2010年7月31日土曜日

自己保存(20100731)

  あらゆる生物は自己を保存しようとする。あらゆる生物は自己の種が存続するように進化を遂げてきた。そしてなおかつ進化を続けている。

 人も同じあり、人の組織も同じである。人はある組織の一員になると、その組織で多少の恩恵を受ける限り、その組織を存続させるように行動する。

 行政改革がなかなか進まないのは、行政のそれぞれの組織の一員として、それぞれ自分が所属している組織を守ろうとするからである。国の省庁では、官僚は自分が所属している省庁の利益を第一優先に考えるのは自然の理である。官僚は「国の為」という大義は掲げ、その大義の為としながらも、巧みに自分が所属している省庁の為行動しようとする。

 省庁の利益を抑え、国の利益に資源を配分することができるのは国会議員である。しかし国会議員たちが国の為十分な識見を持っていないと、結局官僚の頭脳と組織力に太刀打ちできない。公然と「官僚たたき」と発言して得意になっていた国会議員たちはお粗末この上無い。マスコミはそのような国会議員たちを批判する能力がなく、大衆に迎合し、利益を得ようとする。マスコミも結局は一つの‘組織’である。自己保存の行動をする。

 古来、天皇は国の為ある時期は自ら政治を行い、武士の時代には武士の組織に利用されながらも常に大局を観、国を正しい方向に導いてこられた。勿論その陰には天皇を補佐する貴族たちがいた。わが日本国には世界に類例のない万世一系の天皇制が2000年以上続いてきたのである。誰がなんと言おうと歴史書に書かれていることは尊重すべきである!

 明治時代、日本軍が朝鮮半島への南下をたくらむロシアを排除するため清国(当時の中国)と戦ったのが日清戦争である。その後日本軍は中国を食い物にしようとしたロシアやドイツとも戦った。そして勝った。この史実を歪曲して、日本が中国本土や朝鮮半島に侵略を企てたと主張する‘国賊’がいる。似非‘インテリ’がいる。皆軽薄、大馬鹿どもである!

 日清戦争が始まろうとするとき、明治天皇は歌を一首詠まれた。それは;

  四方(よも)の海(うみ) みなはらからとおもふ世に 

                     なぞ波風(なみかぜ)の たちさわぐらむ

というものである。

 「はらから」は同胞のことで、その意味は同じ母から生まれた子供のことである。

 天皇は、いつの世にも万民の幸せを祈ってこられた。今上天皇陛下も宮中で毎日その祈りの行事を続けておられる。日本国民にとってこんな有難いことはないのだ!

 その有難さに気付かない輩が余りにも多すぎる。男は再三再四言うが、その責任は男を含む60代以上の年寄りにある。皆「教えざる」の罪がある。

 さて、自己保存であるが、民主党大会で小沢グループの者たちが声を張り上げ、執行部の責任を問うたのも、彼らの自己保存の行動である。自己保存力の強いものが勝つ。

 世界中であらゆる組織はそれぞれ自己保存の行動をしている。それは自然の理である。日本人は‘かれら’に魂を抜かれ、自己保存の行動が乏しくなってしまっている!

2010年7月30日金曜日

伝統工芸から生まれた新技術(20100730)


NHKテレビで紹介されていたが京都の伝統工芸の美しい絵模様が入った陶器を作る時の技法を応用してセラミックコンデンサーを開発したある企業が世界一のシェアを誇っているということである。これは初め1000度の温度でセラミックのコアを作り、次にこのコアに金属が溶解しない低い温度で金属を接着して電子回路に多く使われているコンデンサーを作るのである。日本人の伝統工芸の技術と器用さがなければこの製品は完成しなかった。

また、細い線の型紙を作る技術も電子回路の導線を掘る技術に応用されている。組みひもの技術は炭素繊維の組み合わせ方で柔軟度がいろいろ違う素材を作り、堅いものは重量が極欄に軽くても金属以上のものが出来ている。このような素材は端的な例ではゴルフの棒に応用されている。自動車メーカーは衝突事故対処のため、その素材をドアの構造に応用しようと考えている。

京都工芸繊維大学では、日本の伝統工芸における匠の技を科学的に分析し、匠の技を学ぶ若い弟子たちが容易に匠の技を習得できるように研究している。その一方で、伝統工芸が新しいテクノロジーとして応用できないか研究している。

男は「やはり京都だ」と膝を叩く。平安時代400年間の重みを感じる。奈良の都、飛鳥の地、難波の大阪、日本の再生は関西からである。関西人に期待したい。

平成維新だとか、革命だとか、体の好い言葉で改革だとか叫んだ連中は大バカ者である。彼らは明治維新の志士ちとは大違いである。彼らには学歴はあっても教養がない。

明治維新の志士たちには‘武士道’という精神があった。‘勤皇’という筋が一本通った魂があった。日本の伝統や文化を重んじ、‘和魂洋才’の気概で富国強兵を推進した。学歴はなくても教養が高かった。

明治維新の志士たちは、何よりも腰に刀を差していた。日本刀は武士の魂であった。戦前、将校たちは刀を腰に下げていた。戦後、そのような日本の精神は、アメリカにより徹底的に破壊されてしまった。日本の男たちは外見は‘男’でも、中身は‘女’のようである。しかし、サッカーの選手たちは違う。彼らは日の丸を背負って戦った侍である。

古い歴史がある日本では、戦争に負けても伝統や文化や工芸が脈々として受け継がれてきた。しかし戦後急激な価値観の変化により日本の伝統や文化や工芸や歴史を軽んじてきた世代、概ね60代から70代の世代の人間が各方面のリーダーになっている。

天皇を軽んじる某政治家たちは中国に色目を使い、パフォーマンスを行い、この日本を危険な状態に陥れた。沖縄本島と宮古島の間の狭い幅の‘公海’を中国の潜水艦などが堂々と通過した。そればかりではなく、監視していたわが護衛艦に中国海軍のヘリコプターが急接近しカメラで護衛艦を撮影した。

こう言うと男は‘右翼’のメンバーのように見えるだろう。しかし違う。男は、市ヶ谷の陸上自衛隊東部方面総監室で、総監の前で割腹自殺を図った三島由紀夫を思い出す。今、日本人は改めて三島由紀夫の‘檄文’を読むべきであると思う。

2010年7月29日木曜日

ナンバーワン(20100729)


先般の参議院選挙で与党も野党も似たようなキャッチフレーズを掲げた。与党のキャッチフレーズは「強い経済」、野党は「ナンバーワン」であった。何れも自信を失いかけている日本国民の士気を鼓舞するものである。しかし、国民はあまり踊らなかった。

明治時代、日本国民は列強に伍し、列強を追い抜いて世界に冠たる日本国を築き上げる為、強い政府の指導のもと国民一丸となって頑張った。そのとき指導者が共通して持っていた精神があった。その精神は武士道の精神であり、華道・茶道・武道等‘道’の付く精神であった。維新時一時破壊された神社仏閣や貴族が遺したものも復活された。何よりも先ず天皇が国民統合の中心になり、教育勅語も発布され、国は貧しく人々の暮らしも貧しかったが、国の背骨となる強い軍隊を築き上げた。国を一人の武士に例えれば、軍隊は、武士の魂である刀のようなものである。

今の日本人は戦後アメリカの政策により魂を抜かれてしまっている。‘闇の組織’は日本という国の根底にある日本人の精神構造を破壊するためWASP(白人、アングロサクソン、プロテスタント)の後ろで糸を引き、目的を達成した。

そのお先棒を担いだのが某名門大学の元某教授であり、手足となって動いたのが日教組の連中である。共産党員も旧社会党員も同じ手合いである。かれらは口元も上手に嘘から嘘を並べ立て、日本人を骨抜きの国民にするためあらゆる活動をしてきた。男はかつて市ヶ谷基地にいた頃、制服姿で国鉄の四谷駅で切符を買おうとしたとき、駅員からあからさまに「税金泥棒」とののしられたことがあった。その時の悔しさは今でも忘れられない。

本屋の店頭に、公然と古代の日本の‘倭国’や‘卑弥呼’は日本列島に存在していなかったというようなことを、あれこれいかにも尤もらしい‘学説’を掲げて説明している本や、古代の日本の歴史を根底から覆すようなことを書いている本が並べられている。著者は某国の‘学者’や日本人の名前であるがその先祖は日本人であると疑いたくなるような‘歴史研究家’たちである。彼らは皆‘本を売って稼ごう’とする輩である。多くの、他人の意見や風評に影響されやすい一般大衆が、喜んでそれらの本を買って行く。

男は若い人たちに訴えたい。親たちや先生たちから教えられなかったかもしれないが、この日本の国に生まれ、その血の中に古代から脈々として受け継いでいる日本人としての血を今一度思って欲しいと。そして日本の歴史や日本の精神文化について、真剣に学んで欲しいと。また、だらしない頭髪や服装を止め、‘サムライ’になるため武道の一つや二つを身につけてほしいと。

21世紀以降は君たちが主役である。昨今の政変でもはっきりしているとおり、60代、70代の政治家たちは硬骨漢のような精神がない、まるでナマコのような連中である。彼らにこの日本の運命を任せていては、若い君たちが大損をするのだ。

と、73歳になる男が腹の底から願望して、叫んでも聴きとられないような空しい思いはあるが、叫ばないよりは益しだと叫んでいるのである。

2010年7月28日水曜日

民族感情 (20100728)


日本人は深層心理的に他国の民を見下しているであろうか?その感情は全く無いと言えるであろうか?逆に大陸の人々(中国人、韓国人、北朝鮮人)が、日本人を深層心理的に見下していないだろうか?少なくとも男自身は、彼らは日本人を深層心理的に見下していると思っている。中国人はよく「中国4000年の歴史」と口にする。韓国・北朝鮮の人たちも日本に文化を伝えたのは自分たちであると思っていると思う。いわゆる中華思想である。

実際は日本人が自発的に、かつ取捨選択しながら大陸の文化を吸収したのであって、まるごと受け入れようとしたわけではない。そうして日本独自の文化、とりわけ精神文化を開花させたのである。そのことは事実が証明している。

なぜ、反日あるいは克日という感情が大陸側にあるのであろうか?男は、それは何も先の大戦で日本がロシアを排除すべく大陸に侵攻し、朝鮮半島を支配したというだけの理由によるものではないと考える。そのことを説明すべく、インターネットで公開されている「慶應義塾双生児研究」の記事を以下に引用し、考えていることを述べる。

<自尊感情(self-esteem)とは、「自己に対する評価感情で、自分自身を基本的に価値あるものとする感覚」で、「精神的健康や適応の基盤をなす」ものとされています(心理学辞典、1999)

『中高生双生児世帯を対象とした教育と社会意識に関する大規模調査』結果のご報告・・(途中省略)・・一卵性と二卵性のきょうだいの類似度がそもそもあまり高くなければ,きょうだいひとりひとりに独自の環境(きょうだいで共有されていない環境ですので「非共有環境」といいます。・・(途中省略)・・自尊感情では非共有環境の影響が大きく、加えて遺伝の影響と共有環境の影響の両方が存在することが考えられます。・・(以下省略)>

非居優環境、遺伝及び共有環境のそれぞれの影響の割合について示されているグラフから読み取ると非共有環境の影響の割合は約60%、遺伝の影響が約27%、共有環境の影響は約13%である。

男は、民族感情はその民族の人々個々の自尊感情の集合であると考える。自尊感情で遺伝と共有環境による影響が合わせて40%を占めている。朝鮮半島を含む大陸の人たちの反日・克日感情を和らげるには、日本の精神文化を彼らの間に広げるしかない。それは強制ではなく、経済活動を通じた互恵関係の中で自然に広げるしかない。そのためには、今の日本の若い人たちの間に、日本の精神文化をしっかりと身につけさせることが肝要である。

男はこれまで何度もこのブログに書いてきたが、今の60代、70代の人たちの親は敗戦による価値観の急変にとまどった世代である。その60代、70代の人たちの子供たちは今働き盛りの世代で、アメリカ的合理主義を叩きこまれている世代である。しかし、かつての日本にあった企業における家族主義への回帰の必要を感じつつある世代である。

男は今の働き盛りの世代以下の若い人たちが、自分たちのアイデンティティとして、日本の精神文化の良さを見直し、2000年の昔から脈々として受け継がれてきたものを大事にし、さらにそれを世界に広めてゆくように活動することを願っている。

2010年7月27日火曜日

土用の丑・うなぎ (20100727)

今日(26日)は土用の丑の日である。男は時々うなぎの蒲焼を買う店に行ってうなぎの蒲焼を2枚注文した。1枚1000円である。奥では普通職人が1名か2名でうなぎの蒲焼を作っているが、土用の丑の今日は4、5名で焼いている。店頭の女性店員も増強されている。

その店員の若い女性が「出来上がりは4、50分後になりますがいいですか?」というので男は即座に「いいですよ」と答えて店を出、近くの大型複合商業施設「横浜トレッサ」の書店に行って最近気になっていた『倭の正体』などをもう一度手にとって見た。

この本は以前よく目に着く所にある台上に並べられていたがそれは無く、その代わり本の名前は忘れたが確か菅沼某・中丸某両氏が書いたセンセーショナルな題名の本があった。男はその本を手に取ってみた。その本にはアメリカに本拠を置く「闇の組織」が日本と北朝鮮との接近を妨げているようなことが書かれている。また韓国の哨戒艦沈没事件は当時付近の海底にいたアメリカ海軍の潜水艦が同じアメリカ海軍の誤爆攻撃に自動的に反応した結果引き起こされた事件であるというようなことが書かれている。また中丸某氏は5次元の世界は愛に満ち溢れた世界であるというようなことをその本の中で言っている。

気になっていた『倭の正体』は書棚にあり、歴史研究家が書いた、確か題名は『日本人の正体』という本の近くにあった。男はその両方の本をそれぞれ手にとってページをめくって粗読みした。まあ、内容的には如何にも尤もらしいことが書かれている。しかし、馬鹿馬鹿しくて買ってまでして本気でその本を読む気にはなれない。

しかし元公安調査室調査部長であったという菅沼某氏が言っていることについては、男は大変関心をもっている。世界を彼が言っているように観ることも必要ではないかと思う。

うなぎの蒲焼が出来上がったので家に持ち帰り女房と一緒に食べる。うなぎは大きいがそれでも子供のうなぎでさる。うなぎの蒲焼の専門店で買ううなぎはやはり美味しい!

食べながらテレビを見ていると、日本の‘おもてなし’の心を旅行会社のツアーで泊ったことがある能登の和倉温泉の加賀屋が台湾に進出して広げようとしている様子や、宅配便のヤマトが中国で広めようとしている様子が報道されていた。

菅谷某氏は、北朝鮮は中華思想で日本を犬猫獣同様の国と見下しているという。男もそう思う。大陸は古来島国の日本を東戌(東の犬)と見下して来た。その思想はなかなか改まらないであろう。

しかし今、加賀屋やヤマト運輸が茶の湯を通じて培われてきた日本古来の‘和の精神’や‘おもてなしの心’を大陸側に広めて行こうとしている。日本の科学技術力、経済力、非常に大きな犠牲を払って戦争に負けた相手の戦勝国・アメリカから学んだ合理主義・実証主義を武器に、日本の精神文化を大陸にどんどん広めて行ったらよいのだ。そうすれば、彼らの深層心理・中華思想は徐々に改められて行くことだろう。これから何世紀もの時間がかかると思うが・・・。

2010年7月26日月曜日

ブッダ『感興のことば』を学ぶ(128) (20100726)

これからいろいろやっておかなければならぬことがある。

ひとつはわが家の遠い先祖に関することをA4用紙3枚程度にまとめ、印刷し。従兄弟・従姉妹たちに配ること。特に子供のときしか会っていない従弟でわが家と名字が違う者には傍系であるがわが家のY遺伝子が伝わっているので、彼には良く話しておかなければならない。来月お盆の時期に一部の従兄弟・従姉妹が顔を合わせる機会があるので、そのときがわが思いを実行するスタートの機会となる。

もう一つは男及び女房個別に、幼い時からの写真とともに生涯の主な写真と説明文を作り、コンピュータに保存しておくこと。これは男及び女房がいずれかの日あの世に逝ったとき、子たちが男及び女房の人生を見ることができるようにするためである。

女房は、自分の葬式はごく限られた身内だけで行うのがよいと希望している。男も同感である。その日が何年後か何十年後かわからないが、葬式に一切の見栄は望まない。その時、子や孫たちが、男が遺したコンピュータ内の資料を開いてどのように見るかということはどうでもよい。自分の一生の締めくくりをきちんとしておくことが男の作業の目的である。

このように目標を定めて、余生は天寿を全うするように大事に生きる。生きている間をできるだけ幸せで楽しい美しいものにするよう努力する。「一所懸命に生き、一所懸命に死ぬ」これが素晴らしい生き方であると男は思っている。

昨日(25日)は大分駅前から高速バスで約1時間で大分空港に着いた。途中美しい風景を眺めた。車中、女房はまだ若いころ帰郷時親代わりのようにしてくれた叔父叔母がいつも車で空港まで送ってくれて、いろいろ沢山の土産物を買ってくれて、飛行機の出発まで時間があるときは途中杵築の町に立ち寄ってくれて城などの観光見物をさせてくれたことを男に話してくれた。昨日その叔父叔母の孫が結婚式を挙げ、夕刻よりその披露宴が行われたのである。男と女房が自分たちの孫の結婚式まで生きているどうかはわからない。多分生きているだろう。しかし今3歳の孫のときはどうであろうか。

ブッダ「感興のことば」はそろそろ終章に近づく。今年1月23日から始めた『ブッダ「真理のことば」をまなぶ』に続き「感興のことば」も学んできた。この「ことば」は約2500年前釈尊が語られたことを記録したもので、その後仏教の教学が確立する大本になったものである。「真理のことば・感興のことば」の中でその仏教の教学に直接かかわることばについては、やや難しいのでこのブログではあまり取り上げなかった。この『「感興のことば」を学ぶ』を終えた後、教学に関する部分を学びながらブログを書き続けようと思う。

「まとめの句」:

(1)無常と(2)愛欲と(3)愛執と(4)はげみと(5)愛するものと・・・途中省略・・・(30)楽しみと(31)心と(32)修行僧と(33)バラモンと、―――これらの33であると伝えられている。正しく覚った人の説かれたこれらの章とまとめの句が終わった。

2010年7月25日日曜日

ブッダ『感興のことば』を学ぶ(127) (20100725)

 このブログ記事はホテルの部屋でLANに接続して送信(公開)操作をしていたのであるが、横浜に戻ってページを開けてみるとまだ下書きのままになっていた。

 結婚披露宴は出席者120名余りで盛大だった。男はいきなりであったが主賓に続き祝辞ということで準備なく挨拶に立った。若い二人へのアドバイスということで電子顕微鏡では決して見えない‘遺伝子’のことを伝えた。二人のご両親、そしてご先祖から脈々として伝えられてきた誠に尊いもの、誠に美しいもの、それは意識して思わなければ気がつかないもの、それを是非見つけ出して、子々孫々に伝えるようにと話した。その後、祝吟を詠じた。今様は一緒に唱和なり手拍子なりをお願いしたが、一部手拍子を取ってくれている人たちが散見されたが、結局男の独吟、独り舞台となった。

 お酒で喉を潤してからと思っていたが、声も良く出て皆から称賛された。初め「上手くやれるかな」気がかりにしていた女房からも「声がよく響き渡って良かった」と褒められた。

 宴もたけなわとなるころ男は親戚のテーブルを回って皆の写真を撮ってあげた。これは横浜に帰ってから現像し写っている皆に送ってあげる。

 この披露宴が行われたホテルで今これを書いている。バッテリーも上がりそうなのでこれで終える。

75 バラモンにとってこれほどすぐれたことは、またと有り得ない。心を快楽から遠ざけるにつれて、かれの意(おもい)が退くにつれて、苦悩が静まる。

2010年7月24日土曜日

ブッダ『感興のことば』を学ぶ(126) (20100724)

 昨日は一日中大忙しだった。普段独り暮らしの老母ができないことをすべて行った。台所、風呂、洗面所の掃除、グリル周りの油汚れの除去などのクリーニング、部屋を全部空けて掃除機をかけ風を通す。寝具の取り換え、乾燥などなど。

 今日(24日)の披露宴に男は詩吟を披露するのでその準備(皆に配る二つ折りの詩文印刷したもの、詩文は筑前今様と絶句はレ点、一、ニ点付き漢文)、披露宴には行けない母に男の吟詠を聞かせてやった。

 来月また帰郷する。そのとき普段義理を欠いていた従兄弟・従姉妹たちの母の墓参りもする。初盆の予定など聞いて、宿の確保をする。来月は13日と15日それぞれ別の親戚の初盆であり、15日は女房と共通の親戚の初盆である。

 気温は38度を超す。今年の各地の夏の暑さは異常である。

 キムヨンヒ元死刑囚来日、拉致家族と軽井沢にある鳩山元首相別荘で面会。自民党などこれは「パフォーマンス」と大批判。しかし民主党は「パフォーマンス」は織り込み済み。物事には明暗両面あり、必ずしも批判は当たらないと思う。

74 太陽は昼にかがやき、月は夜に照らし、武士は鎧を着てかがやき、バラモンは瞑想に専念して輝く。

2010年7月23日金曜日

ブッダ『感興のことば』を学ぶ(125) (20100723)

 九州の田舎に帰省している。電源アダプターを忘れた。従い、バッテリーだけである。このブログも簡単に書く。

 明日一日、女房と一緒に老母の世話をし、明後日昼前の特急で大分に行く。結婚披露宴は4時からであるので少し早いが、田舎では人が交通機関に合わせて行動するしかない。披露宴が行われるホテルでは午後1時からチェックインできるので、早く着いてもその分ゆっくりできる。

 夕食はテーブルを囲んで焼き肉にした。いつも独りで食事をしている老母は久しぶり皆と一緒の食事でおいしかったという。

 女房が台所などで仕事をしている間、男はトイレの掃除をした。

55 つねにこだわりが無く、智をそなえ、疑惑を去り、ひとり歩み、遠くに行く人、かれをわれは(バラモン)という。

2010年7月22日木曜日

ブッダ『感興のことば』を学ぶ(124) (20100722)

 昨日(20日)、近くの家電量販店に行ってプリンターを買った。昨年1月にその店で買ったキャノンMP-540が故障したのでMP-550に取り換えたのである。

 これまでのものは「電源を入れ直して下さい」とエラーが出るようになり、電源を入れ直せばうまく作動していたが、そのうちそのエラーメッセージが頻繁に出るようになり遂には電源を入れ直しても元に戻らなくなってしまった。

 メーカーに電話を入れ、担当者のアドバイスでいろいろやってみたが、結局修理が必要であるという結論になった。修理費は9450円で別に送料が1575円かかるという。補償期間中ならば修理費は無料であると言う。しかし補償期間は過ぎてしまっている。

 女房は、修理費が1万円もかかるなら新品を買った方がよいという。件の家電店に行って同じキャノンの製品を買うことにした。使っているインクは同じものが仕える機種の方が良い。たまたま今まで使っていたものより少し新しいものが12800円で売っていた。期間限定の特価だと宣伝している。たまたま在庫が1個残っていたのでそれを買った。

 コンピュータや周辺機器は男にとってなくてはならぬものである。実は明日九州に帰るが、それは親戚の結婚式に呼ばれ、是非祝吟をやって欲しいという。そこでいろいろ考えた末、桧垣賀陽の『結婚式』を吟じることにした。これには初めに筑前今様が入っている。男はその今様の部分は琴の音色で、絶句の方はシンセサイザーの音で楽器を弾きながら吟じることにした。これまで随分練習を重ねてきた。

 何故男が招待されたかというと、結婚の相手側で何か演目を出すらしく、それに対抗して男が詩吟をやることになったらしい。初めごく簡単にお祝いの言葉を述べ、若い二人に一言是非伝えたいことをのべ、そのあと今様は宴席の皆さんに唱和してもらうなり、手拍子を取ってもらうなりして場を盛り上げ、そのあと絶句を吟じる段取りである。

 今様と絶句を漢文で書いた筆書きに見えるフォントで、絶句には1行ごと簡単な解釈をつけたものをちょっと上等な紙に印刷して二つ折りにして、宴席の皆さんに配る。そのためプリンターがうまく作動しないと困る。そこでこのたびプリンターを買い替えたのである。

 早速印刷して二つ折りにしてみると美しい。新郎新婦も漢文の詩の意味を理解して一層嬉しく思うであろう。新郎側の演者として相手側に十分対抗できると思う。

 明日昼過ぎの飛行機で羽田から博多に向かう。今日は今までになく炎暑で室内でも35度になった。今日と言う今日はいまままでに無く暑く、熱中症にならないため大量の水分を摂った。楽器等を鞄にしない旅立ちの準備をするため、前もって吟詠の練習をした。音が近所にあまり大きく聞こえないように部屋を閉め切ってエアコンも無しの状態で30~40分練習した。汗はだらだら水が滴るように流れ出た。サウナに入っているよりエネルギーを消耗した。しかし意外と爽やかである。その間女房はフィットネスに行っていた。

50 牡牛のごとく雄々しく、気高く、竜・大仙人・勝利者・欲望の無い人・沐浴者・覚った人(ブッダ)、かれをわれは(バラモン)という。

2010年7月21日水曜日

ブッダ『感興のことば』を学ぶ(123) (20100721)


横浜陶芸センターは本牧公園の近くにある。三渓園の裏で戦前は海だったところである。

辺りは公園として整備されていて陶芸センターに行く道は産業道路や高架高速道路と並行していて3メートルほどの広さの歩道が間門小学校角から本牧公園に向けて一直線に長く続いている。間門から本牧公園に向かって左側には松林、右側には銀杏並木があり、道の両側には両側に四季折々とまではゆかないがシランなどの花をつける草木が良く配置されて植えられている。この道はいつ通っても心が癒される道である。

以前海岸線の白い断崖であった場所の下には池があり、黄色や白の小さな可愛い花をつける睡蓮が一面に広がっている。

男は毎週一回この陶芸センターに通っていて手びねりで楕円形の皿を作り続けている。この種の皿は多目的で使える便利な皿で、ある時はライスカラー、ある時はスパゲッティー、ある時はお惣菜いれに使う皿である。同じものをいろいろやっているが、なかなか気に入るものが出来ない。皿の形状、釉薬などで随分変わった感じになる。

しかし少し明るい見通しである。一番初めに手びねりの教室で作ったものが一番気に入っている。土は赤2号、微妙な曲線の形状、内側に蚊帳を置いて白化粧し、呉須で若干の景色を作り、釉薬はミックスとする。今後作るものはきっと気に入ったものが完成するはずである。詩吟で世話になっている女性にお礼のため贈呈しようと思っている。

陶芸の帰り住宅街を通る。10歳ぐらいの男の子が玄関に入るなり「お母~さん!」と呼んでいる。思えば男は10歳のとき母を亡くした。男の女房は3歳のとき父を亡くした。二人ともそれぞれ祖父母に育てられた。その二人が夫婦になってもう50年近くになる。

先日つかこうへい氏ががんで他界した。遺書に「恥のある人生だった」という旨の文があったという。考えてみれば男にも幾つかの恥があり、幾つかの危険もあった。
未熟ゆえに恥があることをし、危険なことをしたにもかかわらずこの齢になるまで無事過ごしてくることができたのは、矢張り先祖のお陰、亡き母のお陰であると固く信じている。男は人生の役目を確実に果たすべく、これまで生かされてきたのだ。「あの世」に行くまでには役目をきちんと果たし終えねばならぬと思う。

女房には一切の恥など無いし、用心深くて危険なことをしこともない。女房はまるで聖観世音菩薩のようである。女房のそのような面は理解されないことがある。女房は常に相手の立場に立って真心を尽くしている。今はそんなことは無くなったが、以前は若い人に女房の思いが伝わらず、ある意味では無視されたこともあった。そときでも女房は一言も言わなかった。言えば相手が傷つくと思っていたからである。

49 一切の束縛の絆(きずな)を超え、驚き怖れることが無く、執着なく、よく行きし人、覚った人、かれをわれは(バラモン)という。

2010年7月20日火曜日

ブッダ『感興のことば』を学ぶ(122) (20100720)

 福岡の宗像にロボット製作会社テムサックという会社があって高本と言う方がその会社を立ち上げ、経営しておられる。遠地に実母の介護で帰省中の奥様(若くして他界)の希望で遠隔地で介護をされる方の様子を携帯電話の画面で確認することができる装置を開発し、ヒット商品になっているという。

 わが国のロボットの販売数は世界で7割を占めているという。介護用ロボットが公道に出る場合国土交通省、介護に関わる仕事をする場合は厚生労働省、電波を使う場合総務省と言う風に縦割り行政の規制があり、許認可が複雑で開発したロボットを市場に出すことができるまで5年や10年かかると言う。

 高本氏のロボットはデンマークから引き合いがあり、高本氏はわが国で規制が厳しいので工場をまるごとデンマークなどに移してしまおうかと考えているという。

 縦割り行政の利権に旧政権はしがみついていた。現政権ではどうか。行政改革でそのような利権構造が解消されることを国民は期待している。みんなの党の渡辺代表の覚悟に国民は期待している。

 男は名誉も地位も金も要らぬから高本氏のような人物のところで何か社会に役立つ仕事ができないかとふと思った。青春とは気持ちの持ちようで会って年齢ではないというようなことをサムエル・ウルマンと言う人が言った。チャレンジすればできないことはない。男はかつて会議福祉関係のNPO法人を立ち上げ、経営の基礎を作り、自らもホームヘルパーやガイドヘルパーの資格もとった。

 しかし、一方で社会に役立つ関わり方について考えた。今男がやっているようなインターネットを通じた関わりと男の子孫への‘体外遺伝子’の引き継ぎのための作業のため男は毎日ある程度の時間とエネルギーを割いている。加齢により免疫力も低下している。決して無理をしてはいけないと思う。

 人生には自分が出来ることと実際にその能力を行動に移すことができることがある。行動に移す優先順位がある。この世に生まれてきた役割がある。前途洋洋の、しかし先が見えないがチャレンジすることに意義がある若い時なら、まだ結婚もせず身軽な時なら失敗も恐れず何でもやれるであろう。その時期は遥か遠くに過ぎ去っている。

 子たちも立派に社会で活躍しており、家族に何一つ心配ごともなく、心豊かな日々を送っている。詩吟や陶芸で多少の創作の喜びもある。現代の先端科学を耳学問的に学びながら、お釈迦様の教えを少しでも広めるため自分にできる範囲の努力はしている。いずれ白骨となる時に向かっていろいろ準備をしている。望むらくは何れの日にか晴耕雨読の暮らしをしながら、自分の最期のときを迎えたいと願望している。

その願望は案外早く実現するかもしれない。

48 生きとし生ける者の死生のすべてを知り、執着なく、よく行きし人、覚った人、かれをわれは(バラモン)という。

2010年7月19日月曜日

ブッダ『感興のことば』を学ぶ(121) (20100719)

身に‘光るもの’を飾ることができるほど豊かでないから身には‘光るもの’を飾らない。その代わり質素で清潔で見た感じが爽やかなものを身にまとい、体も清潔にし、爽やかな笑顔で人に接する。発する言葉も穏やかで人を傷つけない。

たとえ名門大学を出ていなくても、資産家や社会的地位の高い人の家に生まれていなくても、常に学び知性を高めることを怠らず、常に謙虚で出しゃばらず、しかし学んで得た知識を生かして常に自らを律して衣・食・住・暮らし全般にわたって正しい日常生活を送る。心に飢えが無く、心は渇いていないから、他に何かを求めようとはしない。行為の結果がよく見えているので敢えて煩わしいことになる元を造らない。

そのような人は真の‘貴族’である。友は類を以って集まる。心が渇いて淋しい人は、同じような人と交わり自らの心の飢えを癒そうとするが、真の‘貴族’は独りであることを楽しむ。時に遠方より友が来て、傍から見れば簡素な自宅で酒を酌み交わし、天下国家や花鳥風月のことなどを談じあい、時の流れのなかのひとときを過ごす。

国家により年金という多少の‘祿’を受け、それ以上のものは求めず、その‘祿’の範囲内で無駄を省き、質素堅実に暮らす。己を人に見せびらかすための物は買わず、人に自慢するための旅行もしない。偕老同穴夫婦二人だけで行けるところまで行く。その先はまた国家により管理された終の棲家で最期のときまでを過ごす。なんという幸せか!

この日本國で「格差拡大」「弱者の目線」とかマスコミを通じて言葉だけが先行している。本当にそうか?人それぞれの境遇には自己責任が全くないのか?その自己責任もその人の‘前世’に起因するものが全くないと言えるのか?親は、先祖はどうだったのか?

明治初期わが国で作られた新漢語の言葉が、わが国への留学生などを通じて中国・朝鮮・東南アジアの国々に広まった。「哲学」という用語もその一つである。中国人が知らずに使っている言葉の中にわが国で作られた新漢語が沢山使われている。そのことも知らず自虐的な日本人が多い。戦後の価値観が急変した世代に育てられた世代が今この国の指導者層に集中している。それより若い世代の人たちは彼らの考え方に疑問を感じている。

日本人は文化的先進国の隋や唐や宋に学びわが国独自の文化を作り上げてきた。その一つの表れが次の漢詩にある。戦国時代から江戸時代にかけて生きた冷泉家の出の儒学者・藤原惺窩の作である。題は『山居』という。昨年8月の吟詠のブログで公開している。

        青山高く聳(そび)ゆ白雲の辺   

        仄かに樵歌(しょうか)を聴いて世縁(せいえん)を忘る

   意足りて求めず糸竹の楽しみ 

   幽禽(ゆうきん)睡(ねむ)りは熟す碧巌(へきがん)の前

ブッダの次のことばにも「前世」いう言葉が出てくる。

47 前世の生涯を知り、また天上と地獄とを見、生存を滅ぼしつくすに至って、直観智を確立した聖者、苦しみの終末を明らかに知った人、かれをわれは(バラモン)と呼ぶ。

2010年7月18日日曜日

ブッダ『感興のことば』を学ぶ(120) (20100718)


 梅雨が明けた。外は日差しが強く湿度も高い。わが家は周囲の窓を全開にすれば、周囲にわが家より高い構築物は無いので風は南に面した和室等の部屋から南から北に吹き抜ける。

 その和室の畳の上には藺草のござが敷き詰められている。一昨日近くのホームセンターで洗たく機の上部空間を有効利用できるように工夫されている組み立て式軽量ラックと一緒に買ってきたものである。

 このござは六帖敷きのものであるが非常に丁寧に造られていて品質が良い。折り目は縦に長く三つ折になっていて、折り目には化粧模様の布が縫い込んである。その縁が縦長であるので狭い部屋でも一層広く感じる。

 家の中を吹き抜ける風が心地よいのでその和室で昼寝をする。男は子供のころ夏の盛りに、当時の農家では習慣的であった昼寝の時間、風が吹き抜ける縁側で昼寝したときのことを思い出し、となりに寝そべっている女房に語りかけた。女房は自分が子供のころの経験を語る。「昼寝しているとアイスキャンデーを売りに来るおじさんがいてね、大きな入れ物をかかえて人数分のアイスキャンデーを買って、それに入れて持って帰ったわ、子供たちにはそのような楽しい思い出を沢山造ってあげたい」と言う。

 確かにこの都会地の子供たちはそのような楽しみが全くない。まだ小学校4、5年生ぐらいの女の子であった女房は昼寝の時間にアイスキャンデーを買うのが楽しみであったのだ。おじさんに大きな入れ物に人数分のアイスキャンデーを入れてもらって持ち帰り、家族皆で食べたことをこの齢になっても楽しく想い出されるので、子供にはできるだけ多くの楽しみを与えなければいけないと女房は言う。そのとおりだと思う。

 ちょっとうつらうつらして眼が覚める。女房が、昨日二男が手土産に持ってきたすももの冷やしたものを3個づつ皿に盛りもってくる。初め三つも食べられるかと思ったが、冷たいすももをかじると甘酸っぱい味と香りが口いっぱいに広がり、一挙に食べてしまった。

 子供の頃男の家にも女房の家にも庭先にすももの木があって、この時期それをもいで食べていた。当時それぞれの家の庭先には柿や枇杷や蜜柑などいろいろな果実が植えられていた。男の家には裏の竹藪の脇に肉桂(シナモン)の木があって、その根っこを切り取って手押しポンプでくみ上げる井戸水で洗って食べていた。そのような想い出は子たちにはさせることができなかった。その代わり子たちを川や海や山やプールなどに遊びによく連れていっていた。今同じようなことを子たちは自分の子供たちに経験させている。

 昨日、二男は自分たち夫婦の子育ての様子を語ってくれた。男は話を聞いて「よく育てている」思い、安心した。子たちが子供のころ、彼らは夕餉の食卓を囲み、先を争うように一日のできごとを母親である女房に語っていた。子育てで最も大事なことは親子の会話である。その習慣は子たちがまだ乳飲み子のころから母親である女房との間でできていた。

43 現世を望まず、来世をも望まず、欲求なくして、とらわれの無い人、かれをわれは(バラモン)という。

2010年7月17日土曜日

ブッダ『感興のことば』を学ぶ(119) (20100717)

 今日(16日)は風があり風鈴も良く鳴り涼しげであるが、気温・湿度とも非常に高い。うだるような暑さである。梅雨明けのようである。これから数週間本当に炎暑の夏の本番である。女房は近くのフィットネスクラブでちょっと汗を流してきて元気であるが、男は少し疲労気味である。CO2が増えるがエアコンのスイッチを入れた。

 夕方大阪に住む二男が主張で東京にやってきて帰りに立ち寄るという。女房は夕食に手巻きずしを御馳走しようと昨日から行きつけの店に寿司のたねを注文してある。手巻きずしとしじみ貝汁がこの暑さには一番のご馳走である。

 夏と言えば土用のうなぎ、しかし大手のうなぎ流通業者が台湾産を国産と偽って販売したことがばれ大問題になっている。彼らは偽装して暴利を稼ごうとしたから責められるのであって、台湾産でも国産と変わらぬほど美味でありかつ安価であることを積極的に宣伝すればよかったのである。そのような正直さがないのがけしからん。

 小沢氏は第一検察審査会から4億円について陸山会かの小沢氏への返済について収支報告書小沢氏が全く知らなかったということについて不起訴不当処分が出された。松木某という小沢氏の子分はそれを非難し、また他の小沢グループの国会議員は「素人集団の検察審査会云々」と非難したという。非難した議員を皆実名で報道すればよいのに、何故名前を伏せるのか。検察は小沢氏から自白を引き出せなかったら小沢氏はその件について罪を問われないだろう。「秘書が、秘書が」で終わりである。一方小沢氏が陸山会に貸した4億円については第5審査会で審議中である。民主党は政治と金の問題を引きずったまま、徐々に支持率を下げている。衆院解散の方向に向かっている。

 お釈迦様が説かれたことと現代の自然観の関係について思索したものを公開しているブログ『現代の自然観と仏教』をBiglobeからOCNに載せかえようといろいろやって疲れた。男はもともとOCNの会員で光とADSL二つの会員になっている。Biglobeでも無料であるが、OCN会員の場合無料のサービスがある。暫く両方にアップロードし、OCNでブログについていろいろ習熟した後、OCNだけでやってゆこうと思う。

 二男は手土産に高級なさくらんぼとすももを持て来た。女房は二男が来たときに少し高級なくだものを一緒に食べようとさくらんぼとすももとブルーベリーを買ってきていた。二男もブルーベリーも買おうと思ったがそうしなかったと言う。たまたま母と息子の考えることが一致していた。母子考えることが全く同じだったのは子供のころからずっと一緒に暮らしてきたからだと二男は言う。

 二男と‘体外遺伝子’的なものについて語り合った。二男は男が70過ぎてITに相当上達していることを評価してくれていて、ブログに投稿した記事を本の形で遺しておくようにと言う。是非そのようにしようと思う。

33 知識が深く、聡明な英知に富み、種々の道に通達し、最高の目的を達した人、かれをわれは(バラモン)という。

2010年7月16日金曜日

ブッダ『感興のことば』を学ぶ(118) (20100716)

男も女房もそのニュースには胸張り裂ける思いである。5歳のその女の子が可哀そうで可哀そうでならない。しかしそのニュースに接した非常に多くの人々は「またか」と思い、可哀そうには思うが関心度は低いに違いない。否、今の世の中がそのような情の薄い世の中になってしまっているのだと思う。

そのニュースとは、福岡県の久留米市で母子家庭の34歳の母親が5歳になる自分の子供・女の子を折檻し、遂には首を絞めて殺してしまった、しかもその折檻は電気洗濯機にその女の子を入れ、蓋を閉め、スイッチを入れて回したことが何度かあったほど残酷なものであった。世に鬼畜以下のような母親がいて度々ニュースになっているが、この母親も同じである。社会学上大きなテーマとすべき問題である。

イギリス、ロンドン大学のカスピ博士たちは、MAMO(モノアミノ酸という神経伝達物質を酸化して、機能させなくなる酵素)の遺伝子のはたらきが高い人と低い人で、虐待経験によって犯罪などの反社会的行動を引き起こすようになる程度が異なることを示した。

この遺伝子のはたらきの低い人では虐待経験が多い場合反社会的行動を起こしやすいが、そのはたらきの高い人にはそのような影響はほとんどない。遺伝的に環境に敏感な人が特に虐待の影響を受けて反社会的行動に走ってしまう傾向がある。つまり、遺伝的要素より本人の環境による影響が大きいと言うのである。(参考:『Newton別冊「知りたい!遺伝子のしくみ」』)

カスピ博士らの考え方に基づけば、件の母親は家庭を守ってくれる主人も居ず、自暴自棄になってしまうような環境にいたためそのような残虐な行動をしたということであろう。しかし、男は反論する。確かに環境の影響は大きいことは間違いないが、それが問題の原因のすべてではないのである。そのような環境に件の母親がいるという原因は、その母親の親、親族、その他の関係者との間の‘因縁’によることが大きいと男は思う。カスピ博士らは仏教の知識がない人たちであると思うから、‘因縁’ということを知らないと思う。

この‘因縁’は、件の母親が自らの問題を最善の方法で解決する能力を持っていなかったという根本原因である。その女の親から受けた遺伝子、親からうけた精神的なもの、周囲の者との関係など様々な要素が原因となって、‘因縁’となっているのである。

この‘因縁’を断ち切るためには自らのあらゆる執着を捨て去ることができるよう、ブッダにすがるしかない。ブッダに帰依しようとしている人々は自分の周囲にもしそのような女がいる場合はその女に声をかけ、その女の苦悩をすこしでも和らげてやる努力をしなければならない。そのようにすることはブッダに帰依しようとしている人々自身を救う道でもある。かく言う男も女房も例外ではない。もしもしそのような女がいれば、男も女房も必ずなにかの声をかけている。特に男はそういう‘おせっかい’をしたがる人間である。

27 すでにこの世において、自分の苦しみの滅びるのを明らかに知っていて、情欲を離れ、とらわれることの無い人、かれをわれは(バラモン)という。

2010年7月15日木曜日

ブッダ『感興のことば』を学ぶ(117) (20100715)


男は「この世」と「あの世」について以下のように考えた。

お釈迦様が今から約2500年前に説かれた「‘この世’の行いの良し悪しの結果が‘あの世’に現れる」という趣旨のことは、遺伝学的にも社会学的にも証明されると考える。しかし悪行を為したが子孫を遺さない者はどうか、という議論は当然あるであろう。

子孫を遺していない悪者でも彼の悪行の影響はその家族や親族や関係者に及ぶ。そのような影響を受けた家族や親族や関係者はその悪者のためこころ穏やかであることができない。このようにしてその悪者の「あの世」は遺伝学的な血縁関係の有無に拘わらず、彼の家族や親族や関係者の「この世」に現れるのである。

遺伝学的な血縁関係に無くても、社会的な関係がその悪者のとの間にあり、因果応報の関係を免れることはできない。この場合、その遺伝学的に血縁関係のない家族や親族や関係者は、自らが‘原因’を為して、その悪者の行為に大なり小なり加担している。この場合その遺伝学的に血縁関係のない家族や親族や関係者は、「この世」で彼の悪行に大なり小なり加担し、或いはその加担する原因となる要素をそれらの者の親や先祖の「この世」から遺伝情報として受け継いでいることが原因となって、その‘大なり小なりの加担’が生じ、それら家族や親族や関係者の「あの世」である今、こころの平安が奪われている。

このように「この世」と「あの世」は時系列的に「この世」から「あの世」に向かうが、それは遺伝学的なものや社会学的なものに関わっている。その関わりには全て「因縁」がある。凡夫はその因縁は予め避けようとしても自ら避けることはできないものである。故に日々修行し、執着を離れ、ニルヴァーナに近づくようにお釈迦様は説いておられるのである。仏教は、執着の原因が何であるか、その執着を離れるにはどうしたらよいかという真の理屈を教えるものである。

現代の科学は、遺伝について次のことを明らかにした。‘次のこと’と言っても学者でもない男がその全部を完璧にできるわけがない。故にこれはその中の針の先のようなごく限られた一部である。それについて以下のとおりである。

例えば人の「自尊感情」とか「権威主義的伝統主義」という性格は遺伝によるものが約30%であり、残り70%はその本人の独自の環境の影響によるものである。その環境の中には勿論本人の家族や親族や関係者が大なり小なり影響を与えるがそれは少ないものである。

一方「言語性知能」とか「学業成績」は約70%が遺伝によるものである。しかし、「言語性知能」ではその55%が特に親や周囲の指導如何により影響を受けるものである。つまり、生まれつきその知能が高くても、親や周囲の指導如何によりその知能を発揮できないのである。また「権威主義的伝統主義」についても約15%が同様である。

男はブログ「現代の自然観と仏教」に上記の思索について書こうと思う。

21 来るものを喜ばず、去るものを悲しまず、執着から脱している、戦場の勝利者、かれをわれは(バラモン)と呼ぶ。

2010年7月14日水曜日

ブッダ『感興のことば』を学ぶ(116) (20100714)

選挙は自民党が大勝し、民主党は大敗し、昨年自民党から離党した渡辺氏が立ち上げた「みんなの党」が大躍進した。衆参ねじれ状態が起こり、少数与党となりこの9月までの間に政界の再編が起きる可能性がある。衆議院解散もあり得る。庶民宰相菅氏は精一杯頑張ったが所詮庶民の出、幼少から大政治家になるための訓練を受けていなかったから仕方ない。明治維新も下士・郷士階級の者たちが成し遂げたが、そのバックには優れた藩主たちや、上士がいた。藩主たちや上士たちには何世代にもわたり培われたある種の素質があった。今後の日本の為、そのような‘体外遺伝的’な要素を大事にして育成された人材が必要である。庶民は所詮庶民でしかないのだ。

さて、昨日に続き発見したノートに書かれていた詩を今日(13日)もここに書く。日付は2/5/90とあるから90年2月5日に作ったものである。

題『夕刻の風景』

1 

パートタイムの 会社から

仕事を終えて 帰るとき

スーパーマーケットに 立ち寄って

夕餉の品を 買い求め

疲れた足を 引きづって

狭い道路に 車避け

ものの思いに ふけりつつ

とぼとぼ遠い 家路ゆく



ひたいに苦労の しわの数

子供は 中2校1か

夫は 通勤会社員

早朝深夜の 働き蜂

妻も苦労に 耐えている

夢は子供の 先のこと

夢で今の 苦労耐え

両手に重い 荷物下げ

とぼとぼ遠い 家路ゆく



夫は知るまい その苦労

子らも知るまい その苦労

時には夫に いじめられ

子らにも良くは 思われず

泣いてわが身を 慰める



夫よ時には あの妻を

子らよ時には あの母を

やさしくいたわり なぐさめよ

いたわりこそは 何よりも

大きな力と なることを

夫よ子らよ 知るべきだ

互いに労り いたわって

いたわり合いさえ するならば

家庭は平和 笑顔満ち

未来に 幸せ一杯が

あふれてくるに 違いない





寒風が吹く 夕刻に

首を伸ばして バスを待つ

妻の姿が そこにある

母の姿が そこにある

バスが早く 来ないかな

帰れば夕餉の 支度する

主婦の仕事が 待っている

妻は休む 暇もなし

母は休む 暇もなし

夫よ時には 思えよや

働かねばならぬ 妻のこと

子らよ時には 思えよや

働かねばならぬ 母のこと

いたわり労り いたわって

その苦労を 慰めよ



ブッダ「感興のことば」第33章は「バラモン」である。バラモンは古代インドで最上級の階層の人たちであった。

19 怒ることなく、つつしみあり、戒律を奉じ、博学であって、身をととのえ、最後の身体に達した人、かれをわれは(バラモン)とよぶ。

2010年7月13日火曜日

ブッダ『感興のことば』を学ぶ(115) (20100713)

 書棚に1冊のノートがあった。その中に次の詩が書かれていた。作詞の日付は12/9/89とある。男が現役のころ書いた詩である。決して出来の良いものではなく、公開も大変恥ずかしいものである。しかし、一人の、ごく普通の人間が 57歳のとき作ったものである。

 反古にすればきっと後悔すると思うので、ここに遺しておく。子にとって母は偉大である。わが子に対して真実・無私の愛情を注ぎ込むその本性に、すべての男は頭が下がる。

 昨今、そのような本性を失った母が散見される。そのような母に生まれた子は可哀そうである。橋の欄干から川に投げ込まれた女の子、10日間以上もトイレに缶詰めにされろくに食べ物も与えられずにいた男の子、義父や実の母に父が違う妹と差別され虐待され、学校に相談したがろくに話も聞いてもらえず絶望的になって罪を犯した少女、などなど可哀そうな子供たちが毎日のように報道されている。今の世の中は何処かおかしい。

 この詩は男のそういう思いを少しでも多くの人々に伝えたくて公開する。



   題『母(妻)への讃歌』



まだ 胎児であった お前の肉体が

母の 子宮に あった時

母は お前の鼓動を感じて

限りない 幸福感に 満たされていた



お前の「精神」の 宿主である お前の「肉体」は

母の「肉体」を 痛めつけて この世に 生れ出た

その時 母の「精神」は 

歯を食いしばって その苦痛に耐え

お前を この世に産み出した



母の「精神」は

お前の この世における 第一声を聞いて和み

そして 暫くの間 休息をとった

それから お前を 育て上げるための 苦闘が始まった



まだ言葉を話せない お前との間の 意思疎通 それは

お前の表情 お前の泣き声 お前の仕草

その 一つ一つから 

母は お前の 希望を 読み取った



その 愛に満ちた この母の 顔を 見よ

それは 母にしか 出来ない ことだ



母は お前を 育て上げるため

全てを 打ち込んだ

あらゆる 仕打ち

あらゆる 苦難に 耐えながら



そして ようやく お前は 成人した

母の 人生の 一区切りがついた

母は 独りで 納得した

「全てが 終わった

これで 私の役目は 終わった

これでよいのだ」――と

誰からも 慰められることもなく

誰からも 称賛されることもなく



全ての 子等よ

全ての 夫等よ



独りぼっちの母を

子育ての終わった妻を

いたわれ



その気持ちが 

母への 妻への 最大の 贈り物だ



母は 妻は やがて年老いて

この世を 去ってゆく



ブッダ「感興のことば」第32章「修行僧」最終番

82  戒めをたもっている人は修行僧であり、空を体現している人は瞑想者であり、専念している人はヨーガ行者であり、ときほごされてやすらぎに帰しているところに安楽がある。


83 修行僧はこのように楽しむことと楽しまないこととに堪え、情欲の煩悩の潜勢力を取り出して除きつつ・・・・・。

2010年7月12日月曜日

ブッダ『感興のことば』を学ぶ(114) (20100712)

 今日は参議院の選挙日である。男と女房は天気予報で午後は雨と言うので、午前中に投票をすませた。投票を終えて帰りの途中、近所のSさんご夫妻に会う。投票する候補者について一言二言言葉を交わす。比例区でSさんと同郷の若い候補者に入れてくれるよう話す。奥さんが「オホホ」と笑う。

 帰る途中、園芸店に立ち寄り、ブーゲンビリヤ一株を買って帰る。女房が値札2800円のものが800円の特別価格で売っているのを見つけ、買おうか買うまいか思案中であったので、男は「買おう」と言ってその鉢を持ち、会計カウンターに行った。

 昨年秋、女房と一緒に宮崎旅行をしたとき、あちこちでブーゲンビリヤの花が美しく咲いていた。そのことが強い印象として残っている。家に帰っておやつにブドウを食べているとき女房が「宮崎であの花が綺麗だったねえ」と思い出している。この樹木の育て方がわからないからどうしようかと女房は迷っていたが、「勉強すれば大丈夫だよ」と男は女房の背中を押してこの樹木を買った。男もその育て方について勉強するつもりである。

 今日から大相撲名古屋場所が始まる。しかしNHKによる実況中継もない。賜杯もない。会場は暴力団完全排除のためぴりぴりした状況である。相撲協会のガバナンスに関する独立委員会が立ち上がった。果して相撲協会は立ち直れるのだろうか。昨日は神事が行われた。相撲は2000年の歴史がある日本固有の伝統文化である。その重みを今一度思い直し、昨今の日本人の軽薄な風潮に歯止めをかけなければならないと思う。

 日曜日はNHKで園芸の時間がある。女房は毎週欠かさずそれを見ているが男もある程度見ている。今日は初めに長ネギや下仁田ネギの育て方やジャガイモの収穫について放送された。これを見ていて男はそのうち田舎に帰ってそこで暮らし、多少の農耕をし、日々晴耕雨読と読経の日々を送りたいと思った。これは男のロマンであり、美学である。

 田舎でもADSLで100Bpsの通信ができるようにしてある。そのためわざわざNTT西日本と契約している。普段は電話だけしか使っていないが、男は田舎に帰るとき小さなコンピュータを持って帰り、その回線につないでこちらに居るのと変わらないインターネット生活をしている。独り暮らしの婆さんはそれを見て「勉強している」と思っている。田舎で本格的に暮らすようになる場合は、ある程度の書物も持って帰らなければならない。

 田舎とこちらと年に何回か行き来する生活が理想である。今でも行き来してはいるが、田舎に居を移すとなると男にとって田舎が主生活の場となるので今とは逆の行き来となる。あと数年間は今のパターン。その後数年間は今とは逆のパターン。最後に田舎で介護付きの老人ホームに夫婦で入る。こんな余生を描いている。絵に書いた餅のような贅沢な余生である。しかし、実際はそのとおりにはならないのが世の常である。

 ウオーキングに出かけようと思ったが、予報通りポツリポツリ雨が降ってきた。

43 心が煩悩に汚れていないで、実体について固執を絶ち切った修行僧にとっては、生れをくり返す輪廻が滅びている。今や迷いの生存を再び繰り返すことはない。

2010年7月11日日曜日

ブッダ『感興のことば』を学ぶ(113) (20100711)


午前中また川の周りを散策した。高啓の「胡隠君を尋ぬ」さながらに、川沿いの路を歩き、橋を渡り、また橋を渡り、路沿いに咲く花を見、また別の花を見、楽しみながら歩いた。途中、川原の広場で高校の野球部の生徒たちが教員の合図で一斉に、声を出して足腰や体の動きを練る運動をしている様子を見た。土手の下に小さなテント一つ張ってあり、大人が2、3人いる。女性が一人いる。彼女は飲料などのサービスをするのであろう。生徒たちは運動して一休みするとき、そこで飲料など貰うのであろう。若い時にそのように集団で訓練を受けることは非常によいことであると思う。

川沿いの風景はとても良い。川幅50メートル位の流れもゆっくりした川であるが、雨天のときは増水する。昔はこの川は氾濫していたらしく、増水時に犠牲者も出ていたらしい。川沿いに無縁仏の祠があり、誰かがときどき花などを上げている。現在は防災工事もしっかりしていて、急な増水があったときのため、地下に直径9メートルほどのバイパス水路も完成している。また災害時人員物資を運ぶことができるように、川岸の一部に舟が接岸できるようなポートも出来ている。

この川沿いに建つマンション群の一つに24年前完成した世帯数28戸、7階建ての小さなマンションがある。男は24年前、転職を機にこのマンションの東角7階の1室を購入して移り住んだ。北、東、南の3面が窓であり、前に遮るものが何もないので風通しがとてもよい。初め4人家族で住んでいたが息子たちはそれぞれ早々と独立したので、今は女房と二人だけで住んでいる。時々遠隔地に住む息子やその家族が来て泊ってゆく。

初めこのマンションが出来たとき、辺り一帯は綺麗ではなかった。その後次々マンションが建ち、家々も逐次建て直され、あるいは新たに建てられて、川辺の風景はとても綺麗になった。24年前川沿いの土手に植えられていた櫻並木も大きくなり、キンモクセイの一種であろうが花の香りがしない樹木の並木も大きくなり、春ともなれば一帯は家族や職場の仲間で野外パーティを楽しむ人たちを見かけるようになった。

男の部屋と隣りの女房の部屋は角部屋で、窓を開けると眼下にその川が見える。2面に窓があり風通しがよく明るい部屋である。このような住環境は田舎では得られない。男は時々田舎で暮らしたいと思うことがあるが、いざ田舎に住むとなると失うものが多いと思う。第一女房の幸せを奪うことになる。田舎は田舎でまた良いところが多いのであるが・・。

男は、自分がいよいよ「あの世」に近づく頃には、良寛さんのように自分だけの庵に閉じこもり、良寛さんの庵には無かったと思うが自分の庵には大きな仏壇を置き、毎日経を上げて修行僧の真似をしながら過ごしたいと思う。その時までは、世俗の垢にまみれながら、しかし自制しながらできるだけ仏に近い生き方をしようと思う。しかし、男は自分の最期の時まで遂に完全なニルヴァーナを得るには至らないと思う。輪廻は繰り返すだろう。

41 心が永久に静まり、実体についての固執を絶ち切った修行僧にとっては、生れを繰り返す輪廻が滅びている。今や迷いの生存を再び繰り返すことはない。

2010年7月10日土曜日

ブッダ『感興のことば』を学ぶ(112) (20100710)

昨日(7日)午後遅く近くの川の周囲を散歩した。快晴で日差しは強いが割に爽やかである。川辺の茅が風に揺れている。名前は知らないが色とりどりの色々な花が風に揺れている。太陽が傾き影が長く伸びている。下の草地の広場で犬を連れた女性らが語り合っている。川面にボラが飛び跳ねている。男のように散歩を楽しんでいる者あり、軽いジョギングをしている者あり、皆それぞれリラックスしている。夕刻に近い午後の川辺の風景である。

男はこの風景を楽しみながら「人相」と「性格」や「知能」について、遺伝的なものや後天的なものとの関係について考え、それが子孫にどう伝わるのかなどあれこれ考えていた。そのうちに次の漢詩を小声で吟じていた。

そのようにして川辺を小1時間ほど歩いた。本当は自分も何か一つ詩を作る才能があれば良いのであるが、次の詩のような本当に素晴らしい詩は到底作ることはできない。その詩は高啓という人が作ったものである。『胡隠君を尋ぬ』と題する詩である。

   水を渡り 復(また)水を渡り

   花を看(み)還(また)花を看(み)る

   春風江上の路(みち)

   覚えず君が家に到(いた)る

というものである。

作者・高啓は明の時代(1369-1633年)(日本では室町時代から江戸初期)の詩人である。41歳のとき謀反の疑いの連座、一説には明の太祖の好色を風刺して太祖の怒りにふれた罪で腰折の刑に処せられている。残酷な処刑であった。

この詩は、春の暖かなある日、川の風景を眺めながら胡某という隠者を尋ねたときの作ったと言われる。まさしく男が今川の周りの路を歩きながら感じた風景のようである。

男は別に誰かを尋ねて歩いたわけではないが、自らなるべく隠遁の暮らしをし、何事にも関わらず自分の意の趣くままに日々を送ろうと思っているので、作者の気持ちと相通じるものを感じる。おのずから自分の顔をも穏やかな表情になっている。

人相と遺伝との関係はどうなのか、生後の人生の歩みの中で人相も変わるが、それが自分の遺伝子の中にどのように影響を与えるのか、人は何故生まれつき好運な人生を歩むことが約束されているような人がいる一方で、不幸な人生を歩むことを強いられているような人がいるのであろうか?人相には性格や知能や気質が表れていることは間違いない。性格や知能や気質などはすべて遺伝子に組み込まれている。同じDNAでも人によって発現の仕方が異なっている。人相はその人の「過去世」、つまり親やその親、そのまた親に遡る遺伝子の影響があることは間違いない。それがまた、その人の子孫に伝わるのである。つまり、「来世」に伝わるのである。4次元にいる人は自分の「前世」も「来世」も見えない。

34 この世は(変化して)異なったのとなる。この世の人々は迷いの生存に執着し、迷いの生存を楽しみ、つねに迷いの生存を喜び、迷いの生存からすっかり解脱することがない。

2010年7月9日金曜日

ブッダ『感興のことば』を学ぶ(111) (20100709)


男は自ら勝手に、自分自身が‘仏弟子’であると思い、およそ2500年前ブッダが語られたことを現代人の頭で理解できる方法を見つけようとしている。

ブッダは、端的に言えば「‘この世’の行いの結果が‘あの世’で現れる。だから‘この世’では修行して‘ニルヴァーナ’に近づくようにしなければならない。」と説いておられる。

悪い行いをする人たちは「あの世」など信じていない。今生きているこの世界でできるだけいい思いをしたいと願い、他者を傷つけ、他者を殺してまでして「この世」での利益を追い求めている。古来修行し、高度な学問を身に付けた先哲が話し、書きのこしたことを学ぼうとはせず、ものごとを自分勝手に解釈し、自分の言動を様々な理由をつけて正当化し、こころの安寧を得ようとしてかえって蟻地獄の深みにはまり、もがき苦しんでいる。

男は自らを‘仏弟子’と勝手に思いながらも、修行僧のように仏壇・仏像の前でお経をあげるでもなく、座禅するでもなく、世俗の垢にまみれ切った日々を送っている。しかし、そのうちごく短い期間でも何処かのお寺にお世話になって雲水の経験をしてみたいと思う。しかし最期まで男は世俗の垢にまみれたまま生を終えるだろう。というよりはそう望んでいる。男は世俗と縁を切ることはどうしてもできない。

さて、ハーバード大学の理論物理学者リサ・ランドール博士は、核分裂実験の過程で偶然、一部の素粒子が突然消失するのを発見した。博士は、素粒子が突然消失したのは、素粒子が5次元空間に飛んで行ったためであるという仮説を立てた。

博士によると我々の4次元の世界は5次元の世界からみると薄い膜のようなものであるという。そして4次元と5次元の間には重力が行き来しており、4次元の世界は何もわれわれだけの世界ではなく、他にも薄い膜のような4次元世界が存在しているはずであるという。もしかして「この世」の薄い膜も時系列の「あの世」の薄い膜も、畳み込まれていてホログラムのようになっているのかもしれない。

博士は仮説を理論物理学的に実証しようとして、スイスにある欧州原子核研究機構(CERN)の素粒子衝突型加速器(LHC)おける実験に期待している。しかし、このLHCはトラブル続きで昨年11月20日に稼働を再開したが、実験が危険であるという理由で訴訟が起こされており、また理論が正しいとしてもこのLHCのエネルギー程度では極小ブラックホールは生じず、余剰次元、5次元は検出されないだろうと言われている。

男は、人類はいずれそう遠くない将来必ず5次元の存在を実証するだろうと確信している。この実験に参加している東大など日本の各大学の若き研究者たちに大いに期待したい。日本の各大学はCERNのLHCでATLAS (A Toroidal LHC ApparatuS)という実験に参加している。その様子は「LHCアトラス実験おフィッシャルブログで公開されている。男はそのブログのページを随時開くことができるようにコンピュータを設定している。

30 この世で自分にとって苦しみの滅びてなくなることを明らかに知り、善い知慧のある人を、(つねに戒めをたもち汚れの無い人)と呼ぶ。

2010年7月8日木曜日

ブッダ『感興のことば』を学ぶ(110) (20100708)

 暑中見舞いの文案を考えた。その文案を女房に読んで聞かせたら、‘仏弟子’とかそのほかくどくど書いていることについて批判された。「思うところあって」の‘思うところ’の中身も不要であるし、何故年賀状を出さないかという理由も不要であると言う。

 言われてみれば確かにそのとおりで、‘年賀状を出さない’ことを簡単に伝えればよいのである。そこで暑中見舞いの文案は次のとおりとなった。

 暑中お見舞い申し上げます。お元気ですか?この炎熱の時期が過ぎればまた爽やかな秋となります。どうぞお健やかにこの夏をお過ごしになられますように。

 さて、小生思うところあり、今後なるべく隠居・遁世の日々を送ろうと考えました。従い今後は年賀状も失礼させて頂こうと思います。

 この勝手気まま・義理を欠く行いをどうぞお許し下されたく云々。

 初め、「小生の消息について下記ブログ云々」という下りがあった。女房の指摘で削除した。その代わり自宅住所、電話番号、Eメールアドレスに続きブログのURLを連記することにした。この部分は相手がインターネットをできるかでき来ないかは考えないことにする。

 このようにして年賀状を出さない宛先をリストアップした。使っているソフトは「筆まめ」である。出さない相手先にはこれまでの人生の上で大変お世話になった方や、自分の人生の上で大変影響の会った方、その他自分の最期の時まで深い印象がある友人を含めな。

 またそのような暑中見舞いを受け取ったとき違和感を持つと思われるような人たちも含めない。そのようにして絞った宛先は250件ほどになった。

 実際にそのような暑中見舞いを出すとき、友人などには一言メッセージをペン書して気持ちを伝えることにする。ここ数週間のうちに出すが、結構忙しい。急がねばならぬ。しかし、この仕事が終われば今年の暮近く、何かと忙しい時期を気楽に過ごせると思う。

 ワールドカップは日本が1対0で惜しくも敗れたオランダが決勝に進出した。次はドイツとスペインが対戦し、その勝者と優勝を争う。何れそう遠くない将来、日本も決勝を争う力をつけることだろう。若者よ大志を抱いて未来を開拓して欲しい!

 大相撲に捜査の手が入った。NHKは大相撲の中継を取りやめた。外部の人だけで構成する特別委員会を立ち上げて‘ガバナンス’を決めるという。これはちょっとおかしい。委員会のメンバーには貴乃花親方などを加えるべきであると男は思う。

 神奈川選挙区には民主党もみんなの党もたちあがれ日本もそれぞれ優秀な候補者を立てている。激戦である。全国的には自民党も追い上げている。11日の結果はどうなるか?日本の未来はリーダー次第である。曾祖父が鹿児島県人の小泉進二郎氏、今度全国区で当選が期待される鹿児島生れ鹿児島育ち、防衛大学校・航空自衛隊出身、松下政経塾卒業の宇都隆史氏(35歳)など、九州人、祖先が九州出身の政治家に、男は日本の未来を期待する。

28 身体にも、ことばにも、心にも、悪が無くて、善いことをなす性(たち)で、恥を知る最上の人を(修行僧)と呼ぶ。

2010年7月7日水曜日

ブッダ『感興のことば』を学ぶ(109) (20100707)


昨日(5日)嫁の一人から自分が作った湯呑のペアとわざわざ取り寄せて沖縄のシークワーサーを贈ってくれた。湯呑は先日の父の日に間に合わせようと造っていたが、間に合わずそのときはTシャツを贈ってくれた。今回ようやく自分が造っていたものが完成し、血圧が高い女房のためにとシークワーサーと一緒に贈ってきたものである。嬉しいことこの上ない。シークワーサーは沖縄で取れる柑橘類の果実の汁である。説明書を読まずにコップに少し注ぎそのまま飲んでしまったが説明書には1日にキャップ1杯5mgと書いてあった。女房も男も3日分以上を一度に飲んでしまった。多く飲んでも害はないと書いてある。

湯呑は本当に良くできている。土は地元で取れた土だと言う。釉は教室の先生からアドバイスを受けてロクロを回しながら白と灰色の模様がついていて茶わんの淵に褐色のちょっとした垂れ下がりがあり、なかなか良くできている。女房のための茶わんは高さが少し低く、口広の形をしており、女房も大変気に入って喜んでいる。

男はそう遠くない将来、嫁と一緒の工房で陶器を創るようになればさぞ素晴らしいことだろうと思い、その思いを嫁に伝えた。嫁もそう思っているようである。そのようにしてお互い切磋琢磨して陶器を造り、一緒にブログに載せ、まあ、これは夢であるが一緒に作品展を開くとどんなに素晴らしいかと思う。嫁に「死ぬまでに是非実現したい」と言ったら嫁は喜んでくれた。もともと陶芸のブログを開設したらどうかと提案してくれたのは嫁である。今回贈ってきた湯呑茶碗2個は早速ブログに載せようと思う。

今日、男が造った楕円形舟形の多目的皿が焼き上がっていた。出来の悪さにがっかりした。3枚のうち1枚にはひびが入っている。しかも素焼きの段階では左程歪んではいなかったのに、釉をかけて本焼きにしたら歪んでいる。気に入らない。

それでも今日また同じ形のものを3枚造った。今度は厚さを6㎜にした。形の歪みやナイフでカットした淵のでこぼこなど形の悪さを気にしないで自然のままの出来上がりで良しとすることにした。周囲のアドバイスも聞かないことにした。

一般に芸術品と言う物は非常に細やかな丁寧な作業の結果完成するものであるし、人はそのような非常に繊細な丁寧な仕上がりのものを美しいと感じる。男も例外ではない。しかしいざ自分が物を創ろうとすると性格の故か粗雑な粗っぽいやり方を好んでいる。

今度造った3枚の皿は男のそのような気質を逆に利用して、釉をかけるとき2種類以上の釉薬を使い粗っぽい模様を造り出そうと思う。粗っぽい中にある種の美を、焼き上がりの偶然の産物として期待しようと思う。初めから仕上がりを念頭に置いて根気よく集中して細やかな作業をすることは気短な男の性には合わない。物事は結果次第である。

男はもともと粗野である。今更上品なことはできない。自然のままにした方が精神状態もすこぶる良い。身の丈に合わぬ余計なことを考えたりしたりすることは馬鹿げている。

25 明らかな知慧の無い人には、禅定がない。禅定を修行しない人には、明らかな知慧が無い。禅定と知慧とがそなわっている人こそ、すでにニルヴァーナの近くにいる。

2010年7月6日火曜日

ブッダ『感興のことば』を学ぶ(108) (20100706)


 昨日列車の優先席の脇の壁に次の文章が書かれている広告があった。

   親が子を思う情はいつの世にも「永遠の片思い」であるという。

   片思いに応えられる年齢になったとき、親はいない。

   墓前にたたずめば、人は誰も

   「馬鹿野郎」と殴ってもらいたいと思う息子や娘である。

終わりの部分はちょっと記憶が確かではないが、まあ大体そのようなことが書かれていた。

 男は自分のことを振り返って、それほど「馬鹿野郎」でもなかったと思うが、10歳のとき死別した母には身を以って人の生き方を教えてもらったと思う。そのことは、このブログの「母」というラベルのところに書いてある。

 「子供の頃のことであったから」と大目にみれば「まあ、そうだろう」と非難されないであろうが、母には甘え心はあっても母に優しくする気遣いはなかった。

 昭和20年8月、朝鮮から連絡船で引き揚げて、国鉄に乗って多分小倉で乗り換えるときではなかったかと思うが、ホームに降り立つとき妹をおんぶしていた母はホームに降り立ったとたん仰向けに転んでしまった。10歳だった男は母が転んで仰向けになってしまったことをなじった。子供ながら引揚者一家の長であるつもりだったのだろう。

 車中親切な叔父さんがいてスーツケースを運んでくれたが、その人はホームには降りて来ず、そのままそのスーツケースを持ち逃げしてしまった。そのスーツケースの中には宝石など貴重品が入っていたという。母とすれば当面の生活のため必要な品々であったと思う。

 父は小学校の校長であったので事務引き継ぎなどして9月末に帆船で引き揚げてきた。家族一緒に父の実家に身を寄せたのはその後のことであったと思う。男には別府で母の親戚筋の家に暫くいたことを記憶している。

 父の実家で暮らしているとき、どういう理由だったかは記憶していないが、母に激しく食ってかかり母の胸を両手で強く押しやったことがあった。そのとき既に母の胸には乳がんのしこりができていた頃であったと思うが、子供の頃の男はそれがどういう意味か全く理解していなかった。

 入院中の母が男や男の弟に宛てたハガキをいつの間にか亡くしてしまった。今考えれば、母は息子である男に「片思い」の情を抱き続け、死ぬ間際まで男に教え続けたのである。母の祖父は侍であった。母は熊本藩士・御船奉行の祖父を誇りとし最期まで立派に生きた。

 人は必ず白骨となる。男はいずれそう遠くない自分の最期まで立派に生きるため、勝手に「在家仏弟子」となり、出来る限り隠居・遁世の暮らしをしようと考えている。

 そのことを皆に知らせるための文案を練っている。その手紙を受け取った人にあまり驚かれずにすむような文章にしなければならないと苦心しているところである。

24 修行僧は、身も静か、語(ことば)も静かで、心をよく安定統一し、世俗の享楽物を吐き捨てたならば、(やすらぎに帰した人)と呼ばれる。

2010年7月5日月曜日

ブッダ『感興のことば』を学ぶ(107) (20100705)


 京成曳舟駅から徒歩1分のところにある曳舟文化センターで財団法人日本吟剣詩舞振興会に所属している全国各地の詩吟の団体の全国吟詠コンクール東日本地区大会というものが行われた。

 この大会は年齢別に幼年、少年、青年、一般一部、一般二部、一般三部に分かれており、今日(4日)JR赤羽駅近くの赤羽会館と曳舟文化センターの2か所で、東日本各都道府県の大会で選抜された318名が吟詠の力を競い合った。男もかつて地区大会を経て県大会まで進んだことはあったが、その上には進むことができずじまいだった。

 男は、曳舟文化センターで午前中に行われた35歳以上55歳未満の区分である一般二部の競技を、詩吟を教えている女性2名とともに観に行った。というのは、男が主宰している詩吟の会にときどき来てくれて詩吟の指導をしてくれているある女性がこの大会に出場するからである。彼女の吟詠はなかなか素晴らしかった。男は午後の部は聴かず家に帰ったのでコンクールの結果は聞いていないが、多分入賞はしている筈だと思っている。

 会場で以前男が所属していた詩吟の会のメンバーに会った。メンバーの一人から男の吟詠のブログを見ていると言われ、男は嬉しく思った。それならば一層頑張ってできるだけ良い吟詠をアップロードしなければ、と思った。

 会場には詩吟用の各種品物を展示販売していた。そこで吟詠の伴奏用のカラオケのCDを買うことにした。男が持っているCDよりも新しい伴奏が入っているものをかねがね欲しいと思っていたからである。このCDがなくても男が持っている演奏装置に新たなICカードを入れれば音程も自由にかえることができ好都合であるが、その装置を製造元に送ったりしなければならず面倒なので、今後主に使う音程のものを一つ買った。

 男は「幾らですか」とも聞かずに注文したら、「4000円です」と言う。そこで4000円払って品物を受け取り会場を後にした。帰りの列車のなかでその品物を見て男は「しまった!」と思った。その品物の裏面には定価3000円と印刷されている。買うとき4000円は高いなと思ったが、「まそんなものだろう」と思い深く考えなかったのである。

 売り子は悪気で3000円のものを4000円にしたのではあるまい。多分、皆ボアランティアでやっている。詩吟の会ではコンクールなどの大会の時、詩吟歴の長い指導者クラスの人で例えば舞台、音響、会場、接待などの役割分担をし、コンクールでは審査、集計、賞状などの役割分担をする。CDや教本などを売っている人たちも皆何処かの詩吟の会の会員が役割を受け持ってやっている。男もかつてそのような役割分担をして大会の運営に当たっていたことがある。男は「1000円の余分は彼らの何かの費用になるものだ」と思った。しかし、詩吟に全く無関係な人たちに誤解を与えないように、吟詠の伴奏のカラオケなど詩吟をやる人が対象の品物については「1000円は寄付」と明示した方がよいと思う。

23 心が勇み、こころ楽しく、愛憎に打ち克って、喜びにみちた修行僧は、苦しみを滅ぼすに至るであろう。

2010年7月4日日曜日

ブッダ『感興のことば』を学ぶ(106) (20100704)


 NHKの連続テレビドラマ『龍馬伝』をたまに観る。ドラマの中で龍馬はもとより武市半平太、勝海舟、西郷隆盛など近代歴史上の人物が登場する。男は詩吟をやっていて、これらの人物が詩吟で詠う漢詩の題材になっているのを嬉しく思う。

 何が嬉しいかと言うと、もし自分が詩吟に全く縁のなかったならこれらの人物への親近感が薄いと思うが、詩吟をやってきたお陰でこれらの人物への親近感が一層濃いからである。

 武市半平太は土佐藩で郷士から上士身分に取り立てられたが藩主への忠義のあまり、藩論を尊王攘夷にさせ、反対派の吉田東洋の暗殺に関わり、結局藩主山内容堂により切腹させられた。享年37歳。後に明治政府により明治10年(1877年)名誉が回復され、後に坂本龍馬らとともに正四位が贈られている。

 武市半平太が牢獄で作った詞に次のものがある。

  獄中の作    武市半平太

花は清香に依って愛せられ 人は仁義を以って栄ゆ

幽囚何ぞ恥ずべけんや   只赤心の明らかなる有り

 今日(3日)、男は都内のある公共の施設で詩吟を教える日である。男は10年前からある詩吟のサークルを主宰していて月2回詩吟を教えている。7月に教える吟題は、今からおよそ1300年前19歳の時、留学生として第9次遣唐使船に乗って中国に渡り、中国で科挙という国家公務員採用試験に合格し、当時の中国・唐の玄宗皇帝に仕えていた阿倍仲麻呂が、30年経った頃故郷の父母を思って作った詩『無題』である。その詩は;

  無題     阿倍仲麻呂

義を慕う名空しく在り 忠を輸(いた)すも孝全からず

恩に報ゆる幾日も無し 国に帰るは定めて何れの年ぞ

 仲麻呂は日本への帰国を許され、藤原清河率いる遣唐使船の帰国の船に乗り帰国の途に着いたが、途中沖縄あたりで嵐に遭い難破し、漂流して今のベトナム中部に漂着した。その時生き残っていたのは清河や仲麻呂ら10数人であった。

 帰国の船団は4隻、人員は総員550名あまりであったが、日本に無事帰り着いたのは1隻のみであった。たまたまその1隻に奈良の唐招提寺を創った鑑真和上が乗っていた。

 清河や仲麻呂らは唐の都・長安(今の西安)に戻り、彼の地で没した。仲麻呂は72歳まで生きた。清河と唐の女性との間に出来た娘は日本に帰国したが父・清河に再会することはできなかった。清河や仲麻呂が日本に帰国できず唐に滞在している間に政変があり、玄宗皇帝が寵愛した絶世の美女・楊貴妃はやむなく死を賜わっている。実際は絞首刑で死んだ。

 ブッダ「感興のことば」第32章「修行僧」に書かれていることを読むと、男は到底修行僧のようにはなることができない。しかし、在家のまま修行僧の近づくことはできると思う。

23 慈しみに住し、仏の教えを喜ぶ修行僧は、堕落するおそれなく、ニルヴァーナの近くにいる。

2010年7月3日土曜日

ブッダ『感興のことば』を学ぶ(105) (20100703)


分子生物学関連の最新知識を得るため、インターネットでいろいろ調べる。入手する資料の中で色刷りものはキャノンのプリンターで印刷しようしたが、プリンターの調子が悪い。うまく印刷できるときもあるが、しばしば「電源を入れ直せ」と指示が出てエラーになる。それでも騙し騙しなんとか動かして必要な資料は得た。モノクロで良いものはブラザーのレーザープリンターで資料を得た。

入手した資料の内容は、ミトコンドリアDNA、遺伝子刷り込み、DNAのメチル化、ES細胞、ips細胞、恐怖記憶を思い出すときの脳内アクチビン活性などのである。結構分厚い資料となった。これらを丹念に読み、男の哲学のテーマ「現代の自然観と仏教」に関する思索を深めて行こうと思う。

それにしてもカラープリンターの作動が良くないのはこの蒸し暑さのせいだろうか。以前からときどき調子が悪いことがあったが、それが頻繁になった。これはやはりメーカーの修理部門に問い合わせ、要すれば修理に出さざるを得なくなるかもしれない。

コンピュータやその周辺機器は知的作業の道具である。その道具の調子が悪いため無駄な時間を浪費するのは馬鹿げている。そう思いながらもドライバーソフトウエアをアンインストールして新たにダウンロードして使ってみたり、ケーブルを取り換えてみたりしていろいろやってみた。それはそれで勉強にはなる。

毎日適度な運動はしなくてはならぬ。そう思い一端きりをつけウォーキングに出る。川の周りを5000歩ほど歩く。土手に生え茂っている背丈の長い雑草が風に揺れている様を見、道のわきのフェンス越しに顔をのぞかせる赤い花を見、川面の水の揺らぎを見ると、曇天で北寄りの風が吹いているためか秋を感じる。子供の頃の風景を思い出す。

宇宙の時間の流れと共に万物は生成消滅を繰り返しながら生命を繋いできていて、吾もまたその過程の途上にある。別に感傷的になっているのではなく、自然の有り様を素直に受け止め、若竹の時は遠く去り、炎熱の盛りもとっくに過ぎ、今「あの世」に向かって歩んでいる。その「あの世」が分子生物学で解明できないかと男は思って、まあ、科学者たちは「馬鹿なこと」と笑うであろうことを、大真面目で考えている。

女房はCDでヴォーカリスト徳永英明の歌を聴きながら夕餉の支度をしている。「ご飯ですよ!」との声、男はキーボードを叩くのを一端切りをつけて、食卓に向かう。

ブッダ「感興のことば」第32章「修行僧」

3 一切の業をすて去り、以前に造った塵を振い落し、「わがもの」という観念がなく、つねに自己が安住している修行僧には、人にむかってしゃべる必要がない。


20 仏の教えを喜び、慈しみに従する修行僧は、見るも快い、静けさの境地に到達するであろう。

男は、当面の最善の生き方として、自ら在家の仏弟子になったつもりになり、できるだけ隠居・遁世しようと思う。多少我儘・身勝手、義理を欠くことを敢えてしてまでも・・・。

2010年7月2日金曜日

ブッダ『感興のことば』を学ぶ(104) (20100702)

 ブログはそもそも公開する日記である。これまでこのブログに‘男’とか、‘私’とかを主人公にしてきた。読者は主として遠隔地に住む家族である。息子たちや嫁たちから見て「お父さん」や「お母さん」がどのように日々を送っているか分かると思って書いている。

 ある日、一人の息子から「長すぎるよ」と苦情があった。またある日一人の嫁から「毎日読んでいます」と男を喜ばせてくれた。

 吟詠のブログに毎月自分の吟詠を発表していて、毎日結構多くの人たち(ただし固有名詞やメールアドレス等は分からない、人数や回数だけ解析できる)がそのブログを訪問してくれている。数ヶ月前夜中に急に咳き込むことがあって以来であるが、その症状は解消したにも拘わらず、自分の吟声に響きがないことを感じている。今日も自分の吟声を録音して聞いてみたが、どうもよくない。

 最近自分の体力が落ちてきていると感じる。これは加齢に伴う現象であるのかもしれない。ブログで公開する自分の吟を自己評価することは、自分自身の体の状態を自分で把握する手段にもなっている。浴室に体重や体脂肪率を測る器具を置いてあり、毎日測っているが、そのデータは以前に比べ改善されている。男の体重は69kg前後、体脂肪率は20%前後である。以前体脂肪率は22%を超えることが多かった。

 女房は数日前から近所にあるCurvesというフィットネスクラブに通っている。近所のよくつき合っている主婦から誘われてそこに通うようになった。そこではいろいろな器械があって、トレーニングは1台の器械で30秒程度運動をして次の器械に移り、次々器械を変えて30分間ほど運動をする方式らしい。そして体重や体脂肪率や腹囲など10項目ぐらいを毎月定期的に計測し、トレーニングの成果を自己評価できるようになっているようである。

 ここ数カ月女房は体調を崩して以来医者通いで、かなりの医療費を支払っている。役所から送られてくる通知でどのくらい医療費を使ったか分かる。国家予算が足りない状況の中、そのような医療費を使わなくてもよいようにしなければならないと思う。

 参院選で国民が何をどのような基準で評価し、投票すればよいのか考えている。テレビ朝日は今朝(1日)の放送で政党別の考え方などをレポートしている。今日、自民党、みんなの党、たちあがれ日本、国民新党などについて共通の視点で各党の政策担当者にインタヴューしたことを大変わかりやすくレポートしていた。明日は民主党、社民党などについて同様なレポートが行われるという。これは大変参考になるだろう。

ブッダ「感興のことば」第31章「心」;

6 汝は、幾多の生涯にわたって、生死の流れをくりかえし経めぐってきた、家屋の作者(つくりて)をさがしもとめて。あの生涯、この生涯とくりかえすのは、苦しいことである。


60 心を制することは楽しい。汝らは心を守れ。怠るな。心がよく守られているならば、或る生けるものどもは、やすらぎ(ニルヴァーナ)に達する。

2010年7月1日木曜日

ブッダ『感興のことば』を学ぶ(103) (20100701)


日本はパラグアイと対戦、延長120分でも0対0、ついにPK戦に突入、惜しくも敗れた。この日本列島中が興奮と感動の渦に包まれ、「日本!日本!」の大合唱で湧いた。選手たちは日の丸の旗を背負って、本当によく戦ってくれた。心から「有難う」を言いたい。

選挙戦たけなわである。民主党では小沢氏およびその一統が選挙公約の消費税10%目標の議論を始めるということを批判した。静かに黙っているはずがやはりそうしてはおれず、何れ自分がトップに立って思うように国を動かそうと目論んでいる。大衆迎合で票を集め、自分の言いなりになる国会議員を増やそうと目論んでいる。男は、小沢氏を国の為にならぬ人物、大陸との関係において立派な見識を持っているように見えるが、性急すぎて国を誤らせる大変危険な人物であると見ている。

男は、日本と中国とはそう遠くない将来、価値観を全く同じにする関係になって欲しいと願っている。しかし、中国4千年の歴史を誇りとする漢民族は、日本を内心‘小日本’と思っているようである。先を急がない超長期的な視野で周辺国を実質的支配下に置こうとしているように見える。今日(30日)の新聞で中国と台湾とが800項目の関税を撤廃し、自由貿易協定に調印したと報じられている。それは彼らの超長期的な視野にたつ戦略である。香港も台湾も、支配層は同じ漢民族の血が流れている者同士である。そう遠くない将来、中国は香港を完全な支配下に置き、台湾も自国の領土に組み入れることになるだろう。

そうなると今でも中国政府は堂々と「尖閣諸島は中国の領土である」「沖ノ鳥島は単なる岩である」と言っているとおり、何かの国際的な情勢をきっかけにして日本の警備・警戒のすきをついて尖閣諸島を軍事的に確保し、沖ノ鳥島を爆破して彼らが言う「岩礁」さえも無くし、日本が支配している海域を狭める行動に出るかもしれない。

小沢氏は‘チルドレン’議員たし140名を引率し、中国に渡り、胡錦濤国家主席に‘チルドレン’たちを謁見させ、自らは超大型のリムジンに乗って‘国賓’並みの扱いを受けた。そのお返しに次期中国国家主席候補の習近平国家副主席を、慣例に反して天皇陛下に謁見させるよう宮内庁に圧力をかけさせ、宮内庁が断ると「内閣の一長官に過ぎない宮内庁長官が内閣の判断について、公の場で批判するのであれば辞表を書いてから発言すべきだ」と言った。彼は天皇が行う国事行為として内閣の助言により行う「外国の大使及び公使を接受すること」をしないのは宮内庁長官が公務員として間違っていると言ったのである。

彼の言動は一見正しいように見える。しかし物事には記述されていない事項がある。それは文化的なものであり、慣例的なものである。彼は自分の考え通りにすれば日本国はうまく行くと信じ込んでいるようである。彼は古代の蘇我宗家のような開明性はあるように見える。しかしその蘇我宗家のように天皇をないがしろにした。今、消費税のことで参院選の自分が関わっている民主党選挙公約をも無視し、私利私欲的な行動をしている。

52 立派な人々は、いかなることがあっても、快楽のゆえにしゃべることが無い。楽しいことに遭っても、立派な人々は動ずる色がない。