2019年6月14日金曜日

20190614晩年の記(その九)


 その男は今、大変安らかな気持ちである。K大学病院のソーシャルワーカーAさんがその男とその妻誰某のため非常に親身になって働いてくれて、その男が退院後の医療体制を完璧なまでに構築してくれたからである。

 その男は明日退院する。退院して帰宅当日の午後、TKクリニックから訪問診療の医師と訪問看護師がその男の家を訪れる。次の週、その男がそう遠くない日に、自宅での緩和ケアが出来なくなった時に入院することになるかも知れない緩和ケア病院との面談の仮予約も完了している。
 
 その陰にはその男が以前法人化と経営に関わったNPO法人「A」のケアマネージャーTさんの親身な支援もある。K大学病院のソーシャルワーカーAさんとケアマネージャーTさんの間では緊密な連絡が行われていた。

 その病院(H病院)もKTクリニックもその男が居住している同じ地域内にあり、アクセスは非常に容易である。これまでその男の妻誰某はドア・ツー・ドアで毎日1時間半もかけて入院中のその男を世話してくれていた。彼女は毎日その男の頭から足首までを丁寧に清拭し、下着・パジャマを新しいものに着替えさせてくれていた。時には、特にこの一週間は、その男は病院食・誰某はコンビニで買ってきた食事、あるときは彼女がわざわざ作って持ってきたすき焼きやハンバーガーや天ぷらなどを一緒に食べたりして、それがもう何ヵ月も続いて来た。

 今日夕方、主治医A先生はその男と誰某及び二人の息子たちに、その男の病状と余命の見通しについて画像を見せながら詳しく説明してくれた。最後にその男の妻誰某は「私は最期まで夫に寄り添って看取りたい」と言った。

 その男は妻の気持ちに出来るだけ寄り添いたいと思っているが、その限界については自分が決定しなければならぬと思っている。その時が長年連れ添った妻との最後の別れになるかも知れないし、もし運が良ければ緩和ケアH病院の一室で永年愛し合って来た妻に看取られながら、永遠の別れをすることが出来るかも知れない。

 その男と誰某はその男が葬られる墓のことについて話し合った。その墓はその男の父親が生前用意していた墓である。誰某はその男が入る墓に自分も入る、と言った。その男は誰某のその予期せぬ発言をとても嬉しく思い、二人の息子たちにそのことを話した。 

 その男の死後その男の長男がその墓を守る。その長男には息子が居ないので、その長男の後は二男、その後はその二男の息子が墓を守り先祖の祭祀を行う。このことはもう何年も前にその男と二人の息子たちの間で話し合われていたことであった。この度それが現実的なことになったのである。

 その男は長男にその男の葬式の準備について話した。斎場・葬儀についてはその男の妻誰某が準備して掛け金を積んでいたものがとっくの昔に満期を終えている「セレモ某」という葬祭業者に全てまかせれば良い。

 その男は今心から安らかな気持ちでいる。緊急入院した身でありながら、関係する周囲の方々の親身なお力添えにより、心置き無く自分の終末を迎えることが出来る。このことは実に実に有り難い事である。

2019年6月9日日曜日

20190609晩年の記(その八)



 その男は一昨日の通院日に受けてたCT検査の結果、がんが右肺に転移していて水が貯まっていることがわかり即緊急入院した。一緒について来たその男の妻誰某とともに入院手続きなどのため病院内をあわただしく動き回った。

 その男の指先にはその男の体内の酸素の状態や呼吸状態が分かるセンサーが取り付けられナースステーションでモニターされている。その状況はその男の手元でも分かるようになっている。

 肺に水が貯まっているため酸素量が下がり、その男の鼻には酸素吸入装置が取り付けられた。

 14日にそれぞれ長崎と大阪に住んでいる二人の息子たちが急きょ帰ってくる。その男はその時まで自分の命を繋げたいと思っている。

 その男と誰某は残された時間をできるだけ濃密に過ごしたいと思っている。一日当り4万3千円の個室とラインと言う通信連絡手段と自宅・病院間片道1時間ほどの距離がそれを可能にしている。



2019年5月24日金曜日

20180524晩年の記(その七)



 その男は一週間ほど前の真夜中、トイレに起きた後思い立ったようにネット上に治験についての情報を探していた。希少がんに関する治験に応募したらその男は「治験の対象外」であるとされた。それでもあきらめず探していたら「オンコロ」というがん情報サイトに出会った。「オンコロ」は国立がん研究センター中央病院と関係があるようである。早速治験広告に応募したが、そのことをすっかり忘れていた。

 その男がK大学病院で口腔ケアを受けるため同病院に行っているときその男のスマホにその男の自宅の電話にオンコロから電話が入っているという通知があった。帰宅後留守番電話を再生し、オンコロに電話を入れた。Oという女性の方が担当で、その男が治験を受けることができるかどうかその方からいろいろ質問があった。その結果その男はオプジーボなどの治験を受けることが出来そうに思えた。その男のところにOさんからメールで応募資料が送られてきた。その資料は患者の主治医宛のものである。その男は早速その資料をプリントアウトし、主治医に自分がその治験に該当するかどうかの判断を仰ぐため主治医に依頼する手紙を添えて郵送した。

 その男が受けた治療は放射線治療とゾメタ投与という化学治療である。ゾメタは大体月一回投与される。ゾメタ投与は4日前に受けていて、その前に血液検査・レントゲン検査・主治医による診断があった。その時の診断ではその男のがんは一か月前に比べて進行していない、というものであった。骨に到達したがん細胞は破骨細胞を働かせて自分が増殖するスペースを確保する。ゾメタという薬はその破骨細胞の働きを抑えて骨を守り、病巣の進行を抑制するものであり、高カルシウム血症の治療にも用いられる。しかしゾメタという薬にはあごの骨の壊死・骨隨炎を引き起こすという副作用がある。抜歯など歯の治療を受けた患者や歯の治療中の患者は注意が必要である。幸いその男は一本も抜けていず、虫歯など悪い箇所は全くないのでその心配はない。それでもゾメタ投与を受けるので口腔ケアは必要である。

 ゾメタ投与によって血管肉腫という悪性の強いがん細胞は骨へ転移しにくいであろうが、その男の腹部大動脈瘤の中ではその血管肉腫が生産され続けている。今のところそのがんはその男の上半身の骨や内臓などに転移していないが、行き場を失ったがん細胞は血流に乗ってその男の全身を巡ることになるだろう。しかし、今のところその男のNK細胞がしっかり戦っていて血管肉腫を抑え込んでいるようである。

 その男は詩吟の仲間であるSから「ハイゲンキ」という玄米酵母を買い入れている。その男は霊芝入りのハイゲンキとスピルリナ入りのハイゲンキを一袋ずつ、一日3回以上食べるようにしている。玄米を常食にし、甘いものは食べず、腸内環境を良くするような食事をしている。その男の妻である誰某はその男の全快を願って日夜その男に献身的に尽くしてくれている。その男はそのような妻のため、必ず「余命一年」のがんを克服しようと努力を重ねている。



2019年4月26日金曜日

20190426晩年の記(その六)


 その男は世界に希有の癌を患っている。それはその男の腹部大動脈瘤の中で発生している血管肉腫と言う細胞が、その動脈瘤の位置から下の骨や骨の近くの軟らかい肉に腫瘍を発生させているものである。

 腹部大動脈は脊椎に接している。その男の第四・第五腰椎に腫瘍が発生し、それが溶けて崩れて神経を圧迫していたため入院中に脊中管狭窄症になっていて暫くの間薬で背中の痛みを抑えていたが、脊椎固定の手術を受けてその痛みは全く無くなった。

 骨盤や大腿骨に出来た腫瘍も一部(骨盤の後ろの左側の腫瘍)は病理検査のため摘出し、他は放射線照射で治療した。その効果は出ているようである。右膝脛骨頂部に出来ていた腫瘍に対する放射線治療も今日終了した。

 その男は自分の腰椎以下の下半身の骨に出来た腫瘍を「敵」と見なしその「敵」の中枢部を殲滅させるとともに各地の「敵」戦闘拠点を個別に攻撃することを考えていたが、血液内科の医師から詳しい説明を受けて、そのように単純な考えは間違っていることを知った。

 元々腫瘍が拡がったのはその男の免疫力が低下したためである。その男が入院中にその男の免疫力が急激に低下したに違いない。その男は戦略を変更し、市販の玄米酵素「ハイゲンキ」やプロポリスなどを摂取し、ひたすら自己免疫力を高めることにした。金はかかるが「最期まで一生懸命生きる」ことをせず医師から宣告された「余命一年」をいたずらに過ごすようなことはしたくない、いよいよ「死ぬ」ときには「一所懸命」に死ぬ、とその男はそのように自分の最期まで生きたいと常々思っている。

 K大学病院に検査入院し、暫くして2月末再入院以来、本当に親身になって診て下さり、手術し、治療して下さったA先生・T先生・Y先生はじめ諸先生、多くの看護師たち・看護助手たち・リハビリのK理学療法士ら関係者各位に感謝しつつ、その男は余命一年をより良く生きるため明日その病院を去る。看護師たち・看護助手たちのかいがいしい働きぶりを目の当たりにし、その男は彼女たちのために何かを書き残したいと思っている。


2019年4月5日金曜日

20190405晩年の記(その五)


 その男は原因がまだ判明していない希少癌を患いステージ4の重篤な状況にある。PET検査の結果その男の腰椎から足首の骨に至る各所の骨や骨に接する軟部の筋肉に腫瘍が出来ている。不思議なことに頭部や内蔵には腫瘍が出来ていない。

 この大学病院に入院後ベッドから起き上がろうとする時腰に近い背骨の辺りに強い痛みが出て起き上がるのに一苦労だった。脊椎の手術を受ける前までは副作用の強い痛み止薬を服用してその痛みを凌いでいた。

 痛みの原因は第四腰椎と第五腰椎に腫瘍が出来ていて、第四腰椎の骨が溶けて神経を圧迫していたためだった。脊中管狭窄が起きていたのである。脊椎班の主治医はこの問題を解決する手術において経験が非常に豊富で自信に満ちている。その先生はその男とその男の妻である誰某に手術の内容を詳しく説明した。

 その内容と言うのは健全な第三腰椎と第四腰椎、第四腰椎と第五腰椎、第五腰椎と仙骨の間をボルトで固定し、第三腰椎と仙骨の間に柱を建ててボルトで固定し、神経の管をずらして脊椎に触らないようにするものであった。手術は見事に成功し、ベッドから起き上がるとき痛みはなくなり楽になった。

 この手術が行われる前に珍しい手術が行われた。それは脊椎の手術による大量の出血を防ぐためと腫瘍が出来ている腰椎が崩れるのを防ぐため、放射線科の医師により、その男の右股に近い動脈に2㎜のカテーテルを入れ、そこから微細なチューブを差し込み腫瘍に向かう幾つかの動脈にある物質を詰めてその腫瘍に供給される栄養を断つものである。この手術はCT画像を見ながら行われた。その手術は局部麻酔で行われたので医師たちの会話が聞こえる。「上手く行った」と聞いてその男は安心した。

 骨盤や右膝の脛骨頂部に出来ている腫瘍については放射線治療が行われた。病原を調べるためその男の左臀部上部の骨盤軟部の腫瘍を周辺の筋肉ごとえぐりとり現在病理検査が行われていて間もなく結果が出る。まだ病原は分かっていないがもし血液肉腫肉腫によるものであるならばその男の余命は5年、またもし血管内皮腫であるならば90才になっても生きている人がいるとのことである。ただその男の右脚や右骨盤に出来ている腫瘍は軽い痛みを伴っている。副作用の少ない痛み止薬により、それは耐えられない程の痛みではない。

 もし今後癌が進行し痛みがますようになれば癌末期対策として予めその男の右胸に埋め込んであるポートから麻薬が点滴されるようになるであろう。その男は病理が明かになり治療方針が決まれば退院し治療のため定期的にその病院に通って治療を受けることになる。しかしもし病原が血液肉腫の場合は死に備えて緩和ケア対策が必要になる。またもし他に病原があればそれに応じた治療が行われるだろう。いずれにせよその男は毎日リハビリを受けていて自宅に戻れるように準備している。

 介護用ベッドとか歩行補助のための手すりとか入浴用の椅子など直ぐ手配できるようになっている。その男の息子たちが協力して介護ベッドを置くスペースを作った。その男の妻はその男が入院以来毎日欠かさず病院に来てその男のシャワーや衣服の着替えや清拭など細々と気を配っている。病院ではその男の家族のこてが話題になっている。


2019年3月3日日曜日

20190303晩年の記(その四)


 PET検査の結果、その男の骨盤や大腿骨基部や頸骨頂部(膝関節)や足首の骨に腫瘍が発生していることがわかった。しかし血液検査の結果では腫瘍マーカーに異常は見られずレントゲンの画像を見ても腫瘍にがん特有の特徴は見られない。膝関節頸骨頂部の腫瘍部分に針を刺して組織を抽出し、その組織の生体検査を行った結果、血液肉腫が見つかった。問題はその血液肉腫が発生する原因が何処に有るのかということである。
 
 病院ではその男の治療のため主治医を中心に医師四人と看護師のAチームからなるチームを編成してその男のための治療に当たることになった。その中の一人T医師はがんの原発部位が腰椎か脊椎にあると狙いをつけた。早速脊椎と腰椎のCT検査が行われた。その結果第二腰椎に著しい病変が見られた。血液は骨髄で造られる。その病変箇所で造られた肉腫がその男の全身をかけ巡りその男の骨格の骨の先端部に腫瘍を発生させていたのである。幸い骨以外の如何なる臓器には転移は見られない。因みにその男の母親は終戦直後乳癌で亡くなっている。享年33才であった。その男の父親も白血病で享年70才で亡くなっている。

 この難病の治療について幾つかの方法が検討された。問題はその男の年齢である。80才を過ぎた高齢者に対して抗がん剤治療を行うのは余りにも過酷である。かと言って股関節や膝関節を人工物に取り換えるにも3カ月はかかるので採用出来ない。結局腫瘍箇所を放射線で叩きつつ、骨肉腫などに適用する抗がん剤をごく少量ずつかつ回数も減らして慎重に投与することになった。このためその男の右側の胸の上部に抗がん剤だけでなく緩和ケア用の薬を注入するポートが埋め込まれた。今のところその男は非常に自立しているので麻薬系を含む痛み止めの薬は自分でコントロールしてのんでいる。

 腫瘍が小さくなり、がんの痛みが少なくなった段階でせめて一日でも二日でもその男が妻誰某と人生最後の旅行が出来るように治療に併せて足腰を鍛えるリハビリを施すことになった。この為T医師の提案で腫瘍により溶け出している骨を強化するため、その病院がオリジナルの腰の骨を強くする薬も試してみることになった。これにはかなり酷い副作用が懸念されるがその男は妻誰某との人生最後の旅行を実現させるためリスクを侵してでも頑張って耐えるつもりでいる。

 誰某はその男に奇跡が起きると確信している。その男自身も入院直後まで苦しんでいた左足の脛の疲労感・疼痛は全く無くなった。病院内は広いので車椅子で移動する時は足で蹴って移動している。これは足の運動にもなっている。がんは自己免疫力が強まれば小さくなる。その男自身も自分ががんと共生できるだろうと思うようになっている。

2019年2月16日土曜日

20190216晩年の記(その三)・・・“時空を超える意識はある”・・・



 誰某の夫であるその男は都内のある有名大学病院のPET検査待合室である不思議な老人に出会った。その老人はその男に話しかけて来た。その老人(彼)はその男が自分より若いと思い、その男を励ましてやろうと思ったのかもしれない。その男が自分よりかなり年上だと知った彼はその男のことを「兄さん」と呼んで自分の身上や現状のことを語り始めた。彼は過去に離婚していて、今自分に付き添って来ている女性が二番目の妻であると言う。

 彼は自分の首の所にできたがんが元で肋骨や骨盤などに骨肉腫が出来、手術と抗がん剤で元気を取り戻したと言う。彼の両膝は彼が子供の頃の強いられていた労働の苦労で傷めたことが原因で、彼の両足の膝関節は人工関節に置き換えられている。彼は歩行には支障が無いが、階段を降りるときは恐怖感があるという。肋骨も一本切除されていて、呼吸するとき胸から膨らみが出るので、公衆浴場に行くと浴室に居る他の利用客から不思議がられるそうである。

彼は主治医の指示により半年に一回PET検査を受けていて、腫瘍の状態を診てもらっているそうである。彼はその大学病院をべた褒めしていた。彼は子供時代に大変な苦労があったからだと思われるが、彼はがんに負けず生きたいと強く願望して来たそうある。別れる時彼はその男の両手を握りしめ「お兄さん頑張って下さい」と励まし、傍にいた誰某の手も握って「頑張って下さい」と励ましてその待合室から去って行った。これは「不思議な偶然」なのか、「人智を越えた必然」なのか?

その男のPET検査結果、その男の骨盤右側・右大腿骨基部・右膝・左右両足首などに多発性の骨転移があることが判った。その状況は先ほどの老人と同じである。ただその老人の場合は多発性骨転移の元になる腫瘍の場所が特定されているが、その男の場合はその場所が骨自身なのか他の臓器なのか全く判っていない。それを特定するためにはCTMRIなどによる更なる検査が必要である。

その男は81歳と言う高齢なので主治医は「抗がん剤治療は負担が大きすぎる」と言う。その男は「そのようであれば抗がん剤治療はせず、緩和ケアを自宅でもできるようにしたい」と主治医に申し出て、初期段階の緩和ケア用の頓服薬を処方してもらった。その一方でその男は専門医によるPET画像の解析と先日採った膝関節大腿骨頂部などに出来た骨腫瘍の組織の検査結果などを待って、遺伝子操作による治療を含む治療方針を決めてもらうつもりである。

ただその男は全額私費負担が必要な高度治療まで受けるつもりは全く無い。その老人がべた褒めしたその大学病院だけでなく、主治医に相談して多発性骨肉腫について知見・経験が豊富な他の医療機関への転院も視野に入れている。まだ悪性腫瘍であるという結論は出ていないがあくまで悪性腫瘍と戦うつもりである。その男は家の中では誰某の支えを得て車椅子と松葉杖による起居をしているが、病床が空き次第その大学病院に入院できるので、誰某の労苦も大幅に軽減されることだろう。その男はこれまで自分に連れ添って来た誰某が「きっと遠い先祖の意識によりその男に生涯献身的に尽くすように運命づけられている女性」であるとの確信を一層深めている。


2019年2月4日月曜日

20190204晩年の記(その二)



 その「誰某」とは遠くない未来に他界する男の女房のことである。「誰某」はその男と結婚以来、その男との間で必ずしも平穏な状態だけでは無かったが、常に真心をもってその男に尽くし続けて来た。それはあたかも前世からそういう約束になっているかのようであった。その男は折に触れ「誰某」に「其方は、例えれば純白・無垢の和紙のようだ。私はその上に点々と薄墨を散らしたようなものだ」と語っている。

 その男の遠い先祖は奥州にあった藤原氏の荘園を管理する役目を与えられて奥州黒河に赴任した。その働きが良かったに違いなく、その息子は朝廷の実務官僚として出世し、民部大輔の位まで昇りつめ、その子孫も職名は代々変わっているがそれぞれ高位の実務官僚を務めていた。

 平安時代の末期、その男の先祖は何かの事情で九州に下向し、豊後高田庄に居住し、其処で病死した。その子供が「誰某」の先祖の地の葛木村某の家に世話になった。「葛木村」がキーワードである。

「誰某」は3歳のとき、大阪で父親と死別し、母親に連れられて実家である葛木村の某家に戻り、其処で父親の名字のまま、大家族であったその家の末娘のように可愛がられて幼児期・少女期を過ごした。その大家族の家は「葛木村」の神社の近くにある。「誰某」は子供の頃その神社で毎年夏行われる盆踊り大会のとき、踊りの列の中で大人に混じって踊っていた。当時子供であったその男は神社の境内で踊っている「誰某」を無意識に見初めていたのかもしれない。

 「誰某」が小学生のとき終戦直後のことで同級生たちの中には制服を持たない者が多かった。そのクラスメイトが写っている一枚の集合写真がある。「誰某」は制服を着て白いネクタイをし、同級生たちの最前列の中央で写真に写っている。その部分を切り抜いて拡大してみると、「誰某」はその時から既に、その男に生涯を捧げて尽くすことが決まっているかのような顔つきをしている。

 人生には人智を越えた不思議なことが起きる。それを「不思議」と単純に思うことも、「不思議ではない」と思うこともできる。その人の受け取り方次第である。歴史学者ユヴァル・ノア・ハラリ(Yuval Noah Harari)は「フィクション」だと言うが、仏教の教理を一概に「フィクション」だと決めつけられないところがある。仏教で説く「因縁」は真に不思議である。

 その男は「因縁」で病を得、「因縁」でその病を克服する機会を得ている。その男は「誰某」に約束した。「病気は必ず治る。これが平癒したら、私は其方のこれまでの私に対する献身に報いるため、200倍・300倍にしてお返しする」と。「誰某」もそのことを確信し、期待している。入院すれば「誰某」も暫く息抜きができるだろう。毎日のように遠くからその男の見舞いに訪れて来ても。
 

2019年1月19日土曜日

20190119晩年の記(その一)




 高齢になると人はある日突然病魔に襲われることが多い。半年前や数か月前まで行楽地を歩き回っていた人が、突然歩くことに困難を感じるようになる。加齢とともに筋力の低下があるだけでなく、下肢関節にかなり以前から発生していた小さな骨腫瘍が数か月の間に肥大していることがある。日ごろ心掛けが出来ていない人は突然の体調の変化に戸惑い、現状を受け入れることが出来ず、不安になってしまうことだろう。

 日頃自分の最期を見つめて準備している人はそういう事態になっても驚かない。従容として事態を受け入れ、今後とるべき最良の選択をする。自分の最期を見つめる日ごろの準備の最も重要な一つには自分がこの世を去ったあとに残される家族へのメッセージがある。しかしその時になって急に思いつき書き遺すようでは決して良いメッセージにはならないだろう。

 日頃から後世に残すメッセージを書き続けていると、未だ不十分な部分が見えてくる。「誰某のことを書き遺しておけば全て満了」という満足感が湧いてくるだろう。日ごろその「誰某」のことを書き遺そうと思っていないと、必要な資料の準備ができない。日ごろから自分のコンピューターにコツコツ資料を書き込み、整理していると、いざこれから「誰某」のことを書き遺そうと思った時非常に助かるに違いない。

 JAL(日本航空)の飛行機が乗客乗員を乗せたまま墜落したとき、機内で手元にある紙切れなどに家族に遺すメッセージを書いた人が多かった。もし自分がそのような事態に遭遇したとしたら、同じようなことをすることだろう。昔の武士は一歩家を出るとき、それが今生の別れになるかもしれないと日ごろから覚悟していたという。男は常にそのような心がけでいるべきである。男は常に「一期一会」の心がけを持っているべきである。万一の時家族にメッセージを伝えられるようしておくべきである。今の世は携帯電話・携帯コンピューター等があり、メッセージを簡単に伝えることが出来る仕組みがあるので、日ごろの心がけ次第でそれが出来る。

 和室をサンルームにしたその部屋で日向ぼっこしながら友人がYouTubeで発表している富士山の風景を撮った動画を見た。とても素晴らしい動画であるのでその動画をこのブログで共有させて頂いた。その動画は富士山の日の出の一瞬の様子を精進湖側から撮ったものを再編集したものである。正に「一期一会」の風景である。この世は常に移り行く。同じ情景は二度とない。人生も然りである。人生においてその一瞬を大切にする心がけが大変重要である。

2018年11月4日日曜日

20181105「往還回向由他力・不断煩悩得涅槃」




表題の二つの句は親鸞聖人が作られた七言絶句の詩『正信偈』の中にある。私は、この二つの句こそ、仏教の真髄であると思っている。

往還回向由他力(Ōgen Ēkō Yūtāriki )。この意味は;
「極楽浄土に生まれる原因も結果も、極楽浄土に往くことも其処から還ってくることも、全て阿弥陀如来のお力に由るものであるから、ただひたすらに阿弥陀如来への信心を勧めるものである。」(Both the cause and the result born in the paradise, as well as the return to the paradise and returning from the place are all due to Amitābha Buddha's power, so it is only to suggest faithfulness to the Amitābha Buddha.)

不断煩悩得涅槃(Fūdan Bonnō Toku Nēhan)。この意味は;
「阿弥陀如来への信心がひとたび起きれば、悩みを断たなくても涅槃を得て救われる。」(Once faith in Amitābha Buddha occurs, you can save nirvana and save you without having to stop worrying.)

『正信偈』には、次の句もある。私は「神通力」を実感することが度々ある。しかし、それは「これが神通力だ」と感じないかぎり、起きた現象はその人にとって何の意味もないものである。私は、宗教とはそのようなものであると思う。

「遊煩悩林現神通(Yū Bonnōrin Gen Jindū)。この意味は;
「生死の園に居ても神通力を現す。」(It is in the garden of life and death and reveals the tremendous power.)

 さて、私は20093月以来毎月投稿し、公開している詩吟の吟詠のブログに、福田蓼汀というお方の次の詩の吟詠を投稿した。作者福田蓼汀は明治38年(1905年)に生まれ昭和61年(1988年)に他界された山口県萩市出身の俳人で登山家である。この詩文中の「往還の去来」とは「往還回向由他力」の教えをそのまま表現されたものであろうと理解される。

『野の仏』福田蓼汀

追分や泉のほとりの一樹の下に
秋風を聴き時雨に濡れ雪に埋れて
春遠からじと合掌し落花を浴び
蝉しぐれを迎え傾くは傾くままに
欠けたるは欠けたるままの姿で
じっと静止している石の仏
年月も文字もなく風化するまま往還の去来
盛衰の人の世を見守っている
野の仏には虚飾なき人間の願望や
慈愛の情が込められている
社会の変転現象を越えた誠の象徴のように懐かしい