東京裁判(補足)(20100909)
この「東京裁判」というタイトルでの記事を昨日で終わらせるつもりであったが、男は孫たちに日本の近代史を勉強してもらいたく、これまで公開した記事のうち東京裁判の部分を抜き出し、補足を加えてまとめた。以下は、その補足の部分である。
東京裁判(正式名称「極東国際軍事裁判」)では、南京虐殺が正当化された。勿論、日本軍による不条理な殺人行為が全くなかったといえば嘘である。しかし「鼻を削ぎ、耳を削ぐ」といった残虐行為を日本軍が組織的に行ったという事実はなく、全くのでたらめである。
日本軍は南京攻略にあたり「オープンシティ」を提案し、大量のビラを撒いたがたがシナ軍は応じなかった。「オープンシティ」とは「これ以上攻撃すれば市民に被害がでるから町を明け渡せ」ということである。日本軍が撒いたビラは東京裁判では採用されなかった。南京郊外にある中山陵(ちゅうざんりょう)という孫文を祀った丘がある。支那事変で日本軍はその丘に大砲を置き、世田谷区ほどの広さの南京に向かって砲撃すれば一番命中しやすい。しかし日本軍は其処は孫文の墓がある場所であるためその丘は使わなかった。
いわゆる南京事件というものはシナ軍の敗残兵によって引き起こされたものであった。敗残兵が上記のような残虐行為を行った。それを日本軍のせいにされてしまった。
戦後、中国は東京裁判の結果を最大限に利用した。中国は南京大虐殺紀念館、中国での正式名称は「侵華日軍南京大屠殺遇難同胞紀念館」を建設した。
この南京大虐殺紀念館の建設にあたり、「元日本社会党委員長であった田辺誠は1980年代に南京市を訪れ当館を建設するよう求めた。しかし当初、中国共産党は資金不足を理由に建設には消極的だった。そのことから同氏は総評から得た3000万円の建設資金を南京市に寄付し、その資金で同紀念館が建設された。3000万円の資金のうち建設費は870万円で、余った資金は共産党関係者で分けたという。また記念館の設計は日本人が手がけた。」(「」内はWikipedia記事)。
中国はこの記念館を中国人の愛国教育に最大限に活用している。その中で掲げられている写真の多くは偽造されたものであることが分かっている。
日本軍が敬意をもっていた孫文について、8日付の読売新聞によれば、上海万博の日本館で中国革命の先駆者とされる孫文(1868~1934年)と、盟友で多額の資金援助をした長崎出身の実業家・梅屋庄吉(1868~1934)の交流を紹介する特別展が開かれ、2万人以上が足を運ぶ人気企画となったということである。
このようにして日中両国間で間違った歴史認識が徐々に是正されてゆけば喜ばしいことである。
マッカーサーは朝鮮戦争を指揮し、原爆を使うことを提案して当時のアメリカ大統領トルーマンから解任された。
朝鮮戦争から呼び戻されたマッカーサーは上院の軍事外交合同委員会で「Their purpose, therefore, in going to war was largely dictated by security (彼ら(日本人)の戦争に入った目的は、主として自衛のために余儀なくされたものである。)」と証言した。これは東京裁判における東條の主張と全く同じである。
靖国神社にA級戦犯の方々が祀られている。A級戦犯の方々には確かに結果として悲惨な戦争をやめさせることが出来ず310万人の戦争犠牲者を出してしまった責任がある。
戦争犠牲者310万人のうち兵員は230万人、一般市民80万人である。兵員230万人のうち約5万人は現在の韓国・北朝鮮及び台湾の人たちである。
しかもこの兵員230万人のうち玉砕で戦死した方々、南方の島々で飢えと病気で亡くなった方々、特攻隊で亡くなった方々が非常に多い。
A級戦犯という扱いは不当なものであったが、国の指導者たちがこれほど多くの犠牲者を出した責任は重い。そういう意味で彼らは靖国神社に祀られるべきではなかったと思う。祀られるならば、国として別の然るべき社を建て、そこに彼らの霊を祀られるべきである。そのようにすれば、国家の命令で戦地に送られ、死んでいった方々を内閣総理大臣が国家を代表して、堂々とお参りできる筈である。別に立てる社への参拝は、個人個人の宗教観に基づいて行えばよいことである。
日本国政府として公式に東京裁判の結果を受け入れているが、時代も変わり、世代も変わり、考え方も変わってきている。
何処の国でも自存自衛の権利はある。近代の日本はマッカーサーが証言したように、自存自衛のため行動したのである。その結果、蟻地獄に陥ったようにずるずる最悪の事態まで行ってしまったのである。
日本がとった自存自衛のための行動は間違っていなかった。国会議員の立法で東京裁判の結果の見直しを行い、近代の日本が取った行動は決して間違っていなかったと決議すべきである。その一方で、日本がとった行動の結果、中国、韓国、北朝鮮、東南アジア諸国の人々に多大な苦痛を与えてしまったことを率直に認めればよいのである。
近代日本が列強諸国とのせめぎ合いのなかで自存自衛のためとった行動の結果、ずるずる深みにはまり込んでしまった。そのことについてある大学の教授が「それを侵略と言うんだ」と声を露わにして田母神元航空幕僚長を非難した。自民党の石破氏までもが田母神氏を非難した。
日本人は東京裁判の判決が間違っていたことを知り、自虐的史観から立ち直り、自存自衛のため命を懸けて戦い、死んでいった人たちに感謝の気持ちを持ち、未来に向かって正しい歩みをしなければならない。日教組など若い世代や子どもたちに間違った歴史観を植え付けようとする連中は、国賊である。
2010年9月8日水曜日
東京裁判(エピローグ)(20100908)
男はこのタイトルで毎日少しずつ勉強したことを書いてきたが、今日はその結論を書く。昨日母のことを中心に私小説を書くと宣言したが、それは明日から本格的に取り組むことにする。そのためこのタイトルを終わらせることにした。
日本人の近代史観、とくに明治以降日本が中国や朝鮮と関わった歴史観については、最左翼に自虐的史観があり、最右翼に皇国史観があると思う。自虐的史観は東京裁判の判決を正しいものとし、中国や朝鮮に対して日本は悪いことをしたという思想である。一方、皇国史観は東京裁判の判決は勝者側が敗者・日本に憎しみと憎悪を表したものであって、日本は先の戦争では中国や朝鮮や東南アジアの近代化に良いことをしたという思想である。何れも正しくない。日本は引くことを知らぬため、ずるずる深みにはまっただけである。
清朝末期、中国は欧米・ロシア列強の餌食になっていた。東南アジアは欧米列強の植民地であった。中国大陸に日本が進出したことについて、日本が欧米・ロシア列強と同じことをしたし、そうしなければ日本の安全は保たれないという理屈はあった。当時の状況としてそれは正しい理屈であり、日本だけが侵略者扱いされることは不公平である。
しかし東京裁判の判決では敗者・日本だけが悪者扱いにされ、A級戦犯とされた東条英機、板垣征四郎、土肥原賢二、松井石根、木村兵太郎、武藤章、広田弘毅、7人の指導者たちは絞首刑に処せられた。しかもそれはナチスドイツの指導者の犯罪と同列の犯罪者として扱われた非常に不当なものであった。
Wikipediaから引用;絞首刑になった7人の判決理由は次のとおりであり、全く不当なものであった。これには原爆投下というアメリカの犯罪を隠すためであったという見方がある。
東條英機:第40代内閣総理大臣・・ハワイの軍港・真珠湾を不法攻撃、米国軍隊と一般人を殺害した罪
板垣征四郎:満州国軍政部最高顧問・・中国侵略・米国に対する平和の罪
土肥原賢二:第12方面軍司令官・・中国侵略の罪
松井石根:中支那方面軍司令官(南京攻略時)・・捕虜及び一般人に対する国際法違反
木村兵太郎:、ビルマ方面軍司令官・・英国に対する戦争開始の罪
武藤章:第14方面軍参謀長(フィリピン)・・一部捕虜虐待の罪
広田弘毅:文民、第32代内閣総理大臣・・南京事件での残虐行為を止めなかった不作為の責任
Wikipediaに東條英機のことがいろいろ出ている。彼は「前へ前へ」の一点張りで引くことを知らぬ面があった。統帥の中枢にありながら陸海軍一元化の統帥ができなかった。彼の取巻き(憲兵)が彼に反抗するものを左遷し予備役に入れる措置をとったり、徴兵し2等兵として前線に送ったりもした。
男はもし小沢氏が首相になれば似たような状況になるのではないかとふと思った。ただ軍人である東條には潔癖さはあり、「金と数」をたのむような面は全くなかった。
男はこのタイトルで毎日少しずつ勉強したことを書いてきたが、今日はその結論を書く。昨日母のことを中心に私小説を書くと宣言したが、それは明日から本格的に取り組むことにする。そのためこのタイトルを終わらせることにした。
日本人の近代史観、とくに明治以降日本が中国や朝鮮と関わった歴史観については、最左翼に自虐的史観があり、最右翼に皇国史観があると思う。自虐的史観は東京裁判の判決を正しいものとし、中国や朝鮮に対して日本は悪いことをしたという思想である。一方、皇国史観は東京裁判の判決は勝者側が敗者・日本に憎しみと憎悪を表したものであって、日本は先の戦争では中国や朝鮮や東南アジアの近代化に良いことをしたという思想である。何れも正しくない。日本は引くことを知らぬため、ずるずる深みにはまっただけである。
清朝末期、中国は欧米・ロシア列強の餌食になっていた。東南アジアは欧米列強の植民地であった。中国大陸に日本が進出したことについて、日本が欧米・ロシア列強と同じことをしたし、そうしなければ日本の安全は保たれないという理屈はあった。当時の状況としてそれは正しい理屈であり、日本だけが侵略者扱いされることは不公平である。
しかし東京裁判の判決では敗者・日本だけが悪者扱いにされ、A級戦犯とされた東条英機、板垣征四郎、土肥原賢二、松井石根、木村兵太郎、武藤章、広田弘毅、7人の指導者たちは絞首刑に処せられた。しかもそれはナチスドイツの指導者の犯罪と同列の犯罪者として扱われた非常に不当なものであった。
Wikipediaから引用;絞首刑になった7人の判決理由は次のとおりであり、全く不当なものであった。これには原爆投下というアメリカの犯罪を隠すためであったという見方がある。
東條英機:第40代内閣総理大臣・・ハワイの軍港・真珠湾を不法攻撃、米国軍隊と一般人を殺害した罪
板垣征四郎:満州国軍政部最高顧問・・中国侵略・米国に対する平和の罪
土肥原賢二:第12方面軍司令官・・中国侵略の罪
松井石根:中支那方面軍司令官(南京攻略時)・・捕虜及び一般人に対する国際法違反
木村兵太郎:、ビルマ方面軍司令官・・英国に対する戦争開始の罪
武藤章:第14方面軍参謀長(フィリピン)・・一部捕虜虐待の罪
広田弘毅:文民、第32代内閣総理大臣・・南京事件での残虐行為を止めなかった不作為の責任
Wikipediaに東條英機のことがいろいろ出ている。彼は「前へ前へ」の一点張りで引くことを知らぬ面があった。統帥の中枢にありながら陸海軍一元化の統帥ができなかった。彼の取巻き(憲兵)が彼に反抗するものを左遷し予備役に入れる措置をとったり、徴兵し2等兵として前線に送ったりもした。
男はもし小沢氏が首相になれば似たような状況になるのではないかとふと思った。ただ軍人である東條には潔癖さはあり、「金と数」をたのむような面は全くなかった。
2010年9月7日火曜日
東京裁判7(20100907)
男は今朝母の夢を見た。その内容は忘れた。母は男が10歳のとき、終戦の翌年(昭和21年(1946年)の12月18日、乳がんで死んだ。男は「あの世」に行く前に、是非、母のことを中心に、できるだけ事実に基づき、事実がはっきりしないことは多少の想像も含めて、小説的に書き遺しておきたいと思った。それは一般に公開し、男の子や孫の世代、その先まで、男の母のことが語り継がれるようにしたいと思った。
何故、そうしたいのか。男は命の永遠性を確信しているからである。現世に生きる男は、あと10年前後の間に、或いはもっと先に、「この世」を去り、「あの世」に逝く。男は「あの世」で母に会え、父に会え、祖父や祖母たちに会え、叔父や叔母たちに会えると確信している。皆、男が子供のころ、男を暖かく見守り、愛してくれた人たちである。
男が子供のころ過ごした土地は昭和45年(1960年)ごろから鶴崎臨海工業地帯及び周辺の住宅地域として急激に都市化され、子供のころの田園風景は全く無くなってしまった。しかし、男が昭和28年(1953年)中学校を卒業したときの同級生たちは約3分の2、約200名が当時の鶴崎校区や大分県内に居住している。小学校・中学校を通じて友達、‘竹馬の友’であった人たちもその地に多く居住している。東京近辺に住んでいる竹馬の友も数人いる。皆、齢73歳になっている。
今年の4月末、別府のパストラルホテルで同級生50数名が一泊して有志の同級会が開かれた。57年ぶり顔を合わせた同級生が多かった。かつての女子中学生たちも年老い、中には座椅子でないと座れなくなっていた人もいた。かつての男子中学生たちも皆老人になった。57年ぶりに会って、話しているうちにようやく往時の面影を思い出す状況であった。
男は母の思い出を中心に小説を書き遺しておくことは、非常に大きな意味があると思った。女房にこのことを話したら、「また忙しい仕事ができましたね」と言われた。それはそうであるが、このような小説を書くと言うことは男の生き甲斐でもある。
さて、昨日に引き続き「東京裁判」について、要点をピックアップして書く。
盧溝橋付近で起きた最初の発砲については、シナ(支那)軍の偶発的発砲とか、日本軍の自作自演説とか、中国共産党の陰謀説など諸説があったが、少なくとも実包をすべて封印して演習中の日本軍がはるかにかずの多いシナ軍を挑発して戦闘を誘発するような行為を仕掛ける理由は全くなかった。
発砲は偶発的であり、その目的もわからなかった。その結果、小規模な戦闘が行われ、その間には停戦の折衝も行われた。しかし停戦協定はシナ軍によってすべて破られた。
シナ軍による発砲事件が繰り返されるうちに、昭和12年(1937年)7月29日に北京の郊外にある通州で日本人200人以上が虐殺される事件が起きた。これを契機に日本軍とシナ軍との全面的な衝突へと発展していった。
後日わかったことは、発砲事件は蒋介石の国民党軍に潜り込んでいた共産党員によるものであったことである。毛沢東の陰謀であったのである。そのことにつては明日続きを書く。
男は今朝母の夢を見た。その内容は忘れた。母は男が10歳のとき、終戦の翌年(昭和21年(1946年)の12月18日、乳がんで死んだ。男は「あの世」に行く前に、是非、母のことを中心に、できるだけ事実に基づき、事実がはっきりしないことは多少の想像も含めて、小説的に書き遺しておきたいと思った。それは一般に公開し、男の子や孫の世代、その先まで、男の母のことが語り継がれるようにしたいと思った。
何故、そうしたいのか。男は命の永遠性を確信しているからである。現世に生きる男は、あと10年前後の間に、或いはもっと先に、「この世」を去り、「あの世」に逝く。男は「あの世」で母に会え、父に会え、祖父や祖母たちに会え、叔父や叔母たちに会えると確信している。皆、男が子供のころ、男を暖かく見守り、愛してくれた人たちである。
男が子供のころ過ごした土地は昭和45年(1960年)ごろから鶴崎臨海工業地帯及び周辺の住宅地域として急激に都市化され、子供のころの田園風景は全く無くなってしまった。しかし、男が昭和28年(1953年)中学校を卒業したときの同級生たちは約3分の2、約200名が当時の鶴崎校区や大分県内に居住している。小学校・中学校を通じて友達、‘竹馬の友’であった人たちもその地に多く居住している。東京近辺に住んでいる竹馬の友も数人いる。皆、齢73歳になっている。
今年の4月末、別府のパストラルホテルで同級生50数名が一泊して有志の同級会が開かれた。57年ぶり顔を合わせた同級生が多かった。かつての女子中学生たちも年老い、中には座椅子でないと座れなくなっていた人もいた。かつての男子中学生たちも皆老人になった。57年ぶりに会って、話しているうちにようやく往時の面影を思い出す状況であった。
男は母の思い出を中心に小説を書き遺しておくことは、非常に大きな意味があると思った。女房にこのことを話したら、「また忙しい仕事ができましたね」と言われた。それはそうであるが、このような小説を書くと言うことは男の生き甲斐でもある。
さて、昨日に引き続き「東京裁判」について、要点をピックアップして書く。
盧溝橋付近で起きた最初の発砲については、シナ(支那)軍の偶発的発砲とか、日本軍の自作自演説とか、中国共産党の陰謀説など諸説があったが、少なくとも実包をすべて封印して演習中の日本軍がはるかにかずの多いシナ軍を挑発して戦闘を誘発するような行為を仕掛ける理由は全くなかった。
発砲は偶発的であり、その目的もわからなかった。その結果、小規模な戦闘が行われ、その間には停戦の折衝も行われた。しかし停戦協定はシナ軍によってすべて破られた。
シナ軍による発砲事件が繰り返されるうちに、昭和12年(1937年)7月29日に北京の郊外にある通州で日本人200人以上が虐殺される事件が起きた。これを契機に日本軍とシナ軍との全面的な衝突へと発展していった。
後日わかったことは、発砲事件は蒋介石の国民党軍に潜り込んでいた共産党員によるものであったことである。毛沢東の陰謀であったのである。そのことにつては明日続きを書く。
2010年9月6日月曜日
東京裁判6(20100906)
今朝、NHKの日曜討論に菅・小沢両氏が出演した。そこで小沢氏が口にする「多数決」について気になった。民主主義における多数決は本人の自由意思で決め、多数を占めた意見・考え方などを多数の意思と見なすものである筈である。
ところが小沢氏の言う「多数決」は、色々な形で‘締め付け’を行って多数を決めるやり方であるように、どうしても見えてしまう。実際に小沢氏が直接‘締め付け’を行うことはあまりないであろうが、取り巻きの人たちがそのようにすると思う。小沢氏の側近たちは皆‘正義感’に燃え、山岡氏は「小沢氏はステーツマンであって、エンタテイナーではない」と公言した。これは物言わぬ一般国民を馬鹿にした発言である。
小沢氏を初め側近たちは「圧力」をかけることが好きなようである。インターネット上にはそのような話題が沢山出ている。「圧力」をかけることができる政治家を人々は「実行力がある政治家である」ように見える。小沢氏が「自分ならできる」と力強く発言すれば、人々は彼を頼もしく思う。
新聞報道によれば小沢ガールズの一人・山尾志桜里衆議員議員が菅氏を応援すると表明したら「小沢氏の恩義を忘れたか」と抗議の電話が来ているという。小沢氏はマスコミにより悪者にされていると思う人たちからであろう。
昨年夏の第45回衆議院選挙では民主党の得票数は小選挙区で33,475,334.854票、得票率47.43%、比例区で得票数29,844,799票、得票率48.3%で何れも投票総数の過半数には満たない。民主党は国民の意思によって政権を担ったことは間違いないが、国民の過半数の意思を得ていたわけではなかった。
国民の多数が過半数が民主党を支持したわけではない。然るにこれまでの政権運営の結果、マニフェストを修正せざるを得なかったことを小沢氏は全く認めようとはしない。彼の多数決の考え方が彼を及び側近たちそのような間違った信念に駆り立てている。
さて、昨日に引き続き「東京裁判」について、要点をピックアップして書く。
北清事変は、当初は義和団を称する秘密結社による排外運動であったが、1900年に清国の西太后がこの反乱を支持して欧米列国に宣戦布告したため国家間戦争となった戦争である。この戦争で日本はイギリスの要請を受けて5000人規模の軍を派遣した。戦争は1年ほどで終了し、北京議定書が締結され、清国は歳入が8800万両強であったにもかかわらず、課された賠償金の総額は4億5000万両、利息を含めると9億8000万両という莫大な額であった。清国内は乱れ、その隙に乗じてロシアは満州に侵攻し、満州全土を占領してしまった。これが日露戦争の原因となった。(以上はWidipediaによる。)
北清事変終結後北京議定書に基づき、日本を含む欧米やロシア列強各国は自国の公使館を保護するため軍隊を駐留させていた。そういう状況下、昭和12年(1937年)7月7日、北京の南西にある盧溝橋付近で兜もかぶらず空砲で軍事教練を行っていた日本軍に対して何者かが発砲してきた。これは毛沢東の謀略であった。こうして支那事変が起こった。
今朝、NHKの日曜討論に菅・小沢両氏が出演した。そこで小沢氏が口にする「多数決」について気になった。民主主義における多数決は本人の自由意思で決め、多数を占めた意見・考え方などを多数の意思と見なすものである筈である。
ところが小沢氏の言う「多数決」は、色々な形で‘締め付け’を行って多数を決めるやり方であるように、どうしても見えてしまう。実際に小沢氏が直接‘締め付け’を行うことはあまりないであろうが、取り巻きの人たちがそのようにすると思う。小沢氏の側近たちは皆‘正義感’に燃え、山岡氏は「小沢氏はステーツマンであって、エンタテイナーではない」と公言した。これは物言わぬ一般国民を馬鹿にした発言である。
小沢氏を初め側近たちは「圧力」をかけることが好きなようである。インターネット上にはそのような話題が沢山出ている。「圧力」をかけることができる政治家を人々は「実行力がある政治家である」ように見える。小沢氏が「自分ならできる」と力強く発言すれば、人々は彼を頼もしく思う。
新聞報道によれば小沢ガールズの一人・山尾志桜里衆議員議員が菅氏を応援すると表明したら「小沢氏の恩義を忘れたか」と抗議の電話が来ているという。小沢氏はマスコミにより悪者にされていると思う人たちからであろう。
昨年夏の第45回衆議院選挙では民主党の得票数は小選挙区で33,475,334.854票、得票率47.43%、比例区で得票数29,844,799票、得票率48.3%で何れも投票総数の過半数には満たない。民主党は国民の意思によって政権を担ったことは間違いないが、国民の過半数の意思を得ていたわけではなかった。
国民の多数が過半数が民主党を支持したわけではない。然るにこれまでの政権運営の結果、マニフェストを修正せざるを得なかったことを小沢氏は全く認めようとはしない。彼の多数決の考え方が彼を及び側近たちそのような間違った信念に駆り立てている。
さて、昨日に引き続き「東京裁判」について、要点をピックアップして書く。
北清事変は、当初は義和団を称する秘密結社による排外運動であったが、1900年に清国の西太后がこの反乱を支持して欧米列国に宣戦布告したため国家間戦争となった戦争である。この戦争で日本はイギリスの要請を受けて5000人規模の軍を派遣した。戦争は1年ほどで終了し、北京議定書が締結され、清国は歳入が8800万両強であったにもかかわらず、課された賠償金の総額は4億5000万両、利息を含めると9億8000万両という莫大な額であった。清国内は乱れ、その隙に乗じてロシアは満州に侵攻し、満州全土を占領してしまった。これが日露戦争の原因となった。(以上はWidipediaによる。)
北清事変終結後北京議定書に基づき、日本を含む欧米やロシア列強各国は自国の公使館を保護するため軍隊を駐留させていた。そういう状況下、昭和12年(1937年)7月7日、北京の南西にある盧溝橋付近で兜もかぶらず空砲で軍事教練を行っていた日本軍に対して何者かが発砲してきた。これは毛沢東の謀略であった。こうして支那事変が起こった。
2010年9月5日日曜日
東京裁判5(20100905)
②細野氏が「苦渋の決断」で小沢氏支持を表明した。言動は穏やかであるが常に計算づくめで語っているように見え、権力志向的に見え、地元の身近な‘おっさん、おばさん’達の言うことに動かされやすく見える彼の性格では、当然の行動であろう。彼は小沢氏にそのようなところを見込まれ、党内でそれなりの立場に就くことができたと思う。そしてマスコミに注目されるようになった。
しかし、男は将来彼が一国のリーダーになることは国にとって小沢氏同様危険であると思う。もし彼が将来一国の総理大臣を目指すならば、国の為私心を持たず命を懸けて行動した幕末の志士たちのようにあらねばならない。しかしそのような志の元は幼少の頃から培われるものである。その素質は自ずから人相・風格に顕れるものである。
若い民主党員たちも‘永田町の論理’に毒されて‘物言わぬ一般庶民’の心底の願いや思いを理解できずにいる。柔道のやわらちゃんなど先輩の‘おっさん議員’達に持ち上げられて、小沢氏の出陣式で得意になって音頭をとった。あほらしい!
ベター論でゆくならば現職菅総理が頑張って是非民主党代表に再選されてほしいと思う。それが大方の国民の願いである。そしてリーダーシップの基盤を固め、自民党やみんなの党やたちあがれ日本や新党改革などと連携して国民の願いを一つ一つ実現して行って欲しい。さもないと時期衆院選挙で民主党は立ち上がれないほど大敗するであろう。
小沢氏に付和雷同のようにくっついている国会議員たち、即ち陣笠小物議員たちは、そのとき自分に都合がよい政党に流れてゆくだろう。今朝、日本テレビに出演した川内氏は鳩山グループに所属しているようであるが、口角泡を飛ばせて小沢氏を擁護していた。彼も付和雷同組、良く言えば鳩山氏同様国民からかけ離れた見識の持ち主であると思う。
民主党政権になって、一般国民の見識も一層高まってきた。これからの政党はそのような国民のレベルを読み間違うと大失敗すること必定である。
さて、昨日に引き続き「東京裁判」について、要点をピックアップして書く。
満州族の王朝である清朝は長くシナの土地を支配するが、19世紀半ばになると西欧列強の脅威に晒されるようになった。とりわけ1840年(天保11年)のアヘン戦争、1857年(安政4年)から1860年(安政7年)にかけて起こったアロー戦争で清国はイギリスに敗れ、何とか独立は維持できたものの半ば植民地化された。19世紀末になるとやりたい放題の外国人たちに不満を募らせた民衆が清国軍とともに北京にいた外国人を取り囲むという事件が起こった。このとき、列強八カ国(日本・ドイツ・イギリス・フランス・ロシア・アメリカ・イタリア・オーストリア)が自国民の保護のため軍隊を派遣した。
このときロシアは氾濫に乗じて満州に侵攻し満州を占領してしまった。日英米が抗議するとロシアは撤兵を約束したが居座り続け、北朝鮮に入ろうとした。日本は列島の安全を保つためロシアの朝鮮半島への南進を阻止ししようとして日露戦争(明治37~38年)(1904~1905年)が起きた。日本はこれに勝利し、満州をロシアから奪還し、清国に返還した。
②細野氏が「苦渋の決断」で小沢氏支持を表明した。言動は穏やかであるが常に計算づくめで語っているように見え、権力志向的に見え、地元の身近な‘おっさん、おばさん’達の言うことに動かされやすく見える彼の性格では、当然の行動であろう。彼は小沢氏にそのようなところを見込まれ、党内でそれなりの立場に就くことができたと思う。そしてマスコミに注目されるようになった。
しかし、男は将来彼が一国のリーダーになることは国にとって小沢氏同様危険であると思う。もし彼が将来一国の総理大臣を目指すならば、国の為私心を持たず命を懸けて行動した幕末の志士たちのようにあらねばならない。しかしそのような志の元は幼少の頃から培われるものである。その素質は自ずから人相・風格に顕れるものである。
若い民主党員たちも‘永田町の論理’に毒されて‘物言わぬ一般庶民’の心底の願いや思いを理解できずにいる。柔道のやわらちゃんなど先輩の‘おっさん議員’達に持ち上げられて、小沢氏の出陣式で得意になって音頭をとった。あほらしい!
ベター論でゆくならば現職菅総理が頑張って是非民主党代表に再選されてほしいと思う。それが大方の国民の願いである。そしてリーダーシップの基盤を固め、自民党やみんなの党やたちあがれ日本や新党改革などと連携して国民の願いを一つ一つ実現して行って欲しい。さもないと時期衆院選挙で民主党は立ち上がれないほど大敗するであろう。
小沢氏に付和雷同のようにくっついている国会議員たち、即ち陣笠小物議員たちは、そのとき自分に都合がよい政党に流れてゆくだろう。今朝、日本テレビに出演した川内氏は鳩山グループに所属しているようであるが、口角泡を飛ばせて小沢氏を擁護していた。彼も付和雷同組、良く言えば鳩山氏同様国民からかけ離れた見識の持ち主であると思う。
民主党政権になって、一般国民の見識も一層高まってきた。これからの政党はそのような国民のレベルを読み間違うと大失敗すること必定である。
さて、昨日に引き続き「東京裁判」について、要点をピックアップして書く。
満州族の王朝である清朝は長くシナの土地を支配するが、19世紀半ばになると西欧列強の脅威に晒されるようになった。とりわけ1840年(天保11年)のアヘン戦争、1857年(安政4年)から1860年(安政7年)にかけて起こったアロー戦争で清国はイギリスに敗れ、何とか独立は維持できたものの半ば植民地化された。19世紀末になるとやりたい放題の外国人たちに不満を募らせた民衆が清国軍とともに北京にいた外国人を取り囲むという事件が起こった。このとき、列強八カ国(日本・ドイツ・イギリス・フランス・ロシア・アメリカ・イタリア・オーストリア)が自国民の保護のため軍隊を派遣した。
このときロシアは氾濫に乗じて満州に侵攻し満州を占領してしまった。日英米が抗議するとロシアは撤兵を約束したが居座り続け、北朝鮮に入ろうとした。日本は列島の安全を保つためロシアの朝鮮半島への南進を阻止ししようとして日露戦争(明治37~38年)(1904~1905年)が起きた。日本はこれに勝利し、満州をロシアから奪還し、清国に返還した。
2010年9月4日土曜日
東京裁判4(20100904)
菅氏と小沢氏が日本記者クラブで討論会を行った。今朝(3日)のテレビ朝日で小沢氏が生出演した。一般的な印象は、菅氏はクリーンな政治を目標とし、組織内の調和・調整を重視して国政を行うタイプ、小沢氏は権力を集中して自分の思い通りに国政を行おうとするタイプである。一般国民は閉塞感から独裁者の出現を心の深奥では願っているだろう。
小沢氏ならば何かやってくれるのではないかと期待している人たちは多いだろう。しかし、成熟したこの日本の社会では、一般国民はもう小泉氏のようなタイプのリーダーの出現を望まない。中庸で調和のとれた政治を望んでいると思う。
小沢氏が主張するような政治主導で地方にもっと大きな裁量権を与えるようにすること、企業に蓄積され、それが十分活かされていない富を、法律を作ってもっと多く分配されるようにするということ、最終的には総理大臣の権限とリーダーシップで、一部に不満が残っても全体として調和のとれた形にすることなどは、菅首相でも今度の代表選に勝てばできることである。
男は菅氏ならばそれが出来るはずだと思っている。何しろ選択肢は菅氏と小沢氏の二つだけであるから、どちらを選択すれば‘ベター’かということであるから、菅氏が上述のような小沢氏の主張を十分取り入れた政策を、強いリーダーシップにより、全体として中庸な、調和のとれた形に持って行くならば、国民は菅氏を支持するだろう。
来週、菅氏がテレビ朝日に出演するという。男は菅氏の発言に注目したい。なお、今朝の小沢氏の発言の中で、アメリカの海兵隊は日本に駐留してもらう必要はない、日米対等であるからアメリカに強く発言すべきであるという趣旨のことを言ったが、これは見当違いである。小沢氏は軍事システムについて見識がない。日本が核兵器を保有し、強い即応打撃力を保持し、集団的自衛権として在日アメリカ軍に軍事的に支援するならば双務的であるが、現状はそれに程遠い。首相になろうとする政治家がその程度の見識であるから、一般国民はなおのことである。
さて、昨日に引き続き「東京裁判」について、要点をピックアップして書く。
京都大学教授滝川幸辰氏、法政大学総長大内兵衛氏などはコミンテルンの陰謀に引っかかった人たちである。昭和2年(1927年)、当時の首相・田中義一の名を語り、田中義一が天皇に上奏したとう怪文書が中国語に翻訳された。その文書の内容は日本の世界侵略計画であった。それもコミンテルンの陰謀であった。
ソ連の主張によって、昭和13年(1938年)の張鼓峰事件(満州東南端にある張鼓峰で起こったソ連との国境紛争)や、翌年1939年に起こったノモンハン事件(満州とモンゴルの国境紛争、当時モンゴルはソ連領)といった、既に停戦協定が成立し解決済みの問題まで持ち出して、それらを日本の侵略として糾弾している。
そのソ連は日本の固有の領土であった千島列島を侵略し、ロシアに変わった今もなお北方四島を占有し続けている。しかもその侵略を行った日、9月2日を戦勝記念日にしている。
菅氏と小沢氏が日本記者クラブで討論会を行った。今朝(3日)のテレビ朝日で小沢氏が生出演した。一般的な印象は、菅氏はクリーンな政治を目標とし、組織内の調和・調整を重視して国政を行うタイプ、小沢氏は権力を集中して自分の思い通りに国政を行おうとするタイプである。一般国民は閉塞感から独裁者の出現を心の深奥では願っているだろう。
小沢氏ならば何かやってくれるのではないかと期待している人たちは多いだろう。しかし、成熟したこの日本の社会では、一般国民はもう小泉氏のようなタイプのリーダーの出現を望まない。中庸で調和のとれた政治を望んでいると思う。
小沢氏が主張するような政治主導で地方にもっと大きな裁量権を与えるようにすること、企業に蓄積され、それが十分活かされていない富を、法律を作ってもっと多く分配されるようにするということ、最終的には総理大臣の権限とリーダーシップで、一部に不満が残っても全体として調和のとれた形にすることなどは、菅首相でも今度の代表選に勝てばできることである。
男は菅氏ならばそれが出来るはずだと思っている。何しろ選択肢は菅氏と小沢氏の二つだけであるから、どちらを選択すれば‘ベター’かということであるから、菅氏が上述のような小沢氏の主張を十分取り入れた政策を、強いリーダーシップにより、全体として中庸な、調和のとれた形に持って行くならば、国民は菅氏を支持するだろう。
来週、菅氏がテレビ朝日に出演するという。男は菅氏の発言に注目したい。なお、今朝の小沢氏の発言の中で、アメリカの海兵隊は日本に駐留してもらう必要はない、日米対等であるからアメリカに強く発言すべきであるという趣旨のことを言ったが、これは見当違いである。小沢氏は軍事システムについて見識がない。日本が核兵器を保有し、強い即応打撃力を保持し、集団的自衛権として在日アメリカ軍に軍事的に支援するならば双務的であるが、現状はそれに程遠い。首相になろうとする政治家がその程度の見識であるから、一般国民はなおのことである。
さて、昨日に引き続き「東京裁判」について、要点をピックアップして書く。
京都大学教授滝川幸辰氏、法政大学総長大内兵衛氏などはコミンテルンの陰謀に引っかかった人たちである。昭和2年(1927年)、当時の首相・田中義一の名を語り、田中義一が天皇に上奏したとう怪文書が中国語に翻訳された。その文書の内容は日本の世界侵略計画であった。それもコミンテルンの陰謀であった。
ソ連の主張によって、昭和13年(1938年)の張鼓峰事件(満州東南端にある張鼓峰で起こったソ連との国境紛争)や、翌年1939年に起こったノモンハン事件(満州とモンゴルの国境紛争、当時モンゴルはソ連領)といった、既に停戦協定が成立し解決済みの問題まで持ち出して、それらを日本の侵略として糾弾している。
そのソ連は日本の固有の領土であった千島列島を侵略し、ロシアに変わった今もなお北方四島を占有し続けている。しかもその侵略を行った日、9月2日を戦勝記念日にしている。
2010年9月3日金曜日
東京裁判3(20100903)
昨日、菅、小沢両氏はそれぞれ約120名ほど集めて決起集会をし、その後、都内のホテルで共同記者会見を行った。両氏の元々のスタートラインは共に関わった民主党のマニフェストにある。ところが、菅氏は過去1年にわたる民主党政権での経験を踏まえ、マニフェストの修正も含め現実的路線を目指し、一方、小沢氏はマニフェストの完全実行を目指している。男は、小沢氏の意図は別のところにあると見る。
小沢氏はマニフェストの完全実行が無理なことは百も承知であろう。では、何故党代表・内閣総理大臣を目指すのか?彼は、二つの目標があるように思う。一つは内閣総理大臣になって、政治と金の問題を払しょくする。鳩山氏ももし内閣総理大臣でなければ、巨額脱税の罪に問われていた筈である。小沢氏も内閣総理大臣になって、目前の暗雲を払しょくしようと考えていると思う。もう一つは、代表選に負けても、小沢氏は自分のため手足となって働いてくれた者を、国政の重要なポストに就かせ、その労に報いるということである。その場合、政治と金の問題は払しょくされないが、これまでと状況は変わらない。
何れにせよ、小沢氏にとって代表選に打って出ることは得策である。菅氏が小沢氏排除の方向を打ち出したので、ここがチャンスと代表選に打って出たのである。
さて、小沢氏は剛腕で予算の完全組み換えを行うという。「小沢氏ならやれそうだ」というイメージが先行している。しかし、そのようなことが出来る筈がない。これまで大臣職に就いていろいろ勉強した方々、官僚、民意を含む強大な複合システムに対抗して、小沢氏及び側近グループ及び一部の閣僚経験者たちのシステムは弱い。システム対システムの戦いに勝てるわけがない。
小沢氏は普天間問題は白紙に戻さないが沖縄と米国両方が納得する妙案があると公言した。沖縄住民を納得させるには所得税や住民税を軽減して、個々の住民に目に見える形がないと沖縄住民は納得しないだろう。それは出来る筈。菅政権は真剣に考えるべきである。
さて、昨日に引き続き「東京裁判」について、要点をピックアップして書く。
本来侵略戦争にあたらない満州事変が何故「侵略戦争」とされたか?それは当時、ソ連の共産党国際組織(コミンテルン)に愛新覚羅溥儀が脅されていたからである。溥儀は、彼の出自の清朝を彼の故郷、清王朝発祥の地で再興させたいと自ら進んで満州国皇帝に就いた。当時の日本政府はそれを歓迎し、軍閥割拠するその地で日本軍は彼の政府を助けた。日本の支援により満州国は著しい発展を遂げ、人口も急増した。バチカンを初め世界の20各国が満州国を承認した。日本が満州を侵略して傀儡政権を建てたのではない。
そもそも満州事変の背後にはコミンテルンの陰謀があった。そのことを除外しても、世界に承認された正式な国家・満州国はポツダム宣言受託の時点では明らかに終わっている問題であり、今次の戦争の範囲には入らない。それを東京裁判では敢えて満州事変を侵略戦争としたのである。どうしても日本の指導者たちを処刑したかったのである。それも裁判官全員一致ではなく、4対7の評決で決定されたのである。
昨日、菅、小沢両氏はそれぞれ約120名ほど集めて決起集会をし、その後、都内のホテルで共同記者会見を行った。両氏の元々のスタートラインは共に関わった民主党のマニフェストにある。ところが、菅氏は過去1年にわたる民主党政権での経験を踏まえ、マニフェストの修正も含め現実的路線を目指し、一方、小沢氏はマニフェストの完全実行を目指している。男は、小沢氏の意図は別のところにあると見る。
小沢氏はマニフェストの完全実行が無理なことは百も承知であろう。では、何故党代表・内閣総理大臣を目指すのか?彼は、二つの目標があるように思う。一つは内閣総理大臣になって、政治と金の問題を払しょくする。鳩山氏ももし内閣総理大臣でなければ、巨額脱税の罪に問われていた筈である。小沢氏も内閣総理大臣になって、目前の暗雲を払しょくしようと考えていると思う。もう一つは、代表選に負けても、小沢氏は自分のため手足となって働いてくれた者を、国政の重要なポストに就かせ、その労に報いるということである。その場合、政治と金の問題は払しょくされないが、これまでと状況は変わらない。
何れにせよ、小沢氏にとって代表選に打って出ることは得策である。菅氏が小沢氏排除の方向を打ち出したので、ここがチャンスと代表選に打って出たのである。
さて、小沢氏は剛腕で予算の完全組み換えを行うという。「小沢氏ならやれそうだ」というイメージが先行している。しかし、そのようなことが出来る筈がない。これまで大臣職に就いていろいろ勉強した方々、官僚、民意を含む強大な複合システムに対抗して、小沢氏及び側近グループ及び一部の閣僚経験者たちのシステムは弱い。システム対システムの戦いに勝てるわけがない。
小沢氏は普天間問題は白紙に戻さないが沖縄と米国両方が納得する妙案があると公言した。沖縄住民を納得させるには所得税や住民税を軽減して、個々の住民に目に見える形がないと沖縄住民は納得しないだろう。それは出来る筈。菅政権は真剣に考えるべきである。
さて、昨日に引き続き「東京裁判」について、要点をピックアップして書く。
本来侵略戦争にあたらない満州事変が何故「侵略戦争」とされたか?それは当時、ソ連の共産党国際組織(コミンテルン)に愛新覚羅溥儀が脅されていたからである。溥儀は、彼の出自の清朝を彼の故郷、清王朝発祥の地で再興させたいと自ら進んで満州国皇帝に就いた。当時の日本政府はそれを歓迎し、軍閥割拠するその地で日本軍は彼の政府を助けた。日本の支援により満州国は著しい発展を遂げ、人口も急増した。バチカンを初め世界の20各国が満州国を承認した。日本が満州を侵略して傀儡政権を建てたのではない。
そもそも満州事変の背後にはコミンテルンの陰謀があった。そのことを除外しても、世界に承認された正式な国家・満州国はポツダム宣言受託の時点では明らかに終わっている問題であり、今次の戦争の範囲には入らない。それを東京裁判では敢えて満州事変を侵略戦争としたのである。どうしても日本の指導者たちを処刑したかったのである。それも裁判官全員一致ではなく、4対7の評決で決定されたのである。
2010年9月2日木曜日
東京裁判2(20100902)
民主党代表選に菅、小沢両氏が立候補することになった。仲介した鳩山氏は「宇宙語しか話せない伝書鳩」と揶揄された。
「トロイカ+ワン」とは「小沢・鳩山・菅+輿石」4氏のことであるが、菅氏は、これを人事権を持たない「顧問会議」の形と理解し、党内がこれでまとまるならば、と考えた。一方、小沢氏側は人事権まで持つ形を考えた。同床異夢である。菅氏は4氏で話し合うことを拒否し、小沢氏と二人だけで話し合った。
小沢氏グループと菅氏グループと、‘システム’としてどちらが強いか考えてみた。小沢氏グループはお金を力の源泉にしているが、頭脳システムとしては菅氏グループよりも弱いと思う。菅氏グループには前原氏、岡田氏など秀才が揃っている。一方の側は子飼いの‘ガールズ’はいるが秀才が少ないように見える。テレビで出てくる顔は、言ってみれば頭が悪そうな、それでいて‘ポスト’が欲しそうな、どちらかと言えば田舎の年寄りが多そうな方たちである。そのような人たちが政治家を後押しした時代はもう過去のものである。
一方、菅氏グループに必要なのは、エネルギーの源泉としての‘お金’であろう。菅氏の幕僚(スタッフ)は、積極的に財界に働きかけ、献金を求めたら良い。財界といっても、中小の、30歳代、40歳代が経営者たちである。
修羅場をくぐりぬけた回数は小沢氏の方が多いが、菅氏も今回、鳩山氏が仲介した権力闘争の修羅場を行っている。それもお金が絡まない権力闘争である。これは大きな経験である。それこそ若い世代が望んでいる形である。‘小沢ガールズ’たちも、政治家として今後一層研鑚を積んで行こうと思うならば、‘旦那’小沢氏から距離を置く方が得である。今夕、両氏の政策が発表される。その内容はどのようなものか、大いに注目される。
さて、昨日に引き続き「東京裁判」について、要点をピックアップして書く。
東京裁判では、日本が侵略戦争を始めた年はいつなのか、ということが大きな問題になったということである。これは満州事変を侵略戦争とみなすかどうかということである。結局、法廷は日本の侵略戦争の開始日を1928年(昭和3年)1月1日と決めた。
ポツダム宣言は「今次の戦争」を対象にしたものである。ところが法廷は「今次の戦争」ではなく、満州事変も対象にした。 その理由は日本が調印した通称「不戦条約(パリ条約)」に日本が違反したという理由を作るためであった。
この条約では侵略戦争は否定している自衛のための戦争を否定していない。その満州事変はパリ条約に違反するものではない。そのことを、当時日本も加盟していた国際連盟から送り込まれたリットン調査団の報告で明らかにしている。
リットン調査団は、イギリス人のリットンを調査団長とし、アメリカ、フランス、ドイツ、イタリアの5カ国の代表からなるものある。リットン調査は満州事変について、「これは、ある国が隣りの国へ攻め込んだというような簡単な侵略とは言えない」と結論づけている。
民主党代表選に菅、小沢両氏が立候補することになった。仲介した鳩山氏は「宇宙語しか話せない伝書鳩」と揶揄された。
「トロイカ+ワン」とは「小沢・鳩山・菅+輿石」4氏のことであるが、菅氏は、これを人事権を持たない「顧問会議」の形と理解し、党内がこれでまとまるならば、と考えた。一方、小沢氏側は人事権まで持つ形を考えた。同床異夢である。菅氏は4氏で話し合うことを拒否し、小沢氏と二人だけで話し合った。
小沢氏グループと菅氏グループと、‘システム’としてどちらが強いか考えてみた。小沢氏グループはお金を力の源泉にしているが、頭脳システムとしては菅氏グループよりも弱いと思う。菅氏グループには前原氏、岡田氏など秀才が揃っている。一方の側は子飼いの‘ガールズ’はいるが秀才が少ないように見える。テレビで出てくる顔は、言ってみれば頭が悪そうな、それでいて‘ポスト’が欲しそうな、どちらかと言えば田舎の年寄りが多そうな方たちである。そのような人たちが政治家を後押しした時代はもう過去のものである。
一方、菅氏グループに必要なのは、エネルギーの源泉としての‘お金’であろう。菅氏の幕僚(スタッフ)は、積極的に財界に働きかけ、献金を求めたら良い。財界といっても、中小の、30歳代、40歳代が経営者たちである。
修羅場をくぐりぬけた回数は小沢氏の方が多いが、菅氏も今回、鳩山氏が仲介した権力闘争の修羅場を行っている。それもお金が絡まない権力闘争である。これは大きな経験である。それこそ若い世代が望んでいる形である。‘小沢ガールズ’たちも、政治家として今後一層研鑚を積んで行こうと思うならば、‘旦那’小沢氏から距離を置く方が得である。今夕、両氏の政策が発表される。その内容はどのようなものか、大いに注目される。
さて、昨日に引き続き「東京裁判」について、要点をピックアップして書く。
東京裁判では、日本が侵略戦争を始めた年はいつなのか、ということが大きな問題になったということである。これは満州事変を侵略戦争とみなすかどうかということである。結局、法廷は日本の侵略戦争の開始日を1928年(昭和3年)1月1日と決めた。
ポツダム宣言は「今次の戦争」を対象にしたものである。ところが法廷は「今次の戦争」ではなく、満州事変も対象にした。 その理由は日本が調印した通称「不戦条約(パリ条約)」に日本が違反したという理由を作るためであった。
この条約では侵略戦争は否定している自衛のための戦争を否定していない。その満州事変はパリ条約に違反するものではない。そのことを、当時日本も加盟していた国際連盟から送り込まれたリットン調査団の報告で明らかにしている。
リットン調査団は、イギリス人のリットンを調査団長とし、アメリカ、フランス、ドイツ、イタリアの5カ国の代表からなるものある。リットン調査は満州事変について、「これは、ある国が隣りの国へ攻め込んだというような簡単な侵略とは言えない」と結論づけている。
2010年9月1日水曜日
東京裁判1(20100901)
今日(8月31日)は、これまでになく蒸し暑さを感じた。菅首相と小沢氏は共に民主党代表選を戦うことになった。両氏の党運営の手法と政策は違っているし、それぞれ支持者がいるので、両氏が話し合って代表選を避けることができるというものではない。
党運営に関して小沢氏は政調会議を廃止し、党に一本化するということである。これに対して菅首相は旧政権同様政調会議を置き、そこにいろいろな分科会を設け、党員全員参加する形をとっている。その方が挙党態勢として分かりやすい。小沢氏の手法は陳情も党に集中させ、権力を手にし、自在に政治を操ろうとしているとしか見えない。
政策に関しては、小沢氏は自分が作ったマニフェストどおり実行し、財源として消費税は上げないという。これに対して菅首相は現実的な対応と取ろうとしている。それを小沢氏は現政権が官僚の言いなりになっていると批判する。これに対して菅首相は縦割り行政の弊害をなくす行革を断行しようと考えている。
明日両氏はそれぞれの政策を発表して選挙戦に突入する。お互い選挙を戦った後は協力し合うと言うが、さてどうなるか。どこの国でもトロイカ体制はうまく行かない。まして今回鳩山氏が仲介して「トロイカ+ワン」体制となるなら一層ややこしい。
鳩山氏は普天間基地問題で国益を損ない、また「トロイカ+ワン」体制で閣僚の活力を削がせ、結局国益にならぬことばかりやっているように見える。永田町の論理はもはや国民には通用しなくなっていることを彼は全く理解していない。菅首相も鳩山氏に説得されて鳩山氏が言った回数よりも多く「トロイカ+ワン」と公に言った。首相は指揮官(コマンダー)型でなく、調和・調整を重んじる幕僚(スタッフ)型のように見える。
さて、外出の車中で『東京裁判を裁判する』(渡部昇一著、致知出版社)を読んだ。男は東京裁判の記録を読むほどの時間はないのでこの本に書かれていることが東京裁判の記録に正確に基づいているかどうか、自ら検証しようとは思わない。しかし、この本に書かれていることは100%正しいと確信している。
初めて分かったことは、A級戦犯となって処刑された方たちは、結局、「通常の戦争犯罪及び人道上の罪」に問われたのであって、決して戦争を率先して始めたため罪に問われたのではなかったことである。
東京にいて直接関わってもいず、遠い戦地で人道の罪を犯した日本兵たちの指揮監督の責任を問われて処刑されている。それも南京大虐殺という作られた嘘などによってである。ナチスドイツのようにヒトラー首相以下指揮官・幕僚が自らユダヤ人大量虐殺の罪を犯した人たちと同列の扱いであった。本来、死刑に値しない罪で処刑されたのである。
「通常の戦争犯罪及び人道上の罪」の中身は①戦争法規違反の共同謀議、②戦争法規違反の命令・授権・許可、及び③戦争法規遵守の義務違反の三つである。
このことを男は今まで知らなかった。男同様殆ど多くの日本人はA級戦犯に扱われた人たちの罪名を知っていないだろう。日本人は東京裁判についてよく知る必要がある。
今日(8月31日)は、これまでになく蒸し暑さを感じた。菅首相と小沢氏は共に民主党代表選を戦うことになった。両氏の党運営の手法と政策は違っているし、それぞれ支持者がいるので、両氏が話し合って代表選を避けることができるというものではない。
党運営に関して小沢氏は政調会議を廃止し、党に一本化するということである。これに対して菅首相は旧政権同様政調会議を置き、そこにいろいろな分科会を設け、党員全員参加する形をとっている。その方が挙党態勢として分かりやすい。小沢氏の手法は陳情も党に集中させ、権力を手にし、自在に政治を操ろうとしているとしか見えない。
政策に関しては、小沢氏は自分が作ったマニフェストどおり実行し、財源として消費税は上げないという。これに対して菅首相は現実的な対応と取ろうとしている。それを小沢氏は現政権が官僚の言いなりになっていると批判する。これに対して菅首相は縦割り行政の弊害をなくす行革を断行しようと考えている。
明日両氏はそれぞれの政策を発表して選挙戦に突入する。お互い選挙を戦った後は協力し合うと言うが、さてどうなるか。どこの国でもトロイカ体制はうまく行かない。まして今回鳩山氏が仲介して「トロイカ+ワン」体制となるなら一層ややこしい。
鳩山氏は普天間基地問題で国益を損ない、また「トロイカ+ワン」体制で閣僚の活力を削がせ、結局国益にならぬことばかりやっているように見える。永田町の論理はもはや国民には通用しなくなっていることを彼は全く理解していない。菅首相も鳩山氏に説得されて鳩山氏が言った回数よりも多く「トロイカ+ワン」と公に言った。首相は指揮官(コマンダー)型でなく、調和・調整を重んじる幕僚(スタッフ)型のように見える。
さて、外出の車中で『東京裁判を裁判する』(渡部昇一著、致知出版社)を読んだ。男は東京裁判の記録を読むほどの時間はないのでこの本に書かれていることが東京裁判の記録に正確に基づいているかどうか、自ら検証しようとは思わない。しかし、この本に書かれていることは100%正しいと確信している。
初めて分かったことは、A級戦犯となって処刑された方たちは、結局、「通常の戦争犯罪及び人道上の罪」に問われたのであって、決して戦争を率先して始めたため罪に問われたのではなかったことである。
東京にいて直接関わってもいず、遠い戦地で人道の罪を犯した日本兵たちの指揮監督の責任を問われて処刑されている。それも南京大虐殺という作られた嘘などによってである。ナチスドイツのようにヒトラー首相以下指揮官・幕僚が自らユダヤ人大量虐殺の罪を犯した人たちと同列の扱いであった。本来、死刑に値しない罪で処刑されたのである。
「通常の戦争犯罪及び人道上の罪」の中身は①戦争法規違反の共同謀議、②戦争法規違反の命令・授権・許可、及び③戦争法規遵守の義務違反の三つである。
このことを男は今まで知らなかった。男同様殆ど多くの日本人はA級戦犯に扱われた人たちの罪名を知っていないだろう。日本人は東京裁判についてよく知る必要がある。
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