないある力が働いてのことであって、偶然のことではないと神仏に感謝している。

 例えば、京都の宿は山鉾巡行の日であったので、普通はなかなかそのような安さでは取れないとその宿をたまたまインターネットで探して取ってくれた息子は言った。バスも新幹線も電車も運良く接続の時間を取らずに、しかも良い席に座れた。かんかん照りの暑さは感じず、涼風、雨上がりの心地よさを感じた。その次の日だと大雨に遭うところだった。女房もそうであるが、お天気に恵まれれば一般に女は「わたしは天気女なの」と自慢する。しかし、もし自然現象が人の徳性によるものならば、一方だけがたとえ天気女であったとしても一方が雨男であれば、どちらか強い方の影響を受けることになるであろう。

 男は昔買っておいたいろいろな仏教関係の書物を取り出して、精読してみることにした。男にはそのようなことができる時間的余裕があることを神仏に感謝しなければならないと思う。男の年になってもそのような時間を持てず、毎日あくせく働かなければならない人が沢山いる。男は決して裕福ではないが、古の仏教修行者たちのように仏教を学ぼうと思えばいくらでも学ぶことができる余裕がある。その当時に比べ、今はいろいろな学者が研究して出した本や、解説書も沢山ある。勉強する気さえあれば、男の身の回りにはそれこそ豊富な資料が転がっている。数々の宝が転がって山積みになっている。

 男は手始めに『新訳仏教聖典』(大法輪閣版)を読むことにした。これは全ページ720ページの書物である。男は仏教の本が若い人たちの間でよく読まれるようになれば、世の中は良くなると確信している。問題は仏教関係の本の中身である。世尊とか釈尊とかいろいろな弟子たちの名前は、2500年前の人の名前を古代インド語から漢語に翻訳され、そのまま日本に伝わったものであるから、若い人たちには馴染みにくいのではないかと男は思う。

 例えば、聖徳太子が尊んだという勝鬘経に書かれている勝鬘は波斯匿王と后・末利夫人の娘の名前である。古代インドの発音では勝鬘はショーマンではなく、波斯匿王はハシノク王ではなく、末利夫人はマーリー夫人ではなかった筈である。男は昔、中国語を勉強したとき購入した『簡約 現代中国語辞典』(香坂順一編、光生館)を取り出して調べてみた。すると現代中国語の発音でカタカナで中国語の発音の四声を考慮して表記すると、勝鬘はシェンマンである。波斯匿は、ボーシー(ン)ニである。末利はモオリイである。しかし、名前を漢字ではなく、カタカナで表記したほうが親しみやすいと思う。

 女房は男がこのような勉強をし、毎日ブログを書いていることの意味を知らない。女房は男がただパソコンが好きで、朝食の時間も惜しむほど忙しげにしていることの方が変であると思っているに違いない。苦情を言う女房に男は「時間がなかなかとれないのだ」と言った。男は女房への愛情の量をできるだけ多くするように心がけながら、一方では自分自身の精神の向上のため、パソコンを活用し、このような随筆(っぽい)ブログの公開をしているのである。古の修行僧が大変な集中努力で学びとった仏教を、男は短い時間で、しかも左程苦労することなく学ぶことができることを感謝しなければならないと思っている。

2009年7月20日月曜日

現在、過去、未来の三世の因縁(20090720)

 今の時代は、何もかもテンポが速く推移し、人々は忙しく働き、人として本当の幸せを得るためどうすればよいのか考える暇もないほどである。男が子供のころはお寺で法会という催しがあり、男の祖母は近所の人たちとお寺に集まり、坊さんの話を聞くのを楽しみにしていたようである。今の時代、お坊さんは葬式の時お経をあげたあと、集まった人々に法話を語るが、聞いている人たちは「生臭坊主が何を言うか」というぐらいしか思っていず、折角の法話は何の役にもたっていないのではないだろうか。お坊さんが「皆いずれ白骨になる」と説いても皆、それは先刻承知のことぐらいにしか思っていない。

 今の時代、知っていなければならないこと、出来ることが当たり前のことが余りにも多すぎるのかもしれない。家庭の電気製品の知識、車の知識、パソコンを使う技術、車を運転する技術、政治や社会の情報等々数え上げればきりがない。

 たまに旅行してお寺や神社を訪れた時は、お賽銭を上げて手をあわせて何かを願ってお参りし、お正月には初詣して一年の初めに新たな気分になる。自分は確実にあの世に向かっていると思いながらも、自分の死はずっと先で、人の死は他人事のようである。

 男はこういう時代になったからこそ、今から2500年前にお釈迦さまが説かれたこと、2000年前にイエスキリストが説かれたこと、古の聖人が説かれたことを、せめて月に一回ぐらいは学ぶことを義務化するような社会的習慣があっても良いのではないかと思う。ただ、イスラム原理主義的な社会はよくない。彼らが世俗主義と非難するかもしれない ‘多様性’をキーワードにした、そのような文化がこの社会にあっても良いのではないかと思う。

 男は昔買った書物『新訳仏教聖典』(大法輪閣版)のページをめくり、関心がある個所に付箋をつけながら○○経、△△経の違いやそれぞれ説いているところについて調べ、その中の幾つかの注釈を試みた。この注釈は完璧ではないが、あまり外れてはいないだろう。

 聖徳太子が尊ばれた勝鬘経にはハシノク王と王妃・マーリー夫人(ぶにん)は娘・ショウマン夫人(ぶにん)に仏の功徳をほめたたえることが書かれている手紙を送ったところ、ショウマン夫人は「仏の言葉は世に並び無いと聞いていますので、私も仏にお仕えしたい」と言ったという。その仏は、今光明最勝王経によれば、仏には化身、応身、法身の三身あり、化身は仏が人々を救おうとするために仮に人の世に現れて人々の状況に応じ、いろいろな方便をもって身を現わして法を説く仏の形であり、応身は仏が仏への道を求める人々のために方便など一切使わず法を説く仏であり、法身はこの世のあるがままの原理とその原理を知る智慧とが一体となった法そのものであるという。男は自分が気づいていないのに仏の方便として存在し、他者に仏への道を仏が何か教えているのだと理解した

 大無量寿経によれば、王妃・マーリーが世尊(お釈迦様)に、ブスで貧しい女や、ブスだが金持ちの女や美人だが貧乏な女や、美人で金持ちの女などいろいろな女がいる理由を問うたら、世尊はそれは前世の行いが原因であり、今世の行いの結果が来世の生まれ方につながると答えておられる。一方で増一阿含経では、人がこの世で経験する苦楽や不苦楽もすべて前生の業だと言い張ることなど一方的な主張は間違っていると教えておられる。

 男は、苦楽や不苦楽の受け止め方はその人それぞれであり、煩悩の我欲があれば楽が苦になることもあるので、世尊はそう教えておられると理解した。この世が如何に合理的であろうと、人智を超えた過去世、現世、来世の因縁はあるのだと男は確信している。