2018年5月1日火曜日

20180501長く王臣と為りて王室を護る



 「長く王臣と為りて王室を護る(長爲王臣護王室)」は頼山陽の作詩『百済を復す(復百濟)』の最後の句である。渡部昇一の『古代史入門』(PHP研究所発行)に、「頼山陽は日本の通史を一人で書いた最初の人である」「頼山陽は日本の歴史の中で詩になるような事件を六十六取り上げて、これを見事な楽府体の詩にした」とある。

 下記URLはその詩の吟詠である。

 
 西暦663年、日本が百済(朝鮮半島の南西部の国)を救おうとして800隻・42千人の大軍を派遣して、百済軍5千人と共に唐(当時の中国)と新羅(朝鮮半島の南東部を支配していた国)連合軍と白村江で戦い、惨敗した故事にちなんで、頼山陽が上記の詩を書いた。

 国が敗れた百済から何千人という数の人々が日本に渡航し、学識・経験を有している者は当時国政を担っていた朝廷に仕えて朝廷を支えた。彼らは氏姓制度の中で天皇から氏姓を賜り、その子孫は沢山の名字の家々に分化していった。それらの事実は日本の歴史書『日本書紀』に記録されている。頼山陽はそのことを詩にしたのである。

 人々のそれぞれの出自の多様性は弾力あり、活力あり、柔軟性がある社会と文化を育む。日本では神武天皇以来の男系の皇統が維持され、第36代孝徳天皇の御世、西暦645年に初めて元号が定められ現在に至っている。この天皇を中心とする伝統が日本の社会と文化を一層豊かで安定したものにしている。

 ある特定の思想・信念のもとにそのような日本の有り様を好まず、外国の勢力と連携してでも今の政権を打倒し、自分たちが理想とするあらたな日本に作り替えたいと考えている人たちがいるようである。しかしそれは日本の社会と文化の弾力・活力・柔軟性がもたらす一つの現象である。もし其処にいろいろと矛盾が大きくなれば、中庸に向かって自然に修正されることだろう。其処が日本の良いところである。

 「偽装保守」と批判されている籠池氏に影響を受けたのは一時名誉校長になった昭惠夫人だけではない。籠池氏の理想に共鳴し小学校建設のため多額の寄付をした人たちだけではない。籠池氏側だけが「正義」であり安倍政権側を「不正義」であると一方的に決めつけ、メディアの報道だけが正しいとして安倍政権打倒の為だけにエネルギーを費やしている野党の国会議員たちも同様である。

 男は『安岡正篤 易経講座』を書棚から出して再び読み始めた。今日本に求められるのは「中庸」である。元来日本人は「中庸」が好きである。天命に照らして「中庸」を得るため矛盾を正す必要が生じれば、日本人は命を懸けてでも矛盾を正すため「折中」しようとする。白村江の戦いも、戦後「太平洋戦争」と呼称変更された「大東亜戦争」も長い時間軸の中で評価すれば「折中」の動きであった。良かった部分がある一方で悪かった部分も必ずある。これからもそのような「折中」の動きが表れるかもしれない。そのときメディアによる報道に流されることなく、易経による正しい判断が先ず下される必要がある。



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