2018年2月2日金曜日

20180202「正しいこと」と「分かりやすいこと」



 表題は、男が見ているYouTube「歴史の選択」で語られた言葉である。「正しいこと」は「分かりにくい」のである。

 理事選に敗れた貴乃花は吉田松陰のように「正しいこと」を行った。自らは理事選挙に落選することは初めから覚悟していた。彼の行動は、武士道において「正しいこと」のために武士が自らの命を顧みない行動と似ている。

 男は、ブログ「詩吟」で、冒頭の「過去のリンク集」の中に、吉田松陰の「辞世」( http://takaban.seesaa.net/article/399979435.html )を収めている。男はこの吟詠を聴いて自ら感動している。

 大東亜戦争終結後、拝金主義・似非「グローバリズム」に毒された日本人は、「自分たちは悪いことをした」、という自虐精神に陥っていた。戦後の日本人たちは、自分たちの父や叔父たちが悪いことをしたと思い込んでいた。

 その結果起きた最たる問題は、いわゆる従軍慰安婦問題である。これは朝日新聞が惹き起こした問題である。私の友人も、元自衛官億茂治氏も、この問題の解決のため戦っている。私自身もいわゆる従軍慰安婦問題に関する誤解を解くために活動しているある団体を通じて、アメリカ議会の議員たちに手紙を沢山書いたことがあった。

 「正しいこと」は「分かりにくい」。視聴者をより多く獲得するため、メディアは「正しいこと」よりも「分かりやすいこと」の方に多くのエネルギーを割いている。「正しいこと」は人々にとって「面白くない」。だから人々はメディアの報道に騙される。

 しかし「正しくないこと」は矛盾を拡大させる。世の中はその矛盾が解決される方向に向かう。人々に理解されなくても、世の中にはその矛盾を解決するために情熱を燃やす人々がいる。そういう人たちの努力と犠牲によって矛盾は解決される。矛盾が解決されるまでにかなり長い時間がかかる。

 貴乃花が取った行動は、相撲協会の体質を徐々に変えて行くことだろう。何時の世も、自らを犠牲にして自分が正しいとする信念を貫いた人が、後の世に評価される。「正しいこと」はその時ではなくて、その「正しいこと」を行って自分を犠牲にした人が出た後に、それが人々に「分かりやすいこと」として理解されるのである。

 

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