2014年7月21日月曜日

20140721国家は一つの生物種である(4)――国家=‘生物’/国民=‘細胞’――


 われわれヒトの遺伝子の99%以上は他の生物の遺伝子と共有している。ヒトの遺伝子の53%は植物の遺伝子と共有し、残りの46%を動物と共有している。ヒトの遺伝子の個人間の差は僅か0.1%である。ヒトのDNAは約30億塩基対から成っているので、その0.1%、つまり300万塩基対の違いが個人間・人種間の形質の差をもたらしている。

 原日本人は縄文人と渡来系弥生人の混血で生まれた人種である。渡来系弥生人の先祖は長江中流域に住んでいた人たちである。彼らは大陸北方の寒冷地や黄河流域に住んでいた人たちではない。しかし長江中流域に住んでいた人たちは気候の寒冷化・乾燥化による食糧不足になり南下してきた人たちの圧迫を受けた。渡来系弥生人たちは遼東半島・朝鮮半島南部経由で北九州に渡って来たほか長江河口から直接南九州などに渡って来たと考えられている。

彼らは日本列島先住の縄文人たちと混血し、縄文人たちとともに今の日本人の先祖になった。しかし北海道や沖縄では縄文人と渡来系弥生人と間の混血は拡がらなかった。このためアイヌや沖縄の人々には縄文人の形質が多く残されているようである。発掘された頭蓋骨から復元された渡来系弥生人の顔立ちを見ると彫が浅く面長である。一方縄文人たちは彫りの深い顔立ちをしている。現代の日本の美女の顔立ちは縄文系の要素が多いようである。

日本列島に倭(やまと)という統一国家が成立後は『日本書紀』『新撰氏姓録』などに出ているように、朝鮮半島や中国大陸などから多くの人々が日本に渡ってきて帰化し、大東亜戦争後にも非常に多くの人々、主に朝鮮半島出身の人々が日本に帰化し、幾世代という時間経過の中で混血しながら現在の日本人という人種を構成している。ヒトは両親からXYの性染色体を含め2346本の染色体の半分ずつを受け取るから両親の遺伝子は223乗の組み合わせの中で子供に伝わる。幾世代も経れば日本という狭い国土の中で人々の血は混じり合い日本人種として均一化される。中国のように国土が広く多くの民族が混在し人口が非常に多い国は日本のようには行かない。

日本人は元来博愛的な精神を持っており排他的ではない。明治天皇は日清戦争が起きようとしていた時「四方の海 皆はらからと思う世に なぞ波風の立ち騒ぐらん」と詠われた。「はらから」は「同胞」であり、これは「同じ母から生まれた兄弟姉妹」のことである。A級戦犯だった笹川良一は「世界は一家 皆我が友」と詠っている。これらの歌は詩吟の会などで詠じられている。

 日本人は「世界中の人々は皆同胞(はらから)であり、世界は一家」と考え、憲法前文にあるように「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した」ように、国家と国民とを同じレベルで考えてしまう傾向があるようである。日本は第一次世界大戦後のパリ講和会議において話し合われた国際連盟規約の中に人種差別条項を盛り込む提案をしたがアメリカなどの反対により「そのような提案をした」という事実だけが記録されその希望は実現しなかった。日本が大東亜戦争を戦ったのもアジアから欧米諸国の植民地を無くしてアジアに恒久の平和と繁栄をもたらすとともに日本の自存・自衛を全うするためであった。日本の兵士たちはその大義ために血を流した。

さて、ヒトは互いに意思疎通をし合う。成人の体は約60兆個の細胞によって構成されている。その細胞たちも互いに信号を伝達し合っている。ヒトは他者からある情報を受け取るとあれこれ思い・考え・話をし・行動を起こす。同様にその細胞たちも外部から情報がもたらされるとその情報は細胞内に伝えられ、遺伝暗号により予め決められている反応を示す。ヒトを‘細胞’とすればヒトにより構成されている国家は‘生物’である。細胞が危機に遭うと細胞内外でこれに対応する反応をするように、‘細胞’である国民自身も自分の身に危険が迫るようなことが国家に起きれば何かの行動をする。その結果国家或いは集団は‘生物’のように行動する。これはキイロタマホコリカビというアメーバ状の一個の細胞性粘菌が飢餓の状態になったとき、環状AMPという物質を放出すると他のキイロタマホコリカビたちがこれを感知して其処に集まり、キイロタマホコリカビの大集合となってそれがあたかも一個のナメクジのような形になって動く様子と似ている。

 最近起きている中国の海洋進出行動やウクライナ東部に対するロシアの行動はそれぞれ‘生物’としての国家の自存の行動である。そのように観ずると日本は‘生物’国家としてどう対処すべきなのか自ずと明確になってくるのではないだろうか?日本人は利己的ではなく愛他的・協調的精神を持っている。ところが世界の常識では「国家は利己的なもの」である。日本人が他国の人々に対して抱いているような友愛の精神は他の国家に対しては通用しない。そのことを日本人は強く自覚しなければならない。


 生物’である日本は‘生物’である他国からの様々な干渉を決して許さないという毅然とした態度を示すとともに、それら‘生物’国家に不必要な刺激を与えないようにすることが重要である。他国からの干渉に対しては国際社会の場でその行為が間違っていることを言辞をもって強く訴えることが重要である。ある‘生物’国家にとっては非常にセンシティヴな問題、例えば靖国神社参拝については、‘生物’日本を代表する立場の人々は決して不用意・不必要な言動をするべきではないのである。ただし‘細胞’である個々の日本国民の言動は全く自由でなければならない。‘細胞’である日本国民の言動は‘生物’日本国の‘遺伝子’に刻み込まれている自由と民主主義思想の発現のとおりであるべきである。

【関連リンク】2010110日日曜日『反捕鯨団体シーシェパード(20100110)』
http://hibikorejitaku.blogspot.jp/2010/01/20100110-2-2-1-2-7-1998-2-3.html