2016年1月30日土曜日

20160129「仏教」をキーワードに、思いつくまま綴る(7) ―― 天皇・皇后両陛下のフィリピンご訪問 ――


 天皇・皇后両陛下は、太平洋戦争の激戦地であったフィリッピンに戦死・戦没者の慰霊の旅に行かれた。フィリッピンにおける日本軍とアメリカ軍との間の戦いで命を落とされた人の数は、フィリピン人約120万人・日本人約52万人・アメリカ人約17万人であった。両陛下はフィリピンの「無名戦士」の墓にお参りされ、ルソン島中部のカリラヤにある日本人戦没者を悼む「比島戦没者の碑」にお参りされ、それぞれの御霊を追悼・慰霊された。

 両陛下がカリラヤの「比島戦没者の碑」を訪れられとき、不思議なことに朝から降っていた雨は止み、日差しが現れるようになっていた。両陛下が「比島戦没者の碑」のある場所にご到着になられたちょうどその時、一陣の風が吹き木々が揺れていた。その風は数秒間吹いていただけであった。両陛下は日本から持って行かれた白い菊の花を供えられた。両陛下は碑の前で深々と頭を垂れられ、深々と礼拝された。私もその間テレビの前で合掌し、「南無阿弥陀仏」と小声で唱えた。

 両陛下は「比島戦没者の碑」にご参拝後、その碑の前に参列していたご遺族の方々の前に歩み寄り、一人一人にお声を掛けられ、ご遺族の方々との会話にかなり長い時間を割いておられた。約100名の参列者は非常に感激していた。

 私は何故テレビの前で「南無阿弥陀仏」と唱えたのか。その理由をここに書いておきたい。その前に幾つかの仏教の用語の意味を確認しておきたい。

「南無」はサンスクリット語のナマス(namas)およびナモー(namo)の音写で、「敬意・尊敬・崇敬」をあらわす感嘆詞である(Wikipedia』による)。「阿弥陀仏」は(Amitāyus)の音写で、「その説法は時間的には三世にわたって無限(無量寿)であり、空間的には十方にわたって無際限(無量光)であり、その誓願に従ってあらゆる衆生を救済するとされる(『仏教要語の基礎知識』(春秋社)による)」ものである。「三世」とは「過去・現在・未来、また前世・現世・来世(『広辞苑』による)」である。「誓願」とは「誓いを立てて神仏に祈願すること(『広辞苑』による)」である。

阿弥陀仏のお姿に向かって合掌し、阿弥陀仏に誓願して「ナムアミダブツ」と唱えることは「念仏」である。「念仏」とは「心に仏の姿や功徳を観じ、口に仏名を唱えること(『広辞苑』による)」である。そのようにすれば誰でも浄土に行くことができるとされる。「浄土」とは「五濁・悪道のない仏・菩薩の住する国(『広辞苑』による)」である。

これは、現世においても自分の周り・自分の家族など身近なところでは修羅も憎しみも恨みもない穏やかな平和な状態として現れる、と考えることができるであろう。もし、自分の現世が自分の身内の誰かの来世であるとし、自分の現世が自分がこの世を去った後、身内の誰かの新しい命として生まれかわるとすれば、「浄土」は阿弥陀仏・阿弥陀如来への信仰心次第であると言えるであろう。

両陛下は太平洋戦争で多くの命が失われた激戦地を回り慰霊の旅を続けておられる。私は、両陛下が日本国民を代表して国の別なく戦死・戦没者を慰霊して下さっていることは非常に大きな供養である、と思っている。釈尊は供養が足りないとその人の来世は良くないし、供養が十分であるとその人の来世は素晴らしいという趣旨のことを説いておられる(『新訳仏教聖典』六法輪閣版、386ページ、「増一阿含経」より)。

日本国民は天皇・皇后両陛下がそのような形で供養をして下さっているお蔭で、良い状況の中にあるのである。厩戸皇子・厩戸王(=後世の諡である聖徳太子)と聖武天皇の御事績により、仏教が日本に定着した。太平洋戦争に敗れて日本は大きなダメージを受けたが、仏教のお蔭で日本は平和と繁栄を享受している。私はそのように思っているので、両陛下がフィリッピンで慰霊碑の前で深く頭を垂れられたとき、私はそのご様子がテレビに映っているのを見て、テレビの前で合掌し、「ナムアミダブツ」と唱えたのである。

2016年1月7日木曜日

20160107「仏教」をキーワードに、思いつくまま綴る(6) ―― ギリシャの古代円形劇場で能を舞う/「修羅」を語り継ぐ ――


 ABSの番組を録画しておいた『世界遺産で神話を舞う』を再生して視聴した。アテネの南西約65㎞のところに今から約2400年前のエピダウロス遺跡というものがあり、そこで古代の円形劇場が発掘され往時の姿のまま保存されている。その円形劇場でギリシャ人演出家マルマリノスと人間国宝・能楽師梅若玄祥とのコラボレーションにより、ギリシャ最古の大英雄叙事詩『オデュセイアー』第11書「冥府行ネキア」を新作の能として演じるまでの経緯と、その劇場で行われた能の様子がその番組で紹介されていた。ネキアを題材とする能の脚本を書いたのは笹井賢一であり、舞台監督はギリシャ人ヴァ・マニダギである。プロデューサーは日本側が西尾知子、ギリシャ側がヨレブスであった。

ギリシャ神話の叙事詩が能で演じられたが、装束も所作も舞台も音響も全く古来の能と変わらない。上演は夜9時から行われたが、文化大臣も含め殆どアテネからやって来た1万人以上の、ほとんどがギリシャ人である観客のために、左右両側のギリシャ語による字幕が表示されている。能が始まるとそれまでざわついていた会場は静まり返り、観客は息を凝らして舞台に見入っていた。

口上は「オリンポスの神々よ 見そなわせ 我らは東の果て 日の出る国 日の本の能の一座」であった。能の終盤にオデュッセウスが冥界にいるアイアースに「アイアスよ 我に敗れたこと 未だ許さぬか アイアスよ (アイアスからは返事が無く亡霊をかき分け死者の国を去る) 鎮魂の芸能者 語り舞え 命たぎらす修羅の戦いを 敗れ去りし者の修羅を 勝ちし者の修羅の道 我らは鎮魂の芸能者によりて 永久(とわ)に語り継がれるであろう」と語る場面がある。能は舞なのであるが、演劇的な見せ場になっている。これは演出家マルマリノスが最もこだわった部分であった。

120分間の舞台が終わると観客は総立ちで大拍手を送り、拍手がなかなか鳴りやまなかった。主演者梅若は能面を外し、観客に応えた。観客の中には感激のあまり、「鳥肌が立った」と言った人も居た。これはギリシャ人の心の深奥に日本人と同じ八百万の神々への信仰心があるからであろう。演出家マルマリノスは「日本に来ると、まるで過去にここで暮らしていたような感覚になる」と言っていた。そのとおりであろう。今を生きる人の意識が、過去に生きた人の意識と共鳴・共振する。意識(無意識を含む)は、時空を超越し広大無得に融通無碍に、自由自在に延伸するものである。私は蔵書の『オデュッセイアー』(呉 茂一 訳)を読もうと思う。

多神教の国々は平和である。ギリシャは5世紀ごろキリスト教により多神教の偶像崇拝が禁じられた。修羅は一神教の国々の間や儒教の国々で起きている。あらゆる物に神を見、仏教行事を行い、キリスト教の風習も広がっている国、わがニッポンはなんいうと幸せな国であろうか!その中心に天皇様がいらっしゃる。日本人の意識(無意識を含む)は、天皇様に収斂して、縄文時代・弥生時代・古墳時代に生きた人々と交流する。『古事記』がそれを媒介する。有難いことである。共産党は批判するが、国会の開会式において天皇様の御座が高いところあってもいいではないか!


天皇はヨーロッパや中東や東アジアにおけるような支配者としての‘王’ではないのだ。皇太子が天皇になるとき「天下る」のであり、天皇が崩御されたときは「かむあがる」のである。科学的には霊界から「天下り」、霊界に「かむあがる」ものではないのだが、神話に先祖がいるのは天皇であるのだから、国会での議場という‘舞台’の開会式という‘儀式’においては、天皇が座す椅子は高いところにあってもいい。共産党がそれを目くじらを立てて批判するのは大人げないことである。

2016年1月5日火曜日

20160105「仏教」をキーワードに、思いつくまま綴る(5) ―― 義理と人情、理想主義と合理主義、朱子学と陽明学、原理主義と実用主義 ――


 上記副題は、それぞれ一部重なる部分もあるが対立する概念である。いずれも一方がその正当性を強く主張すれば、他方はそれに対して反発する。仏教で説く天上・人間・修羅・畜生・餓鬼・地獄の六つの世界のうち、「修羅」の状況になる。「修羅」は争い・闘争の状態をいう。

 人は一切の我欲を無くすれば、「修羅」の状態で無くなるだろう。相対立する両者がそれぞれ我欲を全く無くした上で、お互いに中道・中庸を願うならば、争いは収まり、最終的に争いが無くなり、お互いに平安な状態になるだろう。一方に我欲がある場合、安易な妥協は後世に禍根を残す。これは真の中道・中庸ではない。

 ここにABが居てAは我欲がありBは我欲が無いとする。そのAが自覚できない、或いは自らは絶対知り得ない深層の心理(=無意識)にある我欲・怨念・妄信のためBを屈服させようとするならば、Bは自らの存続のためにAと戦わざるを得なくなるだろう。仏教が国民の間に根付いている国は一般的に平和な国である。これをBとする。「善」について独断的な観念をもっている国は一般的に国内的にも対外的にも「修羅」の状況にある国である。これをAとする。ABに対して心理戦・思想戦・サイバー戦・或いは武力挑発を仕掛けてきたときは、Bは自存・自衛のために武力を用いてAに対峙し、あらゆる手段を用いてAによる攻撃を防がなければならない。このとき仏教が国民の間に根付いている国であるBもやむを得ず「修羅」の状況に置かれる。

「煩悩」は人間のみならず人間の集団である国家にもある。これが平和を乱す原因である。平和を維持するために、仏教が国民の間に根付いている国Bは我欲・怨念・妄信の「修羅」の国Aに勝る強い力を保有していなければならない。安倍総理が掲げる「強い国・日本」を目指す諸政策の実行は、決して野党の政治家たちが非難している「暴走」ではない。安保関連法案は安倍総理が口酸っぱく何度も言っているように、日本国民を守るための法案である。

父が用明天皇の第二皇子であり、母が欽明天皇の皇女・穴穂部皇女である厩戸皇子(=聖徳太子)は仏教を厚く信仰し、日本国内に仏教を興隆させることに努めた。聖徳太子が推古天皇の御世に制定した『十七条憲法』は、日本の「和」の精神の真髄である。その後、聖武天皇の御世、日本では各地に国分寺・国分尼寺が置かれ、東大寺が建てられ、その東大寺には今でいう土木工学部も含めた総合大学とも言える教育機関が置かれて国中に仏教が広められ、人々の教育水準が高められた。

私は『十七条憲法』の中で特に、「一に曰く、和(やわらぎ)を以て貴しと為し、忤(さか)ること無きを宗とせよ。(後略)」「十に曰く、忿(こころのいかり)を絶ちて、瞋(おもてのいかり)を棄(す)て、人の違うことを怒らざれ。人皆心あり。心おのおのの執れることあり。かれ是とすれば、われ非とす。われ是とすれば、かれ非とす。われ必ずしも聖にあらず。(後略)」などの条文が好きである。今から1410年ほど前に制定されたこのような憲法を持っている国は日本だけである。

日本を取り巻く東アジアの情勢は厳しいものがある。私は、日本は聖徳太子の時代・聖武天皇の時代に築かれた精神を大事にすることにより、東アジアの中で生き残ってゆくことができると確信している。日本は、自らは望まなくても、やむを得ず「修羅」の状況の中に置かれることもあり得るだろう。先の大戦で自らの命を投げ出して戦って死んで逝った先人たちの思いに、今を生きる日本人は意識を向ける必要がある。

『易経講座』(安岡正篤著、致知出版社)には次(“”で示す)のことが書かれている。この本には、物事を判断し実行に移す場合の知恵について書かれている。「無我無私」の重要性について説かれている。そして安易な妥協を戒めている。

 “(前略)・・単に歩み寄りなんていうものは居中であって折中ではない。易は中庸である。中庸は複雑な現実に処して勇敢に折中していくことである。・・(中略)・・安価な穏健中正等は一番くだらない誤魔化しである。・・(後略)”

 日本は安倍総理が掲げるように「積極的平和主義」を推し進めなければならない。日本は自らの領土・領海・領空・排他的水域を守り、平和と繁栄を維持するために必要な力を備え、これを常に高めてゆかなければならない。憲法前文にある「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼」するだけでは、日本を守り抜くことは絶対出来ないのである。「平和!平和!」と叫ぶだけでは平和は保たれないのである。私は、一部の人々が安保関連法案を「戦争法案」と信じ込んでいるのは、人情・理想主義・朱子学・原理主義の表れとして理解できるが、日本を危うい状態に置きかねない心情であると思っている。