2010年4月30日金曜日

ブッダ『感興のことば』を学ぶ(41) (20100430)

 男はウオーキングを兼ねて女房とトレッサ横浜というモールに行った。そこは以前トヨタの工場など関連施設があったところである。道路を挟んで北側と南側に複合の3階建ての商業施設があり、食料品、衣料品、スポーツ用品、自動車など色々な店がある。レストラン街もある。今日(29日)は連休初日ということもあって非常に賑わっていた。

 いつもコーヒーを買う店では長蛇と言いたくなるほど人が列を作って並んでいる。並んでいる客は、入り口でサービスされる一杯のコーヒーである。客が並んでいないときは男も入り口でコーヒーのサービスを受けるのであるが、今日はやめた。

 食料品を売っている大型スーパーの店に入った。そこで売っているかもしれないコーヒーで京都で焙煎・調合されたというものを買うためである。そのコーヒーはあった。先日女房が友達と皇居を散策したときその友達が用意して持て来たコーヒーがとてもうまかったというコーヒーである。その友達の話したとおり値段は上中下と三段階あって、上の部類でも200gが578円である。

 客が一杯のコーヒーのサービスを受けるため並んでいる店では上等なものは800円以上もする。値段相応に確かに香りも味も良いコーヒーである。今日買ったコーヒーがどれほど美味しいかどうかまだ味わっていないが、もし800円以上もするコーヒーと比べてこっちの方が美味しかったら、今後はこの安いほうのコーヒーに切り替えることにする。こちらのコーヒーは有機珈琲と銘うっていて、南米各国の有機栽培のコーヒーがブレンドされているものである。まだ瓶の中には前のものが残っているのでそれを使い終わったらこちらのコーヒーを味わうことにする。多分、このコーヒーは美味しいだろう。楽しみである。

 そのスーパーで果物など買って北棟にある書店に立ち寄り高校の化学の参考書を買った。何で今頃高校の化学の参考書など買うのかと思う人もいるだろう。これは今分子生物学の勉強をしているので、その勉強のため必要であるからである。分子生物学を勉強してゆくうちに、あらゆる生物は化学式で示される構造になっていて、ミクロの世界でいろいろな工場や工程があることが分かった。人間の精神の働きも例えば脳内物質β―エンドルフィンなどは体の中でタンパク質から作られる物質の働きによるものである。その物質の最も小さい粒子の一つは電子である。お釈迦様が説かれる「あの世」には電子のレベル、あるいはそれ以下の量子のレベルで何か関連はないのだろうか?4次元を超える世界とのつながりで「あの世」を説明できないのか?シロウトとしてあれこれ(人に言わせれば「つまらんこと」)考えたいと思って哲学のブログ「現代の自然観と仏教」を開設している。

 ブログ「吟詠」に斎藤茂吉の短歌「あかあかと」を出した。その記事の中に「あの世」の存在を信じる人は幸せである、と書いた。

ブッダ「感興のことば」第10章続き;

4 尊敬さるべき真人たちに対する信仰を財とし、安らぎに至るための教えを聞こうと願うならば、聡明な人は(ついには)いろいろのことについて明らかな智慧を得る。

2010年4月29日木曜日

ブッダ『感興のことば』を学ぶ(40) (20100429)

このブログで自分の写真とともに若干の個人的情報を含むプロフィールを公開していることについて考えてみる。
初めのうちは極めてひかえめであったが今のようにしたのには理由がある。一つは70歳を超えてあの世に向かって突き進んでいる今となっては何も恥じることも隠すこともないと思ったことである。これまで生きてきたが天皇陛下や内閣総理大臣からは到底あり得ないにせよ、せめて自治体の首長からでも何か表彰を受けるような社会的貢献をしてきたのではないし、若い時に何処かの大学生活をして卒業して社会に出てサラリーマン生活を送ってきたわけでもないし、なにか著作があるわけでもない。社会に向かって何か自分を飾って見せる必要は全くないのだ。
あの世に向かってもう少し勉強しよう、そして私がやがてある日この世を去ったあとでもこの世を生き続ける子や孫たちに私が生きた証を遺し、多少の教訓を垂れておきたい、そう考えて、毎日が日曜日のような暇にまかせて「随筆」というのもおこがましいがこの『日々是支度』を毎日書き続け、毎月予め決めてある吟題の詩吟をブログ『吟詠』で公開し、週1回陶芸をやり、その作品で気に入ったものなどが出来たとき英語の勉強も兼ねて『Ceramic Art』で発表している。
この4月から放送大学に再入学し、「分子生物学」と「生物界の変遷」の2科目をとって勉強している。その目的は私が多少学んでいる仏教の哲理がこの最新の科学と融合するところはないか探ってみたいからである。その目的のためにBiglobeで「現代の自然観と仏教」というタイトルのブログを出している。
私の仏教への思い、「仏教は人々の悩みを救う」という思いを、私なりのやり方で少しでも多くの人に知ってもらって、何かを得てもらえれば、私も多少なりとも世の中の役に立つと考えた。しかし、実際に役に立っているかどうかについて知りたいとは全く思わない。勝手に自分の思いを公に出して、自己満足しているだけである。
だが、物騒な世の中、あまり自己をさらけ出すのは考えものである。プロフィールについては修正を加え、写真も削除し、公開も限定することにした。
ブッダ「感興のことば」第9章は途中飛ばして第10章「信仰」に移る。
1    信ずる心あり、恥を知り、戒めをたもち、また財をわかち与える。これらの徳行は、尊い人々のほめたたえることがらである。「この道は崇高なものである」とかれらは説く。これによって、この人は天の神々の世界におもむく。
2    物惜しみする人々は、天の神々の世界におもむかない。その愚かな人々は、分かちあうことをたたえない。しかしこの信(まこと)ある人は、分かちあうことを喜んでいるので、このようにして来世には幸せとなる。
*「信(まこと)ある人」は、教義を信仰する人という意味ではなく、「心のすなおな人」の意である。

2010年4月28日水曜日

ブッダ『感興のことば』を学ぶ(39) (20100428)

 今日(26日)はお天気が良いので久しぶりに三ッ池公園までウオーキングした。この公園は県立で園内に三つの池があり、周囲は丘陵になっている。Wikipediaによるとこの公園の生い立ちは江戸時代の18787年に三つの池が農業用ため池として整備されたことに始まる。園内には35品種の1千本を超える桜の木があり、その7割はソメイヨシノである。

 今日は平日なので公演を訪れる人々もまばらである。男は女房と二人で園内のあちこちに設置されているベンチの一つに腰をかけ、途中のコンビニで買ってきたおにぎりを食べた後、園内の道をのんびり歩いた。歩きながら普賢象や関山桜や花ミズキや山吹などの花々が咲き乱れているのを見、新緑の柳の枝が池の面に向かって垂れ下がっている風情を見、カワセミが獲物を見つけて口にくわえ飛び去る姿を追い、池の岸辺の草むらの上を1羽の白いアヒルが1羽のカルガモの後についてグアグア啼きながらよちよち歩いている情景を見、亀たちが甲羅干しをしているのを見た。

 カワセミにはそう簡単にはお目にかかることはできない。しかし今日は幸運にもカワセミにお目にかかることができた。1羽のカワセミが枝に止まってじっと池の面を見つめている。早速カワセミの姿を写真にとった。カワセミが池に飛び込む瞬間とか、獲物を口にくわえて飛ぶ姿の写真を見たことはあるが、素人がそのような写真を撮ることは非常に難しい。デジカメでそのような瞬間を撮ることは殆ど不可能である。今日、今年初めて池の面に接近している木の枝に止まっているカワセミをしばらく観察することができ、カメラに収めることが出来たことは大変幸運なことであった。女房も大満足である。

 ブッダ「感興のことば」第8章は15番で終わる。第9章「行い」に移る。

10 愚かな者は(悪い事を)しながら「この報いはわれに来ないであろう」と考える。しかし、来世におもむいて、悪い行いをした人々の行きつくところを知る。
18 悪いことをしても、その業(カルマ)は、刀剣のように直ぐに斬ることは無い。しかし、来世におもむいてから、悪い行いをした人々の行きつく先を知るのである。のちに、その報いを受けるときに、劇しい苦しみが起こる。

この第9章は次の19番で終わる。「感興のことば」は第33章まである。
これまで読んでいて「来世」とか「かの世」とかいう語がしばしば出て来る。‘ブッダ’は多数現れることになっているが、実際に‘ブッダ’となられたお方は2500年来このかた、シャークア族の出身であるお釈迦様、つまり釈尊お一人だけである。釈尊は絶対不滅の霊魂の存在を否定され、その存在について論じることを禁じられた。しかし、霊魂が過去世、現世、来世の三世に輪廻転生することだけはあらゆる機会に説いて語られた。古来の仏教の師は、「現世」の今は、その人の「過去世」の行いの結果であると説いておられる。
先達の師のことばを信じず、教えを学ばない者は大変愚かな者であると、私は固く思う。

2010年4月27日火曜日

ブッダ『感興のことば』を学ぶ(38) (20100427)

 男は初めてサッカーくじというものを買ってみた。先日福岡空港で3階のレストランに上がる途中に小さなくじ売り場がある。飛行機の出発時刻までかなり時間があるので其処に立ち寄り、宝くじ以外のLOTOなどのくじの仕組みについて質問して見た。聞いてみて初めて分かったことは、サッカーくじというものには当選金額が6億円というBIG以下3種類あり、くじを買う人はサッカーチームの勝ち負けを自分で予想する必要がなく、勝敗の確率をコンピュータが予測する仕組みになっているということである。

 サッカーはある意味で国対国の戦争のようなものである。日本のサッカー選手は日の丸の国旗を背中に背負って、ワールドカップで勝つことを目指して必死の努力を続けている。私はこれまでサッカーの試合をテレビで観戦することはあっても、直接サッカーの試合が行われる会場に行くことに全く興味がなかった。

 先日、ある駅の構内で女子高校生たちが並んで声を張り上げて「あしなが育英会」の募金活動をしていた。僅かばかりのお金を差し出したのであるが、その金額が少ないと女房に言われた。言われてみれば確かにそのとおりである。これまで日本ユニセフ協会やUCNR(国連難民高等弁務官)協会に貧者の一灯のようなほんの僅かの寄付をしたりしていたが、そういうところに自分の金を出するよりも、高校生たちや中学生たちや小学生たちが街頭で募金活動を行っているとき、そこにある程度の金額のお金を差し出す方が十分に価値がある。「ご苦労さん、頑張ってね。」と一声かけてあげることができて、彼らの純粋な精神に基づく活動を直接評価してあげられる。

 サッカーくじは、日本のサッカーを財政的に支援する仕組みである。くじを買う人は当選するかもしれないという期待を持つことができる。くじを買って当選する夢を持ちながら日本のサッカーを直接応援している気持ちになれる。

 日本ユニセフ協会やUNHCR協会は公益法人としてJICAと連携して国際的な援助活動を支援しているのであろうが、寄付しても何か満たされないものがある。まして今行われている事業仕訳でJICAなどが天下りの受け皿として大きな役割も持っている状況が明らかになると、そういうところに寄付しても心があまり満たされないようなところに寄付するのは馬鹿馬鹿しいという気持ちになる。

 勿論サッカーくじを取り扱う組織にも甘い汁を吸う連中がいることであろう。世の中には何処にも甘い汁を吸う輩がうじゃうじゃいる。それは皆無には絶対できないと思う。ただ街頭で小中高校生たちが純粋な気持ちで募金活動を行っているとき、彼らを直接励ましてやりたいし、日本人として日本のサッカーを応援したい。自分の限りある資源はそういうとこころに少しだけ分けるのは、自分にとって満足できることである。

13 好ましいことばのみを語れ。そのことばは人々に歓(よろこび)び迎えられる。つねに好ましいことばのみを語っているならば、それによって(ひとの)悪(意)を身に受けることがない。

2010年4月26日月曜日

ブッダ『感興のことば』を学ぶ(37) (20100426)

市井の一老人として自民党執行部に提案のメールを送った。これが二度目である。自分は自民党員でもなく、民主党員でもなく、過去に自民党候補者に票を入れていたが、今では如何なる政党の候補者に対しても距離を置き、人物本位で良い人物と思える候補者がいなければ棄権も已む無しと思っている。自民党にメールを送ったのは、今のわが国の状況を見ていると何が何でも自民党が生まれ変わって貰ってもらって、健全な2大政党の時代になって貰いたいと思うからである。
政党の本部に名もない一人の年寄りがインターネットでメールを送りつけ、一言申し述べるなど、普通はあまり見かけないであろう。暇人で変人だからやることであると自嘲する。しかし私は高校生の頃、親父に「○○(私のこと)は何をしでかすかわからない。全学連に入ってつまらぬことに熱中しかねない。」というようなことを二つ違いの弟にもらしていたそうである。
実際親父が見ていたとおりのことをしていた。中学生のとき生徒会長に立候補し、朝礼のときなど先生たちが前に並んでいるときに演壇の上に立ってなにやら学校を批判するようなことを言っていたり、校内放送で同様な発言をしていたり、高校の時も生徒会長に立候補して今度は落選したり、社会人になっても上司の机を叩いてまくし立てたりしていた。
このような性格は父親譲りで、もう30年も前に死んだ親父が師範学校を出たばかりの若造のとき校長に向かって「ひげを剃れ」と言ったというエピソードを、葬式の時親父の親友が弔辞で述べていた。その弔辞は和紙に筆で書かれているもので、仏壇の中にあったものをこちらに持ち帰って保管している。
気骨があるといえば恰好よく聞こえるが、誰にも遠慮なしで怖さ知らずで、無礼でもある。そのような性格は私の息子たちも多かれ少なかれ持っている。これは遺伝子のせいであると思う。書き遺されたものを見ると私があったこともない曽祖父もあまのじゃくのようなところが想像される。あまのじゃくなところは孫にもある。3歳の男の子の孫は、やって欲しいことと反対のことを言えば、実際にやって欲しいことをする。
どうもこのような性格は遠い先祖から伝わってきたもののようである。わが家は大友家没落とともに帰農しているが、それまでのことは大事に書き伝えてきたようである。それには一、二か所つじつまのあわない部分があるが、実際にどうであったか類推できる。
昼食前にちょっとテレビのスイッチを入れ、チャンネルを回したらテレビ朝日でソフトバンクの孫社長と仙谷行政改革担当大臣が対談している様子が出ていた。孫氏は、「21世紀は光(情報)の道の時代である。法律でその道の整備を推進すべきである。電子教科書や電子カルテなどで国の財政状況も大幅に改善される。」と熱っぽく語っていた。一方の仙谷氏は、70代、80代の高齢者はついて行けないと反論していた。時代は正に転換期である。
8 自分を苦しめず、また他人を害しないようなことばのみを語れ。これこそ実に善く説かれたことなのである。

2010年4月25日日曜日

ブッダ『感興のことば』を学ぶ(36) (20100425)

 男のところに中学時代の同級生Sが埼玉で合唱団を主宰し、自ら指揮をしている演奏会の案内状が送られて来たので東京に住む同じ中学時代の同級生Tと一緒に応援に行った。‘応援’というのは彼女が夫の介護のため演奏活動を止めていてこの度5年ぶりに再開するというので応援するのである。もともと私は合唱にはあまり興味がないからこれまで一度しか行ったことはない。しかしTは彼女から案内状が来るたびに聴きに行っているそうである。Tは中学時代野球部に入っていてピッチャーをしていたが2年のとき合唱部に入ったらしい。私は水泳部に入っていて学校のすぐ近くの川で練習していた。Tとは年賀状でしか繋がっていないが、今回久しぶりに会った。演奏会のあとドトールのコーヒー店の喫煙可の一角で昔話をした。

 演奏された曲目は、荻久保和明の「ミサ曲第3番天使の詩」、プーランク、ツィグラーなどの「AVE MARIA集」などである。席は満員に近い状況であった。演奏は休憩を挟んで第4ステージまで行われ、最後に『天使の詩』などミサ曲が演奏された。私も拍手を打ち続けたが、アンコールは一度で終わらず二度あり、それぞれよく歌い慣れた様子の短い曲が演奏された。これはリラックスしていてなかなか良かったと思う。

 全体的な評価として、30代ぐらいから50代ぐらいまでのようであるメンバーがよく練習して来たと思う。普通の家庭の主婦などアマチュアばかりであろうが、ラテン語やフランス語などの歌詞をよく覚えて上手に歌っていたように見えた。ブローシュアには語学勉強のためオープンカレッジに通ったりネイティヴの講師を雇って個人レッスンを受けたりしたりした苦労話が書かれている。

 勿論アマチュアの域を出ない部分もある。低音部が今少し声量不足である。もし低音部のメンバーが欧米系の女性たちであったらボリューム感があっただろうと思う。また高音部は美しい済んだ声でボリュームはあったが、欲を言えばきりがない。ウイーン少年合唱団のような純粋な、透き通るような声を期待してもそれは無理というものである。

 STも私もそれぞれの父親は同じ師範学校出で、当時の朝鮮で教鞭をとっていた点が共通している。Sも同じ教師の道を選んだらしく、昔の師範学校である地方の大学の学芸学部で学び、さらに東京芸大で学び卒業して、さらに同大学別科でスキルアップをしている。
S20年前数名で合唱団を結成した。Sが主宰・指導・指揮する合唱団は団員であった母親の娘が入団するなどして徐々に規模が大きくなり、Sは今では五つの合唱団を主宰・指導・指揮している。海外の公演にも参加している。ご主人の理解がなければSはこれまで続けてこれなかっただろうと思う。ともあれ、同郷の同じ中学校を出た仲間が73歳の高齢になるにもかかわらずこのように活躍していることは、大変誇りに思うことである。

 ブッダ「感興のことば」第7章は12番までである。第8章「ことば」に入る。

8 善いことばを口に出せ。悪いことばを口に出すな。善いことばを口に出したほうが良い。悪いことばを口に出すと、悩みをもたらす。

2010年4月24日土曜日

ブッダ『感興のことば』を学ぶ(35) (20100424)

 昨日(22日)は雨だったので、畑作業はできなかった。今日は曇天であるが雨は降らないので男は一昨日植えたキュウリとゴーヤのつるを延ばす三角形のラックを作り、ネットを取り付けた。ラックは去年使ったものを組み立てたものである。つるはネットにからみついて伸びる。トマトは伸びる枝を支えることができるような五角形の構造のラックで囲った。ナスは強い風に煽られても倒れないように茎の近くに柱を立て、ひもで茎をその柱に軽く固定した。ピーマンには目印の柱を立てた。それぞれ苗は一本づつであるが、独居の母が毎朝庭に出てそれらの成長の様子を見て楽しむことができる。

 植えた苗のまわりに化成肥料をすこし撒き、ついでに庭の松や百日紅やつつじなどの樹木の根元にも多少多めに撒いておいた。肥料をやっておくと花の木は美しい花を沢山つける。松くい虫にやられそうになっていた松も庭師に処置してもらっているが、肥料を撒いておくと元気になる。独居の老母の目に庭の樹木が元気そうに見えるほうがよい。

 庭は一応こじんまりとした山水風であり小さな池もあるが、その池の水長年は抜いたままである。父が生きていた頃は、この池に錦鯉が数匹泳いでいた。親父は長男である自分にあまり期待はしていなかったようであるが、長男と言うものは無意識のうちに家系を繋いでゆかなければならないと思うのかもしれない。自分は今連綿として続いてきた父祖の地から遠く離れている土地に住んでいるが、この土地に帰って先祖の祭祀をし、子たちに繋いでゆくことは自分に課せられた義務のように思う。

 しかし、一般に男はそのような義務感を持つものであろうが、一般に女はそういう義務感など全く持つことは無いようである。近年、女の力が強くなり、夫婦別称を望む人たちも多くなってきているが、生物学的に男はオスであり女はメスである。オスは自分の子孫を残したいと思い、良い子孫を生んでくれるようなメスを求める。

 高速バスの中でこのブログを書いているうちに福岡空港に着いた。羽田行きのANAの出発時刻まで1時間余りあるので空港内のレストランで美味しい夕食を取ることにした。手荷物は早々に預け、3Fのよく行くレストランに入る。昨日の夕食は普段粗食である母のためにすき焼きを作って一緒に食べたが、また肉料理のビーフシチュウ・アンド・オムレツとドリンクバーを注文してエプロンや誘導路や滑走路が目の前に見える席につく。

 夕暮れ時である。いつも福岡空港に来て思うことがある。この地は古来大陸に近いところで独特の雰囲気がある。人々の表情は明るく、活気に満ちている。そのくせ東京や横浜で感じる喧騒さはない。空港での手荷物検査は厳重である。昔大宰府があった土地柄、外国との往来も東京や大阪などよりはるかに身近に感じる。

 自分の心はどういうわけか九州に惹かれる。受け継いできた遠い先祖の血のせいあろうか。

10 落ち着いて思慮ある人々は身をつつしみ、ことばをつつしみ、心をつつしむ。かれらはあらゆることに慎んでいる。かれらは不死の境地におもむく。そこに達したならば、悩むことがない。

2010年4月23日金曜日

ブッダ『感興のことば』を学ぶ(34) (20100423)

 男は91歳になる独居の母が住む家の屋敷内に小さな畑に植えるため、町の中にあるホームセンターで接ぎ木のナス、トマト、ゴーヤ、キュウリ、ピーマンを各一株、九条細ネギの苗少し、それに有機肥料の小袋及び化成肥料の小袋各一つを買ってくる。

 苗を適当な感覚に植えることにし、ネギについては深い溝と土手をつくりそこに植える。トマト、ナス、ピーマン、ゴーヤ、キュウリを適当な間隔に配置して植える。元肥として有機肥料を使う。苗を植えた後たっぷり水をやる。日が暮れて小雨もふってきたので今日の作業は終わりとする。

 明日は雨と予報されているが母のデイサーヴィスの日である。もし雨でなければ買ってきた化成肥料を上から少し撒いておこうとおもう。庭の百日紅の木など樹木の根元にも化成肥料を撒いておこうと思う。去年は肥料をやっていたせいか樹木の勢いが良かったという。松枯れ病については庭師が処置してくれていて枯葉は目立たなくなっていた。

 この家屋敷は父が遺したものである。この家のある田舎の町に年4、5回帰っている。母が他界したらこの家をどうするかという問題が起きる。福岡空港から高速バスで1時間余りの時間でここに来ることができる。この町は風光明美なところである。温泉もあちこちに出ていてかけ流しの公衆浴場が入浴料300円で利用できる。利用客が少ない日中には広い風呂を独占できるときもある。気持ちがとても良い。

 昨日墓参した家屋敷は本来ならば私が継ぐ立場になるところだったが、父が家督を末弟に譲ったのでそうならなかった。そこは男が子供時代に育った思い出深いところである。今では屋敷内に5戸の家が立ち並び従弟の母や娘、叔母など一族が住んでいる。昔屋敷内の竹藪だったところや裏の畑だったとことに家が建てられている。子供の時家の前に道路ができ、その時祖父に手伝って造った石垣などがまだ残されている。

 一生の間にいろいろなことが起きる。これまで自分の母が早世したことなどの不幸はあったが概ね平穏無事、幸せな人生だった。しかしこれからどうなるかは神のみぞ知るところである。中曽根元首相がテレビのインタヴューで「結縁、尊縁、随縁」を大事にしているという話があったが、57年ぶりに同級生たちに会ったりして、その縁のことを大事にしなければならないとつくづく思った。

3 心で過ちを犯さないように、まもり落ち着けよ。心について、慎(つつし)んでおれ。心による悪い行いを捨てて、心によって善行を行え。
4 身体による悪い行いを捨て、ことばによる悪い行いを捨て、心による悪い行いを捨て、そのほか汚れのつきまとうことを捨てて、
5  身体によって善いことをせよ。ことばによって大いに善いことをせよ。心によって善いことをせよ。汚れのさまたげの無い、無量の善いことを。
6 身体によって善いことを為し、ことばによっても心によっても善いことをするならば、その人はこの世でも、またかの世でも幸せを得るであろう。

2010年4月22日木曜日

ブッダ『感興のことば』を学ぶ(33) (20100422)

 大分空港には10時前に着き、まもなく大分行きのバスに乗ったのであるが、別府市街地に近くなってから交通事故のためか渋滞し、このままだと何時大分駅に着くのかわからない。空港から出て初めのうちは高速道路を通ったので快適だった。座席は一番初めに乗車したので左側最前列である。前のポケットを見ると誰か前の乗客が置いたと思われる新聞がある。今日の朝日新聞である。目を通すと地球上の生物が急速に絶滅しているという記事がある。人類の活動がこの絶滅に与える影響は僅かなようであるが、それでもかなりの影響があるようである。最も大きな影響は過去の地球の歴史から考えると隕石の落下によるものである。今考えられているのは地球自体のマントルの動きによる火山噴火である。

 バスに乗って1時間に以上も経ってようやく別府に着いた。この分だと大分に着くのは11時半を過ぎるだろう。バスの中でいらいらしながら時間を過ごすのは勿体ないので、バッグからパソコンを取りだしてこれを書いた。羽田から一緒に来た級友は、福岡に住む他の級友が自分の車を用意して迎えに来て一緒に別府観光をした。

 大分に着いて従兄が運転する車で、叔母の入院先に向かう。叔母は従兄の母親で夫をビルマ戦線で失った戦争未亡人である。叔母は96歳になるが大腸がんを患っている。一見元気そうに見え、脳の活動もしっかりしているが医師はもう余命いくばくもないと言っている。

 叔母を見舞った後、従兄に送って貰って祖父母や終戦翌年の12月、33歳で乳がんで死んだ母の墓に参った。祖父母ら先祖の祀りをしてくれている従弟の家で寛ぎ、従弟の叔母に送って貰って別府のホテルで行われる同級会の送迎バスが来る場所に向かった。その場所で57年ぶりに同級生たちに会った。皆年寄りになってしまっている。

 昭和25年に卒業した同級生は377名いた。物故者は50名いる。代表の世話役が「有志の会」と名づけて集まりそうな同級生たちに声をかけ、今回50有余名が温泉宿に一泊の同級会に顔を出した。舞台で舞踊を披露する女性、フラダンスを披露する女性、歌謡吟を詠じる男性などがいた。男はコンダクターを弾きながら良寛の「時に憩う」を披露した。

 次回どうするか一部のメンバーで1時過ぎまで焼酎などを飲みながら喧々諤々議論した。結局「○○同級会」などといった名称で会則を作るなど堅苦しいことはせず、「有志の会」という名のまま声かけについては世話役に一切任せ、会費の過不足は世話役の責任で処理し、会計報告もしない形で、次回77歳の喜寿のときあたりにまた集まることになった。

 フロントに依頼して各室に9時にロビーに集合するよう連絡してもらい、世話役の代表が「解散」の挨拶をし、続いて男が世話役たちに感謝の辞を述べて、皆の拍手を受けて今回の世話役たちが次回また同級生らに呼び掛けてまた集まるようにするというストーリーにし、そのとおり事が運び、皆三々五々と別れて行った。皆もう高齢であるから、次の同級会のときには既にあの世に逝ってしまっている同級生がいるかもしれない。

2 ことばで過ちを犯さないようにまもり落ち着けよ。ことばについて、慎んでおれ。語(ことば)による悪い行いを捨てて、語(ことば)によって善行を行なえ。

2010年4月21日水曜日

ブッダ『感興のことば』を学ぶ(32) (20100421)

 明日別府で中学校時代の同級会がある。昭和28年に大分のある中学校を卒業した同級生約55名が温泉宿に一泊して57年前の絆を確かめ合う。幹事は地元で校長をして定年を迎えた者を中心に5人でいろいろ細かい世話をしてくれている。故郷を遠く離れて暮らす身にとって、故郷にそのような友だちがいるということは非常に大きな幸せである。

 明日は朝早い飛行機で羽田を発つ。東京方面から私を含め3人が同じ飛行機で大分に向かう。皆それぞれ別々に航空券をとったので座席はばらばらである。男はマイレージカードを持っているので早くからインターネットで申し込み、座席も指定していた。運賃も格安であった。ところがJTBで航空券を買った者も同じ運賃である。ただし座席指定は向こう任せであり、マイレージはつかない。空港で落ち合い、機内に入ればそれぞれ別々の席に座ることになる。飛行機事故が怖い友人の一人が座席番号のことを気にする。「JTBに掛け合って3人同じところが取れたらそのようにしたいがどうか?」と、電話で言ってきた。自分も座席番号を気にして17C席を取ったのであった。座席の変更はインターネットでやらなければならないので、その話は断った。

 世話役の5人の友だちに何かお礼をして喜ばせてやりたいと考え、サプライズの袋を5個用意した。中に個人情報を消す小道具が入っている。消費税込みで11260円したものである。世話役の二人は中学卒業以来会ったことがない友だちである。

 同級会ではそのように57年間会ったことがない者が多いだろう。男はよく九州の田舎に帰っているが、そこは私が生れ育った土地ではない。親父が教師として赴任し、其処に移住し、その地で没した土地である。だからちょくちょく田舎に帰っていても10人程度の者にしかこれまで会っていない。

 男は昨日昭和記念公園の中を歩きながらヒューマンウォッチングをした。自分と同じぐらいの齢格好の男性や女性に目が向かう。カジュアルの背広の上着を着ている者が多い。「ま、あんな恰好であろうな?」と言うと、女房は「嫌アね。男の人はサラリーマン時代の感覚から抜けきらないのよ。」と言う。「俺はお前が俺の着るものをいろいろ買ってくれたから、TPOに応じてこうして格好の良いものを着ることが出来ているが、普通はそのような習慣も身につかず、自分が一番落ち着く服装になるのだ。」と言った。「明後日同級会に出るときは背広など着てかしこまった格好はしないよ。普段出かける服装にするよ。帽子もこのLLBeanの帽子をかぶる。友だちに何か言われたら‘これは宮里藍がかぶっているような帽子だよ’と言うさ。」と言う。宮里藍がかぶっている帽子はどこのメーカーのものかは知らないが・・。このLLBeanの帽子は先日夏用の放熱のメッシュがあるものを買った。

ブッダ「感興のことば」第7章「善い行い」;
1 身体に過ちを犯さないように、まもり落ち着けよ。身体については、慎(つつし)んでおれ。身体による悪い行いを捨てて、身体によって善行を行え。

2010年4月20日火曜日

ブッダ『感興のことば』を学ぶ(31) (20100420)

女房の誕生日を祝うカードが送られてきた。カードは手作りで、裏に孫娘と孫娘に抱かれた3歳になる孫(男子)が大きく写っていて、二人とも右指でVサインしている姿が印刷されている。「大きくなったな。」とつくづく思いながら何度もその写真を見る。可愛さがこみあげてくる。会って抱きしめてやりたいな、と思う。
お互い遠く離れて暮らしているので、年に一、二度しか会うことはないが、「この子には俺のY染色体の遺伝子が確実に伝わっている。この子の耳の形は俺に似ている。俺がいずれあの世に逝っても脈々としてわが家の血筋は続いて行くことだろう。」と思う。
昨日、昭和記念公園で娘の母親らしい女性が幼児を抱き、その児の両親らしいカップルと並んで歩いていた。女性は小柄であるがカップルの方は普通の背丈である。女性に抱かれているのは多分孫であろう。女性が小柄であるので見ていて重そうである。週末に訪れてきて昨日はお天気が良かったのでこの公園に来たのであろうか。「孫とおばあちゃんだろうな。」とつぶやくと、女房は「そのようだね。ああして可愛がっている間は寄って来るのよ。そのうち大きくなって寄りつかなくなるのよ。」という。それも真実だろうと思う。女房は孫たちが来たときはできるだけ精一杯のことをして喜ばせる。その女性も多分そのようにしているのだろうと思う。祖母と思われるその女性は夫に先立たれたのだろうか?
都会地では子供たちの遊び場が限られる。田舎の広い家では、小さな子や大きな子が大人数いて騒がしくても家の中や庭先など、子供たちが遊ぶ場所が沢山ある。しかし都会地では一般に住む家も狭い。孫たちが来たとき彼らを何処か外に連れ出さないと喜ばれない。そのような息が詰まりそうな環境では家族の絆を保つのが大変である。かつて日本にあった良さが段々失われてゆく原因は、都会地に人口が集中し過ぎたことにあると思う。
女房とよく老い先の暮らし方について語り合う。一致した意見は後10年ぐらいの間に何処か有料の老人ホームに夫婦で入居することである。子が親を看るということは大変なことである。九州の田舎に92歳になる母が一人暮らししていて年に何度か帰っていろいろ面倒を看ているが、そのうち一定期間、その母が寿命を終えるまでの間、九州の田舎で暮らさなければならないかもしれない。そのとき我々もすでに高齢である。
彼女は要支援2の状態であり、週2回ホームヘルパーに来てもらい、週2回デイサービスを受け、それなりに元気な自立生活を送っている。歩いて行ける距離にあるかかりつけの病院には自分でタクシーを使って行き、定期的な診察を受け、点滴を受け、高血圧の薬や便通の薬などを貰って帰る。お天気の良い日にはできるだけ押し車を押してその病院などに行っている。人は誰でも年老い、人生を終える。それが定めである。

ブッダ「感興のことば」第6章は20まであるが、次の15で次章に進むことする。
15 心ある人はこの道理を見て、つねに戒めをまもり、すみやかにニルヴァーナに至る道を清くせよ。

2010年4月19日月曜日

ブッダ『感興のことば』を学ぶ(30) (20100419)

 ようやく4月のお天気のよい日が訪れた。今年の春は気温が冬に戻ったり、急に暖かい日になったりで寒暖の差が激しい。アイスランドの火山噴火の噴煙の影響でこの異常な気象状況に拍車がかかるのではなかろうか?今年の夏は気温が低くなるかもしれない。

 気象予報で今日(18日、日曜日)は久しぶりに良いお天気となるということであったので、男は女房と二人で立川の昭和記念公園に行くことにしていた。女房のお目当てはチューリップである。昨日から小学生のときのように‘遠足’の準備をしていた。

 天気にめぐまれ昭和記念公園には非常に多くの親子づれなどで賑わっていた。様々な色や形のチューリップ畑やショウカッサイの畑やラベンダーに似たムスカリの畑などが美しくデザイインされて遠方まで一面にひろがっており、ところどころにやまぶきの黄色い花もあり、名前は知らぬがピンクの花もあり人々の目を楽しませてくれている。

 一面の菜の花畑では蜂蜜の甘い香りが漂っている。しかしどうしたことかミツバチは一匹も見かけなかった。日本ではミツバチが少なくなっており農家も困っているらしい。
昭和記念公園には四季折々の花畑があり、去年はコスモス畑が見事であった。デジカメで沢山の写真を撮って家に帰り、カメラをテレビにつないで撮ってきた写真を見る。これが二人暮らしの老夫婦の楽しみである。その中から良いものを印刷して額に入れ部屋や廊下に飾る。それが女房の楽しみである。「今が一番よい時だわ。」と女房は言う。「ゆっくりした時間があるのがいいね。」と応じる。

 テレビで撮ってきた写真を見たあと、NHKスペシャル『日本と朝鮮半島第1回「韓国併合への道」』を二人で見る。日本が韓国を併合し満州を制圧したことについて、この番組も一見客観的に説明しているように見える。しかし日本が、欧米列強諸国がアジアを植民地化しようとしていた状況の中でアジアの自立と欧米諸国の浸食を排除しようとしていたことについて説明が不十分であるように思う。

 今日の読売新聞の『地球を読む』という欄で、東大北岡教授が「侵略」の定義を述べている。その定義の仕方に疑問を感じる。「侵略」という概念について一方的に決めつけている。20世紀初期の世界の状況の中で日本が初めどういう理念でどういう行動をしたのか、それが最終的にどう変わったのか、あるいは初めから変わっていなかったのかという時間的経過を見ることなく、満州を制圧するに至った時点の状況だけで「侵略」と定義づけている。日本をして「侵略」に追い込ませた要因は他に全くなかったのか、有ったのか、その辺りのところを歴史学的にきちんと説明して貰わなければ、「われわれの父祖たちは悪いことをした。当時の中国人や朝鮮人の側には一点の非の打ちどころもなかった。」と自虐的にならざるを得なくなる。それはおかしいのではないか?!

16  花の香りは風に逆らっては薫(かお)らない。昼間に咲くタガラの花からも、栴檀からも。しかし徳のある人々の香りは、風に逆らっても薫る。徳のある人は、すべての方向に薫るのである。

2010年4月18日日曜日

ブッダ『感興のことば』を学ぶ(29) (20100418)

アイスランドの活火山噴火による噴煙で視界が悪くなり、世界中の航空機の運航に非常に大きな支障が生じている。ヨーロッパの多くの空港は閉鎖され、世界規模で人・物・金の移動が出来なくなり、経済活動においても非常に深刻な問題を生じつつある。
歴史を辿れば、1783年のアイスランドのラキ山の噴火が起きたとき、ヨーロッパを中心に農作物の成長に大きな支障を生じ、不作の影響で民衆に不満が広がり、フランス革命が誘発されたという。また、1815年のインドネシアのタンポラ山の噴火のときには地球の平均気温が約3度下がり、翌年欧米では「夏がない」ほど冷え込み、約92千人の死者が出、その死者の9割は餓死だったという。(参考資料:17日読売新聞夕刊「よみうり寸評」)
折しも中国のチベット自治区に隣接し、チベット人が非常に多く住む青海省で阪神淡路大地震級の地震が発生し、中国政府はチベット人たちの反乱を恐れて必死に救援対策を講じている。中国政府は外国からの人的支援を求めていないが、わが国の政府は総額1億円の無償の資金提供を申し出、求められれば直ちに人的支援もできるように準備を行っている。アイスランドの火山噴火による地球規模の深刻な問題に対処するため、わが国の政府の危機管理部門はいろいろ対策を練っていることと思うが、決して抜かりのないように頑張ってもらいたいと思う。
例えば、北朝鮮は気温低下により食料生産量も低下し、いよいよ持ち堪えられなくなり、何万、何10万という飢えた人々が幸せを求めて国外に脱出することがあるかもしれない。中国で政府が抑えきれないような暴動が起きるかもしれない。どこかの国で不信・不安から核ミサイル発射のボタンが押されるかもしれない。テロリストたちがチャンスとばかりに活発に活動するかもしれない。
政府はあらゆる不足の事態に備えてもらいたいと思う。平和ボケしたわれわれ国民が選んだ国会議員たちも、この際真剣に国家・国民の安全保障のことを考えてもらいたいと思う。

さてブッダの「感興のことば」を読み続けているが、第6章「戒め」に入る。
5 明らかな智慧があり、戒めをたもつ人は福徳をつくり、ものをわかちあって、この世でもかの世でも、安楽を達成する。
10 かれは束縛の絆(きずな)が消え失せて、慢心もなくなり、煩悩のさまたげもなく、身体が壊(やぶ)れて死んだあとでも明らかな智慧をたもち、ときほごされて、(迷える人の)部類に入らない。

ここでブッダは「身体が壊(やぶ)れて死んだあと」と言っておられる。このことについてブッダは前世の行いの善悪が今生に及ぶと明確に言っておられる。ブッダは時空を超越した世界を観ることができたのである。しかし現代人は科学的に証明できないことは納得しない。しかしそれは果たして幸せなことであろうか? 否である。