2016年2月15日月曜日

20160215「仏教」をキーワードに、思いつくまま綴る(8)――エピジェネティクス――


 “エピジェネティクス(英語: epigenetics)とは、一般的には「DNA塩基配列の変化を伴わない細胞分裂後も継承される遺伝子発現あるいは細胞表現型の変化を研究する学問領域」である”(『ウイキペディア』より引用)。

“遺伝子と環境の間。氏と育ちの隙間。そこにエピジェネティックスが作用する。そして環境からの情報を取り込むことで生じた一部のエピジェネティクスは、なんと次世代へと遺伝することが明らかになってきた”(『WIRED』より引用)らしい。

 私という個人は、私の先祖の遺伝子の一部を受け継ぎ、私の父母からそれぞれ半分ずつ、遺伝子を受け継ぎ、私の子孫には私と私の妻の遺伝子の一部がそれぞれ受け継がれてゆく。一方で私や妻の先祖のそれぞれの家庭環境やそれぞれの育てられ方も、エピジェネティックに私たちの子供たちに遺伝している。

 私や私の妻のDNA塩基配列やエピジェネティックな遺伝要素は私たちの子供たちの子孫にも一部が確実に伝えられるに違いない。そのとき私も私の妻も私たちが生きている間に見ることがないその子孫に生まれかわることになるかもしれない。

 仏教では「天上・人間・修羅・畜生・餓鬼・地獄」という六つの道への「転生」を説いている。それは仏教で説いている「因縁」という概念につながるものであろう。この世において悪い行いをした者は、あの世においてその報いに応じて生まれかわるに違いない。

 誰でも煩悩の身であれば数々の過ちをしてしまうことがあるだろう。その過ちの中には法律に触れることであったり、道義上許されないことであったりするものがある。それが公に明らかになったとき、公人や有名人であれば、そのことがマスコミの話題になる。


 やがて草木が枯れて朽ちて土に還ってゆくように、私もこの世を去ることになる。後世に生きる私の子孫のために、私は自分が経験し学んできたこと、身に着けてきた善いことが、確実に伝わるようにしなければならない。それが私の余生の大事な仕事である。