2010年1月31日日曜日

ブッダ「真理のことば」を学ぶ(9)(20100131)

 ブッダ「真理のことば」は膨大な数の詩であるので、第二章以降はその一部を抜き出して男の思いを綴ることにする。

23 (道に)思いをこらし、耐え忍ぶことつよく、つねに健(たけ)く奮励する。思慮ある人々は、安らぎに達する。これは無上の幸(しあわ)せである。
25 思慮ある人は、奮い立ち、努めはげみ、自制・克己によって、激流もおし流すことのできない島をつくれ。
26 智慧乏しき愚かな人々は放逸にふける。しかし心ある人は、最上の財産(たから)をまもるように、つとめはげむのをまもる。
32 いそしむことを楽しみ、放逸におそれをいだく修行僧は、堕落するはずはなく、すでにニルヴァーナの近くにいる。
 
 訳注によれば、「やすらぎ」とはnibaana(注:前にもそうであったがaの上にバーが付く文字がないので、このブログでは母音を連ねて書いている。)、サンスクリット語では、
nirvaanaのことで「涅槃」と音写されているとのことである。訳注には「これは最高の理想の境地であり、仏教修行者の最後の目的である。そこでは人間の煩悩や穢れがすべて消滅している。」とある。また「幸せ」とは、「すでに獲得したものを所有すること」「財産を保持すること」「財産」「生計」「安寧」とある。

 この「真理のことば」を聴いて男が感じたことは、今から2500年前に生きておられた釈尊はわれわれ凡人に決して無理な戒律を要求しておられなかったということである。修行というと、なにかものすごく厳しいルールを実行しなければならないのかなと普通には思うだろう。しかし、例えば11番目と12番目の詩(関連記事:「ブッダ「真理のことば」を学ぶ(6)(20100128)
http://hibikorejitaku.blogspot.jp/2010/01/20100128-50-500-10-11-12-11-12-saara.html)で、「まこと」という言葉の意味が「精、精髄、堅牢、真利」ということであり、常識で理解できるものである。また上の23番目の詩にある「やすらぎ」も同様である。何も悲壮な気持ちになって煩悩を出さないように自分を縛り、どうしても捨て去ることのできない煩悩を押し殺すように懸命に自制しなければならないということではないと思う。「常識的に考えて誤りのない、真(まこと)の行為としての利」が「やすらぎ」であり、「すでに獲得したものを所有すること」「財産を保持すること」などが「幸せ」なのである。修行を積み、年を重ね、煩悩の呪縛から遠ざかれば、それはそれなりに高いレベルの来世があるが、凡人は勉強し向上の努力を重ねれば、少なくとも「阿羅漢」になることはできるのだ。ブッダの教えを聴き、内省し、ニルヴァーナに至るよう努力することが、われわれ凡人にとって最も重要なのだと男は思う。

 男にとって最上の「財産(たから)」は、これまで48年間連れ添ってきた女房である。次に二人の息子たちとその家族である。かくして「いのち」は途切れることなく続いてゆく。

2010年1月30日土曜日

ブッダ「真理のことば」を学ぶ(8)(20100130)

男はこれまで「真理のことば」の第一章を学んできた。この第一章は、そのタイトルが「ひと組づつ」と書かれている。これは対になっている二つの詩が合わせられて一つのことがらを説いている形式になっている。第一章の最後の二つの詩は次のとおりである。男はこの二つの詩を読んで、「自分は到底修行者にはなれない。」と思った。執着から決して離れられないし、情欲も怒りも捨てきれない!しかし、いよいよあの世の入口にさしかかったときには、他者には自分が多少修行者らしく「見える」ようになるかもしれない。しかし、判らない!それでも後で述べる阿羅漢には多少近づけるのかもしれない。

19 たとえためになることを数多く語るにしても、それを実行しないならば、その人は怠っているのである。牛飼いが他人の牛を数えているように。彼は修行者の部類には入らない。
20 たとえためになることを少ししか語らないにしても、理法にしたがって実践し、情欲と怒りと迷妄とを捨てて、正しく気をつけていて、心が解脱して、執着することの無い人は、修行者の部類に入る。

第二章は「はげみ」という題である。この章の訳注に「島」または「洲(しま)」について解説がある。それは「自分のよりどころである真人の境地」を大海の中の「島」又は大きな川の中の「洲」に譬えている。ここで「真人」とは「阿羅漢」と漢訳されている元の語はarahantで「羅漢」とも音写されている。これは、尊敬されるべき人、拝まるべき人、尊敬供養を受けるべき人のことだそうである。埼玉の川越の喜多院に五百余りの羅漢像が鎮座している一角がある。見ると一体一体皆違う表情をしている。笑っているお顔も怒ったお顔もある。男はごく普通の人たちでも向上を目指して教えを受け、学び、努力すれば「自分のよりどころである真人の境地」に至り、「羅漢」に列せられるのだと思う。

この第二章の最初に次の二つの詩がある。
21 つとめ励むものは不死の境地である。怠りなまけるのは死の境涯である。つとめ励む人々は死ぬことが無い。怠りなまける人々は死者のごとくである。
22 このことをはっきりと知って、つとめはげみを能(よ)く知る人々は、つとめはげみを喜び、聖者たちの境地を楽しむ。

「不死の境地」は、amatapadamをそのように訳したとある。漢訳『法句経』では、「甘露道」と訳している。amataは「甘露」と訳されている。「甘茶」はそこから来たのだろうか?
訳注には、「「つとめ励む」と因果の連鎖によって影響は無限にひろがり、死ぬことはない。」とある。男は、「因果の連鎖」は親から子へ、子から孫へと続くものだと思う。

2010年1月29日金曜日

ブッダ「真理のことば」を学ぶ(7)(20100129)

13 屋根を粗雑に葺いてある家には雨が洩れ入るように、心を修養していないならば、情欲が心に侵入する。
14 屋根を粗雑に葺いてある家には雨の洩れ入ることがないように、心をよく修養してあるならば、情欲の進入することがない。
15 悪いことをした人は、この世で憂え、来世でも憂え、ふたつのところで共に憂える。かれは、自分の行為が汚れているのを見て、憂え、悩む。
16 善いことをした人は、この世で喜び、来世でも喜び、二つのところでともに喜ぶ。かれは、自分の行為が浄(きよ)らかなのを見て、喜び、楽しむ。
17 悪いことをなす者は、この世で悔いに悩み、来世でも悔いに悩む。「わたくしは悪いことをしました」といって悔いに悩み、苦難のところ(=地獄など)におもむいて(罪の報いを受けて)さらに悩む。
18 善いことをなす者は、この世で歓喜し、来世でも歓喜し、ふたつのところで共に歓喜する。「わたくしは善いことをしました」といって歓喜し、幸あるところ(=天の世界)におもむいて、さらに喜ぶ。

新聞に悲しい二つの事件の記事が載っていた。一つは初めテレビでニュースを聞いていたため読みたくない記事である。それは小学校1年生の男の子を22歳の実の母親と、31歳の男(母親の結婚相手)が虐待死させた事件である。もう一つは自分が産んだ幼い娘の裸の写真を携帯電話で送信したり、いかがわしい行為をされると知りながら男に引き合わせたりしたとして、大阪、宮城、神奈川など8都府県の母親ら13人が昨年6月以降、相次いで摘発されたという記事である。
自分が産んだ息子が親をかばい「いじめられていない。悪いことをしたら叱られるけど。」と言っていたが、この子が描いた絵には目を吊り上げた親熊とそのそばに目が丸い小熊が描かれていた。この親もその夫も自分が犯した罪で一生苦しむだろう。自分の娘を小遣い稼ぎの道具、しかもいかがわしい情欲の道具に使った母親たちも同じである。
釈尊はここで来世のことを語られている。釈尊ご自身、「前世」が有るか無いかとか「来世」が有るか無いかとか、「我」が有るとか無いとか、形而上学的に存在の有無を論じることを「無記」として禁じられている。しかし男は、「前世」から「今生」へ、「今生」から「来世」へと永遠に続く‘もの’があるということは、それを思惟して確信することができる者にしか理解できないことであると思っている。
前に、ブッダの「化身」についてこのブログに書いたことがあるが、男は上記のような罪を犯した人たちもブッダの「化身」であると理解する。「化身」はブッダが人々に真理を教え、人々を真理の世界に導く「方便」として現れている姿である。(関連記事:「法身・報身・応身または化身(20100116)」)

2010年1月28日木曜日

ブッダ「真理のことば」を学ぶ(6)(20100128)

 普天間基地の問題で男は一つの解決策を提案したい。

 沖縄に米軍基地、とりわけ空軍及び海兵隊の航空部隊が存在することは日本の安全保障及び東南アジア地域の安全のため必要である。この必要性については一定の見識をもっている者でなければ理解できない。この必要性が薄れる条件は北朝鮮が核兵器を放棄し、中国や北朝鮮と日本の間で価値観を共有する度合いが非常に濃くなった段階に至るということである。それまでは地道な外交努力と交流促進を積み重ねて行かなければならない。
以上の前提に立ち、当面の解決策について提案する。当面といっても上記のような親密な関係ができるまで少なくとも50年以上の年月がかかるであろう。それまでの間の暫定的な解決策について男は提案するものである。

 それは、沖縄の人たちに目に見える形で精神的な苦痛を補償することである。この補償のため、沖縄以外の自治体で一人当たり年間で500円~10万円程度の負担をすることである。そしてその具体的補償とは、沖縄県民の所得税や住民税をゼロまたは大幅に軽減するのである。つまり我が国の安全を全国民で守るのである。このため‘平和安全税’のような特別税を創設するのである。

 男はもうあまり天下国家のことで思い患いたくないが、今の政治家たちのものの考え方にときどき我慢がならないときがある。ブッダ「真理のことば」の11番目と12番目の詩は、政治家たちに座右の銘としてもらいたいと男は思うのである。

11 まことではないものを、まことであると見なし、まことであるものを、まことではないと見なす人々は、あやまった思いにとらわれて、ついに真実(まこと)に達しない。
12 まことであるものを、まことであると知り、まことでないものを、まことではないと見なす人は、正しき思いにしたがって、ついに真実(まこと)に達する。

 ‘まこと’とはsaaraであり、精とか精髄とか堅牢なものをいうそうである。ブッダ「真理のことば」の漢訳である法句経では‘真利’と訳しているとのことである。漢訳者は‘本当にためになる’という意味に解したということである。

 そうすると、日本の国というある意味では一個の人間のような有機体として、周りを見る場合において、防衛とか安全保障とか周りの安定という局面で見ると、‘本当にためになる’こととは何か、おのずと明らかになるであろう。この場合の‘正しき思い’とは、日本の安全のために沖縄の人たちに過重な負担を強いるのでもなく、いろいろなハコモノ、コンクリートもの、天下りを建設し、これらを管理する組織を設けることではない筈である。

 いろいろなハコモノ、コンクリートものを建設し、これらを管理する組織を設けることは表向きのことであって、実は利権や官僚の利益のための工作である。これは欺瞞であり、正しいことのように見せかけて、実は悪しきことをやっているのである。

2010年1月27日水曜日

ブッダ「真理のことば」を学ぶ(5)(20100127)

9 けがれた汚物を除いていないのに、黄褐色の法衣をまとおうと欲する人は、自制がなく真実も無いのであるから、黄褐色の法衣にふさわしくない。

10 けがれた汚物を除いていて、戒律をまもることに専念している人は、自制と真実とをそなえているから、黄褐色の法衣をまとうのにふさわしい。

 この二つのことば(詩)は出家修行者のために説かれたものであるとのことである。汚物とは煩悩のことだそうである。当時の修行者は汚れたボロ切れを集めて綴った衣を着ていたということである。

 男は今のところ出家修行者になる意志はまったくなく、また煩悩を抑えきれる自信は全くない。西行のように‘在家(ざいか)’と言えば恰好が良いが、そのような意味での‘在家’修行者になることはおこがましい。男は親鸞の教えについてまだ勉強していないが、親鸞は男のような煩悩のかたまりの人間でも‘あの世’と‘この世’の境目がなくなるほどの心境に達することができると教えているのだろうか、勉強してみたいと思う。

 平安時代に栄華を極めた道長は糖尿病で死んだということであるが、生前阿弥陀如来を崇めるお寺を建て、黄金に輝く仏像群をお寺の堂内に飾って阿弥陀如来に帰依したという。いよいよ死の床についたとき、僧侶に阿弥陀経を唱えさせ、自らは阿弥陀如来像につないだ紐を手に持ち、阿弥陀如来に迎えられる空想をしながら没したという。(『栄華物語』)

 男は、道長のようにいろいろ造作をしてまで心の安寧を得たいとは全く望まないし、そうしなくても、今の煩悩の状態のまま、意識のうえでは‘あの世’と‘この世’の境目がないような状態で‘あの世’に逝けると思っている。

 昨日書いたように、武蔵は仏教に帰依していたかどうかは別として、『五輪書』を書き終わって、それを書いた洞窟のなかでそのまま死のうと思っていたらしい。武蔵を客分扱いでもてなしていた細川家が無理やり武蔵を洞窟から連れ帰ったからそれがかなわなかったのだ。男は武蔵のような気持ちにはなれると思う。

 その気持ちになれるのは、男の生母が33歳で没するときのことが男の心に強く刻まれているからである。男の母親の胸には朝鮮から引き揚げた20年夏、既にがんのしこりができていた。病院でがんに侵された左右両方の乳房を間をおいて順番に切除する手術を受けたが既に手遅れであった。死の床に臥していた母親の背中にはがんが転移し沢山の小さながんのこぶができていた。「起こして、また背中をさすっておくれ」と言うたびに当時10歳の男は母親を寝床から起こして上げ、背中をさすってやっていた。母親は苦痛の顔を少しも見せることはなかった。いよいよ死期を知ったと母親「起こしておくれ」と言ったが「背中をさすっておくれ」とは言わず「東を向けておくれ。お仏壇からお線香を持ってきておくれ。お父さんを呼んできておくれ」と言って東に向いて両手を合わせていた。男の母親は‘在家’にして、その精神は上の10番目のことばのようであったのだ。

2010年1月26日火曜日

ブッダ「真理のことば」を学ぶ(4)(20100126)

 年暮れには胃カメラと大腸カメラの検査をし、ポリープも切除した。血液検査と尿検査で殆どの検査項目は網羅するので人間ドックに入る必要は無い。

 このような検査は、電子通信機器などの定期的検査のようなものである。電子通信機器のメンテナンスでは、スケジュールに従って予め定められる検査項目の検査を行う。このとき、たまに問題が起きることがある。人間の検査でもなにか間違いが起きないとは限らない。そのことを予め念頭において検査を受ける姿勢が重要である。



 今日は男は女房と一緒に定期健康診断を受けた。二人とも特定検診も兼ねてそれぞれ気になるところの検査も受けた。男はずっと前から肝臓にのう胞があってこれが大きくならない限り問題ないのであるが、毎年超音波検査を受けている。そのほか今回は胸部レントゲン検査も受けた。

 さて、昨日の「真理のことば」の5番目に「怨みを捨ててこそ息む。これは永遠の真理である。」という言葉がある。この言葉で男はふと旧約聖書の『ヨブ記』のことを思い出した。

苦しみに遭ったとき、ヨブの妻が「あなたはなおも堅く保って、自分を全うするのですか。神をのろって死になさい」と言ったら、ヨブは「あなたの語ることは愚かな女の語るのと同じだ。われわれは神から幸いをうけるのだから、災いをも、うけるべきではないか」と言った。5番目のことばの精神は、表面的にはヨブの精神と同じようなものである。しかし、ヨブが崇めるものは全知全能の神である。一方、ブッダの教えは「(誰にも頼らず、)自分自身を洲にし、自分自身をよりどころにせよ」というものである。そこには一個の人間としての生き方についての深い教えがある。

ブッダ「真理のことば」;
7 この世のものを浄らかだと思いなして暮らし、(目などの)感官を抑制せず、食事の節度を知らず、怠けて勤めない者は悪魔にうちひしがれる。弱い樹木が風に倒されるように。
8 この世のものを不浄であると思いなして暮らし、(目などの)感官をよく抑制し、食事の節度を知り、信念あり、勤めはげむ者は、悪魔にうちひしがれない。岩山が風にゆるがないように。

男は新免(公家につながる父方の姓)宮本(母方の姓)武蔵の生涯の閉じ方は、正にこの6番目の言葉のとおりであったと思う。武蔵は終生孤高の精神を保ち、熊本の金剛山の中腹にある霊巌洞という洞窟で、寛永20年(1643年)から正保2年(1645年)にかけて『五輪書』を書いた。宮本武蔵は熊本の細川藩に客分として招かれていたとき藩主・細川忠利から居宅を与えられていたが、藩主の命を受けてそれを書くときその洞窟に籠って書いたという。そして「『五輪書』を正保2年の春に書き終わって、その年の5月に没したという。
武蔵はその洞窟内で死を待とうとしたが、細川家では武蔵を無理やり居宅に引き戻し十分な看護をしたが、ほどなく僅かな弟子たちに看とられて波乱の生涯を閉じたのである。

2010年1月25日月曜日

ブッダ「真理のことば」を学ぶ(3)(20100125)

昨日のブッダ「真理のことば」(2)の3番目と4番目の言葉は、キリスト教の聖書にあるイエス・キリストが「悪人には手向かってはならない。もし、だれかがあなたの右の頬を殴るなら、左の頬をも向けなさい。」という言葉と似たところがある。しかし根本的な違いは、釈尊は自己修養の道を説いたが、イエス・キリストは弟子がとるべき積極的な行為を説いたという点である。
ブッダ「真理のことば」の5番目に、



5 実にこの世においては、怨みに報いるに怨みを以ってしたならば、ついに怨みの息(や)むことがない。怨みを捨ててこそ息む。これは永遠の真理である。

とある。右の頬を殴られて抵抗せず左の頬を出したからとて、全く無抵抗に相手の為すがままに、「これがブッダによる‘方便’としての、‘化身’(関連記事:「法身・報身・応身または化身(20100116)」)としての教え」であると達観しない限り、それは単なる行為に終わってしまうだろう。
ブッダ「真理のことば」の6番目は、



6 「われわれは、ここにあって死ぬはずのものである。」と覚悟をしよう。このことわりを他の人々は知っていない。しかし、このことわりを知る人々があれば、争いはしずまる。

仏教における「○○宗」の‘宗’はもともと「根本のことわり」と言う意味だそうである。この6番目の言葉の中に出る「他の人々」とは「賢者」以外の一般の人々、つまり「愚者」のことだそうである。男は「愚者」であるから、あの世に近づくにつれて少しでも一歩でも「賢者」に近づきたい、また近づくように努力すべきであると思っている。
釈尊は生と死の境界のない状態になるように、自分だけを頼りにして修養しなさい、と教えておられる。男は自分が仏教を良く勉強し、座禅し、修養し、そのような生と死の境界がない状態まで自分の精神を高めることができれば、あらゆる煩悩が消滅し、本当の幸せを実感できるのではないかと思っている。しかし、これは容易なことではないと思う。
男は女房とともに日々実に幸せな暮らしをしていると思っているので、本当の幸せが何である実感できていない。そのような目の前に感じる幸せにおぼれ、その幸せが壊れることを恐れながら日々を送るということは、すなわちそのことを拠りどころとしているということであって、自分自身を拠りどころにしていることではないと思う。
ブッダは、自分を洲(しま)とし、自分を拠りどころとし、他を拠りどことはせず、修養しなさい、と教えておられる。

2010年1月24日日曜日

ブッダ「真理のことば」を学ぶ(2)(20100124)

 今日もお天気がよい。男は女房と二人で川辺の道を一周した。歩数は約8000歩であった。もう春である。草むらに小さな青紫の花をつけた「いぬのふぐり」が点々とあり、名前は知らぬが小さな黄色い花が一つひっそりと咲いている。男はふと若い頃読んだ聖書の言葉を思い出した。古い聖書は文語体で書かれているが、新しい聖書は口語体である。『マタイオスによる福音』に「あなたたちのうちだれが、思い悩んだからといって、寿命をわずかでも延ばすことができるだろうか。なぜ、衣服のことで思い悩むのか。野生の花がどうして育つのか、考えてみなさい。働くことも紡ぐこともしない。」という一節がある。

 男は高校生の頃、近くのキリスト教会に通っていた。哲学に興味をもっていてよく判りもしないのにいろいろな本を読み漁っていた。その後教会には通わなくなった。40代、50代になって仏教に興味を持つようになり、いろいろな単行本を買って読んだ。そのうち昨日書いたように、中村元先生の講義をちょっと聞いたことがきっかで、仏教関係の専門書を何冊か買い求めた。それらはたまに気が向いたときに取り出して読む程度で、永い間書棚で眠っていることが多かった。人は老齢になると霊的になると何かのものの本で読んだことがあったが、確かに男は今仏教を本気で学んでみようと思っている。そのうち得度して坊さんにならないまでも、在家の坊さんになると言いだすかもしれないが・・・。

 さて、今日は都内のある区のセンターで詩吟のサークルで詩吟を教える日である。今月の吟題の吟詠が気に入らず何度も詠いなおしてブログ「吟詠」にアップロードしたが、来月の吟題の吟詠に取りかからなければならないため一応改善は打ち切り、今日、来月の吟題である夢窓疎石の『修学』をアップロードした。アップロードして聴いてみたが、あまり気にいらない。そのうちまた録音しなおして、結果が良ければ入れ替えるつもりである。

 昨日に引き続いてブッダの『真理のことば』について書くことにする。

3 「かれは、われを罵った。かれは、われを害した。かれは、われにうち勝った。かれは、われから強奪した。」という思いをいだく人には、怨みはついにことがない。
4 「かれは、われを罵った。かれは、われを害した。かれは、われにうち勝った。かれは、われから強奪した。」という思いをいだかない人には、ついに怨みが息(や)む。

男はいつも思うことがある。キリスト教やイスラム教の信者は、信者同士で争い、殺し合う。ところが仏教の国では宗教に関わる争いや殺し合いはほとんど聞かない。何故だろうか?それは仏教は、人間としてどう生きるべきであるか、という「人間の学」であるからである。キリスト教やイスラム教は言うなれば一つの神、天地創造の神を中心に据え、その神の代行者としてイエス・キリストやマホメットがいる構造である。しかし仏教は‘教’という文字が付くけれども人間の正しい生き方を理論的に体系的に説明した‘学’である。
男はその‘学’をももっと深く勉強したいと思っている。

2010年1月23日土曜日

ブッダ「真理のことば」を学ぶ(1)(20100123)

 今日の国会討論で自民党小池議員とみんなの党渡辺議員はそれぞれよく勉強し、男が言ってもらいたいと思っていたことを言ってくれた。テレビで論戦を見ていた人たちも二人の発言に拍手を送っていたことだろうと思う。

 お天気が良いので男は独りで街中を5000歩ほど歩いてみた。街中を歩いているといろいろなことが見えてくる。丘の上の墓地で墓地造りか何かの工事をしている人たちが見える。前を一人の若い母親が自転車の前に小さい子供を乗せてゆっくり漕ぎ、その隣をその母親の友達らしい若い女性が車いすにのって手で車輪を回しながら行き語り合っている。人々の営みは1000年前も今も本質的には変わらない。今を生き、時を過ごし、老いて行く。

 釈尊は誰にも頼ることなく自分自身を頼りに生き、生きながら心の安寧が得られるようにいつも修行に励むようにと教えられた。2500年前実在した釈尊の教えを学びながら、自らの精神を高めるように修養することが幸せな人生を送る要諦であると男は確信している。

 そこで、これからは先ず釈尊の言葉を集めた本を読みながら、いろいろ考えてゆきたいと思う。その本は岩波文庫の『真理のことば感興のことば』で、中村元というお方がパーリ語で書かれた仏典を翻訳されたものである。男は放送大学の講座で中村元の講義を聞いたことがある。この本を買ったのもその講座で中村元というお方を知ったからである。

 男は若い頃『法句経』という単行本を持っていた。その本はあまり良く読んでいなかった。法句経は「真理のことば」の漢訳である。中村先生はわが国で初めてパーリ語の原典から直接翻訳されたという。このブログでできるだけ毎日、「真理のことば」を取り上げて行こうと思う。今を生きる我々はそのような先生方の努力の賜物の恩恵を受けている。

 千数百年前大変苦労しながら遣唐使船で中国に渡り、沢山の仏典を持ち帰り、学生たちに教えた空海や最澄らの時代のことを想うと、今を生きる我々はなんと幸せなことだろうか。キリスト教の教えにあるように「門をたたけ、さらば与えられん。」である。こちらから進んで仏教の門をたたかなければ、何も与えられないのだ。仏教の門をたたかない現代人は何と不幸なことか!

1 ものごとは心にもとづき、心を主とし、心によってつくり出される。もしも汚れた心で話合ったり行ったりするならば、苦しみはその人につき従う。車をひく(牛)の足跡に車輪がついて行くように。
2 ものごとは心にもとづき、心を主とし、心によってつくり出される。もしも清らかな心で話したり行ったりするならば、福楽はその人につき従う。影がそのからだから離れないように。

男が作る陶芸作品でも、このブログでも、確かに男の心にもとづき、男の心を主とし、男の心によって創りだされている。何度創っても真に満足できるものは一つも出来ないが・・。

2010年1月22日金曜日

YouTube「もしも外国人参政権が成立したら」(20100122)

インターネット上でツイッターという一言で自分のメッセージを出すシステムがあるということをテレビで紹介していた。著名人もこのメンバーになっている人が何人かいるようである。要するに自分の日々の暮らしのことで何か一言言いたいとき、ブツブツ言わせ、そのぼやきを他人が見るという仕組みである。ブログでは毎日書き続けるのは文章やキーボード操作に慣れていないと大変であるが、ツイッターなら12行の短文を書き、勝手にささやくだけなので誰でも簡単にできるので爆発的に広がっているようである。
男は試みにTwitterでどんなつぶやきが出ているか調べてみた。Twitter社が運営するコミュニティサイトhttp://twitter.com/にアクセスし、そのページが開かれたら検索欄に検索したい言葉を入れて検索するだけで、あるテーマに関する不特定多数の人たちのつぶやきが沢山出て来る。男は「小沢氏」と3文字を入力して、皆のつぶやきを読んでみた。続いて「鳩山氏」と入れて同じように読んでみた。「自民党」と入れて同じように読んでみた。そこには不特定多数の人々のつぶやきが聞こえて来る。
男はTwitterがある特定のテーマについて人々が何を考えているか、感じているか、思っているかをおおまかに知る手段であると思った。勿論世論は科学的な調査によらなければ、その動向を知ることはできない。しかし、井戸端会議のようないろんなざわめきは聞こえてくる。黙って聞いていれば大変面白い。
男はYouTubeもたまに覗くことがある。これはGoogleの子会社でYouTube, LLCという会社が運営していてhttp://www.youtube.com/にアクセスすればそのページが開かれ、Twitterと同様、簡単な検索の言葉を入れて検索すれば動画が出て来る。男は「ただ今再生中」のトップに出て来る村田春樹シュミレーション「もしも外国人参政権が成立したら」を再生して見た。これは男も知らなかった情報である。民主党も公明党も外国人の票が欲しいから地方議会の選挙権を永住外国人に与えようとしているらしい。
平成3年にいわゆる在日と言われる人たちに特別永住権を与える法律が成立したが、この特別永住者は平成20年に42万人いた。昭和34年に676千人いたが日本に帰化したりして今その数になっているとのこと。一方一般永住者は平成13年に184千人いてその中中国人が58千人だったのが、平成20年には492千人になり、その中中国人が142千人いるそうである。この増加傾向は益々増大しているとのこと。
中国の人民日報で日本が永住外国人に地方議会の選挙権を与えようとする動きを歓迎し、「華人参政」と大見出しで論評し、日本がアメリカやヨーロッパやマレーシア並みになると歓迎したとのこと。ところがアメリカのヨーロッパもマレーシアも外国人への参政権はその国に帰化した人に限られ、アメリカでは帰化の条件が非常に厳しい。
沖の島、対馬、東京の荒川区、豊島区、新宿区などでは永住外国人が投票権を得たならば、当選票数に大きな影響を与えることが票差で具体的に示されている。投票権は教育委員の解職権、町・字名の変更請求権などとセットにせざるを得ず公明党の外国人参政権付与に関する方針案にも示されているとのこと。ちなみに沖の島には永住外国人が34人いるそうである。朝鮮総連は「選挙権が得られたら次は被選挙権を獲得する」と言っているらしい。
男はこの日本の形が壊れて行くのではないか不安になってきた。このYouTubeの「もしも外国人参政権が成立したら」を出来るだけ多くの人たちに見てもらうようにしたいと思う。

2010年1月21日木曜日

結果はどうであれ信じている間は幸せ(20100121)

民主党の国会議員たちは小沢氏の潔白を信じながら東京地検特捜部による捜査の行く末を見守るしかない。しかし信じている間は幸せである。恋人同士でも夫婦の間でも相手を信じている間は幸せである。宗教も神や仏を信じている間は幸せである。その信頼がくずれたとき、人は一挙にそれまでの幸せな気分から落とされ、幸せ感を失ってしまう。それが怖いから、このままだと幸せが崩れそうな状況になったとき人は必死で現状を守ろうとする。今の民主党の状況はそのように見える。さすがに鳩山首相は捜査に対抗するチームの結成の動きなどを牽制する発言をした。一部の民主党員が実際にどういう動きをするかということは別にして・・・。
仏教の教えに従えば、民主党が一枚岩のように結束しようとし、一時的に結束したとしても所詮‘無常’なのだ。それよりは個々の議員が誰か有力者を頼るのではなく、自分自身の政治家としての信念を拠り所として、また一切の私利私欲から離れ、今の今を天地神明に誓って真に正しいと信じている道を歩むようにすべきである。それこそが彼らに一票を投じた国民の負託に応えることである。小沢チルドレンと呼ばれる女性議員たちの中には黄色い声を張り上げ、感情に走っているかのように見える人たちがいる。折角2大政党時代に入ったばかりなので、彼女らには慎重に行動してもらいたいと思う。興石氏が民主党内の結束を強めようと「民主党を励ますメールが増えた」などと言って民主党議員たちを激励しているが、彼は民主党のため沈黙していた方が良いと男は思う。
男は、日本人は個々の人が突出するよりも全体の中で調和することを志向する気質があると思う。民主党の議員たちは、今は一致団結して「難局を乗り切らねばならぬ」と敢えて口を閉ざしている人たちが多いのであろうが、前原氏などは言うべきことをきちんと言っている。それは彼がスマートに職務をこなす能力があるから言うべきことも言えるのだと男は思う。宮本武蔵のように「我が事において後悔せず」と言うほどの力がない者は、とかく「長いものに巻かれろ」と横睨みしながら行動しようとする。その行動は外部からの何んらかの刺激で突然変わることがある。「無常」である。
日本人の集団の場合、その中心で指導する人またはチームが徳の高い人またはチームでなければ集団として誤った方向に暴走しかねない。旧帝国海軍や陸軍のエリートたちは「やましき沈黙」をしたが故に、太平洋戦争の負け戦を突っ走って何百万という軍人・軍属を死に追いやってしまった。しかも彼らの多くはのうのうと生きながらえた。自らは一般庶民よりは程度が高いと自負している国会議員であるならば、日本人のそうした特質や「自らを洲とし、法を洲とし、自らを拠り所とし、他を拠り所としない。」という釈尊の教えぐらいは知っていて、敢然と信念を貫き通してもらわねば困る。
男は今日岩波文庫『ブッダ最後の旅』と『ブッダの真理のことば感興のことば』(何れも中村元訳)を粗方読んだ。また仏は、仏を信じる人を決して裏切らない。釈尊は人に過去世が有るとか無いとか、来世が有るとか無いとか、過去世や来世の存在について論ずることは禁じておられるが、生死を超えた涅槃静寂の境地に立つ修業を勧めておられる。釈尊ご自身は遠い過去世から遠い未来世まで見透しておられる。上述「ブッダの真理のことば」は、漢訳で『法句経』というものであるが、その中に「160 自己こそ自分の主である。他人がどうして(自分の)主であろうか?(後略)」という句がある。

2010年1月20日水曜日

指揮権活動に関する千葉法相などの発言や民主党議員たちの行動 (20100120)

新聞報道によれば千葉法相が「個別事件についてはコメントしない。指揮権発動は一般論としてある。捜査は公平公正に行われなければならないし、基本的にはそのような捜査が行われていると考えている。」と記者会見で述べたということである。一方、民主党内に捜査情報漏えい問題対策チームを発足させたということである。また中井国家公安委員長は「批判するつもりはないが、特捜部にも説明責任はある。」と述べたという。
男はこれらの一連の動きを異常であると思う。一般に組織ができると組織の構成員はその組織が脅かされるとその組織の防衛に力を入れるようになるものである。組織内での相互けん制システムがない限り、組織は時に誤った方向に暴走するものである。今の民主党の動きはそれに近いものがある。既に暴走しているという人も多い。
小沢氏の力によるものとは言え折角国会議員になった新人議員たちは、これまで国会議員としての活動を抑えられ、欲求不満に陥っているのではないかと男は思う。そのはけ口として「捜査情報漏えい問題対策チーム」などを発足させたり、民主党と言う組織の防衛の活動に熱心になったりするのではないかと思う。
泥棒にも一寸の理があるという。悪人は自分の所業を理由づける。人は、善きことにつけ悪しきことにつけその行いについて何か理由をつけ、自分の行いを正当化しようとする。政治には金が要る。金がないと政治活動は鈍り、自分の政治家としての理念を実現することもできない。国会議員は政治家として「国の為」という高い理念を掲げ、それを「大義」とし、その「大義」を実現する手段のためなら法律違反を犯さない範囲内で金を集めようとするだろう。「大義」の実現のためなら実際は法律違反になるのだが、法律違反にはならないような工夫を凝らしてまでして何とか金を集めようとするだろう。その工夫が看破られたとき、「大義」の実現のためならば指揮権発動は認められるべきであると考えるだろう。
多くの民主党員たちは、国会議員になって「自分たちは一般庶民より程度が高い人間だ」と思い上がり、彼らが掲げる「大義」のためなら強権発動もやむを得ない、と思っているのだろう。そもそも国会議員は国民が自分たちの代わりに国会に送り込んだ人たちである。国会議員になった途端「先生」と呼んでおだてるからいけないのだ。「○○さん」でいいではないか。思い上がり傲慢になった者は、時が経てば必ずそのしっぺ返しを喰らうだろう。
民主党は昨年の総選挙で国民の信任を得たから大量当選者をだしたのであるが、その時点では今回のような逮捕者が出るような法律違反は表面化していなかった。これが今表面化したが、それを検察が故意に捜査情報を漏えいしたため起きたことで検察が悪い、と決めてかかる。小沢氏は「何も法律違反はしていない。検察と断固戦う。」と公言し、鳩山首相は、小沢幹事長を信頼しているから小沢氏が検察と戦うことを「戦って下さい」と言って支援している。鳩山氏始め民主党の多くの議員たちは、一部の識者が「検察は政治に介入してはならない」と言ったら、「尤もだ」と考えそのような言動になったのだろう。(関連記事:「検察の事情聴取要求を拒否する小沢一郎幹事長 (20100119)」)
舛添要一元厚生労働大臣が中心となって夏の参議院選挙を念頭に新党結成の動きを見せ始めた。今の自民党では国民の期待を吸い上げる力は無い。上述のように異常な組織となりつつある民主党への支持率は急速に落ちて行くだろう。国民の期待の受け皿となる新しいい政党の誕生が期待される。

2010年1月19日火曜日

検察の事情聴取要求を拒否する小沢一郎幹事長 (20100119)

民主党幹事長小沢一郎氏が公然と検察を批判しているので、男は検察庁についてWikipediaで調べてみた。Wikipediaが必ずしも公明正大な記述をしていると男は思っていないが、指揮権について法務大臣と検事総長の意見が対立した場合の問題など大いに参考にはなる。検察批判をしている者はこれまでの新聞やテレビ報道で知る限り、検察に摘発され、或いは摘発された人の関係者や国家の権力に対し反発的な精神を持つ一部の人たちである。

よく聞く話は「検察が国の政治を左右するようなことをするべきではない。」という至極尤もな発言である。一方で「検察は政権のトップにある人でも不正があれば摘発する。さもないと民主主義は守られない。」と言う人がいる。これも至極尤もな発言である。しかし検察は国の政治を左右するようなことをするものなのか、実際にしているのか、男のような一般庶民には判らない。一般庶民は、検察は国民の信頼と期待の上に立って公明正大に、法で定められた権限を行使していると信じている。

その一般庶民の考え方を、一部のいわゆる‘有識者’や自ら‘自分は一般庶民と違い、知的レベルが高い’と、意識的にせよ無意識的にせよ、そう思っている人たちがいる。そのような人たちは、自ら実際に諸資料をよく調べ、研究し、自分の考え方をきちんと整理していないにも拘らず、例えば「小沢さんが多少ダーティな面があっても国民は彼に日本の政治構造を変えることを期待しているのだ。」とか「検察は過去に過ちを犯した。」とか、「検察がリークしているのは問題だ。」とか、男に言わせれば‘偉そうな’ことをテレビの前で言う。その発言に「そうだ。そうだ。」と相槌を打つ一般庶民もいるだろう。男に言わせれば、彼らは「実は無知なる人間であるがゆえに、無責任な者どもである。」と思う。

小沢氏にせよ、そのような‘識者’あるいは‘識者ぶる者ども’にせよ、「自らが良く判っていない。」ということを「知る」という謙虚さが足りない。「自分が何も知っていない、ということを自分は知っている。」という謙虚さが大事である。しかしそのような謙虚さがない人の発言に一般庶民は振り回されている。

男は社会的地位の高い人、社会的に影響力の大きい人ほど、謙虚であることが大切であると思う。しかしそのような謙虚さがない人は傲慢になりやすい。その傲慢さが鼻につくようになると、それまでその人に好意的であった人も、その人から距離を置くようになる。男もその一人である。男は昔小沢氏の政治理念や信念に共感を覚えていた時代があった。
男は検察が公明正大にその権限を行使しているかどうかについて、チェックをいれる仕組みがはっきりしていないのは確かであると思う。法律を専門とする大学の教授や、ジャーナリストそのような問題点を一般庶民に明らかにすべきである。そして司法制度の改善を進める役目を持つ機関を国として公式に設けるようにすべきであると思う。

男は小沢一郎氏が検察を批判し、検察と正面から戦いを挑むということは、「俺は実力者だ。俺が国のあるべき姿を決めるのだ。」というような、国民を見下したような傲慢さがあると思う。男はそういう輩に迎合する輩がまた大嫌いである。小沢一郎氏に面と向かって対抗する者がいない今の民主党の状況を情けなく思う。鳩山首相も小沢氏の繰り人形のようである。これは国家として異常な状況である。そのことを対抗する自民党が、国民の前にどこまではっきりと示し、国民の判断を促すことができるのか、男はあまり期待できないと思っている。今日からの国会の動きを男は注意深く監視してゆきたいと思う。

2010年1月18日月曜日

突然筆が進まなくなることがある(20100118)

これまでも時々あったが、ものを書こうとするとき急に筆が進まなくなることがある。それはものを書くことによって自分の内面をよく見つめるようになるからである。その点、ものを創るときは思うように創れないで苦しむことがあったとしても、それは自分の技術の下手が原因であることが多いだろうから何度でも挑戦しようと意欲が湧いてくる。
人は闘争心があると元気が良い。闘争心が衰えるとあれこれ心の迷いが生じる。ものを書こうとするとき筆が進まなくなるのは闘争心の対象が自分自身或いは自分自身の回りに近い対象であるからである。ものを創ろうとするとき、その創ろうとするものは自分自身の観念の表出ではあるが、創られるものは必然的に自分自身から距離が置かれるものである。例えば男は陶芸をやるが、やると言っても陶芸を始めて2年ぐらいしか経っていず大きなことを言えるほどのものでなく、言うこと自体おこがましいほどであるが、陶芸で創るものはある形であり、ある色や模様などである。それは焼き具合によって出来映えも変わるものである。焼き上がってみなければ結果がどうであるかわからないものである。従い、出来あがるものは自分自身から離れたものであり、自分自身そのものでない。
男は昨年610日以来毎日欠かさずこのブログを書き続けている。書いてみて一つ判ったことは、書こうとする題が政治や文化や歴史に関することなどは気が楽であるということである。その理由は、書こうとする内容に関することをいろいろ調べたりして自分自身の勉強にもなるし、ある意味では自分自身の精神活動の歴史のようなものであるからである。例えば政治に関することでは、自分が何年何月何日ごろこの日本国でどんな政治的問題が起きていて、それに対して自分の考え方はどうであったかというようなことが記録の形で残る。それは自分の思想を表明するものではあるが、誰かと飲食をしながら政治上のある問題になっていることなどについて議論していることである。政治上のあることについて憤慨していることでも、多少オブラートに包んで自分の考えを表明できる。
ところが、日常生活のことを書くとなると、それはあまりにも自分自身に近すぎて、第三者的に書くようにするにしても毎日書くことはできない。自分の過去半生のこと、若い時のこと、つまり自分史的なことは、ストレートには書けない。どうしてもフィクションの部分をできるだけ多くして小説的に書くことになる。(関連:12/291/7間、このブログ)
身体的に疲れていると闘争心も衰え、政治のことで憤慨することがあっても書くのを躊躇してしまう。しかし男はこのところ側近の国会議員・元秘書ら3人が政治資金規正法違反で逮捕されたことと、それに関連する幹事長・小沢一郎氏らの言動に憤慨している。
小沢一郎氏が何処から得た金かしらないが、本人が言う‘自分の金’で自分の息がかかっている140人もの国会議員を引き連れて中国に渡り、胡錦濤国家主席に会い、連れて行った国会議員たちを胡錦濤氏と会わせ、一人一人握手させ、その見返りのように来日中の習近平国家副主席を、慣例を破って天皇陛下に会見させた。男はこれはアメリカに対する威圧であり、小沢氏自身の権力の表示であり、いずれにせよ小沢氏自身の私利私欲から出た行動であると断ずる。男の近くに「日本国民は政治的にまだまだ未熟である。清濁併せ飲み小沢氏を見るべきである。」という人もいるが、それは間違った見方であると男は思う。
民主党に対する支持は指数級数的に落ちて行くだろう。しかし、自民党に対する支持も増えるわけではない。国のため党派を超えた政界の再編が緊急に行われることを期待する。

2010年1月17日日曜日

心遣い・気働き(20100117)

 男は田園都市線三軒茶屋駅ホームで女房に「今、三軒茶屋だ。」と電話した。女房は「そう、1時間半ぐらいかかるわね」と言う。男は「そうだね」と答えた。まもなく電車が来た。今日も気温が低い。といっても10℃近くはある。男がお正月に九州の中央の山間部にある田舎に帰っていたとき、元日外は雪で気温は零下6℃だった。さすがにその時は寒く感じた。そのとき男はかつて青森に転勤して行ったとき、冬の間味わった寒さを思い出していた。それに比べれば零下6℃など大したことはない。まして10℃近くもあれば暖かいものだ。

 今夜、男は昔の仲間が集まるある会食に参加した。三軒茶屋の銀座アスターがその会合の場所であった。この店はさすがに雰囲気は良い。鎌倉にも駅近くに銀座アスターがあり、男はそこで行われた詩吟の会のパーティに参加したことがあったが、そこも雰囲気は良かった。が三軒茶屋の銀座アスターはさらにグレードが高いと感じた。

 男は久しぶり昔の仲間に会って楽しいひとときを過ごした。集まったのは20人ほどである。個室であるので乞われるままに赤ぺらで西行の『至善』を詩文の解説を加えた上で吟じた。伴奏の楽器もなく美味しいものを十分食べお酒も回っているので思うように詠えなかったが、何とか詠えて拍手を貰った。こういう会合に誘われると男は浮き浮きした気分で参加する。女房は男が着て行く服やシャツやコートのことなどあれこれアドバイスしてくれて、アイロンがけなどいろいろ準備してくれた。

 会合が終わり女房に携帯電話で連絡し、夜の11時前に家に帰り着いた。女房は「お父さんがちょうど帰ってきたときすぐ入れるように風呂を沸かしておきましたよ」と言う。男の部屋に入るとオイルヒーターの暖房をつけてくれてあり部屋を暖めてくれている。男は風呂に入って疲れをいやし、風呂から出て女房に「ありがとうね」と感謝の気持ちを伝えた。男は「わが女房は世界一の女房である」といつも思う。

 心遣い・気働きの精神は、その人が生まれつき持っていた素質の上に、幼少のころからずっと育ってきた家庭環境により自然に身につき、他者との関わりの中で磨かれるものである。幼少のころからの習慣が無意識の形で現れるものである。一朝一夕で身につくものではない。女房は厳しい先生に師事してお茶も習ったが、その経験も心遣い・気働きの精神を一層高める。昔の良い家庭では子女にそのような精神を植え付けるため親はいろいろ習い事、稽古事をさせた。そのようにしてその子女が成人し、子供を産み、母親となれば、その子供に良しつけをするようになる。そのような伝統がどこかで崩れてしまうと後が続かない。よい家庭では代々そのような伝統が受け継がれてゆく。

 男は誰にも負けない心遣い・気働きができる女房と一緒になり、これまで幸せな人生を歩んでくることができて世界一の果報者である。こんな素晴らしいことは二度とないだろう。来世において今生と同じようにあるためには、日々の心がけ・修業を怠ってはならない。男の友人の中には日々淋しくてたまらないという人もいる。男はその友人に何もしてやることはできない。せいぜいその友人が仏教の勉強をするように、それとなく刺激することぐらいしかできない。釈尊は「自らを洲とし、他を洲とするな。自らを拠り所とし他を拠り所とするな」と教えておられる。自分の心の問題は、自分自身で解決するしかないのだ。誰もそれを解決してやることはできないのだ。そう達観して、男は自ら進んで煩わしいこことに関わるようなことはしないつもりである。

2010年1月16日土曜日

法身・報身・応身または化身(20100116)

 昨日のブログに書いたように、男は竹馬の友SSが男に会わせたNさんご夫婦に会って中華街のある店で食事をしながら歓談のひと時を持った。男はSNさんご夫婦は仏陀が化身の形で現れたものである、男自身も同様に仏陀の化身であると思った。

『仏教要語の基礎知識』(春秋社、水野弘元著)によれば、仏陀はBuddhaの省略であって 「さとった人」「覚者」の意味である。古くはブッダという音から「浮屠(ふと)」「浮図(ふと)」と書かれていた。「仏(ほとけ)」という言葉は「浮屠家」からきていると言う。釈尊はブッダとなられたシャーキャ族の聖者のことで、お釈迦様のことである。尊い師という意味で尊師(そんし)とも、世尊ともいう。仏教はこのお釈迦様がさとりを開いて弟子たちに教えられた人間としての生き方の教えである。

 仏教では過去・現在・未来にわたり、また十方の世界には無数の仏陀が現れるとされる。そして現実に我々が生きている世界、これを娑婆世界(しゃばせかい)というが、この世界では釈尊の教法が行われるとされる。娑婆はSahaaの発音を漢字で表したもので、元来は「集会」という意味だそうである。この世界は広大無辺のように大きく、三千大千世界という。この三千大千世界に仏陀である釈尊の威力が及ぶとされる。

 これはつまり人の正しい生き方は仏陀の教えに従うことであることを意味する。その仏陀は過去・現在・未来にわたる輪廻転生のことを教えておられる。仏陀が今から2500年前に現れて以来、いろいろな高僧がこの輪廻転生のことを後世に伝えている。我々凡人は仏陀やその弟子たちである高僧の教えを尊ぶべきである。それが仏法僧への帰依である。仏法僧に帰依して四苦八苦の現実世界を「一日を一生」のように思って謙虚に真剣に生きれば、来世においてその報いを得ることが必ずできると男は固く信じている。

 さて、仏陀の身はその性格によって法身(ほっしん)・報身(ほうじん)・応身(おうじん)または化身により成ると言われる。法身は仏の説法としての真理を人格化した真理仏のことである。報身は菩薩として修業しその誓願が成就して、法の世界に流れ入って法そのものを体現する理想的な形となった仏陀である。阿弥陀仏や薬師如来や盧舎那仏などである。それらは仏師たちにより仏像の形で表現されている。応身は、教化する対象に応じて仮のある姿を見せる仏身である。特定の時代や特定の地域に出現する仏陀である。男はこれを我が国における仏教、チベット仏教などはそれぞれの仏陀の教えであると理解する。

 一方化身とは、種々の姿を取って衆生を救済する仏身である。普通の人々(凡夫)の姿をすることもあり、梵天、帝釈、魔王、畜生、地獄等の姿を示すこともある。男はこれを自分自身も仏陀の化身であると理解する。そのように理解するとSNさんご夫婦も仏陀の化身であると理解できる。娑婆世界で男が見るものはすべて仏陀の化身であると思う。

 そう思うと男は、SNさんご夫婦も仏陀の方便として男に何かを教えているのであると理解する。仏陀が男に何を教えているかということを知るのは男の態度や能力や学習次第である。男は常々「自分は何も知っていない、自分が何も知っていないということを自ら知らなければならない。」と自分自身に言い聞かせている。しかし実際にそのような謙虚さができるわけではなく、娑婆っ気が出てきて煩悩の世界に自分がいることが多いのであるが、少なくともそのような心がけはしたいと思う。

 ところで法は仏陀が教える真理の体系であると理解する。男は法を書物で学ぼうと思う。

2010年1月15日金曜日

竹馬の友とその友人ご夫妻に会う(20100115)

 一昨日のブログにちょっと書いたが、今日、男は小中学校時代以来の親友Sとその親友が連れて来るその親友の友人ご夫妻に会った。Nさんの奥様がよく知っている横浜の中華街のある店で美味しい料理と口当たりのよいまろやかな味の紹興酒で話がはずみ、相当長い時間その店で過ごした。男は時間制限がなく、料理も酒も美味く、リラックスできるその店を気に入り、その店の名刺とリーフレットを持ち帰った。

 Nさんは男に35年前会っていると言う。それはSが東京近郊に住む郷里大分の中学時代の級友たちを集めた席にNさんを呼んで一緒に会食した時のことであるという。その頃男は埼玉の狭山に住んでいた。思い出せばそのようなことがあったなと男は思う。Nさんはそのとき集まった級友たちの中で男が皆と違った雰囲気を持っていたので記憶していたのだと言う。確かに男はこの齢でもこのようなブログを書いて公開しているぐらいだから、皆とはちょっと変わったところがその当時からあったのであろう。男は35年後にこのような再会をSの呼びかけでできたことを「縁」として嬉しく思い、この「縁」を大事にしたいと思っている。NさんはSのこのようなある意味では押しつけがましいほどの世話焼きを非常によいことだと言う。男もそう思う。

 今日は気温が低く、4時間以上もかけた食事のあと港のエリアを散策することはしなかったが、その代わりNさんの奥さまの計らいでわざわざ千葉の市川からやってきたSに横浜の夜景を見せるため横浜駅までタクシーを利用し、途中大桟橋でみなとみらいの夜景を見、男が持っていた旧式のデジカメで写真を何枚か撮った。

 Sは高校を出て都内のある有名大学に進学した。1年生のとき大学も専攻も出身地も違うNさんという人と一緒に、どういうきっかけか男はまだ聞いていないが知り合って、都内のある下宿屋の八畳間で共同生活を始めたという。Nさんは北海道のご出身、専攻は別の有名大学の法学部であったという。Sの方は商学部であった。戦後10年過ぎた時代であったが郷里も年齢も違う見ず知らずであった人と、何かで意気投合したにせよ八畳一間で共同生活を始めるということは、今の若い人たちには考えられないことであろう。当時はそういうことはなんでもないことであったのだ。そこに人との出会いとその後の人生を豊かにするきっかけがあった。それは「縁」である。NさんもSもその縁によりそれぞれその後の人生が大きく展開し、今日に至っている。

 Nさんは神か仏か、何か人智を超えた存在によりぐっと押されて大きな仕事を達成することがある。その存在を意識しない者には成功はないとご自分の体験からそう話してくれた。男は仏教用語である「縁」や「方便」に深い関心があり、このブログで何度か取り上げている。(関連記事:「お陰さまで(20091227)
http://hibikorejitaku.blogspot.jp/2009/12/20091227-2500-20090720-20090723.html
 」、
「現在、過去、未来の三世の因縁(20090720)
http://hibikorejitaku.blogspot.jp/2009/07/20090720-2500-2000.html 」)

 Nさんの奥様から男がこのブログを書く理由やコメントが来ないことについて問われた。男は「このブログを読んでくれている人は家族とか一部の友人たちなどに限られている。これはある意味で遺伝子のようなもので、後の世に私の子や孫たちが私が書き遺したものから何かを感じ取ってくれることを期待している。このブログの目的は限定している。ブログの投稿に対するコメントは受け付けないように設定しているのでコメントは来ない」と答えた。このブログに対するアクセスの数は把握できないが、このブログにリンクしている男の「吟詠」ブログではアクセス数の把握ができる。そこではアクセスが結構多い。

2010年1月14日木曜日

川辺の散歩(20100114)

 川は人々の心を和ませる。午後4時前男は独りでこの川辺を太陽に向かって歩いた。西北の風がやや強く、幾分寒さを感じさせるが川辺の散歩は気持ちが良い。土手の補強工事が行われている近くで一人の男が土手に座って携帯のテレビを見ている。小さい機器なのに音声は結構大きく聞こえてくる。綱を付けていない子犬を3、4匹連れた60代位の女性が向こうから歩いてきていて、その子犬が男に愛嬌をふりまいてまとわりつこうとする。その女性は男とすれ違う時「今日は」と声をかける。男も元気よく「今日は」と返すと「すみません」と犬が男にじゃれついたことを詫びる。男は「いや、いいんですよ。」と返す。

 30分ばかり歩いたところで工事のため行き止まりになったのでひき返す。暫く歩くと鉄橋の上を電車がゴトンゴトンと走っているのが見えてくる。川と鉄橋と走る電車と両岸の建物群と樹木や葦の茂みと丘陵と空、この風景はいつ見てもとても良い。たまらなく良い。
男はこの風景を絵にしようと写真に撮ったことがあったがまだそれは実現していない。10年ほど前男はある絵の同好会に入っていて、この川にかかる橋と川の風景を絵に描き、展覧会に出したことがあった。その絵を男は自分の部屋に飾ってある。初めて書いた絵であるが絵の中に余計なものが描かれている。それは送電線の鉄塔である。男の絵を観たある画家が「これは無い方が良かった」と批評してくれた。その画家は男の友人(女性)の叔父にあたる方であるが、がんで入院中であるとのこと。その友人に見舞いの手紙でも書かねばならぬと思っているが、このところなかなかその時間がない。

 夕日を斜め後ろから受けながら歩いているとネギやパンなど買い物をして帰る途中川辺を散策しているらしい女性に追いつく。買い物袋は結構重そうである。その女性は日々の買い物には不便な場所に住んでいるのであろうか。今日は天気が良く散策しながらの帰りはそうつらくはないであろうが、そうでない日はつらかろうと男はその女性に同情する。

 暫く行くと今度はサイクリングの途中らしいヘルメットをかぶった女性に出会う。その女性は携帯電話のカメラで太った2匹の野良猫の写真を撮っている。この辺には野良猫が何匹か住んでいて、誰かがその世話をしている。川岸の茂みの陰に雨の日でも大丈夫なように傘つきの餌場が作られている。以前女房と一緒に散歩していた時これを見た女房は猫を捨てる飼い主の方を非難していたが・・。

 後ろ姿が良い女性が前を歩いている。男はゆっくり大股で歩いているのであるが追いついてすれ違う。美人である。男はふと昨年膵臓がんで死んだ女性のことを思い出した。
男は昔ある特定非営利活動法人を立ち上げ、7年間その代表をしていたことがあった。そのとき男はスペック(仕様書)を作って人材を求めたことがあった。そのときスタッフの一人がその女性を紹介してくれた。彼女は聡明で美人で仕事もよくこなした。彼女は男より一まわり下であった。彼女の夫は新幹線で4、5時間かかる遠地に単身赴任していた。彼女の悪い癖で彼女は男の自尊心を傷つけるようなことを言ってよく男を怒らせていた。しかし男は彼女を友人として愛していた。

 男は彼女が入院したということを聞いてすぐその病院に見舞いに駆け付けた。彼女は「何もかも失った。もう十分人生を楽しんだ」と男に言いながら泣いていた。男は「まだこれからではないか」と彼女を叱りつけた。別れ際彼女は男に握手を求めて来たので、男はしっかり手を握ってやった。その彼女はもうこの世にはいない。

 会うは別れの始めである。川辺の散策は男に人生のいろいろなことを考えさせてくれる。

2010年1月13日水曜日

新年会などの案内状を貰って(20100113)

 毎年年が明けると男が昔関わっていた所から新年会やOB・OG会や同窓会などの案内状が来る。何年か前まではそれらの会合に出ることが左程億劫ではなかった。お付き合いという気持ちもあった。しかし今年は行くのが億劫である。それよりも今晩の食事のように女房と二人だけで、先日来客があったとき余った食材で天麩羅なべを囲み、ノンアルコールのビールもどきの飲み物を飲みながら、全く気も使わず食べるのが最高である。わざわざ会費を払って、昔の何人かの友人や知人と旧交を温め、演台で誰かが何かをやればお愛想に手を叩き、時間をつぶすのがだんだん馬鹿らしくなってきた。

 それでも淋しい人はそのような会合にいそいそと出かけるのであろう。男は明後日、千葉に住む竹馬の友と、彼が連れて来る人と横浜で会う。彼が連れて来る人は男を知っていると言うが、男の方ははて誰だっけ、と全く記憶にない。竹馬の友はその人を是非男に再会させようとわざわざ横浜までやって来る。その人は横浜に住んでいるというから面白い。そのような友と食事しながら語り合うのはとても楽しいことである。

 男が九州の田舎に帰るとき是非立ち寄ってくれ、という友人が福岡の宗像と筑紫に居る。そういう友と会うのは楽しい。しかし、72も過ぎて誘われる会合に出ても男が知らない人が多い。知人・友人たちと旧交を温めてもそれが大きな意味があるとも思えない。

 男は今日陶芸に行った。これは毎週12回行くが、陶芸には創作の喜びがある。西行も言っているように「老楽は至善を行うにある」のだ。この齢になってつまらない時間を過ごしたくはない。敢えて「義理を欠く」のも必要である。年寄りの我が儘と言えばそれまでであるが、「どうしても来て欲しい。来て後輩のため○○をして欲しい」と何か、男が意欲を感じるものがあれば、幹事がわざわざ時間をかけて案内してくれたのであるから気持ちを振るって参加することには意味があると男は思う。しかし浅学無能な男にはその○○など出来るものは何一つない。第一男は持ち上げられて喜ぶような者ではない。

 隠居・遁世は身勝手と言えば身勝手、作家や芸術家も自分の世界しか興味がないと思うが、今の男には自分の世界にしか興味がない。人生で何か不足があれば、まだまだ頑張らなければならないと思うだろうが、男も女房も何一つ不足はない。男はまだそうは思っていないが、女房は「私は何も思い残すことはない。いつ死んでも良い」と言う。しかし男には子や孫たちのためにまだやっておかなければならないことがある。それだけではなく、「在家の仙」のように、世俗のまま仏教の勉強を深めたいと思っている。

 男と女房に戒名を授けて下さるという100歳になるお方は在家のままお坊さんの資格も取られたお方である。男もそのお方の後を追って在家のお坊さんになることも念頭にある。この28日、そのお方は満100歳になられる。その日に男と女房に戒名を授けて下さるので、その日男と女房は都内に住むそのお方のお家を再訪することになっている。

 一般に家に閉じこもりがちな老人は世間が狭いため話題に乏しい。特に年老いた女は情報源として民放の娯楽番組や近所の人たちとの会話で得た噂話しかない。男のようにこの齢でコンピュータを自由に使い、インターネットにアクセスし、哲学的な書物に親しむような者はマジョリティではない。人には誰でも124時間という同じ時間がある。それをどう使うかによって人生の豊かさに差が出てくる。「知は力」である。男も女房もそれぞれ己の目標の的を絞り「知らないことを知る」ことが好きで、そのとおりにしている。

2010年1月12日火曜日

大伴家持の歌に寄せてこの国の行く末を案ず(20100112)

  万葉集は主として大伴家持によって編纂され、天平宝字3年(759年)以降成立した日本に現存する最古の歌集である。万葉集には天皇、貴族から下級官人、防人など様々な身分の人間が詠んだ歌が4516首収められている。この万葉集の4516番目の歌は大伴家持が作った歌で「新しき 年の初めの 初春の 今日降る雪の いや頻け(しけ) 吉事(よごと)」という歌である。我々は古代のこのような素晴らしい遺産をもつ日本国民であるのだ。

 今日は曇天で寒い。男と女房は殆ど家の中で過ごしている。録画していたNHKの『日めくり万葉集』を再生して観賞した。万葉集について篠田正浩は「大伴家持は権力の痛切な裏切り、自分たちが奉仕しても受け入れられない権力の非情さに対するアンチテーゼとして万葉集を作ったのではないか」と言う。浅田次郎は「(万葉集は)歌集ではなく歴史を背景とした壮大な叙事詩である」と言う。サンパウロ大学元教授でポルトガル語で万葉集を紹介した初めての本をブラジルで出版したジェニ・カワサキは「万葉集は限られた階級の歌集ではなく、国民全体の歌だというところに興味を持った」と言う。

 大伴家持の氏である大伴氏は、その大伴氏から別れた佐伯氏とともに古来代々天皇の警護のため奉仕してきた氏族である。聖武天皇の御代、奈良の大仏建立に必要な金が陸奥の国から出たという知らせを聞いて、大伴家持は『陸奥国に金を出す詔書を賀す歌一首、并せて短歌』(別名、『賀陸奥国出金詔書歌』)というものを作った。その金は663年の朝鮮・白村江の戦いで日本軍が大敗したため日本に帰化した百済王族の子孫・百済王敬福(くだらのこにきし きょうふく)が陸奥国司として陸奥に派遣されていたときに発見した金である。

 その『賀陸奥国出金詔書歌』の中に「大伴と佐伯の氏は人の祖の立つる言立て 人の子は祖の名絶たず 大君にまつろふものと 言ひ継げる言の官ぞ 梓弓手に取り持ちて 剣大刀腰に取り佩き 朝守り夕の守りに 大君の御門の守り 我れをおきて 人はあらじと いや立て思ひし増さる 大君の御言のさきの聞けば貴み(現代語訳: 大伴と佐伯の氏は、祖先の立てた誓い、子孫は祖先の名を絶やさず、大君にお仕えするものである と言い継いできた 誓言を持つ職掌の氏族であるぞ 梓弓を手に掲げ持ち、剣太刀を腰に佩いて、朝の守りにも夕の守りにも、大君の御門の守りには、我らをおいて他に人は無いと さらに誓いも新たに 心はますます奮い立つ 大君の 栄えある詔を拝聴すれば たいそう尊く有り難い)」という一節と、「海行かば 水漬く屍 山行かば 草生す屍 大君の 辺にこそ死なめ かへり見は せじ」という歌がある。この歌は戦前、兵士を奮い立たせる歌として悪用された。この金産出の詔書を賀す歌の悪用のことを多くの日本人は知らない。

 大伴家持は時の実力者・藤原仲麻呂が権勢を振るう様を観て天皇が治めるこの国の有り様に不安を持ったのか時の権力に立ち向かったが、結局は志成らず滅ぼされてしまった。男はこの史実からふと外国人参政権を推進しようとする今の時代の危うさを思った。

 古代の大伴・佐伯両氏のように代々天皇を支え天皇を守ろうとする特定の勢力は今の時代には存在しない。大伴・佐伯両氏退場の後、藤原北家の藤原氏が代々天皇を支え続けてきたが、平安時代の終わりとともに天皇は時の権力者に利用され続けた。太平洋戦争も然り、今時、また慣例を破る形で小沢一郎氏により利用された。

 男には小沢氏がこれまでずっと私利私欲のため行動してきたとしか思えない。この国の行く末は彼に忠節を誓う者、彼を恐れる者たちにより危うい状況にあるように見える。