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2010年6月25日金曜日

日本決勝進出

今朝(25日)未明、日本はデンマークを3対1で下し、決勝トーナメントに進出することができた。日本中の若者たちが日本の戦いに熱狂し、興奮し、「にっぽん!にっぽん!」と大合唱し続けた。皆「勇気をもらった」「元気をもらった」と喜んだ。男も日本の若者たちが心を一つにして愛国の情に燃えたことを非常にうれしく思った。

闘莉王が「へたくそはへたくそなりに戦えばよい」「日本人になれてうれしい」と言った。日本チームは試合前互いに肩を組み合い、かあっと眼を見開いたまま真っ直ぐ前を見つめ、君が代を斉唱していた。大和魂ここにあり、侍日本ここにあり!である。

このとこころ政治の貧困により覇気を失いつつあった日本人は、全国各地でこの試合を観戦し、応援し、明日へのファイトを得た。

菅総理が声を枯らして消費税を上げなければならないことを訴えている一方で、小沢氏はそれに批判的な発言をした。初めからそうであったが党内の権力争いが続いている。このような政党に国政を任せることはできない。

人物本位だ。男は神奈川県はたちあがれ日本の松田氏、比例選全国区は自民党で、人物は宇都氏を推す。政界再編で保守大連合を期待する。ただし、私利私欲の輩、国の未来の邪魔になる輩はいずれ政界から去ってもらいたいと思う。

2010年6月24日木曜日

参院選、各党首発言


夕食後NHKのテレビを見ていたら、各党首がNHKの2名の男性アナウンサーの質問に答える番組があった。

菅総理にアナウンサーが「消費税10%という数字の根拠は何ですか?」と質問したら、菅総理はそれには答えず、くどくどと別のことを答えていた。男も女房もその態度に怒りを覚え、女房は「アナウンサーはそんなことを聞いていないのよ」と言い、男は「‘私が直感的に決めた’と言えばよいのだ、菅さんの限界だな」とテレビに向かって言った。

自民党の谷垣総裁は「民主党はまずマニフェストが間違っていたと先ず謝るべきだ」と言い、消費税が人気取りのばらまきのため使われることを警戒した。共産党の志位氏は「企業減税のよる税収の落ち込みと消費税の税収アップの差し引きは2兆円しかない、われわれは5兆円という防衛費などに手をつけ消費税は上げない」と言った。男は、共産党の欺瞞を見抜いている。そういうことには絶対ならないだろうが、彼らがもし仮に政権を取ったら先ず自衛隊と警察と海上保安庁を掌握し、民衆を抑える道具に使うことだろう。

たちあがれ日本の平沼氏は「民主党は私が4月に経団連で講演した‘強い日本’‘強い経済’などというキャッチフレーズを横取りされた」と怒った。経験が浅く、平成維新と意気込み、官僚を抑えつけ、日本をめちゃめちゃにし、参院選でなんとか過半数を確保したいとて、自民党やたちあがれ日本などの主張するところを党内で十分議論もせず、合意も得ぬまま、つけ刃で選挙公約に掲げた。

枝野民主党幹事長は、「‘もういちど民主党にまかせてみよう’と、国民に思ってもらいたい」と危機感を表明した。大多数の国民は、民主党のドタバタぶりを見抜いている。「数は力」「目的達成のため手段は選ばぬ」とばかり、小沢元幹事長は突っ走り、政治素人の連中は右も左もわからぬまま、彼のにらみを恐れ、彼にくっ付いて行っている。

古代に中大兄皇子、後の天智天皇により誅殺された蘇我宗家の再来のような、時代を先取りしようとする開明性はあるが、同様に私利私欲ありと嫌われる小沢元幹事長が、菅総理の目標議席数に文句をつけ「過半数とすべき」と言ったという。

男は、歴史と伝統のあるこの祖国日本のため、私心なく、労組や日教組のバックなしの、真に日本人の魂がある衆参民主党員たちが「自由民主党」や「たちあがれ日本」などの政党と連合し、あらたな政治連合を構築してくれればどんなに気が晴れることだろうかと思う。おそらく非常に多くの有権者たちも、同様の気持ちではないかと思う。

それにしても、各党の候補者たちのかなり多くの人たちについてはその資質にクエスチョンである。国を思う若い志士たちがどんどん国の政治の場に躍り出ることがえきるよう、国費を使い、国会が認定する各党に現状の国会議員の数に比例した金額の、「若き志士応援金」といでも言うものを、それもかなりの金額で使途を限定し、不正使用を防ぐ抜け穴のない厳格なチェック機能を持つ機構も併せ創り、日本の未来を託したらどうであろうか?

現状では公募以外に、国会議員2世とか、労組、日教組、宗教団体なぢの組織をバックにした人たち、あるいは資産家しか国会議員になれない。これでは日本の未来は暗い。

2010年6月5日土曜日

ブッダ『感興のことば』を学ぶ(77) (20100605)


新首相は菅直人氏が指名された。民主党代表候補として最大グループの小沢氏が田中真紀子や海江田万里氏や突然現れたニューフェース・樽床伸二氏をグループとして独自に推薦しようと試みたが、何れもその工作に失敗した。田中氏によれば小沢氏から直接働きかけがあったが「自分はその器ではない」と断ったとメディアの前で語った。樽床氏は菅氏と160票ほどの差で敗れたがそれでも130票ほど獲得した。その票には小沢グループも含め、各グループ横断的に若手の票が集まったようである。

男が問題にしたいのは、一国の指導者を選ぶのに議員内閣制とはいえ、特定のボスの意向が反映される可能性が大きい仕組みがあるということである。小沢氏は自分が書いた本には格好の良いことを書いているが、国の命運を正義よりも数の論理で推し進めようとしているように見える。小沢氏はその論理を実現させるためあらゆる手段で金を集め、金とポスト配分を一手に握ることにより権力を握り、「自分の名誉欲と金銭欲を満足させるためには長いものに巻かれるほうが得である」と考える者の心理を巧みに利用している。政治家になってみなければ理解できないことかもしれないが、「政治とはそういうことである」と分かったようなことを言う輩を男は大嫌いである。男は自分が昔から正義感の強い、潔癖症であることは自覚しているが・・。

しかし、議員内閣制は報道の自由が完全に保障されているわが国のような国では、国民にとって最も安全な、安心できる制度かもしれない。今回の民主党の代表選の様子はメディアを通じて逐一国民に知らされていた。昔のように首相が密室で決められていた時代では必ずしも国民の総意にそった人が首相になったわけではなかった。それでも官僚がしっかりしていたから問題はなかった。

民主党が政権をとってからは平成維新と称して極端に走り、官僚を排除する政治を行ってきたため普天間基地問題では迷走に迷走を重ねてしまった。鳩山元首相も首相になって半年も過ぎて自らの間違いに気付き、「勉強した結果抑止力のことがわかった」と言って沖縄県民の反発を押し切って日米政府間の合意を決定し、身動きできなくなってしまって首相の座を降りた。多くの民主党員たちも自分たちの過ちに気付き、鳩山氏と小沢氏ツートップを下すことによって生きのこる道を選んだ。それが今回の代表選の結果である。

社会的な事象における矛盾というものは、時が経てば必ず解消されるものである。ロシアは70年間に及ぶ壮大な社会実験を経て共産主義と決別した。そのロシアは民族問題という新たな矛盾を抱えて苦しんでいる。中国も共産党一党支配の政治構造で今後半世紀続けることができるかどうか。国内に抱える民族問題や農民は簡単には都市の住民の戸籍を得ることが出来ないという戸籍問題は火種としてくすぶり続けるだろう。その火種を消すため国民の目を外に向けさせるのはどの国でもよくやる手である。警戒が必要である。

23 称讃してくれる愚者と、非難してくれる賢者とでは、愚者の発する称讃よりも、賢者の発する非難のほうがすぐれている。

2010年5月18日火曜日

ブッダ『感興のことば』を学ぶ(59) (20100518)


小沢幹事長は政治資金問題で政倫審に出て説明することになった。小沢氏は昨日特捜部から4時間以上事情聴取された。自民党は予算委で小沢氏の参考人招致または証人喚問を求めている。石川議員が今日事情聴取された。石川氏はマスコミの取材に答えて小沢氏との関係を子弟の関係だと言った。子弟の関係とは体の好い言葉である。しかし実態は親分子分の関係である。石川議員は小沢氏の前で平身低頭、ぺこぺこ頭を下げている。

民主党の女性議員、名前失念、が委員会の議決の際、強行採決に抗議する自民党議員から突き飛ばされたとして、今日松葉づえ姿で国会の議場に現れ、そこでまた転んだ。パフォーマンスはいい加減にせよ、と言いたい。一般大衆で雰囲気で民主党に投票した人たちは、自分たちと同じレベルの人を議会に送る喜びを感じたが、一方でその心の奥には自分たちにない‘品の良さ’を求めている。秀吉が信長の妹・お市に憧れ、その子ども茶々を妻に迎えたように、人は自分にないものを求める。それと同じ心理で自分とレベルがあまり変わらない者を国会に送り、‘代償的’に自分ができなかったことを実現させた気になる。しかし、そのようにして国会に送り込まれた人が‘自分がやるかもしれないことと同じようなこと’をしてしまうと、それまでの満足感がいっぺんに吹き飛んでしまう。人の心理はそんなものである。件の女性議員のパフォーマンスに反感を感じている人たちが多いことだろう。件の女性議員はそのような一般大衆の心理を理解していない。

宮崎県の牛に発生した口蹄疫による被害は甚大である。政府は鳩山総理を長とする対策本部で1000億円を支出し、畜産農家への支援などにあたることになった。初め赤松農林水産大臣が現地に行ったが対策も持たずに行ったため現地で激しく非難され、急きょ首相自ら前面に立つことになり、首相名代で農水副大臣、名前失念が実務を担当することになった。

民主党は初めの頃にくらべ非常に現実的になってきた。企業減税も行おうとしている。普天間の問題は対中国・北朝鮮への抑止力として取り組まれている。今後外国人参政権問題、夫婦別称問題、公務員労働基本権付与問題など結局現実路線で考えざるをえなくなるだろう。今日、横浜中華街で食事した。従業員のほとんどは中国人である。彼らが日本に永住し、日本国籍を持たずに日本の防衛・安全保障に関わる義務は負わず、権利だけを主張出来るようにするのは間違っている。公務員労働基本権付与も日本をギリシャやポルトガルと同じような国にする道筋である。ちなみにギリシャでは国民の5人に1人が、ポルトガルで10人に1人が公務員であり、その公務員が財政健全化に反対している。

日本を良い国にするため、若い世代の人たちで志のある人たちを国会に送り込みたい。防大卒、松下政経塾卒、35歳元航空自衛隊員が全国比例代表で出馬しようとしている。この男、鹿児島人である。気骨ある人間は九州出身者が多い。祖父が鹿児島県人であった小泉進次郎議員は古株のように堂々と発言し、活動している。都会育ちのお坊ちゃんは甘い!

5 恥を知り、明らかな知慧あり、よく心を統一安定しているこの人は、一切の悪を捨て去る。良い馬が鞭を受けたときのように。

2010年5月11日火曜日

ブッダ『感興のことば』を学ぶ(52) (20100511)

鳩山内閣の支持率が急落した。普天間問題で自らの発言を党の公約ではなかった、と言い、アメリカ海兵隊の沖縄駐留が抑止力になっていることを初めは認識していなかったがいろいろ学んでゆくうちにそれがわが国の安全保障上沖縄に駐留することが必要であることが分かったと言う趣旨の発言をしたことが、これまでの献金問題等と合わせて総理への不信感につながったのである。検察審査会で起訴相当とされた小沢氏をかばったことも響いている。首相としての資質を多くの国民が疑問に感じ始めたのである。
世論調査では夏の参議院選挙で民主党に投票する人が極端に減少した。そして自民との大連立を望む声が多くなった。自民党支持率は低水準のまま横ばいで、自民党単独過半数を国民の大多数は望んでいない。かといって第3極の「みんなの党」に対しては驚くほどの支持が集まっていない。国民の多くは行政改革が出来なかった自民党、政官業癒着構造にメスを入れられなかった自民党に限界を感じ、未熟で危うい民主党には自民党ができなかったことを事業仕訳という手法でやろうとした努力は認めるが、民主党が「マニフェスト、マニフェスト」と金科玉条のように叫び理想ばかりを追求して現実に対処できないことやわが国の安全を損なうようなことをしていることに対して失望している。
物事は一方的に観るだけでは大事なことに気づかずに終わってしまう。昨年民主党が政権をとって以来、自民党も民主党も「非武装中立」を党の絶対方針としている社民党もその他の政党も、一般国民もいろいろ学んだ。そのことは非常に大きな収穫である。
中国の海軍のヘリがわが国の護衛艦に近づいたことや、中間線の内側で調査していたわが国の調査船が中国の船に付きまとわれたことなどは、わが国の国民感情を害した。かつてフィリッピンのクラーク基地からアメリカ空軍が撤退したあと、中国が南沙諸島に手を出し一部を事実上領有してしまったことを我々は思い出す。中国と言い、北朝鮮といい、本当に付き合いにくい国々である。たとえ日本とそれらの国々の政府間でよい関係ができたとしても人間でいえば‘腕っ節’や‘足’が‘ちょっかい出し’をする。彼の国の政府も自国の民衆に反感をもたれないように、「わが国の大陸棚は中日中間線の外側まで広がっていてわが国(中国)の権利が及ぶ。」と言うようなことを言う。
平和ボケしていた日本国民もここに至りようやく目が覚めつつある。国民が選んだ指導者たちもプアであったが、政権交代を契機に指導者たちも国民も現実を良く学ぶことが出来ている。だから鳩山首相は後世に名が残るような良いことをしてくれているのである。
先日、読売新聞社が国を再生させる提言を大開きのページ一杯に載せた。政党もしっかり勉強し、国をどういうように導いてゆくかというしっかりした理念と方針と当面の具体的実施要領を示してくれることを期待したい。人気取りの迎合政党に、わが国を任せることは出来ない。国の為尽くす‘英雄’の出現を願望している国民は多いと思う。
7 目ざめている者どもは、わがことばを聞け。眠っている者どもはめざめよ。眠っている者どもよりは目ざめている者がすぐれている。目ざめている者には恐れが無いからである。

2010年4月26日月曜日

ブッダ『感興のことば』を学ぶ(37) (20100426)

市井の一老人として自民党執行部に提案のメールを送った。これが二度目である。自分は自民党員でもなく、民主党員でもなく、過去に自民党候補者に票を入れていたが、今では如何なる政党の候補者に対しても距離を置き、人物本位で良い人物と思える候補者がいなければ棄権も已む無しと思っている。自民党にメールを送ったのは、今のわが国の状況を見ていると何が何でも自民党が生まれ変わって貰ってもらって、健全な2大政党の時代になって貰いたいと思うからである。
政党の本部に名もない一人の年寄りがインターネットでメールを送りつけ、一言申し述べるなど、普通はあまり見かけないであろう。暇人で変人だからやることであると自嘲する。しかし私は高校生の頃、親父に「○○(私のこと)は何をしでかすかわからない。全学連に入ってつまらぬことに熱中しかねない。」というようなことを二つ違いの弟にもらしていたそうである。
実際親父が見ていたとおりのことをしていた。中学生のとき生徒会長に立候補し、朝礼のときなど先生たちが前に並んでいるときに演壇の上に立ってなにやら学校を批判するようなことを言っていたり、校内放送で同様な発言をしていたり、高校の時も生徒会長に立候補して今度は落選したり、社会人になっても上司の机を叩いてまくし立てたりしていた。
このような性格は父親譲りで、もう30年も前に死んだ親父が師範学校を出たばかりの若造のとき校長に向かって「ひげを剃れ」と言ったというエピソードを、葬式の時親父の親友が弔辞で述べていた。その弔辞は和紙に筆で書かれているもので、仏壇の中にあったものをこちらに持ち帰って保管している。
気骨があるといえば恰好よく聞こえるが、誰にも遠慮なしで怖さ知らずで、無礼でもある。そのような性格は私の息子たちも多かれ少なかれ持っている。これは遺伝子のせいであると思う。書き遺されたものを見ると私があったこともない曽祖父もあまのじゃくのようなところが想像される。あまのじゃくなところは孫にもある。3歳の男の子の孫は、やって欲しいことと反対のことを言えば、実際にやって欲しいことをする。
どうもこのような性格は遠い先祖から伝わってきたもののようである。わが家は大友家没落とともに帰農しているが、それまでのことは大事に書き伝えてきたようである。それには一、二か所つじつまのあわない部分があるが、実際にどうであったか類推できる。
昼食前にちょっとテレビのスイッチを入れ、チャンネルを回したらテレビ朝日でソフトバンクの孫社長と仙谷行政改革担当大臣が対談している様子が出ていた。孫氏は、「21世紀は光(情報)の道の時代である。法律でその道の整備を推進すべきである。電子教科書や電子カルテなどで国の財政状況も大幅に改善される。」と熱っぽく語っていた。一方の仙谷氏は、70代、80代の高齢者はついて行けないと反論していた。時代は正に転換期である。
8 自分を苦しめず、また他人を害しないようなことばのみを語れ。これこそ実に善く説かれたことなのである。

2010年4月4日日曜日

ブッダ『感興のことば』を学ぶ(15) (20100404)

若林・元農相が「魔がさして」隣の席の隣席の青木氏がちょっと席をはずしていたとき、10回も投票ボタンを押したとして大問題になっている。若林氏は725日に任期切れで参院選には出馬せずご子息が立候補することになっているという。そのため2日付で辞職する。本来ならば辞職させられるべき不祥事である。
一方で、先般の自民党議員総会で現執行部は顔ぶれを変えず、選対本部に若手を起用して夏の参院選を戦うという。しかし、平沼氏に引き続き与謝野氏、園田氏がそれぞれ新党を立ち上げると表明した。桝添氏の動向が注目されている。自民党は最早がたがたである。なぜそこまで衰退してしまったのか。彼らには全く反省がない。
官僚がすべて悪いわけではないが、早期退職後の生活のため彼らは何かと理由づけて公益法人をつくってきた。それに国会議員の秘書だった者などが悪乗りし、公益法人の業務の実務を関連企業からの出向社員らに行わせるような会社をつくったりしていた。その会社の人権費には、それら出向社員の給与等は含まれない。お互い持ちつ持たれつ甘い汁を吸い合っている。公益法人には官僚が天下りし、実務を担当する会社の社長もその法人の役員を兼務し、実務担当者の身分も巧妙に交差し、全体として大きな組織が出来ている。
そういう仕組みを許してきたのが自民党である。否、許さざるを得なかったのかもしれない。一般民間企業であれば定年も60歳、65歳であり、定年後も能力次第では働く場所があるが、高級官僚では40代で早期退官せざるを得なかった仕組みがある。自衛官も階級が下がるにつれ齢若くして退役させられる。老兵は戦場で役に立たないのだ。しかし年齢ゆえに戦場で役立たずとなった老兵たちには第二の人生を歩むための援護システムが準備されている。新しい職場でその職場の経営者の理解のもと、年間一定の訓練を義務付けられる予備役として、有事には老兵でも何かの役に立たせる仕組みがある。
しかし有能な高級官僚たちには、国として公式に退官後の面倒を見る仕組みができていない。この国家は有能な官僚たちがしっかりしなければ存続できない。喜色満面に「官僚たたき」をしてきた連中は、今大いに反省している筈である。しかし、自民党は何をしてきたのか?自民党が出来なかったことを現政権はやろうとしていて、少しずつ成果を上げているということは、多くの国民に認識されていることである。
新たに立ちあがる政党は、国の為、今何を反省し、どのように国を導いてゆくのかという理念を掲げて国民に信を問うべきである。反省が足りない!徹底的に自己反省して欲しい。その自己反省の言葉を聞きたい。鳩山氏も普天間の問題で、真摯な態度で反省すれば、皆納得するだろう。沖縄の航空管制は米軍から国土交通省に移管された。ホワイトビーチ沖に航空自衛隊を含む軍事施設をつくり、那覇空港は純粋の民間空港にし、極東唯一の巨大カジノパークをつくって沖縄での雇用を増やせば、皆喜ぶ筈である。
10 聡明な人は順次に少しずつ、一刹那ごとに、おのが汚れを除くべし、鍛冶工が銀の汚れを除くように。

2010年3月31日水曜日

ブッダ『感興のことば』を学ぶ(11) (20100331)

仲間由紀恵が主演する『ごくせん』というテレビ番組をたまたま観た。この番組は最終回であった。仲間由紀恵は大江戸一家の‘お嬢’で3D組のクラス担任である。このクラスはいわゆる‘ワル’ばかりが集まっているクラスで、他校のワルどもと張り合って喧嘩をする。お嬢は大江戸一家での躾や訓練がよく出来ているのか、若い女でありながら腕っ節が滅法強い。そこらのワルども敵ではない。相手が鉄パイプで殴りつけてきても武道の心得がよく出来ていてさらりとかわし、相手の逆手をとってやっつけてしまう。

この番組を観て思ったことが四つある。まず第一は、この‘先こう’はワルの教え子たちを心から、しかもものすごく愛している。第二は、人が生きる上で踏むべき正しい道を、非常に厳しく教えている。第三は、情にもろいお姉さんのような、母親のような人である。第四は、一人対多人数の徒手戦闘に滅法強い武道の達人である。つまり、「情熱」「誠実」「女性」「武道」の四つのキーワードで、この女の‘先こう’を語ることができるのである。

最も肝心なことは、この女の‘先こう’が向かうところ敵なしの武道の達人でなければ、他の三つの要素が如何に優れていても、ワルたちはついては行かないだろう。簡単な言葉でいえば、暴力を抑えるにはそれに勝る力でもって対抗しなければ、相手は服従しない、ということである。如何に道徳的なことを言い態度で示しても、相手はせせら笑ってついて行かないだろう。同じことが、組織対組織、国対国の関係でも言える。わが国が近隣諸国から尊敬される条件の一つは、自衛隊、海上保安庁、警察という、ある意味で優れた‘力’を持っているからである。わが国が中国を脅威と感じるのは、彼の国の軍隊が膨張し続け、東シナ海からアメリカの影響力を排除しようと意図して、現実に行動しているからである。わが国が北朝鮮を嫌うのは、彼の国が人々の暮らしを犠牲にしてまで核武装をし、その能力をさらに高めようと意図し、現実に行動しているからである。

社民党は非武装中立を党の中心的理念として掲げている。その社民党と組んだ民主党は、今その足かせに苦しんでいる。反小泉路線を掲げる国民新党は、その党首の、人々には‘遺恨’のように見える言動に、眉をひそめている。連立の矛盾は初めから分かった上で連立を組んだのであろうが、リーダーが余りにも優柔不断なそぶりを見せ続けたため、普天間の問題で、今非常に大きな壁に突き当たっている。この矛盾を解消するには、一定の‘手みやげ’を持たせて連立を解消し、公明党やみんなの党や自民党の一部または全部と大連立を組むしかないと思う。それをやれる人物は、一人しかいない。彼は目的のためなら何でもやる人のようである。そういう人でないと、その大仕事は成就しないだろう。

さて、ブッダ『感興のことば』第1章は42番まであるが、第2章に移る。
1 愛欲よ。わたしは汝の本(もと)を知っている。愛欲よ。汝は思いから生じる。わたしは汝のことを思わないであろう。そうすれば、わたしにとって汝はもはや現れないであろう。

2010年3月22日月曜日

ブッダ『感興のことば』を学ぶ(2) (20100322)

「子供を社会全体で育てる」という理念は良いと思う。ただ、これまで誰も言っていないようであるが、子供を社会全体で育てるため5.5兆円もの国家予算を投入することになる以上、社会のためどのように子供を育てるのかという視点が是非必要であると考える。
その額よりも低い防衛予算を割り当てられる防衛省は、法律により国の安全を守る義務が課せられている。自衛隊員は「身の安全を顧みず任務を果たす」と宣誓している。しかしそれよりも多い国家予算を投入する教育の現場で、公的な義務が明文化される動きはない。
かつてのナチスドイツのヒットラーユーゲントのように、子供を国家の目的のために特別な教育を行うようなことは論外であるが、少なくとも反国家的ではない方向に子供を育てるという考え方は無くてはならないのではなかろうか?
国旗や国歌に対する敬意を示すことを教えることは最低限必要であるし、公衆道徳や隣人愛ということの大切さを実践的に教えることは義務付けられるべきではなかろうか?
権利には義務を伴うこと。学校や家庭内で皆で話合って決めたルールは必ず守らなければならないこと。そのようなことを一定のガイドラインに従って教育の現場で教え込むことは必要ではなかろうか?  
国会の論議をテレビで視聴していたら、北海道の教組は勤務時間中にFAXを使って国旗や国歌に敬意を表さないことを指導したという。新着任の校長にペーパーを示し、自分たちの言いなりになるようにチェック項目にチェックを入れさせ、署名させたという。これは北海道だけのことではあるまい。由々しきことである。
選択制夫婦別姓の法案の取り扱いは子供の将来を考えて慎重の上にも慎重に取り扱われるべきである。地下鉄サリン事件など凶悪な事件については、被害者のご遺族や重い後遺症に苦しんでいる人たちの小さな声に耳を傾けるべきである。政権政党は声なき一般大衆の思いに心を致し、選挙で勝つことだけを考えず、損得抜きに考えて行動して欲しいと思う。そうしなければ決して一般大衆の支持は得られず、選挙で大敗するであろう。

『感興のことば』第1章つづき;
3 諸のつくられた事物は実に無常である。生じ滅びる性質のものである。それらは生じては滅びるからである。それらの静まるのが、安楽である。
8 「わたしは若い」と思っていても、死すべきはずの人間は、誰が(自分の)生命をあてにしてよいだろうか? 若い人々でも死んで行くのだ。男でも女でも、次から次へと。
14 死刑囚が一歩一歩と歩んで行って、刑場におもむくように、人の命も同様である。
18 昼夜は過ぎ行き、生命はそこなわれ、人間の寿命は尽きる。小川の水のように。
20 「わたしには子がいる。わたしには財がある」と思って愚かな者は悩む。しかし、すでに自分が自分のものではない。ましてどうして子が自分のものであろうか。どうして財が自分のものであろうか。

2010年3月18日木曜日

ブッダ「真理のことば」を学ぶ(55(20100318)

放送大学から印刷教材と放送番組表などが送られてきた。印刷教材は先ず学ぶことにした『分子生物学』と『生物界の変遷』の2科目である。今回とった科目はテレビで放送されるものであるが、それらをテレビで予約録画するようにセットしておこうと思う。
早速勉強の準備をした。通信指導の設問の中に専門用語が沢山ある。それらをメモ用紙にメモしておく。専門用語を理解するため書物やインターネットから必要な情報を得ておき、それを頭にいれて教材を読むことにする。教材を読みながら文中の専門用語の部分にアンダーラインを引いて起き、後日専門用語を整理するノートを作る。これは1ページごと差し替えができる方式のノートとし、書き記した用語をアイウエオ順に並べ替える。
これまで長年このように頭脳をきりきり使うことを休んでいた。16年ぶりに放送大学に再入学し、学問をする。老いてますます頭脳が活発に働く。頭脳に必要な酸素と糖分を十分補給しながら、身体を動かし血のめぐりを良くしながら、限られた時間を如何に効率的に使うか考えながら勉強する。これは楽しい。
つまらぬことにあれこれ頭を悩ませることは馬鹿馬鹿しい。「つまらぬこと」は、「執着心」と密接な関係がある。執着心を捨てればつまらぬことに時間を費やすことはない。自然体で心の赴くまま善きことをすればよい。その「善きこと」の中には多少の執着があってもよいと思う。在家である以上、なにも戒律厳しい修行僧のような日々を送る必要はないと思う。しかしその辺の考え方は長年自分自身に問いかけながら会得するしかないだろうと思う。少なくとも自分自身は善人として自由自在でありたいと思う。
そういう態度で世間を見る。子ども手当と高校無償化の2法案は月内成立の運びとなった。議論された問題への対処は、問題意識を持ちながら先送りとし、先ずは法案を成立させることにエネルギーが注がれた。財源の措置については6月に税制をどうするかが決められ、その中で手当ての目途をたてようとしている。それも一つのやり方であろう。何事も矛盾を内包しないものはない。矛盾が何であるか既に分かっているので、矛盾に気づかず走り出すよりはまだ良い。しかし矛盾はいずれそれが無くなる(解決される)方向に向かう。
鳩山邦夫氏が新党を打ち立てるとして自民党を離れた。民主党への支持率が低下しているのに自民党への支持率が上がらないことに危機感を持ってご自分自身は坂本竜馬のような働きをして与謝野氏、桝添氏らを仲間に引き入れ誰かを代表に推して新党を作ろうというのである。鳩山邦夫氏は当面は孤独を強いられるだろう。先ずどのような新党にしようとしているのか、新党の名前は何か、理念は何かなど、その辺のところがはっきりと描かれていないと同調者は集まらないだろうと思う。うがった見方であるが彼が兄の総理を意識して行動を起こしたとすれば、それは執着心から起こしたものであるので不純である。
第二十六章「バラモン」(=煩悩を去り罪悪を為さぬ人。(訳注による))
397 すべての束縛を断ち切り、怖れることなく、執著を超越して、とらわれることの無い人、かれをわれは〈バラモン〉と呼ぶ。

2010年2月28日日曜日

ブッダ「真理のことば」を学ぶ(37(20100228)

どういう人物が働きかけたのかどうか分からないが、国連人権委員会が高等学校の教科書代無償化について朝鮮学校を除外する動きに対して懸念を示した。鳩山総理は朝鮮学校でどのような教育が行われているのか不透明であるし、北朝鮮による拉致問題が未解決な状況下、除外する方向であるという趣旨の発言をしていたが、その後トーンダウンした。
この問題は一部の勢力の言うなりになって解決してはならないと思う。先ず朝鮮学校でどのような教育が行われているのか殆どの日本国民は知らされていない。学校では反日教育が行われているという話を聞いたことがある。朝鮮総連の幹部は北朝鮮の政府高官との間で緊密な連絡を取り合っていると言われている。
国交がない国の民がこの日本国内で自由気ままな活動をすることを許し、人権という美名のもとにこの民に日本の参政権を与えようとする動きがある。勿論人権を尊重することは非常に重要である。しかし権利には義務を伴うのである。権利だけを認め、義務について寛容であることがあってはならない。朝鮮学校における教科書の無償化は、その学校で行われている授業内容を100%公開するという義務が果たされるならば、権利として当然認められるべきである。先ずは義務を果たして貰いたいと思う。

政権や与党の実力者は先ず謙虚であって欲しいと思う。一部の実力者がその他の衆を束ね、わが思いのままに行動をすると、必ず禍根を残す。実力がない故に声を発さない衆の者の内なる声を聞かず、進んで憎まれ役をしている者がいる。彼は‘声を発さない衆の者’の影に怯え、公的なボディーガードに護られている。
一般国民はそのような政権や与党がこの国を支配していることに言いようのない不安を感じている。それでもこれまでよりはましだと思って固唾をのみながら彼らを見守っている。よく考えてみれば、これは異常な状況である。もしここに新たな政党が誕生し、行動を起こしたならば、一般国民の期待は一挙にその新たな政党の方に向けられるだろう。

次のことばは、聖者に関するブッダのことばである。政権や与党の実力者は勿論聖者ではない。しかし、聖者のようにあって欲しいと思う。もし聖者のようにあれば、一般国民の言いようのない不安感は払しょくされ、この政権と与党に対して歓喜の声を上がるだろう。

268269 ただ沈黙しているからとて、愚かに迷い無智なる人が<聖者>なのではない。秤を手にもっているように、いみじきものを取りもろもろの悪を除く賢者こそ<聖者>なのである。かれはそのゆえに聖者なのである。この世にあって善悪の両者を(秤にかけてはかるように)よく考える人こそ<聖者>とよばれる。

ここで「賢者」について、「ブッダ「真理のことば」を学ぶ(35(20100226)」参照。

2010年2月9日火曜日

ブッダ「真理のことば」を学ぶ(18(20100209)

自民、公明、みんなの党の3党が衆院に共同提出した石川知裕衆院議員に対する辞職勧告決議案について、「審議するに当たらないということで対処していく」と述べ、採決に応じないと言った民主党の山岡国会対策委員長は、小沢氏の側近であるということである。
テレビ報道によれば船田氏はインタヴューに応えて「自分は元小沢氏の側近であったが彼の気に入らないことをしたとして小沢氏から切られた。その後を山岡氏が継いだ。」という趣旨のことを言っていた。
権力により自分の気に入らない者を容赦なく切り捨てる手法は、ある意味では‘みせしめ’であり、古来よく使われてきた手法である。小沢氏は口下手であると聞く。言葉をよく使いこなす人であれば一応口頭で‘解雇’の理由を説明し、相手に一応の弁明の時間を与え、それで‘お別れ’ということになるだろう。小沢氏が野党の要求する国会での説明や参考人招致に応じないのは、彼が口下手のせいであろうと男は推測する。
平野官房長官は、民主党は永住外国人参政権付与については地方自治体の反対の意向に関わりなく国として永住外国人の権利を守るため推進すると言っている。これは「選挙に勝つ」ことが最重要であると考える小沢氏の意向を強く反映したものであろう。
男は民主党が夏の参議院「選挙に勝つ」ために、日本の国として最も重要なことを軽んじてはならないと思う。男は戦前に日本国籍であった在日の人たちと、そうでない人たち、特に戦後徐々に増えてきている中国人たちとを同一に扱うのは間違っていると思う。戦前日本人として扱われていた在日の方々は、日本への帰化により毎年減ってきている。そのような人たち、特別永住外国人には日本への帰化を促進する手段として地方行政への参加をある程度限定した形で認めることについて、男は検討しても良いと思う。古来、わが国は大陸から多数の移住者を受け入れてきた。その子孫は皆日本人になっているのだから。
一方で一般永住外国人の区分に入る中国人は年々増加している。日本は中国との間で近年相互交流が深まり、貿易、食料などの相互関係も非常に深まって来ている。いわゆる‘華人’は世界中の国々の中でコミュニティを作り、助け合っている。我が日本国内においても同様である。そういう状況の中、日本と中国の間で歴史認識、尖閣諸島や日中中間ライン近辺での石油基地の建設、不透明な軍拡などの問題できしみが生じている。そういう中で一般永住外国人に地方参政権を与えた場合、日中間の民族紛争の種子になりかねない。ここは選挙目的でなく、国の安全・安定に関わることとして慎重に考えるべきである。

ブッダ「真理のことば」第十二章は、題が「自己」である。民主党はよく考えて欲しい。
160 自己こそ自分の主(あるじ)である。他人がどうして(自分の)主であろうか? 自己をよくととのえたならば、得難き主を得る。
166 たとい他人とっていかに大事であろうとも、(自分ではない)他人の目的のために自分のつとめをすて去ってはならぬ。

2010年2月6日土曜日

ブッダ「真理のことば」を学ぶ(15(20100206)

小沢氏の不起訴が決まった。しかしその内容は「嫌疑不十分」ということであって「嫌疑なし」ということではない。今後法廷の場で明らかにしてゆくということである。一方、小沢氏を擁護する輿石氏らはこれで疑いが晴れたと喜んでいる。党首の鳩山総理は「小沢氏に幹事長として参院選を戦って行く」と言明した。男は今後小沢氏を告発した市民団体も含め、検察審査会への申立てなどいろいろ攻勢をかけて行くことだろう。
男は民主党が旧政権で出来なかったことをやって行こうとすることは正しいと思う。ただし、条件がある。それは「中庸を外れてはならない。」ということである。昨年夏の選挙で政権をとったからとて、得票率も上で国民の過半数が民主党を支持したわけではない。中庸を外れ、革命じみたことをやってもらっては困る。公共事業の予算を18.5%も削ったことが果たして正しかったかどうか、地方に経済的ダメージを与え、かえって地方を疲弊させる結果にならなければよいがと男は思う。
小沢氏は永住外国人参政権を実現させようとしている。鳩山総理は「個人的にはそれに積極的な思いはある。」という。「参院選で過半数の当選者を出す」ということは、ある意味では‘公’的ではなく民主党の‘私’的な目標である。そのような目標を「国民のため」というのは思い上がった考え方である。それは大義でも正義でもない。こころある人々には「一体この国はどうなるのか。」という言い知れない不安感を抱かせている。旧ドイツのナチス政権は合法的な選挙で多数の議員を出し、ドイツをあのような国にし、人類史上類のない犯罪国家となった歴史を残した。民主党も同じに見える。「怖い」という感じである。

ブッダ「真理のことば」第九章は「悪」という題である。
117 人がもしも悪いことをしたならば、それを繰り返すな。悪事を心がけるな。悪がつみ重なるのは苦しみである。
118 人がもしも善いことをしたならば、それを繰り返せ。善いことを心がけよ。善いことが積み重なるのは楽しみである。
120 まだ善の報いが熟しないあいだは、善人でもわざわいに遭うことがある。しかし善の果報が熟したときには、善人は幸福(さいわい)に遭う。
126 或る人々は[人の]胎内に宿り、悪をなした者どもは地獄に堕(お)ち、行いの良い人々は天におもむき、汚(けが)れの無い人々は全き安らぎに入る。

小沢氏は検察が不公正であると言っていた。その心は「他の政治家もやっているのに。」という思いであっただろう。「清濁併せのむ」ことが必要であるという人がいる。男はそのような考え方は正しくないと思う。結局、小沢氏の‘子分’たちが泥をかぶり、‘親分’小沢氏を守りとおせるだろうか?男は「矛盾はいつか必ずほころぶ」と思っている。

2010年1月28日木曜日

ブッダ「真理のことば」を学ぶ(6)(20100128)

 普天間基地の問題で男は一つの解決策を提案したい。

 沖縄に米軍基地、とりわけ空軍及び海兵隊の航空部隊が存在することは日本の安全保障及び東南アジア地域の安全のため必要である。この必要性については一定の見識をもっている者でなければ理解できない。この必要性が薄れる条件は北朝鮮が核兵器を放棄し、中国や北朝鮮と日本の間で価値観を共有する度合いが非常に濃くなった段階に至るということである。それまでは地道な外交努力と交流促進を積み重ねて行かなければならない。
以上の前提に立ち、当面の解決策について提案する。当面といっても上記のような親密な関係ができるまで少なくとも50年以上の年月がかかるであろう。それまでの間の暫定的な解決策について男は提案するものである。

 それは、沖縄の人たちに目に見える形で精神的な苦痛を補償することである。この補償のため、沖縄以外の自治体で一人当たり年間で500円~10万円程度の負担をすることである。そしてその具体的補償とは、沖縄県民の所得税や住民税をゼロまたは大幅に軽減するのである。つまり我が国の安全を全国民で守るのである。このため‘平和安全税’のような特別税を創設するのである。

 男はもうあまり天下国家のことで思い患いたくないが、今の政治家たちのものの考え方にときどき我慢がならないときがある。ブッダ「真理のことば」の11番目と12番目の詩は、政治家たちに座右の銘としてもらいたいと男は思うのである。

11 まことではないものを、まことであると見なし、まことであるものを、まことではないと見なす人々は、あやまった思いにとらわれて、ついに真実(まこと)に達しない。
12 まことであるものを、まことであると知り、まことでないものを、まことではないと見なす人は、正しき思いにしたがって、ついに真実(まこと)に達する。

 ‘まこと’とはsaaraであり、精とか精髄とか堅牢なものをいうそうである。ブッダ「真理のことば」の漢訳である法句経では‘真利’と訳しているとのことである。漢訳者は‘本当にためになる’という意味に解したということである。

 そうすると、日本の国というある意味では一個の人間のような有機体として、周りを見る場合において、防衛とか安全保障とか周りの安定という局面で見ると、‘本当にためになる’こととは何か、おのずと明らかになるであろう。この場合の‘正しき思い’とは、日本の安全のために沖縄の人たちに過重な負担を強いるのでもなく、いろいろなハコモノ、コンクリートもの、天下りを建設し、これらを管理する組織を設けることではない筈である。

 いろいろなハコモノ、コンクリートものを建設し、これらを管理する組織を設けることは表向きのことであって、実は利権や官僚の利益のための工作である。これは欺瞞であり、正しいことのように見せかけて、実は悪しきことをやっているのである。

2010年1月20日水曜日

指揮権活動に関する千葉法相などの発言や民主党議員たちの行動 (20100120)

新聞報道によれば千葉法相が「個別事件についてはコメントしない。指揮権発動は一般論としてある。捜査は公平公正に行われなければならないし、基本的にはそのような捜査が行われていると考えている。」と記者会見で述べたということである。一方、民主党内に捜査情報漏えい問題対策チームを発足させたということである。また中井国家公安委員長は「批判するつもりはないが、特捜部にも説明責任はある。」と述べたという。
男はこれらの一連の動きを異常であると思う。一般に組織ができると組織の構成員はその組織が脅かされるとその組織の防衛に力を入れるようになるものである。組織内での相互けん制システムがない限り、組織は時に誤った方向に暴走するものである。今の民主党の動きはそれに近いものがある。既に暴走しているという人も多い。
小沢氏の力によるものとは言え折角国会議員になった新人議員たちは、これまで国会議員としての活動を抑えられ、欲求不満に陥っているのではないかと男は思う。そのはけ口として「捜査情報漏えい問題対策チーム」などを発足させたり、民主党と言う組織の防衛の活動に熱心になったりするのではないかと思う。
泥棒にも一寸の理があるという。悪人は自分の所業を理由づける。人は、善きことにつけ悪しきことにつけその行いについて何か理由をつけ、自分の行いを正当化しようとする。政治には金が要る。金がないと政治活動は鈍り、自分の政治家としての理念を実現することもできない。国会議員は政治家として「国の為」という高い理念を掲げ、それを「大義」とし、その「大義」を実現する手段のためなら法律違反を犯さない範囲内で金を集めようとするだろう。「大義」の実現のためなら実際は法律違反になるのだが、法律違反にはならないような工夫を凝らしてまでして何とか金を集めようとするだろう。その工夫が看破られたとき、「大義」の実現のためならば指揮権発動は認められるべきであると考えるだろう。
多くの民主党員たちは、国会議員になって「自分たちは一般庶民より程度が高い人間だ」と思い上がり、彼らが掲げる「大義」のためなら強権発動もやむを得ない、と思っているのだろう。そもそも国会議員は国民が自分たちの代わりに国会に送り込んだ人たちである。国会議員になった途端「先生」と呼んでおだてるからいけないのだ。「○○さん」でいいではないか。思い上がり傲慢になった者は、時が経てば必ずそのしっぺ返しを喰らうだろう。
民主党は昨年の総選挙で国民の信任を得たから大量当選者をだしたのであるが、その時点では今回のような逮捕者が出るような法律違反は表面化していなかった。これが今表面化したが、それを検察が故意に捜査情報を漏えいしたため起きたことで検察が悪い、と決めてかかる。小沢氏は「何も法律違反はしていない。検察と断固戦う。」と公言し、鳩山首相は、小沢幹事長を信頼しているから小沢氏が検察と戦うことを「戦って下さい」と言って支援している。鳩山氏始め民主党の多くの議員たちは、一部の識者が「検察は政治に介入してはならない」と言ったら、「尤もだ」と考えそのような言動になったのだろう。(関連記事:「検察の事情聴取要求を拒否する小沢一郎幹事長 (20100119)」)
舛添要一元厚生労働大臣が中心となって夏の参議院選挙を念頭に新党結成の動きを見せ始めた。今の自民党では国民の期待を吸い上げる力は無い。上述のように異常な組織となりつつある民主党への支持率は急速に落ちて行くだろう。国民の期待の受け皿となる新しいい政党の誕生が期待される。

2010年1月19日火曜日

検察の事情聴取要求を拒否する小沢一郎幹事長 (20100119)

民主党幹事長小沢一郎氏が公然と検察を批判しているので、男は検察庁についてWikipediaで調べてみた。Wikipediaが必ずしも公明正大な記述をしていると男は思っていないが、指揮権について法務大臣と検事総長の意見が対立した場合の問題など大いに参考にはなる。検察批判をしている者はこれまでの新聞やテレビ報道で知る限り、検察に摘発され、或いは摘発された人の関係者や国家の権力に対し反発的な精神を持つ一部の人たちである。

よく聞く話は「検察が国の政治を左右するようなことをするべきではない。」という至極尤もな発言である。一方で「検察は政権のトップにある人でも不正があれば摘発する。さもないと民主主義は守られない。」と言う人がいる。これも至極尤もな発言である。しかし検察は国の政治を左右するようなことをするものなのか、実際にしているのか、男のような一般庶民には判らない。一般庶民は、検察は国民の信頼と期待の上に立って公明正大に、法で定められた権限を行使していると信じている。

その一般庶民の考え方を、一部のいわゆる‘有識者’や自ら‘自分は一般庶民と違い、知的レベルが高い’と、意識的にせよ無意識的にせよ、そう思っている人たちがいる。そのような人たちは、自ら実際に諸資料をよく調べ、研究し、自分の考え方をきちんと整理していないにも拘らず、例えば「小沢さんが多少ダーティな面があっても国民は彼に日本の政治構造を変えることを期待しているのだ。」とか「検察は過去に過ちを犯した。」とか、「検察がリークしているのは問題だ。」とか、男に言わせれば‘偉そうな’ことをテレビの前で言う。その発言に「そうだ。そうだ。」と相槌を打つ一般庶民もいるだろう。男に言わせれば、彼らは「実は無知なる人間であるがゆえに、無責任な者どもである。」と思う。

小沢氏にせよ、そのような‘識者’あるいは‘識者ぶる者ども’にせよ、「自らが良く判っていない。」ということを「知る」という謙虚さが足りない。「自分が何も知っていない、ということを自分は知っている。」という謙虚さが大事である。しかしそのような謙虚さがない人の発言に一般庶民は振り回されている。

男は社会的地位の高い人、社会的に影響力の大きい人ほど、謙虚であることが大切であると思う。しかしそのような謙虚さがない人は傲慢になりやすい。その傲慢さが鼻につくようになると、それまでその人に好意的であった人も、その人から距離を置くようになる。男もその一人である。男は昔小沢氏の政治理念や信念に共感を覚えていた時代があった。
男は検察が公明正大にその権限を行使しているかどうかについて、チェックをいれる仕組みがはっきりしていないのは確かであると思う。法律を専門とする大学の教授や、ジャーナリストそのような問題点を一般庶民に明らかにすべきである。そして司法制度の改善を進める役目を持つ機関を国として公式に設けるようにすべきであると思う。

男は小沢一郎氏が検察を批判し、検察と正面から戦いを挑むということは、「俺は実力者だ。俺が国のあるべき姿を決めるのだ。」というような、国民を見下したような傲慢さがあると思う。男はそういう輩に迎合する輩がまた大嫌いである。小沢一郎氏に面と向かって対抗する者がいない今の民主党の状況を情けなく思う。鳩山首相も小沢氏の繰り人形のようである。これは国家として異常な状況である。そのことを対抗する自民党が、国民の前にどこまではっきりと示し、国民の判断を促すことができるのか、男はあまり期待できないと思っている。今日からの国会の動きを男は注意深く監視してゆきたいと思う。

2010年1月18日月曜日

突然筆が進まなくなることがある(20100118)

これまでも時々あったが、ものを書こうとするとき急に筆が進まなくなることがある。それはものを書くことによって自分の内面をよく見つめるようになるからである。その点、ものを創るときは思うように創れないで苦しむことがあったとしても、それは自分の技術の下手が原因であることが多いだろうから何度でも挑戦しようと意欲が湧いてくる。
人は闘争心があると元気が良い。闘争心が衰えるとあれこれ心の迷いが生じる。ものを書こうとするとき筆が進まなくなるのは闘争心の対象が自分自身或いは自分自身の回りに近い対象であるからである。ものを創ろうとするとき、その創ろうとするものは自分自身の観念の表出ではあるが、創られるものは必然的に自分自身から距離が置かれるものである。例えば男は陶芸をやるが、やると言っても陶芸を始めて2年ぐらいしか経っていず大きなことを言えるほどのものでなく、言うこと自体おこがましいほどであるが、陶芸で創るものはある形であり、ある色や模様などである。それは焼き具合によって出来映えも変わるものである。焼き上がってみなければ結果がどうであるかわからないものである。従い、出来あがるものは自分自身から離れたものであり、自分自身そのものでない。
男は昨年610日以来毎日欠かさずこのブログを書き続けている。書いてみて一つ判ったことは、書こうとする題が政治や文化や歴史に関することなどは気が楽であるということである。その理由は、書こうとする内容に関することをいろいろ調べたりして自分自身の勉強にもなるし、ある意味では自分自身の精神活動の歴史のようなものであるからである。例えば政治に関することでは、自分が何年何月何日ごろこの日本国でどんな政治的問題が起きていて、それに対して自分の考え方はどうであったかというようなことが記録の形で残る。それは自分の思想を表明するものではあるが、誰かと飲食をしながら政治上のある問題になっていることなどについて議論していることである。政治上のあることについて憤慨していることでも、多少オブラートに包んで自分の考えを表明できる。
ところが、日常生活のことを書くとなると、それはあまりにも自分自身に近すぎて、第三者的に書くようにするにしても毎日書くことはできない。自分の過去半生のこと、若い時のこと、つまり自分史的なことは、ストレートには書けない。どうしてもフィクションの部分をできるだけ多くして小説的に書くことになる。(関連:12/291/7間、このブログ)
身体的に疲れていると闘争心も衰え、政治のことで憤慨することがあっても書くのを躊躇してしまう。しかし男はこのところ側近の国会議員・元秘書ら3人が政治資金規正法違反で逮捕されたことと、それに関連する幹事長・小沢一郎氏らの言動に憤慨している。
小沢一郎氏が何処から得た金かしらないが、本人が言う‘自分の金’で自分の息がかかっている140人もの国会議員を引き連れて中国に渡り、胡錦濤国家主席に会い、連れて行った国会議員たちを胡錦濤氏と会わせ、一人一人握手させ、その見返りのように来日中の習近平国家副主席を、慣例を破って天皇陛下に会見させた。男はこれはアメリカに対する威圧であり、小沢氏自身の権力の表示であり、いずれにせよ小沢氏自身の私利私欲から出た行動であると断ずる。男の近くに「日本国民は政治的にまだまだ未熟である。清濁併せ飲み小沢氏を見るべきである。」という人もいるが、それは間違った見方であると男は思う。
民主党に対する支持は指数級数的に落ちて行くだろう。しかし、自民党に対する支持も増えるわけではない。国のため党派を超えた政界の再編が緊急に行われることを期待する。

2009年12月28日月曜日

日曜討論(20091228)

今日も温暖な日和である。男は女房と一緒にNHKの日曜討論を視聴した。司会は島田解説員、出席者はキーマン・仙谷行政刷新担当大臣、増田元総務大臣・野村総研顧問、大田元経済財政政策担当大臣・政策研究大学院大学副学長・大学院政策科学研究科教授、水野三菱UFJ証券株式会社チーフエコノミストの4人である。皆軍事・外交の専門家ではない。
今日の討論会を聞いて、男は民主党が来年度税制改革に向けて従来4年間は据え置くと断言してきた消費税の値上げに実質踏み切ると観た。名目は社会福祉税など消費税とは別の形になるだろう。一般消費税と社会福祉税の2本立てにすることについて事務が煩雑になるなど反対が多いかもしれないが、男は、必ずと言ってよいほど物事の構造には‘普遍’と‘特殊’の両面があることを考えれば、2本立ての方がよいと思う。
男は75歳以上を後期高齢者として特別扱い、ある意味で大変失礼な差別をするやり方に対しては不快に思うが、高齢者が一番国費を食い、しかも社会貢献をしている人の割合は多くないのであるから、課税対象物別に税率が考慮されている社会福祉税というようなものを高齢者も広く薄く負担をするということには大賛成である。高齢者だけではなく障害者も生活保護を受けている人も皆この税を負担するのが当たり前であると男は思う。
贈与税についても贈与する対象が既に高齢者であるので贈与額に応じて課税し、一定額以上の贈与については社会的公正の考え方に基づき現行以上に高率課税すればよいと考える。高齢者があの世に行くときそれまで蓄財してきたものを、それまでお世話になった社会に広く薄く還元する形をとるのは非常に良い考え方であると男は思う。
但し土地・建物等で社会一般通念上後世に伝え残すことが望まれるものについては、その資産の一部または全部を公共のものとし、相続を受けた者がそこに引き続き居住することができるように法律を整備すればよいと考える。
今朝の討論会で子ども手当や事業仕訳などいろいろ議論があったが、男は仙谷大臣は増田、大田両氏の意見・提案によく耳を傾け、その意見・提案を参考にして今後真剣に取り組んでゆこうという姿勢のように受け止めた。
普天間基地の問題について、25日鳩山総理は従来の発言と違う発言をした。「普天間移転先は国内で決める。抑止力の観点から見てグアムに普天間のすべての機能を移転するのは無理がある。」と言った。男は鳩山氏もようやく軍事のことが判ってきたのだと思った。沖縄の人たちには大きな負担を強いているが、沖縄にアメリカの海兵隊と空軍が存在していることは東アジア諸国にとって安心なことであるのだ。ヘリコプター部隊が要地から遠く離れたところに駐留しても緊急な軍事発動の際の時間的ロスが多く、全く意味がない。地上戦闘を行う海兵隊員は航空部隊の初動直後大型機で展開すれば、グアムにあってある程度時間的ロスがあるがやってゆけるだろう。軍事は軍事の専門家、つまり実際に用兵を行い、実戦経験もある軍人の意見を十分尊重すべきである。素人が‘専門家ぶって’ はいけない。
鳩山氏は普天間の移転先を名護市以外の場所を望んでいるが、どう探しても最良案は沖縄本島以外にないのだ。下地島や伊江島については考慮の余地がある。極東の戦略上、アメリカの空軍と海兵隊ヘリコプター部隊は沖縄に駐留してもらうことが日本の国益にかなうのだ。沖縄の人たちには申し訳ないが住民税とか所得税を軽減する措置で、少なくとも日本が東アジア共同体の中で主導権を握るようになる時まで我慢してもらうしかないのだ。

2009年11月21日土曜日

デフレ(20091121)

 男の家では朝NHKの連続テレビ小説が始まるとチャンネルを民放に切り替える。今朝は激安ランチや激安ラーメンのことをタレントたちが話題にしていた。リポーターが激安ランチや激安ラーメンなどの店に行き取材しながら味を試していた。

 激安ランチのメニューは海鮮どんぶりである。マグロの刺身がご飯の上に乗っている。味噌汁も付いていて見たところ一食800円で売ってもよいような値段である。たまごご飯の店も紹介していた。値段は聞きもらしたが極端に安値であった。それはご飯に味噌汁に生卵と海苔が付いている。熱いご飯の上に落とした生卵は新鮮な如何にも栄養がありそうなものである。早朝の出勤のため家で朝食を時間がないサラリーマンなどに大人気である。一方激安ラーメンは100円でもう何十年もその値段で営業しえいるらしいが、チャーシューも海苔もメンマもちゃんと入っている。店の主人は「儲けは無い」と言う。

 一食290円のランチは利益が一食あたり30円しか利益が出ないらしい。それはそうだろう。従業員たちは一生懸命働いているが給料を十分貰っている筈がない。顧客を獲得するため過当競争を強いられているのだ。女房は「私なんか気の毒でそんな店では食べられないわ。安いからお客さんが沢山くるのだ。」と言う。

 タレントたちはただ感心してあれこれ評論しているが、誰一人として「これでいいのだろうか」ということさえ発言しない。安くておいしければ良いと、単純に考えているだけのようである。「安く食べられていいじゃないね」と呑気なことを言っている。男は視聴率が悪くは無いと思うそのテレビ番組のディレクターの頭の中を疑う。国の経済が大変な状況になりつつあるという認識はないからジャーナリズムの一翼を担っているという責任感もないのだと憤りを覚える。

 流石に菅国家戦略局担当大臣はデフレになりつつあることに危機感を抱いている。民主党は国民の消費活動を活発にする方策で経済を活発にするとし、旧政権の「企業活動を活発にすることにより経済を活性化する」という方策は弱肉強食だと批判してきた。男は、旧政権は民主党が言うように企業重視だけではなく一般国民の消費活動も活発にする政策を実行していたと思う。新政権もエコ家電やエコカーの推進を継続することにしたと発表した。高速道路の通行料を週末休日1000円にすることも続けるつもりである。

 何事も行き過ぎは良くない。男は鳩山氏が内閣総理大臣に指名されることになったとき、いよいよ自分たちの永年の夢がかなうと身震いするような思いであったというようなことを言ったことを鮮明に記憶している。民主党の諸君は平成維新という言葉で明治維新以来の体制をぶち壊す意気込みであった。男と女房は外交・安全保障の考え方が一致する自民党に票を入れたが、多くの国民は「自民党にお灸をすえる」ぐらいの軽い気持ちで民主党に票を入れた。その結果、民主党は投票総数の40%台の獲得であったにもかかわらず予想外に多くの新人候補者が当選させ、衆議院で圧倒的多数を占めた。その結果、議員の中には驕った気持ちで政治活動を行う連中もちらほら出るようになった。

 昨夜の衆議院での強行採決を男は残念に思う。政権交代は増大し極限に達した矛盾を解消しようとする運動のうねりがもたらしたものである。今また新たな矛盾が膨らみつつある。民主党に対する国民の支持も次第に下がって行くであろう。「驕れるものは久しからず」である。(関連記事:「国を憂える・・(20091102)」)

2009年11月3日火曜日

国会討論を聞いて(20091103)

 30日午後、テレビのスイッチを入れたら参議院で自民党改革クラブの松下新平氏が質問に立っていた。彼は徳富蘇峰の国家観を示して国が興隆していないとき政治は民生に目を向ける、というような趣旨のことをいって対テロ対策、インド洋給油の問題について新政府を攻撃していた。


 彼も松下塾出身なのであろうか。男はよくは知らないが、松下政経塾の創始者松下幸之助は、戦後わが国には国家意識がない、国家意識がなければ国は発展しないと考えており、明治大正昭和初期の論客徳富蘇峰の国家観を塾生指導の参考にしていたと思う。

 その徳富蘇峰はもともと平民主義者であって、男は、民主党は徳富蘇峰の平民主義に近い考え方をしていると思う。徳富蘇峰は日清戦争後平民主義から強硬な国権論者・国家膨脹主義者に転じている。わが国が経験した悲惨な戦争を導いた指導者のものの考え方に徳富蘇峰の主義主張が影響を与えたのでないかと、徳富蘇峰を非難する人もいるようである。

 男はその辺の詳しいことは全く判らないし、またものごとを十分な知識・研究の裏付けのもとに考えて判断しているわけではないが、もし松下新平氏の今回の質問の思想的背景に徳富蘇峰の国家観が影響しているとするならば、徳富蘇峰について十分研究した上で質問う行うものでなければ危険であると直感した。何故なら「国家」というものを前面に出すために、わざわざ徳富蘇峰の国家観を引用する必要はないと男は考えるからである。

 松下議員はインド洋での給油活動をアフガニスタン政府からの要請がないとして中止するのは、誤った判断に国民を誘導するものであると声高らかに言った。岡田外相の答弁は、国連でアフガニスタン外相から給油活動の継続を要請されたが、アフガニスタンを訪問したときには一切そのような要請は無かったと答弁した。鳩山首相も給油活動についてその恩恵を受けている国々から感謝されているのは承知している。しかし、新政府は給油活動以外の方法でアフガニスタンを支援してゆくつもりであると言明した。

 松下議員はインド洋における給油活動は、わが国のプレゼンスを示す重要な活動であると主張した。男はそのことについて大いに賛成である。男は、インド洋における給油活動は、わが国が憲法上の制約を隠れ蓑に最も犠牲が少ないやり方で、最大の効果を上げ得る最も善い手段であると考えている。その手段とは、何度も口にするように、「軍事を外交の有力な手段の一つ」とする、正にその手段であると考えている。

 この地球上から暴力をもっても自分の目的を達成しようとする勢力が存在する限り、味方も軍を使ってこれを抑圧し続けなければならない。そのような冷静な見方のもと、徹底したシビリアンコントロールのもとに、わが‘国軍’(男はそう呼びたい)を要地に展開させることが、国際社会の名誉ある一員、各国から尊敬される一員として大変重要なのである。質問時間に制約があるせいもあり松下議員も十分意を尽くし得なかったと思うが、新政府側に男が主張しているようなものの考え方を幾分でも持っているかどうか、男は国の現状、行く末を心配しているのである。

 首相は、わが国は低酸素技術が世界のトップレベルにあるので、これを経済の発展を導く手段にすると言っている。それはわが国の技術水準が冷静な科学的、論理的分析のもとに世界のトップを行っていると判断して言っているのかどうか、またはただ単に感じと期待だけでそのように言っているのかどうか、男は批判的な目で見極めたいと思っている。